A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ダウンビート誌で前代未聞の5星半の評点を得たアルバムのセッションは・・・?

2015-02-28 | PEPPER ADAMS
Dizzy Gillespie Live At The Village Vanguard

ペッパーアダムスが久しぶりにドナルドバードとレコーディングを行ったのは1967年9月29日と10月5日の2回に分けて行われたが、その間の10月1日、日曜日の午後にビレッジバンガードでジャムセッションが行われた。そのジャムセッションを企画したのはソリッドステートレーベルの創設者のソニーレスターであった。

ジャズの世界でジャムセッションは50年代までは良く行われ、レギュラーの仕事が終わった後、早朝まで行われていたという。仲間同士の鍛錬の場であり、新人達にとっては修行の場でもあった。しかし、この録音が行われた1960年代の後半になると、ジャムセッションは下火となっていたという。

その一つの理由が、ミュージシャンユニオンの力が強くなり、”No Money, No Play”が組合の方針として掲げられ、無報酬での演奏が難しくなったからといわれている。これで、ファンにとっては、聴きたくてもステージ上でのジャムセッションを目にする(耳にできる)機会が少なくなったという訳だ。ミュージシャン達にとっても、ジャムセッションは決してお金のためだけではない楽しみと意義があったはずだが、その機会が減るという事は、自分の演奏を成長させる機会が減るという事になっていた。

そんな時代に、珍しくベテランから新人まで、普段一緒に演奏する機会が少ないメンバーが一同に集まっが、ソニーレスターが立ち上げたソリッドステートレーベルでアルバムを作ったミュージシャン達が中心だった。
ドラムのメルルイス、ベースのリチャードデイビス、ペッパーアダムス、ガーネットブラウンなど、サドメルのメンバーも多く参加した。
そして、若手代表でチックコリア、大事なセッションリーダーはディジーガレスピー御大が務めた。エリントンオーケストラで有名なレイナンスもバイオリンで加わった。
メンバーを見ただけで楽しそうなジャムセッションになりそうな気がする。

この模様を録音して、ソリッドステートからJazz For A Sunday Afternoon Vo.1 Vol.2というタイトルでリリースされた。そのための、公開ライブのようなジャムセッションだったという訳である。




1968年8月8日のダウンビートでこのアルバムが紹介され、評点は5星半。もちろん、5星が満点なので、この五つ星半は初めてのことであった。それだけ、レビュアーの評価が高かったということになる。

丁度この頃は自分のジャズ喫茶通いが始まった頃。このアルバムを初めて聴いた時は、サドメルのメンバーはいるし、アルバムのデザインも聴いた雰囲気もすっかり気に入って、このシリーズは愛聴盤になった。
このセッションは、レスターは当初からシリーズ化を目論んでいたようだが、結局レーベル自体が長続きせず、Vol.4で終わってしまったのが残念だ。

Vol1.と2,の好評に応えて、当日の残りの未収録曲をDizzy Gillespie At The Village Vanguardというアルバムで続けてリリースした。ところが、ディジーズブルース以外は、すでにVol.1.2.に収められていた曲であったという、期待外れのアルバムであった。

日本盤のジャケットはこんな感じであった、



これは、その演奏。



結局、当日録音されていたのは、既にリリースされていた2枚のアルバムの6曲に、別テイクも無く、あと一曲だけだったという事が実態であったというのも、今になってディスコグラフィーを確認すると明らかだ。

このソリッドステートレーベルは、早々にブルーノート(リバティー)に売却されていたが、CD時代になって、マイケルカスクーナがこの録音の再発を手掛けた。

今回は、全7曲を当日のステージでの演奏順に並べ替えて。ライブ物はやはりその順序がいいと思う。そして、3曲はLPではソロやアンサンブルがカットされていた部分があったが、これを元の演奏のまま収め完全な形でのリリースとなった。
すると、必然的に最初の2曲だけがエルビンが参加し、後はメルルイスに替わったことも、一部ではレイナンスが参加していて、2部はガーネットブラウンという事も明確になる。
そして、ガレスピーのアルバムで最後に出された曲は、曲名自体も間違いであったというお粗末な結果も修正された完全盤となった。

そして再発に際しては、タイトルは当初のJazz for A Sunday Afternoonではなく、Dizzy Gillespie At The Village Vanguard featuring Chick Corea & Elvin Jonesとなった。一般受けするにはこのタイトルの方が良いと思ったのだろう。

ディジーガレスピーのアルバムは、ガレスピーの基本的に誘れれば断らないという性格なのか、超大作からつまらないアルバムまで千差万別ある。編成もコンボからビッグバンドまで幅広く、当たり外れが多いが、このアルバムは何といっても、ダウンビートで前代未聞の5星半を得たアルバム。ガレスピーも演奏だけでなく、このジャムセッションの雰囲気を味わえる好アルバムだ。特に、このCDでのカスクーナによる再発アルバムは、Jazz for A Sunday AfernoonのVol.1,Vol.2のオリジナルLPでカットされた部分を含む完全盤だ。

内容を正しく表せば、「Sunday Afternoon Jam Session At The Village Vanguard, Session Leaded by Dizzy Gillespie」ということになる。

そして、このセッションを成功させたのは、実はガレスピーに加えてペッパーアダムスの存在のような気がする。
ヘッドアレンジ風のイントロからテーマ設定、そして他のソロのオブリガード、さらに自らの豪快のソローパートすべてに登場する。気配り上手のアダムスが、マイペースのガレスピーを実に上手く補佐している。

この頃のアダムスは、ライブ活動はサドメルとデュークピアソンのビッグバンドが中心。そして、レコーディングは直前、直後のドナルドバードとのセッションを除けば、ソロはあってもバックのアンサンブルが多かった。
アダムスにとっても、久しぶりのジャムセッションの場であったのかもしれない。
アダムスのライブの生き生きとしたプレーを聴けるのも、このアルバムが魅力を増している。

1, Birks’ Works     17:57
2. Lullaby Of The Leaves      13:30
3. Lover Come Back To Me     19:15
4, Blues For Max          9:10
5. Tour De Force          11:51
6. On The trail           16:43
7. Sweet Georgia Brown       16;19

Dizzy Gillespie (tp)
Pepper Adams (bs)
Garnet Brown (tb)
Ray Nance (Violin)
Chick Corea (p)
Richard Davis (b)
Elvin Jones (ds) #1,2
Mel Lewis (ds) other Tracks

Recorded live at The Village Vanguard, New York
Prpduced by Sonny Lester

Live at the Village Vanguard
Dizzy Gillepie
Emd/Blue Note
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時代は変わっても、物事の本質はそうそう変わらないものだ・・・

2015-02-27 | CONCORD
Love Explosion / Tania Maria

大塚家具の経営方針の違いで親子の対立が激化している。従来からの会員制、対面販売を前提としてクローズドな客層に親身なサービスを行いたいという創業者である父親と、時代に合わせてよりオープンな買い易い場を提供していこうという長女の主張の違いばかりがニュースでも強調されるが、長く使える良い物を生活者に提供していこうという基本スタンスは同じようだ。

昔であれば、2つのチャネルを作るとか、サブブランド化するとか色々考えられたが、今の時代、特に上場をすると尚更、収益性重視、無駄を排除して選択と集中が求められる。両方の販売手法の違いが共存するのは難しそうだ。ここまでこじれると白黒つけざるを得ないような感じだが、いずれの道を選ぶにしても、創業時の企業理念を忘れないでほしい。

自宅の中を見渡しても、親から引き継いだ家具や調度品はあるものの、自分が買い求めたもので子供の代まで使って欲しいという物は残念ながら見当たらない。強いて言えば、ジャズのアルバム位だ。きっと昔は家を継ぐという文化の中で、守らなければならないものの中に代々続く家具や調度品も含まれていたのだろう。

自分は決して今の使い捨て文化、そして収益性重視の経営がいいとは思わないので、そんな世の中で、職人気質の伝統と、社員を含めて家族的な経営の良さを残して生き残って欲しい企業だと思う。どこかに折り合いがつく場がありそうなのだが、親子故に余計難しいのか?

1983年、設立してから10年近くを経たコンコルドレーベルも拡大を続け、この頃はオーナーのカールジェファーソンがすべてのアルバムを直接プロデュースすることは無くなっていた。自らはエグゼクティブプロデューサーに修まり、アルバムの内容は他のプロデューサーに任せ、あるいはミュージシャン自身に任せる事も多くなっていた。良い後継者、ミュージシャンが育っていたので、スタイルは多様化したが、コンコルドらしい共通したコンセプトは引き継がれていた。

コンコルドの設立当初は、ジェファーソンは自分のコンセプトに合った新たなミュージシャン、特に新人のリクルートをアルバム作りに参加したミュージシャンに任せることも多かった。スコットハミルトンはジェイクハナが見つけてきたし、このタニアマリアもチャーリーバードの紹介であった。

他の新人達も着実に育っていたが、特にこのタニアマリアは、ジャズとブラジル音楽の融合に一役買った。それに加えて、折からのフュージョンブームに乗って、ブラジリアンフュージョンとでもいう新たな世界を切り開いていった、コンコルドの中では異色の存在であった。

アルバムを出す毎に、次第に彼女の演奏内容も独自色を色濃く出すようになっていた。
今回のアルバムは弾みがついた。一番の特徴は演奏する曲、このアルバムで4枚目になるがついにスタンダード曲は無くなり、自ら作曲した曲だけが並ぶ。ピアノもエレキピアノを使い、さらにバックの編成もアレンジも完全なフュージョン仕様になっていった。スタジオも、そしてレコーディングエンジニアも替えた。バックも今まではトリオにパーカッションだったが、今回は管を3本加えている。

このConcord Picanteというサブレーベルは、コンコルドで単にボサノバだけでなくラテン系を扱うために別に生まれたものだった。カルジェイダーやチャーリーバードなどのベテランがアルバムを作ったが、その中で、このタニアマリアは急に頭角を現した一人だ。世に認められるにしたがって、自分のやりたいことも広がったのだろう。そして、フュージョンサウンドに惹かれたのだろう。

ジェファーソンは、そんな彼女の想いを自由に表現できるように、今回はアルバム作りも彼女にプロデュースを任せた。しかし、この内容にジェファーソンは満足していたかどうかは分からない。この後、もう一枚ライブアルバムを出すが、結果的にそれを最後にタニアマリアはコンコルドを去ることになる。



昨年、彼女が久しぶりに来日した。残念ながらライブには行けなかったが、聴きに行った友人が相変わらずピアノも歌も素晴らしいと語っていた。会場を巻き込んでいく術も弁え、その演奏ぶりはデビュー当時と変わらなかったという。デビュー当時のようにボサノバのスタンダード、さらにべサメムーチョなどの古い曲、そしてもちろん彼女のヒットしたオリジナルなども交えて。
もちろん彼女のブラジル生まれのリズム感と、クラッシクで鍛えたピアノの技、そしてなんといってもボーカルの素晴らしさが失われることはないと思うが、考えようによっては原点回帰をしているのかもしれない。もちろん色々経験したことが糧となって一段と逞しくなって。

