A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

エルビンジョーンズが世に出した作曲家は、エルビンとちょっとイメージが合わないが・・・

2016-03-18 | PEPPER ADAMS
Composition of Fred Tompkins

持っているレコードの中には一度聴いたきりでお蔵入りしたアルバムも結構ある。衝動買いしたものは仕方がないが、期待して買い求めたアルバムが外れだとガッカリ感は強い。

このアルバムもその一枚。サドメルファンになってから、サドメルのアルバムだけでなくメンバー達のアルバムも買い求めることが多かった。中でもペッパーアダムスはかなり入れ込んでしまったが。

このアルバムも、そんな経緯で求めたアルバムだ。リーダーのフレッドトンプソンは知らなかったが、ジャケットに並ぶ面々を見るとサドメルの初期のメンバー達が並ぶ。それにエルビンジョーンズの名前も。聞いた事のないマイナーレーベルであったが、この面子を見ると反対にそれだけでも掘り出しものではないかと期待して買い求めた。

針を落とすとあまりにもイメージと違った。サドメルのメンバーは皆スタジオワークの強者。どんなスタイルでも演奏できるといえばそれまでだが、「こんな演奏もするんだ」という印象は受けても、その後繰り返し聴く事も無く、持っていたのも忘れかかっていた。

名の通ったプレーヤー達のアルバムの中に、時にメンバーの中に知らない名前が混じっていることも多い。大部分はゲストであったり、新人の起用であったりだが、その中で一曲だけの参加となると、その理由が余計に気になるものだ。

エルビンジョーンズのアルバム”Heavy Sounds”でピアノを弾いていたビルグリーン。昔から気になっていたが、他の演奏にお目にかかったことはない。同名のサックス奏者はいるが、果たして同じ人物かどうか?・・・。

ペッパーアダムスの参加したアルバムの棚卸をしている中で、先日エルビンジョーンズの”Poly Currents”というアルバムを紹介した。その中だけ一曲だけフレッドトンプキンスというフルート奏者が参加していた。

アダムスのディスコグラフィーを見ていると、このアルバムの録音直後にこのフレッドトンプキンスのアルバムに参加していた。メンバーを見渡して、もしやと思ってお蔵入りしていたこのアルバム取り出した。そして2枚のアルバムが繋がり、このアルバムの立役者がエルビンジョーンズであったことも分かった。

エルビンジョーンズとサドメルのメンバー達は普段から仲良く演奏していた。堅苦しいアルバムだけではなく、気軽なジャムセッションもアルバムとして残されている。エルビンの日頃のそんなプレー仲間の一人がフレッドトンプキンスであった。フルートだけでなく、ピアノも弾くトンプキンスであったが、本業は作曲であったようだ。
エルビンのアルバムでも、皆の曲を持ち寄ったアルバムだったこともあり、日頃のプレー仲間であるフレッドトンプキンスに声を掛けた。というより、エルビンにはせっかくの機会なので彼を世に売り出すのに一役買おうという強い意図があったようだ。ブルーノート、そして自分のリーダーアルバムに参加すれば広く名前を広める事ができるとの想いだったようだ。

その甲斐があってか、このアルバムが誕生した。マイナーレーベルであるが、集まったメンバーは普段一緒にプレーをしている一流どころが揃った。さらに、曲によってはストリングスやジャズにはあまり使われない木管も加わった。そして曲は皆トンプキンスのオリジナル。曲によって編成はバリエーションに富んでいるが、アンサンブルもかなり書き込まれている。ジャズの場合だと普通はテーマの作曲、そしてアレンジとなるが、ここではクラシックのようにアレンジというより全編作曲といった感じだ。

いわゆるジャズのスイング感(譜面の読み方を含めて)はなく、いわゆる前衛というよりサードストリームといったジャンルに近いのか。トンプキンスが日頃したためていた作品をめでたく世に出すプロジェクトは、エルビンを始めとして仲間の協力でめでたく実現した。

トンプキンスはその後も作曲家として活動しているようだ。他の新しいアルバムは聴いた事がないが、きっと同じ流れなのだろう。自分は、昔と較べてかなり幅広くどんなジャンルでも受け入れて聴くことができようになったが、きっとこのアルバムはまたお蔵入りで、繰り返し聴き返すことはないと思う。

1. Odile
 Fred Tompkins (fl)
 Lester Cantor (bassoon)
 Joe Tekula (cello)
 Barry Benjamin (French Horn)
 Danny Repole (tb)
 Jimmy Owens (tp)
 Joe Farrell (as)
 Mickey Bass (b)
 Elvin Jones (ds)

2. Yes
 Fred Tompkins (fl)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

3. Compound
6, SHH!
 Richard Jones (French horn)
 Al Gibbons (as)
 Joe Farrell (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

4. Fanfare Ⅲ
 Fred Tompkins (p,fl)

5. Trio
 Jacob Berg (fl)
 Bob Coleman (cl)
 Mel Jernigan (tb)

7. Two Sentiments
 Richard Williams (tp)
 Cecil Bridgewater (tp)
 Jerome Richardson (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Fred Tompkins (fl)
 Ron Carter (b)
 Elvin Jones (ds)

8. Circle
 Bob Brock (p)

9. Find A Way
 Gilbert Munguis (cello)
 Juri Taht (cello)
 Richard Williams (tp)
 Danny Repole (tb)
 Al Kaplan (tb)
 Richard Davis (b)
 Elvin Jones (ds)

All Compositions written by Fred Tompkins
Recorded at A-1 Sound Studio by Herb Abramson and Johnathan Thayer,October 1969 & May 1970
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ブルースで育ったアネスティンアンダーソンが久々にブルースづくしで・・・

2016-03-15 | CONCORD
When The Sun Goes Down / Ernestine Anderson

ベテランミュージシャンの「再生」を得意としたコンコルドは、ボーカリストの再生も手掛けた。一番の成功はローズマリークルーニーであったと思うが、このアネスティンアンダーソンもその一人だ。一度はアメリカを離れて活動をしていたアンダーソンを再びアメリカで活躍するきっかけを作ったのはレイブラウンであった。再デビューアルバムに付き合って以来、いつもアンダーソンのアルバムには一緒にプレーしてきたが、前作”Big City”ではモンティーバドウィックにベースの席を譲っていた。

アンダーソンは、子供の頃ブルース好きの両親の元で育った。何事においても幼い頃の幼児体験が大人になって役立つと言われているが、彼女のブルースフィーリングは生まれ育った環境によるものかもしれない。といっても、彼女の場合はオールラウンドシンガー。ブルースだけでなく、スタンダードからポップスまで何でもこなす。ブルースは彼女の幅広いレパートリーの一部であった。彼女のブルースをタップリ聴きたいと思うファンも多かったのだろう。

そんなファンの気持ちを察知したのか、ジェファーソンが彼女のブルースアルバムを企画した。オーナーの片腕であり、アンダーソンの後見人ともいえるレイブラウンは早速段取りを始めた。コテコテのブルースだけでなく、ブルース風の曲、そして古い曲だけでなくザヴィヌルのマーシーマーシーマーシーまでを選んだ。
ブルースに拘るとなるとバックのメンバーも大事だ。ピアノにはジーンハリスを起用した。アンダーソンとは昔、ライブで一緒にステージを共にしたこともあった。そして、テナーにはレッドホロウェイ。コンコルド初登場だがブルースナンバーの歌伴には良い人選だと思う。ドラムには若手だが、ジョーウィリアムスのバックも務めたゲーリックキング。今回はベースも自ら務め、全体のアレンジもレイブラウンが担当した。

お膳立てはすべて揃って、お馴染みの”Goin’ To Chicago Blues”からスタートする。そして最後のマーシーマーシーまで一貫してブルースフィーリングで歌い通す。ブルースに拘ったアルバムにしようというレイブラウンの思惑通りの出来に仕上がったのではないだろうか。ジャズ歌手であればブルースの一曲や2曲はアルバムやステージのプログラムに入れるのは当たり前だが、全曲ブルースに拘るというのもたまにはいいものだ。



コンコルドでは7枚目になるが、その後もコンコルドでのアルバムは続く。その後は?と思ってディスコグラフィーを見ると、2011年まではアルバムを出している。まだ健在のようなので。前回紹介したリーショーのように米寿になってもまだどこかで歌い続けているかもしれない。

このセッションがきっかけになったのか、ジーンハリス、レッドホロウェイも2人もコンコルドに登場する。

1. Goin' to Chicago Blues            Count Basie / Jimmy Rushing 4:48
2. Someone Else Is Steppin' In                Denise LaSalle 4:45
3. In the Evening (When the Sun Goes Down)            Leroy Carr 7:20
4. I Love Being Here with You           Peggy Lee / Bill Schluger 4:59
5. Down Home Blues                      George Jackson 6:04
6. I'm Just a Lucky So and So          Mack David / Duke Ellington 6:21
7. Alone on My Own                      Tony Webster  3:18
8. Mercy, Mercy, Mercy Johnny "Guitar" Watson / Larry Williams / Joe Zawinul  4:57

Ernestine Anderson (vol)
Red Holloway (ts)
Gene Harris (p)
Ray Brown (b)
Gerryck King (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California. August 1984
Originally released on Concord CJ-263

When the Sun Goes Down
クリエーター情報なし
Concord Records
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ペッパーアダムスはワンホーンフォーマットでスタンダード曲を演奏することは少なかったが・・・

2016-03-14 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Live In Albany

ペッペーアダムスのリーダーアルバムはほぼ紹介し終わったと思う。
一方で、サイドメンで加わったアルバム、バックオーケストラに参加したアルバムはまだ数多く残されている。
落ち葉拾いをする時、まずは大きな目立つものから拾い始める。しかし、綺麗にしようとすると残った小さな葉っぱが気になる。拘り出すと最後は箒で掃き清めないと完璧とはいえないものだ。残りのアダムスの参加したアルバムは持っていないものも多いが、ボチボチ拾い集めながら紹介していこうと思う、完璧に掃き清めることはできなくとも・・・。

一方で、アダムスの活動歴を見ると、サドメルを辞めた後のソリストとして活動期間はレコーディングよりライブ活動が多い。自分のレギュラーグループを持つことはなかったので、バリトン一本を持って各地への単身の旅が多い。必然的に出向いた先でのセッションは地元のミュージシャンとの共演が多くなる。そこでの演奏の中にはプライベート録音された物もあるが、基本は世に出ることは無く一部のファンの中だけで楽しまれたものだ。

最近は、ネットの普及によってこれらのプライベート録音が紹介される機会が多い。そして、音だけでなく映像にも触れる機会も増え、ファンにとっては楽しみが増えた。もちろん、それらの中にはアルバムの形になってリリースされるものある。一時の幻の名盤の発掘の時代を終え、今ではそれらの秘蔵ライブ物の発掘の時代かもしれない。

このアダムスのアルバムも、そんな類のアルバムだ。

1980年というとアダムスのソリストとしての活動に弾みがつき、脂がのった演奏が聴ける時期だ。ソリストとしての活動が実績を残し始めたアダムスのアルバムが続けてグラミー賞の候補にノミネートされた。ヘレンメリルの”Chasin’ The Bird sings Gershwin”と、自己のリーダーアルバム”Reflectory”であったが、それらがこの頃のアダムスの好調ぶり実証している。

正月早々グラミー賞ノミネートの知らせを聞いて、アダムスの日々の活動は一層気合が入っていた。年明け早々市内でのgigで吹き初め、続いて隣のニュージャージーのハッケンサックのクラブ出演、そして久々に故郷のデトロイトでクラブ出演を終えると、今度はフランクフォスターと一緒にサラボーンのバックに加わりフィラデルフィアにミニツアーと、休む間もなく飛び回っていた。

2月に入ると今度はオールバーニーに出向く。同じニューヨーク州といっても、マンハッタンからはハドソン川に沿って200キロ以上北上する、ボストンと同じ位の距離にある地方都市だ。こんな小さな街にもジャズクラブはあった。ダウンタウンのAthletic Clubに一週間出演したが、一緒に演奏したのは地元在住のショー夫妻が参加したピアノトリオであった。

女性ピアニストのリーショーはニューヨークで活動していた時にはバードランドやビレッジバンガードにも出演していたという。そこで多くの有名ミュージシャンと共演した。カウントベイシーオーケストラを聴いてジャズに興味を持ち、オスカーピーターソンのピアノを手本としたというよくスイングするピアノだ。ニューヨークでは、ライオネルハンプトンなど多くのバンドからも誘いも受けたという実力の持ち主だったが、夫君であるスタンショーはこれらの誘いを断って、彼女のピアノはあくまでもトリオフォーマットでの演奏に拘った。

1971年には、夫婦揃ってニューヨークを離れ、このオールバーニーに居を移しそこで活動することになった。そこでは、アダムスに限らず、ニューヨーク時代知り合ったデクスタゴードン、ワーデルグレイ、フランクウェス・フォスター、サドジョーンズなどがこの街を訪れる時には、夫妻がホスト&ホステス役を務めたようだ。付き合ったメンバーを見渡しても、ショー夫妻の拘った演奏の立脚点が見えるような気がする。

このような経歴のショー夫妻のバックに、アダムスも実に乗りに乗ったプレーを繰り広げている。そして、このライブ(アルバム)特徴は、すべてスタンダード曲で占められていることだ。Alone Togetherだけは色々な機会に演奏しているが、アダムスの研究家のカーナーも、これらのスタンダード曲をアダムスが演奏したのはスタジオでもライブでも他のアルバムでは聴くことができないレアものだと絶賛している。

アダムスは自分がリーダーとなったグループではオリジナル曲を中心に演奏するようにしていたが、ここでは、暖かく迎えてくれたショー夫妻に敬意を表してか、お馴染みのスタンダード曲で存分にスイングする演奏を聴かせてくれる。アダムスのプレーだけでなく、ピアノのショーのプレーも女性とは思えないダイナミックな演奏で、これも拾い物だ。
惜しむらくは、録音が今一つであること。この迫力あるプレーがWally Heiderの録音であったら思うのは無い物ねだりかもしれないが。

このライブの後、ニューヨークに戻ったアダムスは3月にリーダーアルバム”The Masters”を録音する。この年に録音されたアルバムというと、この一枚しか聴けなかったが、全盛期のライブ演奏がこのようなに聴けるというのは音は悪くともファンとしては嬉しいものだ。

さて、この記事を書いてピアノのリーショーが気になったので調べてみた。もちろんこのアルバムを聴くまで、聴いた事はおろか名前も知らなかったので。

1926年生まれというのでアダムスより3つ年上、このアルバムを録音した時すでに54歳であった。自分のリーダーアルバムもあるが、皆2000年になってからのもの。年老いてますます盛んに活動したようだと思ったら、昨年まで現役であったようだ。



2014年、88歳を迎えた時は日本では米寿の祝い、ピアニストに相応しくLee's 88 Keysというタイトルでドキュメンタリー映画も作られた。それを祝ってかライブセッションも開かれていた。



2015年のはじめには慢性の肺疾患が原因の合併症で倒れたが、ガンとも戦っていたという。劇的な回復をみせた彼女は酸素ボンベを傍らにリハビリを兼ねてプレーを再開したが、10月25日ホスピスで亡くなった。享年89歳、最長老ともいえる生涯現役女性ピアニストであった。





ペッパーアダムスも、肺癌が発見されてからも憑りつかれたように演奏を続け、体がいうことをきかなくなるまでプレーを続けた生涯現役プレーヤーであった。
何か、この2人の生きざまには共通点を感じる。

1. It Could Happen To You
2. Scrapple From The Apple
3. In A Sentimental MoodAlone Together
4. Secret Love
5. Wrap Your Troubles In Dreams

Pepper Adams (bs)
Lee Shaw (p)
Mike Wicks (b)
Stan Shaw (ds)

Recorded at The Downtown Athletic Club, Albany< New York on Feburary 10, 1980

<table border=0 colspacing=0 cellpadding=0>Live In Albany 1980クリエーター情報なしメーカー情報なし
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大事件が起こるとよくイベントが中止になるが、このアルバムもあわやの所で生まれなかったかも・・・

2016-03-13 | MY FAVORITE ALBUM
Larry Bunker Quartette Featuring Gary Burton Live at Sherry’s Manne-Hole



3月12日はチャーリーパーカーの命日だった。チャーリーパーカーの信奉者である澤田一範は、この日、そしてパーカーの誕生日である8月29日に合わせるように、その頃with stringsのライブを毎年行っている。パーカーの名アルバムwith Stringsのレパートリーを生で聴ける貴重なライブだ。
今年も11日に行われたが、残念ながら用事があって出向くことはできなかった。今年は3・11の大震災から5年目にあたる。5年前もそのライブは3月11日に行われた。外は電車も止まってライブどころでは無かったが、その日ライブは予定通り行われたという。

大きな事件が起こると、その影響で予定されていたイベントが中止になることは多々ある。
1963年11月22日、アメリカ大統領であったケネディが暗殺された。この影響で中止、延期されたイベントは全米中で数え切れないほどあったであろう。

この日、ハリウッドのジャズクラブ”Shelly’s Manne Hole”でも予定されていたライブ録音があった。出演を予定していたのは、ラリーバンカーのカルテット。デビュー間もないゲイリーバートンも参加していた。

ラリーバンカーとゲイリーバートンが出会ったのは、その年の夏ソルトレイクシティ―で行われたジャズクリニックであった。ゲストのジョージシアリングのグループに参加していたバートンの演奏を聴いた時が初めてであった。ラリーバンカーはドラムだけでなく、ヴァイブの演奏も得意だ。スタジオワークではマルチパーカッショニストとして活躍していた。同じ楽器を弾く者として、プレーぶりを目の当たりにして、バートンのテクニック、そしてコンセプトも深く印象付けられた。20歳そこそこで、ここまでやるとはといった感じか?・・・。その後すぐに、バートンのアルバム"Something’s Coming”に参加し、実際に演奏することで更に手応えを感じた。

数か月後に2人はロスで再会を果たす。バートンはシアリングのグループを離れたばかりであった。バンカーは早速バートンとの演奏の機会を設けた。
3年前にハリウッドに誕生したシェリーズマンホールは、週末のオーナーのグループ、そしてロスを訪れるビッグネームのスケジュールを除けば、他の日は様々な地元のミュージシャンのライブに解放されていた。バンカーは早速、バートンを加えたカルテットを編成しブッキングした。

ピアノには若手マイクウォフォード。その頃はまだサンディエゴにいた。ロスでの活動を本格化させたばかりで、まだまだ無名の新人であった。そしてベースにはこれも若手のボブウェストを起用。バンカーはゲイリーのヴァイブを中心に、新しい感覚の若手3人のプレーを引き出そうと考えた。

何日か一緒にプレーするたびに呼吸も合い熱を帯びてくる3人との演奏であったが、ライブの日程も残り数日になった時、「これは残して置かなければ」という衝動に駆られた。
早速、エンジニアに録音の段取りを手配した。機器のセッティング終え、スタッフもアサインし、後は夜の演奏を待つだけという時にケネディ事件が起きた。このニュースが流れた時、誰もがプレーをする気にはなれなかったという。

しかし、バンカーの「この演奏をどうしても残して置きたい」という情熱が消えた訳ではなかった。その晩、演奏を強行したのか、それとも翌日仕切り直しをしたのかは定かではないが、残された少ないチャンスの間で無事このグループの演奏は録音された。

といっても、バンカーの自主録音のようなもの、すぐに陽の目を見ることはなかった。
1967年になってからVaultというマイナーレーベルからリリースされたが、目立つことなく話題になる事もなかった。その後、他の未発表曲も発掘され再リリースされたようだが、ラリーバンカーの唯一ともいえるリーダーアルバムがこのような形で発掘されるのは、ゲイリーバートンの若い頃のプレーを聴けるだけでなく意味があることだ。

この頃、東海岸では若手の小遣い欲しさもあって数多くのセッションが録音された。一方、西海岸ではストレートアヘッドなジャズは、演奏する機会もアルバムを制作する機会も減っていた。お金には不自由していないスタジオミュージシャンは、このような本気モードの演奏は自ら録音に残して置くことが多かったようだ。シェリーマンテリーギブスルイベルソンなどのこのような音源には素晴らしい演奏が多い。

そして、前回のシェリーマンのアルバム紹介でたまたまエンジニアのWally Heiderの名前を出したが、この録音のセッティングをしたのはそのハイダーであった。昨今未発表ライブの音源が数多くアルバム化されるが、放送局による録音を除けば大部分アマチュア録音の域を出ない。中身の演奏の記録としての価値は高くとも、音を楽しみむという点では物足りないものが多い。

ところがこれはプライベート録音と言っても、ハイダーの手掛けた録音。この名演をハイダーの名録音で聴けるというのも価値があるアルバムだと思う。シェリーズマンホールでのライブアルバムというのも何枚かあるが、ジャケットの写真でもこれはシェリーズマンホールでのライブ録音の代表作といってもいいだろう。

この頃ラリーバンカーはビルエバンスのトリオのメンバーでもあった。このビルエバンスのトリオでもシェリーズマンホールに出演していた。その影響もあるのか、このカルテットもエバンスの影響を受けたプレーを繰り広げている。ゲイリーバートンとビルエバンという組み合わせも面白そうだが、そんなアルバムは無かったような・・・。

1. I Love You                   Cole Porter 7:31
2. Sweet Rain                  Mike Gibbs 4;46
3. Waltz For A Lovely Wife              Phil Woods 4:35
4. Panther Pause                  Mike Gibbs 5:07
5. All The Things You Are    O. Harmmerstein / Jerome Kern 7:32
6. My Foolish Heart        Ned Washington / Victor Young 5:04
7. Israel                      John Carisi 6:59

Gary Burton (vib)
Larry Bunker (ds)
Mike Wofford (p)
Bob West (b)

Produced by Larry Bunker
Recorded live at The Sherry’s Manne Hole, November 1963

Live at Shelly's Manne-Hole
クリエーター情報なし
Essential Media Afw
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自分のやりたいことを演奏するには、やはり自分のクラブで・・・

2016-03-12 | MY FAVORITE ALBUM
Live!/ Shelly Manne & His Men at The Manne Hole Vol.1

マリガンとホッジスの共演アルバムは1959年末にロスで録音された。1960年代になるとジャズの主流は東海岸に移り、ウェストコーストジャズはさらに下火になった。とはいってもジャズを演奏するミュージシャンが西海岸にいなくなった訳ではない。テレビの普及によりスタジオの仕事はさらに増えた。日々の活動は益々スタジオワークが中心になり、プレーヤーよりもアレンジャーとしての活動の軸足を移した者もいれば、アンドレプレビンのようにクラシックに転じた者もいた。

ウェストコーストジャズを支えた重鎮の一人にドラムのシェリーマンがいる。ケントンオーケストラ出身だが、早くに独立しロスに居を定めて活動をした。ライトハウスオールスターズの一人でもあった。ウェストコーストジャズを支えたコンテンポラリーレーベルを中心に多くのアルバムに参加したが、日々の活動はスタジオからライブまで広範囲に渡っていた。シェリーマンは生涯プレーヤーとして活躍したが、一方でビジネス的なセンスも持ち合わせていた。

下火になった1960年に敢えて自分のクラブ「シェリーズマンホール」をハリウッドのど真ん中に開店した。ネーミングも自らの名前を捩ったマンホールと洒落っ気の名前を付けた。週末は、自らのグループを率いて出演し、平日は西海岸在住のミュージシャンに演奏の場を与えることにした。ジャズファン以外でも立ち寄れるような雰囲気づくりもし、ドリンクのメニューもハードリカーだけでなくソフトドリンクも提供した。その努力もあって、1972年までの間、ロスの代表的なライブハウスとして存続したが、もちろん時にはロスを訪れる有名ミュージシャンも出演した。ビルエバンスのライブレコーディングが有名だが、たまたま映画の仕事でロスに来ていたミッシェルルグランを迎え、レイブラウンとのトリオのライブもアルバムとなった





そのシェリーズマンホールの開店祝いともいえる、開店直後の自身のクインテットのライブアルバムがある。メンバーは、オーナーでもあるシェリーマンを筆頭に、ピートカンドリ、リッチーカムカ、ラスフリーマンなど、ウェススコーストを代表する面々。当時のシェリーマンのレギュラークインテットである。

シェリーマンのレギュラークインテットのライブ物というと1年前のブラックホークでのライブが有名だが、この演奏をやっと自分の店でできるようになったという嬉しさも加味された演奏だ。

演奏は、シェリーマンの小気味良いドラミングがやはり目立つ。古いスタイルから新しいスタイルまで何でもこなすシェリーマンだが、彼の信条はスイングする事。名ドラマーと言われる名手は他にも沢山いるが、実は自分が一番好きなのはこのシェリーマンかもしれない。

演奏全体はアレンジ主体のウェストコーストジャズという雰囲気ではないが、グループとして普段一緒に演奏している一体感はある。曲はお馴染みの曲ばかりで、メインストリームジャズのお手本とでもいえるような演奏だ。以前紹介した、ルースプライスのアルバムも実はこの時に収録されたもの。このアルバムのVol.2を含めて、この時のステージの全容が分かる。

ライブならではの店の雰囲気もよく収められているが、店のPA装置はこのアルバムをレコーディングしたHoward Holzerだそうだ。勝手知った場所での録音の割には少し音に厚みが無い。たまたま同じ時期の録音のマリガンとホッジスの厚みのある音に感心した後に聴いたせいもあるが、ライブ録音というとWally Heiderが手掛けた物が優れているようだ。



1. Love For Sale                  Cole Porter 10:29
2. How Could It Happen To A Dream       Ellington Hodges 6:50
3. Softly As In A Morning Sunrise    Romberg-Hammerstein 8:59
4. The Champ                 Dizzy Gillespie 10:55

Shelly Manne (ds)
Conte Candoli (tp)
Richie Kamuca (ts)
Russ Freeman (p)
Chuck Berghofer (b)

Produced by Lester Koenig
Engineer : Howard Holzer
Recorded live at Shelly’s Manne-Hole, Hollywood, March 3-5 1961

COMPLETE LIVE AT THE MANNE-HOLE
クリエーター情報なし
AMERICAN JAZZ CLASSICS
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マリガンとホッジスのセッションに呼ばれたメルルイスは・・

2016-03-11 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges

ライオネルハンプトンとジェリーマリガンのアルバムで、ジョニーホッジスに捧げたマリガン作曲のバラードSong For Johnny Hodgesをマリガンは演奏していた。昔から演奏していた曲なので、ひょっとして2人の直接対決のこのアルバムでもやっていたかな?と思って聴き直してみたが、残念ながらこのアルバムには収められていなかった。

このアルバムが録音されたのは1959年11月。ノーマングランツが関与したマリガンのMeetsシリーズの中では最後のアルバムだと思う。ちょうどベンウェブスターとの共演と相前後してのセッションだが、その前のゲッツやデスモンドとのセッションと較べるとどちらも両ベテランとリラックしたプレーが楽しめるアルバムだ。

マリガンがクラリネットの後に最初に吹いたサックスはアルト、ジョニーホッジス、そしてエリントンオーケストラは子供の頃から憧れであったそうだ。1958年のニューポートの舞台ではエリントンオーケストラにゲスト参加できた。そして、いつかはホッジスと一緒にレコーディングしたいと思っていた所に、ノーマングランツから出されたMeetsシリーズでホッジスとの共演企画は、マリガンにとっても大歓迎であった。

その頃、マリガンはハリウッドにいた。というのも、人気のあるマリガンは自分のグループを率いてツアーで飛び回っていたが、一方でこの頃はすっかり映画に嵌っていた。前年にはマリガンの映画音楽で有名な”I Want To Live”を全面的に手掛けていたが、ツアーの無い時はロスを拠点にして、他にもちょくちょく映画の仕事をし、時には自ら出演する事もあった。

この企画が決まると、この企画には余程力が入ったのだろう、相方のジョニーホッジスを早めにロスに呼び寄せて、レコーディン前にセッションを何回が行った。という前準備もあって、本番は呼吸もぴったり、実にスムースに録音も進んだという。別に複雑なアレンジが施されてリ訳ではないが、2人の音色のブレンド感がたまらずいい感じだ。
曲は、それぞれ3曲ずつ2人のオリジナル曲。その点でも、事前のウォーミングアップセッションが生きていると思う。



このセッションのリズムセクションを選んだのはジェリーマリガン。ドラムにはメルルイスを起用した。レギュラーカルテットのドラムはデイブベイリーだったが、目立ちたがり屋のマリガンは、メルルイスの当時のロスでの活躍ぶりを無視できなかったのかも。ベースにはバディークラーク。これもレギュラーメンバーのビルクロウではない。このバディークラークの図太い安定感のあるベースが今回の2人の演奏には良く合う。そして、ピアノのクロードウィリアムソンというも意表をついた器用だが、派手さを抑えたピアノがまたしっくりくる。

メルルイスにとっては、実はこのマリガンとの共演が転機のきっかけになったのかもしれない。

1959年というと、しばらく前までロスで一緒にプレーしていたケントン時代の仲間、そしてマリガンの好敵手であったペッパーアダムスはニューヨークに戻って、こちらはマリガンのかっての盟友チェトベイカーとプレーをしたりドナルドバードとバリバリのハードバップの演奏を繰り広げていた時だ。
一方のマリガンは今回のようにベテラン達とリラックスした演奏と、そのプレースタイル同様、好対照な活動をしていた。

しかし、翌年マリガンが一念発起してニューヨークでコンサートジャズバンドを立上げ本格的に活動を開始すると、メルルイスも何か感じる所があったのだろう。そのバンドに参加するためにロスを去ってニューヨークに戻ることになる。

丁度ウェストコーストジャズも下火になりかけていた時、いいタイミングであったのかもしれない。世の中にタラレバはつきものだは、もしメルルイスがマリガンと出会うことがなければ、ニューヨークに戻ることもなく、その後のサドメルの誕生も無かったかもしれない。

レコーディングされた記録は無いが、短命に終わったマリガンのコンサートジャズバンドの最後にはベイシーオーケストラを辞めたサドジョーンズも加わって2人は一緒に同じ舞台に立っていた。ここでの2人の再会がその後のサドメルの誕生のきっかけになった。
という意味でも、このセッションでマリガンがメルルイスを起用した意義は大きいと思う。

1.  Bunny        Gerry Mulligan 5:47
2.  What's the Rush  Judy Holliday / Gerry Mulligan 3:45
3.  Black Beat             Johnny Hodges 7:28
4.  What It's All About         Johnny Hodges 4:02
5.  18 Carrots (For Rabbit)      Gerry Mulligan 5:16
6.  Shady Side             Johnny Hodges 7:04

Gerry Mulligan (bs)
Johnny Hodges (as)
Claude Williamson (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

Produced by Ken Drucker
Recorded at United Recorders, Hollywood on November 17, 1959



Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges (Dig)
クリエーター情報なし
Verve
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モンゴメリーライクのギターにはオルガンが良く似合う

2016-03-07 | MY FAVORITE ALBUM
Touch Of Love / 宮之上 貴昭 & Jimmy Smith

ライブハウスというと都心にあると思いがちだが、最近では郊外にも多い。自宅の近くにあるライブハウスには一度は行ってみたいと思うが、きっかけがないとなかなか出向く機会がない。先日も書いた気がするが、やはり誰か知っているメンバーが出ている時でないと。

先日、そんなライブハウスにギターの宮之上貴昭が出るというので行ってみた。自宅からは車で10分足らずの武蔵境のフォンタナ。駅からは少し離れているが、同じ町内といっても良い距離だ。今回一緒のメンバーはトロンボーンの駒野逸美。このコンビは以前別の所でも聴いたこともあり、内容も勝手知った演奏だったので初物の楽しみはなかったが。

最初に演奏した曲が、宮ノ上のオリジナルで、ジミースミスと共演したアルバムで演奏したSmokin’ in the rainでスタート。スタンダード中心にジャズの名曲やオリジナルも交えていたが、宮之上の曲はどれも演奏スタイル同様メロディアスでスインギーだ。途中、ボーカルの飛び入りもあったが、持参した譜面も不要と、絶妙の歌伴も聴けて楽しいセッションであった。



この宮之上とジミースミスのアルバムというと宮之上がデビューしてまだ間もない1981年、ジミースミスが来日した時に録音したアルバムだ。ギターとオルガンというと相性がいい組み合わせだが、曲によってはヴァイブやテナーも加わってさらに彩を加えている。
ジミースミスとウェスモンゴメリーというとアルバムDynamic Duoが有名だが、ウェス信奉者の宮之上にとっては、願ったりかなったりの共演で、オリジナルのデュオにどこまで迫れるかといった感じであったろう。
このようなセッションにはエピソードが付き物だが、最近の自身のフェースブックでもその出来事を記事にされていたので、以下に転載させて頂く。

〜〜 以下転載 〜〜
「ジミー・スミスに捧ぐ」
ジャズオルガンの神様ジミー・スミスが亡くなって
今月で8年になるんですね。
わたしが28歳の時にジミー・スミスとのレコーディングが決まり、
彼の来日歓迎パーティがあるとのことで、ディレクターと大阪に飛んだ。
しかし神様はこのパーティで演奏するギャラのトラブルか、
待てども暮らせども会場に来ない。(*_*;
さらに待つこと1時間半。
ようやく会場に現れたジミースミスはものすごく恐い表情。
しかしオルガンに座ると夢にまで描いたジミーサウンド炸裂!!
でも2曲ほど短く弾き切るとすぐにステージを離れて休憩した。
そんな中、今でいうKYなディレクターがジミーに近づいて
「This is Japanese Wes Montgomery,Yoshiaki Miyanoue」
Σ(゜Д゜)
ジミーはわたしに向かってこう言いました
「I like Wes, I love Wes, but I don't like copy!」
ひぇ~~(*_*;
これから一緒にステージに上がるというのに何ということを!!
※当時のわたしは今よりずっとウェス色強烈でした(汗)
ジミーは「You like Wes...hum, You must be know this tune」
そう言っていきなり「Baby it's cold outside」を弾きはじめました。
わたしは初めて演奏する曲でしたけど、
ウェスとジミーのレコードで聴いたことはあります。
テーマでコード進行を頭に叩き込み、
思いっきりウェスのように演奏しました。
だってそれしかできなかったんですから。
演奏途中からジミーの顔は笑顔に変わり、
ステージを終えると熱烈なハグをされました。
(一体ウェスのコピーはDon't like、何だったんでしょう)

〜〜 以上転載終わり〜〜


この頃は、このような来日大物ミュージシャンとの共演アルバムが良く作られたが、若手でも動じることなく素晴らしい演奏が多く残されている。
ここでも二回り近く年上の大先輩であり超有名スターのジミースミスの胸を借りる共演だが、全体は宮之上ペースで、ジミースミスは脇役ゲストといった感じだ。というのも、宮ノ上の物おじしない余裕のプレーは、下積み時代は横田基地のクラブで演奏し、アメリカで武者修行をしてからデビューをしたという経験が生きていたからだと思う。

この手の共演だとスタンダード曲が多いが、ここではSmokin’ in the rainだけでなく宮之上のオリジナル曲が中心。ジミースミスのオルガンだけでなく、ヴァイブとテナーを曲によって適宜加えているが、これも2人の演奏に実によくブレンドされアルバムとしての纏まりもある。

最後は、今回のレコーディングに付き合ってくれたジミーに謝意を表して、ギターとベースで自らのリズムギターをオーバーダビングして「サンキュー・ジミー」で締める。
演奏はジミースミスのオルガンに合わせてブルージーな黒っぽい感じが基本だが、ジャケットの白地のデザインに合わせたような洗練されたサウンドでもある。

昔はこんなデモツールもありました。↓



1. Fried Cornbread
2. Georgia On My Mind
3. Smokin’ In The Rain
4. Body And Soul
5. Touch Of Love
6. Tokyo Air Shaft
7. Thank You, Jimmy

Yoshiaki Miyanoue 宮之上 貴昭 (g)
Jimmy Smith (org)
Kenny Dixon (ds)
Hiroshi Hatsuyama 初山 博 (vib)
Q. Ishikawa 石川 久雄 (ts)
Yuzo Yamaguchi  山口 雄三 (b)

Produced by Shigeru Kurabayashi 倉林 茂
Engineer : Haruo Okada 岡田 治男
Recorded at AOI Studio on September 26, 29 1981

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昔の悪友に合うと、「久しぶりに一緒に遊ばないか?」とよく言うが・・・ 

2016-03-04 | CONCORD
Hanging Out / Joe Newman & Joe Wilder

カウントベイシーオーケストラのトランペットセクションは代々強力メンバーであった。中でも50年代後半の全盛期のアトミックベイシーバンドには、後に自らビッグバンドを編成したサドジョーンズを筆頭に、スヌーキーヤング、ジョーニューマンなどの実力者が並ぶ。

彼らはその後スタジオワークやテレビの仕事が多くなり、参加したアルバムは数多くある。クインシージョーンズを始めとして、ドックセベリンセンなど有名ビッグバンドにもキープレーヤーとして参加しているが、サドジョーンズ以外は自らがリーダーとなってアルバムを作る機会はほとんどなかった。

コンコルドレーベルはそんな彼らにもリーダーアルバムの機会を与えた。
スヌーキーヤングの”Horn of Plenty”は、彼の唯一のリーダーアルバムといってもいい。そして、ジョーニューマンのアルバムがコンコルドで作られたのは、それから5年後の1984年になってからだ。

そのアルバムが企画された時、同じような境遇のもう一人にプレーヤーに声を掛けた。同様にスタジオワークの常連で、ニューマンともよく顔を合わせていたジョーワイルダーだった。ワイルダーも若い頃のアルバムがSavoyにはあったが、その後はスタジオワークが中心でそのソロプレーがファンの耳に届くことは少なかった。

ビッグバンドではリードセクションのメンバーは色々な楽器を持ち替える。それゆえビッグバンドで活躍するミュージシャンはマルチリードプレーヤーが多い。一方のホーンセクションはというと、トランペットセクションはフリューゲルホーンには良く持ち替えるが、基本的に持ち替えはない。

ではホーンセクションにとって彩を加える技となるとミュートプレーになる。ミュートと言っても色々な種類があって、アレンジャーは曲によって使い分けている。昨日は久々に、ニューハードのライブを聴きに行ったが、エリントンの名曲ムーチでは、アレンジもソロもミュートプレーの品評会のようであった。ビッグバンドならではの遊び心もある演奏だった。
しかし、そのミュートプレーがコンボの演奏で存分に披露される機会は意外に少ないものだ。

前置きが長くなったが、このアルバムでは2人のトランペットの技の競い合い、それもミュートプレーがタップリ楽しめる。トランペット2人のコンビというと、古くはルイアームストロングとキングオリバーに遡る。ついついトランペット2人というとハイノートのバトルを想像してしまうが、2人の演奏はディキシースタイルということもあり2つの楽器のコラボの妙だ。このアルバムでも2人の絡みが素晴らしい。

この2人のプレーの素晴らしさを引き出すために2人のアレンジャーが協力している。
フランクフォスター、フランクウェスの2人。ベイシーオーケストラで長年同じ釜の飯を食った旧友だ。今回の主役はあくまでもトランペット。2人はプレーをせずにアレンジに徹しているが、ウェスの方はバラード曲を、フォスターの方がアップテンポの曲と役割分担も明確にしている。リパブリック賛歌のようなお馴染みの曲を実に絶妙に料理し、オリジナルもまさにこの場に相応しいという曲を提供している。

そして、2人の引き立て役となるバックはピアノがハンクジョーンズ。この頃ハンクジョーンズは自らのトリオを中心にライブ、レコーディング活動中心に完全復帰していた。ここでは昔のスタジオ時代の仲間のリーダーアルバムに脇役として駆けつけ、バックに廻っても味のあるプレーを聴かせてくれる。そして、ベースのルーファスリードとマーヴィンスミスは当時売り出し中の中堅、単なる同窓会とは趣が違うが、ベイシーでの基本がベースにはあるのは間違いない。

メンバー選定、演奏、選曲、アレンジがすべてバランスよく組み合わされ、スイングし、リリカルで、メロディアスな主役の2人の技の素晴らしさとプレーの良さが十分に引き出されている。それらが一枚に収められたアルバムというのも、そうそうお目に掛かれない。プロデューサーのBennett Rubinはコンコルド初登場だが、その後もフランクフォスターやジーンハリスのアルバムを何枚か手掛ける。ジェファーソンの意を汲んでベテランの復活を手掛けるが、単なる懐メロにしなかったところが良かった点だろう。

タイトルの”hanging out”。そもそも意味はジャケット写真のように身を乗り出すということだが、慣用的には「遊ぶ」という意味で良く使われる。まさに仲間内で、「久しぶりに一緒に遊ばないか?」といったノリで作られたアルバムだと思う。目立たないアルバムだが、お気に入りの愛聴盤の一枚だ。

ベイシー時代のお馴染みの曲も、





1. The Midgets                    Joe Newman 4:49
2. Here's That Rainy Day    Johnny Burke / James Van Heusen 4:01
3. Duet                       Neal Hefti 4:12
4. Battle Hymn of the Republic           Traditional 6:08
5. Secret Love        Sammy Fain / Paul Francis Webster 5:09
6. You've Changed           Bill Carey / Carl Fischer 5:37
7, 'Lypso Mania                  Frank Foster 4:39
8. He Was Too Good to M      Lorenz Hart / Richard Rodgers 4:05

Joe Newman (tp)
Joe Wilder (tp,flh)
Hank Jones (p)
Rufus Reid (b)
Marvin "Smitty" Smith (ds)

Arranged by Frank Foster & Frank Wess
Produced by Bennett Rubin
Recording Engineer : Malcom Addey
Recorded at JAC Studios, New York City, May 1984

Concord CJ-262


Hangin' Out
クリエーター情報なし
Concord Records
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バリトンサックスとヴァイブの組み合わせは珍しいが、この2人はどちらも有名人・・

2016-03-01 | MY FAVORITE ALBUM
Lionel Hampton Presents Gerry Mulligan

バリトンサックス自体、それが主役となった演奏は少ないが、バリトンサックスとヴァイブの組み合わせというのはさらに聴く機会が無い。ペッパーアダムスも、ライブではレッドノーボやテリーギブスなどとは演奏したことはあるようだが、ヴァイブと共演したアルバムは前回紹介したレイアレキサンダーのアルバム位かも。ヴァイブの王者ライオネルハンプトンのバンドのメンバーになったことはあるが、これはハンプトンのビッグバンドメンバーの一員であり共演といえる形ではなかった。

このハンプトンは、無名のレイアレキサンダーと較べると反対に超有名人。古くはベニーグッドマンのグループの一員で人気を博したが、その後自分のバンドでも大活躍した。他のメンバーのグループに参加する事も多く、ジャズフェスティバルにも数多く出演していた。共演したミュージシャンの数は桁違いに多かった。
ジェリーマリガンも若い頃から自分のグループを率いるだけでなく、こちらも色々なグループに参加し、また誰とでも共演する機会は多かった。
どちらも目立ちたがり屋なのか、どこにでも顔を出していたので、ステージ上では顔を合わせることはあった。一緒にプレーしたアルバムとなるとなかなか実現しなかった。お互い忙しくしている有名プレーヤーとなると、スケジュール調整もあるし、契約問題も影響することもあったという。

行動力のあるライオネルハンプトンは、自分のレーベルを持ったことが2度ある。その一つWho’ Who in Jazzレーベル。大物ミュージシャンを迎えて、自らプロデュースし自分との共演アルバムを作った。バディーリッチなどは相性がいい感じがするが、異色なチャーリーミンガスとの異色な組み合わせアルバムもあった。ジャズの真髄を極めるとジャンルなどは関係ないのかもしれない。
そのシリーズの中にジェリーマリガンとの共演アルバムがある。異色な組み合わせだとどんなスタイルで? というのがまずは気になるが・・。

お馴染みのマリガンの曲、アップルコアで始まる。2人のスタイルが特に変る事はない。普段通りのプレーだ。アダムスのプレーは、モダンな感じがするが実はディキシー・スイングスタイルに近いという記事をどこかで見た事がある。
バックを務めるメンバーは?というと、ハンクジョーンズ、グラディーテイトとこちらも誰とでも合わせられる面々。バッキーピザレリの味のあるギターが加わるとバンドのサウンドはモダンスイングな感じになる。結果的にこのメンバーは皆、一度はベニーグッドマンのグループにいたことがあるようだ。やはり、ハンプトンの原点はグッドマンということだろう。特徴的なのは、それにコンガのキャンディドを加えている点。4ビートにこのチャカポカが新鮮だ。

ハンプトンはこの企画では、共演するプレーヤーの良さを引き出すことを一番に考えていたそうだ。
マリガンというとアレンジ物も得意だが、ここではプレーヤーとしてのマリガンの良さを出すためにアレンジは極力少なくした。マリガンだけでなく、ハンプトンやバックのメンバーのソロもタップリ聴かせる構成になった。
曲はジェリーマリガンのオリジナルが中心。このセッションに合わせたハンプトンのオリジナルも加えてマリガンを迎える段取りはできた。

クラリネットも吹くマリガンなので、もしクラリネットを吹いたらベニーグッドマンのカバーになっていたかもしれないが、曲がマリガンの曲ばかりなので、マリガンソングブックをグッドマンスタイルでといった感じのアルバムに仕上がった。



1. Apple Core
2. Song For Johnny Hodges
3. Blight Of The Fumble Bee
4. Gerry Meets Hamp
5. Blues For Gerry
6. Line For Lyons
6. Walking Shoes
7. Lime Light

Gerry Mulligan (bs)
Lionel Hampton (vib)
Hank Jones (p)
Bucky Pizarelli (g)
Geoge Duvivier (b)
Grady Tate (ds)
Candid Camero (conga)

Produced by Lionel Hampton
Recoeded in New York City, October 28, 1977



Lionel Hampton Presents...
クリエーター情報なし
Kingdom Jazz
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