クリント・イーストウッドの『硫黄島』で,栗林中将が,万歳突撃は禁止,塹壕戦をやるんだ,と訓示するシーンがあったと思うんですが,中将が知米派の合理主義者で,精神主義を排してオリジナルの戦略を持ちだした,ともとれる映画になっていました。
しかし,本書を読めば,当時の段階で,米軍の戦略やそのそれへの対策について,大本営でも相当の研究が進んでいたのだ,ということが分かります。
著者は,30才そこそこで,大本営の参謀に任ぜられるんですが,ドイツ課に配属。その後転々として,新設の米国課へ。米国担当の独立ラインが出来上がったのは昭和17年に入ってからで,なんと開戦時には一つの課になっていなかったんだそうです。著者は中に居て,主敵の研究が全くなされていない,開戦後にゆるゆる立ち上げているような状況に呆れています。
情報に対する軽視,ということですね。
情報と言っても,単なる敵がどう動いた,みたいなハナシだけじゃなくて,戦略や戦い方も含めた総合的な情報を指しているようですがね。
著者は参謀として様々な情報,それこそ株価から交信情報からを分析して,アメリカ軍の行動を見極めてゆきます。
制空権の大切さや,アメリカ軍が太平洋の島陣地を上陸攻略する際に,事前に徹底した艦砲射撃を行って反撃を封じておく手順を取ること,アメリカ軍の強力な火器の前には,水際で上陸を阻止する日本軍の作戦は無効であること,マッカーサーのカエル飛び作戦なんかも,ほぼ読み切っていたんですね。そして,アメリカの圧倒的な火力に対抗するためには,上陸をさせて,前線を内陸に引きよせながら,ゲリラ的に戦うのが有効なんで,平地で正面決戦をやっても全く歯が立たないという認識も持っていました。
で,著者が批判するのは,そうした情報部門の分析を全く活用せず,中国での戦闘の成功体験をそのまま対アメリカ戦に適用して,正面で戦えば簡単に勝てると考えていた大本営主流の
作戦課の参謀達
なんですな。
(著者は瀬島隆三氏を名指しで批判しています)。
ロクな地図さえ無い状態で戦争を指導し,地形的に見ても無茶な行軍を命令する等,情報がどうこうとか,作戦がまずいとかいう以前の低レベルの作戦立案がなされていた実態があり,そうした無能さが多くの戦士の無駄死にを招いた,ということに著者は怒っています。
本書のポイントを上げれば,
限られた情報からでも,優れた洞察と分析があれば,かなり正確な予想(マッカーサーがどこに,いつ上陸してくるか等)ができ,効果的な反撃方法も立案できること,
日本軍は情報の重要性を認識できなかったため,負けが込んでも修正が効かず,同じパターンで負け続けて被害を拡大し続けたこと,
戦争終盤は,それでも,著者の作戦指導行脚が効いて(前線まで出向いて,対米戦の戦い方を講義しに行ってます),現場の師団レベルではかなり戦えるようになっていたこと,
しかし,大本営主流派は,最後までいい加減な軍の運用を修正できず,現場に無駄な犠牲を強い続けたこと,
等ですかね。
こうした情報軽視については,恐らく現在の日本にもあてはまるでしょう。
少し古い本ですが,『患者よ,がんと闘うな』を読めば,我が国の医学会がいかに修正が効かないか,がよくわかります。例えば,世界の主流が、経験データから,乳がんについては乳房温存で問題ないと判断されてそっちにシフトしているのに,日本では乳房全摘から修正することができず,患者に負担を強い続けました。
日本の組織,というより,より正確には,日本の大組織の指導的エリートは,基本的に実態に合わせてリードする能力に乏しく,自らの能力への過信から,自分のシナリオを押しつける独善的な方向に機能しがちである,ということなのかも知れません。
しかし,本書を読めば,当時の段階で,米軍の戦略やそのそれへの対策について,大本営でも相当の研究が進んでいたのだ,ということが分かります。
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫) | |
クリエーター情報なし | |
文藝春秋 |
著者は,30才そこそこで,大本営の参謀に任ぜられるんですが,ドイツ課に配属。その後転々として,新設の米国課へ。米国担当の独立ラインが出来上がったのは昭和17年に入ってからで,なんと開戦時には一つの課になっていなかったんだそうです。著者は中に居て,主敵の研究が全くなされていない,開戦後にゆるゆる立ち上げているような状況に呆れています。
情報に対する軽視,ということですね。
情報と言っても,単なる敵がどう動いた,みたいなハナシだけじゃなくて,戦略や戦い方も含めた総合的な情報を指しているようですがね。
著者は参謀として様々な情報,それこそ株価から交信情報からを分析して,アメリカ軍の行動を見極めてゆきます。
制空権の大切さや,アメリカ軍が太平洋の島陣地を上陸攻略する際に,事前に徹底した艦砲射撃を行って反撃を封じておく手順を取ること,アメリカ軍の強力な火器の前には,水際で上陸を阻止する日本軍の作戦は無効であること,マッカーサーのカエル飛び作戦なんかも,ほぼ読み切っていたんですね。そして,アメリカの圧倒的な火力に対抗するためには,上陸をさせて,前線を内陸に引きよせながら,ゲリラ的に戦うのが有効なんで,平地で正面決戦をやっても全く歯が立たないという認識も持っていました。
で,著者が批判するのは,そうした情報部門の分析を全く活用せず,中国での戦闘の成功体験をそのまま対アメリカ戦に適用して,正面で戦えば簡単に勝てると考えていた大本営主流の
作戦課の参謀達
なんですな。
(著者は瀬島隆三氏を名指しで批判しています)。
ロクな地図さえ無い状態で戦争を指導し,地形的に見ても無茶な行軍を命令する等,情報がどうこうとか,作戦がまずいとかいう以前の低レベルの作戦立案がなされていた実態があり,そうした無能さが多くの戦士の無駄死にを招いた,ということに著者は怒っています。
本書のポイントを上げれば,
限られた情報からでも,優れた洞察と分析があれば,かなり正確な予想(マッカーサーがどこに,いつ上陸してくるか等)ができ,効果的な反撃方法も立案できること,
日本軍は情報の重要性を認識できなかったため,負けが込んでも修正が効かず,同じパターンで負け続けて被害を拡大し続けたこと,
戦争終盤は,それでも,著者の作戦指導行脚が効いて(前線まで出向いて,対米戦の戦い方を講義しに行ってます),現場の師団レベルではかなり戦えるようになっていたこと,
しかし,大本営主流派は,最後までいい加減な軍の運用を修正できず,現場に無駄な犠牲を強い続けたこと,
等ですかね。
こうした情報軽視については,恐らく現在の日本にもあてはまるでしょう。
少し古い本ですが,『患者よ,がんと闘うな』を読めば,我が国の医学会がいかに修正が効かないか,がよくわかります。例えば,世界の主流が、経験データから,乳がんについては乳房温存で問題ないと判断されてそっちにシフトしているのに,日本では乳房全摘から修正することができず,患者に負担を強い続けました。
日本の組織,というより,より正確には,日本の大組織の指導的エリートは,基本的に実態に合わせてリードする能力に乏しく,自らの能力への過信から,自分のシナリオを押しつける独善的な方向に機能しがちである,ということなのかも知れません。