ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

リングサイドで恋をして・第16話/群馬時代

2012年10月23日 | RSで恋をして

97年3月の披露宴からの2年間は、激動の2年間だった。

2号の父の死去、3号の誕生、日本のW杯初出場、そして札幌のJ昇格&J2降格。

そして99年春、ワタシは初めて内地に異動になって、我が家は北海道を去った。

赴任地は群馬県太田市・・・って、どこだ? それが正直な第一印象だった。

しかし、現地に赴いて知ったのは、太田・館林・桐生といった群馬県東部、

いわゆる「東毛地域」はアマ・プロともにレスリングと非常に縁深い土地だった。

76年モントリオール五輪金の高田裕司(太田市出身)や

80年モスクワ五輪の幻の代表で後にプロレスに転向した谷津嘉章(明和町出身)、

最近ではロンドン五輪銅の松本隆太郎(千代田町出身・館林高校卒)といった

名レスラーを輩出している<なお、我が家が群馬に住んでいた時期は、

白血病との闘病でも知られる長島ツインズが強豪・館林高校の有望株だった

そして、プロレス好きが忘れてはいけないのが、桐生の樹徳高校の柔道部

グラン浜田、吉江豊と全くタイプが異なるプロレスラーを生み出している。

変わり種では、あの世出身で太田市の墓地から生まれた怨霊というプロレスラーもいる。

この浜田や怨霊が出場し、1回戦8戦を仙台で開催した2000年の第3回スーパーJカップを

仙台×札幌戦とハシゴするため、太田から出かけたことは群馬時代のいい思い出だ。

また、99年のみちのく前橋大会では、浜田&文子の日本初の父娘タッグを

見ることもできた。ただ、3号がまだ幼かったので、生観戦は抑え気味だったと思う。

プロレスがらみで生観戦よりも思い出になっているのは、

01年夏に新しい異動が決まった時の2号の言葉だった。

群馬と言えば、草津や片品といった山間部は有名なスキー場を抱える豪雪地だが、

平野部の東毛地域の冬は、いわゆる「からっ風」こそ強いが降雪はほとんどなく、

倶知安で生まれ育った2号は「雪にわずらわされない冬」をそれは気に入っていた。

ところが、新しい赴任地は青森市

豪雪が再び待ち受ける地への異動に、2号はさぞがっかりするのでは・・・と気が重かった。

しかし、青森への異動を告げた時の2号の反応は意外なものだった。

「やったあ☆ これで本場・東北のみちのくプロレスが見られるね」

救われた思いがした。この女性と結婚してよかったと感じた出来事の一つである。

(17話に続く)


  • セリーグ

CSファイナルを制したのは、3連敗から3連勝を遂げた読売。

高木守道は、94・10・8に続いて「読売に勝てば日本シリーズ」の大一番を落とした。

まあ、セ・パの1位が対決する「本当の日本シリーズ」になってよかったのでは。

ホールトンがホークス時代の「ハムキラー」のままかどうか、注目している。


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