その時々の流行を追いかけるのもいいけれど、カールジェファーソンが拘っていた、曲にしても、演奏スタイルにしても、そしてミュージシャンの技も、それぞれの本来の良さを素直に表現できる素晴らしさを、タニアマリアも理解する歳になったのだろう。

大塚親子の対決が果たしてどこに落ち着くか見守ってみたい。色々あっても求める本質が同じであれば原点に戻ってくるはずだ。結果が良かったか悪かったか、最後はお客が判断することになるのだが。

1. Funky Tamborim           3:14
2. It's All in My Hand        4:54
3. You've Got Me Feeling Your Love  4:12
4. Love Explosion           6:16
5. Bela Be Bela            3:50
6. The Rainbow of Your Love      4:22
7. Deep Cove View           3:15
8. Pour Toi              6:01

Tania Maria (p,keyboard)

Harry Kim (tp.flh)
Justo Almario (as)
Arturo Velasco (tb)
John Beasley (synthesizer)
Dan Carillo (g)
John Pena (eb)
Abraham Laboriel (eb)
Steve Thornton (per)
Dan Carillo (g)
Alex Acuña (ds)
Joe Heredia (ds)
Jon Lucien (vol)

Produced by Tania Maria
Keith Seppanen Engineer

Recorded at Yamaha Studio, Glendale, California in September-October, 1983
Originally released on CJ-230 (所有盤はCD)

Love Explosion
Tania Maria
Concord Records
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2人の明るいキャラの共演はCMにも使われたが・・

2015-02-25 | MY FAVORITE ALBUM
Take Double / Clark Terry & Jon Faddis

クラークテリーの訃報が届いた。しばらく前、病床から盲目のピアニストを指導するドキュメンタリーがあったが、長い闘病生活だったようだ。享年94歳、晩年までプレーを続け名人芸を聴かせてくれたが、またジャズの歴史の生き字引であり、すべてのトランぺッターの師匠ともいえる一人が逝ってしまった。

好きなミュージシャンは?と聞かれて、すぐに名前がでるミュージシャンは何人かいる。
長くジャズを聴いていると時代と共に好みも変化し他に何人もいるが咄嗟には出てこない。しかし、意識して集めた訳でもないのに、新旧合わせて多くのアルバムを持っているミュージシャンは、やはり潜在的に好きなミュージシャンなのだろう。
自分にとって、このクラークテリーはそのような一人だ。

エマーシーのクラークテリーというアルバムは、ジャズを聴き始めた頃に買い求めたアルバムだ。何故このアルバムを買ったか覚えていないが、それ以降もテリーの参加しているアルバムを買う機会は多かった。オスカーピーターソントリオとの共演アルバムも良く聴いた。ボブブルックマイヤーとのコンビも好きなアルバムだった。そして、テリーのビッグバンドも。さらに、キャロルスローンとのボーカルデュエットも好きなアルバムだ。

クラークテリーは昔からビッグバンド生活が長かった。それもカウントベイシーとデュークエリントンの両方のオーケストラに在籍した珍しい存在だ。その後クインシーのオーケストラの立上げにも加わり、マリガンのコンサートジャズバンドにもいた。そしてスタジオワークも多く、主役でなくとも、良く知られたアルバムのバックに参加したことも数多い。自分が紹介したアルバムだけでも、テリーが参加しているアルバムは30枚近くある。

クラークテリーは後進の良き指導者であったことも有名だ。若いマイルスを始めとして、クインシージョーンズを鍛えたのもテリーだった。クインシーがビッグバンドを立ち上げた時、自ら参加したのも、弟子が立派に育ったのが嬉しかった親心からだったかもしれない。
誰にも好かれる職人肌の面倒見の良い大先輩だったようだ。

ジョンファディスは、ある意味クラークテリーのライバルであったディジーガレスピーの直系の後継者と呼ばれていた。ガレスピーを師と崇め、ガレスピーのスタイルをまね、あの45度上に向いたトランペットを手にしていたこともある。ガレスピーも可愛がっていた。ハイノートを武器に色々なバンドで活躍してきたが、最近はあまり聴く機会がなかったのだが・・・。

そのファディスが昨年来日した。斑尾によく来ていた時は、若々しいプレーが売りであったが、昨年久々にライブを聴きに行くと、精悍さにすっかり貫禄がついてどっしり落ち着いた感じになっていた。若いと思っていたこのファディスも還暦を過ぎて、そろそろ長老の仲間入りをする歳になっていた。サドメルに参加して来日してから、すでに40年も経っているのだから当然と言えば当然であるが。

今回の公演はワンホーンのコンボという事もあり、ハイノートを駆使したダイナミックなプレーというよりは、時はリリカルに、そして時には小気味良く、味わいのあるプレーを披露してくれた。ガレスピー直系と思われているが、実はアームストロングからマイルスまで名だたるプレーヤーを研究しつくしたといわれ、どんなプレーヤーの演奏もできるという実力者だ。

このファディスとクラークテリーが一時コンビを組んだ事がある。
1980年代の丁度半ば、世の中ジャズブームに沸いていた頃、ジャズミュージシャンやジャズの名曲が数多くブラウン管に登場した。サミーデイビスJr,でヒットしたサントリーホワイトのコマーシャルにもジャズマンを起用したシリーズがあった。ロンカーターやハービーハンコックに続き、このクラークテリーとジョンファディスのコンビが3作目で起用された。それをきっかけに作られたアルバムがこのアルバムだ。

1曲目、2曲目がそのコマーシャルの曲。それに追加のセッションが行われ一枚のアルバムに仕上がっている。CMに使われた曲は、CMに合わせて明るい楽しい雰囲気の曲。
他も、ブルースからカリブ調のMiami Stretchがあったかと思えば、エリントンナンバーのスイングが無ければ・・では、2人のスキャットの掛け合いも楽しめる。
けっして大作ではないが、2人のキャラクターを上手く掛け合わせた楽しいアルバムだ。


1. Straight Up  2:45
2. Take Double  2:48
3. Traffic Jam  5:35
4. Blues for K. K.  8:04
5. Miami Stretch  6:47
6. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  8:27
7. Climbing Old Fuji  6:10

Clark Terry (tp,flh)
Jon Faddis (tp,flh)
Harold Danko (p) #1,2
Dado Moroni (p)
George Mraz (b) #1,2
Jimmy Woode (b)
Terry Lyne Carrington (ds) #1,2
Ed Thigpen (ds)

1,2 
Recorded at Clington Recording Studio, New York, February 27, 1986
Others
Recorded at Powerplay Recording Studio, Maur Zurich, Switzerland, May 19, 1986

テイク・ダブル
クリエーター情報なし
フィリップス
コメント (2)
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駄目出しされたのはピアノかヴォーカルか・・・?

2015-02-23 | MY FAVORITE ALBUM
Wein, Women & Song / George Wein

世間ではすっかり禁煙が当たり前になり、喫煙家にとっては住みにくい世の中になった。タバコ産業も世界的に縮小傾向のようだが、昨年大型の買収劇があった。レイノルズ社が、同業の老舗ロリラード社を2兆5千億円で買収した。市場が小さくなったとはいえ、まだまだ巨大産業のようだ。昔は、このたばこ業界がジャズフェスティバルを支えていたこともあったのだが。

ジャズフェスティバルのプロデューサーといえば、有名なのはジョージウェイン。ニューポートジャズフェスティバルはジョージウェインが始めたといわれ、日本でも斑尾とかオーレックスなども、さらにウェインが手掛けたジャズフェスティバルは世界中で開かれた。

ウェインの最初の成果は、1954年から始まったニューポートジャズフェスティバルだが、実際には、その創始者は地元の名士、たばこ事業で財を成したロリラード家のイレーン・ロリラードであった。
地元ニューポートの社交界では新参者であった彼女が、地元の反対に屈せずNPOを作ってジャズフェスティバルを誘致したのが始まりであったようだ。
その経緯は、この「ニューポートジャズフェスティバルはこうして始まった」という本に、1954年〜1960年のフェスティバルの裏話を含めて詳しく語られている。
最も、ジャズには全く素人であった彼女は、実際の企画、段取りをNPOに参加した、ジョージウェインに全面的に委任した。



初年度は赤字を覚悟し立上げの費用は全面的に彼女が負担する約束でスタートするが、初年度から収支トントンまでもっていったのはやはりウェインの手腕に負うところが大きい。そして、回を重ねるに従って確実に収益を出すように育てたが、ウェインもしっかりとマネジメントフィーを得ている。
とういう意味では、ウェインなしではフェスティバルは存続しえなかった訳で、最初の立上げメンバーに加わっていた創始者グループの一人であることに間違いはない。

その、ジョージウェインだが、その話が起こった1953年には、ニューポートに近いボストンでストリーヴィルというジャズのレーベルを持ち、同名のジャズクラブとマホガニーホールという2件のジャズクラブを経営していた。まだ28歳の若さであったが、決して儲からない赤字続きの道楽ともいえる仕事ができていたのも、母親の理解と支援があったからだと言われている。

もともと、音楽好きの家庭に育ち子供の頃からピアノを習ったが、その先生はサージチャロフの母親であった。そんなウェインはクラブでは自分でもピアノを弾くことも多かったようだ。
ところがある時、自分が雇っていたドラムのジョージョーンズから、雇い主のウェインに対し「そろそろピアノでミュージシャンを目指すのか、それともクラブオーナーに徹するか、どちらかはっきりした方がいいのでは? ただし、自分はピアニストとして貴方を雇うつもりはあるませんから」と、半ば引退宣言を受けることになる。そんな時に、ニューポートジャズフェスティバルの運営の相談を受けたことになる。

ウェインの演奏というのは、自分のレーベル「ストリーヴィル」ではシドニーベシエの演奏などで聴く事ができるが、基本的にはスイング系の演奏を得意として、その後ニューポートの舞台でもスイング系のミュージシャンと一緒に演奏することはあった

そんなウェインが、ニューポートの仕事も1年目の開催を無事に終えその年の準備に忙しい時期に、一枚のアルバムを作った。ここでは、ジョーンズにNGを出されたピアノではなくヴォーカルアルバムであった。もちろん、ピアノも自分で弾いているので、弾き語りをタップリ堪能できる。レーベルの自分のレーベルではなく、Atlanticであった。



若い頃の写真はあまり見たことがないが、見た目の感じとは少し違って、高めの音域の小粋な歌い方をする。スインギーなピアノともマッチしたなかなか本格的なヴォーカルだ。少なくともウディーハーマンの歌よりは上手い。ヴォーカルは圧倒的に女性優位で、男性ヴォーカルは唯でさえ聴く機会が少ないが、このような粋な弾き語りのヴォーカルには最近めぐりえ会えていない。



このアルバムのセッションは2回に分かれているが、最初のセッションは地元出身のルビーブラフとテナーのサム・マーゴリスが加わり、実にスインギーな歌と演奏だ。2回目はトランペットがボビーハケットに替わるが、こちらも同様に歌だけでなくミュートプレーとの掛け合いが楽しい。そして、この後半の6月のセッションには、ピアノにNGを出したジョージョーンズが加わっている。

ピアノは駄目でも。ヴォーカルは合格点だったのかもしれない。

ウェインはまだまだ元気なようで、比較的最近の演奏もこちらで聴ける。
Vince Giordano, George Wein and Company perform "The Mooch"

