A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ジャズの世界のベンチャーズは・・・・・・

2007-09-30 | CONCORD
BLUES GOING UP / GEORGE BARNES QUARTET

中学生の頃ベンチャーズなるグループが流行った。ある世代以上の方であれば知らない人はいないだろう。エレキブームを作った張本人であり、ビートルズに対抗してヒットチャートでトップを争っていたグループだ。
これまで売れたれレコードはミリオンどころではない。9000万枚を超えたとのこと。まだまだ現役なので一億枚も夢ではないかもしれない。
特徴は3本のギターにドラム。ピアノ(キーボード)レスでボーカルも無い。
ギターの技がすべてであり、あの「テケテケ」サウンドを作り出して一世を風靡した。
特にリードギターのノーキーエドワーズのギタースタイルはひとつの時代を作ったともいえる。

ジャズの世界ではギターだけのグループはあまり見かけない。
しかしConcordはアルバムづくりでギタープレーヤーを良く取り上げたので、ギターのDUOやトリオのアルバムも多い。
GEORGE BARNESのアルバムにこのカルテット編成がある。
ギターが2本にベースとドラムを加えたカルテットが、丁度ベンチャーズのジャズ版ともいえる編成である。

バーンズは、ジャズギターの世界でアンプ付きのギターでシングルトーンの演奏をした草分けの一人。あのチャーリークリスチャンが話題になるのに対してあまり評価されないのはスタジオ中心の仕事をしていたからであろう。

このアルバムは、このバーンズのカルテットが、サンフランシスコのクラブのサンデーマチネーに出演したものだ。
ライナーノーツに目を通すと、この演奏はジャズの歴史をさかのぼって1900年以前のジャズ発祥の地ニューオリンズの昼の街角を思い浮かべるようだと書かれている。
はたしてそれがどのようなものなのかは分からないが、アフリカンドラムのリズムに合わせたブルースギターの音色を想像すればよいのだろうか。その頃は洗濯板でさえ楽器の時代であった。

それに較べると非常に洗練されたサウンドだ。バーンズはひたすらシングルトーン中心。Ducan Jamesのリズムギターとのコンビネーションワークがすべてだ。
これは、「Jamセッションではなく、Jazzセッション」だとも書かれている。
ジャズの楽しみのひとつはジャムセッションだが、ある種MJQと同じような計算され尽くされたアンサンブルワークとその中の即興演奏もまた新鮮さを覚える。
最後のBLUES GOING UPは、アップテンポで普段あまり見せないコードワークを交えながらの彼のテクニックのすべてを見せるショーケース。アンコールに応えて、再度演奏を始めるあたりはライブならではの演奏だ。
ちょうど休日の昼下がり、この演奏が実際に行われたのと同じような時間にアルバムを聴けたのも「このライブの雰囲気」をいつもより実感できたのかもしれない。
この年、Barnesは9月に心臓発作で、地元Concordで他界している。この演奏で聴けるようにまだまだ50代のバリバリの現役であったのだが。
バーンズによるジャズの世界の「ベンチャーズ」は、ほとんど世に知られること無くこのアルバムが最後になった。

1. FASCINATING RHYTHM
2. WHY WAS I BORN
3. WHEN SUNNY GETS BLUES
4. SWEET GEORGEA BROWN
5. CHEERFUL LITTLE EARFUL
6. THE FLINSTONS THEME
7. PICK YOURSELF UP
8. ON GREEN DOLPHIN STREET
9. THREE LITTLE WORDS
10. I MAY BE WRONG BUT I THINK YOU’RE WONDERFUL
11. SWEET AND LOVELY
12. BLUES GOING UP

<Personnel>
 George Barnes (g)
 Duncan James (g)
 Dean Reilly (b)
 Benny Barth (ds)

Originally released on Concord CJ-43
Recorded live at Bimbo’s , San Francisco ,April 17 , 1977

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アレンジャーの腕の見せ所は歌手に合わせた歌伴・・・それも自分のオーケストラで

2007-09-29 | MY FAVORITE ALBUM
Billy Eckstine &Quincy Jones at Basin Street East

マイルスが世に出るきっかけとなったのが、1944年地元に訪れたビリーエクスタインのオーケストラにエキストラで出演したのがきっかけだとか。
このオーケストラにはビッグネームが多数在籍していたのが有名だが、皮肉にもビリーが歌手として名声を確立したのはバンドを解散した後。
ガレスピー、パーカー、ゴードンなどのバンドのメンバーは、ジャズの巨人として育っていった。彼のオーケストラはバップムーブメントを生んだオーケストラとして有名だ。
ウディーハーマンにしても、ガレスピーのオーケストラにしても、この頃生まれたバップバンドは後のジャズシーンの主役たちが巣立つための孵化場だったのだろう。

QUINCY JONESも、育った場所はライオネルハンプトンのオーケストラ。この時代は誰もが青春時代をすごしたオーケストラがあったのだ。
クインシーが自らバンドを率いてからは、サラヴォーンやダイナワシントンなど歌手のバックや編曲も多数手がけている。編曲家がレコーディングのために率いるオーケストラが歌手のバックを努めることはよくあるが、レギュラーオーケストラのリーダーが自らアレンジをして歌手のバックを努めることはあまり多くはない。サドジョーンズも、サド・メルで何枚か歌手のバックを自らのアレンジで残しているが。

1961年、自ら率いていたレギュラーオーケストラの活動が最後を迎えようとした頃、このエクスタインのバックを努めた。このコンビでツアーも行ったようだがNew YorkのクラブBASIN STREET EASTに出演したのがこのライブのアルバムである。
この頃、“BASIN STREET EAST”でのライブ物は結構多い。
一ヶ月前には、ブルーベックとカーメンマクレーが。翌年には、L・H・Bが。
当時の有名クラブであったのだろう。

洗練された歌手の白人の横綱がシナトラとすると、一方の黒人の方はといえばエクスタインかキングコールか?いわゆるクルーナーといわれる歌手が得意とするバラードはもちろん、アップテンポもこなす正統派の代表格だろう。
このスマートな歌声にクインシーのオーケストラはピッタリ。
いきなり、シャッフルの快適なテンポにのってライブならではのノリで始まる。
そもそもクインシーのオーケストラはあまり大上段に構えた演奏というより、小洒落たツボを得たアレンジと演奏が得意だ。ここでも控えめのバックに徹している。
もちろんジョーニューマンのトランペットソロなどは部分的にあるが、基本はエクスタインの得意なバラードプレーに絡みつくようなアンサンブルが聴き所。
エリントンメドレーが圧巻だが、当時ヒットしたばかりのナットアダレイ名曲「ワークソング」などもレパートリーに。ライブならではの選曲だ。
彼が以前率いたバップオーケストラの再現というより、クインシーの洗練されたモダンビッグバンドをバックに、より洗練されたエクスタインが聴ける一枚だ。

ALL RIGHT OKAY YOU WIN
MEDLEY
I’M FALLING FOR YOU
FOOL THAT I AM
EVERYTHING I HAVE IS YOURS
IN THE STILL OF THE NIGHT
ELLINGTON MEDLEY
DON’T GET AROUND MUCH ANYMORE
I’M JUST A LUCKY SO AND SO
CARAVAN
SPPHSTCATED LADY
WORK SONG
MA(She’s Making Eyes At Me)

Billy Eckstine(vol)
Quincy Jones & his Orchestra

Recorded Live at Basin Street East,October , 1961

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閑話休題

2007-09-27 | GOLF LIFE
しばらく更新を休んでいましたが、遅めの夏休みをとっていました。
最近はこのブログももっぱらJAZZばかり。最初はゴルフとJAZZの2本立てだったのですが。今年になってゴルフに少し意欲を無くし、ゴルフの記事は暫くご無沙汰でした。
追いまくられていた仕事も一段落したので連休を絡めて北海道で久々にゴルフ三昧。
やはり、北海道のコースはどこも自然に囲まれた雄大な景色の中でのラウンド。久々に、命の洗濯ができました。



東京はまだまだ夏の暑さの名残が続いていますが、北海道は今頃気候も一番。爽快なゴルフを満喫。丁度寒気が訪れて山には初冠雪があった月曜日、朝からの雷には驚きましたが。関東の山沿いでは、夏の間は年中行事ですが北海道では雷は珍しいとのこと。避難のガイドがないのも驚きましたがこれも場所柄でしょう。
スコアの方は、良いのと悪いのが両極端。辛抱強さが相変わらずの課題。
今日から仕事に復帰、またまた仕事に追われる日々が続きそうです。こちらも辛抱強さが問われそうですが、その合間の「一枚のJAZZ」を気休めにする毎日になりそうです。
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ジャズコンサートといえばJATP・・・・・・これもヨーロッパでやると

2007-09-23 | MY FAVORITE ALBUM
Norman Granz Presents "Jazz At The Philharmonic" In Europe, Vol. 1

第2次世界大戦中の軍はコンサートの録音をそのままレコードにした。JATPはご存じのようにからこれからヒントを得て、ライブ演奏をそのままレコードにすることを思いつたノーマングランツが始めた興行。
オールスターセッションでのブローとバラードメドレーを旨く組み合わせた演奏は、大きなホールで大聴衆を集めて行わることが多かった。暗い地下室のクラブがジャズのライブ演奏の一方の雄とすると、片方は、このような大ホールや屋外の会場に多くの聴衆を集めたフェスティバルの場もライブジャズの楽しみの頂点だ。
JATPの基本は後者であるが、これをアメリカ国内だけでなくヨーロッパに、そして日本にも遠征してそのエネルギッシュな公演を繰り広げた。

1960年の11月ヨーロッパではすでに寒くなり始めた頃、JATP一行はスウェーデンにいた。ヨーロッパでのライブアルバムが続く。
一ヶ月後の12月には、グランツは所有していたVERVEレーベルをMGMに売却してしまった。この頃すでに話は決まっていたのだろうか。最後のツアーを率いるグランツはどんな気持ちでこのツアーを聴いていたのだろう。長年住みなれた家を手放す前夜のような気分だったかもしれない。

したがって、このヨーロッパツアーのアルバムは4枚あるが、グランツがまだオーナーだった時に録音された最後のアルバムかも。
グランツは売却後しばらく引退生活に入る。JATPとしても、その後10年以上後サンタモニカでの復活までしばらく休止になる。

アルバムのライナーノーツの冒頭、「メンバーは世代を超えて、そしてグループや系譜を超えてメンバーが集められている」と始まる。そして、打ち合わせもそこそこでジャムセッションが始まる。これがJATPの特徴だ。
今回もBENNY CARTERのような50歳を超えた長老格から、アルゼンチン出身の20代のLALO SHIFRINのまで異色の組み合わせだ。ALL THE THINGS YOU AREのゲッツとホーキンズのテナーが妙に印象に残る。スタンゲッツは、58年~この年までヨーロッパに住んでいた。地元からのセッションへの参加である。この後、ゲッツはアメリカに戻り、新生VERVEレコードに参加する。
スウェーデンの冬も間近の寒さの中ホットな演奏が繰り広げられるが、なぜか雰囲気はヨーロッパを意識してしまう。季節なのか、場所なのか、雰囲気なのか。
そしてゲッツのプレーなのか。

Bernie's Tune
Swedish Jam

 Dizzy Gillespie (tp)
 J.J. Johnson (tb)
 Cannonball Adderley, Benny Carter (as)
 Lalo Schifrin (p)
 Art Davis (b)
 Chuck Lampkin (d)

All The Things You Are

 Roy Eldridge (tp)
 Don Byas, Stan Getz, Coleman Hawkins (ts)
 Lalo Schifrin (p)
 Art Davis (b) Jo Jones (d)

"Konserthuset", Stockholm, Sweden, November 21, 1960

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有名バンドになると必ずヨーロッパツアーがお決まりだが・・・・・・

2007-09-22 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones & Mel Lewis Live at MUNICH

ヨーロッパというのはストレートなジャズを受け入れる土壌がある。フランス、ドイツ、そしてスウェーデンそれぞれ国によってお国柄があるようにも思う。昨今もヨーロッパ勢が活躍しているようだが、自分は最近の事情には疎い・・・。
ドイツは一時期地元のMPSレーベルが活躍した時期もあるが、実直なお国柄がアルバムづくりにも反映されていた。先日紹介したJon Hendeicksもドイツでの録音。ライブの演奏では、実直な中にも和やかさを感じさせる。プレーヤーもやりやすいのだろう。

Thad Jones & Mel Lewisのオーケストラも、1971年以来毎年ヨーロッパツアーがレギュラー化していた。そして、ドイツではMunichのDomicileにも74年以来毎回立ち寄っていた。このアルバムは76年のツアー。16週間にも及ぶツアーの途中このDomicileでの録音になる。

サド&メルの双頭バンドとしては後期のアルバム。メンバーをみても、リーダーのサド・メル以外はジェリーダジオンとペッパーアダムス以外創設期のメンバーは残っていない。そして久々のライブだ。
したがって、曲も、新作はなく、ここでは昔のレパートリーや、オルガンのローダスコットと共演した時の彼女のオリジナルなどが含まれる。

サド・メルの良さの半分はライブの良さ。新しいメンバーのテナーのグレゴリーハーバートやピアノのハロルドダンコも頑張っているが、初期のライブの感動は今ひとつ・・・?。
聴き慣れてしまったのか、あるいはメンバーのせいなのか、あるいは同じライブといっても地元のVillage Vanguardと旅先では何か違うのか。
何事も最初に受けた感動を上回るというのとはよほどのことがないと難しいのかもしれない。中身的にはけっして悪くはないのだが。

1. MACH Ⅱ
2. A’ THAT’S FEEDOM
3. MORNIN’ REVEREND
4. COME SUNDAY
5. CENTRAL PARK NORTH

Thad Jones (cor)
Jerry Dodgion,Eddie Xiques (as,fl,ss)
Gregory Herbert,Larry Schneider (ts,fl,cl)
Pepper Adams (bs)
John Mosca ,Billy Cambell,Clifford Adams,Earl McIntire (tb)
Al Porcino,Lyne Nicholson,Earl Gardner,Frank Gordon(tp)
Harold Danko (p)
Bob Bowman (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by John Snyder

Recorded September 9 ,1976,at the Domicile Club , Munich , Germany

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ジャズの世界の桂冠詩人は・・・・

2007-09-21 | MY FAVORITE ALBUM
CLOUDBURST / JON HENDRICKS

もともと桂冠詩人とは、「政府等によって公式に任命された詩人またはその称号。古代ギリシャ・ローマ時代に、詩人たちが詩作の競技を行い、勝者が月桂樹の冠を頭に乗せたという故事に基づく。」ものだそうだ。
評論家のレナードフェザーはL・H&Rで有名なJon Hendricksのことを“a poet laureate of jazz”(ジャズの桂冠詩人)と呼んだ。
多彩な才能を持つHendricksであるが、その作詞能力は群を抜いているのだろう。それも、ジャズの名演をボーカリーズするに際しての作詞はL・H&Rのコーラスには不可欠だった。解散した後も、自分(達)のためだけでなく他の歌手に対しても多くの「詩」を提供している
もちろん作詞家としてだけでなく、独特の声と節回し、それにどのようなテンポの曲でもスイングさせてしまう歌唱力はOne&Onlyの素晴らしさだ。
ベイシーの名演をボーカライズさせることから始まったせいなのだろうか。ブルースのフィーリングも申し分ない。

L・H&Rからアーニーロスが抜け、ベバンが後を継いだがグループとしてはすぐに解散してしまった。ロスは母国イギリスに戻ったが、このヘンドリックスも1968年に一時イギリスに渡った。ヨーロッパで活動をしていたようだが、アルバムとしてはほとんど残されていない。
その中にドイツのMunichで吹き込まれたアルバムがある。

ピアノトリオをバックにしたライブの演奏だが歌は彼一人。
いつもコーラスで聴きなれていると、ソロだとどうなるのか興味津々だ。
特徴あるHendoricksの歌声は、当たり前だがソロでも変わることはない。
.そして、その特徴あるリズム感も。聴衆に囲まれたライブの演奏というのも幸いしているのだろう。
L・H&Rで有名なShinny Stockingsも一人で無難にこなしている。ブルースのIt was a drem、Jon's Mumblesではクラークテリー紛いのスキャットを、そして聴かせてくれる。Here's That Rainy Dayではバラードプレー。
B面に移るといきなりハンコックのWatermolon Manだ。そして自分の作詞したGimme That Winで真骨頂。さらにボサノバのリズムも。
まさに飽きさせることなくオールマイティー振りを見せてくれる。
アメリカに戻ってからは評論家や大学で教鞭をとったり、時には自分の子供たちを加えた演奏活動を繰り広げる八面六臂の活躍をする。
彼の頭の中はジャズのすべての要素が詰め込まれているのかもしれない。それを自分の言葉で、そしてあらゆるパフォーマンスで表現するのがHendricksだ。
桂冠詩人といわれるのももっともだ。

1. No More                  Hendricks,Laws 3:28
2. It Was a Dream                  Broonzy 4:25
3. Shiny Stockings             Hendricks,Foster 5:02
4. Jon's Mumbles                 Hendricks 2:24
5. Here's That Rainy Day         Van Heusen, Burke 6:43
6. Watermelon Man            Hendricks, Hancock 3:47
7. Every Day I Have the Blues         Memphis Slim 3:16
8. Gimme That Win                Hendricks 3:01
9. Cloudburst      Harris,Kirkland, Hendricks, Harris 2:08
10. Arastao                  DeMoraes,Lobo 8:34
 
Jon Hendricks (vol)
Larry Vuckovich (p)
Isla Eckinger (b)
Kurt Bong (ds)

Recorded live at the Domicile, Munich , 1972
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主役がいないバックオーケストラ、主役になるには一体どうすれば・・・?

2007-09-20 | MY FAVORITE ALBUM
Don Sebesky / I remenber Bill a tribute to Bill Evans



DON SEBESKYというアレンジャーは何故か気になるアレンジャーだ。
CTIで、クリードテイラーとコンビを組んで様々なアルバムを残したが、ストリングスを生かしたアレンジはジャズとかクラシックとかいうジャンルを越えたひとつのジャンルのような気がする。
しかし、そのアレンジを前面に打ち出した、自己のアルバムというとそれほど数が多くあるわけではない。やはり主役が一人いて、曲に合わせてその「主役」を浮か上がらせるようなアレンジが得意技なのだろう。ソリストの個性と曲の持つ特徴の掛け算の無限の可能性を引き出すマジシャンなのだ。

新しいアルバムをあまり買うことも無かった時期、一枚のCDが目に留まった。10年近く前のことだ。
ドンセベスキーのリーダーアルバム。ビルエバンスの思い出をアレンジで綴った一枚だ。
エバンスが亡くなったのは1980年9月。主役はビルエバンスだがもちろんこの世にはいない。すでに世に居ない人間を主役に据えて、果たしでどのようなアレンジをするのだろうか?
ビルエバンスの曲だけを取り上げたSONG BOOKかと思ったらそうでもない。有名な枯葉が入っている。他にもエバンスが好んで演奏した曲が入っている。そして、SEBESKYが自ら書き下ろしたエバンスに捧げる曲も。さらには、マイルスとの共演、あの”KIND OF BLUE “からも。
選ばれた素材の曲は、確かにエバンスに因んだ曲ばかりだ。曲名を見るとエバンスの演奏が思い浮かぶから不思議だ。それほど、エバンスのピアノはユニークでありひとつのスタイルと時代を作っていたのだ。
それでは、このアルバムに誰かエバンスの代役がいるかと思ったらピアノがいない。エバンスを偲ぶのにピアノ無しでいいのか・・・?
とは言っても代役を務める度胸がある人間はそうはいるまい。ベースとドラムを見るとエバンスと演奏を共にしたメンバーがちゃんといる。
これで何となく想像がついた。エバンスのユニークなピアノをオーケストレーションで再現しようという試みなのかと。

オーケストラのメンバーを見ると、エバンスワールドに似合うプレーヤーが集まっている。リーコニッツ、ボブブルックマイヤー、そしてラリーコリエル。エディーダニエルス、ヒューバートロウズ・・・・・・と。
誰をとってみてもエバンスのサウンドと共通点が思い浮かぶ。
勢いでパーソネルを書き出してみた。この音作りに、いやはやたくさんの人間を集めたものだ。
メンバーを見ると、自分が持っている楽器をすべて持って集合という感じだ。
さらには、”NEW YORK VOICES”のコーラスも加えて。
これは、SEBESKYが全知全霊を傾けて、とにかく出せるだけの音を出し切ってみようという試みなのだろうか。
一体誰がエバンス役を演じることができるのか?
一曲目は御馴染みのワルツフォーデビーで始まるが、無数の音が絡みつく様と、軽快な心地よい響きはエバンスの世界を見事にオーケストレーションして始まる。ギルエバンスやこのセッションに参加しているブルックマイヤーのテクスチャーとも似ている所がある。
やはりセベスキーは、とんでもないことをやったのだ。
あのエバンスのピアノをオーケストラで再現しようと。エバンスの聴きなれたソロやインプロビゼーションまでをも。
L・H&Rはベイシーの名演に歌詞をつけてコーラスに仕立て上げた。SUPER SAXはパーカーのアドリブをサックスのアンサンブルに。そしてセベスキーはエバンスをカラフルなオーケストラに。
久々に聴いたセベスキーであったが、オーケストラが主役になる、また新しいセベスキーを発見したのだった。

この録音からすでに10年が経っている。
今は一体何をしているだろう。またまた興味が湧いてきた。

1. Waltz for Debby (4:43)
2. I Remember Bill (5:26)
3. So What (8:21)
4. Quiet Now (4:03)
5. All the Things You Are (6:13)
6. Peace Piece (6:44)
7. Bill, Not Gil (5:55)
8. Very Early (7:18)
9. T.T.T.T. (Twelve Tone Tune Two) (4:18)
10. Autumn Leaves (4:49)
11. Blue in Green (5:03)
12. I'm Getting Sentimental over You (7:48)
13. Epilogue (1:06)
14. Bill Evans Interview (5:53)

<Personnel>
Brian O'Flaherty Trumpet, Flugelhorn
Joe Mosello Trumpet, Flugelhorn
Barry Ries Trumpet, Flugelhorn
Tom Harrell Trumpet, Flugelhorn
John Mosca Trombone, Horn (Baritone), Contractor
Jim Pugh Trombone, Horn (Baritone)
Alan Raph Horn (Baritone), Trombone (Bass)
Bob Brookmeyer Trombone, Trombone (Valve)
Randy Andos Tuba, Horn (Baritone)
Peter Gordon French Horn
Lee Konitz Sax (Alto)
Hubert Laws Flute
Joe Lovano Sax (Tenor)
Eddie Daniels Clarinet, Strings, Woodwind, French Horn
Chuck Wilson Clarinet, Sax (Soprano), Piccolo, Flute
Kenny Berger Clarinet, Woodwind, Brass, Sax (Tenor), Clarinet (Bass), Bassoon, Flute
Tom Christensen Flute, Violin, Horn, Sax (Tenor), Sax (Soprano), Oboe
David Tofani Flute, Sax (Tenor), Sax (Soprano), Violin
Lawrence Feldman Flute, Violin, Sax (Soprano), Sax (Alto)
Sue Evans Percussion
Dennis Mackrel Cymbals, Drums
Jeanie Bryson Percussion, Strings, Vocals
Joe Passaro Percussion, Cortale, Woodwind, Tympani (Timpani), Maracas, French Horn, Gong, Glockenspiel, Cymbals, Violin, Strings
Larry Coryell Guitar
John Pizzarelli Guitar, Vocals
Toots Thielemans Harmonica, Strings, Woodwind
Eddie Gómez Bass
Marc Johnson Bass
Johnny Miller Bass, Strings Contractor
Marty Morell Drums
Joe La Barbera Drums, Brass, Woodwind
New York Voices Vocals
Kim Nazarian Woodwind
Peter Eldridge Woodwind
Lauren Kinhan Woodwind
Darmon Meader Woodwind
Dave Samuels Strings, Woodwind, Vibraphone, Brass
Laura Seaton Violin
Shinwon Kim Violin
Evan Johnson Violin
Cenovia Cummins Violin
Dale Stuckenbruck Violin
Martin Agee Violin
Max Ellen Violin
Jesse Levine Viola
Roy Lewis Violin
Kenneth Burward-Hoy Viola
Mitsue Takayama Viola
Sarah Carter Cello
Caryl Paisner Cello

Don Sebesky Arranger, Engineer, Main Performer, Producer, Conductor

Recorded June 4 & 9,1997 , at Sound on Sound Recording , New York City

そして
Stringsは、June 21 , 1997
Brass は、June 11, August 12
New York Voices は、July 15 ,1997
Mixedされたのが、August 27-29,September 2,24,30 ,1997
 めでたくマスターが完成したのが、October 2,3 ,1997

今風の音作りのプロセスだ。それにしても、頭の中でこの完成形をイメージできるアレンジャーとはたいしたものだ。
Concordのような一発勝負のアルバム作りとは対極にあるアルバムである。

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「世代交代」には良き後継者が不可欠だが・・・・・

2007-09-19 | CONCORD
SCOTT HAMILTON / “Scott Hamilton is a good wind who is blowing us no ill”

新しい時代を築くには何も新しいことをやる人材だけが必要なわけではない、古き良き伝統を引き継ぐ人材がいてこそ新しい時代が築けるのだと思う。

Concordレーベルというと、「ベテランの第一線への復帰」というイメージが強い。
確かにオーナーのカールジェファーソンの想いは、スタジオ入りしたジャズプレーヤーを第一線に引き戻すこと。コマーシャリズムや時の流行を排除し、彼らが昔慣れ親しんだストレートなジャズを「今に」蘇らせることにあった。
ホスト役ともいえるレイブラウンやジェイクハナを筆頭に、彼らの元に集まるベテラン勢はその招きを自ら楽しむかの如く次から次へと好演をConcord Jazz FestivalにそしてConcordレーベルに残していった。

そんな中に、突如「超大型の新人」が現れる。
いよいよConcordレーベルが生んだ、最初のスターの登場だ。
テナーのScott Hamilton。
今ではデビューから30年。彼もいつのまにか大ベテランの一人になってしまっているが。その登場はセンセーショナルであり意外性に富んだデビューであった。

コルトレーンを聴いて育ったテナー奏者は大なり小なりその影響を受けることになる。さらに、新たにFusionが一世を風靡すると若者の多くは演奏する側も聴き手も皆その世界に引き込まれていった。若者だけではなく中堅やベテランのプレーヤーの多くも。
そして、古き30年代、40年代のジャズはその当時活躍したプレーヤーの思い出と共に奏でられる「懐メロ」の世界でしか聴くことのできないものとなっていった。
時代の流れといえばそれまでであるが。

ところが、そこに弱冠22歳の若者がいきなりタイムスリップしたかのように古き良き時代のジャズを引下げて登場した。
彼の経歴を見ると、その原点は彼の父にあったようだ。
画家であり教師であった父が集めた30年代や40年代のレコードが家の中に数多くあった。78回転のベンウェブスターやコールマンホキンス。それらに囲まれて彼は育ったのだった。
クラリネットやピアノで音楽に親しんだ後、17歳でサックスを手にした彼はこのレコードのような演奏を繰り広げるに至ったそうだ。もちろんコルトレーンを聴くこともあったがその影響を受けることも無く。

このアルバムのライナーノーツに、デビューに至った経緯がレナードフェザーによって書かれている。
多くのレコードを通じで巨人たちのプレーの影響を受けたのに加え、もう一人直接影響を受けたのがエリントニアンのポールゴンザルベス。
彼の出身地と同郷であったそうだ。きっとそのプレーぶりを目の辺りにしたこともあるのであろう。風貌に似合わず時に見せる豪快さにはそのようなことも影響しているのかもしれない。

1976年New Yorkに出てきたハミルトンは一時ベニーグッドマンのバンドにも入る。相性が良さそうな感じはするが、セッションプレーが必ずしも得意ではなく、テナーのソロパートの出番が無いこの仕事は彼には合わなかった。
New Yorkのスイング&中間派の溜まり場でもあったエディーコンドンの店 "Condon's”に出演したHamiltonの演奏をたまたま耳にしたのがNew Yorkに仕事で来ていたJake Hanna。
「自分が推薦すれば必ずレコーディングできるところがあるよ」と言って、Concordへの録音を薦めたそうだ。この当時、Hannaが実質的なConcordのA&Rマンをやっていたということの証でもある。
そして、送られてきた航空券で西海岸に渡ったハミルトンが、Concordに吹き込んだリーダーアルバムの第一作がこのアルバムということだ。

一緒にプレーするメンバーはHannaがアレンジしたのだろう。
トランペットのビルベリーもエリントニアン。ポールゴンザルベスとも一緒にプレーした仲というのも何かの因縁。ピアノのナットピアースはこの手のセッションにはうってつけ。
そして、モンティーバドウィッグとハナとのコンビは当時のConcordのハウスリズムセクションのようなもの。
ハミルトンを最高なお膳立てをして迎えた。

演奏された曲は20年代、30年代のスタンダード。彼がレコードで聴いていた先輩たちの名演が残る曲ばかり。
簡単なヘッドアレンジ、なかにはそれすらも無く自然な形でプレーに入る。いつも一緒にプレーしている仲間のような一体感だ。
ハミルトンのテナーも先輩達に囲まれながらも物怖じもせず堂々としたプレーぶりだ。
Concordからは、その後も多くのアルバムが出ることになる。
そして、現在に至る活躍の第一歩となる記念すべき一枚である。

ライナーノーツの最後にフェザーが締めくくる。
「西暦2000年、ちょうどハミルトンが46歳になった時。この仲間たちに囲まれて見出した「自分自身」を生かしながら、まだ何人かとこのようなプレーを続けているだろう」と。
栄枯盛衰の激しい音楽の世界で、このフェザーの予見は見事に的中している。
そのくらいハミルトンのプレーは、デビュー同時から確固たる自己のスタイルを確立していたということだろう。

That’s All
Indiana
Stuffy
Exactly Like You
Ill Wind
Broadway
Blue Room
Sometime I’m Happy

 Scott Hamilton (ts)
 Bill Berry (tp)
 Nat Pierce (p)
 Monty Budwig (b)
 Jake Hanna (ds)

 Recorded 1977
 Concord CJ-42

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ひとつの時代の節目、終わるものもあれは始まるものもある・・・・

2007-09-18 | MY FAVORITE ALBUM
I DIG DANCERS / QUINCY JONES & BAND

昨今の日本の政治のニュースを見聞きすると、今まさに大きな変化の中で与党であろうと野党であろうと生みの苦しみの試行錯誤が続いているように思える。
連続して流れているように見える歴史も、良く見ると「ひとつの時代の終わりとなること」と「次なる変化に向けての兆し」が複雑に入り混じりながら進んでいる。
中には一見これからが完成の域に達するかと思われることも、大きな流れの中では過去の時代の遺物になってしまうものかもしれない。

Mercuryというメジャーレーベルが、混沌とした中でLimelightレーベルを立ち上げたのもひとつの新しい施策。しかし、単なる豪華主義は結果的に新しい流れの一歩にはなることはなかった。
Mercuryレーベルの中でのQuincy Jonesも同じような状況だったのかも知れない。
目先のBigbandはひとつの彼の目指すゴールではあったのだが。Quicy Jonesのビッグバンドは、ヨーロッパから1960年に帰国すると、モダンビッグバンドとしては完成の域に達していた。アメリカ国内でも演奏を続け、61年のNewportへの出演を最後にひとつの時代の役割を終えてしまった。
Quincy Jonesの頭の中はすでに次の時代の音楽が頭の中を占めていたのだろう。
Quincyの名を冠したアルバムは、その後もMercuryからも出るが、それはモダンビッグバンドの進化というよりは、次の時代のFusionの前触れと位置づけたほうがよい。
アレンジャーからバンドリーダーへ。そしてバンドリーダーからプロデューサーへ。
さらに、Mercuryの副社長への道をすでに歩み始めていた。

このひとつの時代の最後の演奏は、60年のヨーロッパでの巡業の途中での録音、そしてアメリカに帰国後の録音に残されている。
そして、何故か、集大成とも言える節目となるアルバムは、ライバルレーベルのImpulse(ABC)から出た”QUINTESSENCE“なのだが。

最近になって、ヨーロッパでの録音が映像を含めて新たに世に出てきて喜ばしい限りであるが、このアルバムがMercuryに残されているこの時期の録音だ。
ヨーロッパの中を巡業しながらその途中パリで録音されたもの。そして、帰国後にニューヨークで録音されたものがこのアルバムには収められている。
メンバーは大分入れ替わっているが、ヨーロッパで苦楽を共にしたWoodsやRichardson、そして女性陣のMelba ListonやPatti Bownなど、核となるメンバーは不動だ。
その演奏は、エリントンでもベイシーでもない。そしてハーマンでもない独自の世界がある。短期間であったが、モダンビッグバンドの歴史に輝かしい1ページを刻んだQuincyの世界が。

<Session1>

Love Is Here To Stay
Moonglow
Trouble On My Mind
Chinese Checkers
A Sunday Kind Of Love
The Midnight Sun Will Never Get

 Benny Bailey, Lonnie Johnson, Floyd Stadifer, Clark Terry (tp)
 Jimmy Cleveland, Quentin Jackson, Melba Liston, Ake Persson (tb)
 Julius Watkins (frh)
 Porter Kilbert, Phil Woods (as)
 Budd Johnson, Jerome Richardson (ts)
 Sahib Shihab (bars)
 Patti Bown (p)
 Les Spann (g, fl)
 Buddy Catlett (b)
 Joe Harris (d)
 Quincy Jones (arr, cond)

  Barclay Studios, Paris, France, February 27,29 1960

<Session2>
Pleasingly Plump
G'wan Train
You Turned The Tables On Me
Tone Poem

 Benny Bailey, Freddie Hubbard, Jerry Kail, Clyde Raesinger (tp)
 Wayne Andre, Curtis Fuller, Quentin Jackson, Melba Liston (tb)
 Joe Lopez, Phil Woods (as)
 Oliver Nelson, Jerome Richardson (ts)
 Sahib Shihab (bars)
 Patti Bown (p)
 Les Spann (g, fl)
 Buddy Catlett (b)
 Stu Martin (d)
 Quincy Jones (arr, cond)

  Bell Sound Studios, NYC, October 19, 1960
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ハーマンオーケストラの卒業生がまた一人巣立っていった・・・・

2007-09-17 | MY FAVORITE ALBUM
ZOOT SIMS QUARTET

ウディーハーマンオーケストラには、いつの時代にも多くの若手ミュージシャンが去来し,
そしてそこから後に有名になるプレーヤー達が巣立っていった。ハーマンオーケストラは、若手がプロとして本格的なデビューするための登竜門のような様相を呈していたのだ。
セカンドハードでフォーブラザースを演じたスタンゲッツを筆頭にしたテナーの3人組も例外ではない。まさに後の時代のオールスターメンバーが、若き日に一緒に席を並べて在籍していたわけだ。もっとも、その頃当の本人たちは駆け出しの新人ばかり。まかさ将来自分達がその世界の第一人者になるとは誰もが思っていなかったかもしれない。

その中の一人にズートシムスがいた。
ベニーグッドマンに気に入られてグッドマンのバンドに加わったりしたが、ハーマンのバンドに加わったのは47年~49年。ちょうどこの間がセカンドハードの絶頂期でもあった。

代表的なジャズレーベルのひとつにPrestigeがある。数多くの名盤があるが、ハードバップの脂の乗り切った濃いジャズのイメージがある。ところがこのプレスティッジレーベルは、1949年の創立期には白人主体のクールなサウンドのジャズ録音も残している。
ハーマンを辞めたシムスは、再びグッドマンのヨーロッパのツアーにも参加し現地で録音も残した。これもプレスティッジに残されているが、帰国後このプレスティッジレーベルにアメリカで初録音したのがこのアルバム。

2つのセッションが含まれているが、アートブレーキーをバックにした演奏と、ハーマンオーケストラの盟友ドンラモンドをバックにした演奏である。
どちらのセッションでも、シムスのレスターの流れを汲むFour Brothers仕込みの軽快な演奏は若々しさの中にも早くもレスター派の後継者としての貫禄を感じる。

中でも特徴的なのは“ZOOT SWINGS THE BLUES”と”EAST OF THE SUN”の2曲の長尺の演奏。
まだこの時期はSPレコードの全盛期。一曲の録音時間は3分前後が多かった。ジャズは本来自由な演奏。演奏時間にも制約がないものだが物理的な制約はいかんともし難い。
録音用の演奏というものは、きっと普段の演奏の実態とは別の物であったのかもしれない。
LPレコードが世に出たのが1948年。この2曲はこの25センチLPで最初世に出たそうだ。
LPレコードの登場とともに一曲の時間の制約が広がったこと、そして録音のクオリティーが格段に良くなったことと、モダンジャズが興隆を極める時期はちょうど一致する。
やはりジャズの歴史にアナログレコードの歴史は切っても切れない縁がある。
CDもいいがアナログレコードがいつまでも人気があるのは、この歴史を背負っているからなのかもしれない。
このアルバムもけっして大作ではないが、その歴史の一ページであることは間違いない。

<Session1>
My Silent Love
Jane-O
Dancing In The Dark
Memories Of You

 Zoot Sims (ts)
 John Lewis (p)
 Curly Russell (b)
 Don Lamond (d)

  NYC, September 16, 1950

<Session2>
Trotting
It Had To Be You
Swingin' The Blues (aka Zoot Swings The Blues)
Zoot Swings The Blues (alt. take)
East Of The Sun
I Wonder Who

 Zoot Sims (ts)
 Harry Biss (p)
 Clyde Lombardi (b)
 Art Blakey (d)

  NYC, August 14, 1951
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暑さが大分しのぎやすくなってきたが・・・・・・

2007-09-15 | MY FAVORITE ALBUM
Butterfly with Hiccups / Gerry Mulligan

まだまだ残暑が厳しい今日この頃。クールなサウンドのEarly Autumnが似合うにはまだ早い。こんな時にはWarm & Softが丁度いい。
Richie Kamucaのテーナーも、そんな雰囲気だったが、このGerry Mulliganのプレーもぴったりだ。

しゃっくりをする蝶々。
洒落た曲名だし、その名のとおりの軽快に空を舞うような演奏で始まる。
ボサノバが流行った頃、普通の4ビートやラテンと違って色々なリズミックな演奏が世に出てきた。このリズムに乗って、クールなサウンドがちょっとウォーミングアップされて躍動感を増したという雰囲気。編成も3管で厚みのあるサウンドである。

ジャズを聴き始めて比較的早く買ったアルバム。何故か、ディキシーからモダンジャズを聴くようになって最初に好きになったプレーヤーがGERRY MULLIGANだった。きっかけを思い出そうと思ったのだが、果たして何であったかか・・・・・。最初に買ったアルバムは思い出したが、それを買ったきっかけは・・・?多分ラジオか何かで聞いたのだろう。

このアルバムはライムライトレーベル。
Mercuyの別レーベルだが、この頃のメジャーレーベルは有名プレーヤーと契約を進め、アルバム作りもだんだん豪華になっていた。本来マイナーレーベルであまり飾りっ気の無いストレートな演奏がJAZZのアルバムの本流であった。それが、メジャーレーベルが少し商売っ気を出し始めると、少し場違いと思われるアルバム作りが始まってきた。

ひとつか、豪華なジャケット。豪華な感じはなくとも、何となく味のあるジャケットだったジャズアルバムが、突然ダブルジャケットの豪華版に変身していった。インパルスのコーティイングのかかったダブルジャケットが象徴的だ。
ご他聞に漏れず、ライムライトの最大の特徴が豪華なジャケット。ダブルジャケットは当たり前で、豪華な装丁が売り物であった。
クインシージョーンズがマーキュリーにいたのもこの時期だった。しかし、こんな企画が長続きするはずがなかった。ジャズはジャケットをよくしたからと言って買う人が別に増えることもなかったのだろう。
結局売るためには、中身もポピュラー化路線を選択しなければならないという本末転倒な流れに。

このアルバムは、まだレーベルが立ち上がってから4枚目。まだ初期の気合が入っていた時期。
中身の、マリガン自身もブルックマイヤーとのコンビで、カルテットや大編成のコンサートジャズジャズバンドで活躍し続けていた時。
少し時代の流れも取り入れたリラックスした演奏。スタンダードに加えてオリジナルも少し洒落っ気を加えたなかなかいい演奏だ。
HOTでもなくCOOLでもない。やはりこんなWARMな演奏が自分の好みの原点だったのかもしれない。
少し季節の変わり目を感じながら、久々に懐かしいアルバムを聴いた。

A-1 Butterfly With Hiccups        (Gerry Mulligan) 3:16
A-2 You'd Be So Nice To Come Home To  (Cole Porter) 5:03
A-3 Theme For Jobim          (J. Hicks) 3:43
A-4 Old Devil Moon           (Harburg - DeSylva - Brown) 4:35
B-1 The Ant Hill            (Gerry Mulligan) 7:24
B-2 Blues For Lynda          (Gerry Mulligan) 3:39
B-3 Line For Lyons           (Gerry Mulligan) 4:25
B-4 Crazy Day             (Gerry Mulligan) 4:15

Personnel

B-1, B-4:
Art Farmer (tp, flh)
Bob Brookmeyer (v-tb)
Gerry Mulligan (bs)
Jim Hall (g)
Bill Crow (b)
Dave Bailey (ds).

Recorded in New York City on September 3, 1963.

A-4:
same personnel as above.
Recorded at Nola Penthouse Studios, New York City on October 3, 1963.

A-1:
same personnel as above, except Gerry Mulligan (bs, p).
Recorded at Nola Penthouse Studios, New York City on October 11, 1963.

A-2, B-3:
Gerry Mulligan (bs)
Bob Brookmeyer (v-tb)
Bill Crow (b)
Dave Bailey (ds).

Recorded in New York City, June 25, 1964.

A-3, B-2:
same personnel as above, except Gerry Mulligan (p).

Produced by Hal Mooney.
Arranged by Gerry Mulligan.

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自らの死期が迫った時、この世に自分が生きた証を残せたら・・・・・

2007-09-13 | CONCORD
RICHIE / THE RICHIE KAMUCA QUARTET

ジャズを演奏する者にとって、これが本当にプレーしたかった演奏だと言い切れることが何度あるのだろうか。そして、それがアルバムとして残したものとなるとなおさらであろう。曲の選曲、メンバーの選定、そして録音されたものを何も編集せずに、ありのままの姿のものが。

ウェストコーストで活躍していたサックス奏者RICHIE KAMUCAがこんなアルバムを残している。
それも死の直前に。
KAMUCAが亡くなったのは1977年7月22日。丁度47歳の誕生日の前日のことだ。
このアルバムが録音されたのが何時かは分からないが、それほど前の録音では無いであろう。自分でプロデュースをした、というか自分のやりたい事を残したKAMUCAは、すでに死期を悟ったのか、その録音をレコードにするのをConcordのオーナーCarl Jeffersonに託した。
結局、その録音がこのアルバムとして実際に世に出たのは彼が亡くなった後になってしまった。

ライナーノーツはジェファーソンの追悼の辞、そしてKAMUCA自らのこのアルバムに対する想いが記されている。
自らがすべてを企画した本当の意味の追悼盤になってしまった。

演奏はいわゆるワンホーンジャズの典型。
それもピアノを除いてギターを入れたカルテット編成。ロリンズの好む編成だ。サックス自らの躍動感はピアノが無いほうが感じられる。前作のアルバムではドラムさえ除いてチャレンジしたものであったが、今回はNick Ceroliが加わっている。
あのハーブアルバートのティファナブラスにも加わっていたが、元々はウェストコーストのジャズプレーヤー。小気味良いドラミングは、KAMUCAの音色に良く似合う。
さらに、最後の一曲ではテーナーの音色に近い歌声も。

いわゆるレスター派、そしてフォーブラザース流の軽快なテーナー。ワンホーンのアルバムとしては隠れた名盤だと思う。ヘビーなサウンドが苦手な方、あるいはたまには肩の力を抜いて気楽に楽しみたいと思うときにはぜひお勧めだ。

I Concentrate On You
If I Love Again
Some Other Spring
Say It Isn’t So
Symphony
Flying Down
When Day Is Done
‘Tis Autumn

Richie Kamuca (ts,vol)
Mundell Lowe (g)
Monty Budwig (b)
Nick Ceroli (ds)

Produced by Richie Kamuca
Recorded 1976 (?)
Concord CJ-41
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子供のように素直に語ると・・・・・

2007-09-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
SPEAK LIKE A CHILD / HERBIE HANCOCK

ハードバップから次のJAZZ世界へと導いたのはコルトレーンとマイルス。
2人とも1926年生まれの同い年だ。
1967年にコルトレーンがこの世を去る。まだ41歳、これからという時だ。
2人が突出して引っ張っていた世界にポッカリと穴が開くと、何か重石が取れたように若手を中心に新しい息吹が芽生え始める。
残されたマイルスも暫くして変身を始める。
バップが広まった時、そのホットな演奏スタイルに対峙するようにクールジャズが広まった。同じように、コルトレーンの熱い演奏、そして前衛派の難解なプレーに対峙して、爽やかな演奏、あるいは波打つようなリズムに対しロックのリズムに乗って8ビートのパンチの効いた演奏も生まれる。何事もバランスということかもしれない。
一番のお気に入り、サド・メルのオーケストラが登場したのもこの頃だ。
日本では学生運動がだんだん激しくなっていく。
1967年は、時代の変革を感じさせる年だった。
翌年の1968年5月、マイルスのグループに参加していたハービーハンコックは自分のリーダーアルバムを残す。それが「SPEAK LIKE A CHILD」だ。何ともいえない清涼感、独特のリズム感、そしてバックのホーンのアンサンブルもこれまでのアレンジの手法とは一味違う。
アレンジはハンコックだが、その雰囲気はバックでフリューゲルホーンを吹いているサドジョーンズのバラードのアレンジと非常に似たテクスチャーだ。自分の作品以外にも僚友のロンカーターの作品も披露する。
ハンコックはピアノトリオでの録音が少ない。このアルバムもホーンがバックに入っている。ところが全面的にハンコックのピアノをフィーチャーした作品だ。
ハンコックが自分のピアノプレーを訴えたかったのだろう。子供のように素直な気持ちで。

そしてこのアルバムで、同時に「子供ともお別れ」している。
新たな出発の決意かもしれない。

この録音に相前後して、ハンコックはマイルスのアルバム“Miles In The Sky”でエレキピアノを披露する。さらに、この録音の直後には、良い意味でのライバルになるCHICKCOREAがあの名盤、“NOW HE SINGS ,NOW HE SOBS”を吹き込む。ハンコックの名演というだけでなく、次を世代を背負う中堅が本格的に活動を始めた時の歴史に残るアルバムともいえよう。


1. Riot
2. Speak Like a Child
3. First Trip
4. Toys
5. Goodbye to Childhood
6. Sorcerer

Thad Jones (flh)
Jerry Dodgion (afl)
Peter Phillips (btb)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)

Produced by Duke Pearson
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, March 6,9, 1968

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後の名アレンジャーが思わぬところに登場・・・・

2007-09-11 | MY FAVORITE ALBUM
THE GROUP

あのクリードテイラーと組んで有名になったアレンジャーがDON SEBESKY。テイラーの片腕ともいえるアレンジャーだ。
先日紹介したジョージベンソンもそうであったが、ウェスモンゴメリーを筆頭に、セベスキーの一種独特のアレンジをバックにした有名プレーヤーのアルバムは、CTIを中心に数多くある。
そのセベスキーは。そもそもはトロンボーンを吹いて、アレンジもやっていた。メイナードファーガソンのオーケストラ、それもブラスロック風に変身をするはるか前の初期オーケストラのメンバーでもあった。
ところがそのセベスキーは、60年にトロンボーンを断念してアレンジに専念することになった。

テイラーとの出会いはVERVE時代であったが、その間アレンジの仕事を単発的に行っていたのであろう。思わぬところに、ドンセベスキーの名前が。
ボーカルグループ「The Group」のアルバムのアレンジに彼の名前がある。
このコーラスグループ、男性2名と女性2名の何となくLH&Rの流れを汲むモダンなコーラスグループだ。ただし、LH&Rのように特にボーカリーズを売りにするわけでなく、正統派のコーラスグループだ。バラードありスキャットあり。軽いノリがあったかと思えば、スイングするものまで。
名前どおり「これぞ(コーラス)グループ」と言っていいほどの完成度だ。
なのに、まもなくこのグループは解散してしまう。いかなる理由があったか知らないがもったいないものだ。
アルバム自体もしばらく「幻の名盤化」していたものだ。

セベスキーのアレンジは、CTIのように別に凝ったものではない。24歳の発展途上のアレンジャーが取り組んだ一枚として記憶に留めておこう。
ジャケットの裏を見ると、このアルバムを出したRCAが、お勧めの他のアルバムのタイトルを載せている。

LH&B のLIVE ST BASIN STREET EAST
ロリンズのOUR MAN IN JAZZ
そしてデスモンドとマリガンのTWO OF A MIND
こんなアルバムと一緒に出たアルバム、有名プレーヤーがメジャーレーベルからアルバムを出していた時、こんな新人がメジャーから登場してのだ。

It Don’t Mean a Thing
But Beautiful
Joey ,Joey, Joey
Something’ Coming
Nino Never Knew
I hear Music
Get Me to the Church on Time
The Second Time Around
I Won’t Cry Anymore
Ding Dong, the Witch is Dead
Ev’rytime We Say Goodbye
Fugue for Tin Horns

The Group
Anne Gable
Larry Benson
Tom Kampman

Arranged by Don Sebesky
Produced by George Avakian

Recorded in Oct.& Nov. 1962 , Jun.1963


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モダンBIG BANDの原点は・・・?

2007-09-10 | MY FAVORITE ALBUM
WOODY HERMAN / SESOND HERD

ベイシーのオーケストラ。自分の一番のお気に入りの作曲家&編曲家というとNIEL HEFTY。好きな曲が多いという理由もあるが。
すでに紹介した、BASIE (アトミックベイシー)と、BASIE PLAYS HEFTIがその代表作だ。このニール・へフティ、ウディーハーマンのオーケストラにもアレンジを提供していたそうだ。あまり気にも留めていなかったのだが。
ハーマンといえばセカンドハード。試しにセカンドハードの演奏している曲を眺めてみると確かにへフティーの名前とアレンジがある。

セカンドハードといえは、サックスセクション(ゲッツ、シムス、コーン)。
曲はアーリーオータム。編曲はラルフバーンズ・・・・と、イメージはこれに尽きる。
このアルバム自体、その曲が入っていたので買い求めた次第だ。

改めてこのアルバムを通して聴いてみる。
キャピタルに移籍して吹き込まれた曲の中から、歌伴を除いたオーケストラ演奏だけを集めたもの。それなりに、意味ある選曲だ。

ちょうど、自分が生まれた前後の録音。
Bopが流行っていった頃のオーケストラの演奏は如何に変わろうとしたのか?アレンジャーの個性と共に、それだけでも興味ある内容だ。
戦後の復興の時、そして試行錯誤の時代であり、世の中のエネルギーが何でも新しい物を求めていて、それに正解があった訳ではない。
このハーマンのオーケストラは、この難題にチャレンジしていた。

ボーカルのバップコーラスを加えたり、バーンズに斬新なアレンジを依頼したり。いわゆる「スイングオーケストラの次世代」というのではなく、スイングを超える次世代のオーケストラを目指していた。
その意味では、ベイシーオーケストラがモダンスイングの頂点を極めたとすると、ハーマンのオーケストラは、ガレスピーのオーケストラと同様に、本当の意味のモダンビッグバンドの原点ともいえる。

そのアルバムは、ラルフバーンズがアレンジした曲が半分。
いわゆるフォーブラザースサウンド、サックスのクールなサウンドの高音域のアンサンブルが特徴だ。
残りは、ショーティーロジャースが半分。ラルフバーンズと好対照な、バップ色の強い歯切れのよいアレンジ。
この時代のハーマンは、2人の特徴あるアレンジャーのお陰で、ガレスピーに負けない派手なバップサウンドと、クールなウェストコーストサウンドに繋がる2つの顔を持つオーケストラだったことが分かる。
その間に挟まるように、へフティのアレンジやアルコーンの編曲が加わっている。

メンバーの入れ替わりも短期間で激しく変っている。あの、ゲッツ、シムス、コーンが一緒にプレーしたのも、このセカンドハードの活動のほんの一時期だった。
プレーヤーの変化に加え、編曲者によって、オーケストラの演奏も微妙に異なっていくのが分かる。
その後、西海岸を中心に活躍したジャズミュージシャンの大部分がハーマンオーケストラの出身という事実を見ても、このハーマンオーケストラのエネルギー、演奏はもちろんのこと、それを支えたアレンジャーの活躍も重要だったのであろう。

へフティーのアレンジはThe Great LieとTenderlyの2曲だけだが、何となく、ベイシーのアレンジの予兆を感じる。
Spainでは、トランペットの席に座っているが、アレンジはバーンス。

改めて、このセカンドハードを聴いたがすごいバンドだ。この前向きのパワーが、代は替わっても50年以上持続したのに更に感心する。
ハーマンが過小評価されているような気がする。

<Session 1 >

That's Right
Lemon Drop
Early Autumn
Keeper Of The Flame

Stan Fishelson, Bernie Glow, Red Roney, Ernie Royal (tp)
Shorty Rogers (tp,arr)
Bill Harris , Bob Swift, Earl Swope, Ollie Wilson (tb)
Woody Herman (cl, as, vo) Sam Marowitz (as)
Stan Getz, Zoot Sims, Al Cohn (ts)
Serge Chaloff (bs)
Lou Levy (p)
Chubby Jackson (b,vo)
Don Lamond (d)

Recorded in Hollywood, CA, December 29~30, 1948

<Session 2 >

Not REally The Blues
The Great Lie
Tenderly
Lollypop
Rhapsody In Wood

Stan Fishelson, Al Porcino, Ernie Royal, Charlie Walp (tp)
Shorty Rogers (tp, arr)
Bill Harris, Earl Swope, Ollie Wilson (tb)
Bart Varsalona (btb)
Woody Herman (cl, as, vo)
Sam Marowitz (as)
Gene Ammons, Buddy Savitt (ts)
Jimmy Giuffre (ts, arr)
Serge Chaloff (bars)
Lou Levy (p)
Oscar Pettiford (b)
Shelly Manne (d)

Neal Hefti, Johnny Mandel (arr)

Recorded in NYC, May 26, 1949

<Session 3>

Spain

Conte Candoli , Paul Cohen , Don Ferraro , Bernie Glow , Neal Hefty(tp)
Eddie Bert , Jerry Dorn , Bill Harris (tb)
Woody Herman (cl, as, vo)
Sam Marowitz (as)
Al Chon , Bob Graf , Buddy Wise (ts)
Marty Flax (bs)
Dave Makenna (p)
Sonny lgoe (d)
Milt Jackson (vib)

Recorded in NYC, May 5, 1950

<Session 4>

Music To Dance Of You
The Nearness Of You
Sonny Speaks
Starlight Souvenirs

Conte Candoli , Rolf Ericson , Don Ferraro , Doug Mettome (tp)
herb Randel , Jerry Dorn , Bill Harris (tb)
Woody Herman (cl, as, vo)
Sam Marowitz (as)
Phil Urso , Bob Graf , Buddy Wise (ts)
Marty Flax (bs)
Dave Makenna (p)
Sonny Igoe (ds)

Recorded in NYC, June 25, 1950


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