A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

伝説の’59年のQUINCYオーケストラ。ヨーロッパ遠征の様子を映像で目の当たりにすると・・・・

2007-06-19 | MY FAVORITE ALBUM
QUICY JONES LIVE IN ‘60

次世代のテレビ放送の姿がだんだん見え始めたことで、最近はテレビ番組の著作権の話が業界の話題になりつつある。
テレビの番組を2次利用しようとしても、現在の番組の原著作者(タレントや音楽などを含めて)との契約は、放送だけに使うことを想定して契約が結ばれている。

テレビの番組は、通信のコンテンツサービスやDVDなどに多目的に使えるものが多くある。ところが、これまではそれを想定して契約をしていないので、技術的には何でもできるようになっているのに、実際には何も使えないという不思議なことになっている。

確かに、過去の番組はすでに契約をしてしまったので、そう簡単に何にでも使っていいという訳にはいかないと思うが、これから作る番組はそろそろそれを想定した番組作りを考えなければならなくなってきている。
世界的にこのような「コンテンツビジネス」の新たな流れが急加速している折、今のルールにこだわり続けていて、日本がまた世界の流れの中で乗り遅れなければいいのだが。

話は代わって、Quincy Jonesが自ら自分のバンドを編成して、ヨーロッパに意気揚々とジャズオペラ「フリーアンドイージー」の公演のために遠征したのが1959年。公演がスタートしたのは、暮れも押し迫った12月19日。アムステルダムのカレー劇場であった。
すべてが順風満帆であったのは、翌年の1月15日パリでの公演がスタートするまでであった。
この時、パリはアルジェリア戦争による大混乱の最中で、公演どころではなかった。結局次のロンドン公演に移るための資金が不足し、このパリで公演は中止となった。

思わぬハップニングで公演が中止になったにも関わらず、QUINCY JONESはオーケストラを解散せず、バンドのメンバーはその後半年近くヨーロッパ各地を彷徨い歩く羽目に陥ったという話は有名である。

バンドメンバーに一部家族を連れた30人近くの大所帯が着の身着のまま、明日の公演予定も定まらずにヨーロッパを転々としたということだけでも想像を絶することである。サドジョーンズの最初の来日の時に、コンサートの予定が何も決まっておらず、2週間あまりの滞在中数回の公演しか開けなかったのとは訳が違う。
詳しくはクインシーの自伝に書かれているが、人間極限の状態になると、ぴりぴりした中での団体生活は、些細なことでのメンバー間で諍いも起こるし、逆に結束間も強まるということもあったのであろう。
QUINCY自身、このツアーで抱えた借財が5万ドルとも、14万ドルともいわれている。
そこまでしてバンドを維持続けたことは、そのとき彼にとってはお金には換えられない価値をバンドも感じていたのであろう。

この逸話も話だけで、その時の演奏というものを今となっては聴く術もないと思っていたら、その当時の録音が発掘されている。
Birth of a bandのVol.2にその時の演奏が一部収録されているが、伝説のQuincyオーケストラのスマートな演奏の一面を知ることができる。

最近は、”youtube”なるものが現れたので、過去の歴史的な場面を映像で楽しむことができる。映像の訴える力は素晴らしく、音の悪さなどを気にせずに思わず画面を凝視してしまうこともよくある。

投稿されている映像を見ると、テレビの映像が多い。
個人が投稿できる過去の映像というと、やはり多くはテレビに頼らざるを得ない。
個人の録画したものを含めてそもそもの著作権が気になるのだが、見るほうからするとこれらの「お宝映像」を見ることができるのは楽しみだ。
特に歴史的に価値のあるものなどはこの著作権問題を早く解決して欲しいものだと思う。

最近、見ているうちに気がついたのだが、ジャズのプレーヤーがテレビ出演している姿を見ると何となくかしこまっていて、普段の彼らの演奏ではないような気がする。
最近の専門チャンネルと違って、昔のテレビはある種の「ショー」。何らかのコマーシャリズムに左右されてしまっているのは仕方がないものだろう。
割り切りを感じていたのだが。

大分前置きが長くなったが、実は昨年、Quinyのこのヨーロッパを放浪している時の演奏のDVDが発売された。

これには、ベルギーとスイスの2つのコンサートの模様が長時間収録されている。
元の映像素材はヨーロッパのテレビ放送のために収録されたそうだ。
全18曲。このDVDを見るとこのヨーロッパ遠征時のほぼ全貌が分かる。

例えば、お金が無くステージ衣装が無く、止む無くお揃いのセーター姿で演奏していることなどは、映像を見ないと分からないことだ。行動を共にした、フィルウッズやジェロームリチャードソン、そしてクラークテリーの姿もある。バンドのメンバー全員の姿と演奏をたっぷりと。やはり映像が付くと、リアリティーは数倍も増す。
確かに、音楽といえども映像の有無で臨場感がはるかに変わってくる。

ここで、同じテレビなのに、ヨーロッパとアメリカのテレビでは何故これほどまでに違うのかをいうことを改めて実感した。
ヨーロッパの放送は国営の公共放送、一方でアメリカは民間放送。
JAZZというある種の文化活動に対してその実態がきちんと残せたのは、テレビの公共性をきちんと守ったヨーロッパであった。
DVD化するにあたってもちろん権利処理などの手間はかかったと思うが、そもそもの映像が残っていることが重要なのである。

日本の状況を見てみよう。これまで、幾多のジャズプレーヤーが来日し、そのコンサートが収録され放送された。テレビだけでなく、コンサートのライブ放送は、昔FM放送のある種の特権であった。
もちろん多くはNHKの放送であった。今でもそうだが。
このたくさんの映像素材が埋もれたままになっている。

この公共資産がうまく権利処理がなされていつの日か世に出てくることを祈りたい。
我々にとっては思い出の、若い人にとって伝説のコンサートが実はたくさん倉庫に眠っているのだ。
映像を見ると、また一段とその時の感動や気が付かなかった素晴らしい気づきが生まれるであろう。
音楽ファンにとっての、放送と通信の融合とは、そんな世界が実現することかもしれない。



[Belgium, February, 1960]
Birth of A Band
Moanin’
Lester Leaps In
The Gypsy
Tickle Toe
Everybody’s Blues

Benny Bailey, Lonnie Johnson, Floyd Stadifer, Clark Terry (tp)
Jimmy Cleveland, Quentin Jackson, Melba Liston, Ake Persson (tb)
Julius Watkins (frh)
Porter Kilbert, Phil Woods (as)
Budd Johnson, Jerome Richardson (ts)
Sahib Shihab (bars)
Patti Bown (p)
Les Spann (g, fl)
Buddy Catlett (b)
Joe Harris (d)
Quincy Jones (arr, cond)


[Switzerland, May 20, 1960]
Birth of A Band
I Remember Clifford
Walkin’
Parisian Thoroughfare
The Midnight Sun Will Never Set
Everybody’s Blues
Stockholm Sweetnin’
My Revene
Ghana
Big Red
Credits
Benny Bailey, Roger Guerin, Lonnie Johnson, Floyd Stadifer, (tp)
Jimmy Cleveland, Quentin Jackson, Melba Liston, Ake Persson (tb)
Julius Watkins (frh)
Porter Kilbert, Phil Woods (as)
Jerome Richardson (ts)
Sahib Shihab (bars)
Patti Bown (p)
Les Spann (g, fl)
Buddy Catlett (b)
Joe Harris (d)
Quincy Jones (arr, cond)



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