yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

南京・鳳陽・開封報告-5 南唐二陵から繍県石像、そして総統府跡への条

2009-09-26 17:05:43 | 歴史・考古情報《東アジア》-1 中国
 昨夜無事に帰って参りました!!
 とても充実した12日間でした。大した体調の変化もなくとても快適でした。途中ネットのできない大学のホテルにいたもので、アップが途絶えてしまいましたので、その間の調査状況をこれからしばらくお伝えしていくことにします。

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 20090917 南京最後の日でした。 





 欽陵の入口

 大昔、受験勉強に励んでいた頃には日本史と世界史は得意中の得意(というか、これしか点数を稼げるものがなかったので)だったので、覚えていたはずの南北長や五胡十六国、五代十国の国名や興亡の年月。皇帝の名前。そのいずれもすっかり忘れてしまっていたことがこの日の調査で判明。
「ナントウニリョウ」
この音を聞いて直ぐに「南唐二陵」と文字変換できる人はすごい!
その南唐が937年から975年までの40年弱存在し、太祖が李昪であったと知っている人がいたら、それは もう受験勉強真っ最中の若者か、専門家であろう。その南唐二陵は南京郊外の村にひっそりとたたずんでいた。
二代の皇帝夫妻の墓は横穴式の磚積み墓室で、初代李昪の墓が欽陵、二代李夫妻の墓が順陵である。興味深いのは順陵の前に転がっている沢山の板石である。羨道部には二つの副室が設けられ、両側に耳室を持つが、その副室の両側に二対の方形の穴が穿たれている。特に上の一対は穴が垂直には穿たれず、斜め下方向を向いている。



 欽陵の耳室



 玄室部分



 順陵の棺台



 順陵の副室の壁に開けられた穴。こんな方形の穴が二個ずつ上下に空いている。

「???」
外に出て了解した。恐らく木製の梁の様なものを筋交いにわたし、これに板石をもたせかけて閉塞するための施設だったのではなかろうか。こんなささやかな方法で閉塞するのだから皇帝権力の強さが判ろうというものだ。




 閉塞石

その後、付近の水田中に点在し、本来なら陵墓の前に置かれるべき獅子石刻像を見学に行った。


最初の石刻獅子像は1基しかなく、経塔もまた1基しか残っていない。獅子像の直ぐ横では陵苑を探索するためのトレンチがあけられていたが既に調査も終了しているのか雨のために水没していた。



 覆い屋もなくかなり傷みつつ水田の中に立っていた。



トレンチ



経塔



ついで車で五分ほどのところに3基の獅子像がおかれ、付近には碑文も遺されていた。には碑文も保護されていた。これら獅子像はM先生によれば東西に雌雄一基づつ置くのが普通のはずだが、どうもうまく対応していない、付近に陵墓らしい地形も認められず、石刻像そのものがどこかから持ち込まれたのではないかとの疑問が出ることとなった。



移動してここに置かれたのだろうか?


その後さらに小学校の入口付近に移動されていた石像群を見学した。





もう終わりかと帰りかけると、もう一対あるという。雨の中大急ぎで専門学校の校庭の一角に柵で護られた獅子像を見つけて見学させて頂く。
それにしてもどうしてこの地域にはこれほどの獅子像があちこちにあるのか、そもそもその陵墓はどうなっているのか?疑問だらけなのだが、よく判らなかった。




午後からは二人の先生方が南京大学でご講演をなさるというので大急ぎで市内へ引き返す。残った者達で市内の著名な遺跡を回ることに。とは言っても土砂降りの雨になって、靴はずくずく、服はびしょ濡れ、早くホテルに帰りたかった、というのが正直なところ。
それでも初めて訪れた総統府は、孫文が中華民国の臨時政府と打ち立てたところだという。その前には太平天国の乱において都の中心部が置かれたところでもあったらしい。中華民国時代の施設が綺麗に整備し直され、博物館になっているのだが、なかなか期待以上のものがあった。



太平天国時代の都の中枢部の復元模型。天壇まがいのものもあり、キリスト教の影響を受けたとはいえ、伝統の根強さに驚かされる。

この後さらに雨が激しくなる中3回目となる江南貢院(科挙の舞台)へと移動した。受験生?の部屋が1畳一間で、ベット兼椅子と壁の両側に桟を打ち付け、その間に板を渡しただけの机の部屋で勉強していたのだという。以前にも見たはずなのだが、ようやくこの施設のイメージを持つことができた。



 江南貢院の復原模型

その後夜は南京大学の偉い様方との宴会。皆さん相変わらずの白酒の乾杯であったが、今回の私は「付録」なのでその被害に遭わずに助かった。これで南京は終わり。明日(18日)は次の訪問地鳳陽への移動である。 


 鳩山の国連演説で現実味をましてきましたね。理想ばかり掲げていてどうするんだという声がとても虚しく、情けなく聞こえてきます。理想を掲げなくてどんな世界ができるというのでしょうか。もっとも、核兵器廃絶なんて当たり前の人間としての声なんですが・・・。

  オバマ大統領のヒロシマ,ナガサキ訪問を求めよう!!

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