A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

人それぞれの憧れの「大都会」があるが・・・、アーネスティンにとっての大都会は?

2014-09-20 | CONCORD
Big City / Ernestine Anderson

「大都会」、地方に住む人にとっては高層ビルに囲まれた街や、人が溢れた雑踏が憧れかもしれない。大都会に住む人間にとっては、このような都会での生活は日常であり日々の現実である。仕事があり、遊びの場があり、多くの人に会う事も出来る、それらが自然に日々の生活に組み込まれている。

しかし、仕事も一線を退き、遊びに出掛けることも少なくなり、そして人に会う機会も減ってくると、このような都会に暮らす必要があるか疑問に思うようになる。
まだ自分は週の半分以上は仕事に出掛けなくてはならない。往復の時間、打ち合わせを何件かこなし、そして事務所でちょっと仕事をするとあっと言う間に一日が終わってしまう。

最近はその時間がもったいなく感じるようになった。現役バリバリで仕事をやっていた時は、ただでさえ忙しい時間をやり繰りして、無理矢理打ち合わせを入れ込んだりしていた。忙しくして、時間がとれないことが、反対に仕事をしているという安心感を生んでいたのかもしれない。今考えると仕事中毒だったのだろう。

最近は、できれば無駄なことはやりたくない。打ちあわせであれば今ではテレビ会議ができる、最近スカイプ会議を何度かやるようになったが、昔はテレビ会議をやるにも装置の設置や準備が大変であった。今では、少人数の打ち合わせであれば、音声だけでなく映像付きでスカイプで簡単にパソコンでできてしまう。

資料は電子メールに添付して簡単に送れる。パソコンに資料を出しながら、単なる打ち合わせだけであれば特に不便は感じない。おかげで、自宅のパソコンのディスプレーは3台になった。以前は、複数の画面と睨めっこはドレーディングをする人たちのトレードマークと思っていたが、自宅のパソコンがマルチディスプレーになるとは思わなかった。

打ち合わせのために出掛ける時間が削減できるということは大進歩、在宅勤務に一歩前進した。ますます都会に住む必然性が少なくなるが、唯一困るのがライブに行きにくくなる事。ジャズのライブだけは大都会で楽しめるものかもしれない。

このアルバムの主人公アーネティンアンダーソン、生まれはヒューストン、前回のアルバムの主役クルセイダーズの面々と同郷だが、彼らよりは一世代年上になる。
両親がいつもブルースのレコードをかけていた中で育ち、父親は自らゴスペルカルテットで歌い、祖父母はバプティスト協会の聖歌隊で歌っていたという音楽一家で育った。そんな彼女は、3歳の時にはベッシースミスの歌をレコードと一緒に口ずさんだとか。

こんな環境に育った彼女だが、16歳でシアトルに引っ越すことになる。ここで高校を卒業すると本格的な歌手になる事を決意しバンドシンガーとしてスタートする。
ジョニーオーティスのバンドを経て、加わったのはライオネルハンプトンのオーケストラ。バンドのメンバーには同じシアトル出身のクインシージョーンズがいた。アートファーマーやクリフォードブラウンとも行動を共にしたことになるが、このハンプトンのバンドというのは今の時代でいうブラック企業の代表格。365日休みなしでツアーをしていたようで、流石にこれに音を上げて辞めるメンバーは多かったという。彼女もその一人、一年余りでバンド生活に別れを告げ、歌手として独り立ちするために、ニューヨークに落ち着くことに。やはり、彼女にとっての最初のBig Cityはニューヨークであった。

しかし、ロルフエリクソンと一緒にヨーロッパツアーに行ってそこで録音を残し、その後彼女の初のアルバムHot Cargoもヨーロッパ録音でされ、リーダーデビューを果たす。それを期にマーキュリーに所属し活動するが、60年代の初めには再びヨーロッパに渡りロンドンを拠点に活動することになる。
多くのジャズミュージシャンがアメリカでのジャズの仕事に見切りをつけてヨーロッパに渡ったが、彼女もその一人であった。彼女にとっての夢が実現するBig Cityは何故かヨーロッパであった。

アメリカでは名前を忘れかけられていた彼女がたまたまアメリカにツアーに来ていたのを再発見された。見つけたのはコンコルドレーベルのスカウト、A&Rマンをしていたレイブラウン。早速自らがマネージャーとなって彼女のアメリカ再デビューを後押しした。
結果は、この時点ですでにコンコルドで5枚のアルバムを出し、母国アメリカでの再デビューを果たすだけでなく、Concord All Starsに加わって世界を廻っていた。

彼女にとっての思い出のBig Cityを思い出しながらのこのアルバムになる訳だが、バックを務めるのはハンクジョーンズのトリオ。ハンクジョーンズは実は彼女の初リーダーアルバムHot Cargoにも参加している。ハンクジョーンは70年代の後半からはグレートジャズトリオの印象が強いが、スタジオワークも多くこなし、歌伴も得意としている。

最初のアルバムで一緒だった事もあるのだろう、このコンコルドへの復帰もハンクジョーンズとの呼吸はピッタリだったが、このアルバムでも再び。ベースは、それまで後見人でもあるレイブラウンが務めていたが、このアルバムではモンティーバドウックに変る。レイブラウンに負けない図太い低音が魅力だ。

歌手を始めた頃はブルースを得意にしていたようだが、ヨーロッパでそしてConcordでジャズシンガーとしてより洗練される。このアルバムで歌う歌は彼女のBig City感がより色濃くより反映されているのか、古い曲であるStreet Of Dreamsもボサノバ調のモダンな明るいアップテンポで歌われている。

彼女のバイオグラフィーを見ていたら、面白いエピソードがあった。
12歳の時、彼女の名付け親が歌の上手な少女であったアンダーソンを世に出そうとしたのか、地元のコンテストに応募した。彼女の持ち歌は”On The Sunny Side of Street”。
曲が始まる前に、伴奏のピアニストから「お嬢さんキーは何?」と聞かれると、彼女は咄嗟にCと答えてしまった。そのまま始まると、実は本当のキーは違っていた。いまさらどうしようもなく、動揺を隠しながらも、メロディーを崩しながら即興で歌いきってしまった。何とか曲を終えると、バックのメンバーの誰かが「お嬢さんはジャズ歌手だよ」と一言。
これが、それまでブルースにどっぷり浸りながら、本格的なブルース歌手ではなくジャズ歌手としての彼女の人生がスタートしたきっかけだったそうだ。



1. All I Need Is You                Bob Friedman 3:32
2. Street of Dreams        Sam M. Lewis / Victor Young 4:26
3. Spring Is Here         Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:02
4. The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)  Paul Simon 3:28
5. I'll Never Pass This Way Again         Bob Friedman 4:24
6. Big City                    Marvin Jenkins 4:35
7. All Blues            Miles Davis / Oscar Brown, Jr. 5:40
8. Welcome to the Club                Mel Tormé 4:43
9. I Didn't Know What Time  It Was Lorenz Hart / Richard Rodgers 5:02

Ernestine Anderson (vol)
Hank Jones (p)
Monty Budwig (b)
Jeff Hamilton (ds)
Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California, February 1983

Originally released on Concord CJ-214 (所有盤は東芝EMIの国内盤)


Big City
クリエーター情報なし
Concord Records

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