A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ライブが先か、スタジオが先か・・・・

2012-05-31 | CONCORD
Tour De Force / Al Cohn, Scott Hamilton, Buddy Tate

Tour De Forceというとガレスピーの曲で有名だ。確か「妙技」とか「名人芸」とい意味だったと思うが、ガレスピー自身の演奏そのものが名人芸だ。さて、このアルバムでは誰の名人芸が登場するか?

新しいグループが誕生し、大物の顔合わせが実現する場は、ライブもあればスタジオもある。ボビーハケットの久々のジャックティーガーデンとの共演はコンサートのライブであった。メイナードファーガソンのドリームバンドのお披露目もバードランドでのライブであった。どちらも素晴らしい演奏をそのライブ限りにするには惜しいということで、ライブと一緒にスタジオでアルバム制作が行われた。

コンコルドではよく顔合わせアルバムが作られるが、これもコンコルドジャズフェスティバルの舞台で共演し、後にライブとは別にアルバムが作られることが多かった。
反対にスタジオで作られた顔合わせが好評でフェスティバルに、さらにはツアーに出ることもある。

コンコルドでスコットハミルトンとバディーテイトの顔合わせアルバムが何枚か作られたが、81年のコンコルドオールスターのツアーはこの2人が揃って参加した。実際のステージでこの2人の共演が聴けたことになる。さらに、この2人にアルコーンが加わり3テナーズという豪華版で日本にもやってきた。

この年のツアーは1ヶ月以上に渡り、ヨーロッパから始まり、アメリカ本土のコンサートを渡り歩き、8月1日の広島ジャズフェスティバルを皮切りに日本ツアーがスタートした。ツアーの始まりのヨーロッパでは、バディーテイトが参加できずウォーレンバッシェが代わりに加わっていたので、実はバディーテイトが加わった3テナーズは、アメリカでの数回と日本での公演だけであった。日本各地の公演を終え、最終公演が東京の虎ノ門ホールで行われ、その模様はNHKでもオンエアされた。そして同時にこのアルバムも誕生した。

オールスターズでの演奏の基本はジャムセッションだが、これだけ長期間同じメンバーで、ツアーをしながらステージを重ねると、単なるアドリブ合戦だけでなく、お互いのコンビネーションも良くなりアンサンブルワークも生まれてくる。アルコーンはズートシムスとのテナーバトルのグループ経験もある。このツアー最後のステージでは3人からレギュラーバンドのような一体感が伝わってくる

この当時は、各地で色々なジャズフェスティバルが行われ、コンサートも数多く開催された。自分も結構色々行ったが、このコンサートには行った記憶が無い。今であれば真っ先に駆けつけたと思うが。このアルバムにはステージのほぼ全貌が2枚のアルバムに納められていて、30年経ってから通して聴けるのはありがたい。

ライブが先でも、スタジオが先でも、ツアーに出るようになれば立派なレギュラーバンドの仲間入り。一人ひとりのプレーはもちろんだが、3人揃っての演奏がまさに「名人芸」だ。

1. Blues Up and Down          Gene Ammons / Sonny Stitt 8:57
2. Tickle Toe             Lester Young 7:31
3. Soft Winds             Tom Adair / Matt Dennis 10:29
4. Stella by Starlight         Benny Goodman / Fletcher Henderson 5:04
5. Broadway              Ned Washington / Victor Young 7:50
6. Do Nothin' Till You Hear from Me  Duke Ellington / Bob Russell 7:41
7. Jumpin' at the Woodside       Count Basie / Jon Hendricks 7:38
8. Bernie's Tune            Jerry Lieber / Bernard Miller / Mike Stoller 8:12
9. Rifftide               Coleman Hawkins 6:51

Buddy Tate (ts)
Al Cohn  (ts)
Scott Hamilton (ts)
Dave McKenna (p)
Cal Collins (g)
Bob Maize (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Yoshihisa Watanabe : Engineer

Recorded live at Toranomon Hall, Tokyo, August 11, 1981

Originally released on Concord CJ-172

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の再会セッションも、懐メロセッションにならないところが凄い・・・・

2012-05-30 | MY FAVORITE ALBUM
Coast Concert / Bobby Hackett and His Jazz Band


ディキシーランドジャズからジャズを聴くようになった自分は、時々妙にディキシーを聴きたくなる。また懐かしいディキシーの調べが聞えてくるとすぐに飛びついてしまう。マルサリスとクラプトンのアルバムを聴いたのもそんな感じだった。
聴き始めた頃は、ジョージルイスのクラリネットに聴き入ったものだが、このジョージルイスは、一度はジャズの世界を離れて沖仲仕をやっている所を、ニューオリンズジャズのリバイバルと共にジャズの世界に復帰したそうだ。
ジャズの世界を離れていた時、ルイスが思い描くドリームバンドは、それほど大層なものではなく、昔の仲間ともう一度楽しく演奏ができればそれで十分だったのかもしれない。
ジャズの世界でも流行廃りがあり、一時の花形スターもそのブームが去ると唯の演奏家、場合によっては自分のやりたい事はさておき、世の流行のスタイルの演奏を強いられることも多い。

ディキシーランドジャズも、スイング時代に入り、さらにモダンジャズの時代になると表舞台からはだんだん消えていった。ディキシー風の演奏というのは時々聴く事ができても、正統派ディキシーは演奏する方も、聴く方も機会が少なくなっていた。
そのような中で、ディキシーランドジュビリーというコンサートが1948年から毎年西海岸で開かれていた。仕掛け人はプロデューサーのジーンノーマンとディスクジョーキーのフランクブル。毎年有名プレーヤーが参加するようになり、2人はニューヨークにいたコルネットのボビーハケットの参加を熱望していた。そして第8回の1955年にそれが実現した。メンバーはハケットに一任したそうだ。ハケットがまず選んだのは昔何度も一緒に演奏していたトロンボーンのジャックティーガーデン。ディキシーの世界では重鎮だ。そしてドリームバンドが編成され、無事にジュビリーのステージを努めた。

期待通りの好演であり、そのままそのドリームバンドが解散では惜しいということで、早速キャピタルのプロデューサーデーブキャバノが交渉をしてアルバム化されることになったのがこのアルバム。キャバノ自身がプレーヤーとして、このコンサートにも参加していたそうなので、余程このグループが素晴らしかったのだろう。コンサートを終えて3日目のまだ興奮冷めやらぬ内の録音であった。

ボビーハケットはこの頃は、ジャッキーグリーソンオーケストラと一緒にもっぱらムードトランペットの世界で活躍していたが、ここでの演奏はティーガーデンのトロンボーンと相俟って往年の歯切れのいいディキシーの演奏。久々に溌剌とした演奏を聴かせてくれる。
仕掛け人の2人も、プロデュースをしたギャノバもしてやったりという気持ちであったと思う。
もしかしたら、このドリームバンドの演奏を一番喜んだのは、ハケット自身だったかもしれない。

1. I Want a Big Butter and Egg Man Louis Armstrong / Venable 3:16
2. New Orleans Hoagy Carmichael 2:56
3. That's a Plenty 4:31
4. Basin Street Blues 4:41
5. Muskrat Ramble Kid Ory 3:02
6. I Guess I'll Have to Change My Plan Dietz 3:23
7. Royal Garden Blues 4:55
8. Struttin' with Some Barbecue Louis Armstrong 3:03
9. Fidgety Feet LaRocca 3:06

Bobby Hackett & His Jazz Band

Bobby Hackett (cor)
Jack Teagarden (tb,vol)
Abe Lincoln (tb)
Matty Matlock (cl)
Nappy Lamare (banjo, g)
Phil Stephens (b,tuba)
Don Owens (p)
Nick Fatool (ds)

Recorded on October 18-19, 1955
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イギリス生まれの2人がデュオで演奏すると・・・

2012-05-29 | CONCORD
Alone Together / Marian McPartland & George Shearing

コンコルドレーベルのカールジェファーソンは、ギタリストの大物を次から次へと集めたが、ピアニストというとそうでもない。よく起用されたピアニストというと、デイブマッケンナとかロストンプキンス。どちらも主役のタイプではない。ソロもバックもこなすよくスイングする巧者だがタイプは名脇役だ。
そんな中、マリアンマクパートランド、そしてジョージシアリングが相次いでコンコルドに登場した。後にピアノのアルバムは多くなったが、この2人が魁であろう。

この2人は奇しくも出身地がイギリス。2人とも若くして活動の場をアメリカに移していたが、彼らのDNAはやはりイギリスなのかクールであり実直なプレーが特徴だ。
シアリングもコンコルドではベースのブライアトーフとの対話を楽しむことが多かったし、マクパートランドも自分のラジオ番組にゲストを迎えての共演を楽しんでいた。
その2人のDUOはどのようなコラボレーションになるか・・・・。

ライナーノーツの冒頭に、自分たちの演奏のプレーバックを聴く時に、2人の会話は紅茶の入れ方談義で盛り上がったとの紹介がある。
以前から2人は同郷というだけでなく、お互いに良く知っている間柄であり、一緒に演奏もした仲だったそうだ。良く知った仲だからこそ、お互いを知ってリラックスした演奏もできるし、反対に緊張感を持った演奏もできる。
お互いに格式と伝統を重んじる英国の出身、紅茶の入れ方ひとつでも拘りと形があるように、2人の演奏も破天荒になることは無い。ある種の形式や伝統を重んじ、自分が主役を演じるときは控えめに、そして脇に退くときも相手を思いやる気持ちを忘れないプレースタイルだ。

2人で始める最初の曲が、ジョビンの曲というのも意表をつく。続くビルエバンスに捧げるシアリングの曲はマクパートランドへのプレゼント。タイトル曲のアロントゥギャザーは左手のベースラインがバッハの曲を想い起こさせる。そして最後は、カールジェファーソンをテーマにしたフリーインプロビゼーション。他はスタンダードが多いが、それぞれの曲に対する2人のコメントがライナーノーツに続く。

先日の、何かのアルバムでライナーノーツにプレーヤーのコメントが書かれていたのが気になった。演奏を聴いて自分なりの印象を持ち想いを馳せるのもいいが、プレーヤーの想いも聞いてみたい気になることがある。プレーヤーのコメントというものは評論家のコメントと違って、アルバムや演奏した曲への演奏者の想いが具体的に分かるので聴く方にとってはより深い理解のためには参考になることが多い。
ピアノのデュオという新しい領域、そしてイギリス生まれの2人のミュージシャンのコラボ、ジェファーソン色の強かったコンコルドレーベルもここに来て従来路線から徐々に舵が切られてくる。

1. O Grande Amor       DeMoraes, Jobim 3:29
2. To Bill Evans        Shearing 2:24
3. All Through the Night    Porter 3:46
4. Born to Be Blue       Torme, Wells 4:21
5. They Say It's Spring     Haymes 4:53
6. Alone Together       Dietz, Schwartz 4:14
7. There'll Be Other Times   McPartland 4:49
8. Nobody Else But Me      Hammerstein, Kern 3:13
9. Chasing Shadows       Davis, Silver 5:09
10. Improvisation on a Theme by Carl Edson Jefferson  McPartland, Shearing 2:32

Marian McPartland (p)
George Shearing (p)

Recorded at Soundmixers, New York City, March 1981
Produced by Carl Jefferson
Engineer ; Phil Edwards
Originally released on Concord CJ-171
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦手ホールと得意ホール & 苦手クラブと得意クラブ

2012-05-28 | SHOT OF THE DAY
ホームコースのように同じコースを何度もプレーすると、苦手ホールと得意ホールが自然に決まってくる。苦手意識を持つと余計にうまくいかないのがゴルフの常。
ゴルフはミスのスポーツ。ミスを生む要因は苦手ホールに苦手クラブ。この組み合わせに嵌ると大叩きの予感が。
ホームコースのアウトの7番から9番は池絡みで苦手ホールが続く。この3ホールを何とかボギーで上がれればいいスコアも期待できるが、大体いつもこの3ホールのどこかで大崩だ。
ところが、先日このコースで久々に80台前半が出た。この苦手3ホールがパー、パー、バーディーで前代未聞の好スコアだったのが何よりも好結果につながった。

今回はこのコースに再チャレンジ。メンバー仲間2人と一緒の気軽なラウンド。
一人は元研修生。最近腕は落ちたが当たると300Y近く飛ばす飛ばし屋。もう一人は女性だが、こちらも毎年クラブの女子選手権でトップテンを狙っている腕達者。練習ラウンドにはちょうどいい。それに最近調子を上げてきたのでいい勝負になりそうな気配であったのだが。

スタートホールは3人ともフェアウェイにナイスショット。飛ばし屋にもそれほど遅れをとらず、距離も出て好調な滑り出しであったが。ところが、風も無い絶好のゴルフ日和にもかかわらず、2ホール目からは三人三様のミスが続いで皆調子はいまひとつでボギーペースが続く。8番を終わってホールマッチの握りもイーブン。最終ホール勝負になった。

自分は、この日はティーショットが当たらず。ここ何回かはティーショットが良くてスコアがまとまってきたのだが。最終ホールも右にプッシュアウト気味の擦り球で距離が出ず。
第2打は距離もあって池越えになるので確実にフェアウェイ狙いで第3打に賭けるところであったが。横におとなしく出せばいいものを、残りの距離を少しでも短くしたいうとい心理からか、多少林にかかっても右を向いてしまったら、案の定枝に当たって目の前のバンカーに。相手は第2打をグリーンエッジまで。ホールマッチをやっているので、残り180yの池越えを狙わないわけにはいかない。多少安全に左を狙ったがボールはピンに真っ直ぐ。
わずかに50cm届かず池ポチャ。1ペナ後の打ち直しも池で、さらには3パット。このホール10の大叩きで撃沈・

午後のハーフもドライバーの調子は今ひとつ。反対にフェアウェイウッド、ユーティリーが何故か絶好調。フェアウェイウッドのシャフトがドライバーと較べると柔らか目にしているので、スイングがこのシャフトのテンポに合ったのか。
今度は40台前半のペース、苦手の7番もパーで通過。前回のいいイメージが残って8番を迎えたが、ここでまた池ポチャで水を差す。
最終9番は難しい池を横切る第2打がこの好調のフェアウェイウッドのお陰で完璧なショット。このショットを忘れないように書き留めておこう。
前半は最後で大崩れしたが、後半は何とか踏ん張れた。苦手ホールも何とか克服できそう。少なくとも7番は最近得意ホールになった。

