A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ラストアルバムというのは、ミュージシャンだけでなくレーベルにも訪れるものだが・・・

2015-01-31 | MY FAVORITE ALBUM
American Eyes / Rare Silk

先日、ペッパーアダムスのアルバムを紹介している中にPalo Altoからリリースされたアルバム“California Dream”があった。自分が持っているのはCDの再発物だが、Palo Alltoのオリジナルのレコードは何枚か持っている。

何か自分の好みと相通じるものがあるのかと思い、もう一度カタログリストを眺めてみた。当時人気のリッチ―コールがあったり、かと思ったらメイナードファーガソンがあったりと、色々バラエティーに富んでいる。
何か拘りがあるような、無い様な・・・・。オーナーのHerb Wongの好みといえばそれまでだが。
そして、リストの最後にあったのが、このアルバムだった。カタログナンバー8086、これがPalo Altoのラストアルバムという事になる。

このレアシルクは、ベニーグッドマンの専属コーラスグループとしてデビューした。オーレックスジャズフェスティバルで来日した時も同行していた

その時の武道館での演奏は↓



そして、男性ボーカルを加えて独立して、New Weavesというアルバムを作った
当時。ジャズコーラスといえばマンハッタントランスファー。1984年のグラミー賞は、マントラのWhy Not。先日紹介した、Body and Soulというアルバムに収められている。

実は、この時ノミネートされた他の4枚に、このレアシルクのニューウィーブスも選ばれていた。少なからず注目されたグループであったということである。確かに、グッドマン時代のレトロな感じを残すコーラスから、モダンなコーラスに変身して新天地を切り開いたいいアルバムだったと思う。

そして、その成功を経て、このアルバムへとつながってくる。バックは一部ソプラノサックスが入るが基本は管楽器を使わずキーボードのトリオ。しかし、シンセサイザーやエレピを使って思い切りモダンなサウンドに。


そして、ラウンドミッドナイトではベースだけをバックにアカペラを聴かせてくれる


手作り感が漂うこのアルバムもグラミーの候補に選ばれる。しかし、結果はマントラのボーカリーズに敗れる。この時代、(というよりその後もだが)コーラスグループはマントラの時代が続いたので当然の結果かもしれないが、少なくとも2枚のアルバムが注目され、これからと思われたのだが・・・・。その後、活動の様子が聞かれなくなった。
今回改めて確認したら、このアルバムのすぐ後1986年には解散したとあった。
人気が出かかったのに何故? と気になるが。

世の中には運気というものがある。もし、このレアシルクがこのアルバムを機にブレークしていたらパロアルトも続いていたかもしれないし、パロアルトがその後も続いていたら、このレアシルクの活動も続いていたかも。
どちらも悪い運気を持っていた同士の出会いだったということだろう。

いずれにしても、せっかくグラミー候補になるアルバムを作るまで上り詰めたのだが、レアシルクもパロアルトもこれが最後のアルバムとなってしまった。

ジャズ好きのオーナーと、有能なミュージシャンの組み合わせだけでは残念ながら活動を続けるだけのお金が回らないということかもしれない。
昨今のジャズ界もそのような気がする。

1. Oops!
2. Watch What Happens
3. 'Round Midnight
4. Hello
5. American Eyes
6. Storm
7. Up from the Skies
8. Burn It

Rare Silk
Todd Buffa (vol)
Gaile Gillaspie (vol)
Mary Lynn Gillaspie (vol)
Barbarann Reeves (vol)

Rrae Silk Trio
Eric Cunninson (keyboard)
Kip Kuepper (b)
Michael Berry (ds)

Produced by Rare Silk
Engineer : Tim Greene

American Eyes
クリエーター情報なし
Hardware
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ペッパーアダムスのラストレコーディングはビッグバンドで・・・

2015-01-30 | PEPPER ADAMS
Suite Mingus / Denny Christianson Big Band

ペッパーアダムスは、ガンの治療を続けながら、演奏ができなくなるまでプレーを続けた。
最後のリーダーアルバムがあれば、最後のレコーディングもある。

サドメル時代は、ビッグバンドのペッパーダムスであったが、サドメルを辞めてからは反対にソリストとしてのアダムスに徹していた。ビッグバンドファンにとっては、ビッグバンドでのアダムスのプレーをアルバムでは聴けなくなったのは寂しかった。ただでさえ、ビッグバンドでバリトンのソロを売りにする、バンドもプレーヤーも少ないので。

サドメルに限らず、ケントンに始まり、ファーガソン、ミンガス、グッドマン、ハンプトン、ヘンダーソン、ピアソン・・・・、他にもアダムスが参加していたビッグバンドは数多い。ソリストになったとはいえ、ビッグバンドをバックにしたアダムス節があってもいいではないか?と思うのは、自分だけでは無かった。

カナダの東海岸の都市モントリオールはニューヨークからは近い。ニューヨークのミュージシャンは、広いアメリカを遠くまでツアーするよりは、気軽にこのモントリオールを訪れ演奏をする。ペッパーアダムスも昔からよくモントリオールを訪れていた。地元のジャズコラムニストLen Dobbinはそのアダムスとは50年代からの知り合いであり、アダムスの良き理解者であった。

地元モントリオールでビッグバンドを立上げたデニークリスチャンソンは活動を始めて3年が経った時、地元のブルーノートでのギグに誰かソロのゲストを招いて演奏をしたいと思った。というのも、ビッグバンドをバックにしたソロアルバムというのも、あるようでなかなか良いアルバムは見つからないと日頃から思っていたからだ。「そんなセットがあってもいいのではないか?」との思いが募り、このレン・ドビンに相談をした。

彼の答えは「選択は簡単だよ。特に君たちの演奏にピッタリなのはペッパーアダムスしかいないよ」というものであった。

その最初の共演が実現できたのは1984年10月。この年、アダムスは脚の怪我でその年の大半を棒に振っていたが、それは復帰直後の事であった。
15日にTony Zanoとのgigの後、シンガポールジャズフェスティバルにワンナイターで飛んで、ニューヨークにトンボ帰りで戻り、一休みしてモントリオールに入りしてリハーサルに臨むという強行軍であった。
そして22日にブルーノートに出演し、翌日には地元のラジオにビッグバンドとスモールグループで出演し、Christiansonの夢は実現した。

ラジオ局での録音↓



長旅の疲れのせいか、最初のリハーサルでのプレーは全くさえず、バンドのメンバーからは「あれがアダムス?」という声も聞かれたが、翌日の聴衆を前にした本番では人が変ったようにいつものプレーに戻ったようだ。初の組み合わせで、練習もそこそこでオーケストラをバックに吹きまくる本物のプレーを目の当たりにしてメンバー達は唖然とした。

この成功で、このセットでアルバムを作ろうという話が具体化するのには大きな障害はなかった。残された課題は曲をどうするか、そしてアダムスの健康状態となった。

というのも翌年3月ガンが発見され治療、療養状態が続いた中でのスケジューリングは大変で、やっとレコーディングがセットされたのは1986年2月になってからであった。

2月は、17日にサドメルの本拠地ビレッジバンガードでは結成20周年の記念イベントが1週間に渡って開かれた。このオープニングに参加したアダムスはゲスト参加し、ボディーアンドソウルでフィーチャーされ、昔懐かしいサドメルファンの喝采を浴びた。その後レコーディングを一件こなしてからのモントリオール入りは、とても病気と闘っているとは思えない行動力であった。

しかし、すでに体調はかなり悪化していた。頭の方も治療の副作用でスキンヘッドとなっていたが、体力の方もスタジオ入りしたアダムスが、自らのバリトンを運ぶにも2、3歩歩いては一呼吸置くといった様相であった。
とてもこの状況でプレーができるのか?と皆は思ったが、一度マウスピースを加えてプレーを始めると、元気な頃のプレーと全く変わりない音が溢れ出てきた。
この録音を聴いても、弱々しさは微塵もない。



曲は、スタンダード曲を中心に何曲も用意された。あとはアダムスが何を気に入るかであった。最初はアダムスもあまり乗らずにリハーサルにも熱が入らなかった。調子が出てきたのは日も変る頃。用意された譜面に、何年か前クリスチャンが一緒にロスで活動していたCurt Bergがミンガスに捧げて作った組曲Mingus Three Hatsがあった。これにはミンガスの曲も含まれている。

ミンガスとなるとアダムスも目の色が変る。アダムスはミンガスのプレーだけでなく、人間性にも惚れ込んだ尊敬すべき人物。即採用でリハーサルもそこそこで演奏はスタートする。

さらに、あとアダムスが興味を示したのはAlf Clausenが作った何曲か。実は、これらの曲はアレンジの雰囲気、音使いを含めてサドメルの初期の曲に実に似ている。アダムスが興味を示したのもうなずける。
そしてスタンダード曲の中ではMy Funny Valentine。これは奥さんへ捧げる曲だったようだ。

という流れで、アルバム2枚分近くが一気に録音を終えたが。最初にアルバムになったのはこの後半の25日の録音からであった。
そして、このアルバムSuite Mingusが生まれた。ジャケットにはSmile Mingusとなっているが、これには何か意味があるのか?

この1986年2月25日がアダムスのラストレコーディングとなった。全編アダムスがフィーチャーされ、アダムスのリーダーアルバムと言っても不思議ではないアルバムとなった。
アダムスが亡くなる7カ月前である。

最高のソリストを目指したアダムスの最後のソロを、アダムスを育てたビッグバンドをバックに聴けるというのは偶然とはいえ最高の置き土産だと思う。
あまり有名ではないが、アダムスファン以外でも、サドメルファンにもお勧めのアルバムだと思う。

その後も、アダムスはプレーを続ける。
6月のJVCフェスティバルではTribute to Harry Carneyのプログラムで舞台へ、さらに7月2日はモントリオールジャズフェスティバルへ。もちろん、デニークリスチャンソンも駆けつけていたが、舞台ではすでに椅子に座っての演奏だった。しかし、一曲目が始まる前からスタンディングオベーションで聴衆は迎えた。
そして、奇しくも、このモントリオールでのステージがアダムスの最後のステージとなる。
アダムスが亡くなる2カ月前。

帰宅後は、治療・療養が続くが、ベッドから起き上がれない日々が続く。でもプレーへの意欲が無くなる事はなかった。
そのような中、8月20日枕元の電話にディジーガレスピーから電話が入る「デンマークにいる盟友のサドジョーンズが亡くなった」との。
同じデトロイト出身でお互い無名の時から一緒にプレーし、一緒にコンビを組んだことも、サドメルの立上げから参画し、サドジョーンズが辞める直前まで行動を供にし、そして同じ時期病と闘っていた親友でもあり、戦友の死であった。
そのショックからか、体調がさらに悪化したのか、31日に予定されていたジャズフェスティバルへの参加はキャンセルされた。

9月に入ると容態はさらに悪化し、24時間の看護体制に入る。その病床を見舞ったのは、サドメルを辞めた時に真っ先に会いに行った親友のRon Marabuto、そしてトミーフラナガン夫妻であった。

そして、9月10日、自宅で安らかに眠りにつく。享年55歳。
本人の希望で、葬式は行われず、遺骨は未亡人によってニューヨークの港に散骨された。

9月28日、トミーフラナガンの音頭で追悼式が営まれたが、エルビンジョーンズ、ジョージムラツ、フランクフォスターといった親友たちに加え、ジェリーマリガン、ゲイリースマリヤン、ロニーキューバーといった多くのバリトンプレーヤーも集まりアダムスの死を悼むプレーを繰り広げた。
多くのバリトン吹きに、生涯まさにプレーに命を懸けたこの生き様は大きな影響を与えたと思う。

アダムスの訃報を載せたニューヨークタイムスの記事の最後の一行、

He is survived by his wife.

