Homage / Gary Smulyan Quartet
後継者、もちろん家族でも後継者を立派に育てることは親の責任として一番大事だが、どんな仕事でも自分がやっていることの後継者が育てばいいなと思うのは世の常である。もっとも会社勤めだと、自分の後継者よりも手掛けている仕事(事業)が育って欲しいという想いが強くなるものだ。
ところが、昨今の企業経営のように「赤字部門は皆切り捨てる」ということになると、手塩にかけて育てた仕事がいとも簡単に身売りされたり、とり潰されたりする。一度捨てた物をもう一度育てるということはほとんど不可能なのにも関わらず。
最近の日本の電機メーカーの凋落ぶりをみると、本業を捨ててしまったようで、何か大きな間違いを犯しているのではないかと思う。それも、本来の自分の意志ではなく、他からの圧力で仕方なくとなると。
昔の企業は、将来の芽を育て、昔からの伝統を守るための赤字は許容できるものであったのだが。目先の利益の為に、過去も未来も捨て去るというのは如何なものか?これも、今さえ良ければ、自分達だけが良ければという世の中の風潮を作っている一つの原因であるのは間違いない。
先日、知人が自宅を訪れて、テレビの画面の美しさに驚いていた。4Kではないですよねと。
自宅のテレビはパイオニアのKUROの最終モデル。生産中止になるというので慌てて買ったものだ。その後、パイオニアのテレビ事業はパナソニックに身売りされ、今ではプラズマディスプレーもなくなってしまった。
自宅にもう一台パナソニックのテレビがあるが、明らかに古いKUROの方が綺麗だ。音以上に画面の優劣というのは素人でも良く分かるものなので理屈は要らない。
この素晴らしい商品が何故市場から消えなければならないのか?
パイオニアは、今度はDJ機器も身売りしてカーナビに特化するそうだ。自宅では、プレーヤーも、アンプも20年以上前のパイオニア製品が健在で、いい音で鳴っているのに。
これらの技術はどこに行ってしまったのだろう。
ジャズの世界でも後継者づくりが大事だ。昨日のカウントベイシーオーケストラはリーダーが替わったせいか、久々に本物のベイシーサウンドがした。メンバーは大きく替わっていないが、何か伝統を引き継ぐコツというのがあるのかもしれない。
オーケストラ運営の後継者となるとそれは演奏技術に加え、作編曲能力やバンド全体の音作り能力、指揮も入るだろう、さらに色々なマネジメント能力も問われることになる。
このコツを身に付け、他人に教え、育てるというには、想像以上に大変な事だと思う。
今、帰国中の宮嶋みぎわさんが、先日自らの演奏とは別にビッグバンドのリーダー養成講座を開催していた。自ら学び続けながら、後進の指導も怠らないといのは、会社であったら管理職の鑑。この心掛けが大事。きっと将来の日本のジャズ界を背負うリーダーの一人になるだろう。
さて、個人の演奏技術の伝授となると、これは完全に師弟関係。よく名人芸は教えてもらうのではなく盗めともいわれる。直接指導を受けるのではなく、徹底的に研究して独学で真似をするというのも一つの方法かもしれない。それで、自分が育てなくとも、思わぬ後継者がどこかからか突然現れるということも・・・。
ペッパーアダムスの後継者となると、やはり一番はゲイリースマリヤン。ただし、アダムスが直接指導したという話は聞かない。スマリヤンがアダムスを研究しつくし、自ら引き継いだのだろう。
ただでさえ、バリトンサックスのソロプレーヤーの数は少ない。それに一際切れ味のよいソロを展開できるとなると数は絞られる。さらにはビッグバンドもこなすプレーヤーとなると、そうそう思い浮かばない。候補は上がっても、最後はあのアダムス節をクリアできるどうかが最大の難関だ。
ペッパーアダムスがサドメルのオーケストラを辞めた時、スマリヤンはウディーハーマンのビッグバンドにいた。まだ23歳だが、高校時代からチェットベイカーやリーコニッツ、ジミーネッパーといったプロと一緒にプレーをし、大学でも学ぶというプレーヤー生活をおくっていたようだ。この頃のモンタレージャズフェスティバルでの豪快なライブの演奏が残っている。
そのスマリヤンが、メルルイスオーケストラに招かれたのはアダムスが去った後、それほど時間を要しなかった。メルルイスはリクルート能力も長けていたようだ。その昔、サドメルのトランペットセクションで大幅に人の入れ替えが生じた時、18歳のジョンファディスを見つけてきたのもメルルイスだったという。
結果的に、その後80年代のメルルイスのビッグバンド、そしてバンガードジャズオーケストラでアダムスの抜けた後を埋めたのはこの若者であった。
このスマリヤンのバリトンは、ペッパー特有の”The Knife”といわれた切れ味のよいフレーズ作りを引き継いでいる。これを、アダムスの研究家ゲイリーカーナーは次にように述べている。
「確かに、スマリヤンはクライマックスを丁度良く迎えるようにアドリブをヒートアップさせる場を弁え、ジャズプレーヤーがよく「火の出るような」と表現する、聴衆の興奮を沸き出させる術の大事さを知っていた。」「そして、聴衆を釘づけするには、メロディーを少し変えたり、ハーモニーを少しはずして驚きを与えることも。」「しかし、スマリヤンにはさらにアダムスが得意にしていた、すごく長い倍速のメロディックラインの作り方も身に付けていた。更には、アダムス節ともいえる生々しい、耳をつんざくような音色も」
多分この技をアダムスから直接指導を受けるという関係には無かったであろう。しかし、若い時から、実によくアダムスのプレースタイルを研究していたようだ。
その、スマリヤンは単にメルルイスオーケストラでアダムスの抜けたバリトンの席を埋めたというのではなく、個人的にもアダムスに心酔していたので、まさにアダムスに成り代わっていたのであろう
このスマリヤンが、アダムスの死後、アダムスへのトリビュートアルバムを作ったのがこのアルバムである。
もちろん、曲はアダムスのオリジナルばかり、ピアノにはアダムスの同郷の旧友であり、ピアニストとしてはアダムス自身も一番気に入って良く共演していたというトミーフラナガンを起用した。
アダムスのオリジナル曲は生涯で44曲。その中から8曲が選ばれている。
サドメル時代以前の作られた曲もあれば、独立してから作った曲もある。晩年は病気がちということもあり、サドメルを辞めた78年から6年の間に半分の20曲近くが作られている。
一曲目のMuezzinは、アダムスの初アルバムである56年のModeのアルバムにも収められているラテン調のリズムで快調に始まる。
Claudette's Wayはゆったりとした感じの78年作の曲、アダムスは何度かレコーディングしているがラストアルバムでフラナガンと共演している。
Bossallegroは、ボサノバの軽快な曲。アップテンポな曲でのソロが聴きどころ。80年のThe Masterというアルバムに入っているが、これもフラナガンと一緒。
Urban Dreamsは綺麗なバラードだが、これも80年のアルバムのタイトル曲。このアルバムのピアノはジミーロウルズ。
Twelth And Pingreeは、75年ミュンヘンのドミシルのライブでお披露目。ここでは、フラナガンのソロから始まるが、ミドルテンポで豪快に始まる。
Ephemeraは75年の同名のアルバムのタイトル曲。先日紹介した、In Europeでもやっている。
Civilization And Its Discontentsも、アルバムEphemeraでやっている曲だが、スローバラード。
Trentinoも80年のUrban Dreamsの中のイタリアのトレントにちなんだ曲。
通して聴くと、アップテンポの曲は1,3,
後はミドルテンポからスローな曲でバリトンの美しさをじっくり聴かせてくれる。
この舞台装置で、スマリヤンのプレーはアダムスの生き写しといっていいほどアダムスライクな演奏だ。アダムスが亡くなったのは1986年。スマリヤンの活躍が十分に世に知れ渡った時だ。アダムスも自分の後継者を見定めて安心してあの世に行けたと思う。
最近は、アダムスのアルバムを時系列で追っていたら、晩年のリーダーアルバムの紹介をまだ全くしていなかった。まずは、アダムスのアルバムはリーダーアルバムを先にやる事にしよう。
1. Muezzin 5:35
2. Claudette's Way 8:43
3. Bossallegro 6:00
4. Urban Dreams 6:55
5. Twelfth and Pingree 11:12
6. Ephemera 10:33
7. Civilization and It's Discontents 7:34
8. Trentino 10:19
Gary Smulyan (bs)
Tommy Flanagan (p)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)
All Songs Composed by Pepper Adams
Produced by Garry Teekens
Recorded on December 18,1991
後継者、もちろん家族でも後継者を立派に育てることは親の責任として一番大事だが、どんな仕事でも自分がやっていることの後継者が育てばいいなと思うのは世の常である。もっとも会社勤めだと、自分の後継者よりも手掛けている仕事(事業)が育って欲しいという想いが強くなるものだ。
ところが、昨今の企業経営のように「赤字部門は皆切り捨てる」ということになると、手塩にかけて育てた仕事がいとも簡単に身売りされたり、とり潰されたりする。一度捨てた物をもう一度育てるということはほとんど不可能なのにも関わらず。
最近の日本の電機メーカーの凋落ぶりをみると、本業を捨ててしまったようで、何か大きな間違いを犯しているのではないかと思う。それも、本来の自分の意志ではなく、他からの圧力で仕方なくとなると。
昔の企業は、将来の芽を育て、昔からの伝統を守るための赤字は許容できるものであったのだが。目先の利益の為に、過去も未来も捨て去るというのは如何なものか?これも、今さえ良ければ、自分達だけが良ければという世の中の風潮を作っている一つの原因であるのは間違いない。
先日、知人が自宅を訪れて、テレビの画面の美しさに驚いていた。4Kではないですよねと。
自宅のテレビはパイオニアのKUROの最終モデル。生産中止になるというので慌てて買ったものだ。その後、パイオニアのテレビ事業はパナソニックに身売りされ、今ではプラズマディスプレーもなくなってしまった。
自宅にもう一台パナソニックのテレビがあるが、明らかに古いKUROの方が綺麗だ。音以上に画面の優劣というのは素人でも良く分かるものなので理屈は要らない。
この素晴らしい商品が何故市場から消えなければならないのか?
パイオニアは、今度はDJ機器も身売りしてカーナビに特化するそうだ。自宅では、プレーヤーも、アンプも20年以上前のパイオニア製品が健在で、いい音で鳴っているのに。
これらの技術はどこに行ってしまったのだろう。
ジャズの世界でも後継者づくりが大事だ。昨日のカウントベイシーオーケストラはリーダーが替わったせいか、久々に本物のベイシーサウンドがした。メンバーは大きく替わっていないが、何か伝統を引き継ぐコツというのがあるのかもしれない。
オーケストラ運営の後継者となるとそれは演奏技術に加え、作編曲能力やバンド全体の音作り能力、指揮も入るだろう、さらに色々なマネジメント能力も問われることになる。
このコツを身に付け、他人に教え、育てるというには、想像以上に大変な事だと思う。
今、帰国中の宮嶋みぎわさんが、先日自らの演奏とは別にビッグバンドのリーダー養成講座を開催していた。自ら学び続けながら、後進の指導も怠らないといのは、会社であったら管理職の鑑。この心掛けが大事。きっと将来の日本のジャズ界を背負うリーダーの一人になるだろう。
さて、個人の演奏技術の伝授となると、これは完全に師弟関係。よく名人芸は教えてもらうのではなく盗めともいわれる。直接指導を受けるのではなく、徹底的に研究して独学で真似をするというのも一つの方法かもしれない。それで、自分が育てなくとも、思わぬ後継者がどこかからか突然現れるということも・・・。
ペッパーアダムスの後継者となると、やはり一番はゲイリースマリヤン。ただし、アダムスが直接指導したという話は聞かない。スマリヤンがアダムスを研究しつくし、自ら引き継いだのだろう。
ただでさえ、バリトンサックスのソロプレーヤーの数は少ない。それに一際切れ味のよいソロを展開できるとなると数は絞られる。さらにはビッグバンドもこなすプレーヤーとなると、そうそう思い浮かばない。候補は上がっても、最後はあのアダムス節をクリアできるどうかが最大の難関だ。
ペッパーアダムスがサドメルのオーケストラを辞めた時、スマリヤンはウディーハーマンのビッグバンドにいた。まだ23歳だが、高校時代からチェットベイカーやリーコニッツ、ジミーネッパーといったプロと一緒にプレーをし、大学でも学ぶというプレーヤー生活をおくっていたようだ。この頃のモンタレージャズフェスティバルでの豪快なライブの演奏が残っている。
そのスマリヤンが、メルルイスオーケストラに招かれたのはアダムスが去った後、それほど時間を要しなかった。メルルイスはリクルート能力も長けていたようだ。その昔、サドメルのトランペットセクションで大幅に人の入れ替えが生じた時、18歳のジョンファディスを見つけてきたのもメルルイスだったという。
結果的に、その後80年代のメルルイスのビッグバンド、そしてバンガードジャズオーケストラでアダムスの抜けた後を埋めたのはこの若者であった。
このスマリヤンのバリトンは、ペッパー特有の”The Knife”といわれた切れ味のよいフレーズ作りを引き継いでいる。これを、アダムスの研究家ゲイリーカーナーは次にように述べている。
「確かに、スマリヤンはクライマックスを丁度良く迎えるようにアドリブをヒートアップさせる場を弁え、ジャズプレーヤーがよく「火の出るような」と表現する、聴衆の興奮を沸き出させる術の大事さを知っていた。」「そして、聴衆を釘づけするには、メロディーを少し変えたり、ハーモニーを少しはずして驚きを与えることも。」「しかし、スマリヤンにはさらにアダムスが得意にしていた、すごく長い倍速のメロディックラインの作り方も身に付けていた。更には、アダムス節ともいえる生々しい、耳をつんざくような音色も」
多分この技をアダムスから直接指導を受けるという関係には無かったであろう。しかし、若い時から、実によくアダムスのプレースタイルを研究していたようだ。
その、スマリヤンは単にメルルイスオーケストラでアダムスの抜けたバリトンの席を埋めたというのではなく、個人的にもアダムスに心酔していたので、まさにアダムスに成り代わっていたのであろう
このスマリヤンが、アダムスの死後、アダムスへのトリビュートアルバムを作ったのがこのアルバムである。
もちろん、曲はアダムスのオリジナルばかり、ピアノにはアダムスの同郷の旧友であり、ピアニストとしてはアダムス自身も一番気に入って良く共演していたというトミーフラナガンを起用した。
アダムスのオリジナル曲は生涯で44曲。その中から8曲が選ばれている。
サドメル時代以前の作られた曲もあれば、独立してから作った曲もある。晩年は病気がちということもあり、サドメルを辞めた78年から6年の間に半分の20曲近くが作られている。
一曲目のMuezzinは、アダムスの初アルバムである56年のModeのアルバムにも収められているラテン調のリズムで快調に始まる。
Claudette's Wayはゆったりとした感じの78年作の曲、アダムスは何度かレコーディングしているがラストアルバムでフラナガンと共演している。
Bossallegroは、ボサノバの軽快な曲。アップテンポな曲でのソロが聴きどころ。80年のThe Masterというアルバムに入っているが、これもフラナガンと一緒。
Urban Dreamsは綺麗なバラードだが、これも80年のアルバムのタイトル曲。このアルバムのピアノはジミーロウルズ。
Twelth And Pingreeは、75年ミュンヘンのドミシルのライブでお披露目。ここでは、フラナガンのソロから始まるが、ミドルテンポで豪快に始まる。
Ephemeraは75年の同名のアルバムのタイトル曲。先日紹介した、In Europeでもやっている。
Civilization And Its Discontentsも、アルバムEphemeraでやっている曲だが、スローバラード。
Trentinoも80年のUrban Dreamsの中のイタリアのトレントにちなんだ曲。
通して聴くと、アップテンポの曲は1,3,
後はミドルテンポからスローな曲でバリトンの美しさをじっくり聴かせてくれる。
この舞台装置で、スマリヤンのプレーはアダムスの生き写しといっていいほどアダムスライクな演奏だ。アダムスが亡くなったのは1986年。スマリヤンの活躍が十分に世に知れ渡った時だ。アダムスも自分の後継者を見定めて安心してあの世に行けたと思う。
最近は、アダムスのアルバムを時系列で追っていたら、晩年のリーダーアルバムの紹介をまだ全くしていなかった。まずは、アダムスのアルバムはリーダーアルバムを先にやる事にしよう。
1. Muezzin 5:35
2. Claudette's Way 8:43
3. Bossallegro 6:00
4. Urban Dreams 6:55
5. Twelfth and Pingree 11:12
6. Ephemera 10:33
7. Civilization and It's Discontents 7:34
8. Trentino 10:19
Gary Smulyan (bs)
Tommy Flanagan (p)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)
All Songs Composed by Pepper Adams
Produced by Garry Teekens
Recorded on December 18,1991
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