97年3月の披露宴からの2年間は、激動の2年間だった。
2号の父の死去、3号の誕生、日本のW杯初出場、そして札幌のJ昇格&J2降格。
そして99年春、ワタシは初めて内地に異動になって、我が家は北海道を去った。
赴任地は群馬県太田市・・・って、どこだ? それが正直な第一印象だった。
しかし、現地に赴いて知ったのは、太田・館林・桐生といった群馬県東部、
いわゆる「東毛地域」はアマ・プロともにレスリングと非常に縁深い土地だった。
76年モントリオール五輪金の高田裕司(太田市出身)や
80年モスクワ五輪の幻の代表で後にプロレスに転向した谷津嘉章(明和町出身)、
最近ではロンドン五輪銅の松本隆太郎(千代田町出身・館林高校卒)といった
名レスラーを輩出している<なお、我が家が群馬に住んでいた時期は、
白血病との闘病でも知られる長島ツインズが強豪・館林高校の有望株だった
そして、プロレス好きが忘れてはいけないのが、桐生の樹徳高校の柔道部
グラン浜田、吉江豊と全くタイプが異なるプロレスラーを生み出している。
変わり種では、あの世出身で太田市の墓地から生まれた怨霊というプロレスラーもいる。
この浜田や怨霊が出場し、1回戦8戦を仙台で開催した2000年の第3回スーパーJカップを
仙台×札幌戦とハシゴするため、太田から出かけたことは群馬時代のいい思い出だ。
また、99年のみちのく前橋大会では、浜田&文子の日本初の父娘タッグを
見ることもできた。ただ、3号がまだ幼かったので、生観戦は抑え気味だったと思う。
プロレスがらみで生観戦よりも思い出になっているのは、
01年夏に新しい異動が決まった時の2号の言葉だった。
群馬と言えば、草津や片品といった山間部は有名なスキー場を抱える豪雪地だが、
平野部の東毛地域の冬は、いわゆる「からっ風」こそ強いが降雪はほとんどなく、
倶知安で生まれ育った2号は「雪にわずらわされない冬」をそれは気に入っていた。
ところが、新しい赴任地は青森市
豪雪が再び待ち受ける地への異動に、2号はさぞがっかりするのでは・・・と気が重かった。
しかし、青森への異動を告げた時の2号の反応は意外なものだった。
「やったあ☆ これで本場・東北のみちのくプロレスが見られるね」
救われた思いがした。この女性と結婚してよかったと感じた出来事の一つである。
(17話に続く)
- セリーグ
CSファイナルを制したのは、3連敗から3連勝を遂げた読売。
高木守道は、94・10・8に続いて「読売に勝てば日本シリーズ」の大一番を落とした。
まあ、セ・パの1位が対決する「本当の日本シリーズ」になってよかったのでは。
ホールトンがホークス時代の「ハムキラー」のままかどうか、注目している。