ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

うな重に舌鼓 「柴又七福神」巡り

2020年01月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年1月10日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和元年(2019年)度第27回(2020年第1回)、「柴又七福神巡り」ウォーキングに参加した。
令和初の「七福神巡り」ウォーキングである。
場所は葛飾区柴又の「柴又七福神巡り」、帝釈天参道でのうなぎ料理が楽しみの一つだ。

荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。


松戸駅で各駅停車に乗り換え、次の金町駅で下車。
JR常磐線の地下道を通り、


京成金町駅へ。


京成金町駅に向かう。


京成金町駅で京成高砂行に乗車。


通勤時間帯が過ぎていたためか、車内は空いていた。
この日の参加者29名が一つの車両に乗り合わせても全員が楽に座れた。


9時14分、京成金町から2つ目、終点の京成高砂駅に到着。
『あらっ もう着いちゃったんだっ』


京成高砂駅前には「柴又七福神」(寿老人)が祀られている高砂観蔵寺の案内板が。


この日のルート説明や点呼を取り易くするために二組に分けるなどして、


9時23分、「柴又七福神」の最初の観蔵寺(寿老人)を目指して出発!


京成金町線に沿って住宅地を進む。


住宅地の中を案内板に従って進む。
『案内板があるから初めての人は助かるよねっ』


9時29分、「柴又七福神」の寿老人を祀っている観蔵寺に到着した。
京成高砂駅から6分ほどであった。
『意外と近かったわねっ』


「柴又七福神」 寿老人 金亀山神宮院観蔵寺
当山は、文明元年(1469)の開創であるが、永禄七年国府台合戦により焼失し、
承応二年(1654)、法印隆教が再興する。
寿老人は七福神の第一におかれる長命の神で、寿福を司どる神様である。
日本では室町時代より信仰が盛んである。
葛飾区 葛飾区観光協会


本堂の前に”寿老人”と刻まれた石碑が建てられていた。


金亀山神宮院観蔵寺本堂


『元気で長生き出来ますように』


観蔵寺の境内には真っ赤な幟に囲まれた水子地蔵が祀られていた。


観蔵寺を後にして、次の目的地である恵比寿天を祀る医王寺へ。


歩道のない住宅地の道路を進む。
『けっこう車が多いから気を付けないとねっ』


目の前に現れたのは”崇福寺”という寺である。
どうやら道を間違えたようだ。


近くの人に「柴又七福神」の医王寺を尋ねるが、あまりご存知ではないという方が多く、
場所も不確かな感じだった。
それではと、医王寺の最寄り駅の”新柴又駅”への道を教えてもらい、


住宅街を進むが・・・
道路がたくさんありすぎて、又も道が分からなくなってしまった。


近くに郵便局があったので、道順を訊ねることにした。
局員の方が親切丁寧に教えてくれた。


簡易な地図を片手に教えてもらった道を進む。


柴又駅を左手に見ながら京成金町線の踏切を渡り、


”柴又親商会”という名の商店街を進む。
それにしてもかなりの大回りになってしまったものである。


『あらぁ 美味しそうな果物だよねっ』
女性陣は、道に迷っていることなどまったく気にする様子ではない。
正直言って羨ましい。


10時15分、ようやく柴又街道(都道307)に出ることが出来た。
ここからは間違いなく医王寺に行けるだろう。


柴又街道を進んで行くと・・・


前方に北総鉄道北総線の高架が見えて来た。
『高架の隣が新柴又駅なんだねっ』


10時23分、新柴又駅に到着した。


北総線の高架を潜って直ぐに左折し、50mほど進んだところに、”福徳恵比寿天 医王寺”の立て札が。
『立て札があるってことは、あと少しってことだよねっ』


北総線の高架を右に曲がると・・・


10時29分、福徳恵比寿天 医王寺の山門に到着した。


仁王像(吽像)
『筋骨隆々でとても力強く感じるよねっ』


医王寺境内に並べられた石仏群


「柴又七福神」 恵比寿天 医王寺
中興祖源珍僧都という御方が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、村人より一体の恵比寿天を戴かれ、
山中に安置し香華供物を供え二十一日間の御修行をすると、川底より砂金を掬い上げた。
後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、多くの世人に広めた。
当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。
葛飾区 葛飾区観光協会


弘法大師像


医王寺本堂にお参りし、


次の目的地、大黒天を祀る宝生院へ。


宝生院は、北総線の線路のちょうど反対側になる。
北総線の線路を潜って簡易地図を頼りに探すがなかなか見つけることが出来ない。
宝生院は、題教寺(柴又帝釈天)の墓地に隣接しているということが分かった。
題教寺(柴又帝釈天)の墓地の前を通り越すと・・・


10時48分、その隣に建つ宝生院に到着した。


宝生院の入口には大きな文字で
柴又七福神 大黒山 出世大黒天 宝生院
と書かれた看板が立てかけられていた。


「柴又七福神」大黒天 宝生院
米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。
当寺に安置する大黒天は、将軍家にも信仰が深く、大きな袋と打ち出の小槌で、
多くの人々を救済する「出世財福」の御利益で有名である。
※頭光のある火焔、光背を負った不動明王像が透彫してある「寺宝金銅幡残欠」は、
葛飾区文化財に指定されている。
葛飾区 葛飾区観光協会


宝生院本堂にお参りし、


次の目的地、福禄寿を祀ってある万福寺へ。


万福寺を目指す。
『この道を行けばいいのよねっ』


途中、近道と思しき斜めに走る径があったので、進んでみる・・・


細い径を抜けると、柴又七福神 福禄寿 万福寺の案内板があった。
『良かったわぁ この径で良かったんだねっ』


近径を抜けた先の細い道路を進むと・・・


11時6分、万福寺に到着した。


「柴又七福神」 福禄寿 万福寺
短身長頭で白い髭の福禄寿は、中国の神様で南極老人星の化身。
福は幸福、禄は高禄、寿は長寿の三徳を兼ねた神様。
当山安置の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家に伝えられた家宝仏であったものを奉納され、
以来当山に祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会


万福寺本堂にお参りを済ませ、次の目的地題教寺(柴又帝釈天)へ向かうことにした。


題教寺の南大門があり、ここから入ることも出来たが、正門から入ることにして南大門は素通りだ。


11時17分、経栄山題経寺(柴又帝釈天)の正門前に到着した。
『堂々とした構えだよね~っ』
『やっぱり ここから入らなくちゃねっ』


正門を潜って境内に入ると、大勢の人が参詣に訪れており、かなり賑わっていた。


「柴又七福神」 毘沙門天 題経寺
甲冑を着けた毘沙門天は、インドの神様で右手に宝棒(鉾)を持ち、左手に宝塔を捧げ、
足下に悪業煩悩の天邪鬼をふみつけている。
仏教の教えを守るとともに、招福・財福を授けてくれる神様である。
また、別称多聞天といい、四天王のひとりとして、北方守護神として祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会
(うっかりして、写真を撮り忘れてしまった)

題経寺本堂にお参りを済ませ、


本堂をバックに記念撮影だ。


記念撮影の後、楼門を潜って外に出ると・・・


目の前に柴又帝釈天の参道が続いていた。
真直ぐに進みたかったが、七福神巡りを終ってまた戻って来ることにしよう。


題教寺の西門前を通り、


鐘撞堂を見上げながら次の目的地真勝院を目指す。


11時32分、弁財天を祀っている真勝院に到着した。


「柴又七福神」 弁財天 真勝院
当寺の弁財天は、金光明経に表されてる八臂像の仏像で七福神中唯一の女神です。
インドの経典に出てくる、河川を神格化された水の神様で、五穀豊穣の神様。
さらに、河の流れを言葉に置きかえると詩・学問・芸能の神様でもある。
当山の弁財天の由来・年代等は不明であるが、弁天供養に使われる六器(仏具)が保存されていることから、
古くから近郷在住の人々により信仰されていたものとおもわれる。
葛飾区 葛飾区観光協会


門を潜ると五智如来石像が迎えてくれた。


密教では大日如来の知恵を五つに分け、これに五仏をあて五智如来といいます。
真言の行者は発心修行の結果、この五智を得ることができると言われています。
この五智如来石像は、造立碑から万次三年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門と、
相模伊勢原村の鳥居九良左右衛門等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を祈って
仏事を営むこと)のために建てられたものです。
向かって右から阿閦如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、
中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としています。
葛飾区教育委員会


真勝院本堂にお参り


『残りはあと一か所だよねっ』


真勝院を後にして宝袋尊を祀る最後の良寛寺へ。


京成金町線の線路沿いに進んで行くと、前方左手に良寛寺が見えてきた。


京成金町線の線路を渡り、


11時49分、宝袋尊を祀る良寛寺に到着した。


良寛寺の境内には、たくさんの水子地蔵が並べられていた。
『可愛らしいお地蔵さんだねぇ』


境内には永代供養合葬墓 やすらぎの碑や


ペットやすらぎの碑などが建てられている。
『ペットやすらぎの碑なんて珍しいわよねぇ』


「柴又七福神」 宝袋尊 良寛寺
当山の宝袋尊は、江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、
民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。
尊像を店に持ち帰りお祀りしたところ、商いは大いに繁盛した。
この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して当良寛寺に奉納せられるに至った。
葛飾区 葛飾区観光協会


良寛寺本堂にお参り


良寛寺には、でっかい”願掛け寶袋尊”の石像が。
寶袋さんの大きなお腹に両手を当てて、自分の達成したい願いを一心に念じて下さい。
御尊徳をいただき願い事を叶える新たな力を授かろうとする願掛け寶袋尊です、とある。
(以下略)


良寛寺の宝袋尊で柴又七福神巡りを全て終わったので、ゴールの柴又駅へと向かった。


柴又八幡神社の前を通り、


京成金町線の踏切を渡り、


12時7分、ゴールとなる京成柴又駅に到着した。


駅前の寅さん像の前で”寅さん”が観光客と一緒にカメラに収まっていた。


会長(TKさん)の挨拶で一先ずここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでした。 今年も元気で楽しく歩きましょうっ!!』


いつものメンバー(7~8名?)は、帝釈天の参道にあるうなぎ屋を目指すことにした。
帝釈天の参道へと続く商店街を通り、


帝釈天参道へ。


帝釈天の参道風景(1)


帝釈天の参道風景(2)


帝釈天の参道風景(3)


帝釈天の参道風景(4)


帝釈天の参道風景(5)


帝釈天の参道風景(6)
川千屋に入ることにした。
いつの間にか人数が増えてその数は13名となった。


先ずはビールで乾杯だ。
『かんぱ~いっ』  『お疲れさまでした~っ』
『いやぁ 久しぶりにビールが美味いっ!』


食事風景(1)


食事風景(2)
その後4名が加わり、全部で17名となった。
これほどの人数が一箇所に食事で集まったのは記憶がない。


この日注文したのはうな重の”梅”、税込みで3,200円とまあまあ値段は手ごろである。
17名全員がこのうな重”梅”を注文した。


食事風景(3)
柴又帝釈天前の参道で”うな重を食べる”という目標を達成することが出来て一安心といったところだ。
『脂の乗りはもう一つだけど、味はまあまあ良いんじゃないっ』という声も。


川千屋での食事も終わったので、柴又帝釈天の山門をもう一度見ておこう。


その時、”寅さん”とすれ違った。
柴又駅方向へ向かうところだった。


「とらや」で土産のだんごを買って、柴又駅へ。


柴又駅に着くと、”寅さん”が寅さん像の横に立ってにっこりと笑顔を振りまいていた。


柴又駅から京成金町行の電車に乗り、


京成金町駅からJR金町駅に向かい、常磐線で帰路に就いた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

令和初の「七福神巡り」となる「柴又七福神」巡りを無事終わることができた。
念願の”うな重”を食べることができて、一安心といった感じである。

この日からまた新しい年の例会が始まったことで、気を引き締めて臨みたいと思う。
昨年は”雨で中止”が6回もあり、いつになく雨が多い年だった。
今年も雨に降られないよう祈るばかりである。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

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