ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

リングサイドで恋をして・第15話/披露宴

2012年10月05日 | RSで恋をして

ハネムーンの回顧が終わったので、今回は披露宴の思い出を語る。

97年3月8日の札幌市中央区の某ホテルでの晴れ舞台。

プロレス馬鹿のカップルは招待客置き去りの暴挙をやってのけた。

それは「入場曲&BGMがすべてプロレス・格闘技絡み」 以下、セットリストを載せる。

  • 新郎新婦入場:ロッキーⅣ「トレーニング・モンタージュ」(高田延彦入場曲)
  • お色直し入場:キャメル「キャプチュード」(前田日明入場曲)
  • ケーキ入刀:ジャン・ミシェル・ジャール「ランデヴーⅡ」(ヴォルク・ハン入場曲)
  • キャンドル・サービス1曲目:「ハイブリッド・コンシャス」(パンクラスのテーマ)
  • キャンドル・サービス2曲目:「フレイム・オブ・マインド」(田村潔司入場曲)
  • キャンドル・サービス3曲目:プリンス「エンドルフィンマシーン」(K-1GPのテーマ)
  • 両親への花束贈呈:「ファイト・ウィズ・ドリーム」(ハヤブサ入場曲)
  • 新郎新婦退場:「みちのくプロレスのテーマ」

少しU系に偏った感がある<新日本・全日本系も入れたかったが曲数の都合で断念

また、曲の雰囲気はよかったが、あきらめざるをえなかった曲もあった。

ルイス・ミゲル「セパラードス」(ウルティモ・ドラゴン入場曲)

名曲なのだが、タイトルがスペイン語で「離別」ではさすがに使えなかった。

プオタとしては、これらの曲にすべてオリジナルの音源を使ったことが自慢

<例えば、日明兄さんの「キャプチュード」はキャメルのアルバム「ヌード」収録のもの

当時いろいろな団体が発売していた入場曲CDによく入っていた

似ていないカバー曲を使うことは、プオタの妙なホンモノ志向が許さなかった。

一方で、桜庭和志「スピード」小橋建太「グランド・ソード」といった名曲が

当時あったらとも思う。ワタシの次の披露宴では必ず使う将来の4号の披露宴に期待する。

ワタシの血を継いだせいか、4号もかなりの入場曲好きで、

特にドラゲーの「ミュージック・ゲート」のシリーズがお気に入りである。

「ジミーズのテーマ」で入場して、「これがホントのジミ婚」という下らないギャグに走らないように願う

現在も新日本の棚橋、中邑、後藤、オカダあたりの入場曲を使いたいカップルがいるのでは?

新日本が12月に発売する3枚組のアルバムは、ぜひ期待に応えてほしい。

(16話に続く)


  • パリーグ

楽天、9回の3点リードを守れずBクラス確定=CS出場が消滅=ホークスのCS出場が決定

一方で、ホークスは本日のオリックス戦で敗れた瞬間、3位が確定する

<逆転2位は、西武2敗&ホークス3勝または2勝1分けのみの狭き門に

さて、CSを所沢で観戦する支度に取りかかるかね・・・


リングサイドで恋をして・第14話/スペイン紀行・後編

2012年09月25日 | RSで恋をして

田村に酔いつぶされた悪夢から一夜明けた2月5日は、マドリッドで過ごす最終日。

この日の夜は、ツアーの目玉の一つである選手・スタッフ全員を交えた食事会があった。

サインも写真も、もらい放題&撮り放題という、ファンには夢の一夜である。

このイベントの思い出は、日明兄さんに色紙へのサインをお願いした時のやりとりだった。

ワタシ&2号「サインに、夫婦の心構えとなる言葉を書き添えてもらえますか?」

読書家としても知られる兄さんのこと、サラサラと書き流してくれるものと思いきや、

兄さん「・・・キミたち、新婚旅行やろ? 一生一度の旅の思い出に、

もし間違った言葉を贈ったら失礼や。いくつか思い当たる言葉はあるけれど、

今夜キチンと調べておくから、明日またお願いに来てくれるかな?」

さすがは格闘技の世界で一つの時代を築いた漢だと感じ入った。

新婚旅行の夫婦に贈るメッセージを間違えては失礼になる

それは当たり前の礼儀だろうが、

プロのアスリートがファンサービスの場で、なかなかできる応対ではない。

「あの前田日明からあんな気遣いを受けただけでも、このツアーは一生の思い出になった」

食事会の後、ワタシたち2人はしみじみ語り合った思い出がある。

ライバル団体やメディアとの間にトラブルが絶えない悪評を持つ兄さんだが、

ワタシたち夫婦は結婚後の15年間、ともに心情の上では味方であり続けてきた。

それはこのマドリッドの食事会で見せてくれた誠実さによる部分が大きい。

・・・そして翌6日、マドリッドからアムステルダム経由で日本への帰路についた途中、

空港ロビーで改めて書き贈ってもらった言葉が「偕老同穴」

2人ともに仲よく老いて、オトコは一生同じアナでガマンする同じ墓穴に葬られる。

夫婦の結び付きが変わらない様子を表した故事成語である。

正直、ワタシも2号も初めて耳にした言葉だったが、兄さんは

「海綿の一種にもな、カイロウドウケツというヤツがおるんや。

なんでそんな名前になったかというと、その海綿の体内には

エビのつがいが住みついておって、一生をそこで暮らすんやて」

と豆知識を披露。帰国後に調べたら、全くその通りで、さすがの博識に舌を巻いた。

・・・もっとも、色紙に「偕」の字を書いた時は

「あ、ヨコの棒がちょっと長過ぎた。ゴメン」(今で言うテヘペロ)

そんなうっかりものでお茶目な一面を持つ兄さんを、ワタシも2号も今なお慕っている。

そんな思いを記して、3カ月に及んだ長いハネムーン話を終える。

*参考文献:週刊プロレス779号(97年2月25日付)

(15話に続く)


  • 9・23リングス後楽園大会

そんな前田シンパの夫婦の結婚15年目に復活したリングス。

3月の第1回大会に続いて、第2回大会にも夫婦そろって足を運んできた。

ジャパン勢との対抗戦に臨んだカザフスタンの猛者たちは今ちゃんによく似ていた

つーか、今ちゃんが中央アジア系の顔立ちなんだな、きっと。

リングサイド席で「帝王」高山善廣が観戦していたことにはちと驚いた。

和田良覚レフェリー(Uインター時代の知己)や大山峻護選手(ともにPRIDE参戦)

といった顔なじみがいたし、日明兄さんとも特に確執はないから、来てもおかしくはないが。

この日、観客に最も強い印象を残したと言えるのが、ロシアのクラット・ピターリ(右)。

あのヨシケイを下して、アウトサイダー65-70キロ王者になったRYOを子ども扱い。

タックルを徹底的に切りまくり、第1回大会で伊澤寿人を沈めたボディ打ちで

ダメージを確実に与えて続けて、最後は顔面を打ち抜いてKO勝ちを遂げた。

足腰の強さとボディバランス、長いリーチは脅威。ボディにせよ、顔面にせよ、

対戦者にとっては、かなり見えにくい軌道でブローが飛んでくるのではないか。

サイズは違うが、同邦のセルゲイ・ハリトーノフを初めて見た時に近い衝撃を受けた。


リングサイドで恋をして・第13話/スペイン紀行・中編

2012年09月14日 | RSで恋をして

このツアーに、リングスの4選手が参加していたことは先に述べたが、

この4選手の中で、ツアーの前後で最も印象が変わったのは田村潔司その人である。

この人には当時、Uインター×新日本の対抗戦参加を拒み、

K-1のリングで引退覚悟でパトリック・スミス戦に挑んだ後、Uを退団した経緯から、

「孤高」「ストイック」「赤いパンツの頑固者」というイメージを持っていた。

しかし、スペインで見せた奇行で、そんなイメージは見事に崩れた。

「情熱の国」だけに、行く先々の公園のベンチにお熱いカップルが多かったのだが、

この人ときたら、見つけるたびにいちいち近づいて、堂々とのぞき始める。

んで、カップルに気づかれると、脱兎の如きスピードで逃げ出してくる。

「こうやって海外でも反射神経を磨いているんだ」と涼しい顔でうそぶいていたが、

同じ行為を何度も繰り返しているその姿は、単なる変態に見えた

そして、忘れ難いのが、2月4日夜のマドリッドのイベント。

ツアーのオプションとして、本場のスペイン料理とワイン、フラメンコを楽しむ集いがあり、

ワタシたち夫婦も田村も参加した。

舞台ではフラメンコ、卓上に美味しいパエリア、隣の席に2号、正面の席に田村。

プオタにとっては至福の一夜で、気分よくワインを飲んでいると、田村が声をかけてきた。

①「顔が赤いですよ。大丈夫ですか? 水を飲んだ方がいいんじゃ?」

ああ、優しいなあ。札幌中島でのハン戦では、ハンをひいきしてゴメンよ。

そう思いながら、水の入ったピッチャーに手を伸ばしたところ、

②「ダメダメ~、ちゃ~んと水を飲まないと」(ニヤニヤ)

田村はワタシのグラスになみなみと白ワインを注いできた

・・・え??

しかし、プオタとして、あの田村が自ら注いだ酒を拒むことなんぞ許されぬ。

やむなくグラスを空けた後、延々と①と②の繰り返しが続く中で、

ワタシは田村の異名のひとつを思い出していた。

「Uの遺伝子を継ぐ男」

それはリング上のスタイルのみならず、リング外の酒席を含めた異名だったのか。

気が付いた時はすでに遅く、ワタシの意識はマドリッドの夜に溶けていったのである。


あれから15年。田村はリングスを離れ、個人のジムを持って独自の活動を続けている。

船木や桜庭といった同じ世代のU系の選手がプロレスのリングに戻っている現在、

もうひと花咲かせてほしい選手である。日明兄さんとの確執も久しく続いているが、

こちらもいつか和解してほしいと願っている。 日明兄さんと佐山が和解できたのだから大丈夫

(14話に続く)


  • ホークス

先発は四球からピンチを広げて痛打を食らい、打線は相変わらず初物に弱い。

投打に悪癖を露呈して連勝ストップ。今季の残り試合、少なくとも先発で岩嵜を見ることはあるまい

  • アパパネ引退

牝馬限定GⅠをほぼ総ナメにした希代の名牝が浅屈腱炎で電撃引退。

エリザベス女王杯のみ、2年連続でスノーフェアリーに阻まれたことが残念だ。

凱旋門賞でオルフェーヴルがその仇を討つ機会があるか?


リングサイドで恋をして・第12話/スペイン紀行・前編

2012年08月22日 | RSで恋をして

オランダに別れを告げて、今回からツアー後半のスペインの出来事を3回に分けて語る。

スペインには今も良い印象を持っている。まず2月なのにとても暖かだった。

食べ物もオランダに比べて美味しいものが多く、満足した思い出がある。

ただ、難を言えば、パンがどれもこれもやたら甘かったことには閉口した。

バイキング形式だったマドリッドのホテルのモーニングに並んだパンも、

すべて白砂糖のシロップがけorz

パン食の欧州で、ごはんが恋しくなるのはともかく、普通のトーストが恋しくなるとは。

このモーニングについては、ワタシたち夫婦に遅れて食堂に入った日明兄さんも

「なんやコレ、みんな菓子パンやんけ!!」と声を荒げる始末。

ワタシたちはその声を背中に、「やべえ・・・兄さんがキレちゃったよ」

「フライ戦が94年夏だったから、2年半分ぐらいキレた?」(注1)とヒヤヒヤしていた。

一方、スペインでは、プオタとして覚えたスペイン語が役立った思い出もある。

ホテルに着いた後、身の回り品を買うため、スーパーを探そうということになり、

ワタシ「スーパー・マーケットはスペイン語でなんていうんだ?」

2号「スーパーはきっとスペル・デルフィンとかのスペルだよ」

ワタシ「マーケットは?」

2号「みちプロのビデオで、ヨネ原人をメキシコに探しに行ったサスケが、

現地の市場、マーケットのことをメルカードと呼んでいたわよ」

ワタシ「合わせてスペル・メルカードね・・・そんな看板が見つかればよいが」

とりあえずホテルを出て、最初の交差点に向かった。ふと顔を上げて見た看板に

SUPER MERCADE

デカデカと書かれたその言葉を見つけた時は、2人で大笑いした。

「リングスのツアーで海外に来て、みちプロに助けられるとはなあ」

2人ともルチャ好きでよかった、としみじみ思ったものである。

ちなみに、スペイン語圏を走るタクシーは、「空車」を「リブレ」(注2)と表示している。

中心街のあちこちで「リブレ」が目に付いたことは、ルチャ好きには妙にうれしかった。

(13話に続く)


注1・94年7月14日のリングス大阪大会の前田日明対ディック・フライ戦。

この一戦で、日明兄さんは指を立てた掌打などのフライの危険な攻撃に激怒し、

3分足らずでレッグ・ロックで決着を付けた後も、フライの背中を踏み付けて大荒れ。

試合後に吐き捨てた「10年分キレた」という台詞は、多くのファンの記憶に残っている。

注2・日本語で「自由」の意。メキシコのプロレスは現地で「ルチャ・リブレ」と呼ばれ、

「自由への闘い」「自由なる闘い」などと和訳される。


  • ホークス

6回終了時には「夜王・岸」に無安打無得点を食らうかと思ったが、何とか6連勝。

小久保の引退宣言の効果はなお・・・って、その小久保の2安打2打点で勝てたのだが。

死球交代の栗山&浅村は正直、スマンかった。 きょう・あすの試合が荒れそうで心配


リングサイドで恋をして・第11話/オランダ紀行・後編

2012年08月09日 | RSで恋をして

本日は「フリーファイト・ガーラ」以外のアムステルダムの思い出を語る。

・・・と言っても、「2月のオランダ」は、名物のチューリップもまだ球根という季節である。

正直、「アレもコレもキレイだった」という類の思い出は乏しい。

「食の楽しみ」も、ホテルのモーニングを食べた瞬間に日本が恋しくなるレベルだったし

パンが固くてパサパサだったのよ

ただ、中心街のショッピングでは、いいモノが買えた思い出がある。

それは、ハネムーン記念のルビーの指輪<2号は7月生まれで、誕生石ならルビーなの

・・・もとい、現地のHMVで見つけたジャン・ミッシェル・ジャールのCD「ランデブー」。

ヴォルク・ハンの入場曲「ランデブーⅡ」のオリジナルを収録したアルバムである。

プオタにして入場曲好きのワタシは当時、この曲をあちこち探し回っていた。

また、日中のバスツアーで通りかかった「ドージョー・チャクリキ」も思い出深い。

通りかかるだけの予定だったのだが、トム・ハーリック会長がたまたまジムにいて、

ワタシたち一行を中に通してくれたのである。薄暗いジム内を歩き回りながら、

このリングで、あのサンドバッグで、シカティックが、アーツが練習を重ねたのかと

思いを馳せたことは言うまでもない。サンドバッグは岩のような固さと重さだったよ

それにしても、アムステルダム市内を歩いて、つくづく感じたのは

「どうしてオランダ人って、男も女もこんなにデカイんだ??」

という日本人との体格差である。サッカーや格闘技を通して、頭では理解していたが、

現地で間近に接すると、克服しがたいコンプレックスに襲われる。

そんなワタシたちを救ったのは、他ならぬ日明兄さん

身長192センチの体格はオランダ人にも決して見劣りせず、逆にオランダ人が

「うわ! このデカイ東洋人は何者だ!」という目を向けることもしばしばだった。

勢い、ワタシたち一行は、日明兄さんを先頭に「カルガモの親子」と化して

街中を歩き回ることに。思うに、日明兄さんがドールマンほかオランダの荒くれ者と

対等にビジネスができたのは、この長身も大きな理由のひとつではなかったか?

身長180センチ程度だったら、見下ろされてオシマイだったかもしれない。

(12話に続く)


  • ナビスコ杯

準決勝の顔合わせは、清水×FC東京、鹿島×柏に。

残留争いを占うダービーマッチを控える大阪の2クラブは負け抜け。

ちなみに、4強入りを争った清水と名古屋は11日のリーグ戦でも再戦する。

  • ホークス

攝津の黒星を最後に始まった「北海道不敗神話」は約1年を経て、攝津の手で終了。

慣れぬ地方球場とはいえ、初回の4点を守れず、小久保の2号3ランをフイにするとは。

陽兄弟対決が実現したのが、せめてもの仇花か。

まあ、「札幌不敗神話」はまだ続いている。「オレたちの札幌ドーム」でリベンジだ。

  • 新日本G1 

横浜大会では、みのるが棚橋を撃破<地元じゃ負け知らず

現IWGP王者を元GHC王者&元三冠王者がいぢめているw

なお、真壁が中邑を、小島が永田さんを下したため、全勝・全敗はおろか

「1勝止まり」「1敗止まり」も消えて、全18選手が3勝or2勝となった。

新潟・後楽園・両国の3大会を残して、ますますの混戦である。