ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

「関東ふれあいの道」(神奈川)No.9 「弘法大師と桜のみち」

2013年09月22日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2013年9月22日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を歩いた。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画した。

第七回目となる今回は、コースNo.9(弘法大師と桜のみち:約9.4Km)を歩くことにした。

日暮里駅11番ホームで山手線内回り電車を待つ。
この日の参加者は8名となった。
9月8日(日)が雨だったため、2週間延期したのが影響したのかもしれない。
この日参加できなかった人には大変申し訳ない気持ちである。


渋谷新宿方面行き電車が入ってきた。


新宿で小田急線に乗り換え、秦野には9時21分に到着。
バスの停留所を探すため、最初は南口に出てしまった。
南口に出て、バスは北口からと分かり急遽移動するというハプニング。


北口へ走り、平塚駅行きバス停を確認。
南口から移動したためバスを一つ乗り遅れてしまったが、次のバスは直ぐにあることが分かり一安堵。
次のバスまで若干時間があったことから、コンビニ弁当でも買っていきたいと云う人も。


ところが何という偶然だろうか、バス停の真ん前に弁当屋があった。
撮影するために後を追って店を覗いてみたが、その数と種類は半端ではない。
どれにしようか迷うほどである。(写真はほんの一部である)
『日暮里駅でおにぎりなんか買っちゃって、ちょっと早まったわねぇ』と悔しがる人も。
予定では今後この駅を何度か利用することになっているので、自分もここで弁当を調達することにしたい。


9時39分、定刻どおり平塚駅行きバスがやってきた。


バスはご覧のような貸切状態。
日曜日の郊外となれば、東京都奥多摩方面を除けばどこも大体こんなものなのだろう。
我々にとっては凄くありがたい。


10時01分、この日のスタート地点の南平橋に到着。
前回はここがゴールだったので、回りの景色は記憶に新しい。


この日の天気は上々、先ずは権現山を目指して出発である。
前方に見えるシェルターのようなものは、「東名高速道」だ。


先頭を女性陣が進み、


後ろに男性陣が続く。


健速神社たけはやじんじゃ
『ウォーキングに相応しい名前の神社だねぇ』
Webで調べると、本殿は秦野市内最古のものといわれ、「病気平癒」にご利益がある神社とのこと。
特に「目」の病気には狛犬の周辺で強いパワーが感じられるとのことである。
事前に知っていれば、狛犬の回りを周回したものを、この日は鳥居から拝んだだけで、
「関東ふれあいの道」の道標に従って通り過ぎてしまった。


閑静な住宅地を進む。
曲がり角には「関東ふれあいの道」の道標が必ずと言っていいほどあるので、道を間違えることはない。


「東名高速道」に架かる歩道橋「峯の上橋」を横断。


車の流れは順調である。
(写真は名古屋方面)


「東名高速道」を横断し、しばらく「関東ふれあいの道」の道標に従って進む。


いきなり右折示す弘法山2.3Kmの標識が現れた。
道路の左側を歩いていると、見落としかねないのでここは注意が必要だ。


なだらかな坂道が始まった。


坂道の途中から秦野の市街地を望むことが出来る。


”南無妙法蓮華経”と刻まれたお墓があるので、そこを右に進む。


坂道が次第にきつくなる。
弘法山まで1.7Km付近。


『結構きついなぁ この坂道は』
次第に息づかいが荒くなり、首筋から額から汗が噴き出してきた。
予報によるとこの日の秦野の最高気温は28℃となっていたので、当然か。


一息入れたいが適当な日陰が見つからない。
目の前の急坂を上る場所に、白山神社の標識があったので、立寄ってみることに。
『神社の境内なら一休み出来るだろう』


白山神社
山際の住宅地の中に小さな拝殿が建っていた。左は神輿庫だろうか。
ここで一息入れていくことに。


一息入れた後、先ほどの白山神社の標識まで戻り、再び急坂に挑む。
前方に生い茂っている木の辺りが、実は白山神社の境内だったことに後で気が付かされた。


見事なキウイフルーツが鈴なりである。
『たくさん生ってて美味しそうだわねっ』


住宅地を離れ、道は次第に山道らしくなってきた。


と思ったら、舗装された広い道に出た。
『なんだ、こんな広い道があったんだぁ』


道いっぱいに広がって進む。
時々車が通るので気を付けたい。


小さな駐車場から先が権現山へと続くようだが、ここからは歩くしかないようだ。
丸太の階段があるが、脇の方が歩き易い?
段差があるので、却って疲れる?


権現山の展望台が見えて来た。


11時13分、権現山(243.5m)の展望台に到着。
権現山の名前の由来は、山頂に権現堂があったことから名付けられた。


さっそく展望台に上る。
『いやぁ なかなか見晴しが良いねぇ』


「東名高速道」が見える。
晴れた日には相模湾、江ノ島、房総半島まで360度の展望を楽しむことが出来るそうだ。
この展望台からの富士山の眺望は素晴らしく、関東の富士見百景に選ばれているとのこと。


表丹沢の大山(1252m)がはっきり見える。


お昼にはまだ少し早い、と言うより展望台回りのベンチは全て塞がっていたので、弘法山を目指すことにした。
弘法山公園まで0.8Kmとある。


階段を下って弘法山へ向かっていくと・・・


弘法山方面から権現山へ向かってくる同年輩の一団とすれ違った。
あらためて弘法山・権現山は人気のコースなのだと思った。
『こんちはっ』


”秦野とたばこの歴史”を刻んだ碑があった。
秦野は、江戸時代初期から「秦野たばこ」の産地としてその名声を全国に及ぼしていた、そうだ。
小田急線秦野駅でたばこの葉が飾られていたのを見掛けたのは、秦野がたばこの生産が盛んな場所だったからなのだ。
薩摩たばこは天候で作り、秦野たばこは技術で作る
水府たばこは肥料で作り、野洲たばこは丹精で作る。と歌にも謳われたように、
秦野たばこの特色はその優れた耕作技術にあった、とのこと。


権現山から弘法山へは平地のような広くて平らな道で歩き易い。
子供連れのハイカーも見掛けた。


ちょうど昼時、途中のベンチはどこもハイカーに占有されていた。
弘法山に行っても空いたベンチがあるのか、少々不安になってきた。


権現山展望台から約10分、弘法山公園に到着。
弘法山公園は、「かながわの景勝50選」、「かながわの探鳥地50選」、「かながわの花の名所100選」、
「関東の富士見百景」に選ばれているとのこと。


弘法山山頂はもう少し先にあった。


公園入口からさらに進むこと6分、弘法山(235m)に到着した。
時刻は11時37分を指していた。
ベンチはあちこちにあるのだが、予想どおりどれも満席状態だった。


昼食前に証明写真だけでも撮っておこう。
撮影指定場所の大子堂(釈迦堂)で、証明写真を撮り終え、弁当タイムだ。


大きなベンチは全て塞がっていたが、ところどころに空いている小さなベンチがあった。
全員揃っては無理なので、分散しての弁当となった。


弁当を食べ終わってあらためて境内を回ってみた。
弘法山は弘法大師が山頂で修行したことから名付けられたとの伝承がある。
鐘楼の鐘は、時刻を知らせる「時の鐘」として、江戸時代から昭和三十一年(1956)まで
秦野周辺地域の人々に親しまれてきた、そうである。
この鐘は宝暦七年(1767)に麓の龍法寺六世が最初に鋳造し、その後、火災などに遭って再鋳され、
現在の鐘は享和元年(1801)のもの、とのこと。


弘法の乳の水
この井戸から湧き出た水は、白く濁り、いつも乳の香りがしていたそうで、「弘法の乳の水」と呼ばれている。
いつのころからか、「真夜中に誰にも知られずに山に登り、乳の水を飲むと、乳がどくどくと出るようになる」と
伝えられ、この水をいただきに山に登る人が後を絶たなかったと云われている、そうだ。
今では、水は白く濁ってはいない。


12時16分、次の目的地、3Km先の吾妻山を目指して出発!


ここからは下りとなる。
明るい緑の雑木林の中を下る。


下るにつれて麓の家並みが見えて来た。
手前には蜜柑畑が広がる。


12時31分、秦野国際乗馬クラブ前を通過。
馬が繋がれていた。


12時36分、国道246号線に出た。


国道246号を数はyく㍍進むと新善波隧道(しんぜんばずいどう)である。


今まで歩いてきた「関東ふれあいの道」で、トンネルの中を歩くのは初めて、だと思う。


トンネルの長さは約400mほどあった。
約4分で出口が見えて来た。


「関東ふれあいの道」の地図にはトンネルを出て直ぐ右折するように案内されている。
道標は見当たらなかったが、ちょうど道があったので、歩いていくと・・・


ラブホテルがずらりと並んでいるではないか。
どうも様子がおかしい。「関東ふれあいの道」がこんなところを通すはずがない。


右折したところまで引き返して再び国道246号を100mほど進むと・・・


一段下がったところに「関東ふれあいの道」の道標を見つけた。
これではちょっと気が付かない。


半信半疑で道標に従って畦道のような道を進む。


しばらく進むと、別の道標があった。
『やっぱり、こっちの道が正しそうだねっ』
この道は「矢倉沢街道」(矢倉沢往還)と呼ばれ、昔の人に親しまれていた、とのこと。
「矢倉沢街道」は奈良時代に開かれ、箱根越えの東海道が出来るまで官道の役割をしていた。
江戸時代には裏街道として賑わい、伊豆・沼津から足柄・秦野・伊勢原・荏田を経て、
日常生活に必要な炭、わさび、干し魚、茶、それに秦野のたばこなどが馬の背で江戸へ運ばれていた。


熊出没注意!の看板があるとは驚きである。
『こんなところにも熊が出るのかぁ』


道の脇にみかんが生っていた。
温州みかんのようだ。


『一つだけいただいちゃおうかしらっ』
『うわっ 酸っぱ~い』
まだ食べるには少し早いようである。


「矢倉沢街道」はさらに続く。
『のんびりした素敵な景色だわねっ』


道端に色鮮やかなきのこが生えていた。
これは、食べられるのだろうか?


馬頭観世音像が草むらに埋もれるように佇んでいた。
”明治十七年”の文字が読み取れる。


夜泣岩
旅人が、この石のあたりで、誰助けるともなく倒れていた。
それ以来、夜中にここを通ると、この石のあたりから、助けを求めるような声が聞こえたと云われている、そうだ。


吾妻山分岐点を過ぎると少しばかり急な上りが続く。
道は細く、回りは竹藪のような雑木林である。


400mほど進んだところで、弘法山からの道と合流した。
『こっちにも道があったんだぁ』
吾妻山へ0.4Kmとある。


一息入れて吾妻山を目指す。


13時47分、この日のコース最後の目的地、吾妻山に到着した。
石の碑が「吾妻神社」として祀られている。これは珍しい。
神社とあればお参りして行かなくちゃ。


ここで、最後の休憩だ。


休憩の後、約1Km先のゴール、坪の内バス停を目指す。
14時18分発の鶴巻温泉駅行きバスに間に合うためには少しばかり急ぐ必要がある。
そのバスに乗り遅れると、1時間は待たなければならない。
『急ぎましょうっ』


坪の内バス停まで残り0.6Kmの表示だ。時計は14時ちょうどになろうとしていた。
あと18分、何とか間に合いそうだ。


道端に2体のお地蔵さんが祀られていた。
碑には”愛鶏供養塔”と刻まれていた。
養鶏家が祀ったのだろうか?


14時10分、ゴールの坪の内バス停に到着した。
しかし、ここはゴールの筈だが、バスの停留所が見当たらない。


バス停は少し離れたところにあった。
何とかバスの時刻に間に合って一安心だ。


鶴巻温泉行きバスは、10分ほど遅れてやってきた。


乗客は朝同様、我々の他に数人だけである。


14時36分、小田急鶴巻温泉駅に到着。


鶴巻温泉駅ホームで電車を待っているところ。
皆さん、ややお疲れの様子。

『皆さん 今日は大変お疲れ様でしたぁ』

7月8月の暑い時期は休みとしていた「関東ふれあいの道」を今月から再開した。
久しぶりの山歩きに不安はあったが、この日のコースはそれほど高い山はなくて良かった。
冒頭でも触れたように、当初予定していた9月8日を雨の影響で2週間後の今日に変更したことにより、
参加予定者が大幅に減ってしまった。
雨の影響だったとはいえ、参加できなくなった方には大変申し訳なく思う次第である。
今回参加出来なかった方とは、都合をつけて、再度この日のコースを歩きたいと思っている。


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