A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

フレッドハーシュの初のトリオでのアルバムが提供されたのは何とコンコルドからであった・・・

2017-01-20 | CONCORD
Horisons / Fred Hersch Trio

ネットビジネスが世に出始めた頃、成功の秘訣は「プラットフォームビジネスに徹する事」という考え方があった。その昔はビジネスの組み立て方は垂直統合、多くの下請け企業群を傘下に持ち、製販一体が大企業の象徴のような時代もあった。今では分業化、良いものを外部から調達、それもグローバルレベルが当たり前の世の中になった。

プラットフォームビジネスというと、ビジネスレイヤー毎に輪切りにして、輪切りの部分を横展開していく戦略。ネット上ではポータルビジネスから始まったが、コマースが主流になり流通や決済まですべての領域に広がった。もちろん各レイヤーで成功するには、ITの利活用が不可欠であり、その巧拙がビジネスで成功するか失敗するかの重要な要素にもなった。

各レイヤーで勝ち組が出揃ってきたと思ったら、今度はレイヤー間の組み合わせ、連携が競争となり、新たな戦いが始まった。今や、車の自動運転が実現される時代、もはやITの利活用は利用者から直接見える所ではない、社会構造の奥深い所まで及んでいる。

さらに、最近のキーワードはビッグデータからAIに。我々生活者としては、ますます便利な世の中になっているが、反対に個人情報はすべてどこかに集まって、それらを元に勝手に判断を押し付けられる時代に。自分の意思を貫くには、そろそろ自分にとって必要なプラットフォームを利用者側が必要に応じで選別する時かもしれない。

さて、物でもサービスでも、それを実際に生活者に認知してもらい、買ってもらうために必要なものはブランドとそのネーミング。広告会社の一番の腕の見せ所である。そのブランド自体の役割も最近では大きく変化しつつある。果たして今後はブランドにどんな意味を持たせる世の中になることやら。

ジャズの世界では、昔はレーベルがブランドのようなものだった。レーベルの名前を聞いただけで、中身の演奏を想像できるようになれば、ジャズファンとしては一人前だった。自然と、好きなミュージシャンと共に、自分の好みのレーベルが決まってきたものだ。自分は、色々試行錯誤の結果、Concordレーベルファンに辿り着いたことになる。

Concordとは、オーナーのカールジェファーソンが、地元の町の名前Concordをそのままつけたもの。Concordの町自体が有名だったとは思えないので、実に安直に決められたネーミングだ。
地元で車のディーラーとして成功したジャズ好きのジェファーソンが、町のイベントとして公園の片隅でジャズフェスティバルを開催し、そのライブの録音をレコードにして通信販売で提供し始めたのがレーベルの始まり。特に積極的にビジネス展開するつもりも無かったようで、フェスティバルの名前もConcord、レーベルもそのままConcordでスタートした。

ギター好きのジェファーソンが最初に集めたのは、バニーケッセル、ハーブエリス、ジョーパス、ケニーバレル、チャーリーバードといったそれまで第一線で活躍していたベテランのギタリスト達。レイブラウンやジェイクハナといった彼らの仲間達も集まって、ジェファーソンに協力した。彼らも、昔のように大勢の人の前で演奏する場を求めていたのかもしれない。

地方に行くと、昔テレビの歌謡番組の常連だった懐かしい歌手がコンサートやホテルのショーに出ている。知名度は高いのでお客はそれなりに集まるからだろう。という点は、このコンコルドのジャズフェスティバルも同じ。客層は限られても、集客には十分な知名度と実力がある面々だった。

フェスティバルという年に一度のお祭りでは収まらず、出演したメンバーがLA4やグレートギターズのように新たにレギュラーグループを作ったり、他の仲間を呼んで一緒にアルバム作りを始めた。さらに、彼らが自らA&Rマンとして、日々の自分達の活動がてら、新人を発掘してはジェファーソンに推薦した。最初は、話が決まれば自分達が一緒に共演する、といった手作り感溢れるアルバムが多かった。その結果、ベテラン達に混じって、コンコルドでデビューした新人は、スコットハミルトンを筆頭に数多い。

当初、レーベルの活動拠点は西海岸であったが、東海岸でも同様な活動を始めた。それらも最初はすべてジェファーソン自らがプロデュースしていたが、数が増えるとプロデューサーも現地で起用し、アートブレイキーやジョージシアリング、ジムホールといった東海岸を拠点にしていたベテラン達も新たに加わった。

アートブレイキーのように、現役でグループを率いている場合は、そのグループの演奏はもちろん、ジェイムスウィリアムスのような若手メンバーにも別にレコーディングの機会を与えた。このような、現役レギュラーグループや、若手が加わると演奏自体、昔懐かしいスタイルだけでなく、新しいサウンドを聴かせるアルバムも増えていった。

カタログの枚数が250枚を超えると、ジャズの世界ではすでにメジャーレーベル、コンコルドサウンドは広く世間知られることになった。ちょうど同じ時期に展開していたPabloレーベルと並んで、ベテラン達の元気なメインストリームなプレーを聴けるレーベルとして定着していった。意図したものか、偶然かは別にして、どちらも似たようなブランドイメージが決まったということになる。

ところが、コンコルドのアルバムの中には時々プレーヤーの自主制作アルバムが混じっている。このような自主制作物は、初期の段階から、ルイベルソンバドシャンクのアルバムにもあった。自分で録音したものの、アルバムとして発売する機会を逃していたものが多い。
これらのアルバムは、ジェファーソンが特にプロデュースに関与した訳でもなく、いわゆるレーベル貸のような位置付けである。

インターネットが普及していなかった時の自主制作盤となると、その流通はメールオーダーの通信販売だけが頼りだった。告知だけでもなかなか大変な時に、定期的に新譜を出していたレーベルのカタログにラインナップされるということは、それだけでも世に認知してもらうには大きな告知効果があった。もちろんレーベルの持つ信頼感も合わせて。

新人達が参加し始めると、彼らにリーダーアルバム作りの機会も作るようになった。プロデュースをジェファーソンがすることもあったが、ミュージシャンに任せることも次第に多くなった。ドントンプソンのアルバムなどはその一枚。

アートファーマーのグループに加わり、コンコルドにアルバムを残したのがピアノのフレッドハーシュ。スタンゲッツのグループに加わったこともあり、他の有名プレーヤーとの共演も多かった。日本でも長期間ツアーをするなど活動実績は重ね、決して無名ではなかったが、何故かその時まで自分のトリオでの演奏の録音機会には恵まれないでいた。今の、フレッドハーシュの活躍ぶりからは信じられない事だが。

ジェファーソンは、このハーシュにトリオでのアルバムの機会を提供した。そのころハーシュは、ニューヨークに自分の録音スタジオを持ち、活動の範囲は一演奏家には留まらず広範囲だった。それ故、アルバム制作にあたっては、プロデュースのみならず、録音スタッフ、アルバムデザインに至るまで、すべてをハーシュに任せた。

結果は、完全自主制作アルバムで、いわゆるコンコルド色を全く感じず、突然ECMのアルバムが入り込んだような内容となった。このように、コンコルドの新人紹介アルバムは、制作過程に色々な経緯があるので、結果的に興味深いものが多い。

こおハーシュのアルバムも前回紹介したジーンハリスのアルバムとは色々な意味で好対照だ。ピアノのスタイル自体も、ハリスはピーターソンライクであるのに対して、ハーシュは当時からビルエバンスの影響が大きい。共演メンバーにはエバンスとコンビを組んだベースのマークジョンソンも加わっている。ドラムのジョーイバロンも、トニーベネットやカーメンマクレーのバックもしていたが、ニューヨークに移ったこの頃から、ハーシュなどと一緒に新しい世界に飛び込んでいった。このバロンにとっても今のドラミングに通じる出発点となるプレーを披露する場となっている。
演奏だけでなく、クラシックの録音もしていたというハーシュのスタジオ録音と、コンコルドの拠点でフィルエドワーズの手掛けた録音では、音の作り方も大きく違うのも興味深い。



コンコルドレーベルのファンにとっては、このハーシュのアルバムで、コンコルドのブランドイメージがさらに広がっていくことを実感できるが、ハーシュのファンにとってはコンコルドというレーベルイメージが、ハーシュの初アルバムにかえってマイナスイメージを与えてしまうかもしれない。ブランドイメージの難しい所だ。中身は正真正銘、今のハーシュの演奏に繋がるトリオの初アルバムとして聴き応えがあるものだが。

レーベルというのもある種のプラットフォームだが、今の日本のジャズ界は多くが自主制作盤。今の時代こそこのような自主制作盤を選別してカタログに載せるようなレーベルがあってもいいかもしれない。自分もライブに行った時に買い求める以外、なかなか新人達のアルバムを知る機会がない。今のネット時代だと、リコメンドアルバムがマイレーベルなのかもしれないが。

確かに今では色々なサイトでリコメンドアルバムが表示されるが、それは自分自身や同じようなファンの購買、視聴履歴を参考にしたものが大部分。ジェファーソンの試みたような意外性がリコメンドの選定基準に加わってくると、AI技術も本物になるだろう。

1. My Heart Stood Still           Lorenz Hart / Richard Rodgers 6:24
2. Moon and Sand       William Engvick / Morty Palitz / Alec Wilder 7:43
3. The Star-Crossed Lovers        Duke Ellington / Billy Strayhorn 5:00
4. One Finger Snap                     Herbie Hancock 3:22
5. The Surrey With the Fringe on Top  Oscar Hammerstein II / Richard Rodgers 5:00
6. Miyako                           Wayne Shorter 7:43
7. Cloudless Sky                        Fred Hersch 8:04

Fred Hersch (p)
Marc Johnson (b)
Joey Baron (ds)

Produced by Fred Hersch
Enginner : A.T.Michael, Mark Donald
Recorded at Classic Sound Studio, New York City in October 1984
Originally released on Concord CJ-267

Horizons
クリエーター情報なし
Concord Records

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