A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

この2人はやはりビッグバンドがいいな・・・

2017-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Groove Shop / Clayton-Hamilton Jazz Orchestra

 ライブに行く時も、新しいアルバムを聴く時も、昔は聴く前からワクワクしたものだ。どちらも、限られた小遣いでどれに行こうか、何を買おうか散々迷った挙句に決めたもの。実際に聴く時も、聞き漏らすまいと集中して聴いたものだ。それでも中には期待外れだったものもあり、その時の落胆は大きかった。

 社会人になってしばらくすると懐具合は暖かくなったが、反対に時間が無くなってきた。急な残業になって、せっかく買ったコンサートのチケットが無駄になったこともあった。ジャズ喫茶も昼休みに行く程度、レコード屋周りをする時間も無くなった。その内スイングジャーナルをじっくり読む時間も無くなり、レコード屋に行ってもお目当てのアルバムがすぐに思い浮かばなくなった。仕方なく衝動買いしたアルバムは当然外れが多くなった。

 ちょうど平成に変ってしばらくして、90年代から2000年になってしばらくは完全に仕事漬けの毎日。レコードからCDになったこともあり、手軽に聴けるようになったのは良かったが。BGMでジャズを聴くことはあっても、オーディオに面と向かって聴き込むことはめっきり減った。アナログ盤も一時完全にお蔵入りした。当然ワクワクして聴くような状況はめったになくなってしまい、ジャズ好きの自分にとっても空白の十数年ができてしまった。

 自分の中のイメージでは新人、若手だったはずだが、今では突然大ベテランになってしまったミュージシャンは少なくない。一体その間はどうだったのか?気になるミュージシャンは、今になって抜けた期間をトレースしている始末だ。お蔭で手持ちのアルバムの棚卸が進まない中、新しいアルバムも増えることになる。困ったものだ。

 年明け早々クレイトンブラザースが来日した。コンコルドフリークの自分にとっては、このレーベルで新人デビューした2人は若い頃から良く知る部類に入る。ビッグバンド好きなので、ジョン&クレイトン兄弟と、盟友ジェフハミルトンが立ち上げたクレイトン・ハミルトンジャズオーケストラはトレース対象だった。何年か前、このビッグバンドが来日した時は、初めて聴くライブにワクワクして出掛けたのだが、今回のクインテット編成の演奏となると・・・?



 というのも、デビュー直後のアルバム以降の彼らのアルバムは聴いていない。幸い今は時間があるので、気になったライブに自由には出掛けることができる。このクレイトンブラザースのライブも出掛けてみることにしたが、頭の中のイメージはデビューしたての頃とビッグバンドでの演奏となる。年明け早々のブルーノートはチケットの売れ行きが悪かったのか、ミュージックチャージの割引券も結構配られていた。当日の客足はまずまず、空席が目立たない程度の入りにはなっていた。
演奏が始まると、クインテットの編成の割には、結構きめ細かくアレンジも施され多彩なグループサウンドを聴かせてくれた。メンバーは、ジョンの息子がピアノで加わっていて必ずしもベテラン揃いという訳でもない。自分はアレンジ物も嫌いではないが、そのようなイメージを持っていなかったので、多少頭の中のリセットが必要だった。会場も、なんとなく盛り上がりに欠けアンコールも無くセットが終了した。これは、「割引券があったので来た」という声も会場で聞こえたので、熱烈ファンばかりでなかったというのも一因だと思う。残念ながら、自分の中でもジョンファディスのブルーノートオールスタービッグバンドでの盛り上がりとは大違いだった。
クレイトンブラザースの最近のアルバムも機会があったら聴き返してみようと思うが、やはりこの2人のイメージはビッグバンド。彼らのファーストアルバムを聴き返すことにした。

 2人がビッグバンドを作ったのは1985年。2人の盟友であるジェフハミルトンを含めて3人で立ち上げた。ハミルトンとジョンはインディアナ大学時代からのプレー仲間。ハミルトンはウディーハーマンのビッグバンドを経て、コンコルドレーベルで大活躍していたスイングするドラムの若手の代表格。クレイトン兄弟もジェフはベイシーに始まり、ハンプトン、ハーマンとビッグバンドを渡り歩いた。一方のジョンもサドジョーンズが率いた時代のカウントベイシーオーケストラでベースを務めた。ビッグバンド好きの3人がビッグバンドを作ろうということになったのは必然でもあった。
 設立にあたってメンバーのリクルーティングを行った。西海岸を拠点として活動していた3人は知り合いも多かったが、少し拘りを持って集めた。まず、市場を考えるとビッグバンドがレギュラー活動をできる状況ではなかったので、不定期な活動にせざるを得ない。しかし、集まってやるからには単なるスタジオワークではなく、音楽的にもそして個々のプレーヤーも地に足のついた拘りの演奏ができるバンドを目指した。何か、サドメルが出来た時と似たように感じる。
 ジョンはベースプレーだけでなく、アレンジも得意としていてこのバンドのアレンジはすべて担当した。やはり基本はベイシーライクのスイング感を持つアレンジだ。サドジョーンズの影響を受けたのか、多少モダンなサウンドも聴かせるが、全体は初期のサドメルのように実にグルービーに洗練されたサウンドだ。

 このアルバムで、一曲目のジョージアを聴いたいとたんにこのバンドカラーのイメージが湧く。スローな曲での木管の使い方は、サドジョーンズのアレンジを思い浮かべるモダンな響きだ。昨今のビッグバンドはマリアシュナイダーの影響か、スイングするというよりはハーモニー重視のバンドが多い。このクレイトン・ハミルトンは今でも設立当初からのベイシーやエリントンに繋がる伝統スタイルを大事にしている。自分の好みのオーケストラだ。


1. Georgia            Hoagy Carmichael / Stuart Gorrell 3:21
2. Rain Check                  Billy Strayhorn 5:35
3. 'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It) Sy Oliver / Trummy Young 3:31
4. Brush This                   John Clayton 5:27
5. How Great Thou Art              Stuart K. Hine 3:31
6. Groove Shop                  John Clayton 5:48
7. Sashay                    Oscar Brashear 6:07
8. Melt Away/A Time for Love           Johnny Mandel 5:34
9. I Won't Dance      O. Hammerstein II / J. Kern / J. McHugh 3:23
10. Night Train Jimmy Forrest / Lewis Simpkins / Oscar Washington 9:53


Clayton-Hamilton Jazz Orchestra
Oscar Brashear (tp.flh)
Snooky Young (tp,flh)
Bobby Bryant (tp.flh)
Clay Jenkins (tp,flh)
George Bohannon (tb)
Ira Nepus (tb)
Thurman Green (tb)
Maurice Spears (btb)
Jeff Clayton (as,ss,fl,oboe)
Rickey Woodard (ts,cl)
Bob Hardaway (ts,cl)
Bill Green (as,cl,fl)
Lee Callet (bs,bcl)
John Clayton (b,arr,)
Herb Mickman (b)
Michael Lang (b)
Doug MacDonald (g)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Thomas C. Burns, John Clayton, Jeff Clayton, Jeff Hamilton
Johnny Mandel ; Music Supervisor
Hank Cicalo : Engineer
Recorded at Evergreen Recording Studio, Burbank, California on April 18 &19 1989
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バラードを上手く吹ければ一人前、それも Stringsをバックにとよく言われるが・・・

2017-02-10 | MY FAVORITE ALBUM
Hot House Flowers / Wynton Marsalis

 一昨日は雪交じりの雨、今日も午後から曇り空に。ゴルフどころか外に出掛ける気にもならず、一日家に籠っていた。家の中にいても、特段すぐに片付けなければならないこともなく、久々にのんびり過ごした2日間だった。昔は何もすることがないと却って落ち着かなかったものだが。人間怠け癖がつくと、なかなか元には戻れない、無理に忙しくする必要もないが、規則正しい生活は必要かもしれない。

 このような一日は、何かしながら昔の事を思い出すには丁度いい。コンコルドのアルバム紹介が丁度1984年のアルバムに差し掛かったこともあって、古いスイングジャーナルなども引っ張り出し、何枚かレコードを聴きながら当時のジャズ界の状況を頭の中で整理するには好都合であった。
先日のアルバムにロンカーターが登場したこともあり、1984年にロンカーターが参加したアルバムも見直してみた。カーターの場合は毎年ジャンルを問わず多くのアルバム作りに参加していたので、その中に一枚くらいは自分が持っているアルバムもあるのではないかと思って。中に、この年話題になったアルバムが一枚、このマルサリスのアルバムだ。

 日本盤のタイトルは「スターダスト」、マルサリスのwith stringsということでクリフォードブラウンとの対比を含め、話題のネタとなる要素がたくさん含まれている。マスサリス嫌いというジャズファンも多い中で、自分はマルサリスの熱狂的なファンという程でもないが嫌いではない。アルバムも知らず知らずの内に増えていた。まだ本格デビューから3,4年といった頃、マルサリスの中では初期のアルバムになる。

 手元にスイングジャーナルがあると、その辺りの事情を具体的に辿るには丁度いい。ネットが万能といわれるが、このような時は雑誌を積んでパラパラめくりながら関連の記事を探すのが一番。ネットでピンポイント検索するのとは違って、直接マルサリスとは関係が無い記事、更にはオーディオの記事や広告まで同時に見ることができるのが有難い。しばらくすると、昔の雑誌の読み方、資料調べの感覚が戻ってきた。

 さて、このアルバム、その年のスイングジャーナルのディスク大賞の銀賞に選ばれた。アメリカではグラミー賞でBest Jazz Instrumental Performance, Soloistを受賞している。これは、マルサリスにとって前年Think of Oneに続いて2年連続、さらにこの年はクラッシックでも同様のBest Classical Performance - Instrumental Soloistを受賞し、名実ともにジャズとクラシック双方のトランペット奏者の第一人者になった年だった。
 スイングジャーナルの表紙にも登場し、マルサリスを含めて新伝承派と呼ばれた若手の特集も多かった。急成長して一気に頂点に登りつめた若者だったマルサリスを素直に称賛する声がある一方で、このように両刀使いで何でもできるのは、却って演奏技術に長けていても本物のジャズプレーヤーにはなれないといった辛口の意見も見受けられる。たしかに、技術的に上手いプレーヤーが味のある演奏をするとは限らないのがジャズなのだが。自分は、その後の活動を含めジャズの伝統に根差した演奏に拘るマルサリスが好きなのかもしれない。

 久々に、このアルバムを聴き直してみた。日本盤のタイトルはスターダストだが、オリジナルはHot House Flower。「スターダスト」は明らかにクリフォードブラウンのアルバムを意識したネーミングだ。アルバムを売るには、この方が、遥かに効果がある。
一方のホットハウスフラワーは、唯一のマルサリスのオリジナル。この曲をアルバムタイトルにするにはそれなりの理由があったのだろう。

 With String物は、基本的にバラード曲が並び、ソロ中心でストリングスはあくまでもバックの雰囲気づくりに一役買うということが多い。クリフォードブラウンのアルバムはまさにその通りだった。ところがこのアルバム、決してバラードばかりではない。最後の曲などはアップテンポ、ストリングスを交えたグループセッションといった感じだ。ちょうどCTIレーベルが登場したころから、ウェスのA day in the lifeに代表されるように、バックのストリングスの使い方も大きく変っていた。という点では、アレンジャーのスキルや感性も変化してきてきたということになる。

 このアルバムのアレンジはBob Freedman、すぐには思い出せなかった名前だったが、昔はメイナードファーガソンのビッグバンドにアレンジを提供したこともある。その後も映画音楽や歌手リナホーンやハリーベラフォンテのバックオーケストラのアレンジなどを数多く手掛けていたようで、ここでもオーソドックスなアレンジもあれば、一味違うスリリングなアレンジも聴かせてくれる。バックというよりも、コラボという位置づけだ。やはり、このアルバムの評価は、マルサリスのトランペットだけでなくバックのアレンジ込みだろう。

 クリフォードブラウンのアルバムは、最後がスターダストであった。これを受けたマルサリスは、スターダストからスタート、スタンダード曲を素材にオーケストラとのトランペット協奏曲をスタート、途中はマイルスとギルエバンスとのコラボの延長とも感じさせる。B面に移って、自分のオリジナルのタイトル曲で締め、最後はマルサリスが最も尊敬するといわれるアームストロングもよく演奏したI'm Confessin'でクロージングを迎えるという大組曲のようにも思える。

 このアルバムのベースがロンカーターというのも気が付かなかったが、こうやって聴き返すと、マルサリスのソロとバックのオーケストラアレンジの橋渡し役であるリズムセクションの要として、カーターも意味あるキャスティングだったように思う。

 この2日間で、当時のジャズ事情は大分記憶が整理された。コンコルド以外もこの頃の棚卸を続けてみよう。

1. Stardust             Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 4:07
2. Lazy Afternoon  John Latouche / Jürg Morgenthaler / Jerome Moross 5:03
3. For All We Know            J. Fred Coots / Sam M. Lewis 6:15
4. When You Wish Upon a Star      Leigh Harline / Ned Washington 4:40
5. Django                          John Lewis 4:52
6. Melancholia                      Duke Ellington 5:09
7. Hot House Flowers                  Wynton Marsalis 5:46
8. I'm Confessin' (That I Love You) D. Daugherty / Al J. Neiburg / E. Reynolds 5:41


Wynton Marsalis (tp)
Branford Marsalis (ts,ss)
Kenny Kirkland (p)
Ron Carter (b)
Jeffrey Watts (ds)
Kent Jordan (afl)

& strings Orchestra

Produced by Steve Epstein
Arranged and Conducted by Robert Freedman
Recorded at RCA studio A, New York on May 30 & 31 1984

スターダスト(期間生産限定盤)
クリエーター情報なし
SMJ
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やっとレコーディンを終えたので、今度はフェスティバルの舞台にも・・

2017-02-08 | CONCORD
Jazz Prose / The Fraser Macferson Quintet

 今から30年近く前、全国各地でジャズフェスティバルが開かれた。大手企業が冠スポンサーになって、日本の有名グループだけでなく海外からも多くのミュージシャンが集まり、夏の風物詩のひとつとなっていた。最近ではこのようなフェスティバルもすっかり影を潜め、代わりに町興しの一環として、街を挙げてのジャズイベントが開かれるようになった。
 東京では、新宿のトラッドジャズフェスティバルを始めとして、身近な所では阿佐ヶ谷ジャズストリート、練馬、そして我が家のある小金井でも規模は小さいが毎年開催されている。これらの、プロだけでなく地元のアマチュアも交えて楽しいお祭りは、東京だけでなく全国各地で数多く開かれているようだ。それだけ、身近にジャズを聴く機会は増えているのだが・・・。

 昨年、ゴルフ帰りに宇都宮ジャズクルージングに寄ってみた。渡辺貞夫の出身地である宇都宮はジャズファンが多いのか、このイベントは年3回も開かれている。同時に10か所以上でセッションが行われ、地元のミュージシャンが多く、名前も演奏内容も分からないので初めて行くと、まずどこに行くかで迷った。
 プログラムの中に、テナーの岡田嘉満と知った名前が見つかった。村田浩のビバップバンドの一員として、東京だけでなく全国を廻っているが彼の地元は栃木。普段は北関東を中心に活動をしているようで、東京ではなかなか聞く機会が無い。彼のように地方を拠点としているミュージシャンのライブ演奏を聴く機会は、たまたまその地を訪れた時以外ないものだ。

 ローカルミュージシャンの演奏に出会う機会が少ないのは日本だけでなく万国共通。アメリカはともかく、ミュージシャンの絶対数の少ないカナダとなると尚更だ。
 バンクーバーを拠点としていたフレイザーマクファーソンの演奏に惚れ込んだのは、コンコルドのカールジェファーソン。彼が自費出版で出したアルバムをコンコルドのカタログに載せ、新たにアルバムを作るためにバンクーバーにも乗り込んだ。その成果が前作のIndian Summerだ。そして、そのマクファーソンを今度はコンコルドジャズフェスティバルの舞台に引っ張り出した。ロンカーターとジムホールが出演した1984年のフェスティバルであった。

 マクファーソンは単身バンクーバーからコンコルドへ。他のメンバーもギターのエドビケットとベースのスティーブウォレスはトロントから。コンコルドのホスト役でもあるデイブマケンナとジェイクハナはボストンからと、一緒に共演するメンバーは共に東海岸から集まった。

 メンバーはかって一緒に共演した経験があり、演奏スタイルはジェファーソンが最も好むスタイルとなると、大舞台での演奏であってもほとんど打ち合わせやリハをすることなくプレーは始まった。テナーのスタイルはレスター派。日本で言えば、尾田悟といった感じのリラックスした演奏が続く。



 メジャーな世界では無名であったマクファーソンも、地元バンクーバーのスタジオではファーストコールの存在。カナダでも賞を受賞する腕前であったが、レコーディングの機会には決して恵まれていなかった。そんな、ローカルの実力者にもレコーディングやフェスティバルの舞台に上がる機会を与えたのがコンコルドであった。商売っ気抜きで、好きなミュージシャンを追いかけるのがジェファーソンの道楽であったとも言えよう。

 スタイルはフレイザーより多少バップスタイルだが、岡田嘉満のテナーも実によく歌うテナーだ。彼も自費制作のアルバムはあるようだが、今の時代なかなかメジャープレーヤーのアルバムでさえ制作できるレコード会社は無くなった。ローカルで活躍する隠れた名手のアルバムを作ろうというジェファーソンのようなマニアックなスポンサーはいないものかと思う。

1. You'd Be So Nice to Come Home To
2. All Alone
3. On a Slow Boat to China
4. Darn That Dream
5. Happy Man
6. I'll Never Be the Same
7. It Could Happen to You
8. There Is No Greater Love

Fraser Macfherson (ts)
Ed Bicket (g)
Dave Mckenna (p)
Steve Wallace (b)
Jake Hanna (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edward
Recorded live at The Concord Pavillion, Concord, California August 1984
Originally released on Concord CJ-269
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小さなクラブのライブから、コンコルドジャズフェスティバルの大舞台に・・・

2017-02-07 | CONCORD
Telephone / Ron Carter & Jim Hall

 ロンカーターというと、自分にとっては丁度ジャズを聴き始めた頃のマイルスのグループの一員という印象が強い。しかしカーターの長いミュージシャン人生の中で、マイルスのグループに加わっていた期間は1963年からマイルスインザスカイまでの5年間、その間もスタジオワークでは数多くのセッションに加わっていた。レコーディングに参加した数の多さは間違いなく、ベスト5に入るだろう。
 今年で80歳になるがまだまだ現役バリバリ。良く来日して演奏を聴かせてくれるが、コンボであったり、ビッグバンドであったり、昨年はチェロを加えたノネット編成だった。ジャズだけでなく、クラシックの演奏にも長けているカーターは、要は何でもこなせるスーパーベーシストだ。

 一方の、ジムホール。有名な映画「真夏の夜のジャズ」では冒頭に登場するジミージュフリーのトリオにボブブルックマイヤーと共に加わっていた。映像では音はすれども姿はみせず、曲が終わった挨拶のところでワンカットだけ写っていたので印象が薄いが。その後、ロリンズやアートファーマーのグループに加わっていたが、彼も、その後スタジオワークが多くなった。スタジオでは常連のロンカーターと顔を合わせることも多かっただろう。

 この2人のキャリアを辿ると、2人ともチコハミルトンのグループが出発点になる。大陸の東西でハードバップ、そしてウェストコーストジャズが全盛であった頃、このハミルトンのグループというのは得意な存在だった。そこに2人が加わっていたというのも何か因縁めいたものを感じる。ハミルトンのグループでは必ずしも一緒にプレーをした期間はなく、入れ替わりだったようだが。

 この2人が、1970年にアローントゥギャザーというDuoアルバムを出した。ジムホールのデュオというと、ビルエバンスとのアルバムが有名だが、このベース版となる。一方のロンカーターも最近ではサックスのヒューストンパーソンとのデュオアルバムがあり、デュオでの演奏も多い。

 最近のゴルフはプロの世界では300ヤード越えのドライバーショットが目立つが、スコアメイクはやはりアプローチとパット。昨日のPGAツアーで松山が優勝したが、最後の勝因はやはりアプローチとパット。よく引き出しが多いという言われ方をするが、状況に合わせた多彩なアプローチの技を持っている松山に軍配が上がった。

 そのような意味では、ロンカーターとジムホールも日頃の多彩な演奏活動から自然と多くの引き出しを持つようになったのだろう。その2人が、丁々発止とやりあえば、それぞれの引き出しはフルオープンになる。
 ギターとベースのデュオというと、時々同じような演奏が延々続くライブに出くわすこともある。引き出しの少ない者同士のデュオは実に単調でつまらないが、この2人の掛け合いは実にスリリングだ。それも、ライブでの演奏だと一層。ゴルフでいうと練習場とコースでのショットの違いになるのだろう。本番でいい球を打てるようになれば本物だ。

 この2人のデュオにはライブのオファーも多く、忙しい日々の仕事の合間を縫ってはクラブ出演を続けていた。それも、大きな会場ではなく、小さなクラブの日曜の昼のセッションのような場所で。
 ある時、ニューヨークのビレッジウェストに出演した時の演奏がラジオ放送のために録音された。たまたまその音源の権利を2人はキープしていたので、ジムホールがコンコルドでアルバムを出すようになった時、ジェファーソンにそれを提供した。晴れてアルバムとなったのが、前作のLive at Village Westだった

 このアルバムが好評だったので、ジェファーソンはコンコルドジャズフェスティバルの舞台に2人を登場させることになった。1984年の8月、同じライブといっても、小さなクラブと違って、コンコルドのステージは2人だけの演奏には大きすぎたかもしれない。しかし、耳の越えたファンの暖かい拍手に迎えられ、2人の熱いコラボレーションが展開された。その、ライブでの演奏が収められたのが、このアルバムとなる。

 2人のデュオの3作目となるがいずれもライブでの演奏になった。スタジオに籠って2人きりで演奏するよりは、人前で一発勝負の演奏する方が、緊張感が増すのだろう。ジャズは、やはりライブに限るという一例だ。

1. Telephone                Ron Carter 5:05
2. Indian Summer      Al Dubin / Victor Herbert 5:43
3. Candlelight              Ron Carter  4:05
4. Chorale and Dance             Jim Hall 6:30
5, Alone Together   Howard Dietz / Arthur Schwartz 10:15
6. Stardust     Hoagy Carmichael / Mitchell Parish 7:29
7. Two's Blues                Jim Hall 4:04

Ron Carter (b)
Jim Hall (g)

Produced by Carl Jefferson
Engineer : Phil Edwards
Recorded at Concord Pavillion, Concord, California August 1984
Originally released on Concord CJ-270

Telephone
クリエーター情報なし
Concord Records
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ビバップの創始者は、ビッグバンドもバップスタイルで・・・

2017-02-05 | MY FAVORITE ALBUM
Dizzy Gillespie and His Big Band in Concert

今年2017年は、ジャズのレコードが初めて作られた1917年からちょうど100年。



この、Original Dixieland Jass Bandのレコードはいきなりミリオンセラーになったそうだ。太古の昔から、絵画や文字でその当時の記録を残すことはできたが、音だけはレコードが発明されるまで記録に留めることはできなかった。クラシックと違って譜面に残されていないジャズの演奏は、レコードが無ければ当時の演奏の再現も難しい。音は悪くても貴重な演奏だ。

この史上初のジャズレコードが生まれた年1917年に誕生したジャズミュージシャンは沢山いるが、その一人がトランペットのディジーガレスピー。パーカーと共に、モダンジャズの原点であるビバップの創始者としても有名だ。

ガレスピーがミュージシャンとして本格的に活動を始めた1940年代、世の中はビッグバンドの全盛期。ガレスピーに限らず当時のジャズミュージシャンは皆ビッグバンドが仕事場であった。形にはまったジャズに満足できずに、仕事が終わった後のジャムセッションからビバップは生まれた。丁度、第2次世界大戦の真っ只中から戦後にかけてであった。戦争は多くの歴史・文化を失うが、大戦中でも戦場にならなかったアメリカ大陸だけは文化活動も途絶えることなく、却って革命的な変化が起こっていたということになる。

コンボの演奏形態としてのビバップが進化していった中、ビッグバンド好きのガレスピーは自らビバップオーケストラを作り、ビッグバンドが下火になった1956年まで自らのビッグバンドを率いていた。その後も、機会ある毎にレコーディングやライブで臨時編成のビッグバンドを率い、時には他のバンドのゲストとしてもよく参加した。根っからのビッグバンド好きであったのだろう。



先日、エリック宮城率いるブルーノートオールスタービッグバンドの新春ライブがあった。このバンドは最近ゲストプレーヤーを招くことが多いが、今回はガレスピーの生誕100年を祝って、ジョンファディスをゲストに招いてのライブであった。
宮城自身トランペットの第一人者であっても、今回のお題がガレスピーとなると、やはり一番弟子のジョンファディスが適役と考えたのだろう。実際のステージでも、ファディスが登場するとエリックは舞台を退き、プレーだけでなく、バンドの指揮もすべてファディスにお任せであった。

ジョンファディスも、若い頃はサドメルの一員として活躍し、近年ではカーネギーホールジャズオーケストラのディレクターを務めるなど、ガレスピー譲りは演奏だけではなく、
ビッグバンドバンドにも思い入れがあるようだ。

ステージではお馴染みのガレスピーナンバーを次々と繰り広げたが、得意のハイノートを駆使したプレーでバンドを引っ張るだけでなく、バックのオーケストラの演奏にも気を配っていた。ブルーノートオールスターズは百戦錬磨の日本を代表するプレーヤー揃い。しかし、ガレスピービッグバンドのノリを再現するには少々リハ不足だったかもしれない。最近では珍しいリフサンサンブルでの盛り上がり、そしてバラードの名曲アイリメンバークリフォードではバックのデリケートなアンサンブルに細かく指示を出していたのだが・・・。その中でファディスの期待に応えていたのは二井田ひとみの掛け合い。大先輩ファディスとのやり取りに多少困惑、そして気後れした感じはあったが、歌心あるプレーズで堂々と渡り合っていた。彼女のファンとしては嬉しい限り。

さて、このようなライブを聴くとオリジナルが聴きたくなる。リーモーガンやウィントンケリーがいた頃の、ニューポートでのライブがすぐに思い浮かぶが、やはり結成直後の演奏が原点だろう。



このアルバムは、ビバップの伝道師と言われたジーンノーマンが1948年に西海岸(パサディナのオーディトリアム)で行ったライブアルバム。ビバップのムーブメントは西海岸ではすんなりと受入れられなかったといわれるが、会場の盛り上がりは凄い。ジーンノーマンの功績は大きい。

ガレスピーのビッグバンドの特徴はもう一つ、ラテンサウンドを採り入れた所だ。それにはアレンジだけでなくパーカッションも大事。このライブにはキューバ出身のチャノボゾが参加しているのも価値がある。キューバからアメリカに来たのが、このライブの前年の’47年、翌年’49年の12月にはニューヨークのバーで射殺され、実際にアメリカで活躍した期間はほんの僅かであった。

ガレスピー以外のメンバーにも、テナーのジェイムスムーディー、バリトンのセシルペインなどがいてソロを繰り広げる。アレンジはガレスピーのオーケストラアレンジでは有名なギルフラーやタッドダメロン。やはり、バップオリエンテッドなモダンビッグバンドの原点はここにある。

1. Emanon            Dizzy Gillespie / Milton Shaw 4:30
2. Ool-Ya-Koo            Gil Fuller / Dizzy Gillespie 6:15
3. 'Round About Midnight  B. Hanighen / T. Monk / C. Williams 3:35
4. Stay on It           Tadd Dameron / Dizzy Gillespie 5:40
5. Good Bait             Count Basie / Tadd Dameron 3:20
6. One Bass Hit      Ray Brown / Gil Fuller / Dizzy Gillespie 5:05
7. I Can't Get Started         Vernon Duke / Ira Gershwin 3:30
8. Manteca         Gil Fuller / Dizzy Gillespie / Chano Pozo 7:35

Dizzy Gillespie (tp)
Dave Burns (tp)
Elman Wright (tp)
Willie Cook (tp)
William Shepherd (tb)
Jesse Tarrant (tb)
Cindy Duryea (tb)
Erney Henry (as)
John Brown (as)
Joe Gayles (ts)
James Moody (ts)
Cicil Payne (bs)
Nelson Boyd(b)
James Foreman (p)
Teddy Stewart (ds)
Chano Pozo (conga)

Produced by Gene Norman
Recorded live at Pasadene Civic Audorium, Calfornia on July 26,1948




Dizzy Gillespie And His Big Band In Concert
クリエーター情報なし
GNP Crescendo
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持っているアルバムの棚卸も、何かきっかけがあると捗りそうだ・・・

2017-02-03 | MY FAVORITE ALBUM
In Tradition / Franck Avitabile

歳をとるとなかなか新しいことを覚えるのが大変だ。覚えようとすること自体が億劫になる。それに反して昔の事はつまらない事でも覚えている。ただし、それを思い出すには何かきっかけが必要だ。
最近は、学生時代の仲間と再会して昔話に花を咲かせる機会が多いが、話が盛り上がると次々と昔の記憶が蘇る。どうも新しいことを覚えようとするよりも、昔の記憶を思い出す機会を増やす方が頭の体操には良さそうだ。事実、ボケ防止のためには、昔の書き物や写真を見返すことが大事なようだ。

先日、神保町に行く用事があった。浪人時代、そして会社勤めを始めた頃、毎日通った街だけに、懐かしさもあって行く度に街を一回りする。昔あったジャズ喫茶、響、Smileは無くなって久しいが、今もジャズ喫茶は何軒かある。神保町の交差点近くにあるのがBig Boy。JBL4343が良い音で鳴っている。少し離れたボンディーでカレーを食べた後で寄ってみた。昼休み時間が終わった後で、お客は勤め人というよりは、自分と同じ年代が多かった。一人で来ている者もいれば友人同士で、席はほぼ一杯だった。やはり同世代にはジャズ好きが多いのを実感した。

最初に掛かっていたのは、カーメンマクレーのグレートアメリカンミュージホールでのライブ盤、そしてデイブパイクのパイクスピーク。ここは新しいCDも多いので自分の知らないアルバムが掛かっていることが多いが、知ったアルバムだと何となく落ち着くものだ。

そして、次にかかったアルバムは、バウエル風のピアノトリオ。結構いい音だ。遠目に立てかけてあるCDジャケットに目をやると、デザインは記憶がある。確か持っていたはずだと記憶を辿るが名前が出てこない。席を立って確認しようと思ったが、持っていることを確信して、家に帰ってから確認することに。

さて、自宅のCD棚は、コンボ、ボーカル、ビッグバンド別にABC順に並べてある。数は数えた事はないが、多分3千枚近くはあるだろう。この中から全く名前にあてのないものを探すのは至難の業だが、棚の前に立つと躊躇なく左上のAの場所へ。秋吉敏子やキャノンボールアダレーの見慣れたジャケットに続いて、すぐにお目当てのアルバムが見つかった。名前を確認するとFranck Avitabile。忘れたのではなく、そもそもしっかり覚えていなかった。持っているアルバムもこれ一枚。しかし、ヨーロッパの若手のパウエル風のピアノという記憶と、昼間ビッグボーイで聴いたピアノが頭の中で一致した。

自宅で再びCDをかける。自宅のオーディオもそれなりにいい音はすると思っているが、4343にはかなわない。しかし、パウエル風のバップオリエンテッドのピアノは心地よい、あっと言う間に一枚が終わる。パウエル風というだけでなく、このアルバムはパウエルの曲が大半なのでよりパウエル色が濃い。自分のオリジナル曲を弾く時は少しスタイルが変わる。





ジャケットを見るとますます記憶が蘇る。このアビタビレはミシェルペトルチアーニが育てたピアニスト。ペトルチアーニの兄弟であるベースのルイスと一緒に弾いていたのを聴いて、ぞっこん惚れ込んでこのアルバムを作ることになった。そして、ルイスもこのアルバムには一部参加していることも頭の中にリセットされた。

どうやら、CDやLPの棚卸も、ボケ防止の為の頭の体操には役立ちそうだ。

1. Gettin' There                  Bud Powell 4:41
2. Tempus Fugit                 Bud Powell 2:22
3. Topsy Turvy                  Bud Powell 5:38
4. Time Waits                  Bud Powell 4:06
5. Celia                      Bud Powell 3:36
6. Willow Groove                 Bud Powell 3:11
7. Trois Gros                  Franck Avitabile 3:06
8. There Will Never Be Another You  Mack Gordon / Harry Warren 4:17
9. August in Paris                Franck Avitabile 6:32
10. Burt Covers Bud                 Bud Powell 3:08
11. Wail                        Bud Powell 2:43
12. Kenny                      Franck Avitabile 7:29
13. Bud's Bubble                     Bud Powell 2:49
14. Silence                      Charlie Haden 4:12

Franck Avitabile (p)
Riccardo Del Fra(b)
Loigi Bonafede (ds)
Louis Petrucciani (b)

Produced by Michel Petrucciani
Engineer : Claude Ernelin
Recoeded at Studio Davout, Paris on 19,20 & 21 January 1988


In Tradition
クリエーター情報なし
Dreyfus Jazz
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ジョージウェインがConcordで手掛けた最初のアルバムは・・・

2017-02-02 | CONCORD
100 Hearts / Michel Petrucciani

Concordのアルバムにジョージウェインの名前が登場したのは、ニューポートオールスターズのアルバムであった。1984年の春、このオールスターズがアリゾナ州立大学での演奏を収めたものだ。

ニューポ―トといえば、ジョージウェインが1956年に最初に手掛けたジャズフェスティバル。発祥の地ニューポートでの開催は一時中断した時期もあったが、1981年装いも新たにニューポートの町に戻ってきた。
このフェスティバルには毎回、時の大物ミュージシャンが参加していたが、その中で変わらなかったニューポートオールスターズ。ウェイン自らがピアノで参加し、スイング、ディキシー系のベテラン勢がメンバーを務めた。

81年に再開された時、9年のブランクの間に他界したメンバーも多く、メンバーが一新された。その時新たに参加したのが、中間派の若手代表、スコットハミルトンとウォーレンバシェであった。このオールスターズは、本番のニューポートのステージだけでなく、全米の大学周りのツアーを行い、それに2人も参加していた。当時コンコルドレーベルの看板であった2人が、一時ウェインの元にレンタル移籍をしたような形だった。

ジェファーソンとウェインの仕事でのジョイントはこれがきっかけになったのであろう。
ジェファーソンは言わずと知れた大のスイング好き、一方のウェインは、ピアノの演奏はスイングスタイルだが、プロデューサーとしてはスイングには拘らず時代の先端となる演奏にも興味を示していた。

80年代の初めは、メインストリームとフュージョンが鎬を削っていた頃だったが、ウェインはあくまでもジャズはスイングする物に軸足を置いていた。という意味で、新伝承派と言われた若手達にもウェインは注目していた。

ウェインは、ニューポートを手掛ける前は地元ボストンで、ストリーヴィルという名でクラブやレーベルを運営していた。ジャズフェスティバルの企画・運営が中心になってからは、アルバム作りやレーベルのプロデュースは積極的に行ってこなかった。しかし、アルバム作りの情熱も残っていたようだ。

ジェファーソンの看板スターの貸し出しのお返しという訳でもないとは思うが、今度はウェインがジェファーソンにアルバム作りを手伝うことになる。

当時、ジェファーソンは自分の好みの領域を超えてアルバム作りを拡大してきた。その為に、自らプロデュースする以外に、東海岸で他のプロデューサーを起用したり、ミュージシャンの自己プロデュースしたアルバムを数多く手掛けるようになっていた。そんな時に、ジョージウェインをアルバム作りの総合監修に迎えるのは好都合だったのかもしれない。

コンコルドはそれまで、ラテン系のシリーズとしてConcord Picanteをサブレーベルとして設けていたが、カタログナンバーは両者共通化してきた。
新たにジョージウェインを迎え、今度はConcordというレーベルの中にGeorge Wein Collectionという、これまでのCJではなく、GWという別ナンバーシリーズを設けた。
このシリーズは結果的に10枚足らずの短命に終わったが、中に何枚か注目されたアルバムがあった。

そのシリーズの最初のアルバムがこのアルバムとなる。

当時、話題になっていたピアノのミシェルペトルチアーニ。ビルエバンスを源流とするピアノのスタイルも、この頃になると多くの後継者によって更にいくつかの個性あるスタイルに分かれていった。このペトルチアーニもその一人であったが、出身がヨーロッパであったこと、そして身体的なハンディキャップがあることが、演奏そのものよりも注目され、語られてしまっていたかもしれない。

ヨーロッパ出身であるペトルチアーニはモントルーにチャールスロイドのグループに加わり出演し、徐々にアメリカでも注目され始めていた。本格的なアメリカデビューは1983年、ニューヨークのクールジャズフェスティバルへの出演。これを段取りしたのがジョージウェインだった。

このペトルチアーニのソロが余程気に入ったのだろう、ニューヨークに滞在中、ステージでの演奏とは別にスタジオでも彼の演奏を録音した。スタジオライブの形式をとったようだが、自由奔放な彼のソロをステージ上の演奏をそのままの形で残したかったのかもしれない。ピアノの場合、ソロの方が、個性がはっきり出るように思うが、ペトルチアーニ自身、ソロの方が表現力を増すことができるとコメントしている。これが、ペトルチアーニのアメリカでの初録音となった。

コールマン、ヘイデン、ロリンズなどの曲に混じってペトルチアーニのオリジナルもあるが、Pot Pourriとタイトルされたメドレーでは、サムデイマイプリンスカム・・、オールザシングスユアーといったスタンダード曲が次々と続く。エバンスから始まるペトルチアーニの自らのジャズピアノの歴史かもしれない。

1. Turn Around                 Ornette Coleman 9:20
2. Three Forgotten Magic Words       Michel Petrucciani 5:26
3, Silence                   Charlie Haden 5:57
4. St. Thomas                  Sonny Rollins 6:41
5. Pot Pouri (Medley): Someday My Prince Will Come/All the Things You Are/Child Is Born
     Frank Churchill / Oscar Hammerstein II / Thad Jones / Jerome Kern /  14:21
6. 100 Hearts                Michel Petrucciani 11:59

Michel Petrucciani (p)

Produced by Gabreal Franklin
Live recording at RCA Studio A, New York, 1983
Originally released on Concord GW-3001 (George Wein Collection)

100 Hearts
クリエーター情報なし
Blue Note Records
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