A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

電車も高速も止まる強風の中で良くプレーできたものだ・・・

2012-03-31 | SHOT OF THE DAY
雨のゴルフも大変だが、強い風の日のゴルフはゴルフにならない。そんな経験をたっぷりした一日であった。
前日の天気予報から、風速20メートル台風並みの荒れ模様。時には雷を伴った強い雨。聞いただけでやる気が失せる予報であったが、果たしてこれでゴルフになるかどうか心配だったが・・?

朝から予報どおり風が強い。ピンポイント予報を確認すると現地の雨は昼過ぎから。早めにラウンドを終えたいものだと思いつつ家を出る。向かったのは太平洋クラブの成田コース。改造してから多少は易しくなったものの、選りによってこの様な天気の時にこんな難しいコースとは。

スタートホールに立つと、左から右への強い風。「右のワンペナゾーンが怖いのでいきなり狙いは左のラフ方向」と研修生のキャディーが一言。さらに、「この風は全英オープン並みですね」と。これだけ強い風は年に一度経験するかしないか。たまにはいいだろう。
風が巻いているのかあまり流されることもボールは無く左のラフへ。そこからの第2打。今度は風に乗ってグリーン右サイドへ。距離感どころか狙いどころも定まらない。

何ホールかやると不思議とこの強い風にも慣れてくる。慎重になるのか、かえって諦めなのかショットはそれほどぶれない。距離感が合わないのは最初から気にしていないのでミスショットも気にならない。途中からはボギーペースが続いてスコア的にもいつもと変らない。

午後のスタートの時には風は一段と強まる。雲も一段と低くなり上空の飛行の姿も見えない。相変わらず思ったほどの大叩きもせずにボギーペースで廻れている。17番の長めのミドルホール。3打目がグリーン手前に乗る。風でパットの距離感が狂いだしていたのでちょっといやな感じがした。林に囲まれたグリーンは風に飛ばされた小枝や葉っぱでラインのゴミをどかすだけでも大変。スタンスに入ろうとするとボールが風で動き出す。集中もできずに打ったパットは大オーバー。せっかくこの風の中で無意識の内に集中できていのだが、このホールで4パット。

最後の18番のロング。アゲンストの風の中、1打、2打ともいい当たりだったが、3打目はまだ140Y残る。最後はきちんと締めようと思って2番手大きめにして6番で低めの球を打つ。これがアゲンスト向きに実に上手く打ててナイスオンはしたのだが、またもや長いパットが残る。奥からのパットはフォローの風と下りのラインに乗ってまたもや大オーバー。結局このホールも4パット。

この強い風の中でのプレーもショットは何故か慣れたがパットは難しい。しかし、これで普段の風程度では怖いのも無しかも。帰り支度を整えてコースを出る時には予報どおり豪雨。雨に降られなかっただけでも良かった。
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場所やメンバーが代わっても、ベルソンのオーケストラのスインギーな演奏は変らず・・・

2012-03-30 | CONCORD
London Scene / Louie Bellson Big Band

バディーリッチと並ぶビッグバンドドラマーといえばやはりルイベルソン。エリントンオーケストラのスキンディープで有名だが、派手なドラミングだけでなく繊細なドラミングも得意としている。そして、リッチ同様4ビートだけでなく8ビートにも積極的に取り組んだ。違いといえば作曲もやること。このアルバムでもベルソン自らの曲が5曲収められている。

ベルソンのオーケストラはロスを拠点にしているが、時にはツアーやライブに遠征することもあった。このアルバムはイギリスに遠征した時の現地での録音。
編成当初は、ビルベイリー、コンテカンドリ、フランロソリーノ、ドンメンザ、ナットピアースなど西海岸の有名プレーヤーの面々が多く参加していた。今回のメンバーの中で生き残りはバディーリッチやTOSHIKOのオーケストラにもいたトランペットのボビーシュー位だ。後はウェストコーストの新たなメンバーに代わっている。
ビートルズを生んだイギリスであるが、ことジャズに関しては保守的な国と聞くが、このベルソンの新しい流れを組み込んだオーケストラを受け入れる素地は十分だったのだろう、前年に引き続いての訪英であった。

収められている曲は、自身の曲以外もオリジナルが多い。ベイシーライクな曲で始まるが、ブラシュワークがベイシーのキュートにも似ている”Brush me off” はいつものダイナミックなベルソンの違った側面を聴ける、リズミカルで曲名どおり体が動き出しそうな ”The music makes you move”、ボビーシューのフリュゲルホーンをフューチャーしたシューの自作曲”Blue”もシットリした感じでなかなかいい。そして、最後の”Night flight”はメイナードファーガソーンのビッグバンドに対抗できるノリの曲まで色とりどり。
自作曲が多いとはいえ、「難解な事は無し、スイングすることを心がけている」のが、バディーリッチ同様ベルソンのオーケストラの基本スタンスだろう。

このアルバムのプロデュースは、珍しくジェファーソンではなく、Peter Brightman。
聞いたことの無い名前なのでググッテみると、ドラムを叩くジャズ好きのアラブの航空会社のお偉いさんがいる。もしかしたらこの人物かも。Concordのオーナーのジェファーソンも本業はカーディーラーだったので趣味が高じるほど拘りが強くなるので頷ける。
ベルソンはそれまでもアルバム化を前提にしたものでなくとも自主録音を時々やってきた。
Concordの初期のアルバム“150MPH”もいわゆる自費制作・販売していたものを、ジェファーソンが買い上げてConcordで再リリースしたようだが、このアルバムもひょっとして録音が先行したのかもしれない。そのせいかどうか分からないがこのアルバムはCD化されていない。いい演奏だと思うのだが。

ライナーノーツの最後に、「Old man,my eye. Like Concord Jazz, Louis is still young and No.1」とコメントがあるが、まさにベルソンのプレーはConcordのコンセプトの範疇を越えてしまって若々しいのかもしれない。

1. A little syncopation,please     Bellson 3:07
2. Don’t you know I care       Ellington 7:45
3. Brush me off           Bellson 5:15
4. Green light blues         Bellson 6:02
5. The music makes You move    Bellson 6:01
6. Bkue              Bobby Shew 5:07
7. Easy time            Bellson 4:17
8. Night flight           Alan Downey 4:51

Louie Bellson (ds)
Braian O’Flaherty (to)
Frank Szabo (tp)
Bobby Shew (tp,fh)
Alan Downey (tp)
Neil Balm (tp)
Rick Chamberlain (tb)
Clint Sharman (tb)
Hale Rood (tb)
Don Mikkelson (tb)
Joe Ramano (ts)
Arnie Lawrence (as)
Andy Mackintosh (ts)
Kenny Hitchcock (ts)
Bill Jones (bs)
Frank Strazzeri (p)
Phil Lee (g)
John Heard (b)
Tristan Fry (per)

Produced by Peter Brightman
Enginner : Ray Prickeff

Recorded at P.R.studios, London, October 1980

Originally released on Concord CJ-157

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一緒にやりたくても,なかなか思うように都合が合わないのが世の常だが・・・

2012-03-29 | MY FAVORITE ALBUM
Cal Tjader Sextet / Stan Getz

仕事であれ遊びであれ、日々忙しく動き回っている中で、時として意気投合して盛り上がる人物と出会うことがある。つかの間の出会いの中ではお互いを語り足りず、「また近い内にやりましょう」と言って別れることに。そして何度か接点を持つ内に、「いつか一緒にできるといいですね」という間柄になる。それは仕事であってもゴルフであっても。しかし、お互いが忙しい毎日を過ごしていると、それが実現することはめったに無い。しかし、何かのきっかっけで話が具体化すると、お互いやる気十分なのでとんとん拍子に事は進み、めでたく懸案のイベントが実現する運びとなる。当然、結果は無理やりやらされる仕事とは出来が違う。

このアルバムのスタンゲッツとカルジェイダーもそのような関係だったらしい。お互いに有名人、色々なところで顔を合わせることも多く、一緒にプレーをしたこともある仲で、「いつかは一緒に」という間柄。しかし、お互いグループを率いて広いアメリカ大陸を廻っていると、そもそも同じ場所に居合わせることも偶然かもしれないが。ベイシーオーケストラにいたサドジョーンズと、ケントンオーケストラにいたメルルイスもそのような関係だったそうだ。

当時のゲッツといえば、すでにスターとしての地位を確立し、自己のグループだけでなく、JATPにも参加して有名プレーヤーとの顔合わせアルバムも多く制作していた時。
しかし、一方でドラッグから逃れるためにもアメリカでの生活に一区切り付けて、ヨーロッパに渡ろうとしていた時でもあった。実際にこのアルバムを録音した直後、チェトベイカーとのセッションを最後に、58年の始めにはヨーロッパに渡ってしまう。一方のジェイダーもラテンジャズを旗印に人気を博していたバンドリーダーだった。

ゲッツの率いるグループが、地元の有名クラブブラックホークに出演するためにサンフランシスコを訪れる。その時、ジェイダーがグループの編成を組み替えるために、地元シスコで仕事はオフであった。そこで、長年の懸案であった2人の共演アルバムを作ることになる。

先日紹介した、リーモーガン&コンテカンドリのアルバムはハワードラムゼイのグループとガレスピーオーケストラのピックアップメンバーが入り乱れてのアルバム制作であったが、今回は本来ジェイダーのグループにゲッツがゲストで加わるのが筋であったろう。
ところがゲッツのグループに参加していた2人の無名の若者にジェイダーは興味を持った。まだ10代であったベースのスコットラファロと、ドラムのビリーヒギンズ。結局編成は2人を起用することにして、自分のグループの重鎮であるピアノのヴィンスガラルディーと若手のギター、エディーデュランを加えたセクステットになった。

ゲッツとジェイダーの組み合わせは見ものであったが、一曲目の”Ginza Samba”がいきなりラテン調でスタートする。ジェイダーのペースかと思いきやゲッツのテナーもリズムに乗って快調に大分ブロー。ガラルディーのピアノも力強い。もちろんゲッツがボサノバに本格的に取り組む前だ。
一転して2曲目はゲッツのバラードプレーが冴えゲッツのリードだが、ジェイダーのバイブも心地よい。そして、その後は特にラテン調の曲がある訳ではなく、バラードとハードバップ調の曲が続く。“Crow’s Nest”では短いながらもラファロのベースソロが後のエバンスとのプレーの片鱗を聴かせてくれる。

全体として、一日で収録した顔合わせセッションとしてはレギュラーグループのように実に纏まりがいい。プレーヤー同士が長年一緒にという想いがあったからこそいい結果が生まれたのかもしれない。
結果的にはゲッツの50年代のアメリカでのラス前の録音、そしてスコットラファロの参加なども話題にもなり、2人の念願かなった共演以上に色々な意味で節目にもなる大事なアルバムだ。



1. Ginza Samba              Guaraldi 10:57
2. I've Grown Accustomed to Her Face    Lerner-Lowe 3:59
3. For All We Know            Coots-Lewis 5:45
4. Crow's Nest               Tjader 8:18
5. Liz-Anne                Tjader 3:47
6. Big Bear                Tjader 4:33
7. My Buddy               Kahn-Donaldson 5:14

Stan Getz (ts)
Cal Tjader (vib)
Vince Guaraldi (p)
Eddie Duran (g)
Scott LaFaro (b)
Billy Higgins (d)

Recorded in San Francisco, CA, February 8, 1958

Stan Getz With Cal Tjader Sextet
Cal Tjader & Stan Getz/td>
Ojc
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ケントンオーケストラでの経験と実績を生かし、セッションワーク&ソロの腕前をまず披露した場所は・・・・

2012-03-28 | PEPPER ADAMS
A Pell of A Time / Dave Pell’s Jazz Octet


辰己哲也というトランペッターがいる。しばらくライブ通いもしていなかったので、最近の日本のジャズ事情にも疎くなっていたが、彼を知ったのは一昨年のカールサンダースのビッグバンドが来日した時の共演のライブが最初。その後フォローをしてみると、自分の好みとの接点が多いのも分かった。最近も自分のFavoriteであるボブブルックマイヤーのアルバムに興味を持っているとか。自身で作編曲もやるしビッグバンドからDuoまで色々な編成でライブにも良く登場している。

その活動の中に少し大型の編成のオクテットがある、昔はベイエリアジャズアンサンブルといってホテルにも定期的に出演してそうだが、最近は年に数回ライブハウスにといった感じらしい。その名の通り、アンサンブルとソロの絶妙なコンビネーションが素晴らしい、ウェストコーストの香りがするスマートなバンドだ。先日はこのバンドの流れから更に発展してバリトンとピアノを外した3管編成の新しいグループを作ってライブをやっていた。生憎その夜は都合が悪く行くことはできなかったが、またまた新しい試みをやっているようだ。次回は是非行ってみたいと思っている。

辰己哲也オクテットの演奏



実は彼のオクテットの元となっているのは、Dave Pellのオクテットだ。アメリカではそれなりに人気のあるグループのようでアルバムの数も多い。だがハードバップが人気の中心にある日本ではあまり有名とはいえず、一部の好事家がファンといえるバンドだ。自分もウェストコーストは好きな方だが、決してデイブペルの追っかけでもないし特に熱烈なファンでもないのだが。このアルバムを持っているのは、実はバリトンサックスにペッパーアダムスが加わっているからだ。アダムスの参加しているアルバムを追いかけてみたら、たまたまそれがデイブペルオクテットであったという次第。

1956年にこのデイブペルはバンドの一部組み換えを行った。というのも、このオクテットはきちんとアレンジされた演奏を売りにしていたが、実際に演奏する場は半分強がダンスのため、そして残り40%がクラブやコンサートホールになっていた。コンサートホールのステージでは、アレンジは”Dandy”という評価を得られたが、聴かせるグループとなるとソロの短さがネックとなっていた。そこで、ペルはこのレコーディングからはソロのスペースを広げ、よりフリーな演奏が出来るようにした。もちろん全体のアレンジの枠組みを崩さない範囲で。そこで、メンバーも入れ替えることになり、この時ロスにいたペッパーアダムスにも白羽の矢が立ったということだそうだ。

ペッパーアダムスは、スタンケントンオーケストラを辞めて、ロスを拠点として活動を開始したが、ロスでの活動期間は、ケントンオーケストラを辞めた1956年11月から翌’57年8月に自分のリーダーアルバムを制作するまでの8ヶ月間。短期間であったが、この間様々なセッションに参加し、レコーディングにも数多く参加している。アダムスが本来は東海岸の出身でニューヨークとデトロイトを活動の拠点にしていたが、ウェストコースト出身ではないかと誤解する要因は、スタンケントンへの参加と、この間リーダーアルバムの制作を含め西海岸での躍進が顕著であったからであろう。

このアルバムは、57年の1月、スタンケントンを辞めたアダムスはメルルイスと行動を供にしていたが、2人揃ってこのデイブペルのNewオクテットに参加した。リハーサル&オーディションを兼ねてハリウッドのクラブにしばらく出演後、1月17日の録音に臨むことになる。アダムスは多くの曲でソロも披露し、ペルのオクテットのリニューアルにさっそく貢献することになる。

本家Dave Pellの演奏



1. Jazz Goes to Siwash     Holman 4:32
2. Suze Blues          Paich 3:06
3. Grey Flannel         Paich 6:41
4. Angel Eyes          Brent, Dennis 5:38
5. G Tune            Moer 2:42
6. Sandy Shoes         Pell 5:18
7. Cameo            Montrose 4:11
8. Love Me or Leave Me      Charig, Furber, Lee, Weston 7:14
9. Them There Eyes        Pinkard, Touble, Tracey 5:21

Dave Pell's Jazz Octet

Dave Pell (ts)
Pepper Adams (bs)
Jack Sheldon (tp)
Ray Sims (tb)
Marty Paich (p)
Tommy Tedesco (g)
Tom Kelly (b)
Mel Lewis (ds)

Suppervision : Shorty Rogers

Recorded in Los Angels, January 17,23, March 29, 1957


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お世話になった皆様にせめてもの恩返しを・・・・

2012-03-27 | MY FAVORITE ALBUM
Dedications / Toshiko Akiyoshi Trio

何かを手掛けて成功した時の感慨はひとしおである。もちろん自分に実力があっての成功だが、時の運不運が左右することも多い。しかし、何よりも大事なのは成功に至る道筋で、幾多の人々に支えられたからこそ、その時の成功があるのだと認識することが一番大事だと思う。とかく凡人は、一時の成功に有頂天になって次への段階に進むことなく、いつの間にか普段の自分に戻ってしまう。そのような人間は年をとってからも、その成功体験を昔話として語っているが、いつの間にか周りにはその話を聞く人もいなくなってしまう。

1974年、ニューヨークから西海岸に移り住んだ秋吉敏子は夫君ルータバキンの勧めもあって、ビッグバンドを編成した。今まで一緒に演奏したことも無いメンバー達と、自作の曲のアレンジで練習を始めたが、思うような音になるまでには大分時間がかかったようだ。そして4月には、初コンサートを前に初アルバムを制作した。アメリカで活躍する彼女を応援する意味合いもあったのかもしれない、そのアルバムは日本で話題になり、2作目、3作目と続くこといなる。アメリカでTOSHIKOのバンドが知られるようになったのは、それから2年近く経ってからだ。
76年には、日本での凱旋ライブのアルバムを含め、5作目が作られ彼女のビッグバンドでの活躍は大成功となった。



しかし、彼女の「そもそも」はピアニスト。活動初期はバドパウエルの「そっくりさん」として有名になっていったが、その実力は次第に本場ニューヨークでも認められていった。しかし、ビッグバンドの編成と供に、ピアニストとしての彼女は影が薄くなった。もちろん、オーケストラの中で彼女のピアノは聴くことができるが、本格的なピアノのプレーをたっぷりと聴くことはできなかった。それは、遠い日本では当然としても、地元ロスでも地元のクラブなどへの出演はあまり行っていなかったそうだ。

そんな彼女がビッグバンドの成功を見極めて一区切りついたのか、1976年に”Insights"の録音を終えた直後、久々にピアノトリオの録音を行った。彼女の言を借りれば、彼女の事情もあったが、アメリカのジャズレコード界の状況が1964年以降70年代の初頭にかけて芳しくなかったからとの事である。確かにこの間は、メインストリームのジャズは不遇の時代であった。彼女自身、69年の"Top OF GATE"でのライブを除けば10年以上アルバムを制作していなかった。したがって、その間の演奏は今では聴くことができない。

久々のトリオでのアルバム制作にあたって、彼女はそれまで影響を受けた人、お世話になった人、そして彼女を身近で支えたチャーリーマリアーノ、ルータバキンの曲を選んだ。オーケストラでは、自分の曲しか演奏しないのとは正反対だ。オーケストラの成功は、これまでお世話になった方々の支えがあったおかげ、感謝の意味も含めて彼女が演奏するピアノには心がこもっている。彼女の自伝を読むと、彼らとの繋がりが良く分かる。バドパウエルのコピーからスタートしたピアノも、ビッグバンドの成功に合わせるように大きくステップアップしている。
その後の彼女は、ビッグバンドでもコンボでも、そしてピアノソロでも今現在に至るまで更に前向きな取組みを続けている。はやり、一回フロックで成功した人間とは違い、本当に実力ある成功者であろう。それも、その時々にお世話になった方々への感謝の気持ちがあるからだと思う。

1. I Let a Song Go out of My Heart  Ellington, Henry Nemo,   4:25
2. Miss Blue Eyes    Charlie Mariano 5:50
3. Django        John Lewis 6:12
4. Rio           Leonald Feather 3:57
5. Wind          Watanabe 6:04
6. Reets and I       Bennie Harris 4:46
7. Don't Be Afraid, the Crown'sAfraid Too      Charles Mingus 5:39
8. Let the Tape Roll     Lew Tabackin 3:09

Toshiko Akiyoshi (p)
Gene Cherico (b)
Jimmy Smith (ds)

Produced by Toshiko Akiyoshi
Ebgineer : James Mooney

Recorded on July 19,20 & 21, 1976 at Sage & Sound Recording Studio, Hollywood, Calif.
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長い人生で原点回帰は誰でも一度は経験すること・・・・

2012-03-26 | CONCORD
The Dolphin / The Stan Getz Quartet

人生には大きな節目がいくつかある。若い頃は仕事をしていても前しか見ていない。もちろん途中にはいくつかの挫折や失敗があるが、それを糧としてまた前進あるのみであった。それも個人で出来る範疇であると自然とテリトリーも決まってくるが、大きな組織にいると、その組織のミッションはまた大きなところに設定される。組織の移動や担当変更は大きな転機になった。大変ではあるが、それなりのやりがいも感じる。しかし、自分の本来やりたいこととは違っても、会社の為なら仕方がない。それなりの給料も貰っていたことだし。
自分自身、会社生活ではそのような経験をしてきたが、第一戦を退き常に最前線で戦う必然がなくなると廻りには自分の肌合いに合うものしか置かなくなる。それは、今まで慣れ親しんできたものであり、自分でとって心地よいものだけだ。あれだけ日々追い求めていた、ITの最先端の動向などは今では他人事になってしまった。

スタンゲッツも大きな節目を幾つか経たプレーヤーだ。第一線を走り続けたゲッツは50年代の後半ヨーロッパに渡る。そして再びアメリカに戻った後は、コマーシャリズムに飲み込まれたとはいわれつつもボサノバブームの立役者になった。リッチな生活も出来たであろう。その後、再びストレートなジャズのプレーに戻ったと思ったら、時代の流れに合わせてフュージョンの洗礼も受けた。自分のためなのか、それともレコード会社の都合なのか。何も、そこまでやらなくてもと、思わせるようなプレーもあった。しかし、これはゲッツが本当にやりたかったことなのか?

そして、1981年にゲッツはニューヨークを離れ、サンフランシスコに居を移す。それまでも転機のきっかけ作りにヨーロッパに移り住むことも何度かあったが、この転居もプレースタイルを変えた。今回は何も新しいものを追い求めるわけではなく、それはゲッツの本来の良さを再び取り戻したものであった。
メンバーも、昔の仲間であったピアノのルーレヴィー、ベースのモンティバドウィックで気心の知れた同士。収録もスタジオではなく、地元の有名クラブのキーストンコーナーでのライブ。かけつけた聴衆も昔のゲッツのプレーを心待ちにしていたファンであろう。
演奏の場は整った。そこでのゲッツのプレーは、20年以上タイムスリップしたようなクールではあるが熱っぽく、何かが引っかかるたどたどしさも無く流暢なものだ。
このアルバムを作ったのはConcord。またジェファーソンが大物の復活に一役買うことになった。

コンコルドのアルバムらしく、曲もスタンダード中心に奇をてらうことなく和む演奏だ。この前スコットハミルトンの”Time for love”のストレートなプレーを紹介したが、このゲッツの演奏もgoodだ。2人のテナーの音色の違いが際立つ。

1. The Dolphin             Eca 9:49
2. A Time for Love           Mandel, Webster 6:40
3. Joy Spring              Brown 9:40
4. My Old Flame             Coslow, Johnston 6:36
5. The Night Has a Thousand Eyes     Bernier, Brainin 8:24
6. Close Enough for Love (Themefrom "Agatha") Mandel, Williams 7:07

Stan Getz (ts)
Lou Levy (p)
Monty Budwig (b)
Victor Lewis (ds)

Carl Jefferson Producer
Phil Edwards Engineer
Ron Davis Assistant Engineer
Phil DeLancie Assistant Engineer

Recorded live at Keystone Korner, San Francisco, May 1981

Originally released on Concord CJ-158
(所有盤はCD)

Dolphin
Stan Getz
Concord Records
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雨の予報のコンペの幹事は大変・・・

2012-03-24 | GOLF LIFE
雪のシーズンも終わり、ゴルフ場も雪でクローズの苦労からは開放された。しかし、雨が降るとまだまだ冷え込む季節だ。できたらこんな雨の中ではプレーしたくないというのが本音だが。

平日のコースは、やはり高齢の方と女性が目立つ。シニア&レディースのコンペも活発に行われている。今回はそのシニアのサークルコンペ。生憎と天気予報は一週間前から雨模様。早々に風邪を拗らせた方から欠席の連絡が。こればかりは体が大事なので致し方無い。そして、前日の予報は「昼から雨。冬並みに冷え込み荒れ模様」。こうなるとにわかに幹事の所に問い合わせや要望が増える。このコンペはプライベートコンペなので、これまでも荒天の時は前日に中止にしていることもあるので。
幹事は天気予報を2つ3つ見ながら、コースの午後から小雨と判断して決行を決めた。それでも、決めたものの一応心配してか、とりあえず現地に集合してみて、現地で最終判断ということになった。今回のコースは筑波カントリー。一応名門コースをメンバーに紹介してもらったらしく、そうそう気軽に改めて行くと言う訳にもいかず、そのような判断になったのかもしれない。

その日の朝は曇り空。風もなく気温も低くは無い。まずまずの天気でプレーにはなんら問題ない。コースまで来れば余程の荒天でなければ中止はしないもの。遅めのスタートであったが、前の組にキャンセルが出たとの事で、結局早めのスタートに。雨の降らない内にさっさと廻ろうということになったが、午前中のハーフも半分が過ぎた辺りから、パラパラと振り出すが、傘も特に無くても大丈夫な程度の雨なので問題なく前半を終える。

昼休みに本降りになってきたので心配したが、途中で上がる人も出ずに後半へ。午後のハーフはさすが雨を覚悟したが、運に恵まれたのか数ホール廻ったところで、傘無しで大丈夫なほどに。そのまま後半も廻れたので、結局雨の影響は数ホールだけ。

このようなラウンドは得をした気分だ。外野のノイズに惑わされず、的確な判断をした幹事に感謝。
自分の場合は、いつも雨でも普通にラウンドをするので、あまり気にしたことがなかったが、雨の日の幹事は大変な苦労をされているということを再認識。皆勝手なことをいつも言っているが、幹事のご苦労は並大抵なことではない。自分はプライベートだと早めに行ってさっさと廻ってしまうのだが。
結果、終わって降られなければ、やる前には色々文句を言っていた者が、「晴れ男の幹事に感謝」とか言っているのは如何なものか?

さて、この筑波カントリークラブは茨城の谷田部ICの手前のゴルフ場が隣接してある場所の一角。平坦な地形で林に囲まれた典型的な林間コース。手入れも良く行き届いている。最近は平坦なコースでも乗用カートが主流だが、キャディー付きの歩きのラウンドは何かゴルフをやっているというテンポを感じる。丁度グリーンも芝の更新時期で小さな穴があいていたものの、スピードも速く全く問題ない。砲台でバンカーの効いたグリーンを攻めるのも結構手強かった。

この日ドライバーは左に引っ掛け気味に数ホール続いたが、途中で直せた。ロングバットもよく入ったが、グリーンが比較的難しかったせいか3パットも3つ。アイアンも最近にしては掴まったボールが打てたと思ったが、池ポチャや林の中からのミスなどが混在して、結果はボギーペース。いい所と悪い所の差が極端だった1日だった。


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もしあの時オスカーペティフォードの勧めが無かったら・・・

2012-03-23 | PEPPER ADAMS
Stan Kenton and His Orchestra ‘Live’ At The Macumber Club San Francisco 1956 Part2

「もし・・・が無かったら」人生は大きく変わったかもしれない。という人生の大きな分岐点は、誰の人生においても2つや3つはあるだろう。その結果が良い結果になることもあるし、反対に凶と出ることもある。その偶然の積み重ねがまさに人生である。

スタンケントンオーケストラがヨーロッパツアーからニューヨークに戻った時、サックスセクションに2人の欠員ができた。その穴を埋めたのがラッキートンプソン。もう一人がビリールートであった。しかし、ラッキートンプソンが、その後のツアーには参加せず、そしてビリールートは本職はテナーだったので、ケントンはバリトンプレーヤーを探していた。それを知ったオスカーペティフォードがペッパーアダムスにケントンが滞在しているホテルを教えて、アダムスが会いに行ったのが、2人の出会いであった。アダムスはケントンオーケストラをそれまで聴いたことも無かったし、ケントンはもちろんケントンオーケストラのメンバーもアダムスを知る人はいなかった。
たまたま行われていたレコーディングを見学に行って、アダムスはケントンオーケストラに加わることになる。丁度、ケニークラークを中心にデトロイト時代の仲間とのレコーディングを終えた直後の、1956年5月の末のことであった。

さっそく、バンドのツアーバスの乗り込み、長いツアーに出かけることになる。6月7月はいわゆるワンナイトスタンドの毎日のバスの移動であった。半年後、バンドは西海岸にいた。10月に長い休みがあったのを利用して、アダムスは置きっぱなしにしていた自分の車を取りにデトロイトに戻り、再びサンフランシスコに戻った。この時アダムスはウェストコーストを拠点にすることを決心したのかもしれない。ケントンのバンドは11月2日から18日まで、サンフランシスコのMacumba Clubに出演していたが、この仕事が終わった直後の24日にアダムスはメルルイス、リーキャッツマンと一緒にケントンオーケストラを去る。約6ヶ月間のケントンオーケストラへの参加であったが、彼にとっては色々な事が凝縮されて起った半年間であったはずだ。そして、その後のアダムスの人生を決めることになった。

この、アダムスがケントンオーケストラのツアーに参加した最後の仕事であるMacumber Clubのライブの録音が残っているが、それが収められているのがこのアルバムだ。
デトロイト出身、そしてニューヨークで活動していたアダムスが、自分のリーダーアルバムはウェストコーストのModeレーベルから出るに至った経緯に、このケントンオーケストラへの参加がある。
ケントンオーケストラではもちろん当初は新人としての参加であったが、半年後のこのライブでは立派なソロプレーヤーとして成長している。このアルバムの中でも随所にアダムスのソロが聴けるが、中でも“My Funny Valentine”は、ケントンオーケストラがチャーリーパーカーをゲストに迎えた時のビルホルマンの譜面をアダムスのために提供した物。6分を超えるアダムスのソロが聴き所。アダムスファンは一度は聴いてみる価値がある。

もし、オスカーペティフォードがアダムスをケントンに推薦しなかったら、この演奏も存在しないし、メルルイスの出会いも無く、そもそもアダムスの人生は全く違った物になっていただろう。

1. El Congo Valiente (Valiant Congo)              5:30
2. Fuego Cubano (Cuban Fire)                 6:10
3. The Big Chase                Paich 3:20
4. My Funny Valentine             Hart, Rodgers 6:47
5. The Opener                 Holman 5:22
6. I Concentrate on You            Porter 3:37
7. I Remember You               Mercer, Schertzinger 3:09
8. Harlem Nocturne               Hagen 3:29
9. Between the Devil and the Deep Blue Sea   Arlen, Koehler 2:54
10. Swing House                 Mulligan 5:48
11. Love for Sale                Porter 3:21
12. Royal Blue                 Holman 4:16
13. Artistry in Rhythm             Kenton 3:21

Stan Kenton & His Orchestra

Lennie Niehaus (as)
Bill Perkins (ts)
Richie Kamuca (ts)
Pepper Adams (bs)
Phil Gilbert (tp)
Dennis Grillo (tp)
Lee Katzman (tp)
Ed Leddy (tp)
Jim Amlotte (tb)
Kent Larsen (tb)
Archie LeCoque (tb)
Kenny Shroyer (btb)
Irving Rosenthal (fhr)
Joe Marianie (fhr)
Jay McAllister (tuba)
Stan Kenton (p)
Ralph Blaze (g)
Don Bagley (b)
Mel Lewis (ds)

Submarine Producer
Frank Greene Coordination

Recorded live at The Maucumber Club, San Francisco on 17 November 1956

Live at the Macumba Club Part 1
Stan Kenton
Magic Records UK
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アルバムジャケットが似ると、中身の演奏も似てくるのかも・・・

2012-03-22 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Jive for Five / Bill Holman & Mel Lewis Quintet

ジャケットデザインの良し悪しの話をしたついでに。先日紹介した、“Jazz Men Detroit”のプレーヤーをイラスト仕立てしたデザインはなかなかいい感じだ。どこか似た雰囲気のジャケットがあると思ったのがこのアルバムだ。色合いはブルーだが、イラストでは楽器を片手に、料理がまさにサーブされようとしている。さて、どのような味付けなのか・・・

プレーするのはビルホルマンとメルルイスの双頭バンド。ビルホルマンといえば、プレーヤーよりもアレンジャーとしての方が有名になる。ホルマンのアレンジは色々なオーケストラで演奏されているし、自己のビッグバンドもある、西海岸のアレンジャーとしては筆頭格だ。そのホルマンも50年代は自らプレーをしていたし、そのプレーもなかなか力強い演奏で聞き逃せない。

一方のメルルイスは、ケントンオーケストラをこのアルバムでも共演しているリーキャッツマン、そしてペッパーアダムスと一緒に退団してから、ロスを活動の拠点にしていた。一連のModeのアルバムを筆頭に、59年にニューヨークに行くまでの間に数多くのアルバムを残しているが、この2人、ガップリ組んで作ったクインテットだが、2人の意気込みを感じるアルバムだ。

ウェストコーストで制作されたアルバムというと、どうしてもウェストコーストジャズのアレンジの施されたクールなサウンドがイメージされる。ところがこのアルバムは1曲目からファンキーでグルービーな雰囲気に包まれる。もちろんクインテットの小編成だが2曲目のテーマの2管のユニゾンを始めてとして節々はきっちりアレンジされているが、ウェストコーストの香りがしない。ハードバップそのものだ。各プレーヤーのソロパートも十分にとられているし。

昔から、東西のスタイル論争は行われているが、西海岸でもホットな演奏は繰り広げられていた。ジャケットのデザインが似ると、中身の演奏も影響されてくるのか、デトロイトの東海岸の香りが漂うアルバムだ。



1. Out of This World           Arlen, Porter 7:30
2. Mah Lindy Lou             Strickland 6:55
3. Liza (All the Clouds'll RollAway)   Gershwin, Gershwin, Kahn 6:32
4. The Beat Generation          Holman 6:24
5. 502 Blues Theme            Rowles 6:45
6. Jive for Five             Holman 8:37

Bill Holman (ts,arr)
Lee Katzman (tp)
Jimmy Rowles (p)
Wilford Middlebrook (b)
Mel Lewis  (ds)

Produced by Bill Holman
Bones Howe Engineer
Recorded, June 6,1958 at Radio Recorders, Hollywood、CA

Jive for Five
Bill Holman & Mel Lewis
Vsop Records
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羊頭狗肉の見かけ倒しや企画倒れはよくあるが、反対に・・・・

2012-03-21 | CONCORD
The Shining Sea / Cal Tjader

このアルバムはカルジェイダーのConcordでの3作目のリーダーアルバム。Concord Jazz Festivalのオールスターズに参加したり、看板スター、ローズマリークルーのバックを務めたり、コンコルドの仲間に溶け込んではきたが、リーダーアルバムとなると次はどんな取組みをするのか興味が沸く。

一作目の“La Onda Va Bien”はその年のBest Latin Recordingでグラミー賞をとったアルバムになった。特に、ジェファーソンは立ち上げたばかりのPicanteレーベルの受賞とあって、してやったりという気分であったろう。受賞発表後のこのアルバムの制作には、ジェイダー本人もプロデューサーのジェファーソンも当然力が入ったと思われる。

その割には、まずジャケットを見ての第一印象は何ともダサい色使いであり写真だ。素人の写真、デザインであってももう少しましな物ができそうだ。元々コンコルドレーベルのジャケットは冴えないがこれもワーストに入るかも。
メンバーを見るとハンクジョーンズとスコットハミルトンを起用している。ドラムのビンスラタティアーノの1作目、2作目と同じなのでジェイダーのラテンリズムには不可欠な人選かも。ベースは初登場だ。いずれにしてもジョーンズとハミルトンがジェイダーのリズムとどう折り合いをつけるかが気にはなる。

そして、ライナーノーツを見ると、最後にタイトルの”The Shining Sea”の意味が分かった。収録曲の中の一曲がタイトルになることは多いが、何故“The shining Sea”なのか?
実は、この曲だけでなく、収められているすべてがジョニーマンデルの曲であり、アルバム自体がジョニーマンデルSong Bookということだった。
であれば、このアルバムのポジショニングはよく分かる。ジョニーマンデルの曲は映画音楽が多く、そして綺麗なメロディーが多い。ハミルトンやジョーンズの出番は当然ある。そして曲を聴くと、一曲目と最後のMASHだけがラテンのリズムだが、他はじっくり聴かせるバラードが続く。A Time For For Loveのハミルトンのバラードプレーは秀逸だ。

ラテンのイメージが強いジェイダーだが、ここではマンデルの曲を素材にじっくりバラード集を作ったという企画だ。ハミルトンとジョーンズの起用も納得。だが残念ながらこのアルバムのイメージ・デザインからは伝わってこない。やはり、ジャケットのデザイン&コピーは重要だ。
世の中には、綺麗な容姿を持ちながら化粧や洋服のセンスが悪くて良さが伝わってこなかったり、良い技術の商品でもマーケティングが今ひとつだったりすることが多々ある。

見かけや宣伝文句に騙されてというのが世の常だが、世の中に反対に良いものであっても上手く紹介されないために広まらないという物も数多くある。実は何事でも世に広めるためには広告や宣伝、そのためのコピーやデザインが重要なのに最近はどうもないがしろにされているような気がする。
このアルバムは見かけ以上にいいアルバムであることは間違いない。



1. Quietly There      Ames, Mandel 4:33
2. Unless It's You     Ames, Mandel 5:16
3. Emily          Mandel, Mercer 5:49
4. Theme from Agatha    Mandel, Williams 5:32
5. A Time for Love     Mandel, Webster 5:31
6. The Shining Sea     Lee, Mandel 4:51
7. Don't Look Back     Dunham, Mandel 5:43
8. Theme from M*A*S*H (Suicide Is Painless) Altman, Mandel 4:33

Cal Tjader (vib)
Scott Hamilton (ts)
Hank Jones (p)
Dean Reilly (b)
Vince Lateano (ds)

Carl Jefferson Producer
Phil Edwards Engineer, Remixing

Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, March 1981

Originally released on Concord CJ-159
(所有盤は東芝EMIの国内盤)


Shining Sea
Cal Tjader
Concord Records
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秋吉敏子のビッグバンドの第一号の作品はJapan All Stars・・・

2012-03-20 | MY FAVORITE ALBUM
Recorded in Tokyo / Toshiko Mariano and Her Big band

秋吉敏子がアメリカに渡ったのは1956年。丁度ペッパーアダムスがメルルイスと一緒にスタンケントンオーケストラを辞めて、西海岸で仕事を始めた時と同じ時期だ。
一方で、敏子の行き先は東海岸ボストンのバークレー。ここで彼女の本格的なジャズミュージシャンとしてのキャリアがスタートした。その後地元ボストンとニューヨークを拠点にして活動をしていたが、そこでチャーリーマリアーノと出会い結婚する。彼女がマリアーノを伴って日本に帰国したのが1961年。日本を出て5年後のことだった。

すっかり日本が気に入ったマリアーノは日本を拠点に活動をするが、日本はまだまだジャズの仕事をする環境にはなっていなかったようだ。一方で外タレの来日ラッシュはジャズの世界でも続き、大物ミュージシャンはこの時期に大挙来日している。
そして、1964年東京オリンピックの年。秋のオリンピック開催に先立ち、夏に”The World Jazz Festival”と銘打ったコンサートが開催された。ディキシーからモダンまで幅広いメンバーで、マイルスのグループも来日して盛り上がりをみせたがその中に秋吉敏子も参加した。彼女の自伝によると、このフェスティバルのプロモーターはニューポートを仕切っていたジョージウェイン。敏子はウェインとも懇意にしていたようなので、その計らいもあったのかもしれない。

そのタイミングで急遽レコーディングの話が持ち上がったが、敏子のレギュラーグループではなく、メンバーはJAPANオールスターズで。さらには、リズムセクションは丁度フェスティバルで来日中の、ポールチェンバースとジミーコブを起用することとなった。
当然のように急な話は日程調整が難しく、録音はコンサートの最終日の公演が終わった後、夜を徹して行われ、リズムセクションの2人は翌日の帰国のフライトギリギリまで付き合わされたそうだ。

敏子のビッグバンドが立ち上がったのは1974年になってからだが、実はこのレコーディングで、敏子のビッグバンド演奏が聴ける。“Lament”がトリオ、“Land of Peace”と”Walkin’”は松本英彦と宮沢昭のテナーバトルだが、他の4曲は、敏子とマリアーノのアレンジによるフルバンド編成。彼女のビッグバンドはオリジナル曲中心だが、このアルバムの「木更津甚句」が彼女のアレンジによるビッグバンド作品第一号だ。
当時日本にはビッグバンドはダンスバンドを含めると数多くあったが、このようなモダンビッグバンドはまだまだ珍しかった。マリアーノのモダンなアレンジも光るが、テナーの2人に加え、バリトンの原田忠幸、トランペットには若手の日野照正も加わっている当時のJAPAN all starsの演奏も素晴らしい。

1. Kisarazy Jinku   (Arr. By Toshiko) 5:10
2. Lament       J.J.Johnson     4:42
3. The Shout     Charlie Mariano   5:45
4. Israel        Johnny Carisi    4:03
5. Land Of Peace   Leonard Feather   4:18
6. Walikn’       Richard Carpenter  4:53
7. Santa Batbara   Charlie ariano    5:19

Hisao Mori, Shigeru Takemura, Tetsuo Fushimi, Terumasa Hino (tp)
Hiroshi Suzuki, Mitsuhiko Matsumoto, Teruhiko Kataoka, Takeshi Aoki (tb)
Hiroshi Okazaki, Shigeo Suzuki (as)
Akira Miyazawa, Hidehiko Matsumoto (ts)
Tadayuki Harada (bs)
Toshiko Mariano (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)
Keiichiro Ebihara (Con)

Produced by Yasuyuki ishihara
Supervised by Leonard Feather
Recording Engineer Nobumasa Goda
Recoded at TBS in Tokyo, July 1964





AND HER BIG BAND
Toshiko Mariano
VEE JAY
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オーケストラの活動が長くなると、自分でアレンジすることに興味が沸くのは必然・・・

2012-03-19 | MY FAVORITE ALBUM
Rights of Swing / Phil Woods

クインシージョーンズのオーケストラが、ヨーロッパに旅立ったのは1959年の暮であった。本来であれば、ヨーロッパ各地でジャズオペラ「フリーアンドイージー」の公演を行う予定であった。しかし、公演がスタートして一ヶ月も経たない翌年の1月15日パリでの公演を最後にツアーは中止になる。
オーケストラメンバーを率いていたクインシーは、それにもめげずオーケストラだけの公演を各地で続けた。しかし、それは予定されたものではなく、演奏場所を探しながら半年近くの流浪の旅。その間帰国してしまったメンバーもいたが、最後まで付き合ったメンバーの一人がフィルウッズであった。
ウッズはこのクインシーのオーケストラにはこのツアーに先立ちレコーディングのために編成された時から参加し、ヨーロッパから帰国後のアメリカツアー、そして翌1961年のニューポートジャズフェスティバルに参加し、常にクインシーと行動を供にしていた。

クインシーは元々はトランペットを吹きながらアレンジを提供していた。しかし、自己のオーケストラを編成した時点でトランペットは辞めて作編曲家としての活動に軸足を移していた。そのクインシーのオーケストラに参加していたフィルウッズは、一緒にヨーロッパを渡り歩いた時作編曲に興味を持ったそうだ。もちろん、それまでのコンボでの演奏でも自分でアレンジはしていたが、大きな編成へのアレンジはそれまでした事がなかった。きっとクインシーに刺激を受けたのだろう。そして、このアルバムが大型コンボ向けのアレンジの処女作となる。

録音に集ったミュージシャンの多くはクインシーのオーケストラで苦楽を供にした仲間達。ウッズの始めての作品を演奏するにはうってつけのメンバーであった。フレンチホルンのジュリアスワトキンスの参加もアレンジの味付けには大きく影響している。
曲は”Rights Of Swing”とタイトルが付けられた組曲。初作品に臨むウッズの気合を感じる。ビッグバンド編成ではなく大型コンボなのでセクション事のアンサンブルワークではなく、各楽器のアンサンブルとソロとの対比になるが、シンプルでモダンな響きはどことなくクインシーのアレンジにも似た雰囲気だ。

このアルバムを作った後、ウッズはスタジオワークも多くなり、多くのビッグバンドの録音に参加する。クインシーとは異なりウッズはアレンジに手を染めたものの、その後現在に至るまであくまでもプレーヤーとしての活動を主軸に置くことは止めない。特に、67年のヨーロピアンリズムマシーンの編成は、もう一度自分のグループでのプレー重視に大きく舵取りを変えることになる。その点では、一度アレンジに嵌ると演奏のウェイトが低くなるミュージシャンが多い中で、ベニーカーターと供にいつまで経ってもプレーを軸に活動をしている代表格だ。

1. Prelude and Part 1 Woods 6:36
2. Pt. 2 [Ballad] Woods 7:43
3. Pt. 3 [Waltz] Woods 5:44
4. Pt. 4 [Scherzo] Woods 11:26
5. Pt. 5 [Presto] Woods 7:16

Phil Woods (as,arr)
Benny Bailey (tp)
Willie Dennis (tb)
Curtis Fuller (tb)
Sahib Shihab (bs)
Julius Watkins (French Horn)
Tommy Flanagan (p)
Buddy Catlett (b)
Osie Johnson (ds)
Granville Roker (ds)

Bob d'Orleans Engineer
Nat Hentoff Liner Notes, Supervisor

Recorded at Nola Penthouse Sound Studio, New York on Jan. 26 & Feb.10, 1961




Rights of Swing
Phil Woods
Candid
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芝の更新の季節、ようやく春がそこまで・・・・

2012-03-18 | GOLF LIFE
天気予報は1日どんよりとした曇り、夕方からは雨。ゴルフには生憎の天気だったが、前日の雨の一日に較べればこの天気は「良し」としなければならない。毎月第3日曜日は女子プロを交えた定例のコンペ。何故かこのコンペは雨が多い。ということは第3日曜日には雨が多いということになるが、一度統計でも見てみよう。最近は毎月参加しているが、今月のコースは自分のホームコースなので、ホスト役も務めなければならない。せっかく皆さんを迎えるのに、雨の一日だけは避けたかったのでまずまずの天候に一安心。

日差しが無い中、空気が冷たく感じる一日であったが、一時の冷え込みもなくなりやっと春もそこまでやって来たという感じだ。フェアウェイに芝の更新用の穴が明けられ、ディボットにも砂が埋められ、コースのメンテナンスもいよいよ春を迎える準備に入っていた。グリーンも緑が濃くなり、凍ったグリーンからも開放された。グリーンの穴あけはまだだったので、今の時期としては最高の仕上がりだった。

ホームコースなので、あまりみっともないプレーもできないので、しばらく振りに緊張してスタートした。今日一日を占う朝一番のショットはフェアウェイセンターにまずまず。ドライバーの感触は悪くない。次のホールもまずまず。ところが、3番でドライバーを引っ掛けて左サイドの池に。朝、車の中で同乗者と「クラブに仕事をさせないで、自分の手で打ちに行くからミスるんだよね」と交わした言葉を思い出した。

その後、ドライバーはいいショットと悪いショットが交互に、いい当たりの時は久々に好感触の打感が手に残った。その時は、確かに脱力ができいている。同伴者の他の2人も時々引っ掛け気味のミスショットを。プロからは右手で打ちにいく悪い癖を指摘されているとか。皆悩みは同じようだ。

今日良かったのはパット。グリーンが良かったせいもあるが、タッチが久々に実に良かった。長いパットを含む1パットが6回。3パットなしの30パットは上出来。2打目はほぼOKの距離で、久々の完璧なパットであった。
反対にショットが今ひとつで、林に打ち込むことも2度3度あったが、スコアはしっかりトリ無しの80台をキープ。これもパットのよさに救われた事による。

これから春本番になるとしばらくは花粉の季節。せっかくパットの調子が上向きなのに、花粉症は集中力には大敵。グリーンの更新作業も始まると、しばらくパットのタッチも合わなくなる。パットが思うようにならないと、その分はショットで戻さないと。ショットの復活に久々に練習場にでも行ってみよう。本格シーズンインもあと少し。
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時を経て、ますますコンビネーションに磨きがかかってきたが、その要因は?・・・・

2012-03-17 | CONCORD
Montage / The LA4

コンコルドではレーベルのスタート時からのお馴染みのLA4だ。結成以来7年目だがドラムが初代のシェリーマンから、ジェフハミルトンに代わった以外は不動のメンバー。コンビネーションは一作ごとに磨きがかかっている。LA4のオリジナリティーのあるサウンドも耳慣れてきたので、新作といっても大体のサウンドイメージは沸く。丁度MJQの新作を聴くような感じで、新しい曲をどう料理しているかが楽しみだ。

このアルバムのタイトルは”Montage”。日本語だとモンタージュ写真を思い浮かべるが、モンタージュとは色々な要素を並べて一つの作品に纏める手法だそうだ。それで人の顔を目、鼻、口、髪・・などの要素で纏め上げるのがモンタージュ写真ということだろう。

確かにこのLA4にモンタージュという表現はピッタリかもしれない。ピアノレスの4人編成だが、それぞれの楽器の表現がそれぞれ実に豊かで多彩だ。それ故、その4人の組み合わせの結果は掛け算的にバリエーションが増えてくる。さらに、このグループは素材となる曲の選定も多彩だ。ジャズグループとしてスタンダードやブルースはもちろん、アルメイダが音頭をとっているからだろう、ボサノバやブラジルの古い曲、さらにはクラッシクまで素材の幅は広い。

豊富な素材を腕達者な4人の料理人が技を発揮して料理する訳だから、美味しい料理ができるのは当然だ。出来上がった演奏を、要素分解してみても普通のモンタージュを作るバリエーションでは表現できない要素が沢山ある。料理でいえば隠し味の妙だろう。それがきっとLA4ならではの味付けだ。

普通のモンタージュ写真は、普通のすました顔の表情一枚で十分だが、LA4の場合は、すまし顔、怒った顔、悲しそうな顔・・・・といくつものパターンを作らないと、その表情を表現しきれないかもしれない。百面相を得意とする表情豊かな人物もモンタージュ写真を作るように。きっと音楽的にも彼らの特徴を要素分解することは出来るのかもしれないが、残念ながら自分にはできない。
このアルバムはバドシャンクのフルートがいつにも増していい感じだ。フルートにはピアノレスが合うのかもしれない。そういえば、ナベサダがフルートを多用してボサノバをやっていた時もピアノレスだった。

アメリカの人気TV番組にCSIシリーズがある。警察の科学捜査の進化により、犯人を特定するためのあらゆる要素を最新のテクノロジーを駆使して見つけていくのがミソだが、このLA4のグループのワン&オンリーの良さを一度、科学的に検証してみたいものだ。

1. Madame Butterball          Shank 4:45
2. Syrinx                Debussy 4:25
3. Samba for Ray            Almeida 4:25
4. Teach Me Tonight           Cahn, DePaul 3:20
5. Rado's Got the Blues         Brown 5:56
6. My Romance              Hart, Rodgers 5:23
7. Bachianas Brasileiras No. 5      Villa-Lobos 6:13
8. Squatty Roo              Hodges 5:11

Laurindo Almeida (arr.g)
Bud Shank (arr,as,fl)
Ray Brown (b)
Jeff Hamilton (per)

Carl Jefferson Producer
Phil Edwards Engineer, Remixing

Recorded at United Western Studios, Hollywood, April 1981

Originally Released on Concord CJ-156





Montage
The L.A.4
Concord Records
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たった1枚のリーダーアルバムでも、残っていて良かった・・・・

2012-03-16 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
New Horn in Town / Richard Williams

今では、ネット時代になって自分の演奏を世にアピールするのは誰でも簡単にできるよういなった。しかし、昔はレコードになって初めて世に出ていくしかない。そして、多くのミュージシャンにとって自分のリーダーアルバムを作ることは駆け出し時代の夢であったろう。もちろん自主制作のアルバムという手はあるが、やはりそれなりに名の売れたレーベルで。

一昨年、ウェストコーストでスタジオワークを長くやっているカールサンダースというトランペッターが来日した。マイナーレーベルからアルバムを出してはいるが、けっしてメジャーなプレーヤーではない。しかし、その演奏を生で聴いてぶっ飛んだ。歌心あるプレーが印象的で、ソロであってもセッションプレーであっても、その迫力は並みのものではなかった。本番のスタジオミュージシャンの実力というものを肌で感じて久々に感激した。

サド・メルオーケストラの初代のメンバーはニューヨーク在住のスタジオミュージシャンの集まりが発祥だが、トランペットセクションにリチャードウィリアムスがいた。本名をRICHARD GENE WILLIAMSという。1931年生まれなので、サドメルのオーケストラができたときには30代半ばの一番脂がのって来たとき。日本にも1968年に来日して素晴らしいプレーを聴かせてくれた。そのウイリアムのプレーをじっくり聴きたいと思っても、今のようなネットが充実している時代ではなく、アルバムが簡単に見つかるものではなかった。ミンガスのグループにもいてサイドメンやセッションプレーヤーとしては見かけることができたが。

それから大分月日が経ち、唯一のリーダーアルバムがあるのを知って、それを実際に買い求めたのは比較的最近の事である。改めてこのリチャードウィリアムスのプレーを聴くと、実に歌心のあるプレーで素晴らしい。このアルバムの録音は1960年。クリフォードブラウンが逝ってから5年近く経ち若手のトランペッターが育ってきた中での演奏だが、ブラウンの流れを引き継ぐプレーだ。トランペット吹きの課題曲ともいえる、”I Remember Clifford“やスタンダードの”Over the Rainbow”もなかなかいい感じだ。カールサンダースにしてもこのウィリアムスにしても、もっと聴かれていいプレーヤーだと思うが、残念ながらウィリアムスのリーダーアルバムはこの一枚。その後もスタジオやミュージカル中心の仕事が多く、クラークテリーのBigbandでは名前を見かけたが、スタジオのセッションワークだけでは彼の良さは分からない。世の中には一枚のアルバムも作れずに消えていった実力者はきっと多いのだろう。でも、一枚でも残っていて良かった。68年の来日時の記憶を思い出すためにも。

アルトのレオライトも特徴ある音色で好演だ。レオライトのプレーが印象に残ったアルバムが確かあったと思ったが、このアニーロスのアルバムだった

1. I Can Dream, Can't I?    Fain, Kahal 6:16
2. I Remember Clifford     Golson 6:25
3. Ferris Wheel         Wyands 5:01
4. Raucous Notes        Williams 4:45
5. Blues in a Quandary     Williams 4:38
6. Over the Rainbow       Arlen, Harburg 8:44
7. Renita's Bounce       Williams 5:25

Richard Gene Williams (tp)
Leo Wright (as,fl)
Richard Wyands (p)
Reggie Workman (b)
Bobby Thomas (ds)

Bob d'Orleans Engineer
Nat Hentoff Liner Notes, Supervisor

Recorded at Nola Penthouse Studio, New York City on November 19th, 1960

New Horn in Town
Rechard Williams
Candid Records
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