ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

「関東ふれあいの道」(神奈川)No.1 「三浦・岩礁のみち」

2013年04月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2013年4月14日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を歩いた。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画した。

第四回目となる今回は、コースNo.1(三浦・岩礁のみち:約10.3Km)を歩くことにした。
この日のコースNo.1は、当初1月に予定していたが、一部区間が工事中で、迂回が必要だった。
3月末に工事が終了するということから、今月に変更したものである。

東海道線戸塚駅で横須賀線を待つ。
この日の参加者は8名。
体調が優れないため休んだ人2名には、次回に期待したい。


横須賀線久里浜行きがやって来た。


鎌倉方面への観光客で座れないのを覚悟していたが、意外にも戸塚から座ることができた。
この日のコースのことを話し合っているのだろうか?


JR久里浜で京浜急行に乗り換えるため、京急久里浜駅へ向かう。


京浜急行三崎口行き。


ゆっくりと座って行けるのが嬉しい。


9時48分、三浦海岸駅に到着。


ここからバスを利用することになるが、出発まで少し時間があったので、駅の回りを歩いてみた。


駅前にはまぐろ商品や海産物の土産物屋が目立つ。


バス乗り場脇にもまぐろの土産物店が。
帰りにもう一度戻ってくるので、荷物になるから今は試食だけに留めておこう。


三浦海岸駅を10時11分に出発したバスは、コースNo.1スタート地点の松輪には10時28分に到着。
荒川沖を6時16分に出発したので、既に4時間を経過している。
やはり三浦海岸は遠いということを実感。


松輪間口港方面の道標
「関東ふれあいの道」の看板で、確認だ。
『ここで、間違いないよ』


10時30分、ようやく出発だ。
この日は、準備体操担当のKさんが体調を崩して不参加のため、準備体操は省略である。
『あっちに見えるのが久里浜かな?』


久里浜港の煙突だ。


三浦大根が有名と聞いていたが、今の時期はキャベツがびっしり!
見渡す限りキャベツ畑である。
あちこちで収穫作業が行われていた。


間口港への道端には、庚申塔や


猿田彦大神の石碑などが見られた。


住宅に囲まれた緩やかな坂道を下って行くと・・・


間口港に到着した。


今から30年も前、練馬区に住んでいた頃、足しげく釣りで通ったことのある間口港だが、
当時とはすっかり変わってしまっていた。


海藻のヒジキ?を干している最中だ。


この日のコースNo.1は、間口港の一部区間が3月末まで工事中とのことだったため、
工事が終了するのを待って歩くことにしたのだが、まだ完了には至っていないようだ。
一応歩けるようにはなっている。


細い道を抜けると、海岸に出た。


右手に剣崎の灯台が見える。
剣崎の灯台は、明治4年に点灯し、関東大震災で破損したが、大正15年再建された、そうである。


磯場の浅瀬で親子が遊んでいた。
カニと戯れているところだった。


このコースは、満潮時には、歩けない個所もあるそうだが、この日は何の問題もない。
この日は中潮で、間口港の干潮は正午過ぎとなっているから安心だ。


剣崎の碑があった。
剣崎は、神奈川の景勝50選に指定されている、そうだ。


剣崎の名のおこりの説明板に見入る。
それによると、剣崎の名のおこりは、徳川時代の萬治年間(1658~1660年)であると云われている。
徳川幕府の官材を積んだ五百石船が、この沖で暴風のため難破し、木材もろとも船は海底に沈んだ。
そこで海南神社の神主が海に剣を投じて龍神の怒りを鎮めてもらおうと祈ると、直ぐに風波が静まり
沈んだ官の木材がことごごく浮かび出たので、これをくり船で磯に運んだという。
これにより、この地を剣崎と言うようになったと伝えられている。
『そういう謂れがあったのか、なるほどっ』


この辺りから岩場の中、道無き道を進むことになる。
西からの強い風に身体がよろけることも。
風にあおられて足を踏み外したりすると危険だ。


せっかく貼ったテントが風で吹き飛ばされそう。
必死でテントを抑えているところ。


江奈湾へ約1.5Km付近。


起伏の激しい岩場が続く。


金属製の「関東ふれあいの道」標識の他にもコンクリート製の標識もところどころに。


コースNo.3「荒崎海岸」にも勝るとも劣らない景観が広がる。
『海のコースは雄大で良いねぇ』
同感である。


海水の浸蝕でできた洞窟なども数多く見ることができる。


小舟が数隻だけの名もない小さな入り江だ。


入江をぐるっと回って草むらを抜けると・・・


再び海岸に出た。
対岸の崖下の岩場を歩いてきたことになる。


江奈湾へ0.7Km付近。


広い岩場に出た。


浸蝕された岩が荒々しい姿を見せる。


江奈湾だ。
11時50分を回り、そろそろ弁当の時間だが、上空を飛びまわるトビが気になる。
江奈湾にはどこも身を隠す場所が見当たらない。
こんなところで弁当など食べようものならトビの餌食になってしまう。
ここは我慢して、兎に角この先の毘沙門の洞窟まで行ってみよう、ということに。


江奈湾の港の一角には、昆布らしき海藻が干してあった。
『この辺で昆布が採れるんだぁ』


江奈湾の奥部は干潮のため、底が見える。
今の時期は、干満の差が大きい。


『え~っと どっちの道を行けばいいのかな?』


道標に従って、右側の上りの道を進む。
左側の平坦な道を進みたいが、毘沙門には行けない。


坂の途中で右手を見ると一面のキャベツ畑である。
『どこを見てもキャベツ畑ばっかりだね』


5分ほど進むと、「関東ふれあいの道」の標識が立っていた。


標識の脇には、毘沙門天を指す旧い道標と馬頭観世音の碑があった。
毘沙門天へ”是より二丁”(約220m?)とある。
(実際はもっとあった)


道標で指示された方へ進む。
道は車が1台やっと通れるほど狭い。


しばらく進むと道は二股に別れている。
右側へ進むと少しばかり下りになる。


下って行くと、左側に毘沙門天があった。
お参りして先を急ぐ。


少し下ると、また海岸に出た。


荒々しい岩場が続く。


毘沙門湾へ0.6Km付近。
一面に野生の大根のような花が咲いていた。


右手の小高い崖に沿って進むと・・・


小さな洞窟のような穴が見えた。
あれが目指していた洞窟なのか?


案内板によると、
これらの海蝕洞窟は弥生時代から平安時代まで住居、墳墓として利用された。
この洞窟からは主に弥生時代の漁撈技術を物語る鉄、青銅、鹿角製の釣針、鹿角製の銛など漁撈用具、
アワビ貝で作った貝包丁などの農耕用具、腕輪や飾り棒などの装身具類が出土している。
(中略)
なお、弥生時代から平安時代にかけて、とくに平安時代には墓地として使われたようで、
埋葬された人骨も発見されている、とのこと。

人骨が発見されたとの記述が気にはなったが、トビの襲来を防ぐにはもってこいである。
この辺りにはこれ以上の場所はない。
お腹も空いて来たことだし、ここで、弁当にしよう。


ということで、洞窟で弁当タイムである。


トビの襲来も受けず、弁当も食べ終わった。
後はとりあえずは毘沙門湾を目指すことに。
荒崎の海岸でも同じようなコンクリート製の飛び石があった。


前方に毘沙門湾が見えて来た。


毘沙門湾の入口だ。
コース道はこの湾をぐるっと回って磯伝いに行かなければならない。


「盗人狩」へ1.2Kmの表示。
もう少しだ。


湾奥から毘沙門湾を見たところ。


毘沙門児童公園前を通過。


毘沙門湾奥でまた道が二股に分かれていたが、今度は道標が見易い場所にあり、何の迷いもなく左手へ進む。


毘沙門湾奥から毘沙門湾入口方面を望む。
中潮の干潮ということもあり、湾奥は完全に底が露出していた。
『随分浅い港だねぇ』


網小屋の前を通って再び岩場へ向かう。


『岩場はなかなか距離が伸びないねぇ』
ついついボヤキも出る、Kさんだ。


かすかに人が歩いた跡らしきところを進むしかない。


風が次第に強くなり、海はかなり荒れた状態になってきた。
磯に当った波が砕け散って白く輝く。海の青と白い波は、絵になる色あいではある。


こんな強い風の中、釣り糸を垂れている人がいる。
メジナでも狙っているのかな?


