ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉)No.9「将門伝説を探るみち」

2014年10月12日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年10月12日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第2回目は、コースNo.9「将門伝説を探るみち」(約14.3Km)を歩くことにした。

上野から高崎線に乗る。
この日の参加者は9名だ。
「関東ふれあいの道」で高崎線を利用するのは初めてである。
予定ではこれからも何度か利用することになる。


高崎線車内
『今日もよろしく~っ』


熊谷駅で秩父鉄道に乗り換えたが、何と満員状態である。
近くの人の話から、今日は龍勢祭(りゅうせいまつり)が行われる日らしい。
帰宅してWebで確認すると、毎年10月の第二日曜日に実施される、とのこと。
27の流派があり、毎年30数本の龍勢(火薬を仕掛けた龍)を轟音とともに天高く打ち上げるもの、だそうだ。


8時57分、皆野駅に到着。


駅中で体調を整えて改札口を出ると、駅前のタクシー会社からちょうど1台のタクシーが出て行くところだった。
9名なので3台必要だが、戻ってくるまで待たなければならない、とのこと。
向かいにも別のタクシー会社があるとのこと。


向かいのタクシー会社も出払って車庫は空っぽだ。
とりあえず窓口へ行ってみると、1台は用意できるとのこと。
女性が多ければ、5名は乗ることができると。
取りあえず、女性4名と男性1名は先にスタート地点の西門平バス停へ向かってもらった。


残った4名は、戻ってくるタクシーを待つしかない。
30分ほどで、戻ってきたタクシーで西門平バス停へ向かった。


9時46分、西門平に到着し、既に到着していた5名と合流。
「関東ふれあいの道」の案内板を確認。


道標で城峯山(3.7Km)・登仙橋(14.3Km)方面を確認して、


9時47分、直ぐに出発だ!


歩き始めて直ぐ、「門平の虫おくり」の説明板に見入る。
8月17日の送り盆に行われる精霊送りを、「虫おくり」と呼んでいる、そうだ。
精霊とは悪霊と考えられ、無縁仏とも理解されているようだと。
悪霊の祟りがないよう、農作物の病中害、疫病、厄や天災地変までも虫として送り出す、のだそうだ。


「関東ふれあいの道」の道標に従って、鐘掛城・城峯山方面を目指す。
コース案内によると、標高500mの西門平バス停から標高1,037mの城峯山頂まで
その差500mを上ることになっている。
最初からかなり急な坂道だ。


『いきなりこの坂道はきついよねぇ』


舗装された道はそれほど長くはなく、道標は草が生い茂った山道へと案内されていた。


朽ちかけた木の梯子が架けられていた。
『え~っ ここを渡るのぉ』


恐る恐るだが、梯子を渡るしかない。


ここでも「関東ふれあいの道」を歩く人は少ないのだろう、草ぼうぼうで道もよく分からない。
道標だけが頼りである。


草ぼうぼうを過ぎると、杉林が始まった。
ストロボを使わないと暗くて人の顔も見え難い。


しばらく杉木立の坂道を進んでいると、次第に首筋に汗が滲んできた。
歩き始めて約30分経過、薄暗い林の中で一休み。


さらに5分ほど上ると、舗装された道路に出た。
『もうちょっと頑張って歩いとけば良かったんだね』


舗装された道路だったが、道標は直ぐに山道を上るよう差し示していた。


今度は最初から杉の林である。


かなり急な坂道が続く。
『けっこうきついよねっ』
『ゆっくりで良いよっ』


道は、時には少し緩やかになったりしながら続く。


両手を使わなければ登れないような場所もある。


標高が高くなるにつれ、ガスが出てきた。
ストロボを使った状態では、光が反射する。
城峯山への直登にするか、巻き道へ進むかで迷ったが、ここは直登に挑戦することに。


11時3分、巻き道の地点から数分で鐘掛城山頂(1,003m)へ到着。


鐘掛城は、戦国時代の秩父地域の山城の一つで、説明板には以下のように案内されている。
神流川の北方、西上州に支配権を確立した武田軍は、永禄十二年(1569)頃から数回にわたり、
上武国境(土坂峠・大田部峠等)を越え、秩父地域への侵略を行った。
ここ鐘掛城をはじめ、城峯山の物見や周辺の山城(金鑽御嶽城・虎ヶ岡城・金尾要害山城・天神山城・高松城)
等が最も活躍した時代であった。
しかし、これらの山城は、前田・上杉の連合軍によって鉢形城が落城し、その後の豊臣秀吉の天下統一で
その存在意義を失い廃城となった。


弁当には少し早いため、城峯山を目指すことにした。
『城峯山に着いたら弁当にしようっ』


ここからは一転急な下りになる。


『ひぇ~っ この坂道は怖い~っ』


しばらく下って行くと・・・


11時24分、石間峠の休憩所に出た。
我々の弁当にはちょうど良い広さの東屋である。
『コースはまた戻るようになってるから、城峯神社で証明写真を撮ってから、ここで弁当にしようっ』


ということで、撮影ポイントの城峯神社へ向かった。


突然視界が開けた。
『いやぁ 素晴らしい眺めだなぁ 天気さえ良ければ』


平将門と城峯山
平将門が城峯山や秩父地方に足跡を印した事実はないと云われているが、ここ城峯山をはじめ秩父地方には
数々の「将門伝説」が語り継がれている、とのこと。
これは、坂東平氏(千葉氏・秩父氏・相馬氏・豊島氏・葛西氏・畠山氏・河越氏・江戸氏等)の地盤に
この種の伝説が多く見られることと深い関係があるようだ。(以下略)


石間峠から7分で、城峯神社の入口に到着。


城峯神社入口から少し進むと、キャンプ場があった。


キャンプ場を進むと、


11時44分、城峯神社の鳥居に到着した。


証明写真の前にお参りを済ませよう。


『ちょっと変わった狛犬だわねぇ』
目が金色に輝いているし、鋭い爪もある。
『これ犬かしら? それとも狐?』


『ちょうどお昼になったし、ここで弁当にしないっ?』
と言う声が上がり、急遽神社の境内(キャンプ場横)で弁当に。


上手い具合にベンチが空いていた。
城峯神社の境内では数人の観光客を見ただけで、我々以外誰もいない。
空いていたというのは正しくないか。


12時28分、弁当も終わり、直ぐに城峯山山頂へ向けて出発!
1,000m近い場所のためか、空気が冷たい。
手がかじかむほどで、身体を動かさないと寒い。


城峯山頂を目指す。


城峯山頂への途中、大和武尊(やまとたける)を祭った城峯神社中宮があった。


栗の大木があちこちに見られる雑木林を進む。


急な坂道もある。


道標に従って進むと、


突然、前方にパラボラアンテナの鉄塔が現れた。


12時45分、城峯山山頂(1,037m)に到着した。


鉄塔に上ってみよう。


雲取山・白岩山方面


『凄いっ 360度見渡すことができるんだねっ』


『晴れてたら最高の眺めだったのにね~っ』
予報では一時晴れマークもあったのに、本当に残念である。


パラボラアンテナ塔を後にして、城峯山を下る。


急な坂道のあと、少し緩やかに。
パラボラアンテナ塔から下ることおよそ10分ほど、


石間峠に到着した。


ここからは、下りだけである。


しばらく舗装された道を進む。


ちょっと目に付き難い道標に従って、3.5Km先の宇那室バス停を目指す。
この道標、もう少しで見落とすところだった。


舗装道路からの入り口付近は、ほとんど人が歩いた形跡が感じられなかった。
『関東ふれあいの道にしてはちょっと寂しいねぇ』
同感である。


薄暗い杉林の中、つづら折りの道を進む。


小さな沢があった。
沢を渡ったところの道標に”跨ぎ仕舞い”と記されていた。
これが上りの”最後の沢”という意味で名付けたものと思われる。
ということは、これから先、いくつかの沢を渡ることになるのだ。


”跨ぎ仕舞い”で給水のため、軽い休みを摂り、


出発して直ぐに、最初の沢跨ぎだ。


右手に沢の音を聴きながら下る。


これでいくつ目の沢を跨ぎだろう。


杉の木が倒れたままになっている。
取り除いたりする財政的な余裕もないのだろうか。
まあ、この方が自然ではあるので、気にするほどでもないか・・・


下りの山道は


右に左に折れ曲がって続いている。


途中、巨大な岩もあったりする。
『いやぁ これはでかいなぁ』


『どっこらしょっと』


下り最後の沢を渡ると・・・


舗装された道路に出た。
どうやら石間峠に続く道路と思われる。


将門伝説
平将門は桓武平氏出身で下総の国に勢力を広げ、天慶二年(939)、常陸国府を襲撃して反乱を起したが、
天慶三年には、藤原秀郷等の追討軍に敗れ、その首級は京都に送られた。
将門伝説には以下のものがある。
1.首塚伝説
京都に晒された首が「笑った」とか、坂東の地へ「飛び帰った」とかいうもので、
全国各地に首塚が造られ祀られている。(皆野町円福寺、東京大手町等)
2.桔梗の花が咲かない伝説
将門の内室(妻)桔梗の前が秀郷と内通して将門を滅ぼしたため、
その怨霊が花を咲かせないというもの。
(以下略)


宇那室バス停を目指していると、


道路の真ん中に小さなカニがいた。動きが鈍い。
甲羅の大きさは7mmほどで沢ガニの子のようだ。
そっと道路の端に寄せてやった。


間もなく宇那室バス停だ。


14時24分、宇那室バス停に到着。


ここで、一休み。
『お茶が美味しいわっ』


バスの時間を確認すると、鬼石行き便は15:20となっている。
この日のゴール登仙橋バス停まではまだ5Km以上あるが、
今までのペースではあと1時間半近くかかることが予想される。
歩いている最中にバスに追い越されてしまう可能性がある、ということだ。


ゴールまで歩きたいのは山々だが、乗り遅れると次のバスは、17:53発しかない。
当然日も暮れて真暗になる。
相談の結果、ここで鬼石行きバス(神川町営)を待つことにした。


少し時間が出来たので、休憩舎で身体をほぐしてゆっくり寛ぐ。


15時20分、時刻表どおり神川町営バスがやって来た。
お客は我々だけだった。
『貸切だねっ』


15時34分、神泉支所前に到着。


ここで、本庄駅南口行き(朝日バス)に乗り換える。


朝日バスもしばらくは貸切状態だった。
この辺りのハイキングコースを歩く人は少ないのだとあらためて思った。


うとうとしているうちに、15時36分、本庄駅に到着した。
この後、15時42分発の高崎線アーバン号で帰途についた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「関東ふれあいの道」(埼玉県)第二回目は、コースNo.9(将門伝説を探るみち)を歩いた。
第一回目のコースNo.3(伊豆ヶ岳を越えるみち)と同じく”健脚向きコース”だったので、
ある程度覚悟していたが、前回のように足がつるようなことはなく、最後まで歩くことが出来て一安心している。
この先も長い距離や、険しいコースがあり、思わぬ状況に陥ったりするかもしれないが、
何とか最後まで皆さんと一緒に歩き通したいと願っている。


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見どころは多い 大洗海岸暮鳥松風コース

2014年10月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年10月10日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第20回(2014年第30回)、「大洗海岸暮鳥松風コース」ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
大洗町のヘルスロード「大洗海岸暮鳥松風コース」のスタート・ゴールを、大洗公園駐車場に変更して、
「大洗海岸暮鳥松風コース」をほぼそのまま歩く、全長約7Kmのコースである。
昨年5月24日に初めて企画したが、自分はこのときは都合が悪く参加できなかった。
参加した人の多くから『良いところだった』の感想を受け、2年続けての企画とさせてもらった。


第一集合場所の土浦市民会館に集まったのは、13名。
この日も会長は都合が悪く参加できないが、人数的にはちょっと物足りない感じだ。


高速を利用して第二集合場所の大洗水族館近くの駐車場に着くと、既に直行した4名が待っていた。
結局この日の参加者は17名となった。


体調を整えて、いつもの準備体操!


9時53分、昨年も参加しているOさんを先頭に出発!


