ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「冬物語」

2011-05-15 22:49:15 | 芝居
先日テレビで、蜷川幸雄演出の「冬物語」を観た(2009年、彩の国さいたま芸術劇場大ホールでの上演、松岡和子訳)。

シチリア王(唐沢寿明)は身重の妻ハーマイオニ(田中裕子)と親友であるボヘミア王ポリクシニーズ(横田栄司)との仲を疑う。彼は忠臣カミロー(原康義)にポリクシニーズ暗殺を命じるが、善良なカミローは迷った末、ポリクシニーズと共にボヘミアに逃亡する。
それを知った王はますます怒り狂い、王妃を幼い王子マミリアスから引き離して牢に入れる。王妃は牢の中で王女を産む。王はそれを不義の子と決めつけ、家臣に国境近くの荒野に捨てに行かせる。
王は臣下が誰も自分の主張を信じないので、皆を説得するためにアポロ神殿に使いを派遣して神託を受ける。使いが戻り、居並ぶ貴族たちの前で、ついに神託が読み上げられる。「王妃は貞淑、ボヘミア王は潔白、カミローは忠義の臣下、王は邪推深い暴君・・・」という宣言に、皆は安堵の声を挙げる。
しかし王はそれを信じることができなかった。彼は神託を無視して裁判を続けようとする。その時、唯一の世継ぎたる王子マミリアスが死んだとの知らせがもたらされる。
この時ようやく王の目が覚める。神々が自分に天罰を下して王子を死なせたと分かるのだ。打ちのめされた彼は、ポリクシニーズに許しを請い、再び王妃の愛を求め、カミローを呼び戻そうとするが・・・。

このように、これは嫉妬が発端となって始まる物語だが、嫉妬するのは将軍ではなく一国の国王である。ここにイヤゴーはいない。
嫉妬される妻はすでに一児の母であり、今また身重の身である。

幼い王子は細長い魚の頭の張りぼてをかぶって登場。そのまま大人たちと遊ぶ。

この芝居で最も重要な場面は、3幕2場で神託が読み上げられた直後にある。なのに、そこで音楽を流したのは邪魔だった。
緊迫感が損なわれ、場が台無しになってしまった。
重苦しさから歓喜と解放へ、そして再び恐怖と暗黒へ、という大転換が、たった数秒の間に起こるのだ。そこに音楽の入る余地はない。

さて、荒野に捨てられた赤ん坊は羊飼いの親子に拾われ、パーディタと名づけられ、美しく成長する。
そこに、運命の糸に導かれてポリクシニーズ王の息子フロリゼルが現れ、二人は恋に落ちる・・・。
成長したパーディタも田中裕子さんが演じるので、最後の大団円をどうするのか興味があった。
だって母娘の初めての出会いの場面があるのだ!
実際には、5幕3場でパーディタの最後のセリフが語られたところでいったん奥のカーテンを閉め、その間にパーディタ役の田中さんが奥に消え、
急いで彫像姿のハーマイオニになり代わる、という手を使ったのだった。
蜷川さんは、かつて「ペリクリーズ」でも田中さんに母娘二役をやらせたっけ。
確かに彼女は余人をもって代え難い。清純、透明感、哀しみを彼女ほど表わせる人はいない。ほほ笑みも堪らなく魅力的だ。

結局、ここでは愛が身分を越えることは残念ながらないが、この際重要なのは、この貴種流離譚の大きな円環が大団円によってめでたく閉じることなのだから、
そこは仕方ない。

全体にムード音楽のようなのが流れるのには違和感がある。
以前RSCだったか、フォーレのレクイエムを流したのでつい号泣してしまった。まんまと敵の術中にはまったわけだが、この劇では哀れなマミリアス王子とアンティゴナスら犠牲となった人々のためにも、また失われた16年の歳月のためにもレクイエムのような音楽こそがふさわしいだろう。




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