ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

最後はハッピー 守谷野鳥のみちと守谷城址公園

2020年10月24日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年10月24日(土)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和2年(2020年)度第8回(2020年第19回)、「守谷野鳥のみちと守谷城址公園
ウォーキングに参加した。

新型コロナウィルスの影響を受け、今年度のスケジュールを見直した結果、従来のバスハイク
および電車を乗継いでの都心方面へ向かう例会は全て中止となった。
なお、茨城県内の電車利用については、十分なコロナ対策を取るなどして、土曜日に変更して
実施することとした。
この日のスタート&ゴールは常総線南守谷駅であり、コロナ禍後初めての電車利用となった。

この日のコースは、昨年11月29日(金)に常総線守谷駅から守谷城址公園などを巡り、
”守谷野鳥の森”の水辺コースを抜け、南守谷駅まで歩いている。
今回、守谷城址公園を歩くのは2回目となるが、木道が整備された”鳥のみち(木の道)”は
初めてである。

荒川沖駅には14名が集まった。


8時41分発の常磐線上り電車を待っているところ。
通勤時間帯は過ぎており、また土曜日ということもあって、我々の他にお客の姿は少ない。


予想どおり電車内は空いていた。
ただ荒川沖駅から乗車した皆さんは、仲良く一緒に座っている。
もっとゆったりと間隔を空けても、と思うが、長年培ってきた年寄りのマナーというものなのだろう。
離れ過ぎると今度は話しが届かなくなるからかも。


ボックス席の車両に乗車した土浦駅からの4名と合わせ、この日の参加者は18名となった。


常総線への乗換えの取手駅までは大体このような状況だった。
三密に遭うことなく目的地へ行くことが出来た。


取手駅で常総線へ乗り換えの際、「大人の休日倶楽部」カードを無くしたのに気が付いた。
何度も全てのポケットやリュックの中を探したが、見つからない。
少々時間を要すると思われたので、皆さんには常総線取手駅で待ってもらうのは申し訳ないため、
9時10分発の予定どおりの列車で目的地の南守谷駅まで先に向かってもらうことにした。

その後、JR駅員への状況説明や紛失物の問い合わせ先などを教えてもらい、
あらためて常総線のキップを購入し、9時31分発の列車で皆さんの後を追った。


9時49分、この日の出発地南守谷駅に到着した。
皆さんに遅れること約20分、改札口前で皆さんが温かく迎えてくれたのには感動を覚えた。


9時53分、全員揃ったところで、守谷城址公園を目指して出発!
先頭を務めるのは、この日の最年長TK会長(80)である。


南守谷駅前から続く細い道を”野鳥の森散策路”の愛宕南口へ。


6分ほどで”野鳥の森散策路”愛宕南口に到着した。


薄暗い”野鳥の森散策路”を進んで行くと、急に視界が開け、左手に愛宕中学校の校舎が見えた。


ほどなく”野鳥の森散策路”の”ホタルばし”分岐点に到着した。


「小さな鳥の資料館」(400m)を目指すことにする。


森の中を進むと、


左手に畑が広がる場所に出た。
突き当りを右に折れ、


100mほど進み、十字路を60mほど進むと、10時18分、「小さな鳥の資料館」に到着した。
「小さな鳥の資料館」は、平成12年に守谷市教育委員会主催の守谷自然調査会の鳥類班に
調査協力員として参加した、池田昇館長が私費でオープンした資料館、とのこと。
猛禽類等の写真や剥製を展示しており、絶滅の危機に瀕しているクマタカの剥製も
展示されている、そうだ。


たまたま居合わせた館長に促され、奥へ進むと、


ノスリがケージの中に保護されていた。
日本産だそうである。
TVで紹介されているのは見たことはあるが、ノスリの実物を見るのは初めてだ。


さらに奥へ進むと、絶滅の危機に瀕していると言われるクマタカが飼われていた。
こちらは外国産でペットとして飼っているとのこと。
『精悍な顔をしてるねぇ』
『こんなに身近でクマタカを観ることができるなんて滅多にないよねっ』


他にもフクロウを見ることができた。
『大きな目をしてるわねっ』


車の中には訓練のために連れていくという目隠しをされたハヤブサが。
ハヤブサは訓練中、フライト時の集中力を高めるため、また周りの雑多なものからの恐怖を
除いてやるため、頭にフードをかぶせ目隠しした状態で管理するのだそうだ。


10時18分、館長に丁重にお礼を述べ、「小さな鳥の資料館」を後にした。


「小さな鳥の資料館」手前の十字路にある標識に従って、野鳥の森北ルート入口(320m)方面へ。


野鳥の森北ルート入口を目指す。


昼でも薄暗い森の中を進む。


『あんまり気持ちの良い道じゃないわよねっ』
『一人で歩くのは怖いし危険だよねっ』


10時24分、”鳥のみち(木の道)(下流域)”の山王下口に到着した。


”鳥のみち(木の道)”へ。


”鳥のみち(木の道)”は、総延長730m、幅140cmで総ヒノキの市民手作り、とのこと。
『こんな立派な木道をボランティアの方々で作ったんだぁ』


『立派で素敵な”みち”だよねっ』


『たくさんの可愛らしい花が咲いてるのを見るのは楽しいわ~っ』


市道郷州沼崎線の下を潜ると、その先は”鳥のみち(木の道)(上流域)”になる。


”鳥のみち(木の道)(上流域)”を進む。
『だんだん暑くなってきたねぇ 汗かいちゃったよっ』
この日の予想最高気温は18℃だが、既に超えていると思われる。


湿原を縫うように”鳥のみち(木の道)(上流域)”が続く。



『けっこう長い木道だよねっ』
『作るのは大変だったろうなぁ』


10時33分、こんもりとした大木の下に丸太の椅子が置いてあるのが見えた。
『あそこで一休みしましょうかっ!』


一度に全員が座れるほどの椅子はないが、『譲り合えば何とかなるでしょうっ!』


『暑くなってきたので冷たいお茶が美味しいねっ』


『どうぞっ』  『あら~ぁ ありがとう』
恒例のお茶タイム風景だ。


10時41分、守谷城址公園を目指す。


(小鳥の道経由)城址口(420m)の標識に従って、


右に曲がって”小鳥の道”へ。


山道の”小鳥の道”を進む。


皆さんが見上げているものは?


古木に生えている”サルノコシカケ”だ。
サルノコシカケ(猿の腰掛け)は、木質で棚形をしたキノコの総称。
猿が腰を掛けられるくらい、かたくしっかりしている。
『すごく立派だよねっ』


マムシの注意看板
『いかにもマムシが出て来そうだねっ』


マムシの注意看板前で蓮田の所でレンコンを買って来たという人に遭った。
細い道を左に折れて森の中を進んで行くと、


視界が開けて蓮田が広がる所に出た。
前方に見える小高い森が守谷城址跡と思われる。


蓮田の中にテントのようなものが見えた。
『あそこでレンコンが売られているんじゃないっ?』
ちょっと覗いて行くことにした。


ビニール袋に詰められてレンコンが売られていた。
1袋500円とのこと。
今買うと荷物になるため、帰りにもう一度立ち寄ることにした。


干し柿用の柿も売られていた。
1個50円だそうである。
まだ皮は剥かれていない。自分で剥いて2週間ほど干すと美味しく食べられる、とのこと。


左側の守谷沼(300m)方面を目指す。


農道を進み、


途中で守谷城址本丸跡に通じる空堀があったので、守谷沼の前に本丸跡へ行ってみることに。


本廓・本丸跡へ。


10時56分、本廓・本丸跡に到着。
守谷城は、鎌倉時代から戦国時代にあった城で、将門城、相馬城などと呼ばれ、平将門公の
築城との伝説が残る。
鎌倉時代、平将門公の叔父、平良文の子孫、相馬師常によって、現在守谷城址公園になっている
平台山の島状の台地に築城したのが最初とされる。
師常は、源頼朝に早くから仕えた重臣で、幕政にも参画した。
相馬郡はじめ、結城郡、猿島郡、豊田郡の一部、さらには奥州相馬郡など多くの領地を所有、
守谷城はその本拠地だった。
今は回りは木々に囲まれ外(城外)の景色は全く見えない。


本丸跡の反対側にある二の丸跡へ。
坂道を上り、


空堀を左手に見ながら進み、土橋を渡る。


土橋の両側は深く掘られた空堀になっている。


土橋を渡りきると、正面には二の丸の広場が。


帰るときにもう一度二の丸跡へ立ち寄ることにしているので、いったんは二の丸を後にする。
再度土橋を戻って、


守谷城址公園をぐるりと取り囲む土手の上へ。


守谷沼を目指して土手の上を進む。


11時6分、守谷沼に到着した。
『けっこう広い沼なんじゃないっ』


守谷沼に沿って城址公園を取り囲む土手の上を進むと・・・
『沼のある景色も良いもんだねぇ』 『気持ちが良いわよねっ』


土手を進んで行くと、守谷城址公園の入り口が見えてきた。


入口に元茨城県知事 故竹内藤男氏書の石碑が立っていた。
「備田栄農」と刻まれている。


さらに右手に”かわうそ弁天”に沿って進むと、


11時11分、守谷城址公園に到着した。


守谷城址公園で10分ほどの休憩を摂っていたその時・・・


『そろそろ弁当だねっ』という声が・・・『ンンっ???』
前回(10月16日の雨引山ハイキング)で岩瀬駅で解散する時に、『次回(10月24日)は”弁当無し”』
を周知徹底したのに・・・と思っていると、前回不参加だった6名が弁当を持参している、
ことが分かった。
改訂版のスケジュール表を確認すると、そこには、はっきりと”弁当”の2文字が記載されている
ではないか。
コロナ禍でスケジュールを見直した際に、この日の例会の”弁当”の2文字を削除するのを
忘れていたのだ。何たる”不覚”、”大チョンボ”である。

この場所で弁当という訳にもいかず、外での弁当を楽しみにしていた方たちには本当に
申し訳なく思うとともに、平謝りをして、南守谷駅まで何とか弁当は我慢してもらうことにした。


石段を下り、守谷城址公園の多目的広場へ。


多目的広場を通り、


再びこの日予定しているコースである守谷城址の二の丸方面へ。


守谷城址公園を取り囲む一段高い土手を超え、守谷城址の二の丸曲輪跡へ。


二の丸虎口の丸太の坂道を上ると、


二の丸広場に出た。


二の丸虎口には以下のように記された守谷城想定図があった。
(平成8年守谷町教育委員会『守谷城址発掘調査報告書』などを元に、永禄11年(1568)北条氏政が
古河公方の御座所として増改築した当時の守谷城の姿を推定して制作したもの)
令和元年8月 守谷市観光協会
永禄年間の想定図で現在地などを確認することは我々素人にとっては極めて難しい、
というのが正直なところだと思う。


二の丸曲輪で最も見晴らしの効く矢倉台へ。


『ここからの見晴らしは素晴らしいわよねっ』


矢倉台からの眺望
先程歩いた蓮田の景色が一望だ。


二の丸矢倉台からの眺望に満足して、守谷城址を後にした。
二の丸曲輪から坂道を下って正面口へ。


正面口を左に折れ、守谷城址北口へ。


お土産のレンコンを求め、蓮田の中に建つテントへ立ち寄ることにした。
ビニール袋に詰められたレンコン(1袋500円)の品定めをしているところ。


干し柿用の柿(1個50円)も売られていた。


皆さん、手に手にビニール袋をぶら下げてテントを後にした。


帰りは城址口から”野鳥のみち(木の道)(上流域)”へ。


”野鳥のみち(木の道)(上流域)”を進む。


木の道は続く。


11時48分、前方に朝方休憩を摂った見覚えのある丸太のベンチが見えてきた。
その時、弁当を持参した方たちから『ここで弁当を食べて帰りたいわっ』との申し出があった。


ちょうどお昼時でお腹も空いて来たし、天気も良いので、せっかくだから弁当を食べて帰りたいとのこと。
それはグッドアイディア! 大賛成である。
ということで、弁当を持参した方たちとはここでお別れすることにした。
『それでは、存分に弁当を楽しんで下さいねっ』 『帰りは気を付けてねっ』


弁当を持参していない残りの皆さんと”鳥のみち(木の道)”の山王下口へ向かった。


木道の両側に生えた草を刈っている人が。
これもボランティアでの作業なのだろうか?
『ご苦労さまですっ!!』


山王下口へ。


11時58分、山王下口に到着し、来た時とは逆にそこを右に折れて、”守谷野鳥の森散策路”の”北ルート”へ。


山王下口から50mほど進むと、”守谷野鳥の森散策路”の”北ルート”入口に到着した。


”守谷野鳥の森散策路”の”北ルート”を進む。
”北ルート”は”水辺ルート”とも呼ばれているようだ。


100mほど進むと見覚えのある路が現れた。
昨年、西林寺口から降りて来たところで、水色の路が現れたのが強く印象に残っている。
『私も覚えているわよっ』 の声が上がる。


”水辺ルート”を進む。
両側は湿地のようになっており、水が溜まっている。


”水辺ルート”を進むと・・・


水辺広場の小屋があった。
『ここも覚えてるわっ』


水辺広場の小屋を過ぎると少しだけ山道になる。


山道を進んで行くと、”ホタルばし”と愛宕神社の分岐点があった。


愛宕中学校の石垣の下に蛇の抜け殻があった。
青大将の抜け殻のようだ。


『こっちに本物がいるよっ』の声のする方へ行ってみると・・・
青大将が水捌け用のパイプの中へするすると入って行くところだった。
そのうちに全身(約150cm以上)がパイプの中へ吸い込まれるように消えていった。


ホタルばし方面は前回とこの日朝方にも通ったので、今回は愛宕北口(250m)へ向かうことにしよう。


愛宕北口を目指す。


愛宕北口へ。


愛宕北口を右に曲がり、愛宕中学校の校舎を右手に見ながら進むと、


12時18分、愛宕神社に到着した。


火伏の神様愛宕神社に参拝。
天慶年間(938~946年)、平将門が京都の愛宕神社に似せて創建したと伝えられている。
御祭神軻遇突智命(かぐつちのみこと=火産霊神)を祀る。


この日の無事を報告した。
火伏の神様ではあるが、何はともあれ無事を喜んでくださることだろう。


境内には栢(カヤ)の大木が聳えていた。
樹齢は不明だが、かなりの古木と見受けられる。
ご神木を意味する注連縄が巻かれていた。


12時23分、愛宕神社を後にして、南守谷駅へ。


愛宕神社の正面の鳥居を潜り、


愛宕神社前の道路を南守谷駅へ向かう。


道路を右に曲がると、
『”鳥のみち(木の道)”の山王下口を左に折れて、来た道を戻っている』と連絡のあった
当会の二人が駅へ向かっているのが見えた。


二人に追い付き、仲良く揃って南守谷駅に向かった。


12時32分、ゴールの南守谷駅に無事到着した。


南守谷駅のホームで取手行列車を待っているところ。


待つこと数分、12時36分発の取手行が到着。


取手駅には定刻の12時51分に到着した。
その足で、取手駅ビル5Fのレストラン街へ。


そば・天ぷらの「横浜田中屋」へ入ることにした。


各自好みのメニューを注文し、先ずは生ビールで、
『乾杯っ!!』


『お疲れさま~っ』


『歩いた後の生は格別だね~っ』


『これがあるから止められないんだよねっ』


同行した女性二人は車の運転があると言う。
『本当は生飲みたいんだけど、我慢、我慢よねっ!』


自分は中生とかつ丼セットを注文した。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

コロナ禍後初めての電車利用の例会が無事終了した。
この日のコースは、昨年11月29日(金)に常総線守谷駅から守谷城址公園などを巡り、”守谷野鳥の森”の
水辺コースを通り、南守谷駅まで歩いて以来2回目となる。
”鳥のみち(木の道)”は初めてだったが、皆さんには高評価だったようだ。
今回、自身の大チョンボで弁当を持参された方には大変なご迷惑をおかけし、申し訳ない気持ちでいっぱい。
この場を借りて心からお詫びを申し上げます。

なお、「大人の休日倶楽部」カードの紛失については、帰りに念のため荒川沖駅に確認したところ、
何と!! 駅で保管されていたのである。感激ものである。
荒川沖駅の改札口を通り、カードをポケットに仕舞い込んだまでは良かったのだが、
デジカメと一緒だったため、ホームへ向かう途中に、カメラを取り出したときに誤って
落としたものと思われる。

どなたかが届け出てくれていたお蔭で、最後は最高に嬉しい出来事となった。
いやぁ 目出度し、目出度し、最後はこの上なくハッピーである。
ここが日本で本当に良かった!! とつくづく思った次第。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

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