しばらくは海岸線を見下ろしながら駐車場に沿って進む。
『何か浮かんでいるみたいだけど何かしらねっ?』


サーファーである。
青い海に黒いウェットスーツは、遠目にはアザラシかオットセイに見えてもおかしくない。


岩礁の回りが太陽に反射し、キラキラ輝いて美しい。


『海岸線を歩いてみたいわねっ』


海岸へ下りる階段はいくつかあったが、全て縄が張られて閉ざされていたが、
たまたま駐車場の端っこだけが海岸に下りられるようになっていた。


砂浜を下る。
『靴の中に砂が入りそうっ』


『ちょっと歩き難いけど軟らかくて気持ちが良い~っ』


たまに砂浜を歩くのも悪くない。


那珂湊・平磯方面を望む。


前方にサカテカス・ホラ・メキシコ(旧オラメヒコ)が見えてきた。


『この辺りを上がるとちょうど良いところに出るんじゃねっ』


サカテカス・ホラ・メキシコで砂浜から上がると、ちょうど暮鳥松風コースへの道に出た。


右側は、「県立児童センターこどもの城」で、松林の中にたくさんのアスレチック施設が。


松林を少し進むと、山村暮鳥の碑の案内板があった。


山村暮鳥の碑には晩年の詩集「雲」が刻まれている。
雲もまた自分のやうだ 自分のやうに すっかり途方にくれているのだ
あまりにあまりにひろすぎる 涯のない蒼空なので
おう老子よ こんなときだ にこにことして ひょっこりでてきませんか



暮鳥の碑の説明に見入る。
暮鳥は明治十七年群馬県に生まれ、名を小暮八九十という。
様々な職業に就き、軍隊生活も送ったが、明治三十九年より文学を志し、中央文壇で活躍。
雅号も小暮馬村または流星といったが、後に山村暮鳥と改めた。
安住の地を求め、海に憧れ大正八年に大洗へ転住。
大洗を愛し、晩年を大洗で過ごしたが、大正十三年42歳でこの地で文学活動の幕を閉じた。
碑詩は萩原朔太郎が選び、書は小川芋銭によって揮毫された、とのこと。
『群馬県生まれの詩人なんだぁ』


暮鳥の碑を後にしてコースを進む。
源烈公(徳川斉昭)ゆかりの”子の日ヶ原の碑”
徳川斉昭公は、ここから見える風景をこよなく愛したと云われている。
詠は斉昭公によるもの、だそうだが何と書いてあるのか読めない。


大洗ビーチテニスクラブ近くを進んでいると、


洒落た構えの茶房「燦燦(さんさん)」が目に入った。
”くずきり”のメニューが見えると云うことは甘味処のようだ。
いかにも純和風といった落ち着いた雰囲気が漂ってくる。
一度かみさんを連れて暖簾をくぐってみたい。


護国寺へ立寄っていこう。


三重塔
昭和54年(1979)の建築で、鉄筋コンクリート造。
1層には裳階(もこし)が有り、一見4層にも見える。


護国寺本堂にこの日の無事安全を祈願して、


「幕末と明治の博物館」前を通過。
昨年は、ヘルスロードで紹介されたとおりに、ここの駐車場をスタート・ゴール場所としたが、
博物館への入館を巡って博物館側と揉めたそうだ。
そのため今回は駐車場を大洗海岸駐車場に変更した経緯がある。


東光台前の信号を渡り、県道2号線を進む。


『朝方忙しくて弁当を作る時間がなかったのよね~っ』と言う3名が、コンビニへ。
こういう時、残り全員で待つというのが、当会らしいところであろうか。
『先に行ってるからねっ』とはならないのである。


県道2号線にはいろいろな店が並んでいる。
ひもの屋「マルハン水産」、


和酒舗「おそのえ」
茨城県の地酒を始め、各地の清酒と本格焼酎、和いん、和リキュールを取り扱っているそうだ。


ファミレス「Coco's」の先の角を右に折れて、


コース案内板に従って道なりに進む。


眞端の橋跡碑
碑には、以下のように記されていた。
往古八幡太郎源義家が征奥の際、大軍を率いてこの地眞端の橋を通過したと言い伝えられている。
このたび水路は整備され、橋は廃された。
永く里人の心に生きてきた伝承史跡の絶ゆるを惜しみ、ここに旧橋名を刻し、後世に伝えるものである。
平成元年十一月吉日建立 史跡真端の橋碑建立実行委員会


大洗町営公園墓地前を通過
『随分大きな墓地だねぇ』


公園墓地の入口正面に建つ西福寺円心坊(さいふくじえんしんぼう
地元では単に円心坊と呼ばれている。
円心坊の入口には地蔵菩薩が立っている。


倉庫のような建物から何やら良い匂いが漂ってきた。
干し芋の製造工場と思われる。匂いを嗅いだら急にお腹が空いてきた。
『工場を見学したら試食させて貰えるかもねっ』
しかし、人影は全く見えなかった。
(歩いている人は工場とは関係がない)


田んぼに囲まれた田舎道を進む。
自分としては、このような田舎道はたまらなく好きである。


のどかな田園風景の中を進む。


『これって脱穀機? 随分でっかいなぁ』
脱穀機の前には脱穀された籾殻が山のようになっていた。


案内板に従って進んで行くと、


11時7分、岩船山願入寺の山門前に出た。


山門を入って直ぐ右手に小さな堂がある。
万助堂と呼ばれている。


万助は小田原の藩士だったが、仲間を殺してこの辺りに逃げてきて真面目に暮らしていた。
仇討が来たときに刀を持たずに戦って切られてしまった、そうだ。
おもちゃの刀を奉納するといろんな願い事を叶えてくれると云われている、とのこと。


願入寺本堂
創建は、約700年前の鎌倉時代。親鸞上人の孫である如信上人が開いた名刹。
延宝三年(1675)には徳川光圀によって本堂および七堂伽藍が寄進された。
親鸞上人や光圀公ゆかりの宝物を多く所蔵し公開している、とのことだが、
地震で壊れ修理中であった。


願入寺の釣鐘


『いやぁ これはでかいわ』
東洋一の梵鐘と云われている、とのこと。
安らぎの鐘と呼ばれ、鐘を撞く(1回200円)と心が和むと云われているそうだが、現在は撞けなくなっている。
残念ながら鐘の音を聞くことは出来なかった。


次の目的地、水戸八景「巌船の夕照の碑」へ向かう。


願入寺から5分ほどで、水戸八景「巌船の夕照の碑」入口があった。
坂道を下って行くと・・・


「巌船の夕照の碑」に到着した。
眼下に涸沼川の雄大な流れ、後景に筑波・加波の両連峰をいただく夕映えは筆舌に尽くしがたい、とのことだが、
『木が邪魔をして見えずらいね』


「巌船の夕照の碑」は徳川斉昭公の自筆、とのこと。


1.5mほど高い「巌船の夕照の碑」から観てみると、
『ちょっとだけましだね』


手前に涸沼川、後方に那珂川の流れが見える。
しかし、両方が合流しているところは雑木が邪魔をして見えない。


那珂湊市街地方面が木々の隙間から見える。
(せっかくの水戸八景なので、邪魔な木は伐採するべきだと思うが・・・)


来た道を引き返し、海門橋へ向かう。
前方に見えるのは、「かんぽの宿大洗」


那珂川へ下りる階段の手前に”まむしに注意”の看板が。
『まむしが出るんだぁ』


眼下に那珂川が見える。


那珂川の川岸に出た。


朱色の海門橋が青い空に映える。


海門橋をバックに記念撮影


弁当に相応しい場所を求めて那珂川岸へ


海門橋を潜って、


海を目指す。


那珂川には、胸の辺りまで水に浸かって釣りを楽しむ人の姿も。
『いやぁ あそこまで水に浸かるとはなかなか見上げた根性だねっ』


運良くベンチが空いていたので、ここで弁当タイムにしよう。


青い空の下で弁当を食べる楽しいひと時である。


夫婦仲良く弁当は、微笑ましい。


弁当も終わり、ゴールの大洗海岸駐車場を目指す。
右手に「アクアワールド大洗水族館」の建物が見える。


近くで見ると那珂川の川岸はゴミがいっぱいだ。
『ボランティア募集すれば、直ぐに片付くのになぁ』
(本当?)


『大洗らしい景色だねぇ』


見晴台から大洗海岸を望む。
川沿いの堤防を波が音を立てて打付ける。
一番大洗らしい景色ではなかろうか。


水族館の横を通り


大洗海岸駐車場へ向かう。
揃ってVサインだ。


間もなくゴールである。


12時49分、ゴールの大洗海岸駐車場に到着。
『帰りに那珂湊魚市場へ寄って行きたいわぁ』
『お安い御用でっ!』


てんで、整理体操を済ませ、車で10分とかからない那珂湊漁市場へ。


那珂湊漁市場は、いつ来ても活気がある。


平日にも関わらず、大勢の観光客で賑わっていた。


新鮮な魚が所せましと並べられている。


生岩カキ(1個300円、2個500円)が美味かった。


まるまると太った鰤(ぶり)は、二人では食べきれないので、


今晩のおかずに、サンマ(7匹500円)と


カサゴ(4匹1,000円)を買い、魚市場を後にした。
『今日も大変お疲れさまでしたぁ』


自身としては、初めてのコースだったが、見所も多く楽しめた。
Oさんが『なかなか良いところだったよっ』と仰っていたことを、歩いてみて実感した。
那珂湊魚市場で買ったサンマ・カサゴが、早速晩飯の食卓に並んだ。
かみさんの評価も上々だったことを付け加えておきたい。


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通行止めのハプニングも 龍王峡ハイキング

2014年10月03日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年10月3日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第19回(2014年第29回)、「龍王峡」ハイキングに参加した。


この日のコース地図
会津鬼怒川線川治湯元駅をスタートし、鬼怒川に沿って下り、龍王峡の渓谷を端子見ながら、
龍王峡駅をゴールとする、全長約8Kmのコースである。
5年前、常南トラベル社のバスハイクで一度歩いているので、自身2度目となる。


5時45分ぴったり、三中公民館に常南交通のバスがやってきた。
昨夜の雨しずくを拭き取っている運転手さん。
”おもてなし”に余念がない。


バスは、天川団地入口・市民会館へと回り、この日の参加者25名を乗せて、常磐道へ。
この日は会長が私用で参加できなくなり、自分が代わりを務めることに。


いつものおにぎり弁当で腹ごしらえ。


6時41分、友部SAで最初の休憩を摂り、


7時32分、北関東道壬生ハイウェイパークで2度目の休憩。
ここで昼食の弁当が積み込まれた。


北関東道から東北道へ


日光道今市ICで高速を降り、鬼怒川方面へ向かう。


車窓から鬼怒川温泉のホテルを見ながら、龍王峡へ。


スタート地点の川治湯元駅にトイレがあるかどうか不明なため、
龍王峡駅前の市営駐車場で最後の休憩。
時計は8時49分を差していた。
かなり早いため、駐車場はガラガラだ。


龍王峡駐車場のモニュメント
何を形取っているのかは未確認である。


川治温泉街を抜け、スタート地点の川治湯元駅へ向かう。


9時13分、川治湯元駅少し手前でバスを降りる。
ここから先はバスがUターン出来ないから、だそうだ。


弁当をリュックに詰め、川治湯元駅へ向かう。


9時18分、川治湯元駅へ到着。


川治湯元駅の名誉駅長「かわじい」が笑顔で迎えてくれた。


準備体操を済ませ、9時26分、Oさんを先頭に出発!


駅前のもみじは僅かながら紅葉し始めていた。
『まだ少し早いわねっ』


地図通りに進んでいる、と思っていたが・・・
数百mほど進んだところで、『どうも道が違う』ことに気が付いた。
変電所への道がなく、行き止まりになってしまったのだ。


駅まで戻り、さらに戻ると、黄金橋・あじさい公園方面が案内された看板を見つけた。
『これじゃぁちょっと気が付かないよなぁ』


9時37分、あらためて、黄金橋・あじさい公園を目指す。
約10分のタイムロスである。


会津鬼怒川線の鉄橋下を潜って左に大きく曲り、


野岩鉄道の川治変電所前を通過。


変電所の先で再び会津鬼怒川線の鉄橋を潜る。
『吾妻渓谷の時を思い出すねぇ』


『今日は下りばっかりらしいから参加したのよねっ』


黄金橋を渡ろうとしたところ、


「白岩半島で落石のため、通行止め」の案内が目に入った。
「龍王峡方面には行けません」とある。
『え~っそんなぁ 知らなかったなぁ』


相談の結果、『兎に角行けるところまで行こうっ』ということになり、黄金橋を渡る。


左手に川治温泉の老舗旅館「柏屋」が見える。


右手には会津鬼怒川線の鉄橋が。


ちょうどその時電車が通りかかった。


あじさい公園を進む。


『けっこう広い公園だよねっ』


左手は小網湖(ダム湖)だ。


龍王峡を目指す。


会津鬼怒川線の鉄橋、これで何度目だろう?


木道の林道を進む。


杉林の中を進んだ先に、


10時23分、小網ダムに到着した。


小網ダムの上流部は水を満々と湛えていた。


『いやぁ 今日は思った以上に暑いねっ けっこう汗をかいたよ』
予報では、関東北部の最高気温は29℃ほどになるらしい。


途中、サフランや


コスモスが彩りを添えてくれる。


『きれいだねっ』


龍王峡遊歩道を進むと、トンネルがあった。
逆川第一トンネルである。
この先トンネルは3つ続くことになる。


第一トンネルと第二トンネルの間から龍王峡が垣間見えた。


第二トンネルを通り抜けたところに、


龍王峡遊歩道の「渓流散策コース」があった。
『足場の悪いところがあったり、沢を渡ったりするようだよっ』
トンネルを進むことにした。


最後のトンネルを抜けると、正面は通行止めになっており、


道は左に鋭角に曲っている。


少し下ると、浜子橋(吊り橋)があった。
足元にはベニア板が敷かれていたが、ボロボロで隙間から川面が見える。
『気持ち悪いし、怖いねっ』


ベニア板の下はアルミ格子になっており、安全性には問題ないが、
皆さん足元が気になるのか渓谷のこの景色はあまり目に入らなかったようだ。


素晴らしい景色である。


浜子橋を渡り終えて少し急な坂道を上ると、旧国道121号へ出た。


龍王峡方面への入口には、通行止めの案内は何もなかったので、そのまま進むことにした。
『最後まで行けるんじゃないっ』と言う声も。
是非そうあって欲しい。
右下に発電所の建物が見える。


『通行止めの看板がないってことは通れるってことなんだよっ』
などど話しながら急坂を下って行くと・・・


ついに通行止めの案内が現れた。
しかもご丁寧に通せんぼまでしてある。
『さっきの所に案内しててくれれば良かったのにねっ』


う回路の案内もあった。
仕方がない、ここを強硬突破するのは止めておこう。


と云うことで、旧国道まで引き返すことにした。


『これも良い想い出になるねっ』


現在車は通れなくなっている旧国道を進むと、


新しく出来た、「三ツ岩トンネル」に出た。


三ツ岩橋から龍王峡を取り囲む山々を望む。
今は緑に包まれているが、この辺りも紅葉するのだろうか?


歩道が狭い(と云うより歩道はない)龍王隧道を抜けて、


右に進むと、龍王峡遊歩道の案内があった。
ここを下ると白岩半島の遊歩道を迂回することになる。


龍王峡遊歩道の坂道を下る。


つづら折りの遊歩道の坂道を下ると、


白岩半島方面への通行止めの案内があった。
この日の昼食と記念撮影は白岩半島でと考えていたので、相応しい場所を探す必要がある。


先ずは弁当に相応しい場所を求めてむささび茶屋方面へ向かう。


右手に時折見える龍王峡の渓谷を見やりながら、


細い遊歩道を進む。
人がやっとすれ違うことができる広さしかない。


”落石注意”の看板も。


かめ穴
おう穴、大釜とも呼ばれる。


兎はね
この付近の川床は4mくらいのせまい廊下状になっていて、兎がはねて渡れるくらいなので、
「兎はね」と呼ばれている。


むささび茶屋を目指す。


柱状節理ちゅうじょうせつり
マグマが上昇してきて、地下の浅いところで冷却され固まるときに収縮してできたもの。
材木を立てたような形をしているため、材木岩と呼ばれている。
(案内板には”ちょうじょせつり”とあるが、これは”ちゅうじょせつり”の誤り)


五光岩ごこういわ
この岩の下部は、流水の洗屈によって大きくえぐられており、真中にぽっかりと穴があいている。
かつては穴の中に水がたまり、天候の状態などで五色の光に変化して見えたそうだが、
今では見られない、とのこと。


むささび茶屋はもう直ぐだ。


12時9分、むささび茶屋に到着
むささび茶屋前の東屋は、当会の先着組が既に占領していた。


さっそく弁当にしよう!


遅れて到着した男性陣は青空の下で弁当に舌鼓を打つ。


おにぎり2個に鳥唐・野菜煮物・ミートボールなどが入っている。
(6月17日の野反湖・八間山の時と同じだ)


女性陣から紫蘇漬けのカブの漬け物の差し入れだ。
『ごちそうさまぁ』


むささび大橋を渡る。


龍王峡の上流は青龍ヶ渕と呼ばれる。


下流は白龍ヶ渕と呼ばれる。
この橋から先がいわゆる龍王峡となっている。


むささび大橋をさらに進むと、


小さな滝のような流れがあった。


むささび大橋を渡ったところで、橋をバックに記念撮影。


龍王峡駅を目指す。


ところどころに湿地帯がある。


「モリアオガエル」が棲息する池(底なし沼?)があった。


龍王峡駅を目指す。


左手に龍王峡の渓谷を眺めながら、龍王峡駅を目指す。


階段を下ると虹見橋があった。


対岸に虹見の滝が見える。
水量が豊富で、豪快な滝だ。


虹見橋から見た龍王峡(上流)


虹見橋から見た龍王峡(下流)


『凄~いっ 綺麗な景色だわねぇ』
『今日参加して良かったわねっ』


虹見の滝上に架かる木の橋を渡る。


流れの先が虹見の滝になっている。


虹見の滝
いやぁ なかなか素晴らしい滝だ。
豪快な音が響き渡る。


動画で見ると迫力がある。


龍王神社にお参り
御神徳は、学問・人生開運・産業・五穀豊穣とのこと。


龍王神社から虹見橋を望む。


龍王神社を後にし、駐車場への七曲りの坂道を上る。
実はこの日一番足に堪えた坂道だった。


『やっと着いたみたいねっ』


土産物店が建ち並ぶ前を進む。


皆さん、土産物店の前で足止めさせられている様子。
どうやらお茶の振舞いを受けて、何かを買い求めているようだ。
ソフトクリームらしい。


13時23分、ゴールの市営駐車場に到着した。


『いやぁ 最後の坂道はきつかったねぇ』


14時20分、「やしおの湯」に到着


ひと風呂浴びて汗を流していこう。
20人以上で65歳超ということで、300円のところが280円に。
ちょっぴり得した分は会費へ繰り入れということに。


風呂上がりに冷たいビールをいっぱい。
『これがあるから止められないんだよねっ』


帰りのバス車内
皆さん、満足そう。
幹事としては、この笑顔が次への力になる。


この日はOさんの喜寿(77歳)の誕生日とのこと。
『♪ Happy Birthday to you ♪』
『ありがとうっ』


友部SAで見た夕焼け
明日も何か良いことがありそうな予感。


土浦市役所に着く頃には真暗になっていた。


『お先に失礼しま~すっ』
『お疲れさまでしたぁ』


荒川沖三中公民館には、18時35分に到着。
『今日は大変お疲れさまでした~っ』


会としては、初めての「龍王峡ハイキング」だった。
スタート直後に道を間違ったり、途中で通行止めになったりと、相変わらずハプニングがあったが、
ほぼ予定の時間内に無事ゴールできたことは、何よりだった。
皆さんには好評だったことから、また別の時期に企画してみたいと思う。
その時までには、白岩半島も通れるようになっていて欲しい。


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コメント
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