A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

たまには主役でもやってみるか

2007-05-31 | MY FAVORITE ALBUM
MIDNIGHT OIL / JEROME RICHARDSON

目立ちたがり屋と謙虚で控えめな性格。
リーダーシップのある者と、良き女房役。
人間には両方のタイプがあるから、組織が成り立ち、世の中うまく廻っている。
これが同じタイプの人間ばかりだったらと思うと、寒々しい思いがする。

でも、最近平均的な人間が多くなって、両極端がいなくなっているような気がする。
誰をみてもそこそこ及第点、暴れん坊もいなければ、地味でこつこつタイプも少なくなった。自分の周りだけでもなさそうだ。

久々にチャールスロイドのフルートを聴いたが、我々世代はフルートいえばまずはハービーマン。
しかし、JAZZの歴史の中で早くからフルートを吹いていたプレーヤーといえばJerome Richardsonという話もどこかで聞いたことがある。
サド・メル設立時のリードアルトだが、実は彼はクインシージョーンズとも関係が深い。
クインシーがハンプトンのバンドに入った時の先輩がこのリチャードソンだったそうだ。クインシーの自伝にも、このリチャードソンの回顧録が載っている。

実は、このリチャードソンは典型的な女房役。それも大家族の取りまとめ役。
サドメルの前には、クインシーのオーケストラに参加して、ヨーロッパの“死のロード”にも参加している。このアルバムを録音してから1年後のことだ。

といったキャリアでありキャラなので、オーケストラを含めてセッションへの参加は非常に多いのだが、リーダーアルバムは極端に少ない。その中の一枚がこのアルバム。彼のフルートとテナーを思う存分聴ける。

特に、Caravanのフルートのプレーとトロンバーンのサウンドのミックスした響きがこの曲の雰囲気と実によくマッチしている。
この曲も色々なプレーヤーがやっているが、このリチャードソンのプレーもなかなかなものだ。

いつもは脇役に徹しているが、たまには前面に出てやってみてもいいのにと思うプレーヤーが他にも結構いる。実力は十分なのだから。
たまには、主役も悪くないんじゃないの?

MINORALLY
WAY IN BLUES
DELERIOUS TRIMMINGS
CARAVAN
LYRIC

Jerome Richardson (ts,fl)
Jimmy Cleveland (tb)
Hank Jones (p)
Kenny Burrell (g)
Joe Benjamin (b)
Charlie Persip (ds)

Recorded in Hackensack, N.J,October 10,1958
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時が経てば代替わりだが、同じ時期だと主客転倒も。

2007-05-30 | MY FAVORITE ALBUM
DREAM WEAVER / THE CHARLES LLOYD QUARTET

先日、会社の一年後輩が亡くなった。
とにかく若手の面倒見がよく、仕事少し荒っぽいところがあったが、何事にも誠心誠意取組む姿勢・態度は取引先にも可愛がられた人物だった。
運動の世界でも、仕事の世界でも後輩の指導というのが本来であれば先輩の大きな役割。
最近では、仕事の世界では昔のような師弟関係は作りにくくなっている。
今、彼のような人材はなかなかいない。
仕事のやり方が変わってきたといえばそれまでだが、そのうちきっと何か間違っていることに気がついた時は手遅れになってしまう。
と、最近思うことが多いのだが。年をとったということだろう。

Quincyも先輩にうまく可愛がられ、反対に後輩をうまく育ててきた。
それも、ジャンルを超えて。
音楽的な面だけでなく、人付き合いの点でも彼はある種の天才なのだろう。

さて、少し間が開いてしまったし、Quincyが続いたので少し気分転換の一枚。

ジャズで「枯葉」の名演は多い。有名な曲だし印象には残る。
そして、JAZZ喫茶で良くかかったアルバムもよく覚えている。
66年代後半の忘れられないアルバムの一枚がこれだ。
良く流行ったアルバムだ。
特にフルートでは、当時はJeremy SteigとBill Evansの枯葉とこのアルバムの2枚が双璧だろう。

ロイドはこの後大人気グループになるが、その後は徐々に第一線から退いていく。
活動はしていたと思うがその後の活動内容は自分もほとんど認識外。
最近は復帰しているようだが、その演奏は知らない。

一方で、このグループのPianoはKeith Jarett、そしてドラムはJack Dejonette。
その当時は思いもしなかった。その後2人がこれほどまでに大物になっていくとは。
今考えれば、とんでもないグループだった。
この時は、やはり主役はロイド。でもいつの間にか世の中の主役はキースに。
何も先輩後輩の世代交代だけではなく仲間同士でも主役の交代はよくある。
古きよき時代の伝統の伝承も大事だが、それに安住せずに進化させるためには、お互い切磋琢磨しあう仲間同士の競争と協調関係も必要なのだろう。

AUTUMN SEQUENCE
a) AUTUMN PRELUDE
b) AUTUMN LEAVES
c) AUTUMN ECHO
DREAM WEAVER
a) MEDITATION
b) DERVISH DANCE

BIRD FLIGHT
LOVE SHIP
SOMBRERO SAM

Charles Lloyd (ts,fl)
Keith Jarrett (p)
Cecil Mcbee (b)
Jack Dejohnette (ds)

NYC, March 29, 1966
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日頃の「便利さの代償」がますます大きくなっているのでは?

2007-05-28 | COMMENT
昨日のANAのシステムトラブルに思うことをつらつらと。

このブログも最近はもっぱらJAZZばかりで、ゴルフの話題を書かなくなってしまったが、プレーは相変わらず続けている。
少し気合だけが空回りしてしまっているので、最近は楽しいゴルフに徹しているがこの週末は仲間とゴルフで富山に遠征。
天気にも恵まれて、おいしい食事と楽しいプレーができた。
せっかくの晴天であったが、黄砂の影響か空は霞んでせっかくのアルプスの雄姿は拝めずじまい。
おまけに帰りの飛行機が、システムトラブルの影響に巻き込まれる。
幸い欠航にはならなかったが大幅遅れ。昨晩は夜中の帰宅になってしまった。
おかげで、週末はレコードを聞く時間はまったくなくなってしまったが。
レコードは聴けなかったが、“ipod”を聴く時間がたっぷりできたのは皮肉なものだ。

この事故について思うところは色々あるが、最近目立つのがシステムダウンによる「影響」の大きさだ。
つい先日も、NTTのフレッツのサービスが大規模ダウンしたばかり。
電話やネットが半日以上使えない不便さは、その状況になってみると身に沁みて分かる。

ネットワーク社会が一段と進み確かに便利にはなった。
今や、マイレージ会員がネットでチケットを購入すれば今や航空券はおろか、搭乗券が無くともICカード一枚で搭乗手続きができるようになったが。
しかし、このようなシステムダウンが起こると、この便利さの代替手段に何の手の打ちようが無いのが露呈してしまった。

電子マネーやICカードが普及してこれらを使ったサービスがますます本格化してきている。このようなトラブルが起こる可能性がますます増えるということだ。
日常の利便性とのトレードオフでトラブル時のリスクの代償があまりに大きくなってきたということだろう。
自動車がなければ交通事故はなくなるし、環境問題も解決する。新たな発明が新たな危機を招く社会、これは文明の歴史そのものかもしれない。
しかし、もう元には戻れない。

知恵が働く人間なので、また新たな解決策はいずれ考え出すとは思うが、所詮イタチごっこ。
世の中の仕組みの裏側はますます複雑怪奇になっていく。これのお守りをする人は大変だと思う。

一方、自然を相手に自己の「技術と精神力」との闘いのゴルフは、道具の進歩はあるものの、プレーそのものは相変わらず「人間技」と「アナログ」の世界。
プレー中トラブルは色々発生するが、結局のところトラブルの責任は大部分が自己責任。
ところが、普段の生活でトラブルが自分のコントロールできていないところで起こる社会になったせいか、何を勘違いするのか「ゴルフのトラブル」でも他人のせいにする輩が増えてきているように思う。
キャディーのアドバイスが悪い、同伴競技者のテンポが悪い、プレーのマナーが悪い、はたまたコースの管理が悪い・・・とか、とか。
そんなことで、キレないで欲しい。
ゴルフはあるがままでプレーするのが基本なので。

社会的なトラブルの原因がますます日常から遠くなってしまうと、「反省」などということをしなくなる。自分が常に正しくて何をやっても社会が悪いからと開き直る。
こんなことが続くと、今後ますます自己中心で無責任、ひたすら他人のせいにする人種が増えてくるのではないかと心配している。
便利さが災いして、その反動でかえって暮らしにくい社会になっているのではなかろうか。
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「Bopの流れのTunes, Tones, Beat,そしてLines」も、生かしているのは

2007-05-26 | MY FAVORITE ALBUM
Sonny Stitt plays from the pen of Quincy Jones

ミルスブラザースのアルバムを聴いて昔を懐かしむといっても、さすが1930年代は生まれていない。ということは実体験のとしてその時代は生きてはいない。所詮、見たり聞いたりしただけのことを思い出すだけ。

ところが50年代というと、その時代に自分は実在していた。まだ小学校に行くか行かないかといった頃だが、「その時代」は鮮明に自分の中に生きている。
その頃の演奏を聴きながら、ふとその時代の自分を思い出しながら重ね合わせてしまうことがある。年をとったということだろう。

レコードのライナーノーツを読んでいても、国内盤の多くは再発物。ライナーノーツも過去のこととして書いている。ところが、オリジナルのライナーノーツを読むと、当たり前だがそれはその時代に書かれたもの。軸足をその時代に合わせないといけない。

Be-bopが起こってずるずると10年が経ち、・・・・と始まる、ライナーノーツだが、これは1955年の録音だ。

ハンプトン楽団を辞して作編曲に精を出していた頃にも、クインシーとサドとの出会いはあった。クインシーがガレスピーのオーケストラ編成に一役買う少し前である。

このアルバムはソニーステットの名盤といわれてるもの。
ステットとクインシーのコラボの作品として有名だ。
アルバムタイトルに作曲者の名前が載るソングブックはよくあるが、アレンジャーの名前が載るのも珍しい。この時期に早くもアレンジャーとして頭角を現していたということだろう。
サドはすでにベイシーオーケストラのメインプレーヤー。クインシーもこの頃一時参加してApril in Parisでは、隣でトランペットを吹いていた。
そんな出会いで、このアルバムにも参加しているのかもしれない。ベイシー一家のフレディー・グリーンも参加している。

このアルバムは、当然スティットをフューチャーしている。
ややマンネリムードになってきたBopの流れに、パーカーライクのアルトがクインシーの編曲のバックに乗って一石を投じる。スタンダード曲が多いが、スティットの原曲にストレートな演奏がかえって新鮮さを感じさせる。
名演が多い「スターダスト」も。

COME RAIN OR COME SHINE
LOVE WALKED IN
IF COULD SEE ME NOW
LOVER
MY FUNNY VALENTINE
SONNY’S BUNNY
QUINCE
STARDUST

Sonny Stitt (as)
Quncy Jones (arr.)
Jimmy Nottingham(tp)
Ernie Royal (tp)
J.J.Johnson (tb)
Anthony Ortega (fl,as)
Seldon Powell (ts)
Cecil Payne (bs)
Hank Jones (p)
Freddie Green (g)
Oscar Petiford (b)
Jo Jones (ds)
September,30,1955

My Funny Valentine
Sonny’s Bunny
Quince
Stardust

Thad Jones,Joe Newman (tp) & Jimmy Cleveland (tb) replace Jimmy Nottingham ,Ernie Royal, J.J.Johnson
October ,17,1955
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楽器の演奏を歌に変えるのがLHRならば、声を楽器に変えて歌うのは?

2007-05-25 | MY FAVORITE ALBUM
The Original Mills Brothers

本当に人間は知恵の働く動物だと思う。
LHRの過去の名演に歌詞をつけてボーカリーズする。それもコーラスで。これは凄いことだと感心したが、反対に声で楽器の演奏を真似るのが上手なコーラスもある。

コーラスグループの老舗ミルスブラザース。30年代から活躍を始めた息の長いグループだ。
コーラスには「バーバーショップコーラス」の歴史がアメリカにはある。黒人が生み出した4重唱団には違いはないがJAZZとは別のルーツだった。
JAZZが流行り、このバーバーショップコーラスにJAZZの特徴である“SWING”を取り込んだのが、このミルスブラザース。そういう点では、JAZZコーラスの原点なのかもしれない。

このミルスブラザースの、特徴のひとつが声を楽器に真似てスイングする「演奏?」をするところ。これも、元をたどると、KAZOOというパラフィン紙を使っていた音が出る道具を使っていたのが、或る時、それが壊れて両手でやるようになったとか。
新たな発見には、何が幸いするか分からない。
それにしても、ギター一本をバックに、多彩なサウンドで、これだけのハーモニーとスイング感を出すとは恐れ入る。

Jazz史上に残るOriginal Dixieland Jass Bandの最初のJAZZ録音が、“Tiger Rag”。
これをコーラスでやって、ミリオンセラーになったのがこのグループのスタート。
この曲が入っているのでこのアルバムを買い求めた記憶があるが、他の曲も30年代の曲ばかり。
世の中の変化のスピードに振り回されている昨今。たまにはこんなアルバムを聴きながら、昭和初期の時代に戻った気分でゆったりするのも悪くはない。
アナログ中心のスローライフも悪くは無い。

TIGER RAG
LAZY BONES
NAGASAKI
SWEET GEORGIA BROWN
OLD FASHIONED LOVE
SWEETER THAN SUGER
IDA,SWEET AS APPLE CIDER
MY GAL SAL
SOME OF THESE DAYS
I’VE FOUND A NEW BABY
LIMEHOUSE BLUES
ROCKIN’ CHAIR
THERE GOES MY HEADACHE
DON’T BE AFRAID TO TELL YOUR MOTHER
WHA’T THE REASON
LULU’S BACK IN TOWN

THE ORIGINAL MILLS BROTHERS
Recorded 1931-1935
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2人のJONESを追いかけていたら6人のJONESに。

2007-05-24 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
THE WHOLE TOWN’S TALKING ABOUT / THE JONES BOYS

色々好きなアルバムについて書くつもりであったが、いつのまにかQUINCY JONES と THAD JONES、そして彼らの周辺のことが多くなってきた。まあ、好きなプレーヤーになっていくのは仕方がないか・・。

それに、おまけで「CONCORD」も。

この2人が、一緒にやっているアルバムがある。
ベイシーの名盤で一緒にプレーをしていたこともあるが、今回は2人が主役。というよりはJONES仲間が6人集まってのアルバム。サドジョーンズはハンク、エルビンと有名な3兄弟だが、今回は兄弟以外のメンバーで。

レナードフェザーが監修した「THE JONES BOYS」。
フェザーは評論家として有名だが、時々面白いアルバムを企画している。

このアルバムも、そもそもフェザーの企画が先にあって無理やりメンバーを集めたのかもしれないが。日本でいえば、「田中さんバンド」のようなもの。
JONES性を名乗るプレーヤーも多いので、そこそこのメンバーは集められたのかもしれないが。顔ぶれを見ても特に違和感はないし、演奏はというとけっして寄せ集めバンドのおざなり演奏ではない。
しっかりしたアルバム作りになっている。

サドのトランペットが中心であるが、57年というとちょうどベイシーバンドでも絶頂期。加えて自己の名を冠したアルバムも出していたころで、彼自身も絶頂期。
プレーヤーとしてのサドも捨てたものではない。ベイシーでも聴けるハーモンミュートのプレーは特に好きだ。

クインシーもガレスピーのオーケストラを抜けて、ヨーロッパに行く前か?
自分のアルバムも出して、自己の音楽を主張しだした頃。
ここではアレンジだけでなくフリューゲルホーンでプレーにも参加している。
全体としては、サドのトランペットを前面に出した、無難なアレンジ。

サドの作編曲も秀逸。2人のJONESの作編曲バトルなんていう企画も面白かったかもしれない。

The Jones Bash
You Leave Me Breathless
No Other Love
You've Changed
Jones Beach
Montego Bay
Blues For The Joneses
Salute To The Blue Bird
Have You Met Miss Jones?

Reunald Jones (tp),
Quincy Jones (flh)
Thad Jones (tp)
Jimmy Jones (p)
Eddie Jones (b)
Jo Jones (ds)

Recorded in 1957
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サド・メルの立ち上げメンバーが一緒にこんなところでも。

2007-05-23 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
GERRY MULLIGAN and the Concert Jazz Band LIVE

良くも悪くも特徴があるミュージシャンがいる。
その一人が、Gerry Mulligan。
そもそも楽器がバリトンサックスなので、それほどプレーする人が多いわけではないせいかもしれないが。カルテットのような小規模な編成から、今回のような大型の編成まで、マリガンのグループには一種独特の雰囲気がある。
いわゆる、WEST COAST風の白人サウンドであるが独特のノリがある。編成が多くなっても「軽快さ」が売りだ。
マリガンのアレンジも効いているのだろう。
Pianoレス(自分がたまに弾くからと言う訳でもあるまい)が多いのも要因のひとつかもしれない。

Quincyがオーケストラを率いた60年に、マリガンもCONCERT JAZZ BANDを編成した。
少し小振りだが、BIG BAND編成で各地をコンサートツアーしていた。遠くヨーロッパにも遠征している。
自分が持っているこのアルバムは、他にもその頃のライブ演奏を集めた2枚組のオムニバスだが、New Yorkではあのサド・メルの拠点になった名門Village Vanguardに出演し、そこでの演奏も収められている。
エバンスの有名なライブの一年前。ここでのライブ物としては比較的古いものの一枚だ。
オリジナルのアルバムはこれ。 ↓



VILLAGE VANGUARDのWEB SITEに、ここで録音されたアルバムのリストがGALLERYとして載っているが、3番目に載っている。もっとも愛聴盤のJAZZ FOR A SUNDAY AFTERNOONが載っていないので、完璧かどうかは分からないが。
このバンドに、西海岸でスタジオワークをしていたドラムのMel Lewisが東海岸に移って参加している。そして、トローンボーンセクションにはボブ ブルックマイヤー。トランペットセクションにはQuincyのオーケストラに加わっていたクラークテリーが。
テリーもやはり根っからオーケストラが好きなのだろう。後に、自分のBig bandを編成する。

ブルックマイヤーは、その後テリーと双頭コンビでグループ組み、その後はメルと一緒にサド・メルの立ち上げにキーメンバーとして参加している。
サド・メルからサドジョーンズが去った後、メル・ルイスがリーダーになってからブルックマイヤーは復帰する。2人の相性はきっと良かったのだろう。
このマリガンのバンドでも2人は一緒に何か構想をめぐらしていたかも。

ジャズのグループ、特にBig Bandのメンバーの離合集散を見ると、メンバー間の出会い、そこでの演奏や経験がきっかけで、その後誰と付き合いどのように育っていったか、そして音楽的にどっちの道を選んできたかをトレースすることができる。
リーダーにこだわる者もいるし、ひたすら裏方に徹するプレーヤーも。
プレーを楽しみながら、こんな軌跡をトレースしながらあれこれ想像してみるのもジャズの楽しみのひとつだ。

マリガンのオリジナル曲にスタンダード、そして、少し前に吹き込んだ「I want to live」からの曲などもレパートリーに入っている。
独特なノリをするマリガンのBig band。他のフルバンドとは一味違った味付けで好きなバンドだ。




1. BLUEPORT
2. BODY AND SOUL
3. BLACK NIGHTGOWN
4. COMERAIN OR COMESHINE
5. LADY CHATTERLEY’S MOTHER
6. LET MY PEOPLE BE

Don Ferrara, Clark Terry, Nick Travis (tp)
Willie Dennis (tb), Alan Raph (btb), Bob Brookmeyer (vtb, p)
Bob Donovan (as), Gene Quill (as, cl)
Jim Reider (ts) ,Gene Allen (bars, bcl)
Gerry Mulligan (bars, p)
Bill Crow (b)
Mel Lewis (d)

Recorded live at "The Village Vanguard", NYC, December 10, 1960
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好きなフレーズを鼻歌混じりに歌いたいが・・・・・・?

2007-05-22 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
SING ALONG WITH BASIE

自分にとって、ジャズはもっぱら聴くばかり。
一度、サックスにチャレンジしたが、才能がなく早々に諦めて聞き役に徹している。
BIG BANDの楽しさの「触り」だけを体験コースで経験したようなものだ。

最近では、ipodなる便利なものもできたので、聴く方は以前よりも機会も時間も増えている。このブロクを始めたことで、アナログ盤もターンテーブルにのることも多い。
昔を懐かしんで聴いていると、ついつい気にいった曲の気に入ったフレーズは、思わず口ずさむこともある。でも、アドリブパートになるとそれを再現するのはなかなか難しい。
やはり、根が音痴なのだろう。

よく、ボーカルのスキャットを聴くと、誰かの歌を真似ているとか、誰かの演奏を再現しているとかに遭遇する。まあプロともなれば、このようなコピーは当たり前にできるのかもしれない。
それがエスカレートすると、有名なフレーズをまずは再現して、なおかつそれをアンサンブルとかコーラスへという話にますます発展していく。

まあ、アイディアとしては面白くとも、それを徹底的にやれる人となるとそうそう数多くいるわけではない。
パーカーのフレーズをサックスのアンサンブルで聴かせるSUPERSAX。もともと、サックス好きなので、このグループは大のお気に入りだ。

そして、コーラスといえば、第一人者はLHR(ランバート・ヘンドリックス・ロス)だろう。ベイシーの昔の演奏をコピーしてデビューし、いきなりベイシーに認められて競演している。ベイシーのルーレット時代の全盛期に。
専属歌手のJoe Williamsも参加して、オールスターキャストでの豪華な演奏。トランペットセクションには、あのTHAD JONESが座っている。
演奏しているのは、コピーの元となっている30年代を中心とした曲であるが、直近のアルバムからへフティーのLI’L DARLINが聴ける。
実はこの曲は、大のお気に入り。
ジャンプナンバーもいいが、じっくり聴かせるこれはなかなかご機嫌。

1. Jumpin' At The Woodside
2. Goin' To Chicago Blues
3. Tickle Toe
4. Let Me See
5. Every Tub
6. Shorty George
7. Rusty Dusty Blues
8. The King
9. Swingin' The Blues
10. Li'l Darlin'

Snooky Young, Thad Jones, Wendel Cully, Joe Newman (tp)
Al Grey, Henry Coker, Benny Powel (tb)
Frank Foster, Billy Mitchel (ts)
Marshal Royal, Frank Wess (as)
Charlie Fawlkes(bs)
Count Basie (p),
Freddie Green (g)
Eddie Jones (b)
Sonny Payne (dr)

Dave,Lambert, Jon Hendricks, Annie Ross, Joe Williams (vo)

RECORDED AT :
Capitol Studio, NYC, May 26, 27, 1958 (4.9.10.)
Capitol Studio, NYC, Sep 2, 3, 1958 (2.3.5.)
Capitol Studio, NYC, Oct 15, 1958 (1.6.7.8.)

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QUINCYの45年前の変身は今でも通用する音楽だ。

2007-05-21 | MY FAVORITE ALBUM
BIG BAND BOSSA NOVA / QUINCY JONES

テレビのコマーシャルからJAZZが流れることがある。
それも古い懐かしい曲が流れると、普段あまりコマーシャルなどを気に留めない自分であるがしっかりと記憶に残る。それだけではなく、それが何のCMかをわざわざ確認したりもする。
懐メロのCM利用は、我々世代には効果的なのかもしれない。
JAZZファンだけではなく、我々の世代は結構音楽に拘りを持つものが多いので。

最近といっても、しばらく前から流れているのがQUINCY JONESの”SOUL BOSSA NOVA”.
そう、新庄が出てくるビールのコマーシャルだ。
日本の広告はタレントと音楽を使い過ぎといわれるが、それでしか印象に残らないのだから仕方がないのかも。
本当は、じっくり内容を見せて共感を得るような広告もたまにはいいとは思うのだが。
どうも日本人は、CMの意図やユーモアをじっくり楽しむというという国民性ではないようだ。

アメリカではダイアナ・クラ―ルがレクサスのCMに出ていると、先日アメリカに在住している方のブログの記事があった。
日本で、同じ商品で彼女が起用されることはなかなか難しいだろう。

さて、この“SOUL BOSSA NOVA”だが、QUINCYが62年の9月に吹き込んだボサノバのセッションのアルバム。
MERCURY所属のQUINCYのオーケストラが61年のNewport Jazz Festivalに凱旋し、暮れにはなぜかインパルスでQuintessenceというアルバムを残したが。
翌62年に突然ポピュラー路線に転換してしまう。
Mercuryの幹部として登用されていたQuincyだが、JAZZの売れないアルバムばかりを作っていたのでは片身が狭かったのであろう。
まずは、自らのオーケストラで変身。

方針転換後の2枚目のアルバムである。
メンバーは、Jerome Richardson, Phil Woods,そしてClark Terryなど主要メンバーはそのままだが、内容的には、「Modern big bandの尖兵としての役割はすでに終わった。」
と辛口のファンからは揶揄されたものだ。
しかし、今振り返ってみれば、この時すでにさらに新しいサウンドを求めて次のステップに上っていったのかもしれない。
その後の、JAZZとROCKの融合、Fusionへの進化を後から振り返れば、JAZZの多様化にチャレンジした先駆者としてのQuincyはやはり突出した存在だろう。
このアルバムでも、スタンゲッツ同様Bossa novaブームを先取りして、JAZZ、それもbig bandとの融合を試みたのは流石である。

もちろん、このSOUL BOSSA NOVAは大成功。
クインシーは「たった20分で作曲して。40万枚売れた。」という記事をどこかで読んだ記録がある。
今も、売れ続けてるので、この曲は実は大ベストセーラー曲かも知れない。

今の時代に聞いても、何の不自然さを感じさせない音作りだ。
今からの熱い季節に似合うサウンドだ。
いい音楽は永遠である。
 
Samba De Una Nota So (aka One Note Samba)
Boogie Bossa Nova (aka Boogie Stop Shuffle)
Manha De Carnival (aka Morning Of The Carnival)
Lalo Bossa Nova
On The Street Where You Live
Serenata
Desafinado
Chega De Saudade (aka No More Blues)
Soul Bossa Nova
Se E Tarde Me Pardoa

Clark Terry (tp, flh)
Jerome Richardson (afl, fl, woodwinds) Paul Gonsalves (ts), Roland Kirk (fl)
Lalo Schifrin (p)
Chris White (b)
Rudy Collins (d)
Carlos Gomez, Jose Paula, Jack Del Rio (per) Phil Woods (as)
Quincy Jones (arr, cond)
unidentified horn and brass

A&R Studios, NYC, September 4,7,8,12,13 1962
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「新しい会場」に「新しい仲間」を呼んで。

2007-05-20 | CONCORD
LIVE at CONCORD / THE HANNA-FONTANA BAND

1975年のコンコルドジャズフェスティバル。早いものでこの年で7回目を迎えていた。
会場は、新設されこの年にオープンしたConcord Pavilion
この年から、屋根付が3,500席、芝生席が4,500席という巨大な会場が用意された。
サンフランシスコから一時間。Concordの街の郊外、砂漠への入り口のところにある。
このアルバムのジャケットの写真が、まさにその会場である。
屋外でピクニック気分で、リラックスして楽しめそうな素晴らしい環境である。
Concordレーベルとしては、72年のライブ盤をスタートに、3年間でたった10枚のアルバムしか出していない。
プロデューサーCarl Jeffersonの個人レーベルに近い存在だった。

この会場のこけら落としに参加したのは、HANNA-FONTANA BAND。
ProducerのCarl Jeffersonは、コンサートにプログラム作りにも色々配慮したらしい。
Benny Goodmanのような有名プレーヤーの前に、このHanna-Fontana Bandのような無名のグループを、そして、古いタイプの演奏から、今風の演奏まで。
そして、週末に連続して開催するなど・・・・。
回を重ねるにしたがって、ますます盛大になっていったのは、そのような配慮があったからかもしれない。

このフェスティバルにJake Hannaは常連だが、Fontanaは初登場だ。
ピアノのDave Makennaも初顔。
途中で、舞台に呼ばれるBill Berryも同様。
その後のConcordで活躍するメンバーが次々と舞台に登場する。

「こんな楽しい演奏の場があるんだよ、みんな一緒にやらないかい。」
と一足先に参加したHANNAが仲間を呼び寄せて、楽しいジャムセッションを繰り広げる。
まさに、そんな雰囲気の演奏だ。

Hannaとコンビを組んだFontanaは、50年代は色々なグループに加わりツアーに出ていたらしいが旅に疲れてラスベガスに定住。ポールアンカのバックバンドの生活が長かったそうだ。たまには、ジャムセッションなどにも参加していたと思うが、その記録は残念ながらほとんど無い。
と思ったら、SOLID STATEのJAZZ FOR A SUNDAY AFTERNOONシリーズに参加していた。
何の気負いもない、リラックスした演奏スタイル。
会場の雰囲気にも、Concordのコンセプトにもぴったりなプレーヤーだ。

当然このコンサートでの演奏も和気藹々。
ますます、仲間が増えていきそうな予感を感じさせる。
会場も新しくなったが、これを機にConcordレーベルも新装開店。
アルバム制作のピッチが上がって、いよいよ本格的に活動開始、楽しいリラックスした演奏が次々に登場する。

1 Beautiful Friendship                      Kahn, Styne 8:31
2 Sweer and Lovely                Arnheim, LeMare, Tobias 6:24
3 Jumpin' the Blues                               5:55
4 Old Folks                            Robison,Hill 5:23
5 Take the "A" Train                 Ellington, Strayhorn 9:14
6 I've Found a New Baby                   Palmer, Williams 7:05
7 I Let a Song Go Out of My Heart  Mills, Ellington, Nemo, Redmond 6:49

Jake Hanna (ds)
Carl Fontana (tb)
Bill Berry (tp)
Herb Ellis (g)
Plas Johnson (ts)
Dave Mckenna (p)
Herb Mickman (b)

Recoreded live at Concord Jazz Festival , Summer ,1975


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「ヨーロッパの重戦車」。

2007-05-19 | MY FAVORITE ALBUM
HANDLE WITH CARE / CLARK-BOLAND BIG BAND

1959年Quincyのオーケストラが立ち上がり、その6年後サド・メルのオーケストラが生まれるまでの間、もうひとつ素晴らしいオーケストラが1961年に誕生している。
それも、アメリカではなくヨーロッパで。

60年代前半は、BIG BANDにとっては冬の時代。
エリントンやベイシーも、アルバム作りでは、JAZZを極めるというよりは、ポピュラーソングをジャズ風にやる選曲や演奏が求められた。
MODERN BIG BANDの世界にチャレンジしたクインシーも、1年余りで路線変更を強いられてしまった。
もっとも、クインシーの場合はこの転身が飛躍のステップになるので災い転じて福となる。
それ自体が悪いことではなかったのだが。

ヨーロッパは、やはり伝統ある文化や芸術を育てる土壌があるのだろうか。アメリカがこのような状況であっても、実に素晴らしいモダンBIG BANDが活躍していたのだ。
アメリカで生まれのJAZZを育ての場所としてヨーロッパの果たしている役割はいつの時代でも大事なのかもしれない。

このバンドのリーダーは、バップムーブメントに参加し、MJQの最初のメンバーでもあったケニークラーク。この頃はヨーロッパに居を移して活躍していた。
もう一人は、ベルギー出身のピア二スト&コンポーサー/アレンジャーのフランシーボラン。

何となく、このオーケストラとクインシーやサド・メルとの共通点は多い。
黒人プレーヤーと白人プレーヤーがうまく融合している、アンサンブルソロを重視、そしてアレンジも自分たちで行う、レギュラーバンドというよりリハーサルバンドからスタートなど、など・・・・・・。
まあ、一言でいえば「雑種」の強みだろう。

メンバーは、アメリカに加えて地元のヨーロッパ各国から集まった本当のインターナショナルオーケストラ。
ジャケットのデザインが、その混成ぶりをよく現している。

このやり方が、当時モダンBIG BANDがうまくいく形だったのかもしれない。

クラーク・ボランのオーケストラのサウンドの特徴は一言で言うと「重厚」。
テナーが3本であることも効いている。
でも、ウディーハーマンのサックスセクションとは明らかに違うノリだ。
ドラムに加えてティンパニーを加えた低音の迫力が、一曲目からこのバンドの特徴をよくあらわしている。
このティンパニーを叩いているのが、3年前Quincyのオーケストラがあてもなくヨーロッパ中を流転の旅を続けた時のドラマー、ジョーハリスというのも何か因縁めいたものを感じる。

クラーク・ボランのオーケストラはヨーロッパらしく、実直にスイングするバンドである。
「濃厚なサックスのソリ」が何ともいえない。
ソロはオールスターバンド故、誰がやっても素晴らしい。
これもサド・メルと同じだ。

こんな素晴らしいオーケストラが60年代にヨーロッパで活躍していた。

Long Note Blues
Get Out Of Town
Sonor
Speedy Reeds
Old Stuff
Om Mani Padme Hum

Edmund Arnie, Benny Bailey, Jimmy Deuchar, Maffy Falay, Roger Guerin, Idrees Sulieman (tp)
Keg Johnson, Raymond Katarzinsky, Erich Kleinschuster, Nat Peck, Ake Persson (tb) Derek Humble (as)
Karl Drewo, Billy Mitchell, Ronnie Scott (ts)
Sahib Shihab (bars, fl)
Francy Boland (p, arr)
Jimmy Woode (b)
Kenny Clarke (d)
Fats Sadi (bgo)
Joe Harris (timp)

Frankfurt, West Germany, January 25 & 26, 1963
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もうひとつのオールアメリカンリズムセクション。

2007-05-18 | CONCORD
RHYTHM WILLIE / Herb Ellis & Freddie Green

オールアメリカンリズムセクションといえば、言わずと知れたカウントベーシーのリズムセクション。
そのキーマンは、ギターのフレディーグリーン。
生涯の大部分をベイシーバンドと共に過ごし、すべてをベイシーに捧げたと言っても過言ではない。
普段は裏方に徹していることもあり、彼の名を冠したアルバムはほとんど聞かない。

Concordレーベルは、設立当初からギタリストにこだわっていたが、10作目にして、このフレディーグリーンにも白羽の矢をたてた。
ひょっとして、フレディーのソロプレーでも聴けるのかと妙な期待を持って聞いたが、そのようなことは無かった。
いつもと同じ。フレディーのギターは普段どおり確実で完璧なリズムを刻んでいる。

ジャズのギターはクリスチャンの登場以降、ソロ楽器としての地位は確立していったが、リズム楽器としての役割は反対に低下していった。
もちろんバックに廻った時、ドキッとするようなリズムの使い方をするプレーは多いのだが、全編リズムに徹するとなるとフレディー以外はなかなか思い浮かばない。

フレディーの相棒となる今回のリズム隊は、コンコルドが誇るスイングコンビ。
レイブラウンとジェイクハナ。
これに、プレディグリーンが加わればリズムセクションは鬼に金棒だ。
本家、ベイシーのリズム隊に負けない、「オールアメリカンリズムチーム」が編成された。

そして、ピアノのロス・トンプキンス。
よくスイングするオールマイティーのピアニストだがConcordには初登場。
AL&ZOOTに加わっていたりしたが、70年代はロスでスタジオ入り。
この時もテレビのTonight Showの、Doc Severinsenのオーケストラにレギュラーで加わっていたそうだが、表舞台からは遠ざかっていた。

しかし、この機会を期に一線に復帰。その後、Concordに何枚もアルバムを残すようになる。Concordレーベルが、その後もこのように埋もれていたプレーヤーを再発掘した功績は大きい。
もしこのレーベルが無ければ、当時、西海岸のどこかで行われた話題にもならないような正統派の楽しいセッションを、今、このように聞くことはできなかったであろう。

そしてこの、リズム隊を引っ張るのは、初期のConcordレーベルのスター”Herb Ellis”。
これだけ役者が揃えばSwingしないわけが無い。
最後の、アップテンポでのOrange, Brown and Greenで、エリスのソロを支えるフレディーのリズムは圧巻。

究極のリズムギターだ。

1 .It Had to Be You  Kahn,Jones 4:05
2 .Rhythm Willie Ellis&Brown 5:52
3 .Gee Baby, Ain't I Good to You, Razaf, Redman 3:34
4 .Smooth One Goodman,  Christian 5:05
5 .When My Dreamboat Comes Home Friend,  Franklin 4:19
6 .Conversations ,    Ellis 4:03
7 .I Want a Little Girl Mencher, Moll 4:21
8 .Orange, Brown and Green Brown 5:38

Herb Ellis (g)
Freddie Green(g)
Ross Tompkins (p)
Ray Brown (b)
Jake Hanna (ds)

  Recorded in 1975
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シアトルのクソ餓鬼の「師匠」への恩返し

2007-05-17 | MY FAVORITE ALBUM
CLARK TERRY

「師匠」という言葉がある。先生や先輩よりも響きがいい言葉だ。

一般的な教養や知識は本、いや、今ではインターネットで簡単に身につけることができる。
しかし、音楽を含めて芸術や技術は体に覚えこませなければ、なかなか一人前にはなれない。その為には才能があることが前提にはなるが、それに加えて良き指導者と、その元で切磋琢磨して練習に励む努力が必要である。実際に手とり足取り「技」を授けてくれるのが「師匠」だ。
誰でも自分の人生の中で、何かのテーマで誰か「師匠」というものが存在し、その人に対しては一生尊敬と感謝の気持ちが続くものだ。
特に、技を極めれば極めるほど、「師匠」の教えがよく分かる。

自分も小学生時代、水泳の指導を受けて初めて泳げるようになった時の師範を忘れることができなかった。自分にとっての泳ぎの「師匠」だ。

その後、学校の先輩であったその人の消息を知る事も無かったが。十数年して会社勤めを始めた時、その会社にその先輩がいることが分かった。
そして、それからまた十数年して、同じ職場で働くことになった。
ちょうど職場にコンピューターが導入され始めた時であった。
自分はその推進役。反対にその先輩は部門で一番の機械音痴。アシスタントの女性もいささか面倒を見るのに手を焼いた厄介者だった。
何度教えても覚えない、分からないとすぐに聞きに来る、人一倍手が掛かる一人であった。
とにかく手の掛かる先輩ではあったが、自分にとって師匠はいつまで経っても師匠だし、反対に、遠慮せずに何でも聞いてくれるのが嬉しかった。
自分は、その先輩からの質問にどんな些細な事でも対応していた。というよりは、せざるを得なかった。昔の恩返しが少しでのできればという気持ちで。
いつのまにか、その先輩は例外処理や裏技にも長けた部門一番のシステムの使い手になってしまった。マニュアルにも出ていない現場発想の使い方を駆使して。
そのうち、システムでの処理の仕方が分からなくなると、誰もが対応方法をその先輩に聞くようになった。
システムの開発に携わっていた自分としては、コンピューター音痴の先輩が、こんなようなユーザーの鏡のように育ってくれて(失礼な言い方だが)嬉しくてならなかった。
先輩がシステムをマスターできたのは、きっと自分が先輩にとって「師匠」の役割を果たすことができたからであろう。

クインシージョーンズの音楽生活の最初はトランペットとの付き合い。
その「師匠」が実はクラークテリー。
まだ10代の前半、クインシーはすでにプロとしてプレーしていたクラークテリーの元に、教えを請うために日参した。クインシーは、夜の遅い仕事を終え数時間の睡眠の後、学校へ行く前のクインシーに、唇の上手な使い方から手取り足取り早朝レッスンをしたそうだ。
テリーも、何の義理も無い「シアトルのクソ我鬼」クインシーにそこまでしたのは、その時クインシーに「何かを感じた」と回想している。
クインシーにとって、クラークテリーは一生忘れられない「師匠」であり、その後、彼の人生にとっての恩人にもなる。

ハンプトンのバンドを辞めてニューヨークに戻ってきた新婚早々のクインシーにとって、手っ取り早く収入を得る手段はアレンジだった。
実際に、この頃、色々なバンド、そしてセッションにアレンジを提供している。
名盤、クリフォードブラウンとメリルのアルバムもその一枚である。
ほぼ同じ時期に、トランペットの「師匠」であったクラークテリーのアルバムにも、作編曲を提供している。メリルのアルバムの録音から1週間ほど経った、1955年の年明けすぐの録音だ。
初めてトランペットの手ほどきを受けてから、まだ10年足らずしかたっていない。

クラークテリーにとっては2枚目のリーダーアルバム。
1920年生まれなので、35歳の時。脂ののりきった時。
50年代は、デュークエリントンオーケストラのメインプレーヤーとして活躍している真っ最中。
ハードバップ創世記の有名なプレーヤーを集めて、クインシーのアレンジでの演奏だ。
テリーのトランペットは、トランペットをストレートに輝かしくプレーする反面、なんとなくユーモアを感じさせる吹き方をする両面の特徴を兼ね備えているが、ここでも素晴らしいプレーが続く。お得意の歌は登場していないが。
テリーだけでなく、他のメンバーもバップから次の新しい時代を感じさせるサウンドを求めて、思う存分伸び伸びとプレーしている。
3管の大きな編成の手綱を締めているのがクインシーだ。
中でも、このセッションの特徴はオスカー・ぺティフォードのセロ。随所でソロを聞かせている。セロのソロとは珍しい。
他にも、数年後にはそれぞれのメンバーが大活躍する兆しをふつふつと感じさせる名演が続く。

テリーにとっても、こんなに早く自分がトランペットを教えた弟子から恩返しを受けるとは思いもしなかったであろう。

そして4年後、2人の間は、テリーがQuincyの自己のBIG BAND編成の夢の実現のために、エリントンオーケストラの花形スターの座を捨てて協力する関係に深まっていく。

Double Play
Slow Boat
Swahili
Co-Op
The Countess
Chuckles
Tuma
Kitten

 Clark Terry (tp)
 Jimmy Cleveland (tb)
 Cecil Payne (bars)
 Horace Silver (p)
 Wendell Marshall (b)
 Oscar Pettiford (b, cello)
 Art Blakey (d)
 Quincy Jones (arr)

  Fine Sound Studios, NYC, January 3 & 4, 1955

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男なら、一度でいいので女性からこう言われてみたいものだ。

2007-05-16 | MY FAVORITE ALBUM
The Nearness of You / Helen Merrill

あなたの傍にいるだけで、私はそそられてしまう。
やさしい話より、傍にいてくれるだけでいい。
そして、腕の中に抱かれるとき、大きな夢が叶うの・・・・

「THE NEARNESS OF YOU」。

最近では、ノーラジョーンズのアルバムに入っていた記憶がある曲だ。

この曲をタイトルとした、ヘレンメリルのアルバムがある。
ヘレンメリルといえば、クリフォードブラウンとの共演が有名だが、あまりに有名過ぎると、他のアルバムの印象が薄くなってしまう。
実は、EVANSとの共演ということにつられて、このアルバムを買った次第。

このアルバムは、2つのセッションに分かれているが、どちらもフルートを傍らに従えて歌っている。
もともと、彼女の歌は、圧倒的な歌唱力で、前面に出てどんどん周りを引っ張って行くタイプではない。
彼女は、いつも語りかける相手がいて、反対にそれに応えてくれる相手が必要なタイプだ。
相手といっても、図太いテナーサックスや甲高いトランペットは似合わない。

彼女の相手をするには、ちょうどいい相手が見つかった。
まだまだ、フルートの演奏がポピュラーではなかった時代だが、彼女の傍らにはフルートの音色がよく似合う。

彼女のハスキーな歌声の誘いに、58年2月のセッションには、BILL EVANSも加わっている。これもメリルとの相性はぴったりだが、今回は裏方に徹している。
EVANSは、その後マイルスと共演し自己のトリオへと一気に羽ばたいていった。
エバンスにとっては、ほんの通過点のセッションだったと思うが、エバンスはメリルの腕にしっかり抱かれて「彼の大きな夢」が実現していったのかもしれない。

曲はいずれもスタンダードの有名な曲ばかり。
このまえ、カーメンマクレーのオーケストラをバックのBye bye blackbirdを聴いたばかりであるが、このような小粋な雰囲気もまたいいものだ。

Bye Bye Blackbird
When The Sun Comes Out
I Remmember You
Softly As In A Morning Sunrise
Dearly Beloved
Summertime

 Mike Simpson(fl)
 Dick Mark (p)
 John Frigo (b)
 Fred Rundquist (g)
 Jerry Sloberg (ds)
 Helen Merrill (vo)
 David Caroll (supervision)

  Universal Recording Studios,Chicago, 18&19,1957

Let Me Love You
When The Sun Comes Out
All Of You
The Nearness Of You
Just Imagine

 Bobby Jaspar (fl)
 Bill Evans (p)
 George Russell (g)
 Oscar Pettiford (b)
 Jo Jones (d)
 Helen Merrill (vo)
 Hal Mooney (supervision)

  NYC, February 21, 1958

コメント (2)
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本当にやりたいことを、自分の曲で、やりたいメンバーと一緒に・・・・

2007-05-15 | CONCORD
BARNEY plays KESSEL

何事であっても、本当にやりたいことを自分の好きなようにできることというのは、そうそう人生で数多く機会があるものではない。たとえ、それを実現するにしても、一人ではできないし。大抵の場合は仲間の協力、そして何らかの場の設定が必要だ。

プロのミュージシャンが「自分のやりたいこと」を演ってアルバムにしたいと思っても、プロデューサーの意見を無視できないし、メジャーレーベルだと、そもそもそれが売れるものかどうかが問題になる。
結局はやりたいことより、売れるものが優先されてしてしまうのが世の常である。

そこに、インディーズレーベルやマイナーレーベルの存在意義がでてくる。
Concordレーベルも、このアルバムでまだ9枚目。
その当時は、まだまだマイナーレーベルだった。
そこで、ある決断をする。
ミュージシャンの意向をより色濃く出したアルバム作りにチャレンジをした。

その主役は、Barney Kessel。
「何とか、自己表現をしてみたい。」
アルバムタイトルやジャケットの写真も、ケッセルのそんな気持ちがよく現れている。

すでに、Kesselは、Concord Jazz Festivalに“GREAT GUITARS”で登場していた。企画としては面白いグループだし、フェスティバルでも大喝采を浴びてはいたのだが。

チャーリーパーカーとの共演など、JAZZの歴史とともにプレーをしていたバーニーケッセルも、50年代の後半までは第一線で活躍をしていた。コンテンポラリーレーベルにPoll Winnersなど、有名なアルバムを何枚も残している。
60年代に入ると、スタジオミュージシャンとしての生活が中心になり、ジャズプレーヤーとしての活動は表には出なくなった。この頃は、誰でもそうであったのかもしれないが。

そのケッセルが、再びJAZZをやり始めたのは60年代の後半。ヨーロッパに滞在し、ツアーを始めたのもこの頃だ。
そして、彼はConcordの活動に大きく影響される。フェスティバルにも常連として参加し、
Ellis と一緒に”GREAT GUITARS”を結成し、本格化にプレーを行っていた。

しかし、「本当に自分の好きなものを好きなようにやってみる」という意味では、まだ実現はしていなかった。

今回のアルバム作りでは、曲はすべてケッセルのオリジナル。
共演するプレーヤーも、すべてケッセルが選んだ。
それぞれに、プレーをした仲ではあったらしいが、このメンバーが一同に介して演奏するのは今回が始めてであったそうだ。

特に、サックスとフルートのハービースチュワード。Woody Hermanのメンバーで有名だったが、その後はもっぱらスタジオの仕事が中心。
Jazzアルバムの録音への参加は久々のことであったらしい。

さて肝心な演奏だが、一曲目をかけると全体の雰囲気が伝わってくる。
これまでの、Concordのアルバムとは少し趣が異なる。どらかというと、モダンスイングというか、中間派という感じの演奏が多かったが、これは完全に“今”風の音作り。
エレキベースやエレキピアノを多用し、8ビートやボサノバ風のラテンリズムも。
ケッセルも、スタジオワークをやっていた時は、POPのアルバム(ビーチボーイズやモンキーズのアルバムにも参加していたとか)や、テレビや映画の主題歌やサントラにも参加していたので、4ビートではなくても何の違和感もないが。

やはり、このアルバムで一番特徴的なのは、ハービースチュワードのソプラノとフルート。
「ナベサダ」が、ボサノバの後取り組んだサウンドの延長だ。昔の演奏とは大分違う。
フュージョンが進化していた時期ではあるが、あまりヘビーにはならず、軽く、明るく、美しいJAZZ。今風に言うと”SMOOTH JAZZ”の奔りのような演奏だ。

「ケッセルは、この頃こんなことをやってみたかったのか」ということを改めて認識した次第。

1. Sea Miner
2. For My Love
3. I’m On My Way
4. Here's That Sunny Day
5. Holiday Ii RIO
6. Down In The Swanp
7. Love Of My Life
8. Goi'g Through She Changes
9. Brazilian Beat

 Berney Kessel (g)
 Herbie Steward (reeds,fl)
 Vic Feldman (vib)
 Jimmy Rowles (p)
 Chck Domanico (b)
 Milt Holland (per)
 Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded early 1975

Originally Released on Concord CJ-9
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