A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

チェンバースの初リーダーアルバム&アダムスの初レコーディング・・・

2014-05-31 | PEPPER ADAMS
Chambers‘Music / A Jazz Delegation From The East

ペッパーアダムスが続くが話の流れでついでにもう一枚。

カーチスフラーが復活宣言ともいえるアルバムにアダムスを招いたのはそれなりの付き合いがあったからだと思う。フラーとアダムスはニューヨークに出る前、デトロイトで一緒にプレーをした仲間同士。地元のクラブでは”Bones & Bari” とも言われるコンビで売り出していた旧知の仲であった。

アダムスの加わった初アルバムとしては、その仲間達と一緒の“Jazz Men Detroit”が有名だが、そのアルバムにはフラーは加わっていない。アダムスはそのアルバム以前にもいくつかのセッションに参加しているので、正式な初レコーディングとなるともう少し遡ることができる。ところが世に出ていないものであったり、サンプラーのための録音であったりでアルバム単位ではないのでなかなか聴く事はできないが、実はその中にフラーと一緒にプレーしたものがある。

1956年1月にアダムスはデトロイトからニューヨークへ出てくる、26歳の時であった。
ユニオンカードの移管手続中は仕事もできず、保険会社の事務をしながら出番を待っていた。オスカーペティフォードに連れられてケニークラークと出演していたカフェーボヘミアに出掛けたり、ジャムセッションに出たりしてニューヨーク生活には慣れていったようだが、そのような中で先述の4月30日のJazz Men Detroitの録音に誘われた。アダムスにとってはこれがニューヨークでの初レコーディングであったが、5月にはケントンオーケストラに加わったのですぐにニューヨークを離れることになるので、短いニューヨーク生活の思い出となったアルバムだ。

そのような中、この録音の直前4月20日にアダムスはフラーと共にボストンに出掛けている。広いアメリカ故ニューヨークとボストンは近そうでも400キロ近く離れている。4時間近くのドライブだ。わざわざボストンに行ったのは当然訳がある。

そこで待ち受けていたのは、丁度ボストンのジャズクラブ「ストリーヴィル」に出演していたマイルデイビスクインテットのメンバー達。中にはデトロイト時代の盟友ポールチェンバースもいた。コルトレーンも加わったマイルスのクインテットが編成された直後のツアーの途中であった。

わざわざボストンに出掛けたのはもうひとつそもそもの理由あった。
その当時はジャズのマイナーレーベルが雨後の筍のようにたくさんできたが、その一つTransitionというレーベルが55年にボストンで立ち上がっていた。このレーベルはこのフラーとアダムスのコンビに注目していたようで、それまでにも録音が企画されたり一部行われたりしたが、アルバム単位には完成していなかった。今回のセッションはこのTransitionにとっても今度こそといった録音機会であったようだ。

よくある話だが、有名グループのツアーの途中にリーダー除きで録音するというのは忙しいメンバーをブッキングするには好都合だ。マイルスグループがストリーヴィルに出演していたのは16日から30日まで、Transitionレーベルの地元ボストンというのも好都合であったのだろう。20日にマイルス除きのマイルスクインテットにフラーとアダムスが客演することで段取りが行われた。

ところがここでハップニング。アダムスが参加するレコーディングセッションでは何故かよく起こるが、当日ピアノのレッドガーランドがスタジオに現れない。時間も無かったのであろう、2曲はピアノレスで録音が進んだ。

このセッションが行われるのを聴きつけてスタジオに見学者がいた。地元バークレーでテナーサックスを学んでいたローランドアレキサンダーであった。事情を察してか、飛び入りでピアノを弾くことに。一曲のみであったがTrain’s Strainに参加している。
このアレキサンダーは後にはニューヨークに出てテナー奏者として活躍したようで、ハワードマギーのDusty Blueにも加わっていたが、ピアノでレコーディングに参加したのは後にも先にもこれだけであろう。

というわけで、今回も3曲だけの不完全な収録に終わり、”Bones& Bari”のアルバムは実現することなく構想倒れになった。ここでの演奏はTrane's Strainだけがサンプラーとして世に出て、Transition自体も短命に終わったため、残りの2曲は70年代になるまでお蔵入りしていたという曰くつきの演奏だ。という事情なので演奏自体は顔合わせジャムセッションに近い形なので可もなく不可もなく、記録としての価値以上の物は無い。

この3曲が、ポールチェンバースの初リーダーアルバムである、”Chamber’s Music”のボーナストラックとして加わってリリースされたのがこのアルバムだ。
アダムスの話で始めてしまったので、おまけの部分の説明が長くなってしまったが、本体のアルバムは、これも新興レーベルであるJazz Westに吹き込まれたチェンバースの初リーダーアルバム。当時の新興レーベルを含めて初物買の新人争奪戦が激しかった様子が窺われる。
メンバーはマイルスのグループに一緒に加わったコルトレーンとフィーリージョージョーンズに、ピアノがケニードリューというワンホーンでの演奏。チェンバースの特徴である図太いベースに加え、得意のアルコ奏法、オリジナル曲の提供と、初アルバムに必要なプレゼンテーションは無難に収められている。こちらの方が、その後のチェンバースの活躍を保証するできだが、なんといっても発展途上のコルトレーンの参加が価値を高めている気がする。

自分はオリジナル盤崇拝主義ではないので、形はどうあれ埋もれた演奏が世に出てくるのは大歓迎だ。特にこのような「規格品以外」の録音は丹念に発掘作業をしているプロデユーサーでないと見落としがちだ。このアルバムのようなカップリングは大歓迎。いずれにしても、マイルス、コルトレーンという両巨頭はこの当時からジャズ界全体の流れに枝葉の部分まで影響力を与えていたのが良く分かる。

1. Dexterity        C.Parker 6:45
2. Stablemates       B.Golson 5:53
3. Easy To Love       C.Porter 3:52 
4. Visitations        P.Chambers 4:54
5. John Paul Jones     D.Shaprio & D.Chanig 6:54
6. Eastbound        K.Drew 4:21

John Coltrane (ts-1,2,5/7)
Kenny Drew (p)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (ds)

Recorded at United Western Recorders, Hollywood, CA, March 1 or 2, 1956

7. Trane's Strain
8, High Step
9. Nixon, Dixon And Yates Blues

Curtis Fuller (tb)
John Coltrane (ts)
Pepper Adams (bs)
Roland Alexander (p -7)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (ds)

Recorded in Boston, MA, April 20, 1956

Produced by Tom Wilson

Chambers' Music: a Jazz Delegation from the Eas
クリエーター情報なし
Fresh Sounds Spain
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無名のサックス奏者が最高のバックを得て・・・・・

2014-05-30 | PEPPER ADAMS
PONY’S EXPRESS / PONY POINDEXTER

ペッパーアダムスがドナルドバードとのコンビを解消したのは1961年10月。ニューヨークに戻ったアダムスはクリスマスシーズンの仕事をいくつか片付け新年を迎えた。

アダムスの活動歴としては、この62年からサドメルに加わるまでの65年までが一区切りとなる。
"journeyman"と名付けられていて、レギュラーグループを作る事も無く自由な旅がらす人生を過ごした時期だ。

年明けの仕事はテディーチャールスとのセッションであったが、レコーディングは2月に入ってから、この年最初の仕事はアルトのポニー・ポインデクスターのこのアルバム。
2月、4月、5月と3回に分けて録音されたが、アダムスは2月、4月と二回参加している。
大分前に紹介したが、その時はアダムスが加わっていたのは意識していなかった。節目のアルバムでもあるので少し加筆して再掲しておくことにしよう。

ジャズらしいボーカルグループといえば、ランバート・ヘンドリックス&ロス。
ベイシーの名演をヴォーカライズし、ベイシーに認められて共演して一躍有名になった。途中で、女性はアーニーロスからヨランダヴェバンに代わったが、実はこのグループのバックに“PONY POINDEXTER”という一人のサックス奏者がいた。
この前紹介したCARMEN LEGGIOも過小評価された一人だと思うが、このPOINDEXTERもその一人。
アルトのプレーが主だがソプラノも吹く。以前紹介したLHBのBASIN STREET EASTでのライブ盤にもソプラノサックスで参加している。

ニューオリンズ出身の彼は、ニューオリンズ市の名誉市民でもあり、シドニーベシエの使ったソプラノも吹いたことがあるとか。このLHR(B)のバックでは、自分でも時々歌も聞かせてくれた。
BOP色の強い演奏をしてライオネルハンプトンオーケストラなどにも参加したようだが、あまり表舞台では活躍してはこなかった。ソプラノはコルトレーンの影響か多少モーダルなプレーをする。

このようなキャリアなので自分のリーダーアルバムはあまり無いが、このPOINDEXTERが実に「豪華な」一枚のアルバムを残している。当代のサックスの名手を集めてバックに従えそしてソロを競い合うという企画だ。
企画をしたのは、当時のコロンビアのプロデューサーのTEO MACERO。
ライナーノーツの冒頭に、「PONY POINDEXTERという名は知らないと思うが」と一緒にプレーをしていたJon Hendricksの但し書きがあるように、当時のアメリカでもほとんど知られていなかったらしい。多分日本でも同様であったろう。

この無名のPOINDEXTERに、マセロが特別豪華なセッションを用意した。
LHRがコロンビア所属になり、テオマセロもアルバムをプロデュースした。その時にでも、POINDEXTERに目が留まったのであろう。
セッションは3回に分かれているが構成は同じ。アルト、テナー、そしてバリトンを加えたサックスセクションにアレンジを付け、それをバックにサックスのソロを競うものだ。
メンバーは、下のpersonnelを参照してのとおりだが、WOODSにQUILL、DEXTER GORDONに、PEPPER ADAMSとお気に入りのメンバーが集う。他にも有名どころが。さらに、ERIC DOLPHYも加わるという特別編成。
リズムセクションにも、ELVIN JONES や RON CARTERの名前が見える。スタジオミュージシャンをバックオーケストラに集めたのとは訳が違う。

一曲目から、サックスの分厚いアンサンブルに乗って,ラテンビートでスタート。ポニーのソプラノに続いて、ビリーミッチェル、フィルウッズ、そしてペッペーアダムスの例の豪快な音が。一曲聴いただけでその先が楽しみだ。2曲目のソルトピーナッツでは、ポニーが歌を。LHRでは第4の歌手といわれた片鱗を見せる。次のスカイラークはアルトでパーカースタイルのバラードプレー。この曲は好きな曲だ。
4曲目のバーベキューは、サッチモの演奏で有名な古い曲。ここでは、ポニーのアルトとデクスターゴードンのテナーの2管だけ。この2人の絡みが絶妙。
B面に入って、一曲目がディズニーのミッキーマウスマーチ。ディズニーの曲というのはJazzでやると別な魅力が出る。これもその例に漏れない。ソニーのソプラノを筆頭に皆のソロが続く。
B面のハイライトは、lonyopはポニーのオリジナルだが、これは圧巻のスローブルース。
ELVINのドラムをバックに、ドルフィーの熱演も聴ける。

無名のPONYのアルバムだが、廻りの好演が思わぬ拾い物。TEO MACEROのプロデュースの賜物。
ライナーノーツを書いている、JON HENDRICKSが最後に、「このセッションが行われたからには、アルバムタイトルはPONY’S EXPRESSではなく”PONY’S EXPRESSION”
に変えたら?」と括っている。

結果的には豪華なアルバムに仕上がっているが、内容は最初の企画段階ではアレンジも揃っておらず一部には間違いもありバタバタだったようだ。入念に準備しても失敗作もあるので結果良ければすべて良しということだ。

1. Catin' Latin           Poindexter 4:15
2. Salt Peanuts        Gillespie, Clarke 3:39
3. Skylark          Carmichael, Mercer 3:44
4. Struttin' With Some Barbecue  Hardin, Raye 5:32
5. Blue                 Mahones 5:31
6. "B" Frequency             Macero 1:43
7. Mickey Mouse March           Dodd 3:06
8. Basin Street Blues         Williams 3:44
9. Pony's Express          Poindexter 2:20
10. Lanyop              Poindexter 9:40
11. Artistry in Rhythm         Kenton 2:15


Jimmy Heath , Cliford Jordan (ts)
Pony Poindexter , Sonny Redd , Eric Dolfhy (as)
Pepper Adams (bs)
Guildo Mahones (p)
Ron Carter (b)
Elvin Jones (ds)
February 10,1962 , New York

Sal Nistico , Cliford Jordan (ts)
Pony Poindexter , Phil Woods , Sonny Redd (as)
Pepper Adams (bs)
Tommy Flanagan (p)
Ron Carter (b)
Charlie Persip (ds)
April 18,1962 , New York

Dexter Gordon , Billy Michell (ts)
Pony Poindexter , Phil Woods , Gene Quill (as)
Pepper Adams (bs)
Guildo Mahones (b)
Charlie Persip (ds)
May 10 ,1962 , New York


Prpduced by Teo Macero & Jon Hendricks
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人の出会いというのは何かきっかけがあり、再会もまた何か必然のようなものが・・・・

2014-05-30 | PEPPER ADAMS
Four on the Outside / Curtis Fuller


あまり華々しく活動をしなかったタルファーロウ、一時引退していた時には田舎に引き籠り看板屋の仕事をしていたとか。そのファーロウが若手のジェイムス・ウィリアムスとの共演が実現したのも、両者が同じレーベルに属していた事、そしてオーナーでありプロデューサーであるカールジェファーソンが配下の有名ミュージシャン同士、あるいはベテランと新人のマッチメーカーが好きだったという理由からだろう。
一般的に、人嫌い、引っ込み思案、そして出不精だとどうしても交友範囲が限られてしまうが、このようなお節介役が上手く立ち回ると、思わぬ付き合いが始まるものだ。

一方のジェイムス・ウィリアムスはその後も表舞台を歩き続け、その交友範囲は大きく広がっていった。ペッパーアダムスも、このジェイムス・ウィリアムスがまだジャズメッセンジャーズの一員として売り出し中であった1978年に、同じデトロイト出身の旧友カーティスフラーと共に共演したことがある。

ペッパーアダムスは77年9月にサドメルのオーケストラを辞めてから一年余り、フリーランスのソリストとして、そしてスタジオワークで幅広く活動をし始めていた時だ。その年の7月、8月はライオネルハンプトンのバンドに加わってヨーロッパを巡業していた。これは、ニューヨークに戻って直ぐの録音だ。昔からの友人、そしてこのアルバムの主役であるフラーから声が掛かったのだろう。

フラーはというと、70年代に入って時代に流れに乗って電子楽器を使ったファンク色の強い演奏もしたが、70年代の後半は流行りものを追いかけるのを止めたのか、しばらくベイシーオーケストラに加わっていた。コンボでの演奏が有名だが、クインシーやガレスピーなどのビッグバンドにも加わった事があり、アダムス同様ソロ良し、アンサンブルワークも得意な両刀使いであった。

70年の後半は、新しジャズの流れのフュージョンも一般化する中で、ちょうど新主流派、新伝承派といわれる原点回帰の流れも定着して、メインストリームジャズに再度取組む決心をしたのだろう。
43歳の時だった。中年の盛りで隠居するにはまだ早い。何をやっていてもちょうどそれまでの仕事を振り返り、その先の仕事の立ち位置を見極める時期だ。

相棒にアダムスに声を掛けたのは何となく頷ける。アダムスが少し年上だが同年代、昔よくプレーした仲間、そして一緒に仕事をする機会はそれほど無くともお互いの活躍の噂は聞こえてくる。ちょうど2人ともベイシー、サドメルというオーケストラを辞めた後で、さて何をやるかと思いあぐねている時の再会であった。ビジネスの世界でもよくある話で、「仕事変ったんだって?久々に会って情報交換を兼ねて一杯やろうか」というノリであったろう。

その時に、昔の仲間だけで集まると昔話に終始して終わるところだが、このセッションは違う。ピアノのジェイムス・ウィリアムスをはじめとして他のリズムの3人は若手。カーチスフラーといえば、ウィリアムスにとっては当時加わっていたジャズメッセンジャーズの大先輩。今の親分であるアードブレイキーの昔の仲間から誘われたようなものだ。
「親父2人が久々にちょっと気合を入れてやるので、“若い”の手伝ってくれないか。ただし、エイトビートやエレキは俺達も色々やったが今回は無しでやるから」といったセッションだ。
ウィリアムスにとってもまだ駆け出しの時に、せっかく声を掛けてもらったのに、今の親分の顔をつぶす訳にはいかないので当然気合が入ったと思う。

フラーのこのセッションへの気合の入れ方は選曲にもあらわれている。スタンダードは「ハローヤングラバー」だけ、後はフラーのオリジナルだ。一曲目からこの試みは明確になる。少しモーダルな演奏は50年代のハードバップやファンキー節の再演ではない。70年代のハードバップだ。

フラーのトロンボーンというと少し朴訥な感じの人間味の溢れるサウンドが魅力。超絶テクを駆使する訳でもなく、かといって甘いサウンドに終始する訳でもない。ゴルソンとのファイブスポットがあまりにも有名だが、他の演奏でも味のあるプレーを聴かせてくれることが多い。アダムスはトロンボーン相手というとジミーネッパーとコンビを組みことが多かったが、このフラーとアダムスの低音の魅力同士のボケと突っ込みの組み合わせも悪くない。

他の曲でも、ジェイムスのピアノだけでなく、当時ジェイムスと一緒にジャズメッセンジャーでプレーをしていたデニスアーウィンも「2人の親父」を刺激している。ドラムは記憶に無い名前なので改めて調べてみると、今ではマイアミ大学で教鞭をとっているとか。レコーディングへの参加は少ないようだが、ジャズだけではなく、ソウル、ロック、歌伴、オーケストラ何でもこなすオールマイティーのドラマーのようで、このアルバムでも新しいしタイルを取り込んでその片鱗を感じさせてくれる。

今回のセッションも実際はどのような経緯でメンバーが人選されたかは分からないが、いずれにしても昔からの旧友の再会に若手が花を添えて今後の活躍を激励する会になったようだ。アダムスとフラーはこのセッションを久々の再会を結果的に昔話に終らせることなく、若手3人と一緒のプレーに自信を得て2人ともその後新時代のメインストリームを追い続けるきっかけになったのだと思う。

1. Four on the Outside               Curtis Fuller 4:54
2. Suite Kathy                   Curtis Fuller 13:04
3. Hello, Young Lovers   Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers 5:11
4. Little Dreams                   Curtis Fuller 7:49
5. Ballad for Gabe-Wells               Curtis Fuller 8:19
6. Corrida del Torro                 Curtis Fuller 7:35

Curtis Fuller (tb)
Pepper Adams (bs)
James Williams (p)
Dennis Irwin (b)
John Yarling (ds)

Produced by Wim Wigt
Engineer : Elvin Campbell

Recorded on September 18,1978 in New York City

フォー・オン・ジ・アウトサイド
Curtis Fuller
アブソードミュージックジャパン
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ボストンのジャズは学校が多いせいかアカデミックな雰囲気が・・・

2014-05-26 | PEPPER ADAMS
The Gathering Place / Anthony Zano and Orchestra

ペッパーアダムスはソリストとしても有名だが、サドメルオーケストラの重鎮であったように、色々なビッグバンドでも重要な役割を果たしてきた。ビッグバンドで重宝されるということはいわゆる譜面にも強いミュージシャンであったが、ビッグバンドメンバーとして最初の鍛錬の場はスタンケントンオーケストラ。メルルイスとの出会いもそこであった。その後も、色々なセッションの合間にメイナードファーガソン、ベニーグッドマンのオーケストラなどでレギュラーメンバーに加わった事もある。一方で、クインシージョーンズやジョージラッセルなどレコーディングのためのテンポラリーに編成されたオーケストラに起用されことも多かった。それもスイングからモダンまで幅広く。

ドナルドバードとの双頭クインテットを組んでいた時もツアーやクラブ出演の無い時はそのようなビッグバンドによく参加していた。このアルバムも、その中の一枚。

1960年3月バード&アダムスのグループはサンフランシスコへの遠征を終えてニューヨークに戻った、そして翌4月テディーチャールスなどと一緒にWarwickへのサンプラー用の録音を済ませ、その後はアダムスとバードとは別行動をする。アダムスはJ.R.Monteroseと一緒にクラブ出演をして、4月27日、28日にこのアルバムの録音に臨んだ。

トミーフラナガンやポールチェンバースといった同郷の仲間達と一緒に、ニューヨークで活躍していたミュージシャンに加えてチャーリーマリアーノなどボストンで活動していたミュージシャンも加わった。というのも、このアルバムの主役は、ボストンを中心に活動していた作編曲家であり、ピアニストのトニー・ザノ。
ボストンといえばジャズの世界ではバークレー音楽大学が有名であるが、このザノは、ボストン音楽大学、ニューイングランド音楽大学で作編曲を学び、テリトリーはジャズだけではなく、シンフォニー、室内楽、コーラスまでカバーする幅広い。そのザノが「コンテンポラリービッグバンドサウンド」と銘打って制作されたのがこのアルバム。

サドメルをはじめとしてモダンビッグバンドが定着するのはまだ10年近く先。この1960年というタイミングではポストベイシー、エリントンとして、ギルエバンス、クインシーやオリバーネルソンなどが台頭し始めた頃。コンテンポラリーサウンドというのはまだまだ少なかった時代。ということを頭に入れてこのアルバムを聴くと確かに斬新さを感じるアレンジだ。

半分はお馴染みのスタンダード曲のアレンジ物、そして後半はオリジナル曲。オリジナル曲はミニ組曲風な構成でリズムやテンポも変えてアレンジャーとしてのアピールが随所にうかがわれる。メンバーも中堅どころを揃えソロも随所に配置されているが、良くも悪くもアレンジャーのアルバムといった感じが色濃い。残念乍らペッパーアダムスのソロは無くセッションプレーのみである。

このザノの作品や演奏を他には聴いた事がないのでその後の活動歴は分からないが、アダムスの活動歴を見ると、このザノと晩年に一緒にプレーをした記録があるので、その後も交友があったようだ。という意味では、この録音セッションもアダムスの一連の活動歴の中で大事な一日であったということだろう。

晩年のピアノプレーの映像があるが、ピアノのプレーもなかなかモダンなタッチだ。




1. I Got Rhythm George             Gershwin, Ira Gershwin 4:55
2. Till There Was You                 Meredith Willson 3:55
3. They Can't Take That Away From Me  George Gershwin, Ira Gershwin 3:35
4. To A Certain Miss                    Tony Zano 3:23
5. Ballad For Dee                      Tony Zano 4:22
6. Loss                           Tony Zano 3:30
7. The Gathering Place                    Tony Zano 9:45


Tony Zano (ldr con,arr),
Vinnie Dean, Charlie Mariano (as),
Dick Hafer, Frank Socolow (ts)
Pepper Adams (bs)
Burt Collins, Augustino 'Chet' Ferretti, Rick Kiefer, Jerry Tyree (tp),
Eddie Bert, William Elton, Curtis Fuller, Frank Rehak ,Mike Zwerin (tb)
Mike Zwerin (vtb)
Bill Barber (tu)
Sal Salvador (g)
Tommy Flanagan (p)
Paul Chambers (b)
Charlie Persip (d)
Jean Purretta (v)

Engineer : Warren Jenkins
Recorded at Plaza Sound Studios, New York City, April 27&28, 1960
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世代を超えたコラボレーション、これが伝統の伝承には不可欠かも・・・・

2014-05-25 | CONCORD


Cookin' on All Burners / The Tal Farlow Quartet

4口のガスコンロにすべて火がついている写真のジャケット。レコードのジャケットとしては珍しいデザインだ。そしてタイトルもその絵の意図を汲んでいる。プロデューサーのジェファーソンとしては、よほどこの4人の演奏の印象をアピールしたかったのだろう。

自分も時々は台所に立つことはある。学生時代一人暮らしをしたこともあり、昔はキャンプにも良く行ったので、料理は嫌いな方ではない。しかし、普段やり慣れている訳でもないので、けっして段取りは上手くいかない。ひとつずつコツコツと片づけていくので、同時進行でいくつかの料理を手際よくという訳にはいかない。コンロも料理の出来上がりをイメージしながらすべてを同時に駆使してという具合にはなかなかいかないものだ。

前回紹介したエロルガーナーのトリオはガーナーが主役。ドラムとベースはあくまでも脇役。無いと寂しいが決して表に出る事も無く、三人が丁々発止にやり合う訳でもない。あくまでもガーナーのピアノがメイン。ある種刺身と刺身のツマの関係だろう。
一方で、同じトリオでもビルエバンストリオは3人が対等に向き合う。それぞれが主役になるし脇役にもなる、そして三位一体のコラボレーションが新たなサウンドを引き出す。
さて、このタルファーロウはというと、デビュー当時はレッドノーボのグループの一員であった。その後は自らのトリオやカルテット、どうしてもファーロウのギターが主役の演奏に聴こえる。

ジャケットのイメージからはこのアルバムでは、そのファーロウが4人揃っての燃え盛る演奏を予見させるが。果たして、それまでの演奏とは何が違うのか?
実は、このアルバムのセールスポイントのひとつは、主役タルファーロウとピアノの新人ジェイムスウイリアムの共演だ。

コンコルドで復帰後のファーロウのアルバムは、自らのトリオ、カルテットの演奏ではレイブラウンや、ハンクジョーンズとの顔合わせも実現している。しかし彼らは主役ではなく脇役としても名プレーヤー達だ。しかし並の脇役ではない、ファーロウとのプレーでも名コラボを生んでいた。
コンコルドジャズフェスティバルでのライブセッションではレッドノーボとの再会も果たした
この新人ウィリアムスがベテランファーロウとどのような演奏をするかますます興味が湧く。

このウィリアムスはアートブレイキーのグループで世に知られるようになり、コンコルドでは自らのアルバムも制作されるようになっていた。そんな時期での共演だ。
ブレイキーのグループではあのウィントンマルサリスとも一緒にプレーをした。マルサリスといえば、ブレイキー御大の元で若手でありながら古き良き伝統を踏まえた演奏をし、新伝承派のリーダー格となっていった。彼らはブレイキーをはじめとしてベテランとの共演で多くを学びながらその後成長したのであろう。
世代間の伝統と技術の伝承は何の世界でも重要だと思う。とかく新しいことを推進しようとすると過去を否定し、新しい側面だけを前面に出そうとしがちだ。しかし、新しいと言っても一時の物珍しさで興味を惹いてもそのようなものは長続きしない。

今回の新人とベテランの共演は見事に噛み合っている。ウィリアムスのピアノもすでに新人の域を脱し、ベテランファーロウを相手にしても臆することなく彼のプレーの特徴が良く出ている。ファーロウの方も、このウィリアムのプレーに刺激されてか饒舌だ。
演奏する曲はスタンダードばかり、それも名曲といわれる曲が並ぶ。どの曲も他の名演・名唱が頭に浮かぶが、この2人の演奏も記憶に残る演奏に加わりそうなものが多い。

このような新旧の顔合わせの積み重ねによって伝統が伝承されていくのを新ためて実感する。それにつけても、今の世の中で新旧世代の交わりが少なくなっているのが気に掛かる。家族だけでなく世の中全体でも。同じ世代の仲間でつるむのもよいが、自分は機会あるごとに色々な世代と接点を持つように心がけている。この歳になっても先輩から多くを学ぶ事は多い、反対に若者にも何かを伝えなければとは思い説教はよくするが、なかなか・・・・。若者には変な親父と思われているかもしれない。



1. You'd Be So Nice to Come Home To          Cole Porter 3:29
2. If I Should Lose You         Ralph Rainger / Leo Robin 5:00
3. I Wished on the Moon       Dorothy Parker / Ralph Rainger 5:23
4. I've Got the World on a String      Harold Arlen / Ted Koehler 6:23
5. Love Letters             Edward Heyman / Victor Young 3:58
6. Why Shouldn't I?                    Cole Porter 3:09
7. Lullaby of the Leaves         Bernice Petkere / Joe Young 5:40
8. Just Friends              John Klenner / Sam M. Lewis 3:49
9. I Thought About You         James Van Heusen / Johnny Mercer 4:21

Tal Farlow (g)
James Williams (p)
Gary Mazzaroppi (b)
Vinnie Johnson (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Ed Trabanco

Recorded at Soundmixers, New York, August 1982
Originally released on Concord CJ-204 (所有盤は東芝EMIの国内盤)


Cookin on All Burners
Tal Farlow
Concord Records
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ビバップの洗礼を受けて皆がスタイルを変えていった中で、自分の世界を確実に作っていったのは・・・・・

2014-05-21 | MY FAVORITE ALBUM
Concert By the Sea / Erroll Garner

ボブフローレンスのBig bandが出演したのは、ジャズクラブの”Concerts by the sea”であったが、コンサートバイザシーといって思い浮かぶのはやはりエロル・ガーナーのこのアルバムタイトル。
こちらもライブの録音だが、場所はカーメル。同じカリフォルニアでもロスよりも北、サンフランシスコに近い。このカーメルはゴルフの好きな方には有名なぺブルビーチゴルフリンクスがある。モントレー半島を廻る17マイルドライブ沿いには他にも有名ゴルフ場があり、ゴルフファンには憧れの地だ。
半島を廻って反対側に行くとそこはモントレー。ここは歴史のあるモントレージャズフェスティバルが例年開かれる場所。こちらはジャズファンには所縁のある地だ。一帯は同じカリフォルニアでも砂漠に囲まれたロスとは全く雰囲気が異なるリゾート地だ。
カーメルはジャズファンでもあるクリントイーストウッドが市長を務めたことがあったことでも有名だが、このクリントイーストウッドの監督としての作品にはジャズが多く使われる。イーストウッドの監督としての初の作品は、このガーナーの作った名曲”Misty”をテーマにした”Play Misty for Me”であった。
このアルバムも2人を結び付ける何かきっかけになったのかもしれない。

このエロル・ガーナーというピアニストはジャズピアノの世界では少し異端視されているかもしれない、特に日本では。異端になった理由はいくつかあるとは思うが・・・

今どきのジャズプレーヤーは音楽教育をきちんと受けた者が大部分だと思う、反対に音符を読めないミュージシャンというのを探す方が難しいと思う。しかし、昔は有名プレーヤーでも何人もいた。古くはニューオリンズジャズが生まれた頃は譜面を読めないのが当たり前だったかもしれない。モダンジャズの時代になっても、ウェスモンゴメリーやジミースミスといった大物達も譜面を読めなかったという。
耳だけで覚えた「音」、頭に浮かんだ「音」を、自在に楽器を操って再現できる能力に長けているということは、ジャズの命であるアドリブを自在に行うにはかえって好都合なのかもしれない。

昨今「教育」が話題になることが多い。人間が考えたことを表現し、人の考えを理解するには言葉が必要だ。しかし言葉を知っているからといって、独創的な考え方が生まれてくるわけではない。数字に強くて計算能力が高いからといって、誰もが世の中の事象を数式で表せるわけでもない。
同じように音符に強いからといって、だれもが独創的な音楽を演奏できるわけではない。一般的な知識や技術は今の教育システムでも身に付ける事ができるが、人間が本来持っている能力を最大限引き出すには、別の教育手段&環境が必要だと思う。人間の持つ創造力を育てる教育というのは別物だろう。今の時代にはせっかくの素材を持ちながらそれを引き出すことができない天才の予備軍がたくさんいるように思う。

このガーナーも譜面を読めなかった一人だ。名曲”Misty”も頭に浮かんだ曲を忘れないようにあわててピアノに向かって演奏しそれをテープに収めて生まれたといわれている。
譜面を読めないというのは、反対に知識や既成の枠組が邪魔することなく、反対に自己のスタイルが明確になり、結果的に並のプレーヤーとは差別化できるようにもなる。ジミースミスやモンゴメリーのスタイルが独創的であったように。

このエロル・ガーナーの特徴は、左手を強調した独特のリズム感を持ったノリだ。アップテンポな曲ではスインギーに、枯葉のようなバラードでも装飾音が多く、リズミックにきらびやかだ。
このようなピアノスタイルをカクテルピアノともいわれるようだ。確かにホテルのラウンジでの演奏には良く似合い、気難しく向き合うより、気楽にリラックスして聴くにはピッタリだ。自宅で聴く時も、ヘビーなアルバムの合間にはこのような演奏で一息つくには好都合な一枚だ。ガーナーの世界はあくまでもピアノが主役。ピアノをオーケストラのように演奏するので、ベースとドラムは脇役に徹することになるが、それでよいのだと思う。また、他のソリストとの共演というのもあまりないようだ。

このアルバムは1955年の録音、ハードバップ全盛期にジャズの本流が転じていったが、このガーナーのピアノスタイルは不変であった。決して昔ながらのスタイルを伝承するわけもなく、目新しいことを追いかけるでもなく、色々な要素を取り入れてながら自分の世界を作りながら。演奏する曲にもこだわりは無かった。スタンダードが主体であったが、次第にPOPSも素材に。それにしたがってジャズピアノの本流からは外れていったが、ひとつのジャズのスタイルを作り上げた巨人であるには違いない。
亡くなった後に評価が高まったというのも、天才には良くあることだ。



1. I'll Remember April   G. DePaul / P. Johnston / P. Johnston / D. Raye 4:14
2. Teach Me Tonight              Sammy Cahn / Gene DePaul 3:37
3. Mambo Carmel                        Erroll Garner 3:43
4; Autumn Leaves      Joseph Kosma / Johnny Mercer / Jacques Prévert 6:27
5. It's All Right with Me                    Cole Porter 3:21
6. Red Top                   Lionel Hampton / Ben Kynard 3:11
7. April in Paris              Vernon Duke / E.Y. "Yip" Harburg 4:47
8. They Can't Take That Away from Me     George Gershwin / Ira Gershwin 4:08
9. How Could You Do a Thing Like That to Me   Tyree Glenn / Allan Roberts 3:59
10. Where or When               Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:06
11. Erroll's Theme                        Erroll Garner 0:46
 
Eroll Garner (p)
Eddie Calhoun (b)
Denzil Best (ds)

Recorded live in Carmel, September 1955


Concert By the Sea
Eroll Garner
Imports
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西海岸のビッグバンドといえば今ではゴードングッドウィンだが・・・・

2014-05-20 | MY FAVORITE ALBUM
Bob Florence Big Band Live at Concerts By The Sea

日本に居を構えたマイクプライスのビッグバンドはエリントンのレパートリー以外に、よく西海岸のアレンジャーの曲を演奏する。彼が属していたスタンケントンやバディーリッチのオーケストラはこの西海岸のアレンジャーの曲を良く演奏していた。西海岸での有名なアレンジャーといえばビルホルマンジェラルドウィルソンであろう。2人とも50年代から活躍しているので現役生活50年以上の長老だ。その陰に隠れて目立たないがボブフローレンスも活躍した一人だった。日本でも前田憲男のように自らピアノを弾き、ストレートなジャズからPOPSのアレンジまで何でもこなすアレンジャーがいるが、このフローレンスもその一人。歌手のバックのアレンジやスタジオワークが多かったが、自らのビッグバンドを15年ぶりに再編したのは1979年のことであった。

もちろん時代が変わりハーマンやケントンのようにレギュラーバンドを編成するのは難しく、リハーサルオーケストラとして地元のライブハウスには定期的に出演するようになった。メンバーはロスで活躍中のスタジオミュージシャン。いわゆるファーストコールといわれる一流どころが集まったが、皆忙しい中このフローレンスのビッグバンドには時間をやり繰りして集まったそうだ。

アレンジャーがリーダーのオーケストラは、アレンジャーとプレーヤーの直接対決だ。アレンジャーの意図通りの音を目の前で出せるかどうか、プレーヤーも自然と力が入ると思う。
それだけ、演奏するほうにしても参加するのが楽しみだったオーケストラだということだろう。ちょうどサドメルのオーケストラがニューヨークでスタジオミュージシャン中心に立ち上がったのと同じような状況といえる。メンバーの中には、ビルパーキンスのように15年前のバンドにも在籍した者も何人か再会を果たした。
フォローレンスのアレンジは西海岸のアレンジャーらしく、軽快で輝くサウンドだが編成は通常のビッグバンドより大型でトランペットが5本、サックスが6本で重厚なサウンドも楽しめる。

このオーケストラのファーストレコーディングがこのアルバム。地元の名門クラブ「コンサートバイザシー」に出演した時のライブ録音だ。西海岸のライブハウスといえば、その昔はハワードラムゼイがジャムセッションリーダーとなったライトハウスであったが、そのラムゼイがライトハウスを離れて作ったクラブが、このConcerts By The Seaであった。ライブでの演奏らしく和やかな雰囲気も伝わってくる。

1曲目のビバップチャーリーは地元のFM局の為に名づけられた。快活で軽快なサウンドはテーマソングとしてもピッタリだ。ボサノバありブルースありだが、アンサンブルだけでなくソロもウェストコーストの腕達者が揃っている。
そういえば、数年前、やはりウェストコーストのトランペットの達人カールサンダースが来日してそのソロプレーを素晴らしさとオーケストラを引っ張るリードぶりに惚れ惚れした。普段スタジオの仕事が多いウェストコーストを拠点とする実力者達の演奏の素晴らしさを引き出す役回りのアレンジャーも、このような演奏が聴けるとなるとアレンジの筆にも自然と力が入ると思う。



1. Be Bop Charlie
2. Lonely Carousel
3. Evie
4. Wide Open Spaces
5. I’ll Remenber
6. Party Herty

Gene Coe (tp,flh)
Warren Luening (tp,flh)
Buddy Childer (tp,flh) 
Nelson Hatt (tp,flh) 
Steve Huffsteter (tp,flh)
Chauncey Welsch (tb) 
Herbie Harper (tb) 
Charles Loper (tb) 
Donald Waldrop (btb) 
Ray Pizzi (as,ss,fl)   
Kim Richmond (as,ss,fl)  
Pete Christlieb (ts,fl)   
Bob Cooper (ts,fl)   
Bill Perkins (bs,bcl,cl) 
Lee Callet (bs,cl)
Bob Florence (p,Fender Rhodes)
Joel DiBartolo (b)
Nick Ceroli (ds)
 
Produced by Albert Marx    
Rod Nicad,Ken Rains  Engineer
Arne Frager     Mastering

Recorded live at Concerts by The Sea, Redondo Beach,Californa
on June 15,16,17&18,1979
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ハイファイセットがランバート・ヘンドリックス&ロスを真似てジャズをやると・・・・

2014-05-15 | MY FAVORITE ALBUM
3 Notes / Hi-Fi Set

先日、ハイファイセットのメンバーであった山本俊彦さんの訃報が伝えられた。赤い鳥からハイファイセットに転じたのは、丁度自分が会社勤めを始めた年。聴く音楽は学生時代から聴いていたジャズが中心であったが、この頃は何故か日本のヒット曲も良く聴いていた。FMでやっていたヒットチャート番組もエアチェックをしてよくカーステレオで聴いていたものだ。自分にとっての懐メロとはこの70年代のヒット曲の数々。それからしばらくしてヒットチャートを聴く事も無くなったが、この70年代のヒット曲のエアチェックカセットはその後も良く車の中ではかかっていた。同乗していたまだ小さかった子供も自然と耳に入って覚えたのだろう、今では30近くになった息子の得意曲は70年代の歌。友達からなぜそんなに生まれる前の古い歌を良く知っているのかと聞かれることもあるそうだ。

その中で、ハイファイセットのコーラスは好きだったのでよく聴いたグループのひとつだ。そのハイファイセットもちょうど80年代へかわる節目で一旦活動を休止する。充電期間を経て、新たに出したアルバムがこのアルバムであった。

従来からのファンは、その変身ぶりに少し戸惑ったようだが、よりジャジーなコーラスに思わずほくそ笑んだ。普段ジャズを演奏しないミュージシャンがジャズを、いやジャズライクであっても演奏したのを聴くのは、ジャズも何か市民権を得たようで楽しくなるものだ。

ちょうど、80年代に入った頃は、ジャズコーラス全体も転機を迎え、今思えば活性化していたように思う。70年代の半ばにデビューして次第に人気が出てきたマンハッタントランスファーもこの頃、バードランドをカバーして更なる進化を遂げた。
一度引退したハイロウズが復帰したのものこの頃。充電中のハイファイセットは、ランバート・ヘンドリックス&ロス(LHR)聴いて、ジャズにチャレンジすることになったようだ。モダンジャズコーラスでは、洋の東西を問わずこのLHRの影響を受けたグループは多い。

このハイファイセットの取り組みは、LHRが得意とするジャズのスタンダード、そしてその名演ボーカライズのコピーではなく、オリジナルの曲に、日本語の歌詞をつけた斬新なアプローチであった。それだけで、かなりの意欲作だ。

バックは佐藤雅彦のピアノとアレンジにより、有名どころのジャズミュージシャンも多く参加している本格的なもの。歌だけでなく、ラグタイム風のピアノが聴ける「人生はジャムセッション」、ボサノバ調の「亜麻色の8月」、LHRの雰囲気がばっちりのBop’s,clubhouse、ベースラインがチャーミングな「トリオ恋sound」など聴きどころ盛りだくさんだ。

1. 危険なフレンド・シップ(作詞:山川啓介、作曲:山本俊彦)
2. 人生はJam Session(作詞:山川啓介、作曲:山本俊彦)
3. LAST BALLAD,LAST COIN(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)
4. ブーツと酒とウェディング・ドレス(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)
5. I Love You Again(作詞:山川啓介、作曲:山本俊彦)
6. Bop's clubhouse(作詞:大川茂、作曲:佐藤允彦)
7, うぬぼれスマイル(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)
8. 亜麻色の八月(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)
9. トリオ恋SOUNDS(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)
10. starlight lullaby(作詞:大川茂、作曲:山本俊彦)

編曲:佐藤允彦、コーラス編曲:山本俊彦

Hedeo Yamaki (ds)
Kenji Takamizu (b)
Sadanori Nakamure (g)
Masahiko Sato (p)
Seiich Nakamura (cl)
Shigeo Suzuki (as)
Makio Shimizu (as)
Akira Miyazawa (ts)
Masao Suzuki (ts)
Yasuaki Shimizu (ts)
Shinzo Sunahara (bs)
Tadataka Nakazawa (tb)
Yukihiko Nishizawa (alfl)

Produced by Hiroshi Watanabe & Masahiko Sato
Recording Engineer : Katsuo Ogawara

Recorded at Onkio Haus Tokyo. May 1981


3ノーツ
Hi-Fi Set
EMIミュージック・ジャパン
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ゴードングッドウィンも芸達者だが、それを上回るゲストプレーヤーが・・・

2014-05-14 | MY FAVORITE ALBUM
Snappy Too / James Morrison

今年もゴードングッドウィン率いるビッグファットバンドが来日して、相変わらず元気なパンチの効いたオーケストラを楽しませてくれた。映画音楽多く手がけているゴードングッドウィンのアレンジの特徴なのだろう、一つの曲の中にもドラマがありアンサンブルとソロが自在に変化するダイナミックさはなかなか他のオーケストラでは味わえない。
聴いたのは1セットだけだったが、プログラムは4セット用意してあったようなので、2セットたっぷり聴けばよかったかなと後悔している。今月発売予定の新作からの曲も取り上げていたが、このオーケストラも大分レパートリーが多くなってきたので一回のライブで全貌を味わうのは大変だ。何年か前、バンガードジャズオーケストラが来日した際、何日間の公演の全セットがすべて別の曲というプログラム編成があったが、このようなプレーヤーのやる気を感じるコンサートは聴く方も気合が入る。

今回のライブでもう一つの楽しみはゲストトランペットのジェイムス・モリソン。オーストラリア出身の名トランぺッターだが、楽器は何でもこなすマルチタレント。パンフレットには申し訳程度に小さくクレジットされていたが、噂とその片鱗はネットで見たこともあった。果たしてステージでどこまで披露してくれるかも楽しみであった。



本業のトランペットのハイノートを屈指したソロも見事であったが、名人揃いのトランペットセクションの一員として加わったアンサンブルとリードぶりも流石であった。バンドの重鎮ウェイン・バージロンも一目置く存在であった。当日マルチプレーヤーぶりを披露してくれたのは、スーパーボーンなるスライドとバルブが両方付いたトロンボーンの演奏。こちらも物珍しもあって圧倒されたプレーであった。
そういえば、新年早々来日したアルツゥーロサンドヴァルもステージで多芸ぶりを見せてくれたが、今年はトランペットの名手&達人の来日が続く。

さて、このモリソンだが、彼の本当のマルチプレーヤーぶりを存分に楽しめるアルバムがある。まずは、このCDのプロモーションビデオをご覧いただきたい。



なんと18人編成のビッグバンドの17人までを彼一人で演奏している。他のミュージシャンはドラムのジェフハミルトンただ一人。後はモリソン一人で二役三役どころか何と残りの17役を演じる大活躍だ。いや演奏だけではない。スタンダードは何曲かあるものの、このアルバムの大半の曲を自ら作って、それにアレンジを施し、それを自分で演奏するという徹底ぶりだ。最近はコンピューターを屈指して曲作りから最終的な音作りまでを自己完結することは珍しくはないが、生楽器であるいは生声ですべてのパートを演奏するというにはめったに聴けない。

このSnappy Tooとタイトルされたアルバムだが、20年以上前、このモリソンがレイブラウン、ハーブエリス、そしてジェフハミルトンと一緒にSnappy Dooというアルバムを作った。この名人達との演奏が忘れずにいたが、ブラウンとエリスはすでにこの世にいない。何とかその時の感激を再びと思案したものの、この2人に代わる共演者はみつからず、結局は自分とジェフハミルトンの2人でやるしかないとの結論に至ってこのアルバム作りをすることになったそうだ。といっても、2人の演奏の代わりを16人分の演奏に置き換えなければならなかったわけで、それだけ2人の演奏はモリソンにとっては奥深いものであったということだろう。
実際に聴くとどうしても本業以外の演奏の出来栄えが気にはなるが、サックスの味わいあるトーンが何とも言えずにいい感じだ。ソプラノサックスのソロもあるが、シドニーベッシェ風の少しダーティーな響きは今どきのサックスプレーヤーではなかなか聴けないサウンドだ。

録音の順序はリードトランペットのパートから。普段の演奏でもリード以外を吹く時はリードを気にしながら吹くというので、自然とそのような順序になったそうだ。そして次はトランペットからトロンボーンセクション、さらにはサックスも同様に、そしてピアノ、ベースと続き、出来上がったものにジェフハミルトンが加わったそうだが、出来上がりは立派なビッグバンドのサウンド。確かに事が事だけに超絶アンサンブルはないが、どれも立派なフルバンド演奏に仕上がっている。

どうもこのような芸達者なプレーヤーはそれだけで話題になり、本当の姿と実力が見えにくくなる。それ故硬派のファンからは受け入れられにくいが、どんなシチュエーションでも、ファンを楽しませてくれるプレーをするというのも実力の内であろう。
ゴードングッドウィンのオーケストラ共々楽しいステージであった。

1. All Of Me               Gerald Marks / Seymour Simons 5:46
2. The Master Plan            James Morrison 6:38
3. Getting Sentimental Over You   George Bassman / Ned Washington 6:14
4. The Call               James Morrison 6:55
5. No Regret               James Morrison 7:28
6. Zog's Jog               James Morrison 4:27
7, Sad Blues               James Morrison 4:23
8. Up A Lazy River       Sidney Arodin / Hoagy Carmichael 5:29
9, Some Day My Prince Will Come  Frank Churchill / Larry Morey 4:17
10. Going Home, Pt. 1              James Morrison 7:35
11. Going Home, Pt. 2              James Morrison 4:32

James Morrison (tp,tb,sax,b,g,p)
Jeff Hamilton (ds)


Snappy Too
James Morrison
Aleph Records
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突然のリーダーの死、残されたメンバー達は・・・

2014-05-12 | CONCORD
Sonando / Poncho Sanchez

サドメルオーケストラで、リーダーの一人サドジョーンズがバンドを去った後、残されたメルルイスは何とか歴史のあるオーケストラを解散させることなく存続させた。そして、メルルイスが病に倒れた後は、また残されたメンバー達は亡きリーダーに捧げたアルバムを作り、皆で協力して伝統あるオーケストラを引き継いで今に至っている。
何の世界でも、一家を支える主が去ると残された人々は大変だ。それもある程度覚悟ができていればそれなりの準備ができるが、突然となると尚更である。

ConcordでPicanteというジャズ&ラテンのサブレーベルの立上げに一役買ったのはカルジェイダーだった。以前からジャズとラテンの接点に自らのグループの位置付けを定めて活動してきたジェイダーは、そのコンセプトを実現する役回りとしてはうってつけであり、ジェイダーの人気も再び確固たるものになっていた。
しかし、そのジェイダーが突然この世を去ってしまったのは、82年5月5日異国の地フィリピンでであった。

ジェイダーがコンコルドに移籍をし、ラテン色の強いグループの演奏を支えていたのは、ラテングループには欠くことのできないラテンパーカッション。その任を果たしていた一人がポンチョ・サンチェスであり、コンコルドでそれまでに作られたジェイダーのアルバムにはすべて参加していた。

ジェイダーが突然この世を去り、メンバーであるサンチェス達が残されたのは彼がまだ30歳の時であった。ジェイダーのグループに加わって5年、ジェイダーの仕事がオフの時は自分のグループやアルバムも作るようにはなっていたが、一丁前に一家を構えるにはまだ若かった。

サンチェスはテキサス生まれのロス育ち。ラテンのリズムに強いと言っても南米生まれ、育ちという訳ではなかった。反対にアメリカ生まれという事もあり、ハードバップのノリも身に付けていたので、広くラテンフュージョン系の演奏にはうってつけのプレーヤーであった。

前回ドナルドバードが参加した、パーカッションを前面に打ち出したアルバムを紹介したが、これは1960年の録音。
ガレスピーなどが好んだラテンのリズムを採り入れたジャズにはパーカッションは不可欠であったが、いわゆる「お囃子入りのジャズ」はまだマイナーであった。ボサノバのブーム到来はまだ少し先、ましてフュージョンブームでリズムが多様化しパーカッションが不可欠になったのは70年代になってからだ。
バードのこのアルバムが「ソウルパーカッション」と銘打つものの、中途半端であったのは時代的に止むを得なかったと思う。

一方で、このサンチェスが主を失ったのは1982年。時代的にはジャズの世界でパーカッションが主役になれる環境は整っていた。ジェイダーが亡くなってまだ3カ月、コンコルドではジェイダー亡き後、すぐにこのサンチェスのリーダーアルバムを作ることになった。

ジェイダーはラテンのジャズの接点を着実に歩んでおり、決して一足飛びにフュージョンの最先端を走っている訳ではなかった。後を継ぐ形となったサンチェスが選んだ道は、ジェイダーへの追悼という意味も込めてだろう、着実にジェイダーの路線を踏襲した。
メロディーラインにはジェイダーのヴァイブに代えてメンバーに加えてさらに管を2本加えた。トランペットのスティーブンホフスター、そしてアルトにカルジェイダーのラストアルバムにも登場していたゲイリーフォスター。どちらも当時は秋吉敏子のビッグバンドでも活躍していた西海岸のジャズ系の中堅。ジャズとラテンの融合への拘りは捨てていなかった。
ガレスピーのチュニジアはマンボのリズムで、タイトル曲のソナンドではチャチャ、Sueñoでは2本のフルートでボサノバでと、ラテンリズムを前面に打ち出しつつもジャズとの接点を意識した演奏になっている。

このサンチェスは、その後もジェイダーを引き継ぎConcordのラテン系の重鎮として立派にその職責を果たすことになる。ジェイダーの死後、間髪を容れずジェイダーの後継者としてサンチェスのアルバムを作ったジェファーソンの眼力は正しかったのか?
しかし、この時の契約は1年だったという。ジェファーソンの判断は一時的なリリーフと考えたのが本心かもしれない。それから30年経ってまだConcord Picanteを支えるようになるとは、さすがのジェファーソンも想像しなかったかもしれない。

そんな経緯の中で生まれた、サンチェスのConcordでの初リーダーアルバムである。




1. A Night in Tunisia          Dizzy Gillespie / Frank Paparelli 4:06
2. Soñando               Pete Terrace 5:29
3. The Summer Knows  Alan Bergman / Marilyn Bergman / Michel Legrand 4:30
4. Con Tres Tambores Bata, Un Quinto y un Tumbador  Eduardo Angulo 5:26
5. Este So                  Poncho Sanchez 5:47
6. Almendra     Abelardito Valdes / Abelardo Valdez / Abelardo Valdés 5:09
7. Sueño                    Eddie Cano 3:10
8. Cal's Pals                  Eddie Cano 3:55
9. Peruchín                   Charlie Otwell 4:06

Poncho Sanchez(Congas, Perc,Vocals)
Steve Huffsteter (tp)
Gary Foster (as,fl)
Dick Mitchell (sax,fl)
Mark Levine (tb)
Charlie Otwell (p)
Tony Banda (b, Vocals)
Ramon Banda (ds,Timbales)
Luis Conte (Bata, Bongos, Perc,Vocals)


Produced by Carl Jefferson
Engineer Phil Edwards
Recorded at United Western Studios, Hollywood, California, August 1982

Originally released on Concord Picante CJP-201

Sonando
Poncho Sanchez
Concord Records
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バード&アダムスクインテットが参加したWarwick盤のサンプラーとは?

2014-05-11 | PEPPER ADAMS
The Third World / Donald Byrd/Booker Little

ドナルド・バード&ペッパーアダムスのクインテットは、アルバムは1962年9月21日のブルーノートへのRoyal Flush の録音で、そしてライブは解散の引き金となった10月29日のカンサスシティーで幕を閉じることとなった。
その間、残されたアルバムはライブが3枚、そしてスタジオ録音が10枚、そしてWarwickレーベルのサンプラーが一枚の計11枚となっている。この2人はその後もレギュラーグループを組みことは無かったが共演する機会は何度かある。それらのアルバムは追々紹介することにする。

ライブとスタジオの10枚はこれまでに紹介済みだが、このWarwickというレーベルが曲者だ。そもそもオリジナル盤を追いかけている訳ではないので情報にも疎いせいもあり、オリジナル盤を見たこともない。ハンコックとの初共演アルバム”Out of This World”もオリジナルはこのWarwickということだが、世に出ているのは色々なレーベルからとなる。

ドナルドバードのディスコグラフィーを見ていたら、この1960年春の録音という事で当然このセッションも載っていたが、よく見るとリリースされたアルバムはオリジナルのWarwick盤以外にも、TCBのDonald Byrd/Booker Little - The Third World (TCB LP 1004)というアルバムも同じ演奏が収められていた。

ひょっとしてと思って所有しているアルバムを見直すと、灯台元暮らし、このアルバムは所有済であった。いつ買い求めたかも記憶にないほど前から持っていたのだが、聴き返すこともなく、このアルバムがWarwickのサンプラーという物だとは、ついこの時まで気が付かなかった。

というのも、このTCBのアルバムというのはライナーノーツもなく、クレジットもいい加減という代物。よもやこの中にバード&アダムスクインテットの演奏が入っていたとは。

Warwick盤の記録を頼って中身を確認してみると、そもそものタイトルは、The Soul Of Jazz Percussion (Warwick W 5003)という。どうりで、ティンパニーや銅鑼など、普段ジャズでは使わない打楽器まで繰り出してのジャズパーカッションのデモアルバムであった。

中身は3つのセッションに分かれていて、

Earl Zindars Sextetで3曲
バード&アダムスのクインテットにティンパニーが加わった編成
Armando Peraza Septetで3曲
コンガに、バードとブッカーリトル、そしてもう一人マーカスベルグレイブというトランぺッターが加わったセクステット
そしてWillie Rodriguez Octet
カーティスフラーやブッカ―リトルがフロントラインのオクテット

それぞれのセッションを見ても面白い組み合わせが多いが、演奏もどの曲も打楽器を際立たせているので、怪しげなリズムがあったり、銅鑼が響き渡ったり、ドラマーのエドショネシーのヴァイブのプレーで面白いサウンドがするものが多い。

バード&アダムスグループで特筆すべきはピアノがビルエバンスである。このグループがエバンスと一緒にプレーをしたのはこのセッションだけであろう。Quiet Templeではエバンスらしいプレーが聴ける。エバンスも50年代は色々なセッションに顔を出すことがあったが、この頃はスコットラファロとのトリオで活動していた時期であり、バードやアダムスとはそれほど近しい関係ではなかったようだし、なぜこのセッション加わったかには興味が湧くところだ。

まあ、バード&アダムスコンビが、こんなアルバム作りにも参加したという記録としての一枚。

曲順は異なるが、詳細は以下のとおりである。

Chasing The Bird
Call To Arms
Wee Tina

Marcus Belgrave, Donald Byrd, Booker Little (tp)
Mal Waldron (p)
Addison Farmer (b)
Ed Shaughnessy (ds)
Armando Peraza (congas)
NYC, spring 1960

Prophecy
Ping Pong Beer (Ping Pong)
Quiet Temple

Donald Byrd (tp)
Pepper Adams (bs)
Bill Evans (p)
Paul Chambers (b)
'Philly' Joe Jones (ds)
Earl Zindars (timpani)
NYC, spring 1960

Construction Crew (Construction)
November Afternoon

Willie Rodriguez Octet
Don Ellis, Booker Little (tp)
Curtis Fuller (tb)
Mal Waldron (p)
Addison Farmer (b)
Philly' Joe Jones (ds)
Willie Rodriguez (congas)
Ed Shaughnessy (percussion, vib)
NYC, spring 1960



Third World
Donald Byrd
Collectables
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コーラスの歴史を遡れば、それは無伴奏だったのかもしれない・・・

2014-05-09 | MY FAVORITE ALBUM

Unreal! / The Real Group


コーラスの中でも、無伴奏で声だけで勝負するアカペラはハーモニーの美しさだけでなくリズム感も自ら生み出さなければならず、特にジャズ系のグループではその実力の程が明確にそのサウンドに反映される。
アカペラグループが大人数になりがちなのはヴォイスリズムも重要になるからだが、人数が増えパートが増えればそれだけ全員のコンビネーションも大変で合わせるのも大変になるのではないかと素人なりに思う。

このアカペラコーラスグループ。最近ではtake6が有名だが、ヨーロッパ生まれのザ・リアルグループも忘れる訳にはいかない。Take6が男性6人組なのに対して、こちらのリアルグループは男3人に女性2人。やはり女性が入っただけ高音域の透明感が増している。ヨーロッパ生まれのグループという事も、その綺麗なサウンドを特徴づけているかもしれない。

先日紹介した、モニカ・ゼタールンドがヨーロッパ系ジャズボーカルの一つの流れの原点とすると、このグループも大なり小なりその流れを受けたであろう。
スウェーデンとジャズとの繋がりは深い。クインシージョーンズがライオネルハンプトンのオーケストラで渡欧し、初めてアルバムを作ったのもスウェーデンだった、スタンゲッツやレッドミッチェル、デクスターゴードン、アートファーマー・・・など多くの大物が一時活動の場を移したのもこの地であった。
最初は彼らによるアメリカ直輸入であったジャズが、時代と共にスウェーデンジャズとなっていった。否、スウェーデン長く滞在したアメリカのミュージシャンも知らず知らずのうちに、スウェーデンジャズの響きにスタイルを変化させていたのかもしれない。

このアルバムはもう20年も前に出たアルバムだ。ちょうど、90年前後にアカペラが流行ったような記憶があるが、マントラや、シンガースリミテッドなどのグループも、時にはアカペラで歌う曲もあった。やはり人の声だけが持つ優しさが、楽器の音色の美しさとは違った自然の安らぎを与えてくれる。

ベイシーで有名なFlight of the Foo birdsで、始まりWalkin’と続く辺りは、いきなりジャズファンを惹きつける。かと思うとビートルズやエリントンナンバーも、バラードは、ルグランとサドジョーンズの名曲にスタンダードのスカイラークとくれば。これらは自分のお好みばかり。後半ではスウェーデンの民謡まで登場して、このグループの魅力を多方面から存分に引き出しているアルバムだ。

このアルバムでライナーノーツを書いているジャズコーラスの世界では大御所であるジョンヘッドリックスにして、「このグループで歌いたいものだ」と言わしめた魅力を持つグループだ。
今月来日するという。今までライブは聴いた事がなかったので出かけてみることにしよう。



1. Flight of the Foo Birds             Neal Hefti 3:18
2. Walkin' Richard Carpenter / Jon Hendricks 4:19
3. A Cappella in Acapulco   Anders Edenroth 4:05
4. A Child Is Born    Thad Jones 3:09
5. Come Together    John Lennon / Paul McCartney 3:37
6. Wait and See   Anders Edenroth 3:58
7. Skylark     Hoagy Carmichael / Johnny Mercer 2:49
8. I've Found a New Baby     Jack Palmer / Spencer Williams 2:30
9. What Are You Doing the Rest of Your Life?  
                 Alan Bergman / Marilyn Bergman / Michel Legrand 5:27
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  Duke Ellington / Irving Mills 3:09
11. Body and Soul  Frank Eyton / Johnny Green / Edward Heyman / Robert Sour 3:05
12. Kristallen Den Fina                Swedish Folksong 3:16
13. Jag Vet en Dejlig Rosa                Traditional 3:42
14. For the One I Love             M.Edenroth 4:53

The Real Group
Anders Edenroth Alto (Vocals)
Anders Jalkéus Bass (Vocal)
Peder Karlsson Tenor (Vocal)
Margoreta Jalkéus Soprano(Vocal)
Katarina Nordstrom Alto (Vocal)

Produced by Jan Apelholm

Recorded at Alantis Studio, Stockholm ,in 1991,1992,1994




Unreal
The real Group
Town Crier
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新メンバーでこれからという時に、これがラストレコーディングに・・・・

2014-05-06 | PEPPER ADAMS
Royal Flush / Donald Byrd

1961年ハービーハンコックは、ドナルドバード&ペッパーアダムスクインテットに加入して初レコーディングも済ませ、一足飛びに全国区で活動を始めた。レコーディングだけでなくツアーも継続的に続け、そのグループとしての一体感は増していった。‘58年以来継続的に活動は行っていたが、苦節4年やっとレギュラーグループとして世の中にも認知されてきた。
6月にはそのツアー途中でのライブ演奏が録音されており、そのグループの実態が残されている。新たなレパートリーも加わり、ハンコックを含めた3人は上手く噛み合っていたが、ドラムとベースはどうもメンバーが定着せず、録音、そしてツアーの度にメンバーが替わっていた。

9月になって3人がリハーサルの為に集まった時、予定していたドラム、ベースがその場に現れなかった。どうもこのグループはそのような事が多い。
そこで、リハーサルの場所であったWhite Whaleという場所に出入りしていた2人に声をかけた。ロスからやってきたドラムのビリーハートと、ワシントンから来たベースのブッチウォーレンの2人であった。彼らのプレーはクインテットの要求にピッタリだったので、そのままメンバーに加わり、このアルバムの収録となった。ハンコックもシカゴでのライブの途中、ピンチヒッターで加わりそのままレギュラーメンバーになったが、当時はそのような事はオーディションを兼ねて日常的に行われていたようだ。

この日収録された曲の中で、ツアーで演奏していたHush、Jorgie’s、6M’sは6月のライブでも演奏されており、すでにこのグループとして定着した演奏となっていた。ハンコックのオリジナル曲も初めて登場した。
これまでバードのブルーノートでのアルバムはファンキー路線を続けていたが、このアルバムではアンサンブルもソロもよりこなれた演奏となった。ハードバップの集大成ともいえるツアーでの演奏スタイルがそのまま録音されたのか、ハンコックが加わったためか、バード&アダムスクインテットのサウンドが固まってきている。

この録音を終えたクインテットは、その勢いで10月に再びツアーに出る。6月にアルバムを収録したセントルイスのJorgie’sに再び出演を終え、次の街カンサスシティーへと移る。
そこで、クインテットを襲った悲劇は、出演していたクラブが倒産ギャラが貰えない事に。これからという時に解散の憂き目にあってしまった。10月29日、このアルバムの録音からまだ一か月後、よもやそんなことが起こるとは思っていなかっただろう。
しかし、そもそもグループとしては地方公演のブッキングとツアーにかかる経費の面でお金に関しては問題を抱えていた。そのフラストレーションが、これをきっかけに一気に爆発した。結局、この出来事が致命的となってしまった。
アダムスが手記で何度も述べているように、ツアーに出るときはバード&アダムスクインテットであっても、ブルーノートのレコーディングになるとドナルドバード単独アルバムに。どうやらこの問題を解決しないままレギュラーグループになってしまった結果だろう。ビジネスの世界でも苦労している間はお互いかばい合っているものの、いざ成功し出すと利益の配分でもめるケースは良くある。ドナルドバードも上手くやればよかったのにと思う。

これで、足かけ4年間続いた2人のコンビも解消となった。喧嘩別れではなかったようなので、その後も色々な場面で一緒にプレーする事はあったようだが、2人の重厚なアンサンブルを売りにするレギュラーグループが再編されることはなかった。

ひょんな事でこのグループに参加したベースのウォーレンと、ドラムのハートは、ピアノのハンコックとも相性が良かったのか、翌年録音されたハンコックのデビュー作”Take Off”にも2人揃って参加している。世の中、何かきっかけで付き合いが始まり、意気投合するか?
出会いが無ければ何も始まらない。バードとアダムスのとっては別れのアルバムとなったが、ハンコックにとっては出会いのセッションとなった。

4年間色々な事がありながら年々進化し続けたバード&アダムスのコンビも、2人のグループとしてはこれが最後の作品となり、その後はそれぞれの道を歩むことになった。



1. Hush                    Donald Byrd 6:26
2, I'm A Fool to Want You  Joel Herron / Frank Sinatra / Jack Wolf 6:17
3. Jorgie's                  Donald Byrd 8:08
4. Shangri-La                 Donald Byrd 6:38
5. 6M's                    Donald Byrd 6:32
6. Requiem                  Herbie Hancock 7:07

Donald Byrd (tp)
Pepper Adams (bs)
Herbie Hancock (p)
Butch Warren (b)
Billy Higgins (drums)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, September 21, 1961

ロイヤル・フラッシュ
Donald Byrd
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
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亡きリーダーを悼んで、残されたメンバーからの贈り物・・・

2014-05-04 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
To You ・A Tribute To Mel Lewis / The Mel Lewis Jazz Orchestra

先日、まつきり三郎のライブで久々にサド・ジョーンズのTo Youを聴いて、思わず他のアルバムを紹介したが、大事な一枚を忘れていた。

サドメルオーケストラが、リーダーの一人サド・ジョーンズがバンドを去って残されたメルルイスが、色々苦労はあったがバンドが生まれ育ったビレッジバンガードでの演奏を続け、
今のバンガードジャズオーケストラに引き継いだのはご承知の通り。メルルイスの踏ん張り、そしてそれを支えたメンバー達の努力があければ、今のVJOは無かったということだ。

サド・ジョーンズが抜けたといという意味は、単にリーダーが抜けたという以上に影響が大きかった。というのも、サドメル時代はレパートリーの大半をサド・ジョーンズのアレンジで構成していた。残されたメルルイスはしばらくサド・ジョーンズの曲を封印した時期もある。当然代わりの曲が必要だが、そこでの救世主は、昔のメンバーでありメルルイスとも昔からの仲間であったボブブルックマイヤーだった。結果的にボブブルックマイヤーのアレンジャーとしての活躍の場ができたという事にもなるが。さらに、メンバーの中から新たなアレンジも多く登場した。中でもピアノのジム・マクニーリーの存在が大きく、サドメルの後継バンドとしてメルルイスオーケストラの位置づけが確固たるものになった。

そのメルルイスが、この世を去ったのが1990年2月。がんと闘いながら死ぬ直前までプレーをしていたようが、亡くなった数日後にはビレッジバンガードの24周年の記念ライブも予定されていたという。サドメルを引き継いで12年が経っていた。メルルイスオーケストラとして最後のアルバムは、1988年の本拠地ビレッジバンガードでのライブ“Soft Light Hot Music”だと思う。

メルルイスが逝ってしまった後、バンドの存続に尽力したのは、ジム・マクニーリーであり、今のリーダー格であるサムモスカ、そしてディックオーツ達である。その残されたメンバー達が、亡くなったメルルイスに追悼の意を込めて作ったアルバムが、このアルバムである。

タイトルは”To You”。
かっての盟友サド・ジョーンズが作編曲したこの曲が、手向けの曲として最後に捧げられている。という経緯の中で演奏されているこのTo Youはメンバー皆の気持ちが籠っているように思う。
サドのアレンジはアップテンポの曲に関しては、サド独自のイントネーションを上手く再現するにはそれなりのテクニックが求められる。一方で、このようなバラード曲は美しいハーモニーと同時に、プレーヤーの情感が籠った演奏が不可欠である。先日、堀恵二のメローサキソフォンアンサンブルで「難しい譜面を間違いなく吹くだけであれば音大の学生なら誰でもできる。その譜面をどう解釈して吹くのかがプロなんだ」といっていたが、まさにそのようなことなのだろう。

“To You”以外の他の曲も、このアルバムでピアノを担当しているケニーワーナーが3曲提供しているが、その内一曲はこのオーケストラに関係が深いボブブルックマイヤーそのものをタイトルにした曲、他にもマクニーリーやテッドナッシュのオリジナル、スタンダードのナイチンゲールはメンバーのエドノイマイスターのアレンジ。そしてブルックマイヤーの作品でサドメルのファーストアルバムにも収められているABCブルースも取り上げている。

このアルバムを本当はアルバム2、3枚にしたかったそうだが、予算の都合でこの一枚に。サドメル時代からの歴史を語るには確かに物足りないが、新旧の作品を持ち寄り皆でメルを悼んで演奏したアルバムとして意味ある一枚。ちょうどメルルイスオーケストラとバンガードジャズオーケストラの狭間で節目となる一枚のアルバムだ。

主の居なくなったバンドというものはなんとなく寂しい演奏になりがちであるが、これはそのようなことはない。立派な後継者がたくさん現れてメルルイスも安心してあの世に旅立てただろう。

早いものでそれから24年経ち、後を継いだバンガードジャズオーケストラのこれらの遺産を大事に引き継きながら元気に活動しているようである。過去の名声と遺産だけで生き残っているオーケストラはいくつもあるが、メンバーやリーダーが代替わりをしてもコンセプトを引き継ぎ進化し続けるオーケストラはめったにない。
「月曜日の夜のビレッジバンガードに皆で集まる」という基本コンセプトはいつまでも続いて欲しいものだ。

1. Paper Spoons              Jim McNeely 9:03
2. 5 1/2 Weeks               Ted Nash 7:07
3. A Nightingale Sang in Berkeley Squar  Eric Maschwitz / Manning Sherwin 8:08
4. Nocturne                Kenny Werner 8:21
5. ABC Blues               Bob Brookmeyer 14:01
6. Bob Brookmeyer             Kenny Werner 10:50
7. To You                 Thad Jones 4:51

The Mel Lewis Jazz Orchestra

Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
Jim Powell  (tp.flh)
Glen Drewes  (tp,flh)
John Mosca  (tb)
Ed Neumeister  (tb)
Earl McIntyre  (btb)
Douglas Purviance  (btb)
Dick Oatts  (as,ss,fl)
Ted Nash  (as,ss,fl)
Ralph Lalama  (ts,cl)
Joe Lovano  (ts.ss.cl)
Gary Smulyan  (bs)
Stephanie Fauber  (french horn)
Kenny Werner  (p)
Dennis Irwin  (b)
Dennis Mackrel  (ds)

Produced by John Snyder
Engineer : Joe Lopes & Jay Newland

Recorded on September 10, 11 &12,1990 at BGM Studios, New York


To You: A Tribute to Mel Lewis
Mel The Lewis Jazz Orchestra
Music Masters Jazz
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今思えば、将来のConcordの進化を予見させるようなアルバムであった・・

2014-05-03 | CONCORD
Come With Me / Tania Maria

何事も区切りが肝心だが、Concordのアルバム紹介もちょうどこれが200枚目(CJ-200)を迎えた。13番が欠番なので、実際には199枚目にはなるが。

記念すべき一枚目が10年前のコンコルドジャズフェスティバルでのジョーパスとハーブエリスのライブアルバム。車のディーラーだったカールジェファーソンが個人の趣味からスタートしたコンコルドレーベルも、足かけ10年で200枚をカタログにリストアップした大レーベルに育っていた。100枚目(CJ-100)が’79年のモントルーでのLA4のライブなので、この頃はリリースのピッチも大分上がってきた。

フュージョンなるものが、ジャズの世界で語られ出したのがちょうど60年代の末から70年代になる頃。ジャズとロックの融合と言われて8ビートのジャズも一般的になったが、10年経つとそのフュージョンの世界もさらに様々な展開をしていた。一方でメインストリームの復権もあり、ウィントンマルサリスなどのように伝統をきちんと伝承するプレーヤーも現れ、一口にジャズといってもそのエッセンスは幅広いジャンルに展開するようになっていった。

記念すべきキリ番200がついたのは、タニアマリアのPicanteレーベルでのアルバム。
コンコルドも従来の路線に加えてPicanteブランドでラテン系のアルバムを加えるようになったが、このアルバムは単にジャズとラテンの融合といったものよりも、さらに進化して時代を先取りした内容のアルバムだったと言ってもいいだろう。

スラップベースのリズムに乗って、打楽器の様にピアノを自在に操り、スキャットを駆使するボーカル。このタニアマリアの音楽は、ジャズとボサノバだけでなく、サルサ、ロック、ファンク・・・、それまでのジャズ、ラテン、ロックがすべて融合したまさにフュージョンの進化形のような演奏だ。それまでのコンコルドサウンドとは似つかない内容であった。

ブラジルというラテンのリズム感を持ち合わせる地に生まれ、ピアノはクラシックからジャズではピーターソンからマッコイターナーまでを学び、歌はアップテンポのスキャットからバラードまで何でもこなす。彼女は、場所やシチュエーションに合わせて「体全体で音楽する」といった演奏スタイルだ。だからこそ、彼女の良い演奏を聴くには、そのような「場」が必要になるのだが。

フランスに居たタニアマリアに、ニューヨークの定住を勧めたのは、コンコルドとは縁の深いチャーリーバードだったという。そんな縁もあって、コンコルドでアルバムを作るようになったのだと思う。
流石のジェファーソンも、最初のアルバム"Piqunt”のプロデュースを自ら行うのは気が引けたのかラテン系の大番頭ともいえるCal Tajerに任せたが、そのジェイダーも急逝してしまい、前作からは自らプロデュースに乗り出した

この時、オーナーのカールジェファーソンはConcordが今のような大メジャーレーベルに育つとは多分想像もしていなかったと思うが、実はこのアルバムを作ったことがその後の躍進のきっかけになったような気がしてならない。

マリアのアルバムもコンコルドで3枚目になる。前2作に手ごたえを感じたのだろう。移籍以前から人気が出ていただけあって快調な滑り出しであったが、さらに今回はヒットするような要素を織り込んだアルバム作りになっている。コンコルドでは今までヒットアルバム作りなど考えたこともなかっただろう。

結果的にタイトル曲のCome with Meはマリアの代表作の一つになったが、この曲はライブでは会場の盛り上げにも一役買う。バックもベースのジョンペナの加入で躍動感が増した。ぺナは此の頃は駆け出しのスタジオミュージシャンだったらしいが、その後の彼女と行動を共にすることが多く、中堅ベーシストに育っていった。

最初のアルバム“Piquant”ではその迫力にぶっ飛んだが、今回も最初からアップテンポのサングリアからいきなりエンジン全開で飛ばす。かと思うと、2曲目は一転して唯一のスタンダードエンブレイサブルユーではしっとりと。この落差も素晴らしい。どの曲でもバンド全体の多様なリズムと彼女の多彩な表現力に魅了される。
このサウンドは、従来のコンコルドファンではなく、間違いなく新しいファンの獲得に寄与したはずだ。

彼女は今年も来日したが、残念ながらライブには行けなかった。歳を重ねてもステージの迫力は衰えていないようだ。次回の来日時には是非行ってみたいと思う、同年代のおばさんパワーを分けてもらいに。







1. Sangria                3:56
2. Embraceable You (George Gershwin / Ira Gershwin) 5:53
3. Lost in Amazonia             5:12
4. Come with Me              5:45
5. Sementes, Graines and Seeds     6:25
6. Nega                 4:10
7. Euzinha                6:31
8. It's All Over Now           5:19

Composed & Arranged by Tania Maria

Tania Maria (vol,p,ep)
Eddie Duran (g)
Kincohn Goines (eb)
Jose Neto (g)
John Pena (eb)
Portinho (ds,per)
Steve Thornton (per)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, August 1982
Engineer : Phil Edwards

Originally released on Concord CJ-200 (所有盤はCD)



Come With Me
Tania Maria
Concord Records
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