A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ビッグバンド育ちは、いつかは自分のオーケストラを持つことを夢見て・・・・

2012-02-29 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Dream Band / Terry Gibbs

ウディーハーマンやスタンケントンオーケストラ出身のミュ-ジシャンは多い。そして卒業後はそれぞれの道で活躍はしていても、若き日の思い出であるビッグバンドでの演奏を忘れられず、いつかは自分のバンドを持ちたいという想いで日々演奏をしていたことであろう。

ハーマンオーケストラ出身のテリーギブスもその一人だった。
ハーマンやベニーグッドマンのオーケストラを渡り歩いていたが、’57年にはロスに腰を落ち着けることになる。丁度、メルルイスやペッパーアダムスがケントンオーケストラを辞めて、ロスに居を構えた頃と同じ時期だ。スタジオワークを続けながら、ギブスは折を見てはビッグバンドを編成していた。そして、興隆を極めたウェストコーストジャズも、そのブームを過ぎた1959年に“Dream Band”と銘打ったオーケストラを立ち上げた。分かり易いネーミングだ。今回はギブスが長年夢見たオーケストラをやっと実現できたのかもしれない。

メンバーは、ウェストコーストの腕達者達、コンテカンドリもトランペットセクションに座っている。ドラムは西海岸で八面六臂の活躍をしていたメルルイス。この年も、秋のモンタレーではハーマンが編成したオールスターバンドに加わり大活躍をしていたが、ギブスのドリームバンドで演奏しながら、もしかしたら自分のドリームバンドを夢見ていたかもしれない。住み慣れた西海岸を離れ、ニューヨークに移るのは翌年1960年だった。

アレンジャーも、ビルホルマン、アルコーン、ボブブルックマイヤー、マティーペイチ、そしてマニーアルバムと錚々たる面子だ。曲もスイング時代からの有名曲、ジャズのスタンダードが中心。
このバンドのコンセプトはドリームバンドなので小難しいことは無しで、徹底的にノリまくろうということかもしれない。しっとりと聴かせるバラードプレーも無い。「スイングするバンドはこれだ」というアピールが聞こえる。ライオネルハンプトンに較べるとヴァイブの演奏は多少クールだが、オーケストラを熱っぽく操るのはハンプトンより上手かもしれない。

場所は、ハリウッドのThe Sevilleというクラブのライブ。多分テリーギブス自身のものだと思うが、合いの手や掛け声が否が応でもプレーを盛り上がらせる。聴衆の反応を含めてライブならではの雰囲気が、ドリームバンドのシチュエーションとしては最高の場を作り出している。

ところが、このせっかくの演奏がアルバムとなって世に出たのは大分経ってから。20年以上経て新たに吹き込んだアルバムと合わせるようにリリースされた。どうもギブスが録音したテープを持っていたようだが、それまで世に出すきっかけが無かったようだ。そういえばルイベルソンのアルバムも、録音されて彼が持っていたものが後になって本格的にリリースされるものが多い。リーダーとしては、せっかく編成したオーケストラの演奏を何としても残しておきたいという想いだったと思う。このアルバムも、もし録音が残されていなければ、せっかくの「ドリームバンド」の姿を文字で読むだけで耳にすることが出来なかった。ジャズの演奏は、同じ編成でも日によって違うし、特にBig Bandは同じメンバーを維持することも難しい。録音が残っていてよかった。

今、東京でも毎日のようにビッグバンドの演奏がどこかで行われている。その中から20年後に録音(今の時代は録画かもしれない)が発掘され、素晴らしい演奏が陽の目を見ることを期待しよう。






1. Begin the Beguine      Porter 2:28
2. Don't Be That Way      Goodman, Parish, Sampson 6:26
3. Cotton Tail         Ellington 3:43
4. Stardust           Carmichael, Parish 3:12
5. Opus One           Garris, Oliver 6:00
6. After You've Gone      Creamer, Layton 3:42
7. You Go to My Head      Coots, Gillespie 5:17
8. Let's Dance         Baldridge, Bonime, Stone 3:25
9. The Subtle Sermon      Johnson 8:24
10. Kissin' Bug         Eisenhower, Lampert, Linsley, Vignals 4:45
11. Jumpin' at the Woodside   Basie, Hendricks 4:30


Terry Gibbs   (vib)
Conte Candoli  (tp)
Al Porcino   (tp)
Ray Triscari  (tp)
Stu Williamson (tp)
Bob Enevoldsen (tb)
Vern Friley   (tb)
Joe Cadena   (tb)
Bill Holman   (ts,arr.)
Med Flory    (ts)
Charlie Kennedy (as)
Joe Maini    (as)
Jack Schwartz  (bs)
Pete Jolly    (p)
Max Bennett   (b)
Mel Lewis    (ds)

Bob Brookmeyer :Arranger
Al Cohn :Arranger
Manny Albam :Arranger
Marty Paich :Arranger

Produced by Richard Bock & Terry Gibbs
Wally Heider :Engineer

Recorded live at the Seville. Hollywood on March 17-19.1959

Dream Band
Terry Gibbs
Contemporary
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TOSHIKOの成功は、仕事より彼女の音楽を選んだよき伴侶に恵まれたから・・・・・

2012-02-28 | MY FAVORITE ALBUM
Insights / Toshiko Akiyoshi - Lew Tabackin Big Band

秋吉敏子のビッグバンドの成功は、彼女のピアノのプレーはもちろんだが、作編曲そして妥協を許さないリーダーシップに因るところが大きい。それが次第にオーケストラ全体の結束を生んでいったように思う。彼女のオーケストラはTOSHIKO-TABACKIN Big Bandといわれるように、夫君であるルータバキンの存在も大きい。豪快なテナー、そして熱っぽいフルートはバンドの看板として不可欠だが、彼女のよき理解者としてのパートナーとしての立ち位置も彼女にとっては大事であったろう。

彼女たちが、長年住み慣れたニューヨークを離れてロスに移り住んだのも、そもそものきっかっけはルー・タバキンの仕事が理由だった。’70年から、ルータバキンは、あのドックセベリンセン率いる”Tonight Show Big Band”のレギュラーメンバーだった。サックスセクションの一員として週5日このビッグバンドが仕事場で、確かに収入は安定していたかもしれない。が、タバキンはそこで一度もソロをとることもなかったという。そのTonight Show自体の放送拠点がニューヨークからロスに移ることになり、オーケストラの面々も西海岸に移っていった。もしかして、彼らが西海岸に移らずにニューヨークに留まったらこのバンドも生まれなかったかもしれない。何がきっかけになるか分からないものだ。
そして’74年、TOSHIKOのオーケストラが立ち上がった時、タバキンはまだその仕事を続けていた。

'76年の新年早々の日本ツアーを成功裡に終えて、帰国の途に着いたTOSHIKOのオーケストラは更なる飛躍をすることになる。2年間で矢継ぎ早にアルバムを出していたが、次なるアルバムを早速録音することになった。それが、このアルバム“Insights”だ。
何といってもB面の“MINAMATA”が大作だ。平和な村が水銀の恐怖で一転水俣病の恐怖に襲われる。今の福島と何か通じるものを感じる。TOSHIKOには広島の作品もある。いずれ福島も作品になるかもしれない。
初アルバム以来、彼女のオリジナルの曲、アレンジの表現の場としてのオーケストラはそのコンセプトを変えずますます進化を続けたが、内外の評判にも支えられより、その時点で確固たるものになったといえよう。

もうひとつ、この年はオーケストラが次なるステップに踏み出したといえる出来事があった。それは、ルータバキンがTonight Showのオーケストラを辞めたことだ。それはTOSHIKOとのオーケストラの活動に軸足を移したということに他ならない。もちろん、単発のスタジオワークは続けたが、安定的な職場を離れるということは、本来の進むべき道に不退転の決意で臨んだということだと思う。普通の会社勤めの世界でも、会社を替わるのはともかく、色々不満はあっても独立して自営で仕事をするという決断はなかなかできないものだ。彼の場合は、お金よりもきっとTOSHIKOと一緒にジャズをもっと極めようということだったに違いない。亭主にそのような決心をさせることができたのも、敏子の音楽が魅力に満ちていた証拠だろう。

そしてこのアルバムを録音してすぐに、ダウンビートの批評家投票で、この年のオーケストラとアレンジャーの新人部門の一位を得る。いよいよ順風満帆での船出になった。


1. Studio J Akiyoshi 6:00
2. Transience Akiyoshi 4:33
3. Sumie Akiyoshi 7:50
4. Minamata: Peaceful Village/Prosperity & Consequence/Epilogue Akiyoshi 21:37

Toshiko Akiyoshi (p)
Lew Tabackin (ts,fl)

Steve Huffsteter (tp)
Bobby Shew (tp)
Richard Cooper (tp)
Jerry Hey (tp)
Mike Price (tp)
Bill Reichenbach (tb)
Britt Woodman (tb)
Jim Sawyers (tb)
Phil Teele (btb)
Tom Peterson (ts)
Gary Foster (as)
Dick Spencer (as)
Bill Perkins (bs)
Don Baldwin (b)
Peter Donald (ds)

Michiru Mariano (Voices)
Tadao Kamei (Ohtsuzumi)
Hayao Uzawa (Kotsuzumi)
Hisao Kanze (Utai)
Hiromitsu Katada (kakko)

Hiroshi Isaka Producer
Joe Lopes Engineer

Recorded on June 22,23 & 24, 1976
at RCA Studio "A" Hollywood,Califprnia

インサイツ
秋吉敏子,ルー・タバキン・ビッグ・バンド
BMG JAPAN
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異色の組み合わせもいいが・・・・やはり本命同士が一番

2012-02-27 | CONCORD
Swing Eiji / Eiji Kitamura

ジャズの世界では異色の組み合わせというものが結構多い。両方の名前を見て一緒にやると果たしてどんな音が飛び出してくるか想像し、レコードに針を落とすもの楽しみの一つだ。一方で、この組み合わせは絶対に相性がいいのではと、聞き手である我々が勝手に想像するのも楽しいものだ。そして、その組み合わせが実現できた時はなお更。

Concordレーベルが育っていった時、日本人が加わるのであれば北村英治が一番だと思っていた。日本での活動でも、よくジャズフェスティバルなどへは参加していたし、どこで誰と一緒に演奏しても、マイペース(スタイル)で素晴らしいクラリネットを披露していた。Concordオールスターが来日した時、当然のように両者には出会いがあり、一緒に演奏する機会もできた。

両者は自然に意気投合し、コンコルドのオーナーのカールジェファーソンも北村のことを「エイジ、君のサウンドには心酔した」といたく気に入ったそうだ。コンコルドにはその頃多くの名手が集っていたが、確かにクラリネットというとディックジョンソン位しか見当たらなかった。
そして、1980年のコンコルドジャズフェスティバルに北村英治は招かれ、晴れて地元でオールスターの面々と一緒に舞台に立った。ところが、この出演はあくまでもゲストとしての参加であった。

北村がリーダーとなった演奏は、フェスティバルが終わって中一日置いた8月12日と13日の両日、Concordのアルバムをいつも録音している、コースト・レコーダーズ・スタジオにいつもの面々が集った。
ピアノはナットピアース、アレンジも引き受けた、ベースは若手のブライアントーフ、ギターはカルコリンズ、そしてドラムはコンコルドの主であるジェイクハナ。さらに花を添えるゲストソリストとして、ハーブエリス、ウォーレンヴァッシェ、フレーザーマクファーソンが加わる。更には、翌日に録音を控えていた、スコットハミルトンとバディーテイトが見学に加わるというおまけまでついて。まさにオールスターズで、北村の地元での演奏を歓待する形になった。

演奏した曲はお馴染みの曲ばかりだが、唯一Eiji’s Bluesだけは、ジェファーソンの「ブルースでも一曲」の一言で、その場で北村が作った曲だそうだ。ジャムセッションのようなものだが、そのような時こそ本当に気心が通じ合ったかが分かるものだ。
演奏内容は、想像したとおりの好演が聴ける。順当な組み合わせで番狂わせもなく、まるでレギュラーバンドのような演奏だ。

このアルバムは、そもそもの企画、そしてプロデュースにも日本人のスタッフが加わったが、他にも当時出始めのデジタル録音機をスタジオに持ち込んでの録音であり、北村のクラリネットも日本製、日本のパワーが世界を席巻していた時代だ。このアルバムのA面とB面、日本盤とアメリカ盤で曲が反対に収められているそうだ。何か日本の拘りとアメリカのそれが相容れないものがあるのかもしれない。
“Swing Age”を復活させたのはカールジェファーソンだが、そのジェファーソンにさらに活力を注入したのは、タイトルどおり”Swing Eiji”だ。そして、JAPAN POWERが。日本が再び世界に物が言える時代に戻って欲しいものだ。

1. On Sunny Side Of The Street
2. Memories Of You
3. Secret Love
4. Rosetta
5. Eiji’s Blues
6. I Can’t Get Started
7. But Not For Me
8. Undecided

Eiji Kitamura (cl)
Nat Pierce(p,arr.)
Cal Collins (g)
Brian Torff (b)
Jake Hanna (ds)

Herb Ellis (g)
Warren Vache (cor)
Fraser Macpherson (ts)

Produced by Eiji Kitamura & Yoichiro Kikuchi
Exective Producer : Carl Jefferson & Nobuo Ohtani

Recording Engineer : Phil Edwards
Recoded on August 12 & 13 1980, at The Coast Recorders Studio San Francisco CA

Originally Released on Toshiba EMI, Concord CJ-152
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昔は同じ新人同士であっても、時間が経てば・・・・・

2012-02-25 | PEPPER ADAMS
Darkar / John Coltrane

学生時代も、会社に入ってからも同期の仲間はある意味同じ釜の飯を食べた仲間同士。特に上下の関係も無くお互い「おい、お前」と呼び合う仲で下積み生活を供に過ごした仲間だ。
ところが時を経て、その中から誰かが出世をしたり、世の中で有名になると、他の連中は会話の中で、「・・とは同期なんだ」とか、「・・・とは良く一緒に遊んだ仲だったんだ」とか。ついつい、有名になった仲間の事がやっかみ半分、自慢半分で話のきっかけになりがちだ。

ペッパーアダムスが、リーダーアルバムを作ったのは、1957年7月、ロスアンジェルスだった。このアダムスは、本来は東海岸の出身。それまでのプレーした相手も東海岸のニューヨークや地元デトロイトでの活動を通じての仲間が多かった。その中にファーストアルバムより前に「録音」として残っているものもある。
前年の11月にスタンケントンのオーケストラを辞めたペッパーは、メルルイス達と一緒にロスアンジェルスで活動を行っていたが、3月22日にメイナードファーガソンのバンドに加わるべく、久々にロスを離れニューヨークに向かった。ツアー途中でバンドに加わったペッパーだったが、4月1日~18日はファーガソンオーケストラのホームグラウンドであるBirdlandでの演奏であった。その仕事が終わった直後の4月20日にこのアルバムは録音された。

一緒にプレーしたのは、あのジョンコルトレーンだったが、コルトレーンは丁度この時18日から連続して“Prestige all stars”の録音をしていた。その3日目にペッパーアダムスが招かれた形だ。2日目の録音はマルウォルドンのアルバムになったが、18日とこの20日の録音は、最初は“Prestige all stars”の録音で、コルトレーンのアルバムではなかった。当時のコルトレーンはマイルスのグループのマラソンセッションに付き合った後、丁度自分のグループを作る過渡期。色々なセッションに登場しているがその一環の録音だ。したがって必ずしもコルトレーンのリーダーアルバムとはいえない。

中身は、コルトレーンにペッパーアダムス、それにもう一人バリトンのセシルペインが加わったアルバムで、コルトレーンだけでなくこの2人も十分にフィーチャーされている、まさにALL STARアルバムだ。
同じバリトンでもセシルペインの少し鼻詰まりの音色ではなく、アダムスのバリトンの切れ味は鋭い。コルトレーンのテナーもアダムスの迫力に負けそうな感じだ。これはアダムスのアルバムといっても不思議はない。
事実、このアルバムは最初は”Prestige All Stars”で出されたようだが、いつの間にかコルトレーンのアルバムとタイトルが変えられてしまったようだ。たしかに「売る」ためにはコルトレーンのアルバムにしたほうがいいだろう。録音当時は新進気鋭の新人たちの演奏であったが、出世頭の初期のアルバムに変身したということだ。

アダムスは、この録音の一年前にもコルトレーンたちとgigを繰り広げていた。若い頃一緒に切磋琢磨した仲間同士だが、コルトレーンが大出世した時、アダムスは「俺も若い頃はコルトレーンと一緒にやっていたんだ」とは言わなかったろう。道が違ってもアダムスも大出世した一人なので。



1. Darker      Charles   7:11
2. Mary’s Blues   Adams   6:49
3. Route 4      Charles  6:56
4. Velvet Scene    Waldron  4:54
5. Witches Pit     Adams   6:42
6. Cat walk      Charles  7:10

John Coltrane (ts)
Cecil Payne (bs)
Pepper Adams (bs)
Mal Waldron (p)
Doug Watkins (b)
Art Taylor (ds)

Supervision Teddy Charles
Recorded by Rudy Van Gelder
      At Van gelder Studio, Hackensack, N.J.
      On April 20, 1957


Dakar
John Coltrane
Prestige
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40センチのパットのミスが流れを変える・・・・

2012-02-24 | SHOT OF THE DAY
雨の谷間の晴天、先日までのコチコチに凍ったグリーンが嘘のようなポカポカ陽気で春の訪れを感じる一日だった。
今日のコースは、常磐道、谷和原ICと谷田部ICの間、古くからある名門コースが密集している所だが、その中の一つ取手国際ゴルフクラブ。以前は確か取手新日本といっていたコースだ。
1958年開場とのことなので、既に50年以上経っているコースだけにコースの雰囲気はバブリーなコースと違った風格がある。クラブハウスは古いままだが綺麗に整備され、何より従業員の皆さんの礼儀正しい対応が好印象。

コースは平坦な地形で松ノ木が多く残るレイアウト、この辺りのゴルフ場の共通した風景だ。典型的な林間コースだが、フェアウェイは広いのでさほど圧迫感は無い。
グリーンは高麗とベントのツーグリーン。多くのコースでワングリーンに改造したり、ベントのツーグリーンに張り替えたりしているが、このコースは高麗グリーンを守っている。
この日のグリーンも久々の高麗だった。冬で芝が伸びていないせいか、高麗独特の芽はあまりない。傾斜に応じて上からは早く、カップ周りも傾斜でよくきれたベントと同じような感触であった。

乗用カードはなく、手押しカートのキャディ付だが、やはりショットの時に身近にカートがあるのはいいものだ。フェアウェイを変に着色することもなく、ディボット埋めも完璧。歩きのラウンドも平坦で天気のせいもあり快適、久々に昔のきちんとしたゴルフ場でのプレーの感触を思い出せた。

肝心のプレーは、一番のロングで2打をいきなり林の中へ、定石どおり安全に出したが、乗らず、寄らず、入らずのダボスタート。2番のミドルはフェアウェイバンカーから残り160Y弱を綺麗に打ててピン下にナイスオンで「今日の一打」。バーディー逃しであったがまずまず。
ティーショットが多少引っかかり気味で、次の3番も左の林へ。狭くは無いのだが。ここも出せばいいものをついつい色気を出してグリーンを狙って失敗。木に当たってまたもや林へ。ここで痛恨のトリ。

次のショートが挽回のチャンスだった。180Y弱の長めのショートだったが、あわやホールインワンの40センチに。難しいラインでもなく、なんなくバーディーと思ったら変に意識してこれを外す。これがケチの付き始め。その後のショートパットでもミスを連発。
このショートのパットミスが流れを変えてしまった。

後半もダボ先行を連続パーで持ち直したと思ったら、13番で右プッシュアウトのOB。本日右へのミスはこれ一発。何とも噛み合わせが悪い。
結果は90を切れないゴルフであったが、良い天気と、良いコースと、良いドライバーショットで気分良く廻れた。歩きのラウンドでも、途中待つことなくこともなく、どちらのハーブも2時間で廻れたのも最高。
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2人のギターの名手の競演だが、これをバトルといっていいものか・・・?

2012-02-23 | CONCORD
Brazilian Soul / Laurindo Almeida & Charlie Byrd

ギターという楽器は、ジャズは勿論、クラッシクでもロックであろうとどんなジャンルの音楽でも活躍する楽器だ。またギターに似た構造の楽器は世界中どの地域でも存在し、そこの民族音楽には不可欠だ。そして、ソロばかりでなく複数のギターを使う演奏も当たり前に行われている。そのように色々な可能性を秘めた楽器のギターなので、2人のデュオといっても一体どんな演奏を聴かせてくれるのか聴く前から興味が沸く。

このアルバムの主役である2人のギタリストはチャーリーバードとローリンドアルメイダだ。ジャズという視点から見ればボサノバの名手として有名だ。2人供に多くのアルバムでボサノバの好演を聴かせてくれた。
そして、このConcordレーベルでも2人は御馴染みだ。チャーリーバードは自分のアルバムだけでなく、グレイトギターズではギタリスト3人の競演をしていた。一方のアルメイダはLA4でのプレーでジャズからボサノバまでオールラウンドのプレーを聴かせてくれた。自分のアルバム"Chamber Jazz"がこのアルバムへの布石かもしれない。今回は、同じコンコルドでもPicanteレーベル、そしてこの2人の競演となると当然「ボサノバ」というのが定石だが・・・。

このアルバムのタイトルは”Brazilian Soul”。実は、2人が取り組んだのは現在のボサノバではなく、1930年代まで遡って当時の曲の再演だ。アルメイダは1917年のブラジル生まれ、若い頃に実際に身近に触れた音楽だろう。ところが、自分は当時のブラジルの音楽を知るわけでもなく、歴史も知らないのですぐにはピンとこない。
まずは、聞いた感じは強烈なサンバのリズムがある訳でもなく、クラッシクの小品を聴いているような雰囲気だ。2人のギターの絡みも大部分は2人のアレンジが施されていて、いわゆるアドリブの部分はごく僅かということらしい。
バックも、ベースにパーカッションだけであるが、ラテンやボサノバに付き物のいわゆるお囃子ではなく、ギターの刻むリズムをきちんと支えている。

B面になると、ジョビンの曲があったり、2人のオリジナルが加わるが、全体のサウンドが大きく変わるわけではない。大音量なジャズに慣れると小音量な繊細な演奏は物足りなく感じることもある。しかし、2人のバトルではなくコラボレーションを楽しむには、この繊細な絡みが実に気分がいい。そして、アコースティックな響きというものは不思議と音量を上げても煩くない。このアルバムも徐々に音量を上げてみた。すると不思議な躍動感が増す。2人のアレンジされたコラボレーションもバトルモードになってくる。これがブラジルの音楽の原点なのかもしれない。




1. Carioca
2. Naquele tempo
3. Cochichando
4. Luperce
5. Famoso
6. Choro Ⅱ
7. Brazilian soul
8. Stone Flower
9. For Jeff
10. Don’t cry for me Argentina(from “Evita”)

Laurindo Almeida (g)
Charlie Byrd (g)
Milt Holland (per)
Bob Magnusson (b)

Produced by Carl Jefferson
Recording & Remix engineer Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, December 1980

Originally Released on Concord Pcante CJ-150

Brazilian Soul
Laurindo Almeida & Charlie Byrd
Concord Records
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サドメルで育ったファレル、その後の活躍はチックコリアともに・・・・

2012-02-22 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Light As A Feather / Chick Corea with Return To Forever

サドメルのオーケストラの初代にサックスセクションに唯一人新人のエディーダニエルスが加わっていたが、もう一人のテナーはセルドンパウエルとジョーファレルが交互に座っていた。来日時はベテランのセルドンパウエルであったが、初録音にはジョーファレルが加わっている。このファレルは創設時から’70年までサドメルのオーケストラに参加していたが参加したときは30歳。メンバーの中では若手の部類であったが、メイナードファーガソンのオーケストラでプレーし、ミンガスやジャッキーバイヤードとの共演など実績を積んですでに中堅として活躍していた。サドメルのオーケストラに在籍中もコルトレーン亡き後のエルビンジョーンズとのグループで活躍していた。

そして、ファレルともう一人親しく付き合っていたのがチックコリアである。サドメルのメンバー達とコリアを加えたジャムセッションを行ったり、コリアのリーダーアルバムの一作目にも参加していたが、大きくブレークしたのが”Return to Forever”だろう。
あのカモメのジャケットで有名だが、何故かアメリカでは同じタイミングでは発売されずバンドが解散後にリリースされ、第2作のこのアルバム方が先に出たという経緯があった。’60年代の後半から’70年の初めにかけては、まさにポストコルトレーンの模索が色々な所で行われていたが、コリアを中心とした動きの中にこのファレルはしっかり軸足を置いていた。

このコリアのRTFのサウンドは実に新鮮だった。コリアエレキピアノ、スタンリークラークのベース、アイアートモレーラのドラム、そしてフローラプリムのヴォーカル、どれをとってのそれまでのジャズとは違うサウンド、それにジョーファレルのテナーとフルートが加わる。ファレルも周りの刺激を受けて、新しいサウンド作りに打ち込んでいたことだろう。
このグループとしてのサウンドは一度聴いただけで好きになった。その当時の自分はどちらかというと古いジャズが好き、コルトレーンは今ひとつ、ハードバップ物は定番としてはいいけどウェストコースト系も捨てがたい、ソロもいいがビッグバンド好きという嗜好であったが、このコリアのグループをきっかけにフージョン物も聴くようになった。

定番カモメのアルバムではなく、久しぶりにこちらのアルバムを聴いたが今聴いても新鮮だ。このアルバムが録音されたのが’72年の10月、最初のカモメがその年の2月だが、丁度その直後の3月にコリアとスタンリークラーク、そしてモレイラの面々はスタンゲッツと“Captain Marvel”を録音している。RFTのテナー、ファレルがゲッツに替わったアルバムだ。クール派の代表だったゲッツが熱いモーダルな演奏をするようになった。ゲッツもファレルを意識したのか、ファレルもコルトレーンをそのまま引き継ぐというというよりはどこかゲッツのクールなサウンドも影響を受けているような、何か2人には接点があるような気がする。ゲッツはドラッグを克服し晩年まで活躍をするが、ファレルの方はドラッグの影響もあり80年代に入ると目立った活躍もせず’86年に48歳で他界する。もう少し活躍すると思ったのだが。




1. You're Everything    Corea, Potter 5:10
2. Light as a Feather    Clarke, Purim 10:54
3. Captain Marvel      Corea 4:52
4. 500 Miles High      Corea, Potter 9:05
5. Children's Song      Corea 2:48
6. Spain           Corea, Rodrigo 9:48

Return to Forever
Joe Farrell (ts,ss,fl)
Stanley Clarke (b)
Flora Purim (Per, Vocals)
Airto Moreira (ds,Per,Vocals)
Chick Corea (ep,keybord)

Richard Seidel :Executive Producer
Hugh Jones :Engineer
Richard Manwaring :Engineer

Recorded on Oct.8,15, 1972

Light As a Feather
Return to Forever
Polygram Records
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70年代から80年代にかけて一番有名なジャズバンドは・・・・?

2012-02-21 | MY FAVORITE ALBUM
The Tonight Show Band with Doc Severinsen Vol.1

70年代の始め、まだ高校生だった弟が親の転勤で一緒にアメリカに滞在していた。その弟から「兄貴の好きそうなジャズのミュージシャンが毎日テレビに出ている」と手紙が来た。音楽自体は色々な所で聴く機会はあっても、当時は今の時代のように身近で映像を見る機会はなかなかなかった。まして、テレビで本場のジャズを見ることができる機会というのはめったになかった。今でこそ多少翳りが出てきたものの、国民全体に情報を届けられるマスメディアとして絶対的な影響力を持っていたのは、当時はテレビであった。そのテレビに毎日のように出演するとなると、当然知名度は上がり彼の存在は全米中に知れ渡ることになる。そこで演奏される音楽と供に。そのバンドは、ドックセバリンセン率いるツゥナイトショーバンドだった。

NBCの深夜の有名なトークショー番組をジョニーカーソンが30年間司会を務めたが、そのバックオーケストラを務めたのが”Tonight Show Band”。ドックセバリンセンがリーダー(音楽監督)となったのが67年なので、彼は大部分の期間をカーソンとコンビを組んでいたことになる。
このセベリンセンは、先日紹介したビリーテイラーのテレビ番組にも一緒に出演していたので、テレビ界との繋がりは以前からあったのかもしれない。テレビ関連の仕事に加え、60年代の前半にかけてはスタジオワークで色々なアルバムにトランペット奏者として参加していた。そのセバリンセンが音楽監督になって”Tonight Show Band”を再編成してから、そのバンドは一躍有名になっていった。ちょうどニューヨークからロサンジェルスに番組が引越しになったのに合わせてメンバーも異動があった。当時はテレビ番組の制作拠点が西海岸に移るということは他にもあったと思われるので、ニューヨークのミュージシャンの西海岸への移動も起った。秋吉敏子の夫君のルータバキンもその一人であった。

それで、このバンドには西海岸の在住の有名なプレーヤーが加わることになる。トランペットのスヌーキーヤング、そしてコンテカンドリの両巨頭も。サックスではビルパーキンスやアーニーワッツなど。ピアノのロストンプキンスやドラムのエドショネシーなどの「名人」も長年このバンドのメンバーを務めることになる。
バンドの演奏だけでなく、多くのゲストがこのバンドと一緒にそのプレーや歌を全米に披露することになった。テレビの影響力は圧倒的なので、当然のようにこのセバリンセンのバンドも全米で一番知れ渡ることになり、人気投票でも上位にくるようになった。

そして、満を持して作られたのがこのアルバム。スイング時代からのビッグバンドの伝統を引き継ぐこのバンドのアルバムがめでたくグラミー賞を受賞することになった。特に実験的なことをやるわけでもないし、古いバンドのコピーをしている訳でもなく、これぞビッグバンドのエッセンスという演奏だ。ビッグバンドの楽しさを広く世に知らしめるためには、このようなバンドも必要だと思う。思えば、日本でも昔はビッグバンドがレギュラー出演している番組はいくつもあったものだ。



Tonight Show Band

Doc Severinsen Conductor, Flugelhorn, Performer, Trumpet
Conte Candoli Flugelhorn, Trumpet
Snooky Young Flugelhorn, Trumpet
John Audino Flugelhorn, Trumpet
Maurey Harris Flugelhorn, Trumpet
Gilbert Falco Trombone
Bruce Paulson Trombone
Ernie Tack Trombone (Bass)

Tommy Newsom  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Bill Perkins  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
John Bambridge  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Pete Christlieb Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Ernie Watts   Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Donald Ashworth Clarinet, Euphonium, Flute, Sax (Baritone), Sax (Bass)

Ross Tompkins Piano
Joel DiBartolo Bass
Peter Woodford Guitar
Bob Bain Guitar
Ed Shaughnessy Drums

Produced by Jeff TyZik & Allen Vizzutti
Mick Guzauski Engineer, Mixing, Recording Technician
Daren Klein Assistant Engineer
Richard McKernan Assistant Engineer
Jesse Peck Assistant Engineer

Recoeded "Live" in The Studio on August 5-7, 1986

The Tonight Show Band Vol. 1
Tonight Show Band
Amherst Records



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ゴルフは不思議と同じパターンに嵌りやすい・・・その流れを生かしきれれば良いのだが

2012-02-20 | SHOT OF THE DAY
ゴルフの時の天気予報が夕方から雨というのは「ラッキー」と思うのが常であるが、その日はスタートしてからまもなく早くも雨がパラつきだした。そして、一度も上がることなく昼には本降りに。
コースは習志野カントリークラブのキングコース。以前に一度は廻ったことがあるが、10年以上前。否もしかしたら20年になるかもしれない。久々の訪問を楽しみにしていたが、想定外の雨のラウンドになるとは「アンラッキー」というしかない。雨具もちゃんと用意をしてこなかったので。

まずは、行く途中でコース近くまで開発が進み周辺の雰囲気が一変していたのに驚いた。コースもアコーディアになってから大分変ったと言われているが、以前を思い出せないので何ともコメントできない。手入れの悪さも良く話題にはなるが、グリーンの状態も含めてこの時期としてはまずまずの状態であった。その日のグリーンは距離のある方のAグリーン。フロントでも6600yあるので、雨の日は距離が長いと余計に手強くなるのを覚悟してのスタートだった。

コースのレイアウトは忘却の彼方、手探りでのラウンドになった。アウトの一番、左ドッグレッグのミドルでいきなり左の林へ。「木の当たり所が悪いとOBの可能性も」とキャディーさんの一言が気になったが、結果は林の一番先まで。木の間からグリーンが狙える所まで飛んでいた。朝一番のOBは気勢をそがれるが、まずはラッキースタート。

林から出した一打はグリーン-手前のバンカーへ。バンカーからは上手く出せたが3m近くあるので無理をせずに距離だけ合わせて慎重に打ったらこれがカップイン。幸先のいいスタートになった。
2番からは久々にドライバーの調子が実にいい。こんなことはめったに無いが、キャディーさんが「この方向」という方向に真っ直ぐ飛ぶ。ところが、上手くいかないのが第2打。長いミドルは仕方がないのだが、短いホールでも微妙に擦り球で手前のバンカーに。何と1番から5ホール連続でバンカーに掴まる。ところが、今度はバンカーショットが実にいい感じで、1ピン近くに寄ると今度は否が応でも1パットの期待が高まる。が、そうそう上手く事は進まない。反対に8番では6回目のバンカーに掴まるがここでは3パット。前半は、一番こそラッキーパーであったが、その後はダボ先行で纏まらない内容に。ただしティーショットとバンカーショットだけは大満足。

後半もティーショットは好調持続だが、第2打が悪いのは引続き。後半はバンカーに掴まったのは3ホールだったが、ところが今度はこの3ホールともワンパットで上がる。これで3つが噛み合ってきたのでパー先行のパターンに。何とか80台が出るかと思ったら、最後の2ホールで大叩き。「トリ無しゴルフ」も達成できず。でも、久々にバンカーショットの感触が蘇ってきたのは大成果。雨中のラウンドとしては気分良く楽しく廻れた一日だった。
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オーケストラでは別の顔を見せていたが、本当の自分は・・・

2012-02-18 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Blue Bossa / Eddie Daniels with Bucky Pizaarelli

1965年末、サドメルのオーケストラが設立された時のベテラン揃いのメンバーの中に一人場違いな感じの若者がいた。最年少メンバーだったテナーのエディーダニエルスだ。他のメンバーと較べるとそれまでの実績もない新人だった。BIOを見ると、’57年のニューポートにユースバンドの一員として参加していたとの事なので、学生の頃からすでに才能は世に知られていたのかもしれない。サドメル結成時はまだジュリアード音楽院に在籍していた正真正銘の新人だったようだ。彼は,’68年のサドメルの初来日時にも同行し、若々しい演奏を聴かせてくれたが、その時の油井正一氏の感想は、「白人の若手ロリンズ」であった。

そのエディーダニエルスは、サドメルのオーケストラには6年間在籍したが、その後の彼の活動は「テナーの新星」としての期待に反して?クラリネットで有名になっていく。クラリネットというと、どうしてもドラディショナル、スイング系だと花形だが、モダンクラリネットというと影が薄くなる。その点ではクラリネットの期待の星になった。サドメルで席を並べていたテナーのジョーファレルは、サドメルを卒業してチックコリアのリターンツゥーフォーエバーに加わり新天地に踏み出して行ったが、このダニエルスはクラリネットの楽器の特性からか、演奏内容はサドメル時代にテナーで聴かせてくれたスタイルから徐々にクラシック寄りの演奏に軸足を移していった。今でもその路線は変わっていない。

そのダニエルスが、ちょうどサドメルのオーケストラを離れた頃のアルバムがこのアルバムだ。ギターのバッキーピザレリとのデュオだが、まさに今のダニエルのスタイルのスタートとなるアルバムだ。デュオということもあり、色々な楽器を2重録音を含めて使用するがテナー、というよりサックスは一切使っていない。クラリネットだけでなく、フルートに、バスクラ、アルトフルートがこのアルバムでの主役だ。

いきなり、ブルーボッサはいきなりバスクラで始まる。室内楽風のイントロだがすぐにボサノバのリズムにのってバスクラのソロ続く。アズロングアズアイリブが唯一フォービートで、ボサノバとバラードの曲が大半。後はフラメンコ風あり、ショパンの曲もあり雰囲気は4ビートとは別世界に。ピザレリのギターはツゥーフォーザロード以外完全に裏方に徹しているが、どんなテンポ、スタイルであり絶妙なバッキングだ。ギターという楽器はソロが無くともバックを楽しめる楽器で奥が深い。

何の仕事でもチームで仕事をしていると、自分の才能を発揮できる場所・役割は限られる。もちろん多彩な才能を持ち合わせれば色々な局面で活躍はできるのだが、本当に自分のやりたいことをやるには独立するしかない。サドメルで世に出たダニエルスだが、今のダニエルスワールドはいきなりデュオアルバムで自分の想いをさらけ出したこのアルバムが始まりかもしれない。

フルートもなかなか・・


1. Blue Bossa          Dorham 3:19
2. Wistful Moment        Hanna 4:13
3. Emily             Mandel, Mercer 3:25
4. Samia             McCann 3:40
5. Etude No. 14 in F Minor, Opus 25, No. 2   Chopin 3:54
6. Variations on an Autumn Theme Williams 1:25
7. As Long as I Live       Arlen, Koehler 3:19
8. Shine             Brown, Dabney, Mack 3:07
9. Two for the Road        Bricusse, Mancini 1:35
10. Entr'acte           Ibert 3:31
11. Afterthought         Daniels, Pizzarelli 5:01
12. Samia [2nd Version]      McCann 3:52
13. A Flower for All Seasons   Hanna 4:15
14. Blue Bossa [2nd Version]   Dorham 3:18

Eddie Daniels  Clarinet, Bass Clarinet, Flute, Alto Flute
Bucky Pizzarelli Guitar (Acoustic & Electric)

Alan Bates    Producer
Gerry MacDonal Engineer, Liner Notes, Producer

Recorded at Macdonald Studio, Sea Clff, N.Y.
     on December 6,26, 1972,January 2,15,17, 1973

Blue Bossa
Eddie Daniels
Choice
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ニューヨークでの熱い演奏を、そのまま西海岸へ・・・・

2012-02-17 | MY FAVORITE ALBUM
Conte Candoli Quartet

トローンボーンのフランクロソリーノは、トランペットのコンテカンドリとよくコンビを組んでいた。この2人は50年代から一緒にプレーをすることも多かった仲間同士。’70年代の後半にも一緒にヨーロッパに遠征していたが、長く付き合っていたのも気心をよく知り合っていた仲だったのであろう。

相方のカンドリもレコーディングセッションに参加した数は非常に多いが、実力者の割りにリーダーアルバムとなるとロソリーノと同じでそれほど数が多いわけではない。’50年代のアルバとなると、ロソリーノと同様、Modeのアルバムがある。ワンホーンでカンドリの若い頃のプレーをたっぷりと聴ける。

自分の所有盤はVSOPのCDなので、ライナーノーツに’発売当時’93年当時のインタービュー記事が載っている。
まずは、最初に’56年7月、あのクリフォードブラウンが急死した直後、マックスローチから後釜としての誘いがあった事の話から始まる。カンドリは西海岸でずっとプレーをしていたので、彼はウェストコースト派の代表格と見られているが、プレー振りはけっしてクールなウェストコーストサウンドではない。西海岸のプレーヤーは、それで損をしている事も多いのではないだろうか。この話はカンドリがたまたまライトハウスの長期の契約が決まった後だったので見送りになってしまったそうだが、もしクリフォードブラウンの後釜になっていたら、彼の人生も変わっていたかもしれない。

そして、このModeのレコーディングに関しても語られている。前の年から引続きカンドリはニューヨークに3、4ヶ月留まり、”Birdland All stars“に加わって10週間に渡ってプレーをしていた。他にもケニードーハムやアルコーン達とgigを重ねてロスに帰ってきたばかりのタイミングだったそうだ。彼自身が語っているように、ニューヨークでの熱気の籠もったプレーのイメージが冷めないまま、ニューヨークで演奏していた曲もとりあげてこのレコーディングに臨んだ。このアルバムはその影響が大きかったのではなかろうか。ワンホーンでのプレーが一際輝いている理由が分かった。

さらに、父も兄もトランペットを吹く家庭に生まれ、丁度発展途上の14歳の時、ガレスピーやパーカーのプレーに直接接したことなど。そして、ケニードーハムを尊敬し、新しいプレーヤーとしてはフィレディーハバードが好きな事なども。このような経歴を聴くと、彼のプレーにはイーストもウェストも無い事が良くわかる。

このカンドリも、70年代から’80年代にかけては、スヌーキーヤングなどと一緒にあの”Tonight Show”のオーケストラのメンバーに納まり、スーパーサックスにも加わったいあた。それで、よく見かける割りには個人的にスポットライトを浴びる機会は少なかったようだが、晩年まで活躍した名トランペッターの一人だ。

1. Something for Liza      Cohn 4:04
2. Walkie Talkie        Candoli 4:26
3. Flamingo           Anderson, Grouya 3:13
4. Mediolistic          Johnson 4:21
5. Tara Ferma          Candoili 5:11
6. Diane             Pollack, Rapee 3:43
7. No Moon at All        Evans, Mann 2:37
8. Mambo Blues          Candoli 3:48

Conte Candoli (tp)
Vince Guaraldi (p)
Monty Budwig (b)
Stan Levey (ds)

Red Clyde    Producer
Bones Howe   Engineer
Dayton Howe   Engineer

Recorded in Jun 1957,at Radio Recording in Hollywood, California

Conte Candoli
Conte Candoli
Vsop Records
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今日の敵は明日の友、個人技を競うのにはダブルスでの楽しみも・・・・

2012-02-16 | MY FAVORITE ALBUM
Pairing Off / Phil Woods Septet

ゴルフやテニスは基本的に個人プレー。そして個人の実力の差が結果にそのまま出てくる。プレーヤーがランキングの上位を目指して切磋琢磨することで、よいプレーを生みだす。プロの場合はそれがお金に直接繋がるし、我々はかれらの素晴らしいプレーを見ることができる。
ジャズの場合個人のソロプレーは稀。各人のプレーの相乗効果がグループとしての素晴らしい演奏を生む。その中には綺羅星のように個々の素晴らしいプレーが内包されているもは勿論だが。そして、各プレーヤーの組み合わせの妙による偶然性がジャズの楽しみの一つだ。

特に2人のソロをクローズアップしたものよくバトルといった。しかし、そのバトルとはスポーツとは違い勝ち負けを競うものではない。2人でコラボしながら、そしてお互いを鼓舞し合ってよいプレーを引き出すものである。
スポーツでも、シングルスではなくダブルスの世界ではよく同じような状況になる。ゴルフの場合はいつもは一層個人色が強いが、マッチプレーやダブルスの時は、相手との間で勝ち負けとは別の何か連帯感と競争心が生まれる。これが楽しみに加わる。

フィルウッズは’50年代ジーンクイルとコンビを組んでいた。同じような音色、プレー振りはバトルというよりは、仲の良い双子の兄弟の戯れのようで、2人の良さを倍増させる以上の魅力があった。そのウッズとクイルがさらにゲストを招いて「ダブルス戦」を開催した。
“Four Altos”という、同じアルトサックスをもう2人招いての試合もあったが、今回はケニードーハムとドナルドバードのトランペット2人だ。違う楽器のコンビ同士のバトルというと、Modeのアルバム”A Jazz band Ball”に、バルブトロンボーンとトランペットという組み合わせがあったが、あまり多くはないイベントだ。

先日のThree Baritoneはマリガンに捧げたという意味もあり、アレンジにもそれなりの拘りがあったが、このアルバムはあくまでもソロプレーのお披露目がメイン。いつもの2人の掛け合いにトランペットの2人が上手く織り込まれたといった感じだ。ビッグバンド好きなので、編成が大きくなるとソロとアンサンブルの兼ね合いがどうしても気にはなるが、このアルバムでは特に目立つものは無い。

このアルバムは、いわゆる"Phil & Quill"と銘打ったアルバムよりは前の録音になる。フィル&クイルというコンビは、実はこのような他流試合を経てコンビが醸成されていったのかもしれない。合コンを続けて彼女ができるように。

1. The Stanley Stomper     Woods 14:20
2. Cool Aid           Woods 9:47
3. Pairing Off         Woods 12:15
4. Suddenly It's Spring     Burke, VanHeusen 8:22

Phil Woods (as)
Gene Quill (as)
Donald Byrd (tp)
Kenny Dorham (tp)
Tommy Flanagan (p)
Doug Watkins (b)
Philly Joe Jones (ds)

Bob Weinstock Supervisor
Rudy Van Gelder Engineer

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ on June 15,1956




Pairing Off
Phil Woods
Ojc
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バリトンサックスづくしは、果たしてどんな結果に・・・

2012-02-15 | MY FAVORITE ALBUM
Three Baritone Saxophone Band Plays Mulligan

そもそもバリトンサックスのバトルはあまりケースが多くは無いが、バリトン3本の競演となるとそうそうあるものではない。さらに、曲もバリトンの名手ジェリーマリガンに捧げて、オリジナルを中心にマリガンにちなんだ曲を取り上げたとなるとまさにバリトンづくしだ。果たしてどんな演奏になるか、聴く前から楽しみがひとつ増える。

ジェリーマリガンはバリトンサックスのプレーヤーとして有名だが、ボブブルックマイヤーと同様に時にはピアノも弾く。そして、曲作りからアレンジまで何でもこなすオールマイティーなプレーヤーだ。カルテットからオーケストラまで編成は多彩だが、自分のグループでの演奏ではオリジナルが多い。そして、初期の彼のグループの特徴はピアノレスが多い。

古いスイングジャーナルに評論家の本多俊夫のマリガン評が載っていた。ピアノが無いベースだけのバックになるとアドリブのソロは自由度が増す。ところがマリガンのソロのフレーズ作りはスイング派の域を出ないのでアドリブには限界があった。したがって、アレンジの世界に深く傾注していったのではないか?と。

このアルバムの目玉であるバリトンサックス3本の企画を思いついたのはイタリアのイベントプロデューサーのGiampierro Rubei 。Smulyanに話を持ちかけたら早速興味を示し、ロニーキューバーのマネージャーに。そしてマリガンの友人であった評論家のアイラギトラーが話しにのって、'96年の7月には地元のリズムセクションを加えて、早速イタリアで3日間のコンサートが実現した。マリガンが亡くなったのはその年の1月20日。半年の早業でこの企画が実現した。すぐに評判になり、そのままズバリ“The Three Baritone Saxophone Band”として、ヨーロッパのツアーが引続き行われた。

オリジナルの曲が多いマリガンなので当然マリガンの曲が大半になるが、他にもマリガンに因んだ曲ばかりが選ばれた。マリガンの関わった映画音楽にもいいものがあるとのことで、ジョニーマンデルの“I want to live”と”Black Night Gown”が選ばれた。一緒にプレーをしたアートファーマーの曲、そして全体のアレンジをロニーキューバーが担当したので、彼のオリジナルも一曲ということになった。マリガンに捧げるというと単なるブローセッションにはできないので、各曲とも緻密なアレンジが施されたが、ピアノレスにすることも忘れなかった。

マリガンのグループでもブルックマイヤーとのカルテットは低音の魅力だったが、やはりバリトン3本のアンサンブルは重々しい。ところが、マリガンの味付けをすると多少は軽い雰囲気にはなってくるから不思議だ。

このバンドも立ち上がりの評判で、長く続きそうな勢いであったが、このアルバムのその後については動向を知らない。アルバムも続編は無いようであるが。やはりチョットしたアイディアで生まれたバンドも、長続きさせるにはスーパーサックスのようなしっかりしたコンセプトが重要かもしれない。


1. Line for Lyons   Mulligan 4:22
2. Blue Port      Farmer 5:34
3. I Want to Live   Mandel 4:59
4. Walkin' Shoes    Mulligan 4:51
5. Elevation      Lawrence, Mulligan 3:54
6. Black Nightgown   Mandel 5:13
7. Bernie's Tune    Leiber, Miller, Stoller 5:39
8. Festive Minor    Mulligan 4:25
9. Theme for Jobim   Mulligan 4:09
10. Five Brothers   Mulligan 5:40
11. Lonesome Boulevard Mulligan 4:28
12. Waltz for Geraldus Cuber 7:46

Ronnie Cuber (bs,arr)
Gary Smulya (bs)
Nick Brignola (bs)
Andy McKee (b)
Joe Farnsworth (ds)

Produced by Roberta Arnold
Patrick Derivaz Engineer

Recorded on May 21, 1997 at Sorcerer Sound, New York Cuty

Plays Mulligan [Import CD from France]
The Three Baritone Saxophone Bnad
Dreyfus
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昔の自分達の持ち歌も主役を替えて時代に合わせてみると・・・

2012-02-14 | CONCORD
East of Suez / Jackie and Roy

Concordレーベルは設立以来、オーナーのカールジェファーソンが大部分のアルバムをプロデュースしてきた。オーナーカンパニーのワンマン社長の常として、基本的には社長の好き嫌いですべては物事が進む。ジェファーソンのプロデュースしたアルバムもその通りであった。基本はモダンスイング系のプレーヤーで、ベテランで一線を退くか、活動はしていても裏方に徹していて表舞台にあまり立たないプレーヤーを地道に発掘していた。もちろんスコットハミルトンのような新人のスターも生まれたが、これもジェファーソンイメージする昔ながらのスタイルを見事に再現しているからであって、新しい試みやスタイルの新人を積極的に追い求めた訳ではなかった。しかし、これだけアルバムも増えてくると、よく言えば良き伝統へのこだわりを守っていたことになるが、悪くするとマンネリ化した懐メロ集の連発になる恐れが十分にあった。

そこで、一つの対応がラテン系に軸足を置いたサブブランドのPicanteシリーズを作ったことだ。もう一つが、No.2のプロデューサーFrank Dorritie起用して、ミュージシャンの選定や演奏内容の幅を広げていった。ドリティーのアプローチもジェファーソンの基本路線は外さないものの、内容的にはスイング派だけではなく、主流派の範疇までかなり拡大していった。ケニーバレルやジェイムスウィリアムスのアルバムなどはその一例である。中でもジョージシアリングのブライアントーフとのコンビは大成功だったと思う。

このジャッキー&ロイもこのドリティーのプロデュースの作品。単に昔を懐かしむのであれば、チャーリーベンチュラ時代のバップスキャット集をやってもいいのだが。このジャッキー&ロイ自体が、これまでも古いスタイルを踏襲するのではなく、新しい曲や時代の流れを上手く採り入れてアルバム作りをしてきた。とはいうものの、彼らのデュエットのスタイルは基本的な枠組みを大きく崩すことはなく、いつもある種の優等生的な収まりを持っていた。ベンチュラのバンド時代の十八番であった、バップスキャットは彼らの売りのひとつだが、一方で、ジャッキーのディクションのはっきりした歌い方、良く通る声のボーカルも魅力だ。それに加えて、ロイの歌やピアノも良く計算されたバックも彼らの特徴であり、変らぬスタイルだった。そもそも風貌も美男・美女のコンビで見かけもスマートなので、演奏自体も枠を外せなかったのかもしれない。
となると、プロデューサーも変化を持たせるためにどのようなアルバム作りをするかが頭の痛いところだ。

2人は、この録音に先立ち‘80年のコンコルドジャズフェスティバルに登場した。大舞台でのコンサートなると、彼らを有名にした1949年のジーンノーマンのパサディナコンサートをどうしても思い浮かべてしまうが、その舞台で彼らを有名にした当時の演奏から“East of Suez”、“Anthropology”が再演された。しかし、演奏は昔のスタイルを踏襲するのではなく、今回はアレンジ自体も彼らを主役に、そしてバックの編成の違いもあり今風に変えて再演した。このアルバムでの編成はクラールのピアノに、ジェフハミルトンのドラムとブライアントーフのベースというコンコルドでは実績のある2人を配置し、ヴァイブとパーカッションを入れてリズミカルなバック仕立てになっている。
選曲もマイケルフランクスの曲やエリッククロスから贈られた曲から、デビュー当時のバップスキャットが生きるタイトル曲やパーカーのアンソロポロジーまで新旧取り混ぜている。
2人のデュエットはいつもどおりの優等生だが、昔ながらの伝統あるワインを新しいボトルに入れたように新鮮に聞こえる。このグループが長続きしたもの、時代を超えてどんな曲でもあるいはバックでも彼らの持ち味を活かした普遍の正統派ボーカルデュオを貫いたからであろう。





1. Don't Be Blue          Franks, Guerin 4:01
2. D Light             Kral 4:53
3. Close Enough for Love      Mandel, Williams 5:18
4. East of Suez           Stein 5:09
5. Wings of Love          Kloss 5:17
6. Travelin'            Cain, Johnson 4:53
7. It's So Peaceful in the Country Wilder 5:44
8. Anthropology           Bishop, Gillespie, Parker 3:47

Jackie Cain (vol)
Roy Kral (p,vol)
Brian Torff (b)
Paul Johnson (vib)
Jeff Hamilton (ds)
Ralph Hardimon (per)

Produced by Frank Dorritie
Engineer Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California in November, 1980

Originally Released on Concord CJ-149



East of Suez
Jackie and Roy
Concord Records
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「賞味期間30年」の風貌と同様変らぬプレーの始まりは・・・

2012-02-13 | PEPPER ADAMS
Critics' Choice / Pepper Adams

年をとるとがらりと風貌が変ってしまい、若い時の面影が全くなくなってしまう人もいる。人生において何か大きな転換をする時は、このように風貌から別人になってしまった方が変身しやすいかもしれないが。
ペッパーアダムスは写真を見る限りの風貌は若い時も、年をとってからもあまり変っていない。そして、プレー自体も若い頃のバイタリティーが年をとってもまったく変らなかった。

そのペッパーの初録音となると、リーダーアルバムはModeのQuintetだと思う。
新人でありながら、このレーベルに登場する他の中堅プレーヤーに負けないアルバムだと思う。
1930年生まれのペッパーなので27歳の時であるが、もちろんそれまでの間の経験は豊富だ。デトロイト生まれのペッパーはニューヨークで育ったが、17歳の時にはデトロイトへ戻っていた、そこで、サドジョーンズなどの地元もミュージシャンとプレーをしていたが、再びニューヨークに戻ったのが’56年の初め26歳の時だった。
ニューヨークでもすぐに色々なセッションでプレーをしていたが、5月にオスカーペティフォードの勧めで、スタンケントンオーケストラに加わってツアーに出る。各地を周って、11月25日サンフランシスコにいる時に半年プレーを続けたケントンオーケストラを辞めて、ロスアンジェルスに移る。その時一緒に辞めたのが実はドラムのメルルイスであった。

もう一人一緒に辞めたトランペットのリーカッツマンとロスで早速プレーを始めた。同時にロスでは多くのスタジオワークをこなすが、クインシージョーンズのGo west manへの参加もこの時だった。そしてメイナードファーガソンのビッグバンドに加わるなど、いわゆるスタンケントン出身者の多くが辿る道を歩みながらウェストコーストを拠点として仕事を始めた。
そんな中7月12日Modoでの初リーダーアルバムの録音が行われた。順風満帆の門出に相応しいタイミングであった。

それから僅か一ヶ月後の8月22日、このアルバムは生まれた。このセッションには一緒にスタンケントンを卒業してロスで活動ををしていたメルルイスとトランペットのリーカッツマンが加わった。ペッパーのリーダーアルバムだが、3人にとっては3人で作った「ケントン卒業記念アルバム」だったかもしれない。ピアノにはジミーロウルズ、ベースにはダクワトキンスと新進気鋭のメンバーが加わった演奏だ。

演奏する曲には、昔デトロイトで一緒にプレーをしていたトミーフラナガンやサドジョーンズの曲が入っている。ペッパーの曲作りはまだまだ、作曲というよりも自然発生的にプレーしたブルースが2曲収められている。
プレーは、まさにペッパーのあのサウンドである。当時の西海岸の流行はジェリーマリガンのクールなサウンドだったかもしれないが、そんな事はお構いなくペッパーサウンドを全編披露している。ウェストコーストで活動を始めたものの、ペッパーの演奏のオリジンはデトロイトであり、ニューヨークの色が濃い。彼のプレーに引っ張られてか、共演するプレーヤーの演奏も熱っぽく西海岸での録音とは思えない。

そして、その年のダウンビートの新人賞の発表があったのはその一週間後。早くも2枚目のアルバムに箔が付く形になって世に出ていった。アルバムのタイトルも、それを冠したアルバムに仕上がった。
このような経緯を知ると、サドジョーンズが辞める直前まで一番長くサドメルのオーケストラに在籍したペッパーであるが、サド、メルの両リーダーとの出会いは、それぞれペッパーの人生にとっては何にも増して大事だったのかもしれない。

'77年にサドメルのオーケストラを離れ、ソロプレーヤーとしての道を改めて歩み始めるが、その活動の原点はスタンケントントンを離れて一人で活動を始めた丁度このアルバムを録音した頃にあるのではないだろうか。そして20年後もこの時と同じような気持ちで豪快なプレーを続けていたように思う。

1. Minor Mishap       Flanagan 6:28
2. Blackout Blues      Adams 4:58
3. High Step         Harris 8:44
4. Zec            Jones 6:35
5. Alone Together      Dietz, Schwartz 5:51
6. 50-21           Jones 8:12
7. Four Funky People     Adams 4:56

Pepper Adams (bs)
Lee Katzman (tp)
Jimmy Rowles (p)
Doug Watkins (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Richard Bock

Recorded on 13,14 August, 1957 in Los Angels


クリティクス・チョイス
Pepper Adams
EMIミュージックジャパン
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