A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

蛙の子は蛙・・・・・・子供は親を超えられるのか

2008-01-31 | CONCORD
Raincheck / The Louie Bellson Quintet featuring Ted Nash

最近国会が騒がしいが、国会議員の2世議員の数の多さがよく話題になる。
ここのところ首相は皆2世議員だ。親の血筋を引き継ぎ、親を上回る能力でそれに伴う実績が残せれば2世でも悪くはない。単なる親の地盤を引き継いだ議員であれば、その実力は自ずと世の中が評価を決めるはずだ。ところが、そこに権力と利権が関わって居座る議員がいるから世の中おかしくなっているのだろう。

音楽の世界でも2世ミュージシャンは多い。やはり身近に音楽があり、それらに囲まれて育つと、とりあえずは若くして相応の技術とそれを披露する場ができる。ところが、そこから一流になれるかどうかは本人次第である。ウイントンマルサリスなどは、その関門を潜り抜け、自ら一流の仲間入りを果たした一人である。

他にも、音楽に囲まれる環境はいくつもある。
ローダ・スコットのように「教会」に生まれるというのもひとつ音楽が身近に存在するものだ。
テナー奏者スコットハミルトンの父は、ジャズのレコードの収集家であった。レスターヤングやホーキンズ、ウェブスターのレコードの名演がハミルトンにとっては良き教材であった。「耳学問」でスタートし、独学でマスターしたハミルトンのプレーは、すぐに一流プレーヤーのプレースタイルを基本として自分のものになっていった。

テッドナッシュというサックスプレーヤーがいる。
彼も、父親はディックナッシュというトロンボニスト。叔父には同じテッドナッシュという名前のサックスプレーヤーという恵まれた家庭環境に育った。
当然のように子供の頃から音楽、それもジャズに接し、12歳ではクラリネット、13歳ではサックスを始める。16歳の時にはライオネルハンプトンのバンドに雇われハワイで一週間演奏を行い、17歳の時にはクインシージョーンズのバンドでリードアルトを努めるなど早くもプロの仲間入りをする。神童ぶりを発揮して、スターへの道は用意された。

10代で若手の教育にも熱心だったルイベルソンのバンドに加わって、レコーディングデビューもしている。
このテッドナッシュがコンコルドレーベルにも登場した。まだ、19歳であった。
同じくルイベルソンのバンドだが今回はスモールグループで。テッドナッシュのサックスが大きくフューチャーされている。ブルーミッチェルやトンプキンスが暖かく周りを支えてはいるが、まるでナッシュのオーディションのような感じがしないでもない。

ちょうど、スコットハミルトンがデビューしてからあっという間に有名になっていった時。
それまで、コンコルドはあまり商売っ気を前面に出したアルバム作りはしていなかった。が、これは、密かに「2匹目のどじょう」を狙ったものかもしれない。
聴く方も、このような経緯を知ると自ずと色眼鏡をかけてアルバムを見聞きしてしまうものである。
最初に聴いた印象は確かに上手い。それなりのテクもある。しかし、印象は教則本を確実にこなす優等生のようなプレーだ。
その後リーダーアルバムも出し、敏子のオーケストラにも加わったりした。
最近の消息を知らなかったので、改めて調べてみると今でもスタジオワーク中心に活動は続けているし、アルバムも出してはいるようだ。
しかし、残念ながら一流入りはしていないようだ。
ハミルトンの活躍と較べてしまうと、「かえるの子はかえる」ということなのかもしれない。
運もあるかもしれないが、才能があっても一流になるのは難しいものだ。

1. Rain Check             Strayhorn 4:00
2. Alone Together          Dietz, Schwartz 5:12
3. Medley:
   I Thought About You
   Blue Moon
   Body and Soul          Mercer, VanHeusen 6:37
4. Oleo                 Rollins 4:34
5. The Song Is You          Hammerstein, Kern 5:29
6. Tristamente            Nash 5:57
7. Funky Blues            Mitchell 5:35
8. The More I See You        Gordon, Warren 3:53

Carl Jefferson Producer

Louie Bellson (ds)
Joel DiBartolo (b)
Blue Mitchell (tp)
Ted Nash (as,ts)
Ross Tompkins (p)

Recorded May 3, 4, 1978
Originally released on Concord CJ-73 , 1978

Raincheck
Louis Bellson Quintet with Ted Nash and Blue Mitchell
Concord Jazz

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出会いがあれば別れがある・・・必ずいつかは訪れるものだ。

2008-01-30 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
THE THAD JONES MEL LEWIS QUARTET

誰もが長い人生の中では何度も経験していることではある。
しかし、同じ想いで日々を伴にして長年連れ添ったパートナーとの別れには格別な意味がある。その関係が、夫婦であれ、仕事仲間であれ、遊び友達であろうと。
一方が死を迎えた時のようにその理由が明確な場合、そのショックは大きいものの、双方ともにその別れには納得がいく。そして、お互いに過ごした日々が良き思い出としていつまでも記憶に留まるものである。例え実際にはその中が楽しいことばかりではなく、いくつかの諍いがあろうとも。

しかし、一方的に別れを告げ、遠くへ去って行ってしまった時、残され相手は一瞬「なぜ?」と当惑する。もちろんその直前、お互い一緒にいることに対して何かストレスを感じているのであれば、それはそれで納得がいくものではあるが。

サド・ジョーンズとメル・ルイスの2人。
二人の何度かの出会いの中で、一緒にバンドを作ろうと誓ったのは20年近く前。お互いいくつかの経緯を経て、夢が叶って一緒にオーケストラを立ち上げることになった。お披露目をしたのは、1966年2月7日のことであった
それからすでに10年の月日が経っていた。週一回のリハーサルバンドでスタートしたオーケストラは、レギュラーバンドの様相を呈して世界中を股にかけて活躍をするようになっていた。
10年間のバンドの変遷を集大成したようなアルバムも続けざまに発表した。特にサドはその中でアレンジャーとしても頂点を極めたような作品をいくつも提供していた。
絶頂期を迎えたオーケストラであったが、一方のリーダーのサドが突然バンドを去る。
長年連れ添ったメルに一言も理由を告げずに。その理由は最後までサドの口からは語られなかったといわれている。

多分このアルバムは2人で一緒に録音した最後のアルバムだと思う。
それは、オーケストラではなく2人が加わったカルテットでの演奏であった。
2人はオーケストラの録音の合間にも小編成のセッションを時々行っていた。そこにはオーケストラのメンバーの何人かを誘うことが多かったが、2人が加わったサドのワンホーンのカルテットの演奏の録音はこれが始めてだ。

オーケストラでは、アレンジャーとしての役割が徐々に大きくなり、サドのプレーはだんだん少なくなっていた。しかし、このアルバムはサドのコルネットプレーヤーとしての側面に再度スポットライトを当てたものだ。曲は一曲だけサドのオリジナルだが、他の3曲は有名なスタンダード。完全にプレー中心であることが明らかである。

マイアミのラウンジでの演奏。オーケストラの旗揚げ時と同様、ライブでの演奏だ。
サド・メルの原点であり良さはライブのステージにある。私の持論だが、このアルバムもそのライブでの演奏。
そして、「ここで繰り広げられる演奏は?」というと、忘れられようとしていたサド・メルのオーケストラの良さの原点の演奏が4人で始まる。
プレーヤー同士の位置づけが対等であり、各人の演奏自体の自由度が高い。
4人のお互いを意識したそれぞれのインプロビゼーションの絡み合いが実に見事だ。
4ビートにのったスタンダードのワンホーンアルバムとはまったく性格が異なる演奏だ。決してフリーではないが、それぞれの自由度と相互の関連のバランスを微妙にとりながらの演奏が続く。

結果として、これが本当に2人のラストアルバムであるならば、見事に2人揃ってサド・メルオーケストラの出発点に戻ってきたということになる。それも、編曲に凝った一面ではなく、ソリストに対して自由度の高い演奏が行える場としての原点に。

曲や他の2人には特に触れる必要もないであろう。曲や後の2人はサドとメルの最後の会話に必要な話材であったのだ。もちろん、2人の会話にぴったりの話材であることは間違いないが、この会話の中に「なぜ別れなければならなかったのか」の答えは見当たらない。

1. But Not For Me
2. This Ca’nt Be Love
3. Autumn Leaves
4. What Is This Things

Thad Jones (Cor)
Mel Lewis (ds)
Harold Danko (p)
Rufus Reid (b)

Recorded at the Airliner Lounge,Maiami,Florida,September 24,1977

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オルガンというとやはりジミースミスを思い出すが・・・

2008-01-29 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
THAD JONES & MEL LEWIS ORCHESTRA with RHODA SCOTT

ソウルフルな演奏、ギターを加え、ブローするサックスを加えたファンキーなムード。何となくオルガンジャズのイメージが出来上がってしまう。R&Bのバンドでも、このオルガンの響きが実にぴったりくる。
リナホーンのバックでオルガンを弾いていたのはリチャードティー。ルグランのアレンジで、この黒っぽいオルガンの洗練されたサウンドが印象的だった。

そもそもこのオルガンは教会音楽と共に発達・普及してきたものであり、1700年代にチェンバロから生まれたピアノより歴史は古い。クラシック音楽で築かれていったオルガン特有の音使いは、重厚であり、荘厳な響きがある。
ソウルフルな演奏とは、また違った味わいだ。

1938年、黒人メソジスト教会の牧師の家庭に長女が生まれる。
育った家庭の環境に影響されてか、彼女は9歳からオルガンを弾き始め、17歳でカレッジに進んだときにはすでにオルガンで身を立てていくことを決意した。
19歳でプロになったが、再び23歳でマンハッタン音楽院に入学し直し、博士号をとり、そのまま学校に教授として残った。
さらに、フランスに渡ってナディア・ブーランジュに師事する。クインシーも作編曲を学んだ師だ。そこで活動の拠点をヨーロッパに置くことになる。

彼女の名前はローダスコット。シャーリースコットという女性オルガン奏者がいるがこれは別人だ。
あまり名前が売れているわけではないが、その経歴が語るように実力者であることは間違いない。

フランスではコンボの演奏を主だったが、当然のように彼女のキャリアをすべて生かしきって、オーケストラをバックにした演奏をしたいという強い願望が生まれていた。
その時、サド・メルのリーダーであるメル・ルイスがたまたまパリを訪れる。メルトの話の中で、この彼女の想いの話が出た。話は、どんどん拍子に進み、彼女はサド・メルの演奏を聴きにわざわざニューヨークのビレッジバンガードを訪れた。
早速サド・メルとの共演が決まり、彼女の曲が5曲サド・ジョーンズの元に送られる。それにサドの曲が2曲加えられこのアルバムが誕生する。
今回も、たまたまの出会いが一枚のアルバムを生むことになった。

サド・メルのオーケストラはスタジオでのレコーディングにしてもライブにしても、もちろん自分達のアレンジと演奏がメインだ。しかし時には歌手のバックを努めたり他のオーケストラにアレンジを持ち込んで客演をしたりもした。そもそもサド・メルのオーケストラはスタジオワーク中心のメンバーの集まり。名前はサド・メルのオーケストラとクレジットされていなくとも、このオーケストラのメンバーが他のミュージシャンのバックを努めたことは幾度となくある。

今回と同じオルガンでは、ジミースミスの”Portuguese Soul”もそのそうな経緯で生まれた代表作だ。
サド・ジョーンズの洗練されたアレンジで、ジミースミスのオルガンのタッチもいつもと違う雰囲気だ。その頃、よくバックのアレンジをしていたオリバーネルソンとの作風の違いもよく分かる。

今回のローダとのアルバム、アレンジをしたサドジョーンズの気合の入れ方も格別であったのだろう。単に彼女のオルガンのバックを努めたというよりは、ローダをバンドの一員に加えたサド・メルオーケストラの作品として仕上がっている。
クラシックを思わせるオルガンの長音を生かした演奏や、ソウルフルなブルース、そしてベイシースタイルのよくスイングするまで、彼女のオルガンが縦横無尽に活躍する。
一方相手を務めたサド・メルのオーケストラも、この頃の作品は多少複雑なアレンジに懲りすぎたきらいがあった。しかし、このアルバムではオルガンの響きを加えて、ここではいつものサド・メルオーケストラのファンキーな、よくスイングするサウンドを取り戻している。

この彼女の曲が気に入ったのか、彼女との演奏を思い出したかったのか、サド・メルは自分達のアルバムでも彼女の曲をよく取り上げていた。
彼女との共演は、単に一夜の関係では終わらなかったようだ。

1. MACH 2
2. TANIKKA
3. DHODA MAP
4. R and R
5. CHARLOTTER’S WALZ
6. WALKIN ABOUT
7. TAKE A LADDER

Rhoda Scott (hammond organ)
Thad Jones (flh)
Mel Lewis (ds)
Cecil Bridgewater , Al Porcino , Earl Gardner , Lynn Nicholson (tp)
Earl Mcintyre , John Mosca , Clifford Adams , Billy Cambell (tb)
Jerry Dodgion ,Edward Xiques (as,ss,fl)
Gregory Herbert , Larry Schneider (ts, cl.fl)
Pepper Adams (bs)
Bob Bowman (b)
Harold Danko (p)

Recorded on June 2 ,&3 ,1976, New York

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お世話になった師匠へ・・・・一人前になった証として

2008-01-28 | MY FAVORITE ALBUM
Magical Trio 1 / James Williams

1978年サンフランシスコを訪れたアートプレーキー率いるジャズメッセンジャーズ。そのライブ演奏の模様はConcordレコードで録音され発売された
若手中心のメンバーで、相変わらず元気なブレイキーのドラムが聴ける。
そこでピアノを弾いていたのはデビュー後まもないジェームスウィリアムス。その後もメッセンジャーズでウィントンマルサリスとも一緒にプレーに磨きをかけ、一人前になりメッセンジャーズを巣立っていった。
その頃も、「新人養成所」としてのメッセンジャーズの役割は昔と変わらず続いていた。

それから約10年。ジャズピアノの世界はチックコリアやキースジャレットなどが彼らの築いた世界を確固たるものにしていた。一人前になったウィリアムスのプレーは新しい流れだけに惑わされることなく、古き良き伝統にしっかり根ざして進化を続けていた。
メッセンジャーズに加わった時は弱冠25歳。
30代の中半になり中堅プレーヤーの一人になったウィリアムスは、今回は自己のトリオでアルバムを作ることになった。
ただし、平凡なピアノトリオではなく特別なトリオで。

その為の人選に入り、最初に決まったのがベースのレイブラウン。
ピーターソンの女房役として、その後のモンティーアレキサンダーとの演奏を聴き、レイブラウンとの共演が願いでもあった。
次にドラムには、若い頃にお世話になった師匠のアートブレーキーを。
これが、マジカルトリオが生まれた経緯である。

アートブレーキーにとっても、ピアノトリオでのアルバム作りは71年のモンクとの共演以来16年ぶりとなった。確かにプレイキーの演奏はいつも管楽器が一緒だ。
トリオの演奏となると多少勝手が違うのか、聞き手にとってもブレイキーのイメージがわきにくい。

演奏する曲はウィリアムスの自作の曲が多いが、1曲目のブルースはとりあえず3人の呼吸合わせの小手調べ。コンビネーションは最高だ。
2曲目は、レイブラウンがスタジオでいきなりメロディーを歌ってウイリアムスがそれを覚えた曲とのこと。ベイシー風の音使いの綺麗な曲だ。
オリジナルに混じって、サドジョーンズのミーン・ホワット・ユー・セイも。これはサドの曲の中でも好きな曲だ。こんなところで聴けるとは。
ウィリアムスのピアノが実に表情豊かである。

ブレイキーのドラムは、よくも悪くもブレイキースタイル。スローな曲を含めて、スティックワークに徹している。軽快とはいえないがビートは確実だ。そして、お得意の「ナイアガラ瀑布」はピアノトリオのせいか小瀑布。

先輩達に囲まれて、ウィリアムスの一流の仲間入りを記念した卒業アルバムのような一枚だ。
そして、このアルバムは、新生Emercyレーベル復活の一枚でもある。

1. Hammerin'            Williams 7:35
2. Buhaina, Buhaina         Brown 5:57
3. The Night We Called It a Day   Adair, Dennis 6:28
4. Old Times' Sake [*]        Williams 3:05
5. The Soulful Mr. Timmons     Williams 6:52
6. Love Letters           Heyman, Young 5:10
7. Mean What You Say        Jones 6:01
8. You're Lucky to Me        Blake, Razaf 6:09
9. J's Jam Song           Blakey, Brown, Williams 6:01

Produced by Kiyoshi "Boxman" Koyama
James Williams (p)
Art Blakey (ds)
Ray Brown (b)

Recorded at power station New York , on June 26, 1987


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一枚のレコードがきっかけで・・・・2人は出会うことに。

2008-01-27 | MY FAVORITE ALBUM
Sarah Vaughan orchestra arranged and conducted by Michel Legrand

東海岸から西海岸に戻るとすぐコンコルドレーベルに登場し、その後、自分のまな娘とも一緒にアルバムを作ったピアニストのジミーロウルズ。あまり目立たない存在だが、デビュー以来多くのレコーディングセッションに付き合っている。歌手の伴奏を努めたことも多い。そのようなキャリアを送ったので、当然のように数多くのミュージシャンとも付き合いが広かった。
その中でも、特に親しい友人の一人に歌手のサラボーンがいた。
ある時、ロウルズがサラにミシェルルグランのレコードをかけた。ロウルズが聴かせた
曲は“Summer of 42”のテーマ曲。The Summer Knowsだった。
この曲を聴いたサラは「こんなに綺麗な作品は聴いたことがないわ。今度のアルバムのアレンジは彼にしたいの」と、すぐさまプロデューサーのボブシャッドに連絡をした。
このロウルズのかけた一枚のレコードが、サラとミシェルルグランの出会いだったそうだ。

そして、ロスにルグランを呼んで実際のレコーディングのための準備に入る。作詞にはAlan and Marilyn Bergmanが協力することに。
そして、いつものことながらレコーディングに集められたミュージシャンが素晴らしい。
あまりに多すぎるのでパーソネルは省略するが、レイブラウンやシェリーマン、バドシャンクなどを中心とするオールスターの面々、それにピアノやベース、ドラムのリズムはそれぞれ3人ずつが加わる。さらに40人を越えるストリングスセクションなど。
このルグランのアレンジとサラの湧き出るような声が実によくマッチする。
小さな編成でスインギーに歌うサラも良いが、このように輝くようなオーケストラをバックにするサラも魅力的だ。
リナホーンといいサラボーンといい、バックのスタイルやアレンジは異なっても、ルグランの魔術で普段とは違う側面が引き出されているような気がする。

いずこの世界でも「良き出会いを作る」ためには、持つべきものはやはり友人だと思う。

1. The Summer Knows
2. What Are You Doingthe Rest of Your Life
3. Once You've Been in Love
4. Hands of Time (Brian's Song)
5. I Was Born in Love with You
6. I Will Say Goodbye
7. Summer Me, Winter Me
8. His Eyes, Her Eyes
9. Pieces of Dreams
10. Blue, Green, Grey and Gone

Produced by Bob Shad
Sarah Vaughan (Vocals)
Arranged and Conducted by Michel Legrand
And Orchestra・・・

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スイングする重戦車が西海岸を驀進・・・・

2008-01-26 | CONCORD
The Capp / Pierce Juggernaut Featuring Joe Williams Live At The Century Plaza

ジャガーノート、ジャガナート (juggernaut) は、止めることのできない巨大な力、圧倒的破壊力の意味を持つという意味だそうだ。イギリスでは巨大な重量を持つトラックの意味にも使われているとか。そもそも、「ジャガーノート」の語源はヒンドゥー教のヴィシュヌ神の八番目の化身であるクリシュナの異名、ジャガンナート (Jagannāth) である。

このバンドが結成されたのは1975年。
バディーリッチやウディーハーマン、メイナードファーガソン、サド・メルそしてドンエリスのオーケストラなどが活躍はしていたが。みな徐々に現代風に衣替えをしていて、昔懐かしいビッグバンドサウンドとは違った趣になっていた。

その中に突然登場したこのオーケストラ。コンセプトは徹底的に楽しいバンド。ベイシーであり、昔のハーマンであり、そのスタイルを徹底的にコピーした。
首謀者は、ドラムのフランキーキャップとピアノのナットピアース。キャップはケントンオーケストラでシュリーマンの後釜を努める。ピアースはハーマンのバンド出身。
メンバー達は、それができるベテラン中心。重戦車になる要素はすべて揃った。

演奏する曲も、ピアスの曲以外にも2人が50年代から集めていた多くのアレンジを使った。
このアルバムにも、アルコーンが60年代にハーマンバンドのために書いて没になった“TARRAGON”という曲も収められている。
それで、戦闘準備は整った。

1曲目は、40年代を思わせるリフスタイルのよくスイングする曲。次のピアースの曲はそのままベイシーのオーケストラになりそう。リズムセクションが素晴らしい。そして、ベニーカーターの”SOUVENIR”は色々なプレーヤーが演奏しているが、ここではロイヤルが、亡きリッチーカムカに捧げたアルトプレーが見事だ。

重戦車が軽快に驀進する。

ライナーノーツの書き出しに、「このバンドの楽しいスイング感で席を放り出されないようにシートベルトをつけて下さい」との一言が。これが、このオーケストラの特徴を表している。

Concordで2枚目のアルバムになるが、前作に続いて今回もライブ録音。
おまけに、ゲスト歌手がジョーウイリアムス。ホテルのホールで聴衆を相手にしたライブ特有のノリで張りのある喉を披露する。バックは当然のようにベイシーオーケストラの様相を呈する。

昨今、日本では「偽表示問題」が毎日のようにニュースネタになっているが、本物の元気が無い時にこのような「偽物」は大歓迎だ。メンバーには、ウェストコーストジャズ全盛期に活躍したボブクーパー、ベイシーオーケストラで活躍したマーシャルロイヤル、他のメンバーも皆西海岸のつわもの揃いなので中身は「偽者」ではなく本物だ。

1. Fiesta in Brass              Mundy 3:44
2. Basie's Deep Fry             Pierce 5:21
3. Souvenir                 Carter 4:01
4. Capp This!                Pierce 4:54
5. Tarragon                 Cohn 4:45
6. Swing Shift                Clayton 4:25
7. Joe's Blues                Williams 10:43
8. What the World Needs Now Is Love     Bacharach, David 2:18

Carl Jefferson Producer

Nat Pierce (p)
Frank Capp (ds)
Al Aarons , Bill Berry , Bobby Shew , Frank Szabo (tp)
Garnett Brown , Buster Cooper , Alan Kaplan , Britt Woodman (tb)
Bob Coope , Marshall Royal , Bill Green , Lanny Morgan , Herman Riley (sax)
Ray Pohlman (g)
Chuck Berghofer (b)
Joe Williams (Vocals)

Recorded Live at the Century Hotel Plaza, Los Angels
Originally released on Concord CJ-72 , Jul 21, 1978

The Live at the Century Plaza
Frank Capp,Pierce Juggernaut Band with Joe Williams
Concord Jazz

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45歳、普通であればそろそろ落ち着いた生活を送りたくなる歳であるが・・・

2008-01-25 | CONCORD
Cal Collins in San Francisco

ジャケットに綺麗な風景のスナップ写真が並ぶ。サンフランシスコの街のワンショットだ。元々変化のとんだ町並み、写真を撮る場所には困らない街だ。
普段何気なく通り過ぎている街も季節によって、そして年月を経ることによって微妙に変化している。きっとその変化のひとつひとつに何か新たな発見があるのだと思うが。
最近は道すがらの周りの風景に目をやることも少ない。頭の中は急激な変化に対応するためフル回転しているのに、せっかく人間が持っている五感を敏感に働かせる機会が少なくなっている。
生活環境をたまには変えて心身ともにリフレッシュしたいものだ。

長く生まれ育った町に長く生活していると、それなりの生活パターンに慣れてしまう。外から受ける影響も少なく、マイペースな生活と自分のスタイルを自ずと築き上げていくようになる。

このジャケットの写真の左上でギターを弾いているのが「カルコリンズ」。
しばらく前までは、この顔が世界中に知られることはなかった。シンシナティーの町で自分のスタイルでギターを弾いていた。当然彼の顔を知っているのはその周辺に住むファンだけであった。
1976年の末ベニーグッドマンと一緒にプレーをしたばかりに長年住み慣れたシンシナティーを離れ、遠く離れたサンフランシスコでプレーをすることになる。コンコルドの本拠地である。
そして、実はその頃早くも日本にも来ている。Concord Supper Bandの一員として。
あっという間に全国区、いやワールドワイドで名を売るようになった。
グッドマンの出会いからまだ2年も経っていない。
40歳を過ぎた遅咲きの新人の劇的なデビューだ。
彼にとっては周りの景色も生活のリズムも、すべてが変化してしまった2年間であったであろう。

モダンギターの祖チャーリークリスチャンがそれまでリズム楽器であったギターをあたかもサックスのようにプレーした。このコリンズは、ギターをピアノのようにプレーするという。影響を受けたミュージシャンはもちろんギタープレーヤー含めてたくさんいる。が、強いて言えば、アートテイタム、ジョージシアリング、ナットキングコールなど「ピアノ」からだそうだ。後は、シンシナティーの街で過ごしながら独学で。

リーダーアルバムとしてはこれが2枚目。ドラムが前作のジェイクハナから新鋭のジェフハミルトンに替わっているが、ギターがリードするトリオの演奏はコリンズペース。
マイルスの曲をハードバップ調にやったかと思えば、グッドマンとの出会いの時を思わせるようなスインギーなプレーも。バラードのローラは自分のお気に入りの曲でもあるのでより訴えかけるものがある。

何の解説や予備知識がなければ聞き流してしまいそうなギタートリオ、色々事情を知るとそのプレーに重みを感じることはあるのだが・・。
きっと、日頃五感が磨かれている人はコリンズのギターの素晴らしさをもっと感じることができるのであろう。

1. Blue Haze
2. How Long Has This Been Going On
3. Laura
4. Sometimes I’m Happy
5. Miles’ Theme
6. Blue Prelude
7. Exactly Like You
8. Deep In A Dream
9. So What

Cal Collis (g)
Monty Budwig (b)
Jeff Hamilton (ds)

Recorded At Coasts Ecorders, San Francisco in 1978

Originally released on Concord CJ-71
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作曲家自らのとの共演はきっと格別だと思う・・・・が?

2008-01-24 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Lena & Michel / Lena Horne & Michel Legrand

ミッシェル・ルグランという作曲家がいる。特徴ある美しい曲をたくさん作っていて自分も好きな曲が多い。このルグランの曲を取り上げたアルバムを作る歌手も多い。歌手にとっても歌ってみたい魅力的な曲が多いのだろう。
先日聴いたレナホーンのアルバムのタイトル”Whach What Happen”もルグランの名作だ。お気に入りの曲のひとつである。

ルグランは映画音楽で有名だが、作曲だけでなくジャズのアレンジも得意だし自分でもプレーをする。
超オールスターメンバーを集めた「ルグランジャズ」が有名だが、ピアノのプレーではシェリーズマンホールでのレイブラウンとシェリーマンのライブが圧巻。ルグランのピアノの迫真に迫るプレーと3人のコラボレーションが印象に残っている。
プレーをしたかったのか、来たついでなのかは分からないが、その後も、アメリカに来てはジャズプレーヤーとの共演をすることが多かった
その中に、「大御所リナホーン」とも直接共演したアルバムを作った。
ただし録音には立ち会ったがアレンジと指揮だけ。ピアノプレーが聞けないのは少し残念だが。

だが、このアルバム彼のプレーがなくとも、そのアレンジとバックの演奏が素晴らしい。
特にリチャードティーのオルガン。
これを中心としてロンカーターとグラディーテイト。ゴードンベックとコーネルデュプリーと性格の違う2本のギター。
ホーンセクションにはサドジョーンズやジョンファディスも。
いつものことがだが、またまたオールスターメンバー。
これで大体どんなサウンドが聞こえてくるか想像がつくとは思うが、これにルグランのアレンジの味付けが加わる。

一曲目のおなじみシェルブールの雨傘“IWill Wait for You”。
曲自体の美しさとホーンの深みのある歌声、それにティーのオルガンがリードするバックがソウルフルな味付けで結びつける。
やはりルグランのアレンジは歌のバックといっても、歌の裏方に徹するというより、歌手と対等以上の関係だ。歌手とアレンジが対等に向き合い、それが溶け合って魅力的なコラボレーションが生まれる。
やはり「実力のある大御所歌手」でなければ、ルグランのアレンジだとバックに負けて歌が霞んでしまうであろう。
そこが、ルグランの魅力である。

I Will Wait For You
I Got a Name
Nobody Knows
Being A Woman
Let Me Be Your Mirror
Loneliness
Time in a Bottle
Everything That Happens to You, Happens to Me
Sad Song
I’ve Been Starting Tommorow All of My Life
Thank You Love
One At a Time

Lena Horne (Vocals)
Michel Legrand (Arr.&Con.)
Produced by Norman Schwartz & Michel Legrand
Exective Producer Nat Shapiro

Richard Tee (org)
Paul Griffin (p)
Joe Beck (g)
Cornel Dupree (g)
Ron Carter (b)
Ralfh Macdonald (per.)
Grady Tate (ds)
The Howard Charale (voices)

Thad Jones, Joe Newman , John Faddis , Marvin Stamm , Alan Rubin (tp)
& stirings

Recorded at RCA Studios,New York , Feb. 1975

シェルブールの雨傘
リナ・ホーン&ミシェル・ルグラン,リナ・ホーン,ジョー・ベック,ザ・ハワード・ロバーツ・コーラル,ポール・グリフィン,コーネル・デュプリー,ロン・カーター,リチャード・ティー,ラルフ・マクドナルド,グラディ・テイト
BMG JAPAN

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電子化(デジタル)化の前に・・・電化時代が。

2008-01-23 | MY FAVORITE ALBUM
Grass / Jackie & Roy

電話もクルマも家電も世の中すべてデジタル化の時代だ。
デジタルというとコンピューター。大分使い易くなったとはいえ、面と向かうとまだまだ付き合いにくい。日常的にやり慣れたことであれば問題はないが、特殊な使い方、さらにはトラブルが起ったとなると、一筋縄では手に負えなくなる。
デジタルが日常生活に溶け込み、我々がそれに合わせた使い方に慣れるにはもう少し時間がかかるであろう。

今のデジタル化の時代の前に、実は電化(electric)の時代が一昔前にあった。
いわゆる家電を中心とした三種の神器であるテレビ、冷蔵庫、洗濯機が家庭に広まったのは1950年代。レコードを聴くためのプレーヤーも「電蓄」とか「ステレオ」とか言われた時代であった。
音楽の世界が電化されたのは60年代になってからが本格的。いわゆるロックの影響だ。ロックンロール、ビートルズ、そして日本ではグループサウンドの世界が電化された音楽のはしりであろう。
ジャズの世界もこれに影響を受け、60年代の後半にはアナログから電化の時代を迎えた。
ギターは元々アンプで増幅する程度の電化はされていたが、エレキベース、そしてエレキピアノの登場で一気に電化が進んだ。さらには、エレキトランペットやシンセサイザーへと。

何の世界でもそうであるが、最初に若者や新し物好きが初物に飛びつくと、好奇心旺盛な第2陣が取り組みを開始する。ベテラン勢も負けてはいられないと、試行錯誤や物は試しでトライアルが始まった。
中でも歌手は基本的にアナログ派で電化は最後と思っていたが、このJakie &Royの2人はそうでもなかった。
もっとも、彼らはバップVOCALの中心で活躍した。新しい物へ取り組む姿勢は変わっていなかった。
前作のLovesickではボサノバにチャレンジ。と思ったら今度はRockに挑戦。電化された世界への挑戦だがアルバムタイトルがいきなり“The Electoric Jackie & Roy”とは恐れ入った。

どう電化されたかというと、さすが人間の声までは電化されていなかった。
せいぜいダビングをして自分の声をハモらせる程度。さすがに歌い方をヘビーロック調に変えることもなかった。
しかし、選曲とバックの演奏はがらりと様相を変えた。ビートルズナンバーもオリジナルの雰囲気を感じさせ、ドラムも4ビートの軽快さというよりはヘビーなドラミング。ブラスのアンサンブルもブラスロックのサウンドだ。
中でも、秀逸なのはロイのエレキピアノ。まだ、フェンダーが世に出て間もない頃だが、実にエレキピアノの特徴をいかしたプレーをしている。

上質のソフトロック、いわゆるAORの印象に残っている一枚だ。特に、それをお気に入りのジャッキーアンドロイがやっているので。

それにしても、このアルバムのタイトルの"Grass"。
芝生に寝転ぶ2人の写真はあるが、意図する意味が分からないな?

1. Open                           Landesman, Pockriss 3:50
2. Stay With Me Forever, Stay With Me Now     Kral 3:50
3. Holiday                          Gibb, Gibb 3:29
4. A Most Peculiar Man                  Simon 3:33
5. Fixing a Hole                      Lennon, McCartney 5:33
6. Winds Of Heaven                    Dorough, Landesman 3:11
7. Someone's Singing                   Donovan 2:17
8. What Do I Feel                     Landesman, Wolf 2:21   
9. Deus Brasileiro                     Gilbert, Valle, Valle 3:08
10. Without Rhyme Or Reason              Dorough, Landesman 2:48
11. Lady Madonna                     Lennon, McCartney 4:15

Puoduced by Jack Lewis & Monte Kay
Gene Radice Engineer

Jackie Cain (vocals)
Roy Kral (p,arr,vocals)
Artie Schroeck (sax,arr.)
George Young (bs)
Ray DeSio (tb)
Stuart Scharf (g)
Andy Muson (b)
Jimmy Molinary (ds)

Recorded 1968


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未発表曲を集めたコンピレーションといえば・・・・

2008-01-22 | MY FAVORITE ALBUM
MERCURY V.S.O.P ALBUM

「幻の名盤」というものが一時流行った。
国内で未発表のアルバム、一度は世に出たが廃盤になったままのアルバムが次々と世に紹介された。この「幻の名盤」は骨董品を楽しむような楽しみだった。話としてはよく聞くことがあっても実際は聴いたことのないアルバム。オリジナルはなかなか手に入れることはできなかったものを、実際に手にして聴く事ができるというのは格別の嬉しさがあった。現在進行形で生きているジャズの新譜を聞く楽しみもあったが、この「幻の名盤」は何が発掘されて出てくるかが分からない楽しみもあった。

其の内に、録音されたもののお蔵入りして未発表だったものや別テイク物が発掘され、新たなアルバムとして陽の目をみることになってきた。これも別の意味では「幻の名盤」の一種。
その中の一枚(1セット)に、児山紀芳氏が「埃を被った状態のマスターテープ」を発見したということでも有名になったマーキュリーレーベルの未発表曲を集めたBOXアルバムがあった。
何でも、ジャズを積極的に取り組んで次から次へと録音があり、プロデューサーも何人か入れ替わっている内に、整理が追いつかずにカタログに載らなかった物が多かったということらしかったが。
多分このような録音とか、テープが回ったままだったとかいう録音は、世の中にはまだたくさん転がっているのだろう。

このアルバム全部で22組のアーティスト、47曲の大作であったが、その中に、クインシージョーンズオーケストラの未発表であった曲が4曲収められている。これが目当てで買ったので、とりあえずはそこだけクローズアップして紹介しておくと、

1. “Moanin’”
 1959年5月の録音
 有名なアルバム”The Birth Of A Band”に収められている曲の別テイク。

2. “Close Your Eyes”
3. “Blues From Free And Easy”
 1960年のパリでの録音の未発表であった2曲。
 そもそも、クインシーがヨーロッパで流浪の旅をやる羽目に陥ったミュージカル”Free And Easy”からの曲が初めて聴ける。

4. “Ghana”
 レギュラーオーケストラ最後の録音になったニューポートでのライブの残り曲。
 「音質的に問題があったのでは」と説明があるが、なんら問題はない。

CDの時代になって、過去のアルバムに未発表曲が追加されるのは当たり前になったが、最近ではコンプリート物と称してCD何枚にも渡ってすべての録音が一気に入手できるものも。
ある意味では便利にはなったともいえるが、好きなものをこつこつ一枚一枚集めていくのもジャズの楽しみであったので何か複雑な気持ちだ。
クインシーのアルバムを紹介しながら、こんなアルバムもあったというのを思い出した。
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自分の名前をつけた曲って、・・・・他にあるのかな?

2008-01-21 | MY FAVORITE ALBUM
Those Kenton Days / Art Pepper


先日聴いたバディーリッチのアルバム「マーシー・マーシー」で長いブランクから一時復帰したアートペッパー。晩年はもっぱらコンボでの演奏。Big Bandでの演奏は珍しい。
それでは若い頃はというと、ペッパーも「ケントンオーケストラ」の卒業生。彼は、ケントン時代が一番輝かしかったとも言われているので優等生だったのかも・・。

ウェストコースト系のジャズプレーヤーの経歴を見ると判で押したように「若い頃はスタン・ケントンオーケストラ、もしくはウディー・ハーマンオーケストラで過ごした」とある。
ところが、日本ではそもそもビッグバンドファンが少ない上、このケントンとハーマンのオーケストラとなると更に人気がない。ジャズ喫茶の全盛期であっても彼らのオーケストラのアルバムがかかるなどというのは稀有な事であった。
こんな状況ではよほど意を決して聴こうと思わない限りは、有名プレーヤーの若い時代のビッグバンドでの演奏を聴く機会はなかった。

世の中にはコンピレーションアルバムというものがある。昔は「オムニバス」とか「ベスト物」といわれた編集物である。確かに、名曲といえるものが一枚に揃っているのは魅力的だとは思うのだが。自分は、特にジャズの場合はアルバム単位でのプロデュースに意味があると思っている。したがって、昔から好きな曲が見つかってもこの編集物を買うことはあまりなく、一曲のためでもオリジナルのアルバムを買い求めることが普通であった。
サンプルとして無料でもらうのであればまだしも、余程の企画アルバムでないとお金を出してまでこのコンピレーション物を買う気になれないのは今でも同じである。

とはいうものの、持っているアルバムに何枚かはこの「コンピレーションアルバム」がある。その中の一枚が、このアートペッパーのスタン・ケントンオーケストラでの演奏を集めたものだ。
自分もハーマンのオーケストラはそこそこ聴いたが、ケントンとなると数えるほどだ。まあ、嫌いというよりは聴かず嫌いの部類に入ってしまう。なんとなく取っ付きにくいオーケストラだった。
そんな時に、ペッパーのケントン時代のソロが集められているというコンピレーションアルバムを見つけて興味本位で買い求めた次第。

前置きが長くなったが、このアルバムはキャピタルレコードに吹き込まれたケントンのスタジオ演奏の中でペッパーのソロ入った曲をすべて集めたという代物。
ペッパーの若い頃の演奏が聴けるのは勿論だが、あまり接することのなかったケントンオーケストラの素晴らしさを再認識できる意味でも、価値在るコンピレーションアルバムだ。このアルバムを編集した辛口の評論家、粟村政昭氏のこだわりが感じられる。

全18曲それぞれに特徴があり意味がある曲が収められているが、2曲だけ紹介すると、
A面1曲目のハーレムフォークダンスは、ペッパーが18歳の時の初吹き込みだ。
曲の最後に僅かにソロが聴けるが、これがその後の波乱に飛んだ人生を送ることになるペッパーの初吹き込みと思うと感慨深いものだ。

そしてB面の1曲目、その名もずばり「アートペッパー」という曲。ショーティーロジャースが作った曲だ。
ストリングスを加えたオーケストラをバックに、何の淀みもない透き通ったアルトのバラードプレーで始まり、途中でアップテンポに転じる。今度は湧き出るようなペッペーのフレーズワークを聴ける。
自分のテーマソングとでもいえるこの曲をその後もペッパーが演奏したかどうかは浅学で知らないが、自分の名前を関した「テーマソング」というのがあってもいいものだと思うが。
久々にこのアルバムを聴きなおして、ペッパーの演奏も貴重だがケントンオーケストラが素晴らしい。ウェストコーストジャズの原点であったケントンを食わず嫌いだったのがもったいなかった。

1. Harlem Folk Dance
2. Unison Riff
3. Cuban Carnival
4. Journey To Brazil
5. How High The Moon
6. Harlem Holiday
7. Jolly Rogers
8. Blues In Riff
9. Art Pepper
10. Viva Prado
11. Round Robin
12. Dynaflow
13. Jump For Joy
14. Francesca
15. Sambo
16. Street Of Deams

Art Pepper (as)
Stan Kenton Orchestra
Recorded from Nov. 19 , 1943 to Sep. 19 , 1951

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クインシーの新たな試みは・・・・映画の世界へ

2008-01-20 | MY FAVORITE ALBUM
QUINCY JONES explores the music of HENRY MANCINI

ニューポートジャズフェスティバルに出演した1961年を最後にクインシージョンンズは自分のビッグバンドを実質的に解散した。そして、この年クインシーは所属していたマーキュリーレコードの副社長に就任する。
立場上、ジャズに限らずマーキュリーにとって売れるアルバム作りが求められた。ジャズを離れPOPSの世界のプロデュースで最初に成功したのは、レスリーゴーアの"It's My Party"だった。これを契機に、クインシーのプロデューサーとしての活躍がスタートすることになる。
しかし、ジャズをまったく忘れてしまったのではない。レコーディングのためのオーケストラの演奏は引き続き行って、その後もマーキュリーからクインシージョーンズの名を冠したアルバムが何枚か発売された。

しかし、その内容は当時のヒット曲を選んだものであり、演奏の内容もいわゆる「世間受けする」軽いサウンドになっていった。ジャズの世界は一方で、マイルスやコストレーン、エバンスなどが、次なるジャズの世界へチャレンジを始めた時期でもある。硬派のジャズファンからは、「クインシーはジャズを捨ててコマーシャリズムの世界へ転進してしまった」と言われたものだ。

この間で一番有名なアルバムといえば、おそらく”BIG BAND BOSSA NOVA” であろう。
近年になっても、日本でテレビのコマーシャルにも使われているが、そのサウンドは40年以上経った今でも色褪せていない。今聴き直してみても、それまでのビッグバンドの音作りにこだわらないアレンジと演奏は、その後のクインシー、というよりも音楽の世界そのものの多様化への布石であったともいえる。

その“Big BAND BOSSA NOVA”から1年半後、1964年に録音されたのがこのアルバムだ。
タイトルどおり、全編映画音楽の世界の第一人者ヘンリーマンシーニの曲を選び、ここではクインシーは編曲と指揮に専念することに。
このヘンシーニ、あまり映画のことは詳しくない自分でも良く知っている映画音楽の巨匠だ。
あの「グレンミラー物語」でアカデミー賞のミュージカル映画音楽賞をとって一躍有名になったのは1954年のことだった。
実はこのマンシーニ、編曲を始めた頃は、メルトーメのコーラスグループ「メルトーンズ」のアレンジをしたこともあったとか。そして、奥さんは、このメルトーンズのメンバーのGiny O’Conner。ジャズの世界とも近い場所で活動していたようだ。ジャズプレーヤーが、彼の曲を良く取り上げるのも、きっと何か相性が良いものがあるのだろう。

この録音に集まったメンバーは、以前のオーケストラのメンバーも何人かはいるが、基本はこのアルバムのために集まった面々。
通常のビッグバンド編成だけでなく、ホルンを加えたり、メジャーホリー、ローランドカークやツゥーツシールマンなど特徴あるソリストが加わっている。ホリーが得意とするベースとのハミング、カークのサックスのマルチプレー、そしてシールマンの口笛など、彼らの「特技」のソロが実に絶妙に配されている。
あくまでもセクションごとのアンサンブルワーク、それらの掛け合いのリフやコールアンドレスポンスを多用する従来の手法によるビッグバンドの世界とは一味違うアレンジを提供している。

演奏している曲が最近のポピュラーなものだからといって、決して内容がコマーシャリズム害されたという訳ではない。
当時はビッグバンドを取り巻く環境は冬の時代、ベイシーもエリントンもポピュラーな曲を取り上げたアルバムを作っていた。その中で、それぞれのバンドカラーを出していたが、クインシーは一味違った。従来の手法にとらわれず一歩先を見た新たな「クインシーサウンドの世界」に一歩踏み入れた編曲になっていた。
このマンシーニのアルバムに刺激を受けたという訳ではないとは思うが、この年、クインシーは初の映画音楽”Pawnbroker“に取り組むことに。経営者、プロデューサー、作編曲家、それもジャズアルバムから、歌手の伴奏、そして映画音楽までいよいよ全方位の活躍が始まる。

1. Baby Elephant Walk *3
2. Charade *3
3. Dreamsville *1
4. Bird Brain *2
5. Days Of Wines and Roses *1
6. Mr. Lucky *3
7. The Pink Panther *2
8. (I Love You) And Don't You Forget It *1
9. Soldeir In The Rain *2
10. Odd Ball *2
11. Moon River *1
12. Pink Panther *2

<Perssonel>

【session1】

Jimmy Maxwell, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (tp)
Billy Byers, Urbie Green, Dick Hixson, Quentin Jackson, Tony Studd (tb)
Ray Alonge, Jim Buffington, Tony Miranda, Bob Northern (frh)
Harvey Phillips (tu)
Roland Kirk, Jerome Richardson, Stan Webb (Reeds)
Margaretha Ross (harp)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Mundell Lowe (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (d)
Martin Groupp (per)

Quincy Jones (arr, cond)

Recorded at A&R Studio NYC, February 5, 1964


【session 2】

Ernie Royal (tp)
Billy Byers (tb)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Major Holley , Milt Hinton(b)
Osie Johnson (ds)
Toots Thielman (hermonica.g.whistle)

Recorded at A&R Studio NYC, February 5, 1964


【session 3】

John Bello , Jimmy Maxwell , Snooky Young , Ernie Royal (tp)
Quentin Jackson , Urbie Green , Richard , Hixson , Tony Studd , Billy Byers (tb)
George Berg, Romeo Penque, Seldon Powell, Phil Woods (Reeds)
Gary Burton (vib)
Bobby Scott (p)
Vincent Bell (g)
Major Holley , Milt Hinton(b)
Osie Johnson (ds)
Phil Kraus (per)

Recorded at A&R Studio NYC, February 6, 1964

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“CONCORD”にブレイキーとは多少違和感があったが・・・・・

2008-01-19 | CONCORD
In This Corner / Art Blakey

西海岸サンフランシスコの郊外にあるConcord市を拠点として立ち上がったコンコルドレーベル。そこに登場するミュージシャンの多くは、西海岸を拠点として活動するベテランジャズメン達。

70年代の初め、テレビの仕事の多くがニューヨークから映画の町ハリウッドに移って来たのを機に、ニューヨークでスタジオワークをしていた多くのジャズプレーヤーも西海岸に居を移した。
彼らは引き続き生活のベースとしてはスタジオワークやテレビ出演が中心であったが、地元でジャズのセッションも楽しんでいた。ところが、70年代の初めは、彼らベテラン達が得意とするメインストリームジャズは必ずしも「メインストリーム」ではなかった。

それ故、これらの演奏がコンサートやレコードの形で広く世に広まることはなかった。
そこに一役かったのが、カールジェファーソンが立ち上げた地元コンコルドでのジャズフェスティバル、そしてその記録を残すことでスタートしたのがコンコルドレコード。
軌道に乗り出すと次々とベテラン達が再び表舞台に登場しだした。
更にベテランに続いてスコットハミルトンのような次の世代を担う若手達も。

アルバム枚数も70枚に近づいた中での御大アートブレイキーが登場した。
ブレイキーに何か違和感を持った理由は、まだまだ現役で自分のグループを率いて全国を股にかけて活躍していたということだ。
50年代のモダンジャズの発展に貢献したブレイキーの知名度は全国区で、いや世界中でまだまだ高かった。

ブレイキーは昔の仲間達とプレーをしていたのではない。昔からいつも新人を起用し、常に新しい「ジャズメッセンジャー」を率いていた。
その中から巣立っていた大物は多い。古くはクリフォードブラウンであり、リーモーガン。
フュージョンの世界で第一人者となったチャックマンジョーネも在籍していた。

そして、80年代には次の世代を支えることになったウィントンマルサリスも。

このアルバムは、そのアートブレイキーがコンコルドの本拠地に程近いサンフランシスコを訪れ、地元のクラブキーストンコーナーに出演した時のライブレコーディング。
ブレイキーのドラムイントロから始まる。ハイハットを効かせたいつものブレイキーのドラミングだ。ライブの臨場感を感じる。
そして、カリプソ風のリズムに乗ってパメラは始まる。メンバーが若いせいか音作りもプレーも若々しい。ブレイキーのドラミングもそれにつられてか、若手のプレーに引っ張られている。
中でも光るのは前年にリーダー作を出してデビューしたてのジェイムスウィリアムスのピアノだ。
メッセンジャーズのピアノはファンキーなスタイルを思い浮かべてしまうが、元々ゴスペルやR&Bの素養を持ち合わせた上に、新しい感覚をも備えたウィリアムスのピアノがメッセンジャーズの新鮮さを際立たせる。

改めて、それまでのコンコルドのアルバムを辿ってみると、ジェファーソンのプロデュースを離れたシェリーマンバドシャンクのレギュラーグループのアルバムが何枚かある。
このアルバムも、いつものジェファーソンではなく、Frank Dorritieのプロデュース。

大ベテランたちが皆一回り以上若い若手のメンバーを率いて頑張っているブレイキーの今のプレーをそのまま収めている。ベテランの昔の仲間達と和気藹々としたセッションもよいが、若手を率いて溌剌としたプレーをしているのは刺激を受ける。

最近の自分の生活を振り返えってみると、自分自身、仕事も好きなゴルフも若手に混じってやることが多い。昔の仲間との集まりだとついつい昔話に花が咲くが、若手だと当然明日に向かった前向きの話題が多い。
ブレイキーがこのアルバムを録音した時が59歳。
ブレイキーもバディーリッチも若手に囲まれて最後まで現役を続けることができた。
自分も、ジャズを聴くことは昔を振り返ることの方が多いが、他はまだまだ彼らを見習って若手に混じって現役を続けたいものだ。

コンコルドレーベルもこの後全国区で活躍する現役のベテランプレーヤーが続々と登場するようになる。このアルバムが、地元のマイナーレーベルからメジャーレーベルへ向けての節目になったような気がする。



1. Art Blakey Intro       Blakey 1:17
2. Pamela           Watson 9:31
3. Unlimited          Williams 6:36
4. In This Korner        Williams 7:47
5. The Song Is You       Hammerstein, Kern 7:28
6. Dark Side, Light Side     Cables 10:11
7. Blue for Two         Ponomarev 7:33

Produced by Frank Dorritie

Valery Ponomarev (tp)
David Schnitter (ts)
Bobby Watson (as)
James Williams (p)
Dennis Irwin (b)
Art Blakey (ds)

Recorded live at "Keystone Korner", San Francisco, CA, May 8, 1978
Originally released on Concord CJ-68
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ムードテナーがあれば、・・・・ムードトランペットも

2008-01-18 | MY FAVORITE ALBUM
Feels So Good / Chuck Mangione

というのが果たしてあるのかどうかは・・?
この前の、スコットハミルトンのダニーボーイですっかりムードづいてしまった。

確かにトランペットのバラードプレーはムード満点のものがある。でも、マイルスのプレーはムード満点というよりは、ある種の冷たい鋭さを感じる。
強いていえば、ムード派はチェットベイカーかアートファーマーか。
サドジョーンズの「チャイルドイズボーン」なんかも好きだ演奏だが。
ジャズではなく、ポピュラーの世界ではニニロッソが人気になったこともある。
これも、ムードトランペットはというには・・。
いずれにしても、テナーと異なりトランペットはムードがあったとしても日本の演歌には似合いそうにはない。

ストレートジャズとはいえない演奏で、ムードたっぷりのトランペットですごく印象に残っている曲がある。
このチャックマンジョーネのアルバムのタイトル曲“Feels So Good”だ。
77年に大ヒットしたアルバムだし、CMにも使われたりもしたポピュラーな曲だ。
ギターをバックにした出だしが何とも云えず気に入ってしまった。というか、この部分だけが妙に印象に残っている。
ジャンルを問わず理屈抜きに自分の感性とフィーリングが合ってしまう時がある。女性とフィーリングが合うのと同じかもしれない。

このマンジョーネ、家族同士がディジーガレスピーの知り合いで父に連れられて兄と一緒にジャズをよく聴きにいったそうだ。その影響もありジャズを始めたマンジョーネは、トランペットを学び、ハーマンやファーガソンのオーケストラにも参加。そして、あのアートブレーキーのグループにも参加したという。
最初はバリバリのハードバッパーだったということだ。このアルバムからは昔のプレーぶりは想像できないがどんなプレーをしていたのだろうか?
ビッグバンドやストレートジャズでスタートしたが、折からのフュージョンの流れに旨く乗って変身して見事に成功した一人だ。

実はこのアルバムに参加して、ギターを弾いているのが、先日コンコルドのアルバムを紹介したグラント・ガイスマンだ。人気グループの一員となったガイスマンはレコーディングだけでなく、一時マンジョーネのレギュラーグループのメンバーとしてツアーにも同行していた。

このアルバムとほとんど同時期の録音であるが、そのプレーぶりは全く別なもの。当時の若手はスタジオワークだけでなく、日常のセッションもストレートなジャズとフュージョンをうまく使い分けている。
昔のダンスバンド全盛期に、新進気鋭の若手はバンドのメンバーとしての演奏とその後のアフターアワーズセッションを使い分けていたように。
 
意図的に企画され、制作されたジャズアルバムにももちろんいいアルバムがあるが、ジャズの原点でもある自然発生的な演奏にジャズの楽しみもある。そして、フォービートもあれば8ビートもある。コンボもあればビッグバンドもある・・・。
演奏する方も聴く方にとっても、この多様性がジャズの魅力だろう。
そして、その中から自分のお気に入りに演奏を見つけるのが、ジャズの宝探しの楽しみだ。

Feels So Good
Maui-Waui
Theme From “Side Street”
Hide & Seek
Last Dance
The ⅩⅠth Commandment

Produced by Chuck Mangione

Chuck Mangione (flh,elp)
Chris Vadala (ss,bs,piccolo,fl)
Grant geissman (g)
Charles Meeks (b)
James Bradley Jr. (ds,conga,timbales)

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再会・・・・最初良い印象があれば、その後の付き合いは楽しいものに

2008-01-17 | MY FAVORITE ALBUM
WHAT’S NEW / Nancy Wilson with the Great Jazz Trio

人生にはいろいろな出会いがある。それが仕事であれ遊びであれ。
「一期一会」とよく言われるように、せっかくの人との出会いを大事にすれば、必ず後で良いことがあるように思う。今一緒に仕事をしている方も、以前別の人を介してたまたまある会合で出会った人。その方と今一緒に仕事をするようになるとは思わなかった。
たまたまの出会いであっても、いつ何時再会し付き合いが始まるかもしれない。
出会いを大切にしたいものだ。

ジャズの世界でも様々な出会いは多い。たまたま一緒にセッションをしたり、レコードの録音に付き合ったり。それがきっかけで付き合いが始まり、レギュラーグループを組むようになることも多いであろう。

ナンシーウイルソンが久々に、小編成のグループをバックにジャズを歌ったアルバム「But Beautiful」を出したのは1969年。ピアノはハンクジョーンズが努めていた。その頃60年代のハンクはもっぱらスタジオ中心の仕事であった。マイルスのグループを離れたロンカーターも加わっていたが、彼もスタジオワークが多くなっていたとき。
きっと、彼らのこのセッションでの出会いは「たまたま」であったことであろう。

10年以上の月日が流れて、ナンシーはオーレックスジャズフェスティバルで来日した。
その頃の彼女は古巣のキャピタルレコードを離れたが、それまで制作されるアルバムはもっぱらR&B色の強いものであり、ジャズと言われるアルバムからはまた遠ざかっていた。
ステージではジャズも歌っていたようだが、このオーレックスでの演奏は久々のジャズコンサート。そう、2~3年続いたこのフェスティバルは「よくもこれだけ有名プレーヤを集めた」というものであった。
その彼女のステージは、ハンクジョーンズのトリオを従えた再会セッションであった。
ハンクジョーンズは、その時はスタジオワークから離れ、「グレートジャズトリオ」(このグループがスタートした時のベースはロンカーターだった。)でジャズの世界に舞い戻って活躍をしていた時。
ステージは、ハンクの伴奏というよりは、2人の夢の共演になっていた。
それぞれ置かれた立場や境遇は変わっていても、一緒にステージに立てば、そこは彼らの世界に・・・・。昔良い思い出があれば、それを思い出しながらお互い打ち解けた演奏になっていく。

その再会のきっかけもあって、ライブとは別に改めて「再会セッション」をスタジオで収録することになった。
日本人プロデューサーであることも理由のひとつであろう、有名なスタンダード曲集になっている。
10年の年月を経て、さすがに彼女の歌いぶりも貫禄を感じる。

このハンクジョーンズは先日も元気に来日して演奏を聴かせてくれたようだ。1918年生まれだからもう90歳になる。ナンシーも風の便りには近年ジャズのアルバムを出したとか・・・?

どちらも元気な間に、最後の再会セッションを残しておいて欲しいものだ。
再会時の一言は、きっと"Wtat’s New”

1. Satin Doll
2. It Never Enterd My Mind
3. They Can’t Take Away From Me
4. Don’t Explain
5. Softly As In A Morning Sunrise
6. As Time Goes By
7. It’s All Right With Me
8. What’sNew
9. But Not For Me
10. My Funny Valentine

Produced by Kiyoshi Itoh

Nancy Wilson (vol)
Hank Jones (p)
Eddie Gomez (b)
Jimmy Cobb (ds)

Recorded at Soundmixers , New York on September 14 & 15 , 1982


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