A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

RICHのBIG BANDの演奏を、コーラスでやると。

2007-03-31 | MY FAVORITE ALBUM
MOOVIN’ UP / THE RITZ

JAZZの有名な演奏をボーカライズし、それをコーラスでやるのが「売り」だったのがLHR。3人の声の質の微妙な違いを生かし、それぞれの歌唱力と絶妙なハーモニーで過去のJAZZの名演をコーラスで再現していた。
一方で、マンハッタントランスファーが成功を収めると、それがきっかけになったのか、JAZZコーラスが一時注目された。

RITZもそんな中で活躍したグループのひとつ。

このグループが、BUDDY RICHの新生BIGBANDのデビューアルバム、「SWINGIN’ NEW BIG BAND」の中の曲、BAISICALY BLUESの演奏をボーカライズしている。
LHR顔負けの出来栄えだ。

このRITZは、前身のグループがこの当時もグループを引っ張っていたVOCALのシャロン・ハリス、グリル・ボスティールスなどを中心に82年にボストンで生まれている。
マントラは1972年生まれなので、マントラに遅れること10年で誕生。

87年に、2人のVOCALを加えてスケールアップして、名前も「THE RITZ」に。
この時加わった、VOCALの一番若手ボブ・マーチンは、リーダー格のシャロンが高校で音楽を教えていた時の生徒だったそうだ。
4人のコーラスとバックのプレーヤー3人のグループ。比較的、声の質が似ている者同士なので、LHRのコーラスとは少し色合いが違う。

このアルバムには、オリジナルが4曲、スタンダード曲がから6曲が収められているが。スタンダードの中には、他の演奏のボーカリーズあり、ラテンのリズムあり4ビートありと、バラエティーに富んでいる。

このアルバムでは、RICHの演奏をボーカリーズしたベイシカリブルースと、バラードのスタンダード曲、MY FOOLISH HEARTがお気に入り。

MOOVIN’ UP
MR.FLAT FIVE
SOUTH OF THE BORDER
MY FOOLISH HEART
PERDIDO
VINE STRET BAR & GRILL
BASHICALY BLUES
JERU
RYHTHM-A-MING
SHAKE.RATTLE N’ ROLL

(THE RITZ)
Darlry Bosteels (vo)
Sharon Harris (vo)
Melissa Hamilton (vo)
Bob Martin (vo)
Jeff Auger (p,keyboard)
Mary Ballou (b)
Les Harris Jr.(ds)

Bradon Fields(sax)
Lenny Castro (per)
Jerry Weber (keyboard Programing)

Recorded at Ocean Way Studio,Hollywood,California
May 27-31,1988
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不思議なスイング感を追い求めたユニークなオーケストラ DON ELLIS

2007-03-30 | MY FAVORITE ALBUM
DON ELLIS Orchestra ”Live” at MONTEREY !

JAZZはやっぱり「4ビートじゃないと」という人は多い。
自分もどちらかといえば4ビート派。決して8ビートも毛嫌いしているわけではないが。
4ビートの心地よいスイング感は何ともいえない。やはりJAZZの原点は4ビートなのかな。
ところが、この基本リズムを変えて、JAZZの持つスイング感に挑戦するプレーヤーは結構いる。有名どころでは、エバンスのWALTZ FOR DEBBYの3拍子。ブルーベックのTIME OUTの5/4拍子なども、JAZZ STANDARDになっている。
60年代後半、様々な音楽を取り入れていったJAZZはリズムもますます多様化していった。世界の民族音楽を見渡すと、とんでもない拍子で独特のリズム感を醸し出している例がいくつもある。
これに着目して、変拍子でJAZZのスイングに挑戦した変人(?)がいる。
それもBIG BANDで。DON ELLIS ORCHESTRAだ。

このオーケストラも1966年に誕生した。
BUDDY RICHのBIG BANDがHOLLYWOODでデビューした約一ヶ月後
こちらは、同じ西海岸で開かれた有名なMonterey Jazz Festivalに登場した。

一曲目のタイトルが、33 222 1 222。

電話番号か、Zipcodeのようなただの数字が並んでるが、これが曲名。
これがまさにタイトルどおり“19/4拍子”の曲。
この曲でスタートするが、次から次に変拍子の曲が続く。
おまけに、通常の管の編成に加え、ベースが3本にドラムが2人という特異な編成で。
否が応でもリズム感が複雑になってくる。

このELLISのオーケストラはその後も何枚もアルバムを出し続けた。エレキ化にも積極的になって。挙句の果ては4バルブのトランペットなるものまで登場した。

一回限りのスタジオセッションではなく、レギュラーオーケストラとしてひとつのスタイルを残した、チャレンジ精神に富んだBIG BANDのひとつだ。

このアルバムは、リーダーのエリスが2年間研究してきた結果のお披露目だ。
彼自身「Bop以降初めてのチャレンジだ」と言っている。確かにボサノバが流行ったり、インド音楽の影響なども受けリズムは多様になってきていたが、ここまで変拍子にこだわった演奏と曲は他に聴いたことがない。
それに、いきなりのライブとなるとリハーサルを含めてメンバーの苦労は大変であったであろう。

いざ聴いてみると、それほどの違和感は無いが。やはり全体のリズム感が、異国の雰囲気が漂うどこかの民族色を感じる部分があるのは当然だろう。
JAZZが世界中の色々な要素を入れながら発展していった時期。ひとつのチャレンジとしては面白い試みだったと思う。
2曲目では、Ragtimeのパターンにのった5/4拍子。丁度同じ時期ブラジルで流行りだした5/4のアクセントと同じという偶然もあったようだ。

モンタレージャズフェスティバルの名物?の飛行機の爆音もちょうど曲間で聞こえる。
この爆音、他のアルバムでも時々聞くことができる。
この当時、Jazz festivalといえば東のNewportに対して、西のMonteley。
1958年に始まったこのフェスティバルも今年で50周年記念。
まだ、元気に続いているようである。

Introduction by Jimmy Lyons
33 222 1 222
Passacaglia and Fugue (Hank Levy)
Crete Idea
Concerto for Trumpet
27/16
Beat Me Daddy, 7 to the Bar
New Nine

Leader
Don Ellis (quarter-tone trumpet)

(Saxes)
Ruben Leon - alto sax, soprano sax, flute
Tom Scott - alto sax, saxello, flute
Ira Shulman - tenor sax, alto sax, clarinet
Ron Starr - tenor sax, flute, clarinet
John Magruder - baritone sax, flute, clarinet, bass clarinet

(Trumpets)
Glenn Stuart
Alan Weight
Ed Warren
Paul Lopez
Bob Harmon

(Trombones)
Dave Wells
Ron Myers
Terry Woodson - bass trombone

(Rhythm)
Dave Mackay - piano, organ
Ray Neapolitan - bass
Frank De La Rosa - bass
Chuck Domanico - bass
Steve Bohannon - drums
Alan Estes - drums
Chino Valdes - congas, bongos

Recorded live at Monterey Jazz Festival Sep.18
"Concerto for Trumpet" was recorded at the Pacific Jazz Festival, Oct.18,1966
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1966年、‘ドラムの名手「Buddy Rich」も念願の自分のBIG BANDを立ち上げ!

2007-03-29 | MY FAVORITE ALBUM
SWINGIN’ NEW BUDDY RICH BIG BAND

1966年.この年に生まれたBIG BANDで忘れてはいけないのが、BUDDY RICH BIG BAND。
リッチを知ったのは、JAZZを聴き始めて間もない頃。
JAZZのドラムソロのかっこよさを知って、買ったレコードがマックスローチとのドラムバトル。
右も左も分からない中、演奏はともかくとして、この中のSING,SING.SINGのドラムにいたく感心したのを覚えている。ベンチャーズが流行っていた時。
その後、何かのテレビでプレーぶりを見て感心したが、バディーリッチは「ドラムソロ」の達人としての印象しかなかった。

サドメルを聴いてBIGBAND素晴らしさを再認識した時、前後して出たのがこのアルバム。ライブ録音なので、JAZZ喫茶で、大音量で聴くと臨場感が一段と増す。ホレスシルバーでお馴染みのシスターセディーのワクワクするような演奏を聴きたくて、よくリクエストしたものだ。

リッチは、この年の4月HARRY JAMESのメンバーとして高給をとっていた仕事を辞めて自分のバンドを編成することになった。
BIG BANDが必ずしも主役ではなくなった時代、レギュラーバンドを維持するのは大変。「ダンスバンドとしての仕事をやらずに、聴かせるだけのライブで果たして客を集められるか」、「どうせすぐに行き詰るのでは」という大方の心配をよそに、HOLLYWOODの“CLUB CHEZ”でのライブは連日大入り。2週間の契約が4週間に延びた盛況だったそうだ。
長年言われ続けた、「ビッグバンドは帰ってくるか?」との問いに、「BUDDY EICHがBIG BANDで帰ってきた」という事実で立証し、RICHは無事に離陸していった。
これが一時のことではなかったことは、その後の活躍が証明している。

50年代のJATPでの活躍のように、リッチのコンボでの演奏ももちろんいいが。やはり、リッチのドラムはBIG BANDで本領を発揮する。
波を打つようなスイング感、歯切れのよいスナップ、強弱のメリハリのついたダイナミズム、スローな曲での抜群のテンポ、超人的なスピードでのドライブ、そしてソロでのショーケース、どれをとっても彼しか持ち合わせていないBIG BANDドラムミングの技だ。

リッチは1917年生まれ。このアルバムが録音された時は50歳に手が届こうかという年齢。そこから20年間レギュラーBANDを率いたことになる。リッチのオーケストラは映像も多く出回っているが、演奏の姿はいつも元気そのもの。
人生この歳になってから新たなものを立ち上げられ、体力的にも、内容的にも思う存分できるのは羨ましい限りだ。

若手中心にベテランも交えて集められたメンバーに対して、リッチが先頭を切って「さあ行くぞ」という雰囲気を最初のカウントから感じさせる。
演奏は荒っぽいところもあるが、バンド全体の元気さがそれを上回る。難しいJAZZが流行り始めている時、こんなJAZZもまだ元気にやっているよという声が聞こえるようだ。
ベイシーライクな演奏から8ビートまで。リッチの8ビートがまたいい。
そして、このアルバムのハイライトのWEST SIDE STORY MEDREYに至るまで曲やアレンジも色々集められた。
ファーストアルバムとしては、ライブ演奏であることを含めて、立ち上げ時の気合の入れ方が十二分に伝わってくる。

1. Readymix
2. Basically Blues
3. Critic's Choice
4. My Man's Gone Now
5. Up Tight (Everything's Alright)
6. Sister Sadie
7. More Soul
8. West Side Story Medley:
  a)Overtune b)Cool c)Something's Coming d)Somewhere

メンバーを見ると、知った顔としては、HERMANのバンドにいたBobby Shew、その後秋吉敏子のオーケストラにも参加していた。アルトのGene Quill、マリガンとやっていたベースのCarson Smithなど。彼ら中堅を軸に無名の若手が多く参加している。
そういえば、村上という日本人プレーヤーがいたのも話題になった。
ちょうど大リーグで初めて活躍した日本人左投手も村上。時期もたしかこの頃だった。

Bobby Shew, John Scottile, Yoshito murakami, Walter BattaGello ( tp)
Jim Trimble, John Boice, Dennis Good, Mike Waverley ( tb)
Gene Quill, Pete yellin(as)
Jay Corre , Martin Frax(ts)
Steve Perlow(bs)
John Bunch (p)
Barry Zweig (g)
Carson Smith(b)
Buddy Rich (ds)

Recorded live at “Club Chez”, Hollywood、September,1966
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ピーターソンの代役は誰でも務まる訳ではないが、思わぬ新人が?

2007-03-28 | CONCORD
HERB ELLIS & RAY BROWN’S /“Soft Shoe”

出だしのピアノを聴くと、思わずこれはピーターソンではないかと・・・・。
力強いレイブラウンのベースにのって、ミディアムテンポのInka-Dinka-Dooがスタートする。
ピアノに続いてのギターは、Herb Ellis節。どう聴いても、オスカーピーターソントリオではないか。
そして、トランペットは、ベイシーでならしたハリーエディソン。いわゆるモダンというよりは中間派に近いよく歌うトランペットが続く。SWEETSと愛称がつくのがよく分かる。
全体にJATP風だがWESTCOAST香りが漂うよくスイングする演奏だ。

しかし、クレジットを見ると、なんとピアノはGeorge Duke。
フュージョン華やかな時、スタンリークラークとコンビを組んでいたあのキーボードのGeorge Dukeがピアノに座っている。
最近、彼もSMOOTH JAZZに回帰しているので、これが彼のプレーの原点かもしれない。

このアルバムを録音するのに、ELLISから声を掛けられたDukeはまだ20代の半ば。
大先輩からの申し出に、私はピーターソンではないですよと言ったとか。
Concordレーベルの3枚目のアルバムは、こんな雰囲気で始まる。

前の2作が、2本のギターの掛け合いが“売り”のConcord Jazz Festivalでの実況録音盤だった。そういう点では、スタジオ録音できちんと企画された初のアルバムである。

続く2曲目は、レイブラウンのオリジナルSoft Shoe。可愛いスローなテンポの曲。
エレキピアノはチェレスタのような響きでエディソンのトランペットとよく溶け合っている。

ON GREEN DOLPHIN STREETはレイブラウンのアルコプレーとエリスのDuo。
じっくりとオリジナルのメロディーラインを重視した好演だ。ベースソロがテクニックをひけらかすのではなく、このようにストレートなプレーをするのもの珍しい。

最後は超アップテンポの一曲FLINTSTONES THEME。
Dukeのピアノ、エリスのギターと続くが、お互いバックに回ってもソロを鼓舞するバッキングこのドライブ感が何ともいえない。
レイブラウンのベースがいいのだろう。ついでながら、このアルバムはベースラインの録音もしっかりしている。
続く、エディソンのミュートプレーになるが、エリスのギターはバックでも乗りのり状態。
5人が絡み合いながら、一気にエンディングに。お気に入りはこの一曲。

何も難しく考えることはない。楽しくスイングすればいいではないか。そんな感じの一枚だ。
これが、「Condord」レーベルのどのアルバムにも共通する最初の基本コンセプトだったのだろう。

INKA-DINKA-Doo
SOFT SHOE
EDISON LIGHTS
EASTER PARADE
GREEN DOLFHIN STREET
ELLIS ORIGINAL
THE FLINTSTONES THEME

Herb Ellis (g)
Ray Brown (b)
Harry “Sweets” Edison
Geoge Duke(p,elp)
Jake Hanna (ds)

CONCORDのアルバムは録音日が分からないが1974年の発売。
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1967年、WOODY HERMANのオーケストラも元気にやっていた

2007-03-27 | MY FAVORITE ALBUM
WOODY LIVE EAST AND WEST / WOODY HERMAN AND THE SWINGIN' HERD

レギュラーのBIGBANDと言えば、ベイシーにエリントンが両横綱。
次にくるのは、やはりWOODY HERMANであろう。

ファーストハードといわれた、第一期のオーケストラが活躍したのが40年代の半ば。
スタンゲッツやズートシムスをすえた黄金のサックスセクションが有名なセカンドハードが47年。
そしてモダンなサウンドを売りにした50年代のサードハードと、途中途切れることなくバンドを続けてきたのは両横綱以外他にはないだろう。

60年代になって低迷が続くBIG BANDの世界で活躍を続けたのは立派の一言。
これはメンバーに若手を起用して昔からの十八番の演奏に加え、時代の流れに合わせて常に新しいレパートリー、演奏スタイルも加えていったからであろう。

70年代に入ってからもロックの流れもうまく取り入れ、晩年まで元気に演奏を続けていた。今も、ハーマンの意志を次いでThundering herdオーケストラは今でも存続してそのサウンドを引き継いでいる。

新しい、サドメルとかピアソン、そしてバディーリッチなどのBIG BANDが生まれてレコードデビューしたのが1966~7年。
この年、HERMANオーケストラも元気に全米をツアーしている。
このアルバムは、そのツアーの様子を西海岸と東海岸のライブ演奏から1枚のアルバムにしたもの。それで、LIVE EAST AND WESTのタイトルがついている。
両方でメンバーはほとんど違うが、演奏はどちらも素晴らしい。
やはりオーケストラはライブが俄然楽しくていい。

一曲目からピアノのロングソロが延々続くが、徐々にウォーミングアップされてから、フルバンドが炸裂する。最初の曲としては最高。
ライブならではの、合いの手や掛け声が入る雰囲気もいい感じだ。
続く、お馴染みのI REMENBER CLIFFORDは当然トランペットをフィーチャーするが。ここはダスコ ゴイコビッチ。彼自身のアレンジだ。これがまたなかなかいい。
この曲は、色々なバンドで色々なプレーヤーが主役になっているが聞き較べも面白いかも。

お馴染みの、FOUR BROTHERSは、テーマソングのようなもの。
様々な時代の色々な演奏があるが、ハーマンはやはりこれが出ないと終われない。
テーマソングではないが、エリントンのTAKE THE A TRAINやベイシーのONE O’CLOCK JUMPのようなものだろう。

この頃、ハーマンのバンドは、まだロック系のアレンジはまだやっていない。
反対にファーストハードの時代を思い起こさせる、「PREACHER」は、HERMANのクラリネットが登場。バラードの「MAKE SOMEONE HAPPY」では、アルトに持ち替えていつもの「ねちっこい」プレーを。
ハーマンのプレー自体にはあまり共感を覚えないが、これも一度は出てこないと、やはりハーマンオーケストラではないかもしれない。

やはり、HAERMANも、他にはない「ONLY ONE」のオーケストラだ。

TOMORROW’S BLUES TODAY (1)
I REMEMBER CLLIFORD (2)
COUSINS (1)
FOUR BROTHERS (1)
FREE AGAIN (1)
THE PREACHER (2)
MAKE SOMEONE HAPPY (1)
WALTZ FOR A HUNG-UP BALLET MISTRESS (2)

BIG BANDはメンバーを見るのも楽しみのひとつ。
録音が後のWESTのメンバーは、Sal NisticoやBill Chaseのように、以前からのレギュラーメンバーが多い。ピアノはNat pierceが座っている。
EASTのメンバーは、New Yorkのメンバーで編成されたものなのかもしれない。Steve Marcus、Bill Watrousの名前が目に付く。

<SESSION 1>
Woody Herman (cl,as)
Al Gibbons, Bob Pierson(flute),Steve Marcus,(ts)
Joe Temperley (bs)
Lloyd Michaels, Lynn Bivaino, Dick Ruedebusch, Bill Byrne, John Crews (tp)
Jim Foy, Mel Wanzo, Bill Watrous (tb)
Mike Alterman (b)
Ron Zito (ds)
Recorded on March 25, 1967 “Riverboat Room ,New York City”

<SESSION2>
Woody Herman(cl,as,ss)
Gary Klein, Sal Nistico, Andy McGhee(ts)
Tom Anastas (bs)
Bill Chase, Gerry Lamy, Bob Shew, Don Rader, Dusko Goykovich (tp)
Don Doane, Frank Tesinsky, Henry Southhall (tb)
Nat Pierce (p)
Tony Leonardi (b)
Ron Zito (ds)
Recorded on June 29,1967 “Basin Street West”
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新しいものにチャレンジするのは「年寄りの冷や水?」

2007-03-26 | MY FAVORITE ALBUM
CLOSER TO THE SOURCE / DIZZY GILLESPIE

ベテランが、若手や新しいサウンドに挑戦しても、お互いによほどしっくり来ないとなかなかいい結果を生まない。もっとも、マイルスやクインシーのように、常に自分から新しいサウンドを追求すると若手といえども頭が上がらないのだが。

ガレスピーも、若い時は自ら先頭をきって“BOP MOVEMENT”を起こした。その後も自分のバンドで若手を数多く育ててきたし、積極性、後輩の育成と協調性は2重丸だ。
しかし、自分のプレー自体はあまり大きく変えてはこなかった。
ラテン音楽などには積極的に取り組んできたガレスピーだが、ロックとか、フュージョンが台頭してきた時どうするのか。興味はあったが、結果的には相変わらずJAZZの王道の上でプレー。
ガレスピーはいつまでたってもガレスピー。それはそれでいいと思う。

ところが1984年、ガレスピーが66歳になってから、突然、スティービーワンダーを始めとしたフュージョン系の若手との競演アルバムを作った。
それも曲ごとにバックのミュージシャンを微妙に変えて、時間をかけてじっくり作られた、贅沢なアルバムを。

ガレスピーが若手のbop推進の急先鋒だった時、スイング派の代表選手で若手達と一緒にチャレンジしたのはコールマンホーキンズだった。40年近くたって、今度は立場が逆転。ガレスピーの若者への挑戦だった。

世の常としてこの手の企画には賛否は色々あるとは思うが。自分としては何の違和感も無く聴くことができた。
“今”風のフュージョンサウンドにガレスピーのトランペットがうまく溶け込んでいるのだ。何事もチャレンジすることの勇気と意欲が大事だと思う。結果はついてくるものだ。

特に、ジャズロックの初期と違って、この頃になるとフュージョンの音作りもこなれてきている。曲想に合わせて多様なサウンドを作ることができるようになっていた。
そういう点では、バックの“音作り”はさすが一流どころが揃っているので完璧だ。

ガレスピーにとっては、今までまったく経験しなかった、”違う水の中“を泳ぐようなもの。いつもは先頭に立っているのに、いつもより遠慮がちのガレスピー。ちょっと勝手は違っても、けっして「冷や水」を浴びたわけではなかった。バックの面々ガレスピーの良さを引き出すように暖かくプレーをしているのが感じられる。
セッションも何日かに分かれているが、後半になるとガレスピーのプレーにも余裕が出てきたように感じるのは気のせいだろうか。とはいうものの、いつものおおらかさはまだ感じられない。そう思うと、続編があっても面白かったかも。

GOOD IT BE YOU
Dizzy Gillespie (tp)
Marcus Miller (b,syn.)
Hiram Bullock(g)
Barry Eastmond (key)
Buddy Williams (ds)
Mino Cinelu (perc)
August 25, 1984

IT’S TIME FOR LOVE
Dizzy Gillespie (tp)
Branford Marsris (ts)
Kenny Kirkland (key)
Thom Barney (b)
Tony Cintron Jr. (ds)
September 1, 1984

CLOSER TO THE SOURCE
Dizzy Gillespie (tp)
Stevie Wonder (harm,syn)
Angel Rogers(vo)
Thom Barney (b)
Buddy Williams(ds)
Mino Cinelu(perc)
August 30,1984

YOU’R NO.1-IN MY BOOK
Dizzy Gillspie (tp)
Kenny Kirkland (key)
Thom Barney (b)
Tony Cintron (ds)
September 1, 1984

ICED TEA
Dizzy Gillespie (tp)
Sonny Fortune (as)
Hiram Bullock (g)
Kenny Kirkland (Key)
Thom Barney (b)
Buddy Williams (ds)
Mino Cinelu (perc)
  August 24, 1984

JUST BEFORE DAWN
Dizzy Gillespie (tp)
Angel Rogers (vo)
Kenny Kirkland (p)
Thom Barney (b)
Tony Cintran Jr.
  September 4, 1984 

TEXYURES
Dizzy Gillespie (tp)
Hiram Bullock (g)
Barry Eastmond (key)
Thom Barney (b)
Buddy Williams (ds)
Marty Bracey (perc)
  August 27, 1984
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1967年はBIGBANDの当たり年?

2007-03-25 | PEPPER ADAMS
INTRODUCING DUKE PEARSON’S BIGBABD

60年代、Rockをはじめとして新しい音楽の流れに押されてJAZZは様々な影響を受けたが、中でも大きく影響を受けたのがBIG BANDだろう。
“Will big bands ever come back?” という声が、ジャズファンから常に寄せられたが答えは“No”と言わざるをえないと。このアルバムのライナーノーツを書いているARAN GRANTは言っている。

エリントンもそんな声が聞こえたのか、まさにそのままをタイトルにしたアルバムを残している。

40年代、50年代のBigBandは基本的にダンスミュージック。
ダンスがバンドを支えていたが、聴くためのBIGBANDとなると、それを継続的に維持するはほんの一部のバンドを除いて経済的にも難しい。それも、いつもやりたい演奏だけをするわけにはいかないのが現状だった。
よい音楽を聴きたいというファンは、数は少なくとも耳は肥えてきていたし、演奏するほうも、よい演奏をするにはセッションワークであり、ソロであれ、日々鍛錬する場が必要だ。しかし、その場が少なくなると、双方にとってよい演奏に巡り合える場が減っていってしまう。

そこで生まれたのが、リハーサルバンドとMonday nightのセッション。
定期的に集まって練習はしても、聴衆の前で演奏をする機会を作るのは、それはそれで難しい。サドメルの、Village Vanguardの月曜日の夜のセッション(ユニオンの休日)の場は、ミュージシャンにとっても仕事が無く集まりやすかったのだろう。また、聴く方にしても僅かな金額で、素晴らしい演奏が聴けるので一挙両得な仕組みだった。

1966年、サドメルのオーケストラが編成され、ファーストアルバムを出したのに刺激されたのかどうかは知るすべも無いが、翌1967年に新結成されたBIG BANDはいくつかある。
ある意味では、BigBandが復活した年かもしれない
このピアソンのビッグバンドもそのひとつ。

このアルバムのリーダー格、DUKE PEARSONは、名門BLUE NOTEレーベルのディレクター的な役割。もちろん自分でプレーもするが、新人やセッションの発掘も仕事だった。
それまでに、ピアノトリオでもいい演奏を残しているが、自ら編曲もするピアソンにとっては、コンボ編成そして、大きなBigBandもやりたいことのひとつだったのであろう。

1967年の2月に、サックスのJerry Dodgionと、トロンボーンのGarnett Brownに声を掛けて、他のメンバーを集めてこのアルバム録音にこぎつけた。

この声を掛けた2人のメンバーは、サドメルのレギュラーメンバー。
奇しくも丁度同じ時期に、サドメルも活動を開始していた時期だ。単に偶然ではないであろう。
集まったメンバーもPepper Adamsなど、どちらのグループにも顔を出している者も多い。
前年の、Adamsのアルバムには、Personがピアノで参加しているので、相互乗り入れといった感じだ。
他にも、Randy BreckerやLew Tabackinなど、次の世代の主役たちも参加している。

演奏内容はというと、これは少しサドメルとは趣が違う。
たぶんピアソンの頭の中にはやりたいことがたくさんあったのかもしれない。まさにBIGBAND顔見世興行として色々な側面を見せている反面、サドメルのように何ともいえぬバンドカラーの統一感があるわけではない。

最初の3曲はピアソンのオリジナル。
いきなり今風(といっても、40年前のだが)のリズム。ラムゼイルイスのTHE IN CROWDの乗りだ。続いて、正統派の4ビートをブラスセクションの凝ったアンサンブルを聞かせかと思うと、異国情緒漂う音作りをしている。
B面に入ると、曲目どおり、いきなりベイシーサウンド。何となくジャダのイントロのようなフレーズで始まり、ピアソンのピアノはエンディングまでベイシーそのもの。
次にJoe Sampleの曲で、演奏もジャズクルセイダーズのフルバンド版かと思えば、次はいきなりWatermelonmanの焼き直しのような演奏。さらに、Taste of haneyはFrank Fosterを前面に出した正統派BIG BANDで、締めは、昔懐かしいダンスミュージックという具合にバラエティーに富んでいる。というか、まとまりがないか?
まあ。色々聴けるのは悪くはない。

Ground Hog
New Girl
Bedouin
Straight Up And Down
Ready When You Are C.B
New Time Shuffle
Mississippi Dip
A Taste Of Honey
Time After Time

Randy Brecker, Burt Collins, Joe Shepley, Marvin Stamm (tp)
Garnett Brown, Benny Powell, Julian Priester (tb) Kenny Rupp (btb)
Jerry Dodgion (as, fl, picc) Al Gibbons (as, fl, bcl)
Frank Foster, Lew Tabackin (ts)
Pepper Adams (bars, cl)
Duke Pearson (p, arr)
Bob Cranshaw (b)
Mickey Roker (d)

Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 15, 1967

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サドメルはJAZZ ROCKをやっても一味違う・・・・

2007-03-24 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
CENTRAL PARK NORTH / THAD JONES & MEL LEWIS JAZZ ORCHESTRA

SOLID STATESでデビュー作の後、2枚のVILLAGE VANGUARDでのライブアルバム(そういえば、一枚目をまだ紹介していなかった)で本領発揮といったところだろう。

他にも歌伴の2枚
THAD JONES&MEL LEWIS ORCHESTRA,WITH MISS RUTH RROWN

PRSENTING JOE WILLIAMS,THAD JONES-MEL LEWIS & THE JAZZORCHESTRA

はあったが、次なるアルバムは久々2年ぶりののスタジオ録音。
1969年の録音だ。

自分にとっては、この年は忘れられない節目の年。丁度浪人中だったが、いわゆる学生運動のピーク。安田講堂占拠で東大の受験が無くなり、他の大学受験にもしわ寄せがきた年だ。

60年代最後のこの年は社会的にも節目だったのかもしれない。少し気になったので調べてみたたら、

アポロが月面着陸したり、東名高速が全通したり、
電話もダイヤル式からプッシュフォーンに(今では固定電話も無くなりつつあるが)、
インフラや技術が新しい時代を予感させる。

国鉄(この頃はまだJRにはなっていなかった)の初乗りが30円
ビールが130円なのに、初めてできた缶コーヒーが100円
レコードは、その頃から2000円(大金だったな?)
物の値段の価値が今とは大分違う。

音楽の世界は、日本ではグループサウンドブームも終わって、ビリーバンバンの「白いブランコ」や、カルメンマキの「時には母のない子のように」などが流行る時代。
60年代を席捲していたビートルズも、ライブ活動はすでに止めていた。この年最後のレコーディングをして翌70年には解散に。
やはりこの年は、今思えばひとつの時代が終わる色々な意味で節目の年だったのだろう。

JAZZの世界は混沌としていたが、コルトレーン亡き後、時代を引っ張ったのはやはりマイルスとその周辺に集まってきた若者たち。
エレキサウンドに取り組んでいたマイルスは、この年「Bitches Brew」を録音して、これまでのJAZZにひとつの区切りをつけた。

ちょうどJAZZがROCKやSOULの新しい流れに影響を受けて「JAZZROCK」とか「BRASSROCK」などと、試行錯誤をしていた時、このサドメルもひとつのチャレンジをしたのが、このアルバムだ。

内容も少し模様替えがあった。
まずは、2本のギターが入ったこと。ベースのRICHARD DAVISも時にはフェンダーベースに持ち替えている。
そして、編曲は、サドジョーンが一手に引き受けて、徹底的にJAZZROCKとFUNKにチャレンジした作品。ちょっと芸風が違うBOB BROOKRMEYERが、アレンジもメンバーからも抜けている。

編成は従来のフルバンド編成そのままで新しいジャンル、リズムに取り組んだが、さすがサウンドはサドメルの良さが光っている。確かに世の中ROCKが席捲してきたが、単にリズムや雰囲気だけを取り入れただけの安易な「JAZZ+ROCK」とは訳が違う。
サドメルのバンドのカラーにうまくROCKを取り入れて、ベイシーやエリントンが築いたBIGBANDのサウンドの歴史に、「JAZZ×ROCK」の新領域を作った作品だと思う。

そして、このアルバムにJEROME RICHARDSONが作曲した、大好きなGROOVE MERCHANTが入っている。
このアルバムの録音の為に新たにアレンジが行われ、譜面が到着したのも録音直前だったそうだ。さすが、名手が揃っているサックスセクションもこれをこなすには多少のリハーサルが必要だったらしい。
ここでのサックスセクションのソリは、数あるビッグバンドでサックスセクションをフィーチャーした名アレンジ&名演のひとつだろう。学生バンドでもよくとりあげられたが、難易度が高く、この雰囲気を再現した演奏にはなかなかお目にかかれなかった。

自分としては、この一曲でも十分だが、タイトルのCENTARAL PARK NORTHは意欲的なテンポやリズムのチェンジをうまく組み合わせた意欲的な曲だし、QUIETUDEはミディアムテンポのバラードの美しい曲。これも、サドジョーンズ特有のアレンジが施され独自の世界に引き込まれる。ファンキーにピアノを弾いていた、ハナも、ここはジョージシアリング風の流れるようなブロックコードでソロを始める。芸達者である。

A1 TOW AWAY ZONE 4:29
A2 QUIETUDE 4:05
A3 JIVE SAMBA 8:54
B1 THE GROOVE MERCHANT 5:11
B2 BIG DIPPER 5:53
B3 CENTRAL PARK NORTH 9:17

Thad Jones(flh)
Snooky YoungTrumpet,Jimmy Nottengham, Danny Moore,Richard Williams (tp)
Eddie Bert, Jimmy Knepper, Bennie Powell, Chiff Heather (tb)
Jerome Richardson,Jerry Dodgion (as)
Eddie Daniels, Joe Farrelle (ts)
Joe Temperly (bs)
Barry Galbraith,Sam Brown (g)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded Data 1969.6.17&18
Recorded Place A&R Studio NYC
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ガレスピーのオーケストラからQUINCYが育っていった・・・

2007-03-23 | MY FAVORITE ALBUM
THIS IS HOW I FEEL ABOUT JAZZ / Quincy Jones

1956年に行われたガレスピーの文化使節としての中近東へのコンサートツアーのメンバーを見ると、あのQUINCY JONESがいる。このメンバーで録音された、「WORLD STATESMAN」にも、トランペットセクションに名を連ねている。そして、もちろんアレンジも提供している。

実は、このオーケストラ編成にあたっては、御大ガレスピーはJATPのツアーに参加していたそうだ。
実際のレパートリーの用意やリハーサルは、クインシーが段取りをしていたそうである。若干23歳で。
立派にその大役をこなして、自ら編曲も提供し、フルバンドのマネジメントで活躍していたということだ。その後の彼の大活躍の片鱗をすでにその時から見せていたのである。

ツアーを終えたQUINCYは、このバンドを抜けると、ABCのプロデューサー、あのクリードテイラーの求めで吹き込まれたのがこのアルバム。
クインシーの記念すべき初リーダーアルバムである。

たまたま文化使節としてのツアーのためのガレスピーのオーケストラが編成される。それに参加したきっかけと経験を踏まえて、クインシーのこのアルバムが生まれたと思うと、偶然とはいえ何かの因果を感じる。
後輩を数多く育てたガレスピーではあるが、その一人としてのクインシーの活躍、特に2人の共通点のBIGBANDへのこだわりと、時代とジャンルを超えた音楽へこだわりの原点がここにあったとは。

演奏の内容は10人編成のビッグコンボからフルオーケストラまで3つのセッションに分かれているが、いずれもメンバーはガレスピーのオーケストラに負けない、というよりはそれを上回る有名どころが、ずらりと並んでいる。
有名なプロデューサーに恵まれ、いい曲とアレンジが用意され、一流どころのプレーヤーが集まれば、結果、悪い演奏が生まれるはずはない。

タイトルどおり、QUINCYが「その時考えていたJAZZ」がたっぷりアレンジされて提供されている。デビュー作としては最高の出来であろう。
基本的には、あまり凝ったアレンジがあるわけではなく、原曲の素材の良さを生かしながらつぼを押さえたアンサンブルワークが心地よい。その上で多彩なメンバーがソロをたっぷりと聞かせてくれる。
A面は他人の作曲した有名曲を、B面は自分の曲を並べているが、心憎い選曲だ。
全編でフューチャーされているのは、ART FARMERのミュートのかかったトランペット。
マイルスの演奏で有名なWALKIN‘で始まるが、このシンプルでかつポイントをついたアレンジがアルバム全体のトーンを決めている。オーケストラ全体も薄皮を一枚被ったような、落ち着いたサウンド。ガレスピーのオーケストラとは一味違う、QUINCYの考えるJAZZなのだろう。

サックスセクションに目をやると、主役はPHILL WOODSだが、後のサドメルオーケストラの大番頭、JEROME RICHARDSONの名前もある。

WALKIN’ (1)
A SLEEPIN’ BEE (2)
SERMONETTE (3)
STOCKHOLM SWEETNING (1)
EVENING IN PARIS (3)
BOO’S BLOOS (2)


Band 1
Art Farmer, Bernie Glow, Ernie Royal. Joe Wilder (tp)
Jimmy Cleveland, Urbie Green, Frank Rehak (tb)
Phill Woods(as)
Bunny Bardach,Lucky Thompson,(ts)
Jerome Richardson (ts,fl)
Jack Nimitz (bs)
Hank Jones (p)
Paul Chambers (b)
Charles Pership (ds)
Recoeded on Sep.29,1956

Band 2
Herbie Mann (fl)
Art Farmer (tp)
Phil Woods (as)
Lucky Thomoson (ts)
Jimmy Cleveland (tb)
Jack Minitz (bs)
Billy Taylor (p)
Charles Mingus (b)
Charles Pership (ds)
Recorded on Sep.19,1956

Band 3
Herbie Mann (fl,ts)
Art Farmer (tp)
Gene Quill (as)
Lucky Thomoson (ts),Zoot Sims(ts) <ONLY EVENING IN PARIS>
Jimmy Cleveland (tb)
Jack Minitz (bs)
Hank Jones (p)
Milt Jackson (vib)
Charles Mingus (b)
Charles Pership (ds)
Father John Crowley (hand clapper)
Recorded on Sep,14,1956
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1973年は古きよき時代のJAZZの復活の年?

2007-03-22 | CONCORD
SEVEN ,COME ELEVEN / Herb Ellis & Joe Pass

サンタモニカのCIVIC AUDITRIUMで新生JATPが再開された翌年にパブロレーベルがスタートする。そして、西海岸で同じ時期に立ち上がったのがCONCORDレーベルだ。
以前、そのレーベルのファーストアルバムを紹介したことがあるが、両レーベルのスタートの時期が同じだったのを改めて再認識。
今では、Concordがメジャーになり、Pabloもその傘下に入ってしまっているが。
今思えば、まさにこの年が伝統的なJAZZが復活した年かもしれない。暇でもできたらその頃のスイングジャーナルでも読み返してみよう。

CONCORDレーベルは思い入れがあって旧作を何枚も持っているので、折を見てこれらを順次聴き返してみることにする。

早速、Concordの2作目だが、1枚目と同様、Herb Ellis とJoe Passのギターduo。73年のConcord Jazz Festivalでのライブ演奏だ。
Concord Jazz Festivalは1969年、サンフランシスコ郊外のコンコルド市の車のディーラーだったCarl E Jeferson氏が市の活性化としてスタートしたコンサート。Concordレコード創設のきっかけにもなった、ジャズフェスティバルである。
1975年には、フェスティバルの会場となるパビリオンも完成し、一躍有名なJAZZ FESTIVALの仲間入りをした。その後、富士通がスポンサーにもなっている。日本の企業も捨てたものではない。

このレーベルは、初期にはギターの演奏が多かったのも特徴かもしれない。以前紹介した、ローリンドアルメイダもそうだし、若手、ベテランを交えて結構の枚数がある。

管が入らないギターのトリオやカルテット編成は、何となくカクテルラウンジなどで軽く演奏しているのが似合うものだ。ロックやフュージョン系ならまだしも、大きなフェスディバルでジャズギター中心の小編成が大聴衆を相手に果たして盛り上げられるのか、心配にはなるが。
このアルバムを聴くと、それはまったく杞憂。2人の掛け合いはもちろん、ベースのレイブラウンとドラムスのジェイクハナを交えたコンビネーションも言うことはなし。2人の力のこもった白熱のプレーが会場を沸かせている。

ギターはソロもできるし、リズムも刻める、シングルトーンもコードワークも自由自在。時によっては、ボディー部を叩けば打楽器にも早変わり。
一見、派手さはないが管楽器に較べると様々な表現が可能である。さらに、プレーヤーによって、音色やタッチも微妙に違って、奏法を含めて個性が色々出せる奥深い楽器である。

この多彩な顔を持つギターのDUOになると、更にお互い技の掛け合いの品評会になる。メインにソロをとっている時はもちろん、バックに回っている時も、常にお互いが自分の役割と技で真剣勝負が続く。管楽器のようにソロに入ってしまうと、他のプレーヤーが小休止になるのとは大違い。JAZZギターのDuoの醍醐味が味わえる。

73年は、まだ大きな会場ではなかったと思われるが、会場の熱気もつぶさに伝わってくる。
Concordレーベルの特徴を代表する名作だと思う。

エリントンのIN A MELLOW TONEで小手調べをし、グッドマンのSEVEN COME ELEVENをアップテンポにこなし、スタンダード曲を次から次へと料理して、最後にエリスのオリジナルの、地元の名前をつけたConcord Bluesで締めるまで一気に聞き入ってしまう。

(A-1)In A Mellow Tone
(A-2)Seven Come Eleven 
(A-3)Prelude To A Kiss 
(A-4)Perdido
(B-1)I'm Confessin'
(B-2)Easy Living
(B-3)Concord Blues

Herb Ellis(g),
Joe Pass(g)
Ray Brown(b)
Jake Hanna(ds).

Rec. Jul, 29, 1973, live at  <Concord Jazz Festival>
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サドメルオーケストラの大番頭がJAZZ ROCKに挑戦したものの・・・・

2007-03-21 | MY FAVORITE ALBUM
GROOVE MERCHANT / JEROME RICHARDSON

サドメルのオーケストラが誕生した1967年。その頃、ジャズとロックの融合のひとつの形としてブラスロックなるものが誕生した。有名なChicagoやBSTは、この頃結成されている。

ジャズのミュージシャンでも、このジャンルに飛び込んでいった者もいる。チェイスのBILL CHASEなどもその一人であろう。WOODY HERMANのオーケストラでハイノートを出していた。ジャズの世界で頑張っていたそのWOODY HERMAN、あるいはBUDDY RICH、そしてMAYNARD FERGUSONも、ロックの影響を受けた演奏をやるようになっていた。

そして、サドメルのオーケストラも。

サドメルの創設期のリードセクションの親分格JEROME RICHARDSONも、その時期にブラスロックに負けじと、得意のサックスとフルートで、JAZZ ROCKのアルバムを残している。

サドメルの演奏でも有名なGROOVE MERCHANTがアルバムのタイトル曲だ。
実は、この曲の作曲はジェロームリチャードソン自身だ。サドメルのオーケストラでも、CENTRALPARK NORTH に納められているファンキーな曲だ。
サドメルはメンバーの曲やアレンジも多いが、リチャードソンの曲は他にあまり記憶がない。でも、覚えやすいメロディーの好きな曲のひとつだ。

蛇足ながら、SOLID STATEレーベルの創始者のSONNY LESTERも、その後GROOVE MERCHANT というレーベルを作っている。

この好きな曲のGROOVE MERCHANTが入っているので、このアルバムを聴き直してみた。しかし、確かにジャズロックの奔りかもしれないが、内容的にはいまひとつ頂けない。
アレンジはBENNY GOLSON、バックのミュージシャンも、GRADY TATE やERIC GALEといった一流どころが揃っているのに何かが欠けている。
せっかくサドメルのサックスセクションをリードしていたRICHARDSONのソプラノやフルートを全面的にフィーチャーしていながら、良さが浮かび上がってこない。
同じ時期に録音された、WESの「A DAY IN THE LIFE」のアルバムの完成度からすると、雲泥の差である。当時のヒット曲の、JAZZ ROCK演奏集的な薄っぺらな仕上がりであることは否めない。
これは、プロデューサーの違いやレーベルのポリシーだけでもないだろう。
RICHARDSONは、セッションワークの第一人者であって、あまり自分で前面には出ないほうがいいのかもしれない。

GROOVE MERCHANT
TO SIR,WITH LOVE
GIMMIE SIGN
NO MATTER WHAT SHAPE
GIRL YOU’LL BE A WOMAN SOON
KNOCK ON WOOD
ODE TO BILLIE JOE
SUNNY
WHERE IS LOVE
UP.UP AND AWAY

Jerome Richardson (fl,ts,ss)
Eugene E.Young, Joseph Newman (tp,flh)
Alan Raph (btb)
Ernest W.Hayes(p)
Buddy Lucas (bs,harmonica)
Eric Gale, Carl Lynch(g)
Charles W. Rainey(b)
Warren Smith(per)
Grady Tate(ds)

Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, December 8, 1967
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72年ゲッツはコリアとの競演の一方、復活した「JATP」でも昔の仲間と懐かしのプレーをしたが。

2007-03-20 | MY FAVORITE ALBUM
JAZZ AT THE SANTA MONICA COVIC ‘72

新しいことにチャレンジしようと新しい仲間と新しい仕事を始めると、知らず知らずの内に、そのペースに合わせて自分も変わっていくものだ。もっとも、年をとってくると、なかなか新しいことにチャレンジするのも億劫になるものであるが。後は、本人の気力しだいといったとことだろう。

CHICK COREA & RETURN TO FOREVERの面々と「CAPTAIN MARVEL」を吹き込んだゲッツはそのグループでツアーにも出かけている。エレクトニックサウンドにチャレンジし若者と一緒にプレーするゲッツの気力には感心する。確かにゲッツは、この時まだ45歳。脂のりきった時期だ。
自分の好きなゴルフでも、同年代の和気藹々のゴルフもいいが、若者と一緒に直向にプレーするのもまた、新たな経験ができて楽しいのと同じかもしれない。

そんな年であった1972年の6月、サンタモニカでおこなわれたあのJATPの再現コンサートに、ゲッツも出演していた。
JATPといえば、10年以上も前50年代後半のイベント。メンバーも昔の仲間が集められた。まさに「JAZZの懐メロ」コンサートだ。

50年代に、元の「JATP」を主催していた、ノーマングランツは、60年代に入るとJATPの幾多の名演を残していた自らのレーベルVERVEをMGMに売り払い、自らもスイスに引退してしまった。きっと、60年代のジャズはグランツの望むジャズではなかったのだろう。

そして、70年代に入り、ベトナム戦争も終わってアメリカの社会も落ち着きだした時、50年代の古いJAZZが突如復活する。その仕掛け人の一人はノーマングランツだ。
コンサートだけではなく、新たにパブロレーベルを興して、以前のように精力的な録音を残した。録音の機会も少なくなっていたベテランたちの、水を得た魚のような演奏が数多く残されている。

オールスターズで演奏するゲッツは、やはりコリアとのプレーとは一味違った、昔を思い起こさせるプレーを聞かせる。
もっとも、このアルバムではゲッツは脇役の一人。久々に昔の仲間に呼び出されて、手馴れた感じで一仕事こなした感じがしないでもないが。
3枚組みのこのアルバムは、コンサート全体.の雰囲気を余すところ無く伝えている。
アルバム自体は、カウントベイシーとエラのステージもたっぷり納められているし。ピーターソンは、レイブラウンとの再会も果たしている。

ゲッツもこの大きな新しいドラマの幕開けのゲストの一人として立派に役割を果たしている。ところが、その後の数多くのパブロのセッションにベイシーやピーターソンは常連で出ているが、ゲッツは登場していない。
その後はあくまでも、自己のグループでの演奏が中心だ。それも、晩年は病気との闘いが始まるが、常に円熟した自己のプレーを追い求めている。かえって、以前より力強さを感じさせることもある。単に懐メロを繰り返すベテランとは違う次元の名プレーヤーなのだろう。

あのコルトレーンに最高のテナーを吹かせたら一番と言わせたゲッツと、そのコルトレーンとの競演のビデオがある。

BASIE POWER
MEETING
BLUES IN THE FLAT
GOOD TIME BLUES

COUNT BASIE OECHESTRA

IN A MELLOW TONE
LOOSE WALK
MAKIN’WHOOPEE
IF I HAD YOU
SHE’S FUNNY THAT WAY
BLUE AND SENTIMENTAL
I SURRENDER DEAR
5400 NORTH

JATP ALL STARS
Roy Eldridge (tp)
Harry Edison (tp)
Stan Getz (ts)
Eddie Lockjaw Davis (ts)
Al Grey (tb)
Oscar Peterson (p)
Count Basie (p)
Freddie Green (g)
Ray Brown(b)
Ed Thigpen (ds)
 
YOU ARE MY SUNSHINE
 Oscar Peterson (p)
Ray Brown (b)

SHINY STOCKINGS
YOU’VE GOT A FREIEND
WHAT’S GOING ON
COLE POTER MEDREY
TOODARN HOT
IT’S ALL RIGHT WITH ME
SANFORD & SON THEME
I CAN’T STOP LOVING YOU

Ella Fitzgerald (vo)
Tommy Flanagan (p)
Keeter Betts (b)
Ed Thigpen (ds)
Count Basie Orchestra

SPRING CAN REALLY HANG YOU UP THE MOST
MADALENA
Ella Fitzgerald (vo)
Tommy Flanagan (p)
Keeter Betts (b)
Ed Thigpen (ds)


FINALE: C JAM BLUES

ALL Members

Recorded at "Civic Auditorium", Santa Monica, CA, June 2, 1972
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音楽大使といえば、ガレスピーの前にサッチモを抜かせない。

2007-03-19 | MY FAVORITE ALBUM
AMBASSADOR SATCH / LOUIS ARMSTRONG and his all stars
Recorded during his European concert tour of 1955


音楽使節として、ガレスピーオーケストラが編成された前年の1955年。サッチモはヨーロッパ旅行に出かけた。
行く先々の国々で喝采を浴びたのを聞き、新たに契約を結んだコロンビアがコンサート会場に録音機を持ち込みライブレコーディングを行ったのが、このアルバムである。
サッチモの公演は、国務省の正式な派遣ではなかったそうだが、この成功を見て翌年からのガレスピーやベニーグッドマンの正式な政府としての大使起用がきまったのであろう。
その意味では、サッチモこそが先駆的な音楽大使であったのかも。

レギュラーグループで観客の熱烈な声援を受けたバンドの演奏は快調そのもの。ディキシーのスタンダードを次々と演奏していくが、この時代のサッチモのベストプレーかもしれない。晩年は、ヒットしたハロードリーに代表されるように、ジャズプレーヤーとしてよりも「歌手としてのサッチモ」の方が有名になってしまったが、ここでの、演奏はJAZZプレーヤーとしての本領を発揮している。
もともとディキシーでJAZZを聴き始めた自分にとっては、クラリネットのエドモンドホールも独特の音色で好きなクラリネットの一人だ。
キングオリバーのロイヤルガーデンブルースに始まり、オリジナルディキシーランドジャズバンドの十八番のタイガーラグで盛り上がるまでお馴染みの曲を一気に聞かせる。
ジャズの楽しさを伝えるためには、サッチモのパフォーマンスがあれば理屈はいらない。
大使としての要件に必要なのは、こういった一面かもしれない。
やはり、サッチモもJAZZの歴史を作った偉大な一人であろう。

WEST AND BLUESの演奏はこちらで。

ROYAL GARDEN BLUES
TIN ROOF BLUES
THE FAITHFUL HUSSAR
MUSKRAT RAMBLE
ALL OF ME
TWELFTH STREET RAG
DARDANELLA
WEST END BLUES
TIGER RAG

Louis Armstrong (tp,vol)
Trummy Young (tb)
Edmond Hall (cl)
Billy Kyle (b)
Arvell Shaw (b)
Barrett Deems (ds)

Recorded on Oct.29 1955, Dec. 20-21 1955, Jan.24,1956
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文化使節となったガレスピーのBIG BAND

2007-03-18 | MY FAVORITE ALBUM
DIZZY GILLESPIE / WORLD STATESMAN

ガレスピーのビッグバンドはいつの時代にも話題を提供するが、50年代にJAZZの文化使節としてBIGBANDが編成されたことがある。タイトルどおり、ガレスピーの世界を股にかけた「政治家」としての活躍だ。

マイルスやコルトレーンのように、神がかったような評価をされる巨人に較べると、ガレスピーはよく過小評価されているという。彼のもつエンターテイメント性が、マイナスになっているのかもしれない。誰にでも受け入れられる音楽作りというのは大事なことだと思うが。玄人好みの日本では余計にそうなのかもしれない。

しかし、パーカーなどと共にビバップを興し、長年に亘り自らプレーをするだけでなく、JAZZの発展で、多方面に影響を与えた功績は大きいと思う。
ジャズの本流を進みながらも、ラテンなどの要素を積極的に取り入れ、また新しいものを取り入れ、常に新人を発掘する進取の精神を失わなかったのは、人間としても見習うべきところが多い。大統領候補にも選ばれかかったことがあると聞いたが、もっともなことだと思う。

このようなガレスピーが、JAZZの文化使節に選ばれるのも必然だし、それが大好きなBIG BAND編成でとなると、力の入れ方も違ったのだろう。素晴らしいバンドが編成された1956年のことだった。中東を中心としたツアーに出かけた。その直後の録音である。
参加したメンバーも素晴らしいが、クインシージョーンズ、メルバリストン、アーニーウィルキンスといった若手の編曲が色を添えている。NIGHT IN TUNISIAなどガレスピーの曲のおなじみの演奏もあれば、I CAN’T GET STARTED WITH YOUなどのスタンダード曲の料理の仕方も聞き応えがある。

文化使節となると、いつものようなJAZZファンの前での演奏ではない。文化も音楽への感性も異なる国々で聴衆を虜にできる万国共通の何かがガレスピーの世界にはあるのだろう。

このツアーの成功に気をよくしたのかもしれない。この録音の後、WYNTON KELLYやLEE MORGANなどが参加したNEW BIG BANDが誕生し、国内のツアーを続け、翌年のNEW PORT JAZZ FESTIVALにも参加することになる。

この録音が行われた1956年のガレスピーのちょっと面白い映像がある。

BUSINESS
JESSICA’S DAY
TOUR DE FORCE
I CAN’T GET STARTED
DOODLIN’
NIGHT IN TUNISIA
STELLA BY STARLIGHT
THE CHANP
MY REVERIE
DIZZY’S BLUES

Dizzy Gillespie (tp, vo)
Joe Gordon, Quincy Jones, Ermit V. Perry, Carl Warwick (tp)
Rod Levitt, Melba Liston, Frank Rehak (tb)
Jimmy Powell, Phil Woods (as)
Billy Mitchell, Ernie Wilkins (ts)
Marty Flax (bars)
Walter Davis Jr. (p)
Nelson Boyd (b)
Charlie Persip (d)

NYC, May 18 & 19, 1956
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ガレスピーといえばBIG BAND。旧知の仲間と久々に再会して。

2007-03-17 | MY FAVORITE ALBUM
THE DIZZY GILLESPIE REUNION BIG BAND

コリアの演奏に引きづられて70年代まで行ってしまったが、再び60年代後半に戻ってみる。67年は、時代の寵児ジョンコルトレーンが急逝した年。JAZZは、更に混沌とした時代が始まる。

VILAGE VANGUARDでジャムセッションに興じていた御大ガレスピーは、この年1967年BIG BANDの再編の構想を練っていたらしい。
ガレスピーといえばBIGBANDとは切っても切れない。というよりは、ガレスピーは機会があれば、いつもBIG BANDをバックに従えた演奏を望んでいたのであろう。
どんなプレーもこなすが、根っからのBIG BAND好きだったのかもしれない。

ところが、この時代はレギュラーでBIG BANDはなかなか持てない時代だった。ジャズが多様化する中でBIGBANDは冬の時代、ガレスピーといえども例外ではない。
VILLAGE VANGUARDに出ていた常連サドメルも、月曜日の夜だけにレギュラー出演していたリハーサルバンドだった。たしか、秋吉敏子がルータバキンと出会ったのもこの頃。
皆、何かやりたくてうずうずしていたのだろう。

この再編を目論んだのは、ベルリンジャズフェスティバルの企画していた「ヨヒアムEベーレント」。近年、BIGBANDを持てないでいたガレスピーに、思い切ってBIGBANDをバックに吹いてもらうために、1968年のベルリンジャズフェスティバルで、ガレスピーのオーケストラの再編が企画されたのだ。

初期のアレンジャーであったGIL FULLERが3代に亘ってメンバーを集めてヨーロッパツアーを敢行、そしてベルリンジャズフェスティバルに参加した時の録音がこのアルバムだ。

奇しくも、ガレスピーのバンドに後のMJQの主要メンバーが在籍していた有名な48年のオーケストラの訪欧から20周年、まったく無名だった頃初めてヨーロッパに渡った38年から30年が経った記念すべき年であった。

まさにタイトルどおりの再編成(REUNION)オーケストラの好演だ。
特に、新しい試みがある訳ではないが、一曲目のThings to Comeが始まると、そこはガレスピーの世界だ。
エリントンやベーシーとは一味違う、ソロを引き立たせるオーケストラとしてはピカイチかもしれない。

ちょうど、このコンサートの映像も見ることもできる。

ガレスピーのプレーもまだ50歳。まだまだ若い。

A1 Things To Come (5:29)
A2 One Bass Hit (6:35)
A3 Frisco (7:55)
B1 Con Alma (10:15)
B2 The Things Are Here (7:40)
B3 Theme - Birks Works (1:40)

Trumpet - Dizzy Gillespie , Dizzy Reece , Jimmy Owens , Stu Haimer , Victor Paz Paul
Saxophone - Cecil Payne , Chris Woods , James Moody , Paul Jeffery , Sahib Shihab
Trombone - Curtis Fuller , Ted Kelly , Tom McIntosh
Piano - Mike Longo
Bass- Paul West
Drums - Candy Finch

Producer - Joachim Ernst Berendt
Recorded live at the Berlin Jazz Festival ,7 November 1968
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