A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

グラミー賞にノミネートされた自信をバックにワンホーンでのびのびと・・

2016-01-29 | MY FAVORITE ALBUM
Signals / Nick Brignola Quartet

先日フォードが日本から撤退するというニュースが流れた。実は、自分は以前フォードの車に長く乗っていたファンの一人だった。といっても車は頻繁に乗り換えずに乗り潰す主義なので、ステーションワゴンタイプで一時人気のあったフォードトーラス、そしてSUVのエクスプローラーの2台だったが。
アメ車は故障しやすいという評判であったが、運よくどちらも故障知らず。特にエクスプローラーは16年間、走行距離は25万キロ、故障は全くない当たり車であった。まだまだ乗れたが、流石に時代が省エネ車全盛になった中で燃費の悪さだけは如何ともし難く、買い替えようと思って新しいエクスプローラーを試乗した。2000CCのエコブーストに興味はあったが、車幅が2メートルを超える図体の大きさだけは受け入れられなかった。これではコインパーキングには停められない。流石に街乗りはできないと諦めて今のCX5にした。
今回のニュースを聞いて、日本ではアメリカ車が売れないというが、やはり日本で売れる車を作らない方が悪いのは明らか。以前トーラスワゴンが日本でも人気が出た時に、どうしようもない形にモデルチェンジしたのはビックリした。一気にファンを失った。
売れずに撤退と聞いても、それは自業自得だと思う。TPPが批准されると日本に合わない物を無理矢理押し付けられそうで今後が思いやられる。グローバル主義は色々な意味で今や落目なのは明白なのだが。

ジャズの世界も、アメリカで人気があるミュージシャンやアルバムにちっとも良さを感じなかったことは良くあった。反対に日本で先に人気を得て、認められたものが着実に世に広まったことは多い。古い名盤の発掘もそうであったし、日本のレーベルが元気な時は新しいアルバムもジャズ界を牽引していた時代もあった。

ニックブリグノラは、ペッパーアダムスとのバリトンマッドネスで本格的にソリストとしてアルバムデビューした。そして、それに続くリーダーアルバムは日本人プロデューサーの妙中氏が主宰するレーベルInterplayで作られた。
その中の一枚LA Bounceは1981年のグラミー賞のBest Jazz Groupにノミネートされる出来であったが、続くアルバムが作られるまでにはしばらく時間が掛かった。そして、アルバムが数多く作られるようになったのはそれから10年近く時を経て、90年代になってからだった。
バリトンサックスのプレーヤーとしてペッパーアダムス亡き後を引き継いだ一人だが、実はその時決して若手ではなかった。人気が出て活躍した90年代はすでに50歳を過ぎた遅咲きのプレーヤーであった。

ペッパーアダムスがバリトン1本で勝負してきたのに対して、このブリグノラはマルチリードプレーヤーだ。何でもリード楽器を17種類吹くことができるという。リード楽器にそんなに種類があることさえ自分は想像できないが。それ故ソロアルバムでも、バリトンだけでなくソプラノをはじめとして色々な楽器を吹き分ける。
さらに、ブリグノラはハードバップスタイルの伝統を引き継ぐプレーヤーで有名だが、実はどんなスタイルでもこなすマルチジャンルをこなすプレーヤーでもあったようだ。ライブでもディキシーから、バップスタイル、そしてフュージョンまで何でもこなしていたという。ダブルマルチのオールラウンドプレーヤーだったということになる。

ブリグノラは、学生時代ダウンビート誌でベストカレッジグループに選ばれたこともある。
グラミー賞にもノミネートされ、実力は常に評価されていたがなかなか人気の方は一気にはブレークしなかったようだ。そんな時を過ごしていた83年に作られたリーダーアルバムがDiscoverレーベルにある。

レコードの時代は、A面、B面で多少中の趣を変えることがあるが、このアルバムもそんな感じがする一枚だ。
A面は、アダムス譲りのバップオリエンテッドな曲、そしてバリトン中心の演奏が続く。B面になると、一転ソプラノがメイン。いきなりモーダルな演奏だ。一緒にプレーしているのは皆、無名の若手。この頃になると基本をきちんと学んだ若手が増えてきた時代だ。日本からも多くの若手が、留学、武者修行にアメリカに渡った頃だ。このような若手はどんなスタイルでもプレーできるという。バップスタイル同様モーダルなプレーも普通にこなす。続いて、オリエンタルムードの調。アップテンポのサンバ調と曲のイメージも多様になる。そして最後はバリトンとドラムとのデュオで〆る。

どんなスタイルでも、ブリグノラはバリトン、そしてソプラノを駆使しワンホーンで自在にソロを繰り広げる。大きく飛躍する前ではあるが、若手達と一緒に自分達の曲を気負いもなく、得意なマルチスタイルのプレーを存分に披露しているアルバムだ。

1. In From Somewhere               Nick Brignola 3:45
2. Brother John                  Nick Brignola 4:57
3. Night Song                    Bill Dobbins 6:08
4. Tadd’s Delight                 Todd Dameron 5:09
5. Signals                     Bill Dobbins 5:22
6. The Frame                   John Lockwood 5:27
7. Once Upon A Samba               David Colarco 5:19
8. Fun                       Nick Brignola 4:11

Nick Brignola (bs,ss)
Bill Dobbins (p)
Joh Lockwood (b)
David Calarco (ds)

Produced by Nick Brignola & Albert L.Morx
Engineer : Bob Youger
Recorded at U.C.A. Recording Studios, Urico, N.Y. on June 21, 1983
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今では師とするWESを超えたかも・・・

2016-01-26 | MY FAVORITE ALBUM
Song For Wes / 宮之上貴昭クヮルテット

プレーを始めた時に影響を受けたミュージシャンというのは必ずいるものだ。それが自分のスタイルの出発点となる。しかし、演奏活動を長く続けていると、他のプレーヤーや環境の変化など色々な影響を得てそのスタイルは変っていく。特に、一時のエレクトリックサウンドの登場や、フュージョンの台頭のようにジャズ界全体が大きな変化を遂げた時、マイルスのようにスタイルを一変させるミュージシャンもいた。
一方で、世の中の変化には目もくれず、自分が出発した時のスタイルをひたすら追求してきたミュージシャンもいる。日本を代表するギタリスト宮之上貴昭もその一人だろう。ウェスモンゴメリーに始まり、いまもそのスタイルを追求し続ける姿勢には感服する。根強いファンが多いのも納得する。

先日、その宮之上貴昭と盟友吉岡秀晃のライブがあった。自分がこの2人の演奏に出会ったのは今から30年以上前。まだ吉岡秀晃がデビューしたての頃であったが、それ以来の2人のファンだ。彼らのライブに行く機会は多くは無かったが、ライブ通いが復活した最近ではよく聴きにいっている。



デビュー以来変わらないウェスモンゴメリーの影響を受けた宮之上のプレーは円熟さに加え最近では迫力も加わっている。それに加えて、この2人のコンビネーションも30年以上の付き合いの安定感と信頼感なのだろ。目と目が合っただけ、そして一音一音がお互いのプレーを刺激し合っているのがライブだと一層伝わってくる。聴いている方も、一人しかめ面をしながら演奏している姿をみるよりも、お互い楽しそうに演奏している姿を見ながら聴ける方が楽しいし、それがライブの醍醐味だ。

この宮之上は自らギター道場やセッションを主催し後進の育成にも力を入れている。門下生が数多く育っているのも喜ばしいことだ。そして、この日のライブにもゲストが一人。セッションに顔を出したという17歳の女子高校生。師匠の演奏を楽しむだけでなく飛び入り参加したが、スタンダードのオールザシングスユーアー、そしてアンコールのパーカーナンバーのオーニソロジーで高校生とは思えない堂々としたプレーを聴かせてくれた。ジャズを聴く若者が少ないと言われる一方で、このような若手が育っているのも嬉しい限りだ。






さて、この宮之上のモンゴメリートリビュートのアルバムは多いが、このアルバムが最初のアルバム。1978年の録音だがこれがデビュー2作目となる。ちょうどその時来日中のフィリージョージョーンズがドラムに加わっているスペシャルセッションだ。大物相手に、メンバー全員をぐいぐい引っ張っている。このアルバムが宮之上の演奏の原点だが今もこのスタイルは引き継がれ、進化させている。
今のグループの橋詰大智のドラムも、バップドラミングをストイックに追い求めているという。彼にとってはこのアルバムのフィリージョージョーンズが師なのだろう。一緒にプレーするメンバーも、このような若手の方がかえってバップスタイルをけれんみの無いプレーで聴かせてくれる。ファンにとってはこの拘りがたまらないのだろう。

デビュー以来常に元気に活動を続けてきた宮之上だが、来月一杯でしばらく演奏活動を休止するという。というのも長年酷使してきた手首の腱鞘炎が悪化し療養のため休まざるを得ないそうだ。その日も吉岡とのコラボで大乗に乗った曲では、その一曲で弦のテューニングが狂ったとか。このプレーぶりを見ると、今まで故障無く来れたのが不思議な位だ。早い演奏活動再開を願うばかりだ。

1. Song For Wes          Takaaki Miyanoue 8:30
2. Willow Weep For Me           Ann Ronell 3:59
3. Blues For Philly           Takaaki Miyanoue 7:02
4. In A Sentimental Mood         Duke Ellington 7:43
5. Maki’s Dream            Takaaki Miyanoue 8:14

Yoshioka Miyanoue (g)
Naoki Kitajima (p)
Takashi Mizuhashi (b)
Philly Jo Jones (ds)

Produced by Tsuneaki Tone
Engineer : Hatsuro Takanami
Recorded on September 25, 1978

ソング・フォー・ウェス
クリエーター情報なし
キングレコード
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いきなり集められて、何の段取りも行われていないセッションとなると・・・

2016-01-24 | PEPPER ADAMS
Be-Bop ? / Pepper Adams & Barry Altschul

現役時代は毎日のように会議があった。自分が議長をすることもあれば、参加しなくても裏方で段取りをすることも。もちろんメンバーとして参加する時も。会議の主旨と目的をよく理解して積極的に発言を求められることがあるかと思えば、代理でとにかく出てこいと言われて出席したこともある。いずれにしても、その会議の進行と結果に責任を負う場合はかなり気を遣ったものだ。
ジャズミュージシャンの場合も毎日同じメンバーで同じ曲を演奏するわけではない。毎日行われるセッションがどのようなものなのかは事前に確認して参加はしていると思うが、中には・・・・・?

ペッパーアダムスは、ソロプレヤーとして独立してからもよくヨーロッパを訪れていた。サドメルから独立して3年目に入った1979年も年明けすぐにロンドンに飛ぶが、2月にはヘレンメリルとの共演アルバムを作るため一旦帰国する。
このメリルとのセッションは一ケ月以上をかけて、リハーサルも重ねて行われた。アダムスの関わったレコーディングとしては、念入りに作られた一枚だ。単に歌伴に参加した以上の意味があるが、その甲斐もあってかメリルのボーカルもアダムスのプレーもグラミー賞にノミネートできた。

ジャズは一発勝負、一期一会の楽しみがあるとはいえ、どのような場合でも呼吸を合わせることは大事。単純に回数だけではないとは思うが、いい演奏をするにはその呼吸合わせの機会や時間は惜しんではいけないということだろう。

そのレコーディングを終えた後も、ニューヨークとヨーロッパを行き来する生活を送ることになるが、6月21日にはこの年3度目の渡欧となり、翌日にロンドン経由でパリ入りした。
早速23日はパリでgigに参加したアダムスは、翌24日にレコーディングに招かれた。これは当初から予定されていたものではなく、アダムスがパリにいる事を知ったプロデューサーから急に声を掛けられたものであった。クレジットを見ると、Artistic managerとして、Gerald Terronesという名前がある。きっとこの人物がメンバー集めに一役買ったのであろう。

前日に参加したgigのリーダー、テナーのDebarbatと一緒に、気軽にサイドメンとして参加するつもりで行ったら、ビックリ。その日の主役であったトラムのアリトシュルもたまたまパリにいたので声が掛かったという寄せ集めセッションであった。
アダムスに言わせると、過去にあったブリグノラとのバリトンマッドネスのセッション同様、このレコーディングはレコード会社とプロデューサーの思いつきであったようだ。
したがって、レコーディングもアレンジはおろか曲も用意されていない状態でのジャムセッションとなった。

このアルバムのタイトルは「Be-Bop ?」となっている。これが何を意味するのか?
解説も何も無いアルバムなので真相は分からないが、これがプロデューサーからの唯一のお題であったのかもしれない。
結果的にアダムスと一緒にリーダー格となったバリーアルトシュルというと、自分はチックコリアのアルバム位しか知らないので、どちらかというとBopというよりもフリーなスタイルをイメージしてしまう。2人の共演も楽しみなセッションにはなったが。

取り敢えず、ガレスピーのWood’n Youからスタートする。アダムスがソロの先発となる。これがペースメーカーとなり、ソロも一回りしてとりあえず一曲が終わる。決してフリーな演奏ではなく、アダムスが得意とするバップスタイルとは少し色合いが違うが、時代に合ったストレートアヘッドな演奏でまずまず。

他のBopに相応しい曲が続くのかと思ったら、次はテナーのDebarbatの曲となる。全く知らない名前なので、キャリアを確認すると、テナー奏者だけなく、その後現代音楽の世界の作曲家でも活躍している。そんなDebarbatの曲なのでバップスタイルというよりモダンな感じの曲だが、曲想に合わせてテナーの演奏もモダンとなる。彼のソロが先行するが、続くアダムスのソロはとりあえずは流れに合わせるが、「どう吹けばいいのかな」と言った感じを受ける。

次はアリトシュルの曲。この曲でアルバムも作っていたようなので、彼としても十八番な曲を選んだのだろう。これはアリトシュルのペースにならざるを得ない。
そして、次はアダムスの曲の番となり、アダムスのオリジナルのJulianとなる。これは、以前にもレコーディングもしているし、いつもやっている曲なので、これはアダムスペースで。最後はアダムスの新曲となる。
結局、一曲目を除けば、各自のオリジナルを演奏しあった顔見世、自己紹介的な演奏だ。さてこれからウォーミングアップも終わって、これから本番という所で、このセッションは終わってアルバムとなった。

アダムスも、このようなセッションはライブでのジャムセッションであれば仕方がないが、「レコードに残すには演奏の内容を全くコントロールできないセッションであった」と言っている。
とはいうものの、演奏のレベルをそれなりに仕上げるのがアダムスの実力だが、このような演奏を、勝手にリーダーアルバムにされてしまうのは余計に腹が立つという。それなりに名の通ったアダムスなので、自分の名前を冠したアルバムがこのような作り方をされ世に出ることになるのには、プライドが許さないのだろう。多分名前だけを勝手に使われて、ギャラや印税もいい加減に仕切られていたのだと思う。

結局Be-Bop?は意味不明。
?をとって、徹底的にBe-Bopを意識したアルバムにすれば面白いアルバムになったと思う。
初顔合わせであっても、それなりの段取りを踏んで意識合わせは不可欠だということだろう。ブルーノートに駄作が少ない理由と、アルフレッドライオンのプロデュース力が優れていたのが良く分かる。

1. Wood’n You             Dizzy Gillespie 7:05
2. Neuffemps             Jean-Pierre Debarbat 11;04
3. You Can’t Name Your Own Tune       Barry Altschul 8:47
4. Julian                   Pepper Adams 4:45
5. Valse Celtique               Pepper Adams 5:02

Pepper Adams (bs)
Jean-Pierre Debarbat (ts)
Siegfried Kessler (p)
Jacqes Vidal (b)
Barry Altschul (ds)

Produced by Sebastien Bernard
Engineer : L.Payron
Recorded at Studio Ramses, Paris on June 24, 1979

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歌も良いけどピアノもいい、そしてボサノバも良いけどやはりジャズも素晴らしい・・・

2016-01-20 | MY FAVORITE ALBUM
Something for You / Eliane Elias Sings and Plays Bill Evans

年末最後のライブは辛島文雄、病気療養中とのことだったが、久々の奥平真吾との共演は呼吸もピッタリで元気な演奏を聴けて一安心。共演した岡淳、池田篤のサックスも素晴らしく、年の締めのライブに相応しい演奏であった。

そして、年明け一番のライブは、こちらもピアノのイリアーヌ・エリアス。今回はトリオでの演奏に加えて、ビッグバンドとの共演もプログラムされていたので、連日出掛けることになった。
ブラジル出身ということもあり、エリアスというとどうもボサノバが有名だが、彼女のデビューは確かステップスアヘッドに加わったアルバムだったと思う。ボサノバだけでなく、ストレートアヘッドなジャズでもなかなか聴き応えのある演奏を聴かせてくれるので、さて今回はどんな演奏を?という楽しみもあった。



ビッグバンドの共演で相手を務めたのはエリックミヤシロ率いるブルーノートオールスターズ。このバンドはこれまで何回もゲストを迎えたライブを行っているが、ただ一緒にやっているというのではない。時にはミヤシロ自身がアレンジを行い、いつも共演する相手を意識したプログラムで構成されていて感心する。
今回もオーケストラのレパートリーにイリアーヌのピアノがゲスト参加することもあれば、彼女がボブブルックマイヤーのアレンジで作ったアルバムの再演も聴け、なかなか聴き応えのあるステージであった。



トリオの方は、ベースは良きパートナーのマークジョンソン、ドラムも同じブラジル出身のマウリシオ・ゾタレリで呼吸もぴったり。ピアノにボーカル、ジャズにボサノバ、それにオリジナルにスタンダードが程よくミックスされ、飽きさせることのないステージであった。特に、ボーカルではチェットベイカーに捧げたエンブレイサブルユー、そしてボサノバの名曲のディサフィナードではジャズとボサノバの完全融合。曲の展開、各人のソロ、そしてメンバーとのコラボレーションも圧巻であった。単なるボサノバのプレーヤーではない事をアピールしていた。

このイリアーヌのアルバムというと毎年のようにアルバムもリリースされ数多くあるが、自分の好きなアルバムは比較的最近のアルバムで、ビルエバンスに捧げたSomething For Youだ。エバンスのトリビュートアルバムというと世の中に数多くあるが、その中でも好きなアルバムだ。

ボサノバのボーカル物が多くなっていた中で、久々のジャズアルバムということで買い求めたアルバムだった。全曲がボーカルという訳でもないのに、スイングジャーナルのディスク大賞でボーカル賞を受賞したのは、あのゼタールンドで有名な「ワルツフォーデビー」のボーカルがあるからかもしれない。アルバムとしては、あくまでも彼女のピアノ中心のアルバムだと思う。

今のジャズピアニストでエバンスの影響を全く受けていないというピアニストは少ないと思うが、このイリアーヌももちろんエバンスの影響は多く受けたという。というよりは、若い頃彼女は多くのピアノスタイルを学び、それを実践できたといわれるが。
今回も一緒に来日したベースのマークジョンソンは、エバンスの最後のトリオのメンバーだ。彼にとっては、エバンスは特別な存在だろう。イリアーヌが最初に結婚したのは、ランディーブレッカー、そして今のパートナーであるマークジョンソン。プレーにも伴侶の影響は受けるのだろう、このアルバムの誕生にはもちろんマークジョンソンの影響もあった。

事実、このアルバムにはマークジョンソンに託したエバンスが残したカセット録音も登場し、マークジョンソンもスコットラファロが愛用していたベースを借り受けてきて演奏した曲もある。という意味では、2人の共同作業による、色々な意味でのエバンストリビュートなアルバムであった。

今回のステージを聴いて、このアルバムで聴けるようなエバンスライクの演奏は彼女の演奏の一面であることも良く分かった。反対に、どんな曲をやっても熱のこもったエネルギッシュな迫力あるプレーが目立った。美形のジャズミュージシャンとして、これまでジャケットにもピンナップガールのような写真が多かった彼女も、歳とともにステージでは演奏ぶりを含めて益々「貫禄」が目立つようになってきた。

1. You and the Night and the Music                    Arthur Schwartz 3:17
2. Here Is Something for You                  Eliane Elias / Bill Evans 2:58
3. A Sleepin' Bee                      Harold Arlen / Truman Capote 2:51
4. But Not for Me                              George Gershwin 3:51
5. Waltz for Debby                             Bill Evans 4:05
6. Five                                   Bill Evans 4:59
7. Blue in Green                       Miles Davis / Bill Evans 4:50
8. Detour Ahead                      Lou Carter-Herb Ellis-John Frigo 4:32
9. Minha (All Mine)                        Francis Hime/Ruy Guerra 3:13
10. My Foolish                            Heart Victor Young 5:01
11. But Beautiful/Here's That Rainy Day           Johnny Burke / James Van Heusen 4:25
12. I Love My Wife                              Cy Coleman 2:54
13. For Nenette                                 Bill Evans 2:53
14. Evanesque                          Eliane Elias / Bill Evans 3:23
15. Solar                                     Miles Davis 3:11
16. After All                                 Eliane Elias 4:29
17. Introduction to "Here Is Something for You"         Eliane Elias / Bill Evans 2:13

Eliane Elias (p,vol)
Marc Courtney Johnson (b)
Joey Baron (ds)

Produced by Hitoshi Namekata & Marc Courtney Johnson
Engineer : Al Schmitt
Recorded at Avatar Studios , New York

Something for You
クリエーター情報なし
Blue Note Records
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ペッパーアダムスをゲストに迎え本物のバップサウンドを・・・

2016-01-16 | PEPPER ADAMS
One For Bird / Bishop Norman Williams

誰かと一緒に何かをやろうとしても、お互い忙しくしているとスケジュール調整が大変だ。今日もゴルフ好きの友人達と3月に予定していたラウンドの日程を変更しようとしたら、なかなか皆の都合が合わず、結局このラウンドは6月以降になりそうだ。
仕事だとスケジュール調整や段取りは大変だし、特に気を遣う必要な人だと余計に。ところが、気の合う仲間と、好きな事であれば、これは苦にならないから不思議だ。

ジャズの世界でもライブやレコーディングのスケジュール調整が一番大変なようだ。特に、広いアメリカとなると東海岸と西海岸を拠点にしているメンバー同士となると移動自体も大変だ。それもあって、昔からツアーで全国を廻っている途中で、立ち寄った先でたまたま一緒になったメンバー同士、地元のメンバーとのレコーディングというのはよく行われていた。たまたまスケジュールが合うと、思わぬセッションが生まれるのがジャズの面白い所。

ペッパーダムスは1978年7月、ライオネルハンプトンのオーケストラに加わってニューポートに出演したが、その時50周年で臨時編成されたハンプトンオーケストラはそのままヨーロッパのツアーに出掛けた。オーケストラの一員として同行したアダムスは、一年ぶりのヨーロッパであった。ハンプトンオーケストラのツアーをこなしなしながら、旧友のジョルジュアルヴァニタスなどとのgigも楽しんだ。ツアーが終わった後も一人スウェーデンを訪れ、ニューヨークに戻ったのは8月の末であった。

9月にはカーチスフラーと一緒にレコーディングを行い、10月はニューヨーク、トロントを中心に活動をした。11月になると西海岸を訪れたが、ここには友人のMurabuto兄弟がいる。前の年ヨーロッパを巡業中のサドメルを辞めてアメリカに戻った時も、最初に訪れたのがこのMurabuto兄弟の元であったが、今回も彼等とのセッションは欠かさなかった。ハモサビーチの老舗クラブ「ライトハウス」にも出演したが、この西海岸訪問の一番の目的はレコーディングであった。20日にロスでビルパーキンスと一緒にレコーディングをしたが、これは妙中氏のプロデュースしたアルバム「Confluence」であった。

西海岸でサンフランシスコを拠点としているジャズミュージシャンは多いが、名が知られているミュージシャンは少ない。このアルバムのノーマン・ビショップ・ウィリアムスもその中の一人だ。地元シスコで、バップオリエンテッドな演奏をするグループを率いて、アルバムも数枚出していたようだが、決して全国に名を知られた訳ではない。そんなビショップが、次のアルバムでは是非ペッパーアダムスと一緒にやりたいと思ってプロデューサーに相談したところ、もちろんそれには異存が無い。果たして一緒にやってくれるかどうかの方が心配であったが、早速打診をした。

西海岸に行く予定があるので、その時であればとの返事をもらってこのレコーディングが実現した。アダムスはソリストとして独立した後、晩年にかけては新人達のレコーディングに付き合うことが多かったが、このセッションもそのような位置づけだ。ロスでのレコーディングの翌日、場所をシスコに移して行われた。



一緒に共演しているメンバー達も無名だが普段ビショップと一緒にやっている仲間達。このグループにアダムスがソリストとしてゲストで加わったセッションとなった。
曲は一曲だけパーカーのKokoがあるが、他はメンバー達のオリジナル。一曲目のBethだけがちょっと雰囲気が違った曲。ライナーノーツでもハンコックの「処女航海」の雰囲気と記されているが、シンセサイザーを加えて少し趣が違う。他はAllegraのラテンサウンドを除けば、バリバリのバップサウンド。アダムスもゲスト参加なので、ソロもほとんどの曲で先発で登場。最後のKokoでは超アップテンポに合わせ、ゴリゴリサウンドのソロで最後を締めくくっている。

ビショップにとっては、普段生のプレーもなかなか聴く事のできないアダムスと共演できた上にアルバムも残せた。何事も思い立ったらチャレンジすることが大事なようだ。

1. Beth                     Norman Williams 6:50
2. About Time                   Marvin Williams 6:30
3. Tahia’s Outlook                Norman Williams 5:00
4. Allegra                     Paul Arslanian 5:52
5. The Doc Speaks                 Norman Williams 6:52
6. Koko                       Carles Parker 5:35

Bishop Norman Williams (as)
Pepper Adams (bs)
Warren Gale (tp)
Allen Pittman (tp)
Marvin Williams (ts)
Paul Arslanian (p)
Curtis Ohlsen (b)
Larry Hancock (ds)
Babatunde (ds,conga)
Mark Isham (syn)

Produced by Al Evers & Allen Pittman
Engineer : Mark Needham
Recorded at Bear West Studios, San Francisco on November 21, 1978

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地方の伝統芸能も時が経つと伝承者も減ってくるが、カンサスシティージャズは・・・

2016-01-13 | CONCORD
Sweet Baby Blues / Jeannie Cheatham with Jimmy Cheatham

ジャズの歴史を辿るとニューオリンズが発祥の地、ミシシッピー河を遡り、シカゴを経てニューヨークへというのが基本的なストーリーだ。一方で、カウントベイシーはカンサスシティーでバンドを立上げ全国区へ、そして、あのチャーリーパーカーもカンサスシティーに生まれて育って全国区へ。ベイシーが生んだスイングスタイルも、パーカーが生んだビバップも、どちらも元を辿ればカンサスシティーとなる。

ミシシッピー川を少し外れたカンサスシティーで何故このようにジャズが発展したかといえば、あの禁酒法が施行されていた時、このカンサスシティーだけは飲酒が許されていたからという。酒がある所には女性と音楽が付き物、歓楽街も栄えたという。これがジャズの発展に寄与したということになる。
となると当時(1920年〜1933年の13年間)そこで流行っていたジャズがカンサスシティージャズの源流になる。ベイシースタイルはその一つであるが、他にもあるはずだが・・。

カリフォルニア州の一番の都市というと言わずと知れたロスアンジェルス。第2というと知名度としてはサンフランシスコだが、実はサンディエゴの方が倍近くの人口を抱える大都市だ。ここにも地元で活躍するジャズミュージシャンはいる。ただし、ロスに近いということもあり本当にローカルなミュージシャン達だ。

その中のジミー・チータム&ジニー・チータムのおしどりコンビがいた。旦那のジミーはベーストロンボーンを吹き、一時はニューヨークでオーネットコールマンからライオネルハンプトンと一緒にプレーし、チコハミルトングループの音楽監督を務めたという。一プレーヤーというより、アレンジもこなし、教育にも熱心な理論家であった。

一方の、ジニーはピアノを弾き、ジミーラッシング、ジミーウィザーザースプーン、ダイナワシントンなど多くのブルース歌手の伴奏を長年務めた。2人は1978年にサンディエゴに移り住んだ。そこでの日々の活動の中心はカリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭を執ることであったが、地元のミュージシャンとのセッションを欠かした訳ではなかった。2人のスタイルは古き良き時代のカンサスシティージャズ&ブルースに拘ったバンドであった。彼女のボーカルにホーンを加え、ブルージーによくスイングするサウンドは他にあるようでなかなか聴けないものであった。

これを聴いて、早速レコーディングの段取りをしたのはコンコルドレーベルのカールジェファーソン。現場の仕切りはプロデューサーの新人クリスロングを起用した。彼のデビューアルバムでもあった。
レコーディングには、普段一緒にプレーしている地元のミュージシャンにロスから応援部隊も駆け付けた。トランペットの重鎮スヌーキーヤングに、これもベースのベテランレッドカレンダー、そしてブルースプレーが得意なカーティスピーグラーの3人であった。地元のメンバーの中には、クラリネットのジミーヌーンの息子もいて父親譲りのプレーを聴かせてくれる。この複数のホーンのアンサンブルとソロが売りのバンドだ。

曲はすべてブルース。泥臭いアーシーなブルースでもなく、R&Bのようにロックの影響を受けたブルースでもない、ギターがいないのも新鮮な響きでジャズの本流といったブルースプレーが続く。昔は伴奏役であったジニーのボーカルも大々的にフィーチャーされている。

彼等にとってはこのアルバムが初アルバムとなるが、2人はこれを機にSweet Baby Blues Bandを結成した。この後もコンコルドからは何枚もアルバムを出す人気グループとなった。1984年というとフュージョン全盛期だが、こんなスタイルを求めるファンも多くいたことになる。





1. Brand New Blues Blues         Jeannie & Jimmy Cheatham 4:57
2. Roll 'Em Pete             Pete Johnson / Big Joe Turner 3:21
3. Sweet Baby Blues            Jeannie & Jimmy Cheatham 4:13
4. I Got a Mind to Ramble       Jimmy Cheatham / Alberta Hunter 7:10
5. Ain't Nobody's Business If I Do      Porter Grainger / Everett Robbins 6:05
6. Muddy Water Blues        Jimmy Cheatham / Jelly Roll Morton 3:51
7. Cherry Red                     Pete Johnson 4:38
8. Meet Me With Your Black Drawers On  Jeannie Cheatham / Jimmy Cheatham 7:28

Jeannie Cheatham (p.vol)
Jimmy Cheatham (btb)
Snooky Young (tp)
Charles McPherson (as)
Jimmie Noone (cl,ss)
Curtis Peagler (as,ts)
Red Callender (b.tuba)
John Harris (ds)


Produced by Chris Long
Allen Sides : Engineer
Recorded at Ocean Way Recording, Hollywood, California, September 1984
Originally released on Concord CJ-258

Sweet Baby Blues
クリエーター情報なし
Concord Records
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クラーク&ボランビッグバンドもサドメル同様ライブでの演奏で本領発揮・・・

2016-01-11 | MY FAVORITE ALBUM
The Kenny Clarke - Francy Boland Big Band Live At Ronnie Scott’s

サドメルがビレッジバンガードで活動を開始したのが1966年2月、丁度同じ頃ヨーロッパで本格的に活動を開始したのがケニークラーク・フランシーボランビッグバンド(CBBB)だ。最初のレコーディングは1963年であったが、ヨーロッパ在住のスタープレーヤーを集めたこのビッグバンドはレギュラー活動をスタートするにはなかなか課題が多かったようだ。

サドメルが一気に評判になったのに刺激を受けたのか、このCBBBも1966年5月ドイツのマインツで初のライブ活動を始めた。1972年3月ニュールンベルグでのラストステージまでの6年間が実質的な活動期間となる。その間ドイツを拠点としていたがヨーロッパ各地で演奏を繰り広げた。

ライブ活動を始めてから2年経ちレギュラーオーケストラとして演奏も脂が乗って調子が上がって来た1968年2月17日から3月1日まで、ロンドンの有名クラブ”Ronnie Scott's Club”に出演した。これまでのライブはコンサートが主体、クラブ出演のように同じ場所で毎晩演奏を続けるのはこれが初めての経験だった。翌年カーメンマクレーとの共演アルバムを作った時も、このロニースコットクラブに出演するためにイギリスに滞在中であった。それも、このライブが好評でこのロニースコットクラブには定期的に出演していたようだ。

古くはカウントベイシーオーケストラが長い巡業から帰り、ホームグラウンドのバードランドに帰ってくるとリラックスした演奏をしていた。サドメルやVJOもホームグラウンドのビレッジバンガードでの演奏が何かしっくりしている。CBBBもこのロニースコットクラブでの演奏は、何かファミリーで演奏を楽しんでいるような感じであったという。もちろん一緒に活動している期間が経つと仲間意識が高まってくるものだ。特に、このクラブのオーナーであるロニースコットは、自身もメンバーの一員として参加し、これまで参加したオーケストラのベストとだと気に入っていたので尚更であったであろう。もちろんここまで育って一番悦に入っていたのは、創設者のジジカンピであったとは思うが。

このCBBBはサドメルと似た所がある。オールスターメンバーを揃えたリハーサルオーケストラとしてスタートし、2人のリーダーに率いられている。全員がソリストとしての実力も十分なメンバーなので、アンサンブルワークに加えソロのウェイトも高い。それを引き出すアレンジもリーダーの役割で、CBBBではフランシーボランが一手に引き受けていた。
サドジョーンズのアレンジは曲によっては繊細さも求めたのに対して、ボランのアレンジはソロの迫力をアンサンブルで増長するようなダイナミックなノリを求めた。昨今のヨーロッパ系のビッグバンドはサドジョーンズやボブブルックマイヤーの影響を受けた演奏が多いが、このCBBBバンドはディジーガレスピーやクインシージョーンズのバンドのようにバップオリエンテッドなDNAを引き継いでいるように思う。

2枚組のアルバムにこのバンドの良さはタップリ収められているが、重厚なサウンドの源泉にはボランのアレンジに加えテナーが3本という編成や、2ドラムというのも大きく影響している。クラブでのライブというリラックスしたノリの良さも、ソロにアンサンブルに十分に伝わってくる。

サドメルのアレンジは今でもプロだけでなく、アマチュアにも広く演奏されているが、このCBBBのレパートリーを演奏するビッグバンドにはなかなかお目に掛かれない。この迫力を出すには、アレンジよりも個々のプレーヤーの技量が大きく左右するのかもしれない。一度生で聴いてみたかったバンドだった。

1. Box 703                Francy Boland 10:40
2. Griff's Groove              Francy Boland 10:10
3. Volcano                   Kenny Clarke 4:30
4. Love Which To No Loved One Permits Excuse For Loving (From The 'Inferno-Suite') Francy Boland 3:20
5. Now Hear My Meanin'              Jimmy Woode 5:40
6. And Thence We Issued Out Again To See The Stars (From The 'Inferno-Suite')  Francy Boland 5:45
7. Rue Chaptal                  Kenny Clarke 4:00
8. I Don't Want Nothin'              Kenny Clarke 3:30
9. Sax No End                  Francy Boland 11:30
10. You Stepped Out Of A Dream           N.H.Brown 3:20
11. Fellini 712 (Blues)               Francy Boland 3:40
12. The Girl & The Turk (From The 'Middle East-East Suite') Francy Boland 6:00
13. Kenny & Kenny (From 'Faces')          Francy Boland 7:00

Kenny Clarke (ds)
Francy Boland (p,arr)
Benny Bailey (tp)
Dusko Goykovich (tp)
Idrees Sulieman (tp)
Tony Fisher (tp)
Erik Van Lier(tb)
Nat Peck (tb)
Ake Persson (tb)
Derek Humble (as)
Johnny Griffin (ts)
Ronnie Scott (ts)
Tony Coe (ts,cl)
Sahib Shihab (bs)
Ron Mathewson (b)
Kenny Clare (ds)

Producer – Chris Whent, Gigi Campi
Engineer – Wolfgang Hirschmann

Recorded Live At Ronnie Scott's Club, 47 Frith street, London W.1. - February 28th 1969

Complete Live Recordings at Ronnie Scott's-Februar
クリエーター情報なし
Rearward
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たかが口笛、されど口笛。2枚目のアルバムが出せれば本物だ・・・

2016-01-09 | CONCORD
The Other Whistler / Ron McCroby

気分が良いと鼻歌を歌ったり口笛を吹いたりというのは誰もが経験すること。しかし、鼻歌や口笛を本業とするミュージシャンというのはそうそういるものではない。何でも人並み以上にできれば芸の内、口笛が上手い芸人としての道はあっても本格的なレコードを作るまでとなると並の腕前では難しい。それもジャズナンバーだけをアドリブを交えてとなると尚更だ。
口笛というのは結構音域が高くピッコロに近いという。ということもあり、このアルバムではpuccoloと言っているが、これは元々あった言葉か造語かは??

このマックロビーが世に認められたのは、地元シンシナティーでセッションに参加して評判になってから。早速地元テレビのショーに登場し、全国区のTonight Showにも出演し広く知られることとなる。それを聞きつけて、早速アルバムを作ったのはコンコルドのカールジェファーソンであった。前作の"Ron McCroby Plays Puccolo"がそのアルバムであった



このアルバムは第2作目。今回のアルバムは何故かピアノのフレッドハーシュがプロデュースしている。前作との違いを出そうとしたのか、タイトルもThe Other Whistlerとなっている。
前作ではフルートのサムモストが一緒にやっていたが、今回はピアノトリオをバックにワンホーンならず、彼の口笛一本で勝負だ。ピアノは前のアルバムと同じビルメイズだが、ドラムには昨年も東北支援で来日したOtonowaのAkira Tanaが参加している。

ジャズのスタンダードナンバーが並ぶのは前回と同様。基本的にマクロビ―がジャズ好きなのであろう。
元々彼の本業はクラリネット。学生時代マーチングバンドでやっていた時、余興で口笛を吹き始めたのが最初という。クラリネットもそれで本業になれる腕前ではなく、広告の仕事を本業にしていたが、夜になると地元のプロのセッションにも顔を出すジャズ好きであった。もっとも口笛はセッションで披露する以外に本業の広告の方で使う事ことも多く、こちらの方がちゃんと稼げるプロであったようだ。

最後の曲でクラリネットを吹くが、こちらは低音域を多用した素直な演奏。口笛には高音域とテクニックが似合うがその対比も面白い。

アルバムも作り、その勢いで’83年のモンタレージャズフェスティバルで、ウディ―ハーマンが音頭をとったジャムセッションにもゲスト参加し、コンコルドレーベルでお馴染みの面々と一緒に舞台に立っている。そしてこれが2枚目のアルバム。たかが口笛といっても、ここまで極めればたいしたものだ。

1. Four Brothers Jimmy Guffre 2:44
2. Song From MASH Johny Mandel 3:52
3. Cherokee Ray Noble 5:34
4. My Foolish Heart Ned Washington 5:43
5. Blue Rond A La Turk Dave Brubeck 5:45
6. I Remember Clifford Benny Golson
7. May Berry R.F.D. Herbert Spencer 4:32
8. Take Five paul Desmond 4:40

Ron McCroby (puccolo,cl)
Bill Mays (p,ep)
Steve La Spina (b)
Akira Tana (ds)

Produced by Fred Hersch
Recorded at Classic Sound Studio, New York City. June 1984
Recording Engineer : A.T. Michael MacDonald
Originally released on Concord CJ-257
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エルビンジョーンズのビッグバンドでのドランミングはなかなか聴く機会がないが・・・

2016-01-06 | MY FAVORITE ALBUM
Giant Steps / Elvin Jones & Frank Foster with Nobuo Hara & Sharps & Flats

ペッパーアダムスがサドメルを辞めた後に参加したアルバムの棚卸は1978年のアルバムが続いている。ちょうど辞めてから1年後、ライオネルハンプトンの50周年記念のオーケストラに加わってニューポートに出演、古巣のサドメルにもゲスト出演したりしていたので、何か記事でも無いかと思って当時のスイングジャーナルを繰ってみた。

ニューポートジャズフェスティバルの詳細な記事が載っていたが、7月2日のSratoga Swingと命名されたその日のステージはベイシー、エリントンを始めとしてビッグバンドばかり9グループの揃い踏みであった。秋吉敏子のバンドは参加していなかったようだが、当時のビッグバンドの盛況ぶりが分かる。

一方、日本に目を転じても、シャープやニューハード、そして東京ユニオンなども積極的に活動していた頃なので、さぞかし活況を呈していたのだと思ったが、「いまビッグバンドジャズ界は燃えているか?」という記事があった。



いきなり最初の項のタイトルが「絶望的な状況か」で始まっているので半信半疑で読み返してみると、確かにジャズフェスティバル参加の機会は減り、仕事自体も減っているという状況のようであった。
とはいうものの4大ビッグバンドはまだレギュラーで活動していたので今よりは良かったとは思う。アルバムでも意欲的な作品もリリースされていた。ちょうど、この記事が載っている9月号のディスクレビューに、ジャープスアンドフラッツの新作が紹介されていた。
それがこのアルバム、エルビンジョーンズとの共演アルバムだ、久々に聴き直してみた。

ビッグバンドとエルビンのドラムいうとどうもしっくりこない。昔のジャズミュージシャンは若い頃ほとんど皆がビッグバンドを経験してきたが、このエルビンジョーンズに限っていえばビッグバンドでの演奏は聴いた事も無ければ記憶に無い。エルビンのドラミングは今の時代のコンテンポラリーなオーケストラならまだしも、シャープとは果たしてどんな演奏であったか改めて興味が湧くが、この両者の仲人を務めたのがアレンジを担当したフランクフォスターだ。

シャープはこの頃、オリバーネルソンなどアメリカのアレンジャーへ作編曲を依頼する事も多く、このフォスターにそれまでもアレンジを頼んだことはあった。そのフォスターがエルビンジョーンズのグループで来日するのに合わせて、アレンジを頼むだけでなくフォスターの演奏に加えエルビンジョーンズとの共演も一緒に企画された。

フォスター自身のビッグバンドThe Loud Minorityのアルバムも前の年の1977年に制作された。さらに遡れば1975年のサドメルのメンバーとして来日した時に、同じタイトルのGiant Stepsというリーダーアルバムが作られた。このアルバムのメンバーは全員サドメルのメンバーなので、サドメルのフランクフォスター作品集といってもいいアルバムだが、契約の関係でフランクフォスターのオーケストラとなっている。
いずれにしても、この頃はフランクフォスターにとって、ビッグバンドの企画は皆日本のレコード会社が実現してくれた良き時代であった。

さてこのアルバムだが、エルビンをゲストに招いているので、フォスターのアレンジもその点を考慮している。全部で10曲が用意され、このアルバムに収められたのは4曲(ということは他に6曲あるのは陽の目を見たのか?)。どの曲にもエルビンのソロが登場する。バディーリッチやルイベルソンのようないわゆるビッグバンドのドラムのショーケースのようなソロではなく、あくまでも曲の流れの中での自然なソロだ。

A面の2曲はフォスターのオリジナル。1曲目はモーダルな3拍子。2曲目は8ビートのジャズロックだがいずれもエルビンのドラミングに掛かると普通のビッグバンドの切れ味とは違ったリズム感だ。このエルビンのドラミングに合わせるために、レコーディングではオーケストラの面々は仕切り板をとりエルビンを囲んで生音を聴きながら演奏したそうだ。

B面のジャイアントステップスと質問は、以前のアルバム「ジャイアントステップス」でも演奏していた曲。アレンジは同じでも前作のドラムはメルルイス、エルビンのトラムとはスタイルが違う。サドメルとシャープでもバンドカラーが違うので、演奏自体も違って聞こえる。これがジャズの楽しい所だ。
質問はアレンジも多少変えてソロも長めに、今回がエルビンに合わせたバージョン2といった感じだ。

ビッグバンド界は絶望的と記事で語られていたが、こんな面白い企画のアルバムが誕生したのだから今の時代と比較すれば遥かに恵まれていると言わざるを得ない。

1. Shinone                Frank Foster 8:25
2. Someone’s Rocking          Frank Foster 11:54
3. Giant Steps              John Coltrane 7:26
4. Shi-Tsu-Mon              Frank Foster 12:30

Elvin Jones (ds)
Frank Foster (ts,arr)
原 信夫 (ts)

前川 元 (as)
鈴木 和雄 (as)
唐木 洋介 (ts)
森川 信幸 (bs)
森川 周三 (tp)
佐波 博 (tp)
岡野 等 (tp)
羽毛 知也 (tp)
西山 健治 (tb)
佐藤 俊治 (tb)
花坂 義孝 (tb)
及川 芳雄 (btb)
蒲池 猛 (p)
小林 順一 (b)
川上 和彦 (g)
中村 俊幸 (ds)

Produced by Kohji Saitoh
Engineer : Kazuo Nagao
Recorded at King Record #1 Studio, Tokyo April 19, 1978
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せっかくの初録音はやはりいい録音でなければ・・・

2016-01-05 | MY FAVORITE ALBUM
Emergence / Roy Hargrove Big Band

今年も新年早々ロイハーグローブが来日する。スレートアヘッドなジャズの演奏を基本とするがR&B、Hip Hop、ラテン・・・何でもこなすハーグローブなので、今回の出し物は果たして何だろうか?昨年はビッグバンドでの来日だった。
ビッグバンドといってもこのアルバムも出ていたので、ライブに行ってどんな演奏をするのか想像はできたが。普段コンボで演奏しているミュージシャンがビッグバンドを組んだと聞くと、本来の演奏を聴く以外にどんなバンドサウンドになるかを確認するのもビッグバンドファンの楽しみのひとつだ。

このロイハーグローブのビッグバンドも結成されたのは1995年に遡るという。本場アメリカといえどもビッグバンドを編成するのはなかなか大変なようだが、ハーグロープの「ビッグバンドをやりたい」という声に応えてプロモーターのJames Browneがグリニッジビレッジで開かれたジャズフェスティバルに出番を作った。ハーグロープのマネージャーも本番に備えて練習場所の確保に奔走した。ビッグバンドは誰かの協力がないと一人で頑張っても実現できないものだ。

無事出演を終えた後も、練習場所にしていたThe Jazz Galleryでリハサールを繰り返し、時にはそこでgigを行うようになった。その内、各地のジャズフェスティバルやコンサートからも声が掛かるようになった。今の時代、このような有名人が率いるバンドでもこのようなリハーサルオーケストラの形態をとらざるをえないのがビッグバンド界の現状である。もっともハーグロープは色々な活動をするので、このような形が理想かもしれないが。

継続して活動をしているとレコーディンをしてアルバムを残したくなるのも世の常だ。一度、このホームグラウンドにしているThe Jazz Galleryでの演奏をライブレコーディングした。しかしその結果は満足の行く結果ではなかったようだ。

そんな時、2008年6月西海岸のハリウッドボウルで開かれたプレーボーイジャズフェスティバルに出演の機会を得た。そして運が良いことに、そのコンサートの直後にハリウッドのCapital Studio Aが空いていた。さらにグラミー賞を数多く受賞しているエンジニアのアルシュミットのスケジュールも確保できた。50年代から数多くの名盤の録音が行われた晴れ舞台で待望のレコーディングが行われることになった。

何でも目標ができると練習にも熱が入る。本番に向けての5月、6月のホームグラウンドThe Galleryでの演奏も熱が入ったようだ。そして、コンサート出演の熱の醒めない内のレコーディング。バンドが誕生してからかれこれ20年近く経って、晴れて初アルバムが完成した。
過去にも、ビッグネームが率いるビッグバンド、例えば過去アルバム紹介したジョーヘンダーソンフランクフォスターのバンドといえども、バンドの結成から初レコーディングまでには時間がかかり、それに時の運が幸いして初めてアルバムが生まれるのが現実だ。

ハーグロープのビッグバンドの演奏は、彼のいつもの演奏のように色取り取りだ。セプテンバーレインのように歌も飛び出すスタンダードのスインギーな演奏もあれば、マンボのリズムで盛り上がって終わるマンボフォーロイ、そしてモーダルな演奏まで。まさにハーグローブの良さをそのままビッグバンドにしたような感じで勝手気ままだ。無理やり難しいアレンジの曲をやるのでもなく、仲間同士で楽しく演奏している様子がそのままの形で聴こえてくる。

曲やアレンジもハーグローブだけでなく色々なアレンジャーを起用、メンバー達も持ち寄っている。有名なアレンジャーを起用している訳ではない。先日ベイシーオーケストラの一員で来日したジェイソンマーシャルも自作曲ミスグレービーでシャッフルのリズムに乗って大ブローしている。さらには、女性ボーカルのロバータガンバリーニの参加も華を添えている。

有名ミュージシャンと数多く共演を重ねてきたハーグローブ、そして録音場所はハリウッドとなればレコーディングのために有名ミュージシャンを集めることはできたであろう。実際のメンバー達はあまりよく知られていないレギュラーメンバー、若い頃から一緒に演奏してきた仲間達、そしてニューヨークで一緒に普段一緒に演奏している仲間達だそうだ。

ハーグロープのビッグバンドはハーグロープの名前を売るわけでもなく、アレンジを売りにするのでもなく、あくまでもそれまで一緒に切磋琢磨してきた普段の仲間達の演奏そのものを売りにする手作り感が漂うバンドだ。
トランペットの世界ではすでに巨匠の仲間入りをしているハーグロークだが、偉そうな感じの先輩のマルサリスと違って思いやりのある優しい性格のハーグロープが仲間達と手塩にかけて育てたビッグバンドだ。こんなビッグバンドが増えて欲しい。



1. Velera                Roy Hargrove 4:14
2. Ms. Garvey, Ms. Garvey       Jason Marshalle 5:33
3. My Funny Valentine   Lorenz Hart / Richard Rodgers 6:00
4. Mambo for Roy             Chucho Valdés 6:37
5. Requiem                Frank Lacy 13:36
6. September in the Rain    Al Dubin / Harry Warren 6:59
7. Every Time We Say Goodbye        Cole Porter 5:56
8. La Puerta               Luis Demetrio 3:28
9. Roy Allan               Roy Hargrove 5:51
10. Tschpiso               Roy Hargrove 7:17
11. Trust                 Roy Hargrove 4:26

Roy Hargrove (tp,flh,vol,arr.)
Ambrose Akinmusure (tp)
Darren Barrett (tp)
Greg Gisbert (tp)
Frank Greene (tp)
Vincent Chandler (tb)
Jason Jackson (tb)
Saunders Sermons (tb)
Max Siegel (btb,arr)
Bruce Williams (as,fl)
Justin Robinson (as,fl)
Norbert Stachel (ts ,fl,vol)
Keith Loftis (ts,fl,vol)
Jason Marshall (bs,fl,vol)
Saul Rubin (g,arr)
Gerald Clayton (p,arr)
Danton Boller (b)
Montez Coleman (ds)
Roland Guerrero (per)
Roberta Gambarini (vol)

Produced by Larry Clothier & Roy Hargrove
Al Schmitt : Audio Engineer, Mixing
Steve Genewick ; Asistant Audio Engineer
Recorded at Capital Studio A, Hollywood, Calfornia, June 16 & 17, 2008

Emergence
クリエーター情報なし
Emarcy / Umgd
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お祭り騒ぎのフェスティバルの演奏と違って、地元ニューヨークでのライブは真剣勝負・・・

2016-01-03 | CONCORD
New York Scene / Art Blakey and The Jazz Messengers

アート・ブレイキーの晩年のアルバムを見るとライブレコーディングが多い。というのは必然的に彼が率いるジャズメッセンジャーズはライブ活動を積極的に行っていたということに他ならない。
50年代、60年代前半までは有名プレーヤーを次々に生み出す名門バンとしてジャズ界を引っ張ってきた。70年代にかけてブレイキーの低迷期と言われているが、これはブレイキ―だけではなく多くの大物ジャズミュージシャン達の共通の置かれた状況であった。そのような状況でも昔と変わらず、若手の鍛錬の場としてジャズメッセンジャーズを率いてツアーを続けていた。そして、その中から次世代のヒーローが確実に生まれていった。

そのメッセンジャーズがコンコルドレーベルに登場したのは1978年。このアルバムはコンコルドの地元サンフランシスコの名門クラブキーストンコーナーズに、メッセンジャーズが訪れていた時のライブ録音であった。
このアルバムにはボビーワトソンがいた。更にはピアノのジェイムスウイリアムスの加入もあった。若手が多いせいかライブ録音独特の活気が一層力強く伝わってくる。メッセンジャーズは健在であった。
その後も、サンフランシスコに来る度に、そのライブアルバムは続いたが、次のアルバムの目玉はその頃言われ始めていた「新伝承派」のホープウイントンマルサリスの加入であった。

1983年に、オーレックスジャズフェスティバルでこのジャズメッセンジャーズが来日した。この時のメンバーにはカーチスフラーやベニーゴルソンなどOBメンバーも加わったオールスターメンバーであったが、トランペットだけはマルサリスに加えてテレンスブランチャードも加わる豪華版であった。ちょうどこの2人が交代した時期でもあった。

そして、このアルバムは翌年1984年5月の録音。ブランチャードに加えてピアノのマルグリューミラーも加わり、メンバーが一新されている。そして、以前と同様ライブ録音だがこのアルバムのタイトルからも分かるように今回の場所はニューヨークである。やはり本拠地でのライブとなると気合の入り方が違う。

今回、前年のオーレックスの演奏も聴き直してみた。2人のOBが加わったこともあるが、日本で演奏された曲は、モーニン、ウイスパーノット、アロングカムベティーなどいずれも昔のヒット曲ばかり。懐メロのステージを聴いている感じだ。マルサリスとブランチャードのアイリメンバークリフォードの共演は楽しめたものの、残念ながら普段の若手のメッセンジャーズの演奏とは程遠いものであった。
よく、日本のステージでは手抜きをしているのではという話を良く聴いたが、懐メロ好みのファン向けのステージを要求する日本側の責任もあったと思う。

このアルバムでは、若手メンバー達のオリジナル曲が並び、演奏だけでなくバンドカラーも若手の影響力が及ぶ。一方で、バラードメドレーでは各人の技も披露している。御大のブレイキーも安心して任せているといった感じでのびのびしたプレーぶりだ。

そして、このアルバムは1985年のグラミー賞のBest Jazz Instrumental Performance - Groupにノミネートされ、めでたくウィナーとなっている。
他にノミネートされた他のアルバムを見ても、当時多くのミュージシャンが来日していたがそこで聴けるような演奏ではなかった。バブルの真最中の日本では大手のスポンサーがついてジャズフェスティバルも数多く行われていたが、今考えると単なるお祭り騒ぎであった、そこでの演奏は彼らの普段の真剣勝負の演奏とは違ったものが多かったように思う。

前回のジョージルイスの日本のライブアルバムで感じたのと同じような印象を持った。



1. Oh, By the Way         Terence Blanchard 10:06
2. Ballad Medley                    7;23
   My One and Only Love Robert Mellin
   It's Easy to Remember R.Rogers / L.Heart
   Who Cares George & Ira Gershwin  
3. Controversy            Donald Harrison 5:24
4. Tenderly       Walter Gross / Jack Lawrence 11:12
5. Falafel              Mulgrew Miller 9:54

Art Blakey & The Jazz Messengers
Art Blakey (ds)
Terence Blanchard (tp)
Donald Harrison (as)
Jean Toussaint (ts)
Mulgrew Miller (p)
Lonnie Plaxico (b)

Produced by Frank Dorritie
Engineer : Ed Trabanco
Remote Recording : Malcolm Addey
Recorded live st Mikell's, New York, May 1984

Concord CJ-256  (所有盤は日本版のCD)

New York Scene
クリエーター情報なし
Concord Records
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元旦の朝は「世界は日の出を待っている」を聴いて迎えるのが定番であるが・・・

2016-01-01 | MY FAVORITE ALBUM
George Lewis and his New Orleans All Stars in Tokyo 1963

世の中全体が昔と較べて正月らしさが無くなっているが、帰省する田舎がなく、今年は子供も海外へ行ってしまった我が家は普段と変わらない朝を迎えた。それでも女房は一人早起きをして初日の出を見に出かけたようだが、自分は夜が明けてからのこのこ起き出した次第。この正月休みはゴルフや旅行の予定もなく、いつになくのんびり寝正月になりそうだ。
大晦日の夜は家にいればジョージルイスのオハイオユニオンを聴くことが多かったが、昨晩は聴かず仕舞いでそのまま撃沈。見ようと思っていた「朝生」の録画共々、結局夜が明けてから聴く事になった。

たまには定番のオハイオユニオン以外でということで、北村英治もあるが棚から見つけたのはこのアルバム、同じジョージルイスの東京でのコンサートライブのアルバムだ。
ジョージルイスは、このアルバムが録音された1963年から数年続けて来日している。全国津々浦々何十箇所もツアーをこなしたというので、それだけのファンが当時日本にいたことになる。

この時自分は中学一年、まさにジョージルイスを知ったのは翌年1964年であった。ジョージルイスのレコードを初めて買ったのもこの頃だが中学生では流石コンサートにまでは行けなかった。当時はもっぱらラジオが情報源だったが、この「世界は日出を待っている」も大晦日のラジオでは良く流れていた。

自分はこの曲はジョージルイスの、そしてトラッドジャズの定番だと思っていたが、元は1918年にカナダのアーネストセインツというピアニストが作曲した曲だそうだ。スイング時代になるといわゆる流行曲(後のスタンダード曲)が取り上げられることが多くなるが、古くニューオリンズジャズにどうしてこの曲が取り上げられるようになったか興味が湧く。



さて、このアルバムは、今は無き新宿厚生年金会館でのライブだが演奏だけでなくMCも一緒に収められている。「アレキサンダースラグタイムバンド」に始まり、「最後の聖者の行進」までほぼステージ上で演奏された順番だろう。ステージも最後に近づき、「世界は日出を待っている」そして「アイスクリーム」と続くが、会場の拍手は一段と高まる。やはり、当時会場に駆けつけたファンにとっても、この2曲はお待ちかねの定番の演奏であったのが分かる。ここでのバンジョーはエマニュエルセイルスであるが、やはりオハイオのローレンスマレロの演奏には及ばないのは仕方がない。オハイオユニオンからは10年近く経ち、ジョージルイス晩年の演奏だが、元気な演奏を録音も良い状態で聴ける一枚だ。

ジャケット解説を見返していて、油井正一の解説の中に面白い記事を見つけた。
ジョージルイスの記者会見で、「ニューオリンズの伝統的な演奏は、アンサンブルに終始することである。しかし、曲によってはソロをフィーチャーすることもあると言っていた」と始まる。
この演奏を聴くと曲によってソロが取りまわされるが、これはルイアームストロングに始まるジャズはソロをフィーチャーするという「悪影響」が、ニューオリンズの伝統を守って復活したといわれるジョージルイス達にも影響を与えている。
ニューオリンズジャズのアドリブの発生は一人のソロを残して他のメンバーが演奏を止めるブレイクから生じたもので、最初はせいぜい2小節だった。これを打ち破って自由にアドリブを展開するソリストはルイアームストロングによって初めて実現され、そのスタイルが今のジャズまで引き継がれている功績は大きいのだが・・・と続く。

今の時代は、アドリブのソロがメインで、アンサンブルやオブリガードが従になっているが、この時代のソロはアドリブではなかった。事実ジョージルイスをフィーチャーした自作曲のバガンディーブルースのソロは、どのアルバムを聴いてもアドリブではなく計算され尽くしたソロだという。

という前提でこの演奏を聴くと、これはニューオリンズジャズの伝統を再現する創世記のジャズではなく、あくまでもアームストロングから広まったディキシーランドジャズの「悪影響」を受けたものだという。つまり、この時ジョージルイスが現役に復帰してからすでに20年以上、オリジナルの良さを残しながらも、その演奏スタイルは時代の変化を採り入れ変ってしまったということをいわんとしている。

油井正一氏は、最後に例えそうであても、「昔のままの演奏など実際上不可能なのだ・・という認識に立ち、しかし、もはや真似手さえも現れない彼らの音楽であるという視点に立てば、これらの古老の実演は感動を持って理解されるものと信じると」括っている。

プリザベーションホールという小さな小屋で地元の聴衆だけを相手に普段着で演奏しているのと、1000人を超える大観衆を相手にタキシード姿で演奏するステージでは確かに演奏する曲もスタイルも変えざるを得なかったのも現実であろう。今思えば、このステージは自らが若い頃に体験した「オリジナルニューオリンズジャズ」を多少今風に脚色して再現したショーであったのかもしれない。

事実、生き証人のプレーヤーがいなくなってしまったプリザベーションホールの今の演奏スタイルはさらに大きく変化している
。伝統を守るというのは口で言うのは簡単だが、現実は大変だし難しいという事になる。これは代時代が代わる時、何の世界においても直面する課題だ。

今の時代、素晴らしいソロに、絶妙なバッキングやオブリガードが絡むのは本来のジャズのアンサンブルの楽しさを再現しているのだろう。そしてミンガスがチャレンジしたグループでのインプロピゼーションはまさにニューオリンズスタイルの再興だったようにも思う。
ジャズの楽しさを形を変えて実現しようとチャレンジする者は今後も必ず現れるであろう。形式やサウンドは違っても、ジャズの伝統は引き継がれるということだ。
一方で、絶滅すると思われた彼らのスタイルを忠実に真似て演奏するミュージシャンもいる。油井氏の心配は杞憂であったようだ。

1. Alexander’s Ragtime Band
2. Over The Waves
3. St.Louis Blues
4. Somebody Stole My Gal
5. Just A Closer Walk With Thee
6. Wat A Freiend We Have In Jesus
7. You Rascal You
8. Burgandy Street Blues
9. Muskrat Ramble
10. St.James Infirmary
11. The World Is Waiting For The Sunrise
12. Ice Cream
13. Till We Meet Again
14. When The Saints Go Marching In

George Lewis (cl)
Punch Miller (tp)
Louis Nelson (tb)
Emanuel Sayles (bjo)
Joe Robichaux (p)
Papa John Joseph (b)
Joe Watkins (ds)

Produced by Motohiko Takawa
Engineer : Toshio Kikuta
Recorded live at Kosei-Nenkin Kaikan Hall, Tokyo on Aug.21. 1963

イン・トーキョー1963
クリエーター情報なし
キングレコード
コメント (2)
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