A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

あまり話題になることは無いが、いつも時代の中心にいるスタンレータレンタイン・・・

2014-10-31 | PEPPER ADAMS

The Spoiler / Stanley Turrentine


ブルーノートレコードの創設者アルフレッドライオンが手掛けたレコーディングの最後は1967年7月のスタンレータレンタインのレコーディングといわれている。その作品もアルバムとしては発売される事なく数曲が世に出ただけである。長年自ら手塩にかけて育てたブルーノートレーベルを去るにあたっては寂しい花道であった。

ブルーノートレーベルを足掛かりにしてスターに育っていったミュージシャンは数多くいるが、このラストレコーディングの主役スタンレータレンタインもその一人であろう。
ところが、そのタレンタインはジャズの歴史の中で多くを語られることは無い反面、その後ブルーノートを離れてもタレンタインは多くのアルバムを出し続ける。
ソウルフルなテナーでデビューしたが、フュージョンブームになるとその第一線でも活躍する。CTIでの洗練されたバックでのテナーも魅力的だった。

いつも時流に乗れたという言い方もできるが、周りがどのように変っていっても通用するテナーの魅力を持っていたと言ってもいいだろう。このアルバムでも、得意なソウルフルなテナーに加え、バラードプレーではこれぞテナーという音色で迫る。結果的にはいつの時代においても人気を続けられた実力者であったということになる。

このタレンタインは丁度ブルーノートのリバティーへの売却話が進んでいた1966年7月に前作”Rough’n Tumble”を録音した。続けて7月8日には”Easy Walker"、そして9月にはこのアルバムを録音し量産体制に入っていた。リバティーへの傘下に入っても、その時はまだアルバム作りはライオンが主導的に行っていた。ライオンにとってもその時自ら置かれた難局を乗り切る切り札であったのかもしれない。

リバティーの傘下に入る前からブルーノートのアルバム作りは制作方針を変えざるを得なかった。というのも、64年にリーモーガンのサイドワインダーが大ヒットして以来、市場から同じようなアルバムを求める声が大きくなり、マイナーレーベル故に可能であった自分の好みと拘りに合わせたアルバムばかりを作ってはいられない状況になっていた。その一つの現象が、その後の2年間は多くのアルバムで一曲目にノリの良い長めのブルースの曲が収められたという。

このアルバムが作られたのもその時期に当たる。そのようなアルバム作りになっている。
一曲目のThe Magillaは軽快なジャズロックのリズムに乗ったシンプルな曲。「サイドワインダー」ファンをまずは満足させるための規定課題曲のようなもの。どころが、2曲目からは雰囲気ががらりと変わる。

このアルバムにも前作に続いてペッパーアダムスが参加している。この年はブルーノートの録音へサイドメンとして参加が続くが、その一環としての一枚になる。前作が7月1日の録音で、翌日はサドメルのオーケストラでニューポートジャズフェスティバルへの出演という強行スケジュールであったが、7月19日にはハービーハンコックのレコーディングにも参加する。このセッションは記録によると26回以上のtakeが重ねられたが、多くは曲名もつかずにお蔵入りとなった。数曲が世には出てハンコックのコンプリートアルバムには収められているようだが、果たしてペッパーアダムスのソロがあるかどうかは・・・?

さらに夏にはジョーヘンダーソンが新たに編成したビッグバンドのリハーサルに参加する。サドメルのオーケストラに刺激されたのか、その頃ビッグバンドの新設ラッシュが続いていた。
そして、ミルトジャクションのビッグバンドをバックにしたタウンホールのコンサートにも参加。ミルトジャクションのビッグバンドなどはレコーディングだけかと思ったらコンサートも行われていたとは。

そして9月22日にこのアルバムの録音に臨む。アダムスはラフィエスタで一曲だけソロをとっている。チックコリアの有名なラフィエスタとは同名異曲であるが、この曲もパーカッションを効かせたラテンアンサンブルで、タレンタインに続いてアダムスが続く。アダムスのラテン系の曲でのソロは珍しいかも。



オクテット編成、パーカッションを加えると9人編成の大所帯。アダムス以外にもバックに加わっているメンバーも錚々たるメンバーだが基本はアンサンブルワーク中心で、ソロの出番は数えるほど。何故かマッコイタイナーのピアノだけが随所で耳に残る。デュークピアソンのアレンジもあまり凝ったことはせず単調だが、タレンタインのテナーのバックにはこの感じが良いのかもしれない。

1. The Magilla                Duke Pearson 6:02
2. When the Sun Comes Out    Harold Arlen / Ted Koehler 5:58
3. La Fiesta                 Armando Bozo 5:01
4. Sunny                    Bobby Hebb 7:20
5. Maybe September  Ray Evans / Percy Faith / Jay Livingston 4:43
6. You're Gonna Hear from Me   André Previn / Dory Previn 5:18
7. Lonesome Lover        Abbey Lincoln / Max Roach 4:36

Stanley Turrentine (ts)
Blue Mitchell (tp)
Jullian Priester (tb)
James Spaulding (as,fl)
Pepper Adams (bs)
McCoy Tyner (p)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (ds)
Joseph Rivera (shakers, tambourine)

Produced by Alfred Lion
Arranged by Duke Pearson
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood on September 22, 1966


Spoiler
Stanley Turrentine
Blue Note Records
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノトリオだけのバックだが、父親譲りの才能と技を思う存分発揮して・・・

2014-10-29 | MY FAVORITE ALBUM

Me and My Shadow / Michele Hendricks


先日カウントベイシー、5月にはディーディーブリッジウォーターのライブを聴いたが、それぞれ久々に充実したライブを堪能した。
今年のクリスマスには今度は2人の共演ライブが聴けそうだ。その前に、ボブミンツァーのビッグバンドとニューヨークボイセズの共演も予定されている。大物同士の共演もまた楽しいステージであり、年末向けてライブ通いの予定が増えそうだ。

ビッグバンドと歌手の関係というと昔は専属歌手。ビッグバンドに帯同して歌手もメンバーの一人としてツアーにも参加していた。スイングバンド時代の専属歌手というのは自分の出番の無い曲でもバンドの前に座って演奏を聴いていたのが普通であったようだ。それ故、ビッグバンドの専属歌手になると自然とスイング感が身に付いてきたと話を聴いた事があるが、果たして真意の程は・・・?

一度はお蔵入りしていたレコードを再び聴くようになったのは今から8年前、このブログを始めたきっかけにもなった。実はまだ自宅にはお蔵入りしている物がある。VTRのテープにレザーディスク、カセットテープ、それにオープンリールのテープもある。
VTRはVHSの前はβ派だったのでこれらテープもあるが、デッキが壊れて完全にお蔵入りしていた。先日ベータのデッキを入手したので、久々にベータのテープをかけてみた。大部分がテレビのエアチェックだが、昔はジャズの番組が沢山あったのを改めて思い出した。

テープをちゃんと保管していなかったせいかノイズの目立つ物もあったが何とか再生することはできた。その中にベニーカーターのビッグバンドのコンサートのライブの映像があった。Mt. FUJIなどのフェスティバル物はドキュメンタリー風であまりじっくり聴ける映像は少ないが、このベニーカーターのオーケストラのライブはコンサートホールでの演奏という事もありたっぷり聴けた。
その中でゲストのボーカルが登場したが、それが何とミシェルヘンドリックスであった。
カーターと来日したこともすっかり忘れていたが、堂々とした歌いっぷりに改めて感心した次第。

とりあえずアップしておきました。



ミシェル・ヘンドリックスと言えば、父親のジョンヘンドリックスと一緒のコーラス物が有名だが、ソロアルバムも何枚かある。その一枚がこのアルバムだが、コーラス経験豊富な安定感に加え、ボーカリーズで鍛えられたスキャットの卓越さはソロになっても抜群である。
メロディーを歌い終えると自然とスキャットに入る流れは、とってつけたようなスキャットとは異なり実に自然である。
彼女はビッグバンド専属歌手ではなかったが、何といってもビッグバンドの演奏をコーラスに仕立て上げた父親譲りのスイング感が身に付いている。というよりは子供が上手く育つかどうかは、親の影響と家庭環境と良く言われるが彼女はまさにその象徴のような気がする。

このアルバムの一曲目はお馴染みのSummer Timeで始まる。いつものバラードと異なりいきなりアップテンポのサマータイプにびっくりさせられる。ライナーノーツの書き出しに、彼女の特徴は昔から歌われているスタンダードをよく歌うが、「いつも他の歌手とどう違えて歌うかを考えている」とある。結果的に、スタンダード曲でも彼女のスタイルになってしまうということだろう。

それに加えこのアルバムのもう一つの目玉は、当時いつもバックを務めているデヴィットレオンハートに替わって、曲よってバックのピアノにジェイムスウイリアムが参加している点だ。
ボーカルが軟弱だとバックのピアノに迫力があってもアンバランスになるが、ボーカルもこのヘンドリックスのようなテクニシャンになると、ピアノも曲に合わせて様々な技を披露できる。ウィリアムスがボーカルのバックを務めたアルバムというのはあまり知らないが、このアルバムでの組み合わせには合点が行く。ボーカルのバックのピアノというとどうしても軽快なピアノを思い浮かべてしまうが、実力者同士の真剣勝負は2人の間にまた別の気迫を生むものだ。

かと思うと、ピアノレスでベースだけをバックにしたI've Got the World on a Stringがあり、彼女の自作のNa na naは軽快なカリプソ風のリズムに乗った曲だが、バックコーラスをスタジオの皆が参加する楽しい曲。この曲のアイディアは日本のツアーの最中に思いつき思わず手元のチケットにメモをしたそうだ。

ボーカルアルバムだとなかにはCD一枚を通して聴くと飽きがくるものがあるが、このヘンドリックスとかブリッジウォーターは不思議と次々に取り込まれてしまう。
ビデオを整理したお蔭でまたしばらく聴かなかったアルバムをたっぷり聴けた。棚卸をやることが益々増えそうだ。

1. Summertime     George Gershwin / Ira Gershwin / DuBose Heyward
2. But Beautiful            Johnny Burke / James Van Heusen
3. Misty                  Johnny Burke / Erroll Garner
4. Almost Like Being in Love       Alan Jay Lerner / Frederick Loewe
5. Funny Walk                    David Leonhart 
6. Na Na Na                     Michele Hendricks
7. Always                        David Leonhart 
8. May I Come In?                 Marvin Fisher / Jack Segal
9. Me and My Shadow            Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose
10. Never Never Land              Betty Comden / Jule Styne
11. I've Got the World on a String          Harold Arlen / Ted Koehler
12. Spirit Song                    D. Pullen

Michele Hendricks (vol)
David Leonhardt (p)
James Williams (p)
Ray Drummond (b)
Marvin “Smitty” Smith (ds)

Produced by Don Sickier
Recorded at A&R Studio NYC on February 12, 1990
Engineer : James Anderson




Me & My Shadow
Michele Hendricks
Muse Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Concordの日米共同企画の第2弾は次世代を支える中堅同士の顔合わせ・・

2014-10-28 | CONCORD
Zephyr / Tsuyoshi Yamamoto

毎日単調な生活を過ごしているようだが、日々色々な事が起こっている。多くは忘却の彼方に消えてしまうが、中には忘れられない出来事も。
ジャズのミュージシャンやアルバムの出会いというのにもそれぞれ思い出があるものだ。忘れてしまったものもあれば、忘れられないものもいくつかある。

1974年というのは自分が社会人になった年。世の中的にはオイルショックの後の狂乱物価の訪れ、そして丸の内の爆破事件が起るなど騒々しい時代であった。時代的にも大きな変わり目であったが、自分自身にとっても大きな節目の年として忘れられない年だ。

ジャズの世界はメインストリームの復活に合わせるように、パブロとかコンコルドといったレーベルが誕生し、元気に躍進していた頃だ。日本では70年代に入ってスリーブラインドマイスというマイナーレーベルが誕生した。ある種の拘りを持ったレーベルで、ベテラン、新人を問わず、当時必ずしも有名とはいえない実力者のアルバムを作り続けた。そして、演奏だけではなく録音にも拘ったためオーディアファンの間でも話題になったレーベルだ。

そのレーベルで人気が出たミュージシャンは多いが、ピアノの山本剛もその一人だと思う。その山本剛が74年に出したアルバムがミスティー。74年のSJ誌のディスク大賞録音賞を受賞したアルバムだ。それがきっかけで購入した。自分の山本剛との出会いであった。

好きなアルバムで良く聴いたが、ある時友人に貸したまま行方不明になってしまった。昔レコードを貸す時は傷をつけられないかも気になったものだが、まさか帰ってこないとは思わなかった。それ以来、人には大事なアルバムは基本的に貸さないようにしている。
これらのスリーブラインドマイスのアルバムも、最近なってやっと復刻されているようだ。CD盤でも買い求めてみようと思う。

さて、この山本剛の活躍は国内だけでは留まらなかった。70年代の後半にはモントルーやモンタレーといった名だたるジャズフェスティバルにも参加し、1980年には一年間アメリカで武者修行を行い、彼のピアノは海外のファンの耳にも届くようになっていた。
コンコルドジャズフェスティバルにも参加したのも、カールジェファーソンの耳に彼の演奏も届いたからであろう、ジェファーソンの日米共同企画に北村英治に続きこの山本剛も加わった。スインギーであり、そしてリリカルなピアノはジェファーソンの好みにあったプロジェクトには恰好な人選であったように思う。

1981年2月の録音なのでちょうど武者修行を終えた直後。アメリカでの演奏にも慣れていたのであろう、共演者との呼吸もピッタリだ。共演したのは、次世代を背負うコンコルドの若手のメンバー達、ジェフハミルトン、ボブメイズ、そして曲によってジェフクレイトンも参加した。前半はスタンダードでスタートし、後半は山本のオリジナルで固めると言ったアルバム構成も単なる顔合わせには留まらないプロデューサーの意思を感じる。

タイトルのZephyrというのは西風という意味だそうだ。アメリカ国内で、西海岸のコンコルドの地から優しいジャズの風を起こしたConcord Labelであったが、より西の日本からの来客を迎え「西風」に新たな新風を吹き込んだアルバムだ。
60年代はまだまだ日本のジャズはドメスティックジャズであったが、70年代以降は、世の中の本格的な国際化の波の到来に合わせて、ジャズの世界でも本場の面々と互角にプレーできるようになった時代でもあった。
日本の経済力が強くなったこともあって此の頃から日米のプレーヤーの共演アルバムは数多く企画されるようになった。ここに参加したメンバーは皆今でも第一線で活躍している。当時売り出し中の中堅プレー達だが、きっと単なる顔合わせアルバムではなかったということだろう。


1. Just in Time         Betty Comden / Jule Styre 6:14
2. Moonlight in Vermont   John Blackburn / Karl Suessdorf 5:04
3. I Got Rhythm         George & Ira Gershwin 3:05
4. The Waters of March       Antonio Carlos Jobin 4:09
5. You Go to My Head   J. Fred Coots / Haven Gillespie 3:26
6. Satin Doll  Duke Ellington / Johnny Mercer / Billy Strayhorn 6:08
7  A Shade of Love           Tsuyoshi Yamamoto 4:08
8. Smokehouse Blues          Tsuyoshi Yamamoto 4:18
9. Solitude               Tsuyoshi Yamamoto 3:07

Tsuyoshi Yamamoto (p)
Jeff Clayton (ts,as,fl)
Bob Maize (b)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Tsuyoshi,Yamamoto & Yoichiro Kikuchi
Executive Producers : Carl Jefferson & Nobuo Ohtani
Recording Engineer : Phil Edwars
Recorded at Coast Recorders, San Francisco in February 1981

This album is released by Concord Jazz on CJ-218 under license from Toshiba-EMI
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンサンブルもいいが、テナーサックスはやはりバトルが本命・・・

2014-10-26 | MY FAVORITE ALBUM
The Tenor Trio / Ernie Watts, Pete Christlieb, Rickey Woodard

デイブペルが率いたPrez Conferenceのテナーアンサンブルも良かったが、テナーのアンサンブルといえばハーマンのフォーブラザースが有名。アンアンブルもソロも楽しめるサックスセクションのショーケースのひとつだ。

しかし、テナーといえばアンサンブルよりも昔から2人でバトルを交わすアル&ズート、アモンズ&スティットを始めとして、マニアックな物まで名演が多く残されている。ベイシーオーケストラを始めとするビッグバンドでもテナーバトルをフィーチャーするレパートリーは必ずといっていい位プログラムに組み込まれるものだ。

自分が好きなテナーバトルのアルバムにVery Saxyというアルバムがあるが、これはノリの良いエディーロックジョーデイビスを始めとして、バディーテイト、コールマンホーキンス、アーネットコブという往年のテナーの名手の好演がオルガンをバックに聴ける。このオルガンとテナーというのも相性がいい。
バトルが嵩じると最後は絶叫型のフリーキーなプレーになることもあるが、これはライブのステージでは視覚的には効果がある。一方で、レコーディングでは各人が余裕を持って自分のスタイルで淡々とこなすグループ効果を楽しむのもいいものだ。
そのようなテナーバトルでは、このアルバムも好きな一枚だ。

このアルバムの特徴は、まずはメンバーが西海岸のプレーヤーという事。アーニーワッツ、ピートクリストリーブ、そしてリッキーウッダードと普段はビッグバンドやスタジオの仕事が多かった面々。クリストリーブとワッツはどちらもドックセベリンセンのメンバーだった。ワッツは更に遡れば60年代後半はバディーリッチのオーケストラのメンバーだった。ウッダードはレイチャールスのビッグバンド出身、ピアースとキャップのジャガーノーツのメンバーでもあった。
もちろん3人とも地元ではソロ活動はやっていて、自分のアルバムも出しているが、スタジオワークの多いミュージシャンが3人揃ってジャムセッションで大ブローという演奏はなかなか聴けないものだ。

このアルバムは、3人が思う存分大ブローするという基本コンセプトでバラードプレーは一曲も無く、すべてミディアムテンポ以上で、これも珍しい。大体はバラードが数曲入るのだが。
曲は昔テナーの名手が手掛けた曲ばかり。一曲目のブルースアップアンドダウンで、いきなりスティットとアモンズのバトルにチャレンジだ。ホレスシルバーのストローリンはジュニアクックのプレーが思い浮かぶ。ニールヘフティーの曲でベイシーのオーケストラの演奏で有名なリトルポニーをやっているのも嬉しい。

という具合に単なるジャムセッションではなく、過去の名演、そして名プレーヤーにトリビュートという構成になっている。3人のソロはどの曲でも登場するが、各曲のテーマのアンサンブルでのリード役は3人が交代で担当している。それぞれの想いがアレンジに込められているのだろう。
ウェストコーストのミュージシャンの大ブローセッションというのはなかなか聴く機会がないが、このアルバムは存分に聴けるだけで大満足。最後のリトルポニーが終わった後に、3人の歓声が一緒に収められているが、彼等も録音を終えて、「やったー」という感じであったのだろう。

録音スタジオではよく仕切りが作られ他のプレーヤーの音をヘッドフォンだけを頼りに行われことが多い。しかし、このような演奏は3人の呼吸が合う事が大事だが、ジャケットに録音の際も3人が並んで演奏している写真が。この録音のセッティングもこのアルバムでの3人の一体感が生まれた原因の一つのように思う。



1. Blues Up and Down        Gene Ammons / Sonny Stitt 4:06
2. Strollin'                  Horace Silver 7:21
3 Groovin' High  R. Coburn / D. Gillespie / C. Parker / V. Rose / J. Schonenburger 5:39
4. Love for Sale                Cole Porter 6:27
5. St. Thomas                 Sonny Rollins 4:01
6. Fried               Bananas Dexter Gordon 5:39
7. Here's to Alvy                Johnny Mandel 5:46
8. Holy Land                   Cedar Walton 6:05
9. Moten Swing           Bennie Moten / Buster Moten 5:50
10. Eternal Triangle                Sonny Stitt 5:15
11. Little Pony                   Neal Hefti 5:29

Ernie Watts (ts)
Pete Christlieb (ts)
Rickey Woodard (ts)
Gerry Wiggins (p)
Chuck Berghofer (b)
Frank Capp (ds)

Produced by Larry Hathaway
Recording Engineer : Jim Mooney
Recorded at Sage and Sound, Hollywood, March 4, 5, & 6 1997
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サックスアンサンブルといえばSupersaxだが、このPrez Conferenceも忘れるわけには・・・

2014-10-23 | MY FAVORITE ALBUM
Dave Pell’s Prez Conference Featuring Harry ‘Sweet” Edison

自分はビッグバンドが好きなせいもあり、大編成のアンサンブル物も嫌いではない。
前回紹介したアルバムもそうであったが、トロンボーンアンサンブルというものは何故が心地よく聴けるので好きだ。しかし楽器としては、自分はサックス好きなので、ビッグバンドでサックスのソリがきまった演奏にはゾクゾクする快感を覚える。
ところがサックスアンサンブルのグループというとトロンボーンに比較すると数は少ないようだ。その中で、有名なのは何といってもSupersaxであろう。

このスーパーサックスはパーカーのアドリブソロをコピーしてアンサンブル仕立てしたので有名であった。過去の名演というものをコピーするのはボーカリーズではよくやるが、アンサンブルでやるというのは妙案であったように思う。というのも、楽器のプレーヤーは練習ではよくコピーをやっても、いざ実際の演奏でやるというのは気が引けるだろう。
パーカーのアドリブはそれ自体が新たな曲の様でもあり、ファンとしては「そっくりさん」の同じようなプレーを聴いてみたいという気持ちはあるのだが。

アレンジされたアンサンブルを売りにしていたグループの一つにデイブペルのグループがある。西海岸のプレーヤーはビッグバンド出身が多いが、このペルはレスブラウンに長く在籍していたようだ。
西海岸を拠点にしてからは、ロスで50年代から60年代にかけてレコーディング中心にプロデュース業にも重きをおいて活躍していた。ペッパーアダムスもロスに居た時に参加していたことがある。
基本はオクテット編成が多いが、レコーディングではビッグバンドまで色々な編成のものがある。ハードバップ系のファンが多い日本ではあまり人気があるグループとはいえないが、結構な数のアルバムがあるということはアメリカではそこそこ人気があったグループだったようだ

そのデイブペルが、70年代のメインストリームジャズの復活のタイミングに合わせるように、Prez Conferenceというサックスアンサンブルのグループを作った。
そしてこのアルバムを出したレーベルはGNP/Crescendo。ビバップ創世記にジーンノーマンによってつくられたレーベルが生き残っていたというのも何かの縁であったのかもしれない。このGNPというレーベルは、多くのレーベルが離合集散を繰り返して大手の傘下に入ってしまったのに、今でも独立系でまだ残っているようだ。70年代のスタンケントンのアルバムがあったり、ジャズ以外も多く出しているようだが、この脈絡のなさと長生きの秘訣にも興味が湧く。

デイブペルの普段のオクテットはトランペット、トロンボーンに自らのテナーと、後はバリトンサックスを加えた編成であったが、このプレズカンファレンスは、テナー3本にバリトンというサックスアンサンブル中心にトランペットが一本加わるという編成。このグループの特徴は何と言っても、スーパーサックスがパーカーのコピーであったのに対抗して、レスターヤングのテナーをコピーして、テナー中心のサックスアンサンブルにしたことだ。

パーカー同様、レスターヤングも良く謳うアドリブを楽しませてくれるが、このレスターヤングに関して、このアルバムの解説を書いているレスターファンの評論家の油井正一氏が実にいい表現をしているので紹介しておく。

「僕はずっと昔からパーカーよりもレスターの方が偉いと思っていた。何故ならばパーカーにはレスターという先人がいたが、レスターには前が無かった。ジャズ史を通じてレスターの出現は革命的であり、フレージング革命であった。それまでのジャズフレージングは、つながる所は繋がり、切れるべき所は切れるという、きわめて常識的、論理的なフレージングであったが、レスターのフレージングは、その反対に切れるべき所で繋がり、つながるべきところでプツンと切れた、当時としては想像を絶する非論理的な前衛表現であった」と記している。
今では常識であることであっても、初めて世に出す人はやはり偉いということだろう。その油井氏が、スーパーサックスが世に出た時に、是非レスターヤングのアンサンブルもと願っていたものを、このデイブペルが実現したということになる。

このアルバムの演奏の元になったのは、レスターが30年代、そして40年代ベイシーと一緒にやったプレーをアンサンブルにしたものが大部分だ。同じ曲でも違った時期の演奏を繋げたものもある。その辺りはアレンジを行ったビルホルマンの手腕であろう。
それらのオリジナルをすべて聴いたわけではないので、これらの演奏を聴くとオリジナルも是非聴いてみたくなる。
油井氏がべた惚れであったオリジナルのフレージングは、やはり一度は味わってみないことには・・・。



1. I Never Knew 4:47
2. Sometimes I'm Happy 4:21
3. Lester Leaps In 3:29
4. Jumping With Symphony Sid 3:42
5. Jumpin' At The Woodside 4:07
6. One O'Clock Jump 2:26
7. Just You, Just Me 4:20
8. Lester Leaps Again 4:39
9. Taxi War Dance 4:02
10. Jump Lester Jump 3:29

Dave Pell's Prez Conference

Harry Edison (tp)
Bob Cooper, Dave Pell, Gordon Brisker (ts)
Bill Hood (bs)
Arnold Ross (p)
Frank De La Rosa (b)
Al Hendrickson (g)
Bill Bradley (ds)

Arranged by Bill Holman
Produced by Dave Pell
Recorded at Annex Studio, Hollywood, California
on August 8,11,14, 1978



Prez & Joe
Dave Pell
Gnp Crescendo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイング時代の名曲はトロンボーンアンサンブルが良く似合う・・・

2014-10-21 | MY FAVORITE ALBUM
Playing For You / Blue Trombones

最近レコード棚を細かくチェックすることはあまりないが、たまにレコード探しをすると改めて一枚一枚念入りに確認することも。最近も、ペッパーアダムスのリーダーアルバムが一枚行方不明になって捜索中だが、その時一枚のアルバムに引っ掛かった。
レコードは大体ジャケットのデザインで認識しているが、このアルバムはすっかり内容を思い違いしていた。久々に手にして、じっくり見渡したが全く記憶に無いアルバムであった。

中身はトロンボーンアンサンブルで、スイング時代の名曲を演奏したもの。

スイング自体の名曲の多くはビッグバンドから生まれた。当然、それらを再演するにはビッグバンド編成が普通であるが、ボーカルからコンボまで色々なバリエーションで昔懐かしいメロディーが数多く再演されている。このアルバムも改めて聴き直したが、トロンボーンの甘いアンサンブルはスイングの名曲には良く似合う。

最近でも他の楽器のアンサンブルに較べるとトロンボーンアンサンブルのグループは多いが、このようにスイングの名曲に真正面に取り組んでいるグループはあまり無い様な気がする。

リーダーは岩崎敏信、このアルバムが録音された当時1983年は34歳、色々なビッグバンドで活躍していたが、他のメンバーも大体同世代。若手中心のメンバーでスイングの名曲へのチャレンジだ。

オリジナルのメロディーを生かしつつ、トロンボーンの色々な音色を生かしたアレンジも絶妙である。枯葉のリズムレスのアカペラも良い感じであるが、バストロンボーンをショーケスにしたスターダストもユニークだ。オープニングと最後の曲をグレンミラーの曲にしているのもこのグループの立ち位置を明確にしている。

というのも、もうひとつこのグループの特徴である2人のアメリカのプレーヤー、トロンボーンのダニエルライリーとベースのサッカリーピーターソンによるところが大きかったと思う。どちらもグレンミラーのオーケストラの一員として来日して、日本人の女性と結婚して日本を活動の拠点にしたという経緯での参加だ。このグループのスイング系の曲への拘りというのも2人の参加が影響しているように思う。

このグループは、レコーディングのために編成されたのではなく、ライブハウスでの演奏が先に話題になったという。当時はフュージョン系の演奏が話題の中心になることが多かったが、このようなスタイルの演奏も根強いファンがいたし、それに応える若手もいたということになる。評論家の重鎮であった野口久光氏の尽力でこのアルバムが生まれたそうだ。

ちょうど、当時コンコルドのアルバムを好んで聴いていた自分も、ライブは聴いた事は無かったが気に掛かって購入した一枚だったと思う。ハリージェイムスのアルバムのスイングナンバーアルバムを聴いた事もあり、久々に針を通したアルバムだ。

1. Serenade in Blue / A String of Pearls
2. I’m Getting’ Sentimental Over You
3. I Only Have Eyes for You
4. As Time Goes By
5. Autumn Leaves
6. Star Dust
7. Begin the Beguine
8. Tommy Dorsey Medley
    On the Sunny Side of the Street
    Song of India
    Marie
    Who?
    Opus One
9. To Each His Own
10. Let’s Dance
11. Stars Fell on Alabama
12. Don’t Sit Under the Apple Tree
13. Moonlight Serenade / I Know Why

Blue Trombones

岩崎 敏信 (tb)
池田 幸太郎 (tb)
Daniel Riley  (tb)
川島 茂 (btb)
芦田 ヤスシ (ts)
岡村 誠司 (g)
小林 洋 (p)
Zackery Peterson (b)
屋代 邦義 (ds)

Supervised By Hisamitsu Noguchi
Produced by Makoto Kimata
Recording Engineer : Yoshiaki Ushizawa
Recorded at Onkio Haus, Tokyo on July 12 1983
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔のスイングオーケストラの名曲もアレンジが違うと一味違ったものに・・・

2014-10-15 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
New Versions of Down Beat Favorites / Harry James And His Orchestra

ビッグバンドのライブを毎日やるTN Swing Jazzというライブハウスができたことは前にも少し触れたが、先日2度目の訪問をした。

メンバーは前回と大分入れ替わっていたが、その日はリードアルトに澤田さんが入り、トランペットにもベテラン岸さんの顔が。全体のプログラムは前半がスイングナンバー、後半がベイシー主体といった感じで基本的には前回と同じような構成。
メンバーが多少入れ替わっても毎日やっているせいか、多少こなれた感じは受けたが、やはり澤田さんがリードで入るサックスセクションは明らかに前回よりも輝きを増していた。やはりメンバーも大事ということになる。

毎日やっているということは好きな時に行けるので嬉しいが、反対に「メンバーが当日店に行ってみなければ分からないというのが困ったもの」であった。やっと毎日のメンバーがホームページで公開されるようになったので、これでお目当てのプレーヤーが出る日を選べるので一歩前進だ

ところが、「ある種のオールスターメンバーでお馴染みのスタンダードを毎日やるところに足繁く通うか?」というと、これもいささか疑問だ。
野球でも、サッカーでもオールスターというのは年に一回のお祭り、毎日やってもお客が集まらないだろう。
ジャズも同じで、ある種のお祭りであるジャズフェスティバルの舞台でオールスターバンドによるスタンダード曲のジャムセッションを聴くのは楽しい。しかし、これを毎日聴かせるといっても食指が動かないのと同じような気がする。

ということは、今後は毎日のプログラムにも一工夫必要かもしれない。全部でなくともベイシー特集とかエリントン特集とかがあってもいいかもしれない。
しかし、そうするとベイシーを得意とするオーケストラとか、グレンミラーを得意とするオーケストラの方がいいという事になってしまう。実際、今のオールスターメンバーは自分のオーケストラを持っている人も多い。ということは、「特集をやるのであれば自分のバンドの方がいい」という事にもなりかねないし。

うまく軌道に乗せるには多少試行錯誤が必要かもしれないが、とにかくお客さんが増えなければ始まらない。その日も、残念ながら当日も客席はまばら。貸し切りで聴くのも気分がいいが、やはり多くのファンに囲まれた方が演奏にも熱が入るものだ。
今度は、ボーカルもレギュラーで入れるようだが、いずれにしても潜在的には沢山いるはずのビッグバンドファンにまずは一度足を運んで貰うことが先決だろう。せっかくできた毎日ビッグバンドを聴けるライブハウスなので、上手く運営されることを期待する。

さて、このような30年代から40年代にかけてのスイングバンドのヒット曲を集めたアルバムというのはこれまでもいくつも作られている。単に昔を懐かしんでというレベルもあれば、新たな解釈を加えた新アレンジのものまで。デビットマシューズのビッグバンドなどは毎回意表をついたアレンジで楽しませてくれる

あのデュークエリントンも、「果たしてビッグバンド時代は再来するか?」というタイトルでアルバムを作ったことがある。懐かしいメロディーをうまくエリントンサウンドに料理されたアルバムだったと思う。
実は、このアルバムは自分が初めて買ったビッグバンドのレコード。何度も聴いたが、このアルバムがきっかけでビッグバンドに興味を持ったといっていいだろう。ということは、最初はベイシー派ではなく、エリントン派だったということになるが。

このアルバムはエリントンのオーケストラがシナトラのレーベルであるリプリーズに移籍した62年に録音された物。実は、この続編ともいえるアルバムも作られたが、これはオーナー(シナトラ?)がお気に召さずにお蔵入り、それどころか他のレーベルに売りに出され、後日Atlanticから出されることになった。

同じように、スイング時代の大物の一人、ハリージェイムスのビッグバンドも同じような企画のアルバムを作ったことがある。
ビッグバンドの仕事がだんだんなくなってきたのは、大物ミュージシャンが率いるビッグバンドともいえども例外ではなく、このハリージェイムス同じであった。ウディーハーマン同様何度か挫折はあったが、亡くなるまでビッグバンドに拘った一人だ。
そんなジェイムスが自分が育った1930年代~40年代の先輩や同僚達のヒット曲を演奏した一枚だ。

1964年、東京オリンピックの年、この年もジェイムスは充実した一年を過ごした。
このハリージェイムスのビッグバンドが来日したのがこの年、エリントンやマイルスを筆頭に大物ジャズミュージシャンが大挙訪れた年だ。
TBSのテレビにも出演し映像が残されている。映像にもあるように、この時のメンバーの目玉はドラムのバディーリッチ、他には特に目立った大物ミュージシャンはいなかったが、バンド全体でスインギーな演奏が繰り広げられた。

帰国したジェイムは全米のツアーを続ける。この年、ジェイムスは自分のバンドを立ち上げてリーダー生活25周年を迎えていた。その年、ニューヨークでは世界博が開かれたが、それの開幕に合わせるようにカーネギーホールでのコンサートが仕上げとなった。ハリージェイムスにとっては、25年前ベニーグッドマンのオーケストラのトランペットセクションから独立スタートした思い出の地でもあった。

そんな活動をした年に作られたのがこのアルバムである。録音が3月なので、一連の活動に先立ち日本に来る直前の録音になる。したがって、メンバーは来日メンバーとほぼ同じになる。
タイトルは「ダウンビートお気に入りのニューバージョン」となっているが、要は1935年~1945年のスイングジャズ時代のヒット曲を新しいバージョンでお届けするという内容だ。

曲の方はお馴染みの曲ばかりでオリジナルのメロディーはアレンジを含めてすぐに思い浮かぶが、単なる焼き直しではなく、これらのニューバージョンというとやはりアレンジの巧拙がものをいう。

では、このアレンジが誰かというとサドジョーンズである。クレジットは無かったが、ライナーノーツの文中にさりげなく書かれている。

時期は、丁度カウントベイシーのオーケストラを辞めて、サドメルのオーケストラを立ち上げる間のフリーであった時のアレンジになる。
カウントベイシーのオーケストラではプレーヤーのみならずアレンジャーとしても活躍したが、提供した多くのアレンジがベイシーオーケストラにそぐわないという理由で採用されなかったという話は有名だ。そのジョーンズがどのようなアレンジを施したかが興味が湧くが、あのサドメルでのアレンジのような斬新さはないが、サドジョーンズらしい細工は随所に感じられる。バディーリッチの活躍もありバンド全体のスイング感は完璧だ。

来日時の演奏のCherokee。バディーリッチのドラムをフィーチャーしているが、このアレンジは、このアルバムのチェロキーと同じもの。

ハリージェイムスのアルバムとしては、あまり脚光を浴びてはいないと思うが、サドジョーンズのアレンジャーとしての軌跡の中では、意味あるアルバムのように思う。

TN Swing Jazzでも、同じ曲の違うアレンジが楽しめるようになればいいのだが。




1. Sentimental Journey
2. Cherokee
3. If I Could Be With You
4. King Porter Stomp
5. Harlem Nocturne
6. Flying Home
7. In The Mood
8. Sophisticated Lady
9. String Of Pearls
10. Frenesi
11. Taxedo Junction
12. One O’Clock Jump

Produced By Jesse Kaya
Recording Engineer : Bill Putnam
Arranged by Thad Jones

Harry James (tp)
Bob Turk, (tp)
Fred Koyen (tp)
Dom Bouno (tp)
Bill Mattison (tp)
Ray Sims (tb)
Joe Cadena (tb)
Jim McQuary (tb)
Joe Riggs (as)
Larry Stoffel (as)
Corky Corcoran (ts)
Dave Madden (ts)
Bob Archilles (bs,cl)
Jack Perciful (p)
Tom Kelly (b)
Buddy Rich (ds)

Recorded on March 9 & 10, 1964
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

色々な分野で「相互乗り入れ」があるがジャズの世界でも・・・

2014-10-14 | CONCORD
Seven Stars / Eiji Kitamura

1980年代のジャズは元気だった記憶がある。有名企業がスポンサーになった大きなジャズフェスティバルが各地で開かれ、俄かジャズファンを含め多くの聴衆に賑わった。
海外のレーベルはメジャーだけでなく多くのマニアックなレーベルも生まれた。日本のレコード会社も日本のミュージシャンだけでなく、海外のミュージシャンのアルバム制作を数多く行った。そして日本のミュージシャンと海外ミュージシャンの顔合わせアルバム制作も頻繁に行われた、30年前はそんな時代であった。

コンコルドのカールジェファーソンも日本贔屓でメンバーを引き連れて何度も来日している。反対に日本のミュージシャンをコンコルドジャズフェスティバルに招き、日米相互の交流に一役かっていた。

1980年のコンコルドジャズフェスティバルに日本から招かれたのは北村英治。その時のステージの模様は”Woody Herman Presents”というアルバムに収められている。北村英治はモンタレージャズフェスティバルにはそれ以前から常連で出場していたが、これでアメリカのファンの前に登場する機会がさらに増えた。特に、コンコルドのファンは北村英治のプレーとは相性が良く温かい歓待を受けたという。
コンコルドフェスティバルの終了後、せっかくの共演の機会がフェスティバルだけではもったいないということで、ステージとは別にコンコルドのメンバー達とアルバムを作った。それが前作のアルバム”Swing Eiji”だった

モダンジャズの時代になって、クラリネット自体のプレーヤーが少なくなったが、その少ないプレーヤーも多くはサックスとの持ち替え、クラリネット一本で勝負するプレーヤーはトラッドジャズを除くと極わずかとなっていた。
北村英治はその中の一人。基本はグッドマンスタイルのスイング系であるが、モダン系のプレーヤーとの共演もこなす自分のスタイルを持つ第一人者、晩年はクラッシクの奏法も改めて学び直して、まさにオールラウンドプレヤーとなった。今でも自分のグループでの演奏に加え、よく大きなコンサートにもゲストで出演し元気で活躍しているのは素晴らしいことだ。

翌年1981年も北村英治はコンコルドジャズフェスティバルに招かれる。その渡米に合わせてジェファーソンの協力で同様なセッションがセットされた。プロデュースは北村英治自身、ジェファーソンは総合プロデューサーで一歩引いた形となった。
今回のセッションの目玉はなんといってピアノにデディーウィルソンの参加、そしてヴァイブにカルジェイダーが参加していること。

テディーウィルソンはコンコルドでの録音は無かったと思うので、このセッションの為に特にアサインされたのであろう。北村英治とは以前にも何度も共演があるので、久々の再会となる。それに、コンコルドではラテン系のプレーが多かったカルジェイダーの参加も嬉しい。
ジェイダーは翌年不幸にも他界してしまうので、結果的にこのセッションへの参加もジェイダーの何か思い出を残す形になってしまった。ウイルソンもこの頃はレコーディングの機会も少なく、晩年の数少ない録音であり北村英治とも最後の録音になってしまった。
という意味では、主役はあくまでも北村英治ではあるが、ウイルソンとジェイダーという2人の巨人を見送ったアルバムということにもなる。

グッドマンでお馴染みのアヴァロンに始まり、スタンダードのミスティーと続く、北村のオリジナル「オールドラッズ」を挟んで、スターダストと、皆それぞれが自分のプレーの集合体だが、何故か北村英治のクラリネットとウイルソンのピアノを中心に一体感がある。
B面に移るとトラッドジャズで良く演奏される「日の出を待っている」だが、これも英治節で料理、クラリネットの低音の魅力とベースをクローズアップしたエリントンナンバーに続き、サムワントューウォッチオーバーミーではアネスティンアンダーソンのボーカルが花を添える。

コンコルドには他にも日本のミュージシャンの為にセットされた何枚かのアルバムがあるが、コンコルドと日本での販売権を持っていた東芝EMIとの相互乗り入れのコラボの成果である。このアルバムも日本で先行して発売されたが、一年遅れでコンコルドの通常のカタログにもラインナップされた。

昨今の日本企業と海外との関係となると、アライアンスというより対立色が強い。ビジネス競争の中ではどうしても喰うか食われるかになるし、一見握手をしているように見えても、目先のお金が優先してしまう付き合いになる。お互いで何かを育てようという話にはなりにくいものだ。

今から30年前、このような形で文化交流の垣根はせっかく低くなったのに、その後はあまり進展がないようだ。それを支えるスポンサーが減ったのも原因だが、そもそも当時は音楽自体がライブにしてもレコードにしてもビジネスになっていた。
最近では音楽がビジネスにならないという。実は、こちらの方が問題なのかもしれない。ビジネスにならないからファンが少なくなったのか、ファンが少なくなったのでビジネスにならないのか?いずれにしても、お金が回らないと何も続かないという世の中は如何なものか?

1. Avalon                      Al Johnson 3:56
2. Misty                      Eroll Garner 4:55
3. Old Lads                    Eiji KItamura 5:20
4. Stardust          Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 4:47
5. The World Is Waiting for the Sunrise        Ernest Seitz 3:32
6. Satin Doll    Duke Ellington / Johnny Mercer / Billy Strayhorn 6:35
7. Someone to Watch Over Me   George Gershwin / Ira Gershwin 5:13
8. I Wanna Go Home                   Al Cohn 3:55

Eiji Kitamura (cl)
Teddy Wilson (p)
Cal Tjader (vib)
Eddie Duran (g)
Bob Maize (b)
Jake Hanna (ds)
Ernestine Anderson (vol)

Produced by Eiji Kitamura & Yoishiro Kikuchi
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, August 1981

Originally released by Toshiba EMI and released by Concord on Concord CJ-217

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

てっきりバリトンマッドネス企画と思っていたこのアルバムだが・・・

2014-10-13 | PEPPER ADAMS
Baritone Madness / The Nick Brignola Sextet Featuring Pepper Adams

今年は秋の訪れが早かったせいか、ゴルフにはベストシーズンが続く。生憎週末になると台風に見舞われるが平日はゴルフには絶好の天気に恵まれている。プライべイトのラウンドに加え、現役を退くとOBの仲間のコンペとか、学生時代の同級生のコンペがこの時期には集中するので、この所は連日のようにゴルフ場通い。昔は連荘ゴルフも楽しみのひとつであったが、流石に体力的にしんどくなってきた。それも、遠距離移動となると。

コンペともなると場所も色々、先週は河口湖から始まり、東松山、そして筑波、大洗と関東平野を横断。コースの違いを楽しめたが、一番悩ましかったのはグリーンのコンディションの違い。富士山の傾斜の芝目に悩まされたと思ったら、最近では珍しい高麗グリーンに面喰い、最後は11.5フィートという速いグリーンに戸惑う。これもゴルフの楽しみの一つなので文句は言えないが。

最近は良い時と悪い時の差が極端、今回も80台が出たと思ったら100叩きも。結果的にはコンペの時の方がいいスコアが出る。プライベートの時に気が緩んでいる訳ではないが、
コンペでは大叩きが少ない。やはりスコアメイクには緊張感が必要だと思うが、確かに最近緊張感を持ってラウンドをすることが少なくなってきていたように思う。
今月、来月としばらくラウンドの回数は多い。久々に少し緊張感を持ったラウンドを心掛けることにしてみよう。

という訳で、ジャズを聴くのはもっぱらゴルフの行き帰りの車の中、今日は台風で外出もできないので久々にしっくりジャズ三昧になりそうだ。

さて、このアルバムは以前紹介したことがある。
1977年サドメルを辞めたペッパーアダムスが、ソリストとして活動を始めた初めてのスタジオ録音となる。

その時は、サドメルを辞めて、ソリストとして独立してすぐのアルバムで、同じバリトンのニックブリグノラとのバリトンバトルで相変わらず豪快に飛ばしているという印象で書いたつもりであった。このアルバムのライナーノーツを見直しても、このアルバムのプロデューサーである、Jim Neumannが「バップスタイルのバリトン奏者2人の共演というのは珍しいが、輝かしい経歴を持つアダムスと、まだ無名でまだ評価を受けていないが実力あるブリグノラの共演は衝撃を与えるだろうと、このアルバムを自画自賛している。
しかし、このアルバムが生まれた経緯を知ると、実はとんでもない代物であったということらしい・・。

その部分だけでも加筆しようかとも思ったが、改めて書き直すことにする。

レコーディングというのはミュージシャンにとってはひとつの大きなイベント、それに参加するにはそれぞれ意義と何らかの想いを持って参加するのだと思う。単にスタジオワークのお金のためという事も含めて。特にレコーディングは後に残るもの、ライブよりも自分の位置づけと役割が大事になる。単に伴奏、サイドメンでの参加であれば、主役を盛り立てられれば役目は果たしたようなもの、アルバムの出来が良ければ自分の演奏に多少不満が残っても仕方がないものと割り切れるものだ。
しかし、自分のリーダーアルバムというとそういう訳にはいかない。自分の演奏だけでなくアルバム全体の出来が当然気に掛かる。いや、それ以前にアルバムの位置づけが果たしてどのような物になるかは、プロデューサーと綿密な擦り合わせが行われるのが当たり前だと思う。

まず、このアルバムを出したBee Hiveというレーベル。シカゴに昔あったジャズクラブの名前を頂戴して新たに生まれたそうだ。
当時そこではロリンズ、スティト、アモンズなどの有名プレーヤーがジャムっていた伝統を引き継ぎ、1977年メインストリームジャズの復活の流れに乗じて「ビバップの伝統に新たなイノベーションを」という心意気で立ち上げたと記されている。

実はこのアルバムがレーベルとして初めて出すファーストアルバムであった。
普通であれば誕生に相応しい記念すべきアルバムにするのが当たり前、バップスタイルのバリトンバトルは悪くない企画だと思ったが。

このアルバムが生まれたきっかけは、このレーベルの創設者Jim NeumannがNick Brignolaの元に突然「レコーディングをしたいのだけれど」と連絡が入った。それまで面識は無かったが、熱烈ファンなので是非リーダーアルバムを作りたいとわざわざニューヨークに乗り込んできたということらしい。

このジムノイマンなる人物、ジャズ関連のコレクターとしては有名らしく所有するアルバムは10万枚以上、コレクションはレコードだけでなく書籍やカタログ、プログラムにも及ぶ膨大な物なようだ。要は趣味が嵩じて、この時自分でアルバムを作りたいということになったようだ。

指名を受けたブリグノラは早速メンバー探しになったが、ベースのデイブホランドとは何度も一緒にやっていたし近くに住んでいたのでまずは決まった。ブリグノラはテッドカーソンのバンドで長くやっていたので、カーソンも入れようということになった。けっしてブリグノラが望んだわけではなかったようだ。

オーナーはさらに暴走する。後の、ロイ・ヘインズとデレクスミスもとりあえず名が通っているからという理由で選ばれた。
それに、アダムスがゲストで加わった訳だが、ブリグノラのセクステットも急ごしらえ、挙句の果てには録音当日になって、オーナーはブリグノラに「みんな集まってくれたので君のリーダーアルバムは辞めにして、オールスターアルバムするから」といって、録音が始まる。

皆で「何をやる?」と顔を見合わせて、デレクスミスがまずはトリオで、そしてブリグノラが加わってボディーアンドソウルを、そしてやっとアダムスも加わってドナリー、ビリーズバウンスと続き、最後はアダムスがもう一曲マーマデュークはどうだと。
このアルバムには入っていないが、ブリグノラがアルトを吹く曲も。バリトン対決は一体何処へといった感じのお楽しみアルバムで5時間足らずで録音はお開きに。

そして、一か月後オーナーからブリグノラの元に連絡が入った。「やっぱりオールスターアルバムは辞めて、君をリーダーにしたアルバムにするから」と。その結果、リリースされたのがこのアルバムという訳になる。

この結論に唖然としたのはブリグノラ自身だが、怒り心頭に達したのはアダムス。バリトンバトルに参加してくれと頼まれて参加したら、単なるジャムセッション。リリースされたアルバムの写真やタイトルはアダムスが準リーダー格となっているのに茫然。自分がリーダーならはこんな仕切りはしなかった。もちろん相応のギャラも貰っていないし、このレーベルとは2度と付き合わないことになる。どうもアダムスにはこの手のレコーディングが多い。

それまでの録音でもアダムスはこのようないい加減なレコーディングには、色々苦言とも愚痴ともいえないコメントを多く残しているが、ここでも不満たらたら。まずは、レコーディングではリズム隊のセッティングの場所が実にいい加減で。お互い何も見えない。音を聴けというのであれば、ヘッドフォーンのセッティングがまたいい加減でピアノの音しか聞こえなかったとか。

さらに、このアルバムへのアダムスの参加には更に裏事情があって、最初の企画段階では、予定していたのはチェットベイカーとズートシムスだった。結局、ベイカーとは連絡が取れず、シムスはノーマングランツと契約をしたばかりで自由が利かずにこの企画は没に。
エンカウンターでシムスといいプレーをしていたアダムスが代役になったということらしい。となると、アルバムの看板バリトンマッドネスも後付ということになってしまう。
この事情を知ると、確かにアルバムの構成もピアノトリオがあったり、不思議だった謎が解ける。

このアルバムは「バリトンマッドネス」を謳い乍ら、結局それはドナリー一曲かもしれない。この超最速のドナリーのバリトンバトルは他ではなかなか聴けないバトルであるのは事実だ。

アダムスが自分の参加したアルバムでリーダーアルバムに拘る理由が良く分かる。
自分も現役時代、自分が開催する会議はメンバーの選定、議題の設定など事前にかなり準備をしたものだが、突然招集がかかる会議には、「これは一体何の打ち合わせなのか?」ということが良くあった。何の世界でもいいアウトプットを出すには誰かのリーダーシップと、事前の段取りが重要ということだろう。

世の中にこのジムノイマンのようなコレクターという人物はよくいる。多くは色々な事を微に入り細に入り知っているが、いざその知識を生かして何かクリエイティブな事をやりたいといっても何もできなかったということだ。右脳型、左脳型とよく言われるが、優秀といわれる人材にも2パターンある典型だろう。

このBee Hiveレーベルは20枚足らずのアルバムを出したが、これという作品を残さずに終わりを告げる。一方のコレクションは完成度を高め、つい最近まで続いていたようだ。

1. Donna Lee
2. Billie’s Bounce
3. Marmeduke
4. Body and Soul
5. Alone Together

Pepper Adams (bs)
Nick Brignola (bs)
Ted Curson (flh,tp)
Derek Smith (p)
Dave Holland (b)
Roy Haynes (ds)

Produced by Jim Neumann
Recorded on December 22, 1977 at Blue Rock Studio, N.Y.C

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベイシー仕込みのスイングをマイアミのジャズファンに・・・・

2014-10-07 | MY FAVORITE ALBUM
Al Grey Jazz All Stars At Travellers Lounge Live

70年代になってジャズロックやフュージョンが流行る一方で、スイングするメインストリームジャズも復活し始めた。この復活劇は何もニューヨークやロスだけとは限らなかった。地方の方に保守的なファンが多くいたのかもしれない、ローカルの都市がその復活の場となる事も多かった。Concordもその一翼を担ったが、本拠地であったコンコルドはサンフランシスコ郊外の小さなベッドタウンだった。初期の録音の多くは地元サンフランシスコで行われ、常に時代の先端を走るニューヨークやロスではなかった。

アメリカ有数のリゾート地マイアミ。ここでもスイングする本流のジャズを聴かせるクラブはいつの間にかなくなりつつあった。そんな時、'75年に一軒のジャズクラブが生まれた。地元のミュージシャンだけでなく、マイアミを訪れる有名プレーヤーの活動拠点となった。マイアミでは7日間毎日ジャズをやる唯一のクラブとして当時は賑わっていたようである。

そして、ライブハウスだけでなく、そこでの演奏をレコードにするためのレーベルも生まれた。コンコルドがジャズフェスティバルをやるだけでなくそのライブの演奏を収めたレコードを世に出すために新レーベルを立ち上げたのと同様に。古くはバードランドの経営者モーリスレビィーがルーレットレーベルを立ち上げたのをここのオーナーも夢見たのかもしれないが。

このアルバムの主役はベイシーオーケストラを辞めたばかりのアルグレイとジミーフォレストそしてピートミンガーが加わったグループ。ピアノにはオルガンで成らしたシャーリースコットが本来のピアノに戻って加わり、ベースにも直前までベイシーにいたジョンデューク、ドラムにはオスカーピーターソントリオにいたボビーダーハム。メンバーを見ただけで、スイング感溢れる演奏が思い浮かぶ。

ベイシーとアルグレイの付き合いは長い。あの1957年のニューポートに出演したガレスピーのビッグバンドにも参加していた。ガレスピーのオーケストラが解散すると、丁度ベイシーのオーケストラがヨーロッパツアーに向けてトロンボーンを探していたのにタイミングよく採用されベイシーに加わることに。そして、アトミックベイシーと言われたベイシーの黄金期のメンバーとして活躍することができた。その後何度か出入りがあったが71年~77年にも再び長期に在籍した。丁度ブッチーマイルスが加わってパブロにアルバムを多く残した晩年の黄金期だ。ベイシーオーケストラでアルグレイのあのプランジャーミュートのプレーは無くてはならない存在であった。

ケントンやハーマンオーケストラはある種の新人養成所、ここを鍛錬の場として育っていったプレーヤーは多い。一方でベイシーやエリントンは新人が次から次へと入れ替わることはない、それなりの経験を持ったプレーヤーが徹底的にベイシーサウンドやエリントンサウンドを鍛えられる。このアルグレイもベイシー直々に色々指示を受けたそうだ。オーケストラ全体の演奏だけでなくトロンボーンのプレーについても。知らず知らずにベイシーサウンドが身に付くということだろう。

そのようにベイシーサウンドで鍛えられたメンバーがコンボでやってもスイング感の基本は変わらないが、ベイシーオーケストラを辞めた直後で、ライブという事もあり皆のびのびとプレーしている。デュークの余計な事をせずに確実に4ビートを刻むベースもかえって新鮮だ。
ドラムのボビーダーハムの切れの良いドラムも光るが、ボーカルも得意とは知らなかった。グラディーテイトには及ばないが、スキャットを含めてライブでの余興の域は超えている。バックでグレイが語り掛けるようなプランジャーミートで本領発揮だ。

マイアミのジャズを支えたこのクラブもその後は話題になる事は無かったような。レーベルもその後どうなったかは分からない。
志は高くとも、それを実現するためにビジネスも思い通り成功するのは難しいものだ。

1. Travellers Lounge               Grey^Zeit 7:23
2. When I Fall In Love          V.Young / E.Hyman 6:37
3. Blue And Sentimental         Count Basie   3:48
4. Blues Everywhere             Shirley Scott 8:16
5. Oasis                    Shirley Scott 9:49

Al Grey (tb)
Jimmy Forrest (ts)
Pete Minger (tp,flh)
Shirley Scott (p)
John Duke (b)
Bobby Durham (ds,vol)

Produced by Max Wagner & Dean Goodman
Recorded live at The Traveler’s Lounge, Miami’s home of Jazz, March 13, 1977
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のジャズも東京だけではない、昔からローカル在住の素晴らしいプレーヤーも・・・

2014-10-06 | MY FAVORITE ALBUM




古谷 充とザ・フレッシュメンのファンキー・ドライブ&民謡集

若い頃、どこか地方に行くとそこのジャズ喫茶巡りが楽しみだった。京都には一時20件を超えるジャズ喫茶があり、全部廻るのにわざわざ2泊3日の京都遠征をしたことも。それぞれ特徴があって、東京のジャズ喫茶よりも拘りがあるところが多かった記憶がある。
ジャズファンは全国にいるのを実感した。

昨年、仕事で関西に行ったついでに地元のライブでも思って、大阪の老舗のライブハウスMister Kelly’sに寄ってみた。

当日出演していたのは、行本清喜とソウルブリード。普段はあまりフュージョン系のライブは行かないが、久々に濃いフュージョンサウンドに痺れた。
リーダーのトランペットの行本は初めて聴いたがドンチェリーの愛弟子とか、エレクトリックマイルスを彷彿させるプレー、リズム隊は昔懐かしいナニワエクスプレスのメンバー、そして古谷光広の豪快なテナーと豪華メンバーの素晴らしいグループであった。
関西のミュージシャンはなかなか聴く機会が無いが、日本のローカルミュージシャン(大阪をローカルというと怒られるかもしれないが)も実力者揃いだ。

このテナーの古谷氏の父上はアルトの古谷充。我々世代にはこちらの方に馴染みがある。
熱いアルトとボーカルで有名だった。大阪が本拠地であったが、テレビにも出ていた記憶がある。父上の方もまだ健在でプレーをされているようなので、こちらの演奏も機会があったらぜひ聴いてみたいものだ。

つい最近のライブの様子がYouTubeにあったが、相変わらず素晴らしい演奏だ。



1960年代の初め、世はファンキーブーム。1961年に来日したジャズメッセンジャーズの演奏に皆熱狂していた時代、和製ジャズメッセンジャーズの白木秀雄クインテットやジョージ川口ビッグフォーが大活躍していたが、この古谷充もこの時代の若手グループの先頭を走ってファンキーなプレーをしていた。
単にファッションとしてのファンキーではなく、マクリーンやウッズを彷彿させるアルトはナベサダよりも上だったかもしれない。最近の若手でこういうアルトはなかなか聴けないのが残念。
You Don’t Know What Love Isでは得意のボーカルも聴けるが、このボーカルもいい雰囲気だ。

まだ10インチのLPが出ていた時代だが、当時の2枚のアルバムがカップリングされてCD化されている。このアルバムがそうだが、2枚のアルバムの素材はどちらも日本の曲。先日Akira Tanaシャープスアンドフラッツのアルバムを紹介したが、同じような路線のアルバムだ。ただし、演奏の中身は時代に合わせてとことんファンキーだ。

民謡集のジャケットデザインはこんな感じ



このような企画の演奏は、とかくジャズ風にやるだけという軟な演奏が多いが。古谷充グループは本気度の高い演奏が聴けるので、ジャズは素材を選ばずということを実感する。アルバム全体の雰囲気が安っぽくなくいい感じなのは、ピアノの大塚善章のピアノと作編曲の貢献も大きい様な気がする。

こちらの大塚氏は関西ジャズ協会の会長。関西の長老の方々も皆さん元気なようだ。

1. 城ヶ島の雨
2. アローの夜は更けて
3. ソウルNO.1
4. アイル・シー・ユー・イン・マイ・ドリーム
5. フリー・ソウル
6. タブー
7. 暗い夜
8. ディグ
9. ユー・ドンド・ノウ・ホワット・ラブ・イズ
10. ストレンジャー・イン・パラダイス〈民謡集〉
11. 黒田節
12. 通りゃんせ
13. 祗園小唄
14. 佐渡おけさ
15. 五ッ木の子守唄
16. 城ヶ島の雨
17. お江戸日本橋
18. ソーラン節

古谷 充 (as,vol)
稲見 肇 (tp)
大塚 善章 (p)
奥村 博一 (b)
トム 樽原 (ds)

Recorded in 1960, 1961

古谷充とザ・フレッシュメンのファンキー・ドライブ&民謡集
クリエーター情報なし
インディーズ・メーカー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の中にはローカルの実力者は沢山いても、なかなか聴く機会がないものだが・・・

2014-10-05 | CONCORD
The Ed Bickert 5 at Toronto’s Bourbon Street

前回ローズマリークルーニーのアルバムを紹介した時に、録音場所がカナダのトロントであったのに引っ掛かった。
バックはいつものコンコルドオールスターズ、そしてアルバム自体は彼女がその頃続けていた作曲家シリーズ.
ハリウッド住まいの彼女にとって本来であれば本拠地でじっくり録音してもいいアルバムなのに、何故カナダで録音したのか?
気にはなったが、そのまま特に調べもしなかった。

このアルバムの主役はその時ギターで参加していたEd Bickert、地元トロントのプレーヤーだ。
そういえば、ロージーのアルバムでバックのオールスターズのギターがいつものカルコリンズでは無くこのビッカートであった。改めて、このアルバムのライナーノーツを見直したが、このビッカートが参加した理由、何故トロントなのかも分からなかった。

ロージーのセッションを終えたバックを務めたオールスターズの面々は、このビッカートとセッションを持つことになった。せっかく共演したのに、レコーディンだけではもったいないということに相成ったようだ。
ピアノのマッケンナは他の仕事があって参加できなかったが、他のメンバーは皆揃ってビカートと共に地元のクラブでのライブへ、その模様が収録されたのがこのアルバムだ。

このビッカートというギタリスト、今回のコンコルドに登場する以前の活動を自分は全く知らなかったが、ポールデスモンドのクループに加わったこともあったようで一応メジャーデビューは果たしたギタリストだ。
メジャー経験は少なくても地元トロントではファーストコールのスタジオミュージシャン、地元に訪れる有名ミュージシャンとの共演経験は豊富であった。レコードしか聴く機会がない我々にとっては、地元では有名でもローカルのミュージシャンは縁遠い存在だ。

世の中には無名であってもファンは必ずいるもので、詳しく知りたい方はこちらで。

アルバムの数は少なくても、今ではネットでその実力の程は窺い知ることができる。
ちなみに、YouTubeにはたくさん映像が残されている。



コンコルドはオーナーのカールジェファーソンがギター好きのせいか、ギターに関してはべテラン、新人を問わず多くのミュージシャンが登場するが、このビッカートもその一人に加わった。

実は、この1983年にはカルコリンズは世界中を駆け巡っていたコンコルドでの活動を離れ、地元に戻ってしまっていた。オールスターズに欠かせないギターが不在であったということも、このビッカート起用の理由のひとつだったかもしれない。

このセッションは結果的にピアノレスになったせいか、ハミルトンやバッシェのバックを務めるビッカートのギターの刻むリズム、そしてバッキングが良く分かるが、自分の素人耳にも只者ではないことが良く分かる。
トリオでの演奏も2曲あり、ジャズでは珍しいフェンダーのtelecasterでのプレーをたっぷり楽しめる。

1. Swingin' Along on Broadway             Buck Clayton 5:37
2. I'll Wait and Pray       George Treadwell / Gerald Valentine 7:03
3. Change Partners                  Irving Berlin 5:56
4. Limehouse Blues Philip         Braham / Douglas Furber 6:05
5. Walk It Off              Sidney Miller-Inez James 5:28
6. Goodnight My Love            Mack Gordon-Harry Revel 5:38
7. Sophia Illinois               Jacquet-Harry Edison 6:29
8. The Walker              Coleman Hawkins-Roy Eldridge 6:18

Ed Bickert (g)
Scott Hamilton (ts)
Warren Vache (cor)
Steve Wallace (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Sheridan
Recorded live at Bourbon Street, Toronto, Ontario, Canada January 1983

Originally released on Concord CJ-216
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一発勝負の緊張感は何とも言えないが、決まった時の快感は格別・・・

2014-10-04 | MY FAVORITE ALBUM
Back At The Club in Tribute / Makoto Ozone featuring No Name Horse

ゴルフをやっていると、ここ一番の勝負の場面によく遭遇する。遊びの時はまだしも、試合で一打を争う時の緊張感はなんともいえない。このような場面で実力を出しきれるのが本当の実力であろう。自分は、大体余計な力が入って結果は推して知るべし・・・。
練習と同じショットを緊張する場面でも打てるのが本物の実力者だろう。プロと言えどもほんの一握り。

ジャズのレコーディングでライブ録音でも同じような場面がある。ライブの良さは聴衆と一緒のリラックスした演奏、そして観客と一緒に会場全体が盛り上がると、普段の演奏では聴く事のできないノリノリの演奏を楽しむこともできる。
このような演奏がレコーディングされたアルバムは当たりである。一発勝負で多少粗があっても気にならない、それを上回る熱い演奏を楽しめるものだ。

先日紹介した、ペッパーアダムスのドミシルでのライブも一発勝負が条件だったとか
確かに、自分もたまたまライブ録音をしているステージを聴く機会があったが、ある曲のエンディングでドラムがミスった。素人の耳には気にならなかったが、プレーヤーは流石にこれがアルバムになるのは納得がいかなかったのだろう。もう一度エンディングの部分だけをやり直していた。「後でこれに差し替えればいいや」と2度目は満足な様子。同じライブでもこんなライブもあるようだ。

よく昔は時間の都合でソロがカットされることもよくあったが、アルバム作りで最後の作品になるまでには、色々プロセスで手が入れられるのは当たり前である。最近では、別々に録音されたものが一枚のアルバムになるのは当たり前なので、ライブを聴くのとアルバムを楽しむのは別物と考えた方がよいかもしれない。

今、ビッグバンドで大きなホールを一杯にできるのは、山下洋輔のビッグバンドと人気の小曽根真の「No Name Horse」位だろう。そのNo Name Horseが4年前の2010年の夏にブルーノートに出演した。

このバンドは基本的には、アルバムでもオリジナルの演奏をレパートリーにしているが、その時は各ステージでビッグバンドの定番と言われる曲を演奏した。
我々の世代の定番というと、ベイシー、クインシーに始まり、バディーリッチ、サドメルと続く。当時の学生バンドもこれらの曲は必ずやっていたので、演奏するプレーヤーにとっても懐かしい曲ばかりであったろう。メンバーのエリック宮城は実際にバディリッチオーケストラで毎日吹いていたこともあり、譜面を見なくても吹けるといったそうだ。

とはいっても、何日か続いたステージであったが、それぞれの曲は一回限りの一発勝負。やり直しがきかない緊張感の中で収録が行われたそうだ。ライナーの各プレーヤーのコメントを見てもそれなりの緊張感を持って臨んだ様子が伝わってくるが・・。
結果は流石一流プロ揃い。どれも素晴らしい演奏だ。ハイノートを得意とするエリックのバラードプレーも聴けるし。

定番曲を一枚のアルバムに収められたこのアルバムは、サドメルのドントギットサッシーに始まりどの曲も昔から耳にこびりついた曲ばかり。懐かし半分、オリジナルとの比較も自然に行われる。自分のような世代にとってはビッグバンドのベスト集といってもいいアルバムだが、これをNo Name Horseで聴けるというのも嬉しいものだ。
3曲だけであるが、ノーネームホースのサドジョーンズトリビュートにもなっている。

1. Don’t Git Sassy       Thad Jones 6;45]
2. Ya Gotta Try        SammyNestico 4:49
3. Freckle Face        Sammy Nestico 5:56
4. Us              Thad Jones 6:21
5. Love For Sale          Cole Porter 6:25
6. A Child Is Born         Thad Jones 5:38
7. Shiny Stocking          Frank Foster 7:57
8. Nutville            Harace Silver 7:12
9. Corner Pocket          Freddie Green 5:25


No Name Horse
エリック宮城、木幡光邦、奥村 晶、岡崎 好朗 (tp)
中川 英一郎、片岡 雄三。山城 純子 (tb)
近藤和彦、池田 篤、三木 俊雄、岡崎 正典、岩持 芳宏 (sax)
中村 健吾 (b)
高橋 信之介 (ds)
小曽根 真 (p)

Recorded at Blue Note Tokyo, on August 27 ~ September 1, 2010


バック・アット・ザ・クラブ“イン・トリビュート”
No Name Horse
ユニバーサル ミュージック クラシック
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベニーゴルソンが参加した「ジャズテット」を最初に名乗ったのは・・・

2014-10-03 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Imagination / The Curtis Fuller Sextet

先日、ベニーゴルソンが昨年に続いて来日して元気な姿を見せてくれた。今回もワンホーンでの演奏であったが、ゴルソンの演奏はそのアレンジ含めてその曲を楽しむには2管、3管の方が馴染むし、そのゴルソンのプレーも生かされるような気がする。けっして一人でゴリゴリ吹きまくるタイプでもないので。

世の中には話が上手い人がいる。その話にはついつい惹き込まれてしまうものだ。しかし、話の中身も面白い内容であるといつまでも覚えているが、中身が無いと話振りだけを思い出すが中身を全然思い出せない時もある。

ジャズを聴いていても同じで、良い曲だとそのメロディーは一度聴いただけで忘れないものだ。それも素晴らしい演奏が伴うとお気に入りの仲間入りをする。一方で演奏スタイルに特徴があると、その時のプレーには感嘆するが、後になって肝心な中身をさっぱり思い出せないこともある。

このベニーゴルソンの曲というのは一度聴いただけで印象に残る曲が多い。コンビを組んだアートファーマーも、一緒に組んだ理由の第一に挙げている。さらに、独特なイントネーションの演奏ぶりも好感がもてる。
そして一人でしゃべり続けるのではなく、他のプレーヤートの会話も上手い。折角の楽しい話題を一人独演会でやるのではなく、皆で盛り上げる場の持たせ方が上手いという事だろう。

そのようなゴルソンというとアートファーマーとのコンビというとジャズテットが有名だ。ジャズテット結成以前にも、1958年のアルバム、”Modern Art”での2人の競演が意気投合した原点のような気がする。

そのゴルソンは翌年1959年にトロンボーンのカーティスフラーとのアルバム。”Blues-Ette”を残す。これも言わずと知れた名盤だ。低音同士のアンサンブルと、2人の角の取れた「丸い音」のソロが実にいい雰囲気だ。だが、演奏がソフトかというとジェリーマリガンとボブブルックマイヤーとのコンビのようなソフト感ではなく、適度な力強さ脂っこさを感じさせてくれる。その辺りがゴルソン節の魅力だろう。

このゴルソンを中心に置くと、アートファーマーとカーティスフラーとの関係はある種の三角関係のようにも思える。アートファーマーとせっかくいい関係ができたのに、1959年はフラーと熱い関係が続く。

サボイにブルースエットを吹き込んだ後続いてゴルソンは続けさまにフラーと2枚のアルバムを作る。フラーがブルースエットの雰囲気が一気に気に入ったのか、ゴルソンを気に入ったのかは定かではないが。ゴルソンがリーダーとなったアルバムにフラーが参加したアルバムもあったので、お互い相思相愛の仲であった。

サボイのアルバムは、よく三部作といわれるアルバムだ。
最初は2人の2管であったが、後の2枚はトランペットを加えた3管編成でサウンドに厚みを出している。一応これらはフラーのアルバムだが、この時ゴルソンがやりたかったのもこの様な編成で、このようなプレーであったのかもしれない。

リーモーガン加えた2枚目のアルバムでは、グループ名に後にアートファーマーとのグループの名前となった「ジャズテット」の名前を使っている。

そして、3枚目がこのアルバムとなる。ここでのトランペットはサドジョーンズに替わる。
1959年といえば、カウントベイシーのオーケストラに加わってバリバリでやっていた時期。先日紹介したマイアミトンボ帰りをしたのもこの年だし、このアルバムが録音された12月には久々に気軽な雰囲気の演奏の”Dance along with Basie” の録音にも参加していた。
このベイシーでの活動の合間を縫ってのこのアルバムへ参加である。

ここでのジョーンズはアレンジャーとしてではなく、プレーヤーとしての参加だ。ベイシーのオーケストラではアレンジにせっせと精を出し、ソロではあまり出番が多いとは言えなかったが、ここでは久々にプレーに専念している。これがフラーとゴルソンのアンサンブルにも実にマッチする。特にBlues De Funkが秀逸。プレイキーのモーニンでは、ゴルソンとリーモーガンのコンビがピッタリだったが、ここではサドジョーンズとのコンビの方に軍配を上げる。



このアルバムはフラーのリーダーアルバムなので、ゴルソンもプレーに徹しているが、3人の会話のペースはゴルソン節だ。

実はこのアルバムを作った頃に、ゴルソンはアートファーマーと再会する。そして、お互い目指している方向が同じであることを確認し、2人でグループを作ることにした。メンバーも2人のグループから選抜し、ピアノはこのアルバムにも参加しているマッコイタイナーが抜擢される。まだ19歳の少年であった。

翌年の2月に2人のジャズテットは初アルバムを作るが、このアルバムには前年にさんざん付き合ったゴルソンの「元の恋人」カーチス・フラーも参加し、フラーが一度掲げた看板「ジャズテット」もファーマー&ゴルソンに譲ることになった。
「話し上手」のゴルソンがファーマーとフラーの二股をかけた訳ではないとは思うが。

1. Kachin           Curtis Fuller 6:57
2. Bang Bang         Charlie Parker 6:11
3. Imagination   Johnny Burke / James Van Heusen 6:50
4. Blues de Funk       Curtis Fuller 9:10
5. Lido Road         Curtis Fuller 8:23

Curtis Fuller (tb)
Benny Golson (ts)
Thad Jones (tp)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b)
Dave Bailey (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 17, 1959




Imagination
Curtis Fuller
Savoy Jazz
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tradition=昔から伝わる遺産を守るか、Innovation=過去を捨ててさらなる進化をするか・・・

2014-10-01 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Thad Jones Legacy / The Vanguard Jazz Orchestra

伝統と革新をどのように両立させるか? これは何の世界でも同じだが、前に向かおうとすると必ず直面する課題かもしれない。
本来、伝統というものは守らなければならないものだと思うが、伝統とは形に残る遺産だけでなく、それを生み出した生き方、考え方、時には時代背景などすべてが含まれるものだ。

昨今では、昔からやり続けていることを単に「マンネリ」と見下し、前に進むための革新には邪魔なものと見なしがちである。敢えて過去を捨て去ることで新たなステージを迎えることができると勘違いすることも多くある。

特にIT化という大きな時代の流れの中では、アナログは真っ先に捨てなければならないものとなった。しかし、IT化というものはあくまでも手段。目的を持たないIT化は残念ながら形だけのものになり、そこには伝統も文化も無く、一番大事な人と人との繋がりを機能的に便利にする反面、かえって心の通い合う付き合いを希薄にしてしまったように思う。

サドジョーンズは、多くの名曲、名アレンジ、名演、そして名ビッグバンドを残した。
それらの貢献を称えての「Tributeアルバム」は沢山あるが、ビッグバンドはやはりサドメルオーケストラへのトリビュートになる。先日紹介したMonday Night Big Bandはその一枚であるが、このアルバムは本家ヴァンガードジャズオーケストラによる始祖の一人サドジョーンズへのトリビュートアルバムになる。

サドジョーンズがサドメルのオーケストラを去ったのが1978年。残されたメルルイスは旧メンバーであったボブブルックマイヤーを音楽監督に迎え、一時サドジョーンズの曲を封印した。
しかし、後にそれも解消しメルルイスオーケストラもサドジョーンズの曲とアレンジの「deffinitive」決定版として2枚のアルバムを残して、サドジョーンズの遺産は復活した。

メルルイスが1990年に亡くなった後も、残されたメンバー達でオーケストラは存続された。
サドメルの本拠地であったヴィレッジバンガードの名前をオーケストラの名前に冠し、サドメルオーケストラ、そしてメルルイスが残した多くの遺産を引き継ぐことになった。
このオーケストラも、伝統と革新の2つの課題に直面する。

このアルバムタイトルは、「サドジョーンズの遺産」、当然「伝統」が優先する。本家としてどこまで伝統が引き継がれているかが聴きどころになる。
結果は、初期のサドジョーンズのアレンジを見事に再演している。ライブでは無くスタジオできっちり収録されたものであり、演奏しているメンバーも長年演奏し続けているだけあって、まずは「本家」の演奏としてそつなくこなされている。

「Quiet Lady」、オリジナルではペッパーアダムスとローランドハナ、サドジョーンズのソロであったが、ここではスマリヤン、マクニーリー、ウェンホルトで再現している。



そして、このアルバムが生まれるには一つの大事な背景があった。

サドジョーンズの功績をジャズの歴史の中で後世にきちんと伝えるためのプロジェクト”The Thad Jones Legacy Project”がスタートし、その活動の一環としてこのアルバムも制作されたと記されている。単に昔を懐かしんだナツメロアルバムではないということだ。

この活動には後日談があり、このプロジェクトはサドジョーンズが残したビッグバンド用のオリジナル譜面の完全保存版の収集(作成)も手掛けた。もちろん、それにはヴァンガードジャズオーケストラに残されたセロテープで継ぎ接ぎだらけになった譜面も対象となった。手直しが加えられたものも多くあり、別に市販の譜面として別に世に出た中には間違いもあったり、すべて内容の確認が必要であり全体の整合性のチェックなども行われた。更には、一部の譜面が紛失してお蔵入りになったり、レコーディングに使われたがその後一回も演奏されたことが無い曲もあった。サドメルとかって共演したオルガンのローダスコットの元まで譜面探しは徹底されたそうだ。

最終的にはミュージシャンによる最終確認も必要であり、この作業を実際に行ったのはサムモスカ以下のオーケストラの面々、彼等が中心となって多くのそれをサポートするスタッフも参加して実施された。
そして、その作業が完了したのはこの録音から4年後の2003年。それを記念して、新たな譜面でのライブが本拠地のヴィレッジバンガードで行われたとの記事も残されている。

2009年にこのVJOが来日した時、4日間8ステージをすべて違う曲で演奏するというプログラムが組まれた。これが実現されたのも、過去からの遺産をきちんと守るこのような地道な努力があったからだろう。

しかし、サドジョーンズが作ったオーケストラの原点は単に曲やアレンだけではない。
ツアーをしない週一回の定期的なライブ演奏、黒人・白人がほぼ半々のメンバー構成、エリントンのように作曲家&アレンジャーのバンドでもなく、ベイシーのようなソロイスト中心のバンドでもなく両方の特徴を持ち合わせ、アンサンブル主体かと思うと自由度の高いソロパートも存分に設け、今までのオーケストラに無い斬新な切り口が数多く取り入れられた。それらがサドメルの原点であり守られるべき伝統の一つだと思う。

このようなサドメルの特徴は色々な所で述べられているが、アルバムのライナーノーツを読むと、もうひとつ面白い表現があった。
1930年のチックウェブオーケストラ以来、初めて「家で寛いでいる聴衆と一緒にいる感じで演奏するオーケストラ」と。そして「聴衆だけでなく演奏しているプレーヤー自身も演奏することが楽しみなメンバーで編成されている」と。初めて来日した時の評論家の油井正一氏の感想も全く同じ事を言おうとしたのであろう

まさに、初期のサドメルオーケストラの聴衆と演奏者が一体なったライブの楽しさを上手く表現している。実は、これもサドメルオーケストラの守るべき大事な伝統の一つでもある。
ヴァンガードオーケストラは最近毎年のように来日し、そのライブを聴きに行くが、会場となるビルボードの構造なのか、残念ながらそのような雰囲気にはなかなかならない。
本拠地であるヴィレッジバンガードでの演奏を聴く機会は残念ながらまだ無いが、きっとアットホームな演奏を聴く事ができるのだろう。

これらの伝統を踏まえれば何もサドジョーンズの曲ばかりを演奏することだけが伝統を守ることではない。2003年の譜面のRestore記念のライブでも、サドジョーンズの曲に合わせて、ジムマクニーリーやスライドハンプトンの曲も演奏され、TraditionとInnovationというVJOの2つの使命を果たしていると記されている。

今後もサドジョーンズの想いを引き継いで、新たな領域にどんどんチャレンジして欲しいものだ。今年の来日公演では、ボブブルックマイヤーの遺作を聴かせてくれそうなので、これも楽しみだ。



1. A-That's Freedom             Hank Jones 7:21
2. Once Around               Thad Jones 5:53
3. Quiet Lad                 Thad Jones 7:30
4. Central Park North             Thad Jones 8:30
5. Yours and Min                Thad Jones 3:54
6. Fingers                  Thad Jones 14:38
7. Groove Merchant           Jerome Richardson 8:36
8. All My Yesterdays              Thad Jones 4:10
9. My Centennial                Thad Jones 7:33

The Vanguard Jazz Orchestra

Scott Wendholt (tp,flh)
Glenn Drewes  (tp,flh)
Earl Gardner  (tp,flh)
Joe Mosello  (tp,flh)
John Mosca (tb)
Jason Jackson (tb)
Ed Neumeister (tb)
Douglas Purviance (btb)
Billy Drewes (as,ss,fl,cl)
Ralph Lalama (ts,cl,fl)
Dick Oatts (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl)
Gary Smulyan (bs)
Jim McNeely (p)
Dennis Irwin (b)
John Riley (ds)

Produced by Thomas Bellino, Douglas Purviance
Engineer : Stuart Allyn
Recorded at Edison Recording Studio on May 1 & 2 1999



Thad Jones Legacy
The Vanguard Jazz Orchestra
New World
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする