yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

「その時」歴史は動いたか?の条

2008-12-19 07:39:04 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
歴史が動いたのは本当はいつなのか?果たしてそれが解っただろうか? 

こいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ
 木曜日、授業に出かけると多くの学生達が「昨日NHKを見ましたよ!」と言ってきた。
 「どうして知ってるんや?」と聞くと、
 「この前の撮影の時にデレクターが放送日を教えてくれていたんです」という。
 しかし撮影は2ヶ月近く前のことだった。
 「よく覚えていたもんやな」と言うと、
 「だって使おうと思っていた資料室がそのせいで使えなかったんですもの・・・」と,なるほど迷惑に思っていたものもいたわけだ。あれだけ大騒ぎしたにしてはえらく短かったですねと言う感想を述べた学生もいた。

 確かにその通り。ま、番組なんてものが膨大な「ムダ」を作りながらその中から都合のいい部分を切り貼りしてできあがるのだと言うことを今回も思い知らされた感じがする。もちろん途中からそうなることは判っていたのだが。

 さて一応ここでは番組の評価を私なりにしておかなければならない。

 その前に確認しておかなければならないことが「その時歴史が動いた」という番組は娯楽番組だということだ。多くの視聴者は歴史の教養番組と思っていようが、それは間違っている。いろいろな取材を3ヶ月近くにもわたって受ける中で、判明したことは、専門家にテーマに関する基礎的な、場合によっては今日の最新の研究状況を取材はするが、それが活かされるとは限らないということだ。

 私は日頃テレビを見ないので、「その時」がどんな番組なのか事前には十分に理解していなかった。担当のデレクターの方が来られてこんな番組を考えているがどうか、から始まって、様々な関係書物を紹介し、次々と出てくる疑問に答えながらテーマの持つ魅力を絞っていく。この辺りまでは結構緊張感があって楽しいのであるが、およそ決まった基本方針を「上司」に提案する辺りからおかしくなってくる。

 どこの世の中でもそうだが、「上司」なるものがどれだけ質がいいか悪いかによって、その組織は随分風通しがよくなったり、質が変わったりするものだ。

 この番組も、「上司」の基本的考えは「娯楽番組」。楽しめさえすれば少々の専門的見地からすると検討すべきものは捨象されるようだ。この点については番組を研究していなかった私は理解が及んでいなかった。反省点である。

 しかしそれにしても、「平安京誕生」と題された今回の放送は、研究者の立場を越えてみてもどうだったのかと疑問に思う。

 まず第一にテーマである「その時」がうまく伝わってこないのである。
 平安京に行ったから平安時代という、恐らくこれは日本中の多くの視聴者が思っていることであろう。そして、京都は長く日本の都と意識されていたので文化の中心であった。これまた常識的である。これでは大したインパクトはない。結局「長岡遷都」をあまり大きく取り上げないという「方針?」がこの番組を判りにくくしたのではないかと思う。その事情はうすうす判ってはいるが、それはここではおいておこう。
 
 第二に、映像としての問題である。これも伝わってきた内部での事情がいろいろあったとのことなので、仕方のない側面もあるのだろうが、映像の専門家であるNHKが提供する番組としてはいかがなものかと思わせる場面が多くあった。

 桓武天皇?らしき人物の出で立ち、進行役のナレーションの間に背後で流される映像の同じものの繰り返し。そしてそのシーンの意味不明さ。杓を持って机を挟んで何かしている振りをする。「なんじゃこれ?」とみんなが思ったことではないだろうか。折角長岡京については先の歴博の展示会で立命館大学の河角先生が苦心して作られた映像を利用しているのに、他がこれでは番組全体がしぼんでしまう。河角さん達が作った3Dにしても、もう少し利用の方法があったような・・・。

 第三に内容だが、平城京の問題も、長岡京遷都も、そして平安京遷都とあまりにあれこれと詰め込みすぎて、短い時間ではいずれもが説明不十分で何のことやら判らないという結果になったような気がする。

 平安京誕生が「その時」だというのなら(もちろん私はそうは思わないが!!)もっとここに集中すべきであったろう。ただしそうするとこのテーマを斬新な資料で視聴者に判りやすく説明するのは並大抵のことではない。とても短い準備期間での、限られた予算では無理である。
 だから、長岡京遷都をメインにすればいいのに、どうもどこかでそれを駄目だと言っている人がいるらしい。表向きは「難しい」「一般受けしない」らしいのだが、私には大体その理由は予想できる。それならばいっそのこと平城京から平安京に飛ぶか?ということになると、それはあまりに今の研究状況を無視しすぎることになる。そんなジレンマが見えてくるような内容だった。

 昨年の歴博の展示もそうだったが、結局長岡京遷都から平安京遷都の問題をわかりやすく一般の人に感動を与えるくらいじっくりと伝えるには、この問題を熟知し、どんな資料があるかを知り尽くした人間が時間をかけていろいろな分野の人と相談しながらやらないととても難しいと言うことなのかも知れない。
 そんなことは今の日本の「効率」優先の社会ではとても望めない。ま、あの世に行ってから中山先生や高橋美久二さんと来世博物館でじっくり相談しながらやるしかないかも知れない(笑)。

 そうは言っても、こんな全国区の番組に「長岡京」という名前が出てくることだけでもこれまでにはなかったことである。番組でも奈文研の馬場さんが平城京と長岡京の比較を「ビスタ」という視点でやってくれたのも、昨年の歴博の展示研究会があったからである。これを機会に研究テーマとして若い学生さんが宮都を、長岡京を取り上げてくれ、停滞している長岡京研究に発破をかけてくれればそれはそれでいいのではないかと思っている。

 お疲れ様でした!花村さん。これからも頑張って下さいね。再見!! 


 なお、私自身の個人的感想&反省の弁。

 「山中、肥えたな-!!!」
 「何やこの腫れぼったい顔は?」
 「もちろん頭も薄くなったし!」

 ちょっとショックでしたね(笑)。もちろんプレドニン(ステロイド)の服用がムーンフェースと禿頭にしているのですが、それだけではありませんね。これから毎日ランニングでもしようかしら(大笑い)。


 そして私ははっきり言っておきたい!「その時」は長岡京遷都であると!これなくして平安京なんて誕生しなかったのだから!!どう考えても長岡京は平安京の親だったのである。皆さん忘れないようにネ。