ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

好天に恵まれて 岩殿観音と展望の物見山

2019年02月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年2月16日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第34回(2019年第6回)、「岩殿観音と展望の物見山(東松山)」ウォーキングに参加した。

この日は、東武東上線の高坂駅まで電車を乗り継いで行くことになるので、
出来れば通勤時間帯の混雑は避けたい。
ということで、土曜日の実施となった次第。

荒川沖駅7時35分発の電車を待っているところ。


柏駅で常磐線各駅停車に乗り換え、


新松戸駅で武蔵野線に乗り換える。
実は、柏駅でうっかり乗り過ごした人がいて、松戸駅から新松戸駅に引き返して来るのを
待っているところなのである。


北朝霞駅で武蔵野線を降り、東上線の朝霞台駅へ。


10時2分、東上線高坂駅に到着。
FJさん夫妻が合流して、この日の参加者は17名となった。


10時15分、高坂駅を出発!
岩殿観音を目指す。


後に続く皆さん。
快晴のなか歩き出したのは良いのだが、高坂駅から数百m進んだ所で、突然後方から
『この方向は逆なんじゃないっ?』の声が。
地図を確認すると、西へ進むべきところを東へ進んでいることに気が付いた。


慌てて高坂駅まで戻り、今度はしっかりと西口へ。


『直ぐに気が付いて良かったわよね~っ』


高坂駅西口正面の道を進む。


歩道に像(パラスのトルソ)が・・・


彫刻家高田博厚の32作品が通り沿いに陳列されている、という。
別名”彫刻通り”と呼ばれている、そうだ。


マハトマ・ガンヂー


礼拝


”高田博厚彫刻群”とある。


10時36分、関越道を跨ぐ。


関越道を過ぎて少し進むと・・・


”足利基氏の館跡”の標識が。
鎌倉時代に足利尊氏の二男基氏によって築かれた館と云われる。
貞治二年(1363)、足利基氏は反乱を起こした下野の芳賀伊賀守高貞を岩殿山の合戦で撃ち敗ったが、
このとき布陣したのがこの地と推定されている。
標識を右に見ながら、さらに進む。


標識の少し先、物見山登山口バス停でまた道を間違えていることに気が付いた。
岩殿観音に行くには、足利基氏の館跡の標識を右に曲がらなければいけなかったのだ。


足利基氏の館跡の標識まで戻り、


大東文化大の運動部の旧い宿舎辺りを進む。
『バスケット部宿舎って書いてあるねっ』


『身体が熱くなって来たなぁ』
『ちょっと一休みするかっ』


旧い宿舎を過ぎた辺りに広場があったので、ここで一休みだ。
この日は昨日に比べてかなり気温が高くなり、汗ばむほどである。


上着を脱いで身軽な格好で再出発だ!


左手に物見山公園の歴史資料館展望塔らしき建物が見える。
手前の茶色い建物は大東文化大学のキャンパスと思われる。
『あそこの塔まで行くんだよねっ』


道の反対側には、高坂CCのネットが張られている。
『たまにネットをオーバーする人もいるんだよ』
KKさんは過去にゴルフボールの直撃を受けたことがあるそうだ。


弁天沼(鳴かずの池)があった。
昔、坂上田村麻呂が岩殿山に棲む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼が出来たと云われ、
蛙が棲みつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。
(東松山市観光協会)


弁天様にお参りして行くことにした。
沼に架かる赤い橋(弁天橋?)を渡り、


弁天様にお参り。


お堂の中の弁天様
『ちょっとイメージと違ったわねっ』
『口に紅なんか付けて、美人な感じだよねっ?』


弁天堂前のベンチに腰を下ろす女性陣。


弁天沼を後にして、岩殿観音へ。
弁天沼の近くに榎の大木があった。
太さは3mほどあり、東松山市の名木の一本、とのこと。


市道を横断すると、


岩殿観音参道絵図があった。
絵図の文字は色あせて読みづらかったが、以下のように紹介されている。
この総門橋から始まる岩殿観音の参道は、約50戸が門前町を形成し、
家々には屋号が付けられておりました。
本図は江戸末期に使われ、現在に受け継がれたものを中心として記載しました。
なお、家の向き・並びは明治時代のものを分かる範囲で表現しております。
平成二十五年八月 高坂地区ハートピアまちづくり協議会


総門橋を渡ると、門前町が始まる。


左側に「棟梁」の屋号が。


右側には、「鍛冶屋」の屋号。


参道を進む。
『全部の家に屋号が付けられてるんだねぇ』


「畳屋」
”ご自由にお持ち下さい”とある。
『畳のへりじゃね~っ』


参道を進む。


「秩父屋」
『旅籠のような屋号だよねっ』


「目薬屋」
『目薬屋って珍しいんじゃないっ』


「正在院」
『岩殿観音以外にも寺があるんだねっ』


「熊野神社」
『寺も神社もあって昔は賑やかな参道だったんだろうね~っ』


「般若坊」
『宿坊だったのかなぁ』


目の前に岩殿観音の石段が見えて来た。


庭先の蝋梅が満開である。
『蝋梅はほんとに良い香りがするのよねっ』


「丁子屋」
『この建物はかなり古そうだけど現役なのかなっ』
『今でも使われてるみたいよっ』


岩殿観音の石段を上る。


11時39分、仁王門に到着


仁王尊金剛力士像「阿像」は運慶作と伝わる。
力強く迫力満点である。


仁王門を潜ると急な石段が続く。
『かなりの段数がありそうだねっ』


『いやぁ けっこうきついよねっ』


11時42分、岩殿観音に到着した。
板東十番霊場 岩殿山正法寺とある。
岩殿観音には、”坂東33観音霊場巡り”で2009年8月3日(月)にお参りしている。
10年ぶりということになる。


左側には、弘法大師像が。
「南無大師遍昭金剛」


観音堂は弘法大師像の向かい側だ。
岩殿観音は、真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院という。
源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹であり、養老二年(718)開創、
天正二年(1574)僧栄俊が中興開山となっている。


観音堂にお参りを済ませた。


本尊は鎌倉初期の千手観音像である。


本堂横の大銀杏は、樹齢700年以上と云われる巨木だ。
天然記念物に指定されている。
『樹齢700年以上とは、凄いよね~っ』


物見山へ。


道路下のトンネルを抜けると・・・


県道212号に出た。
標識に従って物見山へ。


物見山への登り口に「日の出屋」というお食事処があった。
FJさん夫妻は弁当を持参していないと言うので、ここで食事をしてもらうことにした。
食事が済んだら物見山で合流することにして、


物見山へ。


さらに階段を上って行くと、


12時1分、物見山に到着した。


物見山全景
ツツジの名所として知られ、見晴らしが良いことからこの名前が付いたようだ。


物見山からの眺望
ここで弁当タイムにすることに。


食事風景(1)
『晴れて暖かくなってほんと良かったぁ』


食事風景(2)


食事風景(3)
『いやぁ 絶景を眺めながらの弁当は良いもんだねぇ』


12時35分、食事が終わって物見山を下り、埼玉県平和資料館へ向かう。


「日の出屋」で、FJさん夫妻と合流し、


平和資料館を目指した。


物見公園橋を渡ると、
前方に平和資料館の展望塔が見えた。


平和資料館へ。


12時47分、物見山公園入口に到着


駐車場を通り抜けて平和資料館へ。


12時51分、平和資料館(埼玉ピースミュージアム)に到着した。


平和資料館
戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるため平成5年に開館した、そうだ。
入館料は無料である。


順路を進み、歩く歩道のタイムトンネルを抜けると・・・


正面に戦前当時の茶の間が。
平和な家庭の様子である。


展示室(1)


展示室(2)
戦争体験の風化を防ぐために、戦争に関する資料が展示されている。


展示室(3)
太平洋戦争当時の子供たちの様子。


原子爆弾投下


広島の被爆範囲地図


長崎の被爆範囲地図


地下防空壕の復元模型
『昔を想いだすよね~っ』
防空壕に避難すると、音と光と振動で空襲の疑似体験が出来る。


展示室を出て展望塔へ。


高さ40mの展望塔に到着
ガラス張りの展望室からは関東平野が一望できる。


展望塔からの眺望(1)


展望塔からの眺望(2)


展望塔からの眺望(3)


13時19分、平和資料館を後にする。
近道を通るため、林の中を進む。


『どっこいしょっと』
来るときに、KDさんがここから公園へ入って行ったが、かなり近道になったそうだ。
利用しない手はない。


物見公園橋を渡り、


大東文化大のある通り(県道212号)へ。


県道212号を進む。


県道212号を進む。


大東文化大の正門前を通過
『いやぁ 凄く立派な建物だね~っ』


『ずっと下りだから楽よねっ』


こども動物自然公園前を通過。


こども動物自然公園角の交差点を右折し、


直ぐに左折して、次の目的地松風公園を目指す。


住宅街を進む。


しばらく住宅街を進み、白山中学校西交差点を右折すると、


13時56分、松風公園に到着した。


松風公園の一番小高い場所に移動し、


一休み


松風公園内の遊歩道を進み、


遊歩道から林の中を下ると、


地獄坊池に出た。


池には水鳥がいた。


松風公園から市道に出て、


県道212号の西本宿交差点方面を目指して進む。


地蔵橋を渡り、


西本宿交差点の一つ手前の交差点を右折して、高坂駅方面へ。
戻りは別の道が良いだろう。


関越自動車道を跨ぎ、


高坂駅方面へ。


高坂駅を目指す。


途中で左折して彫刻通りへ出ると、


高田博厚の彫刻(海)が。


高坂駅へ。


高坂彫刻プロムナード
高田博厚の32作品の品名と展示場所が分かるようになっている。


最後に彫刻(水浴)を見て、


階段を上り、


14時43分、高坂駅に到着した。
物見山を出発して、約2時間余である。


タイミング良く、横浜元町・中華街行き急行電車があった。


朝霞台駅でJR武蔵野線に乗り換え、


北朝霞でJR武蔵野線、新松戸で常磐線各駅停車に乗り換え、無事帰着した。


荒川沖駅前の庄屋に立寄ることにした。
『電車内はずっと我慢してたからねぇ』
『喉が渇いちゃって仕方がないよっ』


いつものメンバーである。


酒の肴は、全員揃って「お疲れさまセット」(刺身・煮込み・揚げの3品で1,000円)を注文した。


『いやぁ 今日のいっぱいは美味いね~っ』


生ビールの後は、それぞれ好みの銘柄を注文した。
「土佐鶴」「立山」「澤乃井」「浦霞」
見事に好みの銘柄が分かれた形となった。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

今回は、”岩殿観音と展望の物見山”と称して、埼玉県東松山市の高坂駅から岩殿観音と
隣接する物見山を歩いた。
すこぶる好天に恵まれ、気持ちの良い汗をかいた、という感じである。
弁当持参だったので、天気の良いのが何よりだった。
この時期は外での弁当には場所も含めて気を遣うが、そんな心配は全く無用だった。

帰りにいつものメンバーと駅前で軽く一杯やったが、何時になく美味かった。
これからも時々は立寄ることにしたいものである。

この日の万歩計は、19,000歩を計測していた。

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