A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

恒例の作曲家シリーズで同じような演奏と感じるが、よく聴いてみると・・・

2015-12-31 | CONCORD
Rosemary Clooney Sings The Music of Irving Berlin

先日の忘年ゴルフコンペでたまたまゴルフ好きの仲間が同じ組になった。「今年は何回行った?」、「平均スコアは90を切れそうだ」、「今年は暖かくていいね」といった、いつもの会話が交わされた。

ところが、自分は会話に加われない。というのも、最近は記録をきちんとつけていなかったので。以前はラウンドの記録は細かくつけていた。コースや回数はもちろん、平均スコア、パット数、さらにはフェアウェイキープ率やバンカーセーブ率まで。記憶は年と共に曖昧になっても、数字や記録は正直だ。数字を見返すとその結果が生まれた情景が思い返せる。それも楽しみの一つなのだが。

昔はライブの記録や買ったレコードの記録も残していた事がある。一番凝っていた時はコメント付きで。最近では、記録はおろかその記憶もあいまい。同じアルバムを買わないように気を付けるのがやっとだ。記録を付ける時は何の為とも思うが、記録が残るとそれなりに楽しめるものだ。来年は復活することにしようと思う。色々ツールも発達し、簡単に残せるようになっていることだし。

最近は記録を付ける事が何もないかと思ったら、自動的に記録が残っているものがあった。3年前に実家に戻ったのをきっかけに、太陽光発電を自宅に設置した。最近は電力の購入金額よりも売却金額が多いのを確認する位だが、当然のことながら電力の総発電量、総販売量、総購入量、そして総消費量の記録が残されている。
さて今年はどうなっているかと見てみると今年の発電量は6718kwと昨年の7140kwを6%も下回っている。確かに8月のお盆休み以降天気が悪い日が続き、11月の連日の日照不足が大きく影響を受けている。天候が不順であった今年一年が数字で検証できるということだ。
当然の事ながら販売量も13%と大幅にダウン。販売金額もそれ相応に下がっている。一方で消費量は8071kwから8383kwへ4%増加している。購入量も2%増えている。本来発電量と消費量は関係がない。日頃、節電を心掛けていないということだ。確かに、設置してすぐは数字が気になっていたので、自然と目標消費量に抑えるべく節電に心掛けていたように思う。
最終的には総消費量を総発電量以内にすれば、今後蓄電技術が発達で電力の完全自給が可能という事になる。新たな目標ができそうだ。
会社勤めをしていた時は日々数字と睨めっこしていたが、何事でも数字や記録は正直に現実を語ってくれるものだ。

さて、コンコルドのアルバム紹介の続きだが、今回はローズマリークルーニー。コンコルドではすっかりお馴染みとなり、そしてこの頃は作曲家シリーズが続いていた。新しいアルバムといっても大体内容は想像がつく。ファンにとっては嬉しいシリーズ物になっていたが、ワンパターン化してしまうと何故か同じ印象を持ってしまい、細かい違いが気付かなくなる。

ということで、このアルバムは前作Harold Arlenと何が違うのかという視点で聴き直してみた。
メンバーを見渡すと、前作同様スコットハミルトン、ウォーレンバッシェといった看板の2人がフロントを占める。そしてこのアルバムの特徴はギターが二人加わっている事。ハミルトンのグループのクリスフローリーに加えて、コンコルドレーベルでこの頃売り出し中のエドビケットが加わっている。曲によってソロとリズムギターを交代で務めているが、リズムギターが常に加わると当然のようにバンド全体でスインギーなリズムが明確になる。ビケットはDuoで伴奏を務めた曲も2曲ありギターの使い方が多様だ。

ドラムにはコンコルドには珍しく(初めての登場かも)ガスジョンソンが加わっているが、元々モダンスイング派のベテランなのでコンビネーションはピッタリ。
そして、ピアノにはウディーハーマンオーケストラにいたジョンオッドが加わっている。前作のウディーハーマンオーケストラとクルーニーの共演アルバムMy Buddyではアレンジも提供していたので、このアルバムがきっかけでクルーニーに気に入られたのだろう。その後、クルーニーのバックを、アレンジ提供を含めて長く務めることになる。クレジットは無いが、一曲目のホーンのアレンジもオッドの手によるものかもしれない。

という訳で、この頃はまだ絶好調であったローズマリークルーニーのいつものクルーニー節が聴けるが、シリーズを支えるバックの編成は一作ごとに微妙に変化し、そして一曲毎に色々配慮をしているのが分かる。やはり、印象を裏付けるには記録は大事だ。クルーニーは、この後もConcordレーベルに亡くなるまでに毎年のようにアルバムを残しているが、どう変化していくか後を追ってみよう。



1. It's a Lovely Day Today
2. Be Careful, It's My Heart
3. Cheek to Cheek
4. How About Me?
5. The Best Thing for You
6. I Got Lost in His Arms
7. There's No Business Like Show Business
8. Better Luck Next Time
9. What'll I Do?
10. Let's Face the Music and Dance

Rosemary Clooney (vocals)
Warren Vaché (cor,flh)
Scott Hamilton (ts)
John Oddo (p)
Phil Flanigan (b)
Chris Flory (g)
Ed Bickert (g)
Gus Johnson (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Ed Trabanco
Recorded at Mastermind Sound Studios, New York City, June 1984
Originally released on Concord CJ-255

Irving Berlin
クリエーター情報なし
Concord Records
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親子どころか孫以上に歳が違う若手のベーシストと組んだ3世代の共演は・・

2015-12-30 | MY FAVORITE ALBUM
I Hear A Rhapsody / Hod O’Brien Trio introducing Daryl Johns

忘年会、打ち収めゴルフ、そしてライブ通いを続けている内に、今年も残すところあと一日。仕事も辞めたので、今年こそは時間もあるので大掃除ができるかと思っていたが、やはりバタバタのまま大晦日を迎えそうだ。どうも貧乏性なのかゆったり一日を過ごすことができない性分は変らない。

このブログも今年で9年目、途中で一時中断した事もあるが何とか続いている。忙しい最中に毎日更新していた時期もあり、これも時間があるとか無いとかは関係なさそうだ。
ジャズとゴルフを話題にしている限りネタ切れになることはなさそうなので、此のくらいのペースであれば来年も続けられそうだ。

ペッパーアダムスのアルバム紹介もリーダーアルバムは終え、サイドメンとして参加したアルバムも9割方終わったので来年中には終わりそうだ。何でも一区切りつくというのは嬉しいものだ。一方のコンコルドは250枚を超えたが、このペースではいつ終わることやら?来年は50枚(週一回ペース)を目標にしてみよう。

何をやるにしても長く続けるにはテーマを決めるのがいいと良く言われている。何か次なるテーマも考えておかねばとも思うが、手持ちのアルバムだとやはり好きなプレーヤーになってしまうかも?
最近はアルバムを聴くよりついついライブに出掛けてしまうので、新しいアルバムを買うのは実はライブがきっかけというのが一番多い。本当は海外の新しいミュージシャン、特に不案内なヨーロッパ系をかじってみたいとも思うが、やはり長年聴かずに積んだままの棚卸をやろうと決めたので、新しい物にはなかなか手が出ない。

という訳で、ライブで聴いたのがきっかけで比較的最近手に入れたアルバムから一枚。

先日、大森明のライブツアーのために、リズムセクションがアメリカから来日した。
そのピアノがこのアルバムのホッドオブライエンであった。同じメンバー(ベースは急遽変わったが)で今年発売したアルバム「マンハッタン組曲」の発売記念を兼ねたツアーであった。そのピアノがホッドオブライエン、確か今年で80歳の大長老。ジャケットの写真は実に若々しいが、少し腰を曲げてステージを歩く姿は、歳を感じさせたが、プレーぶりは衰えをみせず。バップスタイルのピアノの真骨頂を聴かせてくれた。

このアルバムは、そのオブライエンの2年前の録音だが、もう一つの目玉はベースのダリルジョンズを紹介するアルバムである。まだ10代の脅威の新人だが、実は16歳の時全米ハイスクール選抜のビッグバンドに参加して来日している。2年続けて来日したが、彼のベースはもちろん全員が10代のビッグバンドの迫力にびっくりしたものだ。そのジョンズがオブライエンと組んで初レコーディングということで入手したアルバムだ。



ドラムはジョンズの父親が務めており、まさに3世代共演のトリオの演奏。オブライエンのピアノは相変わらずバップスタイルの枯れたピアノだが、このピアノにジョンズの図太いベースが良く似合う。ピアノトリオということもあり、時にはベースがメロディーラインをとることもあり、ジョンズのベースのすべてが浮き彫りとなっているが、聴いただけではまだ10代とは思えない演奏だ。曲も、スタンダード中心でバップスタイルにはピッタリ。「お爺ちゃんからバップの伝統」をしっかり引き継いだベーシストに育ちそうだ。



1. Save Your Love For Me
2. Yours Is My Heart Alone
3. Tricotism
4. I Hear A Rhapsody
5. A Slow Hot Wind
6. How Deep In The Ocean
7. The Squirrel
8. All Of Me
9. All Too Soon
10. Oblivion

Hod O’Brien (p)
Daryl Johns (b)
Steve Johns (ds)

Produced by Hod O’Brien
Recorded at Sonic Park Recording Studio in Paramus, N.J. on Dec.19, 2013

ラプソディー
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Spice of Life
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サドメルのレパートリーを演奏するバンドは世界各地に・・・

2015-12-29 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Tribute / Kjellerbandet Med Tore Johansen

クリスマスイブの新宿サムデイのプログラムは久々にサムデイビッグバンドであった。オーナーの森さんの肝入りで編成されたビッグバンド。しばらく前に再編されたが、最近は出演することが無かったので楽しみにしていた。神田のTNスイングができて毎日ビッグバンドを聴きたいと思えばここに行けば聴けるが、こちらはスイングからベイシーまで。モダンビッグバンドの曲は残念ながらここでは聴けない。

モダンビッグバンドというと自分の一番のお気に入りはサドメルだが、サドメルの曲をタップリ聴く機会はあるようでない。本家のVJOが最近は毎年のように来日しているので、もっぱらこちらを楽しみにするしかない。
サムデイの森さんのお気に入りはサドメルとか。ということもあり、サムデイビッグバンドはサドメルのレパートリーを多く演奏する。という訳でこれも楽しみに出掛けた。

今回からコンマスはアルトの澤田さん。他のメンバーもサムデイではお馴染みの面々のオールスターバンドだ。お馴染みのドントギットサッシーからスタートしたが、ところがPAの具合が悪くせっかくの演奏が台無し。どうなることかと思ったが最初のステージでは結局回復せず。最近は生音でいいバランスで聴かせるところが増えているが、バランスが悪いどころかノイズの塊には参った。
内容は、予告通り1部、2部ともサドメルのレーパートリー中心のプログラムで、こちらは満足であった。最後のアンコールはバリトンサックス黒葛野敦司をフィーチャーしたモーニン、2部ではPAも復旧して盛り上がって無事終わったのは何より。次回を楽しみに待ちたいと思う。

さて、サドメルの曲というと、昔は学生バンドでは必ずと言って位よく演奏されていたが、きっと今でも演奏されていると思う。これは日本だけの事ではなく世界でも同じようだ。それだけサドジョーンズのアレンジがいいということになる。

ノルウェーのビッグバンドにKjellerbandetというバンドがある。ジャズを演奏したいという学生のために77年に設立されたバンドだそうだ、運営のための助成金なども集められたようで、今でも活動をしている。この設立趣旨に沿って今でも若手の活動の場として運営されているようだ。
このバンドが設立30年を迎えた2008年にサドメルトリビュートのアルバムを作った。メンバーは若手(写真を見ると学生かも)だが、ゲストにノルウェーで人気があるトランペットのトレヨハンセンを加えサドメルの曲にチャレンジしたアルバムだ。



編成は通常の編成にギターと(サドメルも最初はギターが入っていた)チューバを加えている。9カ月の練習を経て、お披露目のライブが行われ12曲が演奏されたが、その模様はライブレコーディングされ、その内の9曲がこのCDに収められている。サドメルの曲が大半だが、リーダーのLoのオリジナルも2曲演奏している。

ヨーロッパのビッグバンドというと、オールスターメンバーであったクラーク&ボラーン以外、各地の放送局が運営しているオーケストラが多い。人数が多いと日常の運営費用の問題からレギュラーバンドを組めないのは洋の東西を問わず共通の悩みの様だ。ヨーロッパでは放送局でオーケストラの運営を支援したり、このような若手に活動の場を提供するような活動が行われているのは素晴らしい事だ。反対に日本のお粗末さが浮き彫りになる。
放送局のオーケストラではプロらしい素晴らしい演奏を聴かせてくれるビッグバンドも多いが、このバンドは学生バンドのオールスターズといった感じだ。
この録音のために9カ月も練習を重ねたということなので、それなりの音はしているし、ゲストのヨハンセンも良いソロを聴かせてくれるが、纏まりすぎている感がしないではない。

サムデイビッグバンドのリハーサルは当日の3時間足らずだったそうだ。その割にはいい音がしているのは、各セクションのリード役が素晴らしい結果だろう、流石一流のプロ揃いのバンドだ。当日の演奏は録音していたようだ。もしCDになったら聴いてみたいものだ。きっとこのアルバムのバンドよりはいい演奏をしていたような感じがする。

1. Big Dipper
2. The Groove Merchant
3. Dedication
4. Castell
5. Three and One
6. Ahunk Ahunk
7. And Thad Ain`t Bad
8. Tip Toe
9. Blackboard 

Tore Johansen (tp)
Steinar Missen (as, ss)
Gjerli Heggelund (as)
Eirik Lyngvi (ts)
Hanna Paulsberg (ts)
Svein Tore Werstad (bs)
Eskill Skoglund (tp)
Thomas Johansson (tp)
Kim Eriksen (tp)
May Lene Johansen (tp)
Jan Ommedat (tb)
Arne Suleng (tb)
Eivind Nordland (tb)
Heida Karine Mobek (tuba)
John Homstrom (p)
Torbjern Netland (g)
Trygve Waldemar Fiske (b)
Tollef Estvang (ds)
Kristoffer Lo (leader)

Produced by Kristffer Lo
Recorded by Trisk 1
Recorded live at Dokkhuset, Trondheim on February 21, 2008


Thad Jones Tribute
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グラミー賞受賞に気分を良くし、昔からの仲間とのびのびと・・・・

2015-12-25 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
I Just Want To Sing / Joe Williams & Friends June 1985

先日カウントベイシーオーケストラのライブが行われたが、今年はベイシーオーケストラが誕生して80周年になるという。ベイシーオーケストラはシナトラなど有名ボーカリストのバックも務めたが、一緒によくツアーにも参加した歌手といえばジョーウィリアムスとなる。
ジョーウィリアムスが初めてカウントベイシーオーケストラに参加したのは1954年、35歳の時であった。それまでもウィリアムスは歌手として活動はしていたが、病気がちであり、劇場のドアマンや化粧品のセールスなどを行いながらの下積み生活をおくっていた。
ベイシーオーケストラに参加したのを機に、ジョーウィリアムスは一躍有名になり、以降専属歌手ともいえる程ベイシーオーケストラとは相性が良く一緒に活動した。残されているアルバムもベイシーと一緒のものが多い。

そのウィリアムスが1984年にDolosレーベルでリーダーアルバム”Nothin' But the Blues”を作った。ベイシーの元を離れ、あるいは誰かとの共演という訳でもなく、ウィリアムス自身が独り立ちしてリーダーとなり得意なブルースを歌ったアルバムだ。
これが1984年に発売されたアルバムの中からグラミー賞の男性ボーカル部門でノミネートされ、目出度くベストアルバムに選ばれる。ウィリアムとしては還暦を過ぎ、70歳に近くなってからの初受賞であったが、やっとソロ歌手として認められたということになる。
このアルバムはベイシーがまだ存命中の1983年に録音されたものだが、グラミーにノミネートされたこと、そして1985年2月のグラミー賞受賞の発表を知ることもなく、ベイシーは1984年4月にこの世を去ってしまう。

グラミー賞の受賞を受け、ウィリアムスは翌年再びアルバムを企画する。この年はウィリアムスにとって歌手生活をはじめて50周年の節目の年であった。実はこの年は、ベイシーオーケストラにとっても50周年。奇しくもベイシーオーケストラとウィリアムスは同じ年に活動を始めたことになる。これも何かの縁かもしれない。

ウィリアムスは、昔から一緒に演奏した仲間と一緒に、世話になったベイシーを悼み新アルバムを作ろうと思った。そのためには普段の仲間だけではなく一緒にベイシーオーケストラで演奏した仲間達にも声を掛けた。その結果、エディーロックジョーデイビス、サドジョーンズなどの旧友達も駆けつけた。サドジョーンズは、ベイシーの死後オーケストラを引き継いだが、生活の拠点はデンマークであった。ちょうどこの時はオフであったが、コペンハーゲンから遠路レコーディングのために駆けつけた。サドジョーンズはベイシーオーケストラで一緒であっただけでなく、自らのオーケストラでもレコーディングを行い、ステージを共にした仲であった。
他のメンバー達も、レギュラーの仕事を休み、他の仕事をキャンセルしてこのセッションに駆けつけた。ウィリアムスの受賞の祝福と、ベイシーの追悼の両方の意味があったからであろう。



ウィリアムスとプロデューサー兼アレンジャーのジェリーピータースは選曲やアレンジにも色々知恵を絞った。
前作がブルース大会であったのに対してここではベイシーナンバーに拘らず色々な曲を歌っているが、アレンジもコテコテのブルースから、バラードやボサノバまで。ソロシンガーとしてウィリアムスの色々な顔を引き出している。これも一緒にお膳立てを手伝った友人達がいたからだろう。

このセッションに駆けつけたサドジョーンズ。この後、秋にはベイシーオーケストラを率いてツアーを行い、日本にも来日して元気な姿を見せてくれた。しかし、その後は病のために満足な活動はできずデンマークに戻ることに。
せっかく日本で企画した新生ベイシーオーケストラのアルバムにも参加できず、ベイシーオーケストラもフランクフォスターに任せることになった。ちゃんと調べてはいないが、もしかしたら、このセッションがサドジョーンズのラストレコーディングかも知れない。

ジョーウィリアムスにとっては、長い歌手生活の集大成とでもいえるアルバムだが、周りの仲間達の人生模様が織り込まれたアルバムとなった。

1. Corner Pocket: Until I Met You       Freddie Green / Don Wolf 3:20
2. After You've Gone          Henry Creamer / Turner Layton 4:50
3. Fat and Forty                     Al Hibbler 5:06
4. War No More                    Joe Williams 3:20
5. It's Not Easy Being White         J.Deering / Bromley 3:30
6. Dimples           James C. Bracken / John Lee Hooker 5:09
7. Young and Foolish        Albert Hague / Arnold B. Horwitt 5:00
8. I Was a Fool                     Johnny Pate 3:40
9. I Got It Bad and That Ain't Good  Duke Ellington / Billy Strayhorn 7:00
10. What a Difference a Day Made Stanley Adams / María Mendez Grever 4:00
11. Sawmill Blues                    W. Wilson 5:40
12. It's Later Than You Think       Johnny Pate / Joe Williams 4:20
13. All the Things You Are    Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 4:36

Joe Williaams (vol)
Thad Jones (tp)
Eddie "Lockjaw" Davis (ts)
Benny Golson (ts)
Norman Simmons (p)
John Collins (g)
John Heard (b)
Gerruck King (ds)
Jerry Peters (arr, keyboard)

Produced by Joe Williams, John Levy, Johny Pate
Engineer : John Eargle
Recorded at Ocean Studio A, Los Angels on June 25/30, 1985

I Just Wanna Sing
クリエーター情報なし
Delos Records
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サドメル時代の仲間の協力で、ピアノだけでないアルバム作りを・・・

2015-12-23 | PEPPER ADAMS
Mister Mysterious / Mickey Tucker

名前は知っていてもすぐにアルバムや演奏を思い出せないニュージシャンは多い。自分は好みが偏っているので有名でも聴いた事が無いミュージシャンは多いがそれは論外としても、身近に感じていても、リーダーアルバムを持っていないとか、サイドメンとして加わっていても印象に残るアルバムがないということだろう。雑誌などで何度も見かけたことはあっても、実際に演奏を聴いていなかったのかもしれない。
このミッキータッカーもその一人だ。ジャズメッセンジャーにも加わっていたことがあり、再編されたジャズテットにも加わっていたことがある。名門バンドにも加われるメインストリームのピアニストの一人なのだが。

改めてキャリアを見てみる。1941年生まれというので50年代の後半から60年代前半のジャズブームの時はまだ登場していない。実際に60年代の活動はR&Bやソウル、そして歌伴中心でジャズ界に登場したのは69年になってから、ジェイムスムーディーのグループに参加したのが最初だった。
その後共演しているミュージシャンもローランドカークやエリククロスなど渋いプレーヤーが多い。そういう意味ではメッセンジャーズへの加入がメジャーデビューともいえるが、この時代のメッセンジャーズは低迷期。あまり話題にもならなかった。
サドメルにも加入していた時期があるというが、サドメルファンの自分でも認識が無かった位なので、目立った活躍はしていなかった。いわゆる知る人ぞ知るというピアニストの一人であろう。

そんなキャリアのミッキータッカーのこのリーダーアルバムが生まれたのは1978年6月23日。先日紹介したウィルタービショップJr,のアルバムの録音の2日後、同じミューズレーベルの制作であった。
この頃、連日ギッチリ詰まったスケジュールをこなしていたペッパーアダムスであったが、このレコーディングセッションにも登場している。スタジオはルディバンゲルダースタジオ。そして、この日の夜はその年のニューポートジャズフェスティバルの初日。カーネギーホールで行われたオープニングを飾るサラボーンのステージに続いてのサドメルのステージにゲストとして駆けつけている。
この模様はアイラギトラーが記事に残しているが、「皆が期待していたサラボーンとサドメルのステージ上での競演は結局実現せず、サドメルの演奏もリーダーのサドジョーンズやゲスト参加のペッパーアダムスなどのベテランの出番は少なく、いつも聴ける若手のソロが延々続き、ちぐはぐな感じであった」とある。

そんな綱渡りスケジュールにも関わらずアダムスがこのセッションに参加したのには意味があって、このアルバムにホーンセクションで参加しているのは皆サドメル時代の仲間達。昔一緒に演奏したタッカーのリーダーアルバムとなれば、やはり皆忙しい中、時間をやり繰りして集まったのであろう。持つべきものは友人ということになるが、義理堅いアダムスの一面が垣間見られる。

1978年というと新旧のスタイルのジャズ、そして新人ベテランが入り乱れていた時代。アルバム作りも何でもありの時代だ。
ニューポートに出演していたメンバーも豪勢であったが、日本でも田園コロシアムのライブアンダーザスカイが2年目。そちらも錚々たるメンバーが名を連ねていた。
そんな時代に、無名ともいえるミッキータッカーがどんなアルバムをというのも興味が湧くが、ホーンを加えた事もありタッカーのピアノが必ずしもメインではない。アレンジもタッカー自身が行ったこともあり、アルバム全体でこの時代の「新主流」ともいえるサウンド作りにチャレンジしている。
一曲目はパーカッションを加えラテン調のリズムで、かと思えば最後の曲ではベースのウォーキングベースがかえって新鮮に聴こえるブルース。ウォルタービショップがエレキピアノを使って新しさを出そうとしたのに対して、ここでのタッカーはあくまでもアコースティックサウンドで。

せっかく参加してもらったホーンセクションもアンサンブルだけでなく、タップリソロスペースも用意した曲もありアダムスも登場するが、メインストリームの中にも新鮮味を出すために単なるジャムセッションではなく、色々とタッカーなりに考えられている。
ドラムのグラッデンは初めて聴くがタッカーの昔からの演奏仲間とのこと、リズム勝負のこのアルバムでは重要だ。どんなリズムもこなすセシルマクビ―のベースも印象に残るプレーだ。

人生何事でも評価を得るのはタイミングときっかけだ。このミッキータッカーも少し時代がずれれば、ピアニストとしてもアレンジャーとしてももう少し有名になっていたかもしれない。実際にプレーを聴いた人の評価は高い。

1. A Prayer
2. Mister Mysterious
3. Cecilitis
4. Basic Elements
5. Plagio
6. Taurus Lullaby

Mickey Tucker (p,arr)
Pepper Adams (bs)
Cecil Bridgewater (tp)
Frank Foster (ts,ss,fl)
Cecil McBee (b)
Eddie Gladden (ds)
Azzedin Weston (congas)
Ray Mantilla (per)

Produced by Mitch Farber
Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio, Englewood Clliff, N.J. on June 23. 1978
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クリスマスソングはクルーナー唱法でしっとりと・・・

2015-12-21 | CHRISTMAS
The Romantic Hour Poppe Croons Christmas / Rick Poppe

この所のゴルフは毎回天気に恵まれている。冬の訪れが遅いせいもあり12月に入って大分経つが上着を脱いでプレーすることも度々であった。ところが昨日は一転冷え込んだ。コースへ行く途中、車の外気温を見ていると次第に気温が下がる。行先は成田であったので山へ上がった訳ではないが、途中でついに-1度まで下がる。コースに着くと1度まで戻ったが、日陰の芝生は真っ白。やっと冬ゴルフ到来だ。



昨日は、空港近くの多古カントリークラブ。最近は平日ゴルフが多いが、平日のお客はシニアばかり。昨日は日曜日ということもあり、若者達のコンペも多く活気があった。自分も老若男女とりまぜてのコンペであったが、同じ組で回った同伴競技者は皆若手が揃った。
主催者から、「この組は飛ばし合いの組み合わせにしたから」と言われ、久々に気合が入った。気合が入りすぎていきなり左へひっかけのスタートであったが、後は力が抜けて気楽に飛ばし合いを楽しみながらのラウンドができた。

というのも、昨日はドライバーが不調であったがパットは絶好調。ロングパットは入るし、段差のあるグリーンの下りバットはピッタリ寄るし、1メートルちょっと残した嫌なパットも真ん中から。こんな日もあるのだと我ながら感心するばかり。年寄りはやはり小技で勝負か。

前半は42で折り返すと、後半はショットに色気が出たのか、OBが2つに1ぺナが一つ、崩れそうになったがパットは引き続き快調。最後のホールで1メートルのバーディーパットを外したのは愛嬌。ショットが乱れたが45で上がれたのは満足。
最近はラウンドの回数が増えたがせいか惰性で緊張感のないゴルフが続いていたが、少し気合が入って来た。来年はしばらくご無沙汰していた月例にも復帰してみようと思う。

さて、冬の到来が遅いとクリスマスアルバムの聴き始めも遅くなっていたが、気が付けばクリスマスまであと数日。今年はまとめて聴くことになった。

CDやレコードを買うのがネットショッピング主体になってしまうと、反対にショップで棚漁りをしながらアルバムを求める機会はすっかり減ってしまった。いわゆるジャケ買いに代表される衝動買いだ。何の予備知識も無く買い求め、「当たり」に出会った時の満足感を味わうのもそれなりに楽しいものだ。
このアルバムをどこで買ったか記憶に無い。ネットで買った記憶も無いので、どこかでクリスマスアルバムという理由だけで衝動買いした物だと思うが・・・。

ネット社会になって、ショッピング以外にもう一つ便利な事は、分からないことをすぐ調べられる点。アルバムの棚卸がてら、ちょっと気になる事があってもすぐに調べることができる。昔、レコードの解説や評を書いていた人は、インターネットが無かった時代に膨大な資料をよく頭の中で整理できていたと感心する。その人なりの整理術もあったとは思うが。

さてこのアルバムは、いわゆるクルーナースタイルの男性ボーカル。ストレートに歌う低音の魅力と控えめなバックでBGM的に聞き流すのには最適なアルバムだ。ここ数年シーズンに一度は聴いてはいたのだが、中身に関しては何も知らずに聴いていた。歌い手の名前のRick Roppeというのも他に思い当たらない。ジャズボーカリストではないのかと思い、今回ネットで調べてもみつからない。であればアルバムタイトルでと思って調べてみてもこれも。レーベルと思われるURAも?アルバムジャケット見ても曲目とメンバーだけで解説は無い。

やっと見つけた記事によると、このRick Roppeはラスベガスで歌っている様だ。地元イリノイでインテリアデザインの仕事をしながら歌を歌っていたのを見い出したのは、テナーサックスのアーネットコブ。彼のヨーロッパツアーに連れて行ったのが世に出るきっかけになったらしいが、このチャンスを生かしてラスベガスで歌えるまでになるは、ダラスやLAなど長い道のりがあったようだ。

何の情報がなくても聴いていいものはやはりいい。クリスマスアルバムでなくても毎年一度は聴きたくなるアルバムだ。これが本来の聴き方かもしれない。

1. Mistletoe
2. Christmas Waltz
3. The Christmas Song
4. White Christmas
5. I’ll Be Home For Christmas
6. Let It Snow, Let It Snow
7. You’re All Want For Christmas
8. Have Yourself A Merry Little Chrstmas
9. Toyland
10. The Chipmunk Song
11. I Saw Mommy Kissing Santa Claus
12. When You Trim Your Christmas Tree
13. The Secret Of Christmas

Rick Poppe (vol)
Rickey Woodard (ts)
Kerren Hernandez (p)
Stan Sargeant (b)
Sherman Ferguson (ds)
Ray Armando (per)
Barry Zweig (g)
Norn Hughes (violin)

Produced by Cheryl Boles & Patrick Poppe
Engineer : Larry Mah
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ピーターソンのシンプルなピアノがかえっていい感じに・・・

2015-12-19 | CHRISTMAS
An Oscar Peterson Christmas

地方出身者が仕事のために地元を離れ、都会へ出て働くようになると、なかなか地元に戻る機会も無くなる。たまの休みに地元に戻った時に、昔の仲間と旧交を温めるのが唯一の機会だろう。まして、母国を離れ外国へとなると。

カナダ出身のオスカーピータソン。10代から地元でプロとして活動を始めたが、その時のスタイルはクラッシックピアノの練習に裏打ちされたブギウギスタイルだったという。まだビバップの洗礼は受けていなかった。
JATPの主催者であるノーマングランツに見いだされたのは1949年、24歳の時であった。そこから母国を離れ活動の場はアメリカとなった。すぐにジャズ界を代表するピアニストの一人となると、活動の場は世界中となってツアーが続く毎日となった。

JATP時代からの盟友レイブラウンは、ピーターソンの元を離れるとロスに居を定めてプレーだけでなく、プロデュース業やスタジオワークと幅広く活動するようになった。それに対して、ピーターソンは生涯プレーヤーとしてステージやレコーディングを続けた。

クリスマスアルバムを作る有名ミュージシャンは多いが、このピーターソンも1995年にこのアルバムを作った。ちょうど70歳になった時で晩年のアルバムである。1993年に脳梗塞で倒れ歩くこともできなくなり、プレーヤー生命が危うかった時から復帰直後の録音といった方がいいかもしれない。

まだ後遺症が残って左手が不自由であったので、往年のダイナミックで縦横無尽に鍵盤の上を指が踊るような演奏は期待できない。
ということもあってか、ピーターソンのピアノを大フィーチャーするのではなくフロントラインはヴァイブやフリューゲルホーン、左手代わりにはギターを加えて周りを固めている。さらにストリングスを加えてバックに厚みを出して左手をカバーしている。クリスマスソングというのはアップテンポな曲よりもスローな曲が多い。ピーターソンのリハビリにも最適であったのかもしれない。

と思うと、一曲目はいきなりアップテンポの曲から始まる。右手だけであってもピーターソンスタイルは健在だった。次はスローな曲だが、ピーターソンのスローな曲でのリリカルなプレーは昔から得意であった。結果的に元気な時は派手すぎるピアノも、このようなクリスマスアルバムにはバックと溶け合って丁度いい匙加減かもしれない。

そして、このアルバムのもう一つの特徴はバックのメンバーに母国カナダのミュージシャンを起用し、録音もカナダで行われている点だ。メンバーは昔一緒にプレーしていた仲間達かどうかは分からない。が、ピーターソンにとっても一歩ずつの復帰のステップを歩んでいる中で、生まれ故郷のミュージシャンが一緒に付き合ってくれたのはリハビリにも大きな支えになったであろう。

このアルバムを作ったのはTelarkレーベル。デジタル時代の到来と共に、デジタル録音を売りにして登場したレーベルだが、クラシックだけでなく一時ジャズにも力を入れた。
このピーターソンだけでなく、昔の仲間であるレイブラウンを始めとしてベテランミュージシャン達のアルバムを数多く作った。ちょうどコンコルドレーベルがカールジェファーソンの元にベテランミュージシャンが集い、そこに若手が参加したのと同じような図式で。ベテラン達に若手が加わったアルバムも多い。

このテラークレーベルは、2005年にコンコルドミュージックグループに売却され事業が縮小された。テラークの良さを作って来たプロデューサーやエンジニアはその時レーベルを去った。

最近、東芝が伝統ある白物家電、パソコン、テレビなどの事業を分離、売却するニュースが流れた。何故、不正会計をしなければならなかったのか、伝統ある事業を切り離さなければならないのか、反対にお荷物の原子力事業を背負込まなければならなくなったのか、その原因のひとつが利益至上主義の今の企業会計制度にあるのは明確だ。昔のように確実な内部留保の元に健全な赤字部門を持つことが企業文化を守り、商品開発を続けるには必要だと思うのだが。

テラークレーベルを買収したのが、カールジェファーソンが育てたコンコルドであったのも皮肉だ。コンコルドもジェファーソンが亡くなった後には、テレビプロデューサーであったノーマンレアの手に渡り、ファンタジーレーベルを買収してからはメジャーレーベルになってしまった。同じように、ここでも利益優先のアルバム作りをしなければならないのであろう。傘下にConcord Jazz、Telarkのレーベルは残るが、そこには創設者であるカールジェファーソンやジャックレナーの想いが引き継がれているとは思えない。

ピーターソンのリハビリを兼ね、昔の仲間とのセッションの機会を作り、決して大儲けをしようと思って作ったとは思わないこのアルバムが、結果的にロングセラーとなってコンコルドのカタログに今でも残っているのも皮肉なものだ。

1. God Rest Ye Merry Gentlemen              Traditional  3:24
2. What Child Is This?       William Chatterton Dix / Traditional 4:47
3. Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!   Sammy Cahn / Jule Styne  3:39
4. White Christmas                  Irving Berlin  3:48
5. Jingle Bells                    James Pierpont  3:12
6. I'll Be Home for Christmas  Kim Gannon / Walter Kent / Buck Ram  2:46
7. Santa Claus Is Coming to Town  J. Fred Coots / Haven Gillespie 3:28  
8. O Little Town of Bethlehe       Phillip Brooks / Lewis Redner  3:16
9. The Christmas Waltz           Sammy Cahn / Jule Styne  6:50
10. Have Yourself a Merry Little Christmas  Ralph Blane / Hugh Martin  3:55
11. Silent Night              Franz Gruber / Joseph Mohr  3:07
12. Winter Wonderland    F. Bernard / R. Blane / H. Martin / D. Smith  4:06
13. Away in a Manger           James R. Murray / Traditional  3:33
14. O Christmas Tree                    Traditional 2:19


Oscar Peterson (p)
David Young (b)
Jerry Fuller (ds)
Dave Samuels (vib)
Lorne Lofsky (g)
Jack Schantz (flh)
& Strings Orchestra conducted by Rick Wilkins

Produced by Elaine Martone & Robert Woods
Engineer ; Jack Renner

Recorded at Manta / Eastern Studio A, Tronto, Canada
On January 15-16, May 23-24, June23 and July 30, 1995


Christmas
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Telarc
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ライブのセカンドステージというのは盛り上がるものだが・・・

2015-12-17 | CONCORD
The Second Set / The Scott Hamilton

学生時代の同級生から会社の同期まで同年代の友人の多くは現役を退いた。自然と同窓会などの集まりが増える。同じ趣味の仲間とは定期的に別の集まりが増え会う機会が増える。その時は大体近況に加えて、いつもの昔話で盛り上がって終わる。この昔話は一緒に体験した者同士でないと分からないものだ。
自分も彼らとゴルフやジャズを聴きに行く機会も増えてきた。昔話を語り合えるお互い気心が知れた仲間には、歳をとってから仕事を通じてできた友人とは違った親近感を感じるものだ。これはきっと洋の東西を問わず誰でも感じる事であろう。

スコットハミルトンはコンコルドレーベルでデビューすると、いきなり親子ほどに歳の違う大先輩に囲まれて活動することとなった。プレーぶりから彼らの中に入っても物おじしない感じを受けたが、内心は色々気を遣う事も多かったと思う。やはり気楽に演奏できるのは、ニューヨークに出てくるまえに地元で一緒に演奏をしていた仲間達。ドラムのチャッグリグスやギターのクリスフローリーなどであった。一緒にベニーグッドマンのグループに加わったこともあったが、ハミルトンのレギュラーグループは彼等との演奏を長く大事にしていた。

ハミルトン自身の名前が売れてくると、アルバムでも徐々に彼らを起用する機会が増えてきた。ゲストを加えないハミルトンのリーダーアルバムで久々に彼らと一緒に録音したのが1982年のClose Upだった
そして、このメンバーで来日したのが翌年の1983年。人気が出てきたとはいえ、他の大物達と較べると集客力はまだまだであったのだろう。会場はヤマハホールと少し小ぶりのホールであった。

すぐに、ここでのライブがIn Concertというアルバムでリリースされた。それまでも大きなジャズフェスティバルやコンコルドオーススターズに加わってのライブ演奏は数多くあったが、ハミルトンのグループとしてのライブアルバムはこれが初めてであったと思う。ハミルトンの普段着でのライブといってもいいと思う。

CDの時代になり、アルバム作りもコンプリート物が多くなると、スタジオ録音でも別テイクを含めた物、ライブもステージをすべて収めた物が作られるようになった。しかし、LP時代は時間の制約もあり一枚40分のなかにそのベスト演奏を収めるのが編集の技であった。時にはソロをカットすることも。
もちろん演奏の出来不出来もあるが、売り物として通用するように曲のバランスなどを考えてどの曲を選ぶかがプロデューサーの腕だった。ライブは録り直しのきかない一発勝負。一回のステージで足りない場合は複数のステージからの寄せ集めになるのが世の常であった。

このアルバムは、In Concertの続編となるが、そのタイトルもThe Second Set。実際のコンサートのセカンドセットとは異なると思うが、決して前のアルバムの残り物といった感じではない、どれも一体感のあるいい演奏だと思う。

ライブに行くと、その日が初顔合わせであったり、15年ぶりに一緒にやるという組み合わせのセッションにもよく出会う。ハプニングも含めてそれなりに上手く収めるのが流石にプロと思うが、昔からコンビを組んでいた仲間同士だと久々の演奏でも違ったコラボレーションが期待できる。例えば、宮の上貴昭と吉岡秀晃などの組み合わせでは長年培われた2人の関係からしか生まれないであろうサムシングを感じる。

という意味ではこのハミルトンのステージはお互い阿吽の呼吸で演奏できる仲間同士、特にハプニングがある訳でもない。すべてが合格点になるのは自明の理である。
いつもの演奏を淡々と繰り広げているのでスリルが無い、ジャズは何か新しい物がないと何か物足りないというのも一つの見方だが、好きなプレーヤーの絶妙なコンビネーションを楽しむというのも一つの楽しみ方だと思う。彼らの間の昔話を理解できるようになるまで。

1. All the Things You Are         Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 6:21
2. Time After Time                Sammy Cahn / Jule Styne 6:29
3. Taps Miller           Count Basie / Buck Clayton / Bob Russell 5:20
4. All Too Soon                Duke Ellington / Carl Sigman  5:55
5. How Insensi            Norman Gimbel / Antonio Carlos Jobim 6:47
6. I Never Knew                  Gus Kahn / Ted Fio Rito 5:16
7. For All We Know              J. Fred Coots / Sam M. Lewis 5:40
8. Jumpin' the Blues             Jay McShann / Charlie Parker 4:42

Scott Hamilton (ts)
John Bunch (p)
Phil Flanigan (b)
Chris Flory (g)
Chuck Riggs (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Tamao Kawada
Recorded live at Yamaha Hall, Tokyo, Japan, June 1983
Concord CJ-254

The Second Set
クリエーター情報なし
Concord Records
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元亭主との共演を、15年ぶりに突然ロンドンで行う事に・・・

2015-12-15 | MY FAVORITE ALBUM
November Girl / Carmen McRae & Kenny Clarke・Francy Boland Big Band

40年代の初めモダンジャズの発祥の地で有名なミントンズプレイハウスには、パーカー、モンク、クリスチャン、ケニークラークなど、後のジャズの巨人達が集っていた。カーメンマクレーも最初はそこでピアノを弾く一人であったが、そこのハウスドラマーであったケニークラークと恋仲になり1946年結婚した。旦那の方は人気絶頂のドラマー、一方のマクレーの方はピアニストとしては芽が出なかった、歌手としてもまだ駆け出しであった。

そんな夫婦であったが、ケニークラークが1949年に浮気に走る。相手は何とイギリス出身の、後にランバードヘンドリックス&ロスで有名なアニーロス。2人の間には子供までできるが、結局は破局に。

マクレーはじっと我慢の夫婦生活を続け、その間歌手としての実力をつけベツレヘムでリーダーアルバム”East to Love”を出すまでに成長した。続くアルバム”By Special Request”では夫君ケニークラークをバックに従え、2人の仲も元の鞘に戻ったかと思われたが、翌年の1956年には正式に離婚する。

以後2人の間は友人関係が続いた様だが、仲良く一緒に演奏することは無かったようだ。というのも、マクレーが歌手として益々存在感を高めていった一方で、クラークの方は離婚後すぐにフランスに活動拠点を移していた。

マクレーもヨーロッパに行くことは多かったが、1970年11月にもロンドンを訪れていた。ちょうどその時、ケニークラーク・フランシーボラーンのビッグバンド(CBBB)も地元の有名なクラブ「ロニースコットクラブ」に出演していた。CBBBの実質的なディレクター&スポンサーといえば、まさにこのCBBBを誕生させたGigi Campiだが、このロンドン公演も彼が段取りをしていた。そして、彼がまた活躍をする。

マクレーがイギリスに居るのを知ると、カンピは早速カーメンマクレーとCBBBの共演を思いついた。マクレーとクラークにとっては、バイスペシャルリクエストから15年ぶりの共演アルバムとなる。

とはいってもCBBBはビッグバンド、共演のためには譜面が要る。マクレーもその頃のレコーディングはアトランティックで大編成をバックにしたものが多かったが、これはいわゆるビッグバンド編成ではなく、その譜面を持っている訳でもなかった。共演といってもジャムセッションとは違ってゼロからのスタートとなった。

早速フランシーボラーンがアレンジを行う事になった。普通であれば「無難に歌い慣れている何かスタンダード曲でも」と思うが、ここではメンバー達が書いたオリジナルが中心となった。 特に、ベースのジミーウッズが大活躍。サドジョーンズがモニカゼタールンドのために書いたアレンジはバスの中で書いたと言われているが、そこまで突貫工事ではないにしても、連日クラブ出演をしている中でのアレンジの用意となった。マクレーにしても全くの新曲、歌詞を覚える所からの準備が必要だ。結局、リハーサルの時間もたいしてとれない中でのレコーディングとなった。

ボラーンのアレンジは歌伴だからといって手抜きは無い。いつもの重厚なアンサンブルに、名手揃いのメンバー達のソロも適度にまぶされている。もちろんマクレーも、この迫力に負けない歌いっぷりだ。一点、エイトビートがある訳でもなくいつものCBBBのサウンドなのに、ボラーンのピアノが全編エレキピアノであるのが気になるが。

マクレーは、東京では、思いもしない弾き語りのライブアルバムを作ることになったが、ロンドンではこれも思いがけずに昔の旦那との共演に加え、新曲をビッグバンドの伴奏でという難問に、リハもそこそこでレコーディングとなった。
難解なビッグバンドの譜面を初見でこなしているプロの姿を見ていつも感心しているが、どのような状況でもアルバムまで作り上げてしまうマクレーのプロ根性には恐れ入る。
また、このようなマッチメイクをするプロデューサーの眼力と熱意も凄いものだと思う。

1. November Girl
2. Just Give Me Time
3. 'Tis Autumn
4. A handful Of Soul
5. Dear Death
6. I Don't Want Nothin' From Nobody
7. You're Getting To Be A Habit With Me
8. My Kinda World

Carmen McRae (vo)
Kenny Clarke-Francy Boland Big Band
Benny Bailey, Dusko Gojkovic, Idris Suleiman, Art Farmer (tp)
Ake Persson, Nat Peck, Eric van Lier (tb)
Derek Humble, Billy Mitchell, Ronnie Scott, Tony Coe, Sahib Shihab (reeds),
Francy Boland (p,key)
Jimmy Woode (b)
Kenny Clare, Kenny Clarke (ds)
Dizzy Gillespie (snare d)

Produced by Gigi Campi
Recorded in London November 3, 1970



November Girl
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Rearward
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日本発のアルバムが世界中のファンの元へ・・・

2015-12-13 | CONCORD
Overseas Special / Monty Alexsander・Ray Brown・Herb Ellis

70年代から80年代の日本は活力がみなぎっていた。ちょうど自分が社会人になったが、まだ見習いで忙しく仕事を学んでいた時である。この成長に伴い世の中も経済的に豊かになり、個人的にも懐が豊かになった。欲しいレコードもすぐに買えたし、行きたいコンサートにも行けるようになったが、反対にそれを楽しむ時間が無くなった。学生時代は隅から隅まで読んだスイングジャーナルも、パラパラとめくって積んどく状態になったものだ。

この日本の経済力がジャズ界にも活気をもたらしていた。幻の名盤といわれた古いアルバムが次々に発掘され、次から次へと大物ミュージシャンが来日し、日本中で大きなコンサートが催され、日本のプロデューサーが企画するアルバムも数多く作られた。
60年代の初頭は、ジャズを理解してくれるのはヨーロッパというのがジャズ界の常識で、アメリカで思う存分演奏する機会に恵まれないミュージシャン達の多くはヨーロッパに渡ったものだが。時代が変れば所も変る。

80年代の日本のジャズフィーバーをアメリカの関係者は驚きの目で見ていた。秋吉敏子がアメリカに渡り、日本人でもジャズを演奏するミュージシャンがいるのだという事を知り、大物ミュージシャンが大挙して日本に行くようになって、日本にもジャズを聴くファンがたくさんいるというのが分かった。それから、このフィーバー状態になるまであまり時間はかからなかった。

多くの来日ミュージシャンの公演を手配していたのはプロモーターといわれる人々。アメリカ側で大物ミュージシャンや大きなフェスティバルを仕切っていたのはジョージウェインのような有名なプロデューサー。日本側も個人のプロダクションから、大手の音楽事務所、さらには大手メディアの文化事業部のようなところまでが次々と公演を企画した。もちろん成功する公演もあれば、お客が集まらずガラガラという公演もあった。その中で、プロモーターとミュージシャンの信頼関係も生まれてきたと思う。

少し前に、モンティーアレキサンダーのトリオが来日した。その時にも記事にしたが、その公演を段取りしたのはプロモーターとしては老舗のオールアートプロモーション。モンティーアレキサンダーがまだコンコルドに所属していた時からの付き合いになる。

富士通コンコルドジャズフェスティバルが日本で始まったのは‘86年だが、それに先立って’82年にモンティーアレキサンダートリオの単独公演が行われた。ビッグスリーとタイトルされたそのトリオのメンバーは、レイブラウン、ハーブエリスの豪華版。3月初めから一ケ月近くかけて日本ツアーが行われた。ほぼ同じ時期に、オスカーピーターソン、カウントベイシー、グレンミラー、ジョンルイス、チコフリーマン、ボブジェイムスなどのコンサートツアーも行われていたので、当時の活況ぶりを窺い知ることができる。

この日本ツアーの最後にアレキサンダーのトリオの面々は六本木のサテンドールに出演した。この頃有名ミュージシャンが来日した時に、東京でジャズクラブへの出演というのは珍しかった。レコーディングのためのスペシャルセッションかどうかは定かではないが、このようなトリオの演奏はホールとは違ったクラブ独特の雰囲気にピッタリだ。



この録音を聴いた感想を、コンコルドレーベルの地元紙サンフランシスコエグザミナーの記者がライナーノーツに書いている。トリオの演奏が素晴らしいのはいうに及ばす、日本のジャズクラブの雰囲気が実に素晴らしいこと、そしてライブレコーディングが上出来な事を褒めちぎっている。特に日本のジャズファンがこんなに演奏に溶け込んでいる事、そしてレイブラウンのベースの音の良さに。個人的には、日本のファンを見くびっているとも思えるコメントだし、レイブラウンのベースの音も弦の音が目立ち、いつもの図太い音がかえって消されてしまっているような気もするが。いずれにしても日本が見直されていたのは事実だ。

タイトルとジャケットデザインは、3人から世界中のファンへの贈り物といった感じだが、その陰には日本のプロデューサー、ファン、クラブ、そしてエンジニアがいたことも間違いない。
このトリオでの演奏は、ツアーの最中に大阪でスタジオ録音されたアルバムもあるので聴き較べてみるのも面白い。いずれにしても、日本が元気な時代であったからこそ実現できたアルバムだ。その陰にはプロモーターであるアートプロモーションの石塚氏の努力と活躍があったからだと思う。

それにしても、今の世の中金儲け以外何かをやろうと気が起こらない社会になってしまったのは困ったものだ。きっと今の時代ではこのようなアルバムは自主制作以外生まれないであろう。

1. But Not for Me             George Gershwin / Ira Gershwin 9:17
2. A Time for Love          Johnny Mandel / Paul Francis Webster5:47
3. Orange in Pain                       Herb Ellis 6:02
4. F.S.R. (For Sonny Rollins)                  Ray Brown 5:57
5. For All We Know               J. Fred Coots / Sam M. Lewis 7:26
6. C.C. Rider                     Ma Rainey / Traditional 8:22

Monty Alexander (p)
Ray Brown (b)
Herb Ellis (g)

Produced by Yoichiro Kikuchi
Engineer : Yoshihisa Watanabe
Recorded live at the Satin Doll Club, Tokyo, March 15 1982

Concord CJ-253

Overseas Special
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Concord Records
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たまにはベイシーを忘れて、ハードバップで・・・・

2015-12-12 | MY FAVORITE ALBUM
Straight on Till Morning / Butch Miles

ベイシーオーケストラに在籍したメンバー達が自分のアルバムを作ることになると、どうしても日頃身に付いたベイシーサウンドが気になる。聴く方のファンもそれを期待してしまうことが多い。
一方で、ベイシーサウンドを知り尽くしたメンバーが、ベイシースタイルの演奏をするバンドに加わると、バンド全体のスイング感が変る。何かベイシーのスイング感には独特なDNAのようなものがあるのかもしれない。

今回もベイシーオーケストラの一員として参加しているアルトのマーシャルマクドナルドがバイソン片山のビッグバンドに、デニスマッケルがベイシーサウンドオーケストラに加わったライブがあったが、いずれもDNAを持ったゲスト効果が表れていたように思う。

70年代から80年代にかけてのベイシーオーケストラで活躍したドラムのブッチマイルス。一昨年のベイシーオーケストラの来日時ゲスト参加していた。久々の古巣でのプレーであったがツボを押さえたドラミングは流石であった。

今回のベイシーオーケストラのメンバーの中ではテナーのダグローレンスが目立ったので彼のアルバムでも聴きたいと思ったが、リーダーアルバムは残念ながら手持ちがない。(というより知らないという方が正しい。今度探してみようと思うが)。何か手持ちのアルバムで参加したものがないかと探したら、ブッチマイルスがリーダーを務めたこのアルバムがあった。

ライナーノーツもあまりじっくり読んだ記憶が無かったが、今回読み返してみるとこのセッションはなかなか面白いプロジェクトだったようだ。

ブッチマイルスは、ベイシーオーケストラ時代はスインギーでダイナミックなドラミングを聴かせてくれた。このプロジェクトでは敢えて慣れ親しんだベイシーサウンドから離れた演奏にチャレンジしようと思い立ってそうだ。
とはいっても、もちろんベイシーオーケシトラを離れてもドラミングの基本は変わらない。モーダルな演奏やフリーをやろうと訳ではないので、バップオリエンテッドであり、時にはラテンの味付けをしたストレードアヘッドなスイングジャズという事になる。

もちろん自分一人ではできないので、友人達に声を掛けると皆主旨に賛同してくれてこのアルバムが生まれた。その中にテナーのダグローレンスが加わっていたということになる。メンバーはローレンス以外にも一緒にベイシーで一緒だった仲間が多い。フロントは彼のテナーにトランペットとトロンボーンを加えた3管編成。特にトランペットのボブオヘーダは作編曲も協力してくれた。曲によってはベイシーオーケストラの重鎮であったフランクウェスがテナーと、フルートで参加している。ローレンスと2人のテナーバトルも楽しめるという編成だ。

曲はスタンダードもあるが、オリジナル曲も加えてオリジナリティーを出している。
ベイシーナンバーからは唯一キュート。この曲はベイシーでもドラムのブラッシングをフィーチャーしているが、ここでもマイルス自身のアレンジでベースをフィーチャーする試みとなった。

一曲目のHangover Blues。同名の曲が野口久和ビッグバンドのレパートリーにもあるが、こちらはオヘーダの曲。二日酔いのブルースといった雰囲気はどちらも同じだ。続く曲も狙いどおりどの曲もハードパップオリエンテッドな演奏だ。マイルスのドラムも多少モダンな感じはするが、確実にビートを刻む切れの良いドラミングは変らない。
7曲目のA flower in a lovesome thingで雰囲気が変る。ピアノのケニードリューJr.のトリオの演奏だが、このドリューのピアノの参加がグループ全体の雰囲気を新しい感じにしているかもしれない。

以前聴いた時は、ブッチマイルスも最近は少し新しいスタイルになった位に思っていたが、意図的に演奏したハードバップスタイルも悪くはない。

1. Hangover Blues                Ojeda 3:45
2. Another Drum Thing              Ojeda 4:56
3. Frank's Blues                 Ojeda 4:23
4. Cute                     Hefti 3:52
5. Dreamsville              Henry Mancini 7:18
6. When You Wish Upon a Star        Leigh Harline 6:45
7. A Flower Is a Lonesome Thing       B.Strayhorn 8:15
8. Quick Fix                   Ojeda 3:21
9. After Hours                  Ojeda 5:52
10. Outside Inn                  Ojeda 5:58
11. I'm Leavin'                   Miles 4:11

Doug Lawrence (ts)
Bob Ojeda (tp,arr)
Frank Wess (ts,fl)
Alex Saudargas (g)
Kenny Drew, Jr. (p,arr)
Lynn Seaton (b)
Butch Miles (ds)

Produced by Frank Nagel.Heyer & Butch Miles
Recorded at Pedernales Studio, Texas on January 3 & 4, 2003


Straight on Till Morning
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Nagel-Heyer Germany
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今年のクリスマスは、このアルバムで決まり・・・

2015-12-11 | CHRISTMAS
A Very Swingin’ Basie Christmas! / The Count Basie Orchestra

最近は毎年のように来日しているカウントベイシーオーケストラ。昨年ディレクターがスコッティーバーンハートに代わってから今回が3度目の来日となる。やはりベイシーのライブは年に一度の年中行事といった感じで毎回出掛けることに。

昨年のクリスマスコンサートはディーディーブリッジウォーターとの共演という豪華なステージであったが、このステージはブリッジウォーターの圧倒的な迫力に押されて、ベイシーオーケストラらしさの出る幕は無かった。同じ歌伴でもジョーウィリアムスやシナトラのように長年一緒にやっていると、お互いのコンビネーションの呼吸も合うと思うが。大物同士の急造コンビはかえって呼吸を合わせるのが難しいようだ。



今回はベイシーオーケストラ単独のステージ、ベイシーサウンドをたっぷり楽しめるものであった。今年はベイシーオーケストラが誕生して80周年ということで、リーダー役にも慣れたバーンハートも気合が入っていたようだ。
レパートリーは新旧とりまぜて山のようにあるベイシーオーケストラ。自分は1ステージしか聴けなかったが、今回のステージでは実際に有名曲だけでなく毎ステージ変化を持たせた色々プログラムを披露しているようだ。

最近は核となるメンバーも固定されているので、オーケストラ全体のサウンドも伝統ある本家の音がしている。フィーチャーされることの多いテナーのダグローレンスも、役回りに着実にはまってきたように思う。やはり、ベイシーオーケストラには、それに似合うソロが心地よい。
メンバーの中で来日の都度代わるのがバリトンサックス。昨年は女性のLauren Sevianであったが、今回は誰かと思ったら、ロイハーグローブビッグバンドのジェイソンマーシャル、自分が聴いたステージでは残念ながらソロの出番は無かったが。

そして、今回のステージのもうひとつの目玉は、このメンバーで録音された新アルバムの発売記念も兼ねていた。ちょうど世間はクリスマスシーズンだが、それに合わせるように今回のベイシーオーケストラのアルバムはクリスマスアルバムだった。
しばらく前に、ベイシーオーケストラはトニーベネットのクリスマスアルバムのバックを務めたがこれも良かった。ベイシーオーケストラ単独の全編クリスマスアルバムは、ありそうでこれまで無かったのでこれが初物という事になる。

トニーベネットのアルバムでもゲストプレーヤーの参加が華を添えていたが、このアルバムでもゲスト参加がある。企画にあたっては、バーンハートも色々策を練ったらしいが、すんなり決まったのはジョニーマチスのボーカルだったようだ。他にボーカルでは女性陣からレディシ、カーメンブラッドフォードが一曲ずつ。さらに大ベテランのピアノのエリスマリサリス、テナーのプラスジョンソンの参加というのも意外性があって面白い。

さらに、この手のお馴染みの曲が続くと、興味が湧くのはアレンジャー。一曲目のジングルベルでは、ベイシーではお馴染みのサミーニスティコがペンをふるう。更にお馴染みのゴードングッドウィン。バーンハート自身のアレンジも加え、こちらも変化を味わえる。グッドマンも自分のオーケストラ用のアレンジと少し趣を変え、いずれもベイシーサウンドを意識した感じの良いアレンジだ。
新しい録音がしばらくなかったベイシーオーケストラだが、曲、メンバー、アレンジと3拍子揃ったアルバムでと思う。

ステージでは、このアルバムからの曲は2曲しか演奏されなかった。残りはこのアルバムでということになったが、12月になったのに、まだまだ外は紅葉が楽しめる陽気。クリスマスシーズンまだ先といった感じで、クリスマスアルバムはまだ聴いていない。今年のクリスマスはこのアルバムを聴く事が多くなりそうだ。

レコーディングの様子を含めたプロモーションビデオはこちらで↓



1. Jingle Bells
2. Let It Snow              (featuring Ellis Marsalis)
3. It’s the Holiday Season              (featuring Johnny Mathis)
4. Silent Night
5. Good “Swing” Wenceslas
6. The Christmas Song                   (featuring Ledisi)
7. Little Drummer Boy
8. Sleigh Ride
9. Have Yourself a Merry Little Christmas     (featuring Carmen Bradford)
10. Winter Wonderland
11. I’ll Be Home for Christmas    (featuring Ellis Marsalis and Plas Johnson)


Scotty Barnhart (Director/tp)
Marshall McDonald (as,fl)
Cleve Guyton, Jr. (as,fl,picc)
Doug Miller (ts)
Doug Lawrence (ts)
Jay Branford (bs)
Clarence Banks (tb)
Dave Keim (tb)
Alvin Walker (tb)
Mark Williams (btb)
Kris Johnson (tp)
Mike Williams (tp)
Endre Rice (tp)
Bruce Williams (tp)
James Leary (b)
Marcus MaClaurine (b)
Ray Nelson II (ds)
Will Matthews (g)
Bobby Floyd (p)
Liew Matthews (p)
Johnny Mathis (vol)
Ledisi (vol)
Carmen Bradford (vol)
Ellis Marsalis (p)
Plas Johnson (ts)

Produced by Gregg Field
Recorded by Steve Genewick
Recorded at Capital Studios, G studio Los Angels & LWMC Studios, Kansas City, July-August 2014

A Very Swingin' Basie Christma
クリエーター情報なし
Concord Records
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エレキピアノでいつものピアノトリオとは別の顔を見せたウォルタービショップJr.・・

2015-12-10 | PEPPER ADAMS
Cubicle / Walter Bishop Jr.

アンダーレイテッドなプレーヤーという言われ方をよくする。実力がありながら知られていないプレーヤー、知られてはいてもその実力が評価されないプレーヤー達のことを指すのであろう。今活動の場が少なくなっているジャズは、それ自体がアンダーレイテッドな音楽になってしまっているのかもしれないが。

ウォルタービショップジュニアもそのアンダーレイテッドな一人といわれている。幻の名盤といわれたアルバム「スピークロウ」が再発掘されると、そのトリオの演奏がビショップの代名詞になった。その延長上で、バップスタイルのピアニストとしてのビショップの評価は高まったように思う。

たまたま自分が最近紹介したニックブリグノラポールゴンザルベスのアルバムでビショップの名前が続いた。トリオの演奏だけでなく、色々なセッションで重要な役割を果たしてきたのだが、これらの評価というと余程ビショップのファンでないと気が付かないものだ。自分も、改めてピアノがビショップであったのに気づいた次第だ。

有名なミュージシャン、そしてその名アルバムとなると、何度も聴いた気がしてかえって聴く機会が減っている。最近久しぶりにマイルスデイビスでも聴き返そうと思って、プレスティジ時代のコンプリートアルバムを引っ張り出すと一枚目でいきなりビショップが登場した。マイルスの1951年の初のリーダーセッションのピアノはこのビショップであった。リーダー作は少なくても、ビショップの参加したセッションは昔から多い。

ビショップの経歴を見ると、ピアニストとしての活動以外に大学で教鞭をとり音楽理論を教えていたとある。ということは、その演奏活動の中で色々な理論的に解釈の実践もしていたと想像できる。我々はレコードを通じてしかミュージシャンの活動を知ることができなかったが、キャリアを細かく見ると意外な活動をしていることがよくある。ビショップも、実際には幅広い活動をしていたと思われる。

70年代はジャズの世界で電化ブームが起こった時代。マイルスやビルエバンスなどの大物がエレクトリックサウンドにチャレンジし、若手ではチックコリアなども続いた。ファンの中でも賛否両論が沸きあがったが、このムーブメントが後のフュージョンに繋がったのは間違いない。ミュージシャン一人ひとりは一時の熱気に醒めると、それぞれ収まる所に収まっていった。アコースティックに戻って行ったり、両刀使いになったり、反対にさらにそれを極めたり。

ウォルタービショップも遅れ馳せながらこのエレキピアノに取り組んだ。そして、エレピサウンドとパーカッションを活かした8ビート、よりソウルフルな演奏、そしてポストハードバップともいえるサウンドづくりにチャレンジした。このアルバムは、丁度その時に作られたアルバムだ。スピークロウでのピアノトリオを期待するとこれは全く別物である。編成も管を複数加え、曲によってはボーカルも加えてピアノがメインというよりはグループでのサウンドを目指した演奏である。

演奏している曲は、一曲目のオリジナルのバレーランドでボーカルを加えたサウンドを作り、サマータイムやマイリトルスウェードシューズのように昔からのスタンダードをエレキサウンドに仕立て直して、以前のトリオでも演奏した曲を大きく変身させている。最後のタイトル曲キュービクルはハードバップの新旧対決といった感じだ。

実は、このアルバムにペッパーアダムスが参加している。アンサンブルワークで大事な役割を与えられているだけでなく、ソロも多く割り当てられているが、アダムスのエイトビートでのソロというのも珍しい。

ソリストとして独立して一年近く経った1978年6月。この頃のアダムスは大忙しの毎日を過ごしていた。
自分のリーダーアルバム”Reflectory”を録音したのが14日、これは自分自身でも満足できるレコーディングだったようだ。クインシージョーンズが音楽監督を務めたミュージカル映画”The Wiz”のサウンドトラックの録音も連日続いていた。

このビショップのアルバムの録音を行った日も、その仕事を終えてのスタジオ入りだった。
たいしてリハーサルも無く臨んだレコーディングであったのは容易に想像できるが、ビショップの期待通りの役割を果たしているように思う。

更に、ミッキータッカーのセッションを経て、先日紹介したドンフリードマンとカーティスフラーとの共演アルバムを録音したのが直後の26日。そして30日からのライオネルハンプトンの50周年の記念コンサート、その後のヨーロッパツアーに向けてのリハーサルも連日行われていた。
7月1日のニューポートジャズフェスティバルには9つのビッグバンドが終結したが、アダムスは古巣のサドメルを含めていくつかのバンドにもゲスト参加した。まさに眠る暇もない活躍ぶりだった。


このアルバムは、他のリーダーのアルバムにビショップが参加したのではなく、あくまでもビショップのリーダーアルバムである。ビショップが普段見せている顔ではなく、まったく別の顔を見せてくれた。きっとレコードに残っていないビショップの活動というのはもっと多くあるのだろう。

このアルバムが無いと、ビショップは単にバップオリエンテッドなピアニストという評価で終わっていただろう。ミュージシャンの本当の姿、そして日頃の想いを知るにはレコードだけでは難しいというのが良く分かる。
ビショップがアンダーレイテッドといわれる理由も分かる気がするが、この頃のペッパーアダムスの活躍ぶりを知ると、彼もアンダーレイテッドなプレーヤーであったと思うのは自分だけか。


1. Valley Land                      (W. Bishop Jr.)  6:34
2. My Little Suede Shoes                   (C.Parker) 4:50
3. Those Who Chant                   (W. Bishop Jr.)  7:08
4. Summertime                (G. Gershwin - D. Heyward) 8:06
5. Now, Now That You've Left Me               (M. Farber) 6:35
6. Cubicle                         (W. Bishop Jr.)  4:12

Walter Bishop, Jr. (keyboards)
Rene McLean (as,ss,ts)
Pepper Adams (bs)
Curtis Fuller (tb)
Randy Brecker (tp,flh)
Ray Mantilla (per)
Bob Cranshaw (b)
Mark Egan (b)  #1,4
Billy Hart (ds)
Joe Caro (g)
Carmen Lundy (vol)   #1

Produced & Arranged by Mitch Farber
Engineer : Elvin Campbell
Recorded at CI Recording, New York City, on June 21 1978
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能ある鷹は爪を隠すというが、爪音を立ててピアノを弾くのは・・・

2015-12-08 | MY FAVORITE ALBUM
As Time Goes By / Carmen McRae Alone Live At The DUG

ピアニストというのは指先の手入れには神経を使うと思う。ちょっとした指先の怪我でもプレーに支障を来すのに、爪を伸ばしてピアノを弾くことは普通ではありえないことだと思うが・・・。

女性ジャズボーカルの三大大御所というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーであろう。それぞれ個性溢れる実力者だ。アップテンポのスキャットも良いが、じっくり歌い込むバラードもいい。それぞれ名盤、名唱といわれるアルバムは数多いが、いずれも代表作にライブ物が多い様な気がする。
自分の持っているアルバムの数からいうと、その中ではカーメンマクレーが好きという事になる。ジャズを聴き始めて比較的早くにマクレーファンとなった。シュガーヒルでのライブ録音の、I left my heart in San Franciscoが最初のお気に入りだった

1973年の秋にそのマクレーが来日した。Great American Songbookのアルバムを出した直後の来日であった。この年は、学生生活最後の年となる節目の年なのでよく覚えている。オイルショック、日航機ハイジャック事件など大きな出来事が続いた。

来日するミュージシャンは多かったが当時は貧乏学生、どのコンサートに行くかも迷いに迷って決めていた記憶がある。この時のマクレーの来日はカウントベイシーオーケストラとのジョイント、両方が聴けると何か得する気分で決めたように思う。

この時のベイシーオーケストラは名の通ったメンバーは少なかった。そしてマクレーのステージになるとピアノは若いピアニストに代わった。ベイシーオーケストラとの競演というよりは、ビッグバンドアレンジのバックにベイシーのメンバーを借りた感じであった。であれば何もベイシーオーケストラでなくても良かったのでは?マクレーはやはりピアノトリオがいいかな?と、何か損をした気分になった記憶がある。

当時は来日したミュ―ジシャンのレコーディングが良く行われた。その年来日したサラボーンはステージそのもののライブアルバムが作られた。このマクレーにもレコーディングの話が持ち上がった。ベイシーと共演したステージは、素人耳にも今一つであったのでこれがアルバムになることは無かった。別途マクレーのアルバムということになったが、一緒に来日したピアニスト(誰だったか名前も忘れたが)を起用はNGとなった。

そこでプロデューサーが思いついたのはマクレーの弾き語りであった。

カーメンマクレーの音楽生活は、そもそもピアニストとしてのスタートであった。ドラムのケニークラークと別れて歌手として独り立ちしたが、最初の頃の仕事はメインステージのインターミッションのピアノと歌の弾き語りであったという。
ところが、本格的に歌手としてレコードを出すようになってからは、ピアノを弾く事も無く、まして弾き語りのアルバムなどはそれまで作った事がなかった。

そんな彼女に弾き語りのアルバムを要求したプロデューサーも度胸があると思うが、最初のマクレーの答えは「弾き語りで歌える曲は2、3曲しかないので無理」というというものであった。「そこを何とか」と再度プッシュして実現に漕ぎつけた粘り強さには恐れ入る。

短い日本の滞在期間の中での録音、たいして練習する時間も無かったと思う。東京での公演を終え、翌日から地方の巡業に出掛けけるという日に録音が行われた。場所は新宿のDUGでのライブレコーディンだった。この日は東京公演の最終日、渋谷公会堂でステージを終えると、その足で新宿に向かった。

ピアノに向かい、自らのピアノのイントロに続き、ため息とも気合ともいえる「あー」という一声で曲が始まる。タイトル曲のタイムゴーズバイだ。後は、完全に彼女のペース。お馴染みのスタンダード曲が続く。時にはアップテンポで歌われる曲も、今回はすべてがバラードプレーだ。バラードといってもマクレーの歌声は腹の底から絞り出すような力強い歌い方で甘ったるさはない。マクレー節ともいえる得意なテンポだ。ピアノがイントロ、バック、そしてソロと絶妙に歌に絡みつく。ナットキングコールのような饒舌さは無いが、ツボを押さえたピアノは彼女の歌を支え、弾き語りの真骨頂を聴かせてくれる。

そして、最後の曲プリーズビーカインドを終えると、聴衆からの拍手にサンキューと一言応えるが、いつにない緊張感から解放され、肩の荷が下りた安堵感が伝わってくる。本来であればリラックスした気分で気軽に歌える弾き語りだが、今回ばかりはマクレーといえども普段やったことのない弾き語りの一発勝負のレコーディングと言う緊張感の中での演奏だったと思う。

ジャズのライブレコーディングの魅力は、JATPのような演奏の大きな会場での熱気が伝わってくるのも一つだが、ビルエバンスのビレッジバンガードでのライブのように、プレーヤーの息遣いに加えて、小さな会場で食器が触れ合う音やおしゃべりが聞こえてくるような臨場感もたまらない。

その意味では、このアルバムの臨場感も格別だ。会場のノイズに加え、マクレーの息遣い、そしてマクレーのピアノプレーでは爪が鍵盤に当たる音も聞こえてくる。急にピアノを弾くことになったからといって、爪を短く切る事はしなかったようだ。



1. As Time Goes By                  Herman Hupfeld  5:41
2. I Could Have Told You So                  J.Oliver  4:19
3. More Than You Know   Edward Eliscu / Billy Rose / Vincent Youmans  5:27
4. I Can't Escape from You             Leo Roirc R.A.Whiting 3:50
5. Try a Little Tenderness  Jimmy Campbell / Reginald Connelly / Harry Woods  4:13
6. The Last Time for Love                  Carmen McRae  6:15
7. Supper Time                        Irving Berlin 3:31
8. Do You Know Why?           Johnny Burke / James Van Heusen 4:55
9. But Not for Me               George Gershwin / Ira Gershwin 6:04
10. Please Be Kind                 Sammy Cahn / Saul Chaplin 6:27

Carmen McRae (p,vol)
Produced by Tetsuya Shimoda
Engineer : Tamaki Bekku
Recorded live at The Jazz Club DUG, Tokyo, November 21, 1973

アズ・タイム・ゴーズ・バイ
クリエーター情報なし
ビクターエンタテインメント
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スタンダード曲をどう料理するかを聴き較べるのもジャズの楽しみ

2015-12-07 | MY FAVORITE ALBUM
Standards / Bireli Lagrene

地方に行く機会があると、地の美味しいものに食指が動く。最近ではB級グルメが流行っているせいか、「何でこれがこの地の名物?」といえるようなものもあるが、やはり昔ながらの地元の特産品、そして地元の味付けの料理は格別だ。都会住まいでは目にすることのない地魚、地野菜を使った料理は珍しさも手伝って食が進む。

ジャズの世界でもその発展の中ではご当地ジャズが盛んであった。ニューオリンズから始まり、シカゴ、デトロイト、カンサスシティー、シンシナティ・・・,そして西海岸へ、地域色豊かな味付けのジャズが生まれた。さらにアメリカ大陸から世界中に広まっていく中では、世界各地の音楽と融合した独特なスタイルを生み出していった。

その中に「マヌーシュジャズ」といわれるスタイルがある。いわゆるジプシー音楽とスイングジャズのハイブリット種であり、それを生み出したジャンゴラインハルトのスタイルともいえる。当然中心となるギターの演奏スタイルも多くのギタリストに影響を与えたが、前回紹介したアルバムのチャーリーバードもその一人ということになる

ジャンゴラインハルトの影響を受けたギタリストは多いが、自らジプシーの家系に生まれ、8歳ですでにラインハルトの演奏をカバーしていたというのが、ビレリーラグレーンである。ジャンゴラインハルト直系の後継者の一人であろう。

ジャンゴラインハルトが亡くなったのは1953年、まさにモダンジャズへの変革の時であった。ラインハルトの音楽は彼が生きた時代のジャズであるスイングジャズが基本、彼がモダンジャズの時代まで生きていたらどんな演奏をしたか興味が湧くが・・・。

一方、ラグレーンが生まれたのは1966年。彼が育った80年代のジャズはフュージョン全盛期であった。18歳の時にラリーコリエルと出会う。そしてジャコパストリアスと一緒に演奏することにより、ラグレーンはジャズ&フュージョンに大きく関わった。新しいジャズに積極的に取り組んだラグレーンだが2000年代に入ると、その経験を踏まえて再びジプシー音楽を軸足にした演奏に回帰した。

そのラグレーンが発展途上であった1992年にそのタイトルどおり、スタンダード曲をばかりを演奏したアルバムを作った。
何の予備知識もなく、どんなスタイルの演奏をするか分からないミュージシャンのアルバムを買う時、「スタンダード曲」を中心としたアルバムがあると思わず手にしてしまう事が多い。このアルバムもそんな感じで入手した一枚だ。

ここでは「朝日のごとく爽やかに」、「ボディーアンドソウル」といった歌物だけでなく、「ドナリー」や「オーニソロジー」といったパーカーナンバーのジャズスタンダードや、フランスのポピュラー曲「セッシボン」、「枯葉」や「酒とバラの日々」まで、まさにスタンダード曲が満載だ。そして最後にはジャンゴラインハルトの曲を一曲。
基本は元のメロディーラインを踏襲した演奏が多いが、原曲がイメージできないフリーな演奏の枯葉まで、それぞれの曲の解釈やスタイルも変化に富んで面白い。

メンバーは、ベースはペデルセン。ドラムがフランスのドラムの重鎮アンドレチャカレリのトリオ。スタンダード曲に加え、このメンバーにも興味が湧いたアルバムだ。
このような聴き慣れたスタンダード曲のアルバムを聴き較べるのもジャズの楽しみの一つだ。



1. C'Est Si Bon                 Henri Betti / André Hornez 6:43
2. Softly, As in a Morning Sunrise Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 5:37
3. Days of Wine and Roses          Henry Mancini / Johnny Mercer 5:20
4. Stella by Starlight             Ned Washington / Victor Young 6:00
5. Smile           Charlie Chaplin / Geoffrey Parsons / John Turner 5:56
6. Autumn Leaves       Joseph Kosma / Johnny Mercer / Jacques Prévert 4:57
7. Teach Me Tonight                Sammy Cahn / Gene DePaul6:03
8. Donna Lee                         Charlie Parker 5:02
9. Body and Soul  Frank Eyton / Johnny Green / Edward Heyman / Robert Sour 7:24
10. Ornithology                 Benny Harris / Charlie Parker 4:25
11. How Insensitive (Insensatez)   N. Gimbel / A. Carlos Jobim / V. de Moraes 7:10
12. Nuages                        Django Reinhardt 4:27

Biréli Lagrène (g)
Niels-Henning Ørsted Pedersen (b)
André Ceccarelli (ds)

Produced by Christian Pégand
Engineer : Malcolm Pollack
Recorded at Studio Davout, Paris, France, June 1992

Standards
クリエーター情報なし
EMI Europe Generic
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