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最近の異常な気候はなんだか変だ!
地球温暖化のために「できる行動は?」役立つ情報を発信して行きたいと思っています。

モロタイ島?植林?モリンガ?なぜ?

2019-02-21 11:08:08 | Weblog
モロタイ島?
この名前を聞いて知っている人は少ない
このインドネシアの東北端の島は、第二次世界大戦に巻き込まれた島です。



植林??

地球上で生命が生き続けるために必要な行動です。
人が生活する上でなにも自然界に負荷をかけないで生き続けることは不可能
生命の持続性を保つために不可欠な行動が植林です。



モリンガ?






戦後74年目ですが、310万人もの「先人」が「生命」をかけて戦い、

戦争により人生を狂わせられた多くのみなさんが犠牲を払って

日本の国を守ってくださったことが

今日の平和と繁栄の礎になっている事実をしっかりと心にとどめこの

「平和と繁栄」を次世代に確実に引き継いでゆく必要がある。

終戦後30年が経過した1974年12月26日 

インドネシア 北マルク州のモロタイ島で一人の元日本兵がジャングルで発見されました。

この年の3月12日には小野田寛郎さんがフィリピンのルバング島で発見・帰還。

さらにその2年前にはグアム島で横井庄一さんが見つかり日本に帰還されたことは、

記憶にある方は多いようである。

このお二人は当時かなり新聞やテレビで報道されて記憶に残っているが、

モロタイ島で発見された中村輝夫さんの報道は発見の第一報だけで、ほとんど報道されなかった。

なぜ?

        
ですから、中村輝夫さんという名前を覚えておられる日本人は少ないようである。

中村さんがモロタイ島のジャングルで、発見されたのは

1974年12月26日で私の誕生日だったために記憶に残っている。

当時、横井庄一さんや小野田寛郎さんのように報道されることもなく、

第一報がモロタイ島のジャングルで元日本兵発見と伝えられただけである。

当時、自分の中ではなぜ、横井さんや小野田さんのようにあまり報道されないのだろうと

疑問に感じていた。



なぜだろうか?中村輝夫さんのこと

心のどこかで疑問に思いながらも日々の暮らしの中では徐々に忘れてしまっていた。

あらためて調べてみると彼は日本人として台湾出身の高砂義勇兵として

1943年11月に入営、インドネシア モロタイ島で苦しい防衛戦を強いられて

1944年9月に米艦隊に取り囲まれて砲撃を受けている。

上陸してきた米兵から銃弾を浴び500名いた高砂義勇兵もジャングルでの消耗戦の末に終戦となっている。

この時、生存し収容された人は172名までに減っていたことで激戦であったことが良くわかる。

収容された皆さんは1946年6月20日に台湾の基隆港にたどり着いた。

この方々も戦後大陸から来た蒋介石の国民党政権となり、

日本統治時代の記憶や記録は消し去られることとなったようである。

高砂族のみなさんも日本名を捨てて漢族風の名前で時代を生き抜いたのでした。

中村輝夫さんも戦争に行くときは日本人としてモロタイ島に派遣され、

30年たって還ったときは、

台湾は大陸からの国民党に支配され、日本から独立していたのです。

その上北京の中華人民共和国との関係修復に汲々としていた日本政府にとって

台湾出身の元日本兵は「招かざる客」だったのである。

本来であれば日本に迎え、健康を回復してもらい、

30年の空白を埋めてもらったあとで本人の希望に従ってその後の帰還先をきめるべきなのに、

全く思いやりのない処置で、

「日本に帰りたい」という希望をかなえることもなく、

1975年1月8日に中華民国政府発行の帰国証明書を携えて、直接台湾に戻されていたために、

結果的に当時の日本人の記憶を薄めることになったのは事実である。

日本軍人として戦い、ジャングルに潜んで30年の結末は、

戦争という事態に巻き込まれて、時代の流れに翻弄された「中村輝夫」さん

という一人の日本人がいたことを日本人として忘れてはならないと感じている。

モロタイ島はインドネシアの中でも一番フィリピンに近く佐賀県ほどの島ですが、

インドネシアに於ける大東亜戦争時、日本軍にとって重要拠点地域の一つであった。

大東亜戦争時は日本軍の飛行場を建設し守備隊を強化するも、

アメリカ軍に奪われフィリピンや東ボルネオへの攻撃の基地として使用されていたのである。

この地に散った英霊は1,712名です。

わずか2年足らずの期間に失われた生命としては大変な激戦であったと想像される。

このような背景のあるモロタイの戦争の傷跡といえるあまり有効に活用されていない

土地にモリンガを植えて島の人々のお役にたちたいと考えてこのプロジェクトを立ち上げています。

平和な社会の象徴として、モリンガの植林が拡大できることを願っています。

※上の写真は現地の人々により建立された中村さんの銅像


砲弾を掘り出す少年たち

共生の森づくり





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