A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

同じメンバーでリーダーを代えて・・・・

2008-05-24 | MY FAVORITE ALBUM
The Hub of Hubbard / Freddie Hubbard

1969年、60年代の最後の年は、浪人中であった自分にとっても忘れられない年であった。学生運動の末期、あの安田講堂事件で東大の入学試験が中止になり、そのとばっちりを受けて他の大学の入試にも影響を与えた年だ。
ジャズの世界もコルトレーン亡き後、ポストコルトレーンのアバンギャルド派が群雄割拠して幅を利かせていた時。そしてエレキの時代に突入していく時期。メインストリーマーは、表舞台で活躍できなかった時代だった。
60年代の初め、ブルーノートの常連であったフレディーハバードもその一人だった。レコーディングに参加する機会も極端に少なくなっていた。

MPSのカタログを見ると、リチャードデイビスのリーダーアルバムの2つ前にはピーターソンのハローハービーがある。そして、次にはそのフレディーハバードのリーダーアルバムが続く。メンバーを良く見るとメンバーリチャードデイビスのアルバムと重複している。録音年月日の記述が無いが、この2枚のアルバムは、同時若しくは続けて録音されたと思われる。カタログに載ったのは1969年のことだった。その頃の録音だったのであろう。

デイビスのアルバムには、当時デイビスが加わっていたサド・メルのメンバーが大勢参加していたが、このハバードのアルバムでも、デイビスに加えて、ピアノのローランドハナ、テナーのエディーダニエルスが加わっている。ドラムには、ルイスへイズ。
当時の世相はこのような演奏を評価する時代ではなかったが、今聴き直してもメインストリームの清清しい演奏だ。
ハナとデイビスのコンビは、サド・メルのオーケストラを支えた2人だが、このようなスモールグループでも絶妙なコンビネーションを聴かせてくれる。そして、粒立ちの良いヘイズのドラミングも心地よい。若手エディーダニエルスとハバードの掛け合いも新鮮だ。
新主流派という言葉が生まれたのは後のことだが、演奏内容はPost Hard bopとい言葉がぴったりだ。
ハバードは70年代に入って時流にのったレーベルCTIでアルバムを出した後、ハンコックとV.S.O.P.を組んだのは76年になってから。
この頃、サド・メルのメンバーにガレスピーなどが加わった、メインストリーマーのジャムセッションアルバム”Jazz for a Sunday Afternoon”がある。メインストリーマーを次の時代につないだサド・メルのオーケストラそしてそのメンバー達が果たした役割は大きかったのではなかろうか?
そして、その演奏を今の時代に残したソリットステートや、このMPSといったレーベル。プロデュースをしたヨヒアムベーレントも忘れられない人物だ。

1. Without a Song          Eliscu, Rose, Youmans 12:50
2. Just One of Those Things     Porter 7:14
3. Blues for Duane          Hubbard 7:32
4. The Things We Did Last Summer   Cahn, Styne 7:19
5. Muses for Richard Davis      Hanna 5:49


Joachim Berendt Producer

Freddie Hubbard (tp,flh)
Eddie Daniels (ts)
Sir Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Louis Hayes (ds)

Rolf Donner Engineer

Released Dec.9,1969


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たった2枚のアルバムしかないが・・・・印象に残る歌手だ

2008-05-22 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Joy Bryan Sings

Concordのジャズの特徴は普段着のジャズ。特に何のお化粧もしていない、ミュージシャンの「すっぴんの素顔」の演奏が聴ける。特に大作のアルバムを作るという気負いもなければ変な緊張感も無く。中には長年プレー続けてきたがリーダーアルバムを作る機会に恵まれなかったミュージシャンの普段見せない一面を垣間見ることもできるものもある。
一流を一度極めたミュージシャンは、普段着の演奏でも何か光るものを感じさせてくれるものだ。
反対に、新人が世に認められるためには、自分を特徴づけるために何か特別な唄い方にチャレンジしなければならない。そうしているうちに、徐々に本来の自分の良さを失って、結局世に出るきっかけを失ってしまう歌手もたくさんいるようだ。

このアルバムの主役も最初はそのような経緯をたどっていた。生まれはインディアナ州。アメリカのへそといわれるところだ。歌手になることを夢見て遠路ロスへ出てきた。仕事の場は見つかったが、だんだん自然体の自分では無くなっていくのに葛藤を覚えていたようだ。
そのような彼女を見出したのは、歌手の伴奏にかけてはプロ中のプロ。様々な有名歌手の伴奏を努めたピアノのジミーロウルズ。長年の経験でピンとくるものがあって、彼女の歌に何かを感じたのだろう。レコーディングを紹介したのはマティーペイチ。アレンジャーでもあるペイチはその頃、新興レーベルModeの音楽ディレクターを務めていた。とんとん拍子にレコーディングの話が進んだ。
幸いなことに、このModeの基本コンセプトも、「実力ある当時の若手の素顔の演奏を世に出すこと」を第一の目的にしていた。
マティーペイチは彼女のためにアレンジも用意し、そしてそれを演奏するメンバーも集めた。Concordのハウスドラマーがジェイクハナであったように、このModeのハウスドラマーと言っていいほど多くのセッションに加わったのがメル・ルイス。このアルバムにもルイスの名前がある。
ペイチのアレンジは、シンプルではあるがよくスイングし、そして多様な管楽器を絶妙にハーモナイズさせる点にある。このアレンジも4管編成だが曲によって楽器の組み合わせを微妙に使い分け、ミニオーケストラのような変幻自在なバックをブライアンに提供している。
そして彼女の歌であるが初録音に関わらず何の気負いもなく、バックに影響された大げさな誇張も無く、彼女の得意とするストレートなトーンの普段着の歌声が聴ける。もちろんこれには、アルバム作りを全面的に企画し、彼女の素顔の良さを引き出したマティーペイチの果たした役割が大きかったのだろう。
その後、彼女はコンテンポラリーで一枚アルバムを残した後現役を退いてしまう。
彼女の良さでもある普段着の歌を、プロとして長く続けることには何か限界を感じたのか。それとも、夫でもあるレスターケーニッヒが彼女の歌を独り占めしたかったのか。

1. I Was Doin' All Right (G & I Gershwin)
2. Round Midnight (Monk, Hanighen, Williams)
3. My Shining Hour (Arlen, Mercer)
4. When The World Was Young (Mercer, Bloch)
5. Mississippi Mud (Baris, Cavanaugh)
6. My Heart Stood Still (Rodgers, Hart)
7. You're My Everything (Warren, Young, Dixon)
8. When It's Sleepy Time Down South (Rene, Muse)
9. Swinging On A Star (Burke, Van Heusen)
10. What Is There To Say (Duke, Harburg)
11. Down The Old Ox Road (Coslow, Johnston)
12. I Could Write A Book (Rodgers, Hart)

Joy Bryan (vocals)
Marty Paich (piano)
Bob Enevoldsen (clarinet, bass clarinet, valve trombone)
Herb Geller (clarinet, alto)
Ronnie Lang (clarinet, baritone, alto)
Jack Sheldon (trumpet)
Red Mitchell (bass)
Mel Lewis (drums).

Produced RedClyde
Engineer Dayton Howe
Recorded June,1957,Hollywood,CA

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有名グループもメンバーチェンジでイメージが変わることも・・・・

2008-05-21 | MY FAVORITE ALBUM
Last Set at Newport / Dave Brubeck Quartet

“The Trio”といえばオスカーピーターソン。レイブラウンとのコンビがトリオの屋台骨を支えた。“The Quartet”といえばデイブブルーベック。同じようにポールデスモンドとのコンビがこのグループの人気を絶対的なものにした。
レイブラウンがピーターソンの元を離れたのが1965年。それから2年、1967年にはポールデスモンドがブルーベックの元を去った。世界中を股にかけて活躍していた人気グループの解散であった。
ブルーベックはしばらく休養した後、相手に選んだのがジェリーマリガン。
最初のアルバムはメキシコでのライブだった

アルトからバリトンへとサックスが重厚なサウンドになったが、軽妙なブルーベックカルテットの伝統のサウンドはしっかり引き継がれていた。それから3年。2人のコンビの呼吸が合って来たところで、このグループがNewportの舞台に立った。

ブルーベックのステージの前のプログラムは、ビルチェイスが率いるブラスロックグループ”Chase”が大音量で聴衆を圧倒した。興奮冷めやらぬ会場に4人が登場することになったが、ブルーベックは一瞬会場のPAを最大に上げねばとも感じたようだった。
思いとどまって、いつものセッティングで演奏をスタートする。
オコナー神父の紹介で、”Newport Blues”で演奏がスタートするが、心なしか普段よりタッチが力強く感じられる。マリガンのソロを挟んで、ブルーベックのピアノが得意のブロックコードでのソロを繰り広げる。キーボードを叩くブルーベックの手から繰り出される音の塊が徐々に会場を圧倒していく。16分にも及ぶ長い演奏の後、お馴染みの”Take Five”が続く。誰もが知っているメロディーに会場が一瞬ざわめく。アルトからバリトンに変わっても、その軽妙なメロディーには変わりがない。ところが曲が進むにつれて、ブルーベックのピアノがまた怒涛のように広い会場一杯に拡がる。その原因がブルーベックのピアノのプレーにあるのは勿論だが、それを後押ししているのはアランドーソンのドラムだ。「機関銃のように」という例えがあるが、まさにドラムセットを駆使して軽機関銃から時には重機関銃のように連続したリズムをたたき出す。“Sheets of Sound”はエルビンジョーンズの得意技だが、まさにドーソンのドラミングもその表現がピッタリだ。クラッシクのテクニックに裏打ちされたブルーベックのピアノは、クライマックスを迎えるとあたかもフリージャズのような様相も呈してくる。ブルーベックの新境地を垣間見ることもできる。マリガンのバリトンも心なしか影が薄くなる。
この演奏であれば、ブルーベックの心配は無用であった。会場のPAの音量を上げる必要は全く無かったのだ。パートナーを代えて、新たなブルーベックカルテットのパワフルな世界を存分に披露したステージであった。

1. Introduction by Father Norman O'Connor             0:39
2. Blues for Newport                     Brubeck 16:24
3. Take Five                          Desmond 9:49
4. Open the Gates (Out of the Way of the People)   Brubeck 8:12

Produced by Nesuhi Ertegun

Gerry Mulligan (bs)
Dave Brubeck (p)
Jack Six (p)
Alan Dawson (ds)

Recorded live at The Newport Jazz Festival, July 3, 1971

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サド・メルオーケストラを去ったサド・ジョーンズは・・・・ヨーロッパで。

2008-05-20 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
By Jones, I Think We’ve Got It / The Danish Radio Big Band and Thad Jones”

昔、テレビには歌番組がよくあった。そのバックには必ずといっていいほどオーケストラが控えていた。歌番組だけでなくバラエティー番組にも。ビッグバンドがレギュラーで活動する場所であった。日本では、名門シャープスアンドフラッツやニューハードもの姿も良く見かけた。夜の番組、11PMにはコンボ編成のグループも。巨泉のサラブレッツ。前田憲男も良く出演していた。
このように、テレビ放送とジャズオーケストラ、ジャズミュージシャンの関係は深かった。テレビの普及と伴に、スタジオワークの仕事の場としてテレビ局の果たした役割は大きかったのだ。
アメリカで有名なのは、“Tonigjt Show”のドックセベリンセンオーケストラ。Concordのレギュラーメンバーにも、ここをいつもの仕事場にしていたミュージシャンは多い。
スヌーキーヤングもこのオーケストラのメンバー。いつもは裏方に徹していたが、この番組では、歌を唄ってソロを披露することも。普段とは違う一面をテレビで見せてくれることもあった。

ヨーロッパでは、放送局自体がお抱えのジャズバンドを持っていた所も多い。そして、そのオーケストラに加わるためにアメリカから渡ったミュージシャンも多い。西海岸で活躍していたハーブゲラーもその一人だった。そして、この大物も。

1978年。サド・メルのオーケストラが実質的に解散した年だ。というのも、長年お互いに支えあってきた2人のリーダーの内、片方のサド・ジョーンズが突然バンドを去ってデンマークに行ってしまった。一方のリーダーのメル・ルイスには何の相談も無く。
その年、ユーゴスラビアに滞在中唇の怪我に見舞われ、そのままバンドを去ったといわれている。残されたメルはバンドを引き継ぐ形でオーケストラは存続したが、2人のコラボレーションで進化を続けたオーケストラはそこで終わりを迎えた。

デンマークに渡ったジョーンズは、デンマークのラジオ局のビッグバンドのリーダーに収まりそこで活動を続けることになった。このバンドは、ジョーンズの自身のアレンジに加えて、メンバーのアレンジなども取り上げて、サド・メルに負けないモダンなサウンドを聴かせてくれる。
このアルバムは、地元コペンハーゲンの「モンマルトル」に出演した時のライブだ。
サド・メルの演奏でも有名なサド・ジョーンズの曲、“Tip Toe”,“Kids Are Pretty People”以外は、地元のメンバーの編曲だ。曲もエリントンのDay Dreams以外は皆彼らのオリジナル曲。サド・メルがスタートした時、皆でアレンジを持ち寄ったのと同じだ。
放送局のオーケストラは日頃演奏するジャンル、レパートリーは幅広い。ここでも、エリントンの曲をアルトをフィーチャーしてストレートな演奏をしたかと思えば、エレキトランペットを前面に出したドンエリスオーケストラのようなサウンドも聴かせてくれる。
最初は、リハーサルオーケストラからスタートしたサド・メルのオーケストラも、いつの間にか世界を渡り歩くレギュラーオーケストラになっていた。
サド・ジョーンズもどこか拠点を定めて、ゆっくり地に足がついた活動をしたかったのかもしれない。

1. Tip Toe
2. Kids Are Pretty People
3. New York City
4. Ebbe Skammelson
5. Day Dream
6. Dancing Girls

Thad Jones (cor.,Leader)
Jesper Thilo (as,ss,cl,fl)
Per Carsten Petersen (as,ss,fl)
Bent Jedig (ts,fl)
Uffe Karskov (ts,as,fl,cl)
Flemming Madsen (bs,cl,bcl)
Benny Rosenfeld (tp,flh)
Palle Bolvig (tp,flh)
Idrees Sulieman (tp.flh)
Allan Botschinsky (tp.flh)
Perry Knudsen (tp,flh)
Vincent Nilsson (tb)
Erling Kroner(tb)
Richard Boone (tb)
Ole Kurt Jensen (btb)
Alex Windfield (btb & tuba)
Ole Kock Hansen (Fender Rohdes,p)
Bo Sylven (g)
Niels Henning Ersted Pedersen (b,elb)
Bjarne Rostvold (ds)
Ethan Weisgard (conga)

Recorded live at Jazzhus Monmartre, Copenhagen, March 21 & 22,1978
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サド・メルのメンバーが主役を讃えて・・・・

2008-05-19 | PEPPER ADAMS
Muses for Richard Davis

サド・メルのメンバー達は、スタジオワークをやっていたミュージシャンが多い。普段はバックオーケストラの一員として色々なセッションに顔を出していたが、時にオーケストラ以外にも彼らが集まって自分達のアルバム作りをしていた。
今回の、アルバムのリーダーはリチャードデイビス。
活動歴は長い。50年代はサラボーンのバックが長かった。”At kelly’s“, “After Hours at the London House”といったサラの名盤のベースは皆このリチャードデイビスが担当していた。60年代に入ってからはエリックドルフィーのグループにも参加。クラシックのオーケストラにも籍を置いたことがある。他にもデイビスの参加したストレートなジャズのアルバムは非常に多い。ところが、彼のリーダーアルバムは全く見当たらない。確かにベースがリーダーを努めることは少ないのだが、デイビスのベースが裏方に徹していたかというとそうでもない。

デイビスが前面に出た自分にとって一番身近なアルバムは、エルビンジョーンズとの“Heavy Sounds”。当時、ジャズ喫茶でよくかかっていたアルバムだ。
この頃のデイビスはサド・メルのレギュラーメンバーとして加わって活躍していた時期だ。
実は、自分はサド・メルの初来日の時デイビスのベースの凄さを知った。デイビスのプレーを目の当たりにして、それまでのベースのイメージを遥かに超えた迫力、そして大きなベースをあたかもギターのように扱うテクニック、そして他のプレーヤーとのコラボレーションの仕方に驚嘆したのを、つい昨日の出来事のように鮮明に記憶が残っている。自分がジャズを聴いてきた中である種の幼児体験のようなものだ。ロ-ランドハナのピアノとこのデイビスのベースの絡みの素晴らしさを超えた演奏に、そうそう簡単に巡り合えるものではなかった。

このアルバムは、ヘビーサウンズの翌年の69年の録音。リチャードデイビスの初のリーダーアルバムといってもいいであろう。
主役のデイビスのベースの周りに駆けつけたのはサド・メルのメンバー達、その中にはジェリーダジオンの姿もあった。彼もリーダーアルバムがほとんど無いが、デイビスの初リーダーアルバムに自作の曲を携えて参集した。そしてフレディーハバート、ドラムのルイスヘイズが駆けつけている。曲によってセプテットの大型コンボ編成からデュオまで。
曲毎に編成を変えてデイビスのベースを引き立たせている。デュオの相手を務めたハナとハバードの掛け合いも秀逸だが、毎週サド・メルので一緒にプレーをしているメンバーとのモダンなアンサンブルも聴き所が多い。
そしてこのアルバムはMPSが原盤。ヨーロッパ調の素晴らしい音も特筆に価する。

1. Milk Train                Knepper 6:03
2. A Child Is Born            Jones 5:00
3. Softly, As in a Morning Sunrise  Hammerstein, Romberg 9:25
4. What Is It?               Adams 7:00
5. Muses for Richard Davis       Hanna 5:00
6. Toe Tail Moon             Dodgion 4:55

Freddie Hubbard (tp)
Jimmy Knepper (tb)
Jerry Dodgion (as)
Pepper Adams (bs)
Eddie Daniels (ts)
Sir Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Louis Hayes (ds)

Rolf Donner Engineer
Recorded in 1969
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Concordにも東海岸から新しい流れの波が・・・・・

2008-05-18 | CONCORD
EveryThing I Love / The James Williams Quartet

Conordの初期のアルバムのほとんどをプロデュースしたのは、オーナーのカールジェファーソン。自らの趣味が嵩じてできたレーベルなので、当然ジェファーソンの好みのアルバム作りが行われた。
しかし、カタログの枚数も大分増えてくると、他のプロデューサーの手によるアルバムも徐々に出現してきた。そのプロデューサーの一人がフランク・ドリティーだ。これまですでに、アートブレイキーケニーバレルといったベテラン勢に加えて、クレイトンブラザースといった新人の発掘し、あるいはハミルトンとテイトの共演などもプロデュースしていた。

ドリティーのコンセプトの基本は、それまでのアルバムを聴く限りはハードバップに根ざしたジャズだ。もちろんジェファーソンの路線は引き継いでいるものの、より主流派そのものの当時の演奏にもこだわりを持っていたようである。
その中の一枚、ブレイキーのグループのライブに加わっていたのが、ピアノのジェームス・ウィリアムスだった。メッセンジャース出身のスタープレーヤーは50年代から枚挙の遑がない。ウディーハーマンのビッグバンド同様、ブレイキーのジャズメッセンジャーズもいつの時代でも新人の登竜門になっていた。ブレイキーのお眼鏡にかなったウィリアムスは、その後着々と頭角を現してきた。早速、ジャズメッセンジャーズの一員ではなく、ドリティーのプロデュースにより、ウィリアムスのリーダーアルバムが制作された。

いつもの西海岸のセッションとは異なり、場所はボストンに程近いロードアイランド。何故この地が選ばれたのかは分からないが、ウィリアムスの活動の拠点も東海岸だったのかもしれない。三々五々メンバーが集まったが、ドラムのビリーハートが飛行機の乗り継ぎが遅れて到着が遅れた。先に到着していたウィリアムスは、ピアノに向かってウォーミングアップをかねてソロで何曲を始めた。
たまたまテープが回っていて、その模様が記録されていた。このアルバムに収められている、“My One And Only Love”はその内の一曲だ。時々、録音のときテープが回っていたために、想定外の思わぬセッションが残されている。あのエバンスのアンダーカレントの、マイファニーバレンタインもそのような経緯で生まれたといわれている。
このアルバムでも、そのソロがアルバムの中で一曲だけウィリアムスの違った側面を見せてくれている。
サックスのビルピアースの加わったセッションは、主流派の「直球ど真ん中」の演奏だ。モダンなサウンド、そして歯切れのよいリズム、ハードバップの伝統を引き継ぎながらも、20年の年月を経た新しい時代を感じさせる演奏だ。Concordレーベルの品揃えも一段と充実していった。

1. That’s All
2. My One And Only Love
3. Everything I Love
4. For My Nephews
5. It Could Happen To You
6. Dedicated To You
7. Thoughts
8. Please Send Me Someone To Love

James Williams (p)
Bill Pierce (ts,as)
Dennis Irwin (b)
Bily Hart (ds)

Recorded at Normandy Sound,Warren,R.I. April 1979
Produced by Frank Dorritie
Originally released on Concord CJ-104
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歌を唄うジャズプレーヤーがいれば、・・・・・楽器をプレーするジャズ歌手も

2008-05-17 | MY FAVORITE ALBUM
Four Freshmen and 5 Trombones

ロックの世界は楽器を弾きながら歌を唄うのがあたりまえ。ところがジャズの世界はヴォーカルとインストルメントの役割分担が普通だ。弾き語りはピアノやギターの場合はよくあるが、他の楽器ではあまりない。一人ならまだしも、グループ全員で演奏も歌もこなすとなるとそうはない。その代表格はやはりフォーフレッシュメンだろう。
スタンケントンに見出されたのは1951年のことであった。丁度ジャズの世界はバップが活況を呈していた時だ。
コーラスグループの歴史もジャズの歴史と同時進行で変化をしていたようだが、フォーフレッシュメンのような白人グループの洗練されたグループといえば、メルトーメの作ったメルトーンズ。そして、ソロシンガーとして有名になったジョースタッフォードが属した「パイドパイパース」などが代表格だろう。バップの影響がジャズの世界に与える影響が大きくなるにつれて、スイングバンドと一緒に育ったコーラスグループは解散して行った。その中で、新しい波を起こしたのはジャッキー・アンド・ロイなどのバップコーラスのグループだった。
そのような中で、フォーフレッシュメンは白人らしさを前面に出した新しい感覚の路線を作り出した。ある種、ウェストコーストジャズの色合いに似ていて、彼らを世に出したスタンケントンオーケストラのサウンドとも共通点がある。
オープンハーモニーを多用したヴォイシングは心地よいものだ。泥臭い黒人色の強いコーラスも魅力的だが、その反対の極に位置付けられる洗練された彼らのコーラスも実に新鮮だ。このサウンドは、ハイローズに引き継がれ、ポピュラーの世界ではビーチボーイズのボイシングにつながるものだ。

このフォーフレッッシュメンの初期の代表作といえば、やはりこのアルバムだろう。トロンボーンの音色は人の声に近いが、コーラスとそのトロンボーンのアンサンブルの対話がこのアルバムの企画の売りであり、その結果がコーラスのバックにコーラスを付けた様な、コーラスと演奏の実に絶妙調和につながったということだろう。美味しい料理も素材の組み合わせで決まる。そして、様々な組み合わせの可能性の中から皆が好む絶妙な組み合わせが決まり、自然にポピュラーなものとして残る。
フォーフレッシュメンは自らが楽器を演奏することもあり、バックのバンドとの組み合わせというのもそれまではそれほど無かったであろう。そのような中で、意表をついて5本のトロンボーンとの組み合わせを実現したのは企画勝ちだ。何事でもそうであるが、最初の企画者が素晴らしい。
アレンジをしたのはケントンオーケストラに編曲を提供したピートルゴロ。そして名手フランクロソリーノを筆頭とするトロンボーンセクション、クロードウィリアムソンやシェリーマンなどバックのミュージシャン達は、スタンケントンオーケストラのOBを中心とするウェストコースト派の代表格の面々。
相性のよいものを掛け合わせたのだから悪い結果が出るわけが無い。偶然というより、必然でうまれた名盤というのはこのようなアルバムのことを言うのであろう。

1. Angel Eyes             Brent, Dennis 3:33
2. Love Is Just Around the Corner   Gensler, Robin 2:02
3. Mam'selle              Gordon, Goulding 3:04
4. Speak Low              Nash, Weill 3:07
5. The Last Time I Saw Paris      Hammerstein, Kern 2:41
6. Somebody Loves Me          DeSylva, Gershwin, MacDonald 2:08
7. You Stepped Out of a Dream     Brown, Kahn 2:19
8. I Remember You           Mercer, Schertzinger 3:12
9. Love                Blane, Martin 2:45
10. Love Is Here to Stay        Gershwin, Gershwin 3:13
11. You Made Me Love You        McCarthy, Monaco 2:15
12. Guilty               Akst, Kahn, Whiting 3:32

Four Freshmen
 Ross Barbour
 Bob Franigan
 Ken Errair
 Don Barbour
Tommy Pederson (tb)
George Roberts (tb)
Frank Rosolino (tb)
Milt Bernhart (tb)
Harry Betts Jr.(tb)
Claude Williamson (p)
Barney Kessel (g)
Joe Mondragon (b)
Shelly Manne (ds)

Arranged by Pete Rugolo


Recorded in 1955
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サド・メルのメンバーの動向は色々気になるが・・・・ダジオンは元気に活躍していた

2008-05-16 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Jerry Dodgion & The Joy Of Sax Featuring Frank Wess

色々好みはあるが、「自分の一番好きなグループは?」と聞かれれば、やはりサド・メルのオーケストラだ。何といっても初来日時のライブの生体験が強烈だったし、それが自分のジャズ、特にビッグバンドに深入りした原点だ。当然、サド・メル自体の演奏も初アルバムからサド・ジョーンズがバンドを離れた78年まで、さらにはその後のメルルイスオーケストラまで追いかけた。さらにオーケストラ以外でも、リーダーの2人だけでなく、サド・メルオーケストラに加わったメンバーの動向も気になるものだ。
特に後半はメンバーの出入りが多く、創設メンバーからほぼ最後まで在籍した数えるほどのメンバーの一人がジェリー・ダジオンだ。2人のリーダーを含めて、バンドのメンバー大分この世にいなくなったが、このジェリー・ダジオンはまだまだ健在なようだ。
リーダーアルバムが少ないと(いうよりもこのアルバム以外自分は知らなかったが、ライナーノーツを見るとこれがダジオンの初リーダーアルバムとのこと)セションプレーヤーだが、Concordのマリアン・マクパートランドのアルバムにはメインのソリストとして参加して、ストレートな綺麗な音色のアルトを聴かせてくれた。といっても、このアルバムも30年前のアルバム。最近の動向は?といっても、時々オーケストラに参加しているメンバーにダジオンの名前を見かけたが、ソロ活動についてはほとんど何の活動状況も聞こえてこなかった。健在であることを知るだけでも嬉しいことだが、昨年久々に新しいアルバムを出したのがこのアルバムだ。
ダジオンをリーダーとする“The Joy of Sax”というこのグループ、レギュラーグループかどうか分からないが、アルト2本、テナー2本、それにバリトンが加わった、通常のビックバンドのサックスセクションの標準編成から成るサックスアンサンブルグループだ。
ダジオンは自らの演奏歴を振り返り、ビッグバンドの演奏のクオリティーの良さは、優秀なサックスのソリストがいるのと同等にサックスセクションの腕前と出来次第との持論を説いている。多くのポピュラー音楽のセッションワークに参加し続けて、ダジオンは「最近のサックスセクション」は今のリスナーに対して、サックスの本来の良さを伝えきれていないと続けている。そして、自分の経験を踏まえて、このサックスの良さであり楽しみを伝えたいというのが、このアルバムが生まれた経緯だそうだ。
この編成だとすぐにスーパーサックスを思い浮かべてしまうが、スーパーサックスのようなゴリゴリのスイング感と、ソリのダイナミズムを売りにするというのではない。昔のウェストコースト風のサウンドであり、時には室内楽的な響きのするアンサンブルワークのグループだ。グループのサウンド自体が、何となく控えめだが確実にセッションワークをこなすダジオン自身のイメージにも近い。決してノスタルジックな面を強調することなく、新しさや斬新性に媚びることなく、「今という時点」でサックスの良さをストレートに前面に出すとこのサウンドになるのであろう。この真正面からの取り組みが妙に新鮮だ。時代と作風は違っても彼が長く仕えたサド・ジョーンズのオーケストラに対する向き合いと基本的には同じようにも感じる。
曲の選曲は、ダジオン自らの演奏歴や交友関係の中で思い出深い曲が選ばれている。
そして、このサウンドを生み出す肝心なアレンジも、ダジオン自らの手になるものもあれば、友人でもあるウッズやセッションに加わったフランクウェスのアレンジなどをも加えている、メンバーはフランクウェスを除けば有名プレーヤーはいない。といっても、最近のプレーヤーを知らないのでもしかしたら誰か・・・・がいるかも?今のジャズ界の事情は断片的にしか知らないが、久々にベテランの懐古趣味ではない、真摯に前向きに取り組んだアルバムを聴いて嬉しくなった。

1. Quill
2. Skyline Waltz
3. Love And Smiles
4. Slow Motion Strut
5. The Magical Lizard
6. Paris Blues
7. Cotton Tail
8. Thaddeus
9. Simone
10. Brown Penny

Jerry Dogion (as,ss)
Frank Wess (ts)
Brad Leali (as)
Dan Block (ts,as)
Jay Brandford (bs)
Mike Le Donne (p)
Dennis Irwin (b)
Joe Fransworth (ds)

Recorded August 25,October 2, 2003
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能ある鷹は爪を隠す・・・といわれるが。

2008-05-15 | MY FAVORITE ALBUM
The Voice Is Rich / Buddy Rich Sings with His Orchestra

ウディーハーマンのオーケストラはいつの時代にも若手中心のメンバーで、元気一杯、新しい物へチャレンジしてきた。常に先頭に立ってバンドを引っ張ってきたウディーハーマンの頑張りには感服する。もちろん演奏だけでなく、ビッグバンドを維持するとなると、お金を含めたマネジメントも大変だ。ハーマンも色々苦労をしたようだ。
そんな気苦労が増えるからという訳でもないと思うが、バンドリーダーになると自らプレーしなくなることも多い。ところがハーマンはセッションワークに参加するだけではなく、自らのクラリネットやアルトをフィーチャーした曲を必ずレパートリーには加えていたし、時には唄まで披露していた。もっとも、このソロや歌は名演、名唱というには程遠いものが大部分。マルチタレント振りを披露したがる目立ちたがり屋だったのかもしれない。

唄を歌うジャズプレーヤーは多い。ナットキングコールやサッチモなどは、晩年は楽器よりも歌中心になってしまった。ピアノの名手ピーターソンの歌も有名だが、ドラムの名手バディーリッチも歌アルバムを何枚か出している。
ドラムでは派手なプレーを繰り広げるリッチであるが、歌の場合はいささか控えめだ。ドラムのように強烈なドライブ感でグイグイ引っ張っていくというよりは軽快にといった感じだが、スローでもアップテンポでも根っから身についているのスイング感は変わらない。少し高い声色で、朗々と歌うというよりは軽いノリで粋に歌うタイプだ。ダイナミックなドラムがリッチの売りだが、軽妙のブラッシュワークが似合う歌のスタイルだ。
ハーマンのように一曲だけ唄うのであれば余興の内だが、アルバム一枚作り通すとなるとこれは立派に一人前の歌手の仲間入り。長く在団したハリージェームスオーケストラでは、ヴォーカルは別契約にしてくれまで主張するほどの自信があったとか。ヒット曲でも出してしまったら、このまま歌手の道を選択してしまったかもしれない。歌以外にも色々才能を持っていたかもしれないが、最後はビッグバンドドラム一本にかけたのが結果的にリッチの名声を確立し後に残すことができた。ドラムを捨てて歌手になったリッチより、ビッグバンドを率いるリッチの方が魅力は100倍だ。
反対にドラムを諦めて歌手に専念したのがメルトーメ。彼の場合はドラムに未練があるのか、ステージではけっこうきまったドラミングを披露することもある。
マルチタレントがもてはやされる時代ではあるが、一芸に秀でた者は他の才能はあまりひけらかさない方が、巨人としての尊厳さが保たれるような気がする。

1. Down The Old Ox Road
2. Born To Be Blue
3. I’ve Heard That Song Before
4. I Want A Little Girl
5. I Can’t Give You Anything But Love
6. You’ve Changed
7. Me And My Shadow
8. When The World Was Young
9. It’s Been A Long,Long,Time
10. I Don’t Want To Walk Without You
11. Back In Your Own Backyard

Buddy Rich (vocals)
Vocal Arrangements and Orchestrations by Phil Moore
Produced By Jack Tracy

Recorded in N.Y. 1956
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お蔵入りの演奏はライブ物が多い・・

2008-05-14 | MY FAVORITE ALBUM
JIVE HOOT / WOODY HERMAN & THE HERD

ジャズのライブを収録したアルバムは多いが、そのステージの全貌を収めたものはあまりない。せっかくだから、内容の良し悪しに関わらずステージをすべて再現してくくれればいいのにと思うのだが。当然LP時代は収録時間に制約があったため、それに収まるように編集されている。もちろんのその日の出来不出来でカットされた曲もあるであろう。ライブはひとつの記録なので単なるアルバム作りとは違うことが多い。CDになってからは未収録曲を収めた再発物が多いが、それ故ライブ物の再発は特に食指が動かされることが多い。

もちろんLP時代にも、過去の名演のセッションの未発売曲を集めたアルバムが発売された。一度発売された幻の名盤とは異なり、倉庫の中で陽の目をみることのなかった未発表曲のリリースは興味津々だった。特に好きなプレーヤーの場合は。
このアルバムもそのような一枚だ。特に名盤という訳でもなし、名演というものではないが印象に残っているアルバムだ。
60年代の後半、一時沈滞気味だったBig bandが息を吹き返した頃だ。

サド・メルの登場に続き、バディーリッチ、デュークピアソンなど、新旧の名プレーヤー達が次々に新たにビッグバンドを編成した。そのような中、御三家ともいえるオーケストラ、ベイシー、エリントンそれにこのウディーハーマンも息を吹き返した頃だ。
ファーストハードの頃からサックスセクションが売りであった。サルニスティコ、後にバディーリッチのオーケストラを引き継ぐスティーブマーカスなどがこの頃のハーマンオーケストラを支えた。ブラスセクションも昔からなかなか捨てたものではない。特に、70年代に入ってブラスロック路線にはブラスセクションが不可欠だが、そのスターとなったビルチェイスもこの頃のハーマンオーケストラのメンバーだった。

このアルバムは、ハーマンオーケストラが西海岸の有名クラブに出演したときのライブ演奏。以前、“WOODY LIVE EAST AND WEST”というアルバムで紹介された“Basin Street West”でのライブの演奏の残りの曲が中心だ。
ハーマンオーケストラの十八番の曲に加えて、サイドワインダーとかウォーターメロンマンといった当時のヒット曲もやっているのも、当時のビッグバンドの置かれていた状況かも。サイドワインダーではハーマンの歌も加わっているがこれはいつものとおり愛嬌というもの。
さらに、チャーリーバードをフィーチャーしたシングル用に録音した2曲も加えられている。ハイノートが売りのビルチェイスが“I Can’t Get Started”では絶妙のバラードプレーを見せる。というような、残り物を集めた徳用パックのようなアルバムであるがファンにとっては楽しめるアルバムだ。

1. The Duck
2. I Can’t Get Started
3. Hallelujah Time
4. The Black Opal
5. Satin Doll
6. Sidewinder
7. Jazz Hoot
8. Sumptuous
9. Watermelon Man
10. Boopsie
11. Great Sack Blues

<Personnel>

《2,3,5,7,9,11》
Woody Herman(cl,as,ss)
Gary Klein, Sal Nistico, Andy McGhee(ts)
Tom Anastas (bs)
Bill Chase, Gerry Lamy, Bob Shew, Don Rader, Dusko Goykovich (tp)
Don Doane, Frank Tesinsky, Henry Southhall (tb)
Nat Pierce (p)
Tony Leonardi (b)
Ronnie Zito (ds)

Recorded on June 29,1965 “Basin Street West”

《4,8》
 Same personnel as in San Francisco
Recorded on October 8, 1965 in New York

《6》
Same personnel as in San Francisco
Recorded on July 7, 1966 in New York

《1,10》
Woody Herman(cl,as)
Al Gibbons,Steve Mercus, Bob Pierson (ts)
Joe Temperly (bs)
Loydo Michaels, Lynn Biviano, Dick Ruedebusch, Bill Byrne, John Crews (tp)
Jim Foy, Mel Wanzo, Bill Watrous (tb)
Mike Aiterman (p)
Bob Daugherly (b)
Ronnie Zito (ds)
Featuring Charlie Byrd (g)

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1964年・東京でのマイルスは・・・・

2008-05-13 | MY FAVORITE ALBUM
Miles In Tokyo / Miles Davis Live in Concert

何事も、起こった後から「ああだこうだ」と理屈をつけ、「理由もどき」を語るのは容易だ。今起こっていることの本質が何であるかを正確に把握し、それがどうなっていくかを予測するのはそう簡単なことではない。
現代社会は「技術オリエンティッド」な社会だ。技術に長けた人間であれば、技術予測はある程度可能である。しかし、その技術を使った機能、さらにサービスとなると、それが世に出てもそう簡単には世の中が動いたり変わったりはしない。人間はもっと気まぐれであり、ずぼらであり、自由なものだ。習慣化するには時間がかかる。人の行動なり習慣を予測するのが難しいのはそこにある。
しかし、一度習慣化すると恐ろしいほど急速に広まる。いつのまにか日常生活の中で、技術が生み出した「物」であり「サービス」無しには生きていけない世の中になってしまった。インターネットであり、携帯電話であり、最近では電子マネーも。コンビニも実は技術のかたまりで運営されている。
ということは、日々の生活がテクノロジーに大きく依存し、さらにその進化に合わせて人間が生きていかなければならない社会になってしまった。となると、これは人類の長い歴史の中でこれまで経験したことの無い一大事だ。

いつの間にか食料の自給自足ができなくなり、お互い助け合って生きてきた集落が無くなってきただけでなく、本来一人一人が持っていた人間に基本的に備わっている素晴らしい能力も使われなくなりつつある。使われない機能は退化する。これは生物の長い歴史を見れば明らかだ。技術の進化により便利になったと喜んでいるが、実は人間が自然の中で生きている能力をどんどん失わせているような気がしてならない。
最近、常識を逸するような殺人事件が頻発している。きっとこれは、現在社会に生きていけない人間が、溜まったストレスの限界を超えた時に起こる一つの事象ではないだろうか。これが、大きな変化のまだまだ序の口の出来事と思うと怖いことだ。
これからの10年位の変化が次の時代への大きな節目のような気がしてならない。こんな時こそ、本来、人間の知恵が必要なのだが。

日本の戦後の高度成長の次の時代への大きな転換の節目が東京オリンピックだった。
新幹線や高速道路が誕生したのもこの年だ。でも、その時、今の世の中を想像できたであろうか。まだジャンボジェットも無ければ、コンピューターも無い時代だった。携帯電話はもちろん電子マネーも無い時代だった。

この年、有名なジャズプレーヤーが大挙して来日したが、その中にマイルスデイビスもいた。
常に変化し続けたマイルスデイビスにとって、1964年はどんな状況だったのか。
ハンコック、カーター、トニーウィリアムスの第2期の黄金トリオが編成されたのが、前年の63年。64年はこのメンバーでツアーを積極的に行っていた。アメリカ国内だけでなく、7月には日本に、そして秋にはヨーロッパへ。
各地でそれぞれ後に名盤といわれるライブの演奏が残されている。この間テナー奏者だけが代っていく。日本に来たのはサムリバース。たった2ヶ月間の在籍だった。
そして、この年はスタジオ作品はひとつも無かった。それまでのマイルスの長い活動暦の中でも始めてだったらしい。秋のヨーロッパツアーに加わったウェインショーターを含めたスタジオ録音が行われたのが翌年の1月になってからだ。

マイルスにとってこの一年は、それまでの集大成をハンコック、カーター、ウィリアムスのトリオでやること。そして次のステップへ向けて、新たなテナー探しと一緒に変化をしていくパートナーを探していたのだろう。
これも、後から事実をつなげてみれば憶測はつく。しかし、その時点で、その先マイルスがどのように変化していくかを予測できた人はいたであろうか?
人の創造力から生み出されるものは、他人には想像できないものだ。その時はたしてマイルスは何を考えていたのだろうか?自叙伝を読んでみることにしよう。

このアルバムは、いソノてるヲのMCではじまるコンサート。正真正銘日本でのライブ。当時のファンはマイルスをどのように迎えたのだろう。ジャズは聴衆の反応で演奏も変わるとよく言われる。曲はこの頃のマイルスのライブの定番ばかり。同じ曲でも、マイルスの演奏は微妙に変化する。研究家はきっとこの頃のライブの違いを事細かく比較していることであろう。でもその違いが何故生まれたのか、それはマイルスと一緒に演奏していたメンバーにしか分からないい。さらに、その演奏から10年後のマイルスの姿を想像もできない。人間の想像力とは素晴らしいものだ。

このマイルスクインテットのサウンド。どの演奏を聴いても、聴いただけでマイルスと分かるワンアンドオンリーの演奏だ。いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかの次元を超えた素晴らしい演奏だ。音楽を聴くとき位、理屈を忘れて素直に楽しめればそれでいい。それだけで、きっと日々の生活に必要な何かが補給されているのだろう。
それにしても、この時の生の演奏を聴けなかったのが残念でならない。きっともっと強烈な印象がいつまでも記憶の中に留まったことであろう。

1. Introduction/If I Were a Bell       Loesser 11:30
2. My Funny Valentine          Hart, Rodgers 12:53
3. So What                Davis 8:07
4. Walkin'                Carpenter 9:19
5. All of You               Porter 12:40
6. The Theme              Davis

Miles Davis (tp)
Sam Rivers (ts)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Tony Williams (d)

Recorded live at 'Sekai Jazz Festival', "Koseinenkin Kaikan", Tokyo, Japan, July 14, 1964

Miles in Tokyo
Miles Davis
Sony Jazz

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息子と共に故郷へ凱旋・・・・

2008-05-12 | CONCORD
Back Home / Dave Brubeck Quartet

このアルバムのタイトル“Back Home”には意味がある。主役のデイブ・ブルーベック、実はConcordレーベルの本拠地であるConcordの町の出身だ。
ポールデスモンドを加えたグループの”Take Five”のヒットで全国に、いや世界中に。それもジャズファン以外にも知られるようになった有名人となったのは20年前。新しいグループで、晴れて故郷に錦を飾った。
凱旋した場所は、「1979年のコンコルドジャズフェスティバルの最終ステージ」、トリを努めたという訳だ。

盟友デスモンドがグループを去った後は、ジェリーマリガンを加えたグループを率いていた。このグループでしばらく活動していた後、一時デスモンドと再会したが。この凱旋コンサートを行う前は、自分の息子を加えたグループで活動していた。
このステージも自分の息子のクリスに、ベイシーのオーケストラで有名なドラムのブッチーマイルス、それにサックスの新人“Jerry Bergonzi”を加えたニューカルテットで凱旋を果たした。

このバーゴンジー(という読みでいいのかは?)がブルーベックのグループに加わったのは74年頃に一度あったが、このフェスティバルの直前に再加入した。デスモンドやマリガンとは違ってコルトレーン派の若手。ステージが始まると同時に、いきなり豪快なテナーを聴かせてくれる。圧巻だ。
この後、バーゴンジーはブルーベックのグループに数年加わった後は、彼も故郷のボストンに戻って、今も元気に活躍をしているようだ。生憎自分は最近のアルバムをほとんど聴かないせいもあり、残念ながら彼の最近の作品は聴いたことがない。

クラシックの影響を色濃く受けたブルーベックのピアノはスイングしないといわれることもある。しかし、ブルーベックのグループは、ジョーモレロ、アランドウソン、そして、このアルバムのブッチーマイルスと、実に歯切れの良いドラマーをいつも使っている。このリズムに乗って、ブルーベックのピアノはアップテンポでもスローでも実に歯切れが良い。これがブルーベックの解釈による「スイング」なのだろう。スローな「ホームタウンブルース」でも、エンディングのお馴染みの「キャラバン」でも、ブルーベックならではの独自な世界を作り出している。
デスモンドやマリガンとは色合いの違うバーゴンジーのサックスを加えて新境地を切り開いたアルバムだ。
ブルーベックもこの凱旋を期にConcordの所属となる。
プロデューサーはいつものジェファーソンではなく、Russell Gloyd & Chris Brubeck。まだまだ現役のブルーベックには、カムバック仕掛け人のジェファーソンは出番が無かったのか。

1. Cassandra             Brubeck 5:24
2. The Masquerade Is Over    Magidson, Wrubel 8:13
3. Hometown Blues         Brubeck 7:31
4. Yesterdays            Harbach, Kern 7:49
5. Two-Part Contention     Brubeck 6:08
6. Caravan             Ellington, Mills, Tizol 4:04

Produced by Russell Gloyd & Chris Brubeck

Jerry Bergonzi (ts,.elb)
Chris Brubeck (tb,elb)
Dave Brubeck (p)
Butch Miles (ds)

Recoeded live at the Concord Jazz Festival, August 21,1979
Originally released on Concord CJ-103

Back Home
Dave Brubeck Quartet
Concord Jazz

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レイブラウンがピーターソンの元を離れたのは・・・・・?

2008-05-11 | MY FAVORITE ALBUM
Girl Talk / Oscar Peterson Trio

レイブラウンのベースに「ピーターソンライクなピアノ」を聴いたら、本家、ピーターソンが聴きたくなった。もちろん、Verve時代の作品は沢山あるが今回は・・・。

自分が、ジャズを聴き始めたのが1963年頃。翌年の1964年にはスイングジャーナルを毎月読み出したが、初めて買った号の表紙がカーメンマクレーだったのを覚えている。その年はオリンピックの年だったがいわゆる外タレラッシュ。有名ジャズメンも多数来日した年だ。
当時中学生だったので、もちろんそのコンサートに行くこともなく、ジャズを聴くのはもっぱらラジオの番組が頼り。それ以前にジャズの歴史も、誰が有名かも分からなかったので、暗中模索で聴いていた。
後で振り返るとその頃に、夢のような大スター達が来日している。その時代にタイムススリップできるのであれば戻ってみたいものだ。

オスカーピーターソンは翌年65年にも来日しているが、その時同行したレイブラウンとの共演がレギュラーコンビとして演奏の最後といわれている。
この年には、キングコールに捧げたピーターソンの歌が聴ける“With Respect To Nat”が録音されているが、この頃がブラウンとの別れの時期であり、不動のメンバーが入れ替わった時だ。

当時の所属先のライムライトとは別に、MPSから後に発売されたドイツでの私的な録音が行われたのもこの頃だが、丁度レイブラウンがいた時期とサムジョーンズに代わってからにかけての時期に重なっている。ドラムを含めてセッションによってメンバーが頻繁に入れ替っている。

MPS時代のピーターソンは、何と言ってもハローハービーがベストだが、初期のトリオだとこのアルバムが好きだ。
というか、タイトル曲の「ガールトーク」が好きな曲のひとつだ。
作曲はニールへフティー。あのベイシーのアルバムで有名なキュートリルダーリンに通じる「可愛い」曲だ。

このアルバムはまさにメンバーの組み合わせが色々だ。ブラウンのベースが聴けるのはロビンズネストとメドレーだけ。ドラムはすでにシグペンからルイスへイズに変わっている。一つの時代を築いたピーターソン&ブラウンのコンビの最後の年の演奏だと思うと余計印象深いアルバムだ。

アットホームな雰囲気の中でリラックスした演奏が繰り広げられる。特に、”I’m in the mood for love”は16分にも及ぶ演奏。アップテンポではないが、よほど興がのったのだろうJATP物ではなく、ピーターソンのトリオでこのような長尺の演奏は珍しい。

1. On A Clear Day
2. I'm In The Mood For Love
3. Girl Talk
4. Medley: I Concentrate On You / Moon River
5. Robbins' Nest

Oscar Peterson (p)
Ray Brown (b)
Louis Hayes (d)

Sam Jones (b)
Bobby Durham (d)

Recorded at Hans Georg Brunner-Schwer Studio, Villingen, West Germany
late 1965, November,1966, November, 1967

Exclusively for My Friends, Vol. 2: Girl Talk
Oscar Peterson
Verve

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レイブラウンのベースにはよくスイングするピアノがお似合いだ。

2008-05-10 | CONCORD
Live at the Concord Jazz Festival – 1979 / Ray Brown Trio

朝から雨が降り続く肌寒い日。たまたま今日は外出予定はなし。一日散らかったものの整理に潰してしまったが、反対にこんな一日がたまにはないと。
さて、Concordの棚卸しも第2ラウンドに入った。70年代の最後の年、同時進行で聴いていた頃だ。

レイブラウンというと、どうしてもピーターソントリオの印象が強烈だ。ピーターソントリオを辞めてからは、ブラウンのプレーはスタジオワークを含めて色々なセッションで聴けるが、どうしてもピアノトリオでのプレーが気になる。
同じ楽器を弾いていても、どうしてあのような図太い音が出るのだろう。その音で確実にリズムを刻むかと思えば、あの大きなベースを軽やかに操りながら繊細なフレーズを次々と繰り出してくる。このブラウンのべースをバックにすれば、自ずと他のメンバーもスイングしてくるのではなかろうか?
このアルバムも、ライブというリラックスした雰囲気の中、そんな演奏が楽しめる一枚だ。

1979年の7月にConcordのメンバー達は、スイスのモントルージャズフェスティバルに遠征した。レイブラウンはその時LA4のメンバーとして参加。その模様は、前作の“Live At Montreux Jazz Festival / LA4”で聴くことができる。
帰国したブラウンは、ドラムのジェフハミルトンと一緒に8月に今度は地元Concord Jazz Festivalに参加した。ピアノにはモンティーアレキサンダーが加わったトリオに、ゲストとしてヴォーカルのアネスティンアンダーソンが加わった。
ジェフハミルトンとモンティーは一緒にやっていたし、そしてレイブラウンとモンティーもミルトジャクソンと一緒にプレーした仲なので3人の息はピッタリ合っている。アルバムタイトルはレイブランとはなっているが、モンティーアレキサンダートリオのConcord初舞台といってもいいかもしれない。
モンティーはジャマイカ出身、1944年生まれなのでこの年35歳。若手というより中堅になっていった頃だ。確かに60年代から活躍していたし、70年代に入ってからはMPSからアルバムも出していたので、すでにベテランの域といってもいいかもしれない。
いわゆる「ピーターソン」ライクの、よくスイングするピアノはブラウンとのコンビは適役だ。

ステージでいきなり始まるのは、ドーハムの名曲ブルーボッサ。このトリオの雰囲気にピッタリだ。続く曲もボサノバが続く。アレキサンダーのピアノのスタイルはピーターソン譲りだが、どこか出身のジャマイカの血が流れているのだろう。このような、ラテン調では彼の真骨頂が発揮される。
B面に移ると、アンダーソンのボーカルが加わる。アレキサンダーもアメリカに来た直後は歌伴の仕事が多かったとか。彼のピアノはスイングするタイプの歌手のバックにも良く合う。

このライブに相前後して、スタジオ録音でアレキサンダーはリーダーアルバムを制作しConcordにデビューし、その後何枚ものアルバムを残した。Concordの中核プレーヤーの一人になる。

1. Blue Bossa              Dorham 4:55
2. Bossa Nova Do Marilla       Evans 4:17
3. Manha de Carnaval         Bonfa, Maria 6:47
4. St. Louis Blues           Handy 4:45
5. Fly Me to the Moon        Howard 4:01
6. Georgia on My Mind        Carmichael, Gorrell 6:13
7. Here's That Rainy Day       Burke, VanHeusen 5:22
8. Please Send Me Someone to Love  Mayfield 5:52
9. Honeysuckle Rose         Razaf, Waller 5:51

Carl Jefferson Producer

Ernestine Anderson (Vocals)
Monty Alexander (p)
Ray Brown (b)
Jeff Hamilton (ds)

Dennis Staats Engineer

Recorded live the Concord Jazz Festival, August 1979
Originally released on Concord CJ-102

Live at the Concord Jazz Festival
Ray Brown Trio
Concord Records

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お蔵入りの理由にも色々あるが・・・・

2008-05-09 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Paradise / Laurie Allyn

せっかくレコーディングされたものがすべて世に出る訳ではないのは周知の事実だが、その理由にはいくつかある。
ひとつの理由は、LPの収録時間の制約。入りきらないものは未収録曲としてお蔵入りせざるを得なかった。CDの時代になって、この手の未収録曲はbonus Trackとして大分日の目を見るようになってきた。
後は、セッション自体がお蔵入りになってしまったもの。プレーヤー自身の判断もあれば、プロデューサーの判断、そして会社の都合とこれも色々ある。
CDの時代になってこのようなアルバムも大分発掘されてきたが、このアルバムもその一枚。
Modoのメル・ルイスのアルバムを聴いたら、このレーベルにもCD時代になって発掘されたアルバムがあったのを思い出した。それも比較的最近のことだ。
この場合は、録音されたものの会社が倒産してしまって世に出ることが無かったもの。ミュージシャンにとっては何とも可哀想な事態になってしまったものだ。

このModoレーベルの作品はウェストコーストの白人プレーヤーが中心であったが、美人女性ボーカル物も何枚かある。
このLaurie Allynもその一人だが、彼女の場合はせかっくの初録音が、収録直後にModoレーベルが倒産して陽の目を見なかったという不運に見舞われた。この出来事で彼女の人生も大きく変わってしまったようだ。
誰でも自分の一生を左右する岐路はあるものだが、良い事もあれば悪い事もある。これが人生というものだろう。

録音後のプレーバックも聴いていなかった彼女が、この事実をインターネットに載せたところ、Modeレーベルの復刻を行ったVSOPレコードのピーターヤコブソンの目にとまり、倉庫の中からこのアルバムが発掘されたという経緯があったらしい。
何事も諦めずに追求してみるものだ。
このような経緯で2004年になって発売されたアルバムなので、Modoの特徴であるイラストのジャケットデザインではない。



アメリカで発売されたジャケットは大写しの彼女の写真でデザインされていて少し雰囲気が違うが、日本盤はこのままイラスト化したらModeのシリーズにしっくりと溶け込んでしまいそうなデザインだ。Modoのカタログは129までだが、このアルバムにMode130と記されているのはなかなか意味深い。

肝心な彼女の歌はバラード中心で、初録音とは思えないほどの聴き応えのあるものだ。
モードレーベルで音楽監督を務めたマティーペイチがアレンジを担当しているが、モードには珍しく、いつものウェストコーストの腕利きミュージシャンに加えて8曲はストリングスを加えた大編成のバックだ。そして、ドラムはこのアルバムもメルルイス。
曲もペイチが選んだものが大半であったらしいが、十分に練習を積んで臨んだレコーディングは、ほとんどがワンテイクで行われたとのこと。
経済的にも苦しくなって来ていた時に、拡大路線を突っ走っていったのでは倒産も止むを得なかったかもしれない。個人的には一発勝負の大仕掛けは好きな方なので、オーナーの気持ちも分からないではないが。
私的な録音、そして会員への通販と、ステップを踏んでいったConcordとは大違いだ。

1. All I Need Is You     (DeRose, Davis, Parish) 2:23
2. You Go To My Head    (Gillespie, Coots) 4:12
3. Paradise         (Brown, Clifford) 2:51
4. Surrey With The Fringe On Top  (Rogers, Hammerstein) 3:49
5. Easy Living        (Robin, Ranger) 3:44
6. You're So Bad For Me    (Landesman, Wolf) 2:17
7. The More I See You     (Warren, Gordon) 3:23
8. I'll Never Smile Again    (Ruth Lowe) 3:01
9. So In Love         (Cole Porter) 2:30
10. That's What A Woman Is For (Cahn, Bloom) 4:02
11. Where Are You       (Adamson, McHugh) 3:27
12. Take Me In Your Arms   (Markus, Parrish, Rotter) 3:21

<PERSONNEL>
Marty Paich (leader, piano, celeste)
AI Viola (g)
Red Mitchell (b)
Mel Lewis (drums & percussion)
Don Fagerquist, Pete Candoli, Frank Beach, Ed Leddy, Lee Katzma (tp)
Pete Carpenter, Herbier Harper, George Roberts (tb)
Vince DeRosa (French horn)
Felix Slatkin, George Berres, Joe Chassman, Paul Shure, Irma Neumann, Marvin Limonick(violin)
Alex Neimad, Alvin Dinkin(viola)
Eleanor Slatkin (cello)
Stella Castellucci (harp)


Arrangements: Marty Paich
Session Producer: Red Clyde
Recorded October 2, 4 and 5, 1957, Hollywood, CA
Sequencing & Engineering: Bones Howe

パラダイス
ローリー・アリン
ミューザック

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