今年もこちらの方から宮崎の美味しい果物が届いた。感謝に堪えない。
宮崎には九州在住時に何回も足を運んだが、特に印象に残っているのは、
07年2月の札幌のTM川崎戦@綾町&ホークスのキャンプ@生目の杜のハシゴ。
ミヤチクのステーキ&酒仙の杜の完熟ポーク&ぐんけいの地頭鶏と肉もハシゴした
今回は札幌がJ2優勝&J1昇格を遂げたこの年の思い出を語る。
この年は、今振り返ってもアクティブに動いた感がある。
前年の入れ替え戦に敗れて、福岡がJ2に戻り、
九州でJ2を見られるスタジアムが再び2カ所になったことや、
旧ブログを開設し、ネタ集めに走り回ったことが背景にある。
札幌の九州4戦以外にも、博多の森&鳥栖にたびたび「敵情視察」に赴いた。
8月には当時JFLだった熊本と栃木の対戦@水前寺にも足を運んだ。
また、5月には「日本サッカーの父」デットマール・クラマー氏が
孫弟子の監督2人(注1)がいる九州を訪問。
福岡市内での講演会で、そのお話を聴けたことは貴重な体験だった。
この年の札幌は「J2は攻めたら負け」の哲学を持つ三浦俊也監督の下で
- 両SBが上がらない4バック
- ダヴィ&中山元気の2トップで前線からハイプレス
- ロースコアの展開に持ち込み、後半に砂川誠や石井謙伍を投入して勝負
というサッカーを徹底。昇格争いに留まり続けて、最終節で東京V・京都との
三つ巴を制し、27勝10分け11敗の勝ち点91でJ2優勝を果たした。
「つまらん」「守備的すぎる」「志が低い」という批判を
時に身内の札幌サポからも浴びたが、九州4戦では3勝1敗の好成績を挙げた。
特に博多の森の2戦。5月は終了間際の謙伍の勝ち越し点で2対1の白星。
10月は謙伍の退場を乗り越え、岡本のJ初得点を守り切ってウノゼロ勝ち。
そろって感動的な試合だった。特に5月の一戦については、
2号は生観戦だけでは飽き足らず、NHK福岡の中継録画を何度もリプレイ
謙伍の勝ち越し点の瞬間、画面に大映しになるリティの絶望的な表情を
繰り返し見ては、ニヤニヤしていたwww
しかし、ワタシの印象に最も残った一戦は、博多の森の2戦ではない。
下の「秘密兵器」西大伍のシュータリングが炸裂した10月の愛媛戦@松山である。
アウエーゴール裏で見たあの決勝弾は、今でもなぜ入ったのか説明できない。
ただ、ゴール後もボールがネットに絡みつくように回転していたことを覚えている。
さらに、この一戦が印象に残っているのは、
翌朝に福岡に戻り、まっすぐ帰宅・・・せずに、そのまま佐賀に直行し、
札幌と昇格を争っていた京都と鳥栖の対戦@佐賀陸に赴いて、
京都黒星の「呪詛」に成功したという理由もある。
こんな自己満足まる出しのバカをやった札幌サポはワタシのみと今も自負している。
(第13話に続く)
- とっておきの一枚
この年に佐賀で開かれた高校総体のひとコマ(注2)。
右は室蘭大谷時代の宮澤裕樹である。今も昔も「俺らの10番」
なお、この時点では宮澤は自身の進路を明らかにしていなかったが、
室蘭大谷の先輩である佐藤尽さん(現・札幌U15監督)や
赤黒のユニを着たワタシが駆け付けたので、さすがに観念したのかも・・・
注1:クラマー氏はバイエルン・ミュンヘンで「皇帝」ベッケンバウアーを指導。
その「皇帝」が率いて90年W杯を制した西独代表にいたのが福岡のリティ監督(当時)。
また、クラマー氏はメキシコ五輪の時代に鳥栖の松本育夫GM(当時)を指導。
松本さんの弟子の一人が、鳥栖の岸野監督(当時)だった。
注2:サッカーは一部の試合会場が福岡県内に分散。上の室蘭大谷×山形中央は春日市開催。
- 1号
マッハに9対6の勝利。この3連戦も何とか勝ち越し。
3回までに双方合わせて本塁打4本の乱打戦。
松田が2年ぶりの20号到達。7回の4得点にも絡む3打点の活躍。
ただ、今季一軍初登板の先発・岩嵜が期待を裏切る3回4失点。
5勝目が転がり込んだ二番手の二保も2失点といまひとつの出来。
攝津と大隣が戦線を離脱した現在、日本人投手の奮起を求める。