好調なクラブが毎回変わるのも困ったものだが、何をやっても駄目なのよりはいい。次回はミドルアイアン、20~30ヤードのアプローチが好調になれば・・・。
苦手クラブの克服は毎度コースで悩むよりもやはり練習に集中的に行くしかないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分が思い描いた自分のための本当のドリームバンドとは・・・・

2012-05-26 | MY FAVORITE ALBUM
Conrad Silvert Presents Jazz At The Opera House

ドリームバンドにも色々あるが、自分の思い描いたメンバーが目の前に現れたら、それも自分のために演奏してくれたら、それは間違いなく一生の思い出になるであろう。

コンラッドシルバートという若手のジャズ評論家がいた。彼はジャズの本場ニューヨークではなく、サンフランシスコを拠点として活躍していた。もちろん、サンフランシスコにはジャズの大物プレーヤーが演奏に訪れることは多い。しかし、「ダウンタウンで大きなジャズフェスティバル行われることも無くシスコに大挙して大物が一同に集まるということはなかった。
ところが今回は各地から三々五々大物が集まった。集まった場所は、サンフランシスコのダウンタウンにあるOpera House。地元のクラシックの拠点でジャズが演奏されるということも珍しかったようだ。1982年2月22日、今から30年前のことであった。

実は、この時シルバートは若くして白血病を患い、余命も幾ばくかとの宣告を受けていた。死を宣告されたら何をするかは人によって様々だと思う。ジャズの世界で仕事をしてきた人間は、演奏する方にしても聴く方にしても、きっと残された時間に生涯最高のジャズをたっぷり楽しみたいと思うであろう。
シルバートもきっと同じ想いを持ったと思う。その夢を実現すべくこのコンラッドのシルバートために彼自信の企画したコンサートが開かれることになり、賛同したミュージシャンがこのオペラハウスに集まってきたのだ。

ジャズフェスティバルのようなお祭り騒ぎでもなく、個人に捧げるコンサートといってもバースデーや周年記念でもなければ、亡くなった後のメモリアルコンサートでもない。表向きは本人を励まし夢を与えるコンサートであっても、実際は死期を宣告された本人を目の前にしてサヨナラを言うお別れ演奏会だ。演奏する方は誰もが否が応でも全知全能を傾けて、彼に捧げる最後の演奏に臨むことになる。

コンサートは全部で3時間半に及んだそうだ。集まったミュージシャンは、このアルバムに収められている以外にも、ロリンズ、サンタナ、パットメセニー・・・など一流のミュージシャンが、この日、このステージに一同に介した。
それぞれは過去に一緒に演奏をしたこと、あるいは同じグループにいたこともあるメンバーが多かったとは思う。しかし、特にこの日のためにグループが編成された訳ではなかった。
ジャズの世界ではこのようなシチュエーションだと、多くの場合JATPのように一同に介してのジャムセッションが開かれる。そして、誰かのソロを順にフィーチャーしたステージになるのが常だ。しかし、この日は違った。

なぜかこのステージの演奏にはデュオが多い。
マルサリスがリードするコンボでの演奏もあるが、中身は皆でのアンサンブルは無い。基本はデュオの組み合わせによるメンバー間でのコラボレーションだ。
色々なメンバーの組み合わせの中で唯一普段から一緒にやっているのはトシコとタバキンのコンビだ。この頃はビッグバンドで2人の共演は多かったが、2人のデュオの演奏は普段聴けるようで聴けなかった。
あの暴れん坊のトニーウイリアムスのドラムも往年のマイルス時代を思い出させるようなプレーぶりだ。
普段であればコラボの相手と一体になれれば一つのゴールは達成できる。この日は2人でさらにシルバートに向けてのメッセージを何か共同で生み出さなければならない状況だった。
それ故、どの演奏からも何か魂のこもったメッセージが聞えてくるようだ。
このコンサートの直前にはセロニアスモンクが亡くなった。モンクヘの追悼の意味も込めてステージではラウンドミッドナイトも演奏された。演奏する者の色々な想いが加わる。

世の中、追悼コンサートはよく行われるが、このような生前のお別れ会というものはなかなか行いたくてもできないものだ。葬式も亡くなってから多くの弔問客が訪れるのが常だが、本人は死んでから来てもらってもそれを知る術は無い。本人にしてみれば生きているうちに会える人とは会い、友人とのお別れをし、新たな思い出をたくさん残してあの世に旅立った方がさぞかし嬉しいことか。

シルバートにとっては、これこそ演奏者の心の篭った本当のドリームバンドだった。残念ながらこのアルバムではステージの半分しか分からない。このようなライブはいつの日かその全貌がそのままの形で世に出て欲しいものだ。すべてを聴くと他のプレーヤーの新たなメッセージ、そしてそれを聴くことができた感慨をシルバートと共有できるような気がする。

Disc-1
1. Free From / Straight, No Chaser
2. The Village
3. Falling Petal
4. Maiden Voyage
5. Sister Sheryl

Disc-2
6. Dedication To Conrad Silvert
7. Hesitation
8. Dedication To Conrad Silvert
9. Silence
10. Footprints
11. Round Midnight

Wynton Marsalis (tp) (5/7/9/10)
Wayne Shorter (ts,ss) (5/7/9/10/11)
Lew Tabackin (fl) (3)
Bobby Hutcherson (vib) (4/10)
Herbie Hancock (p) (1/4/5/6/9/10/11)
Denny Zeitlin (p) (1)
Toshiko Akiyoshi (p) (2/3)
Charlie Haden (b) (5/7/9/10)
Jaco Pastorius (b) (10)
Tony Williams (ds) (5/7/9/10)

Recorded Live on February 22,1982,at The San Francisco War Memorial Opera House, San Francisco

ジャズ・アット・オペラ・ハウス
Conrad Silvert
ソニーレコード
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケントンサウンドをコーラスにすると・・・

2012-05-25 | PEPPER ADAMS
Kenton with Voices / Stan Kenton Orchestra introducing The Modern Men & Ann Richards

コーラスグループとビッグバンドは、スイング時代は切っても切れない関係だったようだ。
メルトーメの歌手生活もメルトーンズというコーラスグループからスタートしたようだ。時代と共にスイングビッグバンドの終焉と共にコーラスグループも少なくなったが、モダンジャズへの変遷の中でモダンなコーラスグループが生まれてきた。代表的なグループはフォーフレッシュメン。そして、ボーカリーズで有名なランバートヘンドリックス&ロスなど・・・。
男性4人組のコーラスだと、ミルスブラザースなどいわゆるバーバーショップスタイルが主流だが、フォーフレッシュメンのモダンなハーモニーは、コーラスの世界にも一石を投じた。このスタイルはジャズの世界だけでなく、ビーチボーイズなどポップスの世界にも影響を与えたグループだ。

このフォーフレッシュマンは本格的にデビューする前、オハイオ州のバトラー大学の学生バンドで地元クラブに出演していた。その時に、スタンケントンが「ケントンのオーケストラのようなサウンドを出すコーラスグループがある」と地元のDJに連れられて聴きに行き、すっかり気に入ってキャピタルレコードに紹介したのが、彼らのデビューのきっかけだったと言われている。本格的にプロ活動を始めた彼らは結局大学では2年生になることなく、最後まで”Freshmen”のままだったという。

このケントンとフォーフレッシュメンは後にコンサートなどでも共演したらしいが、本格的なLP時代に入ってケントンはコーラスグループを加えたアルバムは作っていなかった。
本当はこのフレッシュメンとのアルバムがあってもおかしくはないとは思うのだが、フォーフレッシュメンは1955年に“Five Trombones”でアルバムデビューを果たした。このアルバムもケントンオーケストラで活躍したメンバーがバックで、アレンジもケントンオーケストラにアレンジを提供したピートルゴロのアレンジなので、ケントンサウンドそのものであったが。

そのケントンオーケストラが56年のツアーを終え、ケントンも久々にロスにいた57年の1月~3月、少し毛色を変えたボーカルグループをフィーチャーしたアルバムを作った。
ボーカルグループ“The Modern Men”の紹介であり、もう一人ケントンオーケストラのバンドシンガーであり、その時ケントンと結婚したばかりのアンリチャードが3曲歌っているボーカルメインのアルバムだ。
バックはもちろんケントンオーケストラ。編曲はクレジットには無いがピートルゴロのようだ。メンバーもアルバムにはクレジットが無いが、56年のツアーに参加していたメンバーも多く加わっている。ドラムにはメルルイス、そしてパリトンサックスにはペッパーアダムスも。特にソロがある訳ではないが低音域の歯切れの良いサウンドにアダムスが加わっていると知ると嬉しくなる。

このThe Modern Menというグループ。事の経緯からもケントンオーケストラのコーラス版なのでフォーフレッシュメンと瓜二つ。フォーフレッシュメンのアルバムといっても分からない位だ。新妻アンリチャードのお披露目。ケントンも毎日のツアーで見せている顔とちょっと違ったプライベートな顔を見せたかったのかもしれない。

1. Dancing in the Dark      Dietz, Schwartz 2:04
2. Sophisticated Lady       Ellington, Mills, Parish 2:32
3. Softly             Beal, Greene 2:59
4. Eager Beaver          Kenton 3:30
5. Women Usually Do        Greene 2:44
6. After You           Ellis 3:23
7. Temptation           Brown, Freed 2:28
8. Walk Softly          Richards, Webb 2:53
9. Opus in Chartreuse       Roland 2:59
10. All About Ronnie       Greene 3:03
11. Interlude           Rugolo, Russell 2:36
12. Lullaby of the Leaves     Petkere, Young 2:02

The Modern Men
 Bob Smart
 Paul Salamunovich
 Tony Katics
 Al Oliveri
Ann Richards (vol)

Stan Kenton Orchestra

Recorded in Los Angels, Jaunuary 17, !957 - March 4, 1957

Kenton With Voices/Artistry...
STAN kENTON
Collector's Choice
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気もよく、スコアも良いとどんなコースでも良く感じるものだ・・・

2012-05-24 | GOLF LIFE
月曜日の朝、ちょうど金冠日食の時ゴルフ場へ向かう最中であった。途中のサービスエリアによると、そこはカメラを構えて腰を据えて本格的な観察をしようとする人から、自分のように時間になったので立ち寄った者まで車でごった返していた。途中の案内ですべてのSA・PAに混雑のサインが出ていたが、日食の影響だとは。関東も南のほうは天気が悪かったようだが、北部は雲が所々あるものの晴れ間が広がり、金冠の前後もばっちり見ることができた。

この日向かったのは、埼玉の入間カントリークラブ。手前の日高辺りまではフラットなコースだが、圏央道を超えると急に山に入る。この入間カントリーも初めていくコースだったが、進入路からは山道。クラブハウス周辺は開けていえて綺麗にレイアウトされているが結構な山岳コースの雰囲気だ。先日の猿島はインと較べてアウトが短くだんだん難しくなっていったが、この入間はアウトが長くてインが短い。さてどんな展開になるか、初めてのコースはプレッシャーが無い分余計に楽しみだ。

スタートのロングは1打、2打、3打すべて感触の良い当たり。ナイスショットでも感触が良い当たりだと格別だ。それもいきなり3つ続くとは。出だし好調と思った矢先に奥からのパットを3パット。最近パットの調子が良かっただけに出鼻をくじかれる。
この日は一転ドライバーが好調、5番、6番の長いミドルでもショートアイアンの距離までドライバーが行くが、2打目がうまくいかずボギーペースが続く。前半はいわゆる我慢のゴルフでボギーペース。同じボギーペースでも内容が悪くないので気分はまあまあ。

後半はショートからのスタート。右の崖下に落としてボギー、次の短いミドルも罠にはまってバンカーへ。2打をグリーンオーバーしてボギーペースが続く。
次の短いミドルで長めのパットが入ってバーディー。ここで流れに乗れてパーが続く。唯一のミスは14番の右ドックレッグ。左目に打ってナシスショット突き抜けのOB。初めてのコースの怖い所だがショットが良かったので諦めもつく。
結果はこのホールのトリプルもあったが、後はボギー3つの、バーディー2つで何とか40。このところ何とか40台の前半が出るようになったので、やっと30台を狙えるところまできた。あと一歩。

コースは予想通りの山岳コースで、打ち上げのきつい所が多かったが、手入れも良く楽しめるコースだった。平坦なコースもいいが、たまにはこのようなコースもいいものだ。特にショットが良くてスコアも良ければ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味が嵩じて、熱烈ファンがプロデュースするアルバムは・・・

2012-05-23 | MY FAVORITE ALBUM
Let’s Swing Now / Takuya Fujioka Presents Vol.5



自分がレコード会社のオーナーであったり、クラブの経営者であれば、自分の思い描くドリームバンドを実現できる機会はある。しかし、単なるジャズファンであればそれは夢のまた夢になってしまうものだが・・・・
クリントイーストウッドが大のジャズファンであることは有名で、映画の"Bird"もファン故に実現したのかもしれない。
日本では亡くなった藤岡琢也がジャズファンで有名だった。その葬儀はピアノトリオによるジャズ葬であったとか。その藤岡琢也がプロデュースしたアルバムがある。一晩限りのライブならまだしも、レコードのプロデュースまでやって夢を後世にまで残すことができれば、ジャズファン冥利に尽きるというものだ。
シリーズで何枚か制作したこれがシリーズ最後の作品。このアルバムの主役はピアノの八城一夫。よくスイングするピアノで自分も好きなピアニストの一人だった。ベースは長年コンビを組んだ原田政長。ドラムにはちょうどこの頃日本に長く滞在していたドナルドベイリーが加わってドリームバンドらしい編成になっている。

プロのミュージシャンとプロデューサーだと、細かい決め事が無くても阿吽の呼吸で物事が進むことも少なくないようだが、素人が普段やりなれない事をやると色々細かいことが気にかかるもの。この録音に際しても、「藤岡プロデューサー」は、打ち合わせも綿密に、リハーサルも入念に、録音に臨んだようだ。演奏するほうも細かい気働きに感謝しつつ良い関係で作品が生まれたようだ。やはり、ファンの想いと言うものは演奏する者に通じるものがあるのだろう。ドナルドベイリーは日本を離れることが決まっての「さよならレコーディング」になったので、より感じるものがあったのかもしれない。得意のハーモニカを2曲披露してくれるが、ドラム以上に気持ちが伝わってくる。特に、最後の曲のGood-byeではなおさら。

八城と藤岡の対談を記したライナーノーツが添付されているが、録音を終えた2人の感想が素直に聞けてより雰囲気が伝わってくる。一曲目のサンバのリズムのベイリーが実に良くて、その後の演奏もノルことができたとか・・・。本の世界は編集後記というものがあるが、音楽の世界も録音後記というのもがもっとあってもよさそうなのに。
有名プロデューサーやアレンジャーが気合を入れた大作や、有名ミュージシャンを集めたドリームバンドもいいが、このようなファンに支えられたホームパーティー風の演奏も実は捨てがたいドリームバンドのドリーム演奏だ。


1. Fall of Love
2. Do’t touch my Mustache
3. Sweet Bailey
4. All the Things You Are
5. We Four Samba
6. Good-bye

八城 一夫 (p)
原田 政長 (b)
小西 徹 (g)
Donald Bailey (ds, harmonica)

Produced by Takuya Fujioka
Recorded at Victor No.2 Studio, Tokyo, July 18, 1976



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高速から遠いコースは何故か印象が薄いが、良いコースが多い・・・

2012-05-21 | GOLF LIFE
圏央道や北関東自動車道など環状の高速道路が大分整備され、これまで高速から遠かったゴルフ場も便利になったところが多い。ところが、今回行った猿島カントリークラブは東北道と常磐道のちょうど中間。どこのインターから行っても20キロ以上ある。都心から直線距離は近いのだが感覚的にも遠い感じがするコースだ。

地形は平坦なので、コース自体も平坦だが、クリークが多く微妙にうねりも付けられていて、砲台気味のグリーンもあってなかなか手ごわい。林間コースだがいわゆる松林中心の林間ではなく、木々の種類も多いので見た目にも変化があるコースだ。
以前一度プレーしたことがあり、変化があるにも関わらず各ホール全く記憶に無かったのも珍しい。以前は、よほど思い出したくないプレーだったのか・・?

アウトよりインのほうが距離の長いホールが多く、後半になるにしたがってだんだん難しくなる。今回はレギュラーティーだったが、バックからやるとかなり難しくなりそうだ。
グリーンも横長のところが多くアンジュレーションもきつい。最終18番は、途中、フェアウェイにも段差があり、グリーンもアンジュレーションが一番きつく簡単には上がらせてくれなかった。

最近調子を上げていたので、期待してスタートしたがショットは荒れ模様。いいショットが半分、ミスが半分。そのミスも左引っ掛けと右へのスライスが両方出る乱れ様。アイアンショットも良い当たりと、悪いのが半々。右のプッシュアウトがあるかと思えばカット打ちでショートも出る。すべてにおいて当たりが定まらなかった。というか、良いショットが打てた時の体の動きと、悪い時の手に力が入って打つ動きが入り乱れるのも珍しい。
良かったのはパッティングだけ。結構うねりのあるグリーンでロングパットも残したが3パット無しは上出来。重いパターにも慣れて、パットの感覚は最近自信がついた。
80台が続いていたが今回は90を切れず。一つでもいい物があると踏ん張りが効く。本格復活には今一歩。

このコースも東急グループに買収されが、メンテナンスはまずまず。グリーンもフェアウェイも砂が入っていたのは今の時期では仕方がない。コンディションの良い時にもう一度チャレンジしてみたいコースだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンタレーの舞台で35年ぶりに借りを返したハーマン・・・・

2012-05-19 | CONCORD
Woody and Friends Monterrey Jazz Festival 1979

西海岸でのジャズフェスティバルといえば、コンコルドジャズフェスティバルが開催される遥か前からモンタレージャズフェスティバルが有名だった。1958年から始まり今年で55回目を迎える。今年も、トニーベネットやゴードングッドウィンなどが出演して盛大に行われるようだ。

ウディハーマンオーケストラが最初にモンタレーに出演したのは2回目の59年
レギュラーメンバーにゲストを加えたオールスター編成で、往年のハーマンオーケストラらしい元気な演奏をステージで繰り広げた。
時代と共にハーマンのオーケストラは常に若手を加え、また新しい曲にチャレンジして新陳代謝をしていたが、1979年のモンタレーの舞台にも登場したオーケストラもメンバーは若手を揃えて、ヤングサンダリングハードと一段と若返っての登場だった。フェスティバルの舞台ということもあり、そのオーケストラにゲストが加わった。59年の時はオーケストラのメンバーとしてゲストが加わったが、今回はソリストとしての参加。したがって、このアルバムもA面は若手メンバーのオーケストラでの演奏と、B面はオーケストラをバックにしたゲストをフィーチャーした演奏に分かれる。

オーケストラも演奏も、今回は新しい曲にチャレンジではなく、古くからのジャズの名曲がプログラムされた。ただし、アレンジは若手のメンバーが施し若々しいサウンドだ。オーケストラメンバーで特にフィーチャーされるのはテナーのフランクティベリと、バリトンのゲイリースヤルマン。スマルヤンはミンガスの曲、Better get it・・・ではペッパーアダムスばりの豪快なソロを聴かせてくれる。ハーマンオーケストラ出身の有名プレーヤーは数多いが、ハーマンはこのスマルヤンを過去40年間オーケストラのメンバーのバリトン奏者としては一番だと惚れ込んでいたようだ。ハーマンの目に狂いは無く、この後すぐにスマルヤンは、ペッパーアダムスの後継者としてメルルイスオーケストラに加わり、現在もVJOの重鎮として活躍している。

B面は、ゲストが加わっての演奏だが、What are you・・・のスタンゲッツのプレーは、自分がこの曲が好きなせいもあるが秀逸だ。
ガレスピーが加わった2曲はどちらもガレスピーの曲だが、実はWoody’n Youはガレスピーがハーマンの為に書いた曲で、アレンジまで提供したにも関わらずハーマンオーケストラでは演奏されることなく過去にお蔵入りになってしまった。その理由はちょうどアレンジャーにラルフバーンズを迎えて、バンドカラーを変えようとしていた時だったからだそうだ。確かにガレスピーの曲は、アーリーオータムとはイメージが違うが、Woody’n youは他の多くのプレーヤーに演奏され、モダンジャズのスタンダードになったにも関わらず肝心の本家の演奏がなかったとは・・・。
今回は、スライドハンプトンのアレンジで、35年ぶりに初めてハーマンオーケストラのレパートリーに加わった。

このアルバムはコンコルドからリリースされたが、実はハーマンがレコーディングして残すことを決めたのを助けたのは東芝EMIだった。ハーマンのオーケストラのアルバムには当たり外れがあるが、このアルバムの演奏はモンタレーの舞台だったということもあって素晴らしい。特にプレーヤー、アレンジャー共に新旧の組み合わせが最高だ。
この頃の日本のレーベルの良いものを残そうという動きは完全に本場アメリカのレーベルの活動を先んじていたと思う。

1. Introduction 0:29
2. Caravan              Ellington, Mills, Tizol 5:53
3. I Got It Bad (And That Ain'tGood)   Ellington, Webster 5:22
4. Countdown               Coltrane 4:32
5. Better Get Hit in Yo' Soul       Mingus 5:57
6. Woody 'N You              Gillespie 8:11
7. What Are You Doing the Rest of Your Life? Bergman, Legrand 6:50
8. Manteca            Fuller, Gillespie, Pozo 8:56

Woody Herman & Young Thundering Herd

Woody Herman (cl,ss,as)
Tim Burke (tp,flh)
Bill Byrne (tp,flh)
Jim Powell (tp,flh)
Kitt Reid (tp,flh)
Joe Rodriguez (tp,flh)
Dick Mitchell (ts,fl,Flute, Oboe, Piccolo)
Frank Tiberi (Arr. Bassoon, fl,ts)
Bob Belden (Arr.ts)
Gary Smulyan (bs)
Nelson Hinds (tb)
Birch Johnson (tb)
Larry Shunk (btb))
Dave Lalama (Arr.p)
Dave LaRocca (b)
Ed Soph (ds)

Dizzy Gillespie (tp)
Woody Shaw (tp)
Stan Getz (ts)
Slide Hampton (arr.tb)
Bob Hammer (arr.)
Alan Broadbent (arr.)

Prooduced by Woody Herman & Hermie Dressel
Wally Heider : Engineer

Recorded live at Monterey Jazz Festival September 15, 1979

Originally Released on Concord CJ-170


Woody and Friends: Monterey Jazz Festival 1979
Woody Herman
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰もが自分の夢のバンドを思い描くが、実現できるのは・・・

2012-05-18 | MY FAVORITE ALBUM
Birdland Dream Band conducted by Maynard Ferguson

ある程度のジャズファンになると、自分のお気に入りのメンバーで、お気に入りの演奏をしてもらうDream Bandを思い浮かべるようになる。一生の内に一度でもいいので目の前でそのバンドに演奏してもらう機会を実現したいものだが、普通のジャズファンにとっては単なる夢で終わってしまうものだ。
ところが世の中にはそれを実現できる幸せな人もいる。
ニューヨークの有名なジャズクラブのバードランドのマネージメントをしていたジャックルイスと、VIKレーベルのモーリスレビーが共同でドリームバンドプロジェクトを企画した。2人にとっては自分のためだけでなく、ファンのために夢を実現するのも仕事の内だった。ルイスにとってはクラブで今までに無い新しい出し物が欲しかったし、レビーはパワフルでエキサイティングなレコーディングをしたかったので、2人でこれを実現するためにドリームバンドの企画をした次第。1956年の秋のことであった。

リーダー格には、ケントンオーケストラを辞めてロスでスタジオワークをしていた若手のメイナードファーガソンを据えた。ハイノートを売りにめきめきと頭角を現してきていたが、その時はまだまだ若手の成長株。そしてそのハイノートトランペットを生かすためのビッグバンドを編成することになった。通常のビッグバンド編成よりも少ない14人編成だが、ビッグなサウンドはフルバンドに負けないパワフルな編成になった。

バードランドがデビューの晴れ舞台になるので集められたメンバーはニューヨーク在住の腕利きメンバーが勢ぞろいする。長期間のツアーバンドとなると一流どころのメンバーは参加に躊躇するが、数週間のクラブ出演となるとその仕事に気合を入れた参加が可能だった。ビッグバンドとなるとアレンジが不可欠だが、東西それぞれで活躍をしていた若手アレンジャーの溌剌とした曲とアレンジも集められた。
これで、場所も曲もメンバーも揃って、プロジェクトの実行は56年9月となった。

バードランドへの出演と合わせて、別途にその記念すべきドリームバンドのスタジオ録音も行われた。何回かのセッションに分かれているが、中にはバードランドでの演奏を終えて、それからスタジオ入りし明け方の4時過ぎから録音が行われたこともあったようだ。
限られた期間編成されたドリームバンドであったが、結果は大成功であった。レコーディングのためだけのオールスターセッションや一日限りのステージでのジャムセッションでは、その演奏はその時限りで淡雪のように消えてしまう。ところが、連日のライブ出演とスタジオでのレコーディングのためのTakeを重ねることによってドリームバンドはよりパワフルに、リアルなバンドに育っていった。

その結果を、一番身をもって体験したのはリーダー格のメイナードファーガソンであったろう。「夢よもう一度」の想いから、その年の暮れから年明けにかけて、今度は西海岸で同じバンドを編成しこのドリームバンドの素晴らしさを披露した。その後、再びニューヨークに戻ってこのバンドを確固たる位置づけにした。ファーガソンにとっては、このオーケストラが正夢になった。

以降、メイナードファーガソンは亡くなるまでの間、ハイノートとビッグバンドを売りにして活躍した。ケントンやハーマンオーケストラ出身の有名プレーヤーは多いが、このファーガソンのビッグバンド出身者も多い。
スライドハンプトン、ドンエリス、ジョーザビヌル、ドンセベスキー、ドンメンザ・・・・・などなど、メンバーの誰もがこのオーケストラに参加した時、リーダーのファーガソンがバンドを立ち上げたときの想いを受け継ぎ、自分のドリームバンドを思い浮かべながら、それぞれの拘りを持って自分の夢を実現していった様に思う。

1. The Wailing Boat        Cohn 3:08
2. Somebody Wants Me Down There  Holman 4:03
3. Maynard the Fox         Cohn 2:48
4. Blue Birdland          Giuffre 4:11
5. Great Guns           Wilkins 3:14
6. Lady Bug            Cohn 3:16
7. More West            Paich 2:33
8. Still Water Stomp        Brookmeyer 3:49
9. That Jones Boy         Albam 2:56
10. Rosebud            Cohn 2:35
11. Buton Nose           Cohn 2:39
12. Little Girl Kimbi        Mandel 3:54

Maynard Ferguson (Leader, tp)
Nick Travis (tp)
Al DeRisi (tp)
Joe Ferrante (tp)
Stan Fishelson (tp)
Ernie Royal (tp)
Eddie Bert (tb)
Jimmy Cleveland (tb)
Sonny Russo (tb)
Budd Johnson (ts)
Frank Socolow (ts)
Al Cohn (ts,arr)
Herb Geller (as)
Ernie Wilkins (bs,arr)
Hank Jones (p)
Milt Hinton (b)
Jimmy Campbell (ds)

Manny Albam Arranger, Composer
Jimmy Giuffre Arranger, Composer
Bob Brookmeyer Arranger, Composer
Bill Holman Arranger, Composer
Willie Maiden Arranger, Composer
Johnny Mandel Arranger, Composer
Marty Paich Arranger, Composer

Produced by Jack Lewis
Ray Hall : Engineer

Recorded at Webster Hall in New York, September 1956

Birdland Dream Band
Maynard Furguson
RCA Victor Europe
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランスの伝統はひょっとしてジャズの伝統そのもの?・・・・

2012-05-17 | CONCORD
Vintage 1981 / Stéphane Grappelli

16世紀以降ヨーロッパの列強国が鎬を削って世界各国に植民地を展開したが、植民地化した所には言語だけでなく占領国の文化が自然と根付いていった。アメリカ大陸の歴史を辿ると、そこはヨーロッパ各国の占領地での覇権争いの歴史であり、先住民族であるインディアン虐殺の歴史だ。北アメリカでは、最終的に英国が覇権を握り今のアメリカ合衆国が生まれたが、当初は北アメリカにも各国の植民地が存在した。ジャズの故郷であるニューオリンズはフランスの植民地であるフランス領ルイジアナの首都が発祥である。したがって、ジャズの起源はフランスとアフリカから黒人がもたらした音楽のハイブリット種といってもいいかもしれない。日本も明治維新の時、もし政府主導でフランスによって開国されられたら、今とは違った音楽文化が生まれていたかもしれない。

そのせいかどうかは分からないが、フランス出身のジャズミュージシャンは何となくジャズのオリジンに通じる何かを感じる。ジャズのバイオリン奏者ステファングラッペリもフランスの出身である。第2次世界大戦以前から活躍していたが、特に本場アメリカの誰の影響を受けるわけでもなく、ジャズの伝統に根ざした自分の世界で演奏を行っていた。

このアルバムは、そのグラッペリがConcordに残した2枚目のアルバム。メンバーは前作“Stephane Grappelli at The Winery”と同様ギター2本とベースのカルテットだ。内容も同様に、いわゆるジャズのスタンダードに加えてスティービーワンダーの曲もある。その曲“Isn't She Lovely”で、今回はグラッペリのエレキピアノも披露しているが、元々、グラッペリはバイオリンだけでなく、ピアノも演奏したそうなので単に余興というものではない。

ジャズのスタンダードやスティービーワンダーの曲を演奏しても、自分のジャズの世界を作り上げているグラッペリにとっては特に演奏スタイルを変えることなく、自分のスタイルに曲を取り込んでいく。日本人は特にジャズのスタンダード曲が好きだ。本場のミュージシャンのアルバムを日本人がプロデュースすると、中には必ずスタンダード曲がある。そして、日本のミュージシャンのアルバムを作るときでも、スタンダード曲を入れると、その演奏はジャズの本場の演奏の何らかの影響を受ける。ところが、グラッペリは何を演奏してもGoing my wayだ。
アルバムのタイトルが”Vintage 1981”となっているが、このアルバムはグラッペリが1981年に自身が引き継いでいる伝統をひとつの一里塚として残した足跡のような気がする。



1. Blue Moon          Hart, Rodgers 4:37
2. It's Only a Paper Moon    Arlen, Harburg, Rose 3:59
3. Jamie            Taylor 4:12
4. I'm Coming Virginia     Cook, Heywood 2:49
5. I Can't Get Started     Duke, Gershwin 2:16
6. Do You Know What It Means to Miss New Orleans?  Alter, DeLange 5:16
7. But Not for Me         Gershwin, Gershwin 3:45
8. If I Had You          Campbell, Connelly, Shapiro 5:29
9. Isn't She Lovely        Wonder 3:49
10. Swing '42           Reinhardt 3:57
11. Honeysuckle Rose        Razaf, Waller 5:08

Stéphane Grappelli (Fender Rhodes, Violin)
Jack Sewing (b)
Mike Gari (g)
Martin Taylor (g)

Carl Jefferson Producer
Phil Edwards Engineer, Remixing
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, July 1981

Originally released on Concord CJ-169

Vintage 1981
Stéphane Grappelli/td>
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔から3人集まれば文殊の知恵というが、4人集まれば・・・?

2012-05-16 | MY FAVORITE ALBUM
Tenor Conclave / Four Tenor Saxes

ジャズの世界でも3人集まれば一人ではできない色々なアイディアが生まれて来る。では4人集まれば?特に同じ楽器で4人集まれば、4人の個性あるソロが楽しめるし、4人のアンサンブルも見ものだ。自分は、特にサックスアンサンブルが好きなので。

プレスティッジがオールスターメンバーを集めて次から次へとアルバムを量産した中に、同じ楽器を4人集めたアルバムが何枚かある。タイトルもその名のとおり”Four Altos”というものもあった”Very Saxy”というアルバムは、4人という看板は掲げていないものの、中身はテナー4本で実にタイトルのコンセプトに合った演奏を繰り広げていた。その応用編のアルト2×トランペット2というアルバムもあったし・・・・、さてこのアルバムは?

このアルバムのクレジットを見るとテナーの巨匠が4人。この4人の名前を見ただけでも興味が沸く。果たして4人がどんな演奏を繰り広げるのか。それも4人揃ってでないとできないことを何か・・・。さらに、タイトルが“Conclave”(秘密会議)となっているのが意味深長だ。

聴いた結果はというと、期待が大きい分満足度は半分だ。
このアルバムが録音されたのは56年の9月。ちょうどペッパーアダムスがケントンオーケストラに加わってツアーの真最中。そのアダムスが留守にした間のニューヨークでの録音だ。
参加しているメンバーはVery Saxyのメンバーと較べると若手ではあるが、決して新人ではない。コルトレーンはマイルスのグループでめきめき頭角を現してきていたし、モブレーは新人養成所のジャズメッセンジャーズの一員、アルコーンはアレンジャーの仕事に一区切りつけて復帰したばかり、そしてズートシムスもフリーとフルバンドへの参加を繰り返してソリストとしては一人前になっていた。中堅の有望株ばかりなのに何故?

自分の4人のそれぞれのイメージは、それから10年近く経った60年代になってからのもの。それぞれが自分のスタイルを確立していたし、テナーの音色一つとっても10年で違うものになっていた。ところが、このアルバムではさっと聞き流すだけだと誰のソロか良くわからない。強いて言えばコルトレーンが特徴がある位。
このプレスティッジのリーダー無しのスタジオジャムセッションだと、アレンジやアンサンブルもほとんど無く、いきなりソロの連続になってしまうのも一因。

結局発展途上の若者が集まって、とりあえずエールの交換をしたのにとどまっている。一人一人も自分のネクストステージに向けて自己改革の真っ最中。グループで何かという余裕は無かったのかもしれない。結果的には、ズートシムスとアルコーンがAl & Zootのコンビを続けたので、彼らにとってはそのステップとしてのトライアルの場になったのかもしれない。

やはり4人集まった時は中に誰か強力なリーダーがいるか、コンセプトメーカーがいないと、単なるジャムセッションに終わってしまうのは仕方がない事なのか。
反対にVery Saxyの良さを再認識した次第。



1. Tenor Conclave          Mobley 11:05
2. Just You, Just Me         Greer, Klages 9:29
3. Bob's Boys             Mobley 8:21
4. How Deep Is the Ocean?       Berlin 15:04

John Coltrane (ts)
Hank Mobley (ts)
Zoot Sims (ts)
Al Cohn (ts)
Red Garland (p)
Paul Chambers (b)
Art Taylor (ds)

Rudy Van Gelder : Engineer
Supervision : Bob Weinstock

Recorded on September 7, 1956 at Van Gelder Studio

Tenor Conclave
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジェームスディーンにはベイカーのトランペットが似合う・・

2012-05-15 | PEPPER ADAMS
Theme Music From “The James Dean Story” / Chet Baker And Bud Shank


最近車の事故関連のニュースが多い。数字だけをみれば、車の事故で死亡する人の数は、殺人事件で命を落とす数より遥かに多い。自動車が実は走る凶器であることは事実なのだが、ニュースではあまり強調されない。原発の事故で安全神話が崩れ、これまでの常識が非常識になりつつあるが、自動車に関しての価値観や位置づけも今後は変わっていくかもしれない。時代の変わり目だ。

クリフォードブラウン、スコットラファロ・・・・・など、ジャズの世界でも車の事故で若くして急逝したミュージシャンも少なくない。映画の世界では、同様に車の事故で若くしてこの世を去ったスターで思いつくのはジェームスディーンであろう。初の主演映画「エデンの東」でデビューし、翌年「ジャイアンツ」で、さあこれからという時に自動車事故で亡き人となってしまう。

没後、若いにも関わらず伝記映画が何本か作られたようだが、その中に死の直後にドキュメンタリー映画「ジェームスディーン物語」がある。そのオリジナルサウンドトラックとは別に、そのジャズバージョンのアルバムがある。さらにCD盤には、Let me be Lovedのベイカーによるボーカルバージョンも入っている。





演奏しているのは、チェットベイカーとバドシャンクをフィーチャーしたウェストコーストオールスターズ。チェットベイカーの若い頃の線の細い感じはジェームスディーンのイメージとも重なり合うものがあり、ウェストコーストのクールな演奏のイメージもジェームスディーンにはピッタリだ。アレンジは、ビルホルマンとジョニーマンデル。バックのミュージシャンも有名どころが揃っているが、バリトンには何故かペッパーアダムスが加わっているのだ???

このアルバムではチェットベイカーとバドシャンクがメインのソリストだが、ベイカーとサックス、それもバリトンサックスとの組み合わせというとジェリーマリガンとのカルテットが有名で、そのサウンドはウェストコーストのクールサウンドの代名詞にもなっている。ペッパーアダムスはマリガンと好対照なサウンドだが、実は、このアダムスとチェットベイカーのコンビというのも存在した。

ケントンオーケストラを辞めたペッパーアダムスがメルルイスと一緒にロスを拠点にして活動を始めたのは1957年の初頭。現地で名前も売れ出し、さあこれからという時にメイナードファーガソンのオーケストラメンバーと一緒に3月にはニューヨーク公演のために久しぶりに古巣ニューヨークへ戻ってしまう。2週間のバードランド出演を終えると、アダムスはそこでチェットベイカーのグループに加わったのだった。

ニューヨークではコルトレーンのレコーディングにも参加したが、その後はベイカーと一緒に旅を続け、7月にはロスに戻っていた。ファーガソンのオーケストラが出演していたPeacock Laneに10日間出演していたが、この最中にアダムスのファーストアルバムであるModeへの録音が行われた。状況はアダムスのアルバムにベイカーが参加してもおかしくは無かったのだ。そんな経緯もあったので、ジェイムスディーンに捧げるベイカーのセッションにアダムスも参加していても別に不思議ではない。

このアルバムのディスコグラフィーを見ると録音日は56年11月8日とある。この期間はアダムスもメルルイス達ケントンのメンバーは皆サンフランシスコに居座ってケントンオーケストラで連日クラブ出演をしていた。この時期にロスでとんぼ返り録音というのもなかなか難しいのでは。アダムスのメモによるとこのアルバムの録音は57年7月。この時期多分連日モードのアルバム収録が続いていたが、この方が現実的なような気がする。

1. Jimmy's Theme       Stevens 2:52
2. The Search         Stevens 4:43
3. Lost Love         Stevens 3:39
4. People           Merrill, Stevens, Styne 3:35
5. The Movie Star       Stevens 3:36
6. Fairmont, Indiana      Stevens 4:34
7. Rebel at Work        Stevens 3:44
8. Success and Then What    Stevens 3:58
9. Let Me Be Loved       Evans, Livingston, Stevens 4:11
10. Hollywood         Stevens 5:06
11. Let Me Be Loved [Vocal Version] Evans, Livingston, Stevens 2:14

Chet Baker, Don Fagerquist, Ray Linn (tp)
Milt Bernhart (tb)
Charlie Mariano, Richie Steward (as)
Bud Shank (as, fl)
Bill Holman, Richie Kamuca (ts)
Pepper Adams (bs)
Claude Williamson (p)
Monty Budwig (b)
Mel Lewis (d)
Mike Pacheco (bgo)

Composed by Leith Stevens
Arranged by Johnny Mandel & Bill Hokman
Produced by Richard Bock

Recorded in Los Angeles, CA, November 8, 1956

ジェームス・ディーン・ストーリー+1
Chet Baker
EMIミュージック・ジャパン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴルフには絶好の季節、調子は上向き・・・・

2012-05-14 | SHOT OF THE DAY
数年前までは連日のゴルフも苦にならなかったが、最近連荘ゴルフはいささかしんどくなってきた。とはいうものの、今の季節は暑くもなく寒くもなくゴルフには絶好の季節。この所週末になると天気が荒れることが多かったがこの週末は天気もまずまず。どうせやるならこの季節には思う存分やりたいという想いもあって久々の連荘ゴルフ。

前日は、飛び入り参加のコンペであったが結果は優勝。気分を良くしての2日目であった。
スタートは7時台。5時起きにもかかわらず前日は早々にダウンしたので爽快な目覚め。家を出るときからやる気十分であった。久々のホームコースでバックティー。天気も良いので練習ラウンドとしては最適の条件。

先日久々に練習に行って気分転換を兼ねてお蔵入りしていたドライバーに換えてみた。結果がいいのでここ数回ラウンドでも使っている。この日もそのドライバーを使ってみたが、当たりは今ひとつしっくり来なかったものの、距離は出ないが曲がりが無い。林に入れたのは出だしの一回だけ。大分安定してきた。
前日パットが好調だったが、タッチは前日と違うもののこの日も長めのパットが決まる。パットはやはり自信なのか感性なのか。反対に短いパットを2回外してこれも変にプレッシャーうぃ感じてしまうせいなのか・・・・

アウトからスタートでまずまずのスコアで回って7番へ。短いミドルだがここから3ホールを苦手にしていていつもどこかで大叩きをする。ところがこの日はドライバーが曲がらず7番はフェアウェイ真ん中へ。2打も多少木がかかったが問題なくクリアでパー。次のショートも手前からうまく寄せて第2関門クリア。最も苦手とする9番へ。2打目の右の池が延々グリーンエッジまで続くこのホール。何故かこの池に捕まることが多い。
この日はディーグランドが後ろだったので余計に難易度が高い。
このホールのティーショットはフェアウェイ左目にその日一番の当たり。次の2打目も池を掠めて残り130Yの絶好のポジション。さらに3打目のショートアイアンの感触も完璧。
ボールはピン奥3mに。このホール3打とも完璧な当たりだったのは、これまで何十回となく廻ったが初めての経験。そして、このバーディーパットも難なく決めてこのホールバーディーフィニッシュ、ハーフ40で上がる。このホールのバーディー初体験のおまけ付。

後半もまずまずで久々の80台前半。この位で廻れるとまたやる気が出てくる。調子を崩してしばらくご無沙汰の月例にもそろそろ復帰してみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする