yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

東山通信-7  勝手に援軍の条

2007-07-09 10:20:50 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
田村麻呂-桓武いいコンビだねと思ったらクリックよろしくお願いします。


 ところで最初にご紹介したように京都大学の吉川さんがこれまでにも仮説の提示はあったが完全に実証されていたわけではない「西野山古墓=坂上田村麻呂墓」説をッ発表され、私が入院したその日のSankeiweb で紹介され、6月12日には産経新聞朝刊25面でも、自らのコメントを寄せられている。その後、朝日新聞京都版も追いかけ記事を載せ、6月24日朝刊京都版では仮説提唱者鳥居治夫氏を大きく取り上げ、その先見性を高く評価した。



(鳥居さんの業績を紹介する朝日新聞6月24日版)
 今回の吉川さんの研究はいずれ公表されるのであろうが、現時点で、ほぼ坂上田村麻呂墓=西野山古墓説は確定したと見ていいだろう。
そこで私はこの強力助っ人(勝手に助っ人にしてきっと迷惑に違いないのが吉川さんだろうが・・・、お許しあれ)にして、自説を補強しようというのである。

 さて、西野山古墓は現在の京都市山科区通称西野山の中腹あたりにある。直ぐ近くにゴルフ場が迫っており、その景観はかつてのものと相当変化してしまっている。しかし、私が中学の頃からこの奥の滑り石は知られ、山科から京都へ抜ける路であることはよく知られているところである。吉川さんが想定しているように、京都盆地から東へ抜けるための一つの重要古道で合った可能性が高い。まさにその東斜面に田村麻呂墓は位置することになる。数々の伝承が伝えるように、田村麻呂は平安京(京都)の守り神として事ある毎に登場し、ついには埋葬地とは無関係な東山の一画が将軍塚とまで命名され、京都の人はいつしかこの地が田村麻呂の墓所だと信じている。
そんな田村麻呂の墓が西野山古墓であることはまさに東を守護するという意味を込めた往時の王権・嵯峨王権の「思想」を反映しているといえよう。
さて、田村麻呂墓が東を守るのは、ただ単に漠然と平安京を護るためではないのではないだろうか。私には彼を登用した恩人・桓武天皇との関係を全く考慮することがなかったとは思えないのである。もちろん、彼の遺体の埋葬は彼の遺志とは無関係だろうから、果たして嵯峨王権がそこまで配慮したかどうかは想像の域を脱しないが、あっても不思議ではないと思う。
 


(副葬品の太刀細部。『京都府史蹟名勝天然記念物調査会報告第二集』(京都府 1920年)より。京都大学の展示(保存処理後の復元)ではこれら金具の位置が異なっていた。復元の根拠が示されるとありがたかったのだが・・・。それにしても極めて繊細な透かし彫りの技術は超一流としか言いようがない。)



(鏡は見ることができなかったんだが、大収穫はこの風字硯と水滴。田村麻呂が風字硯(このタイプ)を愛用していたとは感激!!まさに長岡京期成立の風字硯から一段階進んだタイプ!水滴もピタリ!恐らく木炭の影響で黒ずんでいたので、私の目にうまく観察できなかったのが残念!!鉄鏃は少なくとも三角翼タイプと実用的一般形態の二種類。儀礼用ばかりの入らないところが田村麻呂らしいところか。素晴らしい!!)



(『清水寺縁起絵巻』の田村麻呂埋葬情景『続々日本絵巻大成清水寺縁起』(中央公論社1994より)
 仮に山田博士説で「桃山城」なら、この配慮は全くなかったことになるのだが、私説なら、実に意味深いところに西野山古墓は位置することになる。先に柏原野の兆域を検討したが、その際大いに問題にしたのが、「加丑虎角二岑一谷」であった。二岑を稲荷山と想定したのだが、まさにこの稲荷山の岑の谷間を進むと、滑り石に行くことができるというのである(まだ私は実際に歩いていないので近日中に探検に出かける予定である)。もしこれが事実だとすると、桓武天皇柏原陵→坂上田村麻呂墓→天智天皇山科陵が、ほぼ一直線上に並ぶことになる。少なくとも田村麻呂墓は桓武天皇陵を頭に仰ぎ、この足下で東を護る形を取ることになるのである。偶然だろうか?
先に示したとおり、日本古代の天皇陵の配置にはそれぞれ何らかの理屈が込められている。天武・持統合葬陵と藤原宮中軸線、聖武陵と平城京、淳和陵と長岡・平安京。そして、桓武陵と長岡・平安・天智陵である。さらにこれに坂上田村麻呂墓が重なって、平安京は強固な守護神を獲得したのではなかろうか。
吉川さんの実証を勝手に援軍に見立てた所以である。お許しあれ。



(真宗院の墓所 ここが最有力地なのだが、まだ決定的資料は採集できていない。)

 東山通信もようやく終わりに近付いてきた。病棟ではこんな荒唐無稽なことを毎日想像しながら過ごした。社会復帰して、日々の「仕事」が再び押し寄せる中、今となってはあの一ヶ月が実に懐かしく思い起こされる。皆さんの忠告に従ってもう一ヶ月入っていればよかったかも・・・。 (笑) さてそろそろお仕事の時間です。行って来まーす。

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