黒岩涙香の「島の娘」を第二百十一話まで掲載しました。
イギリスの作家、サー・ウォルター・ビサントの原作「Armorel of Lyonesse」を訳した作品です。
1913年(大正2年)6月21日から1914年(大正3年)4月12日まで新聞「萬朝報」に連載されたものです。
島の娘 第二百十一話までの概略
蛭田江南は、網守子が古江田利八の次女の子孫に、帰国の途中遭難した江南の曽祖父古江田利八が持って居た、「鰐革の袋」に入っていたルビーを返すと言っているのを知り、本当は自分は古江田利八の三女竹子の子孫であるが、何かの間違いで、自分が古江田利八の次女の子孫だと思われているのを良いことに、古江田利八の次女梅子の戸籍を抹消すれば、次女の子孫が誰であるか分からなくなり、ますます自分が受け取っても問題はないと思い、次女梅子の戸籍を市役所の戸籍原簿から切り取ってしまう。
折角苦労して、曽祖父古江田利八が持って居た、「鰐革の袋」のルビーを受け取ろうとする矢先、妻添子が網守子の筆跡を真似てサインし、銀行に預けてあった「鰐革の袋」を受け出し、贓物屋(ぞうぶつや)に、四万円で売り渡し、代わりに偽のルビーを詰めて銀行に戻していたことを知り、ひどく落胆する。
一方、路田梨英は故郷に戻り、残って居たわずかな財産の処分の手続きのため、筆捨市の市役所に行き、江南が切り取る前の戸籍原簿を見て、自分が古江田利八の次女の梅子の子孫で有ることを知った。
自分が、網守子が探している、古江田利八の次女の子孫であることを知った路田梨英は、谷川弁護士の許を訪れ、自分が古江田利八の次女の子孫であることを告げるが、谷川弁護士は、江南が古江田利八の次女の子孫で有ること疑わず、梨英を相手にしない。
そうこうしているうち、市役所の戸籍原簿が、切り取られて居る事が発覚し、梨英は戸籍原簿切り取りの疑いで、逮捕されてしまう。
網守子は、この戸籍原簿切り取りも、蛭田江南の仕業に違いないと、江南の所に行き、白状を迫る。
江南は強気で網守子を追い返したが、網守子が余りに自分の実態を知って居るのに驚き、このままでは、自分が犯人で有ることが、遠からず発覚してしまうと思った。
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