2014年1月10日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第31回(2014年第1回)、「隅田川七福神巡り」ウォーキングに参加した。
「隅田川七福神巡り」は、一昨年(2012年1月)に東京スカイツリー駅を起点として三囲神社から多聞寺へ歩いたが、
今回は、その時とは逆のコースを歩き、浅草の天ぷら屋で昼食をというものである。
東武線堀切駅をスタート地点としていることから、JR常磐線北千住駅で東武スカイツリー線に乗り換える。
9時29分、東武スカイツリー線堀切駅に到着。
『堀切駅で降りるなんて初めてだわぁ~』
『楽しみだよね~』
ここ数年恒例となった「七福神巡り」が支持されたのか、この日の参加者36名は、当会の過去最高を記録した。
『こんなに集まるとはねっ』会長も嬉しい悲鳴を上げるほどだ。
歩道橋を渡り堀切駅西口へ。
『風が冷たいわねっ』
予報によると、ちょうどこの日からこの冬一番の寒気団が日本を覆うそうだ。
堀切駅西口で今年最初の準備体操だ。
かなり寒いが、晴れ渡った空の下、気持ちが良い。
堀切駅西口の隅田川と荒川を繋ぐ小さな運河を渡ると”隅田川七福神巡り”の看板が迎えてくれる。
東武スカイツリーラインに沿って進む。
伊勢崎方面行きの特急電車「りょうもう」だ。
日光・鬼怒川方面行きの観光特急電車「スペーシア」にはお目にかかれなかった。
9時53分、最初の訪問地毘沙門天が祀られている「多聞寺」に到着。
毘沙門天は、仏教を守護する四天王の一神で、多聞天とも云い、北方を護っている。
威厳を持つと云われている。
門をくぐると六地蔵のお迎えだ。
多聞寺本堂
多聞寺は、平安時代の創建といわれ、最初は不動明王が本尊だったそうである。
場所も隅田川沿いにあったが、戦国時代に現在の場所に移り、弘法大師作と伝わる毘沙門天像を勧請、
現在の隅田山吉祥院多聞寺と改称したと云われている。
寺の伝承はともかく、先ずは『今年も無事歩けますように!』
常楽塔
説明板によると、
常楽とはお釈迦様の涅槃の四徳 永遠であること(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)
の始めの二つのこと(常楽)を指す。
この地にお釈迦様と一緒にお骨を埋葬する(墓地)ということである。
映画人の墓碑
裏には”映画を愛し 平和と民主主義を支え 人間の尊厳を守った人々ここに眠る”と刻まれている。
裏には1992年以降年毎に亡くなった人の名前が刻まれている。
赤字はまだ存命している人で、亡くなると黒く塗り替えられる。
次の目的地「白髭神社」を目指し、都道461号線(墨堤通り)を進む。
東京スカイツリーが正面に見える。
都道461号線(墨堤通り)をさらに進む。
都道461号線(墨堤通り)に沿って都営白髭東アパートが連なる。
『いやぁこれは凄い、壮観だねぇ』
電柱には次の七福神を祀っている寺社(白髭神社)が案内されているので心強い。
10時24分、白髭神社に到着。
寿老人は、頭に頭巾をかぶり、白髪で、全ての人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れている。
白鬚神社の寿老神は祭神であるため、「寿老人」ではなく、「寿老神」としている。
寿老人は、長生きする中国の伝説上の人物だ。
白髭神社は、平安時代に慈恵大師が関東に下った折、滋賀県に鎮座する白鬚大明神の分霊を
勧請して祀ったのが始まりと云われる。
次に向かったのは白髭神社から数分の向島百花園
入園料金は通常150円のところ、団体割引(20名以上)と65歳以上割引き併用で50円である。
向島百花園のチケット売り場担当者の『65歳以下の方いらっしゃいませんか?』の問いに、
『いいえ、全員65歳以上で~すっ』と声を揃える。
(もしかしたら、一人か二人はいたかもしれない・・・・)
福禄寿は、幸福・俸禄(金銭)・長寿の三徳を備える神で、寿老人と同一であることも。
背が低く長頭で長い髭をもち、杖に経巻を結び付け、鶴を従えている。
人望をもつと云われる。
園内の東屋で一休みする人や、
園内を散策する人も。
今の時期見るべき花はあまり見当たらない。
花が咲き乱れる時にゆっくりと訪れてみたい。
ミニ水琴窟
『きれいな音色だわぁ』
次の寺(長命寺)へ向かう。
長命寺に向かう途中、子育て地蔵尊があった。
案内板によるとこの子育て地蔵は、19世紀初めの江戸時代末期頃、
隅田川の堤防工事の折りに土の中から発見されたものだとか。
首都高6号向島線の向島出口の下をくぐると・・・
隅田川に出た。
対岸前方は浅草方面だ。
隅田川に沿って首都高6号向島線下を向島入口方向へ進む。
「言問団子」は、植木師の外山佐吉が江戸時代末期に創業したものとのこと。
「言問」の名は、在原業平の和歌「名にし負はばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」(古今和歌集)
に因むもので、この歌の舞台が隅田川沿いと目されていることによる。
この店が著名になるにつれ一帯の別称ともなり、現在は桜橋の下流に架かる言問橋等にその名が見られる。
季節によってははとバスの定期観光コースの一部に言問団子での喫茶休憩が組み込まれる。(Wikipediaより)
信号待ちのほんの僅かな間に”言問団子”をしっかりと買い求めた人もいた。
長命寺
境内は「言問幼稚園」になっており、寺の門は閉められていたが、
脇に小さな扉があり、そこから境内に入れるようになっている。
境内では幼稚園の子供達が無邪気に遊んでいた。
我々参拝客が簡単に入ることができるようになっているが、”無防備”すぎるのではないかとちょっと気になった。
長命寺の弁財天は、琵琶湖にある老女弁天を分霊したもの、とのこと。
弁財天は、ヒンドゥーの神から仏教の守護神となった川の神である。
音楽・弁舌・財福・知恵の神として慕われており、愛敬があると云われている。
長命寺と言えば”桜もち”が有名だ。
2年前に来た時には長命寺の裏門から”桜もち”の「山本や」直接行けたように記憶しているが、
この日は裏門は閉じられていた。
廻り道するかどうか迷ったが時間がないので、諦めることに。
弘福寺は、長命寺のすぐ隣にある。
弘福寺は、鉄牛禅師を開山に迎えて開かれた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院だ。
山門にその特徴が見られる。少林山達磨寺の総門も同じような形をしている。
布袋尊が祀られた弘福寺本堂
布袋尊は、中国に実在した禅僧・契此(かいし)が、死後、神として人々から信仰されるようになったと云われる。
いつも満面の笑みをたたえ、いつも人から施されたものを一つの袋に入れて持ち歩いていたため、布袋さんと呼ばれていた。
その中身は尽きることがなかったと云われる。
弘福寺から”桜もち”の「山本や」が見えた。
電柱の長命寺”桜もち”の案内がうらめしい。
見番通りを三囲神社方面へ進む。
見番通りには、かつて見番(芸妓派遣事務所)が並び、店が軒を連ねていた、そうだ。
昭和4年時点で芸妓置屋120軒、芸妓240人、料亭23軒、待合130軒があったというが、
現在では見番1軒、料亭17軒、芸妓120人、とのこと。
11時29分、「隅田川七福神巡り」最後の三囲神社(みめぐりじんじゃ)に到着。
鳥居をくぐって拝殿に向かう。
三囲神社は、中世に三井寺の僧源慶が、一体の稲荷神像を掘り出したとき、どこからともなく白狐が現れ、
稲荷神像のまわりを3回めぐったのちに去った。
それが由来で三囲神社と名付けられた、そうである。
三囲のライオン像
説明板によると、
旧池袋店から移した三越のシンボルであるライオン像は、大正3年当時の三越本店を率いた日比翁助が
ライオンを大いに好み、三越本店に一対のライオン像を据えたのに始まる。
戦後、本店の像をもとに各支店に配置されている。
ライオン像の原形は、ロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオン、だそうだ。
三囲神社には、恵比寿天・大国天が祀られている。
恵比寿は、豊漁の神だが、釣りざおを持つところから、清廉な心をもつ神として古くから商業関係者から慕われている。
恵比寿は、清廉の心をもつと云われる。
大国神は、もとはヒンドゥー教の神で後に仏教の神となった。
恵比寿とともに福徳の神となり親しまれている。
大国神は、知足の心をもつと云われる。
「隅田川七福神巡り」を終えて、牛島神社で記念撮影だ。
11時47分、あとは雷門隣の天ぷら屋「三定」に向かうだけとなった。
言問橋を渡る。
隅田川
空は晴れているが、帽子が飛ばされそうなくらい風が強い。
東武線浅草駅を通過。
12時5分、「三定」に到着。
5分遅れだが、許される範囲だろう。
「三定」の別館3階に通され、一安堵。
『かんぱ~いっ』
『今年もよろしく~っ』
上天丼(1,735円)に味噌汁(290円)、生ビール(550円)、これにサービス料10%が付く。
サービス料の二重取りのような気がする・・・
決して安くはないが、まあ正月だから良しとするか。
この日は、ここ「三定」で解散とした。
『皆さん、お疲れさんでした~っ』
雷門を横目に上野駅へ向かった。
雷門前は相変わらず大勢の人で賑わっていた。
2014年最初の例会「隅田川七福神巡り」を無事終わることができ、ホッと一安心だ。
36名の参加者は過去最高となったが、食事場所からメニューの選定、予約などなかなか忙しかった。
天ぷらが身体に合わない人も何人かいたりして、別のメニューを注文したりと思いのほか大変だった。
歩いた後は生ビール、と思い込んでいたら、とんでもなかった。
生ビールは身体に合わず、焼酎しか飲めない、という人もいたのにはびっくり。
しかし、「三定」では焼酎はボトルでしか提供していないということが分かり、
止むなくアルコールを断念して貰ったのだが、大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。
これまで3年連続で皆勤賞を受賞し、今年度も最有力候補の一人と見られていたA子さんだが、
突然の欠席の知らせに、皆が驚かされた。今年のビッグニュースである。
皆勤賞受賞の2年前から一度も休んだことがなかったというから、5年連続の無休ということになる。
当人が一番無念の思いをしていることだろうと推察する。
彼女の周りに一体何があったのだろうか、大いに気になるところではある。
次週にはいつものように元気な姿を見せてくれると思うが、今年も、
自身も含め、何事もなく無事歩けることを願うばかりである。
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毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第31回(2014年第1回)、「隅田川七福神巡り」ウォーキングに参加した。
「隅田川七福神巡り」は、一昨年(2012年1月)に東京スカイツリー駅を起点として三囲神社から多聞寺へ歩いたが、
今回は、その時とは逆のコースを歩き、浅草の天ぷら屋で昼食をというものである。
東武線堀切駅をスタート地点としていることから、JR常磐線北千住駅で東武スカイツリー線に乗り換える。
9時29分、東武スカイツリー線堀切駅に到着。
『堀切駅で降りるなんて初めてだわぁ~』
『楽しみだよね~』
ここ数年恒例となった「七福神巡り」が支持されたのか、この日の参加者36名は、当会の過去最高を記録した。
『こんなに集まるとはねっ』会長も嬉しい悲鳴を上げるほどだ。
歩道橋を渡り堀切駅西口へ。
『風が冷たいわねっ』
予報によると、ちょうどこの日からこの冬一番の寒気団が日本を覆うそうだ。
堀切駅西口で今年最初の準備体操だ。
かなり寒いが、晴れ渡った空の下、気持ちが良い。
堀切駅西口の隅田川と荒川を繋ぐ小さな運河を渡ると”隅田川七福神巡り”の看板が迎えてくれる。
東武スカイツリーラインに沿って進む。
伊勢崎方面行きの特急電車「りょうもう」だ。
日光・鬼怒川方面行きの観光特急電車「スペーシア」にはお目にかかれなかった。
9時53分、最初の訪問地毘沙門天が祀られている「多聞寺」に到着。
毘沙門天は、仏教を守護する四天王の一神で、多聞天とも云い、北方を護っている。
威厳を持つと云われている。
門をくぐると六地蔵のお迎えだ。
多聞寺本堂
多聞寺は、平安時代の創建といわれ、最初は不動明王が本尊だったそうである。
場所も隅田川沿いにあったが、戦国時代に現在の場所に移り、弘法大師作と伝わる毘沙門天像を勧請、
現在の隅田山吉祥院多聞寺と改称したと云われている。
寺の伝承はともかく、先ずは『今年も無事歩けますように!』
常楽塔
説明板によると、
常楽とはお釈迦様の涅槃の四徳 永遠であること(常)、安楽に満ち(楽)、絶対であり(我)、清浄である(浄)
の始めの二つのこと(常楽)を指す。
この地にお釈迦様と一緒にお骨を埋葬する(墓地)ということである。
映画人の墓碑
裏には”映画を愛し 平和と民主主義を支え 人間の尊厳を守った人々ここに眠る”と刻まれている。
裏には1992年以降年毎に亡くなった人の名前が刻まれている。
赤字はまだ存命している人で、亡くなると黒く塗り替えられる。
次の目的地「白髭神社」を目指し、都道461号線(墨堤通り)を進む。
東京スカイツリーが正面に見える。
都道461号線(墨堤通り)をさらに進む。
都道461号線(墨堤通り)に沿って都営白髭東アパートが連なる。
『いやぁこれは凄い、壮観だねぇ』
電柱には次の七福神を祀っている寺社(白髭神社)が案内されているので心強い。
10時24分、白髭神社に到着。
寿老人は、頭に頭巾をかぶり、白髪で、全ての人間の寿命が書かれた巻物を杖に結び、鹿を連れている。
白鬚神社の寿老神は祭神であるため、「寿老人」ではなく、「寿老神」としている。
寿老人は、長生きする中国の伝説上の人物だ。
白髭神社は、平安時代に慈恵大師が関東に下った折、滋賀県に鎮座する白鬚大明神の分霊を
勧請して祀ったのが始まりと云われる。
次に向かったのは白髭神社から数分の向島百花園
入園料金は通常150円のところ、団体割引(20名以上)と65歳以上割引き併用で50円である。
向島百花園のチケット売り場担当者の『65歳以下の方いらっしゃいませんか?』の問いに、
『いいえ、全員65歳以上で~すっ』と声を揃える。
(もしかしたら、一人か二人はいたかもしれない・・・・)
福禄寿は、幸福・俸禄(金銭)・長寿の三徳を備える神で、寿老人と同一であることも。
背が低く長頭で長い髭をもち、杖に経巻を結び付け、鶴を従えている。
人望をもつと云われる。
園内の東屋で一休みする人や、
園内を散策する人も。
今の時期見るべき花はあまり見当たらない。
花が咲き乱れる時にゆっくりと訪れてみたい。
ミニ水琴窟
『きれいな音色だわぁ』
次の寺(長命寺)へ向かう。
長命寺に向かう途中、子育て地蔵尊があった。
案内板によるとこの子育て地蔵は、19世紀初めの江戸時代末期頃、
隅田川の堤防工事の折りに土の中から発見されたものだとか。
首都高6号向島線の向島出口の下をくぐると・・・
隅田川に出た。
対岸前方は浅草方面だ。
隅田川に沿って首都高6号向島線下を向島入口方向へ進む。
「言問団子」は、植木師の外山佐吉が江戸時代末期に創業したものとのこと。
「言問」の名は、在原業平の和歌「名にし負はばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」(古今和歌集)
に因むもので、この歌の舞台が隅田川沿いと目されていることによる。
この店が著名になるにつれ一帯の別称ともなり、現在は桜橋の下流に架かる言問橋等にその名が見られる。
季節によってははとバスの定期観光コースの一部に言問団子での喫茶休憩が組み込まれる。(Wikipediaより)
信号待ちのほんの僅かな間に”言問団子”をしっかりと買い求めた人もいた。
長命寺
境内は「言問幼稚園」になっており、寺の門は閉められていたが、
脇に小さな扉があり、そこから境内に入れるようになっている。
境内では幼稚園の子供達が無邪気に遊んでいた。
我々参拝客が簡単に入ることができるようになっているが、”無防備”すぎるのではないかとちょっと気になった。
長命寺の弁財天は、琵琶湖にある老女弁天を分霊したもの、とのこと。
弁財天は、ヒンドゥーの神から仏教の守護神となった川の神である。
音楽・弁舌・財福・知恵の神として慕われており、愛敬があると云われている。
長命寺と言えば”桜もち”が有名だ。
2年前に来た時には長命寺の裏門から”桜もち”の「山本や」直接行けたように記憶しているが、
この日は裏門は閉じられていた。
廻り道するかどうか迷ったが時間がないので、諦めることに。
弘福寺は、長命寺のすぐ隣にある。
弘福寺は、鉄牛禅師を開山に迎えて開かれた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院だ。
山門にその特徴が見られる。少林山達磨寺の総門も同じような形をしている。
布袋尊が祀られた弘福寺本堂
布袋尊は、中国に実在した禅僧・契此(かいし)が、死後、神として人々から信仰されるようになったと云われる。
いつも満面の笑みをたたえ、いつも人から施されたものを一つの袋に入れて持ち歩いていたため、布袋さんと呼ばれていた。
その中身は尽きることがなかったと云われる。
弘福寺から”桜もち”の「山本や」が見えた。
電柱の長命寺”桜もち”の案内がうらめしい。
見番通りを三囲神社方面へ進む。
見番通りには、かつて見番(芸妓派遣事務所)が並び、店が軒を連ねていた、そうだ。
昭和4年時点で芸妓置屋120軒、芸妓240人、料亭23軒、待合130軒があったというが、
現在では見番1軒、料亭17軒、芸妓120人、とのこと。
11時29分、「隅田川七福神巡り」最後の三囲神社(みめぐりじんじゃ)に到着。
鳥居をくぐって拝殿に向かう。
三囲神社は、中世に三井寺の僧源慶が、一体の稲荷神像を掘り出したとき、どこからともなく白狐が現れ、
稲荷神像のまわりを3回めぐったのちに去った。
それが由来で三囲神社と名付けられた、そうである。
三囲のライオン像
説明板によると、
旧池袋店から移した三越のシンボルであるライオン像は、大正3年当時の三越本店を率いた日比翁助が
ライオンを大いに好み、三越本店に一対のライオン像を据えたのに始まる。
戦後、本店の像をもとに各支店に配置されている。
ライオン像の原形は、ロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオン、だそうだ。
三囲神社には、恵比寿天・大国天が祀られている。
恵比寿は、豊漁の神だが、釣りざおを持つところから、清廉な心をもつ神として古くから商業関係者から慕われている。
恵比寿は、清廉の心をもつと云われる。
大国神は、もとはヒンドゥー教の神で後に仏教の神となった。
恵比寿とともに福徳の神となり親しまれている。
大国神は、知足の心をもつと云われる。
「隅田川七福神巡り」を終えて、牛島神社で記念撮影だ。
11時47分、あとは雷門隣の天ぷら屋「三定」に向かうだけとなった。
言問橋を渡る。
隅田川
空は晴れているが、帽子が飛ばされそうなくらい風が強い。
東武線浅草駅を通過。
12時5分、「三定」に到着。
5分遅れだが、許される範囲だろう。
「三定」の別館3階に通され、一安堵。
『かんぱ~いっ』
『今年もよろしく~っ』
上天丼(1,735円)に味噌汁(290円)、生ビール(550円)、これにサービス料10%が付く。
サービス料の二重取りのような気がする・・・
決して安くはないが、まあ正月だから良しとするか。
この日は、ここ「三定」で解散とした。
『皆さん、お疲れさんでした~っ』
雷門を横目に上野駅へ向かった。
雷門前は相変わらず大勢の人で賑わっていた。
2014年最初の例会「隅田川七福神巡り」を無事終わることができ、ホッと一安心だ。
36名の参加者は過去最高となったが、食事場所からメニューの選定、予約などなかなか忙しかった。
天ぷらが身体に合わない人も何人かいたりして、別のメニューを注文したりと思いのほか大変だった。
歩いた後は生ビール、と思い込んでいたら、とんでもなかった。
生ビールは身体に合わず、焼酎しか飲めない、という人もいたのにはびっくり。
しかし、「三定」では焼酎はボトルでしか提供していないということが分かり、
止むなくアルコールを断念して貰ったのだが、大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。
これまで3年連続で皆勤賞を受賞し、今年度も最有力候補の一人と見られていたA子さんだが、
突然の欠席の知らせに、皆が驚かされた。今年のビッグニュースである。
皆勤賞受賞の2年前から一度も休んだことがなかったというから、5年連続の無休ということになる。
当人が一番無念の思いをしていることだろうと推察する。
彼女の周りに一体何があったのだろうか、大いに気になるところではある。
次週にはいつものように元気な姿を見せてくれると思うが、今年も、
自身も含め、何事もなく無事歩けることを願うばかりである。
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