筋肉美を誇った千代の富士の急逝に、ワタシが受けた衝撃。
昨年の還暦土俵入りでは、60歳とは思えぬ肉体を披露していたので、
31日の訃報はただただショックで、札幌白星の祝杯を2号とともに自粛した
<2号も中高生の時代に「締め込みが青色の千代の富士」を下敷きに挟んだウルフマニア
思えば、千代の富士ほど「物語性」に富んだ横綱もあまりいなかった。
広島で入市被爆した父を助けて港仕事をこなした少年時代。
「飛行機に乗せてやるぞ」から始まった角界入り。
相次ぐ脱臼癖やプロレス転向の誘いをはねのけて、鍛錬の末に得た鋼の筋肉。
北の湖の厚い壁を乗り越えての大関・横綱昇進。昭和の終わりを飾る53連勝。
生まれて間もない三女の突然死。その直後の弟弟子・北勝海との優勝決定戦。
大相撲初めての国民栄誉賞受賞。1000勝到達。貴乃花父子との世代交代・・・
うん、これは生前にテレビドラマ化の話も来るわwww
「ウルフ・フィーバー」が巻き起こった1981年当時は、道内のあちこちに
「千代の富士の顔見知り」が現れた。ワタシの弟(当時小学生)の担任だった
福島町出身の教師もその一人で、千代の富士と同じ小学校の2年下だったという。
曰く「相撲はもちろん強かったが、スポーツは何をやらせても抜群だった」
曰く「特に陸上と鉄棒が得意で、足がめっぽう速く、大車輪を軽々とこなしていた」
そんなエピソードを又聞きしつつ、「ウルフ幻想」を膨らませた記憶がある。
千代の富士の「思い出の一番」を挙げるとしたら、
寺尾を吊り落としで下した89年九州場所の一番だろうか。
「制裁説」も根強いこの一番、寺尾の背後を取った千代の富士に一瞬、
「おっ、ジャーマンか?」と馬鹿な妄想が浮かんだ記憶がある。
そして、アスリート・格闘家としての力士の強さに恐怖した一番でもあった。
先に述べたプロレス転向の話も重なり、「土俵以外の場で闘ったらどうなるのか?」
という思いを抱かせ続けた力士だったと言える。
その思いを漫画家が具現化してくれたのが「ウルフマン」だったし、
相手の首元を押さえた独特の上手投げに付いた「ウルフスペシャル」という
プロレス技のような横文字の異名も、その思いにマッチしていた。
正直、九重部屋を継いで以降の晩年は不遇に見えたし、
その人間性にまつわる良からぬウワサもいろいろ耳にした。
特に、墨田・江東で暮らしている近年は、そんなウワサにふれることが増えた。
しかし、「強くて、カッコよくて、人気があれば、何をしても許される」のも角界の真理。
ワタシの同郷の漫画家の言葉を借りれば「強さとはワガママを通す力」である。
千代の富士は飽くなき鍛錬の末に、そんな強さを身に着けた大横綱だった。
・・・さて、もう一人の大横綱が最近、我が家から散歩のついでに行ける場所に
部屋を移した。地元は歓迎しているが、この移転にもあまり良いウワサを聞かない。
何かとスキャンダルが多かった、こちらの大横綱の行く末も気にかかっている。
- ホークス
7対3で西武を下し、8月最初のカード勝ち越し。
先発・攝津は打線に助けられた感もあったが、6回3失点の内容で今季初勝利。
打線は双方同じく8安打ながら、9四死球に乗じた格好。
特に一番・明石と代打・鶴岡の2点適時打が大きかったと思う。
- 新日本鹿児島大会
Aブロック6日目。オカダが真壁を下し、5勝1敗で単独1位に。
丸藤×SANADAの注目の一戦は丸藤に軍配。棚橋が3勝3敗の五分に戻した。