A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

他人が先に録音した曲を作曲者自身がスキャットで料理すると・・・・

2013-06-29 | MY FAVORITE ALBUM
A Good Git-Together / Jon Hendricks

先日紹介したペッパーアダムスとジミーネッパーのアルバムに、Minor Catastropheという曲が収められていた。バラードはエリントンの曲が2曲、後は2人のオリジナルが中心であったが、この曲の作者はJon Hendricks。あの、ランバートヘンドリック&ロス(LHR)の一員のJon Hendricksだ。
アダムスのアルバムに何故この曲が選ばれたのかは分からないが、他の曲とも違和感なく収められている。



ヘンドリックスは、歌だけでなく作詞や作曲でも有名で、ヘンドリックスの書き残した詩は数多い。ベニーゴルソンの名曲アイリメンバークリフォードに歌詞をつけたのも彼だが、多くの歌手に歌われている。歌(それもスキャットやコーラスも)だけでなく作詞や作曲の才能にも長けているスーパーマンだ。

ヘンドリックスのレコードデビューは、コーラスグループLHRの一員として世に出た。1955年のFour Brothersがデビュー作だと思う。他にも、ジョージラッセルのNew York N. Y.ではナレーションを努めるなど、単なる一歌手として以上の活躍をデビュー当時からしていた。
そのヘンドリックスが、1959年に一足遅れてリーダーアルバムを出した。いつものコーラスではなく、自身のボーカル(スキャット)を中心に、バックには、曲によってモンゴメリーブラザース、そしてアダレーの兄弟が付き合うという豪華編成だ。
1959年というと、キャノンボールアダレーはマイルトあのKind of Blueを吹き込んだ直後。自分のグループで活動を始めた頃。ウェスモンゴメリーも本格的に表舞台に登場してきた時期。この時期のアルバムには、後の大物達が雨後の筍のように次々と顔を出した時期だが、この組み合わせも今振り返ればすごい組み合わせだ。

そのアルバムの中にも、このMinor Catastropheが収められているが、歌詞はなくスキャットでヘンドリックス自身も登場する。さらに、スキャットの相方としてアルトのポニーポインデクスターも加わるが、この2人は後にヨーロッパでも活躍するがどちらもスキャット上手。いいコンビでこの曲での2人の掛け合いはアダムスとネッパーのアンサンブルやソロと比較しても聴き応えがある。ヘンドリックスの場合はコーラスではなくソロでやっても、単なるボーカルではなく、ボーカリーズのバックとのコラボが素晴らしい。
すでに90歳を超えているが、今年元気に来日したようだ。聴き逃したが是非生でもう一度聴いておきたい一人だ。


1. Everything Started in the House of the Lord       Jon Hendricks 1:03
2. Music in the Air                     Jon Hendricks 3:58
3. Feed Me                         Jon Hendricks 3:50
4. I'll Die Happy                      Jon Hendricks 2:22
5. Pretty Strange                      R.P. Weston 2:53
6. The Shouter                       Jon Hendricks 5:03
7. Minor Catastrophe                    Jon Hendricks 5:21
8. Social Call                       Jon Hendricks 2:22
9. Out of the Past                     Benny Golson 4:55
10. A Good Git-Together                  Jon Hendricks 3:41
11. I'm Gonna Shout (Everything Started in the House of the Lord)  Jon Hendricks 2:26

Jon Hendricks (Vol)
Pony Poindexter (as,vol)
Cannonball Adderley (as)
Nat Adderley (cor)
Gildo Mahones (p)
Buddy Montgomery (vib)
Monk Montgomery (eb)
Wes Montgomery (g)
Bill Perkins (Tambourine)
Ike Isaacs (b)
Walter Tolgen (ds)
Walter Bolden (ds)

Richard Bock Producer

A Good Git Together
Jon Hendricks/td>
Blue Note Records
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プレーだけでなく語呂合わせもピッタリの2人の共演だが・・・

2013-06-27 | PEPPER ADAMS
Pepper-Knepper Quintet / Pepper Adams & Jimmy Knepper

ペッパーアダムスとジミーネッパーは、初代サドメルオーケストラのメンバー同士でもある。1958年2月ペッパーアダムスが第2ステージの活動を始めた矢先に、アダムスはこのジミーネッパーを招いて4枚目のリーダーアルバムを録音した。
Peppeとknepper と並べると韻を踏む名前同士。アダムスが57年にダウンビートの新人賞をとったが、ネッパーも58年の新人賞をとるという当時新進気鋭の2人であった。

アダムスとネッパーの出会いはミンガスのグループであったが、ナイフの切れ味にも例えられるペッパーの切れ味の鋭いバリトンサックの低音と、どちらかというと温かみのあるトロンボーンの魅力を引き出すのが上手いネッパー。好対照といえば好対照。2人の相性は正反対の魅力かもしれない。

バックを努めるのは、ウィントンケリーのピアノ、ダグワトキンスのベース、そしてエルビンジョーンズのドラム。ワトキンスとエルビンは丁度スタートしたばかりのドナルドバードとのクインテットのメンバーでありその時行動をともにしていた仲間だ。ワトキンスとエルビンは同じデトロイト出身。一緒にニューヨークに出てきた仲間同士だ。

蛇足ながら、このダグワトキンスも若くして自動車事故で命を落とす。自動車事故といえばクリフォードブラウンが有名であり、同乗していたバドパウエルの弟、リッチーパウエルと共に帰らぬ人となってしまった。
このダグワトキンスが事故を起こした時に同乗していたのは、ローランドハナ。こちらは幸いにも一命を取り留めた。同じような状況に遭いながら運不運が大きく分かれた。人の一生というものは何で左右されるか分からない。

実は、このケリーを加えたリズムセクションは、前年の11月にサボイに残したソニーレッドとの共演のバックを努めたメンバー達。その意味では、初合わせではなくすでに実績のあるグループであった。という流れの中でのレコーディングであったので、単なるブローイングセッションとは少し趣も異なりグループとしてのサウンドも前面に出している。

この2人の共演は、レコーディングに残されたものとしては、1969年のリチャードデイビスのリーダーアルバム"Muses for Richard Davis"にサドメルのメンバー達と一緒に参加したものまで実現しなかった。
この後、アダムスはドナルドバードとのコンビが続くが、このジミーネッパーとのコンビネーションも捨てがたいものだ。マリガンとブルックマイヤーのコンビに負けない組み合わせだと思う。もう少しアルバムが残っていてくれたなら良かったのだが。



 
1. Minor Catastrophe       Jon Hendricks 6:05
2. All Too Soon          Duke Ellington 5:55
3. Beaubien            Pepper Adams 6:24
4. Adams In The Apple       Jimmy Knepper 4:51
5. Riverside Drive         Leanard Feather 5:15
6. I Didn't Know          Duke Ellington 4:28
7. Primerose Pate          Jimmy Knepper 7:05

Pepper Adams (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Wynton Kelly (p)
Doug Watkins (b)
Elvin Jones (ds)

Recorded At New York on March 25,1958



Quintet
Pepper Adams
American Jazz Class
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JATPはやはり大観衆の熱気の中でないと・・・・・

2013-06-23 | JAZZ LIFE
ノーマングランツが率いたJATPコンサートの始まりは?というと、第2次世界大戦中の兵士向けの放送用のライブのディスクを聴いて、これは商品になるのではと思いついたのが始まりとか。
整然と行われるスタジオでの録音用の演奏にはない、会場の騒音の中で、粗削りであってミスはあっても、そのライブの記録はジャズのone&onlyの楽しみがある。

先日、ハリーアレンの好演に刺激され、彼らが出演する富士通Concordに出かけた。今年のConcordはノーマングランツに捧げるJATPの再演と銘打っていたので期待が大きかったのだが・・・。

富士通Concordには歴史がある。第一回が1986年なのでまだバブル絶頂期の前。企業が冠スポンサーになったイベントも数多くあった時代だ。
当時から錚々たるメンバーが来日して楽しみのイベントのひとつであった。会場の広いホールが一杯になり、日本のジャズコンサートも世界の中一流の仲間入りを果たしていた時代だ。自分もその頃はよく各地のジャズフェスティバルに足を運んでいたので思い出深い。
最近でこそライブにはよく行くが、この富士通Concordはしばらくご無沙汰だったので、その意味でも楽しみであった。

東京での会場はブルーノート。他を探したがここしかなかった。地方ではそれなりのホールが会場であったが東京では何故?東京ではいくらブルーノートでもJATPをやるにしてはキャパが少ないのではとちょっと最初から気にかかっていた。

当日(最終日の月曜日)に足を運んでみたら・・・・・それは反対であった。
今回のブルーノートでの公演は指定席がプロモーター扱いで、自由席がブルーノート扱いになっていた。自分は直前に行く事を決めたし、連れもおらず一人だったの自由席で、開演30分前に会場に着く。いつものように整理番号を受付でもらうが、その番号は14番。何か変だなと感じたが、会場に入るとやはり空席がかなり目立つ状況であった。
指定席もかなり空きがあったが、自由席に至っては両サイドのテーブル席に一人もいない状況。これは一体どうしたの?という雰囲気であった。

まもなく、開演となったが、JATPというと昔から会場の熱気が売り物。それにお互いのプレーヤーに呼応して大ブローになるというのが常であったのだが。
最初のセッションはチャールスマクファーソンと多田誠司のアルトバトル。いきなり初っ端から盛り上げるのは只でさえ難しいのに、この状況では尚更。演奏自体は悪く無かったのだが、空回りで終わる。

続いて、先日好プレーを聴いた、ハリーアレンとグラントスチュワート。かれらも曲数自体が少ないせいもあるが、盛り上がる間もなく終了。
次のトランペットバトルは、ランディーブレッカーのストレートなプレーに皆注目していたようだが、これも本領発揮せずで終わる。
ドラム対決もスネアのバトルなど嗜好は凝らしていたのだが・・・・。
最後に、全員が舞台に上がってパディードで幕を閉じたが、会場の人の少なさは如何ともし難くJATPというには寂しいコンサートだった。東京TUCのハリーアレンが良かっただけに。

家に帰って憂さ晴らしに、昔のJATPを聴き返した。古い録音だが熱気が伝わってくる。JATPはこうじゃなくては。
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ペッパーアダムスのセカンドステージはこの日から始まった・・・

2013-06-19 | PEPPER ADAMS
Johnny Griffin Sextet with Pepper Adams,Donald Byrd

1958年の年が明けてまだ冬の寒い日が続いているある日、3つのセッションが行われた。
ひとつは、ファイブスポットでのアダムスの新たなメンバーとのgig。この日2月25日から2週間の予定でスタートした。
後の2つはリバーサイドのレコーディング。ひとつはテナーのジョニーグリフィンのリーダーセッション。
もうひとつはピアノのセロニスモンクのセッション。
この3つがどの順番に行われたかは定かではないが、この3つのセッションすべてに参加したメンバーがいる。

その一人がペッパーダムス。もう一人がトランペットのドナルドバードだった。
アダムスとバードは、同じデトロイトの出身。お互い面識はあったが一緒にプレーをしたのは2人がニューヨークに出てきてからだったそうだ。
アダムスは様々なレコーディングに参加する一方で、クラブでのgigにも積極的に出演していた。
ある時はチェットベイカーと組むことも多かったが、好対照の2人の共演はどんな雰囲気だったのだろうか?興味がわく。

ファイブスポットでスタートしたこのドナルドバードとのコンビは、結果的に’61年まで続く。アダムスにとっては初めて長期間に渡るレギュラーグループでの活動であった。

ファイブスポットへ出演したメンバーは、アダムスとバード以外は、ピアノのボビーティモンズ、ベースのダグワトキンス、そしてドラムスはエルビンジョーンズという新進気鋭の若手の強力な布陣であった。このメンバーでのファイブスポットへの出演は当初2週間の予定が断続的に5月まで4か月続いた。
この時のライブの様子は、”10 TO 4 AT THE 5 SPOT”というアルバムで聴くことができる。
このアルバムでのグループ名はPepper Adams Quintetとなっているので、アダムスがリーダー格であったのだろうか

同じ2月25日のレコーディングのメインは、ジョニーグリフィンのアルバムだった。
前年のブルーノートのアルバムで一躍有名になったグリフィンであったが、これがブルーノートを離れてリバーサイドでの初録音だった。
有名な「ブローイングセッション」がマイルスのグループのメンバーとのジャムセッションであったが、リバーサイドではケニードリューのピアノトリオがバックを努めた。
録音は25日から26,27日と3日間行われたが、25日にはアダムスとバードが加わったセクステット編成で、このアルバムに収録されることとなる。

このグリフィンをリバーサイドのオリンキープニュースが知ったのは2年前の’56年だった。
シカゴでのライブを終えてニューヨークに戻ったセロニアモンクから、シカゴに地元のテナーで実にいいプレーヤーがいるとの推薦を貰って早速動いたのだが。すでにブルーノートに一足先に契約をされたという経緯もあり、やっと招いたグリフィンの初アルバムにはキープニュースも思い入れがあったのかもしれない。

25日の演奏はアダムスの加わった3管編成で重厚なサウンドではあるが、アンサンブルの妙よりも3人のソロにスポットが当たった演奏でグリフィン得意のブローイングセッションとなっている。もちろん、アダムスのやバードのプレーも溌剌として、グリフィンのリバーサイドとの契約を祝しているようだ。

そして、この日にピアノだけがモンクに替わったセッションが1曲(Coming on the Hudson)だけ行われた。このセッションは実はモンクとロリンズ、そしてアートブレーキーを加えて企画されたが、手違いで2人が呼ばれなかった。そこで、急遽、グリフィンのセッションに参加していたメンバー達が呼ばれ、いきなり新曲を録音することに。
この手の急ごしらえは上手くいくことは珍しく、出来栄えにモンクが満足せず、その後のセッションは中止になってこの一曲だけが残されたという経緯だったとか。
確かに聴いてみても何かしっくり来ていないのが感じられる。このアルバムには入っていないが、このセッションの副産物としての一曲。アダムスの長い演奏経歴の中にはこんな演奏も残されている。

アダムスにとっては色々な事が起こった1958年2月25日であったが、きっと生涯忘れられない一日であったと思う。
故郷デトロイトを出て2年間のニューヨークから西海岸での武者修行を終え、再びニューヨークで新たなスタートを切った記念すべき日として。

1. Stix' Trix Wilbur Campbell 7:37
2. What's New? Johnny Burke / Bob Haggart 7:45
3. Woody 'N You Dizzy Gillespie 6:09
4. Johnny G.G. John Hines 9:38
5. Catharsis Johnny Griffin 9:53

Johny Griffin (ts)
Donald Byrd (tp)
Pepper Adams (bs)
Kenny Drew (p)
Wilbur Ware (b)
Philly Joe Jones (ds)

Produced By Orin Keepnews

Recorded on February 25,1958 in New York
Recording Engineer : Jack Higgins



Johnny Griffin Sextet
Johnny Griffin
Ojc
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ゴルフとライブのハシゴは流石に・・・・

2013-06-12 | MY FAVORITE ALBUM
夜のアルバム / 八代亜紀

忙しくなると、日程調整が中々難しくなる。特に、他に選択肢のないイベントがあると。
先週の土曜日、仲間内のゴルフが栃木で。それも益子となると自宅から150km近く。2時間以上のドライブになる。スタートが8時であったので、5時には家を出るが、その時間でも高速は結構混んでいた。渋滞する程でもなかったが、80Km走行が続く。
遅れはしなかったが、ギリギリの到着。練習もできず、パットの感触を確かめただけでスタートに。
最近ドライバーの調子が良く、この日もまずまずの出来。ショットの大きなミスは無かったが、この日だめだったのはパット。ちょうどグリーンの更新の後で遅めであったのも影響してか、タッチがあわずに3パットを連発。せっかくのショットの良さも帳消し。
後半も同じようなゴルフであったが、4ホール目で池ポチャ。これでリズムを崩してトリプル。其のままずるずると。
進行が遅めで、最後は時計を見ながら上がり時間が気になりながらのプレーであった。当然のように目標のボギーペース切はならず。
時間が気になったのは他でもない、夕方から都心でライブの予定がありそれに間に合うかどうかはスタート前から気に掛かっていた。

2時過ぎに上がって、着替えもそこそこに岐路につく。帰り道は東北、常磐どちらでも行けるが、東北道と決めて渋滞が無いことを祈ってICまで行くと何と事故渋滞。これでは間違いなく間に合わないので、北関東自動車道を反対に水戸方向に。ナビの到着予定時刻は開演10分前の4:50.。少しでも渋滞があるとこの時間では着けないのでヒヤヒヤ物であったが、幸いにも大きな渋滞もなく無事に到着で一安心。最近はこのような綱渡りのスケジュールが多いが、不思議と時間通りにこなせているので、反対にこれが快感にもなっている。すっかり現役時代の殺人スケジュールのような有様だ。
そのライブは、八代亜紀のジャズスタンダードコンサート。昨年CD「夜のアルバム」を新たに出して、ニューヨークのバードランドでも歌ったという話を聴くと、一度聴いてみたかったライブだ。

会場の青山劇場はかなり大きなホールだが満員御礼。人気が半端でないのを実感する。ピアノの香取良彦率いるクインテットはCDのバックと同じ。ステージ慣れしている八代亜紀は流石舞台運びが上手い。休憩なしで2時間弱のステージを一気に務め上げた。
彼女自身が語っていたように、決してジャズボーカルではないがスタンダードをジャジーに歌い上げる歌いっぷりは十分に楽しめた。最後はおまけで得意の演歌も披露してくれたが、これは、自分はなかなか聴く機会がないので新鮮だった。たまには、このようなライブもいい物だ。

7時に終わって近くのブルーノートでチックコリアの最終ステージがあったので、もう一軒とも思ったが、こちらは満員札止め。完全立ち見であればとのことであったが、流石にこれはパスして家路についた。
最近若者から「歳の割りには元気ですね」と言われるが、喜んでいいのやら呆れられているのやら・・・。

1. Fly Me To The Moon
2. Cry Me A River
3. Johnny Gutar
4. 五木の子守唄~いそしぎ
5. Summer Time
6. Autumn Leaves
7. Sway
8. 私は泣いています
9. One Rainy Night In Tokyo
10. 再会
11. ただそれだけのこと
12. Over The Rainbow

香取 良彦(p,vib)
岡 淳 (ts,as)
田辺 充邦 (g)
川上 修 (b)
有泉 一 (ds)

Produced by 小西 康陽

夜のアルバム
八代亜紀
ユニバーサルクラシック
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おなじミックスでも相性のいい物と悪いものが・・・

2013-06-07 | CONCORD
Herb Mix / The Herb Ellis Trio

道の駅に寄ると地元の産直品を売っている。最近は、旅行客だけでなく地元の人が集まる場所として賑わっている。公共施設多くはせっかくインフラを作ったものの、利用目的が定まらず閑古鳥が鳴いている物が多い。その中では成功している施設のひとつだろう。産直品の中でも地元の採れたての野菜や果物はスーパーに並んでいるものより旬なものが多く魅力的だ。

ある日、ゴルフ帰りに寄った時に、ハーブミックスなるサラダ菜の袋があった。何種類ものリーフがミックスされたもので思わず手が出た。残念ながら葉の種類を見分ける知見が無く、何が入っていたのかは分からないがハーブミックスというだけあって香草もあり美味しく食した。
スーパーの野菜売り場でもカット野菜にミックス物が増えているが、これは殺菌処理が問題だ。自然な採れたてのミックス野菜はこのような場所でしか手に入らない。
また機会があったら探してみよう。

このアルバムのタイトルもハーブミックス。リーダーのハーブエリスの名前を捩ったネーミングは洒落ているが、果たして何のミックスだろうか?

ハーブエリスとConcordレーベルの関係は設立以来の長い付き合い。エリスの参加したアルバムはこの時点で数十枚あったであろう。初期の”Seven Come Eleven”などは愛聴盤だ。エリスのリーダーアルバムも何枚かあったがピアノが加わった編成で、トリオ編成はこれが始めてだろう。

エリスは初期のオスカーピーターソントリオのメンバーとして有名。このトリオはトリオでもエリスを加えたドラムレストリオ。レイブラウンを加えたピーターソンとのコラボが最高だ。
そう思って、Concordになってからのアルバムを振り返ってみても、Concordが得意だったバニーケッセルやジョーパスとのギターのコラボプレーが記憶に残る。ソロをとってもバックに回っても相手との掛け合いが魅力的だ。

このアルバムはベースとドラムを加えたトリオ編成。ボブメイズ、ジミースミスのプレーは堅実だが、レイブラウンのように丁々発止と渡り合うようなタイプというわけではない。とすると完全にエリスのソロプレーにスポットライトを当てたアルバムということになる。

エリスのプレーは相変わらずだが、いつものコラボが無いのが物足りない。バリエーションを持たせたのは選曲、スタンダード中心に、エリスのオリジナルもあれば、ボサノバ、ホレスシルバーの曲もあり、そこでは余興ともいえるクラークテリー張りのスキャットも披露してくれてはいるのだが。

人にはタイプがある。絶対的な影響力を持ってリーダーシップを持って引っ張っていくタイプ。リーダーに忠実に従ってチームをまとめる副官タイプ。参謀役としてリーダーを支える知恵物・・・・など。
このエリスも良きカウンターパートナーがいて、お互いの良いところを引き出していくタイプだろう。その意味でエリスの、Herb Mixとは他のプレーヤーとのコラボプレーが一番だ。

1. It's a Small World After All        Harry Von Tilzer 2:37
2. Tenderly                  Walter Gross/Jack Lawrence 5:47
3. Girl from Ipanema               Norman Gimbel 4:21
4. It Could Happen to You           James Van Heusen 6:07
5. Deep                        Herb Ellis 3:38
6. Moonlight in Vermont       John Blackburn / Karl Suessdorf 2:56
7. Give My Regards to Broadway        George M. Cohan 3:10
8. The Way We Were             Marvin Harmisch 5:36
9. The Preacher                Horace Silver 3:21

Herb Ellis (g)
Bob Maize (b)
Jimmie Smith (ds)

Produced by Carl Jefferson & Frank Dorritie
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, June 1981
Recording Engineer : Phil Edwards

Originally released on Concord CJ-181
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ミュージシャンにとって人生の有終の美を飾る一枚とは・・・・

2013-06-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
End Play / Seldon Powell

人の人生は山有り谷あり色々ある。前に向かって進む時、いくつかの岐路がありその選択に左右されることもある。人生も後半に差し掛かると、先を見ることよりも後を振り返ることが多くなり、楽しい思い出、辛い思い出の中に後悔もあり、感謝もあり、感激もある。他人の目から見ると波乱万丈の人生に見え、あるいは平穏無事に過ごしたように見えても、本人にとっては思い出の詰まった毎日であったはずだ。

ジャズプレーヤーの世界も、ソリストとして脚光を浴び、リーダーになり、作曲をしたりアレンジをしたり、あるいはプロデュースをしたり表舞台を歩き続ける者もいる。来月来日するクインシージョーンズなどはその筆頭だろう。
一方で、表舞台に先頭に立って出ることは少なくとも、一プレーヤーとして第一線で最後まで人生を全うする者もいる。どちらが幸せかは、それぞれの人の価値観も違うので何ともえいないが、最後までジャズに打ち込めたという達成感はどちらも同じであろう。

セルドンパウエルというテナー吹きがいた。自分が彼を知ったのはサドメルのメンバーとして参加していた時だ。まだ自分がジャズの世界の右も左も分からない時、初めて生を聴いたときよくスイングするプレーが印象的だった。

このパウエルなどは、生涯一プレーヤーの代表格だろう。スイング時代の終わりから演奏を始め、バップムーブメントの時こそリーダーアルバムも出した。その後はビッグバンドやスタジオの仕事がメインになった。譜面を読むのがやたらに強い、マルチリードのプレーヤーはスタジオワークには最適だったのかもしれない。サドメルに加入していたのもそんな時代だ。
時代が変わってプレーする音楽は、R&B、ラテン、フュージョン、何でもこなしていった。クレジットのあるアルバムだけでも600枚以上。無い物を加えたら軽く1000枚を超えるであろう。セルドンパウエルにとっては、この一枚一枚、一曲一曲が人生そのものだ。

リーダーアルバムは1973年を最後に無い、しかしテナープレーヤーとして休むことなくプレーを続けていたパウエルが、晩年に一枚のアルバムを残している。タイトルは”End Play”。
昔からの仲間と一緒に、場所はニューヨークのBirdland。1993年のことであった。
ファンに囲まれたプレーは、日々のスタジオワークとは異なり、仲間達との気軽なセッション。きっといつもの日々とは違った表情でのプレーが目に浮かぶ。これがジャズの楽しみでもある。パウエルが主役だが、クラークテリーが主役を引き立たせるリード役だ。テリーの素晴らしさは、ビッグバンドでもコンボでも、自分がリーダーでなくとも全体を楽しくさせることだ。

このアルバムが収録されてから4年後、70歳までもうすぐという時にパウエルはこの世を去る。まだまだ若いといえば若い。しかし、十分に人生を楽しんだともいえる年齢だ。結果的にはこのアルバムは、彼が元気な内に仲間に囲まれての生前葬だったのかもしれない。
ファーストアルバムというのは、誰もがそれを目標にして作られるので、自分の人生の中で上り調子の時のひとつの通過点。
しかし、ラストレコーディングはそれを意識して作られることは少ない。このパウエルのアルバムは、ソロプレーヤーとしてのパウエルの最後の思い出を残せて、本人にとっても友人にとっても、そしてファンにとっても貴重な一枚だ。
丁度、パウエルがこのアルバムを残した年と自分も同じ年回り。気心の知れた仲間と何か思い出を作っておきたいものだ。自分の“End Play”として相応しいことを。

1. Hackensack        Thelonious Monk 7:06
2. Body and Soul Frank  Eyton / Johnny Green / Edward Heyman / Robert Sour 9:24
3. Push and Pull       Seldon Powell 8:03
4. Just In Time Betty     Comden / Adolph Green / Jule Styne 7:32
5. Park and Ride       Seldon Powell 4:29
6. Ow!            Dizzy Gillespie 8:30
7. Flintstones         Joseph Barbara / Hoyt Curtim / William Hanna 6:03
8. Sel's IdeaSeldon      Powell 9:06
9. Straight No Chaser     Thelonious Monk 8:20


Seldon Powell (ts)
Clark Terry (tp,fh)
Barry Harris (p)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (ds)

Alan Bates Executive Producer
Mark Morganelli Producer
Malcolm Addey Engineer
Mickey Roker Drums

Recorded live at Birdland, New York City on 23&24 June 1993



End Play
Seldon Powell/td>
Candid Records
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距離が遠くなると安くなるものは・・・・

2013-06-04 | GOLF LIFE
交通運賃は、鉄道だろうとタクシーだろうと高速道路だろうと距離の従量制。長距離割引はあるものの距離が長い程料金は高くなる。
反対に距離があると安くなるものはゴルフ場のプレー料金。どうしても首都圏の人口が多いので、ゴルフ場の集客は首都圏からのお客頼み。
地元にも熱心なゴルフプレーヤーはいるとは思うが、いかんせん絶対数が少ない。

首都圏から遠方のゴルフ場に行くと、どうしても電車にしても車にしても足代がかさむ。どうしてもその分安くしないと客が集まらない。片道100Kmを超えるゴルフ場まで車で行くと、高速代とガソリン代で軽く5,000円を超えてしまう。唯でさえ価格競争でバブル時に較べると大分安くなっているプレー料金だが、この交通費分を捻出するには限界になっている。

高速で都心から100kmを超えるコース。先日のそのひとつ東北道矢板インターから、また少し離れている那須小川ゴルフクラブに行ってきた。たまたま高校の同級生が最後の勤務地が栃木だったので、そのまま宇都宮に住み付いた。東京で仲間内の同窓会をやった時。今度はゴルフへ行こうという話しになり、どうせやるなら平日温泉付きで一泊と、トントン拍子で話が進んだ。
となると、当然遠隔地のコースが候補になる。その時、宇都宮の住人が「自分が仕切るから」という一言で今回の遠征になった。

昔、ゴルフを始めた頃はよく矢板IC付近のコースまで良く行ったが最近はとんとご無沙汰。久しぶりの矢板ICだった。
那須小川は初めてのコース。よく行ったJUNや紫塚に近い。昔女子プロのトーナメントをやっていたコースなので悪くはないとの期待を持って出掛けたのだが。

天気は快晴のゴルフ日和、36ホールのゆったりしたコースで昔の友人達と気持ちのよいプレーを楽しめた。、トーナメントコースでのプレーだったが、こちらがトーナメントで使用されたコース。メンテナンスもそこそこ、グリーンもワングリーンになって難しく、スピードもまあまあ。なかなか面白い楽しめるコースだ。

そしてなんともビックリしたのがプレー料金。昼食付きで4,580円。練習ボール入れても5000円でおつりがきた。普段のホームコースではメンバーでもこの料金では廻れない。価格破壊もここまで来たかと驚くばかりでった。コストパフォーマンスで交通費の高さは帳消しできる。これでは2、3泊して合宿でもいいかも。

スコアは、仲間のゴルフで気が緩んだのか、45,46で90には一打及ばず。
近くの温泉もこれまた激安の7,600円食付。露天風呂にゆっくり浸かってなんともお得な一泊ゴルフであった。秋の再会を約束して翌日朝に三々五々帰路についたので、翌日も午前中からの用事は難なくこなせた。ゴルフは前泊より後泊がいい。この値段なら泊まったほうがすべてでお得。

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誰か影響を受けた人に捧げる演奏は一段と熱が入るもの・・

2013-06-02 | MY FAVORITE ALBUM
Down For The Count / Harry Allen

日本人はサックスはテナー好きかもしれない。純粋ジャズではないが、サムテイラーとかジョージオールドは絶大な人気があった。もちろんコルトレーンやロリンズもファンが多い。ハンクモブレーやジーンアモンズ。ゲッツやシムスも。アルトよりもテナー好きが多いような気がする。モダンスイング系のプレーヤーも好まれるようだ。少し前はスコットハミルトンであったが、今ではハリーアレン。毎年のように来日しているし、CDの数も半端でなく日本で企画された物も多い。

今年も、富士通Concordで来日中だ。前回ライブを聴いたのは、角田健一のビッグバンドへゲスト出演した時。確か3年前の同じ頃だったと記憶している。いつもコンボ主体の演奏ばかりなので、興味半分で出掛けたが、フルバンドをバックにしても期待にたがわず素晴らしい演奏だった。

今回はグラントスチュワートとフロントがテナー2本でバトルの様相だ。バックがジェフハミルトントリオとくれば聴かずにはいられない。前回のツノケンバンドとの共演も同じであったが。大きなホールではなく場所が東京TUCというのも最高だ。

会場に早めに着いたがすでに満員。やはり人気プレーヤーは出足が早い。開演前のBGMに流れていたのはJATPのライブ。日本語のMCも聞こえたので、53年のJATPの日本公演の時のものか?そういえば、今回の、富士通Concordは“Tribute To Noman Granz”と銘打ったJATP仕立てだった。バトルが期待できる。

という訳で、演奏も客席もいつもより熱っぽい。どちらかとポーカーフェースのアレンのプレーも、曲が進むに連れてノリノリに。あっという間の2ステージだった。やはりJATPという看板が演奏を普段よりホットにする効果があるのかもしれない。ジェフハミルトンのドラムも相変わらず切れ味が良いが、思わぬ拾い物(失礼な言い方だが知らなかったので)はピアノのタミールヘンデルマン。初めて聴くイスラエルのピアニストだが、スインギーなプレーはこのようなセッションにはピッタリでなかなかいい。これで来週末のブルーノートも迷っていたが行かねばならない。JATP伝統の大ジャムセッションが期待できそうだ。「ノーマングランツに捧げる」とタイトルされると熱の入れ方も変わるであろう。

アレンのプレーは、モダンスイングに根差した良くうたうテナーだ。父親もドラマーだったそうで、早くからジャズには慣れ親しんでいたようだ。ジャズレコードに囲まれていたスコットハミルトンと同様、子供の頃の育った環境は矢張り大事かも。

ある日、アレンが高校時代というから80年代に入ってすぐの頃、アレンは父親に連れられてカウントベイシーオーケストラを聴きに行ったそうだ。もう車椅子になった頃かもかもしれない、晩年の演奏だ。それは昔のビッグバンドの時代のように踊り子をバックに従えたステージだったそうだが、それをかぶりつきで聴いたアレンはすっかりベイシーの虜になったとか。
ベイシーオーケストラがエリントンをやったが、ベイシーをやる者がいても不思議ではない。最近、日本では高瀬龍一。これはベイシーオーケストラのカバー。多分譜面も新たにおこしたのではなくベイシーと同じだろう。

このハリーアレンもベイシーに捧げたアルバムを作った。アレンは同じカバーでもあえてベイシーの真似をすることなく、素直な気持ちで臨んだとライナーノーツに記されている。

ギターの入ったクインテット編成だが、この編成でのベイシーナンバーも乙なもの。特にカンサスシティー風にしなくても、ハリーアレンのテナーとベイシーの十八番としている曲は相性がいい。
Concord好きの自分の好みの演奏だが、間違いなくアレンも日本人が好むテナー奏者の一人だと思う。

1. Topsy
2. Li’l Darlin
3. Whirly Bird
4. The Secon Time
5. AroundJunpin’ At The Woodside
6. I Wanna Be Around
7. Splanky
8. Cute
9. April In Paris
10. Doggin Around
11. Wives And Lovers

Harry Allen (ts)
Ray Kennedy (p)
Joe Cohn (g)
Joel Forbes (b)
Chuck Riggs (ds)

Produced by Ikuyoshi Hirakawa
Recorded on Sep.5&6, at Skyline Studios,NYC


ダウン・フォー・ザ・カウント
ハリー・アレン・クインテット
スイングブロス
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DNAがきちんと引き継がれると、本物の魅力が一段と・・・

2013-06-01 | CONCORD
Woody Herman presents Vol.2 / “ Four Others”

最近はとかく遺伝子の話題がニュースを賑わす。一昔前は遺伝子組み換えの農作物の是非が話題の中心になった。もちろんメリット・デメリット両方あるが、昔から環境の変化と共に種の存続のために自然に遺伝子の優勝劣敗が決まってきた流れとは間違いなく異なる。人為的に作られた種により長らく生きながらえてきた種が滅んでしまうのは、必ずどこかでしっぺ返しがくるに違いない。どんなに大掛かりな土木工事をやっても自然の驚異には無力なように。きっとその時は「時すでに遅し」、取り返しのつかない不幸な結末が待っているかもしれない。そのような事を聞くにつけ、「何事も自然体がいい」というのが、歳をとって最近自分の思う所である。

もうひとつ最近のニュースとして、アンジェリーナ・ジョリーの乳がん回避の為の手術が話題になっている。これも遺伝子検査の結果といわれている。ある病院でこの遺伝子検査を受けるのは年間で6人程度だったのが、このニュースの後はすでに20名を越える問い合わせがあったという。
しかし、病気の遺伝子を持っていても必ず病気になるという訳ではない。遺伝子が発現しなければ何も変わらない。要は体に良い遺伝子、例えば長寿遺伝子、反対にガンの遺伝子のように体に悪い遺伝子も発現して始めてその遺伝子の影響が体に現れるということだ。

ではこの発現を抑えたり、促進するにはどうすればよいかというと、日頃の体調管理&体質改善が一番らしい。健康的な生活をおくり、食事に気をつければ、良い遺伝子は発現し、悪い遺伝子は発現せずに病気にならずに心身ともに健康な生活をおくれるということだ。これも結局「自然体でいること」に他ならない。悪い遺伝子の発現は不摂生な生活をしていた罰だと考えれば分かりやすい。

このバロメーターとして遺伝子検査が注目されているが、これは遺伝子治療でも、人為的な遺伝子組み換えでなく、誰もが自らの健康状態を知るための道具に過ぎない。
同じ遺伝子の話でも中身は千差万別。本物を見抜く眼力を持たねばこの世は生きていけない時代になった。世論のマインドコントロールに惑わされないように日々の勉強が大事ということになる。

ビッグバンドの世界でも、そのバンドの起源からのDNAが脈々と引き継がれていると思う。エリントンでもベイシーでも、グレンミラーであってもサドメルであっても・・・・・。
リーダーの個性もあるが、そのサウンドの特徴はリーダーが替わり、アレンジャーが代わってもどこかに必ず見出すことができる。

スイングバンド全盛時代、白人中心でありながらブルースをレパートリーに数多く加えたのがハーマンバンド。バップ時代に入った時、そのバップサウンドをビッグバンドでチャレンジしたのはディジーガレスピーとこのウディーハーマンであった。
それが、ハーマンバンドのDNAとなり、ハーマンのビッグバンドは白人中心のバンドでありながら、バップの泥臭いサウンドにチャレンジし続けた。そして、突然アーリーオータムのようなクールな清涼剤を交えながら。さらにハーマンのビッグバンドを特徴付けるのは、セカンドハードの時の”Four Brothers”に代表されるテナーを全面に出したサックスセクション。他のバンドがアルトリードなのと較べて、いつの時代もこのテナーリードのサックスセクションが注目される。
これらが、ハーマンオーケストラのDNAだろう。実はハーマンのアルトはあまり関係が無い。

ハーマンがこのコンコルドに登場したのは、エリントントリビュートのアルバムへのゲスト参加を除けば、‘79年のモンタレージャズフェスティバルのライブが最初。これは自己のオーケストラなので、いわゆる、「コンコルド組」に加わったのは、ハーマンプレゼンツVol.1と称した、ハーマンが率いるジャムセッション。これは'80年のコンコルドジャズフェスティバルのライブであった。

その続編ともいえるのがこのアルバム。ハーマンPresentsのVol.2となっている。前作と異なり、これは翌年7月のニューヨークでのスタジオ録音。そしてハーマンのDNAを色濃く出したアルバムだ。
4人のテナー奏者が集められた。これは完全にFour brothersの再現だ。それも初代のフリップフィリップスから、セカンドハードのアルコーン、そしてビルパーキンス、そして60年代に活躍したニスティコまで3世代が勢揃い。それだけで嬉しくなる。
アレンジはアルコーン(一曲はニスティコ)が務めているので、必然的にFour brothersのDNAは引き継がれている。ドラムもドンラモンド。唯一デュビビエだけがハーマン門下生ではないようだが。

この面子が揃うと当然“Four brothers"の再演という企画になりがちだが、ここではもう一捻り。タイトルも”Four Others”となっているように、フォーブラザースの再演はない。
その代わりに、トロンボーンサンサンブル用に書かれたこの”Four Others”をテナー用にアレンジし直している。他の曲はやはりブルースが多い。
アルコーンのアレンジはサックスアンサンブルといっても、スーパーサックスのような超絶技巧を求めるようなアレンジではなく、ハーマンのDNAの引き継いだ物。突然変異を狙った新種というのではなく、ハーマン門下生がハーマンのDNAの良さを色々持ち寄って生まれた、「1981年の新種」になっている。やはり、食べ慣れた味は美味しい。

ハーマンほどの活躍をすれば、老後は悠々自適だったかといえば、税金絡みの借財の返済のため晩年まで働き続けねばなかったと聞く。歳をとっても衰えなかったエネルギッシュな活躍の源泉がどこにあるのかも人様々。理由はともあれ、人生歳をとっても元気にしていると仲間や弟子に囲まれて良いことはあるものだ。

1. Not Really the Blues         Johnny Mandel 3:32
2. Woody's Lament              Al Cohn 4:27
3. Tiny's Blues            Tiny Kohn-Al Cohn 5:20
4. I Wanna Go Home              Al Cohn 6:46
5. Loose Aberrations             Sal Nistico 6:03
6. Four Others              James Giuflie 4:52
7. Tenderly         Walter Grass-Jack Lawrence 3:51
8. The Goof and I               Al Cohn 7:38

Woody Herman (as)
Al Cohn (ts)
Sal Nistico (ts)
Bill Perkins (ts)
Flip Philips (ts)
John Bunch (p)
George Duvivier (b)
Don Lamond (ds)

Arranged by Al Cohn(Except for #5 by Sal Nistico)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded At Soundmixers, New York ,N.Y. on July 1981

Originally released on Concord CJ-180

Presents Vol 2
Woody Herman
Concord
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