A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ベイシーオーケストラのテナー、ダグローレンスはオルガン好き・・・

2017-03-04 | MY FAVORITE ALBUM
High Heel Sneekers / Doug Lawrence

 ベイシーオーケストラのサックスセクションのソリストといえば昔からテナーが要だ。古くはレスターヤングに始まり、黄金期のフランクフォスター、その後もエディーロックジョーデイビス、エリックディクソンと、多少スタイルが違ってもベイシーオーケストラのスイング感と良くマッチしたテナープレーが必須だ。

 今のサックスセクションのメンバーはバリトン以外固定しているが、テナーは大柄のダグローレンス、そして小柄の方がダグミラー、どちらも味のあるソロを聴かせてくれる。今回の来日時も、920Specialでは二人でテナーバトルを繰り広げていた。このダグローレンスも、いつの間にかベイシーオーケストラに加わってから10年以上経ち、レギュラーメンバーとして要になっている。



 数年前、ベイシーのライブを聴いてこのローレンスの演奏をもう少し聴いてみたいと思い、ベイシー以外のグループでの演奏を探したら、たまたま持ち合わせていたブッチーマイルスのアルバムに加わっていた。このアルバムを最初に聴いた時には、あまり意識せずに聴いていたが、ベイシーオーケストラの卒業生のブッチーマイルスと一緒ののびのびとした演奏も好演だ。

 それではリーダーアルバムは?と思って、探して入手したのがこのアルバム。オルガンとギターを加えたクインテット編成だが、60年代のジミースミスを始めとしたファンキーなオルガンアルバムの雰囲気の演奏だ。ローレンスのテナーもスタンレータレンタイン風となり、いつもよりグルービーだ。

 このローレンス、父親がミュージシャン6人兄弟の末っ子に生まれた。兄たちも皆ミュージシャンになったので、子供の頃から音楽には慣れ親しんで育ったそうだ。体が大きかったせいもあり13歳の時から父親のバンドに加わり演奏活動を始め、名門ノーステキサス州立大学のスカラーシップを得たにも関わらず、一方で地元のバンドのオーディションに受かったのでプロでの活動を優先した。ところがバンドが解散し、ラスベガスで仕事をしていた兄を頼ってテキサスを離れる。ところが、1975年当時のラスベガスはミュージシャンとっては働く場所がどんどん減っていた時期で、そこでも仕事にありつけず、止む無くニューヨークに行くことに。若い頃はあまり恵まれたキャリアではなかったようだ。

 ニューヨークでは、ベニーグッドマン、バッククレイトンといったスイング系のバンドでプレーをする一方で、ワイルドビルデイビスのグループのレギュラーメンバーとなった。ローレンスにとってはこれがオルガンとの出会いで、このオルガンを加えたスタイルでの演奏がすっかり気に入ったそうだ。

 という理由で、自分のグループで演奏する時は、このオルガンを加えた編成が多いようだ。
今回の来日時も、新しいアルバムのサイン会をやっていたので、中身も確かめずに記念に一枚購入したが、これも同じようにオルガンを加えた演奏。どうやら、ローレンスのスイング感の源は、このオルガンをバックにしたファンキーなプレーにあるようだ。



1. The Lamp Is Low   P. DeRose / M. Parish / M. Ravel / B. Shefter 6:32
2. Get Out of Town                   Cole Porter 7:08
3. High Heel Sneakers                Doug Lawrence 4:47
4. Crazy She Calls Me           Bob Russell / Carl Sigman 6:03
5. The Masquerade Is Over          H. Magidson / A.Wrubel 6:15
6. The Moon Was Yellow            F. E. Ahlert / E. Leslie 4:45
7.Doug's Dilemma                   Adam Scone 6:50
8. Savoy Blues                   Doug Lawrence 5:38
9. Detour Ahead Lou Carter / Herb Ellis / John Freigo / Johnny Frigo 5:58
10. El Shakey                    John Webber 3:58
11. The Way You Look Tonight     Dorothy Fields / Jerome Kern 6:30

Doug Lawrence (ts)
Peter Bernstein (g)
Adam Scone (org)
Dennis Irwin (b) 1,2,4,5,7,8,9,11
John Webber (b) 3,6,10
Willie Jones Ⅲ (ds)

Produced by Don Mikkeisen
Recording Engineer : Nihar Oza
Recorded at Fable Studios, New York on January 8 & 12 1998

High Heel Sneakers
クリエーター情報なし
Lightyear
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日本人以上に「日本を愛するデビッドマシューズ」の原点はこのアルバムから・・・

2017-03-03 | MY FAVORITE ALBUM
Manhattan Jazz Quintet / David Matthews

 年明けから始まったビッグバンドのライブ巡り、1月にはジョンファディス、三宅裕司、野口久和と続いたが、それぞれテーマがあり編成やアレンジにも拘りがあって楽しめた。
 2月もビッグバンドが続いた。野口茜のmboでは、もう一人のリーダー双木さんがインフルエンザでダウン。ビッグバンドではメンバーが一人欠けてもトラで乗り切るのが常だが、リーダーも兼ねるとなると代役探しも大変。実施も危ぶまれたそうだが、急遽松木さんがピンチヒッターを務めて無事終了。パーカッションが加わりラテンフレーバーで一味違うmboの演奏も、いつも通りいい感じであった。

 続いて守屋純子の毎年恒例のコンサート。今回のお題は「ルディーバンゲルダー」トリビュート。どんな嗜好かと思ったが、彼女にとっては彼女のアメリカ録音がバンゲルダースタジオで縁があったとか。昨年亡くなったバンゲルダー追悼の意味だったのだが、彼女の周辺では昨年バリトンの重鎮宮本大路さん、そして長年一緒にプレーした長老尾田悟さんと相次いで不幸が続き、今回のコンサートはそれぞれの方々のメモリアル曲が続いた。

 カウントベイシーは最近メンバーもほぼ固定化され、さすがアンサンブルもソロも本家ベイシーサウンドの貫禄だった。ベイシーオリエンテッドのアマテュアバンドは多く、たまたま前日も聴いたが、やはり本家の演奏は格が違うと言わざるを得ない。今のリーダーのバーンハートに代わってからは活動にも気合が入っているようで、ライブだけでなく、前作のクリスマスアルバムに続き、新アルバムもすでに録音済みとのこと、発売が楽しみだ。今回のステージは定番の曲だけでなく、モーテンスイングなどのオールドベイシーの曲から、新アルバムに入っているというスティービーワンダーの曲まで、ベイシーサウンドを幅広く楽しめたのも収穫。

 そして、佐藤春樹ビッグバンドは新装開店のお披露目。若手メンバーも多く参加していたが、今回は4ビート中心にやるとのこと。ベテランとのコンビネーションもよく、4ビートといっても古いスタイル、昔のアレンジの焼き直しという訳ではなく、リーダー佐藤のアレンジが光る。スタンダード曲とオリジナルのバランスも良く今後に期待。
 河野広明ビッグバンドは、フィルケリーのアレンジを中心にオリジナルも含めていつものように西海岸のビッグバンドサウンドが楽しめた。
 2月最後は角田健一。定期公演の大きなホールも良いが、ピットインでのライブは盛り上がりも一段と。ビッグバンドの名曲、そしてジャズスタンダード中心のプログラムだが、流石王者の貫禄。締めとしては最上のライブであった。
これからも連休にかけて、ビッグバンドのライブが多く予定されファンとしては楽しみだが、今年は旅行の予定もあり、はたして何回聴きに行けるか?

 さて、しばらく中断してしまったアルバム紹介だが、ビッグバンドを聴き続けたのでビッグバンドをとも思ったがそれは改めて。先日、ウィントンマルサリスのスターダストを聴いた時、このアルバムも久しぶりに引っ張り出してあったので、まずはこのアルバムから。

 昔から母国以上に日本で人気が出たミュージシャンは多い。自分が子供の頃、ムードテナーの王者にサムテイラー、そしてジョージオールドといったテナー奏者がいた。歌謡曲のブルース物には欠かせない存在であったが、自分は子供心にこれがジャズだと思っていた時もあった。もっとも、彼等も本国ではジャズやR&Bをやっていて、そのプレースタイルは必ずしも耳慣れたサウンドだけではないことを後で知った。ジャズ以外でもエレキブームのきっかけともなったベンチャーズなども日本で絶大な人気を得て、晩年も毎年のように日本に来て地方回りをしていた。

 ジャズの世界では、ファンキージャズの立役者アートブレイキーは、初来日の時の歓待が余程気に入ったのだろう、すっかり日本贔屓になってその後も何度も日本に来ていた。彼の場合、日本での評価は過去の人気の延長だったような気がするが、内容的には本国アメリカでの評価の方が上回っていたかもしれない。特に有望な新人の発掘能力、そして彼らを活かしたジャズメッセンジャーズサウンドは最後まで衰えなかった。

 本国よりも日本での人気が上回ったジャズミュージシャンの一人にデビットマシューズがいる。プレーヤーとしてよりも、コマーシャルからジャズまでオールラウンドなアレンジャーとして活動がスタートであった。ダンスバンド、そしてジェイムスブラウンのバックに始まり、表立った活動を始めたのがCTIレーベルのサウンド作りに加わってからだった。 
 それが評価されたのだろう、世界に通用するフュージョンを提供するレーベルとしてキングレコードが立ち上げたエレクトリックバードレーベルの一連のアルバム作りに数多く加わった。これが、日本との接点が増えたきっかけであり、プロデューサーの川島氏とのコラボレーションのスタートとなった。

 その活動も定着し一定の評価を得た時、スイングジャーナルの編集長であった中山氏から提案があった。このマシューズにフュージョン色を排し、ハードバップスタイルのメインストリームアルバムを作ってはどうかと。これがこのマンハッタンジャズクインテット(MJQ)の誕生となった。1984年の事であったが、折しもこの頃はフュージョンが全盛であった一方で、新伝承派といわれるマルサリスなども台頭していた時だった。

 このマンハッタンジャズクインテットのファーストアルバムがこのアルバムとなる。日本では当然話題となったが、辛口のファンからはフュージョン育ちがハードバップをやっても、それはジャズではないという声も上がった。セールス的にもよく売れたが、内容的にも評価され、結果的にスイングジャーナルのディスク大賞では先日紹介したマルサリスのスターダストの銀賞を押さえて金賞を受賞した。

 スタジオワークではファーストコールであったルーソロフとジョージヤングの吹っ切れたソロに、新人チャーネットモフェットのベースも話題となった。スティーブガッドの4ビートも、フュージョン派の4ビート、今思えば懐かしいサウンドだ。新伝承派の面々とは一味違ったメインストリーム、ハードバップを、あまり線引きには拘らなかった自分としては心地よく聴いた記憶がある。

 その後、マシューズはこのMJQに加え、マンハッタンジャズオーケストラ(MJO)を誕生させた。アレンジャー歴の長いマシューズにとっては、このオーケストラの方が自ら先に作ったリーダーバンドだった。これをMJOに衣替えした訳だが、こちらもマシューズ風の編成とアレンジで、彼の斬新的なビッグバンドサウンドをよりポピュラーな存在にした。
その後、どちらのグループもジャズスタンダードといわれる良く知られた曲を選んでアルバム作りを行い、日本では益々人気を得てMJQとMJOを交互に率いて毎年のように日本ツアーを行ってきた。

 最近では、MJOが東北大震災の直後の放射能漏れ騒ぎの真っ只中、予定したメンバーから来日を辞退者が多くいたにも関わらず、日本人プレーヤーのサポートを得て予定通りツアーを決行した。これまでお世話になった日本への恩返しという意味もあったのだろう、こんな大変な時こそ元気与えなければといった熱気を感じさせるライブであった。

 このMJQのアルバムが生まれてから30年、メンバーは変ってもMJQは昨年も新しいアルバムを録音しているようだ。日本人の手によって誕生し、日本人の為にカスタマイズされたバンドであったが、その活動を通じてマシューズ自身を日本人にしてしまったようだ。

 マシューズは今では日本に居を構え、最初は熊本、そして今では八戸を拠点とし、日本の良さが残る地方にすっかり溶け込みながら、日本全国を飛び回っている。たまに、ドラムの奥田英人とコンボを組んで都内のライブハウスに出演することがあるが、そこでは一ピアノプレーヤーとして入魂の演奏を聴かせてくれる。やはり、ピアノのプレーではマシューズに宿るジャズ魂は、ジャンルや編成に関係なくひとつのようだ。

 先日、サックスのエリックマリエンサルが来日し、色々なセッションでそのプレーを披露してくれたが、いずれもアルバムで聴く演奏とは全く違った熱っぽいものだった。やはりライブでの演奏はそのプレーヤーの本質を楽しめる。一昔前のフュージョン、メインストリーム論争、それはあくまでもアルバムを通じての評価だったように思う。 過去のアルバムを聴くのもいいが、生のジャズを楽しみにライブ通いが続きそうだ。

1. Summertime      G, Gershwin
2. Rosario         D. Matthews
3. Milestones        Miles Davis
4. My Favorite Thing    Richard Rogers
5. Airegin         Sonny Rollons
6. Summer Waltz      David Matthews

Manhattan Jazz Quintet
Lew Soloff (tp)
George Young (ts)
David Matthews (p,arr)
Charnett Moffett (b)
Steve Gadd (ds)

Produced by David Matthews & Shigeyuki Kawashima
Recording Engineer : Michael Farrow
Recorded at A&R Studio, New York on July 13 1984

MANHATTAN JAZZ QUINTET
クリエーター情報なし
キングレコード
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この2人はやはりビッグバンドがいいな・・・

2017-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Groove Shop / Clayton-Hamilton Jazz Orchestra

 ライブに行く時も、新しいアルバムを聴く時も、昔は聴く前からワクワクしたものだ。どちらも、限られた小遣いでどれに行こうか、何を買おうか散々迷った挙句に決めたもの。実際に聴く時も、聞き漏らすまいと集中して聴いたものだ。それでも中には期待外れだったものもあり、その時の落胆は大きかった。

 社会人になってしばらくすると懐具合は暖かくなったが、反対に時間が無くなってきた。急な残業になって、せっかく買ったコンサートのチケットが無駄になったこともあった。ジャズ喫茶も昼休みに行く程度、レコード屋周りをする時間も無くなった。その内スイングジャーナルをじっくり読む時間も無くなり、レコード屋に行ってもお目当てのアルバムがすぐに思い浮かばなくなった。仕方なく衝動買いしたアルバムは当然外れが多くなった。

 ちょうど平成に変ってしばらくして、90年代から2000年になってしばらくは完全に仕事漬けの毎日。レコードからCDになったこともあり、手軽に聴けるようになったのは良かったが。BGMでジャズを聴くことはあっても、オーディオに面と向かって聴き込むことはめっきり減った。アナログ盤も一時完全にお蔵入りした。当然ワクワクして聴くような状況はめったになくなってしまい、ジャズ好きの自分にとっても空白の十数年ができてしまった。

 自分の中のイメージでは新人、若手だったはずだが、今では突然大ベテランになってしまったミュージシャンは少なくない。一体その間はどうだったのか?気になるミュージシャンは、今になって抜けた期間をトレースしている始末だ。お蔭で手持ちのアルバムの棚卸が進まない中、新しいアルバムも増えることになる。困ったものだ。

 年明け早々クレイトンブラザースが来日した。コンコルドフリークの自分にとっては、このレーベルで新人デビューした2人は若い頃から良く知る部類に入る。ビッグバンド好きなので、ジョン&クレイトン兄弟と、盟友ジェフハミルトンが立ち上げたクレイトン・ハミルトンジャズオーケストラはトレース対象だった。何年か前、このビッグバンドが来日した時は、初めて聴くライブにワクワクして出掛けたのだが、今回のクインテット編成の演奏となると・・・?



 というのも、デビュー直後のアルバム以降の彼らのアルバムは聴いていない。幸い今は時間があるので、気になったライブに自由には出掛けることができる。このクレイトンブラザースのライブも出掛けてみることにしたが、頭の中のイメージはデビューしたての頃とビッグバンドでの演奏となる。年明け早々のブルーノートはチケットの売れ行きが悪かったのか、ミュージックチャージの割引券も結構配られていた。当日の客足はまずまず、空席が目立たない程度の入りにはなっていた。
演奏が始まると、クインテットの編成の割には、結構きめ細かくアレンジも施され多彩なグループサウンドを聴かせてくれた。メンバーは、ジョンの息子がピアノで加わっていて必ずしもベテラン揃いという訳でもない。自分はアレンジ物も嫌いではないが、そのようなイメージを持っていなかったので、多少頭の中のリセットが必要だった。会場も、なんとなく盛り上がりに欠けアンコールも無くセットが終了した。これは、「割引券があったので来た」という声も会場で聞こえたので、熱烈ファンばかりでなかったというのも一因だと思う。残念ながら、自分の中でもジョンファディスのブルーノートオールスタービッグバンドでの盛り上がりとは大違いだった。
クレイトンブラザースの最近のアルバムも機会があったら聴き返してみようと思うが、やはりこの2人のイメージはビッグバンド。彼らのファーストアルバムを聴き返すことにした。

 2人がビッグバンドを作ったのは1985年。2人の盟友であるジェフハミルトンを含めて3人で立ち上げた。ハミルトンとジョンはインディアナ大学時代からのプレー仲間。ハミルトンはウディーハーマンのビッグバンドを経て、コンコルドレーベルで大活躍していたスイングするドラムの若手の代表格。クレイトン兄弟もジェフはベイシーに始まり、ハンプトン、ハーマンとビッグバンドを渡り歩いた。一方のジョンもサドジョーンズが率いた時代のカウントベイシーオーケストラでベースを務めた。ビッグバンド好きの3人がビッグバンドを作ろうということになったのは必然でもあった。
 設立にあたってメンバーのリクルーティングを行った。西海岸を拠点として活動していた3人は知り合いも多かったが、少し拘りを持って集めた。まず、市場を考えるとビッグバンドがレギュラー活動をできる状況ではなかったので、不定期な活動にせざるを得ない。しかし、集まってやるからには単なるスタジオワークではなく、音楽的にもそして個々のプレーヤーも地に足のついた拘りの演奏ができるバンドを目指した。何か、サドメルが出来た時と似たように感じる。
 ジョンはベースプレーだけでなく、アレンジも得意としていてこのバンドのアレンジはすべて担当した。やはり基本はベイシーライクのスイング感を持つアレンジだ。サドジョーンズの影響を受けたのか、多少モダンなサウンドも聴かせるが、全体は初期のサドメルのように実にグルービーに洗練されたサウンドだ。

 このアルバムで、一曲目のジョージアを聴いたいとたんにこのバンドカラーのイメージが湧く。スローな曲での木管の使い方は、サドジョーンズのアレンジを思い浮かべるモダンな響きだ。昨今のビッグバンドはマリアシュナイダーの影響か、スイングするというよりはハーモニー重視のバンドが多い。このクレイトン・ハミルトンは今でも設立当初からのベイシーやエリントンに繋がる伝統スタイルを大事にしている。自分の好みのオーケストラだ。


1. Georgia            Hoagy Carmichael / Stuart Gorrell 3:21
2. Rain Check                  Billy Strayhorn 5:35
3. 'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It) Sy Oliver / Trummy Young 3:31
4. Brush This                   John Clayton 5:27
5. How Great Thou Art              Stuart K. Hine 3:31
6. Groove Shop                  John Clayton 5:48
7. Sashay                    Oscar Brashear 6:07
8. Melt Away/A Time for Love           Johnny Mandel 5:34
9. I Won't Dance      O. Hammerstein II / J. Kern / J. McHugh 3:23
10. Night Train Jimmy Forrest / Lewis Simpkins / Oscar Washington 9:53


Clayton-Hamilton Jazz Orchestra
Oscar Brashear (tp.flh)
Snooky Young (tp,flh)
Bobby Bryant (tp.flh)
Clay Jenkins (tp,flh)
George Bohannon (tb)
Ira Nepus (tb)
Thurman Green (tb)
Maurice Spears (btb)
Jeff Clayton (as,ss,fl,oboe)
Rickey Woodard (ts,cl)
Bob Hardaway (ts,cl)
Bill Green (as,cl,fl)
Lee Callet (bs,bcl)
John Clayton (b,arr,)
Herb Mickman (b)
Michael Lang (b)
Doug MacDonald (g)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Thomas C. Burns, John Clayton, Jeff Clayton, Jeff Hamilton
Johnny Mandel ; Music Supervisor
Hank Cicalo : Engineer
Recorded at Evergreen Recording Studio, Burbank, California on April 18 &19 1989
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バラードを上手く吹ければ一人前、それも Stringsをバックにとよく言われるが・・・

2017-02-10 | MY FAVORITE ALBUM
Hot House Flowers / Wynton Marsalis

 一昨日は雪交じりの雨、今日も午後から曇り空に。ゴルフどころか外に出掛ける気にもならず、一日家に籠っていた。家の中にいても、特段すぐに片付けなければならないこともなく、久々にのんびり過ごした2日間だった。昔は何もすることがないと却って落ち着かなかったものだが。人間怠け癖がつくと、なかなか元には戻れない、無理に忙しくする必要もないが、規則正しい生活は必要かもしれない。

 このような一日は、何かしながら昔の事を思い出すには丁度いい。コンコルドのアルバム紹介が丁度1984年のアルバムに差し掛かったこともあって、古いスイングジャーナルなども引っ張り出し、何枚かレコードを聴きながら当時のジャズ界の状況を頭の中で整理するには好都合であった。
先日のアルバムにロンカーターが登場したこともあり、1984年にロンカーターが参加したアルバムも見直してみた。カーターの場合は毎年ジャンルを問わず多くのアルバム作りに参加していたので、その中に一枚くらいは自分が持っているアルバムもあるのではないかと思って。中に、この年話題になったアルバムが一枚、このマルサリスのアルバムだ。

 日本盤のタイトルは「スターダスト」、マルサリスのwith stringsということでクリフォードブラウンとの対比を含め、話題のネタとなる要素がたくさん含まれている。マスサリス嫌いというジャズファンも多い中で、自分はマルサリスの熱狂的なファンという程でもないが嫌いではない。アルバムも知らず知らずの内に増えていた。まだ本格デビューから3,4年といった頃、マルサリスの中では初期のアルバムになる。

 手元にスイングジャーナルがあると、その辺りの事情を具体的に辿るには丁度いい。ネットが万能といわれるが、このような時は雑誌を積んでパラパラめくりながら関連の記事を探すのが一番。ネットでピンポイント検索するのとは違って、直接マルサリスとは関係が無い記事、更にはオーディオの記事や広告まで同時に見ることができるのが有難い。しばらくすると、昔の雑誌の読み方、資料調べの感覚が戻ってきた。

 さて、このアルバム、その年のスイングジャーナルのディスク大賞の銀賞に選ばれた。アメリカではグラミー賞でBest Jazz Instrumental Performance, Soloistを受賞している。これは、マルサリスにとって前年Think of Oneに続いて2年連続、さらにこの年はクラッシックでも同様のBest Classical Performance - Instrumental Soloistを受賞し、名実ともにジャズとクラシック双方のトランペット奏者の第一人者になった年だった。
 スイングジャーナルの表紙にも登場し、マルサリスを含めて新伝承派と呼ばれた若手の特集も多かった。急成長して一気に頂点に登りつめた若者だったマルサリスを素直に称賛する声がある一方で、このように両刀使いで何でもできるのは、却って演奏技術に長けていても本物のジャズプレーヤーにはなれないといった辛口の意見も見受けられる。たしかに、技術的に上手いプレーヤーが味のある演奏をするとは限らないのがジャズなのだが。自分は、その後の活動を含めジャズの伝統に根差した演奏に拘るマルサリスが好きなのかもしれない。

 久々に、このアルバムを聴き直してみた。日本盤のタイトルはスターダストだが、オリジナルはHot House Flower。「スターダスト」は明らかにクリフォードブラウンのアルバムを意識したネーミングだ。アルバムを売るには、この方が、遥かに効果がある。
一方のホットハウスフラワーは、唯一のマルサリスのオリジナル。この曲をアルバムタイトルにするにはそれなりの理由があったのだろう。

 With String物は、基本的にバラード曲が並び、ソロ中心でストリングスはあくまでもバックの雰囲気づくりに一役買うということが多い。クリフォードブラウンのアルバムはまさにその通りだった。ところがこのアルバム、決してバラードばかりではない。最後の曲などはアップテンポ、ストリングスを交えたグループセッションといった感じだ。ちょうどCTIレーベルが登場したころから、ウェスのA day in the lifeに代表されるように、バックのストリングスの使い方も大きく変っていた。という点では、アレンジャーのスキルや感性も変化してきてきたということになる。

 このアルバムのアレンジはBob Freedman、すぐには思い出せなかった名前だったが、昔はメイナードファーガソンのビッグバンドにアレンジを提供したこともある。その後も映画音楽や歌手リナホーンやハリーベラフォンテのバックオーケストラのアレンジなどを数多く手掛けていたようで、ここでもオーソドックスなアレンジもあれば、一味違うスリリングなアレンジも聴かせてくれる。バックというよりも、コラボという位置づけだ。やはり、このアルバムの評価は、マルサリスのトランペットだけでなくバックのアレンジ込みだろう。

 クリフォードブラウンのアルバムは、最後がスターダストであった。これを受けたマルサリスは、スターダストからスタート、スタンダード曲を素材にオーケストラとのトランペット協奏曲をスタート、途中はマイルスとギルエバンスとのコラボの延長とも感じさせる。B面に移って、自分のオリジナルのタイトル曲で締め、最後はマルサリスが最も尊敬するといわれるアームストロングもよく演奏したI'm Confessin'でクロージングを迎えるという大組曲のようにも思える。

 このアルバムのベースがロンカーターというのも気が付かなかったが、こうやって聴き返すと、マルサリスのソロとバックのオーケストラアレンジの橋渡し役であるリズムセクションの要として、カーターも意味あるキャスティングだったように思う。

 この2日間で、当時のジャズ事情は大分記憶が整理された。コンコルド以外もこの頃の棚卸を続けてみよう。

1. Stardust             Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 4:07
2. Lazy Afternoon  John Latouche / Jürg Morgenthaler / Jerome Moross 5:03
3. For All We Know            J. Fred Coots / Sam M. Lewis 6:15
4. When You Wish Upon a Star      Leigh Harline / Ned Washington 4:40
5. Django                          John Lewis 4:52
6. Melancholia                      Duke Ellington 5:09
7. Hot House Flowers                  Wynton Marsalis 5:46
8. I'm Confessin' (That I Love You) D. Daugherty / Al J. Neiburg / E. Reynolds 5:41


Wynton Marsalis (tp)
Branford Marsalis (ts,ss)
Kenny Kirkland (p)
Ron Carter (b)
Jeffrey Watts (ds)
Kent Jordan (afl)

& strings Orchestra

Produced by Steve Epstein
Arranged and Conducted by Robert Freedman
Recorded at RCA studio A, New York on May 30 & 31 1984

スターダスト(期間生産限定盤)
クリエーター情報なし
SMJ
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ビバップの創始者は、ビッグバンドもバップスタイルで・・・

2017-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Dizzy Gillespie and His Big Band in Concert

今年2017年は、ジャズのレコードが初めて作られた1917年からちょうど100年。



この、Original Dixieland Jass Bandのレコードはいきなりミリオンセラーになったそうだ。太古の昔から、絵画や文字でその当時の記録を残すことはできたが、音だけはレコードが発明されるまで記録に留めることはできなかった。クラシックと違って譜面に残されていないジャズの演奏は、レコードが無ければ当時の演奏の再現も難しい。音は悪くても貴重な演奏だ。

この史上初のジャズレコードが生まれた年1917年に誕生したジャズミュージシャンは沢山いるが、その一人がトランペットのディジーガレスピー。パーカーと共に、モダンジャズの原点であるビバップの創始者としても有名だ。

ガレスピーがミュージシャンとして本格的に活動を始めた1940年代、世の中はビッグバンドの全盛期。ガレスピーに限らず当時のジャズミュージシャンは皆ビッグバンドが仕事場であった。形にはまったジャズに満足できずに、仕事が終わった後のジャムセッションからビバップは生まれた。丁度、第2次世界大戦の真っ只中から戦後にかけてであった。戦争は多くの歴史・文化を失うが、大戦中でも戦場にならなかったアメリカ大陸だけは文化活動も途絶えることなく、却って革命的な変化が起こっていたということになる。

コンボの演奏形態としてのビバップが進化していった中、ビッグバンド好きのガレスピーは自らビバップオーケストラを作り、ビッグバンドが下火になった1956年まで自らのビッグバンドを率いていた。その後も、機会ある毎にレコーディングやライブで臨時編成のビッグバンドを率い、時には他のバンドのゲストとしてもよく参加した。根っからのビッグバンド好きであったのだろう。



先日、エリック宮城率いるブルーノートオールスタービッグバンドの新春ライブがあった。このバンドは最近ゲストプレーヤーを招くことが多いが、今回はガレスピーの生誕100年を祝って、ジョンファディスをゲストに招いてのライブであった。
宮城自身トランペットの第一人者であっても、今回のお題がガレスピーとなると、やはり一番弟子のジョンファディスが適役と考えたのだろう。実際のステージでも、ファディスが登場するとエリックは舞台を退き、プレーだけでなく、バンドの指揮もすべてファディスにお任せであった。

ジョンファディスも、若い頃はサドメルの一員として活躍し、近年ではカーネギーホールジャズオーケストラのディレクターを務めるなど、ガレスピー譲りは演奏だけではなく、
ビッグバンドバンドにも思い入れがあるようだ。

ステージではお馴染みのガレスピーナンバーを次々と繰り広げたが、得意のハイノートを駆使したプレーでバンドを引っ張るだけでなく、バックのオーケストラの演奏にも気を配っていた。ブルーノートオールスターズは百戦錬磨の日本を代表するプレーヤー揃い。しかし、ガレスピービッグバンドのノリを再現するには少々リハ不足だったかもしれない。最近では珍しいリフサンサンブルでの盛り上がり、そしてバラードの名曲アイリメンバークリフォードではバックのデリケートなアンサンブルに細かく指示を出していたのだが・・・。その中でファディスの期待に応えていたのは二井田ひとみの掛け合い。大先輩ファディスとのやり取りに多少困惑、そして気後れした感じはあったが、歌心あるプレーズで堂々と渡り合っていた。彼女のファンとしては嬉しい限り。

さて、このようなライブを聴くとオリジナルが聴きたくなる。リーモーガンやウィントンケリーがいた頃の、ニューポートでのライブがすぐに思い浮かぶが、やはり結成直後の演奏が原点だろう。



このアルバムは、ビバップの伝道師と言われたジーンノーマンが1948年に西海岸(パサディナのオーディトリアム)で行ったライブアルバム。ビバップのムーブメントは西海岸ではすんなりと受入れられなかったといわれるが、会場の盛り上がりは凄い。ジーンノーマンの功績は大きい。

ガレスピーのビッグバンドの特徴はもう一つ、ラテンサウンドを採り入れた所だ。それにはアレンジだけでなくパーカッションも大事。このライブにはキューバ出身のチャノボゾが参加しているのも価値がある。キューバからアメリカに来たのが、このライブの前年の’47年、翌年’49年の12月にはニューヨークのバーで射殺され、実際にアメリカで活躍した期間はほんの僅かであった。

ガレスピー以外のメンバーにも、テナーのジェイムスムーディー、バリトンのセシルペインなどがいてソロを繰り広げる。アレンジはガレスピーのオーケストラアレンジでは有名なギルフラーやタッドダメロン。やはり、バップオリエンテッドなモダンビッグバンドの原点はここにある。

1. Emanon            Dizzy Gillespie / Milton Shaw 4:30
2. Ool-Ya-Koo            Gil Fuller / Dizzy Gillespie 6:15
3. 'Round About Midnight  B. Hanighen / T. Monk / C. Williams 3:35
4. Stay on It           Tadd Dameron / Dizzy Gillespie 5:40
5. Good Bait             Count Basie / Tadd Dameron 3:20
6. One Bass Hit      Ray Brown / Gil Fuller / Dizzy Gillespie 5:05
7. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:30
8. Manteca         Gil Fuller / Dizzy Gillespie / Chano Pozo 7:35

Dizzy Gillespie (tp)
Dave Burns (tp)
Elman Wright (tp)
Willie Cook (tp)
William Shepherd (tb)
Jesse Tarrant (tb)
Cindy Duryea (tb)
Erney Henry (as)
John Brown (as)
Joe Gayles (ts)
James Moody (ts)
Cicil Payne (bs)
Nelson Boyd(b)
James Foreman (p)
Teddy Stewart (ds)
Chano Pozo (conga)

Produced by Gene Norman
Recorded live at Pasadene Civic Audorium, Calfornia on July 26,1948




Dizzy Gillespie And His Big Band In Concert
クリエーター情報なし
GNP Crescendo
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持っているアルバムの棚卸も、何かきっかけがあると捗りそうだ・・・

2017-02-03 | MY FAVORITE ALBUM
In Tradition / Franck Avitabile

歳をとるとなかなか新しいことを覚えるのが大変だ。覚えようとすること自体が億劫になる。それに反して昔の事はつまらない事でも覚えている。ただし、それを思い出すには何かきっかけが必要だ。
最近は、学生時代の仲間と再会して昔話に花を咲かせる機会が多いが、話が盛り上がると次々と昔の記憶が蘇る。どうも新しいことを覚えようとするよりも、昔の記憶を思い出す機会を増やす方が頭の体操には良さそうだ。事実、ボケ防止のためには、昔の書き物や写真を見返すことが大事なようだ。

先日、神保町に行く用事があった。浪人時代、そして会社勤めを始めた頃、毎日通った街だけに、懐かしさもあって行く度に街を一回りする。昔あったジャズ喫茶、響、Smileは無くなって久しいが、今もジャズ喫茶は何軒かある。神保町の交差点近くにあるのがBig Boy。JBL4343が良い音で鳴っている。少し離れたボンディーでカレーを食べた後で寄ってみた。昼休み時間が終わった後で、お客は勤め人というよりは、自分と同じ年代が多かった。一人で来ている者もいれば友人同士で、席はほぼ一杯だった。やはり同世代にはジャズ好きが多いのを実感した。

最初に掛かっていたのは、カーメンマクレーのグレートアメリカンミュージホールでのライブ盤、そしてデイブパイクのパイクスピーク。ここは新しいCDも多いので自分の知らないアルバムが掛かっていることが多いが、知ったアルバムだと何となく落ち着くものだ。

そして、次にかかったアルバムは、バウエル風のピアノトリオ。結構いい音だ。遠目に立てかけてあるCDジャケットに目をやると、デザインは記憶がある。確か持っていたはずだと記憶を辿るが名前が出てこない。席を立って確認しようと思ったが、持っていることを確信して、家に帰ってから確認することに。

さて、自宅のCD棚は、コンボ、ボーカル、ビッグバンド別にABC順に並べてある。数は数えた事はないが、多分3千枚近くはあるだろう。この中から全く名前にあてのないものを探すのは至難の業だが、棚の前に立つと躊躇なく左上のAの場所へ。秋吉敏子やキャノンボールアダレーの見慣れたジャケットに続いて、すぐにお目当てのアルバムが見つかった。名前を確認するとFranck Avitabile。忘れたのではなく、そもそもしっかり覚えていなかった。持っているアルバムもこれ一枚。しかし、ヨーロッパの若手のパウエル風のピアノという記憶と、昼間ビッグボーイで聴いたピアノが頭の中で一致した。

自宅で再びCDをかける。自宅のオーディオもそれなりにいい音はすると思っているが、4343にはかなわない。しかし、パウエル風のバップオリエンテッドのピアノは心地よい、あっと言う間に一枚が終わる。パウエル風というだけでなく、このアルバムはパウエルの曲が大半なのでよりパウエル色が濃い。自分のオリジナル曲を弾く時は少しスタイルが変わる。





ジャケットを見るとますます記憶が蘇る。このアビタビレはミシェルペトルチアーニが育てたピアニスト。ペトルチアーニの兄弟であるベースのルイスと一緒に弾いていたのを聴いて、ぞっこん惚れ込んでこのアルバムを作ることになった。そして、ルイスもこのアルバムには一部参加していることも頭の中にリセットされた。

どうやら、CDやLPの棚卸も、ボケ防止の為の頭の体操には役立ちそうだ。

1. Gettin' There                  Bud Powell 4:41
2. Tempus Fugit                 Bud Powell 2:22
3. Topsy Turvy                  Bud Powell 5:38
4. Time Waits                  Bud Powell 4:06
5. Celia                      Bud Powell 3:36
6. Willow Groove                 Bud Powell 3:11
7. Trois Gros                  Franck Avitabile 3:06
8. There Will Never Be Another You  Mack Gordon / Harry Warren 4:17
9. August in Paris                Franck Avitabile 6:32
10. Burt Covers Bud                 Bud Powell 3:08
11. Wail                        Bud Powell 2:43
12. Kenny                      Franck Avitabile 7:29
13. Bud's Bubble                     Bud Powell 2:49
14. Silence                      Charlie Haden 4:12

Franck Avitabile (p)
Riccardo Del Fra(b)
Loigi Bonafede (ds)
Louis Petrucciani (b)

Produced by Michel Petrucciani
Engineer : Claude Ernelin
Recoeded at Studio Davout, Paris on 19,20 & 21 January 1988


In Tradition
クリエーター情報なし
Dreyfus Jazz
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絶好調のトランペット3人の実力者に混じって、ピアノの新人が・・

2017-01-21 | MY FAVORITE ALBUM
Three Trumpets / Donald Byrd, Art Farmer.Idrees Sulieman

老舗のライブハウス東京TUC
は色々嗜好を凝らした企画をやるが、昨年から続いているのがドラムの大坂昌彦が企画する同じ楽器を3人揃えたサミットシリーズ。臨時編成のグループとはいえ、単にジャムセッションを繰り広げるのではなく、ソロあり、2人の組み合わせあり、多彩な構成で個性ある3人のプレーを存分に楽しめる。

昨年は、たまたま来日中のアルトのエリックマリエンサルを加えたバトルは圧巻だったし、クラリネット3本というなかなか聴くことのできない楽器、それもスタイルが全く違う3人の組み合わせも楽しめた。今年もすでにピアノ3人の組み合わせが終了し、来月は若手トランペット3人が予定されている。

ブルーノートの初期のシリーズが1500番台ならば、ライバルともいえるプレスティッジは7000番台となる、こちらは、次に7100番へと順番に60年代に入っても延々と続き、最後は70年の7862番でシリーズは終わる。

この7000番台初期のプレスティッジオールスターズの中に、同じ楽器を2本、3本、4本を組み合わせたバトル物が多かった。コルトレーンが加わったTenor Conclaveや、後にコンビを組むウッズとクイルが入ったFour Altos、そしてトランペットとアルトが2本づつといったPairing Offというアルバムもあった。
そのような企画の一環としてトランペット3本の、その名もスリートランペットというアルバムがある。

1957年の録音なので、ニューヨークにドナルドバードが出てきてまだ2年目。まだ25歳の頃だが、ジャズメッセンジャーズにも加わり、すでに大活躍していた。この年に録音されたドナルドバードが参加したアルバムの枚数は改めて数えてみたら30枚を超える、要は毎週のようにレコーディングに参加していたことになる。バードに限らず、この頃プレスティッジの専属であったアートファーマーも同様であった。

ジャズ界が一番元気であった時代とはいえ、この頃の各社のレコーディングの数は膨大だ。だからこそ、今でも当時の彼らの演奏を聴けるということになるのだが。
それに反して、より技術的にも進歩し、文化的にも多様になった今日、日々活動しているミュージシャンの演奏が、きちんと後世に残せていないというのも何か矛盾を感じる。使い捨て文化が理由なのか、デジタル化の弊害なのか。デジタルデータは取り扱うのは便利だが、何かがあったら何も残らない。ハードディスクをクラッシュさせた経験があれば、誰もが体験している事なのだが。今から50年後に今の時代の情報を求めるとネット上に無数のごみ情報はあっても、アルバムのようにきちんとした形では何も残っていないのかもしれない。

さて、このアルバムはバードと、ファーマー、それにアイドリーススリーマンの3人のトランペット奏者が主役だが、もう一人重要なメンバーがいる、ピアノのホッドオブライエンだ。
21歳のオブライエンが初めて録音の機会を得たアルバムだ。
このブログを再開した時のアルバムが、ホッドオブライエンだったが、このオブライエンはこの時期の録音がほとんど残っていない。タルファーローが伝説のギタリストであれば、このオブライエンの引退前の演奏も貴重な演奏だ。パウエルの影響を受けた、バップスタイルの演奏が3人のフロントラインを支えている。

3人の演奏も、歳をとるに従ってそれぞれのスタイルに進化していったが、この頃の演奏は誰もがガレスピー、ナバロの影響を受け、クリフォードブラウンに刺激を受けていた発展途上。

スタンダード曲を素材としたジャムセッション物ではなく、すべて参加メンバーのオリジナル。ブルースに始まり、バラード、そして最後はアップテンポに盛り上がってソロ交換で終わる構成は、それぞれの演奏だけでなく、アルバム作りにも参加したメンバーのコラボレーションの成果が窺われる。

ピアノのホッドオブライエンは、その後60年代の初めまでは、ニューヨーク郊外のステイトンアイランドのクラブでハウスバンドのピアノを務めていたが、ピアノ弾きをやめてコンピューター関連の仕事に就く。しかし音楽に対する興味は失せることなく、70年代の後半に再びジャズ界に復帰し、ペッパーアダムスなどとセッションを再開した

1. Palm Court Alley          Idrees Sulieman 7:48
2. Who's Who?               Art Farmer 6:29
3. Diffusion of Beauty           Hod O'Brien 7:01
4. Forty Quarters           Idrees Sulieman 4:34
5. You Gotta Dig It to Dig It        Donald Byrd 13:30

Donald Byrd (tp)
Art Farmer (tp)
Idrees Sulieman (tp)
Hod O'Brien (p)
Addison Farmer (b)
Ed Thigpen (ds)

Supervised by Teddy Charles
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, January 26, 1957

Three Trumpets
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ユニバーサル ミュージック
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コンコルドで復活したジーンハリスのピアノの原点は・・・・

2017-01-16 | MY FAVORITE ALBUM
Introdusing The Three Sounds

自分が社会人になってすぐ、会社の上司にジャズ好きの大先輩がいた。中でも大のブルーノートファンで1500番台はすべて持っていると豪語していた。その時、日本盤がすでに出回っていたが、自分より一回り上のその先輩が社会人になったのは1961年。そこからコツコツと集めたと言っていたので、多分オリジナル盤が大半だったろう。亡くなって久しいが、今でもそれが揃って残っていれば宝物だ。

1500シリーズは1501番のマイルスから始まるが、最後はというと1599番ではなく、1600番のこのアルバムとなる。コンコルドで復活したジーンハリスが在籍したスリーサウンズのデビュー盤である。
1958年といえばハードバップ全盛期。ブルーノートもこの後4000番台に入り、ジャズのスタイル自体もフリーからファンキーまで大きく変化をしていった。ちょうど、その節目となったアルバムである。

スイングジャーナルのレコード評は、評論家各氏がそれぞれ評点をしていたが、話題盤になると複数のレビューがあったが、切り口は違っても総じて良い評価をしたものが大半であったが、中には大きく評価が分かれるものがあった。
ひとつは余りに大胆な試みをしたもの、そして反対にジャズの楽しさだけが前面に出た感じのもの。当時のジャズは評価を得るには、同じことをやっても、常に進化しなければならないといった強迫観念に駆られていたように思う。

本家のダウンビート誌も同様の採点をしていたが、所詮ジャズのアルバムの評価といったものには何も基準がある訳でなく、レビュワーの独断と偏見の結果に過ぎない。結局、自分の好きな評論家と嫌いな評論家に分かれ、我々聴き手にとっては、レビュー内容より評論家の好き嫌いが評価になっていた。

さて、このスリーサウンズ、評論家の評価は日米共に今一つであったようだ。特に辛口のファンが多かった日本では、このグループを評価していたのはイソノテルオ氏だけだったように記憶する。

ところが、評価と人気は別なようで、4000番台になってからもこのスリーサウンズは人気グループとして数多くのアルバムを残した。トリオの演奏だけでなく、ソリストのバックとしても。ソニーステットなどとは、一緒にツアーもしていたようだ。当然、人気が出るとより売れるアルバム作りに、R&B、ポップス、ロックなどの要素も取り入れジャズアルバムとはさらに一線を画すものとなり、変わらなかったのはハリスのピアノだけだった。
’67年、創立メンバーの一人でありグループを率いていたドラムのビル・ダウディーがグループを去り、メンバーが変っても人気グループとしては存続した。
その後、ハリスが地方に引き籠り、ホテルのラウンジのピアノ弾きになったのも、このようなグループ活動に疑問を持ったかもしれない。

最近、昔から第一線で馴らしたベテラン達のライブを良く聴きに行く。過去には多くのスタジオワークをこなし、ビッグバンドからフュージョンまで何でもこなした面々だが、今のライブではスタンダード中心のストレイトアヘッドな演奏が中心だ。色々やっても最後は自分達のジャズの原点に戻ってくるのかもしれない。

コンコルドに復帰したジーンハリスは、再び水を得た魚のように活躍をするが、この活動の原点は、やはりこのスリーサウンズのアルバムの演奏にあるのだろう。

1. Tenderly 4:36
2. Willow Weep For Me 4:42
3. Both Sides 4:41
4. Blue Bells 4:27
5. It's Nice 4:40
6. Goin' Home 3:55
7. Would'n You 7:14
8. O Sole Mio 3:59

Gene Harris (p,celeste)
Andrew Simpkins (b)
Bill Dowdy (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Hackensack, NJ, September 16 & 28, 1958

INTRODUCING THE THE THREE SOUNDS イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ+6
クリエーター情報なし
東芝EMI
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マニアであるよりファンになって欲しい・・・・そんな2人の演奏は

2016-12-31 | MY FAVORITE ALBUM
Just Friends / Satoru Oda & Hank Jones

今年もあっと言う間に大晦日。
年内に片付けなければと思いつつ、やり残した事は多い。というより、毎年増えているような気がする。何事もギリギリにならないと手を付けない性分なので仕方がないと諦めてはいるが、ルーティン化してしまうと何とかこなせるのだが。歳をとると、その段取りが億劫だ。

忙しい年末最後の一週間だが、打ち収めゴルフと、ライブの聴き収めはだけは予定通り完了。

打ち収めは、まずは栃木まで遠征。以前は泊りで2日間であったが、他の打ち収めコンペと日程が重なり今回は日帰りに。矢板までの往復で300kmを超える日帰往復はきつい。けっして運転は嫌いではないが、最近は帰りの運転が段々しんどくなってきた。ただでさえ平日に近傍でのゴルフの機会が増えてくると、現役世代との付き合いとはいえ、これからは遠方へのゴルフは次第に足が遠のくかもしれない。

コースはロペ俱楽部。毎年、夏冬の最低2回は行く所だが、南欧風の佇まいは冬枯れの景色より、燦々と日が照り付ける夏の方が似合う。それ程の常連でもないのだが、「毎度ありがとうございます。」と挨拶をされると嬉しいものだ。ホスピタリティーを大事にしているこのコースでは、誰と接しても嫌な思いをしたことがない。



さて、スコアの方も段々記憶があいまいになるので記録に留めておこう。
出だしのホールでつまらない3パットでダボスタート。続いて寄らず入らずのボギー。この日はボギーゴルフに徹する日かなという感じで進んだが、7番で30ヤードのアプローチを大トップしてグリーンオーバーのトリプル。此のくらいのアプローチが課題だ。一番無難なピッチ&ランがイップス気味でミスが多い。このミスを取り返せずに、終わってみれば12オーバーでボギーペースならず。

後半も、ボギーペースが続くが、こちらはパーが3つにダボが2つ。終わっていつものスコアといった感じだったが、この日はユーティリティーが完璧。いいショットが続く自然と自信をもってスイングができるので、ミドルアイアンよりも楽に触れる。いよいよユーティリティ主体のセッティングに変える頃かも。


翌日は本当の打ち収め。先輩のコースの中津川が締めとなった。
出だしから順調、6番までは1バーディ、3ボギー。これも2つは3パットなので、絶好調の部類だ。
7番でティーショットが少し右に行ってグリーンを狙うには木越え。少し距離があったが十分に狙える場所だった。しかしボールは上がらず、木に当たって真下に。いつもの事だが、ここからミスの連続で8。そこからせっかくの調子が崩れるのもいつものパターン。それでも何とか44.後半期待となった。
後半はティーショットが好調。今年一番の出来といっても程で、ミスなし真ん中の良い当たりが続く。しかし、上がってみれば50。振り返ってみれば、2打以降がOBあり、池ありではこの結果も仕方ない。

今年最後のゴルフに相応しく、良い所も悪い所もオンパレードの締めゴルフであった。
この日のキャディーは女子高校生。先日行われた関東大会で上位に入って3月の全国大会に出場できるとのこと。常にボギーを出さないようにパーをとるように気を配れるようになって上位に入れるようになったとか。自分も来年こそは、ミスを繰り返すことなく常にボギーペースで廻れるようにしたいものだ。多分精神力だと思うのだがなかなか・・・。

一方で、締めのライブは29日の尾田悟のメモリアルライブへ。
そういえば、テナーの大御所、尾田さんも今年亡くなった一人だった。89歳の誕生日の直前に訃報を聞いた。確か、昨年はその頃米寿のお祝いを兼ねたライブがあって出掛けた記憶がある。

毎年暮れになると尾田さんは4テナーのライブを恒例にしていた。尾田さんの4テナーといえば、以前紹介した「The tenor Summit」という若手3人のテナー奏者を従えた20年前のアルバムがあるが、これに因んだ4テナーのステージが聴けるライブであった。

尾田さんが亡くなった後どうなるかと思っていたが、今年はメモリアルという事で尾田さんに代わって若手の吉本章紘が加わってのステージであった。尾田さんの奥様の希望もあり20年前のアルバムにも参加していたテナーの三木敏雄とピアノの守屋純子が音頭をとり、このような形でメモリアルステージとして続いたのは嬉しい限りだ。

尾田さんといえば、その名を世界に知らしめたのは、北村英治から誘いを受けて、モンタレージャズフェスティバルに参加したことがきっかけだが、そこでハンクジョーンズとの共演し交友が始まったという。音楽に言葉の壁は無いというが、尾田さんのテナーにハンクジョーンズは最初聴いた時から何か感じる所があったのだろう。

このアルバムは1994年の録音。モンタレーに初出演してから10年以上経っている。この間アメリカだけでなく、ヨーロッパにも出向くようになっていたが、尾田さんのテナーはいつでも、どこでも、誰とやっても変わりない。世の中フリーが流行し、フュージョンが流行っても自分のスタイルを変えなかった。

一方のハンクジョーンズも、長年のスタジオワークから最前線に復帰した時、トニーウリアムスを加えたグレートジャズジャズトリオで話題になったが、そのピアノスタイルは不変であった。

お互い意気投合したこんな2人の演奏は、何の気負いも飾りっ気も無い2人の自然体だ。尾田さんは常日頃からマニアは要らない、ファンがいてくれればと言っていたそうだ。

このアルバムの原題は確かSatorismだったと思う。尾田さんのこんな音楽観を引き継いだ先日のライブの4人のテナーは実に心地良く聴けた。尾田さんの演奏は、アルバムでしか聴けないが、尾田さんの教えを引き継いだ後輩達のステージはまた来年も聴けるそうだ。楽しみにしていよう。

1. Bernie’s Tune
2. There Will Never Be Another You
3. My Little Suede Shoes
4. Body And Soul
5. Scrapple From The Apple
6. Easy Living
7. Elevation
8. AK300 / AK300
9. Just Friend

Satoru Oda (ts)
Slide Hampton (tb)
Hank Jones (p)
Andy McKee (b)
Lewis Nash (ds)

Produced by Tetsuo Hara
Recorded at Music Inn in Tokyo on December 17 &18, 1994
Engineer Hiroshi Sato
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憧れの人との共演というのは、どのような形であれ感銘を受けるものだ・・・・

2016-12-24 | MY FAVORITE ALBUM
In My Life / Chie Nishimura

先週の羽毛田耕士ビッグバンドに続いて、今週はライブ通いが続いた。
火曜日はトロンボーンの中川英二郎とバンジョーの青木研のジョイント。中川はジャズからクラシックまでオールラウンドプレーヤーだ。自分は小曽根真のビッグバンド、ノーネームホースで聴くことが多いが、この日は父親譲りのトラッドジャズ。子供の頃から父と共演していたそうなので、このトラッドが彼のトロンボーンの原点ということになる。この日も父と一緒に、子供の頃からの定番ベイジンストリートブルースを披露してくれた。

昨日は、ギターの宮之上貴昭のトリオ、テナーの岡惇との共演。ベースの金澤英明を聴いたのは久しぶりだ。ベテラン揃いの円熟芸の競演であったが、この3人でやるのは今回が初めてだったそうだ。

そして、今日はドラムのジーンジャクションと引退から復帰した大西順子の共演、それに天才女性アルトの寺久保エレナがニューヨークから参加、ド迫力に圧倒される。ジャズ界は知らない間に女性上位の時代になっているようだ。

奇しくもビッグバンドから始まり、トラッド、ハードバップ、そして久々に最先端のジャズまで聴いて、いささか満腹状態だが、強いて言えばボーカルが無かった。

今年行ったボーカルのライブといえば・・・・

ライブに行く予定を立てるためには、まずはライブハウスやミュージシャンのスケジュールが必要だ。今は、ネットですぐ確認できるから便利な時代だが、昔は、よく行ったピットイン以外はスイングジャーナルの小さな活字が並ぶライブの予定欄を見るしかなかった。

今でもよく行くライブハウスのスケジュールは一応毎月目を通すが、レギュラーで出演しているグループに混じって、その月のスペシャルセッションが気にかかる。

今年の6月の新宿Somedayのスケジュール。この月のスペシャルプログラムはバリーハリスであった。写真入りで大きく紹介されていたが、一覧の中でも目が留まったのが、

西村知恵 The Swinging Quartet。

ボーカルの西村知恵は知らない歌手だった。気になったのはアルトの大山日出男とピアノの吉岡秀晃。大山日出男はここには良く出ている。吉岡秀晃は宮之上貴昭とのセッションの時に聴きに行くが、なかなか他のセッションには行けず仕舞いであった。歌伴も上手いし、この大山日出男との共演に興味を惹かれて出かけてみた。

この日のメイン西村知恵は、アルバムも出して、それなりに活躍しているようだが、この日まで聴いた事が無かった。
彼女は鹿児島出身、お隣の宮崎出身の吉岡秀晃とは、同じ九州出身の好で「ぜひ一緒に共演してみたい」というのが長年の夢で、実はこの日が念願かなっての「初顔合わせ」だったそうだ。

憧れの人と一緒に仕事ができるというのは、何をやっていても嬉しいものだが、この日の彼女の感激ぶりは、歌っている最中でも聴き手に伝わってきた。相手をその気にさせる吉岡秀晃のピアノの魔術に彼女もかかってしまったのかもしれない。

さてステージが終わってから、彼女からその日のお客さん一人一人にプレゼントがあった。
それが、このCDだ。

彼女にとっては2枚目のアルバム、続木徹のピアノをバックに2人のDuoでの演奏だ。
実は、このアルバムの誕生には事情があり、その詳しい経緯は彼女のウェブサイトに載っている。

人生最後を告げられた時、「何をしたいか」、そして「何ができるか」というという問いに対する答えは人によって様々であろう。

ジャズボーカルを愛し、そしてこの西村知恵の歌が気に入り、地元で彼女をデビュー当時から応援していたファンがいた。その方が人生の最後を迎えるにあたって、彼女に自分の好きな曲を、自分の好みのように歌ったアルバムを作って欲しいと頼んだのがこのアルバムとなった。
此のファンの方と彼女の共演ともいえるアルバムだ。
彼女は、このアルバムを市販せずに、彼女の歌を聴きに来てくれたファンに一人一人手渡しているという。

せっかく買い求めてもすぐにお蔵入りをしてしまうアルバムが多い中で、最近このアルバムを聴くことが多い。このようなアルバムの誕生秘話を聞くと、自分もこのアルバムを聴く度に、単に曲を聴く以外に色々想いを馳せることが多いのかもしれない。

最近昔のアルバムを聴き返す時、そのアルバムが生まれた経緯を気にかけることが多いのは、中身の良し悪しだけでなく、そのアルバムが生まれた経緯を知ると中身の演奏の聴こえ方も違ってくるのが楽しみのひとつになっているのかも。

その後、彼女のライブには行けていない。定期的に行っているようなので、来年は機会を見つけて出掛けてみよう。

1. Dream
2. All of me
3. Over the rainbow
4. The boy from Ipanema
5. Lullaby of Birdland
6. Star Dust
7. Take the ”A” train
8. In my life

西村知恵 Chie Nishimura (vol)
続木 徹 Toru Tsuzuki (p)

Produced by Chie Nishimura
Music produced by Toru Tsuzuki
Recorded, mixed and mastered by Katsuhiro Tajima
at Studio TLive in March - April 2016


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ジャズメッセンジャーズをビッグバンドでやると・・・

2016-12-21 | MY FAVORITE ALBUM
Mosaic / Art Blakey and The Jazz Messengers

どうも有名なアルバム、有名なグループというと散々聴いたような気がして、普段なかなか聴き返すきっかけがない。このアルバムを聴いたのは何年前だろう。LPではなく、CDになってから買い求めたのだから50年ぶりという事はないが、この10年は聴いていなかったような気がする。

聴き返すきっかけとなったのは、先日「ジャズメッセンジャーズをビッグバンドで」といライブがあったからだ。
それを企画したのは羽毛田耕士ビッグバンド。
リーダーの羽毛田氏はトランペットも吹くが、作編曲も本業の内だ。頼まれ仕事ではなく、やはり自分のビッグバンドのための作編曲となると、色々やりたいこともあるだろう。そんな時に、何かひとつテーマを持つというというのも、アルバム作りや、ライブを行う時にはひとつ筋が通っていいかもしれない。

今回のお題は、「ジャズメッセンジャーズ」だった。ジャズ好きでジャズメッセンジャーズを知らないファンはいないと思う。特に、自分のような年寄りファンにおいては。
しかし、コアなJAZZファンにとってメッセンジャーズはどちらかというと入門編。色々聴き込んでレアなミュージシャンやグループ、アルバムを知るようになると、ジャズ通を自認する者でメッセンジャーズをマイフェイバリットに挙げる者は少なくなってしまう。かく言う自分もその一人かもしれない。

ジャズメッセンジャーズというと、2管もしくは3管の分厚いフロント、ブレイキーのダイナミックなドラム、そしてメンバーは常に新進気鋭の新人達。その粗っぽさも魅力だ。
これをビッグバンドに料理するというと自然と興味が湧く。

この時代のドラマーは皆若い頃にはビッグバンドの経験がある。というものの、アートブレイキーのビッグバンドでの演奏というのはあまり聴いた記憶がない。予習を兼ねて、その中の一枚、ブレイキーのベツレヘムのビッグバンドアルバムを出掛ける前に聴き直した。
アレンジはアルコーン、そしてメルバリストン。録音時期は丁度ジャズメッセンジャーズを編成した頃だが、サウンドはけっしてジャズメッセンジャーズのサウンドとは言えない。メルバリストンのアレンジなどは、かえって変化に富んだ凝ったものであるが、ブレイキーのドラムはいつものブレイキーサウンドで響き渡っている。



さて当日、ライブでは珍しく事前にセットリストが配られていた。1部は、羽毛田氏のオリジナルやスタンダードが並ぶ。メッセンジャーズは2部でということだ。
しかし、曲目を見て確かにメッセンジャーズが演奏している曲だが、今一つピンとこない。無意識に結局初期のメッセンジャーズのモーニンやブルースマーチをイメージしていたのかもしれない。

演奏が始まり、羽毛田氏のMCの中でも、選曲の経緯が触れられていた。確かに、メッセンジャーズというとバラードのイメージはわかない。そして、有名な曲はどうしてもオリジナルのイメージや他のカバーと似たようになってしまい、断念したとのことであった。その結果として、今回はメッセンジャーズのアルバムで演奏された曲のソングブック的になってしまったようだ。

このアルバムの中のモザイクも選ばれた曲の一つであった。演奏を聴いてすぐにオリジナルの演奏が思い浮かばなかった。このアルバムを聴き返した後で、もう一度オーケストラの演奏を聴いてみたいと思った。当日とは何か違った印象を受けるかもしれない。

アレンジはどのようなものであっても、ジャズメッセンジャーズのサウンドの原点はやはり、あのブレイキーのドラムのサウンドなのかもしれない。有名なナイヤガラ瀑布だけでなく、ハイハットやリムショット、ブレイキーのドラミングは普通の4ビートとは一味違うリズム感だ。

ジャズのサウンドは譜面通り正確に演奏することだけでは生まれてこない。その意味では、今回のジャズメッセンジャーズソングブックも演奏を繰り返すことによってメッセンジャーズサウンドに醸成されていくのかもしれない。

メンバーが一段と若返った羽毛田耕士ビッグバンドだが、それぞれ個性をもった強者揃い。
ソロにアンサンブルに役不足のメンバーはいない。今後の活躍に期待したい。そのためには、年に何回かのステージではなく、毎週のように演奏できる機会がないと難しいかも、それはファンと一緒に作り上げていくものなのかもしれない。

最後にこのアルバムについて。
1961年10月の録音。この年の1月に来日したジャズメッセンジャーズにはリーモーガンやボビーティモンズがいた。日本でのファンキーブームに火をつけたメッセンジャーズだった。このアルバムでは、メンバーがフレディーハバード、シダーウォルトンに代わっている。カーチスフラーも加わり3管編成となっている。グループのサウンドにショーターの影響が一段と強くなっている。ジャズメッセンジャーズとして進化をした最初のアルバムだが、ブレイキーのドラミングは不変だ。やはりジャズメッセンジャーズサウンドの基盤はブレイキーのドラムということなのだろう。

昔のアルバムを聴き直す時には、やはり何かきっかけがあった方が新たな発見ができるものだ。

1. Mosaic            Cedar Walton 8:13
2. Down Under        Freddie Hubbard 5:29
3. Children of the Night   Wayne Shorter 8:51
4. Arabia           Curtis Fuller 9:10
5. Crisis          Freddie Hubbard 8:33

Freddie Hubbard (tp)
Wayne Shorter (ts)
Curtis Fuller (tb)
Ceder Walton (p)
Jymie Merritt (b)
Art Blakey (ds)

Produced by Alfred Lion
Recording engineer : Rudy Van Gelder、New Jersey
Recorded at Rudy Van Gelder Studio on October 2, 1961

MOSAIC
クリエーター情報なし
Blue Note Records
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ペッパーアダムスの後継者、ゲイリースマリヤンの初リーダーアルバムは・・・

2016-12-17 | MY FAVORITE ALBUM
The Lure of Beauty  / Gary Smulyan 

今年はサドメルのオーケストラが生まれて50周年。本拠地ビレッジバンガードでは記念すべきデビュー公演が行われた2月7日にかけて連日記念ライブが行われたようだ。その主役であったバンガードジャズオーケストラ(VJO)が今年も来日した。

そのVJOのバリトンの席はといと、最近の来日時はフランクベイシルが座る事が多かったが、今回はゲイリースマリヤン、久々だったような気がする。自分が聴きに行った日のプログラムは、初期のサドメルのレパートリーが多かった。ペッパーアダムスファンの自分としては、スマリヤンが参加している事と合わせて満足したライブであった。

ゲイリースマリヤンは、ペッパーアダムスとサドジョーンズが相次いでオーケストラを去った後、アダムスの後任として後を引き継いだメルルイスオーケストラに早々に加わった。サムモスカなどと同様、VJOのメンバーの中では古参の一人だ。

スマリヤンは、ウディーハーマンのオーケストラに加わって世に知られるようになった。それまではフィルウッズフリークとしてアルトを吹くことが多かったが、バリトンはこのハーマンオーケストラに加わってから本格的に取り組んだようだ。
その時のアルバムも残されているが、彼のソロを大きくフィーチャーした映像が別にあった。ハーマンのオーケストラに加わっていたのは、’78〜9年頃、まだ、20代の前半だ。堂々とした演奏はその時すでに若さを感じさせない。



ニューヨークに住むようになった80年代はメルルイスオーケストラには加わったものの、必ずしも活躍する機会には恵まれず、生活するためにはコックの仕事をしていた時期もあったようだ。バリーハリスのフィリップモーリススパーバンドに声が掛かってからは、色々なオーケストラやグループからもお呼びがかかるようになった。アダムスもベニーグッドマンからミンガスまでどんなスタイルのビッグバンドでもこなしたが、スマリヤンもこの時期同じようなキャリアを重ねていた。

その後、ソロプレーヤーとしても徐々に頭角を現したのは、まさにペッパーアダムスと同じ、キャリア的にも後継者といえるが、ソリストとしての活動がアルバムで残っているのは’90年代に入ってからである。

スマリヤンの初のリーダーアルバムというと、多分このアルバムになるだろう。

初のリーダーアルバムとなると、参加メンバーはともかくリーダー当事者は誰でも色々想いを馳せるであろう。

このスマリヤンは、まず最初に決めたのはトロンボーンのジミーネッパーの参加だという。ネッパーはアダムスとはサドメル時代の盟友で、他でもコンビを組むことが多く一緒にアルバムも作っている

スマリヤンはとネッパーの普段の関係は良く分からないが、親子ほどに歳の違うネッパーを起用したには大きな意味があった。トロンボーンとバリトンという低域のフロントは一種独特の魅力があるものを、アダムス&ペッパーから学んでいて迷わず決めたという。

ピアノには、ブレイキ―のジャズメッセンジャーズを経てすでに中堅として活躍していたマルグリューミラー。そして、ドラムとベースは、ホッドオブライエンのバックを務めていたレイドラモンドとケニーワシントン。バリバリのハードバッパーの2人だ。
ジャズの楽しみはメンバーの組み合わせの妙。メンバーを見ただけでイメージが湧いて、聴いてみたくなるから不思議だ。

そして、演奏する曲。
これが一夜限りのセッションであればスタンダード曲が中心なるのが常だが、レコーディングとなるとオリジナルがいいかスタンダードが良いか選曲にも拘りが出る。このアルバムもオリジナル以外に他の作曲者の曲もバランスよく配置されているが、一曲目を聴くとその拘りが分かる。ただのスタンダードではない。

一曲目は、クインシージョーンズの”Boo’s Blues”。クインシーのアレンジャーとしての出世作ともいえる「私の考えるJAZZ」に入っている曲だ。スマリヤンはこのアルバムの中古を35セントで買ったそうだが、その中で印象に残った曲がこれだった。
クインシーがまだカウントベイシーにアレンジを提供する前の作品だが、ベイシーオーケストラ向けにピッタリの曲、そしてアレンジだった。

この曲を2管でチャレンジする訳だが、レイジーな雰囲気のスローなブルースの若きメインストリーマー達の好演が、このアルバムの素晴らしさを決定づける。その後、ラテン調あり、バラードありでソリストとしてのスマリヤンの実力、そしてパートナーに選んだジミーネッパーの技が次々と披露されていくが、最後の”Off To The Races”でいよいよスピードへの挑戦が行われる。

アップテンポの曲で、スピードの限界に挑戦するのはサックス吹きとしては一つのハードルだ。よく、ドナリーなどが素材として使われる。ペッパーアダムスもニックブリグノラのアルバムのバリトンバトルでスピード競争に付き合わされた

ここでは、最初はジミーネッパーも加わってファーストテイクが行われた。ネッパーは「この曲は自分が加わらない方がいいよ」と言って、演奏から抜けてスマリヤン一人になったのが、アルバムに収録されている演奏だ。

スマリヤンのバラードからアップテンポまでのバリトンの技のすべてがバックにも恵まれ堪能できる。
リーダーとしてのデビューアルバムとしては上出来だろう。

1. Boo's Blues                Quincy Jones 7:36
2. Canto Fiesta               Gary Smulyan 10:50
3. Minor Conundrum             Gary Smulyan 7:57
4. Moonlight on the Nile            Gary Smulyan 10:04
5. Kiss and Run                   Koslow 6:58
6. Lost April Eddie DeLange / Emil Newman / Hubert Spencer 10:54
7.You Go to My Head      J. Fred Coots / Haven Gillespie 8:39
8.The Lure of Beauty             Gary Smulyan 5:07
9.Off to the Races               Gary Smulyan 5:39

Gary Smulyan (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Ray Drummond (b)
Mulgrew Miller (p)
Kenny Washington (ds)

Produced by Gerry Teekens
Engineer ; Max Bolleman
Recorded on December 7, 1990 in New York City

The Lure of Beauty
クリエーター情報なし
Criss Cross
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年末を迎え、今年も訃報が続いているが・・・

2016-12-13 | MY FAVORITE ALBUM
Live at Blues Alley: Third Set / Hod O'Brien

久々の更新である。

今年はゴルフ三昧の一年であった。夏頃には調子は上向き、30台も何度か出て増え続けたハンディキャップも久々に減り、復活の兆しがあったのだが・・・。
最近は良かったり悪かったり、特に崩れた時の大叩きが酷くなった。やって駄目ならば諦めもつくが、いい時は若いゴルフ仲間に交じっていい勝負ができることも。体力が続く限り、しばらく頑張ってみようと思う。

一方、ジャズの方はというと、最近はライブが主体、あまりじっくり自宅でアルバムを聴き込むことも減っていた。というのも、オーディオの不調が続いたのも一つの原因。アンプの不調に続いて最近も2台あるCDプレーヤーがどちらもダウン、これを機に徹底的に修理に出して久々にいい音で楽しめる状態に戻った。不具合があると、そればかりが気になり落ち着いて聴くことが出来ないが、心地よく聴けると自然に聴く時間も増えるし、中身にも集中できる。使い捨ての世の中であるが、古い機器をきちんとメンテして貰える所に巡り合ったことが幸いであった。これで、また聴く機会も増えるであろう。

ゴルフやオーディオだけでなく、人生何事も細かいことは気にせずに「ありのままを楽しめる」ようになればストレスもなく毎日が過ごせるのかもしれないのだが。

さて、世の中ネット中心の時代に移行して久しいが、最初は自分の情報だけが届くメルマガも便利に思えたが、最近はあまりの多さにタイトルに興味がないとせっかくの情報も開くことがない。昔、新聞や雑誌も見出し見て、興味がある記事だけを読んだが、結局は同じことなのかもしれない。

先日、あるCDショップのメルマガに訃報が載っていた。自分が良く知るミュージシャンの多くも故人となり、ミュージシャンの訃報自体にもあまり興味が無くなっていたが、その名前はピアニストの「ホッドオブライエン」であった。表舞台を渡り歩いた訳でもなく、決して有名とはいえないピアニストであったが、バップスタイルのピアノが好きなファンにとっては人気がある。

昨年大森明との共演ツアーに参加するために来日していた。演奏は相変わらずであったがステージに登場した姿は、歳のせいか少し弱々しいなという感じを受けた。もしかしたら、この頃から体調は優れなかったのかもしれない。

自分がこのオブライエンの演奏を知ったのは、ペッパーアダムスとの共演盤”Opalessence” であったが、その後気にかけていたピアニストの一人だ。最近はなかなかライブでもこのようなピアノを聴く機会も少なくなっている。

オブライエンの死を悼み、ピアノを聴くにはトリオの演奏かなと思って、このアルバムを聴き返ししてみた。オブライエンのトリオが、ワシントンDCのジャズクラブの老舗「ブルースアレイ」に出演した時のライブ録音だ。

共演メンバーのベースのレイドラモンドとドラムのケニーワシントンは、20年前に録音されたアダムスとの共演アルバムのメンバーと同じ。長年オブライエンとのコンビを組んでいた2人、3人のコンビネーションも素晴らしい。この時の録音の3枚目のアルバムとなるが、残り物といった感じはない。というよりも、スタンダード曲よりもタッドダメロンの曲が並ぶのが、かえってオブライエンらしさを出しているかもしれない。

ダメロンの名曲" On A Misty Night"も良い感じだ。



1. Double Talk                H. McGhee 7:34
2. It Could Happen to You     J. Burke / James Van Heusen 8:25
3. Our Delight                 Tadd Dameron 6:01
4. The Squirrel                 Tadd Dameron 8:39
5. If You Could See Me Now            Tadd Dameron 6:57
6. Dameronia                  Tadd Dameron 7:35
7. On a Misty Night               Tadd Dameron 4:25
8. Easy Living            Ralph Rainger / Leo Robin 9:33

Produced by Kayla Feldman & Mark Feldman
Hod O'Brien (p)
Ray Drummond (b)
Kenny Washington (ds)
Engineer : Jim Anderson
Recorded live at Blues Alley, Washington D.C. on July 6, 2004 & July 7, 2004
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大事件が起こるとよくイベントが中止になるが、このアルバムもあわやの所で生まれなかったかも・・・

2016-03-13 | MY FAVORITE ALBUM
Larry Bunker Quartette Featuring Gary Burton Live at Sherry’s Manne-Hole



3月12日はチャーリーパーカーの命日だった。チャーリーパーカーの信奉者である澤田一範は、この日、そしてパーカーの誕生日である8月29日に合わせるように、その頃with stringsのライブを毎年行っている。パーカーの名アルバムwith Stringsのレパートリーを生で聴ける貴重なライブだ。
今年も11日に行われたが、残念ながら用事があって出向くことはできなかった。今年は3・11の大震災から5年目にあたる。5年前もそのライブは3月11日に行われた。外は電車も止まってライブどころでは無かったが、その日ライブは予定通り行われたという。

大きな事件が起こると、その影響で予定されていたイベントが中止になることは多々ある。
1963年11月22日、アメリカ大統領であったケネディが暗殺された。この影響で中止、延期されたイベントは全米中で数え切れないほどあったであろう。

この日、ハリウッドのジャズクラブ”Shelly’s Manne Hole”でも予定されていたライブ録音があった。出演を予定していたのは、ラリーバンカーのカルテット。デビュー間もないゲイリーバートンも参加していた。

ラリーバンカーとゲイリーバートンが出会ったのは、その年の夏ソルトレイクシティ―で行われたジャズクリニックであった。ゲストのジョージシアリングのグループに参加していたバートンの演奏を聴いた時が初めてであった。ラリーバンカーはドラムだけでなく、ヴァイブの演奏も得意だ。スタジオワークではマルチパーカッショニストとして活躍していた。同じ楽器を弾く者として、プレーぶりを目の当たりにして、バートンのテクニック、そしてコンセプトも深く印象付けられた。20歳そこそこで、ここまでやるとはといった感じか?・・・。その後すぐに、バートンのアルバム"Something’s Coming”に参加し、実際に演奏することで更に手応えを感じた。

数か月後に2人はロスで再会を果たす。バートンはシアリングのグループを離れたばかりであった。バンカーは早速バートンとの演奏の機会を設けた。
3年前にハリウッドに誕生したシェリーズマンホールは、週末のオーナーのグループ、そしてロスを訪れるビッグネームのスケジュールを除けば、他の日は様々な地元のミュージシャンのライブに解放されていた。バンカーは早速、バートンを加えたカルテットを編成しブッキングした。

ピアノには若手マイクウォフォード。その頃はまだサンディエゴにいた。ロスでの活動を本格化させたばかりで、まだまだ無名の新人であった。そしてベースにはこれも若手のボブウェストを起用。バンカーはゲイリーのヴァイブを中心に、新しい感覚の若手3人のプレーを引き出そうと考えた。

何日か一緒にプレーするたびに呼吸も合い熱を帯びてくる3人との演奏であったが、ライブの日程も残り数日になった時、「これは残して置かなければ」という衝動に駆られた。
早速、エンジニアに録音の段取りを手配した。機器のセッティング終え、スタッフもアサインし、後は夜の演奏を待つだけという時にケネディ事件が起きた。このニュースが流れた時、誰もがプレーをする気にはなれなかったという。

しかし、バンカーの「この演奏をどうしても残して置きたい」という情熱が消えた訳ではなかった。その晩、演奏を強行したのか、それとも翌日仕切り直しをしたのかは定かではないが、残された少ないチャンスの間で無事このグループの演奏は録音された。

といっても、バンカーの自主録音のようなもの、すぐに陽の目を見ることはなかった。
1967年になってからVaultというマイナーレーベルからリリースされたが、目立つことなく話題になる事もなかった。その後、他の未発表曲も発掘され再リリースされたようだが、ラリーバンカーの唯一ともいえるリーダーアルバムがこのような形で発掘されるのは、ゲイリーバートンの若い頃のプレーを聴けるだけでなく意味があることだ。

この頃、東海岸では若手の小遣い欲しさもあって数多くのセッションが録音された。一方、西海岸ではストレートアヘッドなジャズは、演奏する機会もアルバムを制作する機会も減っていた。お金には不自由していないスタジオミュージシャンは、このような本気モードの演奏は自ら録音に残して置くことが多かったようだ。シェリーマンテリーギブスルイベルソンなどのこのような音源には素晴らしい演奏が多い。

そして、前回のシェリーマンのアルバム紹介でたまたまエンジニアのWally Heiderの名前を出したが、この録音のセッティングをしたのはそのハイダーであった。昨今未発表ライブの音源が数多くアルバム化されるが、放送局による録音を除けば大部分アマチュア録音の域を出ない。中身の演奏の記録としての価値は高くとも、音を楽しみむという点では物足りないものが多い。

ところがこれはプライベート録音と言っても、ハイダーの手掛けた録音。この名演をハイダーの名録音で聴けるというのも価値があるアルバムだと思う。シェリーズマンホールでのライブアルバムというのも何枚かあるが、ジャケットの写真でもこれはシェリーズマンホールでのライブ録音の代表作といってもいいだろう。

この頃ラリーバンカーはビルエバンスのトリオのメンバーでもあった。このビルエバンスのトリオでもシェリーズマンホールに出演していた。その影響もあるのか、このカルテットもエバンスの影響を受けたプレーを繰り広げている。ゲイリーバートンとビルエバンという組み合わせも面白そうだが、そんなアルバムは無かったような・・・。

1. I Love You                   Cole Porter 7:31
2. Sweet Rain                  Mike Gibbs 4;46
3. Waltz For A Lovely Wife              Phil Woods 4:35
4. Panther Pause                  Mike Gibbs 5:07
5. All The Things You Are    O. Harmmerstein / Jerome Kern 7:32
6. My Foolish Heart        Ned Washington / Victor Young 5:04
7. Israel                      John Carisi 6:59

Gary Burton (vib)
Larry Bunker (ds)
Mike Wofford (p)
Bob West (b)

Produced by Larry Bunker
Recorded live at The Sherry’s Manne Hole, November 1963

Live at Shelly's Manne-Hole
クリエーター情報なし
Essential Media Afw
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自分のやりたいことを演奏するには、やはり自分のクラブで・・・

2016-03-12 | MY FAVORITE ALBUM
Live!/ Shelly Manne & His Men at The Manne Hole Vol.1

マリガンとホッジスの共演アルバムは1959年末にロスで録音された。1960年代になるとジャズの主流は東海岸に移り、ウェストコーストジャズはさらに下火になった。とはいってもジャズを演奏するミュージシャンが西海岸にいなくなった訳ではない。テレビの普及によりスタジオの仕事はさらに増えた。日々の活動は益々スタジオワークが中心になり、プレーヤーよりもアレンジャーとしての活動の軸足を移した者もいれば、アンドレプレビンのようにクラシックに転じた者もいた。

ウェストコーストジャズを支えた重鎮の一人にドラムのシェリーマンがいる。ケントンオーケストラ出身だが、早くに独立しロスに居を定めて活動をした。ライトハウスオールスターズの一人でもあった。ウェストコーストジャズを支えたコンテンポラリーレーベルを中心に多くのアルバムに参加したが、日々の活動はスタジオからライブまで広範囲に渡っていた。シェリーマンは生涯プレーヤーとして活躍したが、一方でビジネス的なセンスも持ち合わせていた。

下火になった1960年に敢えて自分のクラブ「シェリーズマンホール」をハリウッドのど真ん中に開店した。ネーミングも自らの名前を捩ったマンホールと洒落っ気の名前を付けた。週末は、自らのグループを率いて出演し、平日は西海岸在住のミュージシャンに演奏の場を与えることにした。ジャズファン以外でも立ち寄れるような雰囲気づくりもし、ドリンクのメニューもハードリカーだけでなくソフトドリンクも提供した。その努力もあって、1972年までの間、ロスの代表的なライブハウスとして存続したが、もちろん時にはロスを訪れる有名ミュージシャンも出演した。ビルエバンスのライブレコーディングが有名だが、たまたま映画の仕事でロスに来ていたミッシェルルグランを迎え、レイブラウンとのトリオのライブもアルバムとなった





そのシェリーズマンホールの開店祝いともいえる、開店直後の自身のクインテットのライブアルバムがある。メンバーは、オーナーでもあるシェリーマンを筆頭に、ピートカンドリ、リッチーカムカ、ラスフリーマンなど、ウェススコーストを代表する面々。当時のシェリーマンのレギュラークインテットである。

シェリーマンのレギュラークインテットのライブ物というと1年前のブラックホークでのライブが有名だが、この演奏をやっと自分の店でできるようになったという嬉しさも加味された演奏だ。

演奏は、シェリーマンの小気味良いドラミングがやはり目立つ。古いスタイルから新しいスタイルまで何でもこなすシェリーマンだが、彼の信条はスイングする事。名ドラマーと言われる名手は他にも沢山いるが、実は自分が一番好きなのはこのシェリーマンかもしれない。

演奏全体はアレンジ主体のウェストコーストジャズという雰囲気ではないが、グループとして普段一緒に演奏している一体感はある。曲はお馴染みの曲ばかりで、メインストリームジャズのお手本とでもいえるような演奏だ。以前紹介した、ルースプライスのアルバムも実はこの時に収録されたもの。このアルバムのVol.2を含めて、この時のステージの全容が分かる。

ライブならではの店の雰囲気もよく収められているが、店のPA装置はこのアルバムをレコーディングしたHoward Holzerだそうだ。勝手知った場所での録音の割には少し音に厚みが無い。たまたま同じ時期の録音のマリガンとホッジスの厚みのある音に感心した後に聴いたせいもあるが、ライブ録音というとWally Heiderが手掛けた物が優れているようだ。



1. Love For Sale                  Cole Porter 10:29
2. How Could It Happen To A Dream       Ellington Hodges 6:50
3. Softly As In A Morning Sunrise    Romberg-Hammerstein 8:59
4. The Champ                 Dizzy Gillespie 10:55

Shelly Manne (ds)
Conte Candoli (tp)
Richie Kamuca (ts)
Russ Freeman (p)
Chuck Berghofer (b)

Produced by Lester Koenig
Engineer : Howard Holzer
Recorded live at Shelly’s Manne-Hole, Hollywood, March 3-5 1961

COMPLETE LIVE AT THE MANNE-HOLE
クリエーター情報なし
AMERICAN JAZZ CLASSICS
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