ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第2回 越谷宿から粕壁宿へ

2012年10月17日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2012年10月17日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の街道歩きを望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第2回目のこの日は、越谷宿(東武スカイツリー線越谷駅)から粕壁宿(東武野田線春日部駅)までの約13Kmを歩いた。

9時3分、この日の出発地東武スカイツリー線越谷駅に到着。
前回、ゴールした駅である。


この日の参加者は11名。
早速駅前でストレッチで身体をほぐす。


9時過ぎで人通りも少ない。


9時14分、粕壁宿(春日部駅)目指して出発!


前回歩いた道よりもやや狭いなとは思ったが、続きを歩いているのだと思い込み、
道路沿いにある江戸時代の面影を残す塗師屋を探すが見つからない。


出発して30分ほど歩いたところで、国道新4号線に行き当った。
『んんんっ???』
国道新4号線は、地図を見ると東武線を挟んで全く逆にあるではないか。
近くで農作業をしていた人に訊ねたところ、『そのまま進むと東京方面だよっ』 『え~っ!』
越谷駅で降りる方向(東・西)を間違ってしまったのだぁ。
既に越谷駅から3Km近く歩いていたが、そのまま進む訳にはいかない。どこかで戻らなければならない。
この先神明町交差点を右折すれば北越谷駅に戻れることを教えて貰った。
ということで、逆方向(春日部方面)へ歩いているところなのである。


国道新4号線をひたすら神明町交差点を目指して進む。


秋田犬売買の店があった。
見るからに賢そうな表情である。


日本橋から29Kmの表示。
農作業の人に言われたように、このまま進むのが正しいことを確認。


10時3分、越谷駅を出発して50分を経過。
車の排ガスが気になるが、ここで一休みしよう。


神明町交差点だ。
これを右折すれば、北越谷駅である。


前方は神明橋


神明橋を渡る。
交通量が多いため、車道・歩道分離となっているので、安全だ。


現在の元荒川は、江戸時代以前に荒川として下流で利根川へ流れていたが、江戸時代以降の河川改修により、
入間川へ切り離され、東京湾へ流れ込む様に川筋を人工的に変えてきた。
そのため名前だけが荒川として残っている。


10時27分、北越谷駅が見えてきた。


北越谷駅
越谷駅を出発して1時間15分以上経過していた。
大幅なタイムロスである。


とんかつが美味しそう。


東武線の高架に沿って進む。


この時期、金木犀の花が良い香りを漂わせる。
金木犀の木は各家に1本は植わっているのではないか。それほど多いということだ。


宮内庁埼玉鴨場に到着した。あいにく門は固く閉じられていた。
宮内庁が管理している鴨場としては、ここ埼玉鴨場と、千葉県市川市にある新浜鴨場の2ヶ所がある。
明治四十一年(1908)、皇族・政府高官らが賓客を招いて鴨猟を催すために整備された。
総面積12haにも及ぶ広大な敷地には、1万羽を越える野鳥が飛来する、そうである。
一般の立入は禁止されている。


『これあけびじゃなぁい? すっご~い』


立派なアケビが鈴なりである。
アケビとよく似たムベの生垣は見たことはあるが、アケビは初めてである。
盗んでいく人はいないのだろうか? 
アケビの美味しい食べ方を知らない人が多いからなのだろうと勝手に推測した。


東武線の踏み切り
電車が通り過ぎるのを待つ。
しかし、この踏切は実に頻繁に電車が通る。
踏切を通り過ぎたばかりだというのに直ぐまた別の電車が。
5分ほどの間に3回も踏切が開閉したのにはびっくりだ。


この辺りの道は歩道がなく危ない。


国道新4号線の高架


高架を抜けると、春日部は左側に曲っている。
旧国道4号線である。


春日部まで6Kmの表示。


道路沿いにファミレスが次々と現れる。
ファミレスが気になりだしたということは、お腹が空いてきた証拠である。


新方川(にいがたがわ)を渡る。
新方川は利根川水系の中川支流で、千間堀と呼ばれている。


千間堀に沿って進む。


道路の左側(向い側)に歓喜院(武里観音)があった。
五穀豊穣の神として崇められている「大枝香取神社」の鳥居が見える。
「大枝香取神社」は、明治期の神仏分離政策で、境内が分けられ、その後近隣の神社を合祀し、
付近(旧大枝村)一帯の鎮守となった、とのこと。


反対側、つまり歩いている側に”人生は六十から”の碑があった。
この碑にあるように、迎えが来ても『頃を見てこちらからボツボツ行く』と云ってみたいものである。


昼食場所を求めて越谷市立平方公園へ向かう。浅間神社が近くにあるらしい。
地元の人らしき人に場所を訊ね、直ぐ近くと言われ歩いたのだが・・・
国道4号を逸れて既に2Kmは歩いただろうか。
目印となる浅間神社らしきこんもりとした林が見えてきた。


浅間神社だ。小さな神社である。
これでは知る人ぞ知るである。


浅間神社の裏手に目指す越谷市立平方公園があった。


時計は12時20分になろうとしていた。
越谷駅を出発して歩きっ放しである。お腹も大分空いていた。
公園の東屋で仲良く昼食だ。


昼食後にもストレッチで身体を労る。


『これをやっておけば疲れは残りませんからねっ』


13時ちょうどに平方公園を出発し、国道4号へ向う。


”♪粋な黒塀 見越の松に♪” 昔懐かしい「お富さん」の一節を想いだす。
それにしても立派な松である。


林西寺りんさいじ
浄土宗の寺院で、「子育て呑龍様」の名で親しまれている呑龍上人の供養墓地がある。


平方公園から20分足らずで国道4号に戻った。


お地蔵さんが2つ並んでポツンと佇んでいた。


史跡備後一里塚跡の碑
日本橋から8番目の一里塚である。


善巧寺ぜんぎょうじ


浄土真宗を開いた親鸞聖人の像を熱心に撮る外人。
宗教に興味があるのだろうか?


東武野田線を通り過ぎ、日本橋方面を望む。


八坂神社
天王様の通称で親しまれ、六斎市が立ったところから市神様として信仰された。
真新しい社殿である。


境内に筆子塚が建てられていた。
筆子塚は、江戸時代に庶民の教育機関であった寺子屋や家塾で、読書算や実務教育を教わった教え子が、
師匠が死んだ際にその遺徳を偲んで、費用を出し合って建てた墓である塚または供養塔のこと。


東陽寺
曹洞宗の寺で、創建は文明年間(1469~)と伝えられている。
開基は寛永年間に僧熊巌(ゆうがん)が中興開山したと伝えられている。


江戸期には新西国三十三ヶ所30番で、参詣は引きもきらぬ勢いだったそうだが、寛永元年(1624)一切を焼失。
39年後に現在の地に旧名を復活して小庵が建立された。
その後も焼失と再建を繰り返し、現在に至っている。
これまでの無事安全を感謝してお参りした。
お参りを終えたところで、突然、小雨がパラついてきた。


東陽寺は、「奥の細道」で有名な芭蕉と曽良の第1日目の宿泊地と伝えられている。
本殿前には曽良の随行日記中の「廿七日夜 カスカヘニ泊ル 江戸ヨリ九里余」を刻む碑が建てられている。
今では一日で九里(約36Km)を歩くのは結構大変であるが、当時は普通の距離だったのだろう。


東陽寺の四脚門の山門を抜けると・・・


春日部の市街地が現れた。
本降りにならないうちにと春日部駅へ足を速めた。


電柱がないので、スッキリしている。


田村家の蔵
家の前のポストの反対側に「西南 いハつき」と刻まれた道標が立っている。
写真を撮っていると、地元の人が寄って来て『1,700町歩もの大地主ですよ』と聞かされた。


それにしても大きな屋敷である。
付近一帯は田村の表札がいっぱいである。


春日部駅前の道路の入口にあった可愛らしい像。


春日部駅前のロータリー、時計は14時25分になろうとしていた。
雨はいつの間にか止んでいた。


14時26分、東武野田線春日部駅に到着。本日のゴールである。
最後は雨に降られる前にと急ぎ足だったため、疲れが出て少々喉も渇いた。


駅隣のビル1階にVie De Franceがあったのでお茶タイムに。
めいめい好みの飲み物を注文
『お疲れさまでしたぁ~』


柏駅に向かう東武野田線の車内
『雨に降られなくて良かったわぁ』


この日は出だしから方角を間違って、逆方向に歩くなどハプニングがあったが、
無事ゴールの春日部駅に到着できて、ホッと一安心である。
当初約13Kmの歩行距離と見込んでいたのが、16Km以上は歩いたと思われる。
仲間の皆さんには、余分に歩かせることになって、申し訳なく思っていたが、
『ウォーキングにはつきものよっ』と慰めの言葉を貰ったのが、嬉しかった。
次回以降はちゃんと歩きたい。


ウマさんの「日光街道を歩く」 ”の目次へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「関東ふれあいの道」(東京)No.5 「鍾乳洞と滝のみち」

2012年10月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2012年10月14日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、
これまでは主に茨城県の「関東ふれあいの道」を歩いてきたが、
仲間の誰からともなく『他県の道を歩きたい』という声が上がり、
東京都の「関東ふれあいの道」を歩くことを企画した。

東京都のコースを選んだのは、コース数が一番少なく、電車・バスの便も良さそうだし、
茨城からでも何とか日帰りで行けるのでは、と思ったからである。

第七回目となるこの日は、コースNo.5「鍾乳洞と滝のみち」(払沢の滝入口バス停~上養沢バス停 9Km)を歩いた。
この日のコースは、3つの大滝を楽しむことができ、終点では、鍾乳洞も楽しめるポイントの多いコース、
と案内されていたが、果たしてどうなのか。

常磐線荒川沖駅を朝一番(5時27分発)の電車に乗り、上野から山手線(京浜東北線)で東京駅へ。
東京駅中央線ホームへの長いエスカレータ。
既に7回目ともなると、駅弁を買うなど余裕も感じられ、馴れたものである。
しかし、この日の参加者は5名とこれまでで一番少ない。
皆さんいろいろと都合があり、参加したくても参加出来ない人が多いようだ。


中央線高尾行き電車に乗り込み、人が乗って来る前に朝食のおにぎり・サンドイッチをパクつく。


『お腹が空いてちゃ元気出ないからねっ』


立川駅に着き、武蔵五日市行きに乗り換えようとした時、突然携帯電話が鳴った。発信は公衆電話だ。
応答してみると、この日参加予定の携帯電話を持たないY子さんからだった。上野駅の公衆電話からとのこと。
最寄り駅の電車の出発時刻を1時間ほど間違えてしまったらしい。
立川と上野、その差は約50分、うう~ん、待ってあげるのは難しい。
Y子さんは、とにかく武蔵五日市駅まで来てみて、うまい具合にバスがあれば一人でも行きたいとのこと。
幸運を祈るかりである。

8時43分、出発地の武蔵五日市駅に到着。


9時ちょうど発の数馬行きバス停に並んでいると、次第に人が増えてきた。
電車が到着する度に人が増えて、瞬く間に大勢の人が列をなした。
出発する時にはバスは超満員となり、臨時バスが出たようである。
幸い我々は、前の方に並んでいたので、全員座ることができ、一安心。
この後のバスは、9時48分であるが、Y子さんに伝える手段がない。
何とかなるだろう、と考える他ない。


本宿役場前でバスを降りて、


「関東ふれあいの道」出発点の”払沢の滝入口”まで、歩くことに。


停留所から10分ほどで、払沢の滝入口バス停に到着した。
ここで、体調を整える。


バス停の向かい側が、払沢の滝への入口になっている。
機会があれば、訪れてみたい。


払沢の滝入口バス停脇に「関東ふれあいの道」の案内板があった。
コースの起点となっている。


北秋川に架かる北秋川橋を渡る。


檜原小学校を過ぎ、川の上流に向って進む。
前方に見える白い三角屋根は「檜原村やすらぎの里 ふれあい館」だ。


檜原村千足の地名が現れた。
間もなく「関東ふれあいの道」の登山口である。


千足バス停先に「関東ふれあいの道」の案内板があった。
本宿役場前から約30分ほど掛かった計算になる。


ここを右に曲がると、登山道になる。
『ここで間違いないねっ』


小さな神社があったので、この日の無事安全を祈願して行くことにした。


天狗滝への途中右側には、きれいに手入れされた杉林が見える。
真直ぐに伸びた杉の木が美しい。


なだらかな坂道が続く。
まだまだ入口に入ったばかり、余裕の笑顔である。


朝方気温が低かったが、気温も上がり次第に体温も上がってきた。
堪らず半袖に着替えるKさん。


途中で車は通行止めになる。
林業用道路のため、一般車は入れないように鎖がしてある。


登山道入り口から20分ほどで、舗装路に別れを告げて、山道に入る。
沢が流れ、滝が近いことを伺わせる景色になってきた。


沢を横切って、上る。


案内板によると、天狗滝まで0.2Kmとある。


天狗滝への路を行く。
大きな岩だらけの路になってきた。


ほどなく小天狗滝が現われた。
岩を伝って流れ落ちる水は、豪快さはないが、まあまあ立派な滝である。


小天狗滝の左側を上って行くと今度は天狗滝が姿を現した。


高さ20mほどの立派な滝で、先ほどの小天狗滝よりは迫力がある。


揃って記念撮影だ。


滝の前を横切って右手を上ると、杉林になった。


綾滝までは、杉林を抜け、


狭い沢沿いの路を進む。
0.2Kmとあったが、意外と長く感じる。
急な坂道は表示の距離と実際に歩く距離の差が大きい。


綾滝が現われた。
女性的で白い糸を引くような静かな綾滝である。


ベンチが置かれていたので、しばし休憩だ。


その時、下方を見ると、一人の女性が登ってくるのが見えた。
何と、遅れていたY子さんではないか!!
それにしてもよく追いついたものだとY子さんの健脚に感心した。
Y子さんによると、9時48分の武蔵五日市駅発バスは藤原行きで、登山口の千足バス停まで乗ることができたとのこと。
我々よりかなり時間を短縮出来たのも幸いしたようだ。
これで、結局この日の参加者は6名となった。


たまたま犬を連れて綾滝を見に来た人がいたので、シャッターを押してもらい、揃って記念撮影だ。
ハプニングがあっただけに、想い出に残る一枚となった。


綾滝からは馬頭刈尾根の急登となる。


馬頭刈尾根が続く。


馬頭刈尾根の路はかなり長く厳しい坂道の連続である。
途中で緩やかになる場所は全くない。


尾根を40分ほど登ったところでつづら岩分岐の標識が現われた。
つづら岩の基部で路は左右に分かれる。


つづら岩の基部を富士見台へ向かって進む。
富士見台まで0.8Km付近。


つづら岩はロッククライミングの岩場トレーニングとして多くのクライマーに人気があるそうで、
この日も木々の間から何人かが岩に挑戦しているのが見え隠れした。


「関東ふれあいの道」の標識があった。
ゴールの上養沢まで6Kmとある。
『え~っ、まだ半分も歩いてないのかぁ』 愕然である。


つづら岩の基部を通過したところで、一休みだ。


この先道悪し”の標識があったが、前に進むしかない。


馬頭刈尾根以上に急で登りづらい岩場や


急角度の鉄梯子が出てくるが、それほど危険というほどではない。
多少のスリルを味わうのも「鍾乳洞と滝のみち」の醍醐味というものではないだろうか。


険しい岩場を過ぎると、路は平坦になり、一息つける。
間もなく富士見台だ。


一か所だけ展望が開けた場所があった。
大岳山(1266m)の眺望が素晴らしい。


12時37分、富士見台に到着した。
「関東ふれあいの道」の指定撮影ポイントである。
撮影の前に昼食にしよう。お腹の空いた顔で取るのは写りが良くない。


東屋があり、ここで昼食にした。


『みんなと一緒に食べられて良かったぁ』


天候が良ければ富士山を遠望できる、とのことだが、あいにくここからの眺望は望めなかった。
昼食後、富士見台の看板の前で記念撮影を済ませ、直ぐに下ることにした。
大滝まで2.3Kmとある。


途中、一か所だけ視界が開けるところがあった。
方角は定かではないが、素晴らしい眺望だ。


富士見台から先は、殆どが下りとなる。
最初は熊笹の生い茂るところもあったが・・・


しばらく進むと急な下りになる。


上りと違って土と石ころの斜面のため、滑り易い。
注意が必要だ。


まむし草がポツンと1本だけ鮮やかな赤と緑のコントラストの実を付けていた。
葉や球根は有毒とのことだ。名前は好きではないが、この時期の実は美しい。


上りの尾根道が長かった分、下りも長い。
太ももの筋肉とつま先が痛くなってきた。


しばらく下ると、沢のような場所に出た。
流れる水は清らかに澄んで美しい。


またしばらく杉林を歩く。


沢の右へ左へと路は続く。
これまで、何度沢を横切っただろうか。


ようやく緩やかな坂道になり、大岳沢に沿って進む。
岩は苔に覆われていて危険なため、慎重に降りたい。
思うように距離が稼げない、時間だけが過ぎてゆく。


小さな滝のような沢もあり、なかなか変化に富んだ路が続く。


沢に沿った路が分岐し、右に進路を取って、大滝方面へ下る。
小さな木橋に出ると、目の前にコース最大の滝、大滝が現れた。
『これが大滝なのねっ』


『素晴らしい滝だわぁ』
幅は狭いが落差のある大滝である。


『東京都のこんな滝を観れるなんて、ホント来て良かったわぁ』
しばし滝に見入る。


大滝から300mで林道を抜けると、「関東ふれあいの道」の案内板があった。
その前には、「熊目撃情報」の看板が。
こんなところにも熊が出没しているのだ。


ここからは、舗装された道路になる。


ようやく急坂の路から解放され、道いっぱいに広がって歩く。


茶店のような家を通り過ぎる。
ジュースなどを売っており、バーベキューなども出来るようだ。


小滝橋に差し掛かると、左手上に小さな小さな小滝があった。
滝と言うより、一筋の流れ、といった状態である。
もう少しで見落とすところであった。


小滝から数100mほど進むと、右手に大岳鍾乳洞への入口がある。
この時点で既に14時45分、ここから上養沢には急ぎ足でも30分以上はかかる。
14時56分発のバスには、間に合わない。
次のバスは16時35分、話しのタネに大岳鍾乳洞を観ていくことにした。


鍾乳洞発見者田中雄嘉造氏の奥さん(80歳は優に越えていると思しきお婆さん)が一人で受付をしていた。
一人500円払うと、日付を押したチケットとヘルメットが渡される。


鍾乳洞の入口は小さく狭い。


鍾乳洞の中はところどころに電灯が吊り下げられており、適当な明るさとなっている。
行きの順路は一番から二十五番まであり、帰りはいろは順になっている、そうだ。
順路に従って進む。


中は当然のことだが、岩だらけで狭く、腰を屈めなければ進まない。
あちらこちらでヘルメットが岩にぶつかる音が聞こえる。
『山登りの方が楽だったわぁ』
『ヘルメットがこんなに役に立つとはなぁ』


『こんな狭いところ行けるのかしらぁ~』
後で聞いたが、リュックは入口で預けることができたそうだ。


洞窟には、乳石や石筍などがあり、いろいろと銘が付けられているが、ゆっくりと鑑賞している余裕はない。
なにせ狭くて薄暗いため、足元ばかりを気にしているせいでもある。


しかし、もう乳石や石筍はどうでも良い。
こんな窮屈なところから『一刻も早く出たい』が正直な感想である。


天井に何やら光るものが。


よく見るとお賽銭のつもりなのか、一円玉がびっしりと貼りつけられていた。
中には十円玉も。
足元には、剥がれた一円玉が何枚も落ちていた。


『記念になるから撮ってもらおうっと』
要望にお応えして、はいパチリ。


鍾乳洞の中を歩くこと約25分、ようやく出口らしき明りが見えてきた。


『やっと外に出られたぁ』
”地獄から解放された気分”というのはこういうことを言うのかも???
10年ほど前から膝を曲げるのが苦痛になっているので、余計にそう思ったのかもしれない。


『もう一度は行きたくないよねっ』
同感である。


さらに下ると、途中に採石場があった。
これから大岳鍾乳洞に行くという50名ほどの若い男女の一団とすれ違った。
『良い所だよ~』
『ホントっ、楽しみだわぁ』
50名もの団体が押し寄せて、大丈夫なのかなと、受付のお婆さんのことが少々気になった。


『もう直ぐ上養沢だねっ』


左折して養沢神社を左手に見ると、間もなく上養沢バス停である。


見覚えのあるバス停が見えてきた。
コースの終点上養沢バス停だ。


15時52分、上養沢バス停に到着した。
ここが武蔵五日市駅行きバスの始発となっている。


『ここを歩いてきたんだぁ』
バス停にあった地図に感慨深げに見入る皆さん。


16時35分発のバスまでまだ約40分。
道端の石に腰掛けて、しばし「関東ふれあいの道」談義だ。


16時30分、やって来たのは中型のバスだった。
運転手によると、「瀬音の湯」へ寄るために小型のバスが都合良いらしい。


上養沢から乗ったのは我々6名だけであった。


しかし、次の停留所からは鍾乳洞巡りの50名近い一団が乗り込み、超満員に。
しかも途中「瀬音の湯」に立ち寄ったため、普通30分のところを50分もかかる始末。
武蔵五日市駅に到着した時には、辺りは真っ暗に。
おまけにホリデー快速は既になく、各駅停車で拝島止り、次は立川止りとその都度電車を乗り替えることに。
結局家に帰り着いたのは、21時ちょうどとなった。

帰りの便は散々だったが、天狗滝、綾滝、大滝と素晴らしい滝巡りをし、大岳鍾乳洞巡りを経験したことは、
強く印象に残る「関東ふれあいの道」となった。
また行きたい関東のふれあいの道(東京)は? と問われれば、間違いなく「鍾乳洞と滝のみち」だろう。
ただし、次回は鍾乳洞はパスすることにしたい。


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」の目次”へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初の女体山コースに挑戦 筑波山ハイキング

2012年10月12日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年10月12日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第21回(2012年第32回)「筑波山(女体山コース)」ハイキングに参加した。
女体山コースは、例会では初めてである。個人的にもまだ誰も登った人はいない、とのこと。
どのような登山道なのか、一抹の不安はある。


第一集合場所の乙戸沼公園には、14名が集まった。
ほぼいつもの顔ぶれだ。


車4台に分乗し、第二集合場所の「筑波高原キャンプ場」へ。


筑波高原キャンプ場には既に4名が直行していた。この時点で17名。
後から追いかけて来ていた筈のTさんがまだ到着していない。
直ぐに到着するだろう、とさほど気にはしていなかったが・・・


筑波高原キャンプ場から麓の羽鳥の家並みを眺めていた時だ。
突然、管理棟の公衆電話が鳴った。誰もいる筈もないので、受話器を取ってみると何とTさんからだ。
筑波高原キャンプ場への分岐点を通り過ぎて旧ユースホステル跡まで上ってしまったらしい。
携帯電話からここの公衆電話にかけているとのことだ。
どうしてこの公衆電話の番号が分かったのか不思議に思ったが、昨夜自宅でWebを見てメモを取っていたと聞いて納得。
場所までの道順を教え、至急こちらに向かうよう案内した。


『先に準備体操は済ませよう』
会長の掛け声で準備体操開始。


爽やかに晴れ上がった空の下で体操するのは気持ちが良い。


準備体操も終わり、待つこと5分。
ようやくTさんが到着し、この日の参加者18名全員が揃った。
絶好のハイキング日和なのだが、山登りは苦手という人もいるのか、予想よりやや少ない感じ。
10時34分、会長を先頭に女体山目指して出発だ!


登山口はキャンプファイアーの奥にあった。
筑波山頂上(女体山)まで約1.6Kmという比較的短いコースであるが、
『急な登りが待ち構えているんじゃないの?』
全員初めてのコースだけに、不安混じりの声も聞える。
まあ、何とかなるだろう!


筑波高原キャンプ場は、カタクリの群生地となっている。
あちらこちらに立入禁止の立て札が。
一度カタクリの花が咲く春に訪れてみたい場所の一つだ。


キャンプ場を過ぎる辺りからすぐに急な登りになる。
『こんな登りが最後まで続くのかねぇ』


女体山山頂まで1.5Kmの表示。
『まだ100mしか歩いてないの?』


道標を過ぎると、道はやや緩やかになり、雑木林が現れる。


10時59分、ここらで一息入れよう。


5分ほど休憩の後、再び山頂を目指す。
女体山山頂まであと0.9Kmだ。


しばらくはそれほど急でもない坂道が続くが、


たまに、緩やかな場所があって、一息つける。
『この調子が続いてくれればいいのにねっ』


『いやぁ 久しぶりの山登りだから、けっこうきついわ』
と言いつつも、余裕の笑顔のFさん。


二度目の休憩、お茶タイムだ。


熊笹の生い茂る道を進む。
『頂上は未だなのっ?』
『もう直ぐですよっ』


11時39分、女体山に到着。
登り始めて1時間5分、思ったより楽なコースの一つだったというのが率直な感想である。


女体山神社にお参りしようと思ったが、子供達がわんさか。
金曜日は学校の遠足日和でもあるのだ。
引率の先生に聞くと、山頂付近は子供達に占有され大混雑とのこと。
赤い帽子の子供達もこれから登るところだと言う。
これでは、しばらくはここから動けない、と判断、御幸ヶ原へ向かうことにした。
女体山神社は、5月11日の例会でも登っており、今回はパスすることにした。


御幸ヶ原へ向かう。


「せきれい茶屋」では盛んに呼び込みをやっていたが、迷わず通過。


御幸ヶ原への途中にちょうどうまい具合に空いているテーブルを見つけた。
『ちょうど良かった、ここで弁当にしよう』
5月に利用した時はテーブルは古かった。確かベンチがあった筈だ。
今はテーブルも新しくなっっており、ベンチは丸太に変わっていた。


『おにぎりが美味いねぇ』早速おにぎりを頬張る。
男性陣9名は大きめのテーブルに。


こちらは女性陣
『外で食べるのって最高よねっ』


んっ? 自衛隊員が登山?
(食事中に後ろ向きで撮ったため、ブレてしまったのはお許し願いたい)


昼食も済ませ、御幸ヶ原へ降りて見ると・・・


自衛隊員も弁当の最中だ。
地面には敷物も敷かず、そのまま腰を降ろしての食事風景に感心する。


男体山をバックに記念撮影をして、直ぐに下山開始だ。
15時までに帰宅しなければ、という会員もいて、今回の男体山登頂はパスにした。


山下りは楽で良いが、前夜の雨でぬかるんでいるところもあり、滑り易い。


15分ほど下ったところで一休み。


さらに7分ほど下ると・・・


「関東ふれあいの道」のカタクリの看板があった。
『なるほどなるほど』


カタクリの看板から5分ほどで、ユースホステル跡に到着。
朝方、Tさんが間違えて上って来てしまったところだ。


ユースホステル跡からは舗装された道路が続く。


道が広くなり、車もほとんど通らないので、道いっぱいに広がって下る。
道に筋が入れられてあるのは車の滑り止めのため。それだけ急な坂道ということである。


筑波高原キャンプ場への分岐点。


右折して筑波高原キャンプ場へ向かう。


女の川(めのがわ
案内板によると、
筑波山の主峰女体山を源にして真壁町側へ流れている。
万葉の時代から詩歌に歌われ、”恋の川”とも呼ばれていた。
下流で男体山を源に流れる男の川(おのがわ)と合流して「男女の川」(みなのがわ)となる。
水量豊富で、サンショウウオが棲息している、そうである。


たまには砂利道を歩くのも悪くない。
舗装された道より疲れが少ないような気がする。


分岐点から15分ほどで、筑波高原キャンプ場の駐車場が見えてきた。
『ふうっ、やっと着いたねっ』
実を言うと、女の川を過ぎた辺りから、皆さんややバテ気味である。
ゴールは直ぐだと思ってスピードアップしたのだが、意外に距離があり、最後の坂道が堪えたようなのだ。


13時40分、筑波高原キャンプ場に到着。
登山開始から約3時間、ちょうど良い運動になった。
『これぐらいのコースが楽で良いわねっ』


整理体操をして・・・
『今日は、大変お疲れ様でしたっ』


初めての筑波山女体山コースは、思ったより楽だった、と言うのが正直な感想である。
次回は、女体山神社、男体山神社へのお参りはちゃんとやっていこう。
ただし、子供達の団体にぶつからなければ、の条件ではあるが。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
へ戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏日のなか 秋の手賀沼ハイキング

2012年10月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年10月5日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第20回(2012年第31回)「秋の手賀沼」ハイキングに参加した。
この日のコースは、2011年JR「駅からハイキング」(千葉)で新規設定され、紹介されたものである。

手賀沼(千葉県)を歩くということで、電車を乗り継いで行くことにした。
スタート地点とゴール地点が異なるためでもある。
常磐線荒川沖駅から9名、土浦駅から乗った仲間5名と合せ、14名の参加となった。
天気も良く、予想気温も一時ほどの真夏日でもないのに、参加者が意外に少ない。
我孫子駅から成田線に乗り換え、9時24分、成田線湖北駅に到着。


早速駅の階段前で準備体操だ。
既に通勤時間帯は過ぎているため、通行の邪魔になることはない。


入念に身体をほぐす。


準備体操も終わり、いざ出発! といきたいところだったが、駅の反対側(北口)に降りていたことに気が付いた。
危うく手賀沼とは逆の方向に行くところだった。
初めての駅だったため、改札口を出たところで降りる階段を間違ってしまったのだ。
慌てて戻るところ。


駅の反対側(南口)は、駐輪場に自転車が溢れていた。


駅前には緑がいっぱいのロータリーがあるというところが北口とは大きく異なるところだろうか。


9時39分、あらためて、手賀沼目指して出発だ!


駅前湖北台1丁目の商店街を通り、


湖北台中央公園への欅並木を進む。


一般道より一段下の窪みに広がる湖北台中央公園の中を進む。
『あれ何て言うゴルフだったっけなぁ?』


ターゲットバードゴルフを楽しむ人たちが。
ターゲットバードゴルフは、バドミントンの羽根がついたボールを使用し、ビーチパラソルを逆さに立てたような
ネットホールにホールアウトして9ホールまたは18ホールを回るゴルフスポーツである。
クラブは一般ゴルフのウェッジクラブだけを使う。
狭い場所でゴルフが楽しめるようにという思いから昭和44年に埼玉県で生まれた、そうだ。


こちらはゲートボール。
憩いの場として多くの市民に親しまれているようだ。


湖北台中央公園を後にする。


湖北台中学校付近
先導役のOさん、元気いっぱい。


住宅街を抜けると、回りが田んぼの風景が広がる。
砂利道を歩くのは久しぶりのような気がする。


田んぼの真ん中辺りの葦切橋(よしきりばし)を渡り・・・


手賀川の土手に到着した。


手賀川の土手を手賀沼に向って進む。


コハクチョウの親子がのんびりと休んでいた。
日本に越冬して、東シベリア地方やオホーツク海沿岸に帰らず、夏を越したようである。
日本の夏の暑さにも耐えられる、ということか。


歩道専用の手賀沼の水門、旧手賀曙橋。
手賀沼と手賀川の間に架かる橋梁で、ここより西が手賀沼、東が手賀川となっている。


車道(新手賀曙橋)は別にある。


何かいるのかな?


オオバンが悠然と泳いでいた。


手賀曙橋を渡ったところが「手賀沼自然ふれあい緑道」の起点(終点)になっている。
歩行者・ランナー(左)と自転車(右)は分けられており、終点(起点)の北柏橋までは
9.4Kmも続く長い歩道となっている。


手賀沼は思ったより広い。
ここから約5Km先の手賀大橋まで歩くことになる。
「手賀沼自然ふれあい緑道」の約半分のところだ。


先頭を颯爽と歩くOさん。


自転車が時々猛スピードで追い抜いて行くが、分離されているので安心だ。
霞ヶ浦湖畔にもこのような歩行者と自転車用の道路が欲しい。


土手に沿って芝生の「手賀沼自然ふれあい緑道」が続いている。
あちこちで刈り払い機や、


芝刈り機で芝刈りが行なわれていた。
きれいに刈り上げられた芝生の緑道を歩くのも気持ちが良い。


10月に入ったというのにこの日の予想最高気温は27℃。
あいにく土手の上は日除けとなる場所がないのが難点である。
たまたま一本の大きな桜の木があり、木陰を作っていたので、一休みして行こう。
『お茶が美味い!』


手賀大橋まで2.9Km地点を通過。


前方に見晴し台のようなものが見えてきた。


見晴し台は高くはないが、試しに上ってみることにした。


デッキの上では幾分風を感じる。
見晴しは悪くない。


見晴し台から10分ほど進むと、蓮の群生地の先の対岸に「水の館」が。


またしばらく進むと、緑道の東屋があった。
先頭グループが一足先に休憩している。


バラけた隊列がまた揃って一安心。


手賀大橋がはっきりと見えてきた。


手賀大橋をくぐった先を左に曲がると・・・


道の駅「しょうなん」だ。
立寄って体調を整えることにした。
時計は11時50分、そろそろ昼食タイムだが、「水の館」まで我慢しよう、


手賀大橋を渡る。


手賀大橋中央付近


橋の上から見た手賀沼の風景は素晴らしい。


手賀大橋、残り200m付近


手賀大橋を渡り切ったところで我孫子市に入った。


若松交差点を右に曲がり、手賀沼親水広場へ向う。


手賀沼親水広場の歩行者専用歩道を進む。


12時20分、「水の館」前で弁当タイムだ。


東屋で弁当を広げる男性陣。
『やっぱ、天気の良い日は外で食べるのが最高だねっ』


弁当も終わり、「水の館」をバックに記念撮影だ。


「水の館」に立ち寄って見学(無料)して行くことにした。


『こんな魚が棲んでるのね、手賀沼は』


展望階から見た手賀沼の景色


何となく艶かしい感じの河童の像
時間式の噴水になっているとのこと。


展望階から見た手賀大橋


『あれが東京スカイツリーじゃねえの?』


鉄塔の先にうっすらと東京スカイツリーが見えた。
空気が澄めばもっとはっきりと見えるそうだ。


「水の館」を後にして、天王台駅へ向かう。


釣り堀ではのんびりと釣りを楽しむ人の姿も。


手賀沼北側の遊歩道は人と自転車は一緒になっている。
やはり、自転車などが通ると歩き難い。
南側と同じように整備して欲しいものである。


藤棚の下を通り抜ける。


車道をしばらく進むと、天王台駅方面の案内があった。
JR「駅からハイキング」では、この日のコースのゴールは東我孫子駅となっていたが、
天王台駅と大して変わらないため、急遽天王台駅をゴールとすることに変更した。
東我孫子駅にすることで、電車代も80円安くなるので得である。


「あやめ通り」を進み、天王台駅入口交差点を真直ぐ進む。
ここを右に行くと東我孫子駅に行き着くはずだ。


成田線を跨ぐと、天王台駅は間もなくだ。
ゴールが近づくにつれ、口数が少なくなったような感じ。
暑さの中を歩いたためか、疲れが出てきた様子である。


正面が天王台駅だ。


14時2分、天王台駅に到着した。


やや歩き疲れた。ここはエスカレータを利用しよう。
誰も階段を上ろうという元気な人はいない。
会長も『整理体操は省略ッ!』


待つこと数分、常磐線電車が入ってきた。
『今日は、大変お疲れ様でしたっ』


手賀沼を歩くのは2度目だが、南側は初めてである。
「手賀沼自然ふれあい緑道」が整備されていて、安全で歩き易いコース、という印象である。
次に歩く機会があれば、「手賀沼自然ふれあい緑道」は、北柏橋から手賀曙橋までの9.4Kmとなっているので、
通して歩いてみたいと思う。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
へ戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする