本日は「フリーファイト・ガーラ」以外のアムステルダムの思い出を語る。
・・・と言っても、「2月のオランダ」は、名物のチューリップもまだ球根という季節である。
正直、「アレもコレもキレイだった」という類の思い出は乏しい。
「食の楽しみ」も、ホテルのモーニングを食べた瞬間に日本が恋しくなるレベルだったし
パンが固くてパサパサだったのよ
ただ、中心街のショッピングでは、いいモノが買えた思い出がある。
それは、ハネムーン記念のルビーの指輪<2号は7月生まれで、誕生石ならルビーなの
・・・もとい、現地のHMVで見つけたジャン・ミッシェル・ジャールのCD「ランデブー」。
ヴォルク・ハンの入場曲「ランデブーⅡ」のオリジナルを収録したアルバムである。
プオタにして入場曲好きのワタシは当時、この曲をあちこち探し回っていた。
また、日中のバスツアーで通りかかった「ドージョー・チャクリキ」も思い出深い。
通りかかるだけの予定だったのだが、トム・ハーリック会長がたまたまジムにいて、
ワタシたち一行を中に通してくれたのである。薄暗いジム内を歩き回りながら、
このリングで、あのサンドバッグで、シカティックが、アーツが練習を重ねたのかと
思いを馳せたことは言うまでもない。サンドバッグは岩のような固さと重さだったよ
それにしても、アムステルダム市内を歩いて、つくづく感じたのは
「どうしてオランダ人って、男も女もこんなにデカイんだ??」
という日本人との体格差である。サッカーや格闘技を通して、頭では理解していたが、
現地で間近に接すると、克服しがたいコンプレックスに襲われる。
そんなワタシたちを救ったのは、他ならぬ日明兄さん
身長192センチの体格はオランダ人にも決して見劣りせず、逆にオランダ人が
「うわ! このデカイ東洋人は何者だ!」という目を向けることもしばしばだった。
勢い、ワタシたち一行は、日明兄さんを先頭に「カルガモの親子」と化して
街中を歩き回ることに。思うに、日明兄さんがドールマンほかオランダの荒くれ者と
対等にビジネスができたのは、この長身も大きな理由のひとつではなかったか?
身長180センチ程度だったら、見下ろされてオシマイだったかもしれない。
(12話に続く)
- ナビスコ杯
準決勝の顔合わせは、清水×FC東京、鹿島×柏に。
残留争いを占うダービーマッチを控える大阪の2クラブは負け抜け。
ちなみに、4強入りを争った清水と名古屋は11日のリーグ戦でも再戦する。
- ホークス
攝津の黒星を最後に始まった「北海道不敗神話」は約1年を経て、攝津の手で終了。
慣れぬ地方球場とはいえ、初回の4点を守れず、小久保の2号3ランをフイにするとは。
陽兄弟対決が実現したのが、せめてもの仇花か。
まあ、「札幌不敗神話」はまだ続いている。「オレたちの札幌ドーム」でリベンジだ。
- 新日本G1
横浜大会では、みのるが棚橋を撃破<地元じゃ負け知らず
現IWGP王者を元GHC王者&元三冠王者がいぢめているw
なお、真壁が中邑を、小島が永田さんを下したため、全勝・全敗はおろか
「1勝止まり」「1敗止まり」も消えて、全18選手が3勝or2勝となった。
新潟・後楽園・両国の3大会を残して、ますますの混戦である。