A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

ミンガスの死が、有名プロデューサーの人生を変えたのかも・・・

2017-01-06 | PEPPER ADAMS
Impressions Of Charles Mingus / Teo Maselo

チャールスミンガスが亡くなったのは1979年1月5日であった。それからもう40年近くが経ってしまったが、ミンガスの世界はまだ引き継がれているように思う。

ミンガスの死因は今でも不治の病と言われているゲーリック病、要は筋肉が委縮して最後は呼吸も難しくなるという難病であった。それ故、晩年は車椅子での生活になったが、それでも音楽に対しての創作意欲は衰えず、亡くなる一年前に最後のアルバムを残している。自らプレーはできなくなっていたが、車椅子でスタジオに駆けつけ、陣頭指揮をとっていたといわれている。
そのアルバムが、以前紹介した”Something Like A Bird””Me Myself An Eye”の2枚のアルバムになる。ミンガスとは長年交友があったペッパーアダムスも何を差し置いても、この録音には駆けつけた。

有名なミュージシャンが亡くなると必ずと言ってもいいほど、故人を偲び、またその功績を称えたメモリアルコンサートが開かれる。このミンガスのメモリアルコンサートも、数多くあったと思われるが、その中に亡くなってすぐにセントピータース教会で開かれたコンサートがあった。

ミンガスがやり残した事は多い。ミンガスの良き理解者であったスーミンガス夫人は、それまでの夫君の功績と意志を引き継ぐために新たにレーベルまで作ってミンガスの遺作を世に出すことに努めた。それは今でもミンガスビッグバンドに引き継がれているミンガスDNAの継承の一環だと思う。

このアルバムも、ミンガストリビュート物の一枚だ。
アルバムを作ったのはあのテオマセロ。

テオマセロというと、コロンビア時代のマイルスのプロデューサーとして有名だ。メジャーレーベルのA&Rマンとして、マイルスだけでなく、エリントン、ブルーベック、チャーリーバードなどの大物ミュージシャンを集め彼等のアルバムを次々に作っていた。どれをとっても、いわゆるメジャーレーベル特有のコマーシャリズムに染まったアルバムではなく、ミュージシャン主体の名アルバムを数多く残している。

このテオマセロの経歴を辿れば自らサックスプレーヤーであり、アレンジャーであった。クインシージョーンズのような、プレーヤー、アレンジャー出身のプロデューサーということになる。プロデュース業が忙しくなると、必然的に演奏家としての活動は無くなっていった。

プロデュース業の中で、不遇な生活をおくっていたミンガスを再び表舞台に引き戻したのも実はこのマセロであった。若い頃はプレーヤーとしてミンガスのワークショップに参加していたマセロは、ミンガスに対しては他のミュージシャンのプロデュース以上に様々な想いがあったと思われる。

実は、亡くなった直後に行われた教会で行われたコンサートをセットし、自作の曲を提供したのもこのテオマセロであった。せっかくの曲、アレンジ、そして演奏を録音で残しておきたいと思うのは、多くのアルバムを手掛けたテオマセロにとっては当然の願いであったろう。しかし、アルバム作りに手を上げるレーベルは無かったが、録音はその年の12月にマセロ自身で行われた。

それから4年近く経ってから、このアルバムとなって世に出ることになる。すでにマセロはコロンビアレーベルのプロデューサー職は辞していた。時代は、フュージョン時代の真っ只中。スイングジャーナルでもフュージョンはジャズの正当かといった議論がよく行われていた時代だ。アルバムも売れるアルバムとマニアックなアルバムに二分されていた。そんな時代だったので、マセロのミンガスに対する想い込めたこの演奏をアルバムとして世に出すレーベルがあった。それがHerb Wongが作ったPalo Altoだった。

ここでマセロが選んだ道は、プロデューサーとしてアルバム企画への参画ではなく、あくまでもプレーヤー、そしてアレンジャーとしての自らのミンガスに対する印象の表現としての参加であった。もちろん、それを一緒に演奏するプレーヤーも何の制約も無く選べたのであろう。自分やペッパーアダムス、リーコニッツ、アルコーンのように何10年も前からミンガスと共演したメンバーに加え、当時の新進気鋭のニューヨークの若手のメンバーも集められた。ジャンルもメインストリーム、フュージョンの隔てなく。スタジオワークに長けた者もいれば、ソリストとして活動してるものも。中にはギターの川崎燎もいた。

曲はすべてマセロのオリジナル。スタイルはコンベンショナルなスタイルからフュージョンまで、編成もトリオからビッグバンド編成まで多種多様。ミンガス自身もトラディショナルからフリーまで、その演奏スタイルには壁が無くすべてをミンガスワールドに料理していたが、マセロもその意思を引き継いだのかもしれない。

ペッパーアダムスは主要メンバーとしてセクションワークだけでなくソロも2曲で披露している。
丁度ソリストとして活躍していた時期だが、それから数年してアダムスもこれからという時に病に倒れる。アダムスが最後に録音したアルバムも、奇しくも”Suite Mingus”というミンガスに因んだアルバムであった。

このアルバムを作った後、マセロは再びプレーヤー、アレンジャーとして演奏現場に復帰した。ミンガスの死、そしてこのアルバム作りがマセロの人生においても大きな転機になったようだ。

1. Oops! Mr. Mingus Teo Macero 5:04
2. lory Be! Let the Sund Shine In Teo Macero 9:34
3. Blues for Duke Teo Macero / Mike Moran 4:30
4. Goodbye "MR. Good Bass" Teo Macero 5:09
5. Monk's Funk Teo Macero 7:01
6. Open C Teo Macero 4:33
7. Two Bits and a Piece Teo Macero 6:40
8. Chill Teo Macero 6:04

#1,3
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
Bill Evans (ts)
Alex Foster (ts)
Teo Maselo (ts,p)
John Stubblefield (as)
Dick Oatts (as)
Biff Hannon (keyboards)
Ron Davis (b)
Bob DeVos (g)
Jamie Glaser (g)
Kitt Moran (vocals)
Tom Brechtlein (ds)

#5
Mike Nock (Keyboards)
Jorge Dalto (keyboards)
David Liebman (ss)
Dave Valentin (fl)
Marcus Miller (elb)
Buddy Williams (ds)
Ryo Kawasaki (g)
Carole Steele (percussion)

#6
Biff Hannon (keyboards)
Teo Macero (as)
Ryo Kawasaki (g)

#2,4,7,8
David Liebman (ss)
Pepper Adams (bs)
John Stubblefield (as)
Al Cohn (ts)
Lee Konitz (as)
Teo Macero (as)
Britt Woodman (tb)
Eddie Bert (tb)
Don Butterfield (tuba)
Jon Faddis (tp)
Lew Soloff (tp)
Mel Davis (tp)
Ted Curson (tp)
Larry Coryell (g)
Will Lee (elb)
Mike Nock (Keyboards)
Biff Hannon (keyboards)
Rubens Basini (Per)
Alan Swartberger (ds)

Produced by Teo Maselo
Composed & Arranged by Teo Maselo

Engineer : Don Puluse
Recorded at 30 th Street Studio , New York on December 27,1979


Impressions of Charles Mingus
クリエーター情報なし
Teo Records
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エルビンジョーンズが世に出した作曲家は、エルビンとちょっとイメージが合わないが・・・

2016-03-18 | PEPPER ADAMS
Composition of Fred Tompkins

持っているレコードの中には一度聴いたきりでお蔵入りしたアルバムも結構ある。衝動買いしたものは仕方がないが、期待して買い求めたアルバムが外れだとガッカリ感は強い。

このアルバムもその一枚。サドメルファンになってから、サドメルのアルバムだけでなくメンバー達のアルバムも買い求めることが多かった。中でもペッパーアダムスはかなり入れ込んでしまったが。

このアルバムも、そんな経緯で求めたアルバムだ。リーダーのフレッドトンプソンは知らなかったが、ジャケットに並ぶ面々を見るとサドメルの初期のメンバー達が並ぶ。それにエルビンジョーンズの名前も。聞いた事のないマイナーレーベルであったが、この面子を見ると反対にそれだけでも掘り出しものではないかと期待して買い求めた。

針を落とすとあまりにもイメージと違った。サドメルのメンバーは皆スタジオワークの強者。どんなスタイルでも演奏できるといえばそれまでだが、「こんな演奏もするんだ」という印象は受けても、その後繰り返し聴く事も無く、持っていたのも忘れかかっていた。

名の通ったプレーヤー達のアルバムの中に、時にメンバーの中に知らない名前が混じっていることも多い。大部分はゲストであったり、新人の起用であったりだが、その中で一曲だけの参加となると、その理由が余計に気になるものだ。

エルビンジョーンズのアルバム”Heavy Sounds”でピアノを弾いていたビルグリーン。昔から気になっていたが、他の演奏にお目にかかったことはない。同名のサックス奏者はいるが、果たして同じ人物かどうか?・・・。

ペッパーアダムスの参加したアルバムの棚卸をしている中で、先日エルビンジョーンズの”Poly Currents”というアルバムを紹介した。その中だけ一曲だけフレッドトンプキンスというフルート奏者が参加していた。

アダムスのディスコグラフィーを見ていると、このアルバムの録音直後にこのフレッドトンプキンスのアルバムに参加していた。メンバーを見渡して、もしやと思ってお蔵入りしていたこのアルバム取り出した。そして2枚のアルバムが繋がり、このアルバムの立役者がエルビンジョーンズであったことも分かった。

エルビンジョーンズとサドメルのメンバー達は普段から仲良く演奏していた。堅苦しいアルバムだけではなく、気軽なジャムセッションもアルバムとして残されている。エルビンの日頃のそんなプレー仲間の一人がフレッドトンプキンスであった。フルートだけでなく、ピアノも弾くトンプキンスであったが、本業は作曲であったようだ。
エルビンのアルバムでも、皆の曲を持ち寄ったアルバムだったこともあり、日頃のプレー仲間であるフレッドトンプキンスに声を掛けた。というより、エルビンにはせっかくの機会なので彼を世に売り出すのに一役買おうという強い意図があったようだ。ブルーノート、そして自分のリーダーアルバムに参加すれば広く名前を広める事ができるとの想いだったようだ。

その甲斐があってか、このアルバムが誕生した。マイナーレーベルであるが、集まったメンバーは普段一緒にプレーをしている一流どころが揃った。さらに、曲によってはストリングスやジャズにはあまり使われない木管も加わった。そして曲は皆トンプキンスのオリジナル。曲によって編成はバリエーションに富んでいるが、アンサンブルもかなり書き込まれている。ジャズの場合だと普通はテーマの作曲、そしてアレンジとなるが、ここではクラシックのようにアレンジというより全編作曲といった感じだ。

いわゆるジャズのスイング感(譜面の読み方を含めて)はなく、いわゆる前衛というよりサードストリームといったジャンルに近いのか。トンプキンスが日頃したためていた作品をめでたく世に出すプロジェクトは、エルビンを始めとして仲間の協力でめでたく実現した。

トンプキンスはその後も作曲家として活動しているようだ。他の新しいアルバムは聴いた事がないが、きっと同じ流れなのだろう。自分は、昔と較べてかなり幅広くどんなジャンルでも受け入れて聴くことができようになったが、きっとこのアルバムはまたお蔵入りで、繰り返し聴き返すことはないと思う。

1. Odile
 Fred Tompkins (fl)
 Lester Cantor (bassoon)
 Joe Tekula (cello)
 Barry Benjamin (French Horn)
 Danny Repole (tb)
 Jimmy Owens (tp)
 Joe Farrell (as)
 Mickey Bass (b)
 Elvin Jones (ds)

2. Yes
 Fred Tompkins (fl)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

3. Compound
6, SHH!
 Richard Jones (French horn)
 Al Gibbons (as)
 Joe Farrell (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Wilbur Little (b)
 Elvin Jones (ds)

4. Fanfare Ⅲ
 Fred Tompkins (p,fl)

5. Trio
 Jacob Berg (fl)
 Bob Coleman (cl)
 Mel Jernigan (tb)

7. Two Sentiments
 Richard Williams (tp)
 Cecil Bridgewater (tp)
 Jerome Richardson (ts)
 Pepper Adams (bs)
 Fred Tompkins (fl)
 Ron Carter (b)
 Elvin Jones (ds)

8. Circle
 Bob Brock (p)

9. Find A Way
 Gilbert Munguis (cello)
 Juri Taht (cello)
 Richard Williams (tp)
 Danny Repole (tb)
 Al Kaplan (tb)
 Richard Davis (b)
 Elvin Jones (ds)

All Compositions written by Fred Tompkins
Recorded at A-1 Sound Studio by Herb Abramson and Johnathan Thayer,October 1969 & May 1970
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ペッパーアダムスはワンホーンフォーマットでスタンダード曲を演奏することは少なかったが・・・

2016-03-14 | PEPPER ADAMS
Pepper Adams Live In Albany

ペッペーアダムスのリーダーアルバムはほぼ紹介し終わったと思う。
一方で、サイドメンで加わったアルバム、バックオーケストラに参加したアルバムはまだ数多く残されている。
落ち葉拾いをする時、まずは大きな目立つものから拾い始める。しかし、綺麗にしようとすると残った小さな葉っぱが気になる。拘り出すと最後は箒で掃き清めないと完璧とはいえないものだ。残りのアダムスの参加したアルバムは持っていないものも多いが、ボチボチ拾い集めながら紹介していこうと思う、完璧に掃き清めることはできなくとも・・・。

一方で、アダムスの活動歴を見ると、サドメルを辞めた後のソリストとして活動期間はレコーディングよりライブ活動が多い。自分のレギュラーグループを持つことはなかったので、バリトン一本を持って各地への単身の旅が多い。必然的に出向いた先でのセッションは地元のミュージシャンとの共演が多くなる。そこでの演奏の中にはプライベート録音された物もあるが、基本は世に出ることは無く一部のファンの中だけで楽しまれたものだ。

最近は、ネットの普及によってこれらのプライベート録音が紹介される機会が多い。そして、音だけでなく映像にも触れる機会も増え、ファンにとっては楽しみが増えた。もちろん、それらの中にはアルバムの形になってリリースされるものある。一時の幻の名盤の発掘の時代を終え、今ではそれらの秘蔵ライブ物の発掘の時代かもしれない。

このアダムスのアルバムも、そんな類のアルバムだ。

1980年というとアダムスのソリストとしての活動に弾みがつき、脂がのった演奏が聴ける時期だ。ソリストとしての活動が実績を残し始めたアダムスのアルバムが続けてグラミー賞の候補にノミネートされた。ヘレンメリルの”Chasin’ The Bird sings Gershwin”と、自己のリーダーアルバム”Reflectory”であったが、それらがこの頃のアダムスの好調ぶり実証している。

正月早々グラミー賞ノミネートの知らせを聞いて、アダムスの日々の活動は一層気合が入っていた。年明け早々市内でのgigで吹き初め、続いて隣のニュージャージーのハッケンサックのクラブ出演、そして久々に故郷のデトロイトでクラブ出演を終えると、今度はフランクフォスターと一緒にサラボーンのバックに加わりフィラデルフィアにミニツアーと、休む間もなく飛び回っていた。

2月に入ると今度はオールバーニーに出向く。同じニューヨーク州といっても、マンハッタンからはハドソン川に沿って200キロ以上北上する、ボストンと同じ位の距離にある地方都市だ。こんな小さな街にもジャズクラブはあった。ダウンタウンのAthletic Clubに一週間出演したが、一緒に演奏したのは地元在住のショー夫妻が参加したピアノトリオであった。

女性ピアニストのリーショーはニューヨークで活動していた時にはバードランドやビレッジバンガードにも出演していたという。そこで多くの有名ミュージシャンと共演した。カウントベイシーオーケストラを聴いてジャズに興味を持ち、オスカーピーターソンのピアノを手本としたというよくスイングするピアノだ。ニューヨークでは、ライオネルハンプトンなど多くのバンドからも誘いも受けたという実力の持ち主だったが、夫君であるスタンショーはこれらの誘いを断って、彼女のピアノはあくまでもトリオフォーマットでの演奏に拘った。

1971年には、夫婦揃ってニューヨークを離れ、このオールバーニーに居を移しそこで活動することになった。そこでは、アダムスに限らず、ニューヨーク時代知り合ったデクスタゴードン、ワーデルグレイ、フランクウェス・フォスター、サドジョーンズなどがこの街を訪れる時には、夫妻がホスト&ホステス役を務めたようだ。付き合ったメンバーを見渡しても、ショー夫妻の拘った演奏の立脚点が見えるような気がする。

このような経歴のショー夫妻のバックに、アダムスも実に乗りに乗ったプレーを繰り広げている。そして、このライブ(アルバム)特徴は、すべてスタンダード曲で占められていることだ。Alone Togetherだけは色々な機会に演奏しているが、アダムスの研究家のカーナーも、これらのスタンダード曲をアダムスが演奏したのはスタジオでもライブでも他のアルバムでは聴くことができないレアものだと絶賛している。

アダムスは自分がリーダーとなったグループではオリジナル曲を中心に演奏するようにしていたが、ここでは、暖かく迎えてくれたショー夫妻に敬意を表してか、お馴染みのスタンダード曲で存分にスイングする演奏を聴かせてくれる。アダムスのプレーだけでなく、ピアノのショーのプレーも女性とは思えないダイナミックな演奏で、これも拾い物だ。
惜しむらくは、録音が今一つであること。この迫力あるプレーがWally Heiderの録音であったら思うのは無い物ねだりかもしれないが。

このライブの後、ニューヨークに戻ったアダムスは3月にリーダーアルバム”The Masters”を録音する。この年に録音されたアルバムというと、この一枚しか聴けなかったが、全盛期のライブ演奏がこのようなに聴けるというのは音は悪くともファンとしては嬉しいものだ。

さて、この記事を書いてピアノのリーショーが気になったので調べてみた。もちろんこのアルバムを聴くまで、聴いた事はおろか名前も知らなかったので。

1926年生まれというのでアダムスより3つ年上、このアルバムを録音した時すでに54歳であった。自分のリーダーアルバムもあるが、皆2000年になってからのもの。年老いてますます盛んに活動したようだと思ったら、昨年まで現役であったようだ。



2014年、88歳を迎えた時は日本では米寿の祝い、ピアニストに相応しくLee's 88 Keysというタイトルでドキュメンタリー映画も作られた。それを祝ってかライブセッションも開かれていた。



2015年のはじめには慢性の肺疾患が原因の合併症で倒れたが、ガンとも戦っていたという。劇的な回復をみせた彼女は酸素ボンベを傍らにリハビリを兼ねてプレーを再開したが、10月25日ホスピスで亡くなった。享年89歳、最長老ともいえる生涯現役女性ピアニストであった。





ペッパーアダムスも、肺癌が発見されてからも憑りつかれたように演奏を続け、体がいうことをきかなくなるまでプレーを続けた生涯現役プレーヤーであった。
何か、この2人の生きざまには共通点を感じる。

1. It Could Happen To You
2. Scrapple From The Apple
3. In A Sentimental MoodAlone Together
4. Secret Love
5. Wrap Your Troubles In Dreams

Pepper Adams (bs)
Lee Shaw (p)
Mike Wicks (b)
Stan Shaw (ds)

Recorded at The Downtown Athletic Club, Albany< New York on Feburary 10, 1980

<table border=0 colspacing=0 cellpadding=0>Live In Albany 1980クリエーター情報なしメーカー情報なし
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同じステージで一緒に演奏していても、メンバーによってその位置付けは様々・・・、

2016-02-26 | PEPPER ADAMS
Cloud Patterns / Ray Alexander Quintet Recorded Live At Eddie Condon’s

同じステージで一緒に演奏していても、メンバーによってその位置付けは様々・・・、
ジャズの場合ライブの演奏と言っても色々ある。皆で集まってのセッションもあれば、レギュラーグループの馴染みのメンバーでの演奏も。レギュラーといっても演目は十八番の曲があり、時には新曲も。同じメンバーでもその日によってどんな演奏が聴けるか分からないのがジャズの楽しみだ。

どんな演奏をするのかを知っているメンバーのライブを聴きに行ってもそんな状態なので、全く知らないメンバーとなると果たしてどんな演奏が聴けるか?本当は楽しみなはずだが・・・。知らないメンバーのアルバムを聴く時と同じだが、なかなかライブとなると余程の事がないと足を運ぶことがない。今度、場当たりでチャレンジしてみようと思うが、やはり勝手知ったメンバーになってしまう。

先日、鈴木直樹のライブに行った。良く聴きに行く一人だ。スイングスタイルのスイングエースが元々レギュラーグループであるが、最近ではバンジョーの青木研やピアノの阿部篤志とのデュオも好評だ。自分のビッグバンドもあるし、角田健一など他のビッグバンドにもよく参加している。自分のバンドだけでも多方面で活動しているので、自然と聴く機会も増える。

その鈴木直樹が、今回New Projectとまた新しい試みを始めた。
メンバーは、いつも一緒にやっている、青木研、阿部篤志、そしてドラムの堀越彰の4人。果たしてどんな演奏かと思ったら、ジャズというジャンルを超えて、クラシックや民族音楽など前衛までをもバックボーンに自由な演奏をするとか。今回はいつものスタイルに加えてこのNew Projectの演奏も数曲披露された。

いつもと違ったスタイルが新鮮であったが、一緒にやるメンバーは皆いつもジャンルを超えて演奏している面々ばかり。彼らがリーダーの鈴木直樹にも影響を与えたのかも?
昨年病気で一時休養していたが、元気に新たなジャンルにチャレンジするまでに復活したのはファンにとっては嬉しい限りだ。

もう一つがテナーの菊地康正のライブ。自分はこれまで三木敏悟のインナーギャラクシーオーケストラのメンバーとしてしか聴く機会が無かったが、今回はコンボでの演奏。ベースの安カ川大樹、ピアノが八木隆幸というメンバーということで出掛けてみた。
「メロディーが綺麗な曲が好き」という正統派松本英彦直系のテナーをタップリ聴くことができたが、このライブは想像通りの演奏であった。今度は最近CDを作ったメンバーでのライブもあるとか・・・。バックのメンバーの違いで少し雰囲気が違った演奏が聴けるかも。

さて、本題のアルバム紹介だが、これはヴァイブのレイ・アレキサンダーのライブ演奏のアルバム。レイ・アレキサンダーといっても、これまで聴いた事が無かった。経歴を見ると過去一緒に演奏したプレーヤーは、ジョージシアリング、スタンゲッツ、アニタオデイ、ビルエバンス、コールマンホーキンズ・・・名だたるメンバーが並ぶ。生まれは1925年なので大ベテラン、世代的に有名な大物達と一緒にプレーしたと言っても不思議ではないが。ヴァイブ奏者はそれほど多くは居ないはずだが名前すら知らなかった。
リーダーアルバムはこれ以外に数枚。メンバーとして参加したアルバムも少ない。活発に活動していた割には、レコーディングには恵まれなかったようだ。

このアルバムの演奏が行われた場所、ニューヨークのクラブ「エディーコンドンズ」。
ギターのエディコンドンの作ったクラブだが、本人が亡くなった後も存続していたとは知らなかった。
アレキサンダーにとってリーダーアルバムは、これが初めてだったようだ。そして、この日のメンバーも初顔合わせが多かったとか。そんな演奏がアルバムになったのだが、実はこのメンバーの中にペッパーアダムスがいた。83年というとガンを宣告される前のソリストとして活動していた時だ。自分のグループでは8月にファッツチューズデイでのライブ録音がある。しかし、自分のグループでレギュラー活動するよりも他のミュージシャンの演奏に加わったギグが多かった時期だ。エルビンジョーンズのグループに加わってビレッジバンガードにも何度か出演してようだが、この演奏などは聴いてみたい。

そのような中で10月23日にこのレイ・アレキサンダーのグループにゲスト参加した演奏がこのアルバムに残された。ゲストということで、このアルバムでは2曲で登場しているだけ。それもリーダーの引き立て役であまり前面には出ていない。テーマ部分もオブリガード役、いつものゴリゴリサウンドも少しトーンを落とし気味だ。

アダムスにとっては、このライブは気楽に演奏した日頃のプレーの一コマだった。
しかし、リーダーのレイアレキサンダーにとっては、初のリーダーアルバム、それも初めてのメンバーと一緒に、アレンジも自ら行い、オリジナル曲を含めて気合の入ったステージであったことだろう。アルバム作りにはベースのハービースチュアートの協力があったようだ。

レコーディンは済んだが、アルバムはすぐにリリースされなかった。世に出たのは5年度の1988年になってから。リリースされた時にはアダムスだけでなく、ピアノのアルバートデイリーもすでにこの世を去り、さらに演奏した「エディーコンドンズ」も閉店されてしまった。目出度い初アルバムは、結局2人+1か所の追悼アルバムとなってしまった。

実際には色々活躍していたらしいアレキサンダーも、今となってはそのプレーを聴けるアルバムは数枚しかない、アンダーレイテッドなミュージシャンの一人であったようだ。

これは別のメンバーでの演奏。



1. Cloud Patters
2. I Can’t Get Started With You
3. Softly As In A Morning Sunrise
4. My Foolish Heart
5. Green Dolphin Street
6. Reflections
7. Ray’s Blues

Ray Alexander (vibes)
Pepper Adams (bs)
Albert Dailey (p)
Harvie Swartz (b)
Ray Mosca (ds)

Produced by Harvie Swartz
Engineer : David L.Barnes
Recorded live at Eddie Condon’s, New York in October 1983


Cloud Patterns
クリエーター情報なし
CD Baby
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久々にエルビンジョーンズのセッションに加わり、コルトレーンモードで・・・

2016-02-19 | PEPPER ADAMS
Poly-Currents / Elvin Jones

1969年8月、サドメルのオーケストラは初のヨーロッパツアーに出掛ける。前年の初の海外ツアーは日本であったが,これは大トラブルであった。これに懲りたのだろう、このヨーロッパツアーはきちんと段取りがされていたようで、ロンドンに着いたオーケストラは、地元のロニースコットクラブに出演し、その後、スウェーデン、デンマーク、オランダ、スイス、ドイツと3週間に渡る長いツアーとなった。各地で、ラジオやテレビの出演があり、その録音が残されている。9月11日のスイスのバーゼルでのライブの模様はCDでリリースされているが、このアルバムを出しているTCBはモントルージャズフェスティバルをはじめとしてスイスのラジオ放送用に収録した録音を数多くリリースしている。日本でもNHKが放送用のコンテンツを数多く持っているはずだが、こちらはアルバムとしてリリースされたという話は聞いた事がない。権利関係の契約の違いだとは思うが、いつかNHKの膨大な日本でのライブの録画、録音が陽の目を見る日が来てほしいものだ。

ペッパーアダムスもこのヨーロッパツアーに参加したが、今回はギャラもちゃんと払われたのか、ヨーロッパ滞在中に新しいクラリネットを買ったそうだ。あまり楽器を替えないアダムスだったが、何か思う所があったのだろう。
9月14日にニューヨークに戻ると、すぐにアダムスはいつもの生活に戻った。サドメルオーケストラは休む間もなく翌15日には本拠地ビレッジバンガードに出演する。そしてデュークピアソンのビッグバンドのリハーサルも毎週のように続いた。そんな時に、久々のレコーディングに呼ばれた。声を掛けたのはエルビンジョーンズ。

エルビンジョーンズとペッパーアダムスの付き合いは長い。地元デトロイトのブルーバードでは兄のサドジョーンズと共によく一緒にプレーをしていた仲だ。エルビンが3つ年上だが、アダムスより一足先の55年にニューヨークに来ていた。アダムスは西海岸から戻った57年はちょうどJJジョンソンのグループに加わっていた時だ。
アダムスが本格的にニューヨークで活動を開始すると、エルビンジョーンズもアダムスと一緒にプレーすることが多かった。レコーディングにもよく一緒に登場している。そして、59年2月アダムスがドナルドバードと一緒にグループを作った時にはメンバーに加わり、ファイブスポットに連日出演した。先日紹介した、アダムスのリバーサイドのアルバム10 to 4はこの時のライブアルバムだ。

その後も、2人でgigに参加することも多かったが、エルビンがジョンコルトレーンのグループに参加すると、その機会も少なくなっていた。67年にアダムスがリーダーアルバム”Encouter”をプレスティジに残したが、これはアダムスの自主制作のようなアルバム。このセッションには久々にドラムにエルビンジョーンズを迎えた。コルトレーンのグループを経験したエルビンのドラムは一段とダイナミックに、そして多彩になっていた。サドメルの活動が中心になっていたアダムスが久々に吹っ切れたプレーを聴かせてくれたが、これもエルビンが加わった効果が大きかったように思う。

エルビンは、コルトレーンのグループを辞めた後は、様々なセッションに加わっている。この年の初めにはフィニアスニューボーンバニーケッセルと共演するために西海岸に行っていた。一方で、自分のグループも作っていたが、テナーを起用することが多かったのはやはりコルトレーンの影響をうけたからかも。ピアノレスのことも多かったが、これはロリンズの影響か?しかし、このアルバムでは、久々にペッパーアダムスも参加した大人数でのセッションとなった。

テナーとソプラノは、サドメルの創設メンバーであったジョーファレル。エルピンとは相性がいいのか、この頃のエルビンのグループのレギュラーメンバー。それに、ジョージコールマンが加わった3管編成。コンガのキャンディッドも加わり、エルビンのポリリズムがより多彩なリズムになる。一方で、ピアノやギターが加わっていないので、管もソロはフリーになりがちだが、テーマはアレンジを施し完全にフリーにならないように締める所は締めている。

このアルバムのもう一つの特徴は、メンバーのオリジナルをそれぞれ持ち寄っている点。それに、ジャケットの岩陰に隠れるように写っているエルビンの愛妻Keikoの曲も一曲。さらに、フルートのフレッドトンプキンスが一曲ゲスト参加している。
曲もバラエティーに富んでいるが、演奏もそれぞれ特徴がある。纏まりのない拡散しそうなアルバムをまとめているのはやはりエルビンのドラミングかも。アダムスも普段の演奏とは少し勝手が違うが、長年一緒にやってきたエルビンとは何をやっても通じる所があるのだろう。



1. Agenda Elvin Jones
2. Agappe Love Joe Farrell
3. Mr. Jones Keiko Jones
4. Yes Fred Tompkins
5. Whew Willber Little

Elvin Jones (ds)
Joe Fallell (ts,,English Horn,fl)
Fred Tompkins (fl)
Pepper Adams (bs)
George Coleman (ts)
Wilbur Little (b)
Candido Camero (conga)

Produced by Francis Wolff
Recording Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio on September 26, 1969

ポリ・カレンツ
クリエーター情報なし
ユニバーサルミュージック
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スタジオワークが多くなると、誰のバックを務めたか記憶に残らないことも・・・

2016-02-16 | PEPPER ADAMS
Just A Little Lovin’ / Carmen McRae

女性ジャズボーカルの御三家というと、エラ、サラ、そしてカーメンマクレーだが、何故かマクレーが最初に好きになった。ちょっと甲高い声で、癖のある節回しでとっつき難い感じはしたが、自分は天邪鬼な性格なせいか少し違ったものが好みになることが多い。

最初に聴いたアルバムは、50年代のBy Special RequestサミーデイビスJr.とのデュエットなどから。そして、ブルーベックと共演したAt Basin Street, In LondonやLive at Sugar Hillなどのライブアルバム。マクレーのライブ物が特に好みであった。

60年代の後半になると同時進行となるが、契約がメインストリームからアトランティックへ移籍するとガラリとアルバムの雰囲気が変る。60年代後半は主流派のジャズは冬の時代。ボーカル陣もご多分に漏れずポップス調のアルバムが作られた時だ。バックは豪華なオーケストラ入りに、曲はビートルズの曲なども多く採り上げられ、ジャズ歌手が歌うヒット曲のカバーアルバムが続いた時期だ。ウェスモンゴメリーのA Day In The Lifeもこの頃のアルバムになる。時代その物がそのようなアルバムを求める時代だったのだろう。

このマクレーのアトランティックでのアルバムもジャズボーカルとは言えないようなアルバムが続いた。好きな女性のファッションが突然変って自分の好みとは違ってしまって、今流行のファッションかもしれないが自分の好みでは?・・・といった感じだった。

それでも一度惚れたマクレーを振る訳にもいかず、このアルバムも当時なけなしの小遣いを叩いて買ったもの。オルガンが目立つソウルフルなアレンジでビートルズナンバーなどを歌ったアルバムだ。アルバムも数多く持っていなかった時、回数だけは良く聴いたがバックのメンバーのクレジットを見ることも無かった。

サドメルの創設時のメンバーは大部分がニューヨークのスタジオミュージシャンだった。ところが、中にはハンクジョーンズやスヌーキーヤングのようにテレビ番組にレギュラー出演し、スタジオワークで毎日引く手あまたであったリチャードデイビスのように経済的に安定しているメンバーもいれば、エディーダニエルスやジミーオーエンスのようにまだ駆け出しの新人達もいた。サドメルでのギャラは一回20ドル。週一回とはいえ、これをレギュラーの仕事にするには少ない金額であった。ジミーオーエンスなどはすぐにメンバーから外れていった。

ペッパーアダムスはサドジョーンズに誘われてリハーサルに参加するようになっても、最初はそもそもビッグバンドに加わるつもりはなかった。この時からすでにコンボで、ソロ活動主体で活動することを希望していた。しかし、一緒にリハーサルに参加していたMarv Holiadayが、ライブ活動が増えるのを希望しておらず参加する機会が減ると、自然にアダムスがレギュラーとなってしまった。サドメル両方の友人となると断れなかったのだろう。アダムスは同じ時期にデュークピアソンのビッグバンドにも加わり、本人の想いとは反対に毎週この2つのビッグバンドへの参加がレギュラー活動になってしまった。

となると、稼ぎの道は別に求めなければならない。アダムスはレギュラーのスタジオワークがある訳でなく、コマーシャルのジングルから映画のサウンドトラック、そしてボーカルのバックまで数多くの仕事をこなす日々となった。予定の記録を細かく残していたアダムスとはいえ、誰のバックの演奏をしたのか記憶があいまいになったものも多くあるようだ。特に、ボーカルのバックとなるとこの頃から歌とバックは別々に録音され、歌にオーバーダビングされることが当たり前になっていた。目の前に歌手がいなければ誰のバックか分からなくなるのも仕方がない。

1970年3月ニューヨークのスタジオにアダムスを含めて5人のメンバーが集まった。セッションリーダーはキングカーチスだったようだが、ジョーニューマンやサドメルで一緒のガーネットブラウンなどもいた。2月にマイアミで録音された歌のバックをこの5人で4曲演奏した。ソロも無くオルガンに合わせた8ビートのソウルフルな演奏だが、この時の演奏がこのマクレーのアルバムのバックであった。

アダムスがこのレコーディングに参加しているのを知って、改めてジャケットを見返すと確かにアダムスのクレジットがあった。いつもは聴き流していたバックに注意して聴き直してもアダムスらしいプレーが分かる部分は無かった。

肝心なマクレーもアトランティックでのスタジオ録音アルバムはこれが最後になる。翌年録音されたアルバムが、先日紹介したケニークラーク&フランシーボランのビッグバンドとの共演”November Girl"。そして、1971年には名盤、The Great American Songbookのライブ録音となる。この頃のマクレーは、スタジオ録音されたアルバムと、普段のライブでの歌は全く違う。



1. Just a Little Lovin'           Barry Mann / Cynthia Weil 2:12
2. Something                  George Harrison 3:07
3. I Thought I Knew You Well            Tony Joe White 3:56
4. I Want You                   Tony Joe White 2:22
5. More Today Than Yesterday             Pat Upton 3:06
6. Here, There and Everywhere   John Lennon / Paul McCartney 2:36
7. Carry That Weight        John Lennon / Paul McCartney 2:48
8. Breakfast in Bed          Donnie Fritts / Eddie Hinton 3:18
9. I Love the Life I Live              Willie Dixon 2:30
10. What'cha Gonna Do              Donnie Fritts 3:35
11. Didn't We                   Jimmy Webb 3:20
12. Goodbye Joe                  Laura Nyro 2;36

Carmen McRae (vol)
Jim Dickinson (g,keyboard)
Charlie Freeman (g)
Mike Utley (org,ep)
Tommy McCure (b)
Sammy Creason (ds)

King Curtis (as,ts)
George Dorsey (as)
Pepper Adams (bs)
Garnet Brown (tb)
Joe Newman (tp)

Produced by Arif Mardin
Recorded at Atlantic South Criteria Studio, Miami, Florida on February 16, 1970
Engineer : Ron Albert


ジャスト・ア・リトル・ラヴィン
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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サドメルのメンバーの面々が揃ってバックに、その歌手は・・・?

2016-02-10 | PEPPER ADAMS
Hello There,Universe Mose Allison

2月7日は50年前サドメルが初めてビレッジバンガードに出演した記念すべき日だった。本家ビレッジバンガードではVJOが連日記念ライブをやっていたようだが、50年前の記念すべきライブの模様を収めたアルバムが当日発売された。この1966年2月7日の最初のステージの模様は以前”Opening Night”というタイトルで発売されたこともあるが、今回は3月17日のライブも追加されてCD2枚組での発売。前回はFM放送に使用されたソースを使ったようだが、今回は同じ録音であっても正式に許諾手続きがされてリリースされたようだ。
サドメルのアルバムとしては久々のアルバムなので早速入手したが、50周年ということもあって、当時のメンバーのインタビューなども収めた厚いブックレットも添付され、これも貴重だ。ファンにとっては、気になるネタも多いのでこのアルバムの紹介は改めてしようと思う。

立上げ当時のサドメルのメンバーというと、ニューヨークでテレビに番組にレギュラー出演していたり、ファーストコールのスタジオミュージシャンが中心。月曜日には仕事が少ないという事もあり、サドメルのオーケストラに集まるのは月曜日がレギュラーとなったが、他の日はメンバーそれぞれがスタジオの仕事で飛びまわっていた。ジャズアルバムのメンバーとして加わるだけでなく、歌手のバックから、コマーシャルのジングルまでその活動の幅は広い。ペッパーアダムスももちろんその一人であった。
ある時はリーダー以下、バンドメンバーが全員参加バックでしたことがある。ジミースミスの”Portuguese Soul”などはメンバーだけでなく、アレンジを含めてサドメルがそのままバックを務めたこともある。

1969年10月、この日はトランペットセクションから2人、サックスセクションから3人の面々が揃ってスタジオに集まった。その日の主役、モーズアリソンのアルバムのための録音であった。
バックのアンサンブルのアレンジもアリソンが行ったので、このメンバーを集めたのはアリソンの要望だったのだろう。ただ、実際のアレンジは単調で、何もこのメンバーでなくともと思うが、スタジオワークでは要求されたものを要求どおり何でもやることが重要なのだろう。

さて、モーズアリソンというと、根っからのジャズファンにとっては、アルコーン&ズートシムスのグループでの演奏が有名だ。50年代から60年代初めにかけてのアリソンは、ハードバップに根差したピアノで活躍した。若手メンバーがロフトに集まって日々鍛錬を続けた仲間の一人でもあった。そのロフトではズートシムスやペッパーアダムス達も常連であったが、以前その演奏の様子は”Jazz Loft”というアルバムで紹介したことがある。ここでも、アリソンはシムス、アダムスなどとジャムセッションを繰り広げている。

このアリソンは、次第にジャズだけでなくブルースにも軸足を移す。次第にピアノだけでなく自作の曲のボーカルが中心になる。彼が歌う白人のブルースはジャズよりはロックやポップスのミュージシャンに影響を与え、カバーされることも多かった。

ジャズピアニストであるモーズアリソンが、今のモリソンに変身していく過渡期に作られたのがこのアルバムだ。すでにボーカルが中心になっているが、けっして歌が上手といったタイプではない。黒人特有のブルースの泥臭さがあるわけでもない。ソングライターとしての才能に、白人らしい洗練された歌い口がマッチして人気が出たのであろう。そのジャンルのファンにとっては伝説のジャズブルースシンガーになっているようだ。

バックのアンサンブルは人数が多いが複雑なアンサンブルワークを披露している訳ではない。人数が多い分分厚いサウンドだが、単調なバックだ。アダムスは、1曲目でいきなりソロをとっているが、もう一曲でソロが聴ける。珍しくセルドンパウエルがバリトンを吹いているが、録音日によってアダムスと交代している。



1. Somebody Gotta Move
2. Monsters Of The ID
3. I Do’ntWant Much
4. Hello there, Universe
5. No Exit
6. Wild Man On The Loose
7. Blues In The Night
8. I’m Smashed
9. Hymn To Everyhing
10. On The Run

Mose Allison (p, org. vol, arr)
Jimmy Notthingham (tp)
Richard Williams (tp)
Jerome Richardson (as,fl)
Joe Henderson (ts)
Seldon Powell (bs)
Pepper Adams (bs)
Bob Cranshaw (eb)
Joe Cocuzzo (ds)
Produced by Nick Samardoge & Lee Friendlander
Engineer : William Arlt & Jerome Gasper
Recorded in New York on October 16, 21, 31 1969


Hello There Universe
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Collectables
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世界各地の民族音楽をベースにジャズをやると・・・

2016-02-07 | PEPPER ADAMS
At Home / Around the World / David Amram

ペッパーアダムスが参加しているアルバムを追いかけていると、今まで見たことも聴いた事が無いアルバムに出くわす。これもその一枚だが、それだけアダムスが色々なセッションに加わっていたという事だろう。

マルチタレントというのは何の世界にもいる。音楽の世界だと、演奏と作編曲の両方が得意であったり、色々な楽器を演奏出来たり、ジャズとクラシックの両刀使いであったり。プレーヤーが作編曲家やプロデューサーに転じる例は良くある。畑違いのジャズからクラッシクの世界に転じて成功した第一人者はアンドレプレビンだろう。

才能ある者はどの世界で活動してもそれなりの実績を残すことができる。その中で、ひょっとしてこのデイビットアムラムはジャズ奏者から他の畑に転じた中で、活動の幅の広さはナンバーワンかもしれない。
元々はラテンバンドでホルンとパーカッションの一奏者からスタートしているが、80歳を超えた今でもジャンルを超えて活躍しているようだ。自分がこのアムラムを知ったのは、ペッパーアダムスの参加していたアルバムを通じて。その活躍の一端を知るだけだが、彼は「現在音楽のルネサンス・マン」と呼ばれているそうだ。活動のすべてを知っている人にはその超人ぶりが理解できるのであろう。

ジャズの世界で活躍していた1950年代はホルン奏者としての活動が中心であった。ミンガスのワークショップにも参加し、ファイブスポットにも出演していた。多分、この頃アダムスと出会ったのであろう。パーカーの信奉者であったが酒もドラッグもやらない彼がいつも屯していたのはビレッジ周辺。音楽だけでなく、詩人や絵画、そして映画の世界へと興味も交友関係も広がっていった。

さらに作編曲に興味を持つと音楽活動の幅はクラシックにも広がった。そんなアムラムが、1977年に当時国交を断絶していたキューバにディジーガレスピーを団長とするジャズの親善使節団に一メンバーとして参加した。その時の演奏の一部、そしてその後今度はキューバからのミュージシャンをニューヨークに招いた時のセッションにも参加し、アルバム”Habana New York”に残されている。得意のラテンリズムがアメリカと現地のミュージシャンの橋渡し役となっている。

元々パーカッションも演奏しラテンバンドにもいたこともあったアムラムは、元々世界各国の音楽に興味を持っていたそうだが、これを機に改めてラテン音楽にも目覚めることになる。一口にラテンと言っても国や民族によってリズムや使う楽器も違う。アムラムは自ら現地に足を運んでそれらを順次ものにしていった。そして、中南米だけでなく、探訪の旅はアフリカや中近東など世界各地に広がった。いつの間にか世界の民族楽器を何十種類も演奏できるようになっていた。現場で身に付けたリズム感、これがアムラムの強みであろう。

このアルバムは、ジャズの世界で育ったアムラムが、世界中を廻って体得した民族音楽を彼なりの解釈で披露するある種のハイブリッドアルバムだ。タイトルもそのままAt Home / Around the Worldとなっているが、アルバムのA面がジャズを基本に、B面が世界の音楽といった感じだ。

1曲目は77年5月にガレスピーと一緒にキューバに渡る船の中で2人のディスカッションで生まれた曲。ラテンのリズムで始まるオリジナルのブルースでペッパーアダムスがいきなりソロをとり、アムラムのホルンが続く。
2曲目は55年にパリに行った時に書いた曲、フルートの音色を鳥の鳴き声に模した曲だが、世界各国の笛が賑やかに登場する。次はジェリーダジオンのアルトをフィーチャーしたバラード。続く2曲はトラディショナルだが、リズムの使い方が、ジャズの4ビート、8ビートは違ったアムラムの世界だ。その中でアダムスのソロも再び登場するが、周りの変化には我関せずといった感じでいつものペースだが、演奏自体は妙にしっくりくる。

このアムラムとアダムスは気が合うのか良く一緒に演奏している。このアルバムの録音の前にもアムラムのテレビ出演があったが、アダムスも一緒に出演している。アムラムの音楽はクラシックからジャズまで何が出てくるか分からないが、どんな曲でもアダムスの低音の魅力がアムラムには不可欠だったようだ。

そして、B面は、パキスタン、エジプト、グアテマラ、パナマ・・・と、アメリアッチ風の演奏から、神秘的なサウンドまで世界各国の音楽のオンパレード。笛と太鼓がメインになるのはどの国でも同じようだ。こちらにはアダムスはソロでは参加していない。

アムラム本人は、プロデュース、作曲に加え、演奏もホルン、ピアノに加え、各種パーカッション、フルート&各種の笛を駆使して大活躍。他の人にはなかなか真似のできないユニークなアルバムだ。





1. Travelling Blues         David Amram / T. Johnson 4:57
2. Birds of Montparnasse           David Amram 2:33
3. Splendor in the Grass           David Amram 4:23
4. Sioux Rabbit Song              Traditional 1:43
5. Home on the Range              Traditional 4:22
6. Kwahare (Kenya)               Traditional 3:33
7. Pescau                   Traditional 2:38
8. Homenaje a Guatemala           David Amram 2:30
9. From the Khyber Pass            David Amram 1:39
10. Aya Zehn (Egypt)                 Traditional 6:43

David Amram (arranger, composer, Dumbek, Flute, French Horn, Guitar, Ocarina, Orchestration, Pakistani Flute, Penny Whistle, Percussion, Piano, Piccolo)
Pepper Adams (bs)
Jerry Dodgion (as)
George Barrow (ts)
Wilmer Wise (tp)
Mohammed El Akkad (Kanoon)
Ramblin' Jack Elliott (g,Yodeling)
Ali Candido Hafid (Dumbek)
Ray Mantilla (conga,per)
Nicky Marrero (per,timbales)
George Mgrdichian (Oud)
Hakki Obadia (violin)
Johnny Dandy Rodrigues (bonbo,per)
Victor Venegas (b,elb)
Floyd Red Crow Westerman (chant, ds,Sioux)
Steve Berrios (ds,per)
Candido (conga)
Odetta (vol)
Libby McLaren (vol)
Angela Bofill (vol)
Patrica Smyth (vol)
llana Marillo (vol)

Produced by Glenda Roy & David Amram
Engineer : Joe Cyr
Recorded at Variety Sound, New York City on October 17 1978

At Home Around the World
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Flying Fish Records
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ペッパーアダムスがリーダーとなってスタートしたドナルドバードとのコンビであったが・・

2016-02-03 | PEPPER ADAMS
10 To 4 At The 5 Spot / Pepper Adams Quintet

ペッパーアダムスのアルバムの紹介はリーダーアルバム、サブリーダ―アルバムは大体終了し、サイドメンとして参加したアルバムを地道に拾い出している。
こんなアルバムにもという物もあるが、これは次回にして久々にこのリーダーアルバムを聴き直した。このアルバムはペッパーアダムスとドナルドバードのコンビの初レコーディングだが、ペッパーアダムスの軌跡を追ってみると色々な意味でエポックメーキングな出来事が集約されたアルバムであることが分かる。以前紹介したことがあるが、改めてこのアルバムを振り返ってみることにした。

ペッパーアダムスは1957年ダウンビート誌でバリトンサックスの新人賞を受賞し、西海岸で初のリーダーアルバムとなるMode盤、そして、パシフィックジャズの”Critic’s Choice”の2枚のアルバムを吹き込むと、その後活動の拠点をニューヨークに戻した。すぐ色々なレコーディングセッションやgigに引っ張り凧となったが、11月にはSavoyに3枚目のリーダーアルバム”The Cool Sound of Pepper Adams”を録音した。
暮れには、同郷のエルビンジョーンズと一緒にアパートを借り、ニューヨークでの拠点を確保し、年が明けても忙しい日々を続けることになる。

ドナルドバードとペッパーアダムスは同じデトロイト出身、地元では顔見知り同士であったが一緒に演奏したのはお互いニューヨークに来てからが初めてであった。最初のギグは1この1958年2月1日のカフェボヘミアでのセッションであった。このgigがその後のアダムスの活動を大きく変えることになる。
1週間後にもう一度カフェボヘミアで、そしてジョニーグリフョンのセッションにも一緒に参加したが、2人はファイブスポットに4日間続けて出演する機会を得る。

このファイブスポットは前年にできたばかりであったが、クラブというよりはジャズバーといった感じの、気軽に聴ける雰囲気のライブスポットであった。2人のコンビの演奏はなかなか好評で、そのまま6月まで続けて出演することになり、ハウスバンドとしてレギュラーグループとなってしまった。もちろんアダムスにとっては初めてのレギュラーグループであった。

当然、このグループの評判はニューヨークで広まり、リバーサイドレコードのオリンキープニュースの耳にも入った。この頃レコード業界には丁度ステレオ録音が広まっていた。リバーサイドではそれまでライブのステレオ録音を行ったことがなく、キープニュースはこのバード&アダムスクインテットの演奏をお試し録音する事になった。
実際に録音が行われたのがこの4月15日のセッション。グループとして2月にスタートして、一カ月以上一緒にやってきたので、5人の息もぴったり合った所でのレコーディングとなった。

その日の10時から翌朝4時まで行われた4セット25曲が丸々収録された。やっと終わったとアダムスとキープニュースが一休みしていた所に、エンジニアのRay Fowlerがやってきて、「実はマイクのコードが一本抜けていて、これまでの録音はNGとなってしまった」ことを伝える。慌ててもう1セット演奏したのがこのアルバムに収録されたものだそうだ。10時から4時までのすべてが録音されたのに、他の曲や別テイクが無い理由、アルバムの中で一曲がモノラル録音であるのはそのような事情だったようだ。

このアルバムでのピアノの調律が狂っているという話も良く聴くが、そもそもこのファイブスポットのピアノ自体が、演奏が始まる時には合っていても、セカンドセットが終わる頃には狂い出すという代物であったようだ。

このセッションに加わっていたのは、ドラムのエルビンジョーンズとベースのダグワトキンスが2人と同じデトロイト出身の仲間達。それにピアノにはボビーティモンズが加わってスタートした。出演期間が長期になると、ピアノのティモンズも他の仕事で参加できないことも多くなり、ドンフリードマン、トミーフラナガン、ローランドハナなどが交代で参加した。アダムスにとって初めての実質的なレギュラーグループであり、レギューラー出演の仕事をしたことになる。当時の新聞にもアダムスのグループと紹介されている

アダムスのとっては初のレギュラーグループであったが、この後ベニーグッドマンとの仕事が入りバードとはしばらく別行動になる。11月にニューヨークに戻り、12月にはバードのアルバム”Off To The Races”に参加するが、それ以降、2人のコンビの主導権は、特にブルーノートが絡むレコーディングではバードが主役となってしまう。偶然生まれた2人の初アルバムではあるが、ペッパーアダムスが主導権を持った数少ないアルバムだ。他の録音が残されていないのが、返す返すも残念だ。



1. Tis(Theme)                 Thad Jones
2. You're My Thrill               Clare-Gorney
3. The Long Two / Four              Donald Byrd
4. Hasting Street Bounce             Traditional
5. Yourna                    Donald Byrd

Pepper Adams (bs)
Donald Byrd (tp)
Bobby Timons (p)
Doug Watkins (b)
Elvin Jones (ds)

Procuced by Orin Keepnews
Engineer : Ray Fowler
Recorded at the FIVE SPOT CAFÉ, NEW YORK City, April 15.1958

10 to 4 at the 5 Spot
クリエーター情報なし
Ojc
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いきなり集められて、何の段取りも行われていないセッションとなると・・・

2016-01-24 | PEPPER ADAMS
Be-Bop ? / Pepper Adams & Barry Altschul

現役時代は毎日のように会議があった。自分が議長をすることもあれば、参加しなくても裏方で段取りをすることも。もちろんメンバーとして参加する時も。会議の主旨と目的をよく理解して積極的に発言を求められることがあるかと思えば、代理でとにかく出てこいと言われて出席したこともある。いずれにしても、その会議の進行と結果に責任を負う場合はかなり気を遣ったものだ。
ジャズミュージシャンの場合も毎日同じメンバーで同じ曲を演奏するわけではない。毎日行われるセッションがどのようなものなのかは事前に確認して参加はしていると思うが、中には・・・・・?

ペッパーアダムスは、ソロプレヤーとして独立してからもよくヨーロッパを訪れていた。サドメルから独立して3年目に入った1979年も年明けすぐにロンドンに飛ぶが、2月にはヘレンメリルとの共演アルバムを作るため一旦帰国する。
このメリルとのセッションは一ケ月以上をかけて、リハーサルも重ねて行われた。アダムスの関わったレコーディングとしては、念入りに作られた一枚だ。単に歌伴に参加した以上の意味があるが、その甲斐もあってかメリルのボーカルもアダムスのプレーもグラミー賞にノミネートできた。

ジャズは一発勝負、一期一会の楽しみがあるとはいえ、どのような場合でも呼吸を合わせることは大事。単純に回数だけではないとは思うが、いい演奏をするにはその呼吸合わせの機会や時間は惜しんではいけないということだろう。

そのレコーディングを終えた後も、ニューヨークとヨーロッパを行き来する生活を送ることになるが、6月21日にはこの年3度目の渡欧となり、翌日にロンドン経由でパリ入りした。
早速23日はパリでgigに参加したアダムスは、翌24日にレコーディングに招かれた。これは当初から予定されていたものではなく、アダムスがパリにいる事を知ったプロデューサーから急に声を掛けられたものであった。クレジットを見ると、Artistic managerとして、Gerald Terronesという名前がある。きっとこの人物がメンバー集めに一役買ったのであろう。

前日に参加したgigのリーダー、テナーのDebarbatと一緒に、気軽にサイドメンとして参加するつもりで行ったら、ビックリ。その日の主役であったトラムのアリトシュルもたまたまパリにいたので声が掛かったという寄せ集めセッションであった。
アダムスに言わせると、過去にあったブリグノラとのバリトンマッドネスのセッション同様、このレコーディングはレコード会社とプロデューサーの思いつきであったようだ。
したがって、レコーディングもアレンジはおろか曲も用意されていない状態でのジャムセッションとなった。

このアルバムのタイトルは「Be-Bop ?」となっている。これが何を意味するのか?
解説も何も無いアルバムなので真相は分からないが、これがプロデューサーからの唯一のお題であったのかもしれない。
結果的にアダムスと一緒にリーダー格となったバリーアルトシュルというと、自分はチックコリアのアルバム位しか知らないので、どちらかというとBopというよりもフリーなスタイルをイメージしてしまう。2人の共演も楽しみなセッションにはなったが。

取り敢えず、ガレスピーのWood’n Youからスタートする。アダムスがソロの先発となる。これがペースメーカーとなり、ソロも一回りしてとりあえず一曲が終わる。決してフリーな演奏ではなく、アダムスが得意とするバップスタイルとは少し色合いが違うが、時代に合ったストレートアヘッドな演奏でまずまず。

他のBopに相応しい曲が続くのかと思ったら、次はテナーのDebarbatの曲となる。全く知らない名前なので、キャリアを確認すると、テナー奏者だけなく、その後現代音楽の世界の作曲家でも活躍している。そんなDebarbatの曲なのでバップスタイルというよりモダンな感じの曲だが、曲想に合わせてテナーの演奏もモダンとなる。彼のソロが先行するが、続くアダムスのソロはとりあえずは流れに合わせるが、「どう吹けばいいのかな」と言った感じを受ける。

次はアリトシュルの曲。この曲でアルバムも作っていたようなので、彼としても十八番な曲を選んだのだろう。これはアリトシュルのペースにならざるを得ない。
そして、次はアダムスの曲の番となり、アダムスのオリジナルのJulianとなる。これは、以前にもレコーディングもしているし、いつもやっている曲なので、これはアダムスペースで。最後はアダムスの新曲となる。
結局、一曲目を除けば、各自のオリジナルを演奏しあった顔見世、自己紹介的な演奏だ。さてこれからウォーミングアップも終わって、これから本番という所で、このセッションは終わってアルバムとなった。

アダムスも、このようなセッションはライブでのジャムセッションであれば仕方がないが、「レコードに残すには演奏の内容を全くコントロールできないセッションであった」と言っている。
とはいうものの、演奏のレベルをそれなりに仕上げるのがアダムスの実力だが、このような演奏を、勝手にリーダーアルバムにされてしまうのは余計に腹が立つという。それなりに名の通ったアダムスなので、自分の名前を冠したアルバムがこのような作り方をされ世に出ることになるのには、プライドが許さないのだろう。多分名前だけを勝手に使われて、ギャラや印税もいい加減に仕切られていたのだと思う。

結局Be-Bop?は意味不明。
?をとって、徹底的にBe-Bopを意識したアルバムにすれば面白いアルバムになったと思う。
初顔合わせであっても、それなりの段取りを踏んで意識合わせは不可欠だということだろう。ブルーノートに駄作が少ない理由と、アルフレッドライオンのプロデュース力が優れていたのが良く分かる。

1. Wood’n You             Dizzy Gillespie 7:05
2. Neuffemps             Jean-Pierre Debarbat 11;04
3. You Can’t Name Your Own Tune       Barry Altschul 8:47
4. Julian                   Pepper Adams 4:45
5. Valse Celtique               Pepper Adams 5:02

Pepper Adams (bs)
Jean-Pierre Debarbat (ts)
Siegfried Kessler (p)
Jacqes Vidal (b)
Barry Altschul (ds)

Produced by Sebastien Bernard
Engineer : L.Payron
Recorded at Studio Ramses, Paris on June 24, 1979

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ペッパーアダムスをゲストに迎え本物のバップサウンドを・・・

2016-01-16 | PEPPER ADAMS
One For Bird / Bishop Norman Williams

誰かと一緒に何かをやろうとしても、お互い忙しくしているとスケジュール調整が大変だ。今日もゴルフ好きの友人達と3月に予定していたラウンドの日程を変更しようとしたら、なかなか皆の都合が合わず、結局このラウンドは6月以降になりそうだ。
仕事だとスケジュール調整や段取りは大変だし、特に気を遣う必要な人だと余計に。ところが、気の合う仲間と、好きな事であれば、これは苦にならないから不思議だ。

ジャズの世界でもライブやレコーディングのスケジュール調整が一番大変なようだ。特に、広いアメリカとなると東海岸と西海岸を拠点にしているメンバー同士となると移動自体も大変だ。それもあって、昔からツアーで全国を廻っている途中で、立ち寄った先でたまたま一緒になったメンバー同士、地元のメンバーとのレコーディングというのはよく行われていた。たまたまスケジュールが合うと、思わぬセッションが生まれるのがジャズの面白い所。

ペッパーダムスは1978年7月、ライオネルハンプトンのオーケストラに加わってニューポートに出演したが、その時50周年で臨時編成されたハンプトンオーケストラはそのままヨーロッパのツアーに出掛けた。オーケストラの一員として同行したアダムスは、一年ぶりのヨーロッパであった。ハンプトンオーケストラのツアーをこなしなしながら、旧友のジョルジュアルヴァニタスなどとのgigも楽しんだ。ツアーが終わった後も一人スウェーデンを訪れ、ニューヨークに戻ったのは8月の末であった。

9月にはカーチスフラーと一緒にレコーディングを行い、10月はニューヨーク、トロントを中心に活動をした。11月になると西海岸を訪れたが、ここには友人のMurabuto兄弟がいる。前の年ヨーロッパを巡業中のサドメルを辞めてアメリカに戻った時も、最初に訪れたのがこのMurabuto兄弟の元であったが、今回も彼等とのセッションは欠かさなかった。ハモサビーチの老舗クラブ「ライトハウス」にも出演したが、この西海岸訪問の一番の目的はレコーディングであった。20日にロスでビルパーキンスと一緒にレコーディングをしたが、これは妙中氏のプロデュースしたアルバム「Confluence」であった。

西海岸でサンフランシスコを拠点としているジャズミュージシャンは多いが、名が知られているミュージシャンは少ない。このアルバムのノーマン・ビショップ・ウィリアムスもその中の一人だ。地元シスコで、バップオリエンテッドな演奏をするグループを率いて、アルバムも数枚出していたようだが、決して全国に名を知られた訳ではない。そんなビショップが、次のアルバムでは是非ペッパーアダムスと一緒にやりたいと思ってプロデューサーに相談したところ、もちろんそれには異存が無い。果たして一緒にやってくれるかどうかの方が心配であったが、早速打診をした。

西海岸に行く予定があるので、その時であればとの返事をもらってこのレコーディングが実現した。アダムスはソリストとして独立した後、晩年にかけては新人達のレコーディングに付き合うことが多かったが、このセッションもそのような位置づけだ。ロスでのレコーディングの翌日、場所をシスコに移して行われた。



一緒に共演しているメンバー達も無名だが普段ビショップと一緒にやっている仲間達。このグループにアダムスがソリストとしてゲストで加わったセッションとなった。
曲は一曲だけパーカーのKokoがあるが、他はメンバー達のオリジナル。一曲目のBethだけがちょっと雰囲気が違った曲。ライナーノーツでもハンコックの「処女航海」の雰囲気と記されているが、シンセサイザーを加えて少し趣が違う。他はAllegraのラテンサウンドを除けば、バリバリのバップサウンド。アダムスもゲスト参加なので、ソロもほとんどの曲で先発で登場。最後のKokoでは超アップテンポに合わせ、ゴリゴリサウンドのソロで最後を締めくくっている。

ビショップにとっては、普段生のプレーもなかなか聴く事のできないアダムスと共演できた上にアルバムも残せた。何事も思い立ったらチャレンジすることが大事なようだ。

1. Beth                     Norman Williams 6:50
2. About Time                   Marvin Williams 6:30
3. Tahia’s Outlook                Norman Williams 5:00
4. Allegra                     Paul Arslanian 5:52
5. The Doc Speaks                 Norman Williams 6:52
6. Koko                       Carles Parker 5:35

Bishop Norman Williams (as)
Pepper Adams (bs)
Warren Gale (tp)
Allen Pittman (tp)
Marvin Williams (ts)
Paul Arslanian (p)
Curtis Ohlsen (b)
Larry Hancock (ds)
Babatunde (ds,conga)
Mark Isham (syn)

Produced by Al Evers & Allen Pittman
Engineer : Mark Needham
Recorded at Bear West Studios, San Francisco on November 21, 1978

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サドメル時代の仲間の協力で、ピアノだけでないアルバム作りを・・・

2015-12-23 | PEPPER ADAMS
Mister Mysterious / Mickey Tucker

名前は知っていてもすぐにアルバムや演奏を思い出せないニュージシャンは多い。自分は好みが偏っているので有名でも聴いた事が無いミュージシャンは多いがそれは論外としても、身近に感じていても、リーダーアルバムを持っていないとか、サイドメンとして加わっていても印象に残るアルバムがないということだろう。雑誌などで何度も見かけたことはあっても、実際に演奏を聴いていなかったのかもしれない。
このミッキータッカーもその一人だ。ジャズメッセンジャーにも加わっていたことがあり、再編されたジャズテットにも加わっていたことがある。名門バンドにも加われるメインストリームのピアニストの一人なのだが。

改めてキャリアを見てみる。1941年生まれというので50年代の後半から60年代前半のジャズブームの時はまだ登場していない。実際に60年代の活動はR&Bやソウル、そして歌伴中心でジャズ界に登場したのは69年になってから、ジェイムスムーディーのグループに参加したのが最初だった。
その後共演しているミュージシャンもローランドカークやエリククロスなど渋いプレーヤーが多い。そういう意味ではメッセンジャーズへの加入がメジャーデビューともいえるが、この時代のメッセンジャーズは低迷期。あまり話題にもならなかった。
サドメルにも加入していた時期があるというが、サドメルファンの自分でも認識が無かった位なので、目立った活躍はしていなかった。いわゆる知る人ぞ知るというピアニストの一人であろう。

そんなキャリアのミッキータッカーのこのリーダーアルバムが生まれたのは1978年6月23日。先日紹介したウィルタービショップJr,のアルバムの録音の2日後、同じミューズレーベルの制作であった。
この頃、連日ギッチリ詰まったスケジュールをこなしていたペッパーアダムスであったが、このレコーディングセッションにも登場している。スタジオはルディバンゲルダースタジオ。そして、この日の夜はその年のニューポートジャズフェスティバルの初日。カーネギーホールで行われたオープニングを飾るサラボーンのステージに続いてのサドメルのステージにゲストとして駆けつけている。
この模様はアイラギトラーが記事に残しているが、「皆が期待していたサラボーンとサドメルのステージ上での競演は結局実現せず、サドメルの演奏もリーダーのサドジョーンズやゲスト参加のペッパーアダムスなどのベテランの出番は少なく、いつも聴ける若手のソロが延々続き、ちぐはぐな感じであった」とある。

そんな綱渡りスケジュールにも関わらずアダムスがこのセッションに参加したのには意味があって、このアルバムにホーンセクションで参加しているのは皆サドメル時代の仲間達。昔一緒に演奏したタッカーのリーダーアルバムとなれば、やはり皆忙しい中、時間をやり繰りして集まったのであろう。持つべきものは友人ということになるが、義理堅いアダムスの一面が垣間見られる。

1978年というと新旧のスタイルのジャズ、そして新人ベテランが入り乱れていた時代。アルバム作りも何でもありの時代だ。
ニューポートに出演していたメンバーも豪勢であったが、日本でも田園コロシアムのライブアンダーザスカイが2年目。そちらも錚々たるメンバーが名を連ねていた。
そんな時代に、無名ともいえるミッキータッカーがどんなアルバムをというのも興味が湧くが、ホーンを加えた事もありタッカーのピアノが必ずしもメインではない。アレンジもタッカー自身が行ったこともあり、アルバム全体でこの時代の「新主流」ともいえるサウンド作りにチャレンジしている。
一曲目はパーカッションを加えラテン調のリズムで、かと思えば最後の曲ではベースのウォーキングベースがかえって新鮮に聴こえるブルース。ウォルタービショップがエレキピアノを使って新しさを出そうとしたのに対して、ここでのタッカーはあくまでもアコースティックサウンドで。

せっかく参加してもらったホーンセクションもアンサンブルだけでなく、タップリソロスペースも用意した曲もありアダムスも登場するが、メインストリームの中にも新鮮味を出すために単なるジャムセッションではなく、色々とタッカーなりに考えられている。
ドラムのグラッデンは初めて聴くがタッカーの昔からの演奏仲間とのこと、リズム勝負のこのアルバムでは重要だ。どんなリズムもこなすセシルマクビ―のベースも印象に残るプレーだ。

人生何事でも評価を得るのはタイミングときっかけだ。このミッキータッカーも少し時代がずれれば、ピアニストとしてもアレンジャーとしてももう少し有名になっていたかもしれない。実際にプレーを聴いた人の評価は高い。

1. A Prayer
2. Mister Mysterious
3. Cecilitis
4. Basic Elements
5. Plagio
6. Taurus Lullaby

Mickey Tucker (p,arr)
Pepper Adams (bs)
Cecil Bridgewater (tp)
Frank Foster (ts,ss,fl)
Cecil McBee (b)
Eddie Gladden (ds)
Azzedin Weston (congas)
Ray Mantilla (per)

Produced by Mitch Farber
Engineer : Rudy Van Gelder
Recorded at Van Gelder Studio, Englewood Clliff, N.J. on June 23. 1978
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エレキピアノでいつものピアノトリオとは別の顔を見せたウォルタービショップJr.・・

2015-12-10 | PEPPER ADAMS
Cubicle / Walter Bishop Jr.

アンダーレイテッドなプレーヤーという言われ方をよくする。実力がありながら知られていないプレーヤー、知られてはいてもその実力が評価されないプレーヤー達のことを指すのであろう。今活動の場が少なくなっているジャズは、それ自体がアンダーレイテッドな音楽になってしまっているのかもしれないが。

ウォルタービショップジュニアもそのアンダーレイテッドな一人といわれている。幻の名盤といわれたアルバム「スピークロウ」が再発掘されると、そのトリオの演奏がビショップの代名詞になった。その延長上で、バップスタイルのピアニストとしてのビショップの評価は高まったように思う。

たまたま自分が最近紹介したニックブリグノラポールゴンザルベスのアルバムでビショップの名前が続いた。トリオの演奏だけでなく、色々なセッションで重要な役割を果たしてきたのだが、これらの評価というと余程ビショップのファンでないと気が付かないものだ。自分も、改めてピアノがビショップであったのに気づいた次第だ。

有名なミュージシャン、そしてその名アルバムとなると、何度も聴いた気がしてかえって聴く機会が減っている。最近久しぶりにマイルスデイビスでも聴き返そうと思って、プレスティジ時代のコンプリートアルバムを引っ張り出すと一枚目でいきなりビショップが登場した。マイルスの1951年の初のリーダーセッションのピアノはこのビショップであった。リーダー作は少なくても、ビショップの参加したセッションは昔から多い。

ビショップの経歴を見ると、ピアニストとしての活動以外に大学で教鞭をとり音楽理論を教えていたとある。ということは、その演奏活動の中で色々な理論的に解釈の実践もしていたと想像できる。我々はレコードを通じてしかミュージシャンの活動を知ることができなかったが、キャリアを細かく見ると意外な活動をしていることがよくある。ビショップも、実際には幅広い活動をしていたと思われる。

70年代はジャズの世界で電化ブームが起こった時代。マイルスやビルエバンスなどの大物がエレクトリックサウンドにチャレンジし、若手ではチックコリアなども続いた。ファンの中でも賛否両論が沸きあがったが、このムーブメントが後のフュージョンに繋がったのは間違いない。ミュージシャン一人ひとりは一時の熱気に醒めると、それぞれ収まる所に収まっていった。アコースティックに戻って行ったり、両刀使いになったり、反対にさらにそれを極めたり。

ウォルタービショップも遅れ馳せながらこのエレキピアノに取り組んだ。そして、エレピサウンドとパーカッションを活かした8ビート、よりソウルフルな演奏、そしてポストハードバップともいえるサウンドづくりにチャレンジした。このアルバムは、丁度その時に作られたアルバムだ。スピークロウでのピアノトリオを期待するとこれは全く別物である。編成も管を複数加え、曲によってはボーカルも加えてピアノがメインというよりはグループでのサウンドを目指した演奏である。

演奏している曲は、一曲目のオリジナルのバレーランドでボーカルを加えたサウンドを作り、サマータイムやマイリトルスウェードシューズのように昔からのスタンダードをエレキサウンドに仕立て直して、以前のトリオでも演奏した曲を大きく変身させている。最後のタイトル曲キュービクルはハードバップの新旧対決といった感じだ。

実は、このアルバムにペッパーアダムスが参加している。アンサンブルワークで大事な役割を与えられているだけでなく、ソロも多く割り当てられているが、アダムスのエイトビートでのソロというのも珍しい。

ソリストとして独立して一年近く経った1978年6月。この頃のアダムスは大忙しの毎日を過ごしていた。
自分のリーダーアルバム”Reflectory”を録音したのが14日、これは自分自身でも満足できるレコーディングだったようだ。クインシージョーンズが音楽監督を務めたミュージカル映画”The Wiz”のサウンドトラックの録音も連日続いていた。

このビショップのアルバムの録音を行った日も、その仕事を終えてのスタジオ入りだった。
たいしてリハーサルも無く臨んだレコーディングであったのは容易に想像できるが、ビショップの期待通りの役割を果たしているように思う。

更に、ミッキータッカーのセッションを経て、先日紹介したドンフリードマンとカーティスフラーとの共演アルバムを録音したのが直後の26日。そして30日からのライオネルハンプトンの50周年の記念コンサート、その後のヨーロッパツアーに向けてのリハーサルも連日行われていた。
7月1日のニューポートジャズフェスティバルには9つのビッグバンドが終結したが、アダムスは古巣のサドメルを含めていくつかのバンドにもゲスト参加した。まさに眠る暇もない活躍ぶりだった。


このアルバムは、他のリーダーのアルバムにビショップが参加したのではなく、あくまでもビショップのリーダーアルバムである。ビショップが普段見せている顔ではなく、まったく別の顔を見せてくれた。きっとレコードに残っていないビショップの活動というのはもっと多くあるのだろう。

このアルバムが無いと、ビショップは単にバップオリエンテッドなピアニストという評価で終わっていただろう。ミュージシャンの本当の姿、そして日頃の想いを知るにはレコードだけでは難しいというのが良く分かる。
ビショップがアンダーレイテッドといわれる理由も分かる気がするが、この頃のペッパーアダムスの活躍ぶりを知ると、彼もアンダーレイテッドなプレーヤーであったと思うのは自分だけか。


1. Valley Land                      (W. Bishop Jr.)  6:34
2. My Little Suede Shoes                   (C.Parker) 4:50
3. Those Who Chant                   (W. Bishop Jr.)  7:08
4. Summertime                (G. Gershwin - D. Heyward) 8:06
5. Now, Now That You've Left Me               (M. Farber) 6:35
6. Cubicle                         (W. Bishop Jr.)  4:12

Walter Bishop, Jr. (keyboards)
Rene McLean (as,ss,ts)
Pepper Adams (bs)
Curtis Fuller (tb)
Randy Brecker (tp,flh)
Ray Mantilla (per)
Bob Cranshaw (b)
Mark Egan (b)  #1,4
Billy Hart (ds)
Joe Caro (g)
Carmen Lundy (vol)   #1

Produced & Arranged by Mitch Farber
Engineer : Elvin Campbell
Recorded at CI Recording, New York City, on June 21 1978
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クールなドンフリードマンもペッパー&ネッパーの2人に囲まれるとホットに・・・

2015-11-23 | PEPPER ADAMS
Hot Knepper & Pepper / Don Friedman

ドンフリードマンというと「サークルワルツ」で有名。ビルエバンス派のピアノで日本では人気が高い。そのフリードマンだが、リバーサイドから60年代の初めにこのサークルワルツなど何枚かのアルバムを出した後は、しばらくリーダーアルバムはない。

というよりは、レコーディングだけでなく60年代の後半は第一線から退き、ニューヨークで大学勤めをしながら、コマーシャルベースとは無縁の演奏活動をしていたようだ。その一つが、クラークテリーのビッグバンド。1970年に録音されたその初レコーディングにはピアニストとして参加していた

そのようなあまり日の当たらない場所で活動していたフリードマンに目を付けたのがプログレッシブレーベルのオーナー&プロデューサーであるガス・スタティラス。
ある時、ガスがドンフリードマンに声を掛けた。
「ペッパーアダムスとジミーネッパーと一緒にやるかい?」と。
ドンは「OK、やりたいです」と返事をしたが、その後、話が延期になったのか中止になったのか、一向に連絡が無い。

単なるお伺いか外交辞令だったのかと思っていたら、突然連絡があり、「明日スタジオに来てくれないか?」と。それはペッパー達にとっても同じであった。
どうやら、スタティラスのプロデュースのオペレーションは毎回そんな感じだったらしい。確かに、プログレッシブレーベルのセッションは起用されるミュージシャンも陰の実力者中心で意表を突く事が多いが、演奏もジャムセッション風の物が多い。
このアルバムも実はそのような経緯で誕生した一枚だった。



ドンフリードマンのリーダーアルバムという位置づけであったが、内実は3人の共作となった。事前にリハーサルどころか曲も決まっていない中での録音、ペッパーアダムスが突然Audubonをやりたいと言い出し、バラードは各自のソロをフィーチャーしてメドレーで、といった感じで徐々に内容が決まっていった。どの曲もリハーサルもそこそこで本番テイクへ。結局一日で録り終えたスタジオセッションとなった。

自分は、当然ペッパーアダムスからこのアルバムに辿り着いている。
ペッパーアダムスとジミーネッパーの付き合いは長い、どちらも新人の時、ミンガスのグループで一緒になり、このアルバムの20年前に2人で共演アルバムも作っている。その後、サドメルのオーケストラでも2人が一緒にいた期間は長い。特に気難しいミンガスと長年付き合った白人ミュージシャンというと2人以外は居ないだろう。という意味では職人肌の2人には演奏以外にも何か共通点があるのかもしれない。この2人の久々のセッションということで期待を持てる組み合わせだ。

ペッパーアダムスは丁度サドメルを辞めてソリストとしての活動が忙しくなってきた時期、ネッパーも同様にソリストとしてリーダーアルバムを作り始めた時期。スタティラスがその2人に目を付けたも分かるが、この2人をドンフリードマンのリーダーアルバムに起用というのはなかなか思いつかない。

もっとも、フリードマンのエバンスライクのピアノトリオの印象が強いせいもあるかと思う。というのも、フリードマンのBioを見ると、クラッシクジャズからアバンギャルドまで何でもOKと書かれている。実際はオールラウンドプレーヤーなのだろう。確かに、あのエバンスもトリオでの活動がメインになる前は、マイルスのグループだけでなくハードバップ系の色々なセッションに加わっていた。

という訳で、このアルバムはペッパーアダムスとジミーネッパーの気心が知れた同士の気楽なセッションが楽しめるだけでなく、2人の熱演に引っ張られてドンフリードマンの熱い演奏も楽しめるというオマケ付だ。プログレッシブのアルバムならではの企画であろう。

アダムスはこのアルバムを作ってから3カ月後にはカーチスフラーと一緒にアルバムを作っている。フラーとネッパーは音色もフレーズも違うせいか、同じアダムスとトロンボーンの組み合わせでも違った感じを受ける。



1. Audobon                   Sonny Rollins 6:31
2. I'm Getting Sentimental over You.  George Bassman / Ned Washington 7:14
3. Hellure                        Pepper Adams 10:01
4. Groovin' High Dizzy Gillespie 6:42
5. Medley
: Alfie/Laura/Prelude to a Kiss/I Got It Bad (And That Ain't ...)
Burt Bacharach / Hal David / Duke Ellington / Irving Gordon / Johnny Mercer / Irving Mills / David Raksin 8:51
6. Beautiful Love   H. Gillespie / W. King / E. VanAlstyne / V. Young    7:01
7. I'm Getting Sentimental over You    George Bassman / Ned Washington 7:05
8. Beautiful Love     H. Gillespie / W. King / E. VanAlstyne / V. Young  10:01
9. Audobon                         Sonny Rollins 7:42

Don Friedman (p)
Pepper Adams (bs)
Jimmy Knepper (tb)
George Mraz (b)
Billy Hart (ds)

Produced by Gus P. Statiras
Recorded June 26, 1978 at Downtown Sound Studio, New York
Engineer : Fred Miller


Hot Knepper & Pepper
クリエーター情報なし
Progressive Records
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ペッパーアダムス亡き後は、皆で「ペッパー」を演じ合い・・・

2015-10-21 | PEPPER ADAMS
More Pepper / Denny Christianson Big Band

自分は辛い食べ物は嫌いではない。本場四川の麻婆豆腐でもかなりの辛口で大丈夫だ。辛さに加えて花椒の痺れが加わると尚更たまらない。中華で唐辛子が丸ごと入っている料理でもいつもは残すことなく平らげる。一度、鶏肉の唐辛子炒めを頼んだら、鶏肉と赤唐辛子の量が半々位であった。流石これには閉口したが・・。
赤い唐辛子は見た目にも食べる前に準備ができるが、始末に悪いには緑の小さい唐辛子。タイ料理などに時々入っているが、これは不意を突かれて一瞬怯むこともある。いずれにしても、自分にとっては、美味しい料理に香辛料は不可欠だ。

ビッグバンドにおけるバリサク、ベーストロンボーンはある種の香辛料。これが無いときっと味気ないサウンドになると思う。いつもは隠し味のように低音域を支え、時にはアクセントを付けたり、一人皆と違ったフレーズを歩むことが多いが、たまには図太いサウンドのソロで脚光を浴びることがある。

バリトン一本の人生を送ったペッパーアダムスは、その名の通りどのような編成でも味わい深い「香辛料役」を果たしていた。しかし、いつもの脇役から一度メインとして起用されるとなると、他を圧倒するゴリゴリサウンドで主役の座に座る。香辛料が料理のメインの食材になるような感じだ。どちらかというと目立たないバリトンサウンドであるが、このペッパーサウンドは多くの後輩たちに引き継がれていった。



ペッパーアダムスの最後のアルバムは、Denny Christiansonのビッグバンドへのゲストとして参加したアルバム。全編ビッグバンドをバックにしてアダムスをフィーチャーし、ミンガスに因んだ組曲を演奏するという意欲的なアルバムだった。このアルバムは以前記事にしたので、このアルバムが生まれた経緯はそちらを参照して欲しい。

この”Suite Mingus”は、アダムスが亡くなる前の8月に無事世に出ることができた。
リリース直後の9月10日にアダムスはこの世を去ってしまったが、アダムスの最後の演奏活動で行動を供にすることが多かったクリスチャンセンは、当然のようにアダムスに対して追悼のアルバムを考えた。

最後に一緒に録音したセッションにはまだアルバムに収められていない曲もあった。それらを世に出すだけでは物足りなかったのか、残されたメンバー達でアダムスに捧げる曲を新たに加えて一枚のアルバムに仕上げた。

アダムスの加わった曲は、前のアルバムの選曲から漏れた残りだが、それなりの訳アリの曲もあった。
例えば、一曲目のArlequinはデニーがアダムスとの共演の為に書き下ろした曲だが、これはエレキベースがガンガン効いた8ビート。アダムスがこの手の曲は珍しいと思ったが、案の定取り敢えずは演奏したものの、アダムスの「8ビートは好きじゃない」の一言で没になった曲だった。
アップテンポのAutumn Leavesや、Alf Clausenのアレンジの残り曲Captain Perfectでのアダムスのプレーは決して悪くはない。

そして、アダムス抜きで新たに録音した曲が2曲。
一曲は、エリントンナンバーのSophisticated Lady.。これはアダムスの録音の時にも用意された曲だった。しかし、その時アダムスはアレンジが気に入らなく没となった。アレンジにも手が加えられ、クリスチャンセンのバンドのバリトン奏者Jean Fréchetteがアダムスに代わって演奏している。

そして、もう一曲がこのアルバムのハイライト。アルバムのタイトル曲でもあるクリスチャンセンが新たな書いた曲More Pepperだ。
ここでは、バンドのサックス奏者が全員バリトンに持ち替えてそれぞれのバリトンの技を披露する。重厚なバリトン5本のアンサンブルにそれぞれのソロが続く。サックスセクションが皆揃って、皆にとっては師ともいえるペッパーアダムスを悼み、More Pepperの競演となった。

1. Arlequin                 Danny Christianson 7:45
2. Sophisticated Lady            Ellington,Oarish,Mills 6:44
3. Autumn Leaves             Kosma,Prevert,Mercer 7:28
4. Captain Perfect                  Alf Clausen 6:28
5. More Pepper                Denny Christian 8:22
6. Osage Autumn                Kim Richmond 6:38

Denny Christianson (tp,flh)
Pepper Adams (bs)  #1,3,4,6

Roger Walls  (tp)
Ron DiLauro  (tp)
Laflèche Doré  (tp)
Jocelyn Lapointe  (tp)
Patrice DuFour  (tb)
Muhammad Abdul Al-Khabyyr  (tb)
André Verreault  (tb)
Bob Ellis  (btb)
Richard Beaudet  (ts,cl.fl,bs)
Jean Lebrun  (ts,ss,fl,Piccolo,bs)
Patrick Vetier  (as,cl.fl,bs)
Joe Christie, Jr.  (as,ss,cl,fl,Piccolo,bs)
Jean Fréchette  (bs,bcl)
Kenny Alexander  (p)
Vic Angelillo  (b,eb)
Paul Picard  (per)
Richard Ring  (g)
Pierre Pilon  (ds)

Produced by Jim West, Denny Christianson, Ian Terry
Engineer : Ian Terry
Recorded on February 24 & 25, 1986 at Studio Victor, Montreal, Canada (#1,3,4,6)
& on May 3, 1987 at Studio Tempo (#2,5)

More Pepper
クリエーター情報なし
Justin Time Records
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