A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

マリガンとホッジスのセッションに呼ばれたメルルイスは・・

2016-03-11 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges

ライオネルハンプトンとジェリーマリガンのアルバムで、ジョニーホッジスに捧げたマリガン作曲のバラードSong For Johnny Hodgesをマリガンは演奏していた。昔から演奏していた曲なので、ひょっとして2人の直接対決のこのアルバムでもやっていたかな?と思って聴き直してみたが、残念ながらこのアルバムには収められていなかった。

このアルバムが録音されたのは1959年11月。ノーマングランツが関与したマリガンのMeetsシリーズの中では最後のアルバムだと思う。ちょうどベンウェブスターとの共演と相前後してのセッションだが、その前のゲッツやデスモンドとのセッションと較べるとどちらも両ベテランとリラックしたプレーが楽しめるアルバムだ。

マリガンがクラリネットの後に最初に吹いたサックスはアルト、ジョニーホッジス、そしてエリントンオーケストラは子供の頃から憧れであったそうだ。1958年のニューポートの舞台ではエリントンオーケストラにゲスト参加できた。そして、いつかはホッジスと一緒にレコーディングしたいと思っていた所に、ノーマングランツから出されたMeetsシリーズでホッジスとの共演企画は、マリガンにとっても大歓迎であった。

その頃、マリガンはハリウッドにいた。というのも、人気のあるマリガンは自分のグループを率いてツアーで飛び回っていたが、一方でこの頃はすっかり映画に嵌っていた。前年にはマリガンの映画音楽で有名な”I Want To Live”を全面的に手掛けていたが、ツアーの無い時はロスを拠点にして、他にもちょくちょく映画の仕事をし、時には自ら出演する事もあった。

この企画が決まると、この企画には余程力が入ったのだろう、相方のジョニーホッジスを早めにロスに呼び寄せて、レコーディン前にセッションを何回が行った。という前準備もあって、本番は呼吸もぴったり、実にスムースに録音も進んだという。別に複雑なアレンジが施されてリ訳ではないが、2人の音色のブレンド感がたまらずいい感じだ。
曲は、それぞれ3曲ずつ2人のオリジナル曲。その点でも、事前のウォーミングアップセッションが生きていると思う。



このセッションのリズムセクションを選んだのはジェリーマリガン。ドラムにはメルルイスを起用した。レギュラーカルテットのドラムはデイブベイリーだったが、目立ちたがり屋のマリガンは、メルルイスの当時のロスでの活躍ぶりを無視できなかったのかも。ベースにはバディークラーク。これもレギュラーメンバーのビルクロウではない。このバディークラークの図太い安定感のあるベースが今回の2人の演奏には良く合う。そして、ピアノのクロードウィリアムソンというも意表をついた器用だが、派手さを抑えたピアノがまたしっくりくる。

メルルイスにとっては、実はこのマリガンとの共演が転機のきっかけになったのかもしれない。

1959年というと、しばらく前までロスで一緒にプレーしていたケントン時代の仲間、そしてマリガンの好敵手であったペッパーアダムスはニューヨークに戻って、こちらはマリガンのかっての盟友チェトベイカーとプレーをしたりドナルドバードとバリバリのハードバップの演奏を繰り広げていた時だ。
一方のマリガンは今回のようにベテラン達とリラックスした演奏と、そのプレースタイル同様、好対照な活動をしていた。

しかし、翌年マリガンが一念発起してニューヨークでコンサートジャズバンドを立上げ本格的に活動を開始すると、メルルイスも何か感じる所があったのだろう。そのバンドに参加するためにロスを去ってニューヨークに戻ることになる。

丁度ウェストコーストジャズも下火になりかけていた時、いいタイミングであったのかもしれない。世の中にタラレバはつきものだは、もしメルルイスがマリガンと出会うことがなければ、ニューヨークに戻ることもなく、その後のサドメルの誕生も無かったかもしれない。

レコーディングされた記録は無いが、短命に終わったマリガンのコンサートジャズバンドの最後にはベイシーオーケストラを辞めたサドジョーンズも加わって2人は一緒に同じ舞台に立っていた。ここでの2人の再会がその後のサドメルの誕生のきっかけになった。
という意味でも、このセッションでマリガンがメルルイスを起用した意義は大きいと思う。

1.  Bunny        Gerry Mulligan 5:47
2.  What's the Rush  Judy Holliday / Gerry Mulligan 3:45
3.  Black Beat             Johnny Hodges 7:28
4.  What It's All About         Johnny Hodges 4:02
5.  18 Carrots (For Rabbit)      Gerry Mulligan 5:16
6.  Shady Side             Johnny Hodges 7:04

Gerry Mulligan (bs)
Johnny Hodges (as)
Claude Williamson (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Ken Drucker
Recorded at United Recorders, Hollywood on November 17, 1959



Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges (Dig)
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Verve
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サドメルのレパートリーを演奏するバンドは世界各地に・・・

2015-12-29 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Tribute / Kjellerbandet Med Tore Johansen

クリスマスイブの新宿サムデイのプログラムは久々にサムデイビッグバンドであった。オーナーの森さんの肝入りで編成されたビッグバンド。しばらく前に再編されたが、最近は出演することが無かったので楽しみにしていた。神田のTNスイングができて毎日ビッグバンドを聴きたいと思えばここに行けば聴けるが、こちらはスイングからベイシーまで。モダンビッグバンドの曲は残念ながらここでは聴けない。

モダンビッグバンドというと自分の一番のお気に入りはサドメルだが、サドメルの曲をタップリ聴く機会はあるようでない。本家のVJOが最近は毎年のように来日しているので、もっぱらこちらを楽しみにするしかない。
サムデイの森さんのお気に入りはサドメルとか。ということもあり、サムデイビッグバンドはサドメルのレパートリーを多く演奏する。という訳でこれも楽しみに出掛けた。

今回からコンマスはアルトの澤田さん。他のメンバーもサムデイではお馴染みの面々のオールスターバンドだ。お馴染みのドントギットサッシーからスタートしたが、ところがPAの具合が悪くせっかくの演奏が台無し。どうなることかと思ったが最初のステージでは結局回復せず。最近は生音でいいバランスで聴かせるところが増えているが、バランスが悪いどころかノイズの塊には参った。
内容は、予告通り1部、2部ともサドメルのレーパートリー中心のプログラムで、こちらは満足であった。最後のアンコールはバリトンサックス黒葛野敦司をフィーチャーしたモーニン、2部ではPAも復旧して盛り上がって無事終わったのは何より。次回を楽しみに待ちたいと思う。

さて、サドメルの曲というと、昔は学生バンドでは必ずと言って位よく演奏されていたが、きっと今でも演奏されていると思う。これは日本だけの事ではなく世界でも同じようだ。それだけサドジョーンズのアレンジがいいということになる。

ノルウェーのビッグバンドにKjellerbandetというバンドがある。ジャズを演奏したいという学生のために77年に設立されたバンドだそうだ、運営のための助成金なども集められたようで、今でも活動をしている。この設立趣旨に沿って今でも若手の活動の場として運営されているようだ。
このバンドが設立30年を迎えた2008年にサドメルトリビュートのアルバムを作った。メンバーは若手(写真を見ると学生かも)だが、ゲストにノルウェーで人気があるトランペットのトレヨハンセンを加えサドメルの曲にチャレンジしたアルバムだ。



編成は通常の編成にギターと(サドメルも最初はギターが入っていた)チューバを加えている。9カ月の練習を経て、お披露目のライブが行われ12曲が演奏されたが、その模様はライブレコーディングされ、その内の9曲がこのCDに収められている。サドメルの曲が大半だが、リーダーのLoのオリジナルも2曲演奏している。

ヨーロッパのビッグバンドというと、オールスターメンバーであったクラーク&ボラーン以外、各地の放送局が運営しているオーケストラが多い。人数が多いと日常の運営費用の問題からレギュラーバンドを組めないのは洋の東西を問わず共通の悩みの様だ。ヨーロッパでは放送局でオーケストラの運営を支援したり、このような若手に活動の場を提供するような活動が行われているのは素晴らしい事だ。反対に日本のお粗末さが浮き彫りになる。
放送局のオーケストラではプロらしい素晴らしい演奏を聴かせてくれるビッグバンドも多いが、このバンドは学生バンドのオールスターズといった感じだ。
この録音のために9カ月も練習を重ねたということなので、それなりの音はしているし、ゲストのヨハンセンも良いソロを聴かせてくれるが、纏まりすぎている感がしないではない。

サムデイビッグバンドのリハーサルは当日の3時間足らずだったそうだ。その割にはいい音がしているのは、各セクションのリード役が素晴らしい結果だろう、流石一流のプロ揃いのバンドだ。当日の演奏は録音していたようだ。もしCDになったら聴いてみたいものだ。きっとこのアルバムのバンドよりはいい演奏をしていたような感じがする。

1. Big Dipper
2. The Groove Merchant
3. Dedication
4. Castell
5. Three and One
6. Ahunk Ahunk
7. And Thad Ain`t Bad
8. Tip Toe
9. Blackboard 

Tore Johansen (tp)
Steinar Missen (as, ss)
Gjerli Heggelund (as)
Eirik Lyngvi (ts)
Hanna Paulsberg (ts)
Svein Tore Werstad (bs)
Eskill Skoglund (tp)
Thomas Johansson (tp)
Kim Eriksen (tp)
May Lene Johansen (tp)
Jan Ommedat (tb)
Arne Suleng (tb)
Eivind Nordland (tb)
Heida Karine Mobek (tuba)
John Homstrom (p)
Torbjern Netland (g)
Trygve Waldemar Fiske (b)
Tollef Estvang (ds)
Kristoffer Lo (leader)

Produced by Kristffer Lo
Recorded by Trisk 1
Recorded live at Dokkhuset, Trondheim on February 21, 2008


Thad Jones Tribute
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メーカー情報なし
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グラミー賞受賞に気分を良くし、昔からの仲間とのびのびと・・・・

2015-12-25 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
I Just Want To Sing / Joe Williams & Friends June 1985

先日カウントベイシーオーケストラのライブが行われたが、今年はベイシーオーケストラが誕生して80周年になるという。ベイシーオーケストラはシナトラなど有名ボーカリストのバックも務めたが、一緒によくツアーにも参加した歌手といえばジョーウィリアムスとなる。
ジョーウィリアムスが初めてカウントベイシーオーケストラに参加したのは1954年、35歳の時であった。それまでもウィリアムスは歌手として活動はしていたが、病気がちであり、劇場のドアマンや化粧品のセールスなどを行いながらの下積み生活をおくっていた。
ベイシーオーケストラに参加したのを機に、ジョーウィリアムスは一躍有名になり、以降専属歌手ともいえる程ベイシーオーケストラとは相性が良く一緒に活動した。残されているアルバムもベイシーと一緒のものが多い。

そのウィリアムスが1984年にDolosレーベルでリーダーアルバム”Nothin' But the Blues”を作った。ベイシーの元を離れ、あるいは誰かとの共演という訳でもなく、ウィリアムス自身が独り立ちしてリーダーとなり得意なブルースを歌ったアルバムだ。
これが1984年に発売されたアルバムの中からグラミー賞の男性ボーカル部門でノミネートされ、目出度くベストアルバムに選ばれる。ウィリアムとしては還暦を過ぎ、70歳に近くなってからの初受賞であったが、やっとソロ歌手として認められたということになる。
このアルバムはベイシーがまだ存命中の1983年に録音されたものだが、グラミーにノミネートされたこと、そして1985年2月のグラミー賞受賞の発表を知ることもなく、ベイシーは1984年4月にこの世を去ってしまう。

グラミー賞の受賞を受け、ウィリアムスは翌年再びアルバムを企画する。この年はウィリアムスにとって歌手生活をはじめて50周年の節目の年であった。実はこの年は、ベイシーオーケストラにとっても50周年。奇しくもベイシーオーケストラとウィリアムスは同じ年に活動を始めたことになる。これも何かの縁かもしれない。

ウィリアムスは、昔から一緒に演奏した仲間と一緒に、世話になったベイシーを悼み新アルバムを作ろうと思った。そのためには普段の仲間だけではなく一緒にベイシーオーケストラで演奏した仲間達にも声を掛けた。その結果、エディーロックジョーデイビス、サドジョーンズなどの旧友達も駆けつけた。サドジョーンズは、ベイシーの死後オーケストラを引き継いだが、生活の拠点はデンマークであった。ちょうどこの時はオフであったが、コペンハーゲンから遠路レコーディングのために駆けつけた。サドジョーンズはベイシーオーケストラで一緒であっただけでなく、自らのオーケストラでもレコーディングを行い、ステージを共にした仲であった。
他のメンバー達も、レギュラーの仕事を休み、他の仕事をキャンセルしてこのセッションに駆けつけた。ウィリアムスの受賞の祝福と、ベイシーの追悼の両方の意味があったからであろう。



ウィリアムスとプロデューサー兼アレンジャーのジェリーピータースは選曲やアレンジにも色々知恵を絞った。
前作がブルース大会であったのに対してここではベイシーナンバーに拘らず色々な曲を歌っているが、アレンジもコテコテのブルースから、バラードやボサノバまで。ソロシンガーとしてウィリアムスの色々な顔を引き出している。これも一緒にお膳立てを手伝った友人達がいたからだろう。

このセッションに駆けつけたサドジョーンズ。この後、秋にはベイシーオーケストラを率いてツアーを行い、日本にも来日して元気な姿を見せてくれた。しかし、その後は病のために満足な活動はできずデンマークに戻ることに。
せっかく日本で企画した新生ベイシーオーケストラのアルバムにも参加できず、ベイシーオーケストラもフランクフォスターに任せることになった。ちゃんと調べてはいないが、もしかしたら、このセッションがサドジョーンズのラストレコーディングかも知れない。

ジョーウィリアムスにとっては、長い歌手生活の集大成とでもいえるアルバムだが、周りの仲間達の人生模様が織り込まれたアルバムとなった。

1. Corner Pocket: Until I Met You       Freddie Green / Don Wolf 3:20
2. After You've Gone          Henry Creamer / Turner Layton 4:50
3. Fat and Forty                     Al Hibbler 5:06
4. War No More                    Joe Williams 3:20
5. It's Not Easy Being White         J.Deering / Bromley 3:30
6. Dimples           James C. Bracken / John Lee Hooker 5:09
7. Young and Foolish        Albert Hague / Arnold B. Horwitt 5:00
8. I Was a Fool                     Johnny Pate 3:40
9. I Got It Bad and That Ain't Good  Duke Ellington / Billy Strayhorn 7:00
10. What a Difference a Day Made Stanley Adams / María Mendez Grever 4:00
11. Sawmill Blues                    W. Wilson 5:40
12. It's Later Than You Think       Johnny Pate / Joe Williams 4:20
13. All the Things You Are    Oscar Hammerstein II / Jerome Kern 4:36

Joe Williaams (vol)
Thad Jones (tp)
Eddie "Lockjaw" Davis (ts)
Benny Golson (ts)
Norman Simmons (p)
John Collins (g)
John Heard (b)
Gerruck King (ds)
Jerry Peters (arr, keyboard)

Produced by Joe Williams, John Levy, Johny Pate
Engineer : John Eargle
Recorded at Ocean Studio A, Los Angels on June 25/30, 1985

I Just Wanna Sing
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Delos Records
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サドジョーンズがいた時代のサドメルの最後のアルバムは・・・

2015-11-09 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Orchestra / The Thad Jones / Mel Lewis Big Band

この所毎年恒例になっているのがVJOの来日コンサートだ。会場はビルボード東京なのでここでは1部、2部の入れ替え制になる。このVJOはステージごとにプログラムが違うので今回は通しで聴いてみた。昨年はボブブルックマイヤーの作品のアルバムが出たばかりで、この作品を目当てに行ってみたが、1部だけでは満足できなかったこともあったので。



自分が行った2日目の1部ではサドメル時代の曲が多く、立ち上げ時のレパートリーであったワンスアラウンドやブルックマイヤーのアレンジによるセントルイスブルースなどが続いた。サドメル時代からのファンにとっては嬉しいプログラムだった。サドメルのレパートリーだけでなく、サドジョーンズが他のプレーヤー(ジミースミスやウェスモンゴメリー)のアルバムに提供したスコアも新たに加わって、益々レパートリーが充実しているようだ。
セカンドステージはメルルイス時代、そしてVJO時代の作品が中心だった。やはりVJOは1日通してどころか3日間通しで全ステージ聴かなければ満足するまで楽しめないのかもしれない。

1966年に誕生したサドメル、そしてそれを引き継いだVJOだが来年で設立50周年を迎える。設立当時のメンバーはエディーダニエルスなど若手メンバーの何人かを除いて、2人のリーダーをはじめてとしてすでに大部分が故人となっている。現在のメンバーの中でサドメル時代を経験したメンバーも数える程だ。

サドジョーンズがメルルイスを残して突然オーケストラを去ったのは1978年、ヨーロッパを巡業している最中であった。その1年前の8月には最後の創立以来のメンバーであった盟友ペッパーアダムスがバンドを去っている。この時、すでにオリジナルメンバーは両リーダーしかいなかった。

退団の理由は、経済的な理由、女性問題、そしてツアーが多くなったオーケストラ事情など色々言われているが真相は明らかではない。日々プレッシャーを受けていると、突然すべてを放り出したくなる衝動に駆られることがあるのは何の仕事でも同じだと思うが・・・・。いずれにしても、長年苦労を共にした友人に突然裏切られたメルルイスとの関係は最後まで修復しなかったようだ。

当時のヨーロッパツアーは毎回数か月に渡る長旅であったが、この年の10月にはベルリンで公演を行っている。ヨーロッパ公演のライブの模様は録音で残されているものが多いが、多分このベルリン公演のライブアルバムがサドジョーンズの加わったサドメルの最後のアルバムだろう。

会場の拍手の雰囲気から大きな会場であることが分かる。サドジョーンズのいつもの調子のMCの様子も収められている。このアルバムでは珍しく、サドメルの中ではクラッシックといわれる設立当時のレパートリーが多く演奏されている。
いずれも聴き慣れた曲だが、マクニーリーのピアノのイントロからローランドハナのそれとは少し違った雰囲気となる。アンサンブルが始まると初期のサドメルの雄々しい感じから、より洗練されたスマートになった印象を受ける。録音が良いせいかもしれない。

メンバーを見ると、今回の来日メンバーであるジムマクニーリー、サムモスカ、そしてダグラス・パーヴァイアンスの名前がある。今のVJOを支えるメンバー達だ。
今回VJOをライブで聴いて、彼らがメンバーであった時代のサドメルのサウンドは今のVJOと基本的に同じだと思う。サドジョーンズがいた時代のサドメルのサウンドを彼らがきちんと引き継いでいることになる。

しかし自分には設立時のサドメルのサウンドとは何かが違うと感じてしまうのだが・・・、果たしてそれは何か?


1. The Second Race
2. Willow Weep For Me
3. ABC Blues
4. 61st And Richard
                                         
Thad Jones (cor)
Larry Moses (tp,flh)
Simo Salminen (tp,flh)
Ron Tooley (tp,flh)
Irvin Stokes (tp,flh)
John Mosca (tb)
Lolly Bienenfeld (tb)
Lee Robertson (tb)
Doug Purviance (btb)
Dick Oatts (as,ss.fl,cl)
Richard Perry (ts,fl)
Steve Coleman (as,fl,cl)
Robert Rockwell (ts,fl)
Charles Davis (bs,bcl,cl)
Jim Mc'Neely (p)
Jasper Lundgaard (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded at Filmtheater Kosmos, Berlin, October 2, 1978
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ベイシーオーケストラのメンバーのアフターアワーズは・・・

2015-07-08 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
After Hours / With Thad Jones / Frank Wess / Kenny Burrell / Mal Waldron / Paul Chambers / Arther Taylor

どんな仕事をやっていても、一杯やりながらの仕事の後の仲間との語らいは楽しいものだ。仕事好きの日本人は、オフの時くらい仕事を忘れて楽しい遊びの話をすればいいのに、何故か話は昼間の仕事の愚痴が多い。現役時代の自分もそうであったのだが、昨今のギリシャのニュースを聞くと、日本人はつくづく仕事好きだと思う。

ジャズの世界では、仕事の終わった後のアフターアワーズは仲間同士の気楽なセッション。ジャズは自由度の高い音楽とはいえグループでの演奏、ビッグバンドでは制約も多い。未燃焼のパワーを発散させるにはアルターアワーズのジャムセッションが不可欠だ。
ジャズの世界でも仕事の後の語らいこそ本音話ができる機会かもしれない。

ベイシーサウンドを生み出すのはベイシーのピアノだけではできない。メンバー一人ひとりのスイング感の集合体がそのサウンドになる訳だが、一番特徴的なのはフレディーグリーンのギターかもしれないが、他のセクションにもベイシーサウンドを生み出す名手は各時代において必ず存在した。

サドジョーンズがベイシーオーケストラに参加したのは1954年、50年代後半のアトミックベイシーといわれた全盛期を10年以上過ごした。エープリルインパリスでのソロが有名だが、その間トランペットセクションのキープレーヤーとして活躍した。プレーだけでなく作編曲も力を入れるようになったが、それらの作品は徐々にベイシーサウンドには合わなくなり、最後はベイシーオーケストラを離れる原因の一つにもなった。

同じ時期サックスセクションを支えたのはフランクフォスター、フランクウェスの両フランクコンビ。フランクウェスはサックスだけでなくフルートでも有名だが、このフルートもベイシーサウンドの特徴のひとつだろう。もう一方のビッグバンドの雄、エリントンオーケストラの特徴がクラリネットであったのと好対照だ。

ベイシーオーケストラに在籍中のこのサドジョーンズとフランクウェスの2人が参加したアフターアワーズセッションがこのアルバム。ケニーバレルとポールチェンバースはサドジョーンズが出身地デトロイト時代のプレー仲間、その意味では同窓会を兼ねたセッションでもあり、より和気藹々としたセッションとなっている。

サドジョーンズのトランペットはハイノートを売りにするというより中音域を活かしたよく歌うフレーズが特徴、モダンというより中間派ともいえるタイプだ。サドメル時代になってからも、演奏する時はフリューゲルホーンでのバラードプレーが得意であった。
フランクウェスのサックスプレーもハードバップというよりホーキンスの流れを汲む良くスイングするプレーだ。

この2人が中心となるセッションは、やはりハードでファンキーなプレーにはならない。ミュートを多用しフルートの出番が多い演奏は、アフターアワーズを寛いだ雰囲気で楽しんでいる様子を感じさせる。曲はすべてマルウォルドロンが提供したもので、スタンダード曲中心のジャムセッションという訳でもない。
プレスティッジレーベルはブローイングセッションが多いが、ベイシーサウンドに貢献した2人のアフターアワーズもなかなかいいものだ。

1. Steamin’
2. Blue Jelly
3. Count One
4. Empty Street

Thad Jones (tp)
Frank Wess (ts,fl)
Mal Waldron (p)
Kenny Burrell (g)
Arthur Taylor (ds)

Supervision by Bob Weinstock
Recorded in Hackensack, NJ, on June 21 1957
Recording Engineer : Rudy Van Gelder

After Hours
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Ojc
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サドメルのシングル盤があるのをご存じですか?

2014-12-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Complete Solid State Recording of the Thad Jones / Mel Lewis Orchestra

12月に入り、寒さが一段と厳しくなったが、このような季節には南国ゴルフということで、仲間と沖縄にゴルフに出かけた。現役時代は此の時期ハワイ合宿をよくしていたが、久々の南国ゴルフ。着いた日には27度と真夏の暑さ、ゴルフはやはり、半袖、短パンと、喜んだのもつかの間。いざプレー日となると一転冷たい雨、そして台風並みの暴風に。翌日は雨が上がったものの、冷え込んで「南国ゴルフ」を満喫という訳に行かなかった。天気にもめげず調子は上々、久々に楽しいゴルフを満喫できた。

10月からビッグバンドの素晴らしいライブが続く、10月にはゴードングッドウィンとヴァンガードジャズオーケストラの東西名門のそろい踏み。11月はボブミンツァーと続き、12月にはマンハッタンジャズオーケストラに、今年2度目のカウントベイシーと続く。日本のバンドも負けじとライブは数多く行われている。
予定が合わずになかなかすべては行けてはいないが、中で良かったのが、
Mika Brasil Big Band。ラテン物はこれまであまり聴く機会が無かったが、自分にとっては新たな世界が広がった。

小林正弘One Night Jazz Orchestraはサミーネスティコの特集。昨年のクインシージョーンズの来日時は、クインシーのビッグバンドを演じていたが、今回はネスティコ。昔のベイシー物を期待してきたファンもいたようだが、新しいものも含めてこれも楽しめた。

有名アレンジャー物の手掛けた作品の演奏をいつも楽しませてくれるのが辰巳哲也ビッグバンドだが、今回はフィンランドのエーロコイヴィストイネン。UMOオーケストラの創始者の一人という事だが、昔サドジョーンズが加わったアルバムしか聴いた事が無かった。確かにメンバーの一人として参加していたが、それ以外はアレンジもプレーも聴いた事が無かった。興味津々で出掛けてみたが、これがまた素晴らしかった。コルトレーンの世界をフリーではなく綺麗にビッグバンドに仕上げるとこうなるのかという感じで聴き応えがあった。なかなか聴けない物を提供してくれる辰巳さんの努力には頭が下がる。

当日の演奏はこちらで。↓



スイング時代はビッグバンドが主役。ビッグバンド物のヒット曲が当たり前であったが、モダンジャズの時代になってジャズはヒット曲とは無縁の存在に。シングル盤はヒット曲の代名詞のようなもので、POPSの世界ではアルバムからシングル盤が生まれ、シングルヒットをきっかけにアルバム作りが行われることが多い。

しかし、ジャズのシングル盤というのはあまり聞かない。リーモーガンのヒット曲「サイドワインダー」はアルバムから後にシングルカットされたというが、これはジュークボックスにかけるにはシングル盤が必要だったからという。我々世代は、ヒット曲というとラジオというイメージがあるが、昔のアメリカではヒット曲とジュークボックスも不可分であったようだ。

その中で、あのサドメルのオーケストラもオリジナルのシングル盤を一枚だけ作っている。彼らのアルバムは大体紹介しつくしたかと思ったら、このシングル盤が残っていた。といっても、その実物は見た事も、聴いた事もないのだが・・・・。

1967年サドメルのオーケストラは前年の2月の旗揚げ以来順調に活動を続け、ビレッジバンガードへの毎週月曜日の出演以外にもライブやコンサート出演の機会が徐々に増えていった。となると、忙しいメンバーが多いこのオーケストラにとっては、代役が必須となった。

立ち上げ時から、バリトンのペッパーアダムスの代役はマーヴィンホラディであったが、他にも例えば、ベースのリチャードデイビスに替わってロンカーターが代役を務めることも。サックスの要、アルトのジェロームリチャードソンのサブ(代役)はフィルウッズであった。この二人が収まった写真も残っている。このメンバーでのプレーも聴いてみたいものだが・・・



1月13日リーモーガンのセッションを終えたペッパーアダムスは、24日にA&Rスタジオに招集がかかった。録音と聞いて集まったものの、リーダーから渡された新しい譜面は一枚。3分足らずの短い曲だった。もう一枚は、メンバーのガーネットブラウンが用意したエリントンのソフィストケイテッドレディー。この2曲でシングル盤を作るというセッションであった。

当然、「何故作ったの?」という話になるが、真相はこのようなことだったようだ。

サドメルはソリッドステートというフィルラモンが立ち上げた独立レーベルでデビューしたが、このソリッドステートがメジャーのユナイテッドアーティスト(UA)の傘下に入る。
この(UA)が1966年に公開した「ハワイ」という映画があった。この主題歌がアカデミー賞にノミネートされたという話が伝わってきた。それを聞いたサドジョーンズが、であればこの曲のカバーのビッグバンド版を早い所作ってひと儲けしようということになった。バンド自体も知名度が上がって来たし、これで一気に有名になれるかもと捕らぬ狸の皮算用をしたという訳だ。では、善は急げという事で、賞の発表前に慌ただしく録音セッションがセットされたという次第であった。

この日、トラとしてサックスセクションにはフィルウッズ、トランペットにはマービンスタムが参加していた。
実は、この録音に関して、詳細なパーソネルの記録は残されていなかった。
関係者のヒアリングなどによりこの録音のメンバーに関しては、ペッパーアダムスの年表にも以下のように記されている。

Jan 24: New York: Thad Jones-Mel Lewis Orchestra date for Solid State. For personnel, see 4-6 May 1966; Marvin Stamm replaces Bill Berry, Phil Woods replaces Jerome Richardson, Roland Hanna replaces Hank Jones.

タイトル曲自体は、ゆったりとした特徴の掴みにくい曲だがが、そこはサドジョーンズの筆にかかると見事なアンサンブルに仕上がった。もう一曲の、ガーネットブラウンのアレンジのエリントンナンバーも珍しいアレンジだ。ボサノバ調と4ビートが混ざる、エリントンのオリジナルとは異なる軽快な曲。サックスセクションとトロンボーンセクションのアンサンブルが特徴的だ。短い曲だがペッパーアダムスのバリトンのソロも良い感じである。







予定の2曲が終わったところでもう一曲、ブルックマイヤーのアレンジによるウイローツリーをやることになった。この曲は他にはライブ録音しかないが、これと較べるとリチャードデイビスのソロは無く、サドジョーンズもフリューゲルホーンを使っているなど違いは大きい。フルートリードのクラリネット4本のアンサンブルがスタジオ録音のお蔭で綺麗に聞こえる。

そして、いよいよアカデミー賞の発表の日を迎えるが、「ハワイ」は残念ながら受賞を逃す。予定通りシングルはリリースされたが、何も話題にはならず、幻のシングルとなったようだ。

もちろん、このシングルが再発されることはまずないと思うが、Mosaicのサドメルのソリッドステートコンプリートアルバムにはこの3曲も収められおり、それで聴く事はできる。これには、他のアルバムの未発表曲やCD化されていないアルバムも収められているので、サドメルマニアにはお勧めかもしれない。
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昔のスイングオーケストラの名曲もアレンジが違うと一味違ったものに・・・

2014-10-15 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
New Versions of Down Beat Favorites / Harry James And His Orchestra

ビッグバンドのライブを毎日やるTN Swing Jazzというライブハウスができたことは前にも少し触れたが、先日2度目の訪問をした。

メンバーは前回と大分入れ替わっていたが、その日はリードアルトに澤田さんが入り、トランペットにもベテラン岸さんの顔が。全体のプログラムは前半がスイングナンバー、後半がベイシー主体といった感じで基本的には前回と同じような構成。
メンバーが多少入れ替わっても毎日やっているせいか、多少こなれた感じは受けたが、やはり澤田さんがリードで入るサックスセクションは明らかに前回よりも輝きを増していた。やはりメンバーも大事ということになる。

毎日やっているということは好きな時に行けるので嬉しいが、反対に「メンバーが当日店に行ってみなければ分からないというのが困ったもの」であった。やっと毎日のメンバーがホームページで公開されるようになったので、これでお目当てのプレーヤーが出る日を選べるので一歩前進だ

ところが、「ある種のオールスターメンバーでお馴染みのスタンダードを毎日やるところに足繁く通うか?」というと、これもいささか疑問だ。
野球でも、サッカーでもオールスターというのは年に一回のお祭り、毎日やってもお客が集まらないだろう。
ジャズも同じで、ある種のお祭りであるジャズフェスティバルの舞台でオールスターバンドによるスタンダード曲のジャムセッションを聴くのは楽しい。しかし、これを毎日聴かせるといっても食指が動かないのと同じような気がする。

ということは、今後は毎日のプログラムにも一工夫必要かもしれない。全部でなくともベイシー特集とかエリントン特集とかがあってもいいかもしれない。
しかし、そうするとベイシーを得意とするオーケストラとか、グレンミラーを得意とするオーケストラの方がいいという事になってしまう。実際、今のオールスターメンバーは自分のオーケストラを持っている人も多い。ということは、「特集をやるのであれば自分のバンドの方がいい」という事にもなりかねないし。

うまく軌道に乗せるには多少試行錯誤が必要かもしれないが、とにかくお客さんが増えなければ始まらない。その日も、残念ながら当日も客席はまばら。貸し切りで聴くのも気分がいいが、やはり多くのファンに囲まれた方が演奏にも熱が入るものだ。
今度は、ボーカルもレギュラーで入れるようだが、いずれにしても潜在的には沢山いるはずのビッグバンドファンにまずは一度足を運んで貰うことが先決だろう。せっかくできた毎日ビッグバンドを聴けるライブハウスなので、上手く運営されることを期待する。

さて、このような30年代から40年代にかけてのスイングバンドのヒット曲を集めたアルバムというのはこれまでもいくつも作られている。単に昔を懐かしんでというレベルもあれば、新たな解釈を加えた新アレンジのものまで。デビットマシューズのビッグバンドなどは毎回意表をついたアレンジで楽しませてくれる

あのデュークエリントンも、「果たしてビッグバンド時代は再来するか?」というタイトルでアルバムを作ったことがある。懐かしいメロディーをうまくエリントンサウンドに料理されたアルバムだったと思う。
実は、このアルバムは自分が初めて買ったビッグバンドのレコード。何度も聴いたが、このアルバムがきっかけでビッグバンドに興味を持ったといっていいだろう。ということは、最初はベイシー派ではなく、エリントン派だったということになるが。

このアルバムはエリントンのオーケストラがシナトラのレーベルであるリプリーズに移籍した62年に録音された物。実は、この続編ともいえるアルバムも作られたが、これはオーナー(シナトラ?)がお気に召さずにお蔵入り、それどころか他のレーベルに売りに出され、後日Atlanticから出されることになった。

同じように、スイング時代の大物の一人、ハリージェイムスのビッグバンドも同じような企画のアルバムを作ったことがある。
ビッグバンドの仕事がだんだんなくなってきたのは、大物ミュージシャンが率いるビッグバンドともいえども例外ではなく、このハリージェイムス同じであった。ウディーハーマン同様何度か挫折はあったが、亡くなるまでビッグバンドに拘った一人だ。
そんなジェイムスが自分が育った1930年代~40年代の先輩や同僚達のヒット曲を演奏した一枚だ。

1964年、東京オリンピックの年、この年もジェイムスは充実した一年を過ごした。
このハリージェイムスのビッグバンドが来日したのがこの年、エリントンやマイルスを筆頭に大物ジャズミュージシャンが大挙訪れた年だ。
TBSのテレビにも出演し映像が残されている。映像にもあるように、この時のメンバーの目玉はドラムのバディーリッチ、他には特に目立った大物ミュージシャンはいなかったが、バンド全体でスインギーな演奏が繰り広げられた。

帰国したジェイムは全米のツアーを続ける。この年、ジェイムスは自分のバンドを立ち上げてリーダー生活25周年を迎えていた。その年、ニューヨークでは世界博が開かれたが、それの開幕に合わせるようにカーネギーホールでのコンサートが仕上げとなった。ハリージェイムスにとっては、25年前ベニーグッドマンのオーケストラのトランペットセクションから独立スタートした思い出の地でもあった。

そんな活動をした年に作られたのがこのアルバムである。録音が3月なので、一連の活動に先立ち日本に来る直前の録音になる。したがって、メンバーは来日メンバーとほぼ同じになる。
タイトルは「ダウンビートお気に入りのニューバージョン」となっているが、要は1935年~1945年のスイングジャズ時代のヒット曲を新しいバージョンでお届けするという内容だ。

曲の方はお馴染みの曲ばかりでオリジナルのメロディーはアレンジを含めてすぐに思い浮かぶが、単なる焼き直しではなく、これらのニューバージョンというとやはりアレンジの巧拙がものをいう。

では、このアレンジが誰かというとサドジョーンズである。クレジットは無かったが、ライナーノーツの文中にさりげなく書かれている。

時期は、丁度カウントベイシーのオーケストラを辞めて、サドメルのオーケストラを立ち上げる間のフリーであった時のアレンジになる。
カウントベイシーのオーケストラではプレーヤーのみならずアレンジャーとしても活躍したが、提供した多くのアレンジがベイシーオーケストラにそぐわないという理由で採用されなかったという話は有名だ。そのジョーンズがどのようなアレンジを施したかが興味が湧くが、あのサドメルでのアレンジのような斬新さはないが、サドジョーンズらしい細工は随所に感じられる。バディーリッチの活躍もありバンド全体のスイング感は完璧だ。

来日時の演奏のCherokee。バディーリッチのドラムをフィーチャーしているが、このアレンジは、このアルバムのチェロキーと同じもの。

ハリージェイムスのアルバムとしては、あまり脚光を浴びてはいないと思うが、サドジョーンズのアレンジャーとしての軌跡の中では、意味あるアルバムのように思う。

TN Swing Jazzでも、同じ曲の違うアレンジが楽しめるようになればいいのだが。




1. Sentimental Journey
2. Cherokee
3. If I Could Be With You
4. King Porter Stomp
5. Harlem Nocturne
6. Flying Home
7. In The Mood
8. Sophisticated Lady
9. String Of Pearls
10. Frenesi
11. Taxedo Junction
12. One O’Clock Jump

Produced By Jesse Kaya
Recording Engineer : Bill Putnam
Arranged by Thad Jones

Harry James (tp)
Bob Turk, (tp)
Fred Koyen (tp)
Dom Bouno (tp)
Bill Mattison (tp)
Ray Sims (tb)
Joe Cadena (tb)
Jim McQuary (tb)
Joe Riggs (as)
Larry Stoffel (as)
Corky Corcoran (ts)
Dave Madden (ts)
Bob Archilles (bs,cl)
Jack Perciful (p)
Tom Kelly (b)
Buddy Rich (ds)

Recorded on March 9 & 10, 1964
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ベニーゴルソンが参加した「ジャズテット」を最初に名乗ったのは・・・

2014-10-03 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Imagination / The Curtis Fuller Sextet

先日、ベニーゴルソンが昨年に続いて来日して元気な姿を見せてくれた。今回もワンホーンでの演奏であったが、ゴルソンの演奏はそのアレンジ含めてその曲を楽しむには2管、3管の方が馴染むし、そのゴルソンのプレーも生かされるような気がする。けっして一人でゴリゴリ吹きまくるタイプでもないので。

世の中には話が上手い人がいる。その話にはついつい惹き込まれてしまうものだ。しかし、話の中身も面白い内容であるといつまでも覚えているが、中身が無いと話振りだけを思い出すが中身を全然思い出せない時もある。

ジャズを聴いていても同じで、良い曲だとそのメロディーは一度聴いただけで忘れないものだ。それも素晴らしい演奏が伴うとお気に入りの仲間入りをする。一方で演奏スタイルに特徴があると、その時のプレーには感嘆するが、後になって肝心な中身をさっぱり思い出せないこともある。

このベニーゴルソンの曲というのは一度聴いただけで印象に残る曲が多い。コンビを組んだアートファーマーも、一緒に組んだ理由の第一に挙げている。さらに、独特なイントネーションの演奏ぶりも好感がもてる。
そして一人でしゃべり続けるのではなく、他のプレーヤートの会話も上手い。折角の楽しい話題を一人独演会でやるのではなく、皆で盛り上げる場の持たせ方が上手いという事だろう。

そのようなゴルソンというとアートファーマーとのコンビというとジャズテットが有名だ。ジャズテット結成以前にも、1958年のアルバム、”Modern Art”での2人の競演が意気投合した原点のような気がする。

そのゴルソンは翌年1959年にトロンボーンのカーティスフラーとのアルバム。”Blues-Ette”を残す。これも言わずと知れた名盤だ。低音同士のアンサンブルと、2人の角の取れた「丸い音」のソロが実にいい雰囲気だ。だが、演奏がソフトかというとジェリーマリガンとボブブルックマイヤーとのコンビのようなソフト感ではなく、適度な力強さ脂っこさを感じさせてくれる。その辺りがゴルソン節の魅力だろう。

このゴルソンを中心に置くと、アートファーマーとカーティスフラーとの関係はある種の三角関係のようにも思える。アートファーマーとせっかくいい関係ができたのに、1959年はフラーと熱い関係が続く。

サボイにブルースエットを吹き込んだ後続いてゴルソンは続けさまにフラーと2枚のアルバムを作る。フラーがブルースエットの雰囲気が一気に気に入ったのか、ゴルソンを気に入ったのかは定かではないが。ゴルソンがリーダーとなったアルバムにフラーが参加したアルバムもあったので、お互い相思相愛の仲であった。

サボイのアルバムは、よく三部作といわれるアルバムだ。
最初は2人の2管であったが、後の2枚はトランペットを加えた3管編成でサウンドに厚みを出している。一応これらはフラーのアルバムだが、この時ゴルソンがやりたかったのもこの様な編成で、このようなプレーであったのかもしれない。

リーモーガン加えた2枚目のアルバムでは、グループ名に後にアートファーマーとのグループの名前となった「ジャズテット」の名前を使っている。

そして、3枚目がこのアルバムとなる。ここでのトランペットはサドジョーンズに替わる。
1959年といえば、カウントベイシーのオーケストラに加わってバリバリでやっていた時期。先日紹介したマイアミトンボ帰りをしたのもこの年だし、このアルバムが録音された12月には久々に気軽な雰囲気の演奏の”Dance along with Basie” の録音にも参加していた。
このベイシーでの活動の合間を縫ってのこのアルバムへ参加である。

ここでのジョーンズはアレンジャーとしてではなく、プレーヤーとしての参加だ。ベイシーのオーケストラではアレンジにせっせと精を出し、ソロではあまり出番が多いとは言えなかったが、ここでは久々にプレーに専念している。これがフラーとゴルソンのアンサンブルにも実にマッチする。特にBlues De Funkが秀逸。プレイキーのモーニンでは、ゴルソンとリーモーガンのコンビがピッタリだったが、ここではサドジョーンズとのコンビの方に軍配を上げる。



このアルバムはフラーのリーダーアルバムなので、ゴルソンもプレーに徹しているが、3人の会話のペースはゴルソン節だ。

実はこのアルバムを作った頃に、ゴルソンはアートファーマーと再会する。そして、お互い目指している方向が同じであることを確認し、2人でグループを作ることにした。メンバーも2人のグループから選抜し、ピアノはこのアルバムにも参加しているマッコイタイナーが抜擢される。まだ19歳の少年であった。

翌年の2月に2人のジャズテットは初アルバムを作るが、このアルバムには前年にさんざん付き合ったゴルソンの「元の恋人」カーチス・フラーも参加し、フラーが一度掲げた看板「ジャズテット」もファーマー&ゴルソンに譲ることになった。
「話し上手」のゴルソンがファーマーとフラーの二股をかけた訳ではないとは思うが。

1. Kachin           Curtis Fuller 6:57
2. Bang Bang         Charlie Parker 6:11
3. Imagination   Johnny Burke / James Van Heusen 6:50
4. Blues de Funk       Curtis Fuller 9:10
5. Lido Road         Curtis Fuller 8:23

Curtis Fuller (tb)
Benny Golson (ts)
Thad Jones (tp)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b)
Dave Bailey (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 17, 1959




Imagination
Curtis Fuller
Savoy Jazz
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Tradition=昔から伝わる遺産を守るか、Innovation=過去を捨ててさらなる進化をするか・・・

2014-10-01 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Legacy / The Vanguard Jazz Orchestra

伝統と革新をどのように両立させるか? これは何の世界でも同じだが、前に向かおうとすると必ず直面する課題かもしれない。
本来、伝統というものは守らなければならないものだと思うが、伝統とは形に残る遺産だけでなく、それを生み出した生き方、考え方、時には時代背景などすべてが含まれるものだ。

昨今では、昔からやり続けていることを単に「マンネリ」と見下し、前に進むための革新には邪魔なものと見なしがちである。敢えて過去を捨て去ることで新たなステージを迎えることができると勘違いすることも多くある。

特にIT化という大きな時代の流れの中では、アナログは真っ先に捨てなければならないものとなった。しかし、IT化というものはあくまでも手段。目的を持たないIT化は残念ながら形だけのものになり、そこには伝統も文化も無く、一番大事な人と人との繋がりを機能的に便利にする反面、かえって心の通い合う付き合いを希薄にしてしまったように思う。

サドジョーンズは、多くの名曲、名アレンジ、名演、そして名ビッグバンドを残した。
それらの貢献を称えての「Tributeアルバム」は沢山あるが、ビッグバンドはやはりサドメルオーケストラへのトリビュートになる。先日紹介したMonday Night Big Bandはその一枚であるが、このアルバムは本家ヴァンガードジャズオーケストラによる始祖の一人サドジョーンズへのトリビュートアルバムになる。

サドジョーンズがサドメルのオーケストラを去ったのが1978年。残されたメルルイスは旧メンバーであったボブブルックマイヤーを音楽監督に迎え、一時サドジョーンズの曲を封印した。
しかし、後にそれも解消しメルルイスオーケストラもサドジョーンズの曲とアレンジの「deffinitive」決定版として2枚のアルバムを残して、サドジョーンズの遺産は復活した。

メルルイスが1990年に亡くなった後も、残されたメンバー達でオーケストラは存続された。
サドメルの本拠地であったヴィレッジバンガードの名前をオーケストラの名前に冠し、サドメルオーケストラ、そしてメルルイスが残した多くの遺産を引き継ぐことになった。
このオーケストラも、伝統と革新の2つの課題に直面する。

このアルバムタイトルは、「サドジョーンズの遺産」、当然「伝統」が優先する。本家としてどこまで伝統が引き継がれているかが聴きどころになる。
結果は、初期のサドジョーンズのアレンジを見事に再演している。ライブでは無くスタジオできっちり収録されたものであり、演奏しているメンバーも長年演奏し続けているだけあって、まずは「本家」の演奏としてそつなくこなされている。

「Quiet Lady」、オリジナルではペッパーアダムスとローランドハナ、サドジョーンズのソロであったが、ここではスマリヤン、マクニーリー、ウェンホルトで再現している。



そして、このアルバムが生まれるには一つの大事な背景があった。

サドジョーンズの功績をジャズの歴史の中で後世にきちんと伝えるためのプロジェクト”The Thad Jones Legacy Project”がスタートし、その活動の一環としてこのアルバムも制作されたと記されている。単に昔を懐かしんだナツメロアルバムではないということだ。

この活動には後日談があり、このプロジェクトはサドジョーンズが残したビッグバンド用のオリジナル譜面の完全保存版の収集(作成)も手掛けた。もちろん、それにはヴァンガードジャズオーケストラに残されたセロテープで継ぎ接ぎだらけになった譜面も対象となった。手直しが加えられたものも多くあり、別に市販の譜面として別に世に出た中には間違いもあったり、すべて内容の確認が必要であり全体の整合性のチェックなども行われた。更には、一部の譜面が紛失してお蔵入りになったり、レコーディングに使われたがその後一回も演奏されたことが無い曲もあった。サドメルとかって共演したオルガンのローダスコットの元まで譜面探しは徹底されたそうだ。

最終的にはミュージシャンによる最終確認も必要であり、この作業を実際に行ったのはサムモスカ以下のオーケストラの面々、彼等が中心となって多くのそれをサポートするスタッフも参加して実施された。
そして、その作業が完了したのはこの録音から4年後の2003年。それを記念して、新たな譜面でのライブが本拠地のヴィレッジバンガードで行われたとの記事も残されている。

2009年にこのVJOが来日した時、4日間8ステージをすべて違う曲で演奏するというプログラムが組まれた。これが実現されたのも、過去からの遺産をきちんと守るこのような地道な努力があったからだろう。

しかし、サドジョーンズが作ったオーケストラの原点は単に曲やアレンだけではない。
ツアーをしない週一回の定期的なライブ演奏、黒人・白人がほぼ半々のメンバー構成、エリントンのように作曲家&アレンジャーのバンドでもなく、ベイシーのようなソロイスト中心のバンドでもなく両方の特徴を持ち合わせ、アンサンブル主体かと思うと自由度の高いソロパートも存分に設け、今までのオーケストラに無い斬新な切り口が数多く取り入れられた。それらがサドメルの原点であり守られるべき伝統の一つだと思う。

このようなサドメルの特徴は色々な所で述べられているが、アルバムのライナーノーツを読むと、もうひとつ面白い表現があった。
1930年のチックウェブオーケストラ以来、初めて「家で寛いでいる聴衆と一緒にいる感じで演奏するオーケストラ」と。そして「聴衆だけでなく演奏しているプレーヤー自身も演奏することが楽しみなメンバーで編成されている」と。初めて来日した時の評論家の油井正一氏の感想も全く同じ事を言おうとしたのであろう

まさに、初期のサドメルオーケストラの聴衆と演奏者が一体なったライブの楽しさを上手く表現している。実は、これもサドメルオーケストラの守るべき大事な伝統の一つでもある。
ヴァンガードオーケストラは最近毎年のように来日し、そのライブを聴きに行くが、会場となるビルボードの構造なのか、残念ながらそのような雰囲気にはなかなかならない。
本拠地であるヴィレッジバンガードでの演奏を聴く機会は残念ながらまだ無いが、きっとアットホームな演奏を聴く事ができるのだろう。

これらの伝統を踏まえれば何もサドジョーンズの曲ばかりを演奏することだけが伝統を守ることではない。2003年の譜面のRestore記念のライブでも、サドジョーンズの曲に合わせて、ジムマクニーリーやスライドハンプトンの曲も演奏され、TraditionとInnovationというVJOの2つの使命を果たしていると記されている。

今後もサドジョーンズの想いを引き継いで、新たな領域にどんどんチャレンジして欲しいものだ。今年の来日公演では、ボブブルックマイヤーの遺作を聴かせてくれそうなので、これも楽しみだ。



1. A-That's Freedom             Hank Jones 7:21
2. Once Around               Thad Jones 5:53
3. Quiet Lad                 Thad Jones 7:30
4. Central Park North             Thad Jones 8:30
5. Yours and Min                Thad Jones 3:54
6. Fingers                  Thad Jones 14:38
7. Groove Merchant           Jerome Richardson 8:36
8. All My Yesterdays              Thad Jones 4:10
9. My Centennial                Thad Jones 7:33

The Vanguard Jazz Orchestra

Scott Wendholt (tp,flh)
Glenn Drewes  (tp,flh)
Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
John Mosca (tb)
Jason Jackson (tb)
Ed Neumeister (tb)
Douglas Purviance (btb)
Billy Drewes (as,ss,fl,cl)
Ralph Lalama (ts,cl,fl)
Dick Oatts (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl)
Gary Smulyan (bs)
Jim McNeely (p)
Dennis Irwin (b)
John Riley (ds)

Produced by Thomas Bellino, Douglas Purviance
Engineer : Stuart Allyn
Recorded at Edison Recording Studio on May 1 & 2 1999



Thad Jones Legacy
The Vanguard Jazz Orchestra
New World
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分家も本家に負けずに元祖サドメル・トリビュートを・・・

2014-09-14 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thanks To Thad / Monday Night Big Band Plays The Music Of The Thad Jones

有名な和菓子屋には、代々引き継がれている老舗の伝統の味や技がある。時流に乗って新しい商品開発をしても、そこの伝統的な名品を上回る新商品を生み出すのはなかなか難しい。
代が替わって、全く新しい領域にチャレンジすることもあるが、それがその店にとって吉とでるか凶とでるかは運と実力次第。仮に上手く行ったとしても、先代からの教えは守らねばならないことが多い。

老舗のバンドもある種似た所がある。先日来日したPreservation Hall Jazz Bandはこれまで伝統商品しか扱ってこなかったが、新しい領域にチャレンジ。悪くはないが新しさを求めるばかりに気を取られ、昔からの伝統の味付けだけは忘れないでほしいものだ。

ビッグバンドの世界もある種同じようなものだと思う。
今年もカウントベイシーオーケストラが来週来日する。ベイシー御大が亡くなってから、リーダーは何度も変わったが、昔のベイシーオーケストラの味を守り通している。今回もきっと本家ベイシーサウンドを堪能させてくれるであろう。エリントンオーケストラも然りである。

サドジョーンズ&メルルイスジャズオーケストラが生まれたのは1966年。そして、サドジョーンズがバンドを去った1978年で双頭バンドは12年間の活動の幕を閉じた。
残されたメルルイスはバンドを引き継いだが、それはメルルイスのオーケストラであった。一時は、サドジョーンズの譜面も封印したということは、一時全く別のオーケストラになったといってもいい。その後、譜面は解禁され、現在のバンガードジャズオーケストラに繋がる。
新装開店して一度メニューから外れた商品を、「昔懐かしいメニューが復活しています」といっているようだ。確かに、それなりの味はするが何か先代の作った物とは違うといった感じがしない訳ではない。特に、先代の味付けを実際に味わったことのある者にとっては。
という点で、サドメルのオーケストラはサドジョーンズが去った時点で幕を閉じたと言ってもいいだろう。

メルルイスの元を去ったサドジョーンズは、その後ヨーロッパに渡り「エクリプス」というビッグバンドを立ち上げる。サドメルのある部分は、メルルイスオーケストラに残されたが、実はサドメルの多くはそのままこのエクリプスに引き継がれた。
というのも、サドメルのオーケストラの中核を占めた、曲、アレンジ、そして指揮といったものはすべてといって程、サドジョーンズ自身によって提供されていた。その本人がバンドを替われば、そのままサドジョーンズに付いていくと見る方が自然だろう。

サドジョーンズは、コペンハーゲンを拠点として活動し、エクリプスや地元のバンドにも曲やアレンジを提供したが、実は、これらがサドジョーンズオーケストラの2代目という事になる。結局、メルルイスとは袂を分かって2つのバンドに分かれたことになる。

しかし、サドジョーンズ本人は1984年の暮れに再びアメリカに戻り、今度は古巣のカウントベイシーオーケストラのリーダーとなる。流石にベイシーバンドは看板を掛け替える訳にはいかず、サドジョーンズオーケストラはヨーロッパに置き去りにされた。
さらに、サドジョーンズ自身は直後に病気が悪化し1986年には再びヨーロッパに戻り、コペンハーゲンでこの世を去ってしまう。再びサドジョーンズオーケストラが生まれることは無かった。

ヨーロッパで作ったエクリプスというオーケストラは、アルバムも残されている。デンマークに活動拠点を置いていたが、ヨーロッパ各地のミュージシャンが集まっていて活動はヨーロッパ全体に広がっていた。

メンバーの一人にスウェーデンのテナーサックス奏者のJorgen Nilssonがいた。コペンハーゲンとは海峡を挟んで反対側のスウェーデンのMalmoから、ホバークラフト通勤でコペンハーゲンに渡り、エクリプスに参加していた。
そのNilssonがジョーンズの死後、1988年に今度は自分自身の地元スウェーデンのMalmo(マルメ)でサドジョーンズの意を引き継いだビッグバンドThe Monday Night Bigbandを立ち上げる。

このプロジェクトはとにかく継続的に演奏を続けることを目標に、そして元祖サドメルオーケストラを見習って毎週月曜日にライブを行う事になった。
首都のストックホルムならまだしも、このマルメは人口20万程度の一地方都市、果たしてどこまで続くかと思われたのだが・・・。

その後、対岸のコペンハーデンとの間を繋ぐ橋やトンネルができたことも幸いしたのだろう、人の行き来も増加し人口も増加し、街は活況を呈した。

その結果、どこまで続くか分からなかった「月曜日の夜のプロジェクト」も、10年間で430回のライブを開くまで徐々に人気が出て、地元だけでなく、ヨーロッパ中でコンサートを開き、テレビやラジオにも出演するほどまでになった。

まさに、バンガードオーケストラがしっかり本家を守っている一方で、分家もちゃんと独立していたという事になる。
となると、最後はやはり本家への挨拶と報告。1996年4月29日にヴィレッジヴァンガードの創設者マックスゴードンの未亡人のロレインゴードンからの招きもあり、バンドメンバー揃ってニューヨークのヴィレッジヴァンガードを訪れ、無事に、分家の演奏を本家の本拠地で行う事が出来た。

これで一区切りということもあったのだろう。その年の暮れにはサドジョーンズに捧げるこのアルバムが制作された。ジャケット写真もサドジョーンズの顔写真を使用し、トリビュートアルバムではあるが、本家のオーソライズを受けた公式版となった。

全編サドジョーンズゆかりの曲、歌物を含め、サドジョーンズの作曲、アレンジだが、中に2曲、初めてアルバムになったこのアルバムでしか聴けない曲がある。
ひとつは、組曲の3部作”Return Journey”。サドジョーンズがエクリプスのために作った曲で、これまで演奏は数多く行わたれたが、レコーディングの機会が無かった。5/4拍子のRitualが実に印象的だ。
そして、もう一曲は”Mean What You Say”。
これは、サドメルの初アルバムも入っている古い曲だが、実はこのアルバムのアレンジはVer2。
サドジョーンズは筆も早く、譜面の手直しも良く行ったと聞いた事がある。一方で、譜面の管理も悪かったと。したがって、今残されている譜面も本当のオリジナルかどうかは興味があるところだが、このVer,2はちょっとした手直しではなく、1980年に全面的に書き直された物だそうだ。
良く演奏はされていたそうだが、これもそれまでレコーディングされた事がなく、今回が初アルバム登場となった。きっと実際に演奏する方が聴けばすぐに分かるとは思うのだが、口ではなかなか説明できない。

サドジョーンズの曲を演奏するバンドは多い、しかし多くの場合アルバムやコンサートのプログラムの中の一部だけ。ビッグバンドの場合でも、アレンジを微妙に変える事が多い。
サドジョーンズのアレンジを引き継ぎ、これだけの演奏回数をこなしているバンドは他には無い。分家と言えども本家に負けない立派な跡継ぎに育っていた。

1. Crackdown          Thad Jones 7:17
2. Evil Man Blues 4:06
3. Return Journey       Thad Jones
Pt. 1: Return Journey 4:47
   Pt. 2: Ritual 8:33
  Pt. 3: Rejoice 4:49
4. Quietude       Thad Jones 5:33
5. Hallelujah, I Love Her So   Ray Charles 3:07
8. The Second Race       Thad Jones 5:29
9. Evol Deklaw Ni      Thad Jones 10:41
10. Mean What You Say     Thad Jones 9:52
11. Back Bone         Thad Jones 6:22

Monday Night Big Band

Anders Gustavsson (tp)
Fredrik Davidsson (tp)
Niklas Fredin (tp,vol)
John Perry (tp,vol)
Ola Åkerman (tb)
Peter Dahlgren (tb)
Ola Nordqvist (tb)
Bjrn Hängsel (btb)
Hakan Caesar (as,ss)
Ulf Halmström (as)
Karl-Martin Almqvist (ts)
Fredrik Carlquist (ts)
Ulf Fagerberg (bs)

Kriste Palmqvist (g)
Jan Lundgren (p)
Jan Karlsson (b)
Rasmus Kihberg (ds)
Ola Bothzen (per)

Jorgen Nilsson Conductor, Leader
Peter Schmidlin Executive Producer
Recording Engineer : Hans Larsson





THANKS TO THAD-PLAYS THE MUSIC OF T
クリエーター情報なし
TCB
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家のゴミと思った中にも宝物が・・・

2014-08-20 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
One More Time / Terry Gibbs’s Dream Band Vol.6


歴史を語る時に古文書の存在が大きい。歴史小説を読んでも、あるいは今流行りの官兵衛をみても、よく元になる史実が詳細に残っているものだと感心する。このような古文書はどこかに保管されていたのだろう。今でこそ博物館にあっても、それがあったのは寺や神社だけでなく、一般の家庭に先祖代々引き継がれているものの中から見つかることも多い。

一昨年親を亡くして家の整理もまだ終わっていないが、確かに思い出のある物も多く、中には家の歴史になるものもあるので簡単には捨てられない。
一方で、いま時代の価値観は「断捨離」。親や先祖のものだけではなく、自分自身の身の回りも何も無い方がスマートな暮らし方のようだ。確かに、その日を楽しく快適に過ごすだけであれば、それは理想だろう。しかし、それならば何も家を持たずにホテル暮しをすればいいのにと思ってしまう。
この「断捨離文化」が本来残さなければならない歴史と文化も捨て去ってしまっているように思えてならない。もう一回世代替わりをすると、歴史を持たない民族が生まれる。恐ろしいことだ。

こんなことを考えると、自分はどうもゴミ屋敷にならない程度に物に囲まれた生活が合っているようだ。これはどうやら一生変わることが無さそうなので、家の大整理は息子に引き継ぐことになるかもしれない。

ところが、天変地異が起こるとそうそう悠長な事は言っていられない。今日も大きな災害があったが、津波や火災で全てを失えば諦めもつくが、引越しをしなければならないとか、家を修理しなければならない事態に陥ると最小限の整理は必要になる。自分は、引越は何度もやったが結局一度も開けずのダンボールが行き来することも。

1994年1月17日(これも117だ)ロスアンジェルスで大地震が起こった。これで被害を受けたのはかなり広範囲に及んだそうだ。ロスといえばジャズプレーヤーも多く住んでいる所、被害を受けたミュージシャンも何人もいたと思うが、その一人がヴァイブ奏者のテリーギブスであった。
自宅が大きな被害を受け、修理のために荷物をすべて一旦家の外に出さなくてはならなくなった。8ヶ月後にすべての物を元の位置に戻したつもりになっていたのだが・・・。
2001年8月になって、クローゼットの中に見知らぬダンボールを発見。中身を改めると、何と録音済のオープンリールのテープが25箱。本人もすっかり存在を忘れていた30年以上前の録音の数々だった。

どこの家にも何かこのような宝物が出てくる可能性があるので、簡単に物を捨てられないということになる。

早速、聴いてみると何とそれらは、ギブスが華々しくドリームバンドを率いていた頃のライブの録音がザクザク。録音状態も非常に良く、それらの演奏がCD時代になってから陽の目を見ることになった。
それがこのアルバムだ。それまでも、自分が残した録音からアルバムを出してきたが、さらに新たなソースを発見したということになった。

新たな未発表録音やプライベート録音が続々見つかって世にはでてくるので、物珍しさから興味を惹くが、名盤、名演というのにはなかなか当たらない。まあ宝探しの楽しみと思えば、好きなミュージシャンの思わぬ発掘品も見つかるものだ。

このギブスのドリームバンドの中身はいうと、当時の西海岸在住のオールスターバンド。
ウェストコーストジャズが下火になった中、地元でホットな演奏を繰り広げていたバンドの一つだ。
そのライブ録音となると少しは興味が沸く。ファンの歓迎を受けて、2枚目、3枚目・・と続いていたが、これが2002年になってVol.6となってリリースされた。

このアルバムには1959年3月と11月の2つのセットが収められ、メンバーも若干入れ替わっているがどちらもスインギーなプレー。またトップミュージシャンを起用に若手アレンジャーのスコアが提供されている。同じジャンプナンバーでも、同じヴァイブをリーダーとしたハンプトンのバンドと較べるとはるかに中身があるし、スマートな演奏だ。

ラストのジャンピングアットザウッドサイドではテナーバトルが素晴らしい。その後、アレンジャーとして活動がメインになったビルホルマンのホットなプレーが聴ける。
盛り上がったところで、ギブスの2本指のピアノプレーも。

おまけに、先日メイナードファーガソンで紹介したアイリーンクラールのボーカルが3曲。どうやら客席にいたのを引っ張り出しての飛び入り参加らしく、スコアが用意されていなかったようだ。
そこは、プロの集まり、彼女が曲とキーを言うとピアノがさりげなくイントロを務めると、ベースとドラムが加わる。様子を見ていたギブスも2コーラスから参加、最後はバンド全体で即興のアンサンブルも。ライブの楽しいところだ。


このアルバムをリリースするにあたって、テリーギブスはドリームバンドに貢献した特に3人にこのアルバムを捧げたいと言っている。

一人は盟友コンテカンドリ。素晴らしいトランペットプレーヤーであるだけでなく、無二の親友で兄弟のような関係。いつも一緒にいてくれただけでなく、素晴らしいプレーを随所で聴かせてくれる。
素晴らしいリーダーには優れた女房役が必要。ギブスにとってはカンドリがその役割であったようだ。

そして次がメルルイス。
バディリッチとは対局を為すドラミングだが、2人はバンドをスイングさせる名手だと褒め上げている。ギブスはメルを”The Tailor”と呼んでいた。スインギーな演奏のタイムキーピング役だけでなく、ソロやアンサンブルを実にうまく縫い合わせていってくれる、ドリームバンドに不可欠な存在であった。

西海岸で活躍していたメルルイスが、東海岸に活動拠点を移したのはジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに加わったのがきっかけという。この59年から60年にかけてメルルイスが参加したアルバムは非常に多い。どうやら、この辺りが西海岸での最後のプレーになってくる。
メルルイスにとって、ビッグバンドのドラミングはケントンで鍛えられたと思っていたが、サドメルのドラミングの原点はこのドリームバンドの演奏にあるのかもしれない。

最後に、この素晴らしい録音をしてくれたWally Heider.。
やけにいい音だと思ったらやはりハイダーであった。ギブスが言うように、40年後に「昨日録った録音」といってもいい程のクオリティーだ。さすが、ライブレコーディングの魔術師。このアルバムの価値を高めるのに一役かっている。

このテリーギブスが亡くなったという話はまだ聞いていない。流石に現役は退いたとは思うが・・・。
晩年になって、ファンから「ドリームバンドはまたレコーディングしないのか?」という問いかけは良く出るが、返事はいつも「やらない」であった。

ギブスにとっては、59年から61年にかけてのこのバンドが「ドリームバンド」。まさに、この録音そのものが。
メンバーの何人かは残っていても、このメンバーでなくては駄目だということのようだ。ベニーグッドマンのバンドといえば、ジーンクルーパ、テディウィルソン、そしてハンプトンがいなければダメなのと同じようにと例えている。ライブはやっても、それはメモリアルドリームバンドなのだろう。

確かに、これまでの人生を振り返ると、誰もが自分にとってドリームチームといえるメンバーとやった仕事(遊び)は一生忘れることができないものだ。これがその人にとっての宝物だ。



1. The Fuz                    Al Cohn 4:20
2. The Subtle Sermon              Sy Johnson 9:13
3. Opus On Sid                 Garris / Sy Oliver 9:03
4. Smoke Gets in Your Eye       Otto Harbach / Jerome Kern 3:26
5. Slittin' Sam (The Shaychet Man)            Al Epstein 3:18
6. Prelude to a Kis   Duke Ellington / Irving Gordon / Irving Mills 2:58
7. Flying Home   Benny Goodman / Lionel Hampton / Sydney Robin 11:27
8. I Remember You      Johnny Mercer / Victor Schertzinger 2:41
9. The Fat Man T                  erry Gibbs 7:16
10. Just Plain Meyer              Bob Brookmeyer 4:01
11. Sometimes I'm Happy  Clifford Grey / Leo Robin / Vincent Youmans 3:07
12. Moonlight in Vermont     John Blackburn / Karl Suessdorf 3:12
13. Lover, Come Back to Me Oscar Hammerstein II / Sigmund Romberg 2:07
14. Jumpin' at the Woodside              Count Basie 10:53

Terry Gibbs Producer, Vibraphone

#1,3,4,8,10,and 14

Al Porcino (tp)
Conte Candoli (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)

Bob Enevoldsen (tb)
Vern Friley (tb)
Joe Cadena (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Med Flory (ts,arr)
Bill Holman (ts)
Jack Schwartz (bs)

Pete Jolly (p)
Max Bennett (b)
Mel Lewis (ds)

# 2,5,7,8,9,11,12,and 13

Conte Candoli (tp)
Stu Williamson (tp)
John Audino (tp)
Lee Katzman (tp)

Bill Smiley (tb)
Bob Burgess (tb)
Vern Friley (tb)

Joe Maini (as,ts)
Charlie Kennedy (as)
Bill Perkins (ts)
Med Flory (ts,arr)
Jack Schwartz (bs)
Benny Aronov (p)
Lou Levy (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Irene Kral (Vocals)

Al Cohn Arranger
Manny Albam Arranger
Bob Brookmeyer Arranger
Wes Hensel Arranger
Sydney Johnson Arranger
Marty Paich Arranger

Wally Heider Engineer

Recorded live at the Seville and Sundown, Hollywood, March & November, 1959


One More Time 6
Terry Gibbs
Contemporary
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バックとのアレンジとソロが映えると歌も自然に・・・

2014-07-28 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Bobby Troup and His Stars of Jazz

前回、ルースプライスのアルバム紹介の中で、テレビのショーに出ていたプライスの映像を一緒に紹介した。この映像はボビートループが司会をやっていたテレビ番組“Stars of Jazz”の一シーンだ。

ボビートループといえば、有名な「ルート66」の作曲家として知られている。トループは多彩な才能の持ち主で、生涯の中で色々な顔を持っている。いわゆるマルチタレントであるが、才能以外にもツキにも恵まれたのだろう。

1964年は外タレの来日ラッシュだった。このトループも来日し、このルート66の自ら演奏する映像があった。



彼が作曲を始めたのは学生時代、すでにその時にヒット曲”Daddy”を書いている。戦争中は海兵隊に属してリクリエーション施設建設の陣頭指揮をとり、部隊のテーマソングも作った。最後はサイパンで終戦を迎えたという。その間に、最初の妻のシンシアと結婚していた。

有名な”Route 66”が生まれたのは、戦後すぐの1946年、彼女と一緒にまさにルート66をドライブしている時に生まれた。クレジットこそされていないが彼女と一緒の共作であったようだ。トループとしては作曲家としても有名だが、ニールヘフティーの作った名曲”Girl Talk”では作詞家としてもクレジットされている。曲作りも両刀使いであった。
この曲で、作曲家としてのトループは一躍有名になったが、ナットキングコールも後に有名なアルバム”After Midnight”で再演し、他にもこの曲をカバーするミュージシャンはジャンルを問わず多い。

さらに60年代に入ってからは、同名のテレビ番組まで登場し、これも大ヒットする。この番組の主題歌はトループの曲が使われているかと思ったら、ネルソンリドルオーケストラの別バージョンであったが。



一方で、トループのミュージシャンとしての活動はピアニストから。時には弾き語りで歌も歌いながらウェストコーストで活躍。自らリーダーアルバムを出す一方で、地元の名だたるクラブに出演しては地元のミュージシャンと親交を深めていった。60年代まで活動を続けたが、プレーヤーとしては商業的に大成しなかった。印税が入るので、生活には困っていなかったようなので演奏は趣味の域でも困らなかったのかもしれない。

そんなある時、将来のワイフとなるジュリーロンドンと出会う。クラブで歌っていた彼女を見て、歌手として何とか彼女を成功させたいという想いで今度はプロデューサー業に。そして生まれたのが彼女のヒット”Cry Me a River”。これで彼女の心を掴んだのか、1959年に2人は結ばれることになる。



その間、多芸なトループ、今後はクイズやバラエティー番組のホスト役でテレビ出演をするようになる。その中で最も有名な番組が”Stars Of Jazz”。1956年にロスアンジェルスのローカル番組でスタートしたが、58年には全国ネット番組に昇格し、毎週有名ミュージシャンのゲストを迎えた番組として続いた。ミュージシャンへのギャラなど色々問題はあったようだが、ちょうどテレビがメディアとしてスタートした時に、ジャズをコンテンツとしてオンエアさせ、世に広める役割に一役かったようだ。
そして、晩年には、自ら俳優としてテレビ番組に出るようになる。いつの時代をみても、順風満帆の人生を過ごしたように思える。

このトループが、テレビ番組“Stars of Jazz”の放送が終わった直後に、卒業記念ともいえるアルバムを作っている。このアルバムでは主役は自分のボーカルであるが、バックの面々が素晴らしい。付き合いがあったウェストコーストの有名ミュージシャンが集合してオールスタービッグバンドを編成している。ドラムにシェリーマンと一緒にメルルイスも。

アレンジャー陣も、ジミーロウルズ、ショーティーロジャースとお馴染みの面々が揃っている。そして、一番素晴らしいのが、一曲ずつ違ったソロプレーヤーをフィーチャーしていること。ソロ自体は短いが、アレンジもソリストを意識したアレンジが施されており一曲一曲が実に念入りに作られている。フォーブラザースを意識してか4人のテナーの揃い踏みとか、ベニーカーターのバラードプレーや、テクニシャンロソリーノのプレーなど聴きどころ満載だ。歌のバックのソロは絶妙な絡みと短めが秘訣かも。

シェリーマンとレッドノーボのバックが絶妙な、Is You Is or Is You Ain't My Baby




ボーカルのバックというのは簡単そうでそうでもなさそうだ。聴いている方でもバックがしっくりくる場合と、何かとってつけたようでただ一緒にやっているだけというのがはっきり分かる。ライブの場合は会場の盛り上がりに左右されることもあると思うが、スタジオ録音となるとやはりアレンジの巧拙が鍵になる。という意味では、格別上手いという部類に入る歌手ではないトループの歌が、実に表情豊かにバリエーション豊富に聴こえるから不思議だ。それに、日頃付き合っている面々との番組卒業記念というシチュエーションでのセッションなので、集合写真とは別に一人ずつ友人達と記念写真をとっているような特別な計らいなのかもしれない。



1. Free and Easy               3:40
2. Sent for You Yesterday           3:10
3. Back in Your Own Back Yard         3:19
4. I'm Thru with Love             4:06
5. Oh! You Crazy Moon             2:57
6. Perdido                   3:39
7. Take Me out to the Ball Game        2:19
8. Is You Is or Is You Ain't My Baby     3:32
9. As Long as I Live              2:18
10. Please Me Kind                3:19
11. Tulip or Turnip              2:42
12. Tip-Toe Thru the Tulips with Me       2:54

Bobby Troup (vol)

Buddy Childer (tp)
Conte Candori (tp)
Pete Candori (tp)
Ollie Mitchell (tp)
Al Porcino (tp)
Shorty Rogers (tp)
Ray Triscari (tp)
Stu Williamson (tp)
Milton Bernhart (tb)
Harry Betts (tb)
Bob Enevoldsen (tb)
John Halliburton (tb)
Dick Nash (tb)
Frank Rosolino (tb)
Kenny Shroyer (tb)
Benny Carter (as)
Bob Cooper (ts)
Chuck Gentry (bs)
Bill Holman (ts)
Paul Horn (ts)
Plas Johnson (ts)
Richie Kamuca (ts)
Bud Shank (as,fl)
Jimmy Rowles (p)
Red Norvo (vib)
Barney Kessel (g)
Monty Budwig (b)
Joe Mondragon (b)
Mel Lewis (ds)
Shelly Manne (ds)

Recorded in Hollywood, California on October 24,November 10,and December 3, 1958


STARS OF JAZZ
Bobby Troup
RCA SPAIN
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ジャケットだけでなく内容もどれをとっても合格点以上。やはり名盤・・・

2014-07-07 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
The Broadway Bit / The Modern Touch of Marty Paich

メルルイスはペッパーアダムスと同じ時期にスタンケントンオーケストラに在籍したが、1956年に一緒にケントンオーケストラを辞めて、2人揃ってロスアンジェルスで活動を始めた。まさにウェストコーストジャズが活況を呈していた時期、様々なバンドに加わって演奏をした。
スタンケントンオーケストラでの経験に加え、このロスでの他流試合の日々は、育ちざかりの2人にとってはその後何でもこなせるオールラウンドプレーヤーになるためには大事な経験だったと思う。
メルルイスの初リーダーアルバムGot’chaには、盟友ペッパーアダムスも加わっていたが、2人にとってまさにこのウェストコーストでの仕事始めといってもよいアルバムであった。

ペッパーアダムスがニューヨークに戻ったのは翌1957年の8月、一年足らずのロスでの生活であったが、この間ロス在住の名だたるミュージシャンの多くとの共演を果たし、レコーディングにも数多く参加した。
一方の、メルルイスはロスでの活動をさらに2年、1960年にジェリーマリガンのコンサートジャズバンドに参加するまで続けた。しっかり西海岸を代表するドラマーとしての地位を獲得し、この間のレコーディングの数は膨大だ。多分、ウェストコーストの第一人者であるシェリーマンのその数を上回るであろう。

メルルイスはスタンケントンでビッグバンドドラマーを務めたせいか、その後も大きな編成への参加も多く自らサドメルオーケストラの編成に繋がる。この期間はウェストコーストのアレンジャーの作品への参加が多いが、その一人がマティーペイチだ。ビルホルマンと並ぶ西海岸のアレンジャーの代表格だが、このペイチのアレンジにメルルイスが起用されることが多かった。

このペイチの作品の中で人気ナンバー1アルバムといえば、この「踊り子」が一番であろう。
まずはジャケットも興味を惹く。ジャケ買の対象になるデザインだ。
さらに、中身は曲良し、メンバー良し、アレンジ良し、ソロ良しの4拍子が揃っていて、さらには録音良しとくれば非の打ちどころがない、人気が出るのも当然だ。

この「踊り子」は「お風呂」とセットで語られることが多いが、実はアートペッパーのプラスイレブンも同じ時期の、同じような編成のアルバム。もちろんアレンジはペイチ、ドラムもメルルイスである。
アートペッパーのソロが主役になるが、アルバムのコンセプトとしては10人編成程度の通常のビッグバンドよりは少し小ぶりの編成で、ソロとアンサンブルのバランスが実に絶妙という同じ系列の姉妹アルバムといってもいいだろう。

ソロが短いと何となく物足りなく感じることはよくあるが、話の長い人が饒舌とは限らない。本当の話し上手は、言いたいことをきちんと整理して無駄な話が無いのが本当の饒舌の様な気がする。どの曲も、曲のイメージにアレンジがピッタリはまり、ソロが絶妙の味付けとなっている。曲によってはソロがメインで、アンサンブルが脇役になることも。

いつもB級グルメの大盛りばかりを食べ慣れているとちょっと物足りなく感じるものでも、このような手の込んだ懐石料理の美味しさに嵌ると、自然と量より質に食の好みも変わってくる。
また、このような料理は隠し味もポイントだが、このアルバムもスコットラファロのベースが素晴らしい。さらにヴァイブやホルン、クラリネットなど普段主役にならない楽器の使われ方も絶妙だ。マニアックな味付けに拘る食通だと、「この味付けだけでも食べてみる価値はある」というかもしれない。
メルルイスも表には出ないが、このように派手さは無いが隠れ名盤と云われるようなアルバムに良く顔を出している。プレースタイルに合わせて人柄もあるのかもしれない。

このアルバムを聴いてビッグバンドファンになったという人も多いと聞く。50年以上たっても、まだ色褪せない大編成ジャズの入門アルバムの一枚だと思う。



1. It's All Right With Me               (Cole Porter) - 3:35
2. I've Grown Accustomed To Her Face  (Alan Jay Lerner, Frederick Loewe) - 3:47
3. I've Never Been In Love Before      (Frank Loesser) - 4:20
4. I Love Paris                 (Cole Porter) - 6:16
5. Too Close For Comfort   (J. Bock, L. Holofcener, G. David Weiss) - 3:53
6. Younger Than Springtime / The Surrey with the Fringe
      (Richard Rodgers, Oscar Hammerstein II) - 4:07
7, If I Were A Bell - 3:42              (Frank Loesser) - 3:39
8. Lazy Afternoon - 3:31      (Jerome Moross, John Latouche) - 3:29
9. Just In Time - 3:14   (Jule Styne, Betty Comden, Adolph Green) - 3:12


Jimmy Giuffre (cl, bs)
Art Pepper (as)
Bob Enevoldsen (ts, vtb)
Bill Perkins (ts)
Frank Beach (tp)
Stu Williamson (tp, vtb)
Vincent De Rosa (frh)
George Roberts (btb)
Victor Feldman (vib, per)
Marty Paich (p)
Scott LaFaro (b)
Mel Lewis (d)

arr: Marty Paich

Recorded in Los Angeles, CA on January 1959

ブロードウェイ・ビット
Marty Paich
ワーナーミュージック・ジャパン
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亡きリーダーを悼んで、残されたメンバーからの贈り物・・・

2014-05-04 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
To You ・A Tribute To Mel Lewis / The Mel Lewis Jazz Orchestra

先日、まつきり三郎のライブで久々にサド・ジョーンズのTo Youを聴いて、思わず他のアルバムを紹介したが、大事な一枚を忘れていた。

サドメルオーケストラが、リーダーの一人サド・ジョーンズがバンドを去って残されたメルルイスが、色々苦労はあったがバンドが生まれ育ったビレッジバンガードでの演奏を続け、
今のバンガードジャズオーケストラに引き継いだのはご承知の通り。メルルイスの踏ん張り、そしてそれを支えたメンバー達の努力があければ、今のVJOは無かったということだ。

サド・ジョーンズが抜けたといという意味は、単にリーダーが抜けたという以上に影響が大きかった。というのも、サドメル時代はレパートリーの大半をサド・ジョーンズのアレンジで構成していた。残されたメルルイスはしばらくサド・ジョーンズの曲を封印した時期もある。当然代わりの曲が必要だが、そこでの救世主は、昔のメンバーでありメルルイスとも昔からの仲間であったボブブルックマイヤーだった。結果的にボブブルックマイヤーのアレンジャーとしての活躍の場ができたという事にもなるが。さらに、メンバーの中から新たなアレンジも多く登場した。中でもピアノのジム・マクニーリーの存在が大きく、サドメルの後継バンドとしてメルルイスオーケストラの位置づけが確固たるものになった。

そのメルルイスが、この世を去ったのが1990年2月。がんと闘いながら死ぬ直前までプレーをしていたようが、亡くなった数日後にはビレッジバンガードの24周年の記念ライブも予定されていたという。サドメルを引き継いで12年が経っていた。メルルイスオーケストラとして最後のアルバムは、1988年の本拠地ビレッジバンガードでのライブ“Soft Light Hot Music”だと思う。

メルルイスが逝ってしまった後、バンドの存続に尽力したのは、ジム・マクニーリーであり、今のリーダー格であるサムモスカ、そしてディックオーツ達である。その残されたメンバー達が、亡くなったメルルイスに追悼の意を込めて作ったアルバムが、このアルバムである。

タイトルは”To You”。
かっての盟友サド・ジョーンズが作編曲したこの曲が、手向けの曲として最後に捧げられている。という経緯の中で演奏されているこのTo Youはメンバー皆の気持ちが籠っているように思う。
サドのアレンジはアップテンポの曲に関しては、サド独自のイントネーションを上手く再現するにはそれなりのテクニックが求められる。一方で、このようなバラード曲は美しいハーモニーと同時に、プレーヤーの情感が籠った演奏が不可欠である。先日、堀恵二のメローサキソフォンアンサンブルで「難しい譜面を間違いなく吹くだけであれば音大の学生なら誰でもできる。その譜面をどう解釈して吹くのかがプロなんだ」といっていたが、まさにそのようなことなのだろう。

“To You”以外の他の曲も、このアルバムでピアノを担当しているケニーワーナーが3曲提供しているが、その内一曲はこのオーケストラに関係が深いボブブルックマイヤーそのものをタイトルにした曲、他にもマクニーリーやテッドナッシュのオリジナル、スタンダードのナイチンゲールはメンバーのエドノイマイスターのアレンジ。そしてブルックマイヤーの作品でサドメルのファーストアルバムにも収められているABCブルースも取り上げている。

このアルバムを本当はアルバム2、3枚にしたかったそうだが、予算の都合でこの一枚に。サドメル時代からの歴史を語るには確かに物足りないが、新旧の作品を持ち寄り皆でメルを悼んで演奏したアルバムとして意味ある一枚。ちょうどメルルイスオーケストラとバンガードジャズオーケストラの狭間で節目となる一枚のアルバムだ。

主の居なくなったバンドというものはなんとなく寂しい演奏になりがちであるが、これはそのようなことはない。立派な後継者がたくさん現れてメルルイスも安心してあの世に旅立てただろう。

早いものでそれから24年経ち、後を継いだバンガードジャズオーケストラのこれらの遺産を大事に引き継きながら元気に活動しているようである。過去の名声と遺産だけで生き残っているオーケストラはいくつもあるが、メンバーやリーダーが代替わりをしてもコンセプトを引き継ぎ進化し続けるオーケストラはめったにない。
「月曜日の夜のビレッジバンガードに皆で集まる」という基本コンセプトはいつまでも続いて欲しいものだ。

1. Paper Spoons              Jim McNeely 9:03
2. 5 1/2 Weeks               Ted Nash 7:07
3. A Nightingale Sang in Berkeley Squar  Eric Maschwitz / Manning Sherwin 8:08
4. Nocturne                Kenny Werner 8:21
5. ABC Blues               Bob Brookmeyer 14:01
6. Bob Brookmeyer             Kenny Werner 10:50
7. To You                 Thad Jones 4:51

The Mel Lewis Jazz Orchestra

Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
Jim Powell  (tp.flh)
Glen Drewes  (tp,flh)
John Mosca  (tb)
Ed Neumeister  (tb)
Earl McIntyre  (btb)
Douglas Purviance  (btb)
Dick Oatts  (as,ss,fl)
Ted Nash  (as,ss,fl)
Ralph Lalama  (ts,cl)
Joe Lovano  (ts.ss.cl)
Gary Smulyan  (bs)
Stephanie Fauber  (french horn)
Kenny Werner  (p)
Dennis Irwin  (b)
Dennis Mackrel  (ds)

Produced by John Snyder
Engineer : Joe Lopes & Jay Newland

Recorded on September 10, 11 &12,1990 at BGM Studios, New York


To You: A Tribute to Mel Lewis
Mel The Lewis Jazz Orchestra
Music Masters Jazz
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サドメルを辞めたサドジョーンズがヨーロッパで新たに編成したオーケストラEclips・・

2014-04-21 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Eclipse

有名ジャズビッグバンドのレパートリーにこだわって演奏しているビッグバンドは多い。有名になった曲を他のミュージシャンがカバーすることは音楽の世界では一般的だが、ビッグバンドの場合はアレンジが命。アレンジもオリジナルオーケストラのスコアを使ったレパートリーバンドは、やはりメンバー達のオリジナルバンドへの思い入れが半端ではないということだろう。このようなオーケストラは、聴く方もどうしても「本物にどこまで迫れるか」といった聴き方になってしまうのは仕方がないものだ。

日本では、グレンミラーのミラーサウンドオーケストラ、秋吉敏子のアートオウルジャズオーケストラ、カウントベイシーのベイシーサウンドオーケストラ&高瀬龍一ビッグバンド、ハリージェイムス&レイアンソニーの岸義和ビッグバンドなど・・・、まだ聴いた事のないバンドもあるし、アマチュアバンドを入れるとその数はかなりになるだろう。
サドメルも人気があったオーケストラなので、その曲をレパートリーに加えているビッグバンドはプロでも多い。そのサドメルの曲だけをやっているというビッグバンドがあると聞き、先日東京TUCで行われたそのライブに出かけてみた。



それはMake me smile Jazz Orchestraという社会人バンド。
結成されて20年近く経つバンドのようだが、東京大学のビッグバンドサークルのメンバーと、その関係者を中心に編成されたようで、メンバーの結束は強そうだ。メンバーには若手も多く歴史を感じるオーケストラだ。客席は関係者が多く、年一度のお祭りの様相であったので、一般のお客は少し居場所が無い感じの会場の雰囲気ではあった。

プログラムは、サドジョーンズアレンジ一辺倒ではなく、リトルピクシーのようなサドメルのクラッシックからVJOになってからのジムマクニーリーのハードリーエバーまで様々。こだわりはオールドサドメルだけでなく、VJOまでをカバーする幅広い



サドメルの場合は、アンサンブルワークの難しさだけでなくソロも変化に富んでおり、コピーをするのも難しいとは思うが、そこそこのプレーでサドメルファンとしては十分に楽しめた。これもアマチュアならではの日頃の繰り返しのリハーサルの成果であろう。以前宮嶋みぎわのオーケストラにダグラス:パービアンスが加わっただけでオーケストラ全体のサウンドが引き締まった感じを受けたが、きっと、このオーケストラもサドジョーンズが指揮をすると一段とサウンド&リズムにメリハリがついてくると思う。

本家、サドジョーンがサドメルを去ったのが1977年10月といわれている。創設以来のメンバーであったペッパーアダムスがバンドを去ったのが8月24日。その後を追うようにしてのリーダーであるサド・ジョーンズの離脱であった。
活動の拠点をヨーロッパに移したサドは、その年の12月には盟友のメルルイスと共にフィンランドのUMOオーケストラと共演し、翌年78年には今度はデンマークでDanish Radio Big bandと3月にコペンハーゲンのモンマルトルでのライブアルバムを残している。活動場所は替われど、ヨーロッパに移り住んでもオーケストラへの情熱は衰えていなかったようだ。

ジョーンズはヨーロッパでは色々などんなオーケストラに客演することが多かったが、彼の指揮の下で一緒に演奏するとバンド全体がサドジョーンズ独特の味付けがされる。これは彼のアレンジだけでなく他のメンバーのアレンジでも同様であった。サドの指揮のマジックである。

しかし、そのうちサドはやはり直接自分の息のかかったオーケストラが欲しくなったのであろう、78年7月にコペンハーゲンのジャズクラブ”Slukefler”にヨーロッパ各地からメンバーが集められた。彼らはこれまで共に一緒に演奏したことが無かっただけでなく、中にはビッグバンドの経験の無いメンバーもいたとか。助っ人としてヨーロッパ在住のアメリカ出身の仲間達も参加した。ピアノのホレスパーラン、ドラムのエドシグペン、サックスのサヒブシハブなど、皆腕達者達の実力者であった。

メンバー達は初めて見る譜面を何とか演奏し終えて、思わず皆で目と目を合わせた。そこでサドは、お得意の白い歯を出した満面の笑みで一言「さあ、何を皆で一緒にやらなければならないか分かったよね」と。それから2週間のリハーサルでこのバンドはサドジョーンズサウンドを立派に奏でるようになった。

このCDにはそのオーケストラの2か月後のスタジオ録音、そしてその一年後、このオーケストラがリハーサルに励んだクラブ”Slukefler”でのライブ録音の2枚のアルバムが収録されていて2年間での変化も比較できるが、2枚目ではメンバー達のオリジナルアレンジが中心に進化している。

世界中にサドメルのアレンジをレパートリーに加えているオーケストラは数多くあるとは思うが、やはりサドジョーンズ自ら育てたオーケストラは一段と輝かしく響き渡る。サドの直接の指導と指揮が活きているのだろう。

リチャードブーンのボーカルも聴ける楽しいセッション。サドの指揮ぶりも見ることができる



1. Basically Yours            Thad Jones 5:45
2. To You                Thad Jones 4:17
3. Snickerdoodle           Keith Foley 4:20
4. I Can't Give You Anything But Love  Dorothy Fields / Jimmy McHugh5:41
5. Honky Punk              Ole Nielsen 3:26
6. This Bass Was Made for Walking    Thad Jones 4:39
7. Baby, I Can't Get Over You      Sahib Shihab 8:25
8. I Hope This Time Isn't the Last    Tim Hagans 8:05
9. Arrival                Horace Parlan 6:05
10. Scrapple from the Apple        Charlie Parker 5:38
11. La Solitude              Gilbert Bécaud 5:38
12. My Centennial             Thad Jones 10:14

#1~6
Erik Tschentscher (tp)
Tim Hagans (tp)
Lars Togeby (tp)
Egon Petersen (tp)
Jan Glaesel (tp)
Ture Larsen (tb)
Axel Windfeld (tb)
Richard Boone (tb)
Bjarne Thanning (tb)
Niels Neergaard (tb)
Ole Thoger (as)
Nielsen (as)
Jorgen Nilsson (ts)
Michael Hove (bs)
Bent Jadig (ts)
Sahib Shihab (bs,as)
Jesper Lundgard (b)
Horace Parian (p)
Ed Thigpen (ds)

Recorded on Sep.17&18,1979, at Metronome Studio in Copenhagen

#7~12
Erik Tschentscher (tp)
Tim Hagans (tp)
Lars Togeby (tp)
Egon Petersen (tp)
Jan Glaesel (tp)
Ture Larsen (tb)
Palle Jensen (tb)
Bill Beecroft (tb)
Jens Engel (btb)
Sahib Shihab (as)
Ole Thoger (as)
Nielsen (as)
Jorgen Nilsson (ts)
Jesper Nehammer (ts)
Michael Hove (bs)
Jesper Lundgard (b)
Horace Parian (p)
Nicolai Gromin (g)
Bjarne Rostvold (ds)
Emmanuel Khaliq Rahim (congas)

Recorded live at ”Slukefler” Tivoli Copenhagen on Sep.15&16,1980
コメント (2)
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