1. You Ought to Be in Pictures                  Dana Suesse2:30
2. All Too Soon                 Duke Ellington / Carl Sigman 3:57
3. Back in Your Own Backyard   Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose 2:45
4. Pennies from Heaven         Johnny Burke / Arthur Johnston 3:57
5. I'm Through with Love    Gus Kahn / Jay Livingston / Matty Malneck 3:18
6. Did I Remember           Harold Adamson / Walter Donaldson 3:01
7. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Lette   Fred E. Ahlert / Joe Young 3:05
8. Why Try to Change Me Now            Cy Coleman 3:46
9. You're Lucky to Me                 Eubie Blake / Andy Razaf 2:41
10. I Married an Angel               Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:12
11. Once in a While                   Michael Edwards / Bud Green 2:27
12. Please                       Ralph Rainger / Leo Robin 2:20
13. Who Cares                          George Gershwin 2:32

George Wein (p,vocal)
Ruby Braff (tp)
Sammy Margolis (ts)
Stan Wheeler (b)
Marquis Foster (ds)

Recorded in New York, April 1955
Recording Engineer : Johnny Cou

Gerge Wein (p,vocal)
Bobby Hackett as Wally Wales (tp)
Bill Perberton (b)
Jo Jones (ds)

Recorded in New York, June 1955
Recording Engineer : Tony Janack

ウェイン、ウイミン&ソング
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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ドナルドバードにとって分水嶺となった一枚のアルバム・・・

2015-02-22 | PEPPER ADAMS
The Creeper / Donald Byrd

何事にもおいても変化を迎える時はその予兆があり、それに続いて大きな変化が生じるものだ。後になって思い返してみれば、あの時がその予兆だったのかということは分かるが、その渦中にいる時は、日常のちょっとした変化として見過ごされてしまう。

このアルバムは、例のカスクーナの発掘によって後に世に出たアルバムである。したがって、その当時はファンとしてはそのアルバムの存在すら知ることのできないセッションであった。
自分が、このアルバムを手にしたのはペッパーアダムスが参加しているアルバムだから、特にドナルドバードを追いかけていたわけでない。ペッパーアダムスを主体にこのアルバムを聴けば、アダムスの日々続く色々なレコーディング活動の中の一つにすぎない。ソロの出番が多いことを考えれば、バックのアンサンブルワークだけの仕事に較べると、旧友とのセッションでもあり、アダムス本人は自分も主役の一人と感じていたかもしれない。しかし、このセッションでの演奏が、自分自身の大きな節目になるとは思わなかったであろう。

ところが、このアルバムのリーダー、ドナルドバードにとっては、このアルバムが結果的に一つの区切りのアルバムとなった。
このアルバムのライナーノーツに、カスクーナ自身がドナルドバードについてかなり詳しく書いているが、そこにも、「これはバード自身にとっても分水嶺をなす重要なアルバムだ」と記されている」。

ペッパーアダムスの活動の軌跡を追っていると、このドナルドバードは各年代で頻繁に登場する。そもそも同じデトロイト出身で、同じような活動をしていたという事もあり、当然アダムスとバードとの接点は多い。いや、一緒にコンビを組んだこともあるので、お互い単なる知り合いという以上に2人は非常に密な関係であった。

ニューヨークにデビューしてから10年、同じような道を歩みながら2人のジャズ界におけるポジションはこの時すでに大きく違っていた。2人とも音楽に対して真剣に向き合うスタンスは同じでも、この違いは2人のキャラクター、人生観の違いもあったのかもしれない。

ドナルドバードはニューヨークデビューしてすぐに有名ミュージシャンのアルバム録音に数多く参加し、その勢いで名門ジャズメッセンジャーズにもすぐに加入する。その勢いのまま、ブルーノートで自らのリーダーアルバムを立て続けに出すシンデレラボーイとなった。新人から、一気に檜舞台を歩き続ける存在となり、衆目の注目するところとなった。

当然のように、有名人に仕掛けられる甘い誘惑も多かった。若くしてこのようにちやほやされると、生活も乱れてくるのが世の常だが、このバードの場合は、このような誘いを絶って自堕落な生活に陥ることはなかった。
反対に、約束を守り、必ず時間通りにメンバーを引き連れて現れるバードは、クラブオーナーやプロモーターからも絶大な信頼を得ていたという。

さらに、忙しい演奏活動の合間を縫ってニューヨークでも勉学に勤しんだ。まずは本業の音楽はマンハッタン音楽院で作曲を、さらにコロンビア大学の博士課程に進み、その研究範囲は歴史から法律までに及んだという。さらに作曲はパリでクラッシクについても学んだ。
なるべくして、リーダー、そして教育者としての素養が身に付いていった。企業であれば、幹部候補生が現場の仕事を重ねつつ幹部教育を受け、次期経営者候補に育っていくのと同じだったと思う。

一方のアダムスはというと、仕事の一つ一つの完成度を高めるのに注力していた。自分がサブの立場であれば、自分の役割を確実にこなし、自分がリーダーの時は必要以上に段取りを重視し。周囲への気配りを忘れず、細部の拘りを持って仕事をしていた。

そして、オフの時は文学を愛読し、ツアーに出ると地元の美術館廻りを楽しみにしていた。基本的には職人肌、芸術家肌の現場人間であった。企業でいえば専門職、管理職志向のバードとは必然的に進む道が違っていった。

カスクーナは、1966年のダウンビートにバードのインタビュー記事があったと紹介している。「考える事、計画を立てることは大事だ。僕らは、ミュージシャンである前に一人の人間であり、一人の人間として他人と付き合っていかなければならない。この業界では、ミュージシャンだから好き勝手をしても許されると考える人もいる。遅刻の常習者や、反社会的な行為をする人もいる。けれども、行動は自ら起こさねば。他人が導いてくれるわけではない。未来は自分の手で掴むものだ。」と。
このコメントで、バードはプレー以外でもかなり計算づくで人生設計していたことが分かる。

さらに、バードは続ける、「クインシージョーンズ、オリバーネルソン、ラロシフリン達は皆自分達の出身母体に背を向けることなく、日々の活動の中からさらに多くの事を学び、世間に目と耳をオープンにしている。それに必要なのは音楽の教育(広い素養)と、人との関わりで自分を売り込んでいく技術だ。彼らは、皆それらを身に付けている」と。

これで、バードが目指していたことが読み取れる。決して偉大なプレーヤーになろうとは思っていなかったのだ。
この後、アルバムもしばらく途絶える。充電期間なのか、変身に要した時間なのか・・・?
事実、3年後に演奏スタイルはがらりと変わる。いわゆるエレクトリックバードの世界だ。さらに、その後は、次第にプレー自体が減ってきた。反対に、プロデュース、大学で教鞭をとることが多くなっていった。最後は、黒人の歴史と黒人の音楽の研究に没頭し、書物、写真、譜面、音源などの資料は自宅に入りきらないほどだったようだ。
それがバードの望んだ音楽人生であったのだ。

反対に、ペッパーアダムスは、これから10年以上サドメルのレギューラーに在籍し、その後はソリストに専念した。まさにバリトンサックスプレーヤーとしての職人芸を極めることになる。

このバードの人生観を知り、その後のキャリアを見渡すと、このアルバムはプレーヤーとして主体的に活動してきた最後のアルバムと言ってもいいだろう。その後も演奏は続けたが、バード全体の音楽観の中では、トランペットのプレーはほんの一部であった。

このアルバムのもう一つの特徴は、ピアノのチックコリアとベースのミロスラフヴィトウスの参加であろう。2人との丁度売り出し中の新人であった。

このアルバムでバードは自分のオリジナル曲以外に、チックの曲も2曲演奏している。自分の曲はファンキーに、そしてコリアの曲は完全にコリアの世界だ。そして、スタンダードともいえるシェルブールの雨傘では、実にリリカルにストレートなバラードプレーを聴かせてくれる。アダムスとレッドはお休みだが、コリアのピアノとバードのプレーが秀逸だ。



このアルバムの後、バードを除く他のメンバーはメインストリームジャズの世界を歩み続ける。しかし、バードは、コリアやヴィトウスと一緒に別の新しい道に踏み入る。

コリアは70年にマイルスのバンドに加わり、その後サークルを経てリターンツーフォーエバーへ、ヴィトウスはウェザーリポートへ参加、そしてバードはブラックバードで大変身へ。
新しい道を選んだ3人はそれぞれ一世を風靡する活躍をする。

バードだけでなく、このセッションに参加したそれぞれのメンバーにとってもこのアルバムが分水嶺だったように思う。バードにとっては、新しい試みがある訳でなく、チャンジングな演奏でもなく、今までの演奏に一区切りをつけたようなアルバムだ。

1. Samba Yantra               Chick Corea 9:33
2. I Will Wait For You   Norman Gimbel / Michel Legrand 9:02
3. Blues Medium Rare            Donald Byrd 6:02
4. The Creeper              Sylvester Kyner 4:38
5, Chico-San                 Chick Corea 6:42
6. Early Sunday Morning           Donald Byrd 6:15
7. Blues Well Done              Donald Byrd 6:19

Donald Byrd (tp)
Sonny Red (as)
Pepper Adams (bs)
Chick Corea (p)
Miroslav Vitous (b)
Mickey Rocker (ds)

Produced by Alfred Lion, Frank Wolff, Duke Pearson
Produced for released by Michael Cuscuna
Recorded at Van Gelder Studios, Englewood Cliff, New Jersey on October 5, 1967
Recording Engineer : Rudy Van Gelder

ザ・クリーパー
ドナルド・バード,ソニー・レッド,ペッパー・アダムス,チック・コリア,ミロスラフ・ヴィトウス,ミッキー・ローカー
ユニバーサルミュージック
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ライブで一段とパワーアップしたデュークピアソンビッグバンドの録音が発掘された・・

2015-02-20 | PEPPER ADAMS
Baltimore 1969 / Duke Pearson Big Band

ペッパーアダムスのChronologyを見ると1967年2月に、
Feb 24-26: New York: The Duke Pearson Big Band opens at the Half Note.
との記録がある。多分、これが、デュークピアソンが新たに立ち上げたビッグバンドの初舞台である。

アダムスは‘67年の年明けはレコーディングが続いていたが、一方でライブの活動はサドメルでの活動の他に、久しぶりにドナルドバードとセクステットでファイブスポットへも出演していた。
このピアソンビッグバンドの立上げはちょうど先日紹介したスタンレータレンタインのアルバムの録音の一週間後であった。タレンタインのセッションにも2人揃って参加していたが、今度はこのピアソンのビッグバンドにも2人で参加していた。久々に二人一緒に揃って活動をしていたことになる。

60年代の後半はビッグバンドが復活の兆しを見せていた。ベイシー、エリントン、ハーマン、ケントンの老舗オーケストラは、レギュラー活動を続けていたし、バディーリッチ、ドンエリスといった新しいバンドも立ち上がった。さらに、サドメルやサンラといった実験的なオーケストラも活動を開始した。いわゆるモダンビッグバンドが元気を出し始めた頃である。

ブルーノートで日々アレンジをこなしていたデュークピアソンも、このような世間の動きを横目で見ながら、ソロのバックのアレンジだけを書き続けていることにやる気も段々失せ、忸怩たる思いでこのビッグバンドを立ち上げたのかもしれない。

発起人はドナルドバードと一緒だったともいわれているが、いつも一緒にやる事が多かったボブクランショーとミッキーロッカーでまずはリズム隊を固め、他のセクションのメンバーのリクルートを始めた。メンバー集めは、バートコリンズ、ガーネットブラウン、そしてジェリーダジオンにそれぞれのセクションの取りまとめを依頼した。
結果はいずれも名手揃いだが、アダムスを始めとしてサドメルのメンバーからも何人かが加わった。

当時のニューヨークは、スタジオやテレビの仕事が多くあり、腕の立つメンバーを集めるには困らなかったが、反対に皆忙しすぎて全員が会える日を選ぶのに苦労したようだ。結局、リハーサルはサドメルの活動日とのバッティングを避け、スタジオワークの休みが多い土曜日と決まって練習がスタートする。



レパートリーはすべてピアソン自身のアレンジによる、アレンジャー主導のビッグバンドとなった。彼が前に地元でのコンサートの為に書いた古い譜面や、新しくビッグコンボで取り上げた曲のアレンジを大編成に手直ししたものまで、新旧取り混ぜてオリジナルスコアが用意された。

昔のスイングタイルを踏襲したのでもなく、かといって奇抜さや前衛性を狙った訳でもなく、当時数多く手掛けていた、ソリストのバック用の大型コンボでのアレンジを拡張した感じだ。したがって、各曲ともソロパートが多い。

立上げ後は、定期的にライブ活動を続け、自らがプロデュースを行っていたブルーノートから67年12月、68年12月と2枚のアルバム”Introducing””How Now Here This”を作った。ブルーノートのビッグバンド物は珍しいが、自らがプロデューサーを兼ねていたので無事にどちらもリリースに漕ぎつけた。

しかし、定期的に行われていたライブ活動の様子は、その実態を日本に居ては全く知ることはできなかった。サドメルの実態が、ライブアルバムがリリースされて初めて知ったのと同じ状況であった。

さて、このアルバムは1969年4月27日、ボルチモアでのライブであり、比較的最近(2013年)になってからリリースされた。という意味では、想像するしかなかったビアソンのビッグバンドのライブの様子が初めて世に出たものだ。
このライブの時点で、立上げからすでに2年が経っていたが、オリジナルメンバーが多く残っている。バンド全体の完成度も高まった状態でのライブの演奏なので、それだけで期待が持てる。
まず、録音場所だが、ボルチモアのFamous Ballroom。普段はダンスパーティーなどでも使われ所だろう、しかしこの日はLeft Bank Jazz Societyのコンサートという事で、聴くためだけの地元の熱心なジャズファンが多く集まった。



アルバムに収められているのは全部で8曲だが、どの曲もソロがたっぷりと長めの演奏なので中身は濃い。

最初のHi-Flyはランディウェストンの名曲。ビッグバンド編成前にコンサート用に書いた曲だそうだが、スインギーなストレートな曲。いきなりフォスターとタバキンのソロが圧巻で良い感じだ。
New GirlはピアソンのNonetのアルバムHoneybunsが初演だが、ビッグバンドのアルバムにも収められている曲、軽快なモダンサウンドだ。コリンズからタバキンへのソロの流れもスムース。
Eldoradoはバードのアルバムでやった曲。ここでもバードをフィーチャーしている。

ペッパーアダムスのソロが随所で繰り広げられるが、In The Still of The nightでほぼ一曲休みなく続くソロは圧巻。ピアソンのアルバムでは聴けなかった曲で、サドメルでも聴けなかったようなアダムス大フィーチャーの曲だ。

一転次はチックコリアの曲が2曲、がらりとモダンなモーダルサウンドになる。
最初のTones for Joan's Bonesではピアソンの長いソロが聴けるが、この曲は最初ブルーミッチェルのBossで最初に演奏した曲、ピアソンも気に入ったのかアルバムにも収められている。ビッグバンド編成だけに前作よりもアレンジが濃い。

次のStraight Up and Downがロッカーのドラムを中心にリズム隊が大活躍、その上でソロを交わすのはバードとアダムス、お客も自然と熱がこもってくるのが伝わる。
Ready When You Are C.Bは、その名の通り。典型的なベイシーサウンド。ビッグバンドはやはりこのような曲を一曲入れないと締まらない。
Night Songはスタンレータレンタインの1967年の録音でやった曲。フルバンド用にスコアを書き換え、テナーのソロはここではルータバキンだが、実に味にある演奏だ。

というように、普段ソリストをクローズアップするアレンジを多く手掛けていたが、ビッグバンドになっても基本的に変わりはないように思う。伝統的なビッグバンドでは良くある、アンサンブルをフィーチャーしたサックスのソリやアンサンブルのコールアンドレスポンスは、ピアソンのアレンジには無縁だ。あくまでもソリストありきで全体が組み立てられている。

このような自由度の高い演奏は、ライブで曲の時間的な制約が少ない場だとより魅力が増す。
このライブアルバムが世に出たことでピアソンのビッグバンドの魅力が一段と増した。他のライブ録音が発掘されることを願う。

1.  Hi-Fly                  Randy Weston 12:41
2.  New Girl             Duke Pearson 8:18
3.  Eldorado                Mitchell Farber 7:10
4.  In the Still of the Night          Cole Porter 9:17
5.  Tones for Joan's Bones          Chick Corea 9:57
6.  Straight Up and Down          Chick Corea 13:08
7.  Ready When You Are C.B.        Duke Pearson 7:17
8.  Night Song (Theme from Golden Boy)    Charles Strouse 11:35

The Duke Pearson Big Band
Donald Byrd  (flh, tp)
Jim Bossy  (tp,flh)
Joe Shepley  (flh,tp)
Burt Collins  (flh,tp)
Joe Forst  (tb)
Eddie Bert  (tb)
Julian Priester  (tb)
Kenny Rupp  (btb)
Jerry Dodgion  (as,fl)
Al Gibbons  (as,fl)
Frank Foster (ts)
Lew Tabackin  (ts)
Pepper Adams  (bs)
Duke Pearson  (p)
Bob Cranshaw  (b,eb)
Mickey Roker  (ds)

Produced by David A. Sunenblick & Robert E. Sunenblick
Arranged by Duke Pearson
Original Recordings Vernon Welsh
Recorded live at Famous Ballroom. Baltimore, Maryland on April 27,1969

Baltimore 1969
Duke Pearson Big Bnad
Uptown Jazz
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デュークピアソンのトリオ演奏をもっと聴きたかったのだが・・・

2015-02-17 | MY FAVORITE ALBUM


Profile / Duke Pearson

ブルーノートをリバティーに売却したアルフレッドライオンを引退する最後までサポートしたのは、デュークピアソンであった。ピアソンはライオンが去った後、残ったフランシスウルフを支えて、70年代の最初までブルーノートに残ったが、ウルフが亡くなるとピアソンもブルーノートを去った。
長いブルーノート生活ではアレンジャー、そしてA&Rマンとしての活躍が長かったが、そもそもピアソンがブルーノートと付き合い始めたのはアルフレッドライオンにピアノのプレーを認められたからであった。

アトランタ出身のピアソンがニューヨークに出てきたのは1959年、ドナルドバードのグループに加わってFuegoのアルバムに参加したのがライオンとの出会いであった。
一目惚れとはこの事だろう。ピアソンのピアノが気に入ったライオンは、すぐにピアソンのトリオアルバムを作った、それが、このアルバム、"Profile"だ。そして2カ月も経たない内に、もう一枚のアルバム"Tender Feelin's"を作った。ピアソンのアルバムとしては一番知られているアルバムだと思う。



そして、それに続くアルバムを期待したファンも多いとは思うが、ピアニストとしての本領を発揮したトリオアルバムというのはほとんどない。
最初に出会ったドナルドバードとはその後も一緒に演奏することが多く、バードとペッパーアダムスとのクインテットにも参加していたが、その後、活動の主体はピアノからアレンジへと移っていった。

そもそもピアソンの音楽家としての生活は管楽器からスタートしたという。何種類の楽器を演奏した中からトランペットを選んで本格的に演奏活動をし始めた矢先、歯か顎に問題が生じトランペットを断念せざるを得なかった。それで、本格的にピアノに転じたのは1954年。20歳を過ぎてからの遅咲きのピアニスト生活のスタートであった。初めてドナルドバードと一緒にレコーディングに臨んだ時は、まだピアニストとしては5年しか経っていなかった。

ピアソンのピアノの良さは、リリカルなプレー、そしてシングルトーンの軽快さと美しさだ。これも、ホーンプレーヤーとしてのメロディーづくりの経験があったからこそできる技ともいわれている。確かに、管楽器プレーヤーでピアノを弾く時のスタイルはそのような感じの演奏が多い。
ピアノをマスターしたプレーヤーにしてみれば、テクニックもないし、物足りないと感じるかもしれないが、反対にそれが良さにもなっているのだろう。

ピアソンがピアノプレーヤーを離れアレンジ&プロデューサーに転じていくにはいくつかのきっかけ、要因があったと思うが、ドナルドバードのグループを離れたのもひとつの原因だと思う。

ハービーハンコックのデビュー話が逸話として残されている。
ドナルドバード&ペッパーアダムスが、シカゴに遠征していた時に、レギュラーピアニストが急に参加できなくなり、地元で演奏していたハンコックのプレーをバードが聴いて急遽起用された。「ハンコックのプレーに感心したドナルドバードは、ハンコックが気に入りそのままニューヨークに連れて帰り、戻ってからも自分のグループに加えて活動を続けた」とある。

実は、この時体調不良で参加できなかったのがデュークピアソンであった。1960年12月、まだピアソンが初のレコーディンを終えてまだ一年しか経っていない時の出来事であった。これをきっかけにしてピアソンはピアニストとしてよりもアレンジャーに軸足を移す。参加する演奏も必然的にアレンジが必要な大編成が多くなる。

確かに初レコーディングを終え、世の中に認められつつあることは自覚できても、シカゴでクラッシクのオーケストラとも共演し神童とも呼ばれていた20歳そこそこのハンコックと自分を比較して、これは自分はピアノでは勝負にならないと思ったのかもしれない。事実、自分を世に出してくれ、その後一年付き合ったドナルドバードが即決でハンコックを採用し、いとも簡単に自分が首になったのだから。

それで、自分の立ち位置を替えて仲間と上手くやっていく道を選んだといってもいいだろう。そのような状況であったが、ドナルドバードとはその後も有効な関係は続く。レコーディングで一緒になることも多く、1967年ピアソンがビッグバンドを立ち上げた時、その相方はドナルドバードであった。ピアソンにとっては自分を世に出してくれた恩人でもある。

このような事情を知るとこのピアノトリオアルバムは貴重だ。ある意味怖さ知らず、世間知らずのピアソンが自由奔放に演奏した結果がこのような素晴らしいアルバムになっているのだろう。
色々な名ピアニストの演奏を肌で知ってしまうと、その後演奏を続けてもピアニストとしては半人前という意識がプレーを委縮させてしまったかもしれない。それ故、ピアノの演奏を自らの生活の中で脇役に追い込んでいったと考えても不思議ではない。

ジャズのいい演奏とは、経験とか技術とは関係無く、内から訴える何かがあると聴き手にも感じさせることだろう。昨今、高学歴のミュージシャンが多く演奏技術には長けていても、何か心に訴える物を感じないということも何か関係がありそうな気がする。
このピアソンの初リダーアルバム、ピアニストとして純な中に何か味わいを感じる。

1. Like Someone in Love       Johnny Burke / James Van Heusen 5:30
2. Black Coffee Sonny          Burke / Paul Francis Webster 4:32
3. Taboo               Margarita Lecuona / Bob Russell 4:57
4. I'm Glad There Is You          Jimmy Dorsey / Paul Madeira 4:52
5. Gate City Blues                    Duke Pearson 5:09
6. Two Mile Run                     Duke Pearson 5:54
7. Witchcraft                 Cy Coleman / Carolyn Leigh 5:42

Duke Pearson (p)
Gene Taylor (b)
Lex Humphries (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 29, 1959

プロフィール
クリエーター情報なし
EMIミュージック・ジャパン


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若い頃の仲間との再会は、お互いの絆が深まるものだ・・・・

2015-02-16 | CONCORD
Reunion in Europe / Monty Alexander

The CLAYTON-HAMILTON Jazz Orchestraは、今年グラミー賞(Jazz ラージアンサンブル)の受賞を逃したが、このオーケストラが結成されたのは1985年。もう30年が経ったことになる。
リーダーの2人、ジョンクレイトンとジェフハミルトンはコンコルドレーベルに良く登場していたが、その時クレイトンは弟と一緒にクレイトンブラザースで、ハミルトンはLA4などで活動していた。二人の活動歴はさらに古く、自分がジョンクレイトンの名前を見かけたのはカウントベイシーオーケストラだったと思う。
その、2人がまだ20代の駆け出しの頃、先輩のピアノのモンティーアレキサンダーのトリオで一緒に活動していた時期がある。3人のプレーはMPSにアルバムが残っているが、当時MPSの看板であったオスカーピーターンライクの演奏であった。60年代から活動をしていた、モンティーアレキサンダーが有名になったのはこのMPS時代であり、このモンティーアレキサンダーのトリオへの参加が2人の出会いでもあった。

3人はそれぞれしばらく別の道を歩んだが、皆一流の仲間入りを果たしていた。そして、最初の出会いから10年近くが経ち、この3人は再会の機会を得た。
再会は10年前主に活動をしていたヨーロッパでのツアーのために再編されたトリオであった。久々に仲間が合うと記念に何かを残しておきたいと思うのは世の常。
そこは、最年少のハミルトンが気を利かして段取りをつけ、3人で再会の録音を残すことができた。ツアーの最中でスタジオの手配もできなかったのかもしれない、西ドイツのシュトゥットガルトの滞在中、そこでのクラブでの録音となった。ただし、ライブではなくお客を入れないで、クラブをスタジオ代わりに使用して録音である。

曲は、ツアー中も演奏していた曲かもしれない。スタンダードが中心だがモンティー独自の解釈が、そしてモンティーのオリジナルも2曲。久しぶりの再会ではあったが、ツアー中でもありコンビネーションはピッタリだ。ピーターソンライクであった3人の演奏は益々円熟味を増しオリジナリティーが出てきたように思う。

アルバムタイトルは、その状況をそのままにReunion in Èuropeとつけられた。有名バンドのリユニオンバンドが編成されることは多い。しかし、全盛期を過ぎたメンバーの演奏は、懐かしさはあっても、やはり内容は今一つということが多い。が、今回のリユニオンは現役バリバリのメンバー達の再会であった。
会社を引退したOB会の集まりではなく、現役で活躍し始めた頃の大学の同窓会での再会のようなものだ。昔を懐かしみながらも、現役バリバリの話で盛り上がる。各自の得意技が各所で見られる。ベースのジョンクレイトンはレイブラウンのような重厚なプレーをする反面、アルコプレーも得意としている。オーケストラで来日した時も、彼のベースフィーチャーは弓弾きの時が多い。このアルバムでも披露している。

実際のミュージシャンの活動歴を見ると、昔コンビを組んだ仲間との再会セッションは数多く行われている。きっと、お互い現役で活躍している時の再会というのは熱が入ったプレーが繰り広げられることが多かったように思う。生を聴く機会があれば、そのような機会に接することはできるが、レコードでしか聴けないと、そのようなセッションにはなかなか接する事ができないものだ。

その点でも、きっとツアーの途中でこのようなアルバムを残せたのはラッキーだと思うし、それをハミルトンに託し、実際の段取りを任せたジェファーソンはたいしたプロデューサーだと思う。

この再会がきっかけになったのか、クレイトン&ハミルトンのオーケストラが生まれたのは、この後すぐであった。ちょうど、サドジョーンズとメルルイスが再会を果たした後に、サドメルオーケストラが生まれたように。

1. Two Bass Hit             Dizzy Gillespie / John Lewis 7:13
2. Got My Mojo Working               Preston Foster 5:40
3. Smile      Charlie Chaplin / Geoffrey Parsons / John Turner 4:48
4. Yesterdays W. Arkeen / O. Harbach / D. James / J.J. Johnson / J. Kern / A. Rose 5:54
5. Blues for Stephanie            Buck Clayton / John Clayton 3:58
6. Love You Madly               Duke Ellington 5:31
7. Ben          Don Black / Donald Black / Walter Scharf 6:49
8. Eleuthra                    Monty Alexander 6:43
9. That's Why                     Monty Alexander 3:08

Monty Alexander (p)
John Clayton (b)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Jeff Hamilton
Recorded at Club Manufaklur, Stuttgart West Germany on March 27, 1983
Originally released on Concord CJ-231

Reunion in Europe
クリエーター情報なし
Concord Records
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派手さは無いが、ギタートリオをバックにしたボーカルもいいものだ・・

2015-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Sylvis Is ! / Sylvis Syms with Kenny Burrell

50年代のハードバップ全盛時代のプレスティッジに較べて、60年代のプレスティッジのアルバムは地味なものが多い。有名処のプレーヤーは皆メジャーの専属になり、ジャズ自体もフリーからジャズロックまで多様化していった時、メインストリームなジャズはただでさえ目立たなくなっていた。ジャケットも地味で目立たない、無い無い尽くしの状態であった。
実は、こんな時こそ隠れた実力者が本領発揮できる場であったのかもしれない。
さらに、このプレスティッジやブルーノートというレーベルはボーカル物が少ない。そんな中に混じってカタログにのっていたのがこのアルバムだ。

この時代のプレスティッジのアルバムを、自分は先日のペッパーアダムスは好きで買ったが、何故買ったかもあまり覚えていないアルバムが何枚かある。このシルビアシムスも、当時は良く知らなかった。しかし、何故か気に入って良く聴いていたアルバムだ。

ジャズボーカルというと、やはり御三家のようなダイナミックな歌唱力とスキャットに感心していた頃、このようなストレートな歌い方がかえって新鮮に感じたのかもしれない。
歌もいいが、バックのケニーバレルが実にいい感じだ。

ジャズを聴き始めた頃は、ボーカルのバックというとピアノトリオが普通と思っていた。たまにギターが加わっても、これはおまけのような感じがして、ピアノが無いと何となく寂しく感じたものだ。
ところが、ピアノが無いと当たり前だがギターが突然目立つようになる。
考えてみれば、他のジャンルでは、ロックでも、ブルースでも、フォークでもギターをバックにしたボーカルが当たり前なので、ジャズだってギターで歌うのはおかしくないはずだが。

すると、ジャズのギターのバッキングなるものが、スイング感を与えるだけでなく、変幻自在に歌に絡むのが、実に魅力的なのか分かるようになった。この時、上手いギターというのは、リズムであれ、ハーモニーであり、さらにはメロディーでも歌手にとって実に良きパートナーになる。ボーカルのバックはピアノもいいが、ギターもいいな思うようになった。

このアルバムは、そのギタートリオがバックとなっているのが一つの特徴。
ギターは名手ケニーバレルだが、他のメンバーも地味だが名手揃い。この頃は、ケニーバレルはウェスモンゴメリーの陰に隠れた存在となっていたが、このような編成&演奏になると本領発揮である。ウェスのような派手さはないが、色々な技を披露してくれる。単にギターのトリオより、このようなボーカルやソロのバックの時の方が、存在感が増すように思う。

そして、このアルバムのもう一つの特徴は当時流行り出したボサノバのリズムの曲が何曲かある。ここには、ギターのバッキーピザレリとパーカッションが加わる。ボサノバというと、強烈なサンバのリズムに乗った演奏もいいが、ここではゲッツの影響かパーカッションも控えめに、しっとりとした軽快なリズムが刻まれる。

派手でウキウキするのもジャズの楽しさだが、地味でしっとりというのもジャズの良い所。このアルバムも、変に気負ったところが無く、素直で、軽妙な所がいい。

ライナーノーツには、とってつけたような解説ではなく、映画監督のウッディ―アレン、ピアノのエロルガーナー、プロデューサーのロスハンター、そして歌手のジャックジョーンズやトニーベネットなどからのシムスに向けた賛辞が述べられている。
誰もがいいなと感じるボーカルなのだろう。



1. As Long As I Live
2. More Than You Know
3. I’m Afraid The Masquerade Is Over
4. How Insensitive*
5. Smile
6. If You Could See Me Now
7. Meditation*
8. Cuande Te Twiste De
9. God Bless The Child
10. Wild Is The Wind
11. You Are Always In My Heart*
12. Brazil*

Sylvia Syms (vol)
Kenny Burrell (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, August 11, 1965

*Add
Bucky Pizzarelli (g)
Willie Rodriguez (per)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, August 13, 1965
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今年のグラミー賞が発表されたが、ビッグバンド部門はゴードングッドウィンが・・・

2015-02-12 | MY FAVORITE ALBUM
Live In The Bubble / Gordon Goodwin Big Phat Band

いきなり、お題とは関係ない話題となるが・・・

先日、お茶の時間に打ち合わせのために知人とファミリーレストランに入った。コーヒーでもと思ったが、メニューの「クリームあんみつ」が目に入った。ビジュアル効果だ。
甘党だし、小腹がすいていたのでこれを注文したら、店員が注文を取る時に「美味しく作らせていただきます」と一言があった。所詮、ファミレスのメニューなので、袋から出して盛り付けるだけだとは思うが、その時その気持ちがだ大切だと思った・・・。

しばらく前に食品の産地偽装が話題になったと思ったら、最近は異物混入話が続いている。マクドナルドはトラブル連続なので、業績に与えている影響が一層大きいと聞く。これはもはや業態の構造的な問題だろう。食の安全問題以前に、「美味しい物」を提供していこうという姿勢を感じないし、こちらも美味しい物を食べたいと思って、マクドナルドに行くことは決してない。そのような業態なのだ。

と思ったら、先日はさらにひどい出来事がニュースになっていた。豚カツの恵方巻(美味しそうだとは思わないが)で、カツを揚げないで衣付の生のカツを巻いたものを販売したとか。
その原因が揚げたカツと揚げていないカツを間違えたというので唖然とした。揚げたカツの冷凍物が使われるとは知らなかったが、これを作った調理人とは冷凍のカツを解凍して巻くだけ。揚げたものと生の違いが分からなかったとは、果たして何を作っていたのか分かっていたのか疑問だ。いや、調理人以前に単なる作業者だったのだろう。

このような問題が起こる事業者は、作る方も売る方も果たして食べる物を提供しているという自覚があるのか疑問に思う。冷凍のカツを解凍して提供しているようでは、美味しい物を作っているという感覚など持てるはずがない。それを売っていたのも有名デパートということは、もはや美味しい物は目の前での手作り料理以外食べられない時代になっているということだろう。

昔は、食べ物の異物混入といってもせいぜい髪の毛が入っている程度が普通であった。最近ニュースになるような異物は、そもそも昔は食べ物を作る場には存在しなかった。それに、料理人であれ、配膳をする者であれ、お客様に食べて頂く場においては、提供する前に食べ物に不都合が無いか目を光らせていれば自然に気が付くはずだ。料理人は見た目だけでなく、味付け一つとっても間違いがないか常に細心の注意を払っていたものだ。

どこも慌てて管理体制を強化するというが、何もチェック体制を強化しなくでも、携わる人が皆食べる物を扱っていると自覚し、「美味しく作らせてもらいます」という気持ちがあれば異物混入など無くなるように思うのだが・・・。

「美味しく作らせていただきます」の一言が、マニュアル至上主義からの言葉ではなく、日本特有の思いやり&気配り精神が一人一人に戻り、細かい役割分担を決める事から共同作業の大事さを思い出すことに繋がることを願うばかりだ。

日々同じような生活を繰り返していると、良い事でも悪い事でもそれが当たり前になってしまい、問題意識が慣れの中に埋没してしまいがちだ。誰もがたまには日々のルーティンの棚卸が必要だと思う。

さて、本題。つい先日今年度のグラミー賞が発表された。
自分はジャズ部門しか興味が無いが、一番興味があるビッグバンド(ラージジャズアンサンブル)部門では、今年は自分が好きな、ゴードングッドウィン、ヴァンガードジャズオーケストラ、そしてハミルトン&クレイトンオーケストラの3つのバンドが揃ってノミネートされていた。どれが選ばれてもいいかなと思っていたが、結果はこのゴードングッドウィンのアルバムが選ばれた。

昨年出たばかりのアルバムで、昨年は2度も来日してこのアルバムの曲も演奏していたのでまだ記憶も新鮮だが、ライナーノーツを見ながら改めて聴き直してみた。

ライナーノーツの冒頭にグッドウィンのコメントが語られている。本来はこのように演奏者自身のアルバムに対する想いが真っ先にあっても良いと思うのだが、演奏者のコメントが載っているライナーノーツというのはあるようであまりない。

まずは、タイトルのLife in The Bubbleの意味が語られている。
自分の生活の周りは、誰でも自分自身の小さな泡で囲まれているようにみえる。そして自分の好みに合う物だけを選ぶようになってしまう。そして、それは限界というより思った以上に巨大な壁になると。

そこで、グッドウィンは今回その壁を押しのけてチャレンジしたという。プレーヤーとしてよりも作編曲家として、バンド全体のサウンドを第一に考えるグッドウィンにとって大きなチャレンジだったと思う。グッドウィンサウンドというのは良くも悪くも特徴があり、これを超えるサウンドづくりというのは大きなチャレンジだ。

結果はというと、いつも以上に一曲毎に特徴づけをしているように思う。内容は、実は新しい世界(サウンド)にチャレンジしたものもあれば、オーソドックスなビッグバンドサウンドに回帰した部分もある。いつものサウンドが少ないと思うファンも多いかもしれない。

1曲目のタイトル曲は、まさに泡が沸き立つ雰囲気がある。グッドウィン自身今までとは全く違う音作りをしたという。シャッフルリズムにのったギターをフィーチャーした曲も黒っぽくでいい。バージェロンのピッコロ尾トランペットはクラシックのような曲想から始まる。マリサンエルのバラードも妙にオーソドックスだ。パーカッションと主役にしたラテン調の曲もある。そして、、7曲目のDoes This Chart Make Me Look Phat? はグッドウィンのバンドには珍しいベイシーサウンドある。自身で語っているようにそれもサミーニスティコのアレンジをかなり意識している。曲のネーミングにも気に入っているようだ。

こちらは、その曲のライブ録音。




グリーンドルフィンストリートでは、同じ曲のオスカーピータソンのプレーをカバーし、グッドウィン自らピータソンライクのピアノを弾くとともにオーケストラのコラボを図るというチャレンジをしている。此の曲は一昨年アレンジ部門でグラミー賞をとっている曲だ。

そして、メンバーの起用方法も。ソロだけでなくアンサンブルでもよく考慮されている。トランペットセクションの重鎮、ウェインバージェロンもソロだけでなく、リードトランペットとしてハイノートの使い方などは見事である。

冒頭のコメントの最後に、「この演奏はファンの皆さん無しでは存続しえません。ひとつひとつの泡に一緒に飛び込んでくれた皆さんに感謝します。そして、引き続きのサポートをよろしくお願いします。」と、括っている。

グッドウィンは聴き手を大事にし、ファンと一緒に自分達も育っていくことが大事であることが分かっている。だから決して独りよがりになることなく、いつも楽しい作品を提供し続けられるのだろう。
美味しい物を食べたいと思っている生活者のニーズを忘れてしまった飲食、食品業界とは大違いだ。

今回の作品で、Big Phat Bandは一段と演奏の幅が広がったように感じる。
スタジオワークが長い腕達者が揃ったバンドなので、舵取り次第でどんな荒波でも乗り越えられそうだ。泡程度では何の障害にもならない。
次回のアルバム&ライブが楽しみだ。


1. Life In The Bubble
 feat: Brian Scanlon
2. Why We Can't Have Nice Things
 feat: Kevin Garren / Andy Martin
3. Synolicks
 feat: Andrew Synowiec
4. Years Of Therapy
 feat: Wayne Bergeron
5. The Passage
 feat: Eric Marienthal
6. Garaje Gato
 feat: Bernie Dresel / Gordon Goodwin / Joey De Leon, Jr. / Francisco Torres
7. Does This Chart Make Me Look Phat?
 feat: Jeff Driskill / Willie Murillo
8. Get Smart
 feat: Eric Marienthal
9. On Green Dolphin Street
 feat: Gordon Goodwin / Bob Summers
10. Party Rockers
 feat: Judith Hill

Gordon Goodwin's Big Phat Band

Wayne Bergeron (tp)
Dan Fornero (tp)
Willie Murillo (tp)
Dan Savant (tp)
Bob Summers (tp) #9

Francisco Torres (tb)
Craig Gosnell (tb)
Charlie Morillas (tb)
Andy Martin (tb)

Jeff Driskill (ts) #1,2,5,7,8,9
Brian Scanlon (ts,as,cl)
Kevin Garren (ts) #3.4.6 (as) #2
Sal Lozano (as,fl)
Eric Marienthal (as,ss)
Jay Mason (bs,bcl)
Gordon Goodwin (p.ts.arr)
Joey De Leon, Jr. (per,vol)
Rick Shaw (b,eb)
Andrew Synowiec (g)
Bernie Dresel (ds)
Judith Hill (vol) #10

Executive Producer ; John Burk

Produced by Gregg Field
Co-Producer : Gordon Goodwin & Dan Savant
Recorded by Tommy Vicari at Bill Schnee Studios, North Hollywood,CA,




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Life in the Bubble
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Telarc
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人気の出てきたリッチ―コールのライブアルバムをプロデュースしたのは・・・?

2015-02-11 | MY FAVORITE ALBUM
Alive! at The Village Vanguard / Richie Cole

オーレックスジャズフェスティバルが横浜スタジアムを満員にしてジャズ界が盛況を極めていた80年代の初め、ベテラン大物ミュージシャンに交じって新人で注目されたのが、ウイントンマルサリス、そしてリッチーコールであった。

どちらもジャズの伝統に根差したメインストリームのオーソドックスな演奏であったが、2人のタイプは全く違っていた。マルサリスはその後も常に王道を歩み、フュージョンの演奏の誘いも受けなかった。
一方のリッチ―コールの演奏も、フュージョンこそやらなかったが、ビバップオリエンテッドなプレーをポピュラーにする、軽いノリ、明るさやエンターテイメント性を持ち合わせていた。それも時には必要以上におふざけになる位それらを徹底的にアピールしていた。

反対にその軽さが硬派のジャズファンには受け入れられなかった。当時良く一緒にジャズを聴きに行った友人もこのコールには全く興味を示さず、反対に自分は「楽しくていいじゃないか」と言って、良く聴いていた。自分はジャズの線引き議論にはあまり興味はなかったので。

評論家も、神聖なるジャズを冒涜する道化師だと切り捨てる児山氏もいれば、軽薄ではない、バップを現在に生かす方法を知っていると弁護する岩波氏もいた。いずれにしても、議論を呼ぶだけの個性があったということだろう。

ビバップの伝統を引き継いた第一人者であるディジーガレスピーが、日本ではあまり人気が無いのもこの明るさを誇示したからかもしれない。楽しいジャズは、それはそれでいいと思うのだが・・・・。
日本では、ジャズには何故かマイルスやコルトレーン、そしてアートペッパーのようなある種の暗さ、そして精神性が必要で、人気が出る秘訣の様だ・・・。

このリッチ―コールはその楽しいジャズをよりアピールするためか、バンドの名前をアルトマッドネスと命名していた。アルバムもバトル物やライブ物が多いが、このアルバムもその一枚だ。
このアルバムでのバトルの相手は、ホーン楽器ではなくピアノのボビーエンリケ。フィリッピン出身で、リッチに合わせてバカノリのリズムカルなピアノを弾く。ピアノが打楽器の様だ。このエンリケが当時のコールのグループのレギュラーピアニストだった。

曲は、ビバップ時代の名曲、そしてオリジナルも一曲あるが、全編楽しい演奏を聴かせてくれる。オリジナルのAlto Acresでは、珍しくテナーのプレーも聴ける。

そして、ライブの会場はニューヨークのジャズクラブの聖地ともいえるビレッジバンガード。ここから多くのライブの名盤が生まれ、今でも良く聴かれている。しかし、このアルバムは? というとCDで再発されていないようだが、映像は残されている。



このアルバムを出したミューズというビバップスタイルの演奏の復活を試みたレーベルであるが、ソニースティットのようなべテランに交じって、リッチーコールのような新人も起用していた。ちょうどコンコルドで、ベテランに交じってスコットハミルトンが登場したように。ただし、コールに言わせると、演奏をただでプレゼントしたような扱いだったので、この後Museを去ることになる。
リッチーコールは、このミューズで巣立ったが、その前はバディーリッチのビッグバンドの一員であった。根っからのスイング感は、Museで育つ前ここで身に付けたのかもしれない。

このアルバムのプロデューサーは?というと、実は古い録音の発掘王マイケルカスクーナであった。ちょうどブルーノートの再発の仕事も一段落して、新作にチャレンジしようと思ったのかもしれない。

1. Punishment Blues
2. Body and Soul
3. Samba de Orfeu
4. Yardbird Suite
5. Alto Acres
6. Red Top

Richie Cole (as,ts)
Bruce Forman (g)
Bobby Enriquez (p)
Marshall Hawkins (b)
Scott Morris (ds)

Produced by Michael Cuscuna
Engineer : Dave Hewitt
Recorded live at The Village Vanguard, NYC on June 24, 1981

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残り物を集めたバラエティセットは中には当たりも・・・

2015-02-10 | PEPPER ADAMS
New Time Shuffle / Stanley Turrentine

昔のアルバムがCDで再発される時にLP時代に未収録であった曲が追加されることは多い。別テイクをやたら数多く収めるのは時には如何な物か?と思うが、未発表曲が収められるのはファンとしては嬉しいものだ。

セッション全体がお蔵入りしていた場合は、新アルバムとしてのリリースとなる。ブルーノートやヴァーブなどメジャーレーベルでその数が多い場合は、それらのアルバム全体がシリーズ化された事もあった。
未発表セッションが特に多かったブルーノートの発掘は、残り物とはいえない素晴らしい演奏も多く当時大きく話題になったものだ。

それを手掛けたのが、プロデューサーのマイケル・マスクーナ。最初は新アルバム制作のプロデュースも行っていたが、1975年〜81年にかけてはブルーノートの発掘に注力していた。
その後は、モザイクレーベルを自ら設立し、こちらでもミュージシャン別にテーマを決めてボックスセットでの再発を行っている、業界の発掘王ともいえるリイシュープロデューサーだ。

このアルバムも、カスクーナのプロデュースによって未発表セッションが世に出たものである。スタンレータレンタインは当時から人気があったせいか、セッションそのものの回数も多く、未発表曲が人一倍多かった。
アレンジャーとして参加したデュークピアソンも再リリースを手伝ったが、タレンタインの場合はあまりに数が多く一度ベスト物を出した。CDになってさらに未発表曲が追加され、結果的に、このアルバムは1967年2月17日と6月23日の両日録音されたすべての曲が収録されている。
売れ残りを色々組み合わせたが、最後に残ったものを全部束にして売り出したといえばそれまでだが。

自分の場合は、特にスタンレータレンタインの熱烈ファンという訳ではない。
ペッパーアダムスのセッションを追いかけて最近入手したという事情に加え、この所、デュークピアソンがアレンジしたアルバムを多く聴いたせいもあり、それほど期待もせずに一曲目を聴く。

いきなり場末のキャバレーのバンドの歌のバックのような出だしで、タレンタインのテナーも変り映えはしない。やはり残り物だけの事はあるなと思い3曲続けて聴く。クランショのベースもエレベでR&Bバンドの感じ、ジョーザビヌルのタイトル曲も今一つ。

4曲目から少し雰囲気が変る。ここから6曲が、アダムスも加わった2月17日のセッション。同じ、ピアソンのアレンジだが少し雰囲気が違う。メンバーも違うが、アダムスを含むサックスの3人は当時のサドメルのオーケストラの3人だ。アンサンブルの厚いサウンドが心地よい。アレンジでもフルートやクラリネットに持ち替えてサドジョーンズ風の雰囲気が出ている所も。ボサノバではバッキーピザレリのギターが効果的だ。トランペットにドナルドバードも加わり短いソロも。アダムスは特にソロは無い。

バードとアダムスとは前年久々に再会してコンビを組んでライブを行ったが、この一連のピアソンのセッションでも良く一緒になっていた。また、2人で一緒にやろうかという雰囲気にもなったのか、久しぶりの録音は10月に実現する。これもお蔵入りしていたが。

結果的には、どんな曲でもこなすタレンタインに、色々なスタイルのアレンジを提供した、まとまりのないアルバムとなっている。反対に一枚で色々楽しめるという事にもなるが、スタンレータレンタインのプレーだけは、バックのメンバーが変っても、アレンジの雰囲気が変ってもマイペースだ。

ピアソンもこのようなバックのアレンジが続くのにはいささか閉口していたのだろう。思いっきりアレンジに腕を振るったビッグバンドを編成し、この録音の1週間後にはハーフノートでライブをスタートさせていた。

ペッパーアダムスは、サドメルのレギュラー活動に加え、このピアソンのビッグバンドにもレギュラーとして参加するようになった。このピアソンのビッグバンドの録音は12月に行われる。

皆、サイドメンとして参加をしながら、メンバー同士では色々と次の策を練っていた。

1. Return Of The Prodigal Son
2. Ain't No Mountain High Enough
3. New Time Shuffle
4. Blues For Del
5. Manha De Carnaval
6. Here's That Rainy Day
7. What Now, My Love
8. Night Song
9. Samba Do Aviao
10. She's A Carioca
11. Flying Jumbo (Prez Delight)
12. Bonita

<#1〜#3 & #10〜12>
Joe Shepley, Marvin Stamm (tp, flh)
Garnett Brown, Julian Priester (tb)
Al Gibbons (as, fl, bcl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Mario Rivera (bs)
McCoy Tyner (p)
Bob Cranshaw (b)
Ray Lucas (ds)
Duke Pearson (arranger)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, June 23, 1967

<#4〜#9>
Donald Byrd (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Pepper Adams (bs, cl)
Kenny Barron (p)
Bucky Pizzarelli (g)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)

Duke Pearson (arranger)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, February 17, 1967

Produced by Alfred Lion
Produced for release by Michael Cuscuna


ニュー・タイム・シャッフル+6
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ユニバーサルミュージック
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一段とパワーを増したバディーリッチビッグバンドの名演といえば・・・

2015-02-09 | MY FAVORITE ALBUM
The Roar of ’74 / Buddy Rich Big Band

先日久しぶりに稲垣貴庸ビッグバンドのライブに行った。最近は他のバンドでの演奏を聴く機会が多いので、稲垣BBも良く聴いていると思ったが一年ぶりくらいだった。

稲垣貴庸BBというとやはりバディーリッチ。
ビッグバンドファンには、バディーリッチ好きも多いが、リッチの曲を聴くにはこの稲垣BBが一番いい。この日も常連さんを含めて多くのお客が集まっていた。メンバーもお客さんもそれを目当てに集まるので、自分のオーケストラでバディーリッチを演奏する時の稲垣さんのドラムは一層軽快になる。



アップテンポの曲が多いのでドラムは大変だと思ったが、ホーンセクションも目いっぱい吹き続けることが多く、曲間に一息入れないとしんどいらしい。確かにミディアムテンポが多いベイシーとは大違いで、リッチの曲をこなすにはテクニックに併せて体力勝負のような気がする。

お馴染みのリッチの曲が続いたが、久々にウェスサイドストーリーメドレーの大作も聴けた。
そして、締めはナットビル。リズミックなメロディーも馴染み易いが、この曲はアップテンポで一段とドライブがかかる。ビッグバンドでのショーケースとしてもうってつけの曲なのだろう。
この曲は、何故か他のバンドでも取り上げることが多いホレスシルバーの名曲だ

さて、この曲が入っているリッチのアルバムはというとこのアルバム。
レーシングスーツに身を包んだ写真が印象的で、一度見れば忘れないジャケットデザインだ。デザインどおりスピード感溢れる曲が並ぶ。
久しぶりにじっくりアルバムを眺めてみたが、ライナーノーツには曲とメンバーだけで何も書かれていない。

このスピード感を増すためか、リズム隊が補強されパーカッションが加わっている。サムウッドヤードとあるが、あのエリントンオーケストラのドラムのサムウッドヤードか?
そして、ギターにジェフベック。
これだけで結構雰囲気が変る、エイトビートでなくとも躍動感が増す。同じ4ビートでも、リッチのドラミングはドライブ感が違う。それにこのリズム隊が加わるとターボ付きのパワーとなる。それがオーケストラ全体をドライブするので、並のビッグバンドとは異次元のサウンドとなる。

リッチのアルバムで、このアルバムを推す人も多いが、このドライブ感がたまらないのだろう。自分はジャズロック風の演奏が多くなってきてからのアルバムよりも初期のアルバムを聴く事が多いが、このアルバムのナットビルとタイムチェックはどちらも好きな曲だ。

リッチのオーケストラもデビューした時のパシフィックジャズからRCAにレーベルが変っていたが、このアルバムはというと、グルーブマーチャントへとまた変わっている。

グルーブマーチャントというと、サドメルの初アルバムを作ったソリッドステートレーベルを作ったプロデューサー、ソニーレスターのレーベルだ。
グルーブマーチャントというと同名の曲がサドメルのレパートリーにもあった。ジェロームリチャードソンのグルービーな曲で、好きな曲のひとつだが、そうしてもこの曲のイメージを持ってしまうが。時代が変われば、同じグルービーといってもカッコよさは変化する物。

ソニーレスターが一段とパワーを増したバディーリッチのオーケストラから、また新たな「カッコよさ」を引き出したアルバムといえよう。

次回の稲垣ビッグバンドのライブは、5月6日@新宿Someday
バディリッチファンの方は是非一度お試しください。



1. Nutville                (Horace Silver)  4:47
2. Kilimanjaro Cookout         (Manny Albam)   6:14
3. Big Mac               (Ernie Wilkins)  5:54
4. Backwoods Sideman         (John La Barbera) 4:29
4. Time Check               (Don Menza) 3:45
5. Prelude to a Kiss  (Duke Ellington, Mack Gordon, Irving Mills) 3:32
6. Waltz of the Mushroom Hunters      (Greg Hopkins) 7:16
7. Senator Sam                (Wilkins)   4:40

Buddy Rich (ds)

Charley Davis (tp)
Larry Hall (tp)
Greg Hopkins (tp)
Pat La Barbera (ts,ss)
Bob Crea (ts)
John Laws (bs)
Alan Kaplan (tb)
Keith O'Quinn (tb)
John Leys (btb)
Buddy Budson (p)
Joe Beck (g)
Tony Levin (b)
Jimmy Maeulen (cong)
Sam Woodyard (per)

Produced by Sonny Lester
Recorded on October 6 & 13, 1973


Roar of 74
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ペッパーアダムスとジェリーマリガンが握手を交わした日・・

2015-02-08 | PEPPER ADAMS
Dizzy Gillespie Dream Band Jazz America

1981年2月16日、ペッパーアダムスは久々にビッグバンドに加わって、ニューヨーク、リンカーンセンターのエブリーフィッシャーホールのステージに上がっていた。コンサートも終盤に入り、Tin Tin Deoで熱演を終えたマリガンが聴衆の拍手に応えていた時、背後のバンドに振り向き、いきなりアダムスに手を差しのべ握手を交わしたが・・・。





この日のコンサートは、ディジーガレスピーのドリームバンドのコンサートであった。
臨時編成のこのガレスピーのビッグバンドにアダムスは加わっていた。同じステージにマックスローチを加えたコンボも編成され、同じステージでの競演となったプログラムも終盤を迎え、盛り上がった所での出来事であった。

このガレスピーのドリームバンドは、''Jazz America'' history of jazz seriesといったテレビ番組用の素材の一環として企画され、このコンサートの模様が収録された。この番組は、スポンサーがついた民間放送用に制作されるのではなく、教育用のプログラムとしてアメリカだけでなく広く世界中のテレビ局やラジオ放送に提供することを目的に作られた。

この主旨に賛同したディジーガレスピーは、このためにスペシャルバンドを編成し協力することになった。そのメンバーは各セクションとも実力者が揃い、ビッグバンドファンならずとも興味を惹くメンバー達であった。その中にはアメリカに来て間もないパキートデリベラの姿も。ラテン色の強いガレスピーの曲を演奏するには相応しい人選であった。

そして、コンボの方にはマックスローチの姿が。ジャズ界全体がフィーバーしていた時期ではあったが、コマーシャリズムに迎合したジャズとは一線を画していたローチにとっては久々の晴れ舞台での演奏であった。

そして、このバンドにメインゲストとしてジェリーマリガンが加わっている。
最初、このビデオを見た時、ガレスピーのドリームバンドのゲストとしてマリガンは少し違和感を覚えた。確かに、同時代を過ごしたジャズ界の立役者ではあるが、ガレスピーを主役とし、Bebopの歴史を再現するバンドには相応しいとは思えなかった。パーカーの代わりとしてソニースティットでも加わっていたら、これもドリームバンドといえたかもしれないが。

しかし、それを感じたのは参加したミュージシャン達も同じであった。特に、マックローチは、「お前は、ガレスピーと普段一緒にやっていたのか?ガレスピーのために一体何ができるのか?」と露骨にマリガンを責めたという。
ところが実際には、最初はアレンジの協力といっていたのがリハーサルを始めるとこの曲でソロをとりたいと要求はエスカレートしていった。メンバー達も「アダムスがいるのに何でマリガンが?」と首を傾げたが、結局はマリガンも主役の一人になった。

人柄の良いガレスピーは、間に入って皆を収めていざ本番となったが、アレンジを担当していたスライドハンプトンは、最後の抵抗か本番の演奏には参加しなかったという。

この真相を、ピアノのローランドハナが後日語っている。
このプロジェクトを企画したのは、音楽のドキュメンタリー作りには実績のあるGary KeysとStanley Dorfmantという2人のプロデューサーだった。2人はマリガンにこのプロジェクトへの参加を要請した時、最初からフィーチャーする場面をマリガンに与えていた。さらにマリガンへの報酬は、このコンサートへの出演料だけでなくこの映像販売に関してのフィーもあった。ジャズの歴史の再現といった企画でありながら、ショー仕立てするためにマリガンを使ってしまったのがミスキャストであったのだろう。

一方で、他の出演者はマックローチといえども出演料以外は貰っていなかった。だから、本来はペッパーアダムスの出番でもいいシーンで、マリガンの演奏になっているという次第だ。他のメンバー達も誰もマリガンとはやりたくなかったので、マリガンのバックの時は全然気合が入らなかった。一時はマリガンとローチの間で本番をキャンセルするという位まで、2人の間はシコっていた・・・、とハナの話は続く。

このような背景はあったものの、ガレスピーとジョンファディスの師弟対決もあれば、マックローチのハイハットだけを使ったドラムソロなど、コンサート自体には見どころは多い。
色々あっても、聴衆を前にプレーを始めれば、そこはプロのミュージシャン。
しかし、ガレスピービッグバンドの再編という点では、今一つ物足りなさを感じたのもマリガンが原因であったということだろう。

若い頃から常にジャズ界の最前線で活躍し続けたマリガン。そして主役で居続けられたのは、ジャズをビジネスにしていた面々との付き合いを上手くやっていたということだろう。そういえば、マリガンのコンサートジャズバンドも、ノーマングランツの支援があったから成り立っていたが、グランツがVerveを売却すると早々に解散したと聞いた事がある。

ダウンビートの批評家投票では、ペッパーアダムスはこの時すでにペッパーはマリガンを抜いて首位となっていた。そして読者投票でも翌年の82年にはマリガンが首位をアダムスの譲ることになる。ちょうどそんな時期でのマリガンの出番であった。

確かに、マリガンは70年代の後半はアルバム制作も途絶えがちで、落目のマリガンを周りのミュージシャンも感じていたのかもしれない。そのマリガンは、今後も主役であり続けるためには、せっかく得たこのコンサートの機会で、何とか主役の一人に加わりたかったと考えても不思議ではない。

マリガンはこの後も活動を続け、多くのアルバムを残す。あのクールの誕生の再演も果たした。きっと、最後まで話題の中心に居続けたいという想いでプレーを続けたのだろう。
よく成功者の中にいるタイプだ。

アダムスは、このコンサートの直前に"The Masters"がグラミー賞にノミネートされた連絡を貰う。そして、このコンサートが終わると、一人バリトンを持ってまたソリストとしてgigを求めて旅に出る。

自分自身はマリガンのファンでもあるので、どちらが良いとはなかなか言いにくいが、このコンサートに纏わる一連の話は、アダムスの人生観とマリガンのその違いがはっきりと出た出来事のような気がする。

2人にとって、このステージ上での握手はお互い一体どんな意味があったのだろうか?



1. Manteca
2. A Night In Tunisia
3. Groovin’ High
4. Mr, Hi Hat
5. Hot House
6. Lover Man
7. Tin Tin Deo
8. Salt Peanuts

Dizzy Gillespi (tp)
Gerry Mulligan (bs)
Milt Jackson (vib)
John Lewis (p)
George Duvivier (b)
Max Roarch (ds)
Victor Paz, Joe Wilder, Marvin Stamm and Jon Faddis (tp)
Benny Powell, Janice Robinson, Curtis Fuller and Melba Liston (tb)
Frank Foster, Pepper Adams, Frank Wess, Pacito d'Rivera and Jimmy Heath (Saxes)
Sir Roland Hanna (p)
Paul West and Ron Carter (b)
Candido and Big Black (per)
George Adams (g)
Grady Tate (ds)
Jon Henridcks (vol)

Recorded live at Avery Fisher Hall, New York, February 16 1981


Produced by Gary Keys

Dream Band Jazz America [DVD] [Import]
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Wienerworld
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名盤の陰に、名プロデューサーあり・・・・

2015-02-06 | MY FAVORITE ALBUM
Speak Low / Walter Bishop Jr.

ジャズの世界で大物プロデューサーといえば、JATPの興業を成功させたノーマングランツ、ニューポートジャズフェスティバルを有名にしたジョージウェインなどが有名だ。そして、コンサートだけでなく、レコーディングとなるとアルフレッドライオン、ボブシャッド、クリードテイラー、ボブシール・・・・など成功したレーベルには必ず名物プロデューサーがいた。
我々がジャズに接するには、直接目に触れる機会はなくとも彼らプロデューサーの存在は重要だった。もし彼らがいなければ、コンサートが開かれることもなく、アルバムが残されることも無かったので。

もちろん、彼らのような有名プロデューサーだけでなく、自主録音以外の大部分のアルバムにはプロデューサーの名前がクレジットされている。無名であっても、彼らがいるからアルバムが作られ、今でも楽しむことができる。もちろん、彼らがアルバムの出来を左右する事も多いので、ミュージシャンの本領を発揮させられるかどうかの責任は重要だと思う。

ペッパーアダムスのアルバムEncounter !を制作したフレッドノースワーシーは、有名プロデューサー達と較べると無名と言ってもいいだろう。だが、結果的にいいアルバムを作っている。

ピアノトリオの名盤は?といって必ずと言っていいほど選ばれるのが、このウォルタービショップJr.のアルバム「スピークロウ」である。日本盤が出た時、その宣伝文句で「無人島に持っていく一枚だけのピアノ・トリオ・アルバム」とアピールされていた。
オリジナル盤は幻の名盤といわれていたアルバムだが、このレーベルがJazztimeという、わずか5枚のアルバムをリリースして消えてしまったレーベルであったのも理由の一つだろう。短い寿命であったが、途中で名前をJazzLineと変えているのも分かりにくい。

実は、このレーベル設立に参画した一人が、このFred Northworthyであった。
彼のアルバム制作への関わり方は、Producerと書かれることも、Artists & Repertoire と書かれることも。そしてRecording Engineerと書かれることもある。そして、自らレーベルを立ち上げようとしたことも何度かあったが、最初のチャレンジがこのJazztimeであった。

彼の経歴はイギリス出身という以上良く分からないが、基本的にアンダーレイテッドなミュージシャンに注目していたように思う。
「自分の好きな、あまり注目されない境遇のミュージシャンに、好きなように演奏してもらう」をモットーにしていたようだ。売ることを真っ先に考えていないので、当然あまり商売にはならない。しかしミュージシャンにしてみれば実に気持ちよく演奏できるので、いいアルバムができるということだろう。

このような事情を知って改めてこのアルバムを聴き直すと・・・。
まずは、サイドメンとして参加したアルバムしか無かったウォルタービショップをリーダーに据えた大英断を評価すべきだろう。このビショップ、前回のペッパーアダムスなどを含めて新人で無名という訳ではなく、それなりの活動をして評価はされていても、リーダーとして活動の機会は少なく、その評価以前にその実力をアピールできる場が限られていたというのが実態であった。そのようなミュージシャンに機会を与えようというのは本当に好きでなければできない事だ。

次に、ベースのジミーギャリソンの起用。こちらもコルトレーンのグループに加わった頃。ジミーギャリソンの図太いベースが魅力だ。
ドラムのホーガンも無名といっていいだろう。自分も他のアルバムで記憶が無い。派手さはないが、パウエルは興したモダンジャズのピアノトリオの原点がブラッシングだったというのを知っているかのような演奏ぶりだ。

コンコルドのカールジェファーソンも、ミュージシャンに自由に演奏できる場を与えたのは同じだが、こちらは過去の実績があるベテラン達が中心。最初は細々とスタートしたが、あっというまに全国区に受け入れられたのも、すでにいたファンから受け入れられたから。この違いは商売的には大きく違った。ジェファーソンは、元々車のディーラーをやっていたビジネスマンであったのも大きな違いだと思う。

アルバムの中身に関しては多くを語る必要はないと思うが、実に味のあるピアノだ。まさにジャズ喫茶に似合う音だ。

そして、自分の好きなグリーンドルフィンもやっているという訳ではないが、スタンダードありジャズの名曲ありの選曲もいい。
1961年の録音、ファンキーブームの真最中、多分世の中の動きに惑わされることなく、パーカーとやっていた頃のスタイルを全く変えることなく、自然体のプレーを出し切れた結果が良い演奏になったのだろう。

それを引き出せたのも、プロデューサーの力量だと思う。



1. Sometimes I'm Happy     Caesar, Youmans 6:25
2. Blues In The Closet          O. Pettiford 3:57
3. On Green Dolphin Street     B. Kaper, Nancy Washington 9:45
4. Alone Together                A. Schwartz 6:45
5. Milestones                  M. Davis 4:45
6. Speak Low                 Weil, Nash 9:20

Walter Bishop Jr (p)
Jimmy Garrison (b)
G. T. Hogan (ds)

A & R : Fred Northworthy
Engineer Bill Stoddard
Recorded at Bell Sound Studios, New York, March 14, 1961

スピーク・ロウ
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ミューザック
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