A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ビッグバンドの良し悪しはやはりアレンジに因るところが大きい・・・・

2014-02-23 | MY FAVORITE ALBUM
Dave Siebels and Gordon Goodwin ‘s Big Phat Band


昨日は、三宅裕司率いるビッグバンドLight Joke Jazz Orchestraのライブに出かけてみた。前から一度聴いてみたかったがなかなか機会がなく、これまでは映像で見ただけであった。
リーダー自身がテレビではお馴染みの人でありもあり、映像を通じてみると彼自身がドラムを叩くので余計にドラムが気になってしまい、どうしてもオーケストラが主役になりにくい。ライブでは、オーケストラの本当のパフォーマンスを聴けるのではないかという期待が半分あった。

今回は、「GSでSWING」とタイトルされたライブ。ジャズをもっと身近なものにしたいという三宅さんのコンセプトにはうってつけのテーマだ。特に我々世代にとっては、グループサウンズは誰にとっても青春の思い出でもあるし。



初のライブであったが、三宅さんのMCとバンドの演奏が上手く演出されていて、普通のライブというよりは、ステージショーといってもいいかもしれない。GSサウンドがテーマという事で、軽いノリのビッグバンドをイメージしたが、一曲一曲色々考えられた凝ったアレンジであった。

アレンジを担当したのはこのオーケストラの実質的なリーダー羽毛田耕二。というよりはこのバンド自体が羽毛田耕二のビッグバンドと言ってもいいようなものだ。
今回の彼のアレンジの特徴は、GSの曲が持つメロディーに過去のジャズの名演、名アレンジの断片を上手くシンクロさせるというアプローチ。ある時はコルトーンであり、ある時バディーリッチのビッグバンドであり、実によく考えられていた。
ソロも当然そのコンセプトを受け継いでのソロになるので、オリジナルのフレーズを意識したソロとなる。
かと思えば、「亜麻色の髪の乙女」に英語の詩をつけてジャズのスタンダードのような節回しにしてしまうという芸当も。

アンコールも2曲タップリと、1ステージ1時間半を軽く超えるステージは充実して大満足。想像以上に楽しめたライブであった。
ビッグバンドの良さはアレンジの良し悪しで決まると常々思っているが、今回は素材がGSの曲だっただけに余計にそれを実感した。ありきたりのアレンジだったらきっとつまらないステージであったと思う。

アレンジといえば、先日発表されたグラミー賞にもアレンジの部門がある。グラミー賞受賞と言っても、そのカテゴリーは全部で82もあり、実に細々と色々なジャンルにわたって賞が設けられているのでその全貌はまったく分からないが。
ジャズのビッグバンドのアレンジが関係するのは“Best Instrument Arrangement”部門。
今回の受賞は、Gordon GoodwinのOn Green Dolphin Streetであった。

このゴードン・グッドウィンのビッグバンドが今年も来日するようだ。ビッグバンドを身近なものにするという点では、このグッドウィンのバンドも大きな役割を果たしていると思う。西海岸のアレンジャーが率いるバンドの中では、エイトビートも得意として若者にも人気があるバンドだ。とはいうものの、単にブラスロックやファンクオーケストラにならないのがグッドウィンのビッグバンドの良さであろう。グッドウィンのバンドの素晴らしさは、このグッドウィンのアレンジの素晴らしさに因るところが大きいと思う。

此の所、グッドウィン率いるBig Phat Bandは毎年のように来日しているが、それだけ日本でのファンの裾野が広がっているのだろう。その点では、三宅裕司と同様ビッグバンドファンを増やすのには一役買っている。

というわけで、久しぶりにBig Phat Bandだが、このアルバムは少し嗜好が違ってオルガンのデイブ・シーベルをフィーチャーしてバックをBig Phat Bandが務めたアルバム。
オルガンとビッグバンドというのは相性がいいように思う。ジミースミスとサドジョーンズのバンドとの共演アルバムがあるが、あまりジャズのアルバムとしてはこの組み合わせは多くない印象だ。

昨年、辰巳哲也ビッグバンドがオルガンとビッグバンドのアレンジばかりを集めたライブをやったが、オルガン自体を普段あまり聴けないのに加えてビッグバンドをバックにしたオルガンが実に新鮮なライブであった印象が残っている。

このアルバムだが、まずは主役のデイブ・シーベルなるプレーヤーを知らない。オルガンというのは他の楽器と違って個性やタッチの違いが分かりにくい。際立った個性がある訳でもなく、どんな曲でもそつなくプレーできるオールマイティーのプレーヤーに聴こえてしまう。となるとバックのオーケストラのアレンジ次第でどうにでもカラーがでてくるという事になるのだが。

曲は、シーベルスの曲が7曲、後は有名な曲が3曲。特に、ザ・キャットはジミースミスとの対比が演奏もバックのアレンジも気になるところだ。ヘフティーのガールトークとオルガンというのも相性がいい。

グッドウィンのアレンジというのも、映画音楽をやっているせいもあると思うがどんな曲想もいけるし、本来ソリストに合わせたアレンジを得意にしている。自分のバンドである時は、それが際立ってバンドカラーとなって出てくる。いつもはテンポやリズムも自由自在も変化するが、このアルバムではグッドウィン色は出ているものの、いつもの自分のバンドで見せる尖がった部分が少ないような気がする。

同じアレンジャーでもアレンジの違いが出るものだ。



1. The Coupe                  Dave Siebels 5:24
2. Not That There's Anything Wrong with That  Dave Siebels 5:09
3. Da Blues                  Dave Siebels 5:19
4. Girl Talk Neal Hefti             Dave Siebels 5:37
5. I Wish                   Stevie Wonder 6:10
6. The Gospel According to Hammond      Dave Siebels 5:05
7. I Love You Even More Again         Dave Siebels 4:04
8. The Cat                  Lalo Schifrin 3:54
9. Sort of Like a Samba            Dave Siebels 4:41
10. The Eleventh Hour            Dave Siebels 6:18

Dave Siebels (org)
Gordon Goodwin (p,ts.arr)

Wayne Bergeron (tp)
Dan Fornero (tp)
Pete DeSiena (tp)
Roy Wiegand (tp)
Dan Savant (tp)
Charlie Morillas (tb)
Andy Martin (tb)
Alexander Iles (tb)
Craig Ware (btb)

Brian Scanlon (ts)
Sal Lozano (as,fl)
Eric Marienthal (as)
Jeff Driskill (ts)
Ed "Edgardo" Smaert (ts)
Jay Mason (bs)

Grant Geissman (g)
Rick Shaw (b)
Brad Dutz (per)
Dave Spurr (ds)
Bernie Dresel (ds)

Pat Boone Executive Producer
Produced by Dave Siebels & Gordon Goodwin


Dave Siebels With Gordon Goodwin's Big Phat Band
Dave Siebels &Gordon Goddwin
Pat Boone's Gold
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60年代に入り、ステレオ録音を「売り」にするアルバムが登場するが・・・

2014-02-21 | PEPPER ADAMS
The Persuasive Trombone Of Urbie Green Vol.1

ペッパーアダムスの軌跡を追っているが、いよいよ1960年に入る。
世の中的にも区切りとなる年だ。ところが、年表を改めて見返してみても、この年はこれはという印象に残る出来事は見当たらない。東京オリンピックが4年後、日本でも色々変化が始まるのはこの年からだったのかもしれない。
自分も、此の頃はまだジャズを聴いてはいなかった。この年のヒット曲、パーシーフェイスの「夏の日の恋」や、ブラザースフォーの「グリーンスリーブス」などは記憶に残っている。よく聴いた曲だ。

一方で、レコードの世界はこの時期大きな変化があった。2年前にステレオレコードが世に出て、ジャズに限らず音楽アルバムはステレオ盤とモノラル盤の両方が世に出回り始めた頃だ。当時のオリジナル盤だとまだまだモノラル盤が主流を占めていた。どちらの方が、音が良いかとよく話題になるのがこの頃のアルバムに多い。録音自体がステレオで録られていたのはもう少し前からだったようなので、後にステレオ盤として世に出たアルバムも多い。一方で、ステレオが一般的になると、モノラル録音を無理矢理ステレオにした、偽ステなども登場してきた。

このステレオ効果と、音の良さを売りにするアルバムがこの頃は良く作られた。
最初にステレオレコードを出したといわれるAudio Fidelityの音は確かに良かった。時には、ステレオ効果を前面に出すために、左右のチャンネルで別のバンドやプレーヤーを配したバトル物などもあった。ベイシーとエリントン両オーケストラの共演や、マックスローチとバディーリッチドラム合戦のようなアルバムが記憶にあるが。

その後も各社、技術の粋を駆使して高音質のアルバム作りを行ったが、ジャズアルバムでも時々そのようなアルバムに遭遇する。



このアルバムも、たまたまそのような一枚。
楽器ごとのマイクロフォンからカッティングマシーンまで細かくクレジットされているが、ここで試されているのは今では当たり前のマルチャンネル録音。このCommandレーベルの特徴は、録音テープに通常の磁気テープ使わず、いわゆる光学フィルム、映画のサウンドトラックの技術を使ったようだが、果たして方法とその効果は素人の自分には良く分からないが??

このアルバムでは、リーダーのアービーグリーンはソリストとしてメインな存在だが、時にはトロンボーンセクションの一員として、そしてオーケストラ全体の指揮者でもあるわけで、その3つの役割を一つの場所でうまくできるようにして、そしてその結果をアルバム上に上手く再現するのが課題の一つであったと記されている。さらには、物理的な風圧もありトロンボーンは録音しにくい楽器のひとつで、トーンレンジが広く、他の楽器とのブレンドも難しい。さらには、楽器とマイクの距離を等距離にするトランペットやサックスセクションの音のバランスも変わるとか・・・。きっと今では色々な経験とテクニックで解決されたことが、此の頃はまだ試行錯誤であったのかもしれない。
自分は録音に関しては素人だが、確かに、トロンボーンの好録音のアルバムを聴くと実に心地よく感じるのはこの楽器の特質が上手く再現されているということなのかもしれない。

結果は、当時の録音としては、各楽器のセパレーションが明確であるが、全体がオンマイクで録った割には多少エコーが掛かったようなホールトーンに包まれ、そのバランスがいいように感じる。
何と言っても、演奏を含めてアービーグリーンのスムースで甘いサウンドがオーケストラに上手く乗り、時には包み込まれて、最上のダンスミュージックに仕上がっているのが一番だ。その点では、素材の選び方も、アウトプットも、アルバムの制作主旨に照らし合わせてこのアービーグリーンのビッグバンドは最適だった様な気がする。

肝心な演奏は、メンバーも当時のニューヨークのスタジオミュージシャンの一流どころを集めた豪華版。スタンダード曲を並べ、前年のアルバムよりは、多少モダンなタッチは影を潜めているが、グリーンのトロンボーンは十分に満喫できる。
ペッパーアダムスにとっては年初めのスタジオワークで、2日間の内一日のセッションに参加しているが特にソロは無く下支えに徹している。前作ではソロパートもありアダムスの存在価値はあったように思うが、今回は声が掛かっての付き合い参加のようだ。



1. At Last         M.Gordon-H.Warren 2:52
2. Prisoner of Love        R.Columbo-C.Gaskill 3:27 
3. Dream          J.Mercer 3:00
4. I've Heard That Song Before  J.Styne-S.Cahn 2:50
5. Moonlight Serenade       Glenn Miller / Mitchell Parish 2:52
6. Stairway to the Stars       M.Malneck / M.Parish 2:38
7. Let's Fall in Love        H.Arlen / T.Koehler 2:39
8. My Silent Love          E.Heyman / D.Suesse 2:44
9. My Melancholy Baby       E.Burnett / G.Norton 2:12
10. I Had the Craziest Dream     Gordon / Warren 2:25
11. I'm Getting Sentimental over You  G.Bassman / N.Washington 2:45
12. I Can't Get Started          V.Duke / I.Gershwin 3:02

Nick Travis, John Bello, Don Ferrara, Doc Severinsen (tp)
Urbie Green, Bobby Byrne (tb)
Gil Cohen (b-tb)
Hal McKusick (as),
Rolf Kuhn (as,cl),
Eddie Wasserman (fl,ts),
Pepper Adams (bs)
Dave McKenna (p),
Barry Galbraith (g)
Milt Hinton (b)
Don Lamond (d)

On half the tracks, Gene Allen (bar) and Nat Pierce (p) replaced Pepper Adams and Dave McKenna.

Produced by Enoch Light
Recording Engineer : Robert Fine

Reorded on February 1960 in New York


The Persuasive Trombone Of Urbie Green
Urbie Green
Hallmark
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャズの世界も女性陣の活躍が目立つが、ギターとなると・・・・

2014-02-19 | CONCORD
Take Two / The Emiley Remler Quartet

いやいや凄い雪でした。
好きなゴルフもしばらくお預けですが、これだけ雪の休業が続くと、除雪の費用が掛かる一方で、収入は日銭に頼っているゴルフ場は経営的にも厳しい所が出てくるのではないかと案じてしまう今日この頃です。

それにしても、今回の大雪対応では色々な事が起こっているようです。
政府の初動が遅れたとか、山梨県では大雪警報では災害対策本部の設置はしない決まりになっていたとか、秩父市が要請した自衛隊派遣を県が断ったとか、NHKがオリンピックの放送を優先し災害報道をしなかったとか・・・・・。
一方で、配送用のパンを被災者に配ったヤマザキパンが賞賛され、石和ではボランティアチームが市内の道路に閉じ込められていた車の誘導、情報提供に大活躍し、その模様をツキャスでライブ中継して話題になっていました。雪に閉じ込められていた車は、山道や高速だけでなく、市内にも見捨てられてたくさんあったということです。

これらの事象は一言でいえば、想定外の事が起こった時に、本来やるべきことに対して組織は何も機能しなかったということです。もちろん、現場にいる人は歯がゆい思いをしたと思いますが、ルールがすべてに優先、指示がなければ動けない、勝手に動けば処罰されるという今の時代の象徴的な事象です。

今や、どの業界でも配送業務などはすべて外部委託の時代、ヤマザキパンのような配送車はたくさんあったと思いますが、積み荷はすべてお客さんから預かった大切な物。ドライバーの勝手は判断で配ることなど絶対にできないのが現実だと思います。ヤマザキパンの行為が誰の判断でされたか興味があるところですが。いざという時は現場の裁量に任されていたのであれば素晴らしいことです。

一方で、ボランティアの勝手連の連携は素晴らしかった。現場で実際に作業をしているメンバーに対して、必要な的確な情報はツイッターで読者から適宜提供されるという姿は緊急時のSNSの使われ方としてはまた新たなモデルができたような気がします。

これを支えたのは現場の裁量と事実情報の正確な把握と提供。今回のように「現場で困っている人を助ける」という単一目的に対しては、大組織を動かさなくとも対応できる人がネットワークを組めば実現できるということを立証したような気がします。

お役所がよく防災や地域コミュニティー活動におけるICT利用の施策をやっていますが、なかなか成果に結びつきません。ツールありきで、それに人の動きを合わせようとしても大体うまくいきません。運用にも複雑なルールが伴うもの原因の一つです。一方で、やるべきことが明確で、やるべき人が居さえすれば仕組みは複雑な必要がなく、現場の裁量で物事が進むということになるのは自明の理なのですが。現場の責任感も自然に昔の時代に戻ります。

という訳で、前段が長くなったので、本題に戻ることにする。コンコルドのニューヨーク録音が続く。

最近ジャズの世界も女性陣の活躍が目覚しい。昔は女性のジャズプレーヤーといってもボーカルかピアノが通り相場であったが、最近は管楽器が目立つ。ビッグバンドでもベテラン男性に混じって女性の姿を見受けるのが当たり前になってきている。ライブではむさくるしい男性よりも女性の演奏する姿はビジュアル的にも楽しさが倍増するので嬉しいが。

このように、女性プレーヤーが当たり前になってきても、不思議と女性のギタリストにはなかなか巡りあえない。最近の若いグループは良く知らないが、これまでお目にかかったことはないし、思い出すことはできない。
最近のブラスバンドは女性陣の活躍が目覚しいらしいので、ブラス陣の女性進出は理解できるが、ギターとなるとやはりロック系からの流れになるからなのか?

こう思っているのは自分だけかと思い、ネットを見たら同じような疑問を持っている方がいるようで、やはり認識は正しかったかのと一安心。


ギターが充実しているConcordであるが、ここではうら若き女性ギタリストがデビューしていた。もちろん女性のギタリストが少ないのは日本だけでなくアメリカでも同じなので、今思えばこのエミリー・レムラーのデビューは衝撃的だったかもしれない。

ファーストアルバム”Firefly”でも新人とは思えない演奏をしていたが、早速第2作が続いて出た。今回は、彼女の本拠地ニューヨーク録音、メンバーも新進気鋭の若手との共演だ。彼女が選んだのかもしれない。

ピアノは、自己の素晴らしいアルバム”Arioso Touch”を制作したジェームス・ウィリアムス。前作がハンクジョーンズだったので、これだけで両方のアルバムの違いに興味が湧く。
ベースは、ドン・トンプソン、ドラムはテリー・クラークというと、これは当時のジムホールトリオの面々。バックは完璧だ。

実はレムラーと、トンプソン、クラークはレムラーがトロントに行ったときに、連日gigを行ったプレー仲間だったそうだ。それ故、演奏に一体感を感じるのはそのような布石があったからなので不思議はない。

いきなり、キャノンボールの曲からスタートするが、選曲もA面はブルーベック、ゴードン、タイナーの曲と、すべて有名ジャズメンのオリジナル。このような選曲も珍しいが、演奏は素晴らしい。ある時は流れるように、そしてある時は煽る様なバックは、否が応でもレムラーのプレーは高揚してくる。ウェス・モンゴメリーに影響を受けただけあって、時にはオクターブ奏法も交えて縦横無尽、男勝りの演奏だ。弱冠24歳の女性のプレーとは思えない。B面では自分のオリジナル曲を2曲、そしてモンゴサンタリアにモンティーアレキサンダーと少し曲想を替えた側面も見せてくれる。

久々に聴いたが、これも良いアルバムだ。彼女が今生きていたら大ギタリストになっていたと思う。彼女のようなお手本がいると、女性のギタリストももっと増えていたかもしれない。



1. Cannonball          Cannonball Adderley 4:48
2. In Your Own Sweet Way    Dave Brubeck 4:52
3. For Regulars Only      Dexter Gordon 6:43
4. Search for Peace       McCoy Tyner 5:17
5. Pocket Wes          Emily Remler 6:45
6. Waltz for My Grandfather   Emily Remler 6:35
7. Afro Blue        John Coltrane / Mongo Santamaria 2:24
8. Eleuthra           Monty Alexander 6:20

Emily Remler (g)
James Williams (p)
Don Thompson (b)
Terry Clarke (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Ed Trabanco
Recorded at Soundmixers, New York June 1982
Originally released on Concord CJ-195

Take Two
Emily Remler
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しいジャズと意外性を楽しむのは、やはりホームパーティーかも・・・

2014-02-15 | MY FAVORITE ALBUM
Tony Bennett / The McPartlands and Friends Make Magnificent Music

カクテルラウンジのような場所を除けば、日本のジャズクラブはお喋りをしながら聴くような雰囲気の場ではない。たまに、酔っ払いのグループが演奏中に大声で話をしていることがあるがこれは例外。基本はじっくり聴ける場所が多い。

演奏がスタートすると、演奏する側と聴き手の間で一瞬お互い緊張する間が生じる。演奏が徐々に盛り上がり、適切なプログラム構成と適度なMCが徐々に両者の壁を薄くし、終わりの頃には両者一体となって盛り上がって終わるのが理想的なパターンになる。

ところが、どこかで流れに乗りそこなうとお互い何か遠慮があるままステージが終わってしまう。まあ、結果的にのらないライブということになる。演奏する側の責任の場合もあるが、お客が場違いということもある。やはり、ファンに囲まれたライブというのが、自然にアットホームな雰囲気になる。

初めて聴くライブに行った時、せっかく一緒にいる間に次に繋がるインプレッションを何か欲しいといつも思う。ある意味男女の付き合いと同じかもしれないが。

その点、演奏する方も、聴く方も勝手知った仲間同士だと最初から和気藹々とした雰囲気でスタートできるようだ。会場の雰囲気そのものも大事かもしれない。その意味では、仲間内のパーティーでの演奏というのは、大会場のジャズフェスティバルでの盛り上がりとは少し違った「のり」を経験できるものだ。以前紹介した、先輩の友人宅でのパーティーなどはその最たる例だが、残念ながらそのような場をそうそういつも経験できるものではない。

ブルーノートのレコーディングは、聴衆こそいないもののミュージシャンにとってそのようなアットホームな雰囲気を感じる環境がいつも用意されていたという。いい演奏をしてもらうには大事なことだと思う。

ライブレコーディングでも、時々小さなパーティーでのライブがある。
このアルバムもその一枚。ジャケットの写真からもその雰囲気が伝わってくる。
場所は、バッファローのヒルトンホテル、ここのオーナーが主催した2日間のミニフェスティバルの模様を収めたものだ。自分の好きなミュージシャンを呼んで、自由に演奏してもらう。金持ちの道楽としては、これに勝るものはないと思う。
Concordのカール・ジェファーソンも最初はそんな道楽からスタートして、本業になってしまった代表格だ。

メンバーに歌手が一人いるというのもライブ全体を盛り上げるには重要な要素かもしれない。
ここではトニーベネットがその役回りである。まずは挨拶代わりに一曲歌うと、マクパートランドのトリオに繋げる。インナメロウトーンではメンバー紹介しながらハミングで一緒に参加、一同に会した演奏になる。これがパーティーでの気楽なノリと言うものだろう。
マクパートランド夫妻も、スイング系のトランペットの旦那と、モダンなピアノを弾く婦人も普段はあまり一緒に演奏する機会は少ないかもしれないが、ここではスタイルを超えて仲良くプレーしている曲もある。
最後は、スワンダフルで皆が盛り上がったところで、ベネットが十八番のサンフランシスコに繋げて締める。この辺りが真骨頂だろう、会場の楽しい雰囲気が伝わってくるアルバムだ。

先日の松木理三郎のスイングバンドを聴いて、こんなライブになるといいなと、ふと思った。


1. Watch What Happens
2. Softly As In a Morning Sunrise
3. Stompin’ At The Savoy
4. While We Were Young
5. In A Mellow Tone
6. It Don’t Mean A Thing
7. Let’s Di It
8. Medley
     S’ wonderful
     I Left My Heart In San Francisco

Tony Bennett (vol)

Marian McPartland (p)
Jimmy McPartland (tp)
Vic Dickenson (tb)
Herb Hall (cl)
Spider Martin (ts)
Buddy Tate (ts)
Brian Torff (b)
Geoge Reed (ds)

Charlie Byrd (g)

Torrie Zito (p)
John Giufredda (b)
Joe Cocozzo (ds)

Recorded live at Statler Hilton Hotel in Buffalo on May 13 & 14 1977

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい曲をスイングスタイルで・・・

2014-02-14 | MY FAVORITE ALBUM
Count Basie and The Kansas City 7

風邪をひいたり、雪が降ったりでゴルフはしばらくお休み。ゴルフどころか外出自体も控えていたので、ライブ通いもしばらくお休みだった。先日、Basie Soundオーケストラで小気味良いギターを聴かせてくれた加治さんのライブスケジュールを見ていたら、調布のさくらんぼに出演とのこと。リーダーはトランペットの松木理三郎さんのスイングバンド。初めて聞くバンドであるが、テナーの渡邊恭一さんもいるし、自宅にも近いし、これは面白そうということで昨日の夜に出かけてみた。

ドラムレスの3管編成、フロントラインはビッグバンドでよく見かけるメンバー達、ジャムセッションというよりアンサンブルワークも十分楽しめるかなと思ったが、予想通りであった。
スタートのベイシーナンバー、シャイニーストッキングを聴いて大体コンセプトはイメージどおりだった。彼らがよく参加する辰巳さんのバンドは、コンボでも小編成でも過去の名アレンジに拘った演奏をしているが、このバンドはリーダーの松木さんの好みの曲を自分のアレンジでスイングスタイルに書き下ろすというコンセプト。

ということで、素材はベイシー、エリントンナンバーだけでなくアニメソングや、テレビの主題歌、そして自分のオリジナルまで多種多様。3管編成ということもあり、どの曲も時間は短いがきっちり各プレーヤーとも休みなくアンサンブルワークが組み立てたれている。スイングスタイルだと管のミュートプレーが多いが、これもこのバンドの特徴。ビッグバンドで慣らした面々だけに、アンサンブル、ソロともミュートの生音が心地よいバンドだ。
最近若手メンバーのスイングスタイルの演奏も多いようで嬉しい限り、次回が楽しみ。またでかけてみようと思う。

という訳で、今日はベイシーの小編成を。ホリデーのアルバムをこの前聴いたし、昔のとも思ったが、ここはインパルス盤のカンサスシティーセブンを。
この時期は、サドジョーンズがまだいた時期、テナーは両フランクもいた頃。サドジョーンズのミュートプレーと、テナーだけでなくフルートのコンビネーションが実に心地が良い。新しい時代のベイシーサウンドになっても、カンサスシティースタイルは健在なことを証明したアルバム。
インパルスといえばコルトレーンの代名詞のようなイメージもあるが、この時期のインパルスにはベニーカーターのアルバムなど、スイング系でもいいアルバムがある。

この週末もまた雪。これでゴルフはしばらく諦めモード。出不精になりがちだが、体調も回復したので来週からライブ通いも復活しようと思う。

そいえば、マイクプライスのオーケストラの次回の案内が来ていた。辰巳哲也さんのバンドがこの前ビルホルマン特集をやったが、マイクさんも今回はビルホルマン特集のようだ。

**************************************

マイク・プライス・ジャズオーケストラは
新宿サムデイで 3月7日 (金)に演奏します! 

レパ-トリ-の数々より、ビル ホルマン の美しい楽曲をフィ-チャ-します。

皆さんの心に残るビッグバンド演奏となりますよう
是非聴きにいらしてください。

どうぞよろしくお願いします。

マイク・プライス

日時  3月7日(金)
    19:45~、21:15~
場所  サムデイ (新宿)
    Tel 03-3359-6777
    新宿1-34-8 新宿御苑前ビルB1(やよい軒の地下)
    地図 http://someday.net/shinjyuku.html
ミュージックチャージ 3,990円

メンバ- 
土井徳浩(as)(as)八巻 綾一
川村裕司(ts)岡崎正典(ts)
竹村直哉(bs)
佐久間勲(tp)田中哲也(tp)
今里通夫(tp)高瀬 龍一(tp)
西山健治(tb)内田光昭 (tb)橋本佳明(tb)堂本雅樹(btb)
稲垣 貴庸(d)
, マーク・トーリアン(b)
井上祐一 (p),
マイク・プライス(tp)

Mike Price 舞空


http://www.mikepricejazz.com

******************************************



1. Oh, Lady, Be Good      Ira Gershwin 4:40
2. Secrets            Frank Wess 4:08
3. I Want a Little Girl     Murray Mencher / Billy Moll 4:16
4. Shoe Shine Boy        Sammy Cahn / Saul Chaplin 4:07
5. Count's Place         Count Basie 5:28
6. Senator Whitehead       Frank Wess 4:12
7. Tally-Ho,Mr. Basie!      Count Basie 4:28
8. What'Cha Talkin'?       Thad Jones 4:59

Thad Jones (tp)
Frank Wess (ts,fl)
Eric Dixon (ts、fl)
Frank Foster (ts)
Count Basie (p)
Freddie Green (g)
Ed Jones (b)
Sonny Payne (ds)

Bob Thiele Producer
Rudy Van Gelder Engineer
Bob Arnold Engineer

Recorded on March 21,22 !962 at Rudy Van Gelder Studio

カンザス・シティ・セヴン
Count Basie
ユニバーサル ミュージック クラシック
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルフレッド・ライオンが、ぞっこん惚れ込んだ・・・・デューク・ピアソンとは

2014-02-12 | MY FAVORITE ALBUM



Tender Feelin’s / Duke Pearson

1959年10月ドナルド・バードとペッパー・アダムスクインテットが新たなリズムセクションと共にツアーに出たが、その新たなピアニストはデューク・ピアソンであった。
その年の1月にニューヨークに出てきたばかりの新人で、ジャズテットで演奏していたのを聴き、声をかけたのはドナルド・バードであった。

アトランタ出身で地元、そしてフロリダ中心にプレーしていたが、元々はトランペットを志していたそうだ。歯に問題があってトランペットをプレーできなくなり、ピアノに転向したのが1954年24才の時というので遅咲きのピアニストだ。ウィントン・ケリーなどとも親交があったようなので、その影響を受けたのか、よくスイングする小ざっぱりしたピアノで日本での人気も高い。

彼を起用したドナルド・バードの眼力も正しかったと思うが、それ以上に一目惚れしたのが実はブルーノートのオーナー、アルフレッド・ライオンであった。
10月4日のドナルド・バードのFuegoの録音に参加したがライオンの目に留まり、バード達が地方公演から帰ってきた直後の10月25日にはピアソンのリーダーアルバムを作ることになる。プレスティッジと較べるとアルバム作りには拘りがあるはずなのだが、そんなことはお構いなしでわずか3週間後の録音、珍しく速攻で事が進んだようだ。
当然、マーケティングにおいてのライオンの右腕、フランシス・ウルフは、そのレコードの録音発売は早すぎる、如何なものかと考える。しかし、ライオンの熱意に負けてファーストアルバムProfileは世に出た。
果たしてセールス的に成功したかどうかも??だが。

さらに性懲りもなく、そのアルバムを吹き込んでから2カ月も経たない12月には2枚目の録音が行われた。よっぽどピアソンに惚れ込んだのだろう。後に、ピアソンがブルーノートのプロデューサー、A&Rマンに就任する布石はこの時から敷かれていたのかもしれない。
色々接点がありながら、最後までブルーノートとは縁が無く、契約できなかったペッパー・アダムスとは大違いだ。

その2枚目のアルバムが、このTender Feelin’s。ベースはジーン・テイラーだが、ドラムはドナルド・バードのクインテットと同じレックスハンフリーが務める。
ピアノ好きの方には人気があるアルバムだが、確かにピアニストとしてのピアソンをじっくり聴くにはこの頃のアルバムしかない。自分はデューク・ピアソンをビッグバンドのリーダーとしては注目していたが、このアルバムは単に気軽に聴けるピアノアルバムとしか認識していなかった。今回聴き直して、大きなパズルの一角にこのアルバムがスッポリハマった感じがする。

もし、歯の具合がよく引き続きトランぺットを極めていたらこのアルバムは無かったし、このピアノが無かったらアルフレッド・ライオンも気にかけなかったかもしれない。人生何が災いとなり、何が福となるかは分からない。ピアソンの人生の分岐点にもなったアルバムだと思う。

この録音の頃、ペッパー・アダムスは、Sixth Avenueを始めとして各所でジャムセッションに嵩じていた。そういえば、1959年はビリーホリデイが亡くなった年でもある。個人一人一人だけでなく、ジャズ界全体が転換期であったのを感じさせる1959年の年末であった。



1. Bluebird of Happiness
2. I'm a fool to want you
3. I love you
4. When sunny gets blue
5. The Golden Striker
6. On Green Dolphine Street
7. 3 A.M.

Duke Pearson (p)
Gene Taylor (b)
Lex Humphies (ds)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio on December 16, 19, 1959


テンダー・フィーリンズ
Duke Pearson
ユニバーサルミュージック
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビリー・ホリデイがついた嘘・・・・

2014-02-11 | MY FAVORITE ALBUM
Commodore Recording 1939~1944 / Billie Holiday

耳の聞こえない作曲家佐村河内氏の偽作曲家騒ぎがニュースを賑わしている。
嘘が実しやかに通用する、騙すのは悪くなく騙される方が悪い、人の迷惑よりも自分達の利益を優先する、このような風潮が社会にまかり通る今の時代を象徴するような事件だと思う。

ゴーストライターがこの事実を表に出すと言ったら、「表に出されたら自殺するしかない」というのが彼の言葉だったそうだ。自殺する前にやることがあるだろう、どこまで行っても自分のことしか考えられない人間だ。
明るい話題が少ない今の時代、お涙頂戴の商売ネタの片棒を担ぎ現代のベートーヴェンと持て囃したメディアも同罪だ。自分達の金儲けと視聴者のうけしか考えておらず、メディアの本来の役割を忘れている。

世の中基本はすべて信頼関係で成り立っているはずだが、昨今の一向に減らない振込詐欺事件や、今回の事件をみるに、ついにこの日本も「人を見たら泥棒と思え」という社会になってしまったかと思うと嘆かわしい限りだ。

さて、先日紹介したマリリン・ムーアが師と崇めたのがビリー・ホリデイ。音楽の世界でなくとも、一生の内に一度は「この人に付いていこう」と思える人に巡り会いたいものだ。仮にそのような人に出会えば、多少の欠点や気になることはあっても、何の疑念を持つことも無く全幅の信頼を寄せて後を付いていってしまうであろう。それも信頼関係だ。

ムーアに限らず後のすべてのジャズシンガーにとって何らかの意味で師となり範となったビリー・ホリデイの代表作はというと、やはり「奇妙な果実」であろう。反対に、この奇妙な果実がビリー・ホリデイのイメージを作り上げてしまったといってもいいかもしれない。ビリーの一生は必ずしも幸せな一生をおくったとはいえない。その一生と曲のイメージがダブってしまうのかもしれない。

この「奇妙な果実」は生涯で何度かレコーディングされたが、何といってもコモドア盤のオリジナルが代表作だ。
その昔、評論家の油井正一さんが、ビリー・ホリデイのコモドア録音の全16曲を一枚に収めたアルバムを監修された。それも曲を録音順に配して。これがそのアルバムだ。まだジャズを聴き始めてまもない頃買い求めた。多分高校生の頃だったと思う。

今でこそコンプリートアルバムというのは編集方針のひとつとしては当たり前であったが、一枚のアルバムへの収録時間に制約のあるLP時代は編集とは選別することであり、コンプリートアルバムというのはめずらしく、油井氏も自分の監修方針に鼻高々であった。

その一曲目に「奇妙な果実」が収められている。1939年4月20日録音。ビリー・ホリデイの晩年の活躍、そして麻薬との戦いのスタートとなった節目ともいえる録音だ。
ライナーノーツに油井正一氏の解説が書かれている。この曲を歌うようになった経緯として、詩人ルイス・アランから「奇妙な果実」の詩を見せられた。そしてそこに自分の父親を殺したすべてが歌い尽くされているのを見て、自らこれを歌うことを決心し、自分と当時のビリーの伴奏をしていたピアノのソニー・ホワイトで曲を作った。その結果が、このコモドア盤の「奇妙な果実」の初レコーディングとなったと。

油井氏の解説はさらに続き、この奇妙な果実に続くYesterdaysの名唄は、前の奇妙の果実の余韻があったからこそ起伏にとんだ感情表現が鮮やかだとある。これはいたく同意する。油井氏が言うところの時系列で聴く効能かもしれない。

ビリーは自伝の中でもこの曲は自分で作ったことになっている。
ところが、月日が経ち様々な事実が明らかになる中で、この奇妙な果実に関しては実はビリーは作曲していなかったというのが現在の定説となっている。
今騒ぎになっている偽作曲家事件の話とどうしてもダブるが、この事実が明らかになって果たしてこのビリーの奇妙な果実の価値が下がったのか?レコードが発売禁止になったであろうか?

この曲を書いたのは、作詞と同じルイス・アラン。これはペンネームで本名はエイベル・ミーアポールという高校教師であった。共産党員だったということもあり、反体制派というスタンスでこの曲を作ったのであった。最初ビリーのところに持ち込まれたとき、ビリーはあまり関心を示さなかったという。
ところがある小さなパーティーで歌った時ある客が感動しその薦めもあってクラブでも歌うようになった。そのクラブも「カフェ・ソサエティー」という上流階級向けでもなく、かといってギャクを売りにするエンターテイメントを行う場でもなかった。進歩的な左派や自由主義者が集まる場であり黒人も入ることができた場所であったというのも、この曲が受け入れられた要因であったにかもしれない。

クラブで歌われるにようになって曲にも手が入れられたという。伴奏用のアレンジも施された。そして、歌われるシーンもラストセットのクロージングの曲として決まっていった。意図的に演出した訳でもないと思うが、必然的にこの歌の位置づけは決まっていった。そして曲自体も彼女が歌い込んだ結果、最初にアランから持ち込まれた時から深く熟成していったのだろう。

当然、レコーディングの話が持ち上がる。その時彼女が契約していたコロンビアは歌の内容から客の反発を恐れて辞退した。その結果、この曲はマイナーなレーベルであるコモドアから発売されることになった。これも、この曲の運命であったのだろう。

そして、この録音が行われることになる。彼女が曲を紹介されてからそれほど長い期間は経っていなかったかもしれないが、録音に至るにはこのような長い複雑な経緯があった。それゆえ、短いながらこれだけ情感豊かな歌に仕上がったのだろう。

やっとレコードとして陽の目をみた「奇妙な果実」であったが、マイナーレーベルということもあり爆発的にヒットした訳ではなかった。それでもじわじわと世に広まったのは、一緒に録音されたファイン・アンド・メローがあったからという話もある。

いずれにして、このようにして世に出た「奇妙な果実」は単に出来上がり譜面をビリーが一丁上がりで歌った代物でないのは明らかだ。このビリーの歌は、アランがビリーに持ち込む前に歌われていた曲とは明らかに異質な物になったという話もあるように、アランがオリジナルを書いたのは事実としても、この録音された歌に曲に仕上げたのはビリーといっても間違いはない。

この曲の原作はビリー・ホリデイではなかったとしても、今話題の偽作曲家事件とは本質が違うように思う。
もし、彼女は今生きていて、「奇妙な果実」は誰がつくったのか?と聴いても、「それは私」と言うと思う。
なぜならばアランの元歌を誰がが歌っても、きっとこのビリーのようには歌えなかったと思うので。ビリーによって新しい曲に生まれ変わったということでよいのではなかろうか。

Strange Fruit 1939



Fine And Mellow 1957 




1. Strange Fruit
2. Yesterdays
3. Fine And Mellow
4. I Gotta A Right To Sing The Blues
5. How Am I To Know
6. My Old Flame
7. I'ii Get By (As Long As I Have You)
8. I Cover The Waterfront
9. I'ii Be Seeing You
10, I'm Yours
11. Embraceable You
12. As Time Goes By
13. (I've Got A Man, Crazy For Me) He's Funny That Way
14. Lover, Come Bsck To Me
15. I Love My Mon (Billie's Blues)
16, On The Sunny Side Of The Street

Billie Holiday (vol)

1~4
Frank Newton and his Café Society Orchestra
Recorded at New York City, 711 Fifth Avenue, World Broadcasting Studio
On April 20, 1939
5~16
Eddie Heywood and his Orchestra
Recorded at New York City, 1440 Broadway, WOR Recording Studios
On March 25, April 1,8,1944

奇妙な果実
Billie Holiday
ユニバーサル ミュージック クラシック
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

821 Sixth Avenue, New York はジャムセッション用のロフトであった

2014-02-10 | PEPPER ADAMS
David X. Young Jazz Loft

ジャズのメッカニューヨークでは、昔から次世代を背負う若いミュージシャン達は、夜な夜な集まってはジャムセッションを行う切磋琢磨し合っていた。よくアフターアワーズセッションといわれるものだ。出演しているクラブで営業終了後ということもあったと思う。またミュージシャンにとっては仕事の休みが多い月曜日の夜も集まりやすかった。さらに、クラブが終わった後午前3時を過ぎて朝までひたすら演奏し続けるために集まる場所もあった。

その一つが、この821番地のビルの4階のLoftであった。

このLoftはEugin Smithというライフのカメラマンが借りたもの。普通であれば、その事実が単に記録に残っているだけであるのだが。
例えば、ペッパーアダムスの活動記録を見ると、

Dec 24: New York: Jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft.
Dec 31: New York: New Year's Eve jam session at Gene Smith's Sixth Avenue loft, with Lee Morgan, Zoot Sims, Sam Parkins, Jimmy Raney, Sonny Clark, Doug Watkins, Louis Hayes.

とある。
クリスマスイブの夜、そして大晦日のセッションにアダムスは参加していたということだが、その内容はこれだけでは分からない。

ところが、カメラマンであったスミスはそこに集まったミュージシャンだけでなく、その4階の窓から外の街の様子も写真に収めていた。この建物にまつわるドキュメントとしての写真だ。
1957年から1965年の長期間に渡ってその数は4万枚にも及ぶ。その一部が写真集として発売されているが、さすがにカメラマンが撮った写真である。その一枚一枚が当時のLoftの様子、そして窓の外の人々の日々の生活の一瞬をありのままに残していて時代を直接に訴えてくる。



さらにスミスの素晴らしいのは当時まだ世に出たばかりのテープレコーダーを用意して、その場を簡易のスタジオにして演奏の様子を残したこと。レコーディングを目的としたものではないので、ミュージシャン同士の熱いディスカッションや時にはラジオ放送や電話の話声、そして外のサイレンなどの生活のノイズまでがそこには残されている。その数は何とオープンリール1740本4000時間に及ぶ。
テープのケースにメモられたミュージシャンの数だけで139人、その後のインタビューでその全貌が明らかになると、このロフトを訪れたミュージシャンは300人を超えるとも言われている。そして、単にジャムセッションだけでなく、あのモンクのタウンホールコンサートのリハーサルなどもここで行われていた。



スミスの死後それらはJAZZ Loft Projectとしてアーカイブ化されているようなので、いずれ全貌が明らかになるであろう。このプロジェクトに関してのラジオ番組コンテンツも公開されているので、興味のある方はこちらをどうぞ。

Jazz Loft Project


さらに、アダムスの記録に残る1959年12月24日のセッションは、Loftでのミュージシャンの姿を絵として残した画家David X Youngの作品とのコラボという形でCDとなって世に出ている。
恋人たちが愛を語り合っているクリスマスイブの夜、次世代のジャズ作りに燃えるアダムス達が熱くセッションを繰り広げてい入る様子を垣間見ることができるだけでも、このコンテンツは意味があるものだと思う。

アダムスにとっても、このジャムセッションへの参加で1959年の活動を終える。
ここでは、ズートシムとの気楽なセッション。

アダムスの本の中でもこのクリスマスイブのロフトで出来事について語られている。
この日、ピアノのモーズアリソンは、用があって早めに帰らねばならなかった。
皆に残るように懇願さえたが、I'll Remenber Aprilの時に帰ってしまった。ズートとジムホールがデュオでスタートし、皆の演奏になった時誰かがピアノを弾いているのが分かった。
演奏を終えると、そのピアノを弾いていたのはペッパーアダムスであった。
リーダー格のズートが、ペッパー、やるじゃないの。どこで習ったの?それじゃー、続きを・・・といいうと、
ペッパーは全部で3曲しかできないんだと。
それじゃー、残りをやろうか。

ピアノがいなくなってからの出来事だそうだ。そんなやりとりをしながら和気藹藹の雰囲気のLoftでのセッションであった。


翌1960年はいよいよ、ドナルドバードとのコンビが本格的に活動をスタートする。
次回以降順次追ってみることにしよう。

1. It’s Don’t Mean A Thing If It Ain’t Get That Swing
(12/15/1958)
 Zoot Sims (ts),Don Ellis (tp),Hall Overton (p), Bill Crow (b)、unknown (ds)

2. Spuds
(04/1965)
Bob Brookmeter (vtb), Dave Mckenna (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g)
Bill Crow (b), unknown (ds)

3. Dark Cloud
(04/1965)
Zoot Sims (ts), Dave Mckenna (p), Steve Swallow (b), unknown (ds)

4. This Can’t Be Love
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Zoot and Drums
(12/24/1959)
Zoot Sims ts), Jerry Segal (ds)

6. Stomp’n At the Savoy
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Mose Allison (p), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

7. Dog Story
Zoot Sims & Bill Crow Telling the Story of Zoot’s Dog Hank


CD2
1. There Will Never Be Another You
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

2. Wildwood
(1957)
Bob Brookmeyer (vtb), Hall Overtone (p), Jimmy Raney (g), Jim Hall (g), Bill Crow (b), Dick Scott (ds)

3. 821 Blues
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Bob Brookmeyer (vtb), Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

4. When The Sun Comes Out
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Dave McKenna (p), ,Bill Takas (b), Jerry Segal (ds)

5. Groovin’ High
(12/24/1959)
Zoot Sims (ts), Pepper Adams (bs), Jerry Lloyd (tp), Mose Allison (p), Bill Talas (b), Jerry Segal (ds)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

821 Sixth Avenue New York

2014-02-09 | JAZZ LIFE
アメリカニューヨーク、マンハッタンの住所である。

昔であれば、ニューヨークの地図を見ながら大体の場所を想定する。
丁度、28丁目と29丁目の間、いわゆるマンハッタンの繁華街59丁目付近からすると大分南、Macy’sからも5ブロック位南、しかしグリニッジほど南にはいかない所。鉄道のペンステーション、マディソンスクエアーガーデンの横当たりの見当だ。旅行で行っても、どこか目的の店が無いと単にブラつく辺りではないと思う。土地勘のある人であれば大体その辺りの様子は想像できるが、行ったことのない人間にとっては、摩天楼が聳える所なのか、否昔ながらの街並みなのか、地図を見ただけでは皆目見当もつかない。




所が、現在のテクノロジーの進化は素晴らしい。
この住所をGoogle mapに入れると、いきなり地図上にポイントが表示される。さらにストリートビューを使えば、その辺りの最近の様子も手に取るように分かる。
821番地には街路樹の後ろに古い5階建てのビルが残っている。一階はファッションshopになっているが、昔のままの佇まいだ。

一昔前、コンピューターの世界で地図を表示するというのは一苦労であった。元地図を画像化すると重いデータになって非力なパソコンで表示するだけでも一苦労。カーナビの地図でも広域・詳細と複数の地図を使い分けながら何とかニーズを満たす機能を構築していた。さらにその画像データに色々な情報を付加しようとすると、ベースが画像データである限りは、色々制約が多くそれもまた一苦労であった。カーナビの機能の発展系を考えるとき地図データも問題と通信機能が大きな課題であった。

Google mapを始めとして最新の地図データサービスのプラットフォームは画像データではなくベクターデータに変わっている。地図イメージもいわゆる計算式取り扱えるようになった。ソフトで言うフォトショップからイラストレーターの世界への切り替えだ。複雑な画像データを計算式で扱えるようになって、CGの世界が格段に進化したのはご承知のとおり。写真クオリティーのCGデータをパソコンで扱えるようになったので映画やコマーシャルの世界も激変した。

地図データのベースがベクター化されると、地図と色々なデータとの融合がものすごくやり易くなる。人間の感覚として見慣れた地図に必要情報がマッピングされているのは実に使い勝手がいい。数値をグラフ化すると分かりやすくなるのと同様、位置情報は地図が一番。
知らない土地に観光に行って街に出ると、分厚い文字ベースの観光ガイドより、一枚の観光マップの方が格段に便利である。

ベクターベースの地図データに、位置情報さえつければ、アイコンだけでなく、画像であろうと、文字であろうと、音声であろうと何のデータでも地図上に表示させることができる。昔は位置情報を測定するのも一苦労であったが、位置情報そのものの付加もGPS付の携帯・スマホで簡単に把握、付加できる時代だ。

久々にグーグルマップを色々触ってみると、いよいよ本格的に位置情報サービスが提供できる環境が揃ってきているのを実感する。
唯一欠けているのが時間データ(いわゆるタイムスタンプ)の取り扱いルール。これさえ整理できれば昔考えていたキラーサービスは現実のものとなる段階だと思う。

というのも、実は、今から10年近く前、新たなメディアの開発の一環としてこの位置情報連動サービスの開発に参画していた。自分にとっては現役時代の最後の仕事であったので今でも思い入れはある。

当時はまだディバイスとしては位置情報サービスとして実用化され普及していたのはカーナビしかなく、各メーカーが製品の高度化に技術を競っていた頃だ。日本のメーカーがアドバンテージも持っていた時代。次世代のサービスに向けての基礎技術も日本メーカーやキャリアは十分に研究していた。製品としては成熟していたカーナビが通信機能を持ち、中身のコンテンツ、情報を自由に更新できるようになると、最初は車の中でインターネットを自由に見れば良い程度に考えていたものが、地図上のサービスの可能性がとんでもなく広がるのをエンジニアの方々は理解した。

ところが、技術の反映先が自ら手掛けるハード商品ではなく、サービスそのものというお題が目の前に現れると各社とも足がすくんだ。そこは自分達の本業ではないと。
世の中では、ITビジネスの次の段階はプラットフォームビジネスということも声高々に言われていた。それもハード面のプラットフォームだけでなく、サービス面のプラットフォームを含めての重要性が盛んに言われていたのだが。

しかし、その後サービス視点でプラットフォームを着々と構築していったのは、Yahoo、Googleであり、Appleであり、Amazonといった外資系ばかりである。ハードに依存してきた日本のメーカーは皆揃って商品のガラパゴス化、市場の縮小の中で、技術そのものを生かす場を失い、瓦解への道を歩んでいるということだろう。それを救うエンジェル企業も日本では育たなかった。

先日、SONYがテレビ事業と、パソコン事業を切り出す方針を発表した。技術のソニーといわれた時代の終焉、あるは昔のソニーの終わりかもしれない。自業自得といえばそれまでだが、あまりに寂しい限りだ。プラットフォーム構築にはじっと我慢の年月と、様々な技術を束ねるための地道な標準化作業が必要だ。一人でこつこつやるのは得意でも、皆揃ってやるのは不得手なのかもしれない。

アベノミクスの中で、元気な日本とか日本復活とか掛け声だけは威勢がいいが、いくらお金をばら撒いても、実はそれを支える人、ものの実態は何もないのが現実だ。実体のない中で好景気の継続などは絵空事でしかない。

日本の技術を大事にし、品質にこだわり、それを伝承する文化は何も明治維新に外国から持ち込まれたものではない。本来の日本人が脈々と築き上げてきた伝統を、西洋から導入された技術に適用して世界に通用する物を作り上げたものだと思う。

2020年の東京オリンピックの決定に浮かれているが、メーカーから技術者がいなくなり、建築現場から職人が消え、農業の現場から拘りの食材が消え、人々の日々の生活の中から感謝の気持ちが消えてしまった日本で一体どんなおもてなしができるのか、甚だ疑問である。

我々世代が元気に働けるのもあと10年、この間になんとかしなければと思うのだが。

「コーラス好きさん」のコメントに刺激され、話のイントロのつもりで始めたら檄文になってしまった。
大分話が横道にそれたので、本題は稿を改めることにするが、実は、821 Sixth Avenue New Yorkに今も残るこの建物が、モダンジャズの歴史を語る時に50年代から60年代にかけての生々しいジャズの最前線の生き証人となる大事な建物なのだ。

次回に続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親の血を引くといえば、父親もいれば母親もいる・・・・

2014-02-08 | MY FAVORITE ALBUM
Moody / Marilyn Moore

今日は朝から一面の銀世界。いつもの湿った雪と違って降り方も完全に雪国と同じ。明日の朝まで降るようだが、ただでさえ雪に弱い都会のインフラ、これはしばらく後遺症に悩まされそうだ。おかげで、週末の予定はすべてキャンセル、先週来の風邪に引き続き完全休養の一週間になりそうだ。おかげで溜まっていた雑務も片付くかもしれない。

先日、突然STPA細胞の話題がニュースを賑わせた。遺伝子関連の話題といい、最近では分子生物学の領域の話題がホットである、それだけ研究が進んでいるのだろう。今までの人の体に関する常識が覆るのも時間の問題だろう。特に医療領域は完全にこれで従来の病気治療の概念が変わってくる。治療も再生治療の方向へ、さらには治療より予防へ大きくシフトしていくだろう。そもそも今の医療といわれる世界は、先端医療といえども所詮切った張ったの世界、毒を持って毒を制するという乱暴な話。体に良い訳がないと思うのだが。

遺伝子といえば、「DNA鑑定の結果実の親子の関係ではなかった」というニュースも最近よく話題になる。せっかく蓋をしていた事を今更掘り起こしてという気もするが、当事者にしてみれば複雑な気持ちであろう。色々な事が分かりすぎる遺伝子検査の結果を知らずにいる権利も認めて欲しいという声が生まれるのも理解はできる。何事もオープンにして説明責任を問われるという今の風潮も如何なものかと思う。阿吽の呼吸というのは何も問題が起こらなければ心地よいものだ。

さて、この親から引き継ぐ様々な遺伝子を活かすも殺すも本人次第。実は、せっかく引き継いだ才能の遺伝子を活性化させずに終わってしまう人間が大部分ではなかろうか。子供を育てる過程で、それらの遺伝子をちゃんと発現するような環境を用意することが親の本来の責任だ。最近は産みっぱなしの親が多すぎるように思う。これでは子供も育たない。

前回、アル・コーンの息子、ジョー・コーンの父親との初共演アルバムを紹介したが、当然遺伝的な素養は父親だけではなく母親からも引き継いでいるはずだ。母親も音楽的な素養があれば2人の血を引き継ぐ子供たちは、とりあえずはサラブレッドの家系に生まれたことになる。

では、ジョーの母親は?というと、このアルバムの主役マリリン・ムーアである。
といってもあまり有名ではない歌手だが、自分も「ビリー・ホリデイのそっくりさん」という情報以外は持ち合わせていない。
ライナーノーツを見るとコーンとの出会いは、50年代の初めにニューヨークでとのことである。
コーンはウディーハーマンを経て、東海岸でめきめき頭角をあらわしていた時期、一方のムーアもハーマンオーケストラ、チャーリーベンチュラなどのバンドを経て、ニューヨークに出てきたとある。ミュージシャンと歌手というのは出会いときっかけとしては一番確率が高いのか他にも多くの例がある。職場結婚をといえば職場結婚のようなものだ。

2人が結婚したのは1953年、しばらく子育てで引退していたが、しばらくぶりに復帰したタイミングでこのアルバムは作られた。バックには亭主のアル・コーンも加わり、得意の「ホリデイ」ライクな歌を聴かせてくれる。

ホリデイといえばすぐに「奇妙な果実」となって何か別格視されることが多いが、ホリデイの特徴といえばメリハリの効いた歌い方で、曲は、ブルースが多いわけでもなく、普段はオリジナルというよりは当時のヒット曲、いわゆるスタンダード物が多い正統派だ。

このムーアはデモテープをビリー・ホリデイに直接送ってコメントを貰うような関係であったそうで、単なるファンより直弟子を目指して一歩踏み込んだ付き合いもあったようだ。
という訳でもないとは思うが、確かに良く似ている。
バックのアレンジをしたのはアル・コーン、ドンアブニーだが、何故かバックのアレンジもビリー・ホリデイの歌のバックの様になるから不思議だ。

息子のジョーもこのお母さんのホリデイ譲りの歌心を引き継いでいたら最高だ。演奏をタップリ聴いた事は無いが、きっとどこかに潜め持っているような気がする。



1. I'm Just A Lucky So And So 3:00
2. Ill Wind 2:52
3. If Love Is Trouble 2:42
4. Is You Is Or Is You Ain't My Baby 3:24
5. Born To Blow The Blues 3:36
6. Lover Come Back To Me 2:57
7. You're Driving Me Crazy 2:53
8. Trav'lin' All Alone 3:07
9. I Cried For You 2:16
10. Leavin' Town   3:31
11. Trouble Is A Man 2:50
12. I Got Rhythm 2:10

Marilyn Moore (vol)
Joe Wilder (tp)
Al Cohn (ts)
Don Abney (p)
Barry Galbraith (g)
Milt Hinton (b)
Osie Johnson (ds)

Recorded February and March 1957, in New York

ムーディー
Marilyn Moore
SOLID/BETHLEHEM
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グループの調和のさせ方は色々あるが、親子の調和を図るには・・・

2014-02-07 | CONCORD
Overtones / Al Cohn

日頃の不摂生が祟ったのか、風邪をこじらせ4日間もダウンしてしまった。ゆっくりジャズでも聴けるかと思ったが、気分の悪いときに聴くジャズはあまり心地よいものではなかった。半分上の空で何を聴いたかもあまり覚えていない。ジャズを聴くにも体調管理が重要だということだ。

風邪をこじらせた原因は体調の悪い中無理して出かけた日曜日のライブ。それも2つダブルヘッターで。
最初は会社の先輩のバンド。ジャズ研出身なので今はやりのオジサンバンドとはいえ、そこそこの腕前。今回はプロのピアノを加えて女子アナのボーカルのバックを努め、第2部は本格レゲエ歌手を加えてサンタナやディープパープルの曲をやるという盛りだくさんのステージ。最後はスペシャルゲスト大徳俊幸のピアノで大いに盛り上がっていたが、最後まではいられず次なる会場へ。

そちらはお馴染み東京TUC。この日の出し物はBasie Sound Orchestra。
最近では高瀬龍一のビッグバンドがベイシーレパートリーだけをやるといって有名だが、このバンドも徹底的にベイシーとのふれ込み。以前からあるようだが、情報収集不足で知らなかった。ということもあり是非一度聴いてみようということで風邪をおして行く事に。

たいした事が無かったら一部で失礼させて貰おうと思ったが、予想に反して(失礼ながら)なかなか素晴らしいバンドであった。特にベイシーでは大事なリズムセクションだが、ピアノの小池勇気、ギターの加治雄太はきっと他のグループでもいい演奏をしそうだ。メンバーを良く見ると各セクションのリーダー格には、トランペット小澤篤士(最近どこのバンドでも大活躍)、トロンボーンは久々に藤井裕樹、サックスには米田裕也とキーマンを配置して、メンバーは若手だが実にいい感じのベイシーサウンドを満喫できた。要ウォッチのバンドがまたひとつ増えてしまった。おかげでアンコールまでたっぷり付き合って家路に。どうもこの最後の熱気が風邪をこじらせたようなので自業自得であるが。

さてアルバムの方だが、ペッパーアダムス関連が続いたので次なるConcordを。この辺りは偶然か意図的かは分からないが、前作につづいてNew York録音が続く。

コンコルドに登場してからのアルコーンはアレンジャーとしてはなく、テナープレーヤーとしての側面が前面に出されている。初期から何枚かのアルバムに顔を出していたが、本格的にはワンホーンで昔の仲間たちと自由奔放なプレーを繰り広げたリーダー作のNonpareilから。このアルバムは1981年度のグラミーにノミネートされた作品にもなった。

この頃のコンコルドは絶好調で年間40タイトル近くがリリースされ、メンバー達はConcord All Starsとして世界中のコンサートでプレーを繰り広げていた。新加入のコーンも一員として大活躍し、この間ライブを含め多くのアルバムに登場しているが、どのアルバムでもプレーヤーとしてのアルコーンを楽しむことができる。

ミュージシャンの世界も2世ミュージシャンが存在する。音楽的な素養は子供の頃の家庭環境に大きく左右されるといわれるが、音楽家の子供は身近に先生がいるようなもので、その点アドバンテージを持っている、しかしその後は政治家と違って大物の子供といってもそれなりの実力がないと、親の七光りだけではプロとしての活動は長続きしないものだ。

コンコルドでは、音楽家2世としてはテッドナッシュのデビューアルバムがあるが、このテッドナッシュなどは親を超えた活躍をしている一人であろう。
他にも、ブルーベック親子の演奏ピアニストであるルーロウルズの娘との共演、少し変わったところでは評論家レナードフェザーの娘のデビュー作などがあるが、いずれも2世の演奏はどうしても親のDNAがどう引き継がれているかが気になる。

このアルバムはアル・コーンが息子のギタリストジョー・コーンと初めて共演したアルバム。親子一緒のプレーは日頃はあったようだが本格的なアルバムとなると、またプレー振りも緊張したものなるであろう。どんな曲を選び、他のメンバー選びも。

選ばれたメンバーは、ピアノのハンクジジョーンズとベースのジョージデュビビエ。親父の方が選んだのかもしれないがこれは無難な選択。この2人であればフロントにどんな演奏がこようとも上手く立ち回れる。ところがトラムには息子とプレーをしていたAkira Tanaという日系人のドラマーが加わる。
確かに親父がセットした親父の仲間に囲まれてのプレーは想像しただけでもやり難くそうだ。ドラムに一人息子の知人を入れただけである種の緊張感が生まれる。

選曲は、アルのオリジナルに、スタンダード、それにハンク・ジョーンズのオリジナルも加わる。これでハンク・ジョーンズの役割も単なる親子対決の伴奏ではなく、グループサウンド作りのメンバーの一員となった。ジョーンズの曲Vignetteはコールマンホーキンズの名盤ハイアンドマイティーホークにも収められていた曲で自分のお気に入り。テナーメインにはピッタリの曲かもしれない。

結果は、やはりアルコーンのテナーのほうが、圧倒的に存在感がある。息子を前面に出すというにはまだ親としても躊躇があったのかもしれない。したがって作品としても単なる親子対決に終わらせず、新旧の組み合わせの5人のコラボが生まれた。
Overtoneというタイトルどおり親子の組み合わせで醸し出す「2人だけの倍音」が基本だとは思うが、5人の組み合わせが生み出す「和音」が「より深みのある倍音」を生み出しているように思う。

このJoe Cohnは今でもしっかり活躍してるようなので、どうやらちゃんと引き継がれた親のDNAを無事に発揮できているようだ。



1. P-Town         Al Cohn 4:19
2. Woody’s Ament      Al Cohn 5:18
3. Hogh On You       Al Cohn 4:42
4. I Love You        Cole Porter 3:59
5. Vignette         Hank Jones 4:21
6: Pensive         Al Cohn 5:58
7. I Don’t Want Anybody At All Al Cohn 6:21
8. Let’s Be Biddies     Cole Porter 4:39

Al Cohn (ts)
Joe Cohn (g)
Hank Jones (p)
George Duvivier (b)
Arira Tana (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Edward Trabanco
Recorded at Soundmixers in New York, April 1982

Originally released on Concord CJ-194


Overtones
Al Cohn
Concord Records
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能あるドラマーは技を隠す

2014-02-02 | PEPPER ADAMS
Showcase / Philly Joe Jones

ジャズのリズム感を味わうのにドラムは不可欠だが、時々ドラムがしっくりこない演奏に出くわす。リズム感やノリもあるが、一番困るのはただうるさいドラム。ビッグバンドの大音量でも上手いドラミングは決してうるさいとは思わない。そのような時に限って、そのうるさい音にバランスの悪いPAを使ってさらに騒音にしている。

昨年では、バディーリッチオーケストラで来日した時のグレッグ・ポッター。
何でも彼はオールラウンドで活躍しているようだが、自分の耳には馴染まなかった。後半出てきたピーター・アースキンと比較すると違いは明確であった。
ドラムというのはジャズではあまり表にしゃしゃり出ないで裏方に徹した方がいいのかもしれない。

ドラマーがリーダーになったバンドはいくつもある。ジーンクルーパーに始まり、ビッグバンドではバディー・リッチ、ルイ・ベルソン。コンボではアート・ブレイキーやマックス・ローチなど。
いずれもドラマーとして前面に出た時より、リーダーとしてバンドの統率力に真価を発揮した時の方がよい演奏が残されているように思う。

このアルバムは名ドラマー、フィリー・ジョー・ジョーンズがリーダーとなったアルバム。ドラマーがリーダーとなったアルバムはドラムが主体で時にはドラムソロを全面に打ち出したアルバムになりがちであるが、このアルバムも、タイトルそのものが“Showcase”なので果たしてどんな感じなのか。

実は、このアルバムを紹介するのもペッパーアダムスの活動歴の流れから。
その辺りを整理しておくと、1959年10月ドナルド・バードとペッパー・アダムスクインテットは初めてニューヨークを離れてツアーをする。トロント、ピッツバーグでのクラブ主演を行い、11月8日には、コルトレーンクインテット、フィリー・ジョー・ジョーンズクインテットなどと一緒にステージに立った。

そしてアダムスはドナルド・バードと別れ、このアルバムが録音された11月17日、18日の両日、8日にステージを一緒にしたフィリー・ジョー・ジョーンズのレコーディングに招かれた。

フィリー・ジョー・ジョーンズはマイルスのグループを前年に辞めたが、その後実に多くのセッションに参加している。ペッパーアダムスとこのフィリー・ジョー・ジョーンズの接点は?というと、直前の一年の間だけでも。ジョーニーグリフィンのセッション、そしてチェットベイカーのセッションなど実はかなり頻度高く一緒にプレーをしている。このアルバムもそうだが、リバーサイド繋がりかもしれない。

さらに遡れば57年にアダムスが西海岸から戻ったばかりのリー・モーガンとのセッションのドラムもこのフィリー・ジョー・ジョーンズであった。
という訳で、特にアダムスとは同郷という訳ではなかったが、2人が共演した機会は多かったようだ。

このセッションは、フィリー・ジョー・ジョーンズのリーダーアルバム。リバーサイドでは2枚目のアルバムになる。最初の「ドラキュラ」を自分は聴いた事がないのでどんな作品だったのか?
このアルバムは、ジョーンズのグループにアダムス以下の4管を入れてアンサンブルワークを重視しているので、単なるブローイングセッションではない。ドラムソロも全体の構成の中で実に効果的だ。

それにも増して、このアルバムの特徴はジョーンズの作編曲、さらにはジョーンズのピアノプレーまで聴ける点にある。あのマイルスのポギー&ベスの中のGoneも少人数でカバーしている。



Showcaseとは、ドラミングの手数の豊富さを披露するだけでなく、他の手段も用いてジョーンズのよりメロディックな表現のショーケスともいえる。これで、ジョーンズのドラミングがメロディアスな理由がひとつわかった。単なるぶっ叩きドラマーとは違って当意即妙のドラミングが得手な理由が。
アダムスの加わったセッションにおいても、性格の違うアルバムでありながら、それぞれ何の違和感もなく収まっている。

1, Battery       Blues Julian Priester 4:06
2. Minor Mode     Bill Barron 4:26
3. Gwen       Philly Joe Jones 3:57
4. Joe's Debut    Philly Joe Jones 5:35
5. Gone      George Gershwin / Ira Gershwin / DuBose Heyward 4:42
6. Joe's Delight    Philly Joe Jones 3:50
7. Julia        Julian Priester 3:26
8. I'll Never Be the Same  Gus Kahn / Matty Malneck / Frank Signorelli 3:58
9. Interpretation       Bill Barron 4:02

Blue Mitchell (tp)
Julian Priester (tb)
Bill Barron (ts)
Pepper Adams (bs)
Dolo Coker as Charles Coker (p)
Sonny Clark (p)
Jimmy Garrison (b)
Philly Joe Jones (ds,p)

Recorded at Reeves Sound Studios in NYC, November 17&18, 1959


Showcase
Philly Joe Jones
Ojc
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする