A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ベイシーオーケストラのテナー、ダグローレンスはオルガン好き・・・

2017-03-04 | MY FAVORITE ALBUM
High Heel Sneekers / Doug Lawrence

 ベイシーオーケストラのサックスセクションのソリストといえば昔からテナーが要だ。古くはレスターヤングに始まり、黄金期のフランクフォスター、その後もエディーロックジョーデイビス、エリックディクソンと、多少スタイルが違ってもベイシーオーケストラのスイング感と良くマッチしたテナープレーが必須だ。

 今のサックスセクションのメンバーはバリトン以外固定しているが、テナーは大柄のダグローレンス、そして小柄の方がダグミラー、どちらも味のあるソロを聴かせてくれる。今回の来日時も、920Specialでは二人でテナーバトルを繰り広げていた。このダグローレンスも、いつの間にかベイシーオーケストラに加わってから10年以上経ち、レギュラーメンバーとして要になっている。



 数年前、ベイシーのライブを聴いてこのローレンスの演奏をもう少し聴いてみたいと思い、ベイシー以外のグループでの演奏を探したら、たまたま持ち合わせていたブッチーマイルスのアルバムに加わっていた。このアルバムを最初に聴いた時には、あまり意識せずに聴いていたが、ベイシーオーケストラの卒業生のブッチーマイルスと一緒ののびのびとした演奏も好演だ。

 それではリーダーアルバムは?と思って、探して入手したのがこのアルバム。オルガンとギターを加えたクインテット編成だが、60年代のジミースミスを始めとしたファンキーなオルガンアルバムの雰囲気の演奏だ。ローレンスのテナーもスタンレータレンタイン風となり、いつもよりグルービーだ。

 このローレンス、父親がミュージシャン6人兄弟の末っ子に生まれた。兄たちも皆ミュージシャンになったので、子供の頃から音楽には慣れ親しんで育ったそうだ。体が大きかったせいもあり13歳の時から父親のバンドに加わり演奏活動を始め、名門ノーステキサス州立大学のスカラーシップを得たにも関わらず、一方で地元のバンドのオーディションに受かったのでプロでの活動を優先した。ところがバンドが解散し、ラスベガスで仕事をしていた兄を頼ってテキサスを離れる。ところが、1975年当時のラスベガスはミュージシャンとっては働く場所がどんどん減っていた時期で、そこでも仕事にありつけず、止む無くニューヨークに行くことに。若い頃はあまり恵まれたキャリアではなかったようだ。

 ニューヨークでは、ベニーグッドマン、バッククレイトンといったスイング系のバンドでプレーをする一方で、ワイルドビルデイビスのグループのレギュラーメンバーとなった。ローレンスにとってはこれがオルガンとの出会いで、このオルガンを加えたスタイルでの演奏がすっかり気に入ったそうだ。

 という理由で、自分のグループで演奏する時は、このオルガンを加えた編成が多いようだ。
今回の来日時も、新しいアルバムのサイン会をやっていたので、中身も確かめずに記念に一枚購入したが、これも同じようにオルガンを加えた演奏。どうやら、ローレンスのスイング感の源は、このオルガンをバックにしたファンキーなプレーにあるようだ。



1. The Lamp Is Low   P. DeRose / M. Parish / M. Ravel / B. Shefter 6:32
2. Get Out of Town                   Cole Porter 7:08
3. High Heel Sneakers                Doug Lawrence 4:47
4. Crazy She Calls Me           Bob Russell / Carl Sigman 6:03
5. The Masquerade Is Over          H. Magidson / A.Wrubel 6:15
6. The Moon Was Yellow            F. E. Ahlert / E. Leslie 4:45
7.Doug's Dilemma                   Adam Scone 6:50
8. Savoy Blues                   Doug Lawrence 5:38
9. Detour Ahead Lou Carter / Herb Ellis / John Freigo / Johnny Frigo 5:58
10. El Shakey                    John Webber 3:58
11. The Way You Look Tonight     Dorothy Fields / Jerome Kern 6:30

Doug Lawrence (ts)
Peter Bernstein (g)
Adam Scone (org)
Dennis Irwin (b) 1,2,4,5,7,8,9,11
John Webber (b) 3,6,10
Willie Jones Ⅲ (ds)

Produced by Don Mikkeisen
Recording Engineer : Nihar Oza
Recorded at Fable Studios, New York on January 8 & 12 1998

High Heel Sneakers
クリエーター情報なし
Lightyear
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日本人以上に「日本を愛するデビッドマシューズ」の原点はこのアルバムから・・・

2017-03-03 | MY FAVORITE ALBUM
Manhattan Jazz Quintet / David Matthews

 年明けから始まったビッグバンドのライブ巡り、1月にはジョンファディス、三宅裕司、野口久和と続いたが、それぞれテーマがあり編成やアレンジにも拘りがあって楽しめた。
 2月もビッグバンドが続いた。野口茜のmboでは、もう一人のリーダー双木さんがインフルエンザでダウン。ビッグバンドではメンバーが一人欠けてもトラで乗り切るのが常だが、リーダーも兼ねるとなると代役探しも大変。実施も危ぶまれたそうだが、急遽松木さんがピンチヒッターを務めて無事終了。パーカッションが加わりラテンフレーバーで一味違うmboの演奏も、いつも通りいい感じであった。

 続いて守屋純子の毎年恒例のコンサート。今回のお題は「ルディーバンゲルダー」トリビュート。どんな嗜好かと思ったが、彼女にとっては彼女のアメリカ録音がバンゲルダースタジオで縁があったとか。昨年亡くなったバンゲルダー追悼の意味だったのだが、彼女の周辺では昨年バリトンの重鎮宮本大路さん、そして長年一緒にプレーした長老尾田悟さんと相次いで不幸が続き、今回のコンサートはそれぞれの方々のメモリアル曲が続いた。

 カウントベイシーは最近メンバーもほぼ固定化され、さすがアンサンブルもソロも本家ベイシーサウンドの貫禄だった。ベイシーオリエンテッドのアマテュアバンドは多く、たまたま前日も聴いたが、やはり本家の演奏は格が違うと言わざるを得ない。今のリーダーのバーンハートに代わってからは活動にも気合が入っているようで、ライブだけでなく、前作のクリスマスアルバムに続き、新アルバムもすでに録音済みとのこと、発売が楽しみだ。今回のステージは定番の曲だけでなく、モーテンスイングなどのオールドベイシーの曲から、新アルバムに入っているというスティービーワンダーの曲まで、ベイシーサウンドを幅広く楽しめたのも収穫。

 そして、佐藤春樹ビッグバンドは新装開店のお披露目。若手メンバーも多く参加していたが、今回は4ビート中心にやるとのこと。ベテランとのコンビネーションもよく、4ビートといっても古いスタイル、昔のアレンジの焼き直しという訳ではなく、リーダー佐藤のアレンジが光る。スタンダード曲とオリジナルのバランスも良く今後に期待。
 河野広明ビッグバンドは、フィルケリーのアレンジを中心にオリジナルも含めていつものように西海岸のビッグバンドサウンドが楽しめた。
 2月最後は角田健一。定期公演の大きなホールも良いが、ピットインでのライブは盛り上がりも一段と。ビッグバンドの名曲、そしてジャズスタンダード中心のプログラムだが、流石王者の貫禄。締めとしては最上のライブであった。
これからも連休にかけて、ビッグバンドのライブが多く予定されファンとしては楽しみだが、今年は旅行の予定もあり、はたして何回聴きに行けるか?

 さて、しばらく中断してしまったアルバム紹介だが、ビッグバンドを聴き続けたのでビッグバンドをとも思ったがそれは改めて。先日、ウィントンマルサリスのスターダストを聴いた時、このアルバムも久しぶりに引っ張り出してあったので、まずはこのアルバムから。

 昔から母国以上に日本で人気が出たミュージシャンは多い。自分が子供の頃、ムードテナーの王者にサムテイラー、そしてジョージオールドといったテナー奏者がいた。歌謡曲のブルース物には欠かせない存在であったが、自分は子供心にこれがジャズだと思っていた時もあった。もっとも、彼等も本国ではジャズやR&Bをやっていて、そのプレースタイルは必ずしも耳慣れたサウンドだけではないことを後で知った。ジャズ以外でもエレキブームのきっかけともなったベンチャーズなども日本で絶大な人気を得て、晩年も毎年のように日本に来て地方回りをしていた。

 ジャズの世界では、ファンキージャズの立役者アートブレイキーは、初来日の時の歓待が余程気に入ったのだろう、すっかり日本贔屓になってその後も何度も日本に来ていた。彼の場合、日本での評価は過去の人気の延長だったような気がするが、内容的には本国アメリカでの評価の方が上回っていたかもしれない。特に有望な新人の発掘能力、そして彼らを活かしたジャズメッセンジャーズサウンドは最後まで衰えなかった。

 本国よりも日本での人気が上回ったジャズミュージシャンの一人にデビットマシューズがいる。プレーヤーとしてよりも、コマーシャルからジャズまでオールラウンドなアレンジャーとして活動がスタートであった。ダンスバンド、そしてジェイムスブラウンのバックに始まり、表立った活動を始めたのがCTIレーベルのサウンド作りに加わってからだった。 
 それが評価されたのだろう、世界に通用するフュージョンを提供するレーベルとしてキングレコードが立ち上げたエレクトリックバードレーベルの一連のアルバム作りに数多く加わった。これが、日本との接点が増えたきっかけであり、プロデューサーの川島氏とのコラボレーションのスタートとなった。

 その活動も定着し一定の評価を得た時、スイングジャーナルの編集長であった中山氏から提案があった。このマシューズにフュージョン色を排し、ハードバップスタイルのメインストリームアルバムを作ってはどうかと。これがこのマンハッタンジャズクインテット(MJQ)の誕生となった。1984年の事であったが、折しもこの頃はフュージョンが全盛であった一方で、新伝承派といわれるマルサリスなども台頭していた時だった。

 このマンハッタンジャズクインテットのファーストアルバムがこのアルバムとなる。日本では当然話題となったが、辛口のファンからはフュージョン育ちがハードバップをやっても、それはジャズではないという声も上がった。セールス的にもよく売れたが、内容的にも評価され、結果的にスイングジャーナルのディスク大賞では先日紹介したマルサリスのスターダストの銀賞を押さえて金賞を受賞した。

 スタジオワークではファーストコールであったルーソロフとジョージヤングの吹っ切れたソロに、新人チャーネットモフェットのベースも話題となった。スティーブガッドの4ビートも、フュージョン派の4ビート、今思えば懐かしいサウンドだ。新伝承派の面々とは一味違ったメインストリーム、ハードバップを、あまり線引きには拘らなかった自分としては心地よく聴いた記憶がある。

 その後、マシューズはこのMJQに加え、マンハッタンジャズオーケストラ(MJO)を誕生させた。アレンジャー歴の長いマシューズにとっては、このオーケストラの方が自ら先に作ったリーダーバンドだった。これをMJOに衣替えした訳だが、こちらもマシューズ風の編成とアレンジで、彼の斬新的なビッグバンドサウンドをよりポピュラーな存在にした。
その後、どちらのグループもジャズスタンダードといわれる良く知られた曲を選んでアルバム作りを行い、日本では益々人気を得てMJQとMJOを交互に率いて毎年のように日本ツアーを行ってきた。

 最近では、MJOが東北大震災の直後の放射能漏れ騒ぎの真っ只中、予定したメンバーから来日を辞退者が多くいたにも関わらず、日本人プレーヤーのサポートを得て予定通りツアーを決行した。これまでお世話になった日本への恩返しという意味もあったのだろう、こんな大変な時こそ元気与えなければといった熱気を感じさせるライブであった。

 このMJQのアルバムが生まれてから30年、メンバーは変ってもMJQは昨年も新しいアルバムを録音しているようだ。日本人の手によって誕生し、日本人の為にカスタマイズされたバンドであったが、その活動を通じてマシューズ自身を日本人にしてしまったようだ。

 マシューズは今では日本に居を構え、最初は熊本、そして今では八戸を拠点とし、日本の良さが残る地方にすっかり溶け込みながら、日本全国を飛び回っている。たまに、ドラムの奥田英人とコンボを組んで都内のライブハウスに出演することがあるが、そこでは一ピアノプレーヤーとして入魂の演奏を聴かせてくれる。やはり、ピアノのプレーではマシューズに宿るジャズ魂は、ジャンルや編成に関係なくひとつのようだ。

 先日、サックスのエリックマリエンサルが来日し、色々なセッションでそのプレーを披露してくれたが、いずれもアルバムで聴く演奏とは全く違った熱っぽいものだった。やはりライブでの演奏はそのプレーヤーの本質を楽しめる。一昔前のフュージョン、メインストリーム論争、それはあくまでもアルバムを通じての評価だったように思う。 過去のアルバムを聴くのもいいが、生のジャズを楽しみにライブ通いが続きそうだ。

1. Summertime      G, Gershwin
2. Rosario         D. Matthews
3. Milestones        Miles Davis
4. My Favorite Thing    Richard Rogers
5. Airegin         Sonny Rollons
6. Summer Waltz      David Matthews

Manhattan Jazz Quintet
Lew Soloff (tp)
George Young (ts)
David Matthews (p,arr)
Charnett Moffett (b)
Steve Gadd (ds)

Produced by David Matthews & Shigeyuki Kawashima
Recording Engineer : Michael Farrow
Recorded at A&R Studio, New York on July 13 1984

MANHATTAN JAZZ QUINTET
クリエーター情報なし
キングレコード
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いつも相手のいる仕事をしていると、たまには一人にしておいて欲しくなることもある

2017-03-02 | CONCORD
Willow Creek / Marian McPartland

 最近、著作権に関する話題が多い。パーマ大佐が「森のくまさん」の歌詞をかってに変えてCDを出したと訴えられた。著作人格権の同一性保持権の侵害ということらしい。とりあえずは解決したようだが。ジャズの世界では、原曲のメロディーを変えて演奏するのは当たり前、ほとんどの場合アレンジも施されている。先日紹介したミッシェルペトルチアーニのメドレー物を自作曲としたものなど完全にアウトだろう。歌詞も、その場の雰囲気に合わせて自由に変えることもよくある。アドリブでスキャットにしてしまうことも。という点で、歌詞についても同一性が保持されていないことは多い。

 次に、JASRACの音楽教育からも楽曲の使用料を徴収するという話。これには、音楽教室などから反論が相次ぎ、権利を持つ作曲家からも自分の曲は自由に使っていいという声も上がっている、果たして、JASRAC側の言い分がそのまま運用されるかどうか?

 これまでも音楽の権利に関しては、放送やレコードなど新しいテクノロジーやサービスが登場するたびに、その中での権利の取扱いについて新たなルール作り、そして運用上の問題が起こって来た。よくジャズの歴史の中で、ちょうどビバップが生まれた頃、ミュージシャン側のレコーディングストが起こり、当時(1942年〜44年)のレコーディングが少ないとか、そのお蔭でマイナーレーベルが誕生したとかの話が残されている。

 著作権はそもそも元の権利者を守るのが主旨、ところが実際にはその権利を代行する団体や事業者のビジネスが一番に考えられているような気がする。アメリカのレコーディングのストも、ミュージシャンの保護というよりも、音楽家教会(AMF)が自分で突っ走ったといわれている。

 昔、現役で仕事をしていた時、私的録音録画補償金制度に関わる仕事をしたことがある。各種のレコーダー機器が登場したことにより、私的利用とはいえ放送やレコード・CDが自由に録音をされることにより、元々の権利が侵害される(利益機会が減る)ので、その分の補償をハード機器に付加するという制度だ。結局、ハード機器に転嫁され、我々が高い買い物をしている構造だ。

 ところが、デジタル放送への移行期にコピーワンスというルールを作ったのに、同じように補償金を払うのは如何なものかとメーカー側が反論した。この制度に元々無理があった。メーカーから集めた補償金の分配先は各業界の権利団体まで、その先の権利者に分配する仕組みがなかった。当たり前で、何を録音、録画したかの記録がなければ、個々の権利者を特定できずに配分できないのは自明の理だ。結局は、権利者を守るといっても、潤ったのは利権団体だけだった。

 よく問題になるのは、放送コンテンツの権利。日本の場合これまで、オンエアを前提にして放送局に権利が属していた。後で再利用したくても、最初に取り決めが無かったので自由に使えない。ジャズの世界も、昔はNHK、民放を問わずテレビやFMで毎週のようにコンサートの中継やスタジオ収録の演奏がオンエアされよくエアチェックをした。これら演奏には今となってはお宝もあるが、この放送コンテンツがその後CDになったという話はめったに聴かない。
 一方で、欧米の放送コンテンツはよくアルバムとなって登場する。エアチェックや海賊版を別にすれば、最初から権利処理がされていたということになる。以前紹介したジムホールとロンカーターのライブ録音も、最終的な権利は演奏者のものとなっていたので、放送局の許可が無くても新たにアルバムにできたということだ。
 
 結論は、聴き手にとっては様々な作品、そしてその演奏を幅広く、自由に聴く機会が増え、権利を持っている人にとっては、何らかの形でその対価が払われればいいのだが、そう簡単にいかないのがこの著作権絡みの課題だ。

 さて、今回の主役はピアノのマリアンマクパートランド。コンコルドの所属となって、これまで何枚がアルバムを出してきたが、当時の彼女の活躍の場の中心は自分がパソナリティーを務めるラジオのレギュラー番組「Piano Jazz」。1978年に始まり、亡くなる2年前の2011年まで33年間も続く長寿番組だった。「徹子の部屋」のマクパートランド版なので、毎回ゲストを招き、おしゃべりと演奏を楽しむという企画だ。
 彼女自身の演奏、ゲストだけの演奏もあれば、2人のデュオもある。ゲストはジャズミュージシャンだけでなく他のジャンルまで及ぶので意外な組み合わせも。CDになったものだけでも30枚以上だが、他もその多くはネット上にアーカイブされて今でも聴くことができる。これぞ、権利処理の理想的な姿のように思う。

 そのようなマクパートランドが、コンコルドで新たなレコーディングをしたのは、1985年の年明け。ちょうど、ラジオではこの頃ガレスピーと共演していた。放送の為のスタジオ通いには慣れていた彼女だが、この日行ったスタジオはフレッドハーシュのスタジオClassic Sound Studio。そこで、いつものような共演相手もなく一人ピアノに向かった。

 この日演奏した曲は、彼女のオリジナルWillow Creek以外もすべてがバラード。それもジャズスタンダードといえるのはI’ve[ Got a Crush on You位。ブルーベックからスティービーワンダーの曲までバラエティーに富んでいる。しかし、演奏は彼女のジャズピアノのお手本のようなタッチで、特に演奏に変化を持たせることもなく、原曲の良さを一曲一曲噛みしめるように淡々と続く。
 日頃は、トークを含めて相手との掛け合いに神経を使っているが、この日はあくまでも自分との対話。またには、「一人でこんな日もあってもいいのかな」といった雰囲気のアルバムに仕上がった。

1. Without You                    Ahmad Jamal 3:41
2. The Things We Did Last Summer      Sammy Cahn / Jule Styne 5:28
3. All in Love Is Fair                Stevie Wonder 4:36
4. Willow Creek        Loonis McGlohon / Marian McPartland 3:27
5. Long Ago (And Far Away)       Ira Gershwin / Jerome Kern 2:54
6. Someday I'll Find You                Noël Coward 4:40
7. I Saw Stars      Al Goodhart / Al Hoffman / Maurice Sigler 4:05
8. Blood Count                   Billy Strayhorn 5:01
9. I've Got a Crush on You     George Gershwin / Ira Gershwin 3:53
10. Summer Song                    Dave Brubeck 3:21

Marian McPartland (p)
Produced by Carl Jefferson
Engineer ; Frank Kulaga
Recorded at Classic Sound Studio, New York, January 1985
Originally released on Concord CJ-272

Willow Creek & Other Ballads
クリエーター情報なし
Concord Records
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この2人はやはりビッグバンドがいいな・・・

2017-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Groove Shop / Clayton-Hamilton Jazz Orchestra

 ライブに行く時も、新しいアルバムを聴く時も、昔は聴く前からワクワクしたものだ。どちらも、限られた小遣いでどれに行こうか、何を買おうか散々迷った挙句に決めたもの。実際に聴く時も、聞き漏らすまいと集中して聴いたものだ。それでも中には期待外れだったものもあり、その時の落胆は大きかった。

 社会人になってしばらくすると懐具合は暖かくなったが、反対に時間が無くなってきた。急な残業になって、せっかく買ったコンサートのチケットが無駄になったこともあった。ジャズ喫茶も昼休みに行く程度、レコード屋周りをする時間も無くなった。その内スイングジャーナルをじっくり読む時間も無くなり、レコード屋に行ってもお目当てのアルバムがすぐに思い浮かばなくなった。仕方なく衝動買いしたアルバムは当然外れが多くなった。

 ちょうど平成に変ってしばらくして、90年代から2000年になってしばらくは完全に仕事漬けの毎日。レコードからCDになったこともあり、手軽に聴けるようになったのは良かったが。BGMでジャズを聴くことはあっても、オーディオに面と向かって聴き込むことはめっきり減った。アナログ盤も一時完全にお蔵入りした。当然ワクワクして聴くような状況はめったになくなってしまい、ジャズ好きの自分にとっても空白の十数年ができてしまった。

 自分の中のイメージでは新人、若手だったはずだが、今では突然大ベテランになってしまったミュージシャンは少なくない。一体その間はどうだったのか?気になるミュージシャンは、今になって抜けた期間をトレースしている始末だ。お蔭で手持ちのアルバムの棚卸が進まない中、新しいアルバムも増えることになる。困ったものだ。

 年明け早々クレイトンブラザースが来日した。コンコルドフリークの自分にとっては、このレーベルで新人デビューした2人は若い頃から良く知る部類に入る。ビッグバンド好きなので、ジョン&クレイトン兄弟と、盟友ジェフハミルトンが立ち上げたクレイトン・ハミルトンジャズオーケストラはトレース対象だった。何年か前、このビッグバンドが来日した時は、初めて聴くライブにワクワクして出掛けたのだが、今回のクインテット編成の演奏となると・・・?



 というのも、デビュー直後のアルバム以降の彼らのアルバムは聴いていない。幸い今は時間があるので、気になったライブに自由には出掛けることができる。このクレイトンブラザースのライブも出掛けてみることにしたが、頭の中のイメージはデビューしたての頃とビッグバンドでの演奏となる。年明け早々のブルーノートはチケットの売れ行きが悪かったのか、ミュージックチャージの割引券も結構配られていた。当日の客足はまずまず、空席が目立たない程度の入りにはなっていた。
演奏が始まると、クインテットの編成の割には、結構きめ細かくアレンジも施され多彩なグループサウンドを聴かせてくれた。メンバーは、ジョンの息子がピアノで加わっていて必ずしもベテラン揃いという訳でもない。自分はアレンジ物も嫌いではないが、そのようなイメージを持っていなかったので、多少頭の中のリセットが必要だった。会場も、なんとなく盛り上がりに欠けアンコールも無くセットが終了した。これは、「割引券があったので来た」という声も会場で聞こえたので、熱烈ファンばかりでなかったというのも一因だと思う。残念ながら、自分の中でもジョンファディスのブルーノートオールスタービッグバンドでの盛り上がりとは大違いだった。
クレイトンブラザースの最近のアルバムも機会があったら聴き返してみようと思うが、やはりこの2人のイメージはビッグバンド。彼らのファーストアルバムを聴き返すことにした。

 2人がビッグバンドを作ったのは1985年。2人の盟友であるジェフハミルトンを含めて3人で立ち上げた。ハミルトンとジョンはインディアナ大学時代からのプレー仲間。ハミルトンはウディーハーマンのビッグバンドを経て、コンコルドレーベルで大活躍していたスイングするドラムの若手の代表格。クレイトン兄弟もジェフはベイシーに始まり、ハンプトン、ハーマンとビッグバンドを渡り歩いた。一方のジョンもサドジョーンズが率いた時代のカウントベイシーオーケストラでベースを務めた。ビッグバンド好きの3人がビッグバンドを作ろうということになったのは必然でもあった。
 設立にあたってメンバーのリクルーティングを行った。西海岸を拠点として活動していた3人は知り合いも多かったが、少し拘りを持って集めた。まず、市場を考えるとビッグバンドがレギュラー活動をできる状況ではなかったので、不定期な活動にせざるを得ない。しかし、集まってやるからには単なるスタジオワークではなく、音楽的にもそして個々のプレーヤーも地に足のついた拘りの演奏ができるバンドを目指した。何か、サドメルが出来た時と似たように感じる。
 ジョンはベースプレーだけでなく、アレンジも得意としていてこのバンドのアレンジはすべて担当した。やはり基本はベイシーライクのスイング感を持つアレンジだ。サドジョーンズの影響を受けたのか、多少モダンなサウンドも聴かせるが、全体は初期のサドメルのように実にグルービーに洗練されたサウンドだ。

 このアルバムで、一曲目のジョージアを聴いたいとたんにこのバンドカラーのイメージが湧く。スローな曲での木管の使い方は、サドジョーンズのアレンジを思い浮かべるモダンな響きだ。昨今のビッグバンドはマリアシュナイダーの影響か、スイングするというよりはハーモニー重視のバンドが多い。このクレイトン・ハミルトンは今でも設立当初からのベイシーやエリントンに繋がる伝統スタイルを大事にしている。自分の好みのオーケストラだ。


1. Georgia            Hoagy Carmichael / Stuart Gorrell 3:21
2. Rain Check                  Billy Strayhorn 5:35
3. 'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It) Sy Oliver / Trummy Young 3:31
4. Brush This                   John Clayton 5:27
5. How Great Thou Art              Stuart K. Hine 3:31
6. Groove Shop                  John Clayton 5:48
7. Sashay                    Oscar Brashear 6:07
8. Melt Away/A Time for Love           Johnny Mandel 5:34
9. I Won't Dance      O. Hammerstein II / J. Kern / J. McHugh 3:23
10. Night Train Jimmy Forrest / Lewis Simpkins / Oscar Washington 9:53


Clayton-Hamilton Jazz Orchestra
Oscar Brashear (tp.flh)
Snooky Young (tp,flh)
Bobby Bryant (tp.flh)
Clay Jenkins (tp,flh)
George Bohannon (tb)
Ira Nepus (tb)
Thurman Green (tb)
Maurice Spears (btb)
Jeff Clayton (as,ss,fl,oboe)
Rickey Woodard (ts,cl)
Bob Hardaway (ts,cl)
Bill Green (as,cl,fl)
Lee Callet (bs,bcl)
John Clayton (b,arr,)
Herb Mickman (b)
Michael Lang (b)
Doug MacDonald (g)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Thomas C. Burns, John Clayton, Jeff Clayton, Jeff Hamilton
Johnny Mandel ; Music Supervisor
Hank Cicalo : Engineer
Recorded at Evergreen Recording Studio, Burbank, California on April 18 &19 1989
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バラードを上手く吹ければ一人前、それも Stringsをバックにとよく言われるが・・・

2017-02-10 | MY FAVORITE ALBUM
Hot House Flowers / Wynton Marsalis

 一昨日は雪交じりの雨、今日も午後から曇り空に。ゴルフどころか外に出掛ける気にもならず、一日家に籠っていた。家の中にいても、特段すぐに片付けなければならないこともなく、久々にのんびり過ごした2日間だった。昔は何もすることがないと却って落ち着かなかったものだが。人間怠け癖がつくと、なかなか元には戻れない、無理に忙しくする必要もないが、規則正しい生活は必要かもしれない。

 このような一日は、何かしながら昔の事を思い出すには丁度いい。コンコルドのアルバム紹介が丁度1984年のアルバムに差し掛かったこともあって、古いスイングジャーナルなども引っ張り出し、何枚かレコードを聴きながら当時のジャズ界の状況を頭の中で整理するには好都合であった。
先日のアルバムにロンカーターが登場したこともあり、1984年にロンカーターが参加したアルバムも見直してみた。カーターの場合は毎年ジャンルを問わず多くのアルバム作りに参加していたので、その中に一枚くらいは自分が持っているアルバムもあるのではないかと思って。中に、この年話題になったアルバムが一枚、このマルサリスのアルバムだ。

 日本盤のタイトルは「スターダスト」、マルサリスのwith stringsということでクリフォードブラウンとの対比を含め、話題のネタとなる要素がたくさん含まれている。マスサリス嫌いというジャズファンも多い中で、自分はマルサリスの熱狂的なファンという程でもないが嫌いではない。アルバムも知らず知らずの内に増えていた。まだ本格デビューから3,4年といった頃、マルサリスの中では初期のアルバムになる。

 手元にスイングジャーナルがあると、その辺りの事情を具体的に辿るには丁度いい。ネットが万能といわれるが、このような時は雑誌を積んでパラパラめくりながら関連の記事を探すのが一番。ネットでピンポイント検索するのとは違って、直接マルサリスとは関係が無い記事、更にはオーディオの記事や広告まで同時に見ることができるのが有難い。しばらくすると、昔の雑誌の読み方、資料調べの感覚が戻ってきた。

 さて、このアルバム、その年のスイングジャーナルのディスク大賞の銀賞に選ばれた。アメリカではグラミー賞でBest Jazz Instrumental Performance, Soloistを受賞している。これは、マルサリスにとって前年Think of Oneに続いて2年連続、さらにこの年はクラッシックでも同様のBest Classical Performance - Instrumental Soloistを受賞し、名実ともにジャズとクラシック双方のトランペット奏者の第一人者になった年だった。
 スイングジャーナルの表紙にも登場し、マルサリスを含めて新伝承派と呼ばれた若手の特集も多かった。急成長して一気に頂点に登りつめた若者だったマルサリスを素直に称賛する声がある一方で、このように両刀使いで何でもできるのは、却って演奏技術に長けていても本物のジャズプレーヤーにはなれないといった辛口の意見も見受けられる。たしかに、技術的に上手いプレーヤーが味のある演奏をするとは限らないのがジャズなのだが。自分は、その後の活動を含めジャズの伝統に根差した演奏に拘るマルサリスが好きなのかもしれない。

 久々に、このアルバムを聴き直してみた。日本盤のタイトルはスターダストだが、オリジナルはHot House Flower。「スターダスト」は明らかにクリフォードブラウンのアルバムを意識したネーミングだ。アルバムを売るには、この方が、遥かに効果がある。
一方のホットハウスフラワーは、唯一のマルサリスのオリジナル。この曲をアルバムタイトルにするにはそれなりの理由があったのだろう。

 With String物は、基本的にバラード曲が並び、ソロ中心でストリングスはあくまでもバックの雰囲気づくりに一役買うということが多い。クリフォードブラウンのアルバムはまさにその通りだった。ところがこのアルバム、決してバラードばかりではない。最後の曲などはアップテンポ、ストリングスを交えたグループセッションといった感じだ。ちょうどCTIレーベルが登場したころから、ウェスのA day in the lifeに代表されるように、バックのストリングスの使い方も大きく変っていた。という点では、アレンジャーのスキルや感性も変化してきてきたということになる。

 このアルバムのアレンジはBob Freedman、すぐには思い出せなかった名前だったが、昔はメイナードファーガソンのビッグバンドにアレンジを提供したこともある。その後も映画音楽や歌手リナホーンやハリーベラフォンテのバックオーケストラのアレンジなどを数多く手掛けていたようで、ここでもオーソドックスなアレンジもあれば、一味違うスリリングなアレンジも聴かせてくれる。バックというよりも、コラボという位置づけだ。やはり、このアルバムの評価は、マルサリスのトランペットだけでなくバックのアレンジ込みだろう。

 クリフォードブラウンのアルバムは、最後がスターダストであった。これを受けたマルサリスは、スターダストからスタート、スタンダード曲を素材にオーケストラとのトランペット協奏曲をスタート、途中はマイルスとギルエバンスとのコラボの延長とも感じさせる。B面に移って、自分のオリジナルのタイトル曲で締め、最後はマルサリスが最も尊敬するといわれるアームストロングもよく演奏したI'm Confessin'でクロージングを迎えるという大組曲のようにも思える。

 このアルバムのベースがロンカーターというのも気が付かなかったが、こうやって聴き返すと、マルサリスのソロとバックのオーケストラアレンジの橋渡し役であるリズムセクションの要として、カーターも意味あるキャスティングだったように思う。

 この2日間で、当時のジャズ事情は大分記憶が整理された。コンコルド以外もこの頃の棚卸を続けてみよう。

1. Stardust             Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 4:07
2. Lazy Afternoon  John Latouche / Jürg Morgenthaler / Jerome Moross 5:03
3. For All We Know            J. Fred Coots / Sam M. Lewis 6:15
4. When You Wish Upon a Star      Leigh Harline / Ned Washington 4:40
5. Django                          John Lewis 4:52
6. Melancholia                      Duke Ellington 5:09
7. Hot House Flowers                  Wynton Marsalis 5:46
8. I'm Confessin' (That I Love You) D. Daugherty / Al J. Neiburg / E. Reynolds 5:41


Wynton Marsalis (tp)
Branford Marsalis (ts,ss)
Kenny Kirkland (p)
Ron Carter (b)
Jeffrey Watts (ds)
Kent Jordan (afl)

& strings Orchestra

Produced by Steve Epstein
Arranged and Conducted by Robert Freedman
Recorded at RCA studio A, New York on May 30 & 31 1984

スターダスト(期間生産限定盤)
クリエーター情報なし
SMJ
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やっとレコーディンを終えたので、今度はフェスティバルの舞台にも・・

2017-02-08 | CONCORD
Jazz Prose / The Fraser Macferson Quintet

 今から30年近く前、全国各地でジャズフェスティバルが開かれた。大手企業が冠スポンサーになって、日本の有名グループだけでなく海外からも多くのミュージシャンが集まり、夏の風物詩のひとつとなっていた。最近ではこのようなフェスティバルもすっかり影を潜め、代わりに町興しの一環として、街を挙げてのジャズイベントが開かれるようになった。
 東京では、新宿のトラッドジャズフェスティバルを始めとして、身近な所では阿佐ヶ谷ジャズストリート、練馬、そして我が家のある小金井でも規模は小さいが毎年開催されている。これらの、プロだけでなく地元のアマチュアも交えて楽しいお祭りは、東京だけでなく全国各地で数多く開かれているようだ。それだけ、身近にジャズを聴く機会は増えているのだが・・・。

 昨年、ゴルフ帰りに宇都宮ジャズクルージングに寄ってみた。渡辺貞夫の出身地である宇都宮はジャズファンが多いのか、このイベントは年3回も開かれている。同時に10か所以上でセッションが行われ、地元のミュージシャンが多く、名前も演奏内容も分からないので初めて行くと、まずどこに行くかで迷った。
 プログラムの中に、テナーの岡田嘉満と知った名前が見つかった。村田浩のビバップバンドの一員として、東京だけでなく全国を廻っているが彼の地元は栃木。普段は北関東を中心に活動をしているようで、東京ではなかなか聞く機会が無い。彼のように地方を拠点としているミュージシャンのライブ演奏を聴く機会は、たまたまその地を訪れた時以外ないものだ。

 ローカルミュージシャンの演奏に出会う機会が少ないのは日本だけでなく万国共通。アメリカはともかく、ミュージシャンの絶対数の少ないカナダとなると尚更だ。
 バンクーバーを拠点としていたフレイザーマクファーソンの演奏に惚れ込んだのは、コンコルドのカールジェファーソン。彼が自費出版で出したアルバムをコンコルドのカタログに載せ、新たにアルバムを作るためにバンクーバーにも乗り込んだ。その成果が前作のIndian Summerだ。そして、そのマクファーソンを今度はコンコルドジャズフェスティバルの舞台に引っ張り出した。ロンカーターとジムホールが出演した1984年のフェスティバルであった。

 マクファーソンは単身バンクーバーからコンコルドへ。他のメンバーもギターのエドビケットとベースのスティーブウォレスはトロントから。コンコルドのホスト役でもあるデイブマケンナとジェイクハナはボストンからと、一緒に共演するメンバーは共に東海岸から集まった。

 メンバーはかって一緒に共演した経験があり、演奏スタイルはジェファーソンが最も好むスタイルとなると、大舞台での演奏であってもほとんど打ち合わせやリハをすることなくプレーは始まった。テナーのスタイルはレスター派。日本で言えば、尾田悟といった感じのリラックスした演奏が続く。



 メジャーな世界では無名であったマクファーソンも、地元バンクーバーのスタジオではファーストコールの存在。カナダでも賞を受賞する腕前であったが、レコーディングの機会には決して恵まれていなかった。そんな、ローカルの実力者にもレコーディングやフェスティバルの舞台に上がる機会を与えたのがコンコルドであった。商売っ気抜きで、好きなミュージシャンを追いかけるのがジェファーソンの道楽であったとも言えよう。

 スタイルはフレイザーより多少バップスタイルだが、岡田嘉満のテナーも実によく歌うテナーだ。彼も自費制作のアルバムはあるようだが、今の時代なかなかメジャープレーヤーのアルバムでさえ制作できるレコード会社は無くなった。ローカルで活躍する隠れた名手のアルバムを作ろうというジェファーソンのようなマニアックなスポンサーはいないものかと思う。

1. You'd Be So Nice to Come Home To
2. All Alone
3. On a Slow Boat to China
4. Darn That Dream
5. Happy Man
6. I'll Never Be the Same
7. It Could Happen to You
8. There Is No Greater Love

Fraser Macfherson (ts)
Ed Bicket (g)
Dave Mckenna (p)
Steve Wallace (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edward
Recorded live at The Concord Pavillion, Concord, California August 1984
Originally released on Concord CJ-269
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小さなクラブのライブから、コンコルドジャズフェスティバルの大舞台に・・・

2017-02-07 | CONCORD
Telephone / Ron Carter & Jim Hall

 ロンカーターというと、自分にとっては丁度ジャズを聴き始めた頃のマイルスのグループの一員という印象が強い。しかしカーターの長いミュージシャン人生の中で、マイルスのグループに加わっていた期間は1963年からマイルスインザスカイまでの5年間、その間もスタジオワークでは数多くのセッションに加わっていた。レコーディングに参加した数の多さは間違いなく、ベスト5に入るだろう。
 今年で80歳になるがまだまだ現役バリバリ。良く来日して演奏を聴かせてくれるが、コンボであったり、ビッグバンドであったり、昨年はチェロを加えたノネット編成だった。ジャズだけでなく、クラシックの演奏にも長けているカーターは、要は何でもこなせるスーパーベーシストだ。

 一方の、ジムホール。有名な映画「真夏の夜のジャズ」では冒頭に登場するジミージュフリーのトリオにボブブルックマイヤーと共に加わっていた。映像では音はすれども姿はみせず、曲が終わった挨拶のところでワンカットだけ写っていたので印象が薄いが。その後、ロリンズやアートファーマーのグループに加わっていたが、彼も、その後スタジオワークが多くなった。スタジオでは常連のロンカーターと顔を合わせることも多かっただろう。

 この2人のキャリアを辿ると、2人ともチコハミルトンのグループが出発点になる。大陸の東西でハードバップ、そしてウェストコーストジャズが全盛であった頃、このハミルトンのグループというのは得意な存在だった。そこに2人が加わっていたというのも何か因縁めいたものを感じる。ハミルトンのグループでは必ずしも一緒にプレーをした期間はなく、入れ替わりだったようだが。

 この2人が、1970年にアローントゥギャザーというDuoアルバムを出した。ジムホールのデュオというと、ビルエバンスとのアルバムが有名だが、このベース版となる。一方のロンカーターも最近ではサックスのヒューストンパーソンとのデュオアルバムがあり、デュオでの演奏も多い。

 最近のゴルフはプロの世界では300ヤード越えのドライバーショットが目立つが、スコアメイクはやはりアプローチとパット。昨日のPGAツアーで松山が優勝したが、最後の勝因はやはりアプローチとパット。よく引き出しが多いという言われ方をするが、状況に合わせた多彩なアプローチの技を持っている松山に軍配が上がった。

 そのような意味では、ロンカーターとジムホールも日頃の多彩な演奏活動から自然と多くの引き出しを持つようになったのだろう。その2人が、丁々発止とやりあえば、それぞれの引き出しはフルオープンになる。
 ギターとベースのデュオというと、時々同じような演奏が延々続くライブに出くわすこともある。引き出しの少ない者同士のデュオは実に単調でつまらないが、この2人の掛け合いは実にスリリングだ。それも、ライブでの演奏だと一層。ゴルフでいうと練習場とコースでのショットの違いになるのだろう。本番でいい球を打てるようになれば本物だ。

 この2人のデュオにはライブのオファーも多く、忙しい日々の仕事の合間を縫ってはクラブ出演を続けていた。それも、大きな会場ではなく、小さなクラブの日曜の昼のセッションのような場所で。
 ある時、ニューヨークのビレッジウェストに出演した時の演奏がラジオ放送のために録音された。たまたまその音源の権利を2人はキープしていたので、ジムホールがコンコルドでアルバムを出すようになった時、ジェファーソンにそれを提供した。晴れてアルバムとなったのが、前作のLive at Village Westだった

 このアルバムが好評だったので、ジェファーソンはコンコルドジャズフェスティバルの舞台に2人を登場させることになった。1984年の8月、同じライブといっても、小さなクラブと違って、コンコルドのステージは2人だけの演奏には大きすぎたかもしれない。しかし、耳の越えたファンの暖かい拍手に迎えられ、2人の熱いコラボレーションが展開された。その、ライブでの演奏が収められたのが、このアルバムとなる。

 2人のデュオの3作目となるがいずれもライブでの演奏になった。スタジオに籠って2人きりで演奏するよりは、人前で一発勝負の演奏する方が、緊張感が増すのだろう。ジャズは、やはりライブに限るという一例だ。

1. Telephone                Ron Carter 5:05
2. Indian Summer      Al Dubin / Victor Herbert 5:43
3. Candlelight              Ron Carter  4:05
4. Chorale and Dance             Jim Hall 6:30
5, Alone Together   Howard Dietz / Arthur Schwartz 10:15
6. Stardust     Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 7:29
7. Two's Blues                Jim Hall 4:04

Ron Carter (b)
Jim Hall (g)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwards
Recorded at Concord Pavillion, Concord, California August 1984
Originally released on Concord CJ-270

Telephone
クリエーター情報なし
Concord Records
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ビバップの創始者は、ビッグバンドもバップスタイルで・・・

2017-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Dizzy Gillespie and His Big Band in Concert

今年2017年は、ジャズのレコードが初めて作られた1917年からちょうど100年。



この、Original Dixieland Jass Bandのレコードはいきなりミリオンセラーになったそうだ。太古の昔から、絵画や文字でその当時の記録を残すことはできたが、音だけはレコードが発明されるまで記録に留めることはできなかった。クラシックと違って譜面に残されていないジャズの演奏は、レコードが無ければ当時の演奏の再現も難しい。音は悪くても貴重な演奏だ。

この史上初のジャズレコードが生まれた年1917年に誕生したジャズミュージシャンは沢山いるが、その一人がトランペットのディジーガレスピー。パーカーと共に、モダンジャズの原点であるビバップの創始者としても有名だ。

ガレスピーがミュージシャンとして本格的に活動を始めた1940年代、世の中はビッグバンドの全盛期。ガレスピーに限らず当時のジャズミュージシャンは皆ビッグバンドが仕事場であった。形にはまったジャズに満足できずに、仕事が終わった後のジャムセッションからビバップは生まれた。丁度、第2次世界大戦の真っ只中から戦後にかけてであった。戦争は多くの歴史・文化を失うが、大戦中でも戦場にならなかったアメリカ大陸だけは文化活動も途絶えることなく、却って革命的な変化が起こっていたということになる。

コンボの演奏形態としてのビバップが進化していった中、ビッグバンド好きのガレスピーは自らビバップオーケストラを作り、ビッグバンドが下火になった1956年まで自らのビッグバンドを率いていた。その後も、機会ある毎にレコーディングやライブで臨時編成のビッグバンドを率い、時には他のバンドのゲストとしてもよく参加した。根っからのビッグバンド好きであったのだろう。



先日、エリック宮城率いるブルーノートオールスタービッグバンドの新春ライブがあった。このバンドは最近ゲストプレーヤーを招くことが多いが、今回はガレスピーの生誕100年を祝って、ジョンファディスをゲストに招いてのライブであった。
宮城自身トランペットの第一人者であっても、今回のお題がガレスピーとなると、やはり一番弟子のジョンファディスが適役と考えたのだろう。実際のステージでも、ファディスが登場するとエリックは舞台を退き、プレーだけでなく、バンドの指揮もすべてファディスにお任せであった。

ジョンファディスも、若い頃はサドメルの一員として活躍し、近年ではカーネギーホールジャズオーケストラのディレクターを務めるなど、ガレスピー譲りは演奏だけではなく、
ビッグバンドバンドにも思い入れがあるようだ。

ステージではお馴染みのガレスピーナンバーを次々と繰り広げたが、得意のハイノートを駆使したプレーでバンドを引っ張るだけでなく、バックのオーケストラの演奏にも気を配っていた。ブルーノートオールスターズは百戦錬磨の日本を代表するプレーヤー揃い。しかし、ガレスピービッグバンドのノリを再現するには少々リハ不足だったかもしれない。最近では珍しいリフサンサンブルでの盛り上がり、そしてバラードの名曲アイリメンバークリフォードではバックのデリケートなアンサンブルに細かく指示を出していたのだが・・・。その中でファディスの期待に応えていたのは二井田ひとみの掛け合い。大先輩ファディスとのやり取りに多少困惑、そして気後れした感じはあったが、歌心あるプレーズで堂々と渡り合っていた。彼女のファンとしては嬉しい限り。

さて、このようなライブを聴くとオリジナルが聴きたくなる。リーモーガンやウィントンケリーがいた頃の、ニューポートでのライブがすぐに思い浮かぶが、やはり結成直後の演奏が原点だろう。



このアルバムは、ビバップの伝道師と言われたジーンノーマンが1948年に西海岸(パサディナのオーディトリアム)で行ったライブアルバム。ビバップのムーブメントは西海岸ではすんなりと受入れられなかったといわれるが、会場の盛り上がりは凄い。ジーンノーマンの功績は大きい。

ガレスピーのビッグバンドの特徴はもう一つ、ラテンサウンドを採り入れた所だ。それにはアレンジだけでなくパーカッションも大事。このライブにはキューバ出身のチャノボゾが参加しているのも価値がある。キューバからアメリカに来たのが、このライブの前年の’47年、翌年’49年の12月にはニューヨークのバーで射殺され、実際にアメリカで活躍した期間はほんの僅かであった。

ガレスピー以外のメンバーにも、テナーのジェイムスムーディー、バリトンのセシルペインなどがいてソロを繰り広げる。アレンジはガレスピーのオーケストラアレンジでは有名なギルフラーやタッドダメロン。やはり、バップオリエンテッドなモダンビッグバンドの原点はここにある。

1. Emanon            Dizzy Gillespie / Milton Shaw 4:30
2. Ool-Ya-Koo            Gil Fuller / Dizzy Gillespie 6:15
3. 'Round About Midnight  B. Hanighen / T. Monk / C. Williams 3:35
4. Stay on It           Tadd Dameron / Dizzy Gillespie 5:40
5. Good Bait             Count Basie / Tadd Dameron 3:20
6. One Bass Hit      Ray Brown / Gil Fuller / Dizzy Gillespie 5:05
7. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:30
8. Manteca         Gil Fuller / Dizzy Gillespie / Chano Pozo 7:35

Dizzy Gillespie (tp)
Dave Burns (tp)
Elman Wright (tp)
Willie Cook (tp)
William Shepherd (tb)
Jesse Tarrant (tb)
Cindy Duryea (tb)
Erney Henry (as)
John Brown (as)
Joe Gayles (ts)
James Moody (ts)
Cicil Payne (bs)
Nelson Boyd(b)
James Foreman (p)
Teddy Stewart (ds)
Chano Pozo (conga)

Produced by Gene Norman
Recorded live at Pasadene Civic Audorium, Calfornia on July 26,1948




Dizzy Gillespie And His Big Band In Concert
クリエーター情報なし
GNP Crescendo
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持っているアルバムの棚卸も、何かきっかけがあると捗りそうだ・・・

2017-02-03 | MY FAVORITE ALBUM
In Tradition / Franck Avitabile

歳をとるとなかなか新しいことを覚えるのが大変だ。覚えようとすること自体が億劫になる。それに反して昔の事はつまらない事でも覚えている。ただし、それを思い出すには何かきっかけが必要だ。
最近は、学生時代の仲間と再会して昔話に花を咲かせる機会が多いが、話が盛り上がると次々と昔の記憶が蘇る。どうも新しいことを覚えようとするよりも、昔の記憶を思い出す機会を増やす方が頭の体操には良さそうだ。事実、ボケ防止のためには、昔の書き物や写真を見返すことが大事なようだ。

先日、神保町に行く用事があった。浪人時代、そして会社勤めを始めた頃、毎日通った街だけに、懐かしさもあって行く度に街を一回りする。昔あったジャズ喫茶、響、Smileは無くなって久しいが、今もジャズ喫茶は何軒かある。神保町の交差点近くにあるのがBig Boy。JBL4343が良い音で鳴っている。少し離れたボンディーでカレーを食べた後で寄ってみた。昼休み時間が終わった後で、お客は勤め人というよりは、自分と同じ年代が多かった。一人で来ている者もいれば友人同士で、席はほぼ一杯だった。やはり同世代にはジャズ好きが多いのを実感した。

最初に掛かっていたのは、カーメンマクレーのグレートアメリカンミュージホールでのライブ盤、そしてデイブパイクのパイクスピーク。ここは新しいCDも多いので自分の知らないアルバムが掛かっていることが多いが、知ったアルバムだと何となく落ち着くものだ。

そして、次にかかったアルバムは、バウエル風のピアノトリオ。結構いい音だ。遠目に立てかけてあるCDジャケットに目をやると、デザインは記憶がある。確か持っていたはずだと記憶を辿るが名前が出てこない。席を立って確認しようと思ったが、持っていることを確信して、家に帰ってから確認することに。

さて、自宅のCD棚は、コンボ、ボーカル、ビッグバンド別にABC順に並べてある。数は数えた事はないが、多分3千枚近くはあるだろう。この中から全く名前にあてのないものを探すのは至難の業だが、棚の前に立つと躊躇なく左上のAの場所へ。秋吉敏子やキャノンボールアダレーの見慣れたジャケットに続いて、すぐにお目当てのアルバムが見つかった。名前を確認するとFranck Avitabile。忘れたのではなく、そもそもしっかり覚えていなかった。持っているアルバムもこれ一枚。しかし、ヨーロッパの若手のパウエル風のピアノという記憶と、昼間ビッグボーイで聴いたピアノが頭の中で一致した。

自宅で再びCDをかける。自宅のオーディオもそれなりにいい音はすると思っているが、4343にはかなわない。しかし、パウエル風のバップオリエンテッドのピアノは心地よい、あっと言う間に一枚が終わる。パウエル風というだけでなく、このアルバムはパウエルの曲が大半なのでよりパウエル色が濃い。自分のオリジナル曲を弾く時は少しスタイルが変わる。





ジャケットを見るとますます記憶が蘇る。このアビタビレはミシェルペトルチアーニが育てたピアニスト。ペトルチアーニの兄弟であるベースのルイスと一緒に弾いていたのを聴いて、ぞっこん惚れ込んでこのアルバムを作ることになった。そして、ルイスもこのアルバムには一部参加していることも頭の中にリセットされた。

どうやら、CDやLPの棚卸も、ボケ防止の為の頭の体操には役立ちそうだ。

1. Gettin' There                  Bud Powell 4:41
2. Tempus Fugit                 Bud Powell 2:22
3. Topsy Turvy                  Bud Powell 5:38
4. Time Waits                  Bud Powell 4:06
5. Celia                      Bud Powell 3:36
6. Willow Groove                 Bud Powell 3:11
7. Trois Gros                  Franck Avitabile 3:06
8. There Will Never Be Another You  Mack Gordon / Harry Warren 4:17
9. August in Paris                Franck Avitabile 6:32
10. Burt Covers Bud                 Bud Powell 3:08
11. Wail                        Bud Powell 2:43
12. Kenny                      Franck Avitabile 7:29
13. Bud's Bubble                     Bud Powell 2:49
14. Silence                      Charlie Haden 4:12

Franck Avitabile (p)
Riccardo Del Fra(b)
Loigi Bonafede (ds)
Louis Petrucciani (b)

Produced by Michel Petrucciani
Engineer : Claude Ernelin
Recoeded at Studio Davout, Paris on 19,20 & 21 January 1988


In Tradition
クリエーター情報なし
Dreyfus Jazz
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ジョージウェインがConcordで手掛けた最初のアルバムは・・・

2017-02-02 | CONCORD
100 Hearts / Michel Petrucciani

Concordのアルバムにジョージウェインの名前が登場したのは、ニューポートオールスターズのアルバムであった。1984年の春、このオールスターズがアリゾナ州立大学での演奏を収めたものだ。

ニューポ―トといえば、ジョージウェインが1956年に最初に手掛けたジャズフェスティバル。発祥の地ニューポートでの開催は一時中断した時期もあったが、1981年装いも新たにニューポートの町に戻ってきた。
このフェスティバルには毎回、時の大物ミュージシャンが参加していたが、その中で変わらなかったニューポートオールスターズ。ウェイン自らがピアノで参加し、スイング、ディキシー系のベテラン勢がメンバーを務めた。

81年に再開された時、9年のブランクの間に他界したメンバーも多く、メンバーが一新された。その時新たに参加したのが、中間派の若手代表、スコットハミルトンとウォーレンバシェであった。このオールスターズは、本番のニューポートのステージだけでなく、全米の大学周りのツアーを行い、それに2人も参加していた。当時コンコルドレーベルの看板であった2人が、一時ウェインの元にレンタル移籍をしたような形だった。

ジェファーソンとウェインの仕事でのジョイントはこれがきっかけになったのであろう。
ジェファーソンは言わずと知れた大のスイング好き、一方のウェインは、ピアノの演奏はスイングスタイルだが、プロデューサーとしてはスイングには拘らず時代の先端となる演奏にも興味を示していた。

80年代の初めは、メインストリームとフュージョンが鎬を削っていた頃だったが、ウェインはあくまでもジャズはスイングする物に軸足を置いていた。という意味で、新伝承派と言われた若手達にもウェインは注目していた。

ウェインは、ニューポートを手掛ける前は地元ボストンで、ストリーヴィルという名でクラブやレーベルを運営していた。ジャズフェスティバルの企画・運営が中心になってからは、アルバム作りやレーベルのプロデュースは積極的に行ってこなかった。しかし、アルバム作りの情熱も残っていたようだ。

ジェファーソンの看板スターの貸し出しのお返しという訳でもないとは思うが、今度はウェインがジェファーソンにアルバム作りを手伝うことになる。

当時、ジェファーソンは自分の好みの領域を超えてアルバム作りを拡大してきた。その為に、自らプロデュースする以外に、東海岸で他のプロデューサーを起用したり、ミュージシャンの自己プロデュースしたアルバムを数多く手掛けるようになっていた。そんな時に、ジョージウェインをアルバム作りの総合監修に迎えるのは好都合だったのかもしれない。

コンコルドはそれまで、ラテン系のシリーズとしてConcord Picanteをサブレーベルとして設けていたが、カタログナンバーは両者共通化してきた。
新たにジョージウェインを迎え、今度はConcordというレーベルの中にGeorge Wein Collectionという、これまでのCJではなく、GWという別ナンバーシリーズを設けた。
このシリーズは結果的に10枚足らずの短命に終わったが、中に何枚か注目されたアルバムがあった。

そのシリーズの最初のアルバムがこのアルバムとなる。

当時、話題になっていたピアノのミシェルペトルチアーニ。ビルエバンスを源流とするピアノのスタイルも、この頃になると多くの後継者によって更にいくつかの個性あるスタイルに分かれていった。このペトルチアーニもその一人であったが、出身がヨーロッパであったこと、そして身体的なハンディキャップがあることが、演奏そのものよりも注目され、語られてしまっていたかもしれない。

ヨーロッパ出身であるペトルチアーニはモントルーにチャールスロイドのグループに加わり出演し、徐々にアメリカでも注目され始めていた。本格的なアメリカデビューは1983年、ニューヨークのクールジャズフェスティバルへの出演。これを段取りしたのがジョージウェインだった。

このペトルチアーニのソロが余程気に入ったのだろう、ニューヨークに滞在中、ステージでの演奏とは別にスタジオでも彼の演奏を録音した。スタジオライブの形式をとったようだが、自由奔放な彼のソロをステージ上の演奏をそのままの形で残したかったのかもしれない。ピアノの場合、ソロの方が、個性がはっきり出るように思うが、ペトルチアーニ自身、ソロの方が表現力を増すことができるとコメントしている。これが、ペトルチアーニのアメリカでの初録音となった。

コールマン、ヘイデン、ロリンズなどの曲に混じってペトルチアーニのオリジナルもあるが、Pot Pourriとタイトルされたメドレーでは、サムデイマイプリンスカム・・、オールザシングスユアーといったスタンダード曲が次々と続く。エバンスから始まるペトルチアーニの自らのジャズピアノの歴史かもしれない。

1. Turn Around                 Ornette Coleman 9:20
2. Three Forgotten Magic Words       Michel Petrucciani 5:26
3, Silence                   Charlie Haden 5:57
4. St. Thomas                  Sonny Rollins 6:41
5. Pot Pouri (Medley): Someday My Prince Will Come/All the Things You Are/Child Is Born
     Frank Churchill / Oscar Hammerstein II / Thad Jones / Jerome Kern /  14:21
6. 100 Hearts                Michel Petrucciani 11:59

Michel Petrucciani (p)

Produced by Gabreal Franklin
Live recording at RCA Studio A, New York, 1983
Originally released on Concord GW-3001 (George Wein Collection)

100 Hearts
クリエーター情報なし
Blue Note Records
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ゴルフには寒さは堪える、やはり半袖、短パンだと気持ちよくプレーできるのだが・・

2017-01-30 | GOLF LIFE
年明けとともに、寒い日が続いていた。
ゴルフには寒さだけでなく、カチンカチンに凍ったグリーンはプレーしていても面白くない。ちょうどこの冬一番の冷え込みと言われた日、朝一番のスタートだったが、その前に支配人が一足先にスタートしていった。終わって風呂場で顔を合わせると、「グリーンのシートをもう少し大きくしないといけないな」と。元々プロだったその支配人、最近は集客と売上が優先される時代だけに、何事も自ら現場体験してお客の立場で改善していくというのはいいことだ。

という訳で、寒い日本を離れて先日グアムに遠征した。昔は、毎年ハワイ合宿をしたこともあったが、久々の海外ゴルフ。というよりは海外に出掛けること自体久しぶりだった。
今回は、日数も短く、ゴルフバッグを持参しなければならないので、空港まで車で行って預けることにした。最近、羽田空港は駐車場が満杯で、時間によっては駐車するのも大変と聞くので、成田の駐車場事情はどうかと調べたら、こちらは外部の駐車場も多く問題はなさそう。競争が激しくなっているのか、以前よりも安くなったような気もした。その中で一泊300円と激安のB-timesが目についた。

調べてみるとコインパーキングのTimesが最近力を入れている時間貸しではなく、日貸の駐車場。成田の場合、場所は系列のタイムスレンタカーの敷地の中。要はレンタカーを置いてあるパーキングスペースの有効利用ということだ。
当然利用者は空港利用者がほとんどだと思うが、空港までの送り迎えはレンタカーの送迎バスがあるので、これを利用すれば新たな投資は必要なし。在り物利用のサービスとしては良くできた仕組みだ。
もちろん、利用者にとっても同じサービスであれば安いのが一番。タイムスクラブのメンバー限定のサービスだが、たまたま自分は会員になっていたので、使う側も何も面倒な手続きいらずであった。実際に使ってみたが、利用できる台数も多くないので、個人サービスに近く、待ち時間もなく便利に使わせてもらった。次回もここを使うだろう

グアムでのゴルフは、スターツゴルフリゾートとマンギラオゴルフクラブ、どちらも日本の会社がオーナーでお客も大部分が日本人。グアムは今がトップシーズン、プレー料金もしっかりリゾート料金であった。特にマンギラオは全日$250、円安の昨今3万円に近い。今回の幹事役が色々伝手を探したが、ディスカウントは一切無いらしい。国内ではプレー代は安くなる一方だが、やはり価格は需給関係で決まるのだろう。

何を買っても、高く割に中身が期待外れだとがっかりするものだが、今回のコースは価格相応に満足。天気が良かったのも幸いだった。リゾートコースにしてはどちらも手入れが良く、特にグリーンが良い状態だった。マンギラオは、米国ゴルフダイジェスト誌の世界の100コースに選ばれているというだけあって、有名な海越えの12番ショート以外も全体のレイアウトが変化に富んでいて楽しめるコースだ。池が絡むホールが多いアウトと、崖を下って海沿いのインの対比も素晴らしい。





初めて廻るコースはどこに行ってもプレー以前に、OBはどこかとか、池やバンカーの在りかが気になる。更に、ここのようにリゾートコースで綺麗な景色が楽しめ、おまけに風が強いとなると、気になる事が多く、肝心のスコアはどうしても二の次になる。もう一度プレーに集中してチャレンジしてみたいコースだ。

暖かい南国でゴルフをすると、寒い日本ではしばらくゴルフはお休みかと思っていたが、ここ2,3日の暖かさにつられて昨日はホームコースへ。研修生がキャディーにつき、組み合わせで2サムだったので、こちらは見慣れた景色に見とれることもなく、プレーに集中できた。
前半はダボなしの41。後半もその調子と思ったら、出だしのロングホールで林に打ち込み大トラブル。最終のロングホールも同じミス。どちらも大叩きの9。他はなんとかまとめてまずまず90を切るスコア。
昨年末からパットの不調が続いていたが、グリップを変えたせいとばかり思っていた。先日忘れていたポイントを一つ思い出したらパットがしっくりきたのが大きい。周りの状況を気にしないだけでなく、体の動きも無意識に自然体で打てるとスイング全体がしっくりくるのだが、ゴルフというのはどうもその域に達するのは難しいようだ。プロが毎日のように練習しても体に覚え込ますのは大変なようだが、素人は身に付いたつもりでも一晩寝るとすぐに忘れてしまう。

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絶好調のトランペット3人の実力者に混じって、ピアノの新人が・・

2017-01-21 | MY FAVORITE ALBUM
Three Trumpets / Donald Byrd, Art Farmer.Idrees Sulieman

老舗のライブハウス東京TUC
は色々嗜好を凝らした企画をやるが、昨年から続いているのがドラムの大坂昌彦が企画する同じ楽器を3人揃えたサミットシリーズ。臨時編成のグループとはいえ、単にジャムセッションを繰り広げるのではなく、ソロあり、2人の組み合わせあり、多彩な構成で個性ある3人のプレーを存分に楽しめる。

昨年は、たまたま来日中のアルトのエリックマリエンサルを加えたバトルは圧巻だったし、クラリネット3本というなかなか聴くことのできない楽器、それもスタイルが全く違う3人の組み合わせも楽しめた。今年もすでにピアノ3人の組み合わせが終了し、来月は若手トランペット3人が予定されている。

ブルーノートの初期のシリーズが1500番台ならば、ライバルともいえるプレスティッジは7000番台となる、こちらは、次に7100番へと順番に60年代に入っても延々と続き、最後は70年の7862番でシリーズは終わる。

この7000番台初期のプレスティッジオールスターズの中に、同じ楽器を2本、3本、4本を組み合わせたバトル物が多かった。コルトレーンが加わったTenor Conclaveや、後にコンビを組むウッズとクイルが入ったFour Altos、そしてトランペットとアルトが2本づつといったPairing Offというアルバムもあった。
そのような企画の一環としてトランペット3本の、その名もスリートランペットというアルバムがある。

1957年の録音なので、ニューヨークにドナルドバードが出てきてまだ2年目。まだ25歳の頃だが、ジャズメッセンジャーズにも加わり、すでに大活躍していた。この年に録音されたドナルドバードが参加したアルバムの枚数は改めて数えてみたら30枚を超える、要は毎週のようにレコーディングに参加していたことになる。バードに限らず、この頃プレスティッジの専属であったアートファーマーも同様であった。

ジャズ界が一番元気であった時代とはいえ、この頃の各社のレコーディングの数は膨大だ。だからこそ、今でも当時の彼らの演奏を聴けるということになるのだが。
それに反して、より技術的にも進歩し、文化的にも多様になった今日、日々活動しているミュージシャンの演奏が、きちんと後世に残せていないというのも何か矛盾を感じる。使い捨て文化が理由なのか、デジタル化の弊害なのか。デジタルデータは取り扱うのは便利だが、何かがあったら何も残らない。ハードディスクをクラッシュさせた経験があれば、誰もが体験している事なのだが。今から50年後に今の時代の情報を求めるとネット上に無数のごみ情報はあっても、アルバムのようにきちんとした形では何も残っていないのかもしれない。

さて、このアルバムはバードと、ファーマー、それにアイドリーススリーマンの3人のトランペット奏者が主役だが、もう一人重要なメンバーがいる、ピアノのホッドオブライエンだ。
21歳のオブライエンが初めて録音の機会を得たアルバムだ。
このブログを再開した時のアルバムが、ホッドオブライエンだったが、このオブライエンはこの時期の録音がほとんど残っていない。タルファーローが伝説のギタリストであれば、このオブライエンの引退前の演奏も貴重な演奏だ。パウエルの影響を受けた、バップスタイルの演奏が3人のフロントラインを支えている。

3人の演奏も、歳をとるに従ってそれぞれのスタイルに進化していったが、この頃の演奏は誰もがガレスピー、ナバロの影響を受け、クリフォードブラウンに刺激を受けていた発展途上。

スタンダード曲を素材としたジャムセッション物ではなく、すべて参加メンバーのオリジナル。ブルースに始まり、バラード、そして最後はアップテンポに盛り上がってソロ交換で終わる構成は、それぞれの演奏だけでなく、アルバム作りにも参加したメンバーのコラボレーションの成果が窺われる。

ピアノのホッドオブライエンは、その後60年代の初めまでは、ニューヨーク郊外のステイトンアイランドのクラブでハウスバンドのピアノを務めていたが、ピアノ弾きをやめてコンピューター関連の仕事に就く。しかし音楽に対する興味は失せることなく、70年代の後半に再びジャズ界に復帰し、ペッパーアダムスなどとセッションを再開した

1. Palm Court Alley          Idrees Sulieman 7:48
2. Who's Who?               Art Farmer 6:29
3. Diffusion of Beauty           Hod O'Brien 7:01
4. Forty Quarters           Idrees Sulieman 4:34
5. You Gotta Dig It to Dig It        Donald Byrd 13:30

Donald Byrd (tp)
Art Farmer (tp)
Idrees Sulieman (tp)
Hod O'Brien (p)
Addison Farmer (b)
Ed Thigpen (ds)

Supervised by Teddy Charles
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, January 26, 1957

Three Trumpets
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック
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フレッドハーシュの初のトリオでのアルバムが提供されたのは何とコンコルドからであった・・・

2017-01-20 | CONCORD
Horisons / Fred Hersch Trio

ネットビジネスが世に出始めた頃、成功の秘訣は「プラットフォームビジネスに徹する事」という考え方があった。その昔はビジネスの組み立て方は垂直統合、多くの下請け企業群を傘下に持ち、製販一体が大企業の象徴のような時代もあった。今では分業化、良いものを外部から調達、それもグローバルレベルが当たり前の世の中になった。

プラットフォームビジネスというと、ビジネスレイヤー毎に輪切りにして、輪切りの部分を横展開していく戦略。ネット上ではポータルビジネスから始まったが、コマースが主流になり流通や決済まですべての領域に広がった。もちろん各レイヤーで成功するには、ITの利活用が不可欠であり、その巧拙がビジネスで成功するか失敗するかの重要な要素にもなった。

各レイヤーで勝ち組が出揃ってきたと思ったら、今度はレイヤー間の組み合わせ、連携が競争となり、新たな戦いが始まった。今や、車の自動運転が実現される時代、もはやITの利活用は利用者から直接見える所ではない、社会構造の奥深い所まで及んでいる。

さらに、最近のキーワードはビッグデータからAIに。我々生活者としては、ますます便利な世の中になっているが、反対に個人情報はすべてどこかに集まって、それらを元に勝手に判断を押し付けられる時代に。自分の意思を貫くには、そろそろ自分にとって必要なプラットフォームを利用者側が必要に応じで選別する時かもしれない。

さて、物でもサービスでも、それを実際に生活者に認知してもらい、買ってもらうために必要なものはブランドとそのネーミング。広告会社の一番の腕の見せ所である。そのブランド自体の役割も最近では大きく変化しつつある。果たして今後はブランドにどんな意味を持たせる世の中になることやら。

ジャズの世界では、昔はレーベルがブランドのようなものだった。レーベルの名前を聞いただけで、中身の演奏を想像できるようになれば、ジャズファンとしては一人前だった。自然と、好きなミュージシャンと共に、自分の好みのレーベルが決まってきたものだ。自分は、色々試行錯誤の結果、Concordレーベルファンに辿り着いたことになる。

Concordとは、オーナーのカールジェファーソンが、地元の町の名前Concordをそのままつけたもの。Concordの町自体が有名だったとは思えないので、実に安直に決められたネーミングだ。
地元で車のディーラーとして成功したジャズ好きのジェファーソンが、町のイベントとして公園の片隅でジャズフェスティバルを開催し、そのライブの録音をレコードにして通信販売で提供し始めたのがレーベルの始まり。特に積極的にビジネス展開するつもりも無かったようで、フェスティバルの名前もConcord、レーベルもそのままConcordでスタートした。

ギター好きのジェファーソンが最初に集めたのは、バニーケッセル、ハーブエリス、ジョーパス、ケニーバレル、チャーリーバードといったそれまで第一線で活躍していたベテランのギタリスト達。レイブラウンやジェイクハナといった彼らの仲間達も集まって、ジェファーソンに協力した。彼らも、昔のように大勢の人の前で演奏する場を求めていたのかもしれない。

地方に行くと、昔テレビの歌謡番組の常連だった懐かしい歌手がコンサートやホテルのショーに出ている。知名度は高いのでお客はそれなりに集まるからだろう。という点は、このコンコルドのジャズフェスティバルも同じ。客層は限られても、集客には十分な知名度と実力がある面々だった。

フェスティバルという年に一度のお祭りでは収まらず、出演したメンバーがLA4やグレートギターズのように新たにレギュラーグループを作ったり、他の仲間を呼んで一緒にアルバム作りを始めた。さらに、彼らが自らA&Rマンとして、日々の自分達の活動がてら、新人を発掘してはジェファーソンに推薦した。最初は、話が決まれば自分達が一緒に共演する、といった手作り感溢れるアルバムが多かった。その結果、ベテラン達に混じって、コンコルドでデビューした新人は、スコットハミルトンを筆頭に数多い。

当初、レーベルの活動拠点は西海岸であったが、東海岸でも同様な活動を始めた。それらも最初はすべてジェファーソン自らがプロデュースしていたが、数が増えるとプロデューサーも現地で起用し、アートブレイキーやジョージシアリング、ジムホールといった東海岸を拠点にしていたベテラン達も新たに加わった。

アートブレイキーのように、現役でグループを率いている場合は、そのグループの演奏はもちろん、ジェイムスウィリアムスのような若手メンバーにも別にレコーディングの機会を与えた。このような、現役レギュラーグループや、若手が加わると演奏自体、昔懐かしいスタイルだけでなく、新しいサウンドを聴かせるアルバムも増えていった。

カタログの枚数が250枚を超えると、ジャズの世界ではすでにメジャーレーベル、コンコルドサウンドは広く世間知られることになった。ちょうど同じ時期に展開していたPabloレーベルと並んで、ベテラン達の元気なメインストリームなプレーを聴けるレーベルとして定着していった。意図したものか、偶然かは別にして、どちらも似たようなブランドイメージが決まったということになる。

ところが、コンコルドのアルバムの中には時々プレーヤーの自主制作アルバムが混じっている。このような自主制作物は、初期の段階から、ルイベルソンバドシャンクのアルバムにもあった。自分で録音したものの、アルバムとして発売する機会を逃していたものが多い。
これらのアルバムは、ジェファーソンが特にプロデュースに関与した訳でもなく、いわゆるレーベル貸のような位置付けである。

インターネットが普及していなかった時の自主制作盤となると、その流通はメールオーダーの通信販売だけが頼りだった。告知だけでもなかなか大変な時に、定期的に新譜を出していたレーベルのカタログにラインナップされるということは、それだけでも世に認知してもらうには大きな告知効果があった。もちろんレーベルの持つ信頼感も合わせて。

新人達が参加し始めると、彼らにリーダーアルバム作りの機会も作るようになった。プロデュースをジェファーソンがすることもあったが、ミュージシャンに任せることも次第に多くなった。ドントンプソンのアルバムなどはその一枚。

アートファーマーのグループに加わり、コンコルドにアルバムを残したのがピアノのフレッドハーシュ。スタンゲッツのグループに加わったこともあり、他の有名プレーヤーとの共演も多かった。日本でも長期間ツアーをするなど活動実績は重ね、決して無名ではなかったが、何故かその時まで自分のトリオでの演奏の録音機会には恵まれないでいた。今の、フレッドハーシュの活躍ぶりからは信じられない事だが。

ジェファーソンは、このハーシュにトリオでのアルバムの機会を提供した。そのころハーシュは、ニューヨークに自分の録音スタジオを持ち、活動の範囲は一演奏家には留まらず広範囲だった。それ故、アルバム制作にあたっては、プロデュースのみならず、録音スタッフ、アルバムデザインに至るまで、すべてをハーシュに任せた。

結果は、完全自主制作アルバムで、いわゆるコンコルド色を全く感じず、突然ECMのアルバムが入り込んだような内容となった。このように、コンコルドの新人紹介アルバムは、制作過程に色々な経緯があるので、結果的に興味深いものが多い。

こおハーシュのアルバムも前回紹介したジーンハリスのアルバムとは色々な意味で好対照だ。ピアノのスタイル自体も、ハリスはピーターソンライクであるのに対して、ハーシュは当時からビルエバンスの影響が大きい。共演メンバーにはエバンスとコンビを組んだベースのマークジョンソンも加わっている。ドラムのジョーイバロンも、トニーベネットやカーメンマクレーのバックもしていたが、ニューヨークに移ったこの頃から、ハーシュなどと一緒に新しい世界に飛び込んでいった。このバロンにとっても今のドラミングに通じる出発点となるプレーを披露する場となっている。
演奏だけでなく、クラシックの録音もしていたというハーシュのスタジオ録音と、コンコルドの拠点でフィルエドワーズの手掛けた録音では、音の作り方も大きく違うのも興味深い。



コンコルドレーベルのファンにとっては、このハーシュのアルバムで、コンコルドのブランドイメージがさらに広がっていくことを実感できるが、ハーシュのファンにとってはコンコルドというレーベルイメージが、ハーシュの初アルバムにかえってマイナスイメージを与えてしまうかもしれない。ブランドイメージの難しい所だ。中身は正真正銘、今のハーシュの演奏に繋がるトリオの初アルバムとして聴き応えがあるものだが。

レーベルというのもある種のプラットフォームだが、今の日本のジャズ界は多くが自主制作盤。今の時代こそこのような自主制作盤を選別してカタログに載せるようなレーベルがあってもいいかもしれない。自分もライブに行った時に買い求める以外、なかなか新人達のアルバムを知る機会がない。今のネット時代だと、リコメンドアルバムがマイレーベルなのかもしれないが。

確かに今では色々なサイトでリコメンドアルバムが表示されるが、それは自分自身や同じようなファンの購買、視聴履歴を参考にしたものが大部分。ジェファーソンの試みたような意外性がリコメンドの選定基準に加わってくると、AI技術も本物になるだろう。

1. My Heart Stood Still           Lorenz Hart / Richard Rodgers 6:24
2. Moon and Sand       William Engvick / Morty Palitz / Alec Wilder 7:43
3. The Star-Crossed Lovers        Duke Ellington / Billy Strayhorn 5:00
4. One Finger Snap                     Herbie Hancock 3:22
5. The Surrey With the Fringe on Top  Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers 5:00
6. Miyako                           Wayne Shorter 7:43
7. Cloudless Sky                        Fred Hersch 8:04

Fred Hersch (p)
Marc Johnson (b)
Joey Baron (ds)

Produced by Fred Hersch
Enginner : A.T.Michael, Mark Donald
Recorded at Classic Sound Studio, New York City in October 1984
Originally released on Concord CJ-267

Horizons
クリエーター情報なし
Concord Records
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コンコルドで復活したジーンハリスのピアノの原点は・・・・

2017-01-16 | MY FAVORITE ALBUM
Introdusing The Three Sounds

自分が社会人になってすぐ、会社の上司にジャズ好きの大先輩がいた。中でも大のブルーノートファンで1500番台はすべて持っていると豪語していた。その時、日本盤がすでに出回っていたが、自分より一回り上のその先輩が社会人になったのは1961年。そこからコツコツと集めたと言っていたので、多分オリジナル盤が大半だったろう。亡くなって久しいが、今でもそれが揃って残っていれば宝物だ。

1500シリーズは1501番のマイルスから始まるが、最後はというと1599番ではなく、1600番のこのアルバムとなる。コンコルドで復活したジーンハリスが在籍したスリーサウンズのデビュー盤である。
1958年といえばハードバップ全盛期。ブルーノートもこの後4000番台に入り、ジャズのスタイル自体もフリーからファンキーまで大きく変化をしていった。ちょうど、その節目となったアルバムである。

スイングジャーナルのレコード評は、評論家各氏がそれぞれ評点をしていたが、話題盤になると複数のレビューがあったが、切り口は違っても総じて良い評価をしたものが大半であったが、中には大きく評価が分かれるものがあった。
ひとつは余りに大胆な試みをしたもの、そして反対にジャズの楽しさだけが前面に出た感じのもの。当時のジャズは評価を得るには、同じことをやっても、常に進化しなければならないといった強迫観念に駆られていたように思う。

本家のダウンビート誌も同様の採点をしていたが、所詮ジャズのアルバムの評価といったものには何も基準がある訳でなく、レビュワーの独断と偏見の結果に過ぎない。結局、自分の好きな評論家と嫌いな評論家に分かれ、我々聴き手にとっては、レビュー内容より評論家の好き嫌いが評価になっていた。

さて、このスリーサウンズ、評論家の評価は日米共に今一つであったようだ。特に辛口のファンが多かった日本では、このグループを評価していたのはイソノテルオ氏だけだったように記憶する。

ところが、評価と人気は別なようで、4000番台になってからもこのスリーサウンズは人気グループとして数多くのアルバムを残した。トリオの演奏だけでなく、ソリストのバックとしても。ソニーステットなどとは、一緒にツアーもしていたようだ。当然、人気が出るとより売れるアルバム作りに、R&B、ポップス、ロックなどの要素も取り入れジャズアルバムとはさらに一線を画すものとなり、変わらなかったのはハリスのピアノだけだった。
’67年、創立メンバーの一人でありグループを率いていたドラムのビル・ダウディーがグループを去り、メンバーが変っても人気グループとしては存続した。
その後、ハリスが地方に引き籠り、ホテルのラウンジのピアノ弾きになったのも、このようなグループ活動に疑問を持ったかもしれない。

最近、昔から第一線で馴らしたベテラン達のライブを良く聴きに行く。過去には多くのスタジオワークをこなし、ビッグバンドからフュージョンまで何でもこなした面々だが、今のライブではスタンダード中心のストレイトアヘッドな演奏が中心だ。色々やっても最後は自分達のジャズの原点に戻ってくるのかもしれない。

コンコルドに復帰したジーンハリスは、再び水を得た魚のように活躍をするが、この活動の原点は、やはりこのスリーサウンズのアルバムの演奏にあるのだろう。

1. Tenderly 4:36
2. Willow Weep For Me 4:42
3. Both Sides 4:41
4. Blue Bells 4:27
5. It's Nice 4:40
6. Goin' Home 3:55
7. Would'n You 7:14
8. O Sole Mio 3:59

Gene Harris (p,celeste)
Andrew Simpkins (b)
Bill Dowdy (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, September 16 & 28, 1958

INTRODUCING THE THE THREE SOUNDS イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ+6
クリエーター情報なし
東芝EMI
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伝説のギタリストが、再び伝説の人に戻る時・・・・

2017-01-14 | CONCORD
The Legendary Tal Farlow

それなりに活躍していたミュージシャンンが第一線を退くと、それぞれ別の人生を歩む。
ジーンハリスはピアノを弾くことは止めなかったが、活動の場所は田舎町のホテルのラウンジであった。ピアノのホッドオブライエンは、コンピューター関係の仕事に就いた。

そして、ギターのタルファーローはニュジャージー州の海沿いの小さな町、Sea Brightでサインペインターとして日々を暮らしていた。ギターを弾くのも地元でセッションに出る位であった。
20歳を過ぎてから初めてギターを手にしたという。最近はスポーツであっても音楽であっても、10代の頃から世界的レベルのプレーヤーとして活躍する者が多い。遅咲きのファーローにとっては、この時代であってもプロとしてギターを生活の糧にすることは最初から念頭に無かったのかもしれない。

このように半ば引退状態であったタルファーローを再び第一線に呼び戻したのは、1976年のコンコルドジャズフェスティバルであった。コンコルドのハウスリズムセクションともいえる、レイブラウンやジェイクハナに加え、昔一緒にコンビを組んだレッドノーボをゲストに迎えてファーローの復帰を祝った

これをきっかけとして、伝説のギタリストは再び現役復帰し、コンコルドでアルバムを何枚か残した。
現役復帰するとレコーディングだけでなく、ライブやツアーも増える。80年代に入ると国内だけでなくヨーロッパツアーにも出向くようになる。しかし、そこでは自分の好きなように演奏するだけでなく、色々なセッションにゲスト参加する機会も増える。フランスに行くと、ホットクラブのグループにも招かれた。あのジャンゴラインハルトの演奏スタイルを伝承するグループだ。その演奏を聴いたファンは、必ずしもファーローの演奏している姿が楽しげには見えなかったという。

1984年も、自分のグループでヨーロッパツアーを行った。それを終えてすぐに今度は日本ツアーがあった。メインストリームからフュージョンまで毎日のように大きなコンサートが開かれていた当時の状況では、ファーローの来日と言っても大きな話題にならなかった。
実際に演奏する場も、アコースティックジャズフェスティバルとネーミングされ、ファーロー以外にローリンドアルメイダとデニーザイトリンと舞台をシェアした。しかし、メインはザイトリン。ファーローのステージは前座のような扱いであった。

コンコルドのオーナー、カールジェファーソンは、ツアーから戻ったファーローのグループに、ピアノのフランクストラゼリを加えてレコーディングを行った。
タルファーローのアルバムにはホーンが加わったアルバムは少ない。しかし、ツアーからこのレコーディングに至るグループには、サムモストが加わっていた。サムモストはフルートで有名だが、テナーはクールトーン、ウォーンマーシュのようなタイプだ。
他のメンバーとの調和を重んじていたファーローは、このようなタイプのホーンであれば、一緒にやってもいいと思ったのかもしれない。このアルバムでも、全曲に参加している訳でなく、実際の演奏もファーロー中心の演奏に表に出ることなく上手く溶け込んでいる感じだ。

このアルバムで参加したピアノのストラゼリも西海岸を拠点に活動していたベテラン。こちらも全曲に参加している訳でなく、そつない演奏を聴かせてくれる。

このアルバムを最後に、ファーローは再び表舞台から消えてしまう。やはりジャズ界の表舞台の活況の中で、「伝説のギタリスト」として加わることは、ある種の重荷になったのかもしれない。
ファーローにとってのジャズでありギターは、気の合った仲間と、それを聴いてくれるファンに囲まれ、気分よく演奏ができれば良く、無理にその世界を広げる必要が無かったのかもしれない。

結局、このアルバムが最後のアルバムとなり、タイトル通り再び伝説の人となってしまったが。
コンコルドではそれまでジェイムスウィリアムスと組ませたり、色々セッション毎に企画を凝らしたが、カールジェファーソンはその状況を察してか、最後は自分のグループで好きなように演奏させるように指示したように思える。

1. You Stepped Out Of A Dream        4:41
2. When Your Lover Has Gone         4:58
3. I Got It Bad And That Ain’t Good   5:14
4. When Light Are Low          6:45
5. Who Cares              4:16
6. Prelude To A Kiss           5:15
7. Everything Happenaas To Me        4:49

Tal Farlow (g)
Sam Most (ts,fl)
Frank Strazzeri (p)
Bob Maize (b)
Al “Tootie” Heath (ds)

Produced by Frank Dorritie
Engineer : Jim Mooney
Recorded at Sage and Sound, Hollywood, September 1984
Originally released on Concord CJ-266


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