こちらの岩場にも釣り人が。
こちらは風が遮られているので、波は穏やかだ。
『そういえば、ここ最近釣りに行ってないなぁ』
近いうちに釣りに行こうという気になってきた。


しばらく進むと、「盗人狩」が見えてきた。
30m余りの断崖が聳え立つ。
説明板によると、
「盗人狩」とは、昔、盗賊が追われて、この山の端まで来て下を見ると、恐ろしい断崖(高さ約30m)と
怒涛の逆巻きに、ぞくぞくと身震いして足がすくんで動けなくなり、たやすく捕まったという。
それで、「ぬすとがり」の名が残っている。


「盗人狩」で全員の証明写真を撮影し、一仕事が終わった。


「盗人狩」を過ぎて、振り返ってみたところ。
実に荒々しい断崖ということが分かる。


前方に城が島大橋が見える。


左手は城が島だ。


大きな洞窟を通り過ぎて、崖を回ると、


山上の風力発電のプロペラが強い風を受けて回っていた。
かなり離れていたが、プロペラの回る音が聞こえてくる。


宮川湾のヨットマリーナ


宮川湾でバーベキューパーティをやっていた若者達から撮影を頼まれ、応じたところ、
今度はお返しに我々を撮ってあげる、という。
「関東ふれあいの道」の看板をバックに全員揃って撮影してもらった。


コースNo.1ゴールの宮川町バス停へ向かう。


皆さん、この日のコースを歩き通し、満足に溢れた様子である。


最後は、残り300mで前方の橋のレベルまで歩くことになる。
かなり急坂である。


14時15分、宮川町バス停に到着した。
しかし、14時5分のバスは発車したばかりである。
次のバスは15時15分まで50分以上も待たなければならない。
『ここで、じっと待ってもしょうがないねぇ』


相談の結果、三崎東岡行きのバスで終点まで行き、折り返して戻ることにしたらどうだろう、ということに。
三崎東岡までの往復バス賃が無駄になるが、じっと待つより退屈しないだけましである。
三崎東岡行きバスは直ぐにあった。
乗客は我々一行の他に2-3人だけで、貸切状態だ。


バスの窓から城が島大橋を見やって三崎東岡へ。
三崎港は、2月に歩いたばかりなので、見覚えがあった。


終点の三崎東岡で降りると、直ぐ後ろに三浦海岸駅行きバスがやって来た。
『ん???』
引橋経由で三浦海岸駅へ行くバスだった。三崎港から三浦海岸駅行きバスは2系統あるのだ。
実にタイミングが良い。直ぐに乗り換えて三浦海岸駅へ。
三浦海岸駅には、15時ちょっと過ぎに到着。
三崎東岡で折り返しのバスを待っていたら、まだ40分以上はかかるところだった。
『ラッキーだったわね』


三浦海岸駅15時19分発でJR久里浜へ。
『お疲れ様っ、これどうぞっ』
『いただきま~すっ』
連絡がうまく行くと、気分も良くなるものだ。


JR久里浜から横須賀線に乗り換え東京へ。
最初はこの日歩いたコースのことなどで話しが盛り上がっていたが、電車に揺られているうちに、ご覧のような状態に。
皆さん、やはり大分疲れていたようだ。
この日の万歩計は既に20,000歩を越えていたことからも分かる。


次回(5月)からは、海辺歩きとも別れ、いよいよ山のコースを歩くことになる。
新緑に包まれた山を歩くのは、楽しみである。
最後まで無事に歩き、神奈川県の踏破認定賞受領目指して頑張りたい。


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