ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

下町情緒薫る 寺町・谷中から上野散策

2017年09月29日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年9月29日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第19回(2017年第35回)、「寺町・谷中から上野周辺散策」ウォーキングに参加した。

この日は、下町情緒薫る寺町・谷中から文化の森・上野不忍池周辺までを
歩こうというものである。

この日は、出発地が西日暮里のため、電車を利用することにしていたが、
2名が乗車時刻を間違えるといういきなりのハプニング。
荒川沖駅を発車直後に携帯に連絡があったため、次ぎの電車で後を追うように伝え、
日暮里駅で落ち合うことにした。

日暮里駅で待っているところ。
『そろそろ到着する頃じゃないかしらっ?』
この直後、遅れていた2名が無事到着し、一安堵。


日暮里駅で山手線に乗り換え、9時28分、西日暮里駅に到着。
この日の参加者は、23名である。


西日暮里駅の北口出口が分からず、地下鉄とJRの間を行ったり来たり。
何とか出口を見つけ、9時37分、ようやく日暮里駅を出発することが出来た。
地下鉄駅とJR駅間の階段往復で、ちょうど良い準備運動だった。
(半分は負け惜しみ)


道灌山通りを西へ進み、


最初の信号を左に曲がり、細い道を先ずは布袋尊を祀る修性院へ。


塀いっぱいに描かれた布袋様のイラストに心が和む。


9時44分、修性院に到着した。
修性院は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」と呼ばれる、
布袋尊像を安置する古刹である。
江戸時代、この辺り一帯は、“ひぐらしの里”と呼ばれ、
四季折々の花を愛でにやってくる人々で賑ったとか。


修性院本堂にお参りし、


七福神の布袋尊像を探したが見当たらない。
寺の周りは、びっしりとお墓に囲まれていた。
『布袋さんは何処に祀ってあるんだろうねっ』


修性院を後にして、次の目的地朝倉彫塑館(ちょうそかん)へ。
階段を上り、


右折して富士見坂を下る。


地元の人に朝倉彫塑館の場所を確認すると、富士見坂を上って右方向とのこと。
『反対側に来ちゃったよっ』
ということで富士見坂を引き返す。


富士見坂を上る。


『え~っ ここ車が通るんだぁ』 人と壁がすれすれである。
車を運転する人も気を遣うだろうと思う。


このように富士山が見えたようだが・・・


坂の上から今上って来た富士見坂を見下ろす。
今でも写真のように富士山が見えるのだろうか?
写真とは違う方角のようにみえるが・・・


富士見坂を突き当った左に諏訪神社があった。


この先道に迷わずに行けるよう、諏訪神社に祈願した。


諏訪神社へ参拝後、富士見坂方面へ引き返し、


諏訪台通りを進む。


朝倉彫塑館
日本近代彫塑の礎を築いた朝倉文夫の旧居である。
自らが設計した和洋折衷の住居とアトリエ、自己反省の場として築いた中庭がある。
アトリエには代表的な朝倉作品の原型を、書斎には愛用した道具や身の回りの品々を展示。
木造住居部分は非公開。(入館料は400円)
入館は各自別の機会にということで、ここは素通りだ。


七福神そば屋を通過


10時12分、長安寺を探しながらキョロキョロしていると、長安寺が目の前にあった。
寺名の字が小さくて日陰になっていた上、門の前に停まっていた
工事用トラックのため、見え難く、気が付かなかった。
寺の中は狭そうだし、工事中だったため、代表して見て来ることにした。


長安寺は、谷中七福神の一つで、寿老人を祀るこぢんまりとした古刹である。


墓地には幕末から明治にかけて活躍し、「慈母観音」や「不動明王」など
重要文化財指定の作品を残した狩野芳崖の墓がある。
「慈母観音」を完成した4日後に亡くなったと云う。


長安寺を過ぎて小さな通りを進む。
狭い通りだが、通り抜ける車は多い。
『車だよっ!!』 お互いに何度も声を掛け合い、注意を促しながら進む。


常在寺という寺の前を通過
この辺りは実に寺が多いため、全てを撮ってる訳にはいかない。
気が向いた時だけ撮ることにした。


建物の外壁いっぱいに絵馬を飾ってある家があった。
絵馬堂と書かれた看板を掲げている。
中は絵馬とは関係のない品物が見えるが・・・
『中は食堂なのっ?』
『食堂と言うのは古いねっ、レストランと言って欲しいねっ』と中から威勢のいい声が。
絵馬は趣味で集めたものだそうだ。


都道452号を「いせ辰」を目指す。


道路の反対側から子供たちの元気な声が聞こえる。
台東初音幼稚園からだった。


三崎坂(さんさきざか)の坂道を下る。
案内板には、三崎と言う地名の由来は、諸説あるらしい。
駒込・田端・谷中の三つの高台に因むと云われる。
安永二年(1773)の『江戸志』によると、三崎坂の別名を「首ふり坂」と云い、
30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことに因むと云う、とある。


10時32分、全生庵の前を通過
『かつて中曽根総理がよく通ってたらしいよっ』とMZさん。
調べてみると、幕末から明治にかけて活躍した幕臣・山岡鉄舟が、
維新に殉じた人々の菩提を弔うために建立した臨済宗の禅寺、とのこと。
安倍首相も忙しい合間を縫って足を運んでいる、そうだ。


天龍院前を通過
この辺りは寺だらけ、と言った状況である。
『何でこんなに寺が多いのかねぇ?』


今週は、秋の交通安全運動週間だ。
『ご苦労さまですっ』


乱歩という喫茶店があった。
ミステリーの巨匠・江戸川乱歩の小説の舞台となった場所でもある、そうだ。
入ってみたくなる店の構えである。


10時28分、「いせ辰谷中本店」に到着


いせ辰は、江戸千代紙を現代に伝える店である。
関東大震災で失われた版木を一から彫り起こし、
1,000種類以上の図柄を復刻させた。


店の中には所狭しと江戸千代紙が並べられていた。
江戸時代の風俗や四季の風物、遊び心溢れるものまで多彩。
江戸の粋を感じられる貴重な店である。


三崎坂を引き返し、谷中霊園へ。


三崎坂の反対側には昭和の雰囲気が感じられる佇まいが。


この辺りは団子坂通りとある。
三崎坂の続きだが、途中で坂道名が変わるのは珍しい。
『あっちにも歩いている人がいるねぇ』


谷中を散策しているのだろう。
車夫の格好をしたガイド付きだ。


谷中茶屋町の路地を進み、


左に折れると、「花重」と書かれた花屋さんがあった。
谷中霊園は近い。


「花重」の先の「ふじむらや」を過ぎて右に曲がると、


徳川慶喜墓と書かれた矢印表示があった。
谷中霊園だ。
先頭Gはどんどん徳川慶喜の墓方向へ行ってしまった。
休憩を優先する人(自分も含む)は、墓地の木陰で一休みしながら
慶喜公墓へ向かったGが戻って来るのを待つことにした。


谷中霊園は、天王寺の境内に明治7年(1874)に開かれた広大な共同墓地である。
墓地には長谷川一夫、横山大観、渋沢栄一、徳川慶喜など、
歴史に名の残る人物が数多く眠っている。


慶喜公の墓へ向かったGが戻ってきた。
『”数分の所に五重塔がある”という情報を得たんだよっ』と言うので、
五重塔へ向かうことにした。


霊園内を進むと、


”五重塔跡”の標識が。
『跡って書いてあるよっ』


かつてここに幸田露伴の小説「五重塔」で有名になった塔があったが、
昭和32年に起きた焼身心中のため焼失してしまったのだ。


当時の塔と延焼中の写真が貼られていた。
『跡とは聞いてなかったなぁ』と悔しがるTKさん。


11時3分、気を取り直して上野動物公園の東照宮を目指す。


都道452号に続く通りを東京芸大方面へ。


上野桜木交差点を過ぎると、道路は一段と狭くなった。
今は後ろから車は来てないが、信号が青に変わると、後ろから次々に車がやって来る。
常に後ろを振り返りながら進まなければならない。
とてもゆっくりと歩いている余裕などない。


藝大美術館が見えて来た。


左手の東京芸術大学前を通過


続けて藝大美術館を右手に見ながら進む。


藝大美術館の先を右に折れ、上野動物園裏門前を通り、
東京都美術館横を通り過ぎると・・・


11時22分、上野動物園の表門に到着した。
『東照宮はどっちだろう?』
周囲を見回すと・・・


上野東照宮の案内看板があった。
矢印に従って動物園横を抜けると・・・


上野東照宮の水舎門があった。
水舎門を潜り、表参道を東照宮へ。


両側にずらりと並んでいる石灯籠の表参道を進む。


右側に見えるのは、神楽殿だ。


水舎で手を洗い清めて、


上野東照宮へ参拝
金色殿とも呼ばれるきらびやかな権現造りの社殿である。
正面に金色の唐門が建っている。


唐門前の参道には、銅灯籠が立ち並ぶ。


『凄く立派だね~っ』 『黄金色に輝いてるわねっ』


金色に輝く唐門


唐門の後ろに、金色殿(社殿)が控える。
唐門と透塀は、参道に立ち並ぶ50基の銅灯籠とともに重要文化財に指定されている。


上野動物園内の五重塔が見えた。
谷中霊園では残念ながら見ることが出来なかったので、
これで”帳消し”としよう。


池之端表道から不忍口鳥居を抜けて、上野東照宮を後にする。


上野精養軒を左手に仰ぎ見ながら進むと、


11時39分、上野動物園の不忍池弁天門前に到着した。


弁天堂へ
両側がハスの葉に覆い尽くされている橋を渡ると・・・


正面が不忍池弁天堂だ。
寛永寺を創建した天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て、
竹生島にあたる弁天島を築かせて弁財天を祀ったのが始まり、と云われる。


堂内には慈覚大師作と云われる本尊の八臂大弁財天を安置している。
八臂大弁財天にお参りし、


左手に不忍池(ボート池)を眺めながら不忍通りへ。
平日のためか、池に浮かぶボートは数えるほどだ。
殆どは係留されたままだった。


不忍通りを目指す。


ボート池の向うに弁天堂が見えた。


不忍通りの交差点を渡った所が、


横山大観記念館だった。
日本画壇の重鎮・横山大観が明治42年(1909)から暮らし、
数々の名作を生んだ屋敷を記念館として公開している。
横山大観の作品や習作・スケッチ・遺品を数多く収蔵し、
3か月ごとに入れ替えて展示している、とのこと。
この日は、ウォーキングが主なので、入館は各自別の機会にということで、
ここはそのまま通過することに。


不忍通りを進んだ所に地図があった。
旧岩崎邸庭園を確認すると、少しだけ行き過ぎていた。


不忍通りを50mほど引き返し、不忍池西交差点を左折する。


間もなく旧岩崎邸庭園の入口だ。


12時1分、旧岩崎邸庭園に到着した。
三菱財閥創設者・岩崎弥太郎の子・久弥が明治25年(1896)に建てた邸宅。
当時は20棟が並んでいたと云われるが、そのうち本館と和館、撞玉室が現存し、
庭園とともに公開されている。


この日は、途中で道を間違ったりしたため、かなり時間をロスしてしまった。
旧岩崎邸庭園を見学するには、急いで観て回っても少なくとも30分以上は
みておかなければならないだろう。
お腹が空いてきている状態では、鑑賞に気持ちが入らないことでもあるし、
またこの後、湯島天神へも行くことにしているため、旧岩崎邸庭園の見学は
パスすることにした。
何としても旧岩崎邸庭園を観たいと言う3名を見送って、


会長以下20名は湯島天神へと向かった。


不忍通り池之端一町目交差点を渡って、少し進むと、


右側に湯島天神の参道らしき道があり、石段の上に鳥居が見える。
『あの石段を上った所が湯島天神だねっ』


男坂の石段を上る。


12時13分、湯島天神に到着した。
とりあえず日陰で一息入れ、


湯島天神に参拝
湯島天神は、正式には湯島天満宮で、学問の神様・菅原道真を祀る古社である。
受験シーズンにはたくさんの受験生が「神頼み」に訪れる。
境内は梅の名所でもあり、紅白400本の梅が植えられている。
梅にちなんだ作品を集めた宝物殿(入館500円)もある。


天満宮の象徴である牛の像


湯島天神の参拝も終わり、残すは下町風俗資料館だけである。
男坂の石段を下って参道へ。


春日通り天神下交差点を右折して御徒町方面へ。


中央通り上野広小路交差点に出た。
斜め向いは松坂屋デパートである。


上野広小路交差点を左に曲がって進むと、上野鈴本があった。
『ここが上野鈴本かぁ』
『懐かしいよな~っ』


12時34分、中央通りと不忍通りの交差点に到着した。
下町風俗資料館を残し、大方この日の見所は巡ったことでもあるし、
皆さん(自分も含む)かなりお腹も空いている様子。
これからめいめい好きな食事処に向かいましょうと言うことで、
この日はここで解散することに。
『今日は大変お疲れさまでしたぁ』 『お互い帰りは気を付けましょうっ!』


最後に残ったのは6名だ。
いろいろと探すのは面倒なので、目の前にあった食事処「大戸屋」へ。
ちょうど食事時間帯だったため、かなり混んでいた。


待つことしばし、一番奥のテーブルに案内された。
先ずは、生ビールで『かんぱ~いっ』
『お疲れさま~っ』


めいめい好みのメニューを注文した。
自分のカメラで写真を撮られるのは、滅多にない。


食事が終わり、上野公園へ。


再び不忍池へ。


今度は時計回りに進むと・・・


13時58分、下町風俗資料館に到着した。
谷中6丁目にあった明治43年(1910)に建てられた酒屋(吉田屋)を移築して展示。
江戸中期から明治の商家建築の典型で、内部には秤や桝、徳利などが
営業当時のまま展示されている。


入館料は無料と聞いていたが、有料(300円)と表示されていた。
この日は、場所だけでも確認しておこうということなので、
中には入らず帰途についた。


中央通りを横断し、アメ横へ。


アメ横通りと上野中通りの交わる場所に出た。
相変わらず大勢の人出で賑っていた。
『いつ来ても人が多いよな~っ』


バナナならぬチョコレートのたたき売りに人垣が出来ていた。
近頃人気があるらしい。
果して新しいアメ横の名物となるか?


活気のあるアメ横を後にして、上野駅へ向かう。


14時15分、上野駅中央口コンコースに到着
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


下町情緒薫る寺町・谷中から文化の森・上野不忍池周辺までを歩いた。
途中何度か道を間違ったりしたが、予定していた訪問先は全て訪問した。
旧岩崎邸庭園は、時間的な都合でパスしたが、機会があれば是非立寄ってみたい。

この日の万歩計は、16,000歩を少し超えていた。

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