が印象的だ。


1.  Lookin' for the Back Door             Alf Clausen 7:13
2.  My Funny Valentine       Lorenz Hart / Richard Rodgers 5:17
3.  Trollin' for Thadpoles               Alf Clausen 9:49
4.  A Pair of Threes                  Alf Clausen 6:21
5.  Mingus -- Three Hats
     Theme/Slop/Theme/Fables of Faubus/Theme/I X Love
                   Curt Berg / Charles Mingus 15:53

Denny Christianson (tp,flh)
Pepper Adams (bs)

Roger Walls (tp)
Ron DiLauro (tp)
Laflèche Doré (tp)
Jocelyn Lapointe (tp)
Patrice DuFour (tb)
Muhammad Abdul Al-Khabyyr (tb)
André Verreault (tb)
Bob Ellis (btb)
Richard Beaudet (ts,cl.fl)
Jean Lebrun (ts,ss,fl,Piccolo)
Pat Vetier (as,cl.fl)
Joe Christie, Jr. (as,ss,cl,fl,Piccolo)
Jean Fréchette (bs,bcl)
Kenny Alexander (p)
Vic Angelillo (b)
Paul Picard (per)
Richard Ring (g)
Pierre Pilon (ds)

Produced by Jim West
Engineer : Ian Terry
Recorded on February 24 & 25, 1986 at Studio Victor, Montreal, Canada

Suite Mingus
クリエーター情報なし
Justin Time Records
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説のテナーは日本でもまだ健在だ・・・

2015-01-29 | MY FAVORITE ALBUM
The Tenor Summit / SATORU Meets Young Six

最近、ベテランミュージシャンの音楽活動何十周年といったライブがよく開かれる。昨年はトランペットの岸義和さんの50周年、そして先日は、ドラムのバイソン片山さんの40周年のライブが開かれた。スインギーなドラムで、ハンクジョーンズやウォルタービショップとも共演していた。今でも、ライブ活動をやっているようだが最近は聴く機会は無かったが。今回は、記念ライブという事もあり、ビッグバンド編成で出演ということでゴルフ帰りに駆けつけた。

メンバーはベテランが中心であったが、中にはテナーの大内満春、ギターの加治雄太といった若手の顔も。ベテランに交じって若手が加わっているのも嬉しいものだ。

そして、ゲストには飛び入りでボーカルのハービー・トンプソン。いつもながらの素晴らしいボーカルであったが、この日のメインゲストは何といってもテナーの尾田悟。元気に活躍しているニュースは良く聞くが、最近なかなか聴く機会がなく、これも当日の楽しみであった。

ビッグバンドでの演奏はグレンミラーナンバーからスタート、そしてベイシーレパートリーと続いた。途中で尾田悟さんが加わったが、ビッグバンドをバックに、そしてジャムセッション風にコンボでの演奏と続く。何と今年は米寿のお祝い、88歳になられるようだが、レスターヤングライクのテナーは健在であった。



昨年、今や伝説のテナーともいえるベニーゴルソンが来日したが、実はゴルソンの方が2つ年下。日本の伝説のテナーも負けてはいない。
しばらく前に、ベニーゴルソンの「テナー伝説」というアルバムを紹介した。この尾田さんのプレーを久々に聴いて、ゴルソンに負けないテナーバトルのアルバムがあったのを思い出した。

尾田さんが若手を集めてバトルを繰り広げたアルバムだ。1996年の録音なので、今から20年近く前。この時、尾田さんは60代半ば、すでに長老の域に達していたが、他のメンバーは皆20〜30代、彼等も今ではベテランの域に達しているが、この時は若手の伸び盛り。リズム隊を含めて親子ほど違うメンバーを集めてのバトルであった。

このアルバムで自ら尾田氏がコメントしているように、尾田さんのプレーは、60年代に一世を風靡し多くのテナー吹きに影響を与えたコルトレーンを否定したスタイルだ。そして、フュージョンの世界とも縁遠くレスタースタイルのテナーを吹き続けている。このアルバムのために集まった若者達にもそのコンセプトは伝わっていた。よく、ベテランが若手を相手にしたバトルだと、若手の若々しいプレー(これがコルトレーンに影響を受けたスタイルであることが多いが)に刺激を受けて、ベテランも若手に負けじと、いつも以上に気負ったプレーをすることも多い。しかし、ここでは尾田さんの存在感のある演奏に、若手が大先輩の胸を借りて畏れ多くもチャレンジしているという感じがする。

テナー4本でのアンサンブルあり、ソロの取り回しあり、バトル有と、尾田さんのテナーを中心に4人のテナープレーをタップリと楽しめる。似ているようで微妙に違うスタイルを楽しむのも良し。アンサンブルと言ってもスーパーサックスのような超絶テクニックを競うというのではなく、ソロ中心の心地よいサウンドだ。スインギーな曲が多いが、アリーオータムのようなしっとりモードも魅力だ。いずれもサックス好きにはたまらない。

スタジオライブでの演奏もリラックスした感じを生んでいる。さらに、2chダイレクトによるライブ録音というのも、マルチチャンネルで楽器の一つ一つが浮き彫りになりすぎているサウンドと異なり、このようなスタイルの演奏にはいいものだ。

1. Fast Company
2. Bluer Than Blue
3. There Will Never Be Another You
4. Sweet And Tangent
5. Angelica
6. If I Had You
7. Not Really The Blues
8. Things Ain’t What They Used To Be
9. Tenor Madness
10. Early Autumn
11. Crazy Rhythm

尾田 悟 (ts)
三木 俊雄 (ts)
安保 徹 (ts)
右近 茂 (ts)
守屋 純子 (p)
杉本 智和 (b)
田鹿 雅裕 (ds)

Supervised by Osamu Uchida
Engineered By Shigeki Kato
Recorded at Audio Park on Dec. 8, 1996
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生の最期が予感できた時、演奏には何か別な想いが加わっているような・・・

2015-01-27 | PEPPER ADAMS
The Adams Effect / Pepper Adams

1983年、また新たにリーダーアルバムを作りライブ活動も順調で、すべてが順風満帆に思えたアダムスであったが、その年の暮れも押し迫った12月15日、最初の不幸が訪れる。

駐車していた車のハンドブレーキが緩み、動き出してしまった車とガレージに挟まれアダムスは脚を複雑骨折してしまう。そのお蔭で病床で新年を迎えることになるが、そこで、前年のアルバムlive at Fat Tuesday’sでの演奏がまたもやグラミー賞のベストソリストにノミネートされたことを知る。
制作されたアルバムは少なかったが、それらが次々とグラミー賞にノミネートされた。それもベストアルバムとかベストグループではなく、ベストソリストとしてノミネートされたということは、彼のプレーに如何に注目が集まっていたかということの証左であろう。

久々の休養をしたといえばそれは疲れた体には良くもあったが、脚の治りは遅かった。予定していた仕事はすべてキャンセル、一方で世間では自分の演奏の評価が高まっていることを知ると、ベットの中でいてもたってもいられない日々を過ごしていた。
松葉杖をついて、やっとサックスを吹く練習ができるようになったのは5月も末になってからだった。思わぬ事故のお蔭で、この時すでに演奏活動には半年間のブランクができてしまった。

6月28日のベニーカーターのコンサートが開かれたが、これには車椅子でリハーサルに参加し、やっとプレーに復帰できた。しかし、普通に仕事ができるまでに完治するにはさらに時間が必要だった。
杖をつきながらやっと歩けるようになったのは9月の末。すでに怪我から9カ月が経過していた。10月以降はボチボチレコーディングへの参加もできるようになったが、1984年は結局彼の人生において大事な一年間を棒に振ったと言ってもよい。

1985年1月13日、この日にやっと一年がかりで車いすや杖から解放された生活を過ごせるようになった。アダムスは前の年のブランクを挽回すべく積極的な活動を再開するが、そのアダムスに2回目の不幸が訪れる。

復帰後すぐ、1月の末にはヨーロッパに渡った。ロンドンからノルウェーを経て、スェーデンに着いたアダムスは、ストックホルムでギグをこなしていた。
3月9日最後にクラークテリーとフランクフォスターのための歓迎パーティーに参加した後、翌日10日には北部の田舎町Bodenで地元のリズムセクションとプレーをしていた。翌日11日、体の不調を訴え地元の医者にかかったが、そこでアダムスは何と肺がんであることの宣告を受ける運命の日となった。

やっと足の怪我から復帰できたばかりなのに、遠い異国の地での突然の宣告を受けどのような心境であったか。心中を察するには余りあるが、アダムスはそのままツアーを続けパリに飛ぶ。
ニューヨークに戻ったのは3月21日だった。23-24日はニューヨークを離れニューポートでギグをこなした後、ニューヨークに戻り医者の精密検査を受けたのは27日になってからであった。一週間の検査入院をしたが、結果が変るはずはなかった。

その動かしがたい現実に直面したアダムスは、再びヨーロッパに旅立つ。イタリア、フランスを経て再びニューヨーク戻ったのが5月6日。
ニューヨークに戻っても何事も無かったかのように仕事をこなす。メルルイスに捧げるジャムセッションに出たかと思えば、トムハレルとのギグ、そして6月のクールジャズフェスティバルではウェスモンゴメリーに捧げるライブをジミーヒースやジョージベンソンと一緒に行った。何かに取り憑かれたように仕事をこなしていった毎日であった。

そして、6月25日、26日の両日、このアルバムが録音された。

前置きが長くなってしまったが、このアルバムはそのような状況で録音されたことをまずは認識すべきだろう。そして、アダムスのリーダーアルバムとしては最後になるのがこのアルバムだ。

前作のファットチューズデーのライブから、このアルバムが生まれるまでの間のアダムスの置かれた状況を知ると、このアルバムには普通のアルバムとは別に、何か他にアダムスが訴えたいことがあるのではないかと思ってしまう。

アダムスにとっては、この一年半は、まさに夢と希望に満ちた天国から、一寸先が闇の地獄へ落ちたようなものだ。しかし、演奏すること自体にはまだ不自由さはない。否、今まで以上に力強さを感じる。これは、一緒にプレーをしたフラナガンも感じたようだ。まだ「今まで以上に吹けるぞ」という事を訴えようとしていたのか。これが最後のアルバムとは思いたくはなかったが、もしかしたらもう何枚も作れないとは思ったはずだ。

このアルバムでは、最初はすべてデトロイト出身のメンバーを集めようとしたらしい。事実エルビンジョーンズにも一度は声が掛かったという。しかし、結果的にはフラナガンだけになってしまったが、このフラナガンは言わずもがなの昔からの友人でありアダムスの音楽の良き理解者であった。

フロントの相方には今回はフランクフォスターを迎えている。サドメルでも一緒にやっているし、そしてエルビンジョーンズとのコンビにアダムスが参加する事もあった友人、このフォスターも通じ合う仲だった。
事実。アダムスはあまりリハーサルをやらないタイプらしいが、アダムスのオリジナル中心で、どうなる事かとプロデューサーは心配したが、このフォスターは最初からアダムスの想いに沿ったプレーを繰り広げたとある。
ベースのロンカーター60年代からよくやっている仲間、ドラムはエルビンジョーンズが駄目だった時、ビリーハートがすぐに決まった。アダムスにとっては良く共演する相手だ。いずれもメンバー達に不足はない。

フラナガンの軽快なピアノから、シャッフルリズムにのって久々にハードバッパーらしい演奏だ。フォスターのテナーとも良く噛み合っている。まだやれるぞという想いからか力強さを感じる。

そして、バラードプレーのNow in our Lives。「今をしっかり生きなければ」というアダムスの気持ちが聞こえてきそうな情感の籠った演奏だ。CD盤ではこの曲は別Takeも収められている。特別想いが強かったのか。



Claudett’s Wayは1978年、アダムスが結婚した時に妻の為に作った曲。Reflectoryでもファットテューズデイのライブでも演奏している。これも彼の人生の思い出の曲なのだろう。

アダムスのリーダーアルバムとしては、初めてのデジタルレコーディング。そしてルディーバンゲルダースタジオ。録音も申し分ない。このセッションでの唯一の欠点はビリーハートのドラムがうるさ過ぎる事だったようだが。もちろんプレーを抑えさせたが、最後はマルチャンネルのバランス調整で乗り切ったと。

タイトルどおり、控えめでありながら、自らがリードする時は妥協を許さないアダムスの影響力をメンバーやスタッフ全員に与えている。
このアルバムも、最後のリーダー作に相応しい好アルバムだと思う。

そして、このアルバムを録音した翌月7月には、医者から2か月間仕事と旅行を止めるようドクターストップがかかる。そして、放射線治療が始まる。その後は、体調も徐々に衰えざるを得ない、アダムスが亡くなるまであと1年3カ月。

1. Binary           Pepper Adams 6:57
2. Now in Our Lives      Pepper Adams 6:56
3. Valse Celtique        Pepper Adams 5:45
4. Dylan's Delight       Pepper Adams 6:21
5. How I Spent the Night    Frank Foster 7:02
6. Claudette's Way       Pepper Adams 7:27
7. Now in Our Lives      Pepper Adams 8:44

Pepper Adams (bs)
Frank Foster (ts)
Tommy Flanagan (p)
Ron Carter (b)
Billy Hart (ds)

Produced by Robert Sunenblick & Mabel Fraser
Recorded by Rudy Van Gelder

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliff, N.J. on June 25 &26. 1985


Adams Effect
Pepper Adams
Uptown Jazz
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きなレーベルの新人は、聴く前から演奏イメージが掴みやすい・・・・

2015-01-26 | CONCORD
Coming Out / Johnny O’Neal

1983年のオーレックスジャズフェスティバルは、ローズマリークルーニー&レスブラウンオーケストラ、そしてバドシャンク&ショーティーロジャースのウェストコーストオールスターズが目玉だった。
そして、お馴染みのジャズメッセンジャーズだが、このメンバーが凄かった。OBのベニーゴルソンとカーティスフラーのベテラン2人に、トランペットはウィントンマルサリスとテレンスブランチャードの新人2人のダブルキャストという豪華編成だった。その時のメンバーの映像があった。ウィントンマルサリスが若い。



実は、この映像にも映っているが、あまり目立っていないピアノがジャズメッセンジャーズの新人のジョニーオニールである。ちょっと見には年齢不詳だが、この当時27歳の若者だ。

見るだけで楽しくなる組み合わせだが、とかくこの手の編成されたグループの演奏はじっくり聴くとそれほどでもないということが良くある。このオーレックスもどうも見掛けのメンバーにこだわりすぎたのか、その割には中身が満足できるものにできなかったのか、この‘83年で終了してしまった。

このオニールの初リーダーアルバムが、Concordから出ている。録音日がクレジットされていないが、この来日よりは前、それほど期間が経ってはいないであろう。

新人のアルバムというのは、どこかで紹介されたのを見たり、聴いてみないとなかなか初物買うには勇気がいるものだ。特に、小遣いが少ない頃はそうだった。
ところが、好きなレーベル、好みのレーベルというのもが決まってくると、そのレーベルの新人はサイドメンに加わることも多く、自然と耳にする機会が増える。特に、自分にとっては此の頃のConcordのアルバムは、何も考えずに黙って購入したものも多い。このアルバムもメッセンジャーズでのプレーを聴いて購入した記憶は無いので、その類だ。

中身が分からないアルバムでも、最初に聴く前にメンバーには大体目を通す。ベースにはレイブラウンの名前が。コンコルドではレイブラウンはお馴染みだが、レイブラウンの名前を見るとどんなレーベルでも安心する。好きなベースというだけでなく、レイブラウンがベースを弾く時のピアノは基本的にスインギーなピアノが多いからだ。そして、ピーターソンライクなピアノをイメージしてしまう。このコンコルドではモンティーアレキサンダーもその一人だ。

この初物のオニールのピアノも、そのイメージ通りの音だった。ここまでイメージ通りというのもかえって気持ちが悪いものだが。

オニールの出身地はデトロイト。ペッパーアダムスの出身地だが、ジャズに限らず色々なジャンルのミュージシャンを多く輩出した土地だ。
最初は教会でゴスペルの伴奏から音楽生活を始める。このアルバムのJoan’s Gospel Bluesを聴くと、その経験に演奏スタイルが根差しているのが良く分かる。
本格的にジャズを始めたのは1976年、19歳の時だった。ジャズクラブにも出るようになり、そこでレイブラウンを知り、ミルトジャクソンのツアーに加わる事になる。そして、82年にはニューヨークに出て、ジャズメッセンジャーズに加わり、このアルバムを作ることに。トントン拍子での出世だ。

ペッパーアダムスがたまたまスタンケントンに加わって世に知られる存在になったように、人生ステップアップするには、チャンスを掴むには最初のきっかけが大事だということだろう。何事もそうであるが、待つだけではだめで行動しなければきっかけは掴めない。

このような経緯で世に出たオニールだが、このアルバムはトリオ演奏でオニールのピアノをタップリ聴くにはピッタリ。全編スインギーなプレーを楽しめる一枚だ。
ドラムのFrank Severinoの名前はすぐに思い出せなかったが、カーメンマクレーのバックを務めていた。その後はクラークテリーのバンドにオニールと一緒に参加していたようだ。

オニールは、その後はそのクラークテリーに可愛がられ、実績を積み重ねて今でも一線で活躍しているようだ。基本は変わらず枯れた演奏になってはいるが。



1. It Could Happen to You
2. If I Should Lose You
3. Devastation Blues
4. They Say It's Wonderful
5. Sometimes I'm Happy
6. Joan's Gospel Blues
7. Just the Way You Are
8. Just Squeeze Me (But Don't Tease Me)

Johnny O’Neal (p)
Ray Brown (b)
Frank Severino (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California
Originally released Concord CJ-228



Coming Out
クリエーター情報なし
Concorde Jazz
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絶頂期のペッパーアダムスのライブでKenny Wheelerを相手に選んだ理由は・・・・

2015-01-24 | PEPPER ADAMS

Pepper Adams Live at Fat Tuesday’s

1981年春ペッパーアダムスはヨーロッパを旅していた。
一年前に作ったアルバム、”The Masters”での演奏が再びグラミー賞のベストソリストにノミネートされ、ソリストとしての活動に自信を深めていた。そして、そのプレーを披露し、評価してもらえる場所はアメリカだけでなくヨーロッパにも多かった。

4月にニューヨークを発ち、オランダでの演奏を終え5月2日にはノルウェー入りをした。1ケ月間様々なグループ、メンバー達と演奏をしたが、そこで一緒に行動を共にしたのがカナダ出身のケニーホイーラーであった。その時、すでにECMでのアルバムも多く、ヨーロッパではすでに名が売れたトランぺッターであった。

それからしばらくして、アダムスがインタビューを受けることに。
良くある「今後どんなことをやりたいですか?」という問いに、多くの人は漠然と「元気にいつまでもプレーしたいと」と答えるのが一般的だが、たまに具体的な計画や一緒にやりたいミュージシャンの名前が挙がる事がある。
その時のアダムスの答えもそうであった。「ノルウェーで一緒にプレーした、ケニーホイーラーと是非もう一度一緒にやってみたい」というものであった。

1983年、この年もアダムスは積極的に活動していた。1982年末に発表されたダウンビートの読者投票ではバリトンサックス部門で1953年以降30年間首位を続けていたジェリ―マリガンを抑えて初めて首位となったこともあり、活動の幅はさらに広がっていた。

ブルーノート、ボトムラインといった有名クラブへの出演が続き、古巣のビレッジバンガードへはエルビンジョーンズのグループに参加して出演していた。
そして、6月にはハンクジョーンズと共にスウェーデンに渡りストックホルムジャズフェスティバルに参加する。そこでは久々にモニカゼタールンドとも共演し、チェットベイカー、レッドミッチェル、シェリーマンというメンバーでも舞台を賑わせた。

帰国後は、エルビンジョーンズ、リチャードデイビス、フランクフォスターというあのHeavy Soundsのアルバムに参加したメンバー達の再会セッションへの参加もあった。
かと思えば、バリーハリスとはレッドロドニー、クリフォードジョーダンを加えたセッションも。
どれをとってみても、聴きに行きたくなるライブの連続だった。

そのような忙しい日々をおくっていた最中、アダムスの希望を実現する「場」が設けられた。アメリカではまだ無名であったケニーホイーラーを招いたセッションを受け入れるクラブやレーベルは稀であったが、ジャズクラブのFat Tuesday’s、そしてUptownというレーベルが手を上げてくれた。そこでレコーディングセッションがセットされた。

リズムセクションはノルウェーからメンバーを呼ぶのではなく、地元ニューヨークのミュージシャンが起用された。ピアノには一緒にストックホルムに行ったばかりのハンクジョーンズ。アダムスはジョーンズ兄弟とは同郷の仲間、サドジョーンズ、エルビンとは良くプレーしていたが、ハンクジョーンズとのプレーはあまり機会が多く無かった。そして、ベースにはクリントヒューストン、ドラムにはルイスヘイズ。



ライブに先立ち、リハーサルが行われたが、メンバー達はあっと言う間に打ち解けた雰囲気となった。
レコーディングはファッツチューズデイズでのライブで予定されたが、そこでまた問題が生じる。
選曲にあたってペッパーアダムスがスタンダード曲を頑として受け入れなかった。唯一Alone Togetherだけが選ばれたが残りはオリジナルとなった。



クラブ出演は6月16日からの5日間、録音はプレーもこなれた19日と20日の最後の2日間で行うことに。結果的に、この両日のセットリストを見てもいわゆるスタンダード曲は無く、ステージではOleoやAu Privaveが演奏されたがこれらはリズムセクションのみの演奏。アダムスとホイラーは参加していない。

この結果にはどうもプロデューサー側は不本意であったようだが、逆にこれがアダムスのリーダーアルバムに対する美学だったのかもしれない。前作のルーロウルズのアルバムでも起きたプロデューサーとの軋轢であった。他のミュージシャンのパートナーとして参加した時は、どんな曲でも、そしてどんなスタイルでもこなしたアダムスであったが、自分のリーダーアルバムに関しては妥協を許さない拘りだった。プロデューサーやレーベルにとっては扱いにくく、これがリーダーアルバムの少ない原因かもしれない。

もう一つは録音の問題。ライブでもあるが確かに決して良い音とは言えない。ベースのヒューストンもコメントしている、これは奇妙なサウンドと。自分達が行った演奏の音ではないが、自分達の手を離れてからの問題だと言っている。プロデューサー側も自分達はルディーバンゲルダーの音が好きなのだが、この結果には満足はしておらず、これはレコーディングを担当したJim Andersonの問題だと言っている。
なかなか良いメンバー、いい演奏でも結果が、曲と音を合わせて3拍子が揃うのは難しいものだ。

色々あったものの、演奏は素晴らしく、水と油に感じるアダムスとホイラーのサウンドもうまく噛み合っている。アダムスとトランペットの組み合わせというとブルーノートのドナルドバードとのコンビでファンキーな演奏が思い浮かぶが、サドジョーンズとかチェットベイカーなど良く共演するトランペットの好みは必ずしも派手なタイプではない。ドナルドバードとの演奏もクラブではアルバムとは別の雰囲気を感じさせる。

ハンクジョーンズはアダムスのバリトンを称して、大部分のプレーヤーは安全域の中で演奏するがそれがプレーの可能性をつぶしている。ところが、アダムスはハーモニーでも、メロディーでもすべての点で、常にその「安全域」を超えて可能性にチャレンジしている。それが良い演奏になっているのだとコメントしている。
レーシングドライバーが、危険なカーブでもスピードを落とさずに突っ込むからこそ、ドライビングテクニックが発揮できるのと同じ事を言わんとしているのだろう。

このアルバムにおけるアダムスの演奏は、また翌年のグラミー賞のベストソリストにノミネートされることになる。これも、アダムス絶頂期のアルバムの一枚といえよう。

しかし、折角の絶頂期に残されたアルバムは少ない。活動歴を見ると、始めに述べたように連日数多くの魅力あるセッションに参加している。特に、この時期のエルビンジョーンズとのプレーは是非聴いてみたいものだ。アルバムとしては残っていないが、多くのプライベート録音は残されているようなので、どこかで陽の目を見ているかもしれない。

絶頂を迎えたアダムスが亡くなるのはこのレコーディングから3年後の1986年9月。その間のリーダーアルバムも後一枚を残すのみとなった。

1. Conjuration                     Pepper Adams 7:47
2. Alone Together      Dietz / Howard Dietz / Arthur Schwartz 8:17
3. Diabolique II                   Pepper Adams 7:58
4. Claudette's Way *             Pepper Adams 7:35
5. Dylan's Delight *                 Pepper Adams 6:46
6. Dr. Deep                   Pepper Adams 7:33
7. Old Ballad                     K.Wheeler 7:10
8. Quittin' Time *                   T. Jones 6:52
9. Dobbin                    Pepper Adams 5:45
10. Tis *                      T. Jones 2:34

*はCD盤に収録

Pepper Adams (bs)
Kenny Wheeler (tp)
Hank Jones (p)
Clint Houston (b)
Louis Hayes (ds)

Produced by Robert Sunenblic & Mark Feldman
Recording Engineer ; Jim Anderson
Recorded live at Fat Tuesday’s , New York on August 19 & 20, 1983

CONJURATION / FATTUESDAY'S SESSION
pepper Adams
RESERVOIR
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作曲家トリビュートは一番ふさわしい場所で、一番ふさわしい演奏を・・・

2015-01-23 | CONCORD
A Celebration of Hoagy Carmichael / Dave Mckenna

スターダストといえば、子供の頃はシャボン玉ホリデーのエンディングにもなったザ・ピーナツ、ジャズを聴き始めてからはライオネルハンプトンオールスターズのウィリースミスのアルトと相場は決まっていた。最近では昨年亡くなったアルトの名手、堀恵二のアルバムが印象に残っている。





このスターダストはホーギーカーマイケルの名作だ。どうも最近は人の名前もよく覚えられない位なので、スタンダード曲と作曲家の関係もおぼつかない。だが、この曲の作曲家はすぐに思い出せる。個人的にも馴染みが深い曲という事だろう。

作曲家の経歴というのも、なかなか普段検めることもないので、改めてこのカーマイケルのバイオグラフィーを眺めてみた。
インディアナ州出身で、最初は地元のインディアナ大学のロースクールで法律の勉強をしていたそうだ。法律の本を読むとき以外は、当時”Hot Music”といわれていたビックスバイダーベックを聴く毎日。自らコルネットにもチャレンジするがこれは物にならなかったようだ。

1927年弁護士業を辞めて、音楽に専念することを決めた年に生まれたのがこのスターダストだった。その後、作曲家として本格的に活動するが有名な曲が並ぶ。レイチャールズのカバーでヒットしたジョージアオンマイマインドや、自分の好きなスカイラークも彼の作品だ。そして今回の新たな発見。俳優としてあの往年のテレビ番組の名作ララミー牧場にもレギューラー出演していたとは知らなかった。彼もまた多芸な人のようだ。

このアルバムの主役デイブマッケンナはコンコルドではすでにお馴染みのピアニスト。ソロ、トリオの演奏だけでなく、コンコルドオールスターズでの演奏も多い。マッケンナは自らを”Song Player”と言っているように、いわゆる歌物の演奏が得意なピアニストだ。コンコルドでも、The Dave Mckenna Trio Plays The Music of Harry Warrenというアルバムを作っている。ローズマリークルーニーの作曲家シリーズ“Rosemary Clooney Sings the Music of Harold Arlen”でバックも務めている。やはり、歌物は自らの演奏でも、伴奏でも得手なようだ。

今回のアルバムは、ホーギーカーマイケルのソングブックをソロで演じたものだが、さらに素晴らしい演奏の場が設けられていた。
カーマイケルの生地は、インディアナ州ブルーミントン。インディアナポリス郊外の学園都市だ。そこにホーギーカーマイケルジャズソサエティーなる愛好会があって、毎年カーマイケルの曲の演奏を楽しむ例会が催されていた。もちろんスターダストを始めとして、カーマイケルの名曲が毎年楽しめるイベントであった。地元のバンドがメインだが、ゲストも招かれ色々なカーマイケルソングが楽しめるという嗜好が凝らされる。

1983年5月に行われたこもイベントにデイブマッケンナは招かれた。お客は耳の肥えたカーマイケルファンのファンばかり。カーマイケルのソングブックを演奏するにはこれ以上相応しい場は無いだろう。マッケンナも普段演奏するカーマイケルの曲は5曲程度。スターダストを別にすればそれも年に何回といった程度だったようだが、温かい聴衆に囲まれ、慣れない曲も熱のこもった演奏ができたようだ。

ライブが終わり、翌日はこのソサエティーの例会があった。マッケンナは2日続けてこの地で演奏を行った。このアルバムはその2日間のライブレコーディング。このようなシチュエーションのライブ物というのは意味があるものだ。

ソロなので、どの曲もマッケンナの左手の動きが目立つ。バドパウエルのピアノスタイルは、左手からの解放であったが、マッケンナはこの左手に拘った。どちらもジャズピアノの原点、どちらかに軍配を上げる物でもあるまい。

このマッケンナの左手はなかなか他では聴けないものだ。



1. Stardust
2. Riverboat Shuffle
3. One Morning in May
4. Moon Country
5. Two Sleepy People
6. Come Easy, Go Easy Love
7. Ol' Rockin' Chair
8. The Nearness of You
9. Lazy Bones
10. Medley: Skylark / Georgia
11. Lazy River

Dave Mckenna (p)
Produced by Harvey Phillips & Carl Jefferson
Recording Ebgineer : Wayne Gunn
Recorded live at The Second Story Club & The Tubaranch, Bloomington, Indiana, May 1983
Originally released by Concord CJ-227

Celebration of Hoagy Carmichael
Dave Mckenna
Concord Records
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズピアノの祖、バドパウエルのピアノトリオの出発点は・・・

2015-01-22 | MY FAVORITE ALBUM
Bud Powell Trio (バドパウエルの芸術)

最近、アナログディスクがまた復活の兆しを見せているという話を良く聞く。ネット時代に入って「今後音楽は皆ダウンロードになってしまう」と声高に言われていた頃もあった。自分も現役時代はデジタルビジネスに携わっていたので、その当事者でもあった訳だが、CDの売上は減っても、どうやらダウンロードも思ったようには伸びていないようだ。

自分も車の中などBGMで聴く時は、iPhoneでシャッフルにして聴く事も多く、あまりアルバム単位にこだわらない聴き方をする。これにはデジタルが確かに便利だ。しかし、腰を据えて聴く時はやはりLPでもCDでも、20年以上使っている昔のオーディオで、アルバム単位で聴くのが基本だ。「アルバム単位」と「アナログディスク」というのは何故か相性がいいのかもしれない。

音楽に限らず、コンテンツという物は、それを楽しむには編成、編集といった概念が捨てられない。編成があるからこそ個々のコンテンツが生きてくるのだと思う。ライブでも、いい加減な選曲、無頓着な曲順の演奏と、きちんと考えられたプログラムで行われるステージは全然違った印象を受ける。

瀬川さんのビッグバンドに関する記事が載っていた’67年のスイングジャーナルを見ていたら、長年続いたSJ選定<ゴールドディスク>のスタートがこの年の5月号だった。
ジャズを聴き始めたものの何を聴いたら良いのか分からない頃、過去の名盤なるものを知るには良い企画だった。まさに「アルバム単位」でのお勧め盤であった。

あのトミーフラナガンのオーバーシーズがそのゴールドディスクの記念すべき第一回の発売。このオーバーシーズは、当時幻の名盤(今や死語になっているようだが)の代表格、当時でもオリジナル盤は1万円を超えていたそうだ。それが世に出るということで、予約だけで1万枚を超えたという。当時自分はまだ俄かジャズファンであったが、世の中にはジャズファン(というより訳知りのマニア?)が沢山いたようだ。

そして、その後名盤の復活が続くが、11月にはバドパウエルのルースト盤も続いた。モダンジャズピアノの祖といわれるパウエルのトリオ演奏の原点といえる有名なアルバムだ。
先日パウエルの後継者バリーハリスのアルバムを聴いたので、久々に本家パウエルでもと思ってこのアルバムを出してみた。

1967年に出たこのアルバムは、ルーレットで12インチ盤で再発された国内盤。47年の録音と53年の録音から12曲が収められていた。ところがこのアルバムはルースト盤の2枚の10インチLPが元になっていて、オリジナルはそれぞれ8曲ずつだった。
ところがこのアルバムでは53年の録音からは4曲だけが収められていた。残りの4曲も聴きたくなるのが人情だし、そもそも時代も違った2枚のアルバムを一緒にしたのに片方が半分というのでは座りが悪い。拘りのファンが多い日本のファンからは当然完全盤を望む声が大きくなった。

その後、このアルバムが再発された時にはやっと本来の16曲に戻った。自分の手元にあるアルバムもその再発物だが、元々2枚のアルバムが一枚になって裏表というのであれば納得できる話だ。ところが、この時残りの4曲のマスターテープが見つからなかった。仕方なく評論家の佐藤氏が所有していたオリジナル25センチ盤から残りの4曲をコピーして収録して完成させたと記録されている。

最近はコンプリートなら良かろうという判断からか、別テイクや未発表曲までを詰め込んだアルバムも多い。よほどのファンでない限り「そこまではいいよ」というのが本音ではないだろうか?
このようなコンプリートは編集でも編成もない。コンプリートを目指す熱烈ファンには有難いが。ただ詰め込んだだけ、アルバムとしての意図は「コンプリート」以外何も感じないものだ。

また、最近は、過去のアルバムが名盤から駄作まで何十枚単位で安価で再発され、その気になれば簡単に入手できる。憧れの名盤といわれるものも、有難味を感じなくなってしまった。

このパウエルのアルバムは、最初にゴールドディスクで発売された時は、原テープをオリジナルのピッチに合うように復元して発売されたと記されている。16曲への拘りとか、このピッチの調整とか、名盤と云われるものは、是非このように手をかけて本来の形で大事に残してもらいたいものだ。

さて、このアルバムの内容に関しては、色々な所で多く人が語られているので説明の必要は無いと思う。自分としてはパウエルといえばクレオパトラであったが、パウエルの火の出るようなアップテンポのインディアナに驚き、反対にバラードの良さも知り、ドラムのフラッシングへの拘りに感心し、療養前後のプレーの違いを感じたアルバムだ。
バウエル派のピアニストの原典ともいえる演奏の数々、自分のように聴くだけのファンはなるほどと感心するだけだが、きっと演奏する人にとってはそれ以上に学ぶべき点が沢山あるのだと思う。きっとバリーハリスに引き継がれているエッセンスのような物が。

1. I'll Remember April     Gene DePaul / Patricia Johnston / Don Raye
2. Indiana           James F. Hanley / Ballard MacDonald
3. Somebody Loves Me   Buddy DeSylva / George Gershwin / Ballard MacDonald
4. I Should Care      Sammy Cahn / Axel Stordahl / Paul Weston
5. Bud's Bubble                   Bud Powell
6. Off Minor                  Thelonious Monk
7. Nice Work If You Can Get It    George Gershwin / Ira Gershwin
8. Everything Happens to Me        Tom Adair / Matt Dennis

Bud Powell (p)
Curly Russell (b)
Max Roach (ds)
Recorded in January 10, 1947, NYC

9. Embraceable You         George Gershwin / Ira Gershwin
10. Burt Covers Bud                 Bud Powell
11. My Heart Stood Still       Lorenz Hart / Richard Rodgers 
12. You'd Be So Nice to Come Home To          Cole Porter
13. Bags' Groove                   Milt Jackson
14. My Devotion           Roc Hillman / Johnny Napton
15. Stella by Starlight        Ned Washington / Victor Young
16. Woody 'N You                  Dizzy Gillespie

Bud Powell (p)
George Duvivier (b)
Art Taylor (ds)
Recorded in NYC, September, 1953

バド・パウエルの芸術
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メイナードファーガソンの過渡期の一枚は果たしてどんな感じで・・・

2015-01-20 | PEPPER ADAMS
Ridin’ High / Maynard Ferguson

手元に、スインジャーナルの‘67年6月号、7月号がある。たまたまアダムスのアルバム紹介で’67年録音が続いており、当時の情報でも何か得ようかとパラパラとめくっていると、瀬川昌久さんのビッグバンドに関する記事「ビッグバンド界の新勢力を探る」が2カ月に渡って掲載されていた。

サドメル、バディリッチ、ドンエリス、ウディーハーマン、ジェラルドウイルソン、そしてクラーク&ボランと当時旗揚げした話題のビッグバンドの紹介がされている。新しいビッグバンドが注目された時期だった。
読み返して面白かったのが、バディリッチがオーケストラを再編した時の逸話。
最初のデビューはラスベガスの新しいホテルであった。この新バンドの売り込み文句は「ロックジャズ」であった。運営を任されたエージェントは、ディスコのティーンネイジャー向けの演奏を希望し、アレンジもそのようなアレンジをオリバーネルソンに依頼した。しかし、リッチはそれに反目し最後はエージェントとの契約を切ったとある。
確かに、リッチの初期のアルバムは、ロック調の曲もあったが、ストレートなフォービートもあり、軸足はそちらに置きながら新しい物を取り込んだように思う。このリッチの拘りがあったから、その後もリッチのビッグバンドは続いたのだろう。

そして、気が付いたのが、その記事の中にメイナードファーガソンの名前が無かった。確かに、ファーガソンビッグバンドのルーレット時代は1965年で終わり、ハイノートを売りにしたコマーシャリズムにのった新たなバンドが生まれたのは70年代になってからだ。60年代の後半は、ファーガソンにとっては変身に向けて端境期であった。内情は、充電期というより、アメリカのジャズ界に嫌気がさして、イギリスへの移住も考えて半ば引退状態だったという。このファーガソンの場合は、リッチとは異なり、70年代に入っての思い切った変身が成功につながったケースだと思う。

一方で、アダムスの活動歴に戻ると、‘67年4月、この月は大忙しだった。サドメルのビレッジバンガードでのライブ録音(これは改めて棚卸したいと思う)があった月だが、前回紹介したバリーハリスのアルバム、ボビーハケットのアルバムを始めとしてレコーディングが続いた。その間隙を縫うようにエルビンジョーンズとのギグも何回か行われていた。
デュークピアソンとハーフノートに出たと思ったら、メイナードファーガソンとのギグも5日間。
そして、翌5月にメイナードファーガソンのオーケストラのこの録音があった。アダムスとファーガソンとの付き合いも56年の西海岸以来だから長い。忙しい毎日であったが、このファーガソンとの付き合いも大事にしていたようだ。

ファーガソンはハーマン同様生涯自分のバンドを率いたイメージはあるが、自分の認識としてもこの60年代後半のアルバムや活動歴はほとんど記憶に無かった。そんな中で作られたアルバムで、今回お初で聴いてみた。流石の瀬川先生も、レギュラーバンドを解散していたので、この期間のファーガソンの活動はノーケアだったのかもしれない。

小振りの編成が多いファーガソンだが、ここではフルのビッグバンド編成。
一曲目から少し意表を突く。チューバの低音が効いたアレンジで、途中からテンポがどんどん速くなったり遅くなったり緩急があり。ソロはフリージャズの様相を呈する。トロンボーンに次いでいきなりアダムスのソロがあるが、アルトとの掛け合いもミンガスビッグバンドのようだ。
これはかなり実験的なアルバムかと思ったら、曲によって雰囲気は変わる。今度はエイトビートが効いたロックスタイル。ここでもアダムスが登場。ドンセベスキーの作品は何となくウォーターメロンマン風。バディリッチのアルバムでも有名なWack-Wackも聴けるが、拍手を効果的に使ってリズミカルに。

全体にファーガソンは自体があまりハイノートで吹きまくっている感じではなく、8ビート時代を迎えて、曲やリズムのバリエーションを試している感じだ。新バンドが誕生するのは大分先になるが、ちょうど転換期のアルバムは、色々なアプローチをした面白いアルバムだった。

1. The Rise and Fall of Seven       Mcintosh 5:52
2. Light Green             Don Piestrup 3:39
3. Kundalini Woman          Hampton 5:23
4. Sunny               Bobby Hebb 3:50
5. Meet a Cheetah           Don Sebesky 4:26
6. Molecules               Hampton 4:36
7. Wack-Wack             Donald Storball 2:48
8. Stan Speaks               Mcintosh 2:32
9. Alfie           Burt Bacharach / Hal David 3:00

Maynard Ferguson  (tp,flh)
Richard Hurwitz (tp)
Natale Pavone  (tp)
Lew Soloff  (tp)
Charles Camillei  (tp)
Slide Hampton  (tb)
James Cleveland  (tb)
George Jeffers  (btb,tuba)
Richard Spencer  (as,ss)
Lew Tabackin  (ts)
Frank A. Vicarr  (ts)
Pepper Adams  (bs)
Danny Bank  (bs,Piccolo)
Michael Abene  (p)
Joseph A. Beck  (g)
Donald R. Payne  (b,eb)
Donald McDonald (ds)
Johnny Pacheco (Congas, Drums, Shaker, Tambourine)

Produced by Alvertis Isbell
Recorded at Bell Sound Studios, New York, May3 & 5, 1967



Ridin High
Maynard Ferguson
Wounded Bird Records
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまには、パウエルを忍んでバップスタイルでやってみようか・・・

2015-01-18 | PEPPER ADAMS
Luminescence! / Barry Harris Sextet

サドジョーンズの鳩のアルバム、そしてリーモーガンのサイドワインダー。どちらも時代を代表する有名なアルバムだ。そのどちらにも参加していたのが、ピアノのバリーハリス。
バドパウエル直系と言われるピアノは、ハードバップの創成期から色々なグループで活躍してきた。ピアノトリオのアルバムもあるが、トリオが有名になったのは晩年になってからかもしれない。

このバリーハリスは今でも健在。ベニーゴルソンやフィルウッズなど50年代のジャズを自らの体験で語れる数少ない生き証人の一人だ。プレーだけでなく、このパウエルから引き継いだビバップの真髄をまだ後進に伝承し続けているとも聞く。

このアルバムは、そのバリーハリスのプレスティッジレーベルでの初のリーダーアルバム。
このようなジャズの本流といった感じのアルバムを、記事で紹介するのも久しぶりのような気がする。

というのも、最近ペッパーアダムスの参加したアルバムを紹介する事が多いが、アダムスがサドメルに加入した60年代の後半には、アダムス自身がこのようなアルバムの録音に参加する機会が無かった。直近では、先日紹介したジミーラッシングのバックであり、ボビーハケットのバックに参加したのがこの時期である。というより、当時のジャズ界全体がコルトレーン旋風の吹いた後で、バリバリのバップ直系、そしてハードバップの演奏自体が少なくなっていた頃なので仕方がないともいえる。

反対にそのような時代だからこそ、このバリーハリスのアルバムは価値がある。1967年からいきなり10年前にタイムスリップした感じのアルバムだとも言える。此の頃のプレスティッジは大物プレーヤーもいないので、地味なアルバムが多い。その中で時々光るアルバムがあるが、これもその一枚だと思う。

ハリスはここではトリオの演奏では無く、3管の分厚いサウンドを選びアレンジも担当した。それもトランペット無しの、テナーにバリトン、そしてトロンボーンと低音域ばかりの重いサウンドだ。
久々のバップオリエンテッドな演奏、メンバー全員が水を得た魚のように生き生きとプレーしている。曲はハリスのオリジナル曲が中心だが、パウエルの曲もあり曲調は似ている。
パウエルが亡くなったのは前の年1966年の7月。まだ41歳の若さだったが、後を引き継ぐハリスとしては、これはパウエルへの哀悼の意を込めたアルバムだったのかもしれない。

ペッパーアダムスのソロも軽快だ。ちょうど西海岸からニューヨークに戻った頃の演奏の感じがする。アダムスも良いが、ジュニアクックのテナーが実にいい感じだ。

50年代か続くジャズレーベルのもう一方の雄、ブルーノートがリバティーの傘下に入ったのが前の年。アルフレッドライオンは最後の頑張りを見せていたが、この年の7月には引退してしまう。それに合わせるようにブルーノートがファンキー路線からさらに変貌する中、このプレスティッジは世の中の流行には振り回されず、マイペースでアルバムを作っていた。

そんな背景もあったので、ハリスのアルバムも何も奇を衒うことなく平常心で作られたように思う。これもバップスタイルの演奏にその後も拘ったプロデューサーDon Schrittenの手腕という事になるが、演奏だけでなく録音に関しても、古き良き時代の音を残したとコメントしている。確かに、ジャズの香りがする録音だ。

アダムスは、このセッションにはリーダーのハリスから声を掛けられたと思うが、このハリスも実はデトロイト出身。サドジョーンズ達と同様、アダムスにとっては地元デトロイトで一緒にプレーをした同じ年代の仲間であった。

ハリスがニューヨークに出たのは、アダムスよりは一足遅れて60年になってから。色々なセッション、グループへの参加を経て、この時期になってリーダーアルバム作りが本格化する。ハリスは典型的な大器晩成型だ。このアルバムからそろそろ50年、そして今も現役生活が続く。それも、パウエル直系のバップの伝統を、何の迷いやブレも無く今に至るまで守っているからだろう。

1. Luminescence        Barry Harris 6:23
2. Like This          Barry Harris 2:58
3. Nicaragua         Barry Harris 8:36
4. Dance of the Infidels     Bud Powell 5:05
5. Webb City          Bud Powell 5:58
6. My Ideal Newell Chase / Leo Robin / Richard A. Whiting 2:47
7. Even Steven          Barry Harris 6:40

Junior Cook (ts)
Pepper Adams (bs)
Slide Hampton (tb)
Barry Harris (p.arr.)
Bob Cranshaw (b)
Lenny McBrowne (ds)

Produced by Don Schritten
Richard Alderson : Recording Engineer
Recorded in NYC, April 20, 1967

Luminescence
Barry Harris
Ojc
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観ると聴くだけでは大違い・・・モニカゼタールンドの1960年代前半のシングル集

2015-01-17 | MY FAVORITE ALBUM
Ohh! Monica! / Monica Zetterlund

ブログの機能に自分のブログのアクセス記録というものがある。PV(ページビュー)とか、IP(訪問数)に加え、検索ワードというものもある。要は、GoogleやYahooなどで、何のキーワードの検索から、このブログに辿り着いたかの記録である。

この一カ月くらい、モニカゼタールンドがキーワードで上位を続けている。もちろんゼタールンドの映画、「ストックホルムでワルツを」の影響だろう。自分のブログではエバンスのアルバム、そしてサドメルとの共演アルバムを紹介したが、いずれも映画の公開前の記事。残念ながら映画の情報を求めて来られた方には、あまり参考になる内容ではない。

この映画を観ると彼女の半生が良く分かり、名アルバム「ワルツフォーデビー」が誕生した経緯も詳しく知ることができる。彼女に限らないが、アルバムだけで知る演奏と、そのミュージシャンの生涯を映画なり、自伝で知って聴く演奏とでは、明らかに聴く方でも印象が異なってくる。

この映画は、レナードフェザーに誘われて彼女がニューヨークに行くところから始まる。トミーフラナガンをバックにクラブ出演をするが、声をかけたレナードフェザーの思惑違いか、観客にはまったく受け入れられなかったシーンだ。

映画でも1960年のクレジットがどこかであったように記憶しているが、この彼女の渡米に関しては、ペッパーアダムスのディスコグラフィーを見た時にも気になっていた。というのも、その記録によると1961年8月、レナードフェザーの監修で、モニカゼタールンドのレコーディングセッションに参加とある。

メンバーは当時コンビを組んでいたドナルドバードと一緒、ピアノ以下のメンバーはUnknown。レーベルも定かではないという記録だ。
いずれにしても、彼女の最初の渡米時の録音があったのは間違いないだろう。ただ、思惑違いをしたレナードフェザーの監修となると果たしてどんな形の演奏になっていたのか?
この録音が発掘されたという話は聞いた事がないが、この経緯を知るとアダムスが参加している理由以上に聴いてみたいセッションだ。

自分も映画を観て、印象が変った彼女のアルバムがある。このアルバム“Ohh! Monica”、何度か聴いてお蔵入りしていたが、映画のお蔭で棚卸対象になった。

映画では、ニューヨークデビューが上手くいかず帰国し、更にヨーロッパのコンテストでスウェーデン代表となるが採点対象外のゼロ票となり、その焦心のどん底から立ち直る時期にあたる。
ジャズをスウェーデン語で歌い、ジャズ以外にもレパートリーを広げ、舞台やテレビでも歌に合わせて演じる姿も見せる。要は、エラに憧れジャズを歌っていたが、成功するためには女の意地で手段を選ばす歌手として成功する道を歩んだ時期だ。

考えてみれば、日本でも50年代は江利チエミなど多くの歌手はジャズから始まり、日本語でジャズを歌い、そしてジャンルを超えて大歌手として育っていった。洋の東西を問わず、物まねから始まっても、歌手として大成するプロセスは同じだということかもしれない。

このアルバムは、丁度その60年代前半1962~1964年にかけて発表されたシングル盤やEP盤からの曲を集めたもの。エバンスとのワルツフォーデビーをイメージするのと全く違う彼女の一面を知ることができる。
といっても、自分の所有盤はスウェーデン盤なので、曲名もライナーノーツも詳細は全く理解できない。ということもあって、これまで中身を知らずにいたという事にもなるのだが。

新ためて聴き返すと、ワルツフォーデビーのオーケストラ版があり、ジョビンのノーモアブルースがあり、スタンダードのI Believe In Youがあったり、そして、スウェーデン民謡があったりで、曲もバラエティーに富んでいる。
そして、曲だけでなく歌い方も。ミュージカル的な歌い方をしているが。舞台やテレビで歌った曲であったのだろう。バックのウェストコースト(北欧)風のアンサンブルにも映画を観ると納得。

統一感のないアルバムの印象があったが、エバンスとのワルツフォーデビーに至る彼女の軌跡ということが分かると、映画のイメージと重ね合わせて実に印象に残るアルバムに変身するから不思議だ。



1. Farfars Vals おじいさんのワルツ
2. Siv Larssons Dagbok シブ・ラーションの日記 (Chega De Saudade)
3. Konstigt 不思議
4. Monicas Vals モニカのワルツ (ワルツ・フォー・デビー)
5. En Dag I Augusti 八月のある日
6. Vilsevalsen 迷走のワルツ
7. En Valsmelodi ひとつのワルツ曲
8. Jag Tror På Dej 私は、貴方を信じる (アイ・ビリーヴ・イン・ユー)
9. När Jag Vaknar 目が覚めると冬だ
10. Vart Tar Vinet Vägen ワインは、何処へ行くのだろう
11. Spela För Mig 私に歌って
12. Visa Från Utanmyra ウータンミイラからの歌

Monica Zetterlund – sång
Göran Pettersson – bas
Georg Riedel – bas
Rune Gustafsson – elgitarr
Staffan Abeleen – piano
Jan Johansson – piano
Björn Netz – tenorsaxofon
Egil Johansen – trummor
Bo Skoglund – trummor
Lars Färnlöf – trumpet

Recorded in Sweden, 1962〜1964

オー!モニカ!
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

管楽器のプレーヤーが自分の歌にバックをつけるには・・・

2015-01-16 | MY FAVORITE ALBUM
Touch Of Your Lips / Takashi Furuya

ジャズの世界は楽器がメインでも歌の上手な人がいる。マリガンとのカルテットで名を馳せたチェットベイカーもその一人。マリガンとのコンビは短命であったが、その後はトランペットだけでなく歌でも有名になった。
ピアノやギターであれば弾き語りもできる。ニッキーパロットのようにベースを抱えながらの弾き語りも魅力的だ。ところがチェットベイカーやサッチモのように管楽器となると歌は歌、楽器は楽器で、自分の伴奏をバックにした吹き語りは残念ながらできないものだ。

関西を拠点にする古谷充もアルトも上手いが歌もなかなかだ。その古谷充の歌をメインにしたアルバムがこのアルバム。スタンダード曲を中心に渋い歌が聴けるが、聴き始めてすぐに歌のバックにサックスアンサンブルが加わるのが気になる。

ジャケットでメンバーを確認しても、そこには伴奏のサックス陣の名前は無い。そして、古谷充の名前の後に、アルト、テナー、そしてバリトンサックスのクレジットが。
特にジャケットには何の説明もないが、古谷充が自らサックスを多重録音してアンサンブルに仕上げてバックにしたものだろう。サックス好きとしては、特にサックスアンサンブルのサウンドが心地よい。間奏だけでなく、歌のバックにサックスのアンサンブルが絡む、自分の好きなサウンドだ。

このアルバムは、自主制作のアルバムの様だが、発売元をみるとFivesaxesとなっている。実に魅力的な名前だが、他にもこのようなアルバムがあるかどうかは分からない。

ペッパーアダムスの活動歴を見ても、60年代からすでにバックアンサンブルをオーバーダビングするための録音というのが増えてくる。その中にはジャズではなくPOPS系のバックも。このオーバーダビングも多重録音の一種だが、歌のバックのオーケストラが歌とは別々に録られるのは、当たり前になってしまった。

これらのオーバーダビングとは違って、このアルバムは自分の演奏を重ねていった作品。似ているようでアプローチが異なる。
そういえば、同じような試みにジェイムスモリソンの一人オーケストラの演奏があった。他にもこのような試みのアルバムがあったような気がするが、コーラスではシンガースアンリミテッドが得意だった。どれも録音の世界では実現できても、ライブでは再現が難しい。

このサックスサンサンブルに気をとられるが、このアルバムの他の特徴はというと、あくまでもメインはボーカル。ドラムには日野元彦が参加している。彼がデビューしたころはただうるさいドラムだった記憶があるが、この頃になると実にサトルなドラミングも披露してくれ、ピアノトリオや歌伴でもいい感じのドラムになっていた。

後は、古谷充と長年コンビを組んでいたピアノの大塚善章。このアルバムでは2曲だけの参加だが、ここでのバックはピアノが主役となる。他の曲は京都のピアニスト藤井貞泰が参加しているが、ベースの寺井豊共々趣味のよいバックだ。ジャズがブームだった80年代、メジャーなミュージシャンのメジャーなアルバムに隠れて、このような趣味の良いアルバムも作られていたのが80年代のジャズだった。

このアルバムの主役、古谷充さんはまだ大阪で活躍しているようだ。昨年大阪に行った時、息子の光広さんのテナーはライブで聴けたが、今度は是非親子対決を聴いてみたい。
そして、このアルバムを聴くと、チェットベイカーの歌のバックをベイカーのトランペットで聴いてみたくなる。ひょっとしたらあるのかもしれないが?

SIDE-A
1. The Touch Of Your Lips
2. A Foggy Day
3. Skylark
4. I've Got The World On A String
5. DIndi

SIDE-B
1. Sidewalks Of New York
2. I Believe In You
3. I Got It Bad And That Ain't Good
4. I Guess I'll Have To Change My Plans
5. Easy Come Easy Go

Takashi Furuya (Vocal & Saxophones <Alto,Tenor,Baritone>)
Fijii Sadayasu (p)
Zensho Otsuka (p) A-3,B-4
Ikuo Sakurai (b)
Yutaka Terai (g)
Motohiko Hino (ds)

Produced by Takashi Furuya, Hiroo Hashimoto
Recorded at Takarazuka Sounds Atelir on May 22,23, June 11,12,21,23,24, 1985
Recording Engineer : Hideo Ueda, Hidemaro Ichihashi
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レコメンドはコンピューターから勧められるより人からの方がよい・・・・

2015-01-15 | MY FAVORITE ALBUM
'S Wonderful / Marco Guidolotti Quartet

北海道の地方都市の小さな書店の「一万円選書」なるサービスが話題になっている。
書店の店主が、購入者のプロファイルや読書傾向を一人一人考慮し、お勧めの本を一万円分選んでくれるサービスの様だ。今の時代の流れに逆行する、超アナログで人間的な心の通うサービスだ。注文受付に待ちが生ずる程人気が出るのも頷ける。

街の本屋さんが消えて久しい。学生時代帰りに寄った駅前通りにあった自宅近くの書店が無くなったのはもう何年も前だ。毎日数多く出版される本の中から自分の好みの本を探すのは大変だ。昔は、ぶらりと寄った書店をうろつきながら、どんな本が出ているかを知り、そして話題になっている本の情報は自然と把握していた。その中から実際に手にして目を通すことも。書棚の見回りと立ち読みは、レコードのジャケ買同様、本との出会いの大事な場でもあった。

しかし、最近は昔のように何か面白そうな本を探しに大きな書店をうろつく事も少なくなってしまった。目標が明確であれば、本を買う場合も最近はネットの利用が多くなってしまっている。これもレコード同様、新刊のみならず古本が探しやすくなって便利なのだが、本と出会う機会自体は減ってしまっている。

先日、ベイシーオーケストラのライブを聴きに行ったお蔭で、女性バリトン奏者のLauren Sevianと出会えた。古いアルバムの棚卸と、棚卸ついでに気になった古いアルバムを聴くので手一杯で、なかなか新しいアルバムやミュージシャンを聴く機会は少ない。新しいミュージシャンを知るのはやはりライブが一番だ。
他にもこれはというアルバムはやはり聴いてみたいが、どこから手を付けたらよいのか? 今更手当たり次第に買う気もしないし。

そこで最近役立つのは、同好の士のブログの記事。読者になると大体好みも分かるし、視聴傾向も分かるようになる。その人のお勧めと自分の好みとが合致した場合は聴いてみたくなるものだ。
このアルバムもその一枚。拙ブログの読者になって頂いているルネさんのブログのお勧め盤にあったのが気になっていた。これは一度聴かねばと思い先日入手したが、確かにイメージ通りのなかなかいいアルバムだ。

Marco Guidolotti のカルテットはベイカー&マリガンカルテットのカバーを基本にしているとはいえ、中身はスケールアップした感じで、力強さが全然違う。
元となるマリガンのカルテットもハードバップ物と較べるとちょっと聴いた感じではアレンジは多いし、プレー自体も軽い感じがする。ところが良く聴くとアドリブの自由度も高いし、小さい音と大きな音のメリハリが効いていて、小さい音でも力強さを感じる事もある。2人の掛け合いだけでなくリズムの2人とのコンビネーションの良さも大事な要素だ。

Marco Guidolotti のカルテットもこの良さをもちろん引き継いでいるが、楽器の鳴りも良く、ダイナミックレンジが更に広がった感じだ。小型スピーカーを大型のスピーカーに替えたような感じがするのは録音の良さだけではなさそうだ。
ベイカーは同じバリトンのペッパーアダムスとコンビを組んだ事もある。この2人だったらきっとこんな演奏だったのではないかと勝手に想像してしまう。
曲もマリガンナンバーが多いが自分のオリジナルも含めて、単なるコピーではなくマリガンスタイルをすっかり自分達の物にしているのが素晴らしい。

バリトンファンとしてはまた新たな注目株と出会えたのも嬉しい。
日本にも確かベイカー&マリガンカルテットをカバーしたグループがあったように思う。今度一度ライブを聴いてみようと思う。カバーと言ってもこの位吹っ切れたプレーが聴けると嬉しいのだが。

良いアルバムに出会えたが、やはりコンピューターが選ぶ機械的なお勧めではなく、推薦者の意思が感じられるお勧め盤には間違いが無い。
ジャズの世界も多くのレビュアーがいらっしゃる。一万円選書ならぬ、一万円選アルバムがあってもいいかもしれない。そして、それは昔の評論家達がそうであったように、自分の好みで独断と偏見を持ったお勧めの方がいい。

1.  Reunion        (Gerry Mulligan)
2. ‘S Wonderful      (George Gershwin)
3.  G & C         (Marco Guidolotti)
4.  Four for Three     (Gerry Mulligan)
5.  Orazio         (Marco Guidolotti)
6.  Tea for Two       (Vincent Youmans)
7.  Night Lights      (Gerry Mulligan)
8.  Say Yes, Say No     (Marco Guidolotti)
9.  Nothing like This    (Marco Guidolotti)
10.  Bernie’’s Tune     (Gerry Mulligan)

Marco Guidolotti  (bs)
Francesco Lento  (tp, flh)
Marco Loddo  (b)
Giovanni Campanella (ds)

Recorded at MamoCenter Theater, Rome, on June 23-24, 2014



'S Wonderful
クリエーター情報なし
Tosky Records
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラミーに連続ノミネートされたアダムスにレコーディングの機会を与えたのは新興Palo Altoだったが・・

2015-01-14 | PEPPER ADAMS
Urban Dream / Pepper Adams

昨年、西海岸ベイエリアを中心に活動していた、ジャズの研究者、教育者でもあったHerb Wong氏が亡くなった。

Herb Wong, leading Bay Area jazz expert, dies at 88

彼はもともと米軍放送でDJをやっていたそうだが、除隊後は地元サンフランシスコでFM局を作り、好きなジャズを世に広める活動をしていた。ジャズアルバムのライナーノーツにも彼の名前を見かけることがある。
さらに、地元で開催されるモンタレージャズフェスティバルの運営にも貢献し、80年代には自らもプロデュースに参加したアルバムを作るため、Palo Altoレーベルを創設し100枚近くのアルバムをリリースした。

このレーベルが立ち上がった時、そのカタログは無名のビッグバンドなどが中心であったが、次第に当時人気のあったリッチーコールのアルバムなども作られるようになって注目された。その中にペッパーアダムスのリーダーアルバムも一枚あった。これがアダムスにとっては、Museに残した2枚のアルバムの続編になる18枚目のリーダーアルバムとなった。

Museでの最初のアルバム”Reflectory"が1980年のグラミー賞にノミネートされたという話は前回述べた。アダムスの手記によると、このアルバムとヘレンメリルのアルバムの2枚がダブルでノミネートされたように記してあったが、よくよく調べてみるとメリルとのアルバムChasin’ The Bird sings Gershwinは翌1981年のノミネート。それも、メリルのベストソロ女性ボーカルだけでなく、このメリルのバックを務めたアダムスのバリトンのプレーがベストソリストとしもノミネートされたダブルノミネートであった。数あるジャズアルバムの中から、このメリルと共演した演奏がベストプレーと位置付けられたのが、より意味のある事だったと思う。

ついでに加えるとMuseの2枚目のアルバムThe Masterも1982年2月に行われた第24回のグラミー賞でジャズのベストソリストの候補としてノミネートされた。アダムスはこれで、3年連続でのノミネートということになる。ソリストとして脂が乗って来たという事が世の中でも認められていた事になる。

このPalo Altoのアルバムは1981年の9月の録音。ソリストとして評価を得つつあったアダムスは前年1980年3月The Masterを録音した以降、あれだけ多かったスタジオでの仕事は完全に休止していた。リーダーアルバムだけでなく、サイドメンとしての録音も見当たらない。ソリストとしてのライブ活動に注力して事になる。さらに記録を見ると、その間の活動の場は、アメリカに留まらずヨーロッパでの活動が多い。そのため、家族どもどもヨーロッパに活動拠点を作ったほどだ。

Palo Altoを設立したHerb Wongは、そのような活動をしていたアダムスに目を付けたということになる。グラミーで毎年ベストソリストにノミネートされ、ダウンビートでも第一に輝くアダムスであったが、それを知ったファンがアダムスの最新の演奏を聴こうにも機会が殆どない状況だった。それ知れば、そのリーダーアルバムを作ろうと思うのは当然の成り行きである。

録音は、ヨーロッパから戻ったアダムスを待ち受けるように9月30日ニューヨークで行われた。スタジオもブルーノートの録音では通い慣れたルディーヴァンゲルダーのスタジオ。そしてメンバーは、ベースのジョージムラツ、ドラムのビリーハートはいつものメンバー。一つ異なったのはピアノであった。前の二作では、ローランドハナ、トミーフラナガンといった気心の通じ合う2人であったが、このアルバムのピアノはジミーロウルズが起用された。一時ニューヨークにもいたロウルズであったが、この時は西海岸に戻っていたという。このロウルズの起用について理由は分からないが、Wongの意向か、このアルバムの直接のプロデューサーであったBob Porterの意向と思われる。

アダムスとロウルズというと、実はアダムスのリーダーアルバムでも過去に共演歴がある。西海岸にデビューした直後の2枚目のリーダーアルバムCritic’s Choiceで起用されたピアノがこのジミーロウルズであった。このアルバムは、ダウンビートの批評家の選んだ新人賞を受賞した記念アルバムともいえるアルバムだが、実は録音自体はその受賞発表の直前であった。タイミングが丁度ピッタリ合ったということになる。
この時もメルルイスやリーキャッツマンなどはケントンオーケストラから行動を共にしていたメンバーであったが、ピアノのルーロウルズとは初顔合わせだったという。
何か因縁を感じるが、そのロウルズの起用理由に興味が湧く所だ。

このセッションは、アダムスにとっては前作に続いてアダムスをフィーチャーしたワンホーンアルバムであり、彼のソリストとしての活動をアピールするレコーディングとしては願ったりかなったりの機会であり、タイミングであったはずだ。

しかし、このレコーディングに関しては、アダムスは前のMuseの2枚と較べると満足のいくものではなかったとコメントを残している。
その第一の理由が選曲。Wong達からはスタンダード曲での録音を要望されたようだ。一方のアダムスは前作がそうであったように、自分のオリジナル曲中心のアルバムが希望であった。結局、アダムスのオリジナルが2曲、他の作品が4曲で折り合いがついた。

そして、もう一つがロウルズの位置づけ。このようにレコーディングの中身にすったもんだしている状況が西海岸にいるロウルズには正確に伝わらなかった。結局アダムスとは何の事前の打ち合わせもできず、譜面や情報もないままにニューヨークへ来ることになった。

気難し屋であり細部の段取りに拘るアダムスにとっては、イライラが募った結果のレコーディングが始まった。リハーサルもそこそこにいきなりレコーディングに臨み、短時間で録音を終えた。それはプロの仕事と言えばそれまでだが。結果的には、やはりロウルズのピアノはソロも短く中途半端である。これには付き合わされたロウルズも不本意であったようだ。

全体にちぐはぐ感もあり、アダムスのソロだけがひたすら突っ走っている感じもする。スリーリトルワーズではいきなりアダムスが速いテンポで始める、こんなはずではという気持ちで他のメンバーがベースソロをきかっけにテンポを戻すが、アダムスが再びソロをとるとテンポはまた倍速にといった感じだ。
しかし、このライブでのセッションのような感じがいいという意見もあり、ジャズという物は本人の想いとは別に様々な評価を受けるので結果何が良かったかは??前作でもドラムのテンポが遅すぎたのが結果オーライになっている曲があった。聴き手が満足すればそれはそれでよしという事かもしれない。

このアルバムもプレーヤーとプロデューサーの関係が結果に残ってしまったが、プロデューサーの役割としては、あくまでもミュージシャンの意向を反映させるレコーディングをセットするタイプ、反対に自分の想いをミュージシャンに演じさせようとするタイプがあるようだ。前者の代表格がアルフレッドライオンであり、後者はどうも評論家や研究家がアルバムを作ると陥りやすいケースのような気がする。
あとは商売最優先で、売れるアルバムづくりに徹するタイプもいるが・・このアルバムは縁が無いようだ。

1. Dexter Rides Again              Dexter Gordon 6:27
2. Dreams, Urban                Pepper Adams 4:44
3. Three Little Words         Bert Kalmar / Harry Ruby 7:18
4. Time Is on My Hands Harold Adamson / Mack Gordon / Vincent Youmans 6:55
5. Pent Up House                 Sonny Rollins 7:04
6. Trentino                    Pepper Adams 6:51

Pepper Adams (bs)
Jimmy Rowles (p)
George Mraz (b)
Billy Hart (ds)

Produced by Herb Wong & Bob Porter
Recording Engineer ; Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio, Englewood, Cliffs, NJ, September 30, 1981

Urban Dreams
Pepper Adams
Quicksilver
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベテラン二人の共演、一緒にやるのは古い曲が良いのか、新しい曲が良いのか・・・?

2015-01-12 | CONCORD
Rosemary Clooney / Woody Herman and Woody’s Big Band / My Buddy

先日の、ベイシーとブリッジウォーターの共演の悪い印象が残ってしまい、ビッグバンドと歌手の共演となるとどうも必要以上に構えてしまう。冷静に考えれば、あくまでも合うか合わないかは歌手とアレンジの関係だとは思うのだが・・・・。
この件は、今回特に個人的にベイシーへの思い入れが強かったということにしておこう。

ということで、このアルバムを聴き直すにあたっても、過去悪い印象がなかったアルバムだが自然体では聴けず、何故か粗探しのような聴き方で聴いてしまった。

ウッディハーマンとローズマリークルーニー、どちらも当時はコンコルド所属の大物の2人だった。すでに、このアルバムを制作するまでに参加したアルバムは、クルーニーは8枚ハーマンは6枚とどちらもかなりの数のアルバムをコンコルドだけで残している。

クルーニーは作曲家シリーズが調子に乗ってきており、ハーマンは自らのオーケストラだけでなく、ハーマンの統率力を生かしたジャムセッションシリーズが好調に続いていた。
百戦錬磨の両ベテランではあったが、コンコルドではそれぞれ少し趣の違った路線のアルバムを作っていた。この2人の共演となると、さて、どんなスタイルになるのかが気になるところだ。

クルーニーは、コンコルドではコンボ編成の伴奏ばかり、ビッグバンドをハックにしたアルバムは作られていなかった。が、過去を遡ればビッグバンドとの共演経験はあるし、彼女の歌のスタイルを考えてもビッグバンドとの親和性は高い方だ。

一方のハーマンは、自らが歌を歌うことも多いがこれは余興のようなもの。歌手のバックを務めたアルバムとなるとすぐには思い浮かばない。専属歌手を持ったこともあるとは思うのだが、スタンケントンのアニタオデイやクリスコナーといった感じでは出てこない。
オーケストラ自体はスイング時代の最後に誕生、バップスタイルを経て多くのモダンジャズのプレーヤーを輩出した。時代と共に演奏スタイルも変えてきたので、スイング系からジャズロックまでどんな演奏スタイルでもこなすことができる。さて、クルーニー相手にはどんなスタイルを披露してくれるのか?

最近、記事にするアルバムに関しては、アルバムのプロデューサやアレンジャーまで改めて確認することにしている。アルバムの出来というものは、彼らの手腕に負う所が大きいことを改めて感じている。

そして、このアルバムのプロデュースはというと、御大のカールジェファーソンが自ら。となると、どちらかというと作曲家シリーズを続けてきたこともあり、コンコルドではクルーニーは古い曲が多く、モダンスイングのスタイルでの演奏と思われたのだが・・・?

ところが実際の選曲はエリントンのI’m Beginning To See The Lightを除くと新しい曲が多い。ミシェルルグランの映画のタイトルや、ジェイムステイラー、ブラッドスェットアンドティアーズのヒット曲までが並ぶ。
アレンジは、ハーマンのバンドのメンバーのJohn Oddoが担当しているが、ハーマンもクルーニーをあまり意識せずにマイペースの編曲のような気がする。

以前聴いた記憶は、両御大が新しい曲をカバーしてなかなかチャレンジングなアルバムという感じがしたが、今回はエリントンの曲が何故かしっくりきた。
先入観念を持って聴くのと自然体ではこんなに違う物かと?感じたが。もっとも、聴く方でも、時間をおくと、その時々で興味の対象が違うので何とも言えないが。
このアルバムの選曲をしたのが誰なのかがかえって気になる。良くも悪くもこのアルバムの特徴はこの選曲なので。

このアルバムを録音した直後、クルーニーはオーレックスジャズフェスティバルで来日している。この時は、当初ハリージェイムスオーケストラと一緒に来日予定であったが、ジェイムスの急逝により、確か急遽レスブラウンオーケストラに変更になった。この時の録音もあったと思うので、今度聴き較べてみることにしようと思う。さて、どんな選曲で、どんなアレンジであったのか?



1, I Believe in Love    Alan Bergman / Marilyn Bergman / Kenny Loggins 4:56
2. The Summer Knows   Alan Bergman / Marilyn Bergman / Michel Legrand 4:47
3. The Glory of Love                        Billy Hill 3:34
4. You're Gonna Hear from Me           André Previn / Dory Previn 3:40
5. Don't Let Me Be Lonely Tonight                James Taylor 5:09
6. I'm Beginning to See the Light  D. Ellington / D. George / J. Hodges / H. James 3:37
7. My Buddy                  Walter Donaldson / Gus Kahn 4:26
8. You've Made Me So Very Happy  B. Holloway / P. Holloway / B. Gordy, Jr. / F. Wilson 4:39

Rosemary Clooney (vol)
Woody Herman (cl,as)
Frank Tiberi (ts)
Mark Vinci (ts)
Jim Carrol (ts)
Mike Brignola (bs)
Dan Fornero (tp,flh)
Scott Wagstaff (tp,flh)
Mark Lewis (tp.flh)
Paul Mazzio (tp.flh)
Bill Byrne (tp,flh)
Gene Smith (tb)
John Fedchock (tb)
Randy Hawes (btb)
John Oddo (p)
John Adams (b)
Jeff Hamilton (ds)

Arranged by John Oddo
Produced by Carl Jefferson
Recorded by Allen Sides
Recorded at United/Western Studio & Ocean Way Recording, Hollywood, California
August 1983

Originally released on Concord CJ-226

My Buddy
Rosemary Clooney / Woody Herman and Woody's Big Bnad
Concord Jazz
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする