A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

グレンミラーオーケストラOBによるミラースタイルでのクリスマス

2014-11-26 | CHRISTMAS
Christmas Serenade in the Glenn Miller Style / Tex Benke, Ray Eberle,The Modernaires with Paula Kelly

寒さだけは一足先に12月の寒さだが、11月も25日を過ぎクリスマスまであと一ケ月。
ただでさえ時間が経つのが早いが、年末の慌ただしさの中、これからの時期はいつにも増してあっと言う間に時が過ぎゆく。クリスマスのアルバムもこの時期に聴かねばと思いつつ、聴きそびれてまた来年となってしまう。今年は早めに聴き始める事にしようと思う。

クリスマスのアルバムとなると曲は定番、歌や演奏はジャズ以外にも世の中には山ほどあるので、同じ曲を色々な演奏で聴き較べるには格好の素材だ。有名ミュージシャンは、一度はクリスマスアルバムを作っているので、好きな歌手やミュージシャンのアルバムを聴くのもひとつ。もう一つは、ミュージシャンではなく、普段聴かないジャンルを含めて、どんなスタイルのアルバムを選んでみようか悩むのも楽しいものだ。

あまりクリスマスとは結びつかないジャンルのアルバムも意外性があっていいが、まずはクリスマスにはお似合いのスイングスタイルから。

このアルバムはその代表格。タイトル通りグレンミラースタイルでのクリスマスだ。それもボーカル&コーラス付きで。タイトルに固有名詞が沢山並んでいるので、その関係も改めて整理しておくと。

昔のスイングオーケストラはコーラスやボーカルをメンバー従えていたが、オリジナルのグレンミラーオーケストラも例外ではなかった。そのミラーオーケストラの専属コーラスグループがModernaires。結成されたのは1934年男性のトリオでスタートするが、グレンミラーと契約したのは1940年。Make Believe Ballroom Timeがスタートであった。



この時の写真がこのYou Tubeにもあるが、Modernairesに加えて、2人のボーカリストがいる。
一人がこのアルバムのリーダーでもあるTex Benke。ここでは歌も歌っているが本業はサックス、この二刀流がその後のミュージシャン生活を悩ましたようだが。もう一人のボーカルがRay Eberle。

このアルバムに加わっているPaula Kellyはこの時まだメンバーではなく、彼女がミラーのバンドに加わったのは、映画“Sun Valley Serenade”に一緒に出演したのが始まり、1941年になってからだ。もっとも、彼女はこの時すでにModernairesのリーダーHal Dickenson夫人となっていたので、すでに身内であったと言ってもいいかも。



その後、ミラーのバンドで一緒に活動していたが、リーダーのグレンミラーは1942年に軍隊に加わるためにバンドを解散することに。そこで、ケリーはModernairesに加わって、女性一人、男性5人のコーラスグループが誕生した。
その後、KellyはKelly Jr.に代替わり、他のメンバーも入れ替わったが、今でもこのModernairesはスイングスタイルのコーラスグループとして活動しているようだ。



このアルバムが録音されたのは1965年。彼らが一緒に演奏していた時から25年近く経っていた。デビュー当時は彼らのスタイルが世の中の最先端であったが、ビートルズ時代の始まり、世の中ロックの波に洗われ音楽の流行や好みは大きく変っていた。しかし、彼らは何も動ぜず昔のスイングスタイルを守ってプレーを続けていた。

Tex Benke.もミラーが去った後、一時はグレンミラーオーケストラを引き継いだり、他の演奏をやりたくて辞めたりしていたようだが、結局、スイングスタイルのビッグバンドが彼の拠り所となっていた。
彼を中心にまさにオリジナルのミラーオーケストラのシンガー達が集まって、彼らの原点であるミラーサウンドを再現するのだからこれは本物だ。アレンジはアランコープランがやっているが、多少モダンに響く所もあり、珠玉のミラーサウンドを再現している。

はたして、オリジナルのグレンミラーのクリスマスソングの録音があるかどうかは寡聞にして知らないが、グレンミラーサウンドのクリスマスアルバムとしてはお勧め盤だ。



1. It Happened in Sun Valley       Mack Gordon / Harry Warren 2:34
2. Have Yourself a Merry Little Christmas   Ralph Blane / Hugh Martin 2:46
3. We Wish You the Merriest                Les Brown 2:26
4. The Christmas Song            Mel Tormé / Robert Wells 2:59
5. Rudolph the Red-Nosed Reindeer           Johnny Marks 2:28
6. Snowfall              Sandy Owen / Claude Thornhill 2:50
7. And the Bells Rang                 Glenn Miller 1:56
8. Merry Christmas, Baby           Lou Baxter / Johnny Moore 2:28
9. Jingle Bells                     James Pierpont 2:59
10. Santa Claus Is Coming to Town     J. Fred Coots / Haven Gillespie 2:28
11. Sleigh Ride               Leroy Anderson / Mitchell Parish 3:00
12. White Christmas                     Irving Berlin 3:00

The Modernaires
Tex Benke (vol,ts)
Ray Eberle (vol)
Paul Kelly (vol)

Arranged by Alan Copeland
Recorded in 1965
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晩年のハンプトンホースのライブでのプレー、これが当時の本当の姿かもしれないが・・・

2014-11-25 | CONCORD
Hampton Hawes / Recorded Live At The Great American Music Hall

コンコルドレーベルは、設立当初は新たに録音したアルバムだけでなく、過去に自主録音されたアルバムの再発(あるいはお蔵入りしてたものを世に出す)アルバムも何枚かあった。ルイベルソンのビッグバンドの”150MPH”シェリーマンの”Perk Up”などもそれらの一枚だった。

その後、自社の企画や録音が軌道に乗り、このような形でのリリースは少なくなっていった。ハンプトンホースのアルバムがこの時期(1983年)になっていきなり登場したと思ったら、このアルバムは久々にこのように他で録音された音源のアルバム化であった。録音は75年なので、8年後にリリースされたことになる。当のホースは‘77年には亡くなっているのでなくなる2年前の録音になる。ライブレコーディングとしては、これがラストレコーディングとジャケットには記されているのだが。

ハンプトンホースも、麻薬がらみで逮捕され一時は刑務所で過ごし、その後再び60年代の半ばに復帰した。復帰後はエレキピアノを多用したこともあり、昔のファンにはあまり受け入れられず、アートペッパーのような復活劇を演じた訳ではなかった。自分も復帰後のMPS盤は持っているが、他のアルバムは気に留めることもなかった。

そのような中でのこのホースのアルバム、もちろんコンコルドには初登場である。プロデューサーもTom Bradshawとあり、カールジェファーソンが関与している訳でもない。リリースにあたってコンコルドの看板を貸しただけのように思える。

録音されたのは、ザ・グレートアメリカンミュージックホールでのライブ。先日紹介したウディーハーマンのライブアルバムの会場でもあった。普通のクラブよりも大きめのホールのような響きがすると思ったら、ここは由緒あるホール形式のナイトクラブ、小さなクラブとは趣が違う。



今回の編成はドラムレスのベースとのデュオ、それにB面全体に渡るThe Status of Maceoはピアノソロによる自作の組曲。ピアノも全編アコースティックを使用している。これも少し趣が違う。

A面はスタンダードが2曲だが、この料理の仕方も耳慣れた昔のトリオ演奏とは全く違うアプローチでこれも趣が違う。

もっともこの頃はこのようなプレーをしていたのかもしれないが他のアルバムを聴いていなかったので良く分からなかったが、実はこのアルバムの後の録音がその後リリースされていてこれを聴いてみた。このアルバムの翌年1976年の録音の”Something Special”だが、後でリリースされたので、どうやらこれがラストアルバムとなるようだ。
これもライブだがこれにフライツーザムーンとサニーの2曲も収められている。ドラムが入ったトリオで、演奏時間も異なるが、この2枚のアルバムのホースのピアノスタイルには共通点がある。



ライナーノーツにホースへのインタビューの一部が載っている。
「あなたは誰の影響を受けましたか?」との問いに、ホースは、「それは重要ではない、誰もが誰かの影響を受けている。一番大事な事は、今進行している事実だけだ」と。
ホースのスタイルはこの時期大きく変化していたということだろう。

この録音の2年後にはホースは他界する。この2枚のアルバムがリリースされたのはそれから大分時間が経ってから。このレコーディングがアルバム化を前提としたものであったのであれば、無事に世に出て良かったと思うし・・・。反対に、たまたまレコーディングされたものが残っていたのであれば、最後はこんなプレーをやっていたのだというホースの姿を知ることができるだけでも意味がある。

ジョージシアリングも、コンコルドに来てデュオの素晴らしさを味わい、そのプレーを披露してくれた。ホースもそうだと言いたいところだが、自分はやはり50年代のホースのピアノが一番だと思う。それに留まっていて良かったということであれば、麻薬もやらなくてすんでいたかもしれない。




1. Fly To The Moon
2. Sunny
3. The Status of Maceo(Suite For The Piano)
First Movement
Second Movement
Third Movement

Hampton Hawes (p)
Mario Suraci (b)

Produced by Tom Bradshaw
Recording Engineer : Lee Brenkman
Recorded at The Great American Music Hall, San Francisco, June 1975
Originally released on Concord CJ-222


Recorded Live At The Great American Music Hall
クリエーター情報なし
Concord Jazz
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スタンダート曲集のアルバムだと、プレーも多少ソフトに・・・

2014-11-24 | PEPPER ADAMS

Lee Morgan / Standards

1967年のペッパーアダムスの新年は、引き続きブルーノートのリーモーガンの録音セッションからスタートした。ドナルドバードとの双頭コンビでアルバムを作った時も含めてブルーノートのセッションには時々顔を出しているが、アダムスは特にアルフレッドライオンお気に入りメンバーの一員という訳ではなかった、というよりも冷遇されていたといってもいいかもしれない。
此の頃、良くお呼びがかかったのは盟友であったデュークピアソンのひきがあったから、そしてピアソンのアレンジ物が多く、バリトンが必要であったという事情もあった。このアルバムもその流れの延長の一枚である。

リーモーガンとアダムスのブルーノートでの共演はこれが初めてではない。アダムスが西海岸からニューヨークに戻った57年に2人は「Cooker」で共演している。一方のモーガンもディジーガレスピーのオーケストラが解散し、ソリストとして本格的に活動し始めた時だ。アダムスが26歳、モーガンはまだ19歳の時であった。この時はモーガンのリーダーアルバムであったものの、アダムスもダウンビートの新人賞を受賞した直後、意識的にも演奏においてもサイドメンというよりもモーガンの良きパートナーとしての位置付けであった。

その後、サイドワインダーをヒットさせたリーモーガンは、その勢いもあり、65年4枚、66年3枚、そしてこのアルバムが作られた67年にも4枚とブルーノートへの録音を以前にも増して増やしていた。確実にスターダムへの階段を上り、ある意味頂点に達していた頃だ。

ミュージシャンのプレーには「勢い」というものがある、そのピークの時に多くのアルバムを残しておきたいというのは、ミュージシャンにとってもプロデューサーにとっても想いは同じであろう。

しかし、実際にリリースできるアルバムというのは多くても年に数枚。当然発売を前提としたアルバム作りというと録音の機会には限りがある。ところがアルフレッドライオンは商売よりもミュージシャンを大事にし、クオリティーを優先したプロデューサー。リハーサルにもお金を払ったし、ミュージシャンの想いを形にするために発売予定の無いアルバムも多く企画し録音した。それが、未発売アルバムが多く残されていた理由でもあった。したがって、お蔵入りしたアルバムもきちんと制作意図があったものも多く、単なるジャムセッション物が少なかったという結果にもつながっている。

そして、この時期モーガンのアルバムが多かったのにはもう一つの理由があった。
ジャンキーで麻薬を絶つため一時ニューヨークを離れていたにも関わらず、復帰後のこの時期、またもや麻薬を手に入れるためのお金をせびりにスタジオを訪れたといわれる。ライオンもそれを止めさせることができず、ただお金を渡すこともできずに録音機会が増えたとコメントを残している。

このアルバムは、順次陽の目を見たモーガンのお蔵入りした録音の中でも最後に世に出たアルバムであり、実際にリリースされたのは1998年になってからだ。先日のジョーヘンダーソンはバンド編成から30年後のレコーディングであったが、これは録音してから30年後に陽の目を見たアルバムということになる。しかし、このような経緯で作られたアルバムなので、よくある残り物や寄せ集めという訳では無い。今聴いてもきちんとした制作意図が感じられる。

まずは、タイトルどおりスタンダード曲が集められているアルバム。サイドワインダー以降リーモーガンは自分やメンバーのオリジナル曲のアルバムを作ることが多かった。アルバムの制作頻度が多かったので、作曲が間に合わなかったという訳ではないと思うが、オリジナル無しの「スタンダード集」というのがまずは大きな特徴だ。

そして、このアルバムもこの頃多かったデュークピアソンのアレンジによるセプテッド編成。モーガン以外はサックス3本だけ、これも珍しい編成だ。
さらにハンコック、カーター、ショーターというと当時のマイルスのグループのメンバーが3人揃っている。マイルススマイルスを吹き込んだ後のマイルスクインテットの一番のピークの時期。マイルスと異なりモーガンとはどんな演奏をするか、これも興味を惹く。

一曲目のからミディアムテンポの4ビートで、この頃のモーガンの他のアルバムとは少し趣が違う。スタンダード曲集という事もあるのか、他の曲でも高音域よりも中音域を使ったモーガンのプレーが続く。一般的、人気が出ると自然にスタイルが作られていくものだ。実は色々なプレーができてもステージならまだしも、アルバムだと作られたイメージとは違ったスタイルでの演奏はしにくくなるものだ。これも、長期間お蔵入りしていた理由だったのかもしない。

モーガンのソロに続いてショーターのソロも随所で聴ける。サックスのアンサンブルはあまり表にでることも無く、全体としてモーガンクインテットの雰囲気だ。バラードプレーではハンコックの音数の少ないピアノソロも実に印象的だ。
唯一、ブルーガーデニアではモーガン、ショーター以外にもアダムスのソロも聴ける。ここでは全体のサウンドに合わせていつもの切れ味の鋭いソロを多少ソフトにしたプレー。何となく、語尾を曖昧に吹く様はベニーゴルソンのフレーズ作りにも似た感じだ。年と共にアダムスのプレーは益々ラウドになっていくが、このようなプレーも自分は好きだ。



最後にこの当時のブルーノートでの定番のジャズロックのリズムで一曲If I Were A Carpenter。これはアルバム単位でのリリースを考えたレコーディングであった証拠であるが、今聴くとこれはやはり場違いな一曲のような気がする。

1. This Is The Life           C.Strouse-L.Adams 5:03
2. God Bless The Child     A.Herzog Jr.-B.Holliday) 7:18
3. Blue Gardenia             B.Russell-L.Lee 5:51
4. A Lot Of Livin' To Do        C.Strouse-L.Adams 6:02
5. Somewhere            S.Sondheim-L.Bernstein 5;49
6. If I Were A Carpenter            T.Herdin 6:08
7. Blue Gardenia(alt.take)              5:54

Lee Morgan (tp)
James Spaulding (as, fl)
Wayne Shorter (ts)
Pepper Adams (bs)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)

Duke Pearson (arr)

Produced by Alfred Lion

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, January 13, 1967


Standards
Lee Morgan
Blue Note Records
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新旧のサックス対決の中にジョーヘンダーソンの名前が・・・・

2014-11-22 | MY FAVORITE ALBUM
Birds & Ballads / Art Pepper, Johnny Griffin, Joe Farrell, Joe Henderson, Harold Land, John John Klemmer

最近昔のスイングジャーナルを時々眺めることにしている。ネット万能時代になって気になったものは何でも瞬時に調べられる反面、得られる情報は断片的。何かじっくり調べたり、俯瞰する時は本や雑誌がやはりいいようだ。特に雑誌は、その時点でホットな話題が編集されている。その時代を思い返すには良いきっかけになる。最近時間感覚が無くなってきているが、これは単に歳をとっただけでなく時間軸で物事を整理する習慣が無くなっているせいかもしれない。人間の生活で時間軸での整理というのは不可欠かもしれない。

先日、1980年11月号を見ていたら、その号の特集はその年の9月に亡くなったビルエバンスの記事が中心。エバンスは70年代までの人だったというのを改めて再認識。
そして、レコード評のページへ。
スイングジャーナルには同誌選定のゴールドディスクなるものがあって、その紹介が毎月レコード評の最初に載っていた。新譜だけでなく旧録音でもお勧めディスクを推進盤として紹介し、シンボルマークを作ってレコード会社などとも連携していた。このゴールドディスクは、手探りで聴いていた時には良く参考にした推薦盤だった。

今思えばこれはかなりのPR効果。これで売れたアルバムも多かったと思う。最近のネットの世界でも「リコメンド」というのはセールスプロモーションの手法で大きな要素だが、個人のお勧めよりもそれなりに権威のある本であり人のお勧めというのは重みがあり、マスコミュニケーションでのレコメンドが効果的な時代であった。意図的にヒット作を作れたという事になる。

その号のゴールドディスクがこのアルバム”Birds & Ballads”であった。
最近、CDの再発物で2枚のLPアルバムをカップリングしたものを時々見掛ける。確かにメディアの収録時間が増えたのでボーナストラック同様この2枚組はお得感はあるのだが、何でこの2枚が一枚に、という違和感を感ずる時もある。自分の世代だと、「アルバム単位」というのはジャケットのデザインを含めて作品として何か拘りがあるもかもしれない。作る側のプロデューサーも当然それを意識して制作していたので。

このアルバムは、オリジナルは別々に発売された2枚のアルバムを2枚組の一枚にしたもの。まさに今の時代のCD化のカップリングと同じようなものだ。しかし、2枚組にしてゴールドディスクとしたのは当時でもそれなりに一緒にした意味があったからだ。
ほぼ同じメンバーが、同じ時期に2枚のアルバムを作った。一枚がパーカーとモンクの曲を演奏した物。そしてもう一枚がバラード曲を集めたもの。同じ時期に録音されたものを2枚に振り分けたものだが、最初に企画があったのか、結果的にこのように分かれたのかは分からない。

このセッションで共通している事は、60年代初めから活躍しているベテランと、70年から台頭してきた若手のサックスプレーヤーの共演だということ。それも良くある皆揃ってのジャムセッションやアンサンブルを売りにしている訳ではない。一曲毎にソロプレーヤーを選び、一人で自分のスタイルを思う存分発揮した構成になっている。
バックは、ベースは2人で分担するものの、ピアノとドラムは同じメンバーで変らず。よくあるバラバラのセッションを集めたコンピレーションという訳でもない。よくある「のど自慢」ではないが、サックス自慢のプレーヤーを一人ずつ舞台に乗せて腕前を競うコンテストのようなものだ。

もう一つの特徴がテナー奏者に交じって、一人アートペッパーがアルトで参加している点だ。パーカートリビュートであればアルトプレーヤーだけを集めてもよいのだが、テナーばかりを集めている中でアートペッパーの役割は? 
カムバック後の積極的に活躍していた時期なので、流石にパーカーのヤードバートスーツも、バラードのオーバーザレインボーも素晴らしい演奏。まさにゲストの先生役のような感じがしないでもないが。

このアルバムが目に留まり久しぶりに聴き直したのも、その中にジョーヘンダーソンの名前があったからだ。アルバム自体は各人各様のパーカートリビュート&バラード集だが、こうやってスタンダード曲を並べてきくとそのスタイルの違いが余計に鮮明になる。

ベテラン代表は、60年代の始め一躍有名になったジョニーグリフィンとジョーヘンダーソン、そして少し毛色が変るがハロルドランドの3人、若手はジョーファレルとジョンクレーマーの2人。それぞれスタイルが全く違うし、規定課題をどうこなすかがまさに聴き較べのポイントとなる。
ジョーファレルは70年代にはチックコリアのリターンツーフォーエバーの印象が強いが、久々のストレートなプレーだ。そういえば、このジョーファレルもサドメルのメンバーであった。創設時から出入りはあるが結構長く在籍した割には印象が薄かった。

肝心のジョーヘンダーソンはリラクシンアットカマリロではピアノレスのトリオで。他のメンバー(あるいはこの企画)の影響を受けたのか、バラードのグッドモーニングハートエイクも、どちらも聴きごたえのある演奏だ。
このアルバムの録音は'78年。ジョーヘンダーソンの復活は80年以降となんとなく思っていたが、実はこのアルバムが復活のきっかけになったのではないかと思う。

ちなみに、このスイングジャーナル11月号には海外ジャズミュージシャンの人気投票結果も出ている。アルトサックス部門はアートペッパーがダントツの一位。当時の日本での人気の程を窺い知ることができる。そして、テナーサックス部門の一位はソニーロリンズ、グリフィンが6位にアップ、ジョーファレルとジョンクレーマーもランキングには顔をだしているが、ジョーヘンダーソンは20位にも入っていない。当時は日本のファンからは忘れられた存在であったようだ。その意味では、このアルバムでの演奏が復活に向けての狼煙であったのではないか?

1. Billie’s Bounce (Griffin)
2. Round Midnight (Klemmer)
3. Confirmation (Farrell)
4. Yardbird Suite (Pepper)
5. Relaxin’ at Camarillo (Henderson)
6. Bloomdido (Land)
7. Over The Rainbow (Pepper)
8. God Bless The Chile (Klemmer)
9. Smoke Gets In Your Eyes (Griffin)
10. Good Morning Heartache (Henderson)


Art Pepper (as)
Johnny Griffin (ts)
Joe Henderson (ts)
Joe Farrell (ts)
John Klemmer (ts)
Harold Land (ts)
Stanley Cowell (p)
Cecil Mcbee (b)
John Heard (b)
Roy Haynes (ds)

Produced by Ed Michel
Engineer : Baker Bigsby
Recorded on Fantasy Studios, Berkeley, CA, December 1,2,4,5, 1978
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バーニーケッセルにとっては、長いキャリアの中で初のソロアルバムへの挑戦であったが・・・

2014-11-20 | CONCORD
Barney Kessel Solo

コンコルドレーベルは基本的にオーナーのカールジェファーソンがアルバムのプロデューサーを務めるが、Frank Dorritieがその任を務めるアルバムが多くなってきた。ニューヨーク録音が多く、新人の発掘もあれば、黒人プレーヤーも目立ち、ベテランにも少し違ったアプローチを求めるなど、ジェファーソンのプロデュースより一味違ったアプローチがいい結果を生んでいた。

このアルバムもそのドリティーのプロデュース。ケッセルの前作”Jellybeans”も久々にケッセルのトリオ演奏だったが、今回はソロアルバムを作った。ドリティー自身が「何故ソロがいいか」の持論をライナーノーツで語っているのだが・・・。

ビルエバンスのアルバムに“Alone”というソロアルバムがある。トリオでのインタープレーを信条としていたエバンスにとっては珍しい全編ソロで通したアルバムであった。スタンダードのHere’s That Rainy Dayをゆったりしたテンポで始めるが、徐々にテンポを上げる。いつも一緒に聴こえるバースやドラムとのコラボはなくともいつものエバンスワールドだ。最後はNever Let Me GoではB面全体を使って自分の思いの丈をたっぷり一人で披露している。

このアルバムの主役、バーニーケッセルというとどうしてもコンテンポラリーのポールウィナーズシリーズを思い浮かべてしまう。このピアノレスのギタートリオが自分にとってのバーニーケッセルのイメージだ。相方を務めたレイブラウン、シェリーマンとのコンビネーションも絶妙であった。
このケッセルは、コンコルドレーベルが誕生した時から看板プレーヤーの一人だった。初期のアルバムからケッセルが参加したアルバムは多くあるが、ギター3人のグレートギターズを含めて不思議とピアノレスの編成が多い

ジャズの場合、メロディー、リズム、そしてバックのハーモニーやアンサンブル、リフなどが大事だが、ギターはピアノ同様時に一人3役を演じる。もちろんベース、ドラムがいてリズム隊がいる場合でも、リズミカルなコードワークは聴いていても心地よい。管楽器ではできない芸当だ。しかし、完全にソロとなると3つの要素を組み合わせてプレーできる個人技の勝負となる。エバンスはピアノ一台でもこれを実現した。

バーニーケッセルにとっては、長いキャリアの中でこれが初めてのソロアルバムだった。ギターメインのピアノレスのトリオ以外にもビッグバンドの一員から歌伴まで広い演奏キャリアがある。どんなスタイルでもこなせる反面、ソロだと果たしてどんなプレーをするのか興味が湧く。

一曲目はブラジル。いきなりリズミカルなアップテンポの曲で始まるが、後はミディアムテンポやバラードが続く。結局ケッセルが得意とするアップテンポなジャジーな曲は無い。

エバンスはソロアルバムを作る前に、Conversation with Myselfというアルバムを作った。これもエバンス一人のアルバムであったが、実はこれはエバンスのピアノを多重録音したもの。要はコラボの相手に自分自身を選んだものであった。2人のエバンスのピアノが同時に聴こえるというアイディアは面白かったが、自分としてはあまり好きになれなかった。ソロの方がいい。

ケッセルのソロプレーを聴いて、ケッセルの場合は反対に一人よりも相手がいた方がいいように感じる。ジョーパスやローリンドアルメイダはソロでもいいアルバム作っているが、ケッセルのソロとなると今一つセールスポイントが欠けるように思う。得意とするアップテンポのシングルトーンでのソロワークには、それを引き立たせるリズムが必要なのかもしれない。ベースやドラムだけでなく、他のギターでもかまわない。もしかして、ケッセルの場合はビルエバンスが試みたのと同様、一人で多重録音して「一人グレートギターズ」アルバムを作った方が面白かったかもしれない。ドリティーのアイディアも今回はクリーンヒットとは言えなかったかも?

1.Brazil                    Ary Barroso / Bob Russell 2:36
2.What Are You Doing the Rest of Your Life?     Michel Legrand 2:56
3.Happy Little Song                 Barney Kessel 3:22
4.Everything Happens to Me         Tom Adair / Matt Dennis 3:25
5.You Are the Sunshine of My Life          Stevie Wonder 4:54
6.Manha de Carnaval          Luiz Bonfá / Antônio Maria 4:14
7.People                  Bob Merrill / Jule Styne 4:55
8.Jellybeans                      Barney Kessel 3:49
9.Alfie                  Burt Bacharach / Hal David 5:25

Barney Kessel (g)
Produced by Frank Dorritie
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, Californis April 1981
Originally released on Concord CJ-221(所有盤はCD)


Solo
Barney Kessel
Concord Records
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練習を始めてから30年後に陽の目をみたジョーヘンダーソンのビッグバンドであったが・・・

2014-11-19 | MY FAVORITE ALBUM
Joe Henderson Big Band

1966年サドジョーンズ&メルルイスのオーケストラが立ち上がると、他にもフランクフォスター、ケニードーハム&ジョーヘンダーソン、そしてデュークピアソンなどのビッグバンドが編成される動きに繋がった。

ジョーヘンダーソンのビッグバンドが編成されたのは66年の夏。サドメルに遅れる事半年であった。ペッパーアダムスの年表を見るとこのリハーサルオーケストラにペッパーアダムスも参加していた。最初は週に3回午後にThe Domというナイトクラブで活動を開始。譜面台も無く椅子にスコアをのせてのリハーサルが始まった。

ジョーヘンダーソンはオハイオ生まれだが、大学はデトロイトのウェイン大学。ドナルドバードやペッパーアダムスと同窓になる。そこでは、バルトークやストラビンスキーも学んだという。それ以前に高校時代、彼が興味を持ったのはスタンケントンオーケストラであり、特にアレンジには当時新進気鋭で売り出し中のビルホルマンに惚れ込んだという。テナーはレスターヤングをコピーして学んだようだが、プレーだけでなく曲作りやオーケストレーションにも興味を持っていたようだ。

1962年兵役を終えたジョーヘンダーソンはブルーノートで華々しくデビューする。自己のリーダーアルバムだけでなく、サイドメンとしても数多くのセッションに参加した。サイドワインダー、ソングフォーマイファーザーというブルーノートにとっては記録的なセールスを上げたアルバムのどちらのアルバムにも参加したのがジョーヘンダーソンであった。ブルーノートにとってジョーヘンダーソンは商売的には福の神であったのかもしれない。しかし、それがヘンダーソンのやりたいことをすべて満足させてはくれなかった。

ジョーヘンダーソンにとっては若い頃学んだ作曲やアレンジを披露するオーケストラの場が欲しかったのだが、ブルーノートでそれを実現することはできず、ケニードーハムと一緒に全くプライベートに同好の士を集めたリハーサルオーケストラを立ち上げた。

レコーディングどころかクラブやコンサートへの出演機会も少なかったが、皆は黙々とリハーサルを続けた。練習場所だけは、ナイトクラブから録音設備の整ったスタジオに変った。アダムスの年表を見るとこのリハーサルの模様を収めたテープは多く残されているというが世には出ていないようだ。リハーサルのメンバーはルーソロフ、ジミーネッパー、カーティスフラー、チックコリア、ロンカーター、ジョーチェンバースなどの中堅を中心に若手メンバーも多く加わっていた。しかし、実際には、当事者以外はその音を聴く事の出来ない幻のオーケストラであった。

しかし、聴衆の前で演奏する機会が少ないと、練習を続けるエネルギーもだんだん無くなり、一年後にはケニードーハムが去り、数年でバンド自体が自然消滅してしまった。
その後、ヘンダーソンは1969年にはセルドンパウエルに替わってサドメルにも加わっていた。創世記のメンバー主体の一番脂ののりきった時期であり、ヨーロッパツアー時のライブでサドメル時代のジョーヘンダーソンを聴く事が出来る。自らのオーケストラは満足に活動できなかったが、その無念を晴らすためにもオーケストラの楽しみをサドメルで十分に味わったのかもしれない。

70年代はビッグバンドどころか、メインストリームのジャズ自体も下火となり、ジョーヘンダーソンもニューヨークで第一線での活動を諦め、サンフランシスコに移り住むことになる。この時期は一流のプレーヤーでも仕事が無かった時代だったといわれている。

西海岸では、スタジオの仕事も多く、ブラッドスウェトアンドティアーズに加わった事もありジャズを離れたといわれているが、本人がいうには決してジャズの活動を止めていたという訳ではない。確かに70年代にもマイルストーンで何枚かアルバムを作り、他にもサイドメンとして加わったアルバムは何枚かある。しかし、その時代を象徴するように中途半端であり、60年代の活躍ぶりとは雲泥の差があった。

ヘンダーソンが第一線に復帰したのは1980年になってから、チックコリアがリターンツーフォーエバーを解散しアコースティックのプレーを再会した時に良く一緒にやっていた。コリアとは15年前ビッグバンドを一緒にやっていた旧友でもあったが、当時、2人のストレートアヘッドな演奏を聴いて何か安心した記憶がある。

1992年3月14日、やはり以前コンビを組んだフレディーハバードと一緒にニューヨークのAllice Tully Hallのステージに立った。その時バックを務めたビッグバンドのメンバーには30年前一緒に練習をした仲間達の顔もあった。せっかくまた集まったのだからということで何曲かレコーディングをすることになった。このアルバムの内の3曲はこの時の録音だ。Verveと契約をしたヘンダーソンは快調に新アルバムを作っていた。そこで、このビッグバンドが中途半端のままであったのが気に掛かったのだろう、4年後の1996年にまたレコーディングの機会が設けられ、このアルバムが出来上がった。

リハーサルを始めてからすでに30年の月日が経過していた。最初のリハーサルに参加していたペッパーアダムスはすでにこの世にはいなかった。レコーディングには一緒に参加していたジョーテンパリーもいたが、アダムスの後継者でもあるゲイリースマルヤンも参加している。他のメンバーを見渡してもVJOのメンバーが多く参加している。30年前はメンバーの中にサドメルのメンバーもいたが、サドメル同様メンバーも代替わりした事になる。
立ち上げ時のリハーサルに参加していたチックコリアも1996年のレコーディングには参加して素晴らしいソロを披露している。難産の末に生まれたレコーディングの機会は創立時のメンバーにとっては感慨一入であったと思う。

このジョーヘンダーソンのビッグバンドをライナーノーツでは「ビッグバンドのようでビッグバンドではない」と記してある。ジョーヘンダーソン自身もカルテットで演奏する時とビッグバンドで演奏する時に違いは無いという。

このアルバムも30年前のアレンジを何曲かは使っていると思われるが、30年間の時代の変化を感じさせないモダンなサウンドだ。66年当時サドメルのオーケストラが既存のビッグバンドとは違ったサウンドを聴かせてくれたが、同じ時期ジョーヘンダーソンも同じようにモダンなサウンドを聴かせてくれていたのだ。やはり、ケントンの流れを引き継ぎ、ビルホルマンに影響を受けていたというアレンジは当時も今も先進的である証左だ。

サドジョーンズのアレンジはソロを引き立たせると同時にアンサンブルワークも見どころが幾つもあるが、このジョーヘンダーソンのビッグバンドは自らのテナー、そして限られたソリストのプレーを引き立てるためのアレンジを重視している様に思う。これはヘンダーソン自らのアレンジに限らずこのビッグバンドの共通している点だ。それがビッグバンドでありながらビッグバンドではないという事かもしれない。

初演から30年経ってからこのオーケストラが陽の目を見たのも、晩年のVerveの演奏で再びヘンダーソンのプレーが見直され、プレーだけでなくアレンジやオーケストラの使い方が注目されたからであろう。晩年の活躍が無ければ、幻のビッグバンドになっていたかもしれない。
この録音を終えて、ジョーヘンダーソンは、「時代は変った」といってこのビッグバンドを続けることは無かった。今のミュージシャンはすぐに有名になることそして金儲けを優先する。こつこつと自分で練習を重ね、技を磨くことをやりたがらないからと。30年前の自分達の姿を思い浮かべたのだろう。



1. Without A Song    Vincent Youmans 5:24
2. Isotope         Joe Henderson 5:21
3. Inner Urge       Joe Henderson 9:01
4. Black Narcissus    Joe Henderson 6:53
5. A Shade Of Jade    Joe Henderson 8:23
6. Step Lightly      Joe Henderson 7:20
7. Serenity        Joe Henderson 5:52
8. Chelcea Bridge    Billy Strayhorn 4:30
9. Recordame       Joe Henderson 7:25

Joe Henderson (ts)
Recorded on March 16, 1992 Session(#1,5,8)
Lew Soloff (Tp), Marcus Belgrave (Tp), Virgil Jones (Tp), Idrees Sulieman (Tp), Jimmy Owens (Tp), Freddie Hubbard(Tp)
Robin Eubanks (Tb), Kiane Zawadi (Tb), Jimmy Knepper (Tb), Douglas Purviance (Btb)
Bob Porcelli (As), Pete Yellin (As), Rich Perry (Ts), Craig Handy (Ts), Joe Temperley (Bs)
Ronnie Mathews (P),
Christian McBride (B),
Joe Chambers (Ds)

Recorded on June 24-26, 1996. Session (#2,3,4,6,7,9)
Jon Faddis (Tp), , Nicholas Payton (Tp), Byron Stripling (Tp), Tony Kadleck (Tp), Michael Phillip Mossman (Tp), Ray Vega (Tp), Earl Gardner (Tp)
Canrad Herwig (Tb), Keith O'Quinn (Tb), Larry Ferrell (Tb), Dave Taylor (Btb)
Dick Oatts (Ss,As), Steve Wilson (As), Tim Ries (Ts), Charlie Pillow (Ts), Gary Smulyan (Bs)
Chick Corea (P)
Christian McBride (B)
,Al Foster(Ds), Lewis Nash (Ds)
Helio Alves(P)
Nilson Matta(B),
Paulo Braga(Ds)

Arranged by Bob Belden (#4,6)
Slide Hampton (#3,5,6,7)
Joe Henderson (#1,2,8)

Big Band
Joe Henderson
Polygram Records
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ウディーハーマンオーケストラの同窓生がハーマンの名曲を・・・・

2014-11-18 | MY FAVORITE ALBUM
The EX-Hermanites / Bill Harris & Terry Gibbs

秋は同窓会のシーズンだ。先日高校時代の運動部仲間の同窓会があったとおもったら、昨日は会社の先輩達と、そして今週末は小学校の久々の同窓会と続く。
楽しい事もあり、辛いこともある人生だが、いつの時代でも一緒に喜びや苦労を共有した仲間との再会は楽しいものだ。昔話に花が咲く、これも年寄りになった証かもしれない。

ビッグバンドの世界で長く続いたのは老舗のベイシー、エリントンだが、ウディーハーマンも負けてはいない。ハーマンがファーストハードを立ち上げたのは1943年、まだ太平洋戦争が行われていた時だった。そして、ハーマンが亡くなる1987年まで、何度か解散、再立ち上げを繰り返したが、ビッグバンドが無くなる事はなかった。

ビッグバンドにはリーダー以外にもメンバーの中に看板スターが必ずいるものだ。ベイシーのフレディーグリーンのように長く在籍するメンバーもいれば、その時代を代表するソリストが務める事もある。
ベイシー、エリントンはリーダーが歳を重ねるのに合わせて同じベテラン達が主要メンバーを占めていったが、ハーマンのオーケストラはスタンケントンと同様、新人主体のバンドとして続いていた。メンバーが育って卒業するとまた新たなスターの卵が加わった。結果、ハーマンのオーケストラの卒業生というのは非常に多い。若いプレーヤーにとっては一流になるための登竜門のようなものであった。

そのハーマンのオーケストラの中で、比較的長く在籍したメンバーがいる。トロンボーンのビルハリスである。30年代からプロとしてジーンクルーパーやベニーグッドマンのグループに加わって演奏をしていたが、ファーストハードの立上げの時からハーマンのオーケストラに参加し、あのフォーブラザースで有名なセカンドハードにも加わった。一旦JATPなどに加わった後、このアルバムが録音された50年代の後半にも再びハーマンのオーケストラに参加している。という点では、入れ替わりの激しかった初期のハーマンオーケストラを支えたキーパーソンであったという事になる。

エリントンやベイシーオーケストラにはそれぞれそのバンドを象徴するような名曲があり、エリントンナンバーやベイシーナンバーとして引き継がれている。
このハーマンオーケストラにもいつの時代にも十八番としている名曲がある。ハーマン自身のアップルハニーであり、レモンドロップ。フォーブラザースやアーリーオータムなども欠かせない曲だ。

このアルバムは、ビルハリスを中心としてハーマンオーケストラの卒業生達が、ハーマンの得意曲を演奏したアルバムだ。ただし、ビッグバンではなく、ビルハリスとテリーギブスのソロを中心としたコンボでの演奏だ。昔の同窓生が集まると昔話で花が咲くが、オーケストラの卒業生となるとまずは皆でやった懐かしい曲で盛り上がるということだろう。

アップテンポのアップルハニーで始まるが、テリーギブスのスインギーなヴァイブとハリスのトロンボーンのコンビネーションが良い感じだ。アーリーオータムやブルーフレームといったスローな曲ではギブスのヴァイブがメロディーラインを奏でハリスがバックを務める。
ハリスのトロンボーンはスイング時代の出身とはいえプレーはモダンだ。アービーグリーンのような甘さは多少控えめだが、ソロといいギブスのバックといいハリス節を存分に聴ける。
ハーマンでは有名なバップスキャットもレモンドロップで披露。ハーマンの曲そしてオーケストラの特徴を2人がリードしてうまく再現している。もっともバックの面々の同じ卒業生なので一体感が増すのは当然だ。



ハリスはこの後60年代に入るとフロリダに移って地元での活動が主体となる。この時、まだハーマンのオーケストラに加わる事があった。ハリスにとっては結果的にハーマンの卒業アルバムとなった。

そして、このアルバムは1957年ハリウッドに突然生まれたあのモードレーベルの最後のアルバムとなる。新人を大量に世に送り出したモードも結局このアルバムを最後に28枚で終わりになるが、最後は新人といっても、それなりに知名度もあったハリスとギブスのリーダーアルバムとなった。モードももう少し頑張って、新人紹介の次のステップとしてこのような企画のアルバムが続くと面白いアルバムが数多く生まれたようの思う。

1. Apple Honey                   Woody Herman 5:01
2. Everywhere                     Bill Harris 3:36
3. Your Father's Moustache       Bill Harris / Woody Herman 4:04
4. Laur           Johnny Mercer / David Raksin Bill Harris 3:43
5. Woodchopper's Ball          Joe Bishop / Woody Herman 2:53
6. Lemon Drop                  George Wallington 7:41
7. Early Autumn     Ralph Burns / Woody Herman / Johnny Mercer 3:41
8. Blue Flame   Joe Bishop / Leo Corday / James Noble / Jimmy Noble 8:51

Bill Harris (tb)
Terry Gibbs (vib)
Lou Levy (p)
Red Mitchell (b)
Stan Levey (ds)

Produced by Red Clyde
Engineer : Bones Howe
Recorded at Hollywood California September 1957

Ex-Hermanites
クリエーター情報なし
Vsop Records
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ビッグバンドのリーダーだけでなく、ジャムセッションリーダーとして適役と見込まれたのは?

2014-11-17 | CONCORD
Volume 3 Woody Herman Presents A Great American Evening

高齢者というと何歳からか?
以前は60歳、還暦を迎えると年寄りの仲間入りだった。
最近では高齢者というと65歳、60歳はまだまだ元気、定年も延長される世の中では還暦は年寄りの仲間入りにはまだ早すぎる。

65歳になるとやっと高齢者の仲間入り、健康保険証とは別に介護保険の保険証が届く。これが来ると何となく年寄りになった実感が沸く。気のせいか体力的な衰えも感じるが、これから鍛え直すには手遅れだ。

次なる節目は70歳、やはり60代とは違うのだろうが自分がどうなるかは想像できない。しかし、今日会社時代の先輩の集まりがあった。自分以外は全員70代以上だったが、何か異様とも思えるくらい皆揃って元気溌剌だった。このグループが別なのかもしれないが。

そして、次がいよいよ75歳、医療費も別扱いになり後期高齢者となる。ここからが本当の年寄りなのだろう。最近健康寿命という言葉を良く聞く。とりあえずここまで行くのにあと10年、何とかゴルフができる位の健康は維持したいものだ。

ジャズのミュージシャンでも生涯現役でプレーを続ける元気者は多い。ウディーハーマンもその一人だろう。このアルバムが録音されたのが1983年、ハーマンは1913年生まれなので、まさに70歳を迎えようとしていた頃の演奏だ。
単にプレーを続けているというのではなく、リーダーとしてもまだ大活躍をしていた。ハーマンは演奏活動自体が好きだったということもあるが、大きな負債を抱えていてこれを返さなければという事情も、常に演奏活動にオブリゲーションを与えていたようだ。

ハーマンは色々なレーベルに録音を残しているが、晩年の演奏はConcordに残されている。
自らのオーケストラの演奏は、1979年のモンタレー1981年のコンコルドジャズフェスティバルに登場し、そのライブアルバムがある。
その後も日本でのライブがあり、そしてハーマンのラストアルバムは、亡くなる年の1987年の録音となる。まさに生涯現役であったが、ビッグバンド一筋に生きてきたハーマンに相応しく、このラストアルバムもビッグバンド物であった。

コンコルドではこれらのビッグバンドリーダーとは別のハーマンの顔を捉えたアルバムを出している。ハーマンは昔から自分のオーケストラ以外にも色々なアルバムにゲスト出演することが多いが、コンコルドではWoody Herman Presentと銘打ったアルバムを出していた。これが3枚目になる。

これらは、ジャムセッションリーダーとしてのハーマンの才能をアピールしたものだ。
ジャムセッションを上手くやる秘訣はいくつかあるようだが、このハーマンは適役だということでこのシリーズができた。

一作目はコンコルドパビリオンの大きなステージでのライブ2作目はニューヨークのスタジオでの録音であったが、これは4人のテナーを揃えたフォーブラザースの再現でもあった。
そして、今回はサンフランシスコのGreat American Music Hallでのライブ。ここではメンバー達の実にリラックスした親近感を覚えるプレーが聴ける。

いきなり、ハーマンのボーカルとクラリネットが大きくフィーチャーされてスタートする。ハーマンは時々歌を聴かせてくれるが、このアルバムではクラリネット同様登場機会は多い。
ハーマンは盛り上げ役と纏め役としての責務は果たしているようだが、他のメンバーは熱がこもっているものの、お祭り騒ぎになることなく淡々とプレーをしている。コンコルドの常連メンバーにしてみれば、普段の演奏もジャムセッションのような物、ステージに立ったからといって改めて演奏スタイルを変える必要はないのかもしれない。
その中で、北村英治と少し前に口笛でデビューアルバムを出したロンマックロビーはゲスト役でのジャムセッションの舞台、緊張していたかもしれない。北村英治はお得意のアバロンで、マックリビーはウェイブで無事出番を終えた。
纏め役のハーマンの進行も的を得ていたのかもしれないが、クールな優等生が多いコンコルドのメンバーにはあまりノリノリになるリーダー役は不要のようだ。ハーマンの歌と演奏が少し浮いて聴こえてくるが、ステージはハーマン大得意のカルドニアで幕を閉じる。

大きな舞台を上手く纏めるのはやはり場数と年の功。ハーマンの役割が重要だったのだろう。

1. I've Got the World on a String  Harold Arlen / Ted Koehler 6:33
2. I Cover the Waterfront   Johnny Green / Edward Heyman 4:34
3. Leopard-Skin Pill-Box Hat            Bob Dylan 3:48
4. Avalon       Buddy DeSylva / Al Jolson / Vincent Rose 6:04
5. A Beautiful Friendship     Donald Kahn / Stanley Styne 5:17
6. Pennies from Heaven    Johnny Burke / Arthur Johnston 4:23
7. Wave                 Antonio Carlos Jobim 6:18
8. Caldonia                   Fleecie Moore 5:37

Woody Herman (cl,Vol)
Scott Hamilton (ts)
Eiji Kitamura (cl)
George Masso (tb)
Ron McCroby (puccolo)
Jack Sheldon (tp)
Cal Collins (g)
Nat Pierce (p)
Bob Maize (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded live at the Great American Music Hall, San Francisco April 1983

Originally released on Concord CJ-220


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大編成物はバックの分厚いアンサンブルが魅力だが、人数が多ければいいという訳には・・・

2014-11-16 | MY FAVORITE ALBUM
Saxes Inc. / Coleman Hawkins・Zoot Sims・Phil Woods

今日は遠方で朝早いスタートということもあり朝4時起きのゴルフだった。真っ暗な中家を出た時の気温は6度。コースに近づくと外気温は0度。畑は霜で真っ白。11月もまだ半ばというのにすっかり冬景色。半袖からいきなり冬支度でスタートしたが、日が昇ると気温はどんどん上がってあっと言う間に暖かくなる。昼過ぎにはポカポカの気候、数時間で15度以上の気温の変化に体が付いていかない。スコアの方も、つまらないミスで大叩きが続いてあまりの乱打ちにペースがつかめない。仲間内のコンペの年間の勝者を決める最終戦であったが、よもやのブービーメーカー。締まらないラウンドであったが、来年に向けての糧にするため記録に残しておくことした。

さて、アルバム紹介の方はアンサンブル物を一枚。
同じ管楽器のアンサンブル物は、やはりビッグバンドの編成から影響を受けるのか、トロンボーンだとカルテット、サックスだと5本の編成が多い。アレンジャーにとって本数を増やしたらどうなるかという好奇心はあるとは思うが、余程何か意図を持たないとそれを実行することは無いだろう。

一方で、レコード会社やプロデューサーは何か思いつきや目先を変えるために、大人数の編成のアルバムを作ってみたいという誘惑にかられることはあるだろう。昔、100フィンガーズというタイトルでピアニストを10人集めた企画があった。ただ単に数が多ければいいだろうという企画はたいした結果が出ないのが常だが、聴き手にしてみれば出来はともかく果たしてどんな音が出るのか一度は聴いてみたいという興味が沸くのも事実だ。

このアルバムも、そもそもそんな企画だったのでは?アルバムジャケットを見ると、ホーキンス、シムス、それにウッズのサックスバトルのアルバムの様相でサックス好きの興味を惹くが、実はこのアルバムはサックスを12人集めたとんでもないアルバムだ。
無名プレーヤーばかりならまだしも、それなりに有名なプレーヤーが一同に会して演奏するとなるとメンバーのスケジュール調整だけでも大変だったと思う。

このような経緯で出来上がったアルバムだが、ソプラノサックスからバスサックスまで12名が勢揃いというのは圧巻だ。当時の有名グループ、テナーのアル&ズート、アルトのウッズ&クイルの両方が加わっているのも素晴らしい。それにコールマンホーキンズにジョージオールドの両ベテランも参加している。

この大所帯のアレンジを任されたのは、アレンジャーのボブプリンス。流石にメンバーを確定させるのも大変だったのだろう、プリンスはメンバーが決まってからアレンジを行ったそうだ。確かにジャズの場合、メンバーによって選曲やアレンジも異なってくる。このアルバムでもハーマンの名曲アーリーオータムやフォーブラザースが選ばれたのも、アルコーン、ズートシムスの参加があったからだろう。

流石に14人も集まると壮観だ。日によってメンバーの入れ替えはあるが参加メンバー全員がソロを披露するのも一苦労。一曲目のFugue for Tinhornsでは全員がソロを回すが、4小節ずつを順番に廻すという苦肉の策。他は曲毎にメインのソリストを決めてそれに合うバックのアンサンブルを付けるという構成だ。バックのアンサンブルが12人もいると、アレンジでも普段の5サックスとは違った仕掛けがいろいろできる。分厚いハーモニーだけでなく、各楽器の音色と音域を生かしたフレーズが随所に聴けるのだが。普通はサックスセクションとホーンセクションで分担するのを両方サックスでやっているようで不思議な感じだ。普段聴けないサウンドを楽しめるという点では企画賞ものだが。ソロはともかく、バックのアレンジに関して珍しさはあるがピンと来ない。自分はサックス好きなのだが。アンサンブルも人数が多ければいいというのものでは無さそうだ。



1. Fugue for Tinhorns     2:09
2. Broadway          3:36
3. The Gypsy          3:03
4. A Night in Tunisia       4:35
5. Four Brothers         4:20
6. Sometimes I'm Happy     2:56
7. Tickle Toe           2:25
8. Sweet and Lovely       3:28
9. Jumpin' with Symphony Sid  3:15
10. Early Autumn       3;25
11. Axmobile          2:11


Coleman Hawkins (ts)
Al Cohn (ts)
Zoot Sims (ts)
George Auld (ts)
Shekdon Powell (ts)
Morty Lewis (ts)
Herb Geller (as)
Phil Woods (as)
Gene Quill (as)
Hal Mckusick (ss)
Sol Schlinger (bs)
Gene Allen (bs)
Al Epstein (bs)
Shelly Cold (bass s)
Dick Katz (p)
George Duvivier (b)
Osie Johnson (ds)

Arranged & Conducted by Bob Prince
Recorded July and August 1959 in New York


サックシーズ・インク
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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ブルーノートの売却騒ぎの中で作られたアルバムであったが・・・

2014-11-14 | PEPPER ADAMS
Boss Horn / Blue Mitchell


秋の旅行シーズン、久々に遠出をして晩秋の山陰路へ。大山から松江、出雲、そして世界遺産石見銀山へ。丁度紅葉シーズンという事で人出は多いということであったが、都会暮らしの常識からすると混雑には程遠いレベル。紅葉、温泉、グルメとのんびりした旅を楽しめた。

石見銀山ではガイドについてゆっくり回ったが、この山奥に最盛期は20万人が住む町があったとは今の街の姿からは信じられない。坑道へ向かう散策路もただ歩くだけだと単なる森林浴になってしまう。鬱蒼と続く杉林から、かっては川沿に軒を連ねた昔の街の姿をイメージするには、ここではガイド付きの山歩きがお勧めかもしれない。そして、今人口が400人足らずになったこの街を支える企業、中村ブレイス。地方創成のヒントはこのような企業かもしれない。

さて、サドメルのメンバーとしてジョーウィリアムのアルバム録音に参加したペッパーアダムスは、その年1966年の11月はもっぱらサドジョーンズと一緒に行動していた。サドメルオーケストラはその年のニューポートにも出演し、アルバムが出たこともあり確実に人気が上昇、本拠地のヴィレッジバンガードでは11月1日からは定例の月曜日以外にも一週間続けて出演する別途プログラムが組まれた。そして、月末から12月に掛けては久々にサドジョーンズとのクインテットで同じヴァンガードのステージに立っていた。

このように忙しく過ごしていた11月であったが、その合間を縫って17日に再びデュークピアソンからレコーディングの誘いがあった。今度は、トランペットのブルーミッチェルのリーダーアルバム。バックは前回のスタンレータレンタイン同様、デュークピアソンがアレンジを担当した大型のコンボ。今回もアダムスをはじめとして第一線のソリストが揃っていたが、彼らにバックアンサンブルを担当させる贅沢なセッションであった。

サイドワインダーがバカ売れした後、2匹目のどじょうを狙ったブルーノートのアルバムの作り方の話を知ると、一曲目のイメージは大体想像がつく。このアルバムも御多分に漏れずロック調のブルース”Millie”で始まる。

ブルーミッチェルのリーダーアルバムというと、自分自身はあまり多くは聴いていない。何でも器用にこなすようで色々なセッションに参加しているが、生涯を通してみるとあまり大きくスタイルを変えないメインストリーマーだったように思う。
スタジオワークを中心にやっていた時はR&Bなどもやっていたが、70年代の後半にはコンコルドのアルバムにも登場、ハロルドランドとのコンビの演奏の他、サイドメンやビッグバンドの一員としても良く顔を出していた。Concordでのプレーはハードバップの再演でメインストリーマーの本領発揮であった。

規定課題のような曲で始まるこのアルバムも、2曲目に入るとラテンタッチのカーニバルのバックに似合いそうな曲、そしてスタンダードのアイシュッドケアをミディアムテンポで。ミッチェルがメロディーを綺麗に吹き始めるとバックのアンサンブルはピアソンのビッグバンドのような軽快なサウンドでオーソドックスなアレンジを聴かせてくれる。サドメルでアダムスと椅子を並べていたジェリーダジオンのソロも聴き所だ。

もう一曲、ソウルフルな8ビートの曲に続いて、このアルバムのもう一つの目玉はチックコリアが2曲参加していること。コリアのオリジナルのTone’s For Joan’s Bones。ジェリーダジオンのフルートのイントロに続き、ミッチェルのトランぺット、そしてコリアのソロへと続く。コリア自身はロマンチックなサウンドになることを望まなかったというが、ピアソンのアレンジを含めコリアらしい雰囲気が前面に漂う。ピアソンはこの曲が気に入ったのか、後に自己のビッグバンドでも演奏している。
次は一転アップテンポになるが、これもコリア色が強い。ペッパーアダムスはこの曲の最後でソロで登場するが、ファンキー色が薄いこのようなモーダルな曲でもこの当時からさりげなくこなしている。



アルバム一枚を聴き終えると、良くいえばバラエティーに富んでいるし、悪く言うとまとまりのないルバムだ。ブルーミッチェルが起用に何でもこなしているが、デュークピアソンは何となく社命でやっていることと、自分のやりたいことが混在している。そしてコリアのような新しい息吹を吹き込まれるとまた新たなイメージが沸くといった感じだ。アルフレッドライオンがまだ健在であった混迷期のブルーノートを象徴するようなアルバムだ。

アダムスにとっては一サイドメンに徹しての参加であった。そして12月もサドジョーンズと行動を共にした後、暮れには久々にトロントへ出掛けて1967年の新年を迎えることになる。

1. Millie        Duke Pearson 6:15
2. O Mama Enit      Blue Mitchell 5:34
3. I Should Care     Sammy Cahn/ Axel Stordarl/Paul Weston 7:31
4. Rigor Mortez Dave   Dave Burns 6:21
5. Tones For Joan's Bones Chick Corea 6:37
6. Straight Up And Down  Chick Corea 6:36

Blue Mitchell (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Junior Cook (ts)
Pepper Adams (bs)
Cedar Walton (p -1/4)
Chick Corea (p -5,6)
Gene Taylor (b)
Mickey Roker (ds)
Duke Pearson (arr)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, November 17, 1966

Boss Horn
Blue Mitchell
Blue Note Records
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ニューポートでの再会を機に、すぐにレコーディングとはなったものの・・・

2014-11-05 | PEPPER ADAMS

Presenting Joe Williams and the Thad Jones / Mel Lewis Jazz Orchestra / Joe Williams



ペッパーアダムスは9月22日のスタンレータレンタインのアルバムの録音の後、9月30日にはこのアルバムにも参加している。アダムスの出番はCome Sundayで少しだけだが、さて、どういう経緯でこのアルバムが生まれたかというと・・・。

1966年に誕生したサドジョーンズ・メルルイスオーケストラは、毎週月曜日にヴィレッジバンガードに出演を続け、あっと言う間に世の中に知れ渡ることになる。そして、トントン拍子にその年のニューポートジャズフェスティバルへの出演も決まり、7月2日の夜の部のトリを務める。



当時のプログラムを見ると、メルルイス・サドジョーンズオーケストラとなっており、ボブブルックマイヤーとハンクジョーンズが共演となっている。当時のメンバーの知名度の一端を表しているようだ。そしてそこに、共演ジョーウィリアムの記述も。
蛇足ながらゲッツにアル&ズート、そしてジェリーマリガンの加わったハーマンオーケストラにも惹かれる。

さらに、記録を見ると、その時演奏された曲は、
The Second Race
Willow Weep for Me
The Little Pixie
Big Dipper
に続いて
Come Sunday
Jump for Joy
Roll ‘em Pete
と続く。

この3曲でジョーウィリアムの登場となった。

サドジョーンズとジョーウィリアムは長年カウントベイシーオーケストラで一緒にプレーした間柄、それも50年代後半の全盛期アトミックベイシー時代を一緒に過ごした旧知の仲である。出演が決まったサドジョーンズがジョーウィリアムスリアムスに声を掛けたのか、主催者のジョージウェインが2人のマッチメイクをしたのかは定かではないが、久々のビッグバンでの共演であった。

5月にサドメル初のスタジオ録音を終えてニューポートの舞台に臨んだが、このニューポートの共演で2人は早速レコーディングを思いついたのだろう。早々に9月30日にこのレコーディングは行われた。

このアルバムは、以前紹介したこともあるが、サドメルのアルバムの一枚という位置づけでもあるが主役はジョーウィリアムス。ウィリアムスにとってもベストアルバムの一枚になるのではないかと思う。ジョーウィリアムスがベイシーオーケストラに入った時から、自分をブルース歌手とは規定することは無く、スタンダードやバラードもレパートリーに加えていた。ここでも全編ブルース色が強いが、あくまでもジャズ歌手というジョーウィリアムスの良さを引き出している。もちろんそれはサドジョーンズのアレンジの秀逸さによるものだ。

当時メンバーの一員であったエディダニエルスは後に当時を振り返って、「月曜日は夜中の3時近くまでヴァンガードで演奏をした後で、そのままスタジオ入りして一日仕事が続き、翌朝になってしまうのは日常茶飯事。時には更にもう一晩続いて次の日の夜が明けることもあった。この録音もそんなセッションのひとつであったと。」
「さらに、何せジョーンズがこのアレンジを始めたのはヴァンガードの仕事が終わってから、写譜屋さんを従え突貫作業で仕上げていった。ジョーンズはこのようにプレッシャーを受ける中での仕事を好んでいたようだ。」と。

事実、サドジョーンズはペッパーアダムスの送別アルバムでもあったモニカジタールンドのアルバムのアレンジを移動中のバスの中で行ったという。典型的なギリギリにならないと仕事をやらないタイプだったのだろう。



記録によるとこのアルバムのレコーディングは9月30日に行われたとある。この日は金曜日、最後の曲Woman's Got Soulのセッションを録り終ったのは土曜日の朝、この後皆でコントロールルームで聴き合ったともライナーノーツに書かれている。
ダニエルスの記憶のようにこのセッションが月曜日の夜から延々続いたということは流石にないとは思うが、アレンジが出来上がった所から片っ端からリハーサルもそこそこで12曲一気にレコーディングが行われたというのは事実であろう。

その事実を知ると、余計にこのアルバムのジョーンズのアレンジとウィリアムのコンビネーションを素晴らしく感じる。アレンジは明らかにベイシーオーケストラのバックとは異なり、ソプラノリードのサックスなどサドメルの味がする。
さらに、ダニエルスもそれを「CAMEO」とコメントしているが、バックのメンバー達が入れ替わり立ち代わり歌とアンサンブルの合間に綺麗な装飾のように輝く短いソロやオブリガードを散りばめられているのが素晴らしい。また、後にサドメルではレギュラー構成から外されたフレディーグリーンライクのサムハーマンのギターもここでは効果的だ。このアルバムからピアノはハンクジョーンズからロランドハナに替わっているが、そのハナのピアノもソウルフルにツボを得たバッキングだ。



ジョーウィリアムはベイシー時代、新しい曲をやりたいと思うと、アーニーウィルキンスやフランクフォスターにアレンジを頼んだそうだ。ベイシーオーケストラ時代、サドジョーンズのアレンジはダメ出しされる事が多かった。ウィリアムスも頼み辛かったのかもしれないが、ここでは、サドジョーンズのお蔭で新境地を開いているような気がする。



1. Get Out of My Life Woman" (Toussaint) -- 3:21
2. Woman's Got Soul (Mayfield) -- 2:22
3. Nobody Knows the Way I Feel This Morning  (Delaney, Delaney) -- 4:30
4. Gee Baby, Ain't I Good to You  (Razaf, Redman) -- 2:52
5. How Sweet It Is (To Be Loved by You)  (Dozier, Holland, Holland) -- 2:32
6. Keep Your Hand on Your Heart  (Broonzy) -- 3:37
7. Evil Man Blues (Feather, Hampton) -- 3:26
8. Come Sunday (Ellington) -- 3:16
9. Smack Dab in the Middle  (Calhoun) -- 3:29
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  (Ellington, Mills) -- 3:04
11. Hallelujah I Love Her So  (Charles) -- 3:01
12. Night Time Is the Right Time (to Be With the One You Love)" (Sykes) -- 5:13

Joe Williams -- vocals
Thad Jones -- flugelhorn
Mel Lewis -- drums
Richard Williams -- trumpet
Bill Berry -- trumpet
Jimmy Nottingham -- trumpet
Snooky Young -- trumpet
Bob Brookmeyer -- trombone
Garnett Brown -- trombone
Tom McIntosh -- trombone
Cliff Heather -- trombone
Jerome Richardson -- saxophone
Jerry Dodgion -- saxophone
Joe Farrell -- saxophone
Eddie Daniels -- saxophone
Pepper Adams -- saxophone
Richard Davis -- bass
Roland Hanna -- piano
Sam Herman – guitar

Produced by Sonny Lester
Recording Engineer : Phil Ramone
Recorded on 1966 September 30, at A&R Studio New York City




Presenting Joe Williams & Thad Jones/Mel Lewis
Joe Williams
Blue Note Records
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あれだけとるのに苦労したグラミーだが、一度とると2度目は・・・

2014-11-03 | CONCORD

Top Drawer / George Shearing - Mel Tormé


音楽界で有名な賞にグラミー賞がある。第一回が1959年に行われ前年1958年の音楽業界での功績を称えた表彰が行われた。第一回の受賞作はというと。最優秀アルバム賞がヘンリーマンシーニのピーターガン、そして最優秀レコード賞がドメニコ・モデゥーニョのボラーレ。モデゥーニョという名前は忘れていたが、ボラーレはよく覚えている。この曲はレコード賞だけでなく楽曲賞も受賞する。当時の大ヒット作であったのだろう。これに新人賞を加えた4部門がジャンルを超えたその年もっとも優秀な曲であり、アルバムということになる。

1965年にはゲッツ/ジルベルトがアルバム賞、イパネマの娘がレコード賞とダブル受賞したのも有名な出来事であった。それまでジャズアルバムが受賞したことは無かった。もっとも、このゲッツのボサノバがジャズかというと、それにも異論が多かったが。

このグラミー賞には他にも細かいカテゴリー別の最優秀もあるが、そのカテゴリー数は2012年の再編で109から78に整理された。主な変更点は、ロック、ラップ、リズムアンドブルースなどの男女の区分などが無くなったこと、他にもアメリカのルーツ音楽(ハワイアンやケイジャンなど細かく分かれていたが各ジャンルの演奏者が少なくなりアメリカンミュージック一つに統合された。他にも色々細かく規定されているが、それにしてもジャンルが78もあるとは驚きだ。ジャンルの変更がそれぞれの時代でのまさにそのジャンルの栄枯盛衰を現しているのだろう。ジャズはまだ生き残っているようだ。

ジャズボーカルの世界は、1980年まではジャズの中のサブカテゴリーとしてBest Jazz Vocal Performanceとして男女一緒だった。翌1981年からはこれがmaleとfemaleに分かれる。この男女別に分かれた男の第一回受賞者はジョージベンソンの“Moody’s Mood”。一方の女性の方はエラやサラがまだ活躍していた時。男が別のカテゴリーになっても大物の男性ジャズボーカルは誰というと??が付く時代であった。
ジョージベンソンは、そもそもThis Masqueradeで1976年に最優秀レコード賞をとっており、サブカテゴリーはそれ以降も色々受賞していた。POP歌手だったのがこれでジャズボーカリストの仲間入りができたといった感じだ。

そして1983年2月23日に、82年度のグラミー賞の授賞式が行われた。5枚ノミネートされたアルバムから選ばれたのは、メルトーメの” An Evening with George Shearing & Mel Tormé”であった。

メルトーメにとってもグラミー賞は初の受賞であったし、コンコルドのアルバムがグラミーをとったのも初めてだった。オーナーのカールジェファーソンもご満悦だったに違いない。トーメのような実力者が初受賞というのも不思議だが、グラミー賞の位置づけが何となく商業主義の延長上に感じる中で、このような地味なアルバムが選ばれたというのも快挙であったと思う。

この受賞の報を聴いた2人は早速翌月には新たなレコーディングを行う。
受賞作を意識したのだろう、同じように2人にベースだけを加えたトリオ編成だが、今後はライブでは無くスタジオ録音となった。ベースはブライアントーフから、ドントンプソンに替わったが3人の呼吸は変ることは無かった。
トーメが抜けたシアリングのデュオの2曲を含めて3人の入魂のプレーが続く。2人がトーメのバックを務めるというのではなく、3人の表現力がこれほど対等に上手く噛み合うボーカルアルバムというのもあまりない。ライブではなくスタジオ録音ということもあるのだろう、3人の集中力は完全に内に向かっている。

一曲目は指を鳴らしながらスインギーに始まる。ドラムレスなのでシアリングのリズミカルなピアノが不思議なテンポを生んでいる。反対にスターダストをはじめとする誤魔化しの通じないバラード物も秀逸。9曲すべてがすべてひとつずつ作品という感じだ。捨て曲、おまけといった感じの曲は一曲もない。
此の頃のコンコルドのアナログ盤のアコースティックサウンドが実にいい音を出しているのも特筆ものだ。フュージョン系の作られた綺麗な音に慣れた耳には、当時このアコースティックサウンドは50年~60年代の耳慣れたルディーバンゲルダーなどの音とは全く別物で新鮮であった。

グラミーを受賞した勢いだろう、ジェファーソンはこのアルバムのタイトルを「Top Drawer(最上級)」とするアイディアを出した。
そして、一年後、このアルバムが翌年再びグラミーを受賞するとは、その時録音に参加していた当事者達の誰もが思いもしなかったと思う。しかし、出来上がったアルバムは受賞記念の2番煎じアルバムでは無く、まさに最高位のクラスに属する面々がトーメの最上の歌を再び引き出したレコーディングであったということだろう。

プロゴルファーでも一度も優勝経験がない実力者が一度優勝を経験すると後は吹っ切れて優勝を重ねることがある。そして優勝の陰にはキャディーの貢献がある。この2度の受賞にはジョージシアリングの存在が大きかったに違いない。このメルトーメも2度のグラミー受賞をきっかけとして、晩年の大活躍のスタートが切れたように思う。
  
1. A Shine on Your Shoes        Howard Dietz / Arthur Schwartz 3:06
2. How Do You Say    Auf Wiedersehen? Johnny Mercer / Tony Scibetta 5:45
3. Oleo                         Sonny Rollins 4:15
4. Stardust     Hoagy Carmichael / Mitchell Parish George Shearing 5:45
5. Hi-Fly                         Randy Weston 3:24
6. Smoke Gets in Your Eyes          Otto Harbach / Jerome Kern 6:02
7. What's This?                      Dave Lambert 3:13
8. Away in a Manger                    Traditional 3:51
9. Here's to My Lady            Rube Bloom / Johnny Mercer 3:20 

Mel Torme (vol)
George Shearing (p)
Don Thompson (b)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Pill Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, March 1983
Originally released on Concord CJ-219

Top Drawer
Mel Torme & George Shearing
Concord Records
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テナーの魅力はアンサンブルやソロのバトルだけではない・・

2014-11-02 | MY FAVORITE ALBUM
Tenor Legacy / Benny Golson Tenor Summit

昔ジャズ喫茶通いをして、ラジオでジャズ番組を漁るように聴いていた時は、特に聴きたくないアルバムも自然と耳に入ってきた。スイングジャーナルを眺めながらどんなアルバムが出ているかも知ることができた。
少ない小遣いをやり繰りして買ったアルバムは自分として厳選したものだけ。それなりの思い出と思い入れがあったものばかりだ。有名アルバムもあるが、多くは拘りのマイナーな物が多かった。

社会人になり懐具合も良くなり自由にアルバムを買えるようになると、反対に調べもせず衝動買でアルバムを買う事も増えた。ネットが無い時代だったので、バーゲンでのジャケ買だ。その結果は、愛聴盤になったものもあるが、思惑が外れて一回聴いたきりのアルバムもある。最近棚卸をしている中で、それらの中に新たな発見をすることもあるので捨てないで良かったと思う事もある昨今である。

レコード棚を改めて眺めると別に好きで集めた訳ではないのだが、枚数が多いミュージシャンが何人かいる。結果的には好みのミュージシャンだということになるが、その中の一人にベニーゴルソンがいる。

サックスのプレーだけでなく、ゴルソンの曲が好だしアレンジ物にも興味があるので自然に増えたのかもしれない。そしてゴルソンというのは自らが主役になるより誰か主役の脇役に居ることが多いのに気が付いた。結果的にゴルソンが入っていたということが、枚数が増えたことになる。

ディジーガレスピーがオーケストラを解散させた時、一緒にプレーしていた18歳のリーモーガンをアートブレーキーに紹介したのはゴルソンであった。紹介するだけでなく、メッセンジャーズではモーガンと一緒にプレーし、自ら提供したブルースマーチやアロングケイムベティーといった曲もヒットさせた。ゴルソンの名曲アイリメンバークリフォードを最初に吹かせたのもリーモーガンであった。サイドワインダーをヒットさせる前、モーガンを一流に仕立てたのはゴルソンであったといってもいいだろう。
人と人との出会いを作り、自分もそれに参加し、皆で一緒にいいものを作る。チームプレーにおいて理想的なリーダーシップを発揮するミュージシャンだと思う。

ゴルソンが昨年来日した時に、ステージ上で昔話を延々語っていたが、穏和な語り口と遥か昔のクリフォードブラウンとの思い出話を昨日の事のように語る様はまさに、生きている「伝説の人」であった。

このゴルソンが音頭取りをしたテナーバトルのアルバムがある。

アルバムのタイトルが「テナー伝説」。
4人のテナー奏者が集まって、伝説のテナープレーヤーに捧げたアルバムだがメンバーの人選が実にユニークだ。同年代の有名プレーヤーを集めるような企画はすぐにでも思いつくが、実際に集まった4人はユニークな組み合わせとなった。

ベテラン代表でエリントンオーケストラ出身のハロルドアシュビー、これも渋い人選だ。
若手、中堅代表がブランフォードマルサリスとジエイムスカーター。カーターはまだ30歳になったばかり、デビュー間もない頃であった。96年の録音だが、この時ゴルソンはすでに67歳。親子どころか孫に近い世代のとの共演であった。

先日のアーニーワッツのアルバムが徹底的にバトル物であったのに対して、ここでは曲毎に適材適所。基本的にゴルソンは全曲に登場するホスト役だが、一人で吹ききっている曲もあれば、相手を変えながら2人、3人で吹き分けている曲もある。プレーヤー間でのバトルではなく、どの曲も現役が束になって過去の巨匠の名演に対してバトルを挑んでいるという構成だ。

曲はテナーの巨匠達の名演で有名な曲が続く。レスターリープスインがレスターヤング、ボディアンドソウルがホーキンス、セントトーマスがロリンズ、ゲッツの持ち曲はイマネマと新旧取り混ぜての名曲集だ。
ゴルソン自らに捧げたウィスパーノッツもある。ここでは、ジェイムスカーターとの共演だが、カーターにメロディーラインを任せて自らは引き立て役になっている。



ライナーノーツにゴルソン自身のコメントが載っている。
「昔は、ベテランが若手にレコーディングのチャンスを与えた。今の時代は若手が自らその機会を掴みとる時代になった。しかし、ベテラン達が若手の刺激を受けプレーをするのは自分達にとっても嬉しいものだ。」

長老になっても奢ることなく、若手を思いやっている気持ちが良く出ている。それに応えて若手も長老を敬いつつ、迎合することなく自分達を自己主張している。もちろん演奏自体も若手が入った事によって、単に懐メロセッションにならずに緊張感が生まれている良いセッションだと思う。

今の時代、日本の社会においても必要な事はこのような事だと思う。歳をとってもゴルソンのような心遣いと、気働きができるようになりたいものだ。

1. Lester Leaps In  (for Lester Young)
2. Body And Soul  (for Coleman Hawkins)
3. St. Thomas  (for Sonny Rollins)
4. Cry Me A River  (for Dexter Gordon)
5. My Favorite Things  (for John Coltrane)
6. Whisper Not  (for Benny Golson)
7. The Girl From Ipanema  (for Stan Getz)
8. My Old Flame  (for Zoot Sims)
9. Lover Come Back To Me  (for Ben Webster)
10. In Memory Of  (for Don Byas)

Benny Golson (ts)
Branford Marsalis (ts)
James Carter (ts)
Harold Ashby (ts)
Geoffrey Keezer (p)
Dwayne Burno (b)
Joe Farnsworth (ds)

All arranged by Benny Golson
Produced by Makoto Kimata
Recording Engineer : Katsu Naito
Recorded at Sound on Sound in New York City, on January 29 & 30, 1996, New York.


テナー伝説~テナー・ジャイアンツに捧ぐ
Benny Golson
ビデオアーツ・ミュージック
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想定外の大ヒットはその後の人生の進路を狂わせることも・・・

2014-11-01 | MY FAVORITE ALBUM
The Sidewinder / Lee Morgan

リーモーガンのサイドワインダーの話が出たので、久々にこのアルバムをじっくり味わう事にした。この手の超有名アルバムは何かきっかけがないと、聴き返すことも少なくなりがちなので。

この”Sidewinder”は、昔のジャズファンなら知らない人はいないと思う。好き嫌いは別にして、耳にタコができるくらい聴いた事があるアルバムの一枚だろう。
しかし、アメリカでの人気はそれを上回る想像を絶するものであり、この大ヒットが一人のその後の人生を大きく狂わせる結果になってしまった。この辺りの経緯は、リチャードクックの書いたブルーノートレコードを始めとして多くの記事に書かれているが、改めてリマインドしておくことにしよう。

63年の12月に録音されたこのアルバム、翌64年になるとじわじわ人気が出始め、ビルボードのアルバムの25位にまでランキングされるまでに。もちろんこれはジャズ以外のジャンルを含めてなので、ジャズアルバムとしては空前のヒットとなった。
タイトル曲のサイドワインダーは、シングルカットされ(といっても10分の長尺なので、A面とB面に分かれて)、全米中のジュークボックスに入れられ、それまでのジャズファン以外にも知れ渡り人気に拍車をかけた。

ヒット曲を出し続けているレーベルであればこれは万々歳の出来事で対処の仕方もわきまえていたのだが、何せこのアルバムを出したのはマニアックな拘りのジャズアルバムだけを出していたブルーノートなので大混乱を招くことになった。

当時ブルーノートは普通のアルバムの初版は大体4~5000枚。販売ルートも大体決まっていて、街の小さな普通のレコード店には行き渡る事はなかったという。売れるかどうか分からないアルバムも多く、返品を受け付けていたので、実売数は発売後しばらくしないと分からないという状況での運営状態であった。その売上から次の作品を作るというのが創設以来のビジネスパターンであり、日々のルーティンワークであったのだが。

他の業種でも、個人の店で昔ながらの商品を固定客相手に細々と営業していたのが、何かの拍子でブレークすると商売そのものが大きく影響を受けることはよくある。人気に乗じて多店舗展開をして成功することもあれば失敗することも。あるいは伝統の商品以外に新商品を出してさらにブレークすることもあれば、反対に伝統の味を失い失敗することも。
大体は、伝統を守ってきたオーナーの目の届く範囲でやれば上手くいくことが多いが、それを超えると、そもそもの人気を支えた「その店の伝統」はどこかに消え去ってしまうものだ。

ブルーノートのオーナー、アルフレッドライオンがまず直面したのはアルバムの増産。これは再プレスすれば対応可能であったが、次は販売ルート。ヒットが先行したので今まで扱いの無かったレコード店からどんどんオーダーが来るのでそれは幸いしたが、一つ目算が狂ったのはそれらの店から入金が無かったこと。当時の商習慣としてこのような店は次に売るアルバムができた時に、前のアルバムの代金支払いを行うというルールだったそうだ。
当然のように、版元のブルーノートは資金繰りに行き詰る。さらにはサイドワインダーに続く売れるアルバムを作らなければならないという2重のプレッシャーをライオンが背負う事になる。

アルバム作りは、日々行われているレコーディングで対応すれば良かったが、資金繰りだけは如何ともし難い。しかし、サイドワインダーのヒットに続く大ヒットというとホレスシルバーのソングフォーマイファーザーであり約1年後であった。
メジャーのリバティーレコードへのブルーノートの売却という結末への第一歩はこの資金援助から始まった。最初は資金的な援助だけが目的で、アルバム制作はそれまで通りライオンの自由に任されていたようだ。

ヒット作のサイドワインダーとソングフォーマイファーザーには共通点がある。従来のフォービートとは異なったリズム感だ。ハービーハンコックのウォーターメロンマンやラムゼイルイスのジインクラウドにも通じる、どこまでも続くような特徴ある繰り返しのリズムパターンが受入れられたのだろう。

ライオンは、このような曲を意識しつつも、セシルテイラーやオーネットコールマンのアルバムも作り続けた。ところが、もうひとつライオンは大きな重荷を背負う事になる。
大手企業の傘下に入ったことによる社内手続きの煩雑さだ。それまでは自分の思うように何でも決められたのに、よくいわれる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」、そして社内の決裁手続きを求められたことだ。そして、売るためには広告もしなければならない。今までやったことのなかったラジオCMも作らされたという。
そして、1年後の1967年にこのプレッシャーに耐えられずブルーノートを去り完全引退することになる。
リバティーへの売却金額は後にボブワインストックがプレスティッジをファンタジーに売却した100万ドル以上に較べると非常に少額であったといわれている。結果的にリバティーは目先の資金援助を餌に、アルフレッドライオンが残した膨大な過去のコンテンツを安価に手に入れた訳だ。既存のアルバムに加え、後にカスクーナが発掘した未発表曲や、海外への販売権、長年かけて築かれたブランド価値を掛け合わせると、現在との貨幣価値の違いを考慮してもとんでもなく安い買い物をしたことになる。

このサイドワインダーのアルバムを再度聴き直すと、このサイドワインダーだけが異色だ。
リーモーガンがしばらく一線を離れフィラデルフィアに戻っていた後の復帰作、すべてモーガンのオリジナル曲、そしてメンバーも一新しジョーヘンダーソンとの初顔合わせと聴き所が多いアルバムだ。他の曲もブルース調が多いがジャズロック風のリズムを採り入れている訳でもない。なのに、何故サイドワインダーだけがヒットしてしまったのか。

きっと時代が求めていた曲であり偶然ではなく必然であったと思う。しかし、結果的に大プロデューサーが引退しなければならない引導を渡してしまったので、罪作りなヒット曲であったともいえる。
そしてリーモーガンもこれを機に再びスターの座を奪還するが、若くしてこの世を去ることになる。
日々順風満帆に思えても、人生明日は何が起こるか分からない、否分からないのが人生というものだろう。


1. The Sidewinder    10:21
2. Totem Pole      10:11
3. Gary's Notebook    6:10
4. Boy, What a Night   7:34
5. Hocus Pocus      6:25

Lee Morgan (tp)
Joe Henderson (ts)
Barry Harris (p)
Bob Cranshaw (b)
Billy Higgins (ds)

Produced by Alfred Lion
Rudy Van Gelder : Engineer
Recorde at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 21, 1963


ザ・サイドワインダー
リー・モーガン,ジョー・ヘンダーソン,バリー・ハリス,ボブ・クランショウ,ビリー・ヒギンズ
ユニバーサル ミュージック
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