A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

アンサンブルにソロにラッセルガルシアのアレンジの牽引役はやはりロソリーノ・・・・

2015-03-30 | MY FAVORITE ALBUM
Four Horns and Lush Life / Russell Garcia

先日来、フランクロソリーノ関連のアルバムが続くが、ついでにもう一枚。

西海岸と東海岸の両方に拠点を持っていたベツレヘムレーベル、マルウォルドロンのレフトアローンのような有名なアルバムも多い。ウェストコーストとイーストコーストの両方の良い所を生かしたアルバムだけでなく、カタログには歌あり、大編成ありでバラエティーに富んでいて、中には一捻りした特徴あるアルバムも多い。何が出てくるかはお楽しみといった感じが他のレーベルとの違いだろう。すべてを聴いた訳はないが好み的には自分の好みのものが多い気がする。

このアルバムのメンバーを見渡すと、ウェストコーストの代表的な面々。中にフランクロソリーノの名前もある。
自分はこれで買い求めたアルバムだったが、このアルバムは誰のアルバムかというと、アレンジャーのラッセルガルシアのアルバムだというのが多分正解だろう。アレンジャーとしてはジャズの世界よりは、映画音楽の方で有名。それも60年代になってからのアレンジの方がガルシアの特徴が良く表れている。
この録音が行われたのは1955年、当時から映画音楽の方で十分に稼いでいたようなので、どうやら好きにやっていいよという事で作ったアルバムの様だ。



フォーフレッシュメンのアルバムにファイブトロンボーンズというアルバムがあった。コーラスとのトロンボーンの組み合わせが実にいい感じであったが、トロンボーンのアンサンブルというのは心地よいサウンドを聴かせてくれるものだ。

このアルバムの編成上の一番の特徴は、このトロンボーンのカルテットが主役であること。今でこそトロンボーンカルテットというのは数多く誕生し、ライブもよく行われているようだが、当時としてはそれほど一般的な編成であった訳ではないと思う。

メンバーは西海岸を代表するフランクロソリーノを筆頭に、ハービーハーパーなどが参加しているが、もう一人の目玉がメイナードファーガソン。普段はトランペットだが、ここでは全編バルブトロンボーンで参加しているのも珍しい。

そして、アレンジ上でもこのアルバムを特徴づけているのが、バリトンサックスを一本加えている事。普通のビッグバンド編成だと、バストロンボーンを加えて低音域のアクセントをつけるが、このアルバムではバリトンサックがその役を果たしている。そして、その効果がアレンジ上でも実に良く機能しているように思う。

そして、素材はスタンダード曲。冒頭の曲だけが、ガルシアのオリジナルだが他は皆有名なスタンダード曲ばかり。

ピアノはマティーペイチ。普通であれば編曲でも大活躍するのだが、ここではピアノに専念している。これもまた珍しい。それに、スタンレヴィーのドラムに、ベースのレッドミッチェルが加わっている。

これらが、ガルシアの前に揃えられた素材で、どう好きなように料理するかが聴き所になる訳だが。
もちろん4人のソロが交互に登場しその聴き較べも楽しいが、やはりトロンボーンのアンサンブルワークが軽快でかつ重厚なサウンドが心地よい。ピアノに専念しているペイチもバックにソロに単なる伴奏以上の働きだ。

アンサンブル物が好きな自分にとっては、思わぬ拾い物のアルバムだが、トロンボーン好きの方にもお勧めだ。それにしてもロソリーノは自分のリーダーアルバムでなくとも、どこに登場してもいつも実にいい演奏をするものだ。



1. I'll Never Forget What's Her Name        Russell Garcia 3:20
2. But Beautiful          Johnny Burke / James Van Heusen 2:17
3. Dancing on the Ceiling        Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:09
4. The Boy Next Door                 Hugh Martin 2:37
5. Just One of Those Things               Cole Porter 4:06
6. Zigeuner                      Noël Coward 2:55
7. Limehouse Blues          Philip Braham / Douglas Furber 3:04
8. Lush Life                     Billy Strayhorn 2:07
9. Lover, Come Back to Me  Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 5:36
10. Ramona              L. Wolfe Gilbert / Mabel Wayne 2:40
11. Someone to Watch over Me     George Gershwin / Ira Gershwin 2:31
12. What Is This Thing Called Love            Cole Porter 3:04

Frank Rosolino (tb)
Maynard Ferguson (vtb)
Herbie Harper (tb)
Tommy Pederson (tb)
Dick Houlgate (bs)
Marty Paich (p)
Red Mitchell (b)
Stan Levey (ds)
Russell Garcia (arr)

Recording Engineer : Val Valentine
Recorded in Los Angeles, CA, November 14, 1955

フォー・ホーンズ・アンド・ア・ラッシュ・ライフ
クリエーター情報なし
SOLID/BETHLEHEM
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大物プレーヤーとの共演から今度は大物歌手へのトリビュートへ・・・

2015-03-29 | CONCORD
You're Lookin' at Me (A Collection of Nat King Cole Songs) / Carmen McRae

コンコルドレーベルにベテラン達がやって来た時、アルバム作りにあまり奇を衒った企画をすることはなかった。そのミュージシャンの本来の良さをどうやって再び引き出すかがプロデューサーであるジェファーソンの腕の見せ所であった。

ロースマリークルーニーは、作曲家シリーズが上手く成功した。そしてカーメンマクレーは?となると・・・・。
マクレー自身は、デビュー以来第一線を歩み続け、その時々で色々なアルバムを作ってきた。自らピアノも弾くし、トリオをバックにしてじっくり聴かせるスタイルは大の得意としていた。そして、ビッグバンドをバックにしても、その堂々とした歌いっぷりはバックに負けることはなかった。アトランティック専属時代は新しい歌にも積極的に取り組んできた。
強いていうと、エラやサラと違って大物ジャズミュージシャンとの共演というのはあまり聴いた事は無かった。

そこに目を付けたのか、ジェファーソンは、まずはベテランミュージシャンとの共演を企画した。最初の顔合わせはジョージシアリング。それも、シアリングとのデュオという組み合わせで、意表をついたアルバムでコンコルドに登場した。彼女自身、デュオアルバムというのが長いキャリアの中で初めてだったようだ。

そして、2枚目はカルジェイダーとの共演。これはお囃子部隊を含めたジェイダーグループとの共演。バックはラテン編成だが、曲はラテンに限らず、スタンダードから、新しいスティ―ビーワンダーの曲まで。これもマクレーの隠れた一面を出すことができた好アルバムであった。

当然、次なる企画が楽しみになる。そこに登場したのがこのアルバムになる。
今回は大物との共演ではなく、少し志向を変えてピアニストであり、歌手であるナットキングコールへのトリビュートアルバムであった。マクレー自身もピアノを弾くので、もしや弾き語りが聴けるかと思ったが、このアルバムでは歌に専念してキングコールの愛唱歌を歌うという企画であった。

バックには、自分のトリオに長年キングコールのバックを務めたギターのジョンコリンズを加えた編成で、これもキングコールを意識したものであった。
曲は、もちろんナットキングコールが歌った歌が選ばれているが、POP歌手としてヒットした、ネイチャーボーイやモナリサは無い、枯葉やルート66、あるいは誰もが知っている一般的なスタンダード曲も選ばなかったところが、ジェファーソン&マクレーのこのアルバムでの拘りなのかもしれない。

キングコールの歌の中ではポピュラーな、スイートロレインやジャストユー、ジャストミーなどが選ばれているが、キングコールのオリジナルなどあまり歌われない曲が選ばれている。選曲からも、POPとして有名になる以前の、ジャズ歌手としてのキングコールがターゲットになっているのが窺われる。

キングコールのトリビュートアルバムといえば、オスカーピータソンのアルバムが有名だが、これはある種スタイルも歌声も似ている「そっくりさん」の演奏であり、聴く方もまずはそのような耳で聴いてしまう。

一方で、このマクレーはキングコールとは似ているようで非なるもの。どのように料理するかが聴き所だが、やはりマクレーはマクレー節。一部コールのオリジナルを意識したようなところもあるが、やはりマクレー節で組み立て直している。キングコールのバックというと小粋なスインギーなバックが特徴だが、ここではその良さも引き継ぎながらマクレーの多少重々しさも加わっている感じだ。

ソングブックというと、作曲家シリーズが一般的だが、このような有名ボーカリストの愛唱歌特集というのも、なかなかいい企画だと思う。それも単にヒット曲を並べるのではなく、このようにある一面にスポットライトをあてた物はより想いが伝わってくる。


1. I'm an Errand Girl for Rhythm                     Nat King Cole 3:28
2. Beautiful Moons Ago                   Nat King Cole / Oscar Moore 3:06
3. The Frim Fram Sauce                    Redd Evans / Joe Ricardel 3:53
4. Come in out of the Rain           Bob Russell / Carl Sigman / Rupert Wates 3:08
5. How Does It Feel?                     Roy Alfred / Marvin Fisher 3:58
6. If I Had You            Jimmy Campbell / Reginald Connelly / Ted Shapiro 3:45
7. I Can't See for Looking             Nadine Robinson / Arnold Stanford 3:24
8. Sweet Lorraine                Clifford R. Burwell / Mitchell Parish 3:30
9. You're Lookin' at Me                         Bobby Troope 4:07
10. Just You, Just Me                  Jesse Greer / Raymond Klages 3:55


Carmen McRae (vol)
John Collins (g)
Marshall Otwell (p)
John Leftwich (b)
Donald Bailey (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards

Recorded at Coast Recorders, San Francisco, November 1983
Originally released on Concord CJ-235

You're Lookin' at Me: A Collection of Nat King Cole Songs
クリエーター情報なし
Concord Jazz
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本でのライブからパワフルな演奏を世界へ・・・

2015-03-27 | MY FAVORITE ALBUM

Bobby Enriquez Live In Tokyo


ジーンノーマンというプロデューサーがいる。Gene Norman Presents(GNP)と銘を打ちJust Jazz Concertを主催し、クレッセンドというクラブを経営する一方で、ラジオのディスクジョッキーもやっていた。そして、GNP Crescendoというレーベルも作りその演奏を広くアルバムでも提供した。
このジーンノーマン、名前は良く聴くがノーマングランツやジョージウェインほどビジネス的に実績を残したプロデューサーではなかったようだ。しかし、そのようなプロデューサーほどその仕事には商売抜きで何か拘りを持っていたように思う。

GNPのアルバムにはライオネルハンプトンのスターダストのアルバム、マックスローチ&クリフォードブラウンやチャーリーベンチュラのIn Concertのような歴史に残るアルバムがある。バップムーブメントを支え、それらのコンサートライブを出すレーベルかと思っていたが、GNPには他にもトラディショナルからモダンまでジャズの歴史の節目となるアルバムが何枚かある。

’78年になってから、思い出したようにDave PellのPrez Conferenceのようなチャレンジングなアルバムを出したりもした。レーベル自体は、ジャズに限らず他のジャンルを含めて今でも存続しているようだが、なかなか活動の軸足がよく分からないレーベルだ。

リッチーコールのグループに加わって話題になったフィリピン出身のボビーエンリケという個性的なピアニストがいた。コール共々破天荒なプレーぶりで有名になったが、このエンリケが、ジーンノーマンの目に留まりこのGNPレーベルの専属となった。

そして、そのエンリケが来日した時のライブ録音がある。80年代になって日本発のアルバムも増えてきた時代だ。エンリケのピアノにベースとドラムは日本から参加。場所は六本木のピットイン。たまたま録音が行われたのではなく、事前に企画されたアルバムのようである。というのも、このアルバムの冒頭にはジーンノーマン自身が登場、エンリケをジャズ界でこの30年間で最もエキサイティングなピアニストだと紹介するMCも収められている。80〜81年とリッチーコールのグループで有名になったエンリケを、オーナー自身が期待を込めて日本でセッティングしたレコーディングライブであった。



エンリケのピアノは独学だそうだ。そしてその技はジャンルを問わず、ラグタイムからビバップ、そしてラテン、さらにジャズだけでなくロックから、クラシックまで分け隔てなく吸収していった。それらを時と場合によって子供がおもちゃ箱から好きなおもちゃを取り出すように自由に引き出せるのがエンリケの特徴であったようだ。そして、ピアノを、まさに打楽器のように操るプレースタイルも。

MCの後、ベニーゴルソンのキラージョーから始まるが、リッチーコールと一緒にやっていたせいか、パーカーやガレスピーの曲が多い。かと思うとジョビンのボサノバや、ミスティーなどのバラードもあるが、いずれも力強く輝くスインギーなピアノだ。世の中フュージョンが流行、新しいスタイルのピアノが広まっていた中ではかえって、特異なスタイルといってもいいかもしれない。ジーンノーマンもこれに惚れ込んだのかもしれない。
バックを務めたのはベースの当時売り出し中の福井五十雄、ドラムは守新治。縦横無尽に飛び跳ねるエンリケを良くサポートしている。

このエンリケ、残念ながら大ブレークはしなかったが活動は地道に続けていた。しかし、’96年にその生涯を閉じ過去の人となってしまった。
このようなユニークなピアノも、また楽しいものであったが。

1. Killer Joe                    Benny Golson 6:07
2. Airegin                     Sonny Rollins 2:56
3. After Hours   Mark Gordon / Erskine Hawkins / Avery Parrish 5:35
4. Meditation    N. Gimbel / Antonio Carlos Jobim / N. Mendonça 6:13
5. Misty               Johnny Burke / Erroll Garner 7:15
6. Groovin' High          Dizzy Gillespie / Charlie Parker  4:15
7. Ain't Misbehavin/Honeysuckle Rose Harry Brooks / Andy Razaf / Fats Waller 3:28
8. Holiday for Strings                David Rose 3:41
9. Donna Lee                  Charlie Parker 1:52
10. Bluesette                   Toots Thielemans 5:40
11. Confirmation                 Charlie Parker 4:24
12. Del Sasser              Sam Jones / Donald Wolf 4:31
13. Could It Be Magic              Barry Manilow 6:18
14. Softly, As in a Morning Sunrise Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 4:22
15. Scrapple from the Apple                Charlie Parker 4:06

Bobby Enriquez (p)
Itoo Fukui (b)
Shinji Mori (ds)

Produced by Gene Norman & Kazuo Takeda
Engineer ; Hatsuro Takanami
Recorded at Roppongi Pit Inn, Tokyo on August 7, 1982



Live! in Tokyo
クリエーター情報なし
Gnp Crescendo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロソリーノパワー全開の演奏は、イタリアで現地の若手に囲まれて・・・

2015-03-25 | MY FAVORITE ALBUM
Jazz A Confronto 4 / Frank Rosolino

最近の車は、スピード性能よりはエコ重視、省エネ&環境対応がセールスポイントになっている。とはいうものの、性能自体も別に昔よりも劣っている訳ではない。時々、燃費よりもこの性能を思い切り発揮できるような運転をしてみたいと思う衝動に駆られるが。

ジャズミュージシャンも同だろう。それも日々スタジオワーク中心に活動していると、時には自分の限界に挑戦するようなプレーをしてみたいと思う事もあるにちがいない。
ペッパーアダムスがサドメルを辞め、スタジオワークもやめてソリストとして活動を始めたのも、そのような心境であったのかもしれない。しかし、それは一人ではできない。一緒にプレーするメンバーと、それが実現できる場が必要だ。

60年代の半ば、ジャズの仕事が徐々に減ってきたアメリカのミュージシャンも同じであったと思う。スタジオワーク中心に仕事には困っていなかったフィルウッズもそのようなアメリカを離れ、ヨーロッパに活動の場を求めた。そこで、地元のミュージシャンと一緒にヨーロピアンリズムマシーンを立上げ活動を開始した。そのアルバムを初めて聴いた時、その熱いプレーに度肝を抜かれた。フィル&クイルのバトルも熱かったが、こんなウッズのフルパワーの演奏に接したのは初めてあった。

当時からヨーロッパはそのような演奏を生む土壌があり、その演奏に付き合える地元のミュージシャンがいて、それを支えるファンがいたという事にも感心した。多くのアメリカのミュージシャンがヨーロッパに活動の場を求めたのも頷ける。
日本にも多くのミュージシャンが公演に来日した。しかし、それは短期のツアーで、それも顔見世興行であり、時には手抜きプレーにガッカリさせられることも。日本に来たのもヨーロッパに活動の場を求めたのとは別の目的であったのだろう。その後徐々に日本でも素晴らしい演奏が聴けるようにはなってきたが、ヨーロッパのように日本を本拠地に活動するするミュージシャンというは多くは無い。

トロンボーンの名手フランクロソリーノも70年代に入って、よくヨーロッパを訪れた。トランペットのコンテカンドリとコンビを組むことが多かったが、2人ともイタリア系、ヨーロッパの中でもイタリアは特別な地であったと思う。

1973年そのロソリーノがイタリアを訪れ、地元のミューシャンと共演したアルバムがある。地元のHoroレーベル、73年に誕生し76年まで地元イタリアで活動したレーベルだが、地元のミュージシャンだけでなく、アメリカからのミュージシャンを迎えたアルバムも多い。
イタリア語のライナーノーツなので、残念ながらその内容紹介はできないが素晴らしいアルバムが多い。
このアルバムを初めて聴いた時、フィルウッズのアルバムと同様、ロソリーノのエモーショナルな何かエネルギーがほとばしる感じの演奏にびっくりした。ロソリーノの演奏はもちろんだが、バックを務める地元のミュージシャン達の演奏にも。その後イタリアのジャズ界を代表するメンバー達の若い頃の演奏だ。彼らのその後の演奏を多くは聴いてはいないが、ここでの演奏はよりモーダルな演奏だ。彼等の刺激的なバックの影響もあり、ロソリーノのパワフルなプレーは全開、ただでさえ力溢れるプレーのフルスロットルの演奏が聴けるアルバムだ。



1. Waltz For Roma             Frank Rosolino 8:19
2. Alex                  Bruno Tommaso 7:32
3. Free For All               Frank Rosolino 8:02
4. Blue Daniel                Frank Rosolino 6:47
5. Close The Door               Enzo Scoppa 4:59
6. Skylab                 Bruno Tommaso 6:28
7. Toledo                  Marcello Rosa 4:50

Frank Rosolino (tb)
Giovanni Basso (ts)
Enrico Pieranunzi (p)
Franco D'Andrea (p)
Bruno Tommaso (b)
Bruno Biriaco (ds)

Produced by Aldo Sinesio
Engineer : Massimo Rocci

Recorded at Junior Studios, Rome, May 1973.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーソロフが日本で人気が出たのは、デビットマシューズのお蔭かも・・・・

2015-03-23 | MY FAVORITE ALBUM
My Favorite Things / Manhattan Jazz Quintet Live In Tokyo

クラークテリーの訃報が届いたと思ったら、今度はルーソロフが亡くなったとのニュースが先日流れた。テリーは享年94歳、最後は闘病生活が続いたが晩年まで元気にテリー節のプレーを楽しませてくれた。一方のルーソロフはまだ71歳、最後に生で聴いたのは一昨年のミシェルカミロのビッグバンドで来日した時になってしまった。けっして若くはないがまだこれからという時の突然の訃報であった。

ビッグバンド好きにとって、ソロフの存在はソロでもアンサンブルワークでも、キーマンとしていなくてはならない存在であった。特にギルエバンスのオーケストラでの活躍が一番有名だと思うが、他にも参加したグループは星の数ほどある。サドメルにも一時参加していて、New life, Suite for Popsの2枚のアルバムにも参加していた。

そして、ソロフは日本ではビッグバンド好きのコアなジャズファン以外にも人気がある。その一番の理由はデビットマシューズ率いるManhattan Jazz Quintetの創設時のメンバーであったからだろう。ちょうど80年代前半のジャズブームの時に誕生したグループだ。マンハッタンと名前がついていたが、地元マンハッタンでは聴く事ができない、日本生まれのグループであった。
レコード会社とスイングジャーナル、そしてデビットマシューズの共同企画で生まれたグループは、ある種コマーシャリズムにのって作られたもの。それ故、日本のファンのマーケティング調査が上手くできたのか、ファンのニーズを上手くとらえ、初アルバムから大ブレークした。

スティーブガッドをいう強力なドラムをバックにした、現代風のハードバップサウンドはあっという間に人気を博した。フュージョンらしさを排除したのが良かったのだろう。
スタジオワークが多く無名といってもよかったテナーのジョージヤングとソロフのフロントの2人も、これで広く世に知られる存在になった。17歳の脅威の新人といわれた、ベースのチャーネットモフェットも話題性があった。

このデビットマシューズは、以来このクインテットとビッグバンドで今でもアルバムも作り続ける。創設30年を過ぎたが、毎年のように来日してコンサートを開いている。最初の演奏で如何に根強いファンを数多く獲得したかということになるが、それには当時無名に近かったソロフ達の頑張りも大きかったと思う。

当時は日本企画のグループが生まれ、レコーディングも数多く行われ、日本発のジャズが世界中の原動力にもなっていた時代だった。マシューズ自身もアメリカでは、どうしてもフュージョン色を消したアルバムは作れなかったが、日本でこのような企画ができたことを非常に喜んだといわれているが、まさかここまでブレークするとは思わなかったであろう。

一方で、ソロフはアメリカではその前にブラッドスェット&ティアーズ(BST)のメンバーとして世に知られるようになっていた。BSTやチェイス、そしてシカゴといったといったようなブラスロックのグループには、ジャズミュージシャンが加わり、またそこからジャズの世界に入ってきたミュージシャンも多い。



このBSTのアルバムNo Sweatは、BSTの第2期ともいえる時のアルバム。グループ全体でジャズ色が強くなってきた。収められている曲に、ジョンルイスのジャンゴなどもあり、ジャズファンとしてはこれを見て嬉しくなったものだ。このアルバムのメンバーの中には、これもニューヨークのビッグバンドでの重鎮であるトロンボーンのデイブバージェロンの名前も見られる。

ソロフのジャズアルバムへの最初の参加となると、先日紹介したメイナードファーガソンの1967年のアルバム”Ridin’ High”ではないかと思う。同じく新人のルータバキンなどと一緒に参加しているが、ここで演奏している彼等も将来の自分達の活躍をその時は想像できなかったであろう。ファーガソンは良い新人を発掘していたということになる。

このところ日本でのライブアルバムの紹介が多いが、このアルバムも1987年に来日した時のライブ。
ベースは設立メンバーのモフェットからエディーゴメツに替わっている。最初のアルバムからブレークし、来日公演も2度目という事もあり、メンバー達に会場の熱気を受け入れる余裕も感じされ、よりこなれた演奏が繰り広げられている。このバンドの特徴のひとつはマシューズのアレンジ。このマシューズ節も今では大分ナツメロサウンド(という位コンセプトが変っていないともいえるが)になっているが、この頃はまだまだ発展途上であった。

1. My Favorite Things
2. No Groovin’ Allowed
3. You’d Be So Nice To Come Home
4. Pina Colada
5. What’s Cooking?
6. Recade Bossa Nova

Lew Soloff (tp,flh)
George Young (ts)
David Matthews (p)
Eddie Gometz (b)
Steve Gadd (ds)

Produced by Shigeyuki Kawashima & David Mathews
Engineer : Hatsuro Takanami
Recorded live at Nakano Sunplaza, Tokyo, April 14 & 15 1987


マイ・フェイバリット・シングズ
Manhhatan Jazz Quintet
キングレコード
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

常々本当にやりたいと思い続けていたことを、いざやってみると・・・・

2015-03-21 | CONCORD
Concepts / The Mark Levine Quintet

人生長く生きていると、日々の仕事をがらりと変えるには抵抗があるものの、少しは変化を持たせたくなる。音楽をやっている人は「仕事は単にお金のためだけでもない」と、余計にその思いに駆られることはあるだろう。特に楽器をやっている人にとっては、普段演奏している楽器とは別の楽器をやってみたいという衝動にも。器用なミュージシャの中には色々チャレンジして結果的に何でもできるようになる人も。ジェイムスモリソンように一人ビッグバンドをやるまで極めるのは極端にしても。

ボブブルックマイヤーやジェリーマリガンのように、管楽器のプレーヤーが時にピアノを弾く事はそれほど珍しいことではない。デュークピアソンのように管楽器からピアノに転向し作編曲、プロデュースへ守備範囲を広げたプレーヤーもいる。しかし、反対にピアノから管楽器に転じたミュージシャンというのはあまり聞いたことがない。それも、学生時代ならまだしも、プロでかなり実績を積んでからいきなりというのは。

ウディーショーやブルーミッチェルなどのメインストリームのグループでピアノを弾き、カルジェイダーのグループに加わってからはラテンタッチのピアノでも活躍していたピアニストにマークレビンというピアニストがいる。カルジェイダーの最後のグループに加わって、Conocrdに何枚もアルバムを残していた

このレビンは昔トロンボーンを吹いていた事があり、ピアノを本業にしてからも常々「本当はトロンボーンが一番好きな楽器だ」と思い続けていた。しかし、実際の生活のためにはピアノの方が稼ぎやすいという現実があり、好きでもない女性と結婚してしまったような、ある種妥協した音楽生活をおくっていた。このような状況になると、果たせぬ夢に対する想いは募るばかり。

1982年にジェイダーが亡くなったことで、レギュラーのバンドが突然解散したのも一つのきっかけであろう。突然ピアノを捨ててトロンボーンの練習を再び一から始めることにした。
しばらくして、このトロンボーンの演奏を生かすべく、自分のバンドも結成する。若手中心のメンバーを集め、演奏スタイルも自分のイメージどおりに組み立て、曲やアレンジも自ら新たに起こした。イメージはブルーノートでのフレディーハバード、ウェインショーター、ハービーハンコックなどのグループのイメージだったそうだ。ちょうど60年代のハードバップ、ファンキーからモーダルなスタイルに変った頃のイメージだ。

そして、そのグループのアルバムを作ることに一役買ったのはカールジェファーソン。ジェファーソンは声を掛けたのか、レビンが頼み込んだのかは分からない。少なくとも演奏内容は必ずしもジェファーソン好みという訳ではなかった。しかし、この頃はアルバム自体のプロデュースはミュージシャンに任せてしまい、自分は中身にはタッチしないということもよく行うようになっていた。それ故、コンコルドカラーとは少し違ったアルバムも結構誕生してる。反対に自らプロデュースするアルバムには更にこだわりを持つようになったので、カタログの幅は広がった。

という経緯でこのアルバムは誕生した。タイトルはConcepts。まさにマークレビンが長年イメージしていた内容なのだろう。確かに針を下すと一曲目からコンコルドのいつものアルバムとは雰囲気が違う。トロンボーンとテナーの組み合わせのフロントはただでさえ重厚なサウンドになるが、コンコルドお得意のスイング感やウェストコースト風の軽快感もない。リズム隊を含めて全体がレビンの狙い通りのモーダルな演奏で始まる。
オリジナル曲が続くが、B面に入りスカイラークやジターバグワルツなどのお馴染みの曲も登場する。しかし曲想は変わらない。これが、レビンのやりたいことだというのは良く分かるが。

カルジェイダーのバックで軽快にピアノを弾いていたレビンと同一人物の演奏は思えない。別に悪くはないし、トロンボーンの演奏もけっして「俄か仕立て」といった感じは全く感じさせず堂に入ったもの。しかし、それで?といった感じは否めない。果たして何の予備知識を持たないで聴いたらどんな印象を受けただろう。

このグループは、しばらく活動したがすぐに解散してしまう。レビンもその後はピアノの演奏中心に戻ったようで、このトロンボーンの演奏は一時の浮気のようなものであった。浮気は目立たないように、時と場合を弁えてやっているときは楽しいが、あまり思い詰めて本気モードになるとかえって辛くなるものだ。その後はマークマーフィーのアルバムに参加する時はトロンボーンを吹いていたようだが、最初からその程度がよかったのだろう。

1. Keeper of the Flame                Mark Levin 5:43
2. After You                     Mark Levin 5:30
3. Greased                      Mark Levin 4:28
4. Ask Me Now                  Theronious Monk 6:38
5. Black Masque                    Mark Levin 4:36
6. Skylark             Horgy Carmichel-Johnny Mercer 6:19
7. Jitterbug                  Waltz Fats Waller 8:08
8. Up Jumped Spring               Freddie Hubbard 5:34

Mark Levin (vtb)
Chuck Clark (ts)
John Halle (p)
Jeff Carney (b)
Erik Von Buchau (ds)

Produced by Marl Levin
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, June 1983
Engineer : Phil Edwards
Originally released on Concord CJ-234
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変化をさせるのは簡単だが、良い物のいい所を変えることなく残していくのはかえって難しいかも・・・

2015-03-20 | MY FAVORITE ALBUM
Tune Up! Sonny Stitt

先日吉祥寺に行く用事があったので、久しぶりにジャズ喫茶「Meg」に寄ってみた。何十年ぶりだろう。寺島靖国氏の拠点、今では活動のメインは寺島レコードなのか昔の雰囲気は無かったが、噂のスピーカーアヴァンギャルドDUOを聴けたのは収穫であった。ライブがメインなようなので、今度は夜に寄ってみようと思う。



自分は熱烈寺島ファンという訳でもないが、寺島氏の「聴いて楽しいジャズ」に共感する部分はある。確か寺島氏の最初の本「辛口ジャズノー」トにも記述があったと思うが、ジャズは進化していていくものか?という昔良く行われた議論に対し、ジャズは分化こそするが進化はしないと言い切っていた。寺島氏の基本スタンスだろう。

自分も新しいもの、珍しいものに興味はあるが、ビッグバンドが好きになり、Concordレーベルが好きになった時点で「進化」に対してあまり興味は無くなった。最近棚卸やライブに良く通うようになったのがきっかけで、新しいアルバムやプレーヤーに接することがまた増えてきたが、当時から30年近く経ってもこの自分のスタンスは変わりそうにない。

ドンシュリッテンというプロデューサーがいた。彼の基本スタンスはビバップ、時代が変わってもこの路線は基本的に崩さなかった。
ペッパーアダムスがサドメルに入った直後の67年、バリーハリスのアルバムLuminescence! に参加したが、他のデュークピアソンのアルバムではジャズロック風の演奏が増えてきた中、シュリッテンがプロデュースしたこのアルバムのバリバリのハードバップサウンドが印象的だった。

そして、時代は70年代へ。チックコリアのリターンツーフォーエバーなどが登場し、周りはさらに変化をしていった中、コブルストーン、Museといったレーベルを作ったが、そこでも基本的なスタンスは変わらず、そこでこのソニースティットをリーダーとしてこのアルバムを作った。

ソニースティットの後期のアルバムとしては代表作の一枚だろう。全く軸足にブレの無い爽快な演奏だ。スティット自身、若い頃はパーカーにそっくりだと言われて気が引けたようだが、反対に「同じように吹けて何が悪い」という開き直りで吹っ切れている。ピアノのバリーハリス、ベースのサムジョーンズにも変な気負いが無い。そして、このアルバムのもう一つ素晴らしい点が、ドラムがアランドーソンであること。目立たたず、派手さは無いが、実に上手いと感じさせるのが本当の名手なのだろう。自分は、マリガン&ブルーベックのグループで初めて聴いた時からのお気に入りだ。更に遡れば、50年代の初め、クインシージョーンズやクリフォードブラウンと一緒にライオネルハンプトン楽団でヨーロッパにも遠征した大ベテランだ。

常に新しいもの、そして変化を求めるジャズファンにとっては何の掴みどころのない平板なアルバムで、このアルバムのどこがいいと思うかもしれない。あるいはスティットも、歳をとったが何も進化が無いと感じるかもしれない。その余計な変化がないのがこのアルバムの良さだろう。そして、そのようなアルバムを作れたのがドンシュリッテンの手腕ということのように思う。

先日パーカーの命日には、澤田一範のパーカートリビュートのWith Stringsライブがあった。ストリングスには普段聴けない物珍しさもあるが、このグループの良さは。ピアノの竹内亜里沙以下のトリオの面々。バップスタイルを守り、堅実なベースの小林航太郎、そしてドラムの田村陽介も控えめな所が好きだ。

パーカーが亡くなったのは1955年、今年は没後60年だそうだ。‘55年というと録音はSP時代からLP時代に入っていたとはいえ、残されたパーカーの演奏を本当に良い音では聴く事はできない。寺島氏ではないが、ジャズははやりいい音で聴かないと本当の良さは分からないと思う。
という意味では、パーカーの世界を、色々なミュージシャンが手を替え品を替え、今の時代にいい音で楽しませてくれるのは嬉しい。それを実現してくれる本当のそっくりさんがいて欲しいものだ。このスティットのアルバムも、パーカーがこの時代に生きていたらと思って聴くのもいいかもしれない。




1. Tune-Up                Miles Davis 4:53
2. I Can't Get Started    Vernon Duke / Ira Gershwin 5:32
3. Idaho                  Jesse Stone 4:29
4. Just Friends        John Klenner / Sam M. Lewis 4:28
5. Blues for Prez and Bird          Sonny Stitt 4:30
6. Groovin' High            Dizzy Gillespie 4:24
7. I Got Rhythm       George Gershwin / Ira Gershwin 9:41

Sonny Stitt (as,ts)
Barry Harris (p)
Sam Jones (b)
Alan Dawson (ds)




Tune Up
Sonny Stitt
Muse Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スコットハミルトンのホームタウンは一体どこだろう・・・・?

2015-03-18 | CONCORD
The Scott Hamilton Quintet In Concert

75年クインシージョーンズの来日の記事を当時のスイングジャーナルで見ていたが、その頃来日するジャズミュージシャンはまさに目白押し状態。大物同士がバッティングすることもあった。話題となるような大物だけでなく個人で来日するミュージシャンを含めると月に5組以上(要は毎週のように)が常態化していた。それも、ほとんどのグループが全国を長期間ツアーしていった。
自分も結構聴きに行ったつもりだったが、こうやって見返してみると当然行けなかった方が遥かに多い。今思えば、聴き逃したのが残念至極というコンサートがいくつもある。当時は来日ミュージシャも多かったが、聴く方もそれに負けないほどファンが多かったということだろう。

75年というと、コンコルドレーベルが活動を本格化した頃。コンコルドジャズフェスティバルのメイン会場であるコンコルドパビリオンもこの年にできた。そして、新人スコットハミルトンが地元でプロデビューしたのもこの頃だ。

そのスコットハミルトンが今年も来日する。日本に来るのは何回目だろう。今回は、スペインのジョアン・チャモロ・クインテットに天才少女アンドレア・モティス(といってもまだ聴いた事はないが)が一緒という豪華版のようだ。ハミルトンは自分より5歳年下、若手と思っていたハミルトンも還暦を迎えたはず、しばらくライブを聴いていなかったので今回は果たしてどんなプレーを聴かせてくれるか楽しみだ。

さて、そのハミルトンだが、コンコルドレーベルと一緒にあっという間に看板スターになり、コンコルドオールスターズ(スーパーバンド)にも加わって世界中を廻った。日本にもそれらのグループに加わって来日したが、78年のConcord Supper Band in Tokyo79年CONCORD SUPPER BAND 281年Tour De Force / Al Cohn, Scott Hamilton, Buddy Tateの来日時の演奏は、それぞれがアルバムとなって残っている。コンコルドレーベルの新星として自らのアルバムだけでなく、他のミュージシャンのアルバムへのゲスト参加も加えると、1983年までに参加したアルバムはすでに31枚となっていた。

ハミルトン自身が有名になりすぎたので、彼と一緒にボストンでプレーし、初めてニューヨークに出て来た時の仲間達と演奏する機会は当然少なくなっていたが、82年2月に久しぶりに彼らと一緒にアルバムClose Upを作った。
都会に出て田舎の仲間との付き合いも疎遠になってしまっていたが、久々に里帰りし、旧友達と昔話に花が咲き、いつの間にか地元の言葉になっていたといった感じだろう。

そして、翌1983年このメンバーで来日した。当時は、ジャズフェスティバルブームの真っ只中、オールスターズで来日し大きなフェスティバルへの参加であれば、会場は野外の大会場が普通だった時代だ。
しかし、この時は地味なハミルトンの単独コンサートだったので、会場は小さ目のヤマハホールであった。録音の雰囲気からも感じるが、ジャズのコンボはホールといってもこの程度の規模が丁度いい。

しかし、いくら気心の知れたオリジナルメンバーでも、演奏する場はアウェイの日本。ホームタウンのニューヨークやボストンでの演奏とは多少リラックス感が違ったかもしれないが、演奏内容はハミルトンに限らず全員いつものようにスインギーで小気味よいプレーだ。

スコットハミルトンはデビュー当時、ベンウェブスターやイリノイジャケ―の「そっくりさん」といわれたが、デビュー当時からハミルトンは自分が影響を受けたのは一人、二人ではなく30人以上だと豪語していたという。それだけ、若い頃から自分のスタイルには自信があったのだろう。それ故、一時の人気で消え去ることなく今まで第一人者で居続けられるのだろう。

このアルバムの録音から40年以上が経った。ミルトンは、その後生活の拠点をロンドンに移す。ボストン生まれのハミルトンは、ホームタウンはヨーロッパの雰囲気が好みなのかもしれない。最近の拠点はイタリアと聞く。
プレーの本質は変わらなくとも、世界各地で演奏することでプレースタイルは微妙に変化しているかもしれない。これまでの日本の演奏もスタイル形成の糧となっているに違いない。

歳をとると生まれ故郷の生活の拠点を戻す、要は田舎に帰る人は多い。ハミルトンのようにグローバルで活動し、生活の拠点を移すと、ホームタウンは今や自分を育ててくれた世界中の街に広がっているように思う。生まれ故郷だけでなく、今までの自分を育ててくれたところがすべて故郷のようだ。今回の来日も里帰りかもしれない。ゲストを交えてハミルトン流のリラックスした演奏を楽しみたいものだ。

1. I Can't Believe That You're in Love With Me  6:55
2. Wrap Your Troubles in Dreams         5:36
3. I've Found a New Baby            5:08
4. When I Fall in Love              5:46
5. Whispering                 7:04
6. Sultry Serenade               6:36
7. Stardust                   3:53
8. One O’clock Jump              5:05

Scott Hamilton (ts)
Chris Flory (g)
John Bunch (p)
Phil Flanigan (b)
Chck Riggs (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded live at Yamaha Hall, Tokyo, Japan June 1983
Recording Engineer : Tameo Kawada

Originally released on Concord CJ-233



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズから離れたクインシーの中で、唯一光るのはロソリーノのソロだけ…

2015-03-17 | MY FAVORITE ALBUM
Body Heat / Quicy Jones

季節の変わり目は体調を崩しやすい。鼻がぐずつきだし、喉がいがらっぽくなり、目がもぞもぞしてきたので、いよいよ花粉症の本番到来かとかと思ったら、想定外の発熱。週末は予定していたゴルフも止む無く取り止め、普段であれば滅多な事ではキャンセルしないのだが。結局3日間も床に臥せることとなってしまった。

時間はできても、体調が悪いと何もする気が起きない。ジャズを聴くのもBGMとしてはいいが、とてもじっくり聴くにならない。溜まっていた本を読むのも億劫。つまらないテレビを見る気にもならないが、海外ドラマの録画だけは一気に片付いた。

一番よかったのは、最近youtubeに沢山あがっている色々な講演や放送コンテンツを聴く事であった。寝ながら聴けるし、途中で寝てしまうことも多かったが、気になればまた聴き直せばいいし、これは今後病みつきになるかもしれない。歳をとるとラジオを友にする人が多いと聴くが、確かにそうかもしれない。

さて、大分体調も戻ったので、ボチボチ復帰することとしたものの・・・。中断していたものを復活するにはきっかけが大事。さて何から?
先日、スーパーサックスのTokyo Liveのアルバムを紹介したが、その辺りから続きを。

そのアルバムにゲストとして参加していたフランクロソリーノ。トロンボーンファンの中には熱烈なファンの方も多くいらっしゃるようだが、自分は何となくという事になる。知らず知らずの内にアルバムが増える、J.J.ジョンソンよりロソリーノの参加しているアルバムの方が、遥かに数が多いというパターンだ。しかし結果的にファンであることは間違いない。

このスーパーサックスが来日したのは、1975年1月。この辺りは自分が社会人になって直ぐで記憶が鮮明な頃だ。ロソリーノだが、その直後の4月には今度はクインシージョーンズのオーケストラで来日している。社会人になり金銭的も余裕ができていたし、クインシーが好きな自分にとっては、迷わずコンサートに駆けつけるはずなのだが、このライブは躊躇してパスした。というのも、この時クインシーの新しいアルバムとして流行っていたアルバムがこのBody Heatであった。どうもこのアルバムを好きになれないでいた。今思えば、「ビッグバンドが無くなったじゃない」ということだったと思う。

もう一昨年になってしまうが、クインシージョーンズ御一行様の大コンサートが東京フォーラムで開かれた。1部、2部に分かれていたが、内容はもっと多彩に分かれていて、クインーの歴史のような構成7時に始まり。終ったのは11時過ぎ、4時間を超える長丁場のステージであった。クインシーのこれまでの偉業を知る今聴けば、大プロデューサークインシーのすべてを聴く事ができ、楽しく、また有意義なものではあった。もちろん、お目当てはクインシービッグバンドで行ったのだが、それはエアメイルスペシャルから数曲であったが、それは仕方がないと諦めもついた。

クインシーは色々な賞を数多く受賞しているが、グラミー賞でJazzと名がつく賞をとっているのは、1969年のWalking in SpaceでのBest Large Jazz Ensemble Performance、1993年のMiles & Quincy Live at Montreuxでの、Best Large Jazz Ensemble Performanceくらいだ。

今思えば、このBody Heatをジャズと思って聴いていたのがそもそも間違いであったのだが。

しかし、このボディーヒートのアルバムの中で、好きな曲が2曲あった。
ひとつは、Everything Must Change。ジャズアルバムかどうかは別にして、この歌自体は気に入った。
しかし、それ以上にいいと感じたのは、後半に出ているフランクロソリーノのソロ。これはジャンルを超えて絶品だと思った。
すべては変わらなければ駄目だと歌い上げているのに、いつも通りのロソリーノが「俺は何も変える気はないよ」と諭しているように思えてならない。



そして、ベニーゴルソンのAlong Came Betty。これはボーカル無しで、ヒューバートロウズのフルートを一応フィーチャーしているが、ロソリーノのそれとは違う。これは、あくまでもThe Birth of a Bandの頃のアレンジとの違いを楽しむ曲だろう。自分はやはり60年代のアレンジの方が好きだが。



昔のアレンジはこちらで、


当時のスイングジャーナルを繰ってみた。歌手の後藤芳子のコラムがあった。彼女は同行したレイブラウンの知己であり、羽田に迎えに行った彼女が、ブラウンがベースを持ってこなかったことにビックリしたが、コンサートを聴いて納得とある。そして、コンサート評自体もロソリーノやサヒブシハブがもっとクローズアップされていればといった論調であった。



いつも、細かく書いているパーソネルは省略する。というのも数が多すぎるので。
特に、キーボード、ギター、そしてパーカションは当代の名手が勢揃いしている豪華版で曲によってそれぞれの音作りの技を競っている。それも聴き所なのかもしれない。そんな時代でもあった。

そうそう、5月の連休中は、新宿Somedayは毎年ビッグバンドウィーク。今年もスケジュールが発表されているが、

5月5日に小林正弘率いるOne Night Jazz Orchestraが、 Quincy Jones Night ! で出演する。
昨年、クインシージョーンズのコンサートでオーケストラを務めた面々だ。昨年も、舞台で披露できなかった他の多くの曲を披露してくれたが、今回も同じプログラムであろう。
クインシージョーンズのビッグバンドファンで、昨年のコンサートが消化不良であった方々にはお勧めのライブだ。

1. Body Heat  Bruce Fisher / Quincy Jones / Stan Richardson / Leon Ware 3:58
2. Soul Saga (Song of the Buffalo Soldier)           Quincy Jones 4:58
3. Everything Must Change              Benard Ighner 6:01
4. Boogie Joe, the Grinder  Tom Babler / Dave Grusin / Quincy Jones 3:09
5. One Track Mind                  Quincy Jones1:01
6. Just a Man                    Quincy Jones 6:14
7. Along Came Betty                 Benny Golson 3:31
8. If I Ever Lose This Heaven           Pam Sawyer / Leon Ware 4:47

Produced by Quincy Jones & Ray Brown
Frank Rosolino (tb)

Body Heat
Quincy Jones
A&M
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レーベルの立上げに選ばれたのは、町の名士のビッグバンド。というのも・・・

2015-03-14 | MY FAVORITE ALBUM
Debut / Full Faith & Credit Big Band

ペッパーアダムスのアルバムを紹介している中で、Urban Dreamというアルバムが、当初はPalo Altoレーベルから出たことを書いた
パロアルトというと、サンフランシスコの少し南、いわゆるシリコンバレーの入り口。いわゆるベイエリアといわれる辺りで、西海岸といっても、ロスやハリウッドとは違う一体だ。自分が好きで良く採り上げるコンコルド市はサンフランシスコ湾を挟んで反対側になる。
いずれにしても、ニューヨークともロスとも違う雰囲気の場所だ。パロアルトレーベルはこのパロアルト市に1981年にできた。いわゆる音楽監督には、評論家&プロデューサーであり、DJもやっていたHerb Wongが全面的に監修に加わった。

これも紹介したアルバムで、コーラスグループレアシルクのAmerican Eyesがラストアルバムとなる。3年近くの活動期間で80枚を超えるアルバムを出しているので、中には面白いアルバムもあるのだが・・・。

では、このレーベルのファーストアルバムはというと、このアルバムになる。ビッグバンド物であり、そのバンド自体が地元以外では全く無名なので、初アルバムにしてはインパクトが無い。
自分もこのアルバムをどうして持っているかもよく覚えていないが、たまたま珍しいビッグバンドアルバムという事で中古アルバムを纏めて購入した時に手に入れたのだろう。

という訳で、今回聴き直すのは初物を聴くような感じであった。
メンバーを見渡しても全く知らない、曲もオリジナルが多くスタンダードは数曲。とにかく聴くしかないというで、聴き始めると一曲目はベイシー、昔のハーマン風のスイングする曲。途中のフレーズは、サドメルのグルーブマーチャントをパクったのではないかというほど似た感じだ。しかし、サドメルのようなサックスのソリがある訳でもなく、ソロを無難に廻して終わる。

ジャケットをざっと眺めるとコンマス的な役割で、レイブラウンという名前がよく出てくるので、もしやと思ったが、これはベースのレイブラウンではなく、同姓同名のトランペッター。このアルバムではアレンジも提供しているが、ソロでもフィーチャーされている。70年代の前半はスタンケントンオーケストラに参加していたようだ。50年代は西海岸で活躍したほとんどのミュージシャンが、ケントンかハーマンの卒業生だったが、時代が変り、この時代になっても、ケントンのオーケストラの役割は変わっていなかったことを再認識。

コンベンショナルなバンドかと思ったが、2曲目になると8ビートに、次はスローな曲だが雰囲気はメイナードファーガソンのバンドの感じ。ただし、あの迫力とドライブ感はないので、そんなもんかで終わる。

80年代の最初というと、ニューヨークではサドジョーンが抜けた後、メルルイスオーケストラが頑張っていた。日本では高橋達也を始めとしてどのバンドも絶好調。それらのバンドと較べると色々やりたいのは分かるが、今一つ特徴がないバンドだ。

B面に移ると最初の組曲は、メイナードファーガソンのオーケストラでアレンジを担当していた故Willie Maidonに捧げた組曲。アレンジに力を入れたのだろうが、まずまずの出来。スタンダード曲のThe Song Is Youは、キャノンボールアダレイをイメージし、ソリストにPaul Robertsonが加わるが、その迫力はアダレイには及ばない。

という訳で、多分地元で活動していたビッグバンドのデビューアルバムであった。設立は1975年としばらく前から活動していたようだが、最初はやはりメイナードファーガソンのレパートリーを演奏してようだ。
そして、このバンドのもう一つの特徴は良く読むと、フルタイムのプロのミュージシャンが中心だが、地元の金融ファンドのエグゼクティブが3人がキーマンとして加わっていること。
Jim Berhamはレーベルのオーナー、Dent Handがプロデューサー、そしてPaul Robertsonがソリストとして。

演奏自体を採点すれば3つ星だが、小さな田舎町でも、このようなレーベル(アルバム)が地元の経営者の支援で立ち上げることができることには感服する。それを知ると、この3人の努力に敬意を払って、もう一つ星プラスしてもいいかも。
改めてジャケットを見渡したが、知っている名前は、コンコルドでお馴染みのレコーディングエンジニアのPhil Edwardsだけであった。


1. Neverbird             Ray Brown 6:06
2. Fast Buck’s           Paul Potyen 4:51
3. She’s Gone          Chuck Mangione 6:19
4. Mi Burrto             Ray Brown 4:11
5. My Man willie          Ray Brown 11:05
 1) Staraight Ahead Bebop
 2) The Epiyome of the Ballad
 3) In Orbit
6. The Song Is You         Jerome Kern 3:21
7. Procrastination City       Ray Brown 4;04


Full Faith & CreditBig Band

Steve Keller (as)
Dave Peterson (as)
Matt Schon (ts)
Chuck Wasekanes (ts)
Dennis Donovan (bs)
John Russel (tb)
Mike Birch (tb)
Joek Karp (tb)
Paul Williams (btb)
Dick Leland (btb)
Smith Donson (p)
Paul Polyen (p)
Sward McCain (b,eb)
Ed MacCary (ds)
Steve Brown (g)
Dave Esheiman (Baritone Horn)
Billy Robinson (tuba)
Ray Brown (flh)
Jim Benham (flh)
Paul Robertson (as)

Produced by Dent Hand
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Music Annex Mario Park CA


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スタジオ録音か、それともライブがいいか?オリジナルかカバーか?

2015-03-12 | MY FAVORITE ALBUM
The Japanese Tour / Supper Sax

常識的にはきちんと作られたスタジオ録音のアルバムの方がいいし、カバーがオリジナルを上回ることは滅多にないが、時には・・・。

サックス好き、それもアンサンブル好きにはたまらないグループにスーパーサックスというグループがあった。
有名プレーヤーのアドリブソロをコピーし、アンサンブル化するというのは時々行われるが、全編チャーリーパーカーのアドリブをアンサンブルで演奏するという試みには、最初びっくりした。
最初は西海岸のスタジオミュージシャンのお遊びかと思ったが、その出来栄えを聴いてさらにびっくり。

そして、中身をじっくり聴くと、パーカーのメロディーラインはもちろんアルトがとるが、バリトンがそのアルトにピッタリついて、あのパーカーのフレーズを吹いているのにまたまたびっくり。
アンサンブルで、バリトンは他のセクションと離れて一人我が道を行くことが多く、メロディーラインの引き立て役に回ることが常であるが、ここでは準主役のような扱いだ。
パーカーのフレーズをアルトでやるのも大変なのに、同じフレーズを図体の大きなバリトンでやるのはそれなりのテクニックが無いとできない芸当だと当時も感心した。

みんな揃ってサックスセクションのソリというのは良くあるが、普通それは一部だけ、全編ソリのようなアレンジはそうそうない。合わせるだけでも大変そうだと思ったが、彼等も最初は11カ月も練習したとか。

73年がアルバムデビューであったが、リーダーのメッドフローリーが思いついたのは、1955年ウディーハーマンオーケストラに居た時という。実は、その時のハーマンのオーケストラでは、同じような試みがラルフバーンズのアレンジの中でおこなわれていた。

56年にロスに移ると早速3曲、5サックス用の譜面が完成。さっそくメンバーを集めてリハーサルを行った。メンバーであったジョーマイニーが生きている間に、その内の一曲はテープに残したが、その後マイニーが亡くなってしまったこともあり、構想は立ち消えになっていた。その構想を復活して、このアルバムに繋げたてくれたのは、他の曲のスコアづくりに協力したベースのバディークラークのお蔭であった。

そして、最初のアルバムPlays Birdが実現することに。企画、内容ともにファンだけでなく関係者に感銘を与えたのだろう、その年のグラミー賞Best Instrumental Jazz Performanceをいきなり受賞する。キャピタルとの契約で、Salt Peanuts、with Stringsと続けて3枚のアルバムを出され、一躍世に知られることになる。

当然、レコードだけでなく、ライブでの要望も増えてくる。ロスでは地元のクラブドンテを本拠地にしていたが、日本にも話題になって評判が広まった75年1月に来日している。
2週間に渡る全国ツアーであった。同じ時期に大物マイルスのコンサートもあったが、ファンを魅了した。自分も聴きに行って、ライブの演奏にまたびっくりした記憶がある。

その時の演奏がこのアルバムである。CDになって世に出たのは20年近く経ってからだが、あの感激を再び味わえるだけでも自分にとっては有難いアルバムだ。





さらに、このグループのもう一つの特徴は、最初からトランペットのコンテカンドリやトロンボーンのカールフォンタナなど、ゲストのソリストを入れていたことだ。
こちらは、パーカーのアドリブアンサンブルとは関係なく自由にサックスセクションを引き継いでアドリブを繰り広げた。これがサックスのアンサンブルがノリノリの助走をつけた後のソロなので当然のようにいい感じになる。

この75年の来日に際しても、当初はコンテカンドリを予定していたが、レギュラーでテレビ番組に出演していたカンドリは、2週間も長い休みがとれないということで断念。トランペットのピンチヒッターは見つからず一人来日したのが、トロンボーンのフランクロソリーノであった。このロソリーノが2人分の活躍をする。

ロソリーノは先日紹介した、トロントへの遠征の前年、ソリストとしての活動に力を入れていた好調な時期であった。全曲で、ロソリーノのソロが存分にフィーチャーされているので、ロソリーノファンにもたまらないアルバムだ。前回紹介したギタートリオとの共演より、当然ながらスーパーサックスをバックにすると、ロソリーノの超絶テクニックは一層冴えわたる。

そして、最後にこのライブの素晴らしさが、サックスセクションの面々のソロもたっぷりと聴けることだ。特に、ソルトピーナツでは、アルバムでは聴けないウォーンマーシュのソロが聴けるのも貴重だ。最後のMoose the Moocheでは、サックスのソロのバトルも披露してくれる。
スタジオ録音より制約が少なくなり、演奏の自由度が増し、曲の時間も長くできるので、ライブならではのノリとなって終わる。

スーパーサックスのライブアルバムというのは、自分が知る限り他にはないので貴重だ。サドメル同様、ライブでこそ本当の魅力を味わえるバンドだ。
ライブがスタジオの演奏を上回るのは、このように大きな編成のグループでアンサンブルとソロが聴衆の反応に呼応して、上手くバランスよく収まった時のように思う。
オリジナルのパーカーも、ここまで拘ってカバーしてくれれば満足しているだろう。

そういえば今日、3月12日はパーカーの命日。恒例の日本のパーカーでもある澤田一範のwith Stringsのライブがある。これもなかなか聴けないライブ、まだ聴いた事の無い方は是非一度どうぞ。



1. Scrapple from the Apple            Charlie Parker 10:01
2. All the Things You Are  Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 10:51
3. Salt Peanuts                 Dizzy Gillespie 6:41
4. Parker's Mood                Charlie Parker 5:01
5. Just Friends          John Klenner / Sam M. Lewis 3:10
6. Ornithology           Benny Harris / Charlie Parker 7:54
7. Embraceable You        George Gershwin / Ira Gershwin 2:45
8. Moose the Mooche               Charlie Parker 8:49

Frank Rosolino (tb)
<Super Sax>
Med Flory (as)
Joe Lopes (as)
Warne Marsh (ts)
Jay Migliori (ts)
Jack Nimitz (bs)
Lou Levy (p)
Buddy Clark (b)
Jake Hanna (ds)

Tom Gramuglia Executive Producer
Produced by Bob Edmondson
Recorded in Tokyo, January 1975

The Japanese Tour
クリエーター情報なし
Hindsight Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怪我からの復帰祝いは、昔からの友人のリーダーアルバムのお祝いを兼ねて・・・

2015-03-10 | PEPPER ADAMS
Opalessence / Hod O’Brien Quintet featuring Tom Harell and Pepper Adams

自らバップ時代を知っていて、そのスタイルを守るピアニストの代表格はバリーハリス。まだ元気に現役を続けている。そして、少し年は若いがバリバリの現役にホッドオブライエンがいる。50年代にオスカーペティフォード、アートファーマーなどとの共演歴があるが、一時ジャズ界から引退し、コンピューター関連の仕事をしていたという。

そのオブライエンがジャズ界に本格的に復帰したのは80年代に入ってから。長いブランクであった。
したがって、最近のジャズ事情に詳しい方であれば良く知っているかもしれないが、自分のように古いジャズファンで最近の事情に疎い人間にとっては、それは誰?良く知らないピアニストということになる。

リーダーアルバムを作ったのも80年代以降、復帰後の50歳を過ぎてから人気が出て、最近では「年老いて益々盛ん」なピアニストのようだ。参加するアルバムが増えてきたのも90年代以降なので、このアルバムが初めてのリーダーアルバムといっても良いくらいの遅咲きだ。

自分にとってこのアルバムは?というと、例によってペッパーアダムスが参加しているので買い求めたもの。このオブライエンが目的であった訳ではない。
トムハレルが参加しているのと、ジャケットのちょっとマイケルジャクション似の風貌と名前から、実は勝手にヨーロッパ系の新人位に思い込んでいた。その割には、新しいスタイルには惑わされることなく、伝統的なスタイルのピアノをきちんと弾くなとは思っていたのだが。

先日、アルトの大森明のライブに行って、新しいアルバム「マンハッタン組曲」を紹介されたので、ジャケットを眺めるとニューヨーク録音。ピアノは「伝説のピアニスト、ホッドオブライエン」とあった。どこかで聴いた事があるなと気になって確認したら、このアルバムのオブライエンであった。これで初めて繋がったという次第。



そして、ライナーノーツを見ると大体アルバム事情も呑み込め、位置づけもクリアになった。

おおまかには、
アルバムタイトルにもなっている、一曲目のOpalessenceは50年代に作ってオスカーペティフォードのお気に入りになった曲。名前の頭のO.P.はオスカーペティフォードの略。
ペッパーアダムスとはアダムスがデトロイトからニューヨークに出てきた56年から知っている仲で、デトロイト出身のミュージシャン(フラナガン、バレル、ハリスなど)がいつも集まっていた所にオブライエンも通っていた。
チェットベイカーが好きでよくアダムスと一緒にプレーをしたこともあり、今回はその流れでトランペットにトムハレルを起用した。
ベースのレイドラモンド、ドラムのケニーワシントンとプレーするのは、このセッションが初めて。フィーリングがピッタリ合った2人だったので、その後も一緒にプレーすることが多くそのままレギュラートリオになった。
一曲だけ参加している、ボーカルのステファニーナカジヤンは数年まえに知り合って伴奏をしたが、意気投合しお互いパートナー同士になった。

ということになる。

一方のペッパーアダムスにとって、このアルバムは?というと、
先日詳しく書いたように、84年は怪我で一年を棒に振った年。9月過ぎからボチボチ活動開始。車椅子や杖の無い生活ができようになったのは、85年の1月、この録音の直後になってから。
丁度、この現場復帰の最中の録音となる。リーダーアルバムではないが、この間に録音に参加した何枚かのアルバムでは演奏はもちろん、何かにチャレンジしようという気合を感じるアルバムが多いが、これもその一枚だ。まだガンの宣告を受ける前、怪我から復帰して今まで通り吹ける嬉しさが満ち溢れている。

この年明け早々のレコーディングセッションに向けて、年末にリハーサルが何度も行われた。アダムスの参加するアルバムは、大きな編成以外は比較的一発勝負が多いが、これは例外だった。アダムスがというより、初顔合わせのメンバーが多く、リーダーアルバムへの想いが募るオブライエンの意向が強かったのかもしれない。

オブライエン、ハレル、そしてアダムスの曲が多い。演奏はいたってオーソドックス。バップの伝承者であるオブライエンが、50年代からタイムスリップしたようなピアノの本領発揮。アダムスはいいピアニストに恵まれている。
良く聴くアルバムでも、棚卸をしてみないと知ったかぶりをしていても知らないことが多いものだ。

1. Opalessence              Hod O'Brien 9:58
2. Touchstone               T. Harrell 7:05
3. Bits and Pieces            Hod O'Brien 7:06
4. Joy Road               Hod O'Brien 7:05
5. A Handful of Dust           Hod O'Brien 7:07
6. The Blues Walk            Hod O'Brien 8:58
7. Detour Ahead  Lou Carter / Herb Ellis / John Freigo 8:55
8. Joy Road                 P Adams 7:51

Hod O'Brien (p)
Pepper Adams (bs)
Tom Harrell (tp,fluegelhorn)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)
Stephanie Nakasian (vol)
Engineer : Rudy Van Gelder
Produced by Gerry Teekens

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, N.J. on January 2, 1985

OPALESSENCE
クリエーター情報なし
CRISS CROSS
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠来のゲストを迎え、ホットなプレーをクールな雰囲気で包み込み・・・

2015-03-09 | MY FAVORITE ALBUM
Thinking About You / Frank Rosolino

カナダのトロントを拠点として活動をしていたエドビッカートは、あまりツアーを好まなかった。Concordの録音のために、楽しいセッションとはいえわざわざサンフランシスコを訪れたのは大仕事であったろう。しかし一方で、地元を訪れたミュジージシャンとの共演は気軽に行っていたようだ。

トロンボーンの名手の一人にフランクロソリーノがいる。西海岸を中心にスタジオワークが多かったので、リーダーアルバムは少ない。しかしその実力の程は、リーダーアルバム以外でも随所で窺い知ることができる。スーパーサックスやクインシージョーンズのアルバムでもフィーチャーされていた。

晩年のインタビュー記事によると、バップオリエンテッドな正統派のトロンボーンのプレーをけっして忘れていたわけではなく、完全にスタジオ入りしてしまったミュージシャンとは一線を引いていあた。そのプレーを錆びつけさせないよう、日頃から色々なgigに顔を出していたそうだ。しかし、そのような日頃の演奏は数多く残されている訳ではない。という点で。このアルバムは貴重かもしれない。

このロソリーノが、一人カナダのトロントを訪れ、地元のクラブBourbon Streetに出演したが、迎えたのは地元のエドビッカートのトリオであった。その時のライブ録音が、このアルバムだ。
メンバーは、カナダ出身のベースのドントンプソン、ドラムのテリークラーク。彼等は、この後、ジム―ホールやジョージシアリングのグループに加わりアメリカでも活躍する。派手さは無いが堅実なプレーヤー達だ。

ロソリーノは、コンボでも大きな編成でも、いかなる状況でもプレーは変わらない。饒舌であり、歯切れの良いプレーは、アップテンポでもバラードでも、どちらも得意とする。
これだけ音色が綺麗でテクニックある、かつ歌心のあるプレーが連続すると、演奏自体が盛り上がってくるものだが、その熱さを感じない所がロソリーノの凄さだろう。ロソリーノのプレーが三人を引っ張っていくが、結果的にクールなサウンドのビッカートのトリオとも上手く溶け合っている。
良くダイナミックレンジが広いという言い方をするが、静と動のバランスがいい。ビッグバンドでも、ひたすら大音量のバンドを一瞬迫力があって凄いと思うが、実は小さい音と大きな音のメリハリが効いた演奏の方が、プレー自体のダイナミズムを感じるものだ。

このセッションはゲストでもあるロソリーノがメインになるが、ビッカートのギターも捨てたものではない。特に、ピアノレスということもあり、バックに回った時の上手さが一段と光る。玄人受けするとはこのようなプレーなのだろう。



おどけた表情の写真がジャケットに使われることが多かったロソリーノ。このアルバムの絵の表情には偶然かもしれないが少し陰りが感じられる。絵としてはいいのだが、陽気で楽しい雰囲気の中でいつも涼しげにホットな演奏を聴かせてくれるのが、今回は何か思う所があるといった感じの表情だ。

順風満帆に思えたロソリーノだが、この2年後に自宅でピストルによって自らの命を落とす。人それぞれ人生には色々人に言えない悩みがある。プレーをしている時は、日頃の悩みも忘れていたのだろう、顔つきとは違っていい演奏なのだが。

このLPでは4曲だけだが、CDの再発ではLPの曲もノーカットで収録され、残りの曲も含めて2枚組で出ているようだ。
全曲を聴いてみたい演奏だ。

1. Sweet and Lonely     Gus Arnheim / Jules LeMare / Harry Tobias 13:00  
2. Who Can I Turn To?           William Engvick / Alec Wilder 9:10
3. 'Round Midnight Bernie Hanighen / Thelonious Monk / Cootie Williams 11:10
4. I Thought About You        James Van Heusen / Johnny Mercer 8:00

Frank Rosolino (tb)
Ed Bickert (g)
Don Thompson (b)
Terry Clarke (ds)

Produced by Bill Smith
Recorded by Don Thompson
Recorded live at Bourbon Street, Tronto, on April 21, 22, 23 1976

Thinking About You
クリエーター情報なし
Sackville Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェリーマリガンのコンサートジャズバンドの特徴はアレンジだけではなく・・・

2015-03-08 | MY FAVORITE ALBUM
Gerry Mulligan The Concert Jazz band at Newport 1960

編曲を得意とするミュージシャンは、他のバンドにアレンジを提供するだけでなく、もちろん自分のバンドでもそのアレンジを披露する。しかし、ビッグバンドとなると自分のバンドを持つのは経済的な面からも難しい。そこで、どうしてもリハーサルバンドが主体になってくる。

ジェリーマリガンはバリトンサックスプレーヤーとして有名だが、一方で作編曲でも活躍した。1982年に自らのビッグバンドの演奏でグラミー賞を受賞したが、このマリガンのコンサートジャズバンドが最初に編成されたのは1960年。
世の中ハードバップからファンキーブームへまっしぐらであったこの時期、マリガンが世の中の流れに反して、自分のアレンジを好きに演奏できるレギュラーバンドとしてビッグバンドを立ち上げられたのには一つ理由があった。

マリガンの代表的な曲にI want to live (私は死にたくない)という作品があるが、これは同名の映画の主題歌。主題歌だけでなくサウンドトラック全編がマリガンのグループの演奏であった。
これをきっかけに、マリガンは映画にも多く出演することになり、マリガンのグループ御一行様はロスに長期間滞在することになる。実は、この映画出演はマリガンを日々のツアーから解放しロスに落ち着けただけでなく、経済的も恩恵を与えた。要は自分のやりたい演奏活動の軍資金を映画で稼ぐことができたというだ。
そこで、念願であった自分のビッグバンドである、コンサートジャズバンドを編成することができた。

このバンドは普通のコンボより大編成でビッグバンドよりは小振りな編成だが、実にユニークなサウンドをしている。ソリストが充実していてあるだけでなく、マリガンをはじめとして他のアレンジャーの編曲も多く採用しているが、もうひとつ大きな特徴があった。

このコンサートジャズバンドに関しては、そのグループにも参加したベースのビル・クロウが、自らの著書「さよならバードランド」の中でも書き残している。そこにその特徴についての記述があるので引用しておくことにする。

「素晴らしいソロイストが揃っていることはもちろんだが、そのバンドの大きな財産はそれぞれのセクションに腕利きのリフ・メーカーが控えていることだった。ジェリー、クラーク、そしてボブだ。大抵の場合、僕らは誰かがソロを終えても、ジェリーの指示があるまでは、すぐに次の譜面部分に移らなかった。ソロイストが2コーラス目、3コーラス目に入ると、ジェリーは即興でバックグラウンド・リフを作り上げ、他のリード奏者たちもユニゾンなりハーモニーなりでそれに加わった。一方ブラスセクションではボブやクラークがそれに対するカウンターリフを作っていった。そして僕らは力強く新しいものをどんどん展開していって、そのまま次の譜面部分に突入していくことになった。」とある。

これが、マリガンのコンサートジャズバンドの特徴であった。
モダンビッグバンドになってソロが重視され、アンサンブルが多様化していったなかで、古いジャズが持っていたソロを盛り立てるためのバックの即興的なリフがいつの間にか無くなっていったが、それをグループの演奏で見事に復活させた。これが、参加しているミュージシャンがこのバンドで演奏することが楽しかったという一つの理由であったのだろう。

ニューヨークで立ち上げたバンドは、西海岸でもコンサートを開き、その年のニューポートの舞台にも立った。その時の演奏がオコナー神父のアナウンスから、マリガンのMCまでそのままアルバムになっている。通して聴くと、このバンドの特徴に合わせて会場の雰囲気も良く分かる。

このバンドは、その後ノーマングランツがバックアップしていたが、グランツがVerveをMGMに売却すると同時に、それまでのような活動の支援は無くなり、存続できなくなり解散してしまった。レコーディングやコンサートのために再編されることはあっても、メンバーの中でも最初の熱気は感じられなくなったという。

やはり、ビッグバンドを継続的に運営し、参加するミュージシャンが熱くプレーし続けるためには、経済的な支えとその演奏を楽しむファンの存在の両方が必要ということだろう。

1.  Utter Chaos                Gerry Mulligan  1:25
2.  Broadway             H.Woods/T.Mcrae/B.bird 10.03
3.  Theme From 'I Want To Live         Johnny Mandell 5:27
4,  Out Of This World        Harold Arlen/Johnny Mercer  4:03
5.  Manoir De Mes Reves           Django Reinhard  4:32
6,  18 Carrots For Rabbit            Gerry Mulligan 6:18
7.  Walkin' Shoes                Gerry Mulligan 5:41
8,  Sweet And Slow           Harry Warren/Al Dubin 5:29
9.  I’m Gonna Go Fishin'        Duke Ellington/Peggy Lee 6:27
10.  Blueport                    Art Farmer 6:31
11.  Utter                       Chaos/Closing 0:48


GERRY MULLIGAN AND THE CONCERT JAZZ BAND
Don Ferrara, Phil Sunkel, Conte Candoli (tp)
Bob Brookmeyer (vtb), Wayne Andre (tb), Alan Raph (b-tb)
Gene Quill (as, cl), Dick Meldonian (as), Jim Reider (ts), Gene Allen (bs, bcl),
Gerry Mulligan (bs, p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (dm)

Recorded live at Newport Jazz Festival, Freebody Park, Newport, Rhode Island, July 1, 1960


The Concert Jazz Band at Newport 1960
クリエーター情報なし
Ais
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

良いプレーをするにはホームがいいか、アウェイがいいか・・・

2015-03-07 | CONCORD
Bye Bye Baby / Ed Bickert

スポーツなど勝負の世界では、ホームゲームとアウェイの違いが勝敗を大きく左右することがある。こと音楽の世界となると、ホームグラウンドでいつもの慣れた場所で馴染みのファンに囲まれてアットホームな雰囲気で演奏するのは気楽なものだ。ところが、アウェイになると見知らぬ土地で見知らぬ聴衆を相手に、時には異国の地で果たして自分の演奏が受け入れられるかどうかが、まずは心配になるだろう。

その昔、日本のミュージシャンが海を渡り本場アメリカで演奏した時は、皆、同じような感覚を持ったようだ。今ではミュージシャンは、若い頃から世界で活躍するのが当たり前になった。情報化の時代で小さい時から世界中の情報に何でも接することができ、手軽に海外に行ける時代、海外留学や武者修行するのも当たり前の様だ。時代も大きく変ったものだ。

ジャズの創世記は広いアメリカでは、同じアメリカでも違ったスタイルのジャズが各地で育っていた。単に北部と南部だけでなく、都市毎にスタイルがあった。違うスタイル同士が交わり合った時には、お互い緊張感が生まれる一方で新しいスタイルが生まれていったようだ。今では、いつのまにか同化しているようだが、何となく西海岸と東海岸の演奏にはまだ何か違いを感じる。特にビッグバンドでは。

カナダはアメリカの一部の様に感じるが、カナダ出身のジャズミュージシャンも多い。オスカーピーターソンやメイナードファーガソンは早くからアメリカで活躍していたので良く分からないアが、果たしてカナダスタイルのジャズはあるのか、無いのか興味が湧くが・・・。

もちろん地元カナダで活動を続けるミュージシャンはいる。ペッパーアダムスのラストアルバムで共演したDenny Christiansonもその一人だが、トロントを拠点として活躍していた一人に、ギターのエドビッカートがいる。
ポールデスモンドと一時コンビを組んでアメリカでも活動したようだが、その後は、またカナダに戻って活動をしている。どうも、ツアーの多い演奏活動は性に合わなかったようだ。
そのビカートを再びアメリカのジャズ界に紹介したのは、ギター好きのカールジェファーソンだった。

自ら主催するコンコルドジャズフェスティバルにも招待したが、自分の傘下のミュージシャンを引き連れてカナダを訪れ、ローズマリークルーニーのアルバムに参加させたりビカートをリーダーにしたアルバムも作った

そして、今度はジェファーソンの地元にビッカートを招くことになった。ツアー嫌いのビッカートを待ち受けたのは、コンコルドではお馴染みのプレーヤー、そしてお馴染みのスタジオであり、エンジニアのフィルエドワード達であった。いわば、コンコルドの故郷を訪れての演奏となった。もちろんコンコルドスタイルの演奏は経験済だが、今回も郷に入っては郷に従え、ジェファーソンのプロデュースの元でアルバムが作られた。

メンバーは、流石に一人では心細かったのか地元でいつも一緒に演奏しているベースのSteve Wallaceを帯同した。そして、選んだ曲は、スタンダードだけでなく、パーカーやホレスシルバーの曲も。とりあえず、手の内はすべてご披露ということだったのかも。結果的に、今回は管やボーカル無しのカルテットだったので、アルバム全体のトーンを決めたのは何といってもデイブマッケンナのスインギーはピアノの影響が一番大きかった。特に、Duoで演奏されるBye Bye Babyが、マッケンナのピアノに引っ張られて本領発揮という所だろう。

ビッカートにとっては、共演したメンバーだけでなく関係スタッフ全員に歓待され、アウェイであっても何の緊張も無くコンコルドスタイルで自分の演奏を披露できたセッションだったと思う。
たまには、アウェイで気分を変えてというのも良かったかも。その中でも変わることが無かったデスモンドが気に入ったというビッカートのクールトーンがカナダスタイルなのかも。

1. You're in Love With Someone        J.Burk/James Van Heusen 4:23
2. Bye Bye Baby                 Leo Robin / Jule Styne 3:40
3. Barbados                      Charlie Parker 4:10
4. It's Time                       Horace Silver 4:02
5. Nobody Else But Me       Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 4:57
6. Things Are Getting Better            Cannonball Adderley 4:33
7. A Flower Is a Lovesome Thing            Billy Strayhorn 5:31
8. Pensaliva                      Clare Fischer 4:44
9. Keeping Myself for You        Vincent Youmans / Sidney Clare 6:13

Ed Bickert (g)
Dave McKenna (p)
Steve Wallace (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, August 1983
Originally released on Concord CJ-232
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする