A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

場所が替わればメンバーも違って・・・

2007-02-27 | MY FAVORITE ALBUM
JAZZ FOR A SUNDAY AFTERNOON VOL.3


VOL.3は、ニューヨークを離れて西海岸に飛んだ。
ジャケットのデザインも1.2集とはがらりと変わって何となく西海岸風。
その西海岸も一時はWEST COAST JAZZで一世を風靡したが、それは昔の話。この録音が行われた1968年の頃は、4ビートのJAZZは表舞台にはあまりいなかったようだ。

1958年から10年で、JAZZの世界は、ハードバップからモードへ、さらにボサノバなどのラテンやアフロキューバン、モードやフリーJAZZ、FOLKROCKの影響、そして電子楽器の利用など、どんどん多様化した混沌とした時代だった。

しかし、ハリウッドを中心として、スタジオミュージシャンとしての仕事は沢山あったのだろう。JAZZプレーヤーとしては一線を退いてスタジオワークをしていた有名プレーヤー達が西海岸には沢山在住していた。
オスカーピーターソンの有名なトリオで長年ベースを努めていたRAY BROWNなどもその一人だ。

SOLID STATEレーべルのソニーレスターは、メルルイス(彼も以前は西海岸を仕事場にしていた)と一緒に、ニューヨークで行ったのと同じようなジャムセッションの企画を西海岸で立てた。

集まった場所は、ハリウッドの郊外、それも町の外れにあるMARTY’S。
NEWYORKの喧騒の中のVILLAGE VANGUARDとがらりと異なったシテュエーションにあるLIVE HOUSEだが、有名どころのBIG BANDをはじめとして著名なミュジーシャンが集まる場所であったそうだ。

そこに、西海岸を拠点とする有名プレーヤーが参集した。こちらもオールスターメンバーだ。まさしく、ジャムセッションの東西対決と言ったところであろう。

こちらのセッションも、東に負けず素晴らしい。リズムセクションが、東が若手中心であったのに対して、こちらは、ブラウンにシグペンのベースとドラム、さらにフラナガンとロウルズのピアノであれば10年前のゴールデントリオの再編成。
若手の新しいチャレンジ精神を持った斬新な取り組みは残念ながら無いが、反対に安心して聴けるのは間違いないし、悪かろうはずがない。

エリントンとモンクのスタンダード曲を取り上げているが、東に負けないベテラン勢の力のこもった演奏だ。「WEST COAST」 のJAZZってこんなに熱っぽかったっけ」というのが、正直な感想。
あまり有名にはならなかったが、愛聴盤の一枚だ。
どちらの曲がいいかと聞かれれば、STRAIGHT NO CHASERの勝ちかな?

SATIN DOLL
STRAIGHT NO CHASER

Bobby Bryant (tp)
Harry”Sweet”Edison (tp)
Victor Feldman (vib)
Carl Fontana (tb)
Frank Rosolino (tb)
Harold Land (ts)
Pete Christlieb (ts)
Jimmy Rowles (p)
Tommy Flanagan (p)
Ray Brown (b)
Chuck Berghofer (b)
Ed Thigpen (ds)

Recorded in February 1968 at Marty’s in Hollywood
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プロの診断を受けた翌日の月例・・・・何となくゆったりした気分で目を覚ます。

2007-02-26 | SHOT OF THE DAY
この日はスタートも遅め、家を出たのも8時近く。
朝から、テンポがいつものゴルフの時よりもゆったりだ。
天気予報は、この冬一番の冷え込みとのことだったが、多少ひんやりした感じはあったものの、霜も降りていない。やはり暖冬なのだろう。

コースには9時頃到着。昨日のチェックの結果を体が覚えているかどうか心配しながら、練習場へ。アイアンの感じは確かに残っている、ドライバーはいまひとつ気分の良い飛び方をしていない。昨日も「合わせて打っているので、振り切っていない」と言われたが。
振ろうとすると体が回転せずに手だけが暴れる。体の切れが悪いと言うことだろう。
結局、不完全燃焼のまま終える。

スタートは10時過ぎ。最後から2番目の組。
スタートの一打目は、右の木の陰に。グリーンは直接狙えない。確実に出して第3打を狙うがショート。4打目はグリーン手前から確実に寄せて20cmにつけてボギー。
いつもは、ミスにバタバタするところだが、今日は朝からゆったりした感じが続く。
パー、ボギーと続いて、4番のロング。
右の林に行ったが、前は開けている。右の木の枝が少し気になり少し左に向いたのが失敗。
真っ直ぐ左の林に打ち込む。慎重なショットを心掛けていたが、これは無造作に打ちすぎた失敗。さらに、アプローチをミスしてこのホールはダボ。

この後は我慢のゴルフが続いた。
8番のショート。ワンオンしたものの、20Y近いパットを残す。頭を残して打った時から、上手く打てたという感触があった。カップ直前に僅かにスライスしてそのままカップの真ん中から入る。
テンポを崩さず我慢のゴルフをしていると、いいことがあるものだ。
ここで、スコアを数えなおすと5オーバー。
久々に締まったゴルフ。
特に、最近ノーカンだった、パットがいい。殆どOKにつけている。
パットもタッチが合ってくると、こんなロングパットも入るのかと、改めてテンポの大事さを感じる。
そして最終ホール。200Y近くの残してしまったが、これを2オンしてパー。
忘れかけていた“納得”のラウンド。
バーディー1、パー3、ボギー4、ダボ1つは、41。 
パット数14。3パット無しは上出来。
最初ドライバーがブレたが、致命的なミスショットはなし。
特に、アプローチとパットが良かったのは気分よし。

その気分を大事にして、午後のハーフに向かったが、いきなり出だしのホールから2回林に打ち込む。更に3パットのトリスタート。
続くミドルで、2打をチョロしてバンカーに。本日初の凡ミス。距離のあるバンカーから乗せられず、ダボ。
せっかく午前中気分良く廻れたのに、いきなりの崩れ・・・・。

後半は、プレーの進行が遅く、各ホール待ち待ち。5ホール終えて2時間近く。
これもテンポが悪くなった原因か?
日が長くなったとはいえ、日没が心配になりかけたが。

しかし、この日はここから踏ん張れて6番のショートで30cmにつけるバーディー。
プレーの流れが良くなるとスコアも良くなるから不思議だ。
だが、最後で息切れ。最終ホールはたいして距離が無いパットを3パット。

結局後半、スコアは46であったが、この前までの調子だともう少し乱れていただろう。
前日のプロのチェックがどこまで生かせたか分からないが、ショット(特にアイアン)は上手く打てた。さらに、落ち着いてラウンドできたのも確か。

最後でいくつか愛嬌(気の緩み)のミスはあったが、大崩れしなかったのは大成果。
一応、成果が出たので、たまにはプロのチェックも必要だということだろう。

今日の一打は、20Yのパットと、ピンそば30cmのショット。どちらもショートホールでの一打。
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残り物も悪くない・・・・

2007-02-24 | PEPPER ADAMS
JAZZ FOR A SUNDAY AFTERNOON VOL.2

Vol.1に続く、VOL2も同じ日の演奏から別の曲を収めたもの。
メンバーは、レイナンスに替わって、ガーネットブラウンのトロンボーンが入る。彼は、この頃サド・メルのオーケストラの一員。
この録音が行われた「ビレッジバンガード」の月曜日の夜は、サド・メルのオーケストラがレギュラー出演していた。このセッションにも、御大メルルイスをはじめとして、リチャードデイビスや、ペッパーアダムスなどサド・メルの御馴染みのメンバーが参加している。

JAZZといえば夜のクラブ演奏が似合う。ジャムセッションが下火とはいえ、日曜日の午後マチネーとして、こんなセッションがNew Yorkではどこかで開かれていたようだ。
やはり、先輩の胸を借りて若手がジャムセッションで育っていく環境がJAZZには大事なのだろう。
休みの日の午後、初秋のNew Yorkでグリニッジビレッジを散歩がてら、こんなライブを聴けたら最高だ。羨ましい限りだ。

こんな楽しい企画のアルバムを出したのは、SOLID STATEレーベルのプロデューサーSONNY LESTER。レコーティングエンジニアPhil Ramone と、アレンジャーの Manny Albamと組んでこのレーベルを立ち上げた。

この頃はメジャーレーベルが、プロデューサーを前面に出して別レーベルを興した時代。ABCパラマウントが60年代早々にIMPULSEを作り、マーキュリーが「LIMELIGHT」、そしてこのSOLID STATEは、ユナイテッドアーティストの別レーベルだった。
新興のA&Mからも、クリードテーラーがCTIレーベルを興したのもこの頃。この辺りがフュージョンのはしりだろう。
マーケティング的にいうと多ブランド戦略。メジャーでは出来ない、より個性の主張ができると言う点ではいわゆるファッションの世界のデザイナーズブランドと似たものがある。

SOLID STATEは、67年から69年にかけての短い期間で、全部で70枚位しか出さずに終わった。中には、United Artistsの再発物もあり、あまりメジャーにはならなかった。
しかし、中には綺羅星のようなアルバムもある。私の一番のお気に入りであるTHAD JONES&MEL LEWIS ORCHESTRAを世に出したこともあり、気に懸けていたLABELだ。

その後LIBERTYに吸収され、今ではBLUE NOTEに吸収されてしまってその名もあまり聞かれないが。

ソニーレスター自身は、50年代TIMEやROULETTEレーベルで活躍したプロデューサーだ。プロデュースしたレーベルの変遷を見ると、プロデューサーの個性が感じられ、それはそれとして新たな発見があるものだ。

演奏の方は、VOL.1の同じセッションの続きなので、同じように素晴らしい好演が続く。
一曲目のスウィートジョージアブラウンから快調に飛ばす。最初のソロをとったペッパーアダムも本領発揮といったところだ。リズム隊のコリアとデイビスのコンビネーションとバックが何とも新しい時代を感じさせる。ジャムセッションも進化して、この時代のセッションになっている。

Sweet Georgia Brown
On The Trail
Tour De Force

Dizzy Gillespie (tp)
Garnett Brown (tb)
Pepper Adams (bars)
Chick Corea (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (d)

LIVE at "Village Vanguard", NYC, October 1, 1967
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このジャムセッションは最高だ。

2007-02-23 | PEPPER ADAMS
JAZZ FOR A SUNDAY AFTERNOON Vol.1

KELLYのライブでの演奏が続いた。
JAZZのライブでの楽しさを改めて実感したら、懐かしく思い出したアルバムがある。
KELLYの棚卸しをもう少し続けようかと思ったが少し休憩。
路線変更して、このアルバムを聴くことにした。

「ジャムセッション」のアルバムだ。レギュラーグループのライブとはまた違った、偶然の楽しさがある。いつも一緒にやっているメンバーでのジャムセッションもあれば、
普段一緒にやっていない者同士もまたスリルがある。ベテランが貫禄を示し若手がそれにチャレンジする図式もある。

このアルバムで、全体を引っ張るのはやはりガレスピー。
BIGBANDでもコンボでも自己のグループを率い、ライブやシャムセッションの機会も数知れず。何といってもBOPを世に出した立役者の一人。貫禄十分。
久々に皆を集めて、「さあ、一丁やるか!」といった感じである。

場所は、New YorkのVILLAGE VANGUARD。今でも健在な老舗のJAZZクラブだ。ここでのライブ録音も数多くあるが、ジャムセッションの録音はあまりないであろう。

録音は1967年。
WESの「A DAY IN THE LIFE」の録音された年。そして、このアルバムにも加わっているチックコリアがレコードデビューした年だ。
新主流派と言われる新しいリーダーが活躍し始めた時期である。
ところが、今までの主役にとっては不遇の時。ガレスピーも他にリーダーアルバムは一枚だけ。日が当らなくなったのは、何もKELLYだけではない。

表向きには、昔ながらのライブジャムセッションは影を潜めていた時だ。この傾向は、ハードバップ全盛期の頃からすでに始まっていたらしい。色々な理由があったらしいが、ミュージシャン組合の影響もあり、ジャムセッションにつきものの無料の出演ができなくなったことも理由の一つだそうだ。
こんな時に、周囲の状況に関係なく「ジャムセッション」の録音をしたとは、このアルバムの企画の素晴らしさだ。

一曲目のBLUES FOR MAXのMAXはここのオーナーMAX GORDON。そんな曲名からして、ジャムセッションの雰囲気が伝わる。
B面の、お馴染みのラバーカムバックツーミーは、これぞジャムセッション。
非常にゆっくりとしたテンポで、誰という訳でもなくお互いにメロディーラインを探り合う。
途中でテンポを速めて、いざスタートいう感じになるが、再びスローに。
そして、先発がレイナンスのバイオリン(エリントンオーケストラでのいつもトランペットは置いて、この日はバイオリンだけで勝負)でスタート。
しかし、ノリが悪かったのかすぐにペッパーアダムスのバリトンにバトンタッチ。
その後、再びナンスが登場。メルルイスのドラムも今度はブラッシュワークで盛り上げる。今度は縦横無尽の演奏。
そして、御大ガレスピーの登場。出だしは、リチャードデイビスのウォーキングベースだけを相手にウォーミングアップを始める。そしてリズム隊が加わり乗ったところで、コリアにバトンタッチ。まだデビューしたてのコリアだが、彼のタッチが垣間見れる。
そして、テーマに戻って、めでたくあっという間の19分15秒の一曲が終了。

これが、ジャムセッションの醍醐味だ。

このシリーズは、この後何枚か続いた。続けて聴き直してみることにする。

Blues For Max
Lullaby Of The Leaves
Lover Come Back To Me

Dizzy Gillespie (tp)
Pepper Adams (bars)
Ray Nance (vln)
Chick Corea (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (d -1,3)
Elvin Jones (d -2)

Recorded live at"Village Vanguard", NYC, October 1, 1967
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晩年のウェスの好演はやはりライブで・・

2007-02-22 | MY FAVORITE ALBUM
Smokin’ at The Half Note / Wes Montgomery


ケリーのライブが続いているが、忘れてはいけないのがWESとのハーフノートでのライブ。これも名盤だ。何でkellyのライブは名盤が多いのだろう。

1965年の6月の録音。ただし、ハーフノートのライブはA面の2曲だけだ。B面は9月にRudy Van Gelder Studioで録音されたものだ。
どちらも素晴らしいが、やはりライブのA面に軍配があがる。

クラブのライブ独特の人の話し声が微かに聞こえる中、いきなりWESのギターが炸裂する。
マイルスの作ったNo Bluesのソロの後半でKELLYのピアノがしばらく聞こえなくなる。kellyもピアノを離れて客に混じってWESのプレーを聞き入っていたとか。
まさに入魂のWESのプレーだ。

当時、ウィントンケリーのピアノトリオにウェスが加わって各地をまわっていた。その演奏旅行を続けている中での録音。過去に何度も共演(競演?)をしているので、コンビネーションもぴったりだ。元々相性もいいし。

65年と言えばコルトレーンが、インパルス時代の全盛期。すっかりハードバップからは様変わりした新しいJAZZが主流になり始めた時だ。
フリージャズ、そしてマイルスやエバンスに流れを汲む新主流派の台頭。大手のレーベルも“売れるJAZZ”のアルバム制作に傾き始めていた。
多様化といえばそれまでだが、何かJAZZの本質が薄れてしまった感じがする時代。それまで主役であったハードバップ、そしてその主役達はだんだん影が薄くなっていた頃だ。

この頃、kellyも例外ではなく、ほとんどアルバムを出していない。WESもオーケストラをバックにした演奏が主で、このようなコンボ編成での白熱したプレーは他のアルバムでは聞けない。
このようなアルバムが残っていて良かった。
この年の暮れにかけて、他にも何枚かのアルバムがある。聴いてみたいものだ。

音楽の世界ではビートルズが席捲し始め、ベトナム戦争が始まり、世相的にも反戦ムードが高まり、音楽の世界にも影響を与え始めた頃だ。
暗いクラブで聴衆と一体化したJAZZの持つ独特の雰囲気が似合わない時代背景になっていたのかもしれない、

そんな時に、「これぞJazz」という、腹のそこからSWINGして、ブルージーなジャズがライブではまだやられていたのが分かると嬉しくなる。

このアルバムが発売された時、最初に聞いたのは当然JAZZ喫茶だった。新しく出るアルバムがだんだん難しくなってきて、SWINGといっても何か違う乗りになっていってしまった時。
ニューオリンズJAZZに興味を持ち、だんだん歴史を辿ってモダンJAZZにキャッチアップしてきたが。何か「もやもや」した感じがしている中、このライブ演奏を聴いた。
その時、「やっぱりJAZZはこうでなくっちゃ」と思ったのが印象に残っている。まだ高校生の頃であったが。

No Blues
If You Could See Me Now
Unit Seven
Four On Six
What's New?

Wynton Kelly (p)
Wes Montgomery (g)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (d)

"Half Note", NYC, June 24, 1965
Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, September 22, 1965

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仕事仲間とのラウンド・・・・・気楽な中にも久々に握りの緊張感が

2007-02-20 | SHOT OF THE DAY
練習熱心な彼は一足先にシングルの仲間入り。
一歩置いていかれた形だが、彼はほぼ毎日練習をしているとのこと。
やはり練習量の差は如何ともしがたい。

先日、月例でしてやられて大叩きをしたコース。
このコースは、隠れた罠が沢山ある。コースを知れば知るほどプレッシャーがかかる。
反対に初めてだとコースの全貌が分からない。
勝手が分からず攻め方がよく分からないという反面、怖いもの知らずで攻めて、結果良しということもよくあることだが。

先日痛めつけられて「嫌なイメージ」を引きずっている自分と、このコースは初めての彼と、この日はどっちに勝負の女神が微笑んでくれることやら。

INコースからのスタート。
15番から難しいホールが続く。嫌なものは先に片付けておいた方が後で気が楽だ。そんな理由で、INスタートの方が自分は好きなのだが。

スタートから我慢のゴルフでボギーが続く。しかし、問題の15番で痛恨のOB2つ。
一方の、彼も3番で早くもダブルスコア。その後も運が悪いことも続く。
前半は、スコアはいまひとつであったが、相手の崩れに乗じてとりあえず勝負あり。

初めて一緒に廻った残りの2人も、それなりの腕前だが前半のスコアは大崩。
結局4人ともほぼ横並び。

後半のスタートで、その中の一人から、「みんな調子が出ないのは、握り方が足りないんじゃないの?」と。

久々に「業界ルールのお友達」の握りが加わる。
5番までは連続ボギーで我慢のゴルフ。しかも、5ホール中3パットが3つ。ショットはいいが相変らずパットが悩ましい。
6番、7番はパーが続く。握りもしっかりいただき。
8番のショートは4人ともバンカーであったが、一人が上手く寄せてこのホールは取られる。

最終ホールは繰越もなく平穏に終わりそうであったが、その時、
勝負好きそうな一人から「1ホール一発勝負のベストをやろうと」

オナーは、まずは真ん中へ。
飛ばし屋の2番手は、それをはるかに越えて池の横、残り22OYくらい。池越えであるが2オンが狙えるところに。
3番手の自分はフェアウェイ無難なところへ。
言い出しっぺの勝負師は4番手で、右手の林に。

ところが、出遅れたに見えた4番手が、右の林からうまく脱出。
出しただけに近いところから、200Y以上を池越えでオン。さらにそれをピンそばに付ける。

形勢逆転で、今度は我々にプレッシャーがかかる。
乗せなければという気持ちが強かったのか、自分は第3打を大きく左に引っ掛けてグリーンを大きく外して一人脱落。
一番飛ばした2番手の友人も、果敢に池を避けながら2オン狙い。しかし、力んでで池の淵ギリギリに。さらに3打も乗らず、寄らずで脱落。
残る一人も、池に入れて万事休す。

結局林に入れた4番手の勝負師が最終ホールは一人勝ち。
ゴルフの勝負で、最終ホールは経験的に「ここ一番の勝負師が強い」
見習うべきところ多しの一日だった。

本日の一打は、「この勝負師の第3打」に献上。
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FRIDAY NIGHT MILES DAVIS IN PERSON

2007-02-19 | MY FAVORITE ALBUM
KELLYのライブ物が続くが、欠かせないのがマイルスのグループでのライブ。
61年4月にサンフランシスコのブラックホークでのライブがある。金曜日と土曜日の2日間の演奏が収録されているが、VOL.2が土曜日の演奏。今ではコンプリート版も出ているようだが。

この頃のマイルスはもっぱらミュートプレーが中心だったが、このライブではオープンな演奏。そしてライブならではの溌剌としたプレーも。やはり、Jazzはライブ、それも小さなクラブでということを実感させられる一枚だ。マイルスのライブというのも、これ以前は殆ど無かったような気がする。

当然、マイルスの演奏に引っ張られるように、バックも元気一杯。ケリーのピアノも、一曲目のウォーキンからマイルスのペットに絡みつく。スローな曲でも、マイルスの絶妙なソロを引き出すような、挑発的なフレーズが何ともいえない。

この後ハービーハンコック、ロンカーター、トニーウィリアムスのトリオを従えた時期のマイルスももちろん悪くないが、自分としては、この頃が一番好きだ。
これも、KELLYが入っているせいかもしれない。

お好みは、バイバイブラックバードだが、クロージングテーマの後、短いがkellyのソロを聴けるのもいい。

Love, I've Found You
Walkin'
Bye Bye Blackbird
All of You
No Blues
Bye Bye (theme)
Love, I've Found You

Live at "The Blackhawk", San Francisco, CA, 2nd set, April 21, 1961

Miles Davis (tp)
Hank Mobley (ts)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (d)
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VEENA!

2007-02-17 | Weblog
YOU TUBEの動画を見るのが楽しみだが、ネットの機能特有の一本一本選ばなければならないのが面倒だ。動画はテレビのようにダラダラながらで見れないと、使い勝手が悪い。
先日、YouTubeの人気動画をテレビのように見られる動画サービス「Rimo」(リィモ)が発表された。人気のwiiとの連動が魅力だが、人気コンテンツを選んで編成しているとのこと。YOU TUBEの人気コンテンツをみて話題を知るにはいいかもしれないが。

音楽好きにはこれの方がいいかもしれない。
昨年発表された、アーティスト情報サイトの「Veena!」
自分のITunesに登録された、ミュージシャンの関連サイトの情報(コマース、ブロクなど・・・)を集めて一覧で表示するポータルである。自分がiTuneに登録している楽曲のアーティストに自動的に連動しているので、関連情報探しにも結構便利に使っている。
目的や、アイテムのジャンルが決まっていると、Googleよりもはるかに便利

この中に、VeenaJukeBOX!という機能があり、これをクリックすると、関連するミュジージシャンの動画が連続してセットされて再生できる。ながらで聞きながら見るにはちょうどいい。

ひとたびプラットフォームとして広がると、知らず知らずの内に色々な機能と連携して進化している。まだβ版のようであるが、知らないうちに着々と世の中変わってきている。
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FULL HOUSE / WES MONTGOMERY

2007-02-16 | MY FAVORITE ALBUM
またまた名盤の登場、今度はKELLYとWESとの共演盤だ。2人は良く共演はしていたらしいが。
このアルバムタイトルの「FULL HOUSE」とはやはり満員御礼の意味がよく似合う。トランプのフルハウスの意味にもかけているとライナーノーツには書いてはあるが。LIVEはやはり満員の聴衆の熱気が自然と演奏を盛り上げていくものだが、このアルバムも多くの聴衆の中での熱演である。

この時、KELLYはマイルスのグループの一員でサンフランシスコに滞在していた。テナーのジョニーグリフィンも同じ町に。そして、WESが、月曜日にクラブへの出演の話しがあった。
プロデューサーのオリンキープニュースにとっては願ってもないチャンス。早速、全員が揃う月曜の夜に録音に至った次第だそうだ。
広いアメリカ大陸の中を、有名グループは演奏旅行で各地を廻っていた。今よりも交通事情が悪かった当時、各地にいる有名プレーヤーのセッションのアレンジを行うのは、レギュラーグループではないと色々大変だ。

録音の場所はBerkeley。サンフランシスコの街のちょうどゴルデンゲートを渡って湾を挟んだ反対側だ。Tsuboというクラブで、レギュラーのセッションが終わった後でのスペシャルセッション。一般の演奏ではなく公開録音といった感じだったのであろう。
したがって、一日のライブではあるがTakeがいくつか残されている。

そして、単なるジャムセッションに終わっていないところがまた、素晴らしい。
この録音のためにWESは3曲のオリジナルを提供し、さらにはクインテット用のアレンジも施した。
このようなお膳立てなので、演奏は臨時編成とは思えないレギュラーグループのような一体感のある演奏だ。

ハードバップも全盛期を過ぎた1962年。レコードの録音ではすでに新しい流れになっていった。だんだん聴衆と離れて自己満足の世界に入ってしまったJAZZであるが、ライブの世界ではまだまだこんな素晴らしい演奏が繰り広げられていたとは。レコードの世界だけでは、その当時のJAZZを体験できないことがよく分かる。

演奏はもちろんどれも素晴らしいが、お気に入りは一曲目、Full House。ちょっとテーマにラテンのリズムの入ったファンキーなメロディーを聴くと、JAZZ喫茶でよく聞いたのを思い出す。

Full House
Blue 'n' Boogie (take 2)
Cariba (take 2)
Come Rain or Come Shine (take 2)
S.O.S. (take 3)

Johnny Griffin (ts)
Wynton Kelly (p)
Wes Montgomery (g)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (d)

"Tsubo", Berkeley, CA, June 25, 1962
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KELLY at Midnite / Wynton Kelly

2007-02-15 | MY FAVORITE ALBUM
WYNTON KELLYを聞き出すと、サイドメントして加わったものを含めてJAZZの歴史に残る名演集になってしまうが、久々に聞く物もあるので棚卸しを兼ねて続けてみる。
KELLYの伴奏物、あるいは他のリーダーのセッションへの参加は多いが、実はトリオ物は少ない。あまり主役は好まなかった性格なのかもしれない。

その中で、代表作となるとやはりこのアルバム、VEE JAY3部作の一枚だ。
この録音(1960年)前後はマイルスのグループを含めて、ドラムはJimmy Cobbとの共演が多いのだが、このアルバムは、Philly Jo Jones。KELLYがリーダーとはいえ、3人のコラボレーションが絶妙。この時期の黄金のトリオだ。

このアルバムに有名なスタンダードは収められていない。
KELLYの自作曲から始まる。TEMPERANCEとは節制と控えめといった意味。確かに派手さはないが、ミディアムテンポでなじみ易いメロディーで、いきなりKELLYの世界に入る。KELLYはジャマイカの出身で子供の頃には移ったらしいが、彼の右手から次から次に湧き出てくるような明るいフレーズは、何かラテン系に通じる血が流れているような気がする。

WEIRD LULLABYでは、一転スローな子守唄。ON STAGEでは、その名の通りタイトルどおりの夜中のライブ演奏を想像させ、SKATIN’は、思い切りファンキーに氷上を飛び跳ねるイメージ。最後のPOT LUCKはアップテンポのブルース。これは、存分に黒っぽさが前面に出た曲。KELLYの色々な側面が、コンパクトに違う趣の5曲に反映されている。

最後の、POT LUCKとは、麻薬の隠語。JAZZの歴史で麻薬は切っても切れない縁があるが、このアルバム全体がJAZZの「麻薬中毒」にかかりそうな魅惑に包まれている。

KELLYのピアノについて、本職のJAZZピアニストの目で記事が書かれている。我々のような聞き役オンリーとは違った視点でのコメントは勉強になる。

自分の持っている盤は国内盤。これもオリジナルとは微妙にデザインが違う。特に、タイトルのロゴもデザインも違うが、オリジナルでは「Midnite」のスペルが日本版では「Midnight」に変えられている。この時期のアルバムと国内盤とオリジナルのデザインの違いを比較するのも間違い探しのようで面白い。



Temperance
Weird Lullaby
On Stage
Skatin'
Pot Luck

Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Philly Joe Jones (d)

Chicago, IL, April 27, 1960
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CANNONBALL ADDERLEY QUINTET IN CHICAGO

2007-02-14 | MY FAVORITE ALBUM
御大抜きのセッションといえば、キャノンボールアダレイのCicagoでの録音も有名だ。
1959年2月マイルスのバンドはCHICAGOのSutherland Hotel に出演していた。このホテルのラウンジは、当時、その地区で、一番エレガントで広々したJAZZ ROOMだったらしい。そこにはMILESをはじめとした、有名ミュージシャンが連夜出演していたそうだ。

これは、そのChicago滞在中に、MILES抜きでAdderleyがリーダー格になって他のメンバー達で集まって吹き込まれたアルバムだ。
ハードバップ全盛期だった50年代最後の年の1959年は、MILESもモードJAZZへの転機を迎えようとした時。他のメンバーも、それぞれに自分達の次の進み方を模索し始めていた時だ。
このアルバムはJAZZが次の時代に変わろうとした時に、それを推進する若手の面々が将来を見据えながらも、マイルスの呪縛から逃れて自分達の「今」を思いきって出し切った演奏としても重要なのだろう。
これがリーダー抜きでも、このアルバムが名盤と言われる所以だ。

この時代は、JAZZの演奏だけでなく、色々なものが転換期であった。
レコードの世界も、LPレコードが普及し、それがステレオに進化し始めた時。
しかし、各家庭へのステレオプレーヤーは当然まだ普及していなかった。レコードはモノラルとステレオ両方で発売されていた頃だ。このアルバムを題材に、その頃のレコード会社の混乱状態を紐解いている記事が、MERCURYレーベルの研究家のMASTUBAYASHI氏のサイトにある。歴史検証としては大変素晴らしい。趣味の世界もここまで昂じるとただ感心するばかり。

一方で、録音技術はテープレコーダーの進化により、信じられない程高品質な録音が行われていた。この頃のJAZZアルバムは、録音エンジニアの名前がクレジットされているものが多いが、そのテクニックや個性の違いが出ていた時代でもある。このアルバムもオンマイクでの各楽器の粒立ちの良い録音が素晴らしい。

演奏の方は、改めて紹介するまでもなくすべてが名演。個人的には最初のLIMEHOUSE BLUESと続くSTARS FELL ON ALABAMAの2曲で満足。

Limehouse Blues
Stars Fell on Alabama
Wabash
Grand Central
You're a Weaver of Dreams
The Sleeper

Cannonball Adderley(as)
John Coltrane (ts)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (d)

Universal Recording Studio B, Chicago, IL, February 3, 1959
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先週に引き続きホームでの競技会・・・・・風が強いのも先週の続きであった

2007-02-13 | SHOT OF THE DAY
冬の閑散期の集客対策であろう。「バレンタインカップ」というオープンコンペがあった。

実は、先週ハンディキャップ改正の通知がホームコースから届いた。
何か、学生時代に通信簿を受け取ったような気分だった。「普段勉強をしないで、試験だけでいい点をとろうとしてもなかなか難しかった」という昔の思い出が頭をよぎる。

これまでは右肩上がりで下がることはなかったが。今回は最近の不調をしっかり反映して12.4から13.8に。これではシングル入り狙いどころが、Aクラス維持を気にしなければならない状況だ。付け焼刃では駄目なことは分かっているが。
まあ、試練と思ってしばらく踏ん張らねば。

今回は、ダブルペリアなので競技には気楽に臨めたのだが。最近の悪い流れを断ち切るためにも、やはりグロスにはこだわりたい。それに、これ以上ハンディが増えるのにも歯止めをかけるためにも。

天気の方は予報どおり。快晴であったが、スタート直後から風が強くなる。
それも北からの風と思っていたら、微妙に風向きが変わる。先週の月例も風に悩まされたが、今回も全く同じ状況。最初から風との戦いが勝負の分かれ目になりそうな気配であった。

出だしのミドルホール。右からの風なので、飛距離にはさほど影響を受けない。
多少アゲンストを見越した2打の距離感もぴったり。しかし、右からの風が思いのほか弱く。打ち出しの方角のままグリーンの右サイドに。
エッジから2mほどであったが、横からのパターでのアプローチを寄せきれず。
ボギースタートとなった。やはりウェジでの寄せをすべきであったか。

2番は、2打をダフったので、3オン。
これは下りのパットを上手く寄せてボギー。

3番の打ち下しのショート。
風向きが全く分からない。それも、今日はティーが前。
打順は最後だ。前の2人の打球を見極めることに。
すると2人とも右奥へプッシュアウト気味の当たりでグリーンをオーバー。
何となくティーグラウンドでは向かい風に感じるが、明らかにグリーン上はフォロー。

一番手落として、ピン右にオンは読みどおり。当然気分は良い。
8m近くの池に向かって下りのパットを4m近くオーバー。下りのタッチが合わず3パット。

一転気分が悪くなる。
この一打が、結果的に何となくこのハーフの出来を決めてしまったように思う。結果論であるが、このパットを2パットで納めていたら、後の流れが違ったかも。

次のロング、その次のミドルと、パーオンするものの、距離を残したファーストパット、すべてタッチが合わずで3パットの嵐。

6番のミドルは、グリーン右からのアプローチをトップ気味にオーバー。もったいない。

そして、難しい7番ショートは、ティーショットがグリーン左奥目に行ったものの、転がりながらピン横まで戻ってくる。ラッキーであったがこれを生かせずまたもや3パット。

次のロングも強風の中の第3打。2番手は違う。池越えのグリーンの端にきってあるマウンド上のピンに対して、「ここしかない」というところに。
グリーンエッジであったが、パターで難なく30cmにつける。が、何とこれを外す。

同伴者から、思わず「わざと外したの?」と。
気がついてみれば、8番まですべてボギー。まさか、わざとボギーにするわけは無いが。

最終の9番は、最近相性がいいホール。
「ここもボギーかもね」と、冗談を言ったものの、ここは何とかパーをとりたい。
フォローに風に乗ったボールは、残り120Y位。飛ばし屋の同伴者は、何と池の手前ギリギリで止まる300Yショット。
いつも、この辺りまでくれば楽なのであるが。
アプローチも、フォローの風をしっかり読んでここはピン横につける。
やっと初めてのパー。
3パットには相変らず悩まされているが、プッツン病が出なかったのがせめてもの救いだ。
風が強いとタッチが合わないパットには、さらに影響があるのか。

△ △ △ △ △ △ △ △ - = 44
2  2  3  3  3  2  3  2  2 =(22)

後半のハーフ。
出だしの短いミドルでいきなり躓く。
2打が風に煽られショート。寄せをトップしてグリーン奥に。
戻しが寄らずに素ダボ。
「今日は我慢していたのに」と、内心穏やかではない。

そして11番は問題のハザードへ。
池に2回入れた後、上手く乗せたが3パット。さらに悪い流れに。

でも、この日はその後が踏ん張れた。
苦手にしていた12番のショートは、ピンそば3mに。
そこからは、風が強かったにも関わらず、変に冷静に。
ボギーは、いずれも惜しくもパー逃し。
久々に安定したプレーに。

▲ □ - △ - - △ - △ = 44
2  3  2  2  1  2  3  2  2 =(19)

シングルの皆さんも崩れる中、久々になんとか格好がつく内容に。
スコアはともかく、ほっと一安心できた一日であった。
コメント (6)
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大きな目の前のハザードはプレッシャーにはなるが、・・・・・実は陰に隠れた小さなハザードが曲者

2007-02-12 | GOLF LIFE
ホームコースのアウトのスタートホール。左の方にちょっとしたハザードがあるが。ここには、よほど引っ掛け気味のチョロでもなければ行かない。

このホールを終えて折り返しのロングホールに。
ティーグランドに立って見渡すと、気になるハザードは殆ど目にすることもない。
広めのフェアウェイの真ん中に大きな木が立っていて、かえってその方が気になる。

真正面にクリーク&池があるが、ブラインドになっていて見えない。プレッシャーも感じない。この全景が見えたらきっとかなりのプレッシャーだと思うのだが。
このハザードはティーグラウンドが前の時は要注意。飛び過ぎると池まで行ってしまう。特にフォローの時は間違い無く。




そして、フェアウェイの右にチョットしたクリークが。
石で組んである小川のようなものですが、その中に入れると当然1ペナ。
左への引っ掛けにも池が控えていて、実はこのホールは周りをすべてクリークで囲まれている。

昨日の競技会、このホールでの出来事。
フェアウェイの右サイドに飛んだボールは左からの強い風に流されて右サイドに。
風の読みを誤った。アゲンストとばかり思っていたたが、打ってみると空中は左から右への強い風だった。
ボールは僅かに見えるハザードの辺りに消える。最近、あまり行ったことの無い場所だったのだが。
入っていたら仕方がないかと半分諦めて落下地点に行くとやはりハザードの中に。

そこからの第3打。
左からの風を気にして今度はフェアウェイ左サイド狙い。しかし風に負けない強いボールが。打った瞬間「やばいかな」という直感は大体当る。
今度は左の池に。このホールは見事に風にしてやられた。

先週に引き続き、強い風の中でのラウンドだったが、ラウンドの記録は改めて・・・。
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Dizzy Atmosphere

2007-02-11 | MY FAVORITE ALBUM
タイトルには、DIZZYと入っているがDIZZYGILLESPIEは参加していない、御大抜きのガレスピーバンドの面々で吹き込んだアルバム。Lee Morgan Vol.3の録音の約1ヶ月前の録音だ。ピアノにはもちろんKELLYが座っている。
バンドのリーダーの個性が強いと、どうしてもそのグループのメンバーは、良くも悪くもリーダーの顔色を窺いながら(それがバンドカラーだが)の演奏になる。
ところが、御大がいないと皆自分の個性を思う存分出して溌剌としたプレーをする。これは、そんな一枚だ。
特に誰がリーダーということでもないので、ポイントはアレンジになる。GOLSONも加わって2曲だけ曲やアレンジも提供しているが、他はRoger Spottsの作編曲。GOLSONとは少し趣が違う。

一曲目を聞くとこれがまさにこの演奏は圧巻。簡単なリフアンサンブルだけの、ジャムセッション的なアレンジが功を奏している。
トップバッターがKellyのピアノだ。ジャムセッションは先頭バッターが上手く乗ると次が続く。このKellyのソロは先頭打者の職責を十二分に発揮して、次にバトンタッチ。

この一曲で、このアルバムの価値は十分だ。

GOLSONのWhisper NotはやはりGOLSON節になる。DAY BY DAYも少しゆったりしたテンポでいい感じだ。

Dishwater (take 4)
Someone I Know (take 6)
D.D.T. (take 5)
Whisper Not (take 5)
About Time (take 5)
Day by Day (take 2)
Rite of Swing (take 3)
Over the Rainbow (take 4)

Lee Morgan (tp)
Al Grey (tb)
Billy Mitchell (ts)
Billy Root (bars)
Wynton Kelly (p)
Paul West (b)
Charlie Persip (d)

Los Angeles, CA, February 18, 1957
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LEE MORGAN vol.3

2007-02-10 | MY FAVORITE ALBUM
ビ・バップの立役者、DIZZY GILLESPIEは50年代になってBIG BANDを何度も編成していた。そのメンバーの中には、後のモダンジャズの表舞台でスターになるプレーヤーが何人も在籍していた。
WYNTON KELLYも、1957年当時はこのGILLESPIEのビッグバンドの一員だった。

その時のメンバーが、GILLESPIEのバンドとは別に吹き込んだアルバムは何枚かあるが、これもその一枚。
Lee Morganがリーダーのブルーノート1500番台の一枚だ。

今から30年以上前、大学を卒業し緊張しながら会社に入った時、このブルーノートの1500番代はすべて持っていると自慢げに語っていたJAZZ好きの会社の上司がいた。
何となく社会人になってもJAZZの話ができるのかと、安心した気持ちになったものだ。この先輩のこだわりはハードバップ。気紛れで色々聞いていた私とは、同じJAZZの話しをしても、話しが合うような、合わないような感じであった。

という訳で自分はブルーノートの定番アルバムはあまり持っていない。
この一枚は、「IREMEMBER CRIFFORD」一曲が好きで買い求めた一枚。
リーダーのLEE MORGANは、この録音当時若干18歳。やはり若くして天才だったのだろう。KELLYも26歳。他にも、その時のGillespieのバンドから参加したメンバーが何人かいるが、当時は新進気鋭の若者達だ。
「I remember Crifford」を始めとして、曲とアレンジはGOLSON。彼のアルバムといってもいいかもしれない。プレーだけでなく、彼の曲にも好きなものが多い。

LEE MORGANのJAZZ MESSENGERSでの演奏の「I REMEMBER CLIFFORD」はこちらで観れる。


HASAAN’S DREAM
DOMINGO
I REMEMBER CRIFFORD
MESABI CHANT
TIP-TOEING

LEE MORGAN (tp)
GIGI GRYCE (as)
BENNT GOLSON (ts)
WYINTON KELLY (p)
PAUL CHANBERS(b)
CHARLIE PERSHIP (ds)

Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, March 24